マライア・キャリー、姉に助けを懇願される

マライア・キャリーの姉アリソンが、マライアとの関係を修復を願い、積み重なった医療費の支払いの援助を求めているようだ。HIV感染者で薬物中毒から回復中のアリソンは、昨年4月にニューヨークの自宅に侵入者が入る恐ろしい体験をし、その際に脳に損傷を負って、脳と脊椎の手術を受ける必要があるほどの状況に陥っていた。 自身の推定資産は5億1000万ドル(約570億円)、そして47億ドル(約5300億円)の資産を保有するといわれるジェームズ・パッカーと婚約中のマライアは、1994年にアリシアと大きな喧嘩をして以来ほとんどお互い口も聞いていない状況だが、今回アリシアはデイリー・メール・オンラインを通してマライアに対し援助を求める映像を公開している。    その動画の中でアリシアは「マライア、愛しているわ。心からあなたの助けが必要なの。こういうふうに私を見捨てないで」と訴えている。またマライアの兄モーガンも元売春婦で脳卒中、記憶障害や、深刻な脳損傷によってたびたび意識喪失に陥るアリシアを助けて欲しいとマライアに伝えている。 同紙のインタビューに応じたモーガンは、「アリソンはときどき記憶をなくしたり、治療を受けることができなかったり、それがたびたびアリソンの問題的な行動を引き起こしますが、マライアはアリソンの必要とするケアについて心から理解していないのです」「家族の中でマライアだけが、アリソンの生活を真に意味のある変化を与えることができるのです。最低限できることは、アリソンをよい病院に入院させてあげることと、彼女が必要なケアを確実に与えてあげるということです」「私達はこういう人々にとっての小さな変化について話しているのです。マライアの婚約者は大富豪なんですよ」と話す。 そんな訴えがある中で、マライアの代理人はマライアがアリシアに巨額の援助をすでに行ったと主張している。「長年に渡って、マライアはアリソンとその子供たちのために巨額の援助をしてきました」「実際、マライアは20年間に渡って自身の家族へ援助を行っています」 さらにモーガンによれば、アリソンは2002年に他界した父アルフレッドから160万ドル(約1億8000万円)の遺産を受け取っているのだという。  最近病院から退院しアリソンは、しらふになるために薬物中毒の会などにも参加するなどしているが、脊椎と脳の手術を控えているところだ。

マライア・キャリー、姉に助けを懇願される

マライア・キャリーの姉アリソンが、マライアとの関係を修復を願い、積み重なった医療費の支払いの援助を求めているようだ。HIV感染者で薬物中毒から回復中のアリソンは、昨年4月にニューヨークの自宅に侵入者が入る恐ろしい体験をし、その際に脳に損傷を負って、脳と脊椎の手術を受ける必要があるほどの状況に陥っていた。 自身の推定資産は5億1000万ドル(約570億円)、そして47億ドル(約5300億円)の資産を保有するといわれるジェームズ・パッカーと婚約中のマライアは、1994年にアリシアと大きな喧嘩をして以来ほとんどお互い口も聞いていない状況だが、今回アリシアはデイリー・メール・オンラインを通してマライアに対し援助を求める映像を公開している。    その動画の中でアリシアは「マライア、愛しているわ。心からあなたの助けが必要なの。こういうふうに私を見捨てないで」と訴えている。またマライアの兄モーガンも元売春婦で脳卒中、記憶障害や、深刻な脳損傷によってたびたび意識喪失に陥るアリシアを助けて欲しいとマライアに伝えている。 同紙のインタビューに応じたモーガンは、「アリソンはときどき記憶をなくしたり、治療を受けることができなかったり、それがたびたびアリソンの問題的な行動を引き起こしますが、マライアはアリソンの必要とするケアについて心から理解していないのです」「家族の中でマライアだけが、アリソンの生活を真に意味のある変化を与えることができるのです。最低限できることは、アリソンをよい病院に入院させてあげることと、彼女が必要なケアを確実に与えてあげるということです」「私達はこういう人々にとっての小さな変化について話しているのです。マライアの婚約者は大富豪なんですよ」と話す。 そんな訴えがある中で、マライアの代理人はマライアがアリシアに巨額の援助をすでに行ったと主張している。「長年に渡って、マライアはアリソンとその子供たちのために巨額の援助をしてきました」「実際、マライアは20年間に渡って自身の家族へ援助を行っています」 さらにモーガンによれば、アリソンは2002年に他界した父アルフレッドから160万ドル(約1億8000万円)の遺産を受け取っているのだという。  最近病院から退院しアリソンは、しらふになるために薬物中毒の会などにも参加するなどしているが、脊椎と脳の手術を控えているところだ。

『バットマン vs スーパーマン』、キャストと監督が2大ヒーローを語る2種類の特別映像を公開

【リアルサウンドより】  バットマンとスーパーマンの世紀の対決を描いた映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』より、2種類の特別映像が公開された。  本作は、『マン・オブ・スティール』のザック・スナイダー監督がメガホンを取ったアクション映画。3月25日に日米同時で公開され、全世界興収では、スーパーヒーロー映画史上No.1のオープニングを記録した。2種類の特別映像は、映画の大ヒットを記念して公開されたもの。バットマンを演じるベン・アフレックと、スーパーマンを演じるヘンリー・カヴィルが、それぞれのヒーローが抱える心理的な葛藤と、彼らが衝突する理由を語っている。

映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』特別映像 バットマン編

 “バットマン編”と題された映像では、バットマン役のアフレックが、「今回のバットマンは過去の作品に比べ、歳を重ね、世界に幻滅している」と、過去作との違いを明かしている。一方、スーパーマン役のカヴィルは、「本作のバットマンは容赦がない」と語る。アフレックの「守るべきものがある2人のヒーローが対決する」というコメントとともに、バットマンとスーパーマンの戦いの模様が描かれていく。

映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』特別映像 スーパーマン編

 “スーパーマン編”では、カヴィルとアフレックに加え、スナイダー監督やマーサ・ケント役のダイアン・レインも登場。スナイダー監督は、「スーパーマンの行動が非難を生むこともある。常に善の側ではいられない」と話し、レインは「スーパーマンは人の心を持つからこそ苦しむの」と、それぞれがスーパーマンの葛藤を分析している。 ■公開情報 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』 公開中 監督:ザック・スナイダー 脚本:クリス・テリオ and デイビッド・S・ゴイヤー 製作:チャールズ・ローブン、デボラ・スナイダー 製作総指揮:クリストファー・ノーラン、エマ・トーマス、ウェスリー・カラー、ジェフ・ジョンズ、デイビッド・S・ゴイヤー 出演:ベン・アフレック、ヘンリー・カヴィル、エイミー・アダムス、ジェシー・アイゼンバーグ、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーン、ジェレミー・アイアンズ、ホリー・ハンター、ガル・ガドット 配給:ワーナー・ブラザース映画 (c)2016 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC AND RATPAC ENTERTAINMENT, LLC 公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/batmanvssuperman/

藤原竜也に「確実に会える」1日とその場所とは!?

 俳優・藤原竜也に確実に、直に会える――。  映画『僕だけがいない街』も絶賛公開中の人気役者であることは多くの人が知っているところだが、彼に「会える」となれば、ファンは黙ってはいないところ。  藤原竜也といえば、酒を愛し、プロ野球ナイターを愛し、休日は府中の東京競馬場に行くことを「義務」とも豪語する、イケメンの皮を被った「オヤジ気質」な男として有名。あんないい男の私生活がシブいなんてますます魅力的ではないか。イケメンは特だ。  つまり「東京競馬場」に行けば藤原竜也に会えるのではないか……そう考える人も多いだろう。確かに出没率が高いのは確かかもしれないが、変装はしているだろうし、広大な競馬場で探すのは至難の業。確率論でいえばかなり低いといわざるを得ない。  しかし、今年の4月10日だけは別だ。確実に藤原竜也に会える。断言できる。しかも場所は東京競馬場ではない。阪神競馬場だ。  実は藤原、10日に阪神で開催される牝馬クラシック第1弾・桜花賞(G1)でプレゼンターを務めるのだ。現在、競馬予想情報サイト「JRA-VAN」のイメージキャラクターということも抜擢の理由だろう。プレゼンターとしての役目を終えた後は、パドック内でトークショーが開かれるそうだ。  ちなみにこのトークショー、桜花賞のレース回顧も含まれている。競馬場に通いまくっているという藤原が熱い「競馬論」を披露するのだろうか……。  それにしてもJRAが運営するサイトのイメージキャラクター務め、桜花賞でプレゼンターをしてトークショーまで……。競馬がらみのCMなどに出演する有名人は多くいるが、ここまでJRAに“コミット”するあたり、やはりその競馬好きは「本物」なのだと思わせる。  競馬ファンとしても、これほど競馬にどっぷり浸かる役者なら応援したくなるのではないだろうか。筆者も実際ファンになって映画を見に行ってしまった。  今回こそは彼に確実に会えるチャンスだ。花見ついで阪神競馬場に顔を出すのも一興ではなかろうか……。

Perfume、カンフーダンス披露で「BABYMETALに対抗?」の声 ベッキー不倫騒動で忘れ去られた熱愛報道にファンやきもき?

1603_perfume
YouTube「[MV] Perfume 「FLASH」(short ver.)」より。
 先月25日、Perfumeが、現在公開中の映画『ちはやふる』の主題歌に起用されている楽曲「FLASH」のミュージックビデオのショートバージョンをYouTubeで公開。“カンフー”をコンセプトにキレのあるダンスを披露しているのだが、ネット上では「BABYMETALに対抗?」「アミューズの戦略?」などとささやかれている。 「今月18日、BABYMETALが新曲『KARATE』のミュージックビデオをYouTubeで公開した際に、“空手”をコンセプトにしたダンスが話題になっていただけに、種類は違えど格闘技の動きを取り入れたPerfumeのダンスには『2番煎じ』『同じ3人組だし、どうしてもパクったように見えてしまう』などの批判もあり、さらに『BABYMETALの方が若い分、動きにキレがある』などの辛辣な意見も散見されます。また、PerfumeもBABYMETALも、同じアミューズに所属していること、さらに振付師が共にアミューズ所属のMikikoであることから、『アミューズの戦略?』『格闘技推しでいくのか?』とも見られているようです。『KARATE』が収録されたBABYMETALのニューアルバム『METAL RESISTANCE』(TOY'S FACTORY)は来月1日、『FLASH』が収録されたPerfumeのニューアルバム『COSMIC EXPLORER』(Perfume Records / ユニバーサルJ)は来月6日と、発売日が近いのですが、Perfume には相変わらずコアなファンが多く、アルバム収録曲には映画やCMなどのタイアップ曲がズラリと並んでいるため、BABYMETALファンからは『売り上げもっていかれないか心配』『発売日ずらしてよ』という悲鳴も聞こえてきます」(芸能関係者)  その一方で、Perfumeファンの気がかりは、BABYMETALよりも、今年初めにあった、“のっち”こと大本彩乃とお笑い芸人・マンボウやしろの熱愛報道の方にあるようだ。 「大本とやしろの熱愛報道が流れたのは、今年の元日というタイミングでしたが、やしろといえば、『マンスリーよしもと』の吉本ブサイクランキングで殿堂入りするなど、芸人の中でも屈指のブサイクということで、“顔面格差愛”と報じられ話題になりました。報道を受け、1月4日にやしろが、パーソナリティーを務めるラジオ番組『Skyrocket Company』(TOKYO FM)内で、きっぱりと交際否定したものの、大本ファンからは『アミューズから圧力がかかった?』『本当のところはどうなんだ!』といった声が。しかし、世間ではその後、ベッキーの不倫騒動やSMAP解散騒動など、大本とやしろの熱愛報道よりもはるかに話題性の高いニュースが連日取り沙汰されるようになり、『まだこっちが解決してない!』『世間の皆、ベッキーよりのっちの方に注目してくれ!』などといった大本ファンの叫びもむなしく、世間的にはいつしか忘れ去られるように。今でも『結局、付き合ってるの? 付き合ってないの?』『気になって食が細くなったままだよ』など、モヤモヤとした気持ちを引きずったままの大本ファンは少なくないようです」(同)  ラジオ番組でやしろは、大本のことを“2011年からの友人関係”であることは認めていたのだが、ネット上では「友人になれるだけでも羨ましい」「ブサイクも極めれば、おいしい思いができるんだな」と、嫉妬が渦巻くばかりのようだ。

紗倉まな初の小説『最低。』は又吉の『火花』より文学的だ! 撮影、親バレ、引退後…AV女優のリアルを描く

sakuramana_01_160402.jpg
紗倉まな公式ブログより
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  現役AV女優としては初の小説である紗倉まなの『最低。』(KADOKAWA)が話題だ。  紗倉といえば、数々の連載や昨年出版した自伝エッセイ『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)で、その文才は高く評価されていたが、今作については、日刊SPA!のインタビューで「(エッセイは)明るい内容だったので、今回は業界のダークサイドを書きたかった」(日刊SPA!)と語っている。  そこで、紗倉が体験したAV業界のダークな裏事情が赤裸々に暴露されているのか、と読んでみた。  だが、読み進めているうちにそんなゲスい好奇心はどこかに消し飛んでしまった。とにかくうまい! そして深い! 読み終えた後、思わずこうつぶやいていた。  これは、AV女優が書いた『火花』じゃないか!  4人のAV女優をめぐる4つの短編からなる今作。業界暴露でもなければ、自分語りでもない。これまでメディア上で描かれてきた「AV女優」像、たとえば男にだまされたり搾取される被害者、セックス大好きの淫乱、裏返しとしてピュアで聖なる存在、あるいは過剰な承認欲求に突き動かされるメンヘラ女性……紗倉が描いたのは、そういう類型的なAV女優のよくある荒んだ設定の物語ではない。  1章の「彩乃」。彩乃は、19歳でAV出演を決意した女性の物語。設定的には、18歳でAV女優となった紗倉自身にいちばん近い女性だが、たとえば、彩乃がAVの世界に身を投じ初めて挑んだ撮影は、こんなふうに描かれる。 〈彩乃の谷間に垂れた唾液が、光を跳ね返した。  息つく間もなく、ゆっくりと後ろから男優のそそり立ったあれが入って来る。規則的な相手の振動に揺れ、彩乃は接合部をはずさないように、慎重に振り返った。レンズがそこにある。幾重にも重なるその構造に見入っていると、映り込んだ自分の目がこちらを、ぎょろり、と睨んでいた。あれ、わたし、こんなん、だっけ。口元を溶かすようにやわらげ、にこっと、映像向けの如才ない顔を作った。  カメラの先に括りつけられた円盤形のタングステンライトが顔に近づくと、すこし熱を感じる。微かに開かれた(監督の)坂井の口元が、いいよ、と動いた。 「もっとアドリブでセリフを言っていいよ」  数分前、坂井にそう耳打ちされたのだ。  突き上げられ、下腹部に圧迫されたふくらみを感じて、あっ……と、彩乃はさらに声を荒立てる。だんだん急ぎはじめた男の波に、打ち付けられるように、揺れた〉  こうして描かれる撮影シーンだが、撮影が終わった後「痛くなかった?」と彩乃を気遣うベテラン男優に対し、紗倉は彩乃の心理をこう描写している。 〈「年間に一千万人の女性と絡んだことを誇らしげに語る──確かに的確な仕事はしているものの、そこに気持ちよさを与えていない瞬間もあるということには無自覚な男の──日に焼けた指先を彩乃はじっと見つめた。爪は丹念に磨き込まれていて、マニュキアのトップコートを塗っているような、つるつると滑らかな仕上がりだった。深爪をしているのではないかと思うほどに白い部分のないその先端には、彩乃の愛液がねちっこくまとわりついていた。つい目をそらす」〉  だが彩乃は、そんなホンネとは違う言葉を口にする。 〈『わたし、鉄マンなんで大丈夫です』〉  紗倉自身はどんなハードな撮影でも快くこなすことで知られるが、ここで描かれているのは、平気で受け入れているわけでもなく、ただ耐えているのともちがう、心の動きだ。  紗倉は一貫して、彼女たちの感情の動きを白黒ハッキリしたわかりやすい感情に回収しない。  それは、この作品のトピックともなっている「親バレ」についても同様だ。1章の主人公の彩乃は親バレし、もともと折り合いの悪かった母親と絶縁寸前のケンカをする。紗倉自身は、18歳になったとき母親に認めてもらったうえでAV女優になっており、自らにその体験はない。しかし、このAVの仕事につきものである「親バレ」をめぐる感情を、認めるか認めないか、知られたいか知られたくないか、といった紋切り型でない、繊細なタッチで描き出す。  そして、彼氏との関係についても、これまでのAV語りとはまったくちがう描き方をしている。 この第1章では彩乃にとって、はじめてふつうのサラリーマンとの恋愛だという、編集者・日比野との恋愛の始まりが描かれるのだが、自分のAV女優という職業について日比野がどう思っているのか、彩乃はこんなふうに考えを巡らせるのだ。   〈そういえば、日比野との間で彩乃のささくれだった部分に触れるような話題というのは一切出ないのだった。わたしがどんな仕事をしているのか、この人は気にならないのだろうか。不思議に思うことすらあったのだが、聞かれないのなら聞かれないで気持ちが楽、というわけでもないのが彩乃にとって複雑なところだ。……仮に。彩乃の表の顔を剥ぎ取ると出てくるAV女優という素性を日比野がすでに知っていたとき、自分は彼の親切心を気持ちよく受け取ることができるだろうか。〉  もうひとつ、紗倉のこの小説に出てくるAV女優が特徴的なのは、異物ではなく、“ふつうの女性”と地続きの存在であることだ。  たとえば、3章の主人公「美穂」は、セックスレスの専業主婦。夫のアダルトビデオを見てAV女優に応募する。  AV女優になりに行く新幹線の車中で、窓から山を包む霧を眺め、美穂は死んだ父親が好きだったいわさきちひろの絵本を思う。 〈触れた瞬間に消えてしまいそうな繊細なタッチが、自分の心と似ているような気がした。車窓から見渡す景色は、めくられた絵本のなかのように幻想的だった。子どもが生まれたら読ませてあげようと、そういえばリビングの棚の奥に閉まっていたんだっけ。あの、明るくて希望に満ち溢れた輝きをもつ大きな瞳の女の子たちが、息をひそめて、誰にも触れられることのない場所で重なり合っている〉  AV撮影といわさきちひろの絵本。一見かけ離れたふたつが、するっと共存している。しかも、並の作品だったら、いわさきちひろ的なものは、これから失われる何かを象徴しそうなところだが、美穂のなかのいわさきちひろ的なものは、失われるのではない。これから、開かれることを予感させるのだ。  旅館の露天風呂で〈背後から、見知らぬ男に「お義母さ、ん」と必死に呼ばれ続けられていた。──どこか、懐かしい匂いがする。「いいのよ」と返すが、なにがいいのかなんて、実際にはよくわかっていない(略)押し寄せる波にただ耐えているうちに、疑問は悦楽に変化して──ふと健太の顔がちらついたけれど──後ろめたさはどこか遠くにぽいっと投げ捨ててしまったようだった〉  翌日帰宅した美穂は、夫に数年ぶりのセックスを請う。お互いの身体をなぞりあい、夫のリクエストで互いにオナニーを見せ合い、久しぶりのセックスをする。  しかし美穂は夫とのセックスのある日常に帰還するわけではない。夫とセックスしたあとAVプロダクションの石村からメールが届いているのを確認し、また次の撮影の予定を立てる。  ごく普通の地味な専業主婦がAV女優となることで、抑制していた自己をささやかに解放してゆく様を繊細に描いた紗倉だが、4章の「あやこ」では、母親が元AV女優の少女を主人公に、「AV女優」を辞めた後のシビアな問題につっこんでいる。    主人公のあやこは、元AV女優を母にもつ少女。紗倉はAVが〈風俗と決定的に違うのは、作品として後世に残ってしまうこと〉だというが、AV女優が子どもを生み、将来子どもがその事実を知ったとき、その子はどうなるのか。親バレならぬ「子バレ」を真正面から描いているのだ。  元AV女優でシングルマザーの孝子はろくでなしの母親だ。あやこの育児は自分の母親に任せきり。かといって外で仕事をするわけでもなく、一日中ダラダラしているだけ。あげく中学生になったあやこが得意の絵で大きな賞を受賞し注目を集めたことをきっかけに、母親がAV女優だったという噂が学校中に広まり、いじめられてしまう。  母親・孝子の描かれ方は辛辣だ、しかも孝子の内面は一切語られない。なぜAV女優になったのか、言い訳も謝罪も後悔があるのかないのかも。  社会学者の鈴木涼美が『AV女優の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)という本を出版しているが、メディア上に登場するAV女優=自分語りのイメージとは対照的だ。この元AV女優の母親が何を考えているのかは全然わからない。  ただ、喫茶店を切り盛りしながら自分をあたたかく育ててくれた祖母のことより、あやこは、このだらしない母親のほうを明らかに愛し、リスペクトしている。祖母が愛しているのも、健気な孫より、「いんらんな」娘のほうだ。  この空っぽな元AV女優の母親から、あやこが受け取めているのは、紋切り型の自分語りでは決して語られることのない何か。  紗倉がダークサイドと言ったのは、わかりやすい業界の裏側や転落話ではなく、おそらく自分もふくめAV女優たちの自分語りでも開陳されていない、もっと内面の奥に踏み込む、という意味だったのだろう。  冒頭で、これはAV女優が書いた『火花』じゃないか、と言ったが、ひょっとしたら、その文学性は『火花』より上かもしれない。とくに、4編とも『火花』よりもずっと鮮やかだ。  あまりのクオリティの高さに、本当に本人が書いたのか、ゴーストじゃないのかと、詮索する向きもあるようだが、それはあり得ないだろう。AV女優をその内面も含めここまで批評的に描きながら、物語としても成立させる。文才だけでなく、紗倉の、AV女優という仕事に対する冷静な観察眼と愛情がなければ、成立しない。  おそらく、紗倉の才能をもってすれば、これからもきっとクオリティの高い小説を書き続けることができるだろう。あとは、出版社や編集者の姿勢だ。次は「AV女優の書いた小説」という安易なセンセーショナリズムに頼らない、紗倉の小説家としての可能性を引き出すような作品の発注をしてほしい。 (酒井まど)

福山雅治が月9ドラマで”濃厚ベッドシーン”を解禁する懐事情

【アガるニュースをお届け!デイリーニュースオンラインより】
0402fukuyama.jpg
「家族になろうよ」より
 昨年9月に女優・吹石一恵(33)との電撃結婚を発表。多くの女性ファンから悲鳴があがっていた福山雅治(47)にとって、今年は勝負の1年になりそうだ。映画にドラマと、結婚後初の大仕事も控えているのだが、どちらの作品にも共通した“ある変化”があるという。“福山ロス”“ましゃロス”現象に見舞われた女性ファンには、さらなる衝撃が待ち受けているかもしれないという。
続きは【デイリーニュースオンライン】で読む
      
   
					

キム・カーダシアン・ウェストとエミリー・ラタコウスキー、トップレス姿を披露!

キム・カーダシアン・ウェスト(35)とエミリー・ラタコウスキー(24)がトップレス姿を公開した。キムは先日、胸と腰の部分を黒いラインで目隠しした自身のヌード写真を投稿したことで批判を受けていたが、今回はエミリーと一緒に上半身裸で中指を立てた姿で浴室の鏡に写る姿を投稿してその批判に対抗したかたちだ。前回と同様に胸の部分を黒のラインで隠している2人の写真には、前回のキムのヌード写真に添えられたキャプション「何も着るものがないって感じの時(笑)」を進化させ、「私達が、何も着るものがないって感じの時(笑)」とキャプションが添えられている。 さらに、エミリーもその写真を投稿し、女性が性を表現する権利があると主張する。「私達の体がどのようにセクシーであろうと、女性たちがいつ、どのようなかたちでそのセクシーさを表現するかに自由が必要だわ」「女性はその体以上に意味がある存在だけど、だからと言って体や性的な部分を恥じることはないってことよ」「社会の目によって性が定義づけられることは屈辱的だけど、それでも女性がそうしたいと思った時に、セクシーになることができる場所があるべきよ」 キムがオールヌードの写真を投稿した際にピアーズ・モーガン、ベット・ミドラー、クロエ・グレース・モレッツらから批判を受けていた中で、エミリーは自分のヌード写真を投稿してまでいち早くキム擁護派にまわり、「ヌード写真を投稿する女性の決意に対して男性がコメントするのって大好き。その体、キャリアについて。性差別主義者は最低。キム・カーダシアン」とツイートしていた。

映画業界に生きる“いかがわしい人々”の愛嬌ーー『下衆の愛』に滲み出た映画愛を読む

【リアルサウンドより】 「一回味わうと抜け出せねぇぞ。シャブよりもタチが悪いからな、映画っていうのは」──古舘寛治演じる映画監督が、新人女優にそう囁く通り、『下衆の愛』は映画を愛し、その底なしの深みに耽溺してしまった人々をシニカルに取り上げたコメディ映画である。「監督とプロデューサーは全員クソヤロー!」と銘打たれているように、芽が出ないまま性格をこじらせた“下衆”な映画人たちの姿がブラックかつコミカルに描かれる。主演は2015年映画出演本数11本を誇り現在最も注目される俳優・渋川清彦。野心的な新人女優役を岡野真也が務め、ある種ファム・ファタールとも言える役柄に挑戦している。ほか、細田善彦、忍成修吾、でんでん、内田慈、津田寛治、古舘寛治、木下ほうか等、近年の日本のインディペンデント映画を中心で盛り上げている個性豊かな俳優が数多く出演。第28回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門、第45回ロッテルダム映画祭での上映を経て、4月2日より公開される。すでに海外配給や各国の映画祭での上映も決定している。近頃、“下衆”という言葉が流行語のようになっているが、本作からは不快な印象をほとんど受けない。むしろ、卑しく品性に欠いた行動を取ってしまう人間に対して、決して愚かな面を断罪して咎めようとするのではなく、もっとおかしみや愛嬌を見出そうとしているように思える作品である(それは作り手たちが、オックスフォード英語辞典に“下衆”という日本語を「下劣なこと、もしくはその人、しかし愛嬌がある」という意味合いで申請したことからもわかるだろう)。(参考:「GESU(ゲス)」を英語辞典に採用申請へ 「下衆の愛」の渋川清彦「ゲスは悪い言葉ではない」
20160329-gesu_main2thth.jpg

 映画は、前の晩に関係を持ちそのまま眠ってしまったと思しき真っ裸の男女が、朝になり目覚めるところからはじまる。男が自宅に連れ込んだスタイルの良い女(卯水咲流)は先に起き、そそくさと衣服を着て荷物をまとめると、男がまだ寝ぼけ眼のなか、言葉少なに帰っていく。生々しい雰囲気で自堕落な生活を送っている39歳の男の生態が捉えられるが、この男こそ主人公の自称・映画監督のテツオ(渋川清彦)だ。テツオは過去に映画祭で受賞した経験を持つことが唯一の自慢で、その後は満足に映画を撮っていないまま、現在まで実家に寄生しつづけており、監督とは名ばかりの、いわばパラサイト・ニートである。  テツオは後輩で助監督も務めるマモル(細田善彦)がハメ撮り(!)して稼いできたお金をピンハネしながら、役者志望者を集ってはワークショップを自ら主催している。彼の周りには、うだつのあがらない俳優や胡散臭いプロデューサーたちばかりが集まっている。飲み会で知り合った監督やプロデューサーに近づいては枕営業を試みることに賭ける──寝る前にその相手がどのような実績があるか、最近は活動しているのかなどを入念に調査する──女優の響子(内田慈)がいれば、逆に自分の作品に出してやるとそそのかして女性に性的行為を求める監督やプロデューサーがいる。このように、本作に登場する映画業界の人々の人物像は、それぞれ売れない監督や俳優たちの戯画になっているのである。そこには、「週刊プレイボーイ」ライターを経て、脚本家、映画監督となったキャリアを持つ内田英治らしいゴシップ的な俗っぽい観点があらわれているだろう。  新人女優にすぐに手を出す映画監督、ハメ撮りで生計を立てる助監督、枕営業にチャンスを賭ける打算的な女優、セクハラ&パワハラするプロデューサー……『下衆の愛』は、観客がたしかにどこかで噂を見聞きしたことがあるような映画業界のダーティなイメージを少し誇張的に戯画化してコメディ・タッチの中で取り扱っている。たとえば、バンドマンの彼氏の安定を求めない“ロックな“生き様に惚れていたのに、彼から音楽を辞めて働くと宣言されてしまった女の子カエデ(山崎祥江)のキャラクター設定は(いささか観念的ではあるが)好ましく映る。バンドマンの彼氏がほかの男たちと同じ“つまらない大人”になってしまったことに失望した直後、彼女は居酒屋のトイレでテツオが女を連れ込んで大胆にも行為に及んでいるところに遭遇し、彼に一目惚れしてしまうのである。あるいは、とにかく映画にはふんだんに濡れ場を盛り込め!と煽っていた団塊世代のプロデューサー貴田(でんでん)が、突然、裸よりも「犬や猫が死ぬ映画が今は売れる」と言い出す様は、実に粗雑なプロデューサーのいかがわしい 面があらわされている。この多分にコミカルだけれど、実際にいるかもと思わせる塩梅でキャラクターを造形しているのが、内田の上手いところだろう。また、売れない俳優の一員に元劇団員だったことで知られる芸人のマツモトクラブが紛れていたり、テツオの妹でネットに自身のエロ動画をアップしている女子高生をAV女優の川上奈々美が演じていることも、さらなる説得力をもたらしているかもしれない。こういった細部まで目を配らせた俳優陣へのアプローチとひとりひとりの好演が、映画におかしみと愛嬌を宿らせているのである。  しかし思うに、テツオという人物を見ていると、彼にとってワークショップを開くことは映画を作るためではなく、むしろ金を集めたり女と出会うためのものでしかなくなっているのかもしれない。いまやテツオは、ワークショップに参加してきた若い女の子や才能のない女優と寝るための名目として、「映画」の名を使っているだけに過ぎないのだ。テツオの下衆さは、彼のだらしなさや甲斐性のなさにあるのではなく、映画への冒涜した態度にあるのである。かつて抱いていた映画製作への情熱を失いかけていたテツオの元に、ふたりの才能ある若者──脚本家志望のケン(忍成修吾)と女優志望のミナミ(岡野真也)──が訪ねてきたことで、徐々に彼はその胸の内にあった映画作りへの純真な気持ちを再燃させていく。
20160329-gesu_sub2thth.jpg

 テツオが稽古場で新人のミナミに対して、手をグーにしたら「好き」と、パーにしたら「嫌い」と言葉を発させるよう演技指導をする場面は、彼のミナミへの熱心な期待を感じさせると同時に、その行為の中に見られるモラル上の問題をもアイロニカルに示唆する印象的な場面だ。演出家として納得のいく芝居がまだまだ引き出せていないと考えるテツオは、いきなり彼女の胸を揉みしだく。すると、ミナミは激しい嫌悪感を露わにするが、それによって前よりもはるかに憎しみのこもった「嫌い」という言葉を涙を流しながらもテツオにぶつけられるようになる。つまり、テツオは真に迫った演技を引き出すために胸を揉んだのだ。“下衆”な行為でありながら、結果だけを見ればそれは演技指導の効果を発揮しているとも言うことができるのかもしれない。しかし、果たしてそれはセクハラではないのだろうか……? そんなことを考えさせるのだ。  また、稽古場でミナミに対して熱心に演出するテツオの後ろでは、それに何の興味関心もないような目で彼女の演技を見ているほかの役者たちがいる。ここではほとんどの人物が、損得のためでしか人を見ていないのだ。映画のためにいつのまにか監督やプロデューサーは権力を振りかざすようになり、女優は映画の仕事を得るためなら進んでその犠牲者にすらなっていく。純真で汚れのなかった新人女優ミナミは、大物に取り入っていくことで横柄な売れっ子女優へとのしあがっていく──まるで罪を重ねていくかのように。
20160329-gesu_sub3thth.jpg

 ここで興味深いのは、日本映画業界に巣食ういかがわしい人々やそれにまつわるエピソードの数々について、内田が自分の身近なスタッフや役者から見聞きしたもので創作したと言う一方で、渋川は本作を一種の「ファンタジー映画」と語っていることだ。自分の周りでこのような人たちを実際に見たことはない、というのがその理由である。たしかに上述したように、ありそうでなさそうな絶妙なリアリティラインで描かれているからこそ、観客はある種ファンタジー映画のようにして、映画人たちのひねくれた一途さを滑稽なものとして微笑ましく見ることができるのかもしれない。  そしてやはり、現在の日本の映画作りの現場というものの矛盾や皮肉を描いたブラックなコメディとして『下衆の愛』が成立している最も大きな要因は、主演の渋川清彦の放つ魅力である。いい年になっても世間から注目を集める映画に不平ばかり吐いて、ろくに作品も撮れてこなかったテツオは、“商業主義”に走って魂を売ることを毛嫌いしている。“俺は魂を売ってこなかった”と心の中で理由をつけて納得することで、彼は楽天的な態度の裏でプライドだけは守ってきていたのだろう。一方では、それは全く芽の出ることない自分の才能を慰めていた言い訳とも言える。しかしもう一方では、金儲けにあまり罪悪感も持っていないほかの登場人物たちとは異なる、純粋なまでの愚かしさが彼の中にあるとも言えるのではないだろうか。思うに、渋川の飄々とリラックスしていて親密感のある演技と、彼の持つ身体性こそが、本作を滑稽たらしめているのである。テツオは誰よりも軽薄な人物ではあるが、彼がなにを喋ろうと、長い手足でルパン三世がそのまま飛び出してきたかのような風貌と甲本ヒロトを彷彿とさせる屈託のない笑顔からは、人間臭い愛嬌とその純粋な愚かしさが滲み出ているのだ。
20160329-gesu_sub1thth.jpg

 そのような渋川のいい大人でありながらも決して子ども心や遊び心を忘れていない“あんちゃん”的なキャラクター性によって、映画は業界のある種汚い側面を戯画して描きながらも、あくまでも楽天的なムードをまとっている。日本のインディーズ映画シーンであがく者たちの姿は、映画作りの世界に淫した負け犬たちのように映るかもしれない。しかし、ジョン・カサヴェテスやカート・コバーン、ラモーンズに憧れ続け、40歳になるまで夢を諦めきれなかったテツオには、愚かなまでのピュアな映画への信仰心が感じられる。いつまでもプライドだけは持ち続けていた諦めの悪い男が、ただひとりのヒロインを求め、それをかなぐり捨て土下座することは、冒涜してしまった映画そのものへの懺悔なのである。  彼らは、映画しか愛せないどうしようもない人間であり続けるのだろう。たとえその愛が報われなかろうと。 (文=常川拓也) ■公開情報 『下衆の愛』 2016年4月2日(土)よりテアトル新宿レイトショーほか全国順次公開 (C)third window films 配給:エレファントハウス  製作会社:サードウィンドウフィルムズ 宣伝:フリーストーン  2015年/日本/110分/カラー  公式サイト:http://www.gesunoai.com

武豊、「殺人スケジュール」も、妻の佐野量子は……

 日本競馬の顔役、武豊。昨年彼が最も世間の注目を集めたのはフリーアナとの「不倫疑惑」ではあったものの、年末には香港G1「香港C」をエイシンヒカリで制し、国内のみならず海外でもその手腕を改めて見せつけてくれた。  そんな武騎手、今年はどうやら「旅人」になるという話がネットで話題になっている。いったいどういうことなのか。  武騎手といえば、先月26日の「ドバイワールドカップデイ」のUAEダービー(G2)をラニ(牡3歳 松永幹夫厩舎・栗東)で勝利。ラニのポテンシャルもさることながら、武騎手の目を見張る好騎乗も印象に残る快挙だった。  この勝利により、ノースヒルズの前田幸治代表がアメリカ競馬最高峰・ケンタッキーダービー(G1)(5月7日、米チャーチルダウンズ)への直行を明言。松永幹夫調教師もノリノリのようで、武騎手とともに「全米制覇」を狙いに行くのはほぼ間違いないだろう。  さらに武騎手の「海外行脚予定」は他にも。昨年香港Cを制したエイシンヒカリと共に仏GI・イスパーン賞(5月24日、シャンティイ)から、昨年はスピルバーグが参戦した英GI・プリンスオブウェールズS(6月15日、アスコット競馬場)に挑戦する予定。アメリカだけでなく欧州へも足を伸ばす。今年の武騎手は「世界制圧」に動いているといっても大げさではない。  日本を代表する騎手だけに、「世界制覇」への期待は高まるばかり。ただ、当然ながらこれだけの遠征をこなすのはかなりハードだ。  ケンタッキーダービーが行われる5月7日、国内ではNHKマイルC(G1)とビッグレースがかぶるが、ここはアメリカを優先することとなるだろう。そして、イスパーン賞に関しては日本競馬の最高峰・日本ダービー(G1)の5日前と非常にタイト。ダービー終了後、半月程度の間に今度はイギリスへ……。国内開催にもできる限り出走するに違いなく、5月からのこの1カ月半は武騎手にとっても相当疲労が溜まりそうな印象はある。  しかし、そこは海外でも経験豊富な武騎手。これまでも海外遠征には積極的で、海外G1も多数勝利。しかも、その中には驚嘆の“エピソード”も存在する。  2006年、バラエティ『ナンだ!?』(テレビ朝日系)に武騎手が出演した際に、彼の「1週間」を紹介。それによると、月曜にフランスで騎乗してその日のうちに日本にとんぼ帰り、火曜に移動して水曜に地方競馬でも騎乗した後、木曜に中央競馬の調整ルームに入って金曜は競走馬の調教を行い、土日のレースに出走……武騎手が年間200勝を達成している時期ではあるが、信じられないほどのタイトなスケジュールをこなしてきたことがうかがえる。  これだけの経験を見てしまうと、年齢を重ねたとはいえ今回の遠征くらいは大丈夫ではないかという気持ちになってしまう。日本競馬史上最高の騎手は、やはり常識の範疇では図れない人物なのだと改めて理解できる。ぜひとも世界で大暴れしてもらいたいものだ。  ちなみに、武騎手の妻である元タレントの佐野量子は、基本的に海外遠征にはついてこないらしい。パリなど、買い物などができそうなところだけ行くようだ。なんともマイペースである。