バッシングの一方で急増! 不倫する女性たちが告白する本音と日常とは? 逆に家族円満になったケースも

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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『不倫女子のリアル』(小学館)
 ベッキー&川谷絵音(ゲスの極み乙女。)、乙武洋匡、宮崎謙介元衆議院議員、桂文枝、石井竜也、とにかく明るい安村、六代目三遊亭円楽、そしてファンキー加藤とアンタッチャブル柴田英嗣の元妻とのW不倫……今年に入り、数週間に一回は著名人の不倫が報道され、その都度大バッシングが巻き起こる状況が続いている。そういった報道がなされると、当事者、とくに女性には非難の声が集中する傾向がある。  まるで姦通罪のあった時代に逆戻りしたかのような錯覚をおぼえるが、では、現実はどうかというと、弁護士の堀井亜生氏が「不倫の総人口が増えれば、紛争も増えます。私たちの事務所に不倫問題で相談に来る方も、この10年で倍増しています」と語っているように、それとはまったく逆の状況となっている。とくに、女性の不倫はこの10年で急増している。  そんな現実を生々しく描き出した本が最近出版され話題を呼んでいる。『不倫女子のリアル』(小学館)。「VoCE」(講談社)や「Suits」(小学館)などの女性誌を中心に活動するライターの沢木文氏が、実際に不倫した女性たちからその経験を取材し、一冊にまとめた。  この本では10人近くの女性が自らの不倫経験を語っているのだが、不倫し始めたきっかけとしてよく挙げられているのが、「夫の浮気」だ。ファンキー加藤の不倫相手だった柴田の元妻も柴田の浮気がきっかけだったとされているが、実際にこのパターンは多いらしい。  クリニックを経営している皮膚科医の水田頼子(仮名)さんは、子ども2人の育児と仕事とを両立させながら、結婚して13年の間に15人もの男性と恋愛関係になった。その始まりは、次男が生まれたばかりの頃、家事と仕事で日々の記憶がないほど忙しかった時期に、夫の財布の中にコンドームが入っているのを発見したことにある。そのコンドームは、夫が休日出勤から帰ってくる時にはなくなっていた。これで夫の不倫を確信するのだが、その時の心情をこう振り返る。 「私は仕事しながら、とにかく走り回って暴れる息子たちの育児を引き受けて、夫よりも稼ぎ、コーヒー1杯飲む時間もなく、ママチャリ漕いで保育園・クリニック・自宅の三角内を走り回っている。それなのに、夫は育児を手伝うこともせずどこかの女と……自分でコンドームを用意するってことは、相手の家に行っているわけでしょ……恋愛を楽しんでいる。もう何なのよ! って思った」  しかしその悔しさや怒りの感情の原因は何なのかを自己分析してみると、それは夫への愛ゆえの「嫉妬」などではないということに気がついてしまったという。 「でもそれは、夫を寝取られて悔しいとか、自分に魅力がないからだとか、裏切ったから許せないとかいう愛や嫉妬を基盤にした感情ではなくて、同じ生物として他の個体(女性)と性行為をしたり、恋愛を楽しんでいるのが“うらやましい”という感覚だったの」  製薬会社に勤務している室井さやか(仮名)さんも同様のケースである。室井さんは夫の浮気を知った後、「目の前が真っ暗になって、足元から暗闇に吸い込まれていくような感じ」がしたと語るが、その怒りを友人にぶつけたところ、「さやかさん、それならあなたも浮気すればいいじゃない」と返され、自分も浮気することを決意する。  そう思ってみたものの、かつてであれば相手も見つからないし、そう簡単に不倫に踏み出すこともできなかったわけだが、SNSが普及した現在では状況は大きく変わった。個人情報の検索ができるFacebookのようなSNSを使えば、連絡の途絶えていた元カレと再度コンタクトを取ることも容易であり、見ず知らずの相手との出会いでない分さらに浮気へのハードルは下がる。実際、室井さんもFacebookを使うことで元カレ6人と再会している。  こういった話を聞くと両ケースとも、もうこれまでのような夫婦生活を送ることはできなさそうに感じてしまうが、水田さんも室井さんも夫婦の不倫により離婚にはいたっていない。むしろ、それがガス抜きになり夫婦生活の継続が保たれている側面もあるようだ。  その最たる例が、メーカー勤務の麻田裕子(仮名)さんのケースだ。結婚して専業主婦になり幸せになった人が周囲におらず、働くことが好きな自分は会社勤めを続けたいと思っていたが、夫側の家族は麻田さんのそのような考えを良しとせず軋轢が生まれてしまう。  とくに、子どもが生まれてからは、夫と両親から「保育園に子どもを預けるなんてかわいそう」「結婚したのに働いているなんてみっともない」と言われるも、彼女は頑として仕事を辞めなかった。心労で10キロ痩せながらも、育児と仕事を両立する。当然のことながら夫とその両親からのサポートはほとんどなく、見かねた実家の母が助けに来てくれるような状況だった。  そんな数年を過ごした後、子どもが4歳を過ぎてあまり手がかからなくなってきた頃、麻田さんはプロジェクトを共にした別会社の男性と浮気をする。その時は当然のことながら夫に対する罪悪感もあったのだが、それと同時に、また別の感情も湧いてきたという。 「あ〜これで私は人としてダメになってしまった……という自己嫌悪と罪悪感が襲ってきたのですが、その裏切りの対象が、私をさんざん苦しめた夫とその家族ですからね。それに、ハッと気が付いたら、心がすごく軽くなったんです。会社を辞めろとか、娘がかわいそうとか、社会通念で私を縛ろうとしていた夫たちに“ざまあみろ”と思ったんです」  相手への恋心から不倫しているわけではない麻田さんは不倫を「密かなレジャー」と呼び、どんな相手と浮気関係になったとしても数回の肉体関係を結べば終わりになってしまう。彼女にとってあくまで基盤は夫と子どものいる家庭であり、浮気はその関係を維持し続けるための一種のガス抜きなのだ。麻田さんはこのように語っている。 「でも、浮気をしてから、あまり夫側の人を恨まなくなったし、ギスギスしなくなったんですよ。こういう形で“復讐”した気持ちになって、心が軽くなったんでしょうね」  法律事務所に勤務している宇田川玲奈(仮名)さんも同様だ。彼女の夫は仕事を辞めろとは言わなかったものの、家事や育児を一切手伝うことはなく、それが原因で怒りと不満を募らせた。結果、宇田川さんも10人近くの男性と不倫を重ねていくことになる。だが、彼女にとっても、不倫はあくまでガス抜き。浮気しながらも家庭を最優先にし、恋愛関係がこじれた時に暴走する恐れがある男とは始めから不倫関係にならないようにするといった工夫までしていた。そんな宇田川さんも、先の麻田さんと同じように語る。 「浮気をする前よりも、夫の関係がすごくよくなりました。いつも夫に対して、私ばかり我慢して、“私だけが育児をし、人生の辛い部分を押し付けられた”と怒っていたのですが、それがきれいさっぱりなくなりました。私も浮気しているし、あなたは鈍感でまったく育児をしなかったけど、これでおあいこだよね、と思えるようになりました」  これが最近の不倫女性の現実なのだが、このような状況になったのには理由がある。それは、「稼ぐ女」が増えたということ。男女の雇用に関してはまだまだ問題は山積しているが、それでも格段に改善され、夫より妻の収入の方が高い家庭も徐々にだが増えつつある。 『不倫女子のリアル』に登場する女性たちも全員が職をもっており、それなりに収入がある人ばかりだ。そうすると、当然のことながら不倫がバレて離婚にいたるリスクをさほど感じない。先ほど登場した麻田さんは「私にも娘と食べていけるだけの経済力はあるので、恋愛も自由ですよね。私の場合、離婚したら娘は私のもとにくるでしょうから、夫はたった1人になってしまう。私は慰謝料を払う覚悟もあるし、養育費などをもらわずに育てる自信もあります。すると、夫にとって離婚は孤立するというデメリットしかない」とまで言い放っている。  さすがにここまで大胆な物言いをする人は珍しいかもしれないが、しかし、女性たちが夫への怒り・恨み・不満などを押し殺さず人生を謳歌し始めるようになったのには、麻田さんが証言したような状況が大きく影響している。これまで「浮気は男の甲斐性」などと言われていたが、この「男」の部分が「男女」に変わりつつあるのだろう。 『不倫女子のリアル』はこう指摘している。 〈今もまた戦後と同じように家族観や道徳観が激変している。それと同時に、婚外恋愛に踏み切る女性が急増している。事象を追っていたら、あまりにも多くの“普通の女性”が不倫を自らの意思で楽しんでいる事実があった。それは旧来の“不倫=不幸”という価値観では断じられないほど、多様で自由であり荒涼とした現実なのである〉  昨今、不倫をした著名人がことさらバッシングに遭いがちなのは、こういった現実に対するバックラッシュのような部分もあるのかもしれない。 (田中 教)

「あたしはもう尖ってない」マツコ・デラックスがテレビに染まって自分が変わってしまったと告白!

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号
 ガーリーフォトにミニシアター、クラブカルチャーなど、音楽、映画、写真、アートといったジャンルが融合的に花開いた90年代。その“おしゃれカルチャー”を牽引する役割を担ったのは、「CUT」(ロッキング・オン)「STUDIO VOICE」(INFASパブリケーションズ/休刊)「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)といったカルチャー誌だ。  が、ゼロ年代に入り、ネットやオタク文化が席巻しはじめると、おしゃれカルチャーはすっかり衰退。前述の雑誌も部数が激減し、アニメやアイドルを特集したり、芸能人などのマスカルチャーに擦り寄ったり、と方向転換を余儀なくされていった。  ところが、最近、その“おしゃれカルチャー”雑誌の代表的存在ともいえる「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号にマツコ・デラックスが登場。辛辣な毒をはいている。  まず、誌面冒頭、マツコはいきなりこう言い放つ。 「『SWITCH』に出ることはないでしょう」 「だって『SWITCH』はアバンギャルド雑誌だから。それも頭にエセがつく」  これから自分を特集しようとする雑誌に対しあんまりな発言だが、マツコの毒舌はこんなものでは終わらない。マツコの攻撃は「SWITCH」編集長で、その記事のインタビュアーでもある新井敏記氏に向かう。新井氏は茨城県下館市(現・筑西市)の出身なのだが、そのことを突いてこんな言葉まで浴びせかけるのだ。 「新井さんは田舎者で、オシャレな世界に憧れていたんでしょう」 「田舎者が作っているから誌面にコンプレックスが現れる。それが直に伝わってくるとダサいわよ」  編集長のコンプレックスまで持ち出しての口撃に、昨今のサブカル誌ではとんと読めなくなったヒリヒリしたものを感じ思わずニヤリとしてしまうが、マツコの「SWITCH」批判はまだつづく。最近の「SWITCH」は最先端の尖ったカルチャーを取り上げておらず、マスに媚びた雑誌に成り下がったとすらこきおろすのだ。 「マスを狙う雑誌はつまらない。「SWITCH」もそうなっているでしょう」 「だけど、「SWITCH」はそうなっちゃいけない雑誌だった気がするのよ。たとえばCoccoさんが「SWITCH」によく出ていたけど、この雑誌じゃないとCoccoさんはいろんなことを話さないんだろうなと思ったの。限られたところにしか心を開かなかったわけよね。でも今「SWITCH」がその受け皿になりうるかというと、そういう時期よりはもっとマスになっている。実際の部数は減ってるかもしれないけれど、イメージ的にも市場的にもマスに行っちゃったんだと思うのよ」  まさに、カルチャー誌がマスに媚を売り、ダメになっていっている状況を言い当てたマツコだが、実はこのインタビューで、マツコは自分に対しても、同様のダメ出しをしている。「SWITCH」同様、自分もまたマスのフィールドに行ってしまい、かつて持っていたはずの尖った部分を失ってしまったと語っているのだ。 「でも最先端で居続けることって恐怖だと思うのよ。それはあたし自身にとってもそう。ずっとバキバキに尖ってられているかと言われたら、やっぱりいろんな人と関わってきて、いろんな人に迷惑を掛けることも知り、丸くなってきちゃうわけじゃない、どうしても。それはやっぱりメディアも一緒でさ、絶対に関わる人が多ければ多くなるほど、どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ。だからそこを尖り続けられる人が、本当に最先端であり、ムーブメントを作る人になるんだと思うのよ。だからそういう意味では、あたし自身はもうそこから離脱したと思ってる。最初はメディアをぶっ壊してやると思って出てきたから。テレビなんてあたしがぶっ壊してやるって思ってね。そしたら、いつの間にかメディアやテレビと一緒になって走り出した。一緒にテレビ番組を作っている人のことはやっぱり愛しくなってきちゃうじゃない。そうなるとさ、ぶっ壊すんじゃなくて、育てたいなんておこがましいことは思ってないけど、この人たちが幸せになってほしいとか、ぬるい方になっちゃうわけじゃない、どうしても」  確かに、マツコが言う通り、かつてのマツコ・デラックスというコラムニスト、タレントは、もっと過激で尖った発言を繰り出す人であった。  その典型が、2008年に行われた「論座」(朝日新聞出版/休刊)でのインタビューだ。いまから8年前の取材でマツコはいきなりこう畳み掛ける。 「アンタ、テレビでものをしゃべってるなんて、人間として最下層よ」 「新聞社とか、出版社に勤めている人間だってそうよ。なくても誰も死なないものを作ってお金儲けにしているんだから。アタシらみたいな人間が一番、世の中に必要ないのよ」  自分も含め、マスメディアに携わる人間を全否定する言葉をいきなり浴びせかける。さらには、マスコミタブーである広告代理店についても単刀直入にぶった切った。 「お金を儲けようとする電通や博報堂が周りを固めて、そこに利権が発生したりするから、まあ、分かりやすい言い方しちゃうと根腐れするのよね」  そして、雑誌の出版元の親会社である朝日新聞に対し、産経新聞のコラムの名を出しながら、こうダメ出しするのだ。 「好きか嫌いかで言ったら微妙だけどさ、「産経抄」の方がよっぽどいいわよアンタ」 「(朝日は)あれ(産経)と闘わなきゃいけないのに、右だか左だか上だか下だか分からないようなぬるいことばっかり書いて。(中略)いつからか新聞って、公平中立でないといけないものだと見なされるようになって、朝日新聞がその代表になっているじゃない。誰もが不快な思いをすることなく読める新聞をつくろうなんて、初めから闘う意志がないわよ」  かつてはこんなに尖っていたマツコ。「SWITCH」でマツコが「どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ」と発言した裏には、世に出始めたときにもっていたエッジを自分が失いつつあることに対する忸怩たる思いがあったのだろう。  と、思ったのだが、ことはそう単純ではない。前述08年のインタビューでマツコは、数寄屋橋での辻説法が有名な右翼活動家・赤尾敏の生き方をあげながら、過激な活動や言動が出来なくなりつつある自分の置かれている現状に対し、こんなことも語っていたのだ。 「ああやって生きられたらうらやましいよね。残念だけどアタシは、社会順応性や理性が邪魔をして、あそこまで踏み外せないんだよね。女装なんて踏み外したうちに入らないわよ。赤尾敏みたいなことができない人間は、生意気なことを言う資格はないって気持ちが常にあるの。だからすごく嫌なのよ今、自分が。安全地帯から発言しているだけだから」 「魂を売るってこういうことなのねって、日々テレビに出ながら感じてるのよ」  つまり、マツコ・デラックスは8年前からずっと同じように「自分はテレビに染まってしまい、尖っていた部分を失った」ということを言い続けていたのである。8年前といったら、深夜1時45分から15分間だけ放送されていた初の冠番組『マツコの部屋』(フジテレビ)すらまだ始まっていない段階である。そんなときからマツコはエッジを失いつつあると告白し続けていた。  こんなふうに自分から「魂を売った」と先回りして言われたら、「最近のマツコは刺が取れて面白くなくなった」とは言えなくなる。この頭の良さがあるから、マツコ・デラックスというタレントはマスでありながら、うるさがたのネットユーザーや辛口コラムニストたちからも一目置かれているのだろう。でも、ちょっとずるいような気もするのだが……。 (新田 樹)

「あたしはもう尖ってない」マツコ・デラックスがテレビに染まって自分が変わってしまったと告白!

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「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号
 ガーリーフォトにミニシアター、クラブカルチャーなど、音楽、映画、写真、アートといったジャンルが融合的に花開いた90年代。その“おしゃれカルチャー”を牽引する役割を担ったのは、「CUT」(ロッキング・オン)「STUDIO VOICE」(INFASパブリケーションズ/休刊)「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)といったカルチャー誌だ。  が、ゼロ年代に入り、ネットやオタク文化が席巻しはじめると、おしゃれカルチャーはすっかり衰退。前述の雑誌も部数が激減し、アニメやアイドルを特集したり、芸能人などのマスカルチャーに擦り寄ったり、と方向転換を余儀なくされていった。  ところが、最近、その“おしゃれカルチャー”雑誌の代表的存在ともいえる「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号にマツコ・デラックスが登場。辛辣な毒をはいている。  まず、誌面冒頭、マツコはいきなりこう言い放つ。 「『SWITCH』に出ることはないでしょう」 「だって『SWITCH』はアバンギャルド雑誌だから。それも頭にエセがつく」  これから自分を特集しようとする雑誌に対しあんまりな発言だが、マツコの毒舌はこんなものでは終わらない。マツコの攻撃は「SWITCH」編集長で、その記事のインタビュアーでもある新井敏記氏に向かう。新井氏は茨城県下館市(現・筑西市)の出身なのだが、そのことを突いてこんな言葉まで浴びせかけるのだ。 「新井さんは田舎者で、オシャレな世界に憧れていたんでしょう」 「田舎者が作っているから誌面にコンプレックスが現れる。それが直に伝わってくるとダサいわよ」  編集長のコンプレックスまで持ち出しての口撃に、昨今のサブカル誌ではとんと読めなくなったヒリヒリしたものを感じ思わずニヤリとしてしまうが、マツコの「SWITCH」批判はまだつづく。最近の「SWITCH」は最先端の尖ったカルチャーを取り上げておらず、マスに媚びた雑誌に成り下がったとすらこきおろすのだ。 「マスを狙う雑誌はつまらない。「SWITCH」もそうなっているでしょう」 「だけど、「SWITCH」はそうなっちゃいけない雑誌だった気がするのよ。たとえばCoccoさんが「SWITCH」によく出ていたけど、この雑誌じゃないとCoccoさんはいろんなことを話さないんだろうなと思ったの。限られたところにしか心を開かなかったわけよね。でも今「SWITCH」がその受け皿になりうるかというと、そういう時期よりはもっとマスになっている。実際の部数は減ってるかもしれないけれど、イメージ的にも市場的にもマスに行っちゃったんだと思うのよ」  まさに、カルチャー誌がマスに媚を売り、ダメになっていっている状況を言い当てたマツコだが、実はこのインタビューで、マツコは自分に対しても、同様のダメ出しをしている。「SWITCH」同様、自分もまたマスのフィールドに行ってしまい、かつて持っていたはずの尖った部分を失ってしまったと語っているのだ。 「でも最先端で居続けることって恐怖だと思うのよ。それはあたし自身にとってもそう。ずっとバキバキに尖ってられているかと言われたら、やっぱりいろんな人と関わってきて、いろんな人に迷惑を掛けることも知り、丸くなってきちゃうわけじゃない、どうしても。それはやっぱりメディアも一緒でさ、絶対に関わる人が多ければ多くなるほど、どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ。だからそこを尖り続けられる人が、本当に最先端であり、ムーブメントを作る人になるんだと思うのよ。だからそういう意味では、あたし自身はもうそこから離脱したと思ってる。最初はメディアをぶっ壊してやると思って出てきたから。テレビなんてあたしがぶっ壊してやるって思ってね。そしたら、いつの間にかメディアやテレビと一緒になって走り出した。一緒にテレビ番組を作っている人のことはやっぱり愛しくなってきちゃうじゃない。そうなるとさ、ぶっ壊すんじゃなくて、育てたいなんておこがましいことは思ってないけど、この人たちが幸せになってほしいとか、ぬるい方になっちゃうわけじゃない、どうしても」  確かに、マツコが言う通り、かつてのマツコ・デラックスというコラムニスト、タレントは、もっと過激で尖った発言を繰り出す人であった。  その典型が、2008年に行われた「論座」(朝日新聞出版/休刊)でのインタビューだ。いまから8年前の取材でマツコはいきなりこう畳み掛ける。 「アンタ、テレビでものをしゃべってるなんて、人間として最下層よ」 「新聞社とか、出版社に勤めている人間だってそうよ。なくても誰も死なないものを作ってお金儲けにしているんだから。アタシらみたいな人間が一番、世の中に必要ないのよ」  自分も含め、マスメディアに携わる人間を全否定する言葉をいきなり浴びせかける。さらには、マスコミタブーである広告代理店についても単刀直入にぶった切った。 「お金を儲けようとする電通や博報堂が周りを固めて、そこに利権が発生したりするから、まあ、分かりやすい言い方しちゃうと根腐れするのよね」  そして、雑誌の出版元の親会社である朝日新聞に対し、産経新聞のコラムの名を出しながら、こうダメ出しするのだ。 「好きか嫌いかで言ったら微妙だけどさ、「産経抄」の方がよっぽどいいわよアンタ」 「(朝日は)あれ(産経)と闘わなきゃいけないのに、右だか左だか上だか下だか分からないようなぬるいことばっかり書いて。(中略)いつからか新聞って、公平中立でないといけないものだと見なされるようになって、朝日新聞がその代表になっているじゃない。誰もが不快な思いをすることなく読める新聞をつくろうなんて、初めから闘う意志がないわよ」  かつてはこんなに尖っていたマツコ。「SWITCH」でマツコが「どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ」と発言した裏には、世に出始めたときにもっていたエッジを自分が失いつつあることに対する忸怩たる思いがあったのだろう。  と、思ったのだが、ことはそう単純ではない。前述08年のインタビューでマツコは、数寄屋橋での辻説法が有名な右翼活動家・赤尾敏の生き方をあげながら、過激な活動や言動が出来なくなりつつある自分の置かれている現状に対し、こんなことも語っていたのだ。 「ああやって生きられたらうらやましいよね。残念だけどアタシは、社会順応性や理性が邪魔をして、あそこまで踏み外せないんだよね。女装なんて踏み外したうちに入らないわよ。赤尾敏みたいなことができない人間は、生意気なことを言う資格はないって気持ちが常にあるの。だからすごく嫌なのよ今、自分が。安全地帯から発言しているだけだから」 「魂を売るってこういうことなのねって、日々テレビに出ながら感じてるのよ」  つまり、マツコ・デラックスは8年前からずっと同じように「自分はテレビに染まってしまい、尖っていた部分を失った」ということを言い続けていたのである。8年前といったら、深夜1時45分から15分間だけ放送されていた初の冠番組『マツコの部屋』(フジテレビ)すらまだ始まっていない段階である。そんなときからマツコはエッジを失いつつあると告白し続けていた。  こんなふうに自分から「魂を売った」と先回りして言われたら、「最近のマツコは刺が取れて面白くなくなった」とは言えなくなる。この頭の良さがあるから、マツコ・デラックスというタレントはマスでありながら、うるさがたのネットユーザーや辛口コラムニストたちからも一目置かれているのだろう。でも、ちょっとずるいような気もするのだが……。 (新田 樹)

大和くんが迷い込んだ北海道山中を「文春」「新潮」の記者が歩いてみた! サバイバル力が上だったのはどっち?

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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6月16日号の「週刊文春」(文藝春秋)と「週刊新潮」(新潮社)
 北海道七飯町の山中で迷い、6日後に自衛隊演習場の敷地で無事発見された田野岡大和くん。7歳の男の子が10キロに及ぶ山中を歩いた末に、自力で小屋を見つけ、水だけで6日間を生き抜いた。そのサバイバル力に、テレビやネットでは称賛の声があふれた。     で、それから約一週間、この奇跡の生還劇にあやかって、「週刊文春」(文藝春秋)と「週刊新潮」(新潮社)が、同じ6月16日号でまったく同じ企画を掲載していた。「北海道・男児置き去り事件 山道10キロを記者が歩いてみてわかった」(週刊文春)、「6日間の神隠しから生還した『北海道少年』の歩いた道を辿ったら」(週刊新潮)──。そう、どちらも大和くんの歩いた道を記者が歩き、その体験をレポートしていたのだ。 「文春」と「新潮」といえば、何十年もの間、張り合ってきたライバル。つい先日も、「文春」の記者に「新潮」がこっそりアプローチして原稿を書かせていたことが発覚し、「文春」の新谷学編集長が「巨人のピッチャーが覆面をして阪神で投げるようなもんだ」と激怒して、その記者をクビにするというトラブルが起きたばかりだ。  現在のところ、部数やスクープの数では「文春」がリードしているが、これを読んだら、記者の根性と体力はどっちが上か、わかるかもしれない。興味津々で読み比べてみた。  まず「文春」。大和君が迷い込んだ山道を歩き始めたのは31歳の男性記者だったが、この記者が面食らったのは、方向感覚の喪失だったらしい。いきなりこんな弱音を吐く。 〈迷い込んだ山道は分岐がある上、曲がりくねっている。歩いているうちに、次第に方向感覚が麻痺してくる。自分の位置が分からなくなると、来た道を戻る気持ちにならないことがわかった〉  一方、「新潮」の記者は年齢、性別は書いていないが、かなり心細そうだ。 〈少年が“置き去り”にされた午後5時過ぎ、薄暮の森を1人歩いて行くと、耳に入るのは、野鳥の鳴き声と沢の音。砂利道を踏むザクザクという音が辺りにこだまする。頭上を旋回する鳶。一体何を狙っているんだろう。さっき頭をかすめた巨大なカラスが、向こうの木に止まって思案気にこちらを見ているではないか。辺りはどんどん暗くなる〉  普段、修羅場を経験している週刊誌記者とは思えないビビりぶりだが、やはり都会で政治家や芸能人を相手にしているのとはわけが違うのだろう。  しかも、このふたりの記者をさらにビビらせたのが、「熊が出る」という地元の人の警告だった。「文春」記者はこう綴っている。 〈緊張したのはけもの道を歩いた時だ。草木を避けながら進む記者の前をふとキツネが横切り、「ヒグマが出る恐れもある」という地元の人の話を思い出してしまう〉 「新潮」記者は、猟師からもっと生々しい話を聞いていたためか、もっとビビりまくりである。 〈ふと地元の猟師の言葉を思い出した。「あの辺は熊の密集地だ。今は腹が減ってイライラしてるしな」 (中略) 「20年くらい前かな。あの近くの山で7歳の女の子が迷子になった。半年後に骨になって見つかったけど、その横のジャンパーには熊が裂いた痕がついていたな」  時折、森から枝の折れるような音が聞こえてその度ドキッとする〉  幸いどちらの記者も熊には出会わなかったようだが、今度はふたりに、歩きづらさ、体力の低下が襲いかかる。〈足元は細かい砂利から石ころへ。危うく足を取られそうになる〉とぼやく「新潮」記者、〈草や土に足をとられ、体力がどんどん消耗していく〉と弱音を吐く「文春」記者。  そして、なんとか駒ヶ岳演習場の廠舎までたどり着いたときには、ふたりとも完全にバテバテだった。「文春」記者はこう綴っている。 〈出発地点から廠舎まで、大人の足で約三時間かかった。足の裏は擦れて赤く腫れ、ヒリヒリ痛む。膝もしばらくガクガクと震えていた。小学二年生が無事にこの道を歩き切り、じっと助けを待ち続けたという事実に驚くばかりだ〉  完全に小学2年生に完敗である。しかも、これはけっしてオーバーな話ではない。この「文春」「新潮」の記事を読んでいると、改めて、大和くんのタフさと精神力に驚かされる。百戦錬磨の週刊誌記者がビビり、疲労困憊になった10キロを、大和くんは夕暮れ時、たったひとりで歩いたのち、6日間も水だけでしのぎきったのだ。しかも、途中で遭難だけでなく、熊に襲われるという危険性もあった。そう考えると、そのサバイバル力にはひたすら感心するほかはない。  ちなみに、「文春」と「新潮」はどっちが上だったか、という問題だが、「文春」記者はヘロヘロ、「新潮」記者はビビりまくりということで、「ドロー」というのが妥当だろう。 「文春」「新潮」は今回の記事の中で、ちょいちょい、大和くんのやんちゃぶりをディスり、「石を投げたら、怒るのは当然」というコメントを載っけたり(新潮)、「大和くんの将来のために正しいしつけが必要」とご高説をぶったり(文春)していたが、両誌の記者はエラソーに説教をする前に、自分たちがもう少し度胸と体力をつけたほうがいいかもしれない。あんたたちは一応、泣く子も黙る週刊誌記者なんだから。 (井川健二)

『X-MEN』最新作、プレミアにキャスト集結 J・ローレンス「終わりという気がしなかった」

【リアルサウンドより】  『X-MEN』シリーズの最新作『X-MEN:アポカリプス』のロンドンプレミアが、現地時間5月9日にイギリス・ロンドンのBFI IMAX Southbankにて行われ、ジェームズ・マカヴォイ、ジェニファー・ローレンス、オスカー・アイザックらキャスト陣とブライアン・シンガー監督がレッドカーペットに登場した。  本作は、マーベル・コミックによる同名コミックを映画化した2000年公開の『X-MEN』からはじまる、『X-MEN』シリーズ第6作にして、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』『X-MEN:フューチャー&パスト』に続く三部作の完結編。プロフェッサーXらX-MENたちが、最強の敵アポカリプスに立ち向かう模様を描く。  ロンドンプレミアには、『X-MEN』『X-MEN2』『X-MEN:フューチャー&パスト』に続きメガホンを取ったブライアン・シンガー監督をはじめ、プロフェッサーX役のジェームズ・マカヴォイ、ミスティーク役のジェニファー・ローレンス、アポカリプス役のオスカー・アイザック、サイロック役のオリヴィア・マン、ジーン・グレイ役のソフィー・ターナー、クイックシルバー役のエヴァン・ピーターズ、サイクロップス役のタイ・シェリダン、ストーム役のアレクサンドラ・シップ、エンジェル役のベン・ハーディ、製作を務めたサイモン・キンバーグとハッチ・パーカーらが出席。あいにくの雨にも関わらず、世界中から多くのファンや135媒体のマスコミが駆けつけ、作品のイメージに合わせた水色のカーペットに姿を現した。  シンガー監督は、「全く新しいストーリーで、今までにないタイプの悪役が登場し、今まで以上にスケールの大きいシーンが盛りだくさんだ。すごいアクションが詰まっていると同時に、多くの感情が行き交っていると思う」と、本作がこれまでの『X-MEN』とは異なることを強調しながら、「多くの挑戦があった。とにかく、これまでとは全く違うストーリーにしたかった」と、本作にかける思いを語った。  プロフェッサーX役のマカヴォイも、「今まで以上のすごいアクションが満載だよ。というのも、ミュータント社会の終焉ではなく、世界の全てのものの終焉についてのストーリーだからね。過去の作品よりも断然スケールが大きいよ」と、過去作との違いを語る。続けて、「僕からしてみれば、映画の一番の魅力は家族というテーマだと思う。過去の作品も家族をテーマとして扱ってきているけど、今作は家族というテーマがはっきりと描かれている」と話した。さらに、「観客は大いに楽しめる作品だと思う。関係者全員が持てる力を全て発揮した作品なんだ。特殊効果もすごいし、監督も脚本家も素晴らしい仕事をしている。世界一のキャストも揃っているしね。スーパーヒーロー映画とは思えないような素晴らしいキャストだよ。観客はきっと圧倒され、満足のいく作品だと思うよ」と、本作の魅力を熱く語った。
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(左から)ジェニファー・ローレンス、ジェームズ・マカヴォイ

 最強の敵アポカリプスを演じたアイザックは、シンガー監督の印象を聞かれると、「このジャンルのゴッドファーザー(父親)的な存在だよ。ベストなキャストを探し求め、ストーリーをリアルに表現しようと真剣に取り組んでいる。監督はとても知的で、作品に対する理解がとても深いね」と、その手腕を絶賛。本作の魅力については、「観客は一大スペクタクルを体験すると思う。多くのファンが待ち焦がれた『X-MEN』作品の決定版だね。一気に巨編へとレベルアップしている。ヒーローとなる以前の、X-MENの真の姿を垣間見ることもできる作品だよ」と、コメントした。  ミスティーク役のローレンスは、「スリリングで、どことなく恐い感じもある。だけど、とても感情的な作品。とてもワクワクするわ」と、本作の魅力を語りながら、「素晴らしい才能を持つ新しいキャストも迎えているの。オリヴィア・マンのファイトシーンは本当に凄くて、素晴らしいパフォーマンスを見せているわ。キャストの多くがアクションをレベルアップさせているの」と、サイロック役のマンの演技を絶賛。ローレンスは本作でシリーズを卒業することが噂されているが、三部作完結を迎えた心境を聞かれると、「
終わりという気がしなかったわ。キャストとは普段から仲良くしていて、いつも会ったりしているの。今まで何度も別れては再会して、というのを繰り返してきているので、今回もお別れという気がしなかったわ」と話した。  なお、日本での公開日は、8月11日に決定した。 ■公開情報 『X-MAN:アポカリプス』 8月11日(木・祝) TOHOシネマズ スカラ座ほか3D/2D全国ロードショー 監督:ブライアン・シンガー 出演:ジェームズ・マカヴォイ、マイケル・ファスベンダー、ジェニファー・ローレンス、オスカー・アイザックほか 配給:20世紀フォックス映画 (c)2016 MARVEL (c)2016 Twentieth Century Fox 公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/xmen/

映画祭の増加と制作コストの低下は「未来の監督」を生み出すのか? 自主制作映画の現状と課題

【リアルサウンドより】 「映画の専門学校を卒業して約10年。僕が知る限りでは、100人近くいた同級生の中でいまだにその道で頑張っているのは3人程度ですね」  こう話すのは、「シネアスト・オーガニゼーション大阪(Co2)」という自主制作映画祭に参加したある監督だ。同映画祭は、文化庁の「文化芸術振興費補助金制度」を受け、40人の自主映画監督が参加。一日あたり20~50人程度の動員を記録した。実は、関東や関西を中心にこういった行政関与型の映画祭は広がりを見せている。 「約20万~40万の助成金が行政から支援されます。デジタル化が進んだ現在、自主制作映画に掛かる費用はざっくり1分間で約1万円程度といわれています。その中から、俳優さんの確保や弁当代、ロケ代も含め大半が監督の自腹。60分以上の作品となると約100万円は必要。時間も少なくみても3ヶ月以上を要します。演者さんもノーギャラなことが多いですが、監督は実質的な出費額が大きい。そんな中で映画を撮り続けるのはどうしてもモチベーションの維持が難しい。だから、こういった制度は有り難い面も大きいです」(先出の映画監督)  映画の専門学校や芸大を卒業した生徒達も、その大半が志半ばで監督への道を頓挫していく。時間的な問題もあり、アルバイトや時間に融通が効く職種に就かざるを得なく、金銭面も大きなネックとなる。20代の頃は監督としての活動を継続できても、30代を境に人知れず映画の世界から離れていく。また、監督デビューへの道が年々狭き門となっていることを指摘する別の監督もいる。 「今は昔と比べると、圧倒的にコスト面は抑えられるようになった。極端な話し、アイフォン1つあれば撮影はできますから。必然的に監督を志す若手は増えてきていると思う。でも、そんな“お手頃感”は確実に自主映画全体の質に影響してきています。映画祭の作品のクオリティを見ると、自分の悩みやコンプレックスを綴るだけで、社会に対して何のメッセージ性がない作品も珍しくありません。そうなってくると、受賞作や賞の価値が低下してくる。近年では各賞や映画祭が増え、一見チャンスは広がったように見えますが、『元々狭き門が更に狭まったのは?』という感覚も持っています」(東京で活動する映画監督)  自主映画に拠点を置く監督達は、その全てが商業デビューを目指すわけではない。しかし、最終的な目標を“商業作品”に見据える面々も一定数存在する。  コスト面や映画祭の増加といった外的要因以外に、大きな変化はあるのか。先出の映画監督は続ける。「脚本に対する重要性が年々薄れているように感じます。自主制作の場でも、監督と脚本はセットという認識が変わりつつあります。駆け出し頃の年齢の場合、評価のバロメーターとなるのはいかに面白い発想や本が書けるか。ここに集約されるといっても過言ではありません。脚本が軽視されつつある現状は、映画界全体の未来を考えてもマイナス。強い危機感を持っている関係者も多いのではないでしょうか?」  一概には言えないが、商業映画の第一線で活躍する監督達もその原点は自主映画にある。少し強引に言い換えれば、自主映画と商業映画は表裏一体の存在であり、今後もその関係は続いていくだろう。デジタル化全盛、行政関与など自主制作映画を取り巻く環境は変わりつつあるが、そのプラス面とマイナス面を再認識する必要もあるのかもしれない。 ■栗田シメイ 1987年、兵庫県生まれ。広告代理店勤務を経て、2012年よりフリーに。スポーツシーン・ビジネス・海外情勢を取材し、専門誌・情報誌・週刊誌・Webなどに寄稿。「MG」にて映画コラム連載中。生涯鑑賞本数は2,000本以上。

ハリセンボンに不仲説浮上?近藤春菜が漏らした相方への不満

【アガるニュースをお届け!デイリーニュースオンラインより】
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写真はオフィシャルサイトより
 仲良しコンビに何が起きたのか──。お笑いコンビ・ハリセンボンの近藤春菜(33)と箕輪はるか(36)に不仲説が浮上、今まで仲良しコンビと知られていただけに、意外な展開となっている。  2人の関係をおかしくしている原因は、コンビ間の格差らしい。たしかに、昨今のキャスティングを見るとそれは一目瞭然の差がある。
続きは【デイリーニュースオンライン】で読む
      
   
					

ショーン・ペン、11億円訴訟終焉を迎える

ショーン・ペンがリー・ダニエルズに対し起こしていた1000万ドル(約11億円)の訴訟が終焉を迎えたようだ。米人気ドラマ『Empire 成功の代償』の監督としてお馴染みのリーは、同ドラマに出演しているテレンス・ハワードの離婚訴訟の際、元妻ミシェル・ゲントへの家庭内暴力に対して言及されたことを擁護するために、あるインタビューの中でショーンが以前家庭内暴力をふるっていたかのような発言をしたためショーンは訴訟を起こしていた。 しかしここにきてリーはショーンに「ショーンを傷つけてしまい本当に申し訳なく思っています。僕の不注意な発言に対して謝罪します。私はどれほど考えなしだったのでしょう。あなたは僕が友人と考える人物であり、素晴らしい俳優である、ハリウッドの伝説的な人物であり、真の博愛家です」「僕も今までこういった虚偽の非難をされる対象になってきました。僕は父として子供たちに、ゴシップを事実として引用することは間違いであると、身をもって教えることが大切であると考えています。そういったことは人にダメージを与え、傷つけることになるということをです」「ドメスティックバイオレンスはとても深刻な問題です。僕はこの問題の厳しさを減らそうとしたわけではなく、国民的な会話の中で人種によって扱いが変わるという点を強調したかったのです。あなたとその家族に苦痛を与えてしまったことをもう一度謝罪します」という謝罪文を発表した。 さらにリーはショーンが運営しているチャリティ団体J/P HROに金額は明かされていないものの募金を行ったとのことだ。 この謝罪文に対しショーンは「リーの心温まる謝罪を受け入れ、このことに感謝します。また、J/P HROへの彼の寛大な募金に感謝します。この募金はハイチに暮らす人々の生活のために役立つことになるでしょう」とコメントを出している。 今回の騒動はリーがあるインタビューに対し「テレンスはマーロン・ブランドやショーン・ペンがやったことと何も変わりないことをしたんだ。なのに彼だけ突然悪者扱いさ。これぞまさにアメリカで現在起きている人種差別のサインだよ」と語ったことで、その後訴訟に発展していた

ショーン・ペン、11億円訴訟終焉を迎える

ショーン・ペンがリー・ダニエルズに対し起こしていた1000万ドル(約11億円)の訴訟が終焉を迎えたようだ。米人気ドラマ『Empire 成功の代償』の監督としてお馴染みのリーは、同ドラマに出演しているテレンス・ハワードの離婚訴訟の際、元妻ミシェル・ゲントへの家庭内暴力に対して言及されたことを擁護するために、あるインタビューの中でショーンが以前家庭内暴力をふるっていたかのような発言をしたためショーンは訴訟を起こしていた。 しかしここにきてリーはショーンに「ショーンを傷つけてしまい本当に申し訳なく思っています。僕の不注意な発言に対して謝罪します。私はどれほど考えなしだったのでしょう。あなたは僕が友人と考える人物であり、素晴らしい俳優である、ハリウッドの伝説的な人物であり、真の博愛家です」「僕も今までこういった虚偽の非難をされる対象になってきました。僕は父として子供たちに、ゴシップを事実として引用することは間違いであると、身をもって教えることが大切であると考えています。そういったことは人にダメージを与え、傷つけることになるということをです」「ドメスティックバイオレンスはとても深刻な問題です。僕はこの問題の厳しさを減らそうとしたわけではなく、国民的な会話の中で人種によって扱いが変わるという点を強調したかったのです。あなたとその家族に苦痛を与えてしまったことをもう一度謝罪します」という謝罪文を発表した。 さらにリーはショーンが運営しているチャリティ団体J/P HROに金額は明かされていないものの募金を行ったとのことだ。 この謝罪文に対しショーンは「リーの心温まる謝罪を受け入れ、このことに感謝します。また、J/P HROへの彼の寛大な募金に感謝します。この募金はハイチに暮らす人々の生活のために役立つことになるでしょう」とコメントを出している。 今回の騒動はリーがあるインタビューに対し「テレンスはマーロン・ブランドやショーン・ペンがやったことと何も変わりないことをしたんだ。なのに彼だけ突然悪者扱いさ。これぞまさにアメリカで現在起きている人種差別のサインだよ」と語ったことで、その後訴訟に発展していた

コーエン兄弟の“映画愛”溢れる『ヘイル、シーザー!』 50年代ハリウッドの裏側をどう描いた?

【リアルサウンドより】  コーエン兄弟の作品は、大まかに分けて二つのタイプがある。一つは兄弟の名前を一躍世界に知らしめるきっかけとなった、処女作『ブラッド・シンプル』のようなスリラー系の作品。そしてもう一つは『赤ちゃん泥棒』のような軽いタッチのオフビート・コメディ系の作品だ。勝手ながらこの項では前者を“黒コーエン”、後者を“白コーエン”とする。  “黒コーエン”作品の場合は、重厚で血なまぐさい物語の中に、唐突にユーモアを盛り込むことによって、ドス黒いブラック・ユーモアが生まれる。血と暴力に満ち溢れた『ノー・カントリー』で、ハビエル・バルデムが怪演した殺し屋シガーの珍妙なヘアスタイルは、正にそれだ。また“白コーエン”作品の場合は、コメディ色にユーモアを盛り込むことによって、更に拍車がかかったスラップスティック・コメディへと昇華する。  かつて、彼らは映画を製作する上で「常に意識しているのはユーモア。それが無い映画はありえない」と語っていた。彼らのほとんどの作品に共通する、不思議な脱力感とブラックな笑いを醸し出す理由はそこにある。  最新作『ヘイル、シーザー!』は言うまでもなく“白コーエン”作品だ。1950年代の戦後ハリウッドの黄金期を舞台に、ジョージ・クルーニーが演じる大スター、ベアード・ウィドロックの誘拐事件を巡るコメディだ。  『赤ちゃん泥棒』や『ファーゴ』『ビッグ・リボウスキ』といった“白コーエン”作品で幾度となく取り上げてきた“誘拐騒動”を、共産主義を排除するべく、突如として巻き起こった“赤狩り”騒動に揺れる50年代のハリウッドを舞台にすることで、ブラックな社会性に加え、これまでの作品とは一線を画したエンターテイメント性も描いている。  そうして完成させた『ヘイル、シーザー!』で、彼らは彼らなりの“映画産業に関わった人々の映画愛”と“悲哀”を全力で表現したのである。  “不条理”や“難解”といったイメージの強いコーエン作品だが、実はどの作品も基本的なストーリーは、とてもシンプルだ。個性的なキャラクターのバックグラウンドや、日常に潜んだ狂気を交えながら、巧みなセリフの応酬、そして卓越した編集技術を交えて、一つの作品を作り上げている為、油断するとストーリーが追えなくなってしまう。難解といわれる所以はそこにあるが、基本的な本筋は、どの作品もとてもシンプルなものなのだ。  『ヘイル、シーザー!』も、“ハリウッド・スターの誘拐事件”という分りやすい筋立てに、(今回は特に実在の人物をモチーフにした)個性豊かなキャラクター達を各所に配備し、それぞれのエピソードの積み重ねている。シンプルだったストーリーを攪乱させ、一般の市民が夢の工場として憧れていたハリウッドの裏の顔を描きながら、徹底的にひっかきまわす。  “ハリウッドのよろず屋”エディ・マニックスを演じる、ジョシュ・ブローリンを中心に、ストーリーの車輪はノンストップで回り続ける。わがままで自意識の強いウィドロックの誘拐事件を捜査しながら、観客を“コーエン・ワールド”に誘う。  スカーレット・ヨハンソンが演じる新進気鋭の若手女優は、かつてミュージカル映画で水中ショーを披露したエスター・ウイリアムズがモデルだ。演技力や歌唱力は二の次で、美貌とスタイルさえよければ大スターになりえた時代の女優を堂々と演じ、笑顔の裏に潜む裏の顔を持った小悪魔的なキャラクターで、マニックスを振り回し続ける。  乗馬とロープさばきは超一流だが、セリフがまともに喋れない西部劇スター(アルデン・エーレンライク)や、わがままな俳優たちに振り回され続ける映画監督を演じる、レイフ・ファインズのオーバーアクト気味の熱演は捧腹絶倒だ。   さらに誘拐事件を嗅ぎつけ、マニックスに詰め寄る双子の記者(ティルダ・スウィントンが見事に一人で二役を演じ分ける)、なぜか裏事情に詳しい(ジョエル・コーエン夫人でもある)フランセス・マクドーマントが怪演するフィルム・エディター、そしてアメリカ国民の誰もが憧れるミュージカルスター(いわずもがなモデルはジーン・ケリーだ)を、日本では筋肉系アクション俳優のイメージが強いチャニング・テイタムに演じさせ、実に楽し気に歌って踊る姿を披露している。  これらの個性豊かな(いや、豊かすぎる)登場人物の配置には、実は巧妙に練り上げられたコーエン兄弟の脚本によるトラップが仕掛けられている。それらを読み解いていくのも、本作の楽しみの一つだ。
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 50年代のハリウッド事情という、日本の若い世代には少々分り難い小ネタも多く盛り込まれているが、細かい部分はあまり気にせず、ジョージ・クルーニーの“マヌケ”っぷりや、お色気たっぷりのヨハンセン、チャニング・テイタムのダンスナンバー、そしてコーエン兄弟の仕掛けた、このゴージャスな“ホラ話”を堪能してほしい。  一見、豪華絢爛な黄金期のハリウッドの裏側に潜んでいるブラックな秘密を、ウィットに富んだセリフの応酬と、笑いのオブラートで包みながら、極上の映画愛で描き切ったコーエン兄弟の最高傑作といっても過言ではない。 ■鶴巻忠弘 映画ライター 1969年生まれ。ノストラダムスの大予言を信じて1999年からフリーのライターとして活動開始。予言が外れた今も活動中。『2001年宇宙の旅』をテアトル東京のシネラマで観た事と、『ワイルドバンチ』70mm版をLAのシネラマドームで観た事を心の糧にしている残念な中年(苦笑)。 ■公開情報 『ヘイル、シーザー』 5月13日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー 監督・脚本・製作:ジョエル&イーサン・コーエン 出演:ジョシュ・ブローリン、ジョージ・クルーニー、アルデン・エーレンライク、レイフ・ファインズ、ジョナ・ヒル、スカーレット・ヨハンソン、フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン、チャニング・テイタムほか 配給:東宝東和 (c)Universal Pictures 公式サイト:http://hailcaesar.jp/