偏差値78、筑駒から東大じゃなくAV男優になった男が半生を激白! 「僕にとってエロこそが救いだった」

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森林原人『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』(講談社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  中学受験で、麻布、栄光学園、筑波大学附属駒場、ラ・サールすべてに合格して、筑駒に進学。そんな「神童」と呼ばれそうな経歴をもちながら、AV男優になったという、にわかには信じられない人生を歩んでいる男がいる。  現在、トップ男優のひとりとしていろいろな作品にひっぱりだこの森林原人。彼が書き下ろした初めての単著『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』(講談社)が話題だ。  超進学校からAV男優へ──数奇な運命をたどって男優になり、17年のキャリアのなかで8000人と延べ1万回以上のセックスをしてきた彼にとって、セックスとはいったい何なのか? 森林は本のなかでこのように綴っている。 〈僕の中では、セックスに興味がない人は、人そのものに興味がない人で、寂しい人です。本人はもちろん寂しいだなんて思っていないでしょうが、僕が寂しくなります。寂しい人がいることが寂しい。やっぱり人は本能的に、根源的に、誰かとつながりたいと思うものだと確信しているし、そこに性、セックスがあるのだと僕は伝えたいのです〉 〈性欲とは、生殖につながるものでもありますが、一方では、人間が根源的に持つ孤独への不安を解消するためのもので、温もりへの飢えだと思います。性欲は悪者でもなんでもないのです〉  5桁にも達する女性(時には男性)とセックスしてきた森林が達した結論は、「セックスとは人と人の『つながり』である」という、ある種普遍的なものであった。そんな境地に達するまで、彼はどんな男優人生を歩んできたのか。彼は自分の人生と「性」の関係をこうまとめている。 〈男優という特殊な職業に就いていること以外はドラマチックな人生ではないけれど(中略)僕もやっぱり性に付きまとわれ、振り回され、向き合うことで生きる意味を知るようになれたんだと思うのです〉  彼は自分自身について、〈日々の生活におけるセックスの優先順位の高さは、執着に近く、中毒かもしれません。セックスのために死のうとは思わないけど、セックスがなかったら生きてる意味がないと思っています〉と自己分析しているが、彼の心のなかで「性」がそれほど大きな存在感を占めるようになったのは、中学時代の挫折がきっかけであった。  麻布、栄光、筑駒、ラ・サールすべてに合格するほどだから、小学校時代の森林は当然勉強において負け知らずだったわけだが、筑駒に入り、彼は見事に高く伸びたその鼻をへし折られることになる。 〈僕が努力してきた時間が無駄と思えるほど圧倒的な頭脳の存在を知らされたのです。勉強もたいしてせず、いとも簡単に合格した奴らが何人もいて、そいつらは、塾にも行かず、親に教わっただけとか、一を聞いただけで十も百もわかってしまうような頭で、天才としか言い表せられません〉 〈全国模試で一ケタ代の順位しか獲らない奴や、数学オリンピックで金メダルを獲る奴、ラジオ英会話を聞くだけで英検一級になっちゃう奴。そんな奴らと学力で張り合おうとは、とてもじゃないけど思えませんでした〉  プライドをへし折られ、アイデンティティが崩壊した彼は、勉強の他に何か心の拠り所となるものを探す。それが「エロ」だった。 〈僕の性的知識と、そういったものに対する欲求の強さ、行動力は一目置かれるものでした。僕は初体験を済ませていたわけではありませんが、どこでもチンポを出し、勃起させ、エロ本を数多く所有していたので、エロのジャンルにおいては学年トップでした。一般的なイメージ通り、筑駒の中一は信じられないほど性的に未熟だったので、ライバルはほとんどいませんでした。それにエロのいいところは、どれだけ頭のいい奴にも等しく難解なところです。理性や思考で解決できることじゃないから、経験や行動力がモノを言います。となると、エロが僕の肩書きになっていくのは自然な流れでした〉  せっかく苦労して筑駒に入ったのに、そんな現実逃避をしてしまうのは他人の目から見ればもったいない気がしなくもないが、こうして「エロ」を拠り所にすることで、彼はそれなりに楽しい青春を送ることができたようだ。もし彼に「エロ」がなかったら、劣等感や猜疑心に苛まれ、つらい思春期を送ることになっていたかもしれない。 〈物心ついた僕にとって、性は、救いで、逃げ場だったのです。"性"なんてかしこまった言い方をされるものじゃなく、下品で下世話で面白い"エロ"でしかなかったけど、エロも性の一部だとしたら、僕はやっぱり、性に救われたってことになるんだと思います〉  しかし、お小遣いはすべてエロ本に費やし「歩く有害図書」というあだ名がつくほどだった彼は、勉強の面では当然のごとくドロップアウト。東大に行って当たり前という環境のなか、大学受験にも失敗することになる。そして、どこか破れかぶれな気持ちで応募したAV男優のバイトから今にいたるキャリアをスタートさせることになるのだった。  AV男優としてのスキルを磨き、監督、メーカーのスタッフ、女優など仕事仲間からどんどん認められていくようになった彼の心からは、いつしか、多感な時期にプライドをズタズタにされ、超進学校のなかで溜め込んだ鬱屈とした思いはどこかへ消えていく。 〈ちょっと生まれる時代がずれていたら社会に居場所はなかった気がします。捕まるまでいかないにしても、こうも生き生きとした人生を送ることはなかったでしょう。だから、AV業界には感謝の気持ちでいっぱいですし、心から、AV男優という仕事があって良かったと思っています〉 〈僕は人一倍コンプレックスの塊です。そのコンプレックスの種をどうにかしたいと思い、整形をしようかとか、いっそいなくなってしまいたいとか、いろんな方向でいろいろと考え悩みました。(中略)そんな僕が、セックスで相手と溶け合う瞬間は、自分のすべてを相手が受け止めてくれているように思え、それが勘違いだとしても、僕は僕でいいんだと思い込めて、許せ、受け入れることができます。まぁ言うほど悪くないじゃん自分も、と。どれだけ自分を嫌いになっている時でも、どれだけ嫌なことがあっても、将来に不安を感じどんよりした気持ちになっても、セックスで溶け合った瞬間、それらがとりあえずはどうでも良くなるほどの絶対的な全肯定感に包まれます〉  しかし、森林原人という男優が面白いのは、セックスは「絶対的な全肯定」を与えてくれるものであり、また、セックスは「孤独への不安を解消するためのもの」と主張している一方で、その行為によってもたらされる快楽は、あくまで自分だけのものであり、共有できるものではないという諦めの気持ちもまたもっているということだ。 〈どれだけ共鳴できたとしても、相手の気持ち良さは相手のものであって、それによって自分が高まっても、それは自分の気持ち良さでしかなく、互いの気持ち良さを共有してるわけではないのです。つまり、相手の本当の感覚、気持ちはわからないということです。選ばれようが、受け入れられようが、つきつめれば自分の思い込み、自己満足です。  ここを本当に勘違いして、相手とわかり合えたとか、通じ合えたと決めつけちゃうと、その感覚をセックス後まで引っ張ってしまい、相手に自分の思い込みを押し付けることになってしまうのです。そうすると、あの時はあんなに愛してくれたのにとか、あれは演技だったのとか、冷めたんだとか、相手を責めることになっていきます。でもそうじゃなくて、どれだけ気持ち良いセックスをしたとしても、それはその瞬間だけのもので、しかも自分の中で起こったことでしかないのです。相手ありきの行為がセックスですが、相手の気持ち良さを本当に自分のものにすることはできないのです。  これに気付けて、セックスに対してすごく気が楽になりました。どこまでいってもわかり合えないと思うことで、変に期待しないで済み、がっかりすることはありません。(中略)セックスに意味を込めたり、何かの証と捉えたり、神聖化したりせずにいられるので、よけいに振り回されることはなくなりました〉  彼はこの諦めの気持ちを肯定的に捉え、だからこそ変に構えないで人と関わり合うことができると語っているが、そのセックスや女性に対する捉え方を聞いていて、ふと頭に浮かんだのが、「これって、いわゆる"絶食系"男子の女性観、セックス観と重なる部分があるんじゃないか」という思いだった。そういわれてみれば、現在、37歳の森林はいわゆる絶食系の第一世代にあたる。  先日、明治安田生活福祉研究所が20代未婚男性の53.3%、30代未婚男性の38.0%が、これまでの人生で交際した経験なしと回答したという調査結果を発表し大きな話題となったが、この草食・絶食化の波はAVにも押し寄せ、今の若者はほとんどAVを見なくなってしまった。  もしかしたら、森林のような感覚を持っている人間が、AVと草食・絶食系男子の間に横たわる溝を埋めてくれるのではないか、そんな風に考えるのは楽観的すぎるだろうか。 (田中 教)

『ゴーストバスターズ』が『貝社員』とコラボ “アッサリ仕事を投げ出す”姿も?

【リアルサウンドより】  8月19日に公開される『ゴーストバスターズ』より、アニメ『貝社員』とのコラボレーション画像と映像が公開された。  本作は、1984年に公開されたSFコメディ『ゴーストバスターズ』のリブート作品。“ゴーストバスターズ”を起業したオタク理系女子たちが、増強装置によってパワーアップしたゴーストたちから、ニューヨークの街を救う模様を描く。

『ゴーストバスターズ』『貝社員』とのコラボ映像

 このたび公開されたコラボ映像は、『貝社員』の“アッサリ仕事を投げ出す”キャラクター“アサリ”が、不完全な企画書をゴーストのせいにする姿や、ゴーストのように忽然と消える模様などが、『ゴーストバスターズ』の本編映像とともに収められている。なお、映像は8月末までの期間限定掲載となっており、7月2日より全国のTOHOシネマズにて幕間上映される予定だ。 ■今回のコラボレーションについて“アサリ”からのコメント 『ゴーストバスターズ』とのコラボには、無感情のボクも感激したっす。 プロトンパックを背負えたのも嬉しかったなぁ。でも、コレすげー重いっす、幽霊退治も大変ですね。ボクなら確実にアッサリ投げ出します。 とにかく、この映画すごく面白いんで、皆さん仕事サボって劇場に足を運んでくださいね。

ファンキー加藤がW不倫発覚後、初の雑誌対談で騒動に言及…でも相手の大沢在昌から「反省したじゃねーよ」と公開説教

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ファンキー加藤オフィシャルブログより
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  アンタッチャブル柴田英嗣の元妻とのW不倫騒動を起こしたファンキー加藤。謝罪会見のあと、京セラドームで行われたオリックス対中日戦の始球式と、主演映画『サブイボマスク』の舞台挨拶などで公開謝罪を繰り返すものの騒動について多くを語ることはなかったが、雑誌の対談に登場して騒動について口にした。  その対談相手は、なぜか『新宿鮫』シリーズでおなじみのハードボイルド作家・大沢在昌。今週月曜6月27日に発売された、「週刊プレイボーイ」2016年7月11日号(集英社)にその模様が掲載されている。  いったいファンキー加藤は、大沢在昌とどんな言葉を交わすのか、さっそく読んでみたところ、対談は謝罪会見のわずか10日後、6月17日に行われたらしい。記事はまず、騒動の渦中での取材になったことを詫びるファンキー加藤の言葉から始まる。 「このタイミングで対談を受けていただき、本当にありがとうございます」    すると、大沢はいかにも"懐の深いアニキ"といった態度を見せつけるようにこう返した。 「もしかしたら、この話も飛んじゃうんじゃないかと思ったんだけどね。こうしてオレの前に堂々と出てきたということだけで、あなたと対談する意味はあると思うよ」  優しい先輩のフォローに「いや、それは......」と恐縮して口ごもる加藤。その後、しばらくはファンキー加藤がインタビュアーとなり、ハードボイルド作家・北方謙三とのライバル関係や、11年間まったく売れずにくすぶっていた時代の話の思い出話など、大沢の"オトコ自慢"が続き、このまま何もなく終わるのかと思いきや、対談終了間際、ファンキー加藤がこんな質問をしたことで、場は一転する。 「大沢さんが考えるいい男、本物の男って、どんな男ですか」  この質問を聞くやいなや、大沢は待ってましたとばかりに、不倫話を蒸し返し、フォローのような説教のような「オトコ論」を熱く語り出すのだった。 「自分に対して嘘をつくような男にはならないことだね。生きていれば恥ずかしいことなんていっぱいあって。加藤さんも最近そういう思いをしたけど、大切なのは、そこで、どう対処したかで。そういう意味でいうと、逃げなかったあなたは立派だったと思う」 「もし、あなたが逃げ回ったり、卑怯な態度を取っていたら、自分で自分を嫌いになったろうし、人生の応援ソングを二度と歌えなくなっていたはずだから。それが、5年後なのか10年後なのかわからないけど、時間差で必ず生きてくる」  大御所作家の説教に再び恐縮しきりな加藤は、殊勝な態度で「今回のことに関してはそれこそ死ぬほど反省しました」と反省の弁を口にする。というか、立場上、そう返すしかないだろう。  ところが、その言葉がなぜか大沢兄貴の神経を逆なで。大沢はそれまでには見られなかったような荒々しい口調でキレ始める。 「反省したか、しないかじゃねーよ。そんなの外には見えないんだからさ。マスコミだって10日もすれば忘れちまうし。オレが言ってるのはそんなことじゃなくて、今回のことであなたが何を拾ったかなんだよ」  加藤ならずとも、いったい何にキレてるのかよくわからない感じだが、なんとなく、ありきたりな反省はする必要はない、ということらしい。  そして、思いっきりビビらせた後に、大沢は再び諭すような口調で、こうフォローするのだった。 「そう。逃げなかったことで、あなたはもう何かを拾っているんだよ。今はまだそれが見えないだけでね。何年か後に、その拾ったものが、あなたに新しい引き出しをつくってくれるはずだし、ミュージシャン、ファンキー加藤としては、絶対にその引き出しから新しいメッセージを取り出さなきゃいけない。それができたときに、あなたはもっといい男になれるし、本物に近づけるんだと思う」  最後は「今回、あなたが傷つけた人たちのためにも、そうしなきゃいけない。それが男だろう」と締める大沢、「今の言葉、胸に刻み込んで頑張ります。今日は、本当にありがとうございました」と平身低頭で返す加藤。こうして、対談は大沢の小説と同じくらいの予定調和で終了したのだった。  それにしても、雑誌メディアにおけるファンキー加藤の初めての懺悔の場所が大沢在昌相手というのは、いったいどういうことなのだろうか。  実はこの対談、「創刊50周年カウントダウン企画 ファンキー加藤レジェンドたちと語る旅」という連載で企画されたもの。このコーナーではこれまでも天龍源一郎、中村勘九郎、武豊、泉谷しげる、といった「週刊プレイボーイ」誌にゆかりの深い各界の大御所たちが登場している。大沢在昌も、1996年の1月から5月まで「週刊プレイボーイ」で「鮫と飲みあかそう!」と題された人生相談の連載をしていたことから、あらかじめこの対談企画にブッキングされていたらしい。  しかし、取材の直前になって加藤に不倫スキャンダルが勃発。ただ、いくら騒動があったとはいえ、大御所作家相手では、それをバラすことはできず、対談が強行されたということのようだ。  もちろん、この話題に触れないで対談を進行させる、という選択肢はあっただろうが、大沢在昌といえば、自らも作家でありながら「大沢オフィス」に宮部みゆき・京極夏彦などの売れっ子を所属させ、マネジメント業にも精を出すなど、なかなか機を見るに敏な人物。このチャンスをみすみす見逃すはずはなく、結局、対談は大沢の"オトコ"アピール、"大物"アピールの格好の場所にされてしまったというわけだ。  もっとも、ファンキー加藤にとっても大沢からのオトコ説教は願ったり叶ったり、だったのかもしれない。愛人を孕ませておいて自分は妻と別れず、愛人を捨てるという、どう考えてもベッキーやゲスの極み乙女。・川谷絵音よりもゲスな行為をした加藤だが、事後の殊勝な態度が受けて、逆に同情論が集まるという意外な展開になっている。  その流れからいくと、ヘマをした子分が怖い親分から説教を受けつつフォローされるというこの対談は、さらにいい禊の役割をはたし、ファンキーの好感度回復に寄与したはずだ。 "男"という言葉がやたら飛びかう熱い対談の裏には、意外とふたりの男の冷静な計算が働いていたりするのかもしれない。 (新田 樹)

『キング・オブ・エジプト』予告編&ポスター公開 巨大スフィンクスの来襲やピラミッドの崩壊も

【リアルサウンドより】  世界20カ国でオープニング興行収入No.1を記録した『キング・オブ・エジプト』より、ポスタービジュアルと予告編が公開された。  本作は、神と人間が共存する古代エジプトを舞台にしたアクション・アドベンチャー。盗賊の青年・ベックが、王に君臨する重要なアイテム“神の眼”を探し出すため、天空の神・ホルスらとともに冒険の旅に出る模様を描く。  『アイ、ロボット』のアレックス・プロヤス監督がメガホンを取り、『マレフィセント』のブレントン・スウェイツ、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のコートニー・イートン、『ゲーム・オブ・スローンズ』のニコライ・コスター=ワルドー、『300 <スリーハンドレッド>』のジェラルド・バトラー、『G.I.ジョー バック2リベンジ』のエロディ・ユン、『英国王のスピーチ』のジェフリー・ラッシュ、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のチャドウィック・ボーズマンらが出演する。  このたび公開された予告編は、黄金の楽園であった古代エジプトが、残虐な暴君と化した砂漠の神・セトにより支配されるシーンから始まり、盗賊のベックと天空の神・ホルスの出会いや、王座を巡る闘いの模様などが収められている。一方のポスタービジュアルには、“<神の眼>を盗んでエジプトの王座を奪え!”というコピーとともに、エジプトの風景を背景に“神の眼”を持ったスウェイツ演じるベックらの姿が収められている。

『キング・オブ・エジプト』予告編

■公開情報 『キング・オブ・エジプト』 9月9日(金)TOHOシネマズスカラ座ほか全国拡大公開 監督:アレックス・プロヤス 出演:ブレントン・スウェイツ、ニコライ・コスター=ワルドー、コートニー・イートン、エロディ・ユン、チャドウィック・ボーズマン、ジェラルド・バトラー、ジェフリー・ラッシュ 配給:ギャガ 2016/127分/アメリカ/カラー/2D、3D、MX4D、4DX、D-BOX  (c)2016 Summit Entertainment,LLC.All Rights Reserved.

NEWS加藤シゲアキが「SEALDsには、すごく賛同できます」、改憲反対も示唆! ジャニーズアイドルの勇気

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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制約の多いジャニーズにいながら政治に踏み込み、勇気ある発言をするNEWSの加藤シゲアキ
 原発事故や特定秘密保護法、安保法制、憲法改正など、世論を二分する大きな政治的課題が立てつづけに起こっている近年の日本。そのなかで注目を集めるものに、芸能人による政治的発言がある。  と言っても、積極的に政治にコミットする欧米の有名人たちにくらべると、日本では芸能人が意見することはまだまだ数少ない。そして、芸能界にも社会にも「芸能人が政治を語るのは如何なものか」といった空気が根強い。とくに安保法の問題では戦争を体験した世代の著名人が次々に声をあげたが、逆に若い世代は空気を読んでか、踏み込んだ発言はなかなか聞かれなかった。  だが、そんななかにあって、最近、あるアイドルが政治問題に言及した。しかも、ジャニーズ事務所所属のアイドルが、である。 「SEALDsには、すごく賛同できます」  こう語ったのは、NEWSのメンバーで、小説家としても活躍している加藤シゲアキ。緊急復刊された雑誌「朝日ジャーナル」(朝日新聞出版)で、故・筑紫哲也がインタビュワーを務めた「朝日ジャーナル」の名物インタビュー「若者たちの神々」の復活に伴い、加藤はジャニーズアイドルでありながら小説家でもあるという異色の存在として登場。そのなかで加藤は、昨年夏の国会前デモについて話が及んだ際、SEALDsへの賛同をきっぱりと口にしたのだ。  SEALDsといえば、メンバーの奥田愛基氏が「FUJI ROCK FESTIVAL’16」への出演が発表されるや否や「音楽に政治を持ち込むな」などという無知蒙昧な批判が飛び交ったばかり。さらに、党首討論で小沢一郎に対して「再婚しないんですか?」とまったく関係のない話をもち出すなど露骨な野党批判をミスリードした社会学者の古市憲寿が、26日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ)で「SEALDsは嫌われてるんですかね?」「(抗議行動のコールが)ダサいラップ」と嘲笑した。  SEALDsは現在、参院選でも現政権の暴走に歯止めをかけようと野党共闘を呼びかける活動を行っているが、安保法制のときと同様、政権批判を許さない人びとは相変わらず盲目的にSEALDsの揚げ足を取ることに勤しみ、無用なバッシングを展開している。そんな最中にあって、果敢に加藤はSEALDsにエールを送ったのだ。  加藤は現在、28歳。学生を中心としたSEALDsのおもなメンバーよりも少し年上にあたるが、加藤は現在の日本で若者が置かれている立場、社会状況をこう話す。 「物心ついたころにはバブルははじけていましたから、ずっと不景気だと言われる中を生きているんです。日本が不景気であるのは僕らにとっては当たり前であって、言い方が悪いけど、このままでいいっちゃいいんですよね。今から年金のことを考えろって言われても、40年後の未来なんてわからない。とにかく今を生きるしかない。若い人はそう考えていると思います」  これだけだと、不景気ななかで若者たちは生活することに精一杯で、政治に無関心なるのも致し方ないことだと加藤が受け止めているようにも読める。しかし、加藤はこう言葉をつづけるのだ。 「ただ、今をしっかり生きていこうとしている以上、極端な政治変革は受け入れにくい。SEALDsに賛同するのもその辺ですね」  ここで加藤が言及している「極端な政治変革」とは、安保法や憲法改正といった安倍政権が強引に押し進める政治を指していることは間違いないだろう。現政権が掲げる“変革”では、いまという現実をしっかりと生きることもできなくなる。だからこそ、それに抗議するSEALDsに賛意を送りたい。──加藤はそう語っているのだ。  まさかジャニーズのアイドルが、政権の批判を口にするとは──。たしかに、大先輩にあたるSMAPの中居正広も、昨年夏、『ワイドナショー』において若者の反対デモに松本人志が“対案を出すべき”“平和ボケ”などと権力に迎合してデモに参加する若者たちを批判するなか、「若い子が声をあげるのは、ぼくはいいことだと思う」と明言。さらに中居は「松本さん、この70年間やっぱり、日本人って戦地で死んでいないんですよ。これやっぱり、すごいことだと思うんですよ」と反論したことがあった。  だが、同じジャニーズと言っても中居は司会者として芸能界に確固たるポジションを築いている人物。それにくらべて加藤はジャニーズという制約の多い事務所のなかで“売り出し中”のアイドルだ。そんな現役アイドルが、政治に踏み込むことはもちろんのこと、政権批判とともにSEALDsへの共感を述べることは、非常にリスクが高い。  しかし、そうしたリスク以上に、加藤には社会の流れについて考えるところがあったのかもしれない。たとえば、戦後70年目を迎えた昨年の夏にも、加藤は自身がパーソナリティをつとめるラジオ番組『SORASHIGE BOOK』(Fm yokohama)で、大岡昇平の戦地での体験が基になった小説を塚本晋也が映画化した『野火 Fires on the Plain』を絶賛。『永遠の0』など戦争を美化して描く作品が人気を集めるなかで、塚本監督の『野火』は戦争の現実を包み隠さず描いた反戦映画として高い評価を受けたが、加藤も“ダメージを強く受けることが良い戦争映画のひとつの条件”だと話していた。  また、加藤は、昨年発表しドラマ化もされた短編集『傘をもたない蟻たちは』(KADOKAWA/角川書店)でも、現役ジャニーズにもかかわらず過激な性描写が話題を集めた。今回のインタビューではこのことについても「タレントとしてはリスキーじゃないですか」と問われたが、加藤は「それはちょっとあります。でも、そのリスクを背負わないで作家をやるのは嫌ですね」と語っている。  作家ならば当然リスクを引き受ける。この態度は、政治に言及した発言でも同じだったのだろう。今回のインタビューでは、なかには首を傾げざるを得ない発言なども見受けられたが、アイドルが権力批判という現在の日本社会でもっとも敬遠される話題に踏み込んだことは、新しい流れを感じさせるものではあると言えそうだ。 (大方 草)

史実に基づく脱出劇『コロニア』ポスタービジュアル公開 エマ・ワトソンの凜とした表情捉える

【リアルサウンドより】  9月17日に公開されるエマ・ワトソン主演映画『コロニア』より、日本版ポスタービジュアルと場面写真が公開された。  本作は、1973年にチリの独裁政権下で起こった史実に基づいたスリラー。クーデターで囚われた恋人を救うため、キャビンアテンダントのレナが、“脱出不可能”と言われる秘密施設へ潜入する模様を描く。『ハリー・ポッター』シリーズのエマ・ワトソンが主人公レナ役を演じるほか、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のダニエル・ブリュール、『ミレニアム』シリーズのミカエル・ニクヴィストが出演する。  このたび公開されたポスタービジュアルには、“必ず、私が、救い出す”のコピーとともに、ワトソン扮するレナの凜とした表情と、レナと恋人のダニエルが疾走する模様が描かれている。一方の場面写真では、ニクヴィスト演じる元ナチス軍曹の“教皇”パウル・シェーファーが統率するコロニア内部の様子が捉えられている。  メガホンを取ったフロリアン・ガレンベルガー監督が「この人しかいない」と惚れ込んだワトソンは、「泥だらけ、傷だらけで、びしょ濡れになるなんて、脚本だけではわからなかった(笑)。精神的に大変だったけど、やりがいがありました」と、過酷な撮影の様子を振り返っている。
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■公開情報 『コロニア』 9月17日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ新宿ほか全国ロードショー 出演:エマ・ワトソン、ダニエル・ブリュール、ミカエル・ニクヴィストほか 監督:フロリアン・ガレンベルガー 2015年/ドイツ・ルクセンブルク・フランス/英語・スペイン語/シネスコ/5.1ch/110分/G 提供:日活 配給:REGENTS、日活 協力:松竹 (c)2015 MAJESTIC FILMPRODUKTION GMBH/IRIS PRODUCTIONS S.A./RAT PACK FILMPRODUKTION GMBH/REZO PRODUCTIONS S.A.R.L./FRED FILMS COLONIA LTD. 公式サイト:http://colonia.jp

イチローが世界的な記録を達成した今こそ振り返りたい…戦争に翻弄された悲劇のプロ野球選手たち

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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『兵隊になった沢村栄治 戦時下職業野球連盟の偽装工作』(山際康之/筑摩書房)
 マイアミ・マリーンズのイチロー選手が、日米通算で世界最多安打記録4257本を達成。日米合算ではあるが、ピート・ローズがもつ世界記録を塗り替えたこととなり、大記録の達成に日本中が沸いた。また、メジャーリーグのみでの安打記録3000本も目前に迫り、近いうちに再び吉報を聞くことができそうだ。  イチロー以外にも、シアトル・マリナーズの岩隈久志選手、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大選手、ロサンゼルス・ドジャースの前田健太選手など、日本人選手のMLBでの活躍が連日報じられているが、そんな日本人選手の活躍の影で、決して忘れてはならない野球人たちがいる──。  沢村栄治をはじめ、現在のプロ野球に続く礎を築くも、戦争に翻弄され悲劇の運命をたどった選手たちを描く『兵隊になった沢村栄治 戦時下職業野球連盟の偽装工作』(山際康之/筑摩書房)が話題だ。  戦中はたくさんのプロ野球選手たちが戦争へ駆り出され戦死していった。現在、東京ドームの敷地内にある鎮魂の碑には、70名以上の戦死した選手たちの名が刻み込まれている。  その石碑のなかで、死の直前にキャッチボールをし、最期まで野球を愛し続けた逸話が掘られているのが、プロ野球選手のなかで唯一、特攻隊員として亡くなった、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)の石丸進一だ。同書では、彼が特攻直前に球団理事の赤嶺昌志を訪ねた時のことがこう綴られている。 〈名古屋軍にいた石丸進一が理研工業にいた赤嶺の前にひょっこりと現れたのは、それからほどなくしてのことであった。軍服に身をつつんだ石丸は、海軍少尉となり見違えるようだった。休暇をもらい、筑波の隊から東京駅まで出ると、そこから焼け跡となった街を二時間もかけて歩いてきたのだという。 「新しいボールを下さい。死ぬ前に思う存分ピッチングをして死にたいんです」  赤嶺は石丸の気持ちを汲み取ると黙って球団にあったボールを手渡した。粗末なボールだったが、石丸は嬉しそうにした。 「おい生きて帰れよ、また野球をやろう、待ってるぞ」 「赤嶺さんもお元気で」  そういうと、石丸は姿勢を正して敬礼をすると、赤嶺のもとを後にした。  石丸は飛行場近くで宿舎となっていた国民学校の校庭にいた。赤嶺からもらったボールで石丸は一球ずつ、感触をたしかめるようにキャッチボールをした。そして、これで思い残すことはないと自分に言い聞かせて石丸は飛行場へ向かった。〉  その後、赤嶺のもとには、石丸からのこのような手紙が残されたという。 〈苦しみ以上に野球生活と云う物により楽しみを得ました  是にて亦親兄弟を喜ばす事が出来二十四才としての私には何も悔ゆる所御座居ません  是も皆赤嶺様の御盡力にて得た事と感謝致して居ります  明五月一日夕暮必ず敵艦に命中致します 「忠孝」私の人生は此の二字にて終わります〉  選手たち、そして、日本の野球界を守るため、戦中の日本職業野球連盟はありとあらゆる策をとっていた。ファウルは「だめ」、セーフは「よし」など、敵性語廃止の流れのなかで野球用語が強引に日本語化されていたのは教科書にも出てくる話だが、こういった流れの裏には、〈表面的に遮二無二時世に媚びているようで寧ろお笑い草である〉(「冬の大リーグ」1941年1月5日)とメディアに叩かれながらも、何とかプロ野球を存続させるため、涙を飲んで国の意向に従っていたという背景がある。  野球用語の日本語化の他にも、試合の合間に余興で手榴弾投げ競技を行ったり、慰問や国防献金試合を行ったりと、その策は多岐に渡っていた。しかし、それでも、戦争は着実に野球ができる環境を奪っていく。  日本のプロ野球選手で初めて戦死者が出たのは1937年のこと。名古屋軍の後藤正が犠牲となった。また、なんとか生き延びたものの、大ケガを負い引退せざるを得なくなってしまった選手も多い。  大日本野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)でキャッチャーを務めていた中山武もそのひとり。彼は戦地で銃弾が右足のくるぶしに当たり負傷。その後、球界に復帰するも、走ることすら厳しい状態ではやはり野球選手としてやっていくことは難しく、ほどなくして引退を余儀なくされている。  そして、その中山とバッテリーを組んでいた沢村栄治は戦死した野球選手として最も有名な人物だろう。わずか17歳ながら、1934年の日米野球でベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらを抑え「スクール・ボーイ・サワムラ」と呼ばれた彼は、なんと3回も召集されている。  一度目は1938年。この軍隊生活において、豪速球で知られた沢村の強肩で手榴弾を遠投したエピソードは現在でもよく知られているが、かつて日米野球で大活躍した沢村は、戦争に行かされたことで、その華々しい野球人生に大きな影を落とすことになった。  この時、沢村は手榴弾の投げ過ぎで肩を痛めてしまったのだ。また同時にピッチングフォームも崩してしまっている。さらには、左の手の平を撃たれ、〈左手の中指が思うように動かない〉状態になってしまう。沢村は右投げなので投手としては致命的なケガではないが、復帰後は、かつてのように速球でバッターを圧倒した姿は見られなくなってしまう。  それでも、サイドスローに転向し、変化球主体の投手に生まれ変わった沢村は1941年のリーグ戦で9勝するなどの好成績をおさめていた。彼が次に召集されたのは、新たなスタイルの投手として生まれ変わりつつあったその年のことであった。  この召集時も沢村は生きて日本の地を踏むことができたが、度重なる軍隊生活で身体と心を痛めつけられ続けた彼の野球選手としての成長は完全に止まってしまい、結局、1943年のリーグではほぼ登板機会もなくなり、〈ほとんど腕だけで投げており、制球もままならない〉という状態になってしまう。結果、0勝3敗という散々な成績に終わり、巨人から解雇、引退へと追い込まれてしまうのだった。  そして、1944年、彼は三度目の召集を受ける。『兵隊になった沢村栄治』では、死の直前の沢村について、このように綴られている。 〈その沢村が三度目の召集を受けたのは、昭和十九年一〇月のことである。  家族に心配をかけさせまいとしたのだろうか、 「おい、行ってくるわ」 というと、いつものように笑顔で家を出た。  車で連隊の営門前まで行くと、沢村は、同行してくれた父に、これまで誰にも言うことのなかった巨人軍からの解雇の話をした。悔しさと悲しさから涙が止まらない。帰ったら、もう一度野球がしたい。そうした願いを受け止めた父は沢村の後ろ姿を見送った。  門司港から沢村を乗せた輸送船が出航したのは、それから間もなくしてからである。すでに制海権は米国が握っていた。輸送船が屋久島の西約一五〇キロのところにすすんだときである。米国の潜水艦に発見されると魚雷を受けた船は成す術もなく沈没した。  生存者はいなかった。〉  享年27歳。もしも沢村が何度も戦地に送られ肩を壊すことなく選手生活を続けられていたら、また、日本がアメリカと戦争さえしなければ、村上雅則や野茂英雄よりも前にメジャーリーグで活躍する選手となっていたかもしれない。  周知の通り、昨年は安保法制が強行採決され、今も「憲法改正」の争点が隠されたまま参院選に突入している。戦争とはどれだけ人々の人生を滅茶苦茶にしてしまうものなのか、彼らが残した教訓を我々は忘れてはならない。 (新田 樹)

岡村靖幸、ハマ・オカモト、尾崎世界観ら『シング・ストリート』に絶賛コメント

【リアルサウンドより】  岡村靖幸、OKAMOTO'Sのハマ・オカモト、クリープハイプの尾崎世界観ら各界の著名人が、7月9日に公開されるジョン・カーニー監督最新作『シング・ストリート 未来へのうた』にコメントを寄せている。  本作は1985年、歴史的な不況に突入したアイルランドのダブリンを舞台にした青春映画。サエない日々を送っていた少年・コナーがバンドを組み、ストリートや海辺でミュージック・ビデオのゲリラ撮影を重ねながら、一目惚れした女性と切ない恋に落ち、それぞれが家庭に問題を抱えたメンバーたちと友情を深めていく様を描く。  メガホンを取ったのは、『ONCE ダブリンの街角で』『はじまりのうた』のジョン・カーニー監督。本編ではデュラン・デュラン、ザ・キュアー、ザ・クラッシュ、ザ・ジャム、ホール&オーツ、アーハ、スパンダー・バレエなど80年代当時の楽曲に加え、80年代風ナンバーのオリジナル曲も使用されている。  岡村靖幸、ハマ・オカモト、尾崎世界観らに加え、Base Ball Bearnの小出祐介、ストレイテナーのホリエアツシ、THE BAWDIESのROYらミュージシャンたち、80年代に洋楽専門音楽番組『ベストヒットUSA』で司会を務めた小林克也、音楽クリエイターのヒャダイン、映画監督の大根仁、俳優の太賀ら各界の著名人が作品をいち早く鑑賞し、思い思いの感想を綴っている。
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著名人コメント

岡村靖幸(ミュージシャン)

80年代の音楽とキュンキュンする青春がたまりません。いろんなこと思い出しました。 80年代にもう一度会いたい!会える映画です!

小林克也(DJプロデューサー)

80年代の名曲に彼等のオリジナルが負けない! レノンやボノの十代を想い出し、凄い最後の残像が今も残る。

ヒャダイン(音楽クリエイター)

80s最高!!音楽の力で闇から光へとよじ登る若い生命力を彩る80sナンバーの 数々と80sファッション。

岡崎体育(アーティスト)

若者のやるせない気持ちはクリエイションの塊。 劇中歌がめっちゃよかったので、間違いなくサントラ購入決定。

ハマ・オカモト(OKAMOTO’S)

久しぶりに心の底から楽しめる音楽映画に出会えた。 彩る音楽や役者の目線がとにかく最高。バンドやりたくなりました。

小出祐介(Base Ball Bear)

ジョン・カーニー監督は、僕たちが信じている音楽の魔法を“感覚的な理詰め”で描いてくれる。 

福岡晃子(チャットモンチー)

言葉にしにくい“音楽が生まれる瞬間”を画にしてくれて、感動して涙しました 

ホリエアツシ(ストレイテナー)

衝動にまっすぐに熱くなれる10代にしか描けない夢。成功も失敗もぜんぶが人生の宝物になる。

ミト(クラムボン)

忘れかけてた、音楽が持つ"夢"と"希望"と"未来を変えられる力”を、この映画は思い出させてくれました

尾崎世界観(クリープハイプ)

バンドって格好良いなと思った。バンドやってて良かったと思った。 でも1つだけ残念なのは、もうバンドを組めないこと。

川辺ヒロシ(TOKYO No.1 SOUL SET)

1980年代、あの頃の、あのバンドの、故郷ダブリンでの結成秘話!的な!音楽、映像共に最高!

カジヒデキ(ミュージシャン)

僕にとってのあの頃が、鮮烈な光を放って戻って来た!80‘sのキラキラしたヒットソングと感動的なオリジナルソングに彩られた、最高にポップで可愛過ぎる青春映画の超名作が誕生です!全てのUKロックファンは必見。そして夢を信じる人は誰もが涙を流すはず! 

ROY(THE BAWDIES)

音楽は、人生をキラキラと輝かせてくれる!そんな”希望の光”に包まれた作品です!眩しいぜっ!

tofubeats(DJ/音楽プロデューサー)

音楽を始めたころはひとつ音が重なるだけでとても嬉しかった。そんな喜びが再び味わえる作品でした。

大根仁(映画監督)

面白かった!80年代に青春を過ごした世代にはたまりません。思い当たるフシがあり過ぎて死ぬかと思いました。 こんな映画でデートしたい!

太賀(俳優)

やるなら今しかねぇぞ!と、この映画は高らかに歌っている。 もっと早くに出会いたかった。いや、まだ遅くないかもしれない。 夢と浪漫がまだ耳に残っている。希望に満ちたラストに胸が躍りました。

STEREO TENNIS(グラフィック・アーティスト)

青春映画と思いきや後半、胸熱が高まりすぎて泣いていました。 こみあげる爽やかな熱い何かに心が動かずにいられない。 自分の中でもオールタイム・ベスト級の大好きな映画!
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『シング・ストリート 未来へのうた』ロゴ

■公開情報 『シング・ストリート 未来へのうた』 7月9日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷シネクイントほか全国順次公開 監督・脚本:ジョン・カーニー 出演:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、エイダン・ギレン、マリア・ドイル・ケネディ、ジャック・レイナー、ルーシー・ボーイントン 配給:ギャガ (c)2015 Cosmo Films Limited. All Rights Reserved 公式サイト:gaga.ne.jp/singstreet

広末涼子が「育児放棄バッシング」に大反論! 紗栄子、辻希美、スザンヌら芸能人ママ攻撃にひそむ歪んだ“母性神話”

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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「FRaU」(講談社)7月号
 女性誌「FRaU」(講談社)7月号の広末涼子ロングインタビューが大きな話題になっている。  それは、数々の奇行やスキャンダルが報じられてきた広末が、これまでのプライベートや過去に言及しているからだ。例えば2008年、23歳のときに「デキ婚」したことついて、広末は“確信犯”だったと告白している。 「ホントに、仕事を辞めたくて仕方がなかったです。もちろん結婚なんて許されていない時だったので、そこへの反発は大きかったし、正直、確信犯ですよね。出来ちゃった結婚だと言われたけど、そうじゃないと結婚なんて出来ない状況だった」  デキ婚は事務所からの“縛り”で結婚できなかったための強行突破──。しかし、その結婚もわずか5年で破局。理由は夫だったモデル・岡沢高宏の金銭問題や、また一部では岡沢と関東連合との繋がりも囁かれたが、この時期、広末は自殺さえ考えたことも仄めかしている。 「20代後半に、人生の中で最悪なことが訪れて――。自分の中では天地がひっくり返るくらいショックなことがあって、何を信じていいのか分からなくなってしまった──」 「いつも気が付いたら高いところに行っていて、誰か背中を押してくれないかな――っていう感じだったので」  そんななか、広末がこのインタビューで語気を荒げて主張していることがある。それは週刊誌などで報じられた“育児放棄”への反論だ。  広末は「私に関して世の中に出回っているものの全ては真実なわけではない」と前置きしたうえ、報道をこう否定している。 「育児放棄なんてありえないし、新宿二丁目に通っているとか、誰かのバイクの後ろに乗ってたとか──。その人が私にすごく似てたのか、単なる思い込みなのか、単純にそういう話にしたいだけなのか、いったいなんなんだろう?って」 「作品の打ち上げひとつとっても『夜遅くまでいらっしゃいましたね、お子さんはどうしてるんですか?』って言われる。それはおばあちゃまに来てもらうとかパパがおうちにいてくれるとか、あるでしょ!って(苦笑)。打ち上げに行ったからって飲み歩いてるってことなんですか? それはありがとうとかお疲れ様という気持ちがあってのこと。友達と飲むこともあるし、子供がいるので大体はうちになっちゃうんですけど、それがそんなに非難されること?っていうことだったり」  そして、子どもたちとの関係についてもこう明言していた。 「子供がコンビニで週刊誌を見た時にどう思うかは、考えなくはないです。でも、うちの子がそれを見て、例えば夜遊びだのと書かれていても、夜家にいることは彼らが一番知ってるし、背中を見てるから。そんな記事は信じないから大丈夫って私は思っています」  広末はよほど腹を立てていたのだろう。インタビューはこの育児放棄報道への反論にかなりの誌面が割かれていた。  しかし、広末が怒るのも当然で、実際、彼女はこれまで、理不尽とも思える育児放棄バッシングを受け続けてきた。  最初は05年、岡沢との間に生まれた長男が1歳になったころのことだ。「週刊現代」(講談社)05年5月7日・14日合併号で、広末が新宿・歌舞伎町のホストクラブで泥酔し、育児放棄をしているかのような記事が掲載された。  現夫のキャンドル・ジュンと再婚した後も、育児放棄説が度々話題になった。14年に、広末は「女性セブン」(小学館)3月13日号で俳優・佐藤健との岩盤浴デートが報じられたが、この際も「母親としての自覚がない」と批判が巻き起こり、その後も、街や飲み屋での目撃情報があるたびに、育児放棄を叩かれるという状況が続いた。  しかし、広末はホストクラブでの泥酔と育児放棄を書き立てた「週刊現代」の記事については、訴訟を起こして勝訴しているし、佐藤との岩盤浴についても、不倫関係の有無はともかく、当時、子どもは3歳になっており、家を空けたのはほんの数時間。育児放棄とはなんの関係もない。  にもかかわらず、広末がことあるごとに育児放棄を責め立てられてきたのは、あいかわらずこの社会が「育児は母親がひとりですべきもの」という間違った“母性神話”に支配されているからだろう。  だから、たまたま年に1回か2回、数時間、飲んでいる姿を目撃されただけで、「母親の自覚がない」と非難され、不倫密会スキャンダルが報じられた際も実際はまったく無関係な「育児放棄」と結びつけられてしまう。  実際、こうした育児放棄バッシングを浴びてきたママ芸能人は広末だけではない。  例えば前夫・ダルビッシュ有との間に2児をもうけて離婚した紗栄子も「頻繁に海外に行っている」「子育てを実家の母親に任せて飲み歩いている」などと育児放棄がさんざん噂されたひとりだ。  元モーニング娘。で3人の子をもつママとなった辻希美も、子どもの夜泣きが酷くて近所から児童相談所に通報されたことや、頻繁に更新するブログ内容が“育児放棄”として度々炎上している。  さらに、15年に離婚し実家のある熊本県を拠点に芸能活動をすると発表したスザンヌも、東京で仕事をしているというだけで、「実家の母や妹に育児を丸投げ」「実質的に1歳の息子と別居」などというバッシングを浴びた。他にも、窃盗事件で複数のベビーシッターを雇っていた神田うのや、木下優樹菜、小森純などにもこうした批判が向けられた。  ようするに、働く女性芸能人ママが“独り”で子育てすることなく、実家の母親やベビーシッターにそれを手伝ってもらったり、任せているだけで、“母親としてあるまじき”行為だという攻撃を受けているのだ。なかには「たくさんテレビに出ている」というだけで、「育児放棄」と決めつけているケースまであった。  だが、働く女性、特に時間も不規則な芸能人ママが1人で育児をすべて担うなんてことは現実的に考えて到底不可能だろう。当然、夫や肉親、ベビーシッターにそれを手伝ってもらうことになるが、それがどうして育児放棄などと的外れな批判をされなければいけないのか。  しかも、こうした批判は、なぜか母親に対してのみに向けられ、父親の芸能人に対してこうした声が出ることは皆無である。  結局、これらも前述した「育児は母親がすべき」という社会の価値観から出てきているのだ。  しかし、これらは一方的に刷り込まれた偏見にすぎない。例えばフランスを代表する歴史家のエリザベット・バダンテールは1980年に発表した『母性という神話』(ちくま学芸文庫)で、母性は18世紀ごろにつくられた神話であるとして、こう批判した。 〈女は母親という役割に閉じ込められ、もはや道徳的に非難されることを覚悟しなければ、そこから逃れることはできない〉 〈人はこの母親の任務の偉大さや高尚さをたたえる一方で、それを完璧にこなすことのできない女たちを非難した。責任と罪悪とは紙一重であり、子どもにどんなわずかな問題点があらわれても入れかわるものだった〉  だが、日本社会はこの「育児は母親がすべき」という母性神話の強制力がとてつもなく強く、いまでも「3歳までは母親が常に傍にいないといけない」「24時間密着していることが望ましい」などというまったく科学的根拠のない迷信が平気でまかり通っている。  それはやはり、政府が、長い間「子育ては母親が担うもの」として強制、刷り込みを行ってきたからだ。しかも、現在の安倍政権はその母親への育児押し付けを緩和させるどころか、さらにエスカレートさせる政策を次々と打ち出している。  そもそも少子高齢化が深刻化しつつあった小泉政権下の05年、「子育ては社会のもの」という概念が取り入れられたことがあった。この年の国民生活白書「子育て世代の意識と調査」にはこんな一文が記されている。 〈親世代だけでなく、同世代の友人、あるいは会社の同僚、近隣に住む人々など、社会全体で何らかの子育てに参加する、あるいはそれができる仕組みを構築していくことが望まれる。子育てが家族の責任だけで行われるのではなく、社会全体によって取り組む、『子育ての社会化』が重要〉  しかしこうした「子育ての社会化」理念に逆行し、ストップをかけたのが安倍政権だった。  例えば、「女性の活躍」「1億総活躍社会」を打ち出した安倍政権は「3年育休」なるものをもち出したこともあった。これは「子育ては母親が担うべきもの」「3歳まで母親と過ごすことが大切」とする3歳神話に基づいたものだ。  さらに、子育て支援の充実として、親・子・祖父母の3世代同居に対応するリフォームに所得税減税を打ち出したが、これにしても「子育ては母親や家族がする」というもので、「社会全体で子育て」という理念とは遠く離れたものだった。また、待機児童問題をクローズアップさせた「保育園落ちた日本死ね」問題でも、当初、安倍首相は「匿名である以上、実際起こっているか確認しようがない」などと嘯き、子育て世帯を支援する「子育て給付金」も廃止方針が決定している。  こうした閉塞した現状のはけ口が、噴出する有名芸能人ママに対する育児放棄批判であり、バッシングなのだろう。  しかし、いま、夫婦が子育てを等しく分担、共有し、家族だけでなく、国や自治体、社会全体がそれに協力していくことは世界的な流れであり、少子化を食い止める唯一の方策でもあると考えられている。 “母親への育児を押し付け”を続ける安倍政権に踊らされて不毛で無根拠な著名人“育児放棄”バッシングに耽るより、こうした建設的な政策実現をはかっていくべきだろう。 (伊勢崎馨)

広末涼子が「育児放棄バッシング」に大反論! 紗栄子、辻希美、スザンヌら芸能人ママ攻撃にひそむ歪んだ“母性神話”

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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「FRaU」(講談社)7月号
 女性誌「FRaU」(講談社)7月号の広末涼子ロングインタビューが大きな話題になっている。  それは、数々の奇行やスキャンダルが報じられてきた広末が、これまでのプライベートや過去に言及しているからだ。例えば2008年、23歳のときに「デキ婚」したことついて、広末は“確信犯”だったと告白している。 「ホントに、仕事を辞めたくて仕方がなかったです。もちろん結婚なんて許されていない時だったので、そこへの反発は大きかったし、正直、確信犯ですよね。出来ちゃった結婚だと言われたけど、そうじゃないと結婚なんて出来ない状況だった」  デキ婚は事務所からの“縛り”で結婚できなかったための強行突破──。しかし、その結婚もわずか5年で破局。理由は夫だったモデル・岡沢高宏の金銭問題や、また一部では岡沢と関東連合との繋がりも囁かれたが、この時期、広末は自殺さえ考えたことも仄めかしている。 「20代後半に、人生の中で最悪なことが訪れて――。自分の中では天地がひっくり返るくらいショックなことがあって、何を信じていいのか分からなくなってしまった──」 「いつも気が付いたら高いところに行っていて、誰か背中を押してくれないかな――っていう感じだったので」  そんななか、広末がこのインタビューで語気を荒げて主張していることがある。それは週刊誌などで報じられた“育児放棄”への反論だ。  広末は「私に関して世の中に出回っているものの全ては真実なわけではない」と前置きしたうえ、報道をこう否定している。 「育児放棄なんてありえないし、新宿二丁目に通っているとか、誰かのバイクの後ろに乗ってたとか──。その人が私にすごく似てたのか、単なる思い込みなのか、単純にそういう話にしたいだけなのか、いったいなんなんだろう?って」 「作品の打ち上げひとつとっても『夜遅くまでいらっしゃいましたね、お子さんはどうしてるんですか?』って言われる。それはおばあちゃまに来てもらうとかパパがおうちにいてくれるとか、あるでしょ!って(苦笑)。打ち上げに行ったからって飲み歩いてるってことなんですか? それはありがとうとかお疲れ様という気持ちがあってのこと。友達と飲むこともあるし、子供がいるので大体はうちになっちゃうんですけど、それがそんなに非難されること?っていうことだったり」  そして、子どもたちとの関係についてもこう明言していた。 「子供がコンビニで週刊誌を見た時にどう思うかは、考えなくはないです。でも、うちの子がそれを見て、例えば夜遊びだのと書かれていても、夜家にいることは彼らが一番知ってるし、背中を見てるから。そんな記事は信じないから大丈夫って私は思っています」  広末はよほど腹を立てていたのだろう。インタビューはこの育児放棄報道への反論にかなりの誌面が割かれていた。  しかし、広末が怒るのも当然で、実際、彼女はこれまで、理不尽とも思える育児放棄バッシングを受け続けてきた。  最初は05年、岡沢との間に生まれた長男が1歳になったころのことだ。「週刊現代」(講談社)05年5月7日・14日合併号で、広末が新宿・歌舞伎町のホストクラブで泥酔し、育児放棄をしているかのような記事が掲載された。  現夫のキャンドル・ジュンと再婚した後も、育児放棄説が度々話題になった。14年に、広末は「女性セブン」(小学館)3月13日号で俳優・佐藤健との岩盤浴デートが報じられたが、この際も「母親としての自覚がない」と批判が巻き起こり、その後も、街や飲み屋での目撃情報があるたびに、育児放棄を叩かれるという状況が続いた。  しかし、広末はホストクラブでの泥酔と育児放棄を書き立てた「週刊現代」の記事については、訴訟を起こして勝訴しているし、佐藤との岩盤浴についても、不倫関係の有無はともかく、当時、子どもは3歳になっており、家を空けたのはほんの数時間。育児放棄とはなんの関係もない。  にもかかわらず、広末がことあるごとに育児放棄を責め立てられてきたのは、あいかわらずこの社会が「育児は母親がひとりですべきもの」という間違った“母性神話”に支配されているからだろう。  だから、たまたま年に1回か2回、数時間、飲んでいる姿を目撃されただけで、「母親の自覚がない」と非難され、不倫密会スキャンダルが報じられた際も実際はまったく無関係な「育児放棄」と結びつけられてしまう。  実際、こうした育児放棄バッシングを浴びてきたママ芸能人は広末だけではない。  例えば前夫・ダルビッシュ有との間に2児をもうけて離婚した紗栄子も「頻繁に海外に行っている」「子育てを実家の母親に任せて飲み歩いている」などと育児放棄がさんざん噂されたひとりだ。  元モーニング娘。で3人の子をもつママとなった辻希美も、子どもの夜泣きが酷くて近所から児童相談所に通報されたことや、頻繁に更新するブログ内容が“育児放棄”として度々炎上している。  さらに、15年に離婚し実家のある熊本県を拠点に芸能活動をすると発表したスザンヌも、東京で仕事をしているというだけで、「実家の母や妹に育児を丸投げ」「実質的に1歳の息子と別居」などというバッシングを浴びた。他にも、窃盗事件で複数のベビーシッターを雇っていた神田うのや、木下優樹菜、小森純などにもこうした批判が向けられた。  ようするに、働く女性芸能人ママが“独り”で子育てすることなく、実家の母親やベビーシッターにそれを手伝ってもらったり、任せているだけで、“母親としてあるまじき”行為だという攻撃を受けているのだ。なかには「たくさんテレビに出ている」というだけで、「育児放棄」と決めつけているケースまであった。  だが、働く女性、特に時間も不規則な芸能人ママが1人で育児をすべて担うなんてことは現実的に考えて到底不可能だろう。当然、夫や肉親、ベビーシッターにそれを手伝ってもらうことになるが、それがどうして育児放棄などと的外れな批判をされなければいけないのか。  しかも、こうした批判は、なぜか母親に対してのみに向けられ、父親の芸能人に対してこうした声が出ることは皆無である。  結局、これらも前述した「育児は母親がすべき」という社会の価値観から出てきているのだ。  しかし、これらは一方的に刷り込まれた偏見にすぎない。例えばフランスを代表する歴史家のエリザベット・バダンテールは1980年に発表した『母性という神話』(ちくま学芸文庫)で、母性は18世紀ごろにつくられた神話であるとして、こう批判した。 〈女は母親という役割に閉じ込められ、もはや道徳的に非難されることを覚悟しなければ、そこから逃れることはできない〉 〈人はこの母親の任務の偉大さや高尚さをたたえる一方で、それを完璧にこなすことのできない女たちを非難した。責任と罪悪とは紙一重であり、子どもにどんなわずかな問題点があらわれても入れかわるものだった〉  だが、日本社会はこの「育児は母親がすべき」という母性神話の強制力がとてつもなく強く、いまでも「3歳までは母親が常に傍にいないといけない」「24時間密着していることが望ましい」などというまったく科学的根拠のない迷信が平気でまかり通っている。  それはやはり、政府が、長い間「子育ては母親が担うもの」として強制、刷り込みを行ってきたからだ。しかも、現在の安倍政権はその母親への育児押し付けを緩和させるどころか、さらにエスカレートさせる政策を次々と打ち出している。  そもそも少子高齢化が深刻化しつつあった小泉政権下の05年、「子育ては社会のもの」という概念が取り入れられたことがあった。この年の国民生活白書「子育て世代の意識と調査」にはこんな一文が記されている。 〈親世代だけでなく、同世代の友人、あるいは会社の同僚、近隣に住む人々など、社会全体で何らかの子育てに参加する、あるいはそれができる仕組みを構築していくことが望まれる。子育てが家族の責任だけで行われるのではなく、社会全体によって取り組む、『子育ての社会化』が重要〉  しかしこうした「子育ての社会化」理念に逆行し、ストップをかけたのが安倍政権だった。  例えば、「女性の活躍」「1億総活躍社会」を打ち出した安倍政権は「3年育休」なるものをもち出したこともあった。これは「子育ては母親が担うべきもの」「3歳まで母親と過ごすことが大切」とする3歳神話に基づいたものだ。  さらに、子育て支援の充実として、親・子・祖父母の3世代同居に対応するリフォームに所得税減税を打ち出したが、これにしても「子育ては母親や家族がする」というもので、「社会全体で子育て」という理念とは遠く離れたものだった。また、待機児童問題をクローズアップさせた「保育園落ちた日本死ね」問題でも、当初、安倍首相は「匿名である以上、実際起こっているか確認しようがない」などと嘯き、子育て世帯を支援する「子育て給付金」も廃止方針が決定している。  こうした閉塞した現状のはけ口が、噴出する有名芸能人ママに対する育児放棄批判であり、バッシングなのだろう。  しかし、いま、夫婦が子育てを等しく分担、共有し、家族だけでなく、国や自治体、社会全体がそれに協力していくことは世界的な流れであり、少子化を食い止める唯一の方策でもあると考えられている。 “母親への育児を押し付け”を続ける安倍政権に踊らされて不毛で無根拠な著名人“育児放棄”バッシングに耽るより、こうした建設的な政策実現をはかっていくべきだろう。 (伊勢崎馨)