TBSが「演出の一環」とごまかし謝罪も…『ピラミッド・ダービー』ヤラセは『ほこ×たて』と同一犯だった!

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TBS『ピラミッド・ダービー』番組ホームページより
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  6月19日に放送された『ピラミッド・ダービー』(TBS系)にて、収録していた内容が編集によって大きく改変され、放送された内容が事実とまったく違ったものになっていると出演者の顔相鑑定士・池袋絵意知氏が訴えていた問題。昨日5日、TBSは番組ホームページにて「行き過ぎた演出がありました」として、池袋氏と番組視聴者に謝罪した。 〈6月19日放送の「双子見極めダービー」の中で、出演者の方からご指摘頂いた収録の順番や、ルール変更の経緯は、演出の一環のつもりでしたが、事前に説明や了解を得ることなく画像を加工し、行き過ぎた編集がありました。池袋絵意知氏、および視聴者の皆さまに深くお詫びいたします〉  しかし、『ピラミッド・ダービー』で施された編集は「演出の一環」「行き過ぎた編集」などでは決してない。立派な「ヤラセ」「ねつ造」だ。さらに言えば、〈事前に説明や了解〉があれば、事実を編集で全面的に改ざんしてもいいなどという理屈もあり得ない。  今回、当サイトの取材に応じた池袋氏は事の経緯をこう語る。 「私が出演したのは、『双子見極めダービー』という瓜二つの双子を判別できるかを試すコーナーでした。この勝負は4回戦まであり、私も最後まで問題に参加したのですが、放送を見て愕然としました。私は3回戦で「脱落」ということになって、4回戦目はCGで消されていたのです。しかも、その「脱落」を示すシーンでは、私の画像にまるで遺影のような加工まで施されました。収録現場では「脱落」なんてルールはありません。これは収録後、編集の段階で勝手に付け加えられたルールです。編集での作り変えはこれだけではありません。3回戦と4回戦も順番が入れ替わってましたし、放送された内容は完全に事実がねじ曲げられてしまっているのです」  収録現場で起こったことを恣意的に操作し、事実を完全に作り変えてしまう。これは演出などではなく、れっきとしたねつ造であり、「ヤラセ」だ。  だが今回の一件でさらに興味深いのは、今回問題となった「ヤラセ」は、2013年にフジテレビで起こった「『ほこ×たて』ヤラセ事件」とまるで同じ構図だったということだ。  13年10月20日に放送された『ほこ×たて 2時間スペシャル!スナイパー軍団 VS ラジコン軍団』の「ヤラセ事件」はテレビ業界だけでなく社会問題化した「ヤラセ事件」だった。問題になったのはラジコンの車、ヘリコプター、ボートをスナイパーが狙い撃ちできるかを競う対決だったが、番組制作サイドは編集の段階で勝負の順番を入れ替えたうえ、現場ではアクシデントにより中止になっていたはずのラジコンカーとスナイパーの対決がスナイパーの勝利に改変、また撮影時と放映で公表されたルールがちがうものになっていたりと、演出の域をはるかに超えた偽造編集がなされていた。  この一件は出演者の1人、広坂正美氏がラジコンメーカー・ヨコモのホームページ内で告発したことで表面化したが、その直後にフジは『ほこ×たて』の打ち切りを決定、同局のニュース番組で謝罪を行い、また亀山千広社長も定例会見で謝罪、さらに関係役員や編成部長ら4人に減給処分を下している。またBPO(放送倫理・番組向上機構)の審議で「重大な放送倫理違反があった」と判断されたものだった。  番組打ち切りという処置が行われた『ほこ×たて』問題だったが、それから3年、「勝負の順番の入れ替え」「ルールの改竄」などまったく同じ手口の「ヤラセ事件」が起きたのだ。だが実はこれは単なる偶然などではない。というのも両番組の総合演出は同一人物によるものだったからだ。  番組クレジットを見ると、2つの番組は総合演出として同じ人物の名前が記されている。株式会社ZのI氏だ。番組制作会社の関係者はこう証言する。 「収録した素材の編集は総合演出が担当します。同じ人物が総合演出しているのですから、『ほこ×たて』と今回の『ピラミッド・ダービー』のヤラセが酷似しているのも当然でしょう」  つまり、ヤラセ前科を持つ人物が今度はTBSで同じ事件を起こしたということになる。当然TBS 側は今回も「ヤラセ」の偽造編集が起きる可能性を考慮し、収録現場と放送内容の乖離がないよう目を光らせるのが筋のはずだ。いや、そもそもそうした前科を持つ人間を総合演出として起用しているTBSの責任は重大だ。  しかし、現在のテレビ業界にはそうした常識さえないらしい。かつて問題を起こした人物を下請けとして雇い、しかも今回の問題でも局側がそれをかばうような態度もあったという。その背景にはテレビ業界の下請けや癒着問題が指摘されているが、そもそも視聴率のためなら「何でもあり」というテレビ業界全体の体質が露呈したものだといえよう。  池袋氏が今回告発した「ヤラセ事件」はおそらく氷山の一角だろう。今回の池袋氏や『ほこ×たて』の広坂正美氏といった告発者は比較的テレビ業界とのしがらみが少ない人物だ。しかし、これがもしプロダクションに所属する芸能人だとしたら、おそらく内々に処理するか泣き寝入りするしかないからだ。  今回の謝罪について池袋氏は「以前から番組制作スタッフに『まず、番組ホームページとSNS、および、次回の放送で謝罪文と訂正を出しください。話し合いはそれが終わってから』と提案してきました。ですから今回の謝罪でようやくスタートラインに立てたのかなと思っています」と一定の評価をしながらも、まだ終わったわけではないとしている。  確かにTBSは謝罪はしたものの「ヤラセ」「ねつ造」を認めることなく、「行き過ぎた演出」などという言葉で未だ問題を矮小化しようとている。そうした体質が改善されない限り、今後も同じような事態が繰り返されることは間違いないだろう。 (編集部)

『ジェイソン・ボーン』新ビジュアル&トレーラー、謎多きボーンの新事実を匂わせる内容に

【リアルサウンドより】  10月7日に公開される「ボーン」シリーズ最新作『ジェイソン・ボーン』より、新ビジュアルと30秒トレーラーが公開された。
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『ジェイソン・ボーン』新ビジュアル

 本作は、『キャプテン・フィリップス』のポール・グリーングラス監督が手がけたアクション映画。記憶を失い、愛する者を奪われた暗殺者ジェイソン・ボーンが、新たな謎を追う模様を描く。  過去の「ボーン」シリーズから引き続きマット・デイモンが主演を務めるほか、新たなキャストとして『リリーのすべて』で第88回アカデミー賞助演女優賞を受賞したアリシア・ヴィキャンデル、『メン・イン・ブラック』シリーズのトミー・リー・ジョーンズ、『ブラック・スワン』のヴァンサン・カッセルらが出演する。  このたび公開されたビジュアルは、“取り戻した記憶すべてが覆された時、新たな戦いが始まる”というコピーとともに、高層ビルの夜景を背景に、前を見据え銃を構えるボーンと、シリーズ初登場となるアリシア・ヴィキャンデルの姿が捉えられている。  一方の30秒トレーラーでは、前作『ボーン・アルティメイタム』(2007)で暗殺者となった自らの記憶を取り戻し、姿を消したボーンが、突如、表の世界に姿を現すシーンから始まる。ボーンが何かを解明しようと暗躍する姿や、前3作でも明かされなかった家族の謎が本作でキーとなっていることが伺える内容が収められている。なお、7月9日より、上映劇場(一部劇場を除く)にて通常前売鑑賞券(ムビチケ、紙)が各1,400円(税込)で発売開始される。

『ジェイソン・ボーン』30秒トレーラー

■公開情報 『ジェイソン・ボーン』 10月7日(金)全国ロードショー 監督:ポール・グリーングラス 脚本:ポール・グリーングラス、クリストファー・ラウズ キャラクター原案:ロバート・ラドラム 出演:マット・デイモン、ジュリア・スタイルズ、アリシア・ヴィキャンデル、ヴァンサン・カッセル、トミー・リー・ジョーンズ 配給:東宝東和 原題:「JASON BOURNE」 (c) Universal Pictures 公式サイト:http://bourne.jp/

ラップは「フリースタイル」だけじゃない! 貧困、薬物売買、少年院…ハードな現実を歌った日本語ラップの存在

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「ユリイカ」(青土社)2016年6月号
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  昨年9月から放送開始された深夜番組『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)を皮切りに「日本語ラップ」が再び注目を集めている。『フリースタイルダンジョン』がいま一気に人々の注目を集めたのは、なんといっても「言葉遊びの妙」にその理由があるだろう。トラックに合わせて変幻自在にフロー(節回し)を変えながら、韻を踏みつつ、なおかつ相手の言葉に返答していく。それらの作業をすべてアドリブでこなしていく様は、まるで言葉の魔法使いのようだ。最近では、これまで音楽に興味がなかったような中高生もゲーム感覚でフリースタイル遊びを学校でするようになっているとのことで、今後もこのブームは続いていくことだろう。  しかし、忘れてはならないのは、「ラップ」という表現形態の魅力は、そういった即興での言葉遊びだけにあるわけではないということだ。番組で審査委員を務めるいとうせいこうも「ユリイカ」(青土社)2016年6月号で、現在のラップブームについてこのように語っている。 「ただ、ラップブームというよりは、基本的にフリースタイルブームなんだよね。ヒップホップにおける、フリースタイルといういち要素のゲーム性みたいなもの、あるいは、喧嘩っぽさ? 今はまだそれが面白がられているという段階。この前の収録の時にZeebraが「こういうブームを通して、曲の方も聴いてもらえるような流れになって欲しい」と言っていたけど、僕も、フリースタイルだけではなく、決まった曲をやるライブの面白さみたいなものも分かってもらえれば嬉しいな、と思ってる」  ラッパーたちによる巧みなフリースタイルバトルはもちろん魅力的だが、あくまでそれはラップという表現がもついち要素に過ぎない。フリースタイルの言葉遊びゲームだけではなく、ラッパーたちが熟考に熟考を重ねひとつのアーティスティックな作品としてまとめあげた楽曲にも興味をもってもらうことができるか否かで、このラップブームが単なる一過性のもので終わるかどうかは大きく変わってくるだろう。では、「ゲーム」ではなく「曲」「作品」としてのラップではいったいどんな内容が歌われているのだろうか?  言葉数が多く多種多様なメッセージを込めやすいラップというアートフォームは、1970年代にニューヨークの貧民街で産声をあげたときから一貫して、それまでのポップミュージックではなかなか題材になりにくかったものも積極的に取り上げ続けてきた。黒人差別問題、まん延する違法薬物、意図しない10代での妊娠と人口中絶、HIVなどの性感染症の問題、ドラッグ取引、ギャングの抗争による発砲事件など、そのテーマは多岐に渡る。  パブリック・エネミーのチャック・Dによる「ラップミュージックは黒人社会におけるCNNである」という言葉は有名だが、このフレーズは、ラップという音楽は、レーガノミクスや都市再開発でどんどん苦境に追いやられていくスラム街の黒人たちが、自らの置かれている悲惨な状況を外に訴えるためのメディアとしての役割も果たしてきたということを示している。  我が国では「音楽に政治を持ち込むな」などというポップミュージックの歴史を何ら理解していない無知な言葉がはびこる昨今だが、こうした経緯から、ラップは生まれたときから、政治や社会状況への反発と密接な関係のある音楽だったと言える(とはいえ、言葉遊びをメインに据えた歌詞の楽曲や、ラブソング・パーティーソングも並行して多く歌われており、反体制的なコンシャスラップばかりではなかったということもまた認識しておく必要はある)。  そういったラップの側面は日本にヒップホップが根付くなかでもある程度は受け継がれた。メディアに煽動されて混乱する大衆を風刺したいとうせいこう「噂だけの世紀末」。午前0時以降のクラブ・ディスコ営業を禁止した当時の風営法を「ドアさえ閉めときゃバレないさ」と皮肉った近田春夫率いるPresident BPMによる「Hoo! Ei! Ho!」。チェルノブイリの事故を受けて反原発のメッセージを歌ったECD「ピコキュリー」。日本語ラップの黎明期から、ミュージシャンたちは政治や社会状況をラップのテーマとして積極的に取り入れ続けてきた。  ただ、日本にヒップホップが本格的に持ち込まれるようになった1980年代半ば以降といえば、日本はまさにバブル経済に突入しようとする浮かれた季節。しかも、黎明期にヒップホップを受容した層はインテリや富裕層であり(たとえば、いとうせいこうは早稲田大学卒の講談社の社員、近田春夫は幼稚舎から慶應という出自である)、ゲットーでの生きるか死ぬかの暮らしを歌った米国のヒップホップとはちがう位相をもっていた。  一例を挙げれば、ニューヨーク出身のグループ・エリックB&ラキムが1987年にリリースした「ペイド・イン・フル」では、犯罪行為をしないと生き抜くことすら困難な貧困で、いつ銃殺されてもおかしくない荒れた生活のなか、「9時5時の仕事を探しだし、真面目にやることができれば、これから先も生き続けることができるかもしれない」といった内容が歌われているが、日本のラッパーたちはそういった現実に生きておらず、当然のことながらそうした楽曲がつくりだされることもあまりなかった。  それが変化しだしたのは、日本の音楽シーンで本格的にラップミュージックが受け入れられだした90年代中盤のことだ。  といっても、その担い手となったライムスターにせよ、キングギドラにせよ、生育環境や学歴などは、上の世代とさほど変わらない。  実際、アメリカ産のヒップホップにも近いハードコア寄りのスタイルを確立し、現在の日本語ラップの礎を築いたと評価されているキングギドラにしても、活動当初はそのような硬派なスタイルではなかったという。それは、自分たちが生まれ育った環境が、アメリカのラッパーたちが置かれているものとは明らかに違うという認識があったからだ。キングギドラのメンバーであるZeebraもまた慶應幼稚舎出身という出自なのだが、彼はインタビューでスタイルが変化した経緯をこう語っている。 「はじめは自分の興味の対象がアメリカのヒップホップだったから、たとえば俺がアメリカにいってラッパーとして活動するとしたらどういうスタンスを取るかまず考えたんです。べつに今から向こうにいってギャングに入る気もないし、と思って、ファーサイドみたいにクリエイティブでちょっと悪くておもしろい感じがちょうどいいかなって思ってやりはじめた。でも日本でキングギドラというグループとして活動するようになって、まわりを見渡してみたらB-Boyスタンス的なところまでガチガチにやってるやつらがあまりいなくて、「日本のなかでは俺らって結構ハードだな」っていうふうに思った。この層に向けて日本語ラップするんだったら、もうちょっとそういうストリート的なスタンスでやってもいいんじゃないかなと思ったのが、『空からの力』みたいなシリアスな雰囲気になっていったっていう経緯ですかね」(前掲「ユリイカ」2016年6月号)  そして、2000年代に入り、いよいよアメリカのギャングスタラップ並みに暴力や犯罪にまみれた日常を歌う日本語ラップが登場し始める。それは、承知の通り、小泉政権以降、日本における格差が健在化し、そういった日常を生きざるを得なくなった若者たちが急激に増えてきたからだ。新自由主義の荒波が日本にも波及し、アメリカの下層階級で起きている悲劇がついに日本でも起き始めた。その状況に呼応し、皮肉にも日本語ラップの内容は、ついにアメリカのそれと同じになったのだ。  そういった流れのトップバッターのひとつとなったのが、漢 a.k.a. GAMIが所属しているMSCだ。新宿〜新大久保の界隈で育ったメンバーによって00年に結成されたこのグループは、歌詞のなかに「ケツ持ち・シャブ中・シャバ代・シノギ・アングラビジネス」など物騒な単語をふんだんに盛り込み、当時のシーンに衝撃を与えた。彼らのラップでは、これまで聴いてきたアメリカのギャングスタラップとまったく同じ世界観が歌われ、しかもそこに「つくりもの」めいたものが一切感じられなかった。  当時のリスナーたちが感じていた通り、それは実際にフィクションなどではなかった。「新宿 U.G.A. Remix 03'」のなかに〈イランの売人分散 態度がデケぇがケンカの発端 途端に襲撃 役割分担 闇の資金源 やば目の判断〉〈手にした道具は空のビール瓶 何も知らずに笑顔でやって来た イランの額目がけて タイミングよく振る渾身のフル・スイング〉という歌詞があるが、昨年出版された漢 a.k.a. GAMIの自伝『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社)にも書かれている通り、この歌詞は大麻の売人をやっていたイラン人と実際にあったケンカを元にしたもので、これは彼らがそういったことが日常茶飯事に起きる環境に生きていたということを端的に示している。  そして、MSCの登場以降、自分の置かれている厳しい環境を歌うラッパーが次々と登場する。その代表格が06年にアルバムデビューしたANARCHYだろう。いまでこそ成功してavex所属アーティストとなりEXILE TRIBE総出演のドラマ『HiGH&LOW』(日本テレビ)に出演したりとメジャーな活動が目立つが、デビュー当時の彼は京都の向島団地で生まれ、父子家庭で育った生育環境と周囲の環境がいかに荒れていたのかをラップの重要なテーマとしていた。 〈家のガス電気止まった中2、3 外は袋とバット持ったフーリガン 真面目君で生きる方が難しい ルールの中じゃ一生貧乏暮らし〉(「Composition Of Pain」)  彼の育った環境についてANARCHYは自叙伝のなかでこう語っている。 〈オレの住む市営住宅には、片親の友達がほんまに多かった。片親スタイルが向島団地のカラーやったし、オレの友達はみんな強かった。全員が何もめげとらんかったし、見返したる気持ちでいっぱいやった。だからオレも今までこうしてめげないでやってこられたんやと思う〉(『痛みの作文』/ポプラ社)  そんな環境で成長した彼は、その後、暴走族の総長となり決闘罪(彼が日本で3例目の適用であったという)で少年院行きとなってしまう。そのときのことを彼はこう歌う。 〈破るしかなかった法律と僕ら 兵庫の山奥で更正プログラム プライドもねじ曲げられた熱いハートで動くプロペラ 少年院で見るテレビにZEEBRA 消えかけたろうそくに火をつけた 教官にバレないように書くリリック 自分の胸に響く〉(「K.I.N.G.」)  過酷な生活環境に置かれた若者たちのなかには、自然な成り行きとして違法薬物売買の道を選ぶ者たちがいる。マリファナの闇取引などをテーマにしたラップのことを、ハスラーラップというが、日本におけるその代表的な人物がSEEDAだ。06年発表のアルバム『花と雨』は、かつて麻薬の売人をしていたときに自分や周囲の人物に起こったエピソードをふんだんに盛り込んだ私小説的な作品となっている。ちなみに、「ハスラー」というのは、麻薬の売人のことを指す英語のスラングである。 〈元手が無きゃマージンのはざまビビタル 映画より現実に学ぶdrug deal〉(「LIVE and LEARN」) 〈主犯の名前を言っても現行犯じゃなきゃ逮捕は無いと太鼓判押した先生めくるめくページ 2ヶ月たって降りるは無いだろ?〉〈地検に行く度道端をながめる 石ころにも自由がある娑婆 午後にはまたおりの中〉 『花と雨』という作品は、彼がプッシャー(麻薬密売人)として生きた時期への卒業文集のような意味合いをもつアルバムなのだが、SEEDAは雑誌のインタビューで『花と雨』についてこのように語っている。その言葉には、周囲に麻薬が転がっているような環境は、荒れた地域や環境に生きる若者にとって、もはや特別なものでも何でもないということが端的に表れている。 「こういう人間、ラッパーがいるってことを認知してもらいたかったぐらいですかね。都内だと、中学や高校で麻薬が入ってきてレイヴ行ったりクラブで遊ぶ子が多いと思うんですけど、そうやって知らず知らずのうちにネタを売るようになって、最終的にそれがよくないなって気付いて大人になっていく人がたくさんいると思う」(「blast」07年2月号/シンコーミュージック・エンタテインメント)  このような流れは2010年代になっても変わらない。新自由主義のなか見放された者たちは救済されることなく、今でも虐げられ続けているのだから当たり前だ。12年ごろから急速にリスナーの注目を浴びるようになったKOHHはその代表的な人物。下品な下ネタから「生と死」をめぐる抽象的なテーマなど、彼の歌詞の題材は多岐に渡るが、そのなかでも大きな位置を占めるのが、東京都北区王子の団地のなか、薬物の問題を抱える母親との母子家庭で生まれ育ったという出自をめぐる話だ。 〈皆よりも俺の家は汚くて狭い テレビとかで言ってる「お金よりも愛」 お金持ちにカップラーメンのうまさ分からない〉〈お金持ちの奴をいじめるお前うざいよ あんな親の子供ならこんな子でもしょうがない そんな事を言う馬鹿野郎大嫌い だれが何をどうしたってどうしようもない母子家庭 同情するなら金をくれ 嘘じゃない本気だって〉(ANARCHY feat. KOHH「MOON CHILD」) 〈ママに吸わされた初めてのマリファナ あの時驚いたけど笑う今なら 合法でも非合法でも俺の周りは薬物を使う人が多い それだけの話だ〉(「Drugs」)  今後も彼らのようなラッパーは続々と登場し続けるだろう。それは、先に挙げた「ラップミュージックは黒人社会におけるCNNである」の言葉通り、ラップとは身の回りの状況を生々しく描写するものだからだ。もちろん、ラップの魅力は多種多様なもので、言葉遊びものにも、ラブソングやパーティーラップにも名作はたくさんある。だが、『フリースタイルダンジョン』でラップの魅力に目覚めた人たちにも、ANARCHYやKOHHなど、凄惨な現実を自らの傷に塩を塗るかのように歌う人たちがいることをぜひ知ってほしい。 (新田 樹)

『ゴーストバスターズ』ポスター、イケメンには弱いけどゴーストには強い女子たちの姿が

【リアルサウンドより】  8月19日に公開される『ゴーストバスターズ』より、本ポスタービジュアルが公開された。
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『ゴーストバスターズ』本ポスタービジュアル

 本作は、1984年に公開されたSFコメディ『ゴーストバスターズ』のリブート作品。ビア大学の素粒子物理学博士エリン・ギルバートが、心霊現象を科学的に証明する研究を重ねていたが大学をクビになったため、“幽霊退治”を行う会社“ゴーストバスターズ”を起業する模様を描く。  このたび公開されたポスターには、“この夏、バスター開始!”とのコピーとともに、プロトンパック(ゴースト捕獲装置)を背負い、睨みを利かせる女子バスターズたちの姿が捉えられている。  お仕事アイテムのプロトンパックは実際に14キロの重さがある金属製で、彼女たちはそれを背負いながらアクションシーンをこなした。エリンを演じたクリステン・ウィグは「メタルで出来ていて、四角くて、尖っていて…近づくだけでも手が切れたり、とにかく毎日たくさん切り傷を作ったわ!」と語り、超常現象研究家アビーを演じたメリッサ・マッカーシーは「(プロトンパックは)体感的には32キロはあったわ」とコメントした。本来は撮影用の軽いプロトンパックも作れたのだが、4人が共通して「軽いものを背負っているように見えるのはイヤ。だったら実際に重いプロトンパックを背負いたい。リアルに四苦八苦するゴーストバスターズを見せたい」という考えだったため、実際の重さで製作されたとのこと。 ■公開情報 『ゴーストバスターズ』 8月11日(木・祝)~14日(日)先行公開、8月19日(金)全国公開 監督:ポール・フェイグ 製作:アイヴァン・ライトマン 出演:クリステン・ウィグ、メリッサ・マッカーシー、ケイト・マッキノン、レスリー・ジョーンズ、クリス・ヘムズワース 配給・宣伝:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 公式サイト:http://www.ghostbusters.jp/

森喜朗が"独唱"を"斉唱"と取り違え五輪代表に「国歌を歌え」! でも政権とネトウヨに怯えるマスコミは一切批判せず

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ニコニコ動画「森喜朗チャンネル」より
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  また、森喜朗元首相のトンデモ発言が物議をかもしている。昨日3日に行われたリオデジャネイロ五輪代表選手団の壮行会で、「先ほど国歌の斉唱があった。どうしてみんなそろって国歌を歌わないんだ」「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」と選手たちに説教をぶちかましたのだ。  “サメの脳みそ”の森元首相のトンデモ発言に、ネトウヨたちは「正論」「よく言ってくれた」などと賛辞をおくり、「歌わないヤツは非国民」「税金使ってるんだから、歌って当然」「国歌も歌えないやつは、日本人やめろ!」「お隣の国の血が入ってる人がいるんじゃないか」などと選手たちをバッシングしている。  国歌を歌うことを強制するという戦前思考にはほとほとウンザリさせられるが、この一件は国歌を歌うべきかどうかという議論以前の問題。まさに元首相とネトウヨたちのおバカぶりを露呈させることになった。  実はこのとき、会のプログラムにも会場のモニターにも「国歌独唱」と表示されていた。みんなで声をそろえて歌う「斉唱」でなく、自衛隊の音楽隊に所属する女性歌手による「独唱」だったのだ。 「独唱」であれば、どこの国でも歌わずに静かに聴いているのがふつう。一緒に大声を出して歌うほうが変わり者だ。選手たちが歌わなかったとしても、当然だろう。  そもそも五輪に出場する選手を自分の手駒のようにエラそうに説教して、選手たちを励ます壮行会という場で逆にシュンとさせてしまうという勘違いぶりも甚だしいが、当の自分が独唱と斉唱の区別も付いていないという、いかにも“サメの脳みそ”の森元首相らしいお恥ずかしい顛末だったのだ。  ところがなぜか、この一件をほとんどのマスコミは扱わなかった。朝日新聞が第一報を打ちYahoo!トピックスにもなったが、4日深夜までのテレビは壮行会が行われたことは報じるものの、君が代の一件には一切触れていない。産経にいたっては、森元首相の説教を記事にしながら、独唱だった件は完全にネグっている。  さらに不可解だったのが、スポーツ報知だ。3日20時すぎに「森喜朗会長、国歌「斉唱」と「独唱」を勘違い? 選手に強い口調で苦言」というタイトルの記事を打ったのだが、ほどなく削除。まったく違うタイトルの記事に差し替えた。内容も一部修正している。  報知といえば読売グループのスポーツ紙だが、本サイトでも繰り返し指摘しているように、最近の読売は、官邸の顔色を忖度する体質が蔓延している。今回の記事タイトル差し替えも、政権や日本オリンピック委員会からの抗議、あるいはネトウヨの“電凸”を受けてのものという可能性もあるが、いずれにしても過剰な自主規制であることは間違いない。  過剰な自主規制という意味では、実は第一報を報じた朝日も、同じ。事実関係として斉唱でなく独唱だったことは書いているものの、森の間違いとは指摘していない。完全に腰が引けているのだ。  いったい、メディアのこの及び腰はどういうことなのか。今回の出来事は、裏の取りきれないスキャンダルでも、政権の政策を真っ向から批判するようなものでもない、たかだか失言癖のあるトンデモ元首相の勘違い発言に、何をビビっているのか。  おそらくは、「愛国心」「日の丸」「君が代」というワードの前に、思考停止してしまっているのではないか。権力者側が明らかな勘違いをしているにもかかわらず、政権やネトウヨに「反日」「非国民」と抗議されることを怖れて勘違いの事実さえも報道しない。  問題は、スポーツの場に愛国心をもち込むべきか否か、国歌を強制すべきか否か、というレベルのことではない。それ以前の問題だ。  これでは「反日」「非国民」という言葉の前にメディアが思考停止し、軍部の暴走を許した、戦中のような状況と変わらない。大袈裟な話ではなく、メディアの萎縮が相当ヤバいところまで来ている。 (エンジョウトオル)

来場者殺到で見本市中止「アダルトVR」の斬新すぎる技術とは? オナホやチクニー用パッドとの同期で本物に近い体験も

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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アダルトVRフェスタ公式ページより
「VR(バーチャルリアリティ)元年」と呼ばれて久しい今年2016年。10月に予定されているPlayStation VRの発売までも残り数カ月となり、VRが本格的に我々の生活に入り込んでくる日もいよいよ近づいてきた。それにともない、メディアでも取り上げられる機会が激増。5月31日放送『クローズアップ現代+』(NHK)をはじめ、多くのメディアで特集されるようになっている。  そんなVR熱の高まりを受けてか、あるVR製品の見本市が、来場客を集め過ぎてしまったがために中止に追いこまれるという騒ぎまで起きた。  その見本市とは、6月12日に開催された「アダルトVRフェスタ」。タイトル通り、18禁のアダルトVR製品に特化した見本市である。秋葉原で行われたこのイベントには、一般来場者入場時間の14時の時点で会場前の歩行者天国が歩行困難になるほど人が押し寄せてしまい、15時前にはイベントの中止を余儀なくされてしまった。主催者は今回の反省を踏まえ、8月にもっと大きい会場でもう一度「アダルトVRフェスタ」開催し直す予定だと発表している。  VHSをお茶の間に普及させた大きな要因は、当時のアダルトビデオの人気にあったわけだが、それと同じように、注目度は高いもののまだまだ認知されていないVR技術が一般家庭に広がるのには、アダルト方面でのVR技術の発達が欠かせないといわれている。  ヘッドマウントディスプレイを装着し、専用の動画を流すと、その動画内で起きていることがまるで現実に起きているかのように錯覚してしまう──VRの技術の肝はここにあるわけだが、アダルト系のVRコンテンツにおいて、より期待されているのが「VR+1D」という技術だ。 「1D」とは、ビデオの映像に様々な周辺機器を連動させるシステムのこと。この技術を用いると、映画やゲームのアクションシーンに合わせてソファなどを動かし、より臨場感を増した映像体験ができるようになる。映画館で導入されている「4D」のようなものだと言えば分かりやすいだろうか。  これを、主観もののAVやエロゲーのVR映像と同期させれば、映像に出演している相手と本当にイチャついているような錯覚を味わうことができる。具体的には、映像の動きに合わせてオナホールが動いて疑似フェラや疑似手コキを楽しむなどの応用が考えられる。そういった技術はすでに実現段階にまで来ており、「アダルトVRフェスタ」でも、映像連動型のオナホール「MAIKO-DOS」「A10 CYCLONE SA」といったものが出展されていた。また、胸に貼り付けると動画に連動してバイブレーターが乳首を責めてくれる、チクニー用のパッド「U.F.O. SA」といった変わり種まである。  そんななかでも、ひと際注目を集めていたのが、「なないちゃんとあそぼ」というゲームだ。「なないちゃんとあそぼ」は空気で膨らませた人型のバルーンにスマートフォンをくくりつけ、その風船を性行為のようにピストンして遊ぶ。ヘッドマウントディスプレイには全裸になった美少女ゲームのキャラクターが映し出されているのだが、バルーンにくくりつけたスマートフォンがセンサーの役割を果たしており、風船の体位を変えればそれに合わせて映像内のキャラの体位が変わったり、ピストンに合わせておっぱいが揺れたりと、かなり高次元で疑似セックス体験を可能にしているという。  しかし、ここまで没入感が強く、リアルなセックスを疑似体験できるコンテンツが普及してしまったら、ただでさえ少子化・若者のセックス離れが叫ばれる最中、さらにその傾向が進行してしまうのではないだろうか? 「SPA!」2016年6月28日・7月5日号(扶桑社)で、セクシュアリティ・ジェンダーの問題に詳しい、京都教育大学の関口久志教授はこう警鐘を鳴らしている。 「障害や医療、介護の面でロボットが登場するのは望ましいこと。ただ、人間の性欲を満たすことを手助けするために、過度にテクノロジーが採用されるのは危険ではないでしょうか」 「日本性教育協会の統計を見ると、今の若者のデート率やセックス率は下降傾向にある。男性を中心に“性の不活性化”が起こっているんです。その背景には、経済的な格差が密接に関係していると分析されていますが、もし安価かつ手軽に、また刺激的に性を満たせるテクノロジーが普及すれば、ますます対人間コミュニケーションが減ってしまいます」  当のアダルトVR製作の担い手たちも、もちろん関口教授が危惧しているような状況は認識している。いや、むしろ、だからこそVR技術の開発に力を入れているのだ。日本アダルトVR推進機構の吉田健人氏は、ウェブサイト『電ファミニコゲーマー』のインタビューでこのように語っている。彼らが目指しているのは、まさに生身の人間とのセックスを「オワコン」化させることなのである。 「真面目な話をすると、世の中は異性とのやりとりやデートへの誘いなど、性交に対するコストが高いと思うんです」 「いまの段階では没入感が軸になっていますが、今後アダルトVRの研究が進めば、インタラクティブに映像とコミュニケーションが取れるようになっていくと思います。  そうなると現実の代わりができるようになると思っているんです」 「近いうちに、性行為は完全にバーチャルでするものとなり、概念も変わっていっていると思いますね。  むしろ変えていくことを活動目標としていますので、期待していてほしいです」  ただ、このインタビューのなかで吉田氏も「デバイスやコンテンツが出揃っていません」と語っているのだが、現状ではアダルトVRの開発は進んでいるとは言い難い面がある。 「週刊プレイボーイ」(集英社)16年7月4日号で、VRゴーグルの開発も手がける家電メーカーの社員は、アダルトVRコンテンツの前に立ちふさがる障壁をこのように語っている。 「現在、VR関連に最も力を入れているのはGoogle、Facebookなどエロご法度のグローバル企業です。なのでアダルトとの連携はありえません。だからこそ、DMMのような体力がありアダルトにも強い企業に頑張ってもらいたいですね」  前述「なないちゃんとあそぼ」も、「アダルトVRフェスタ」以前にVR関係の見本市に出展していたときは、空気人形をピストンするとビームが撃てるシューティングゲームという形に偽装していたそうだが、それでも多方面から強い批判を浴びたという。  そんな事情もあり、アダルト系VRコンテンツ開発には大きい障壁があるのだが、それでもDMMはすでにアダルトVR動画の配信をスタート済み。今後も、各メーカーと連携して作品を増やしていく予定だという。  日本国内における「おとなのおもちゃ」メーカーといえば、まずはTENGAが思い浮かぶが、もちろんTENGAもこういった最新技術の導入に向けた開発は行っているものの、その商品化ということを考えると、なかなか艱難辛苦があるようだ。株式会社TENGA取締役、広報宣伝担当の松浦隆氏はこう語っている。 「新しい技術が出てくると、どう商品に絡めるかという部分ばかりが強調されます。ただ、本当に重要なのは、新技術が導入された製品をユーザーが満足し、認めてくれるかどうか。また、価格の問題もあります。今、巷で騒がれている商品が、ユーザーに認められるレベルで実現するには、まだまだ時間と研究が必要になるのでは」(前述「SPA!」)  今日明日ですぐにアダルトVRが我々の日常に溶け込むということはなかなか難しそうだが、アダルトVRが一般化されれば、我々の性意識は根本から覆されてしまう、ということは間違いなさそうだ。 (田中 教)

来場者殺到で見本市中止「アダルトVR」の斬新すぎる技術とは? オナホやチクニー用パッドとの同期で本物に近い体験も

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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アダルトVRフェスタ公式ページより
「VR(バーチャルリアリティ)元年」と呼ばれて久しい今年2016年。10月に予定されているPlayStation VRの発売までも残り数カ月となり、VRが本格的に我々の生活に入り込んでくる日もいよいよ近づいてきた。それにともない、メディアでも取り上げられる機会が激増。5月31日放送『クローズアップ現代+』(NHK)をはじめ、多くのメディアで特集されるようになっている。  そんなVR熱の高まりを受けてか、あるVR製品の見本市が、来場客を集め過ぎてしまったがために中止に追いこまれるという騒ぎまで起きた。  その見本市とは、6月12日に開催された「アダルトVRフェスタ」。タイトル通り、18禁のアダルトVR製品に特化した見本市である。秋葉原で行われたこのイベントには、一般来場者入場時間の14時の時点で会場前の歩行者天国が歩行困難になるほど人が押し寄せてしまい、15時前にはイベントの中止を余儀なくされてしまった。主催者は今回の反省を踏まえ、8月にもっと大きい会場でもう一度「アダルトVRフェスタ」開催し直す予定だと発表している。  VHSをお茶の間に普及させた大きな要因は、当時のアダルトビデオの人気にあったわけだが、それと同じように、注目度は高いもののまだまだ認知されていないVR技術が一般家庭に広がるのには、アダルト方面でのVR技術の発達が欠かせないといわれている。  ヘッドマウントディスプレイを装着し、専用の動画を流すと、その動画内で起きていることがまるで現実に起きているかのように錯覚してしまう──VRの技術の肝はここにあるわけだが、アダルト系のVRコンテンツにおいて、より期待されているのが「VR+1D」という技術だ。 「1D」とは、ビデオの映像に様々な周辺機器を連動させるシステムのこと。この技術を用いると、映画やゲームのアクションシーンに合わせてソファなどを動かし、より臨場感を増した映像体験ができるようになる。映画館で導入されている「4D」のようなものだと言えば分かりやすいだろうか。  これを、主観もののAVやエロゲーのVR映像と同期させれば、映像に出演している相手と本当にイチャついているような錯覚を味わうことができる。具体的には、映像の動きに合わせてオナホールが動いて疑似フェラや疑似手コキを楽しむなどの応用が考えられる。そういった技術はすでに実現段階にまで来ており、「アダルトVRフェスタ」でも、映像連動型のオナホール「MAIKO-DOS」「A10 CYCLONE SA」といったものが出展されていた。また、胸に貼り付けると動画に連動してバイブレーターが乳首を責めてくれる、チクニー用のパッド「U.F.O. SA」といった変わり種まである。  そんななかでも、ひと際注目を集めていたのが、「なないちゃんとあそぼ」というゲームだ。「なないちゃんとあそぼ」は空気で膨らませた人型のバルーンにスマートフォンをくくりつけ、その風船を性行為のようにピストンして遊ぶ。ヘッドマウントディスプレイには全裸になった美少女ゲームのキャラクターが映し出されているのだが、バルーンにくくりつけたスマートフォンがセンサーの役割を果たしており、風船の体位を変えればそれに合わせて映像内のキャラの体位が変わったり、ピストンに合わせておっぱいが揺れたりと、かなり高次元で疑似セックス体験を可能にしているという。  しかし、ここまで没入感が強く、リアルなセックスを疑似体験できるコンテンツが普及してしまったら、ただでさえ少子化・若者のセックス離れが叫ばれる最中、さらにその傾向が進行してしまうのではないだろうか? 「SPA!」2016年6月28日・7月5日号(扶桑社)で、セクシュアリティ・ジェンダーの問題に詳しい、京都教育大学の関口久志教授はこう警鐘を鳴らしている。 「障害や医療、介護の面でロボットが登場するのは望ましいこと。ただ、人間の性欲を満たすことを手助けするために、過度にテクノロジーが採用されるのは危険ではないでしょうか」 「日本性教育協会の統計を見ると、今の若者のデート率やセックス率は下降傾向にある。男性を中心に“性の不活性化”が起こっているんです。その背景には、経済的な格差が密接に関係していると分析されていますが、もし安価かつ手軽に、また刺激的に性を満たせるテクノロジーが普及すれば、ますます対人間コミュニケーションが減ってしまいます」  当のアダルトVR製作の担い手たちも、もちろん関口教授が危惧しているような状況は認識している。いや、むしろ、だからこそVR技術の開発に力を入れているのだ。日本アダルトVR推進機構の吉田健人氏は、ウェブサイト『電ファミニコゲーマー』のインタビューでこのように語っている。彼らが目指しているのは、まさに生身の人間とのセックスを「オワコン」化させることなのである。 「真面目な話をすると、世の中は異性とのやりとりやデートへの誘いなど、性交に対するコストが高いと思うんです」 「いまの段階では没入感が軸になっていますが、今後アダルトVRの研究が進めば、インタラクティブに映像とコミュニケーションが取れるようになっていくと思います。  そうなると現実の代わりができるようになると思っているんです」 「近いうちに、性行為は完全にバーチャルでするものとなり、概念も変わっていっていると思いますね。  むしろ変えていくことを活動目標としていますので、期待していてほしいです」  ただ、このインタビューのなかで吉田氏も「デバイスやコンテンツが出揃っていません」と語っているのだが、現状ではアダルトVRの開発は進んでいるとは言い難い面がある。 「週刊プレイボーイ」(集英社)16年7月4日号で、VRゴーグルの開発も手がける家電メーカーの社員は、アダルトVRコンテンツの前に立ちふさがる障壁をこのように語っている。 「現在、VR関連に最も力を入れているのはGoogle、Facebookなどエロご法度のグローバル企業です。なのでアダルトとの連携はありえません。だからこそ、DMMのような体力がありアダルトにも強い企業に頑張ってもらいたいですね」  前述「なないちゃんとあそぼ」も、「アダルトVRフェスタ」以前にVR関係の見本市に出展していたときは、空気人形をピストンするとビームが撃てるシューティングゲームという形に偽装していたそうだが、それでも多方面から強い批判を浴びたという。  そんな事情もあり、アダルト系VRコンテンツ開発には大きい障壁があるのだが、それでもDMMはすでにアダルトVR動画の配信をスタート済み。今後も、各メーカーと連携して作品を増やしていく予定だという。  日本国内における「おとなのおもちゃ」メーカーといえば、まずはTENGAが思い浮かぶが、もちろんTENGAもこういった最新技術の導入に向けた開発は行っているものの、その商品化ということを考えると、なかなか艱難辛苦があるようだ。株式会社TENGA取締役、広報宣伝担当の松浦隆氏はこう語っている。 「新しい技術が出てくると、どう商品に絡めるかという部分ばかりが強調されます。ただ、本当に重要なのは、新技術が導入された製品をユーザーが満足し、認めてくれるかどうか。また、価格の問題もあります。今、巷で騒がれている商品が、ユーザーに認められるレベルで実現するには、まだまだ時間と研究が必要になるのでは」(前述「SPA!」)  今日明日ですぐにアダルトVRが我々の日常に溶け込むということはなかなか難しそうだが、アダルトVRが一般化されれば、我々の性意識は根本から覆されてしまう、ということは間違いなさそうだ。 (田中 教)

Netflix『デスノート』撮影開始 A・ウィンガード「全世界に届けられることを楽しみにしています」

【リアルサウンドより】  オンラインストリーミングサービスを提供するNetflixが、オリジナル映画『デスノート』のクラインクインを、現地時間6月30日に開始したことを発表した。  大場つぐみと小畑健による原作コミックは、ある男子高校生が、“このノートに名前を書かれた人間は死ぬ”と書かれた1冊の“デスノート”を手に入れたことから、そのノートを利用して生きる価値がないと思う人間たちを殺していく模様を描く。Netflixオリジナル映画『デスノート』は、『ザ・ゲスト』『サプライズ』のアダム・ウィンガード監督がメガホンを取り、カナダとアメリカで撮影が行われる。  『きっと、星のせいじゃない。』のナット・ウルフがライト・ターナー役、『LEFTOVERS/残された世界』のマーガレット・クアリーがミサに当たるミア・サットン役、『ストレイト・アウタ・コンプトン』のキース・スタンフィールドがL役、『グレート・レイド 史上最大の作戦』のポール・ナカウチがワタリ役、『ボードウォーク・エンパイア 欲望の街』のシェー・ウィガムが総一郎に当たるジェイムズ・ターナー役をそれぞれ演じる。  プロデューサーには、『ラン・オールナイト』のロイ・リー、『シャーロック・ホームズ』のダン・リン、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のジェイソン・ホッフスに加え、『HEROES/ヒーローズ』のヒロ・ナカムラ役で知られるマシ・オカが名を連ねている。  メガホンを取ったウィンガード監督は、「今回、このような素晴らしい俳優陣と組むことができて光栄に思います。原作者である大場つぐみさんと小畑健さんのオリジナリティあふれるストーリーを、全世界に届けられることを楽しみにしています」と、完成への期待を語った。  また、プロデューサーのロイ・リーとダン・リンも、「私たちは『デスノート』の原作漫画ファンのために、この魅力的なストーリーをぜひ映画にしたい、そしてこのダークでミステリアスな傑作を世界に紹介したい、そう願い続けてきました。今回、多様性に富んだ才能あるキャスト、脚本、製作チームが集結したことで、我々が目指すストーリーコンセプト、すなわち“正義とは何か”という全世界共通のテーマを、忠実に描くことができると考えています」と、自信を覗かせたコメントを寄せている。  なお、Netflixオリジナル映画『デスノート』は、2017年にNetflixにて全世界ストリーミングが開始される。 ■配信情報 Netflixオリジナル映画『デスノート』 2017年、Netflixにて全世界ストリーミング開始 監督:アダム・ウィンガード 製作総指揮:ミリ・ユーン、ジョナサン・イーリッチ、ジョン・パワーズ・ミドルトン、ブレンダン・ファーガソン 製作:ロイ・リー 、ダン・リン、ジェイソン・ホッフス、マシ・オカ 出演:ナット・ウルフ、マーガレット・クアリー、キース・スタンフィールド、ポール・ナカウチ、シェー・ウィガム

高島礼子の会見に「妻が謝罪する必要があるのか」の議論が…坂上忍、東国原英夫らは「謝罪は当然」の主張

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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太田プロダクションホームページより
 元俳優の高知東生の覚せい剤逮捕を受け、6月30日に会見を開き「本当にすみませんでした」と謝罪した妻で女優の高島礼子。だが、この会見をめぐって、 ちょっとした議論が巻き起こっている。それは“夫の犯罪に妻が謝罪する必要があるのか”という問題だ。  7月1日放映の『バイキング』(フジテレビ)でも配偶者の責任、謝罪会見の是非が俎上にのぼった。ジャーナリストの江川紹子がゲストとして登場し、謝罪会見にこんな問題提起を行ったのだ。 「彼女は被害者じゃないですか、どっちかっていうと。家族がこういう風になって混乱してるところに、引っ張り出されていろいろ問われるということ自体が、見ていて気の毒でしょうがない」 「こんな公開の場で言わなきゃいけないような、そういうのを言わないと自分の立つ瀬がないような雰囲気、空気っていうのが、イヤだなと思うんです。犯罪を犯したひとの家族ってそうでなくても苦しんでる人が多いんですね。今回の場合は被害者がいないので、その分ちょっとちがうかもしれないですけど、家族が犯罪を犯したことで白い目で見られたり、仕事に支障をきたしたり、そういうことが、わたしは絶対おかしいと思うんですよね」  ところが、これに対しスタジオのほとんどが江川に反発の声を上げた。その筆頭が梅沢富美男。梅沢は、高島夫妻が芸能人なんだから謝るのは当然だとしてこう声を荒らげた。 「芸能人っていうのはそういうもんなんだよ! だから、重いって言ってんの!(覚せい剤を)やめりゃいいって、更正できるだろうなんてそんな甘いもんじゃない! 一般人だって、薬やったら会社クビだよ」 「俺だって、もしも俺の女房が覚せい剤で捕まったとするよ、そしたら、俺だって、(会見)やんなきゃいけない、しゃべんなきゃいけない」  司会の坂上忍も同様に「自分が同じ立場になったとき、やっぱり責任ゼロはないんだなって思う。梅沢さんもおっしゃってるように、やっぱり芸能人イコール公人、準公人だから、ゼロとは言えない」と妻は謝罪をすべきだと主張。  さらに、東国原英夫にいたっては、妻の謝罪が日本の伝統だという珍理論を展開した。 「それは日本のいい慣習。ケースはちがうけど、乙武さんが不祥事起こしたときに、奥さんが『私にも責任があった』と、そのとき僕は、この奥さん立派だなあと思ったんですね。伝統的ないい面での慣習だと僕は思う」  唯一、江川に賛同したのはパネラーでは渡辺えり。渡辺は「別人格だって思わないと、殺人犯の奥さんもおわびしなくちゃいけない、みたいなそういう感じになっちゃう」「旦那さんが15歳だったら責任あると思う。けど、51歳でしょ。だったら、自分で責任とって」と語ったが、しかし、それも坂上や土田から「では旦那さんに何かあっても謝らないのか」などと猛反発された。  こうしたスタジオの空気に対し、江川はこう反論している。 「芸能人の行動は、報道されたり注目されたりするわけですから。それが当たり前みたいな、スタンダードになってしまう可能性がある。わたしは、それがすごく気になる。芸能人がこういうことしたからっていうんじゃなくて、連帯責任を求めるような社会の風潮がちがうんじゃないかと」  だが、こうした江川の主張はまったく相手にされず、番組は完全に「妻も謝罪すべき」という結論のまま、終わってしまった。  しかし、高島礼子は本当に梅沢や坂上、東国原の言うように謝罪しなければならないのか。たしかに、高島夫妻は揃って芸能界で活動するカップルだった。しかもおしどり夫婦としてこれまで多くのメディアに登場し、夫婦でドラマ共演を果たすなどある意味プライバシーを売りにしてきた芸能カップルでもある。  しかしそれでも夫が犯罪を犯したからといって芸能人妻が公開謝罪するのが“美徳”だなんていう論理はちゃんちゃらおかしい。覚せい剤で逮捕されたのはあくまで高島の夫であり、高島ではない。家族が犯罪を犯せば連帯責任を負わされ、公開謝罪させられ、仕事さえ奪われるというのはまるで封建社会ではないか。  しかも、一番懸念されるのは、江川も主張していたように、芸能人たちが家族の犯罪や不祥事に対して謝罪を繰り返せば、“家族の連帯責任”なるものが一般化されスタンダードになり、芸能人だけではなく一般市民にまで波及する危険性があることだ。  いや実際、“家族に対する連帯責任主義“は既に現実となって現れている。その最たる例が2004年に起きたイラク人質事件と14年から15年にかけてのイスラム国人質殺害事件だろう。  この際人質になったジャーナリストやボランティアなどの人質家族に対し、日本国中が「迷惑をかけたことをあやまれ」などと謝罪要求やバッシングまで巻き起こっている。彼らは人質になった被害者であり犯罪者でもなんでもないにもかかわらず、だ。  また乙武洋匡の不倫騒動の際も妻の謝罪が“美談”として大きく賛美されたのもそうした風潮、認識からだった。  こうした背景には芸能マスコミによる“弱者の生け贄”を求める傾向だけでなく、過剰な家族・夫婦に対しての道徳主義が存在する。  そもそも夫婦関係は性と生殖を国家が管理しするために作りだされたシステムにすぎない。しかもこの“家族”とやらをことさら強調しているのが他ならぬ安倍政権だ。自民党による憲法改正草案24条には“家族”を強調するこんな追加条項がある。 「家族は、社会の自然かつ基本的な単位として、尊重される。家族は、お互いに助け合わなければならない」  憲法にわざわざ“お互い助け合う”などと義務として明記しているのは、本来、国が担うべき社会保障を家族に押しつけるのと同時に、家族に連帯責任を負わせることで、個人の自由を奪おうとするものだ。当然、その先には安倍政権が狙う戦前回帰、家族を戦争協力の基本単位として再構築するという目的がある。  こうした政府の姿勢に、ベッキー騒動でも明らかになったような道徳ファシズムが加わり、今、犯罪や不祥事が起きたら、家族に対して「謝罪せよ」と声高に叫ぶ風潮がどんどんエスカレートしているのだ。今回、高知が義父の介護をしていないことも批判材料とされているが、これにしても「介護は家族がするべき」という規範意識がベースになっている。  今回、テレビ各局は高島の謝罪会見をトップ扱いで長時間にわたり取り上げた。さらに辛辣なはずのコメンテーターたちも高島が謝罪したことやその態度を手放しで絶讃している。  もともと連帯責任、家族の責任論が好きな日本社会とメディアだが、その傾向は恐ろしいほどに加速している。 (伊勢崎馨)

『太陽の蓋』モントリオール世界映画祭正式出品へ 北村有起哉「非常に嬉しく光栄に思ってます」

【リアルサウンドより】  7月16日より公開される北村有起哉主演映画『太陽の蓋』が、第40回モントリオール世界映画祭「Focus On World Cinema」部門に正式出品されることが決定した。  本作は、東日本大震災〜福島原発事故が起きた3月11日から激動の5日間を描いたジャーナリスティック・エンターテインメント。原発事故の真相を追う新聞記者や当時菅直人政権であった官邸内ともに、東京や福島で暮らす市井の人々の姿を対比させて描き出す。ドラマ『マジすか学園』(テレビ東京系)、映画『JUNK STORY』の佐藤太監督がメガホンを取り、キャストには、主演の北村をはじめ、袴田吉彦、中村ゆり、郭智博、大西信満、神尾佑、青山草太、菅原大吉、三田村邦彦らが名を連ねる。  モントリオール世界映画祭はカナダ最古の国際映画祭のひとつで、トロント国際映画祭と並ぶ北米最大規模の映画祭。出品が決まった「Focus on World Cinema」部門は、世界の注目すべき映画に焦点を絞った部門だ。出品が決まった理由については、日本国内でタブーとされている問題に真っ向から取り組んだこと、偏ったメッセージを押し出すような作品ではなく質の高いことが評価されたことと、現地メディアは伝えている。佐藤監督と主演の北村からはコメントが寄せられている。  なお、第40回モントリオール世界映画祭は、8月25日から9月5日にかけて、カナダ・ケベック州モントリールにて開催される。

佐藤太監督 コメント

3・11東日本大震災における原発事故によって起きた“あの時”をあえて俯瞰しながら撮らせてもらいました。日本人はもちろん、海外の方々がこの映画を観た時、どのような印象を受けるのかと 撮影中から今に至るまで考え続けています。権威あるモントリオール世界映画祭で上映されることにより『太陽の蓋』が少しでも多くの方へ届く事を切望しています。

北村有起哉 コメント

原発の問題や関心を抱えている国はもちろん世界中にあります。ですから今回、世界的に有名なモントリオール映画祭に参加できることは非常に嬉しく光栄に思ってます。1人でも多くの方々に見ていただきたい。そして僕もモントリオールでの上映を一緒に味わえればと願っております。
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■公開情報 『太陽の蓋』 7月16日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 出演:北村有起哉、袴田吉彦、中村ゆり、郭智博、大西信満、神尾佑、青山草太、菅原大吉、三田村邦彦 監督:佐藤太 脚本:長谷川隆 130分/カラー/DCP/Vista Size/surrounds (c)「太陽の蓋」プロジェクト/ Tachibana Tamiyoshi 公式サイト:www.taiyounofuta.com