サンダンス映画祭観客賞受賞 “世界一の壁”に挑んだ男たちの記録『MERU/メルー』大晦日に公開へ

【リアルサウンドより】  サンダンス映画祭2015で観客賞を受賞したドキュメンタリー映画『MERU/メルー』が、12月31日に公開されることが決定した。  本作は、ナショナル・ジオグラフィックの山岳カメラマンであり、トップ・クライマーのジミー・チンが監督・製作・撮影・出演を務めたドキュメンタリー。チンが、クライマーのコンラッド・アンカー、レナン・オズタークとともに、2008年10月にヒマラヤ・メルー峰シャークスフィンの登頂に挑んだ模様を映し出す。  ガンジー川を見下ろす高度6500mにそびえるヒマラヤ・メルー峰。ありえないほどの障害壁が続くシャークスフィン完登は、エリートクライマーたちにとって最高の報酬とされている。チン、アンカー、オズタークの3人は、メルー峰ダイレクトルートに挑んだが、当初7日間を予定していたツアーは、結果的に倍以上の日数に渡る大チャレンジとなった。映画では、究極の環境で育まれた“人間関係”や、生と死の狭間で迫られる“決断”が描かれている。 ■公開情報 『MERU/メルー』 12月31日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリー、109シネマズ二子玉川ほか全国順次公開 監督:ジミー・チン、エリザベス・C・バサヒリィ 製作:エリザベス・C・バサヒリィ、ジミー・チン、シャノン・アースリッジ 撮影:レナン・オズターク、ジミー・チン 編集:ボブ・アイゼンハート a.c.e 音楽:J・ラルフ 出演:コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズターク、ジョン・クラカワー、ジェニー・ロウ・アンカー、ジェレミー・ジョーンズほか 配給:ピクチャーズデプト 90分/16:9/DCP/5.1ch/英語・日本語字幕/カラー/アメリカ映画/ドキュメンタリー (c)2015 Meru Films LLC All Rights Reserved.

「ちゃんと調べとけ」「落とされた人がうかばれねー」声優発掘オーディションでグランプリ受賞者がまた規約違反で失格!?

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『81プロデュースオーディション』公式サイトより。
 声優プロダクション「81プロデュース」が主催する、“次世代声優発掘オーディション”「第10回81オーディション」で15歳の少女が4つの賞を受賞し、グランプリに輝いた。しかし少女が規約違反で失格という驚きの結果となり、世間からは運営に対する疑問の声が上がっている。  同オーディションは2007年から始まった全国一般公開の声優オーディション。今回は10回の記念大会ということもあり、年齢制限を撤廃。そのため応募者は9歳から55歳という幅広い年齢にわたり、過去最高となる2,828名が参加する事態に。そんな熾烈を極めたオーディションは、自己PR、課題のセリフ、ナレーション、歌唱の発表、2人ずつの掛け合いセリフ、質疑応答によって審査が行われた。  8月1日に行われた本選オーディションでは「優秀賞(グランプリ)」が1名、「特別賞」が3名、そして急遽もうけられた「第10回記念特別賞」1名が決定したのだが、中でも異彩を放っていたのは東京都出身の15歳の少女・鈴木桃子。明るくアイドル性のあるキャラクターと抜群の実力を見せ、協力会社による賞である「イープラス賞」「サミー賞」「文化放送賞」「小学館賞」の4つの賞を受賞。もちろんグランプリの発表時にも名前が呼ばれ、納得の受賞を観客が称えたという。  声優ユニット「Wake Up, Girls!」が大好きだという理由で同グループが所属する81プロデュースのオーディションを受けたという鈴木。またアニメ『けいおん』(TBS系)からアニソン好きになったという。しかし憧れの声優への大きな一歩を踏み出したかに思われた彼女は、規約違反でグランプリ剥奪。同オーディションの公式サイトでは「優秀賞(グランプリ)1名を選出致しましたが、後日、該当者より規約違反の申告があり、確認・検討の結果、優秀賞該当者無しと致しました」と説明されている。  この結果には「優秀賞なしになっちゃった…結構ショック」「グランプリの子取り消しかー。推したかったんだが」「華々しいスタートのはずが台無しだな」「うわぁ…もったいね~」と残念がる声が上がった。また、規約違反の内容が明らかにされていないため「何がダメだったんだ? 親の承諾がなかったとか?」「事務所に所属してた、これだな」「ミュージカルで実力を培ったらしいから、どっか所属してたんだろ」「ジュニアアイドルだった、とかだとちょっと萌えるwww」と、声優ファンの間では様々な憶測がなされている。  これまでのグランプリでは江口拓也をはじめ、『スイートプリキュア♪』(テレビ朝日系)の調辺アコ(キュアミューズ)役や、『一週間フレンズ。』(TOKYO MXほか)の山岸沙希役で知られる大久保瑠美など、声優界で活躍する人物が多い。しかし同オーディションの第5回グランプリに輝いた駒形友梨も、今でこそアニメ『まんがーる!』(TOKYO MX)の鳥井あき役などで声優として活躍しているものの、規約違反によってグランプリ取り消しとなった過去が。彼女のケースでも、取り消し理由は明示されていないが「同時期にアニソングランプリに参加してたからでは?」という声が多いようだ。しかし、二度にも及ぶ規約取り消しに世間からは「事前にちゃんと調査しとけよ」「運営やばいな、二度も失態を犯すとは」「落とされた人がうかばれねーよ」と厳しい声が上がっている。  声優オーディションは今回の81プロデュースのものや、芸能事務所ホリプロによる「タレントスカウトキャラバン」、声優事務所によるオーディションなど、最近増加傾向にあるようだ。未来のスター発掘のため、オーディションが活況を呈すこと自体はファンにとっても喜ばしいことだろう。それだけにこんな悲しい出来事が起きないよう事前周知や審査に、より一層注意を払ってほしいものだ。

『ゲットダウン』J・スミスが語る、ヒップホップの始まりと真髄「ワイルドだけど知性的なんだ」

【リアルサウンドより】  Netflixで配信中のヒップホップドラマ『ゲットダウン』が、海外ドラマファンのみならず、ラッパーやDJなどヒップホップアーティストの間でも大きな話題となっている。70年代後半のニューヨーク・サウスブロンクスを舞台に、そこで生まれ育った5人の若者が音楽やダンスを通じて自分を表現しようと模索する物語で、史実を織り込みながらヒップホップの黎明期を鮮やかに描き出した作品だ。  監督を務めたのは、『ムーラン・ルージュ』や『ロミオ+ジュリエット』などの作品で知られるバズ・ラーマン。時代考証を踏まえつつも、当時の景観や文化を華やかに切り取ることに定評のある監督は、70年代ブロンクスの荒廃した街並みとそこに生きる若者たちの姿を、電車やシャッターに描かれた力強いグラフィティやカラフルなファッション・アートとともに、活気溢れる描写で表現している。
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当時の流行を感じさせるファッションも見どころのひとつだ

 本作の公開を記念して、"ディジー"ことマーカス・キプキング役を務めたジェイデン・スミス(18)が来日。ウィル・スミスを父に持ち、2010年度版『ベスト・キッド』では主演を務めた新進俳優だ。彼にとっても本作への出演は、とてもエキサイティングな経験だったようだ。 「『ゲットダウン』に出ることが決まって、すごく嬉しかったし、ハッピーだった。すぐにでも取り掛かりたいという気持ちでいっぱいだったよ。バズ・ラーマンが大好きだったし、彼の作品もすごく好きだったから。バズの作品で一番好きなのは『ロミオ+ジュリエット』だね。『華麗なるギャツビー』がその次かな。『ロミオ+ジュリエット』は最も素晴らしく、最も純粋なラブストーリーだと思う。初恋の気持ちをとてもうまく映像化しているよね。シェイクスピアによる古典的な物語を、バズが現代的に表現しているところも素晴らしい。『ゲットダウン』も、まさにバズのそういう作風が反映された作品なんだ」  ジェイデンが言うように、『ゲットダウン』はピュアなラブストーリーでもある。才能に溢れた若き詩人・エゼキエル(ジャスティス・スミス)が、幼馴染みのマイリーン(ヘリゼン・グアルディオラ)に恋い焦がれ、自らの道との間で葛藤する姿には、きっと誰しもが共感しうるだろう。本作が、ヒップホップの熱心なファン以外からも支持を集めているのは、王道的な青春物語としても秀でているからに他ならない。
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ロマンティックな展開は、バズ・ラーマン監督ならでは

 ところでサウス・ブロンクスを舞台としたヒップホップ映像作品というと、1982年に制作された『ワイルド・スタイル』が思い出される。ヒップホップカルチャーを世界中に広めるきっかけとなった作品で、ここ日本でも『ワイルド・スタイル』が与えた影響は大きかった。ラップ、DJ、ブレイクダンス、そしてグラフィティというヒップホップの4大要素は、この映画によって知られ、世界中の若者を熱狂させたのだ。一方で本作『ゲットダウン』は、4大要素がどのようなアートフォームなのかを、より映像的にわかりやすく伝えることに成功している。
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撮影中も終始、自身のiPhoneでヒップホップを流し続けていたジェイデン

 たとえば、ジェイデン演じるディジーは、ブロックパーティーの存在を知る前からグラフィティに夢中で、それがヒップホップという言葉が生まれるより先に現地では若者の間で流行していた遊びだったことを伺わせる。ディスコソングの間奏部分のドラムソロ=ブレイクを、同じレコードを2枚使って繰り返し流すことで生まれるブレイクビーツや、それに合わせて即興で観客を煽るラップ、お互いを挑発しながらアクロバティックな動きで勝負するブレイクダンスなど、それぞれの様式がかなり丁寧に描かれる。出演者たちも相当に練習したのだろう、ディジーがスプレーでグラフィティを描く姿も、自然で様になっている。当時から活躍する伝説的なグラフィティ・ライターのレディ・ピンクから、直接指導を受けたというから驚きだ。 「レディ・ピンクと彼女のパートナーに教えてもらったのは、本当のグラフィティ・ライターというのは、靴と手を見ればわかるということだった。靴か手のどちらかにペンキが付いていれば、その人はグラフィティをやっている、どちらにも付いていなければグラフィティ・ライターではない。グラフィティ・ライターから見れば、本物かどうかはすぐにわかってしまうんだって。だから僕も、実際にたくさん描いてグラフィティ・ライターの振る舞いを身体に染みこませる必要があった。手や顔がペンキだらけになるし、においもすごいから大変だったよ(笑)。描くときはずっとスプレー缶を抑えていなければいけないから、手がすごく疲れるしね。まるでギターを弾くようだったよ」  本作における本物志向は徹底していて、ラップやDJのパフォーマンスもかなり綿密に作りこまれている。ヒップホップ界のパイオニアである3人のDJ、グランドマスター・フラッシュ、DJクール・ハーク、アフリカ・バンバータのほか、劇中の登場人物でもあるラッパー、カーティス・ブロウもクリエイティブチームに名を連ねる。ダンスの振り付けを担当したのは、マイケル・ジャクソンやマドンナの振付師として知られるリッチ&トーン兄弟。劇中で主人公たちが結成する架空のクルー“ゲット・ダウン・ブラザーズ”のパフォーマンスには、それぞれのキャラクターに合わせたスタイルが用意された。 「ディジーのラップスタイルは、グラフィティがベースになっている。彼がグラフィティで描きたいことややりたいことが、ラップにも反映されているんだ。基本的にディジーは自分でラップを書いていなくて、すべてエゼキエルがみんなのラップを書いている設定なんだけどね。ブーブーはかわいらしく、ララはスキニーかつクールに、エゼキエルは作詞家としての威厳をもって。それぞれの好きなことや熱中していることがラップのスタイルにも反映されている。撮影現場は本当にいい雰囲気で、とにかく楽しかった。いつもみんなでいろいろバカをやったりして過ごしていた。みんなと一緒に仕事ができてとても幸せだったよ」  ほかにも、若きキャスト陣はヒップホップをより深く理解するため、様々な教えを受けたという。劇中でも重要な登場人物のひとりとして描かれるグランドマスター・フラッシュや、各話のラップによるナレーションを書き下ろしたNasも、彼らに惜しみないアドバイスを与えていたようだ。 「とにかくたくさん研究をして、パイオニアたちからいろいろなことを吸収したよ。グランドマスター・フラッシュやDJクール・ハークたちの話を聞き、指導を受け、バズ・ラーマンやNasたちのビジョンもしっかりと捉え、彼らが作り上げたい世界観を理解した上で、自分はそれをどうすれば最高な形で表現できるかを考えながら役作りをした。Nasからは特にラップの部分でアドバイスをもらったよ。彼自身がラップパートを書いて、それをこういう感じでやってくれ、という指導をしてくれた」
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グランドマスター・フラッシュからシャオリン・ファンタスティックが、いわゆる“2枚使い”を伝授されるシーン

 また、ジェイデン自身もヒップホップに傾倒していて、その魅力を次のように語っている。 「親の影響で、子どもの頃からヒップホップを聴いていたよ。僕はアメリカで生まれたアフリカ系アメリカ人だし、ヒップホップは僕の人生においてすごく大事なものだった。今回、バズやグランドマスター・フラッシュたちと作品を作るにあたって、指導を受ける中で、より深くいろいろなものを知ることができたと思う。僕が考えるヒップホップは、その根底に“反抗”の精神があるけれど、それと同時に人に対して優しくしたり、理解を示したりする表現でもある。ワイルドだけど知性的なんだ。この作品で描かれている76年~77年のサウスブロンクスの人たちは、2台のターンテーブルと2枚のディスコソングのレコードを使って、そこから新しい音楽を生み出した。たった2つのものを組み合わせるだけで、まったく新しい表現が生み出せることの凄さを、この作品を通して、日本に限らず、世界中の人々に感じてもらいたいね。ちなみに最近は、フランク・オーシャンの新作をずっと聴いているよ」  『ワイルド・スタイル』が世界中を巻き込んでムーヴメントを生み出したように、『ゲットダウン』もまた、多くの人々がヒップホップの魅力を深く理解するきっかけとなる作品となりそうだ。 (取材・文=松田広宣/写真=泉夏音) ■作品情報 『ゲットダウン』 Netflixで配信中 原作・制作=バズ・ラーマン、スティーヴン・アドリー=ギアギス 出演=ジャスティス・スミス、シャメイク・ムーア、ヘリゼン・グアルディオラ、ジェイデン・スミスほか 視聴はこちらから→https://www.netflix.com

尾崎豊の息子・尾崎裕哉が語る二世タレントの苦悩、そして人前で父親の歌を歌えるようになった理由

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尾崎裕哉『二世』(新潮社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  強姦致傷容疑で高畑裕太容疑者が逮捕され、現在、悪い意味で「二世タレント」に注目が集まっている。高畑容疑者の件では、母・高畑淳子の出演しているCMの放送を自粛する企業も現れるなど、本来は何の関係もないはずの親にも影響がおよんでいる。  二世タレントとして世に出るということは「何かをやらかせば家族にも迷惑がおよぶ」ということに関しての自覚と責任を伴うものであるわけだが、そういった部分に対して高畑容疑者はあまりにも自覚がなかったといえる。  ただ、多くの二世タレントは逆にその責任を重く考え過ぎて苦しむ。それは親が偉大であればあるほどその傾向が強くなるだろう。近年でその最たる例が、尾崎豊の息子でシンガーソングライターとして活動する尾崎裕哉だ。7月に放送された大型音楽特番『音楽の日』(TBS)で父の代表曲「I LOVE YOU」のカバーと自身のオリジナル曲「始まりの街」を披露したことでご存知の方も多いだろう。  つい先日、彼が出版した『二世』(新潮社)には、こんな一文が綴られている。 〈母に小さい頃言われた「自分の評価は、自分だけじゃなくて父親の印象にも繋がる」という言葉を思い出す。自分の評価が父親の名前に傷をつけかねないと、どこか萎縮していた〉  彼がミュージシャンとしていちばん最初に世に出たのは、2004年にリリースされた尾崎豊のトリビュートアルバム『"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』でのこと。当時14歳だった彼は、Mr.Children、宇多田ヒカル、岡村靖幸、Cocco、斉藤和義といった錚々たるメンツが参加したこのアルバムに、尾崎豊を支え続けた音楽プロデューサー須藤晃の息子TOMI YOと結成したユニットCrouching Boysの一員として参加。再解釈し直した「15の夜」で英語のポエトリーリーディングを披露しているのだが、『二世』では当時の葛藤をこのように綴っている。 〈2004年に、尾崎豊トリビュートアルバム「BLUE」にポエトリーリーディングという形で参加したこともあって、街で歩いていると急に「尾崎の息子さんですか?」と訊かれることが多くなった。いくら訊かれても慣れることはなく、「父親のことを知られたら、みんな本当の自分を見てくれないかもしれない」という意識ばかりが強くなって、訊かれても聞き流したり、嘘をついたりした。初対面の人と会うときは必ず自分の身元を隠した。必要がなければずっと言わないままだ。いかに「普通の人間」として扱われるかにこだわっていたし、それを乱すものは受け入れられなかった〉  彼は5歳のときに母とともに日本を離れ、アメリカのボストンで育っている。そこでの生活は自分が早世した伝説的ミュージシャンの息子であるということを殊更に意識しなくても済むものであったという。しかし、高校入学を機に日本に帰国することになり、彼は自らのルーツと真っ正面から向き合わざるを得なくなってしまう。その当時の葛藤を彼はこう綴っている。 〈アメリカに住み、日本からの物理的な距離を保つことが、僕を尾崎裕哉でいさせてくれていた。日本に帰れば、いやがおうでも「尾崎豊の息子」になる。父親は誰もが知っている存在であり、母親が言うように「あなたのやること全てが尾崎豊の印象につながってしまう」のかもしれない。そんな環境で、僕は僕のままでいられるのだろうか〉  父と一緒に過ごすことのできた時間は少なかったが、父が残したレコードを聴いて育ったことも影響し、5歳のころから〈自分は父親の後を継いで、ミュージシャンになる〉と決めていた彼にとって、父と比べられることから逃げられない環境に身を置くことは、より切実な問題として彼の前に立ちふさがることになる。偉大な父の影を意識せざるを得ないような状況は、初めて人前で歌ったときから彼を苦しませ続けていた。 〈人前で父親の歌を初めて歌ったのは中学生のとき。一時帰国の折、親族とカラオケに行った。歌い終えると、みんなは驚いていた。「声がパパとそっくり!!」あまりにも似ていたらしく、母も動揺しているようだった。それから、カラオケに行くたびに母親から「パパの曲歌えないの?」と訊かれることが多くなった。やりすごしても繰り返しリクエストされるので、仕方なく父親の曲を入れた。「これからこういう機会も増えるだろうし......良い練習だと思おう」と自分に言い聞かせた。「尾崎豊の息子」として扱われ、そうふるまうことを求められるのは、日本に帰ってくると決めた時からわかっていたつもりだった〉  この頃に前述した『"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』へ参加したり、その後の大学時代にはInterFMでラジオ番組『Between The Lines』を受けもったりと徐々に人前に出る機会が増えていくのだが、そこでぶつかった壁は想像以上に大きいものであった。 〈恐る恐るネット掲示板での書き込みをチェックした。予想通りだ。「七光り」「理想論」「バカ」という言葉が目立った。  永遠に続くかのような書き込みを読んでいると、身体中から血が抜かれていくような気分になった。手は冷たくなり、額や背中から冷や汗が吹き出ていた。自分のことをよく思っていない人たちがこんなにいるんだ......そのことがとても恐ろしかった。あらゆる誹謗中傷をまともに浴び、恥ずかしさに似た気持ちで頭がいっぱいだった。でも、「今の段階でそう言われてもしょうがない」と納得さえしていた。そういう意見が出てくることのほうが、むしろまともなのではないかとすら思えた。 (中略)  そう思ってはみても、僕はそれほど強くなかった〉  ただそれから数年が経ち、音楽活動を続けていくなかでだんだんと自分の置かれている状況を受け入れ、克服していく準備は出来つつあるようだ。彼は尾崎豊に関するイベントで歌を披露したときに思ったことを、このように綴っている。 〈僕にとって、一番大事だったのは、あの場所に来てくれた記者の人たちが、僕の歌をじっくり聴いていたこと。それは、僕の声が父親によく似た声だったから。僕も父親の声は素敵だと思うし、むしろ声が似ていると言われるのは、これ以上ない褒め言葉だ。父譲りの喉。僕自身も自分の声が好きだ。テクニックや歌唱力はまだまだかもしれないけれど、この声は、歌手としてのアイデンティティーの一つだ〉  とはいえ、二世であることを自然に受け入れる境地に至るまでにはかなり困難な道が待ち受けるようだ。もはや二世タレントのイメージもほとんどない寺島しのぶですら、つい先日の8月31日に行われた会見でこんなことを語っている。 「二世はいつまでも二世。親は変えられない。若いころは親を超えなければと思っていたが、仕事をするようになって受け入れられるようになった。緊張して手が震える時『この親から生まれたから、私はたぶんできる』とポジティブに考えられるようになったのは最近のこと」  尾崎裕哉が彼女のような考えができるようになるまでには、もう少し時間が必要なのかもしれない。  ちなみに余談だが、尾崎豊の死を巡り、裕哉の母・繁美氏と、祖父・健一氏および伯父・康氏に分かれて、週刊誌やテレビを巻き込んだ対立が起きたことを覚えている方も多いだろう。しかし、『二世』を読む限り、だいぶ前にこの争いはなくなっていたようだ。本書には2014年の23回忌の法事に父母両家の親族が集まり、仲睦まじく談笑する場面が描かれている。また、彼が14歳のころに祖父の前で歌を歌い「豊に声が似ているね」と言われたとの逸話も出てくる。  本人も本書のなかで〈この声は、歌手として自分のアイデンティティーの一つだ〉と綴っているが、その声を武器に父とは違う自分自身のキャリアを切り開いていけるか、それは彼自身にかかっている。 (新田 樹)

どのように日本のポップカルチャーは中国に影響を与えたのか? 『ギャグマンガ日和』の「給力」が記憶に新しい「動漫」文化の変遷

 広島市のJMSアステールプラザにて隔年で開催されている広島国際アニメーションフェスティバルでは毎回、1つの国をフィーチャーしたアニメーション特集が組まれている。第16回の今回は日本特集として27プログラムが組まれ、『火垂るの墓』『AKIRA』などが上映された。
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写真:JMSアステールプラザ
 広島では各賞を競うコンペティションが短編作品のみであることから、特集上映でも歴史的な価値が高い日本の短編や、過去に上映された日本の短編が多く取り上げられた。また通常、広島で上映される作品は日本国内よりも海外の作品が多いことから、いわゆる「アニメ(Anime)」よりも「アニメーション(Animation)」が多くなるのも特徴だ。  そうした状況もあり、最終日22日に実施された「日本のポップカルチャーと中国」は、講演で取り扱われる題材としては非常に珍しい講演となった。なお本稿における「アニメ」と「アニメーション」の使い分けは、講演者の発言に準拠している。  登壇したのは北京大学外国語学院准教授・古市雅子。「日本のアニメーションや世界のアニメーションの積み重ねがあった上で、現在また別のところで日本の消費文化としてのアニメーションが影響を与えていること、日本の商業アニメが中国でどのようにして受け入れられていったかをテーマに、視点を変えてお話させていただききたく思います」といったところから講演はスタート。  古市は「中国のマンガやアニメがどういう状況であったのか、というところからご紹介したいと思います」と、戦前の上海でアニメーション・マンガが活況を呈していたことを説明。「マンガは戦前の上海のものが有名で、輝かしい作品群が残っています。戦前の上海というと“東洋の真珠”と呼ばれ、日本よりも都市文化が発達していた場所ですので、マンガの専門雑誌が出版されてまして、風刺マンガが発展してたんですね」「これはアジア初の長編アニメーションです」と、1941年に制作されたアニメ『鉄扇公主』を紹介した。
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写真:古市雅子
「(戦前に、画期的な)こういった作品が育てられた国なんですけども、中国語に動画と漫画を合わせた『動漫』って言葉があります。ただこれは色んな定義がありまして、もともとは『ACG(アニメ・コミック・ゲーム)』と、ゲームも含めたサブカルチャー的なものの総称として使われています。逆に日本ではそういった言葉がないのでオタク文化と言うか、マンガ・アニメ・ゲームって羅列しないといけないですね」(古市) 「動漫」「ACG」といった単語が誕生したのには「文化大革命が終わってから、1980年に外国産アニメーション第1号として、白黒の『鉄腕アトム』が輸入され、中国中央電視台(CCTV)で放送されます。これは高倉健や山口百恵が主演の映画やドラマが輸入されたのとほぼ同時期です。その後『一休さん』『花の子ルンルン』『ジャングル大帝』とかが(中国に)入ってきます」といった経緯があるのだとか。 「ただこの当時は経済がこれから伸びていく時期だったので、テレビがまだ普及してなかったんですね。各家庭にテレビがあるわけではなく、職場の食堂だったりとか、持ってる人のところへ行ってみんなで観る時代だったので、こうした面白いアニメーションがあるらしいと聞いた人たちが、どういう風に受容していったかというと、『連環画』というマンガと絵本の間のような、手のひらサイズの本があるんです」(古市)
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写真:連環画
 古くは宋の時代からあったという「連環画」。「もともとは歴史的な物語や故事や教育的な内容を、1枚の絵の下に説明文をつけるというやり方で子供に読ませる媒体でした。80年代に全盛期を迎えるんですが、この『連環画』に日本のアニメが出てくるんですね。子供たちはこういうものを通して、日本のアニメに接していったのです」と古市。 「(体裁としては)なかにはテレビ画面をそのまま撮って説明をつけるものとか、『鉄腕アトム』のマンガを適当に切り取って、縦長のものを横長の小さな紙に切り取っていき、雑につなげているので話がつながらないところは、誰かが勝手に適当に描くという状況で作られていました」といった有様だったそうだが、「さらに手塚治虫本人がそれを見て『こんなんじゃ読者に申し訳ない』と、無償で自分が直した原稿を届けたというエピソードもありますが、本当かどうかは怪しい感じですね」(古市) 「そういう感じなので、表紙も誰が描いたか分からないし、題名を見てかろうじて何とか分かる感じです。こういう風に『連環画』を通して日本のアニメを見て、日本のアニメを自分たちの物語に取り込むようになっていきます。そして出てきたのがアニメを題材とした“創作連環画”とも呼べるもので、中国の作家さんたちが自由に日本のキャラクターを取り入れて、孫悟空と戦ってるものが一番多いんですけども、そういった物語が量産されます」(古市)  話題は徐々に80年代から90年代に移行。「TVシリーズ黄金期と言える時代がやってきます。現在CCTVは日本に限らず、外国製のアニメーションの放送時間を厳しく制限していますので、簡単に観られないんですが、90年代はまだキチンと輸入されて放送されていた時代でした」。その当時の若者は正規で『ドラゴンボール』『セーラームーン』『聖闘士星矢』などを見ていて、有名作はみんな知っている、という世代になるそうだ。
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写真:『トランスフォーマー』論争
 なかでも社会現象となったのは『トランスフォーマー』。「中国には日本版とアメリカ版が輸入されているんですが、一大ブームを巻き起こしました。色んなロボットのおもちゃが『トランスフォーマー』という名前で入ってくるので、2000年以降に情報が入ってくるようになると、『あれは“ガンダム”だったのか!』とか再認識をする事態になるくらい大流行したんですね」。2000年以降となると、もちろんネットの普及による影響も含まれる。 「1989年に『人民日報』で取り沙汰されるくらいになった時には、20名の全人代(全国人民代表大会)の常務委員が放送を中止すべきと申し入れていました。表向きにはどの記事も『思想的には荒唐無稽で、好戦的な内容である。若い世代の教育に宜しくない』と書かれているんですが、後半は『あまりに子供が高価なおもちゃを欲しがるもんだから親が大変な目に遭っている。中国のおもちゃ屋さんに全くお金が入ってこない。無料で外国のおもちゃの宣伝をするとは何事か。だから放送すべきでない』という論調になっていたので、資本主義のアニメが入ってきてどうこうというよりも、中国のおもちゃ産業が危ないんじゃないかと思わせるくらいの流行だったと思われます」(古市)  ちなみに「連環画」も当時の世相が反映されているようで、「アトムと孫悟空は、どっちが勝つ負けるではなく最後に友達になるものが多いんです」「『トランスフォーマー』も孫悟空と戦うんですが、何故か戦って負けて土下座をさせられるものが多かったりします」(古市)
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画像:ビリビリ動画公式サイトより
「2000年以降のポップカルチャーの受容の場は、ネット上に移行していきます。それまでファンは『連環画』やおもちゃとか、路上で売ってる海賊版のようなものとか、ミニコミ誌とかを必死で収拾していたんですが、ネットで簡単に情報が入ってくるようになると、文化に大きな影響を与えてきます。『ニコニコ動画』も一時期は見れていたんですが、見れなくなったので、代替するものとして同じような『ビリビリ動画』(中国のBILIBILIチームが制作した動画サイト)ができて、(ファンは)弾幕を作りつつ見ています。『百度(バイドゥ)』の掲示板を利用して情報収集をしたり、日本語の分かる人が情報提供をしたりして、すぐに手に取れるようになっていったんですね」(古市)  ネットの普及に伴い「動漫」という言葉も次第に変化。「単にアニメ・コミック・ゲームという意味だけでなく、ネットカルチャー全てを含む認識になってきました。今使われている『動漫』という言葉は、ネットカルチャー・ポップカルチャー・サブカルチャー、場合によってはJ-POPやファッションだったりとかを含めた概念へと変化してきました」と、広がりを見せているようだ。 「こうした日本の影響がどういったところに現れているかというと、一番分かりやすいのが言葉なんですね。日本語と中国語で同じ漢字文化圏ではありますが、近代化の過程で中国は政治とか社会といった、(自国にない)西洋の概念を取り入れる際に日本語を輸入してきました。80年代に国交正常化して鄧小平が来日した時に、新幹線とか家電製品とかの消費文化の概念を日本語から輸入して、自分たちのものとしてきたんです」(古市)
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写真:日本のポップカルチャーに由来を持つネットスラング
 同時にネットスラングを通して、第3次日本語ブームともいうべき現象が起きているという。「例えば『ギャグマンガ日和』のファンが中国語に面白おかしく翻訳し、さらに好きな人たちが自分たちでアテレコしてファンに聞いてもらうという二次創作的な作品ブームが出てきます」。  古市は彼らが日本語を輸入するだけでなく、新しい言葉を作り出す動きにも注視している「(『ギャグ日』の)ファンが翻訳した言葉の中で、西遊記の回のアテレコは特に完成度が高く、たまたま使われた『給力(ゲイリー)』という言葉が(中国のネット上)一世を風靡してしまいました。『給力』は地方で使われている言葉で、全国的には全く有名では単語ではなく、日本語の意味としては『地味だなぁ』といった単語だったんですが、今では『給力』は良い意味で『ヤバイ』とかのニュアンスで、テレビの司会者とかも使いますし、『人民日報』の一面でも使われるくらいの力を持った単語になってしまいました。ネットスラングの6割ぐらいが日本のアニメ由来なんじゃないかなといった勢いがあります」(古市)  このほか古市は、中国で行われている同人誌即売会やコスプレイベントのほとんどが企業によって有料で企画されていることや、自身が籍をおく北京大学のファンサークルに1000人弱の会員数がいること、明治大学から2万冊ものマンガが寄贈され、マンガ図書館が学内にオープンしたことなどに触れて講演を終えた。 「ただこうした学生たちが日本のポップカルチャーが好きだから日本のことが好きかというと、それはまた別の問題だと思うんですね。それは当然で、日本でもK-POPや韓流ドラマが好きだと言っても、韓国が好きであるかは別の問題です。日本のことを好きになってもらうとかじゃなくても、アニメとか文化を中心に同じ記憶や価値観を持つ人たちがいるのは素晴らしいことだと思うんです」(古市) (取材・文/真狩祐志) ■広島国際アニメーションフェスティバル http://hiroanim.org/

イーストウッド最新作『ハドソン川の奇跡』、航空機不時着の瞬間をとらえた最新映像公開

【リアルサウンドより】  クリント・イーストウッド監督の最新作『ハドソン川の奇跡』より、最新映像となるTVスポットが公開された。  本作は、2009年に実際に起こった「ハドソン川の奇跡」と呼ばれる航空機事故をもとにしたヒューマンドラマ。パイロット歴40年のベテラン機長であるサリーが、乗員乗客155人の命を救ったことにより“惜しみない称賛”と“疑惑の目”を向けられる模様を描く。

『ハドソン川の奇跡』30秒TVスポット

 このたび公開されたTVスポットは、機内で緊急サイレンが鳴り響くシーンから始まり、サリー機長が「メーデー両エンジン停止」と緊急事態を管制塔に告げる模様や、航空機をハドソン川に着水させることを208秒で決断する様、乗員乗客155人が極限状態でパニックに陥る姿などが収められている。  メガホンを取ったイーストウッド監督は、21歳のときに乗っていた飛行機がレイズ岬沖に不時着する経験をしていたため「同じような状況を経験した者としては、パイロットならば、滑走路もない陸地へ向かうよりは、私も着水に賭けたんじゃないかと思う」とコメントした。また、サリー機長を演じるトム・ハンクスは「私はパイロットではないが、ハドソン川への着水が不可能だということは分かる」と話し、「サリーは自分が英雄だなんて決して言わないでしょう。彼が行ったことは英雄的行為だが、彼はその代償を払うことになるんだ」と語った。

イーストウッド最新作『ハドソン川の奇跡』、航空機不時着の瞬間をとらえた最新映像公開

【リアルサウンドより】  クリント・イーストウッド監督の最新作『ハドソン川の奇跡』より、最新映像となるTVスポットが公開された。  本作は、2009年に実際に起こった「ハドソン川の奇跡」と呼ばれる航空機事故をもとにしたヒューマンドラマ。パイロット歴40年のベテラン機長であるサリーが、乗員乗客155人の命を救ったことにより“惜しみない称賛”と“疑惑の目”を向けられる模様を描く。

『ハドソン川の奇跡』30秒TVスポット

 このたび公開されたTVスポットは、機内で緊急サイレンが鳴り響くシーンから始まり、サリー機長が「メーデー両エンジン停止」と緊急事態を管制塔に告げる模様や、航空機をハドソン川に着水させることを208秒で決断する様、乗員乗客155人が極限状態でパニックに陥る姿などが収められている。  メガホンを取ったイーストウッド監督は、21歳のときに乗っていた飛行機がレイズ岬沖に不時着する経験をしていたため「同じような状況を経験した者としては、パイロットならば、滑走路もない陸地へ向かうよりは、私も着水に賭けたんじゃないかと思う」とコメントした。また、サリー機長を演じるトム・ハンクスは「私はパイロットではないが、ハドソン川への着水が不可能だということは分かる」と話し、「サリーは自分が英雄だなんて決して言わないでしょう。彼が行ったことは英雄的行為だが、彼はその代償を払うことになるんだ」と語った。

司忍6代目山口組組長が塀の中で読んでいた本とは? 府中刑務所の配本管理担当が受刑者購入図書リストを暴露

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『ヤバい!刑務所体験 有名人の獄中生活』(宝島社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  依然として緊迫した状況が続く、6代目山口組と神戸山口組の対立抗争。8月9日には、神戸山口組系の事務所に6代目山口組系の組員が運転したトラックが突っ込んだり、また10日には警察が神戸市の山口組総本部の近くに捜査員が情報収集や監視にあたるための「特別警戒所」を開くという全国初の措置がとられるなど、いまだに緊迫した状態が続いている。  そんななか、少し珍しい情報が流出した。6代目山口組の組長・司忍組長が獄中で読んでいたとされる本のリストが公開されたのである。  司忍組長は銃刀法違反により、2006年から11年にかけて府中刑務所で過ごしているが、その間に府中刑務所の図書工場に配属され、受刑者の配本管理をしていた元受刑者の男が、取っておいたメモを『ヤバい!刑務所体験 有名人の獄中生活』(宝島社)のなかで暴露している。  読書家と言われていた司忍組長はいったいどんな本を読んでいたというのだろうか?  150冊近くある膨大なリストのうち、まず目につくのは歴史に関する本だ。『宮本武蔵』(吉川英治/講談社)、『新書太閤記』(吉川英治/講談社)、『徳川家康』(山岡荘八/講談社)などが目立つ。  このへんは暴力団組長らしいセレクトともいえるが、興味深いのは、映画に関する本が多くあるという点である。いわずと知れた1972年公開のフランシス・フォード・コッポラ監督作品の原作本『ゴッドファーザー』(マリオ・プーヅォ/早川書房)といった、おそらく「座右の書」なのだろうというものから『天才 勝新太郎』(春日太一/文藝春秋)といったいかにもなものがあるが、目を引くのは多くある映画パンフレットの数々。しかも、そのラインナップがかなり意外なものばかりなのだ。ミュージカル映画の『マンマ・ミーア!』、アカデミー賞外国語映画賞を獲得した滝田洋二郎監督の『おくりびと』、シャネルの生涯を描いた『ココ・シャネル』(08年と09年で2年連続同じタイトルの映画が公開されているが、これはシャーリー・マクレーン主演の08年版の方か?)、草なぎ剛が盲目の按摩を演じた心が和むラブストーリー『山のあなた 徳市の恋』など、なんともイメージとかけ離れたセレクトである。  また、司忍組長が定期購読していた週刊誌は「アサヒ芸能」(徳間書店)、「週刊大衆」(双葉社)、「週刊実話」(日本ジャーナル出版)の3誌。ヤクザ報道に強い老舗週刊誌である。そして、ときどき購入していたのが、"ちょいワル"オヤジのバイブルであるファッション誌「LEON」(主婦と生活社)だ。司忍組長といえば、麻生太郎氏もその服装を必死で真似ているほどのファッションリーダーとして知られているが、そのネタ元はやはり「LEON」にあったのか。ちなみに、購読していた新聞は「朝日新聞」。実は、リベラル寄りの人なのだろうか。  もちろん、リストは元受刑者の男が一方的に流したものであり、完全に本物かどうかは断定できないが、もし司組長がこういう本を読んでいたとしたら、かなり興味深い。  この『ヤバい!刑務所体験 有名人の獄中生活』には、司忍組長の読書記録のみならず、「本と刑務所」にまつわる興味深い情報が他にも掲載されている。先ほど、司忍組長の定期購読している週刊誌が「アサヒ芸能」「週刊大衆」「週刊実話」の3誌であるという情報をお伝えしたが、この3誌は府中刑務所における人気週刊誌トップ3でもある。  やはり、組関係者の人は獄中でもできる限りの情報収集に努めようとするのだろうか、発売日に200冊納本することもあるという。ただ、どのページも好き勝手に読めるわけではない。刑務所に入ってくる本は、事前に図書係が検閲して塗りつぶしたうえで受刑者に届けられる。ヤクザ記事はこの検閲対象に入るため自由には読むことができないのだ。  ところで、一般社会で週刊誌といえば、やはり「週刊文春」(文藝春秋)と「週刊新潮」(新潮社)が2大看板となるわけだが、これらはどうなのかというと、シャバとは逆でこれらの週刊誌はまったく人気がない。2〜3冊入ればマシなほうというぐらいの不人気雑誌なのだそうだ。刑務所と一般社会では読書傾向が真逆なようである。  しかし、これがマンガとなると話は変わる。刑務所ではマンガの購入も可能なのだが、そこでダントツ人気なのが『ONE PIECE』(尾田栄一郎/集英社)。そして、一番人気のマンガ週刊誌も、もちろん「週刊少年ジャンプ」(集英社)となる。  先ほどの読書傾向から見れば、『土竜の唄』(高橋のぼる/小学館)や『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平/小学館)あたりの裏社会をテーマにしたマンガが人気を集めそうなものだが、もちろんこういった作品も人気はあるが、それでもやはり一番人気は『ONE PIECE』なのである。刑務所に入ったときは一切興味がなくても、まわりの受刑者が皆読んでいるため、その流れで読み始め、出所するときには立派な『ONE PIECE』マニアになっていることも珍しくないという。  インターネットなどもちろんできなければ、テレビも自由に見ることは許されない刑務所において、読書は息抜きとして重要な位置を占めている。  現在、出版業界の返本率の平均は4割を超えている。書店に並んだ本の40%は買われることなく出版社へ返されている状況だ。深刻な活字離れが進み、もはや打開策すら見出せない状況にあるわけだが、そういったことを考えると、もしかしたら、もっとも熱心に「本」と向き合っているのは、塀の中にいる人々なのかもしれない。 (新田 樹)

リテラの“安倍マリオ”批判に産経が「日本人なら水を差すな」! NHKは「東京五輪で国威発揚」と戦前回帰丸出し

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「産経ニュース」より
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】 〈この記事書いたやつこそ、頭がおかしい〉〈反日、安倍嫌いの方が書いた記事でしょうか?〉〈日本を貶めることしか知らない売国メディアが〉  先日、リオ五輪閉会式での安倍首相のマリオパフォーマンスについて、本サイトが露骨な政治利用だと批判したところ、ネットではこんな反応が殺到した。  安倍政権の独善的な行動を指摘しただけで「反日」だの「売国」だのと攻撃を加えるネトウヨ=安倍応援団の愛国ヒステリーと排除思想には毎度のことながらうんざりさせられるが、このメンタリティはいよいよ、ネットの中だけにとどまらなくなってきたらしい。  産経新聞が28日付のウェブ版「産経ニュース」で、リテラを取り上げて「閉会式の東京パフォーマンスにまたも左翼メディアがかみついた」なる記事を配信したのだ。  産経はまず、〈国内外で称賛の声が上がったが、国内ではせっかくの機運に、水を差すような報道をするメディアもみられた〉としたうえで、こんなふうに記した。 〈閉会式の当日に早速かみついたのが、朝日新聞の記者だった。 「安倍マリオを見た時の『うゎ…』という違和感を一番的確に表してくれるのはこの記事だ」。自身のツイッターでそうつぶやいて、ニュースサイト「LITERA(リテラ)」の記事を紹介した。  記事では、「最初から最後まで、完全に安倍首相が主役だった」とした上で「北朝鮮など独裁国家でオリンピックが開かれないかぎり、こんなショーはありえない」と批判している。〉 「せっかくの機運に水を差す記事」とか、いったいお前は誰の代理人なんだ?と言いたくなるが、それ以上に産経が姑息なのは、リテラの記事のどこが問題かを一切書かないまま、リテラを朝日の記者がリツイートしたということをあげつらい、「左翼メディア」というレッテル貼りで攻撃していることだ。  そもそも保守化著しい朝日を「左翼」などというのは、本物の左翼に失礼と思うが、それはともかく、本サイトが今回の安倍首相のパフォーマンスを批判したのは、それがオリンピックの精神に反しているからであって、左翼かどうかということとは何の関係もない。  産経は、オリンピックが国家でなく都市で開催されるスポーツと平和の祭典であり、政治利用が厳しく戒められていることを知らないのだろうか。オリンピック憲章にはこんな条文がはっきりと書かれている。 〈スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する。〉〈オリンピック区域、 競技会場、 またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない。〉  事実、これまで、閉会式のショーに次期開催国の国家元首や大統領、総理大臣が主役として登場したことなどただの一度もない。  しかも、安倍はたんにショーに出演しただけでなく、明らかに政治目的でそれを仕掛けていた。閉会式の後、東京五輪組織委の武藤敏郎事務総長がメディアに「森会長から『マリオ役は総理にお願いしよう』という提案があった」と明かしたが、本サイトの取材でも安倍の親分である組織委の森喜朗会長と、安倍の側近でやはり組織委理事をつとめる萩生田光一内閣官房副長官のラインが安倍の出演をゴリ押ししたことは明らかで、その背後には「東京五輪まで自民党総裁の任期を延長して安倍首相を続投させるための世論づくり」という意図があったとしか考えられない。  事実、この閉会式の直後に、自民党の二階俊博幹事長が2018年9月に切れる自民党総裁任期の延長を言い出し、小泉進次郎が反発の声を上げる事態となった。  さらに、安倍首相の寵愛を受けている丸川珠代五輪担当相にいたっては、「これからは安倍“マリオ”晋三とミドルネームをマリオにしていただけると、世界の皆様がすぐに分かってよいのでは」などと、さっそくショー出演を政治宣伝に使う始末。これが政治利用目的でなくてなんだというのか。  いずれにしても、リテラはこうした事実を指摘して「北朝鮮のような独裁国家でなければ、政治権力者の閉会式出演などありえない」と指摘したのであり、産経がこれを歪んだ記事だというなら、過去に閉会式のショーの主役をやった大統領や国家元首の名前をあげればいい。ところが、産経は具体的な反論は一切できないまま、ひたすら「左翼」だとレッテルを貼ることで、批判意見を排除にかかっているだけなのだ。  産経記事はこの後、東京新聞の記者の安倍マリオ批判をするツイートについても攻撃を加えているが、まったく同じやり口を使っている。こんな感じだ。 〈東京新聞の記者は、マリオが土管でリオにワープする瞬間について、ツイッターで「私はメルトスルーを想起した。原発事故で高温の核燃料が地中にのめりこみ、地球の裏側へ…リオ・シンドローム!」と書き込んだ。  リオ・シンドロームとは米映画「チャイナ・シンドローム」のタイトルをもじったものだ。米国の原発事故で核燃料が地球の内部を溶かしながら進み裏側の中国にまで達することを意味する用語で、現実には起こりえない荒唐無稽なことだが、反原発団体などが好んで使っている。〉  いったい何を言っているのだろう。東京新聞記者のツイートは、震災からの復興や原発事故の処理がまったく進んでいないなか、莫大な金を注いで五輪を優先したあげく、リオではしゃぐ日本のトップを皮肉ったもので、どこから見ても真っ当な指摘だ。それを産経は「反原発団体が好んで使う用語」だなどと、イデオロギー的な意見であるかのように歪めるのである。しかも、東京の記者はもともとブラックジョークである「チャイナ・シンドローム」という言葉をもじっているだけなのに、「現実には起こりえない荒唐無稽なこと」を信じているかのように書き立てるのだから、悪質極まりない。  そして、きわめつきはこのセリフだ。 〈そもそも、このパフォーマンスが伝えようとしたメッセージは、日本人なら安易に批判できるようなものではなかった。〉 〈東日本大震災の支援に対する感謝の気持ちと、56年ぶりの東京五輪を盛り上げようとする純粋な思い。異議を唱える日本人などいないと信じたいのだが…。〉  ようするに、産経新聞は「東京五輪に異を唱える者は日本人でない」と言っているのだ。これは、軍部の手先となって大本営発表を垂れ流し、“聖戦に反対する者は非国民”と片っ端から糾弾していった戦中の新聞とまったく同じではないか。  しかも愕然とするのは、こうした戦前回帰丸出しのオリンピック観をもっているのが、極右新聞・産経だけではないことだ。  たとえば21日放送のNHK『おはよう日本』がリオ五輪と東京五輪を取り上げ、刈屋富士雄解説委員が「五輪開催5つのメリット」を解説したのだが、こんなことを語ったのだ。 「今回、リオデジャネイロオリンピックが世界に投げかけた疑問は、なんのためにオリンピックを開くのか、その国にとって何のメリットがあるのか、オリンピックを開くメリットとしては、次の五つがずっとあげられているんですよ。国威発揚、国際的な存在感、経済効果、都市開発、スポーツ文化の定着」  そう。いの一番にあげたのが「国威発揚」だったのである。しかも、これ、刈谷解説委員の個人的な意見ではない。スタジオの解説用モニターでも、最初に「国威発揚」の文字が踊っていた。  NHKは、「国威発揚」を「五輪のメリット」として報じる意味を、理解しているのだろうか。これは、1936年、ナチスドイツが総力をかけて臨んだベルリン五輪、そして、その4年後、1940年にナチスドイツの同盟国である大日本帝国が招致を勝ち取った“幻の東京五輪”とまるっきり同じ発想なのである。  この幻の東京五輪は、ベルリン大会の翌年に日本が日中戦争に突入したため、開催権を返上することになるのだが、当時の新聞社説を読むと、戦中日本が五輪をどのように捉えていたかがわかる。 〈就中オリンピツクは最近わが國の運動協議界が急速に進歩し、(中略)この方面においてわが國民の優秀性を遺憾なく發揮して來たのである。従つて光輝ある皇紀二千六百年に大會を招致し、スポーツを通じてわが國體の精華とわが國民、わが文化の眞價値とを、廣く世界に理解せしめることは、最も有意義な企てとして、國民は等しくその成功を希望したのであつた。〉(1938年7月15日付読売新聞)  見ての通り、その目的は「わが国民の優秀性」「国体の精華」「わが国民、わが文化の真価値」を世界に発信すること。ここに見えるのは、五輪は政治の道具でしかないというスポーツマンシップの欠如と優生学的思想、そして、政府が挙国一致を強要するモロな全体主義体制にほかならない。  しかし、それから80年後、日本政府とマスコミは、このときの戦前戦中丸出しの価値観で、五輪を迎えようとしているのだ。ヒトラーでもやらなかったような政治宣伝を行った安倍首相に対して、マスコミは批判を放棄したばかりか、政府主導の国威発揚に右ならえをしたのだ。さらには五輪を踏み絵にした“思想狩り”まで始める始末だ。  タレントのマツコ・デラックスは22日放送の『5時に夢中!』(TOKYO MX)で“安倍マリオ”について、「突き抜けていないよね。恥ずかしいんだったらやるんじゃないよ! すぐ脱ぐんだったらやるな、断れって話。ヒゲもないし中途半端」と苦言を呈したが、安倍が口ヒゲをつけなかったのはおそらく、ヒトラーとそっくりといわれるのを嫌がったからだろう。  しかし、口ひげをつけようがつけまいが、やろうとしていることの本質は変わりがない。このままでは、「わが国民の優秀性」「国体の精華」「わが国民、わが文化の真価値」を世界に発信することをもくろんだ“幻の東京五輪”が80年の時を経て本当によみがえるという事態もけっして冗談ではない。 (編集部)

リテラの“安倍マリオ”批判に産経が「日本人なら水を差すな」! NHKは「東京五輪で国威発揚」と戦前回帰丸出し

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「産経ニュース」より
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】 〈この記事書いたやつこそ、頭がおかしい〉〈反日、安倍嫌いの方が書いた記事でしょうか?〉〈日本を貶めることしか知らない売国メディアが〉  先日、リオ五輪閉会式での安倍首相のマリオパフォーマンスについて、本サイトが露骨な政治利用だと批判したところ、ネットではこんな反応が殺到した。  安倍政権の独善的な行動を指摘しただけで「反日」だの「売国」だのと攻撃を加えるネトウヨ=安倍応援団の愛国ヒステリーと排除思想には毎度のことながらうんざりさせられるが、このメンタリティはいよいよ、ネットの中だけにとどまらなくなってきたらしい。  産経新聞が28日付のウェブ版「産経ニュース」で、リテラを取り上げて「閉会式の東京パフォーマンスにまたも左翼メディアがかみついた」なる記事を配信したのだ。  産経はまず、〈国内外で称賛の声が上がったが、国内ではせっかくの機運に、水を差すような報道をするメディアもみられた〉としたうえで、こんなふうに記した。 〈閉会式の当日に早速かみついたのが、朝日新聞の記者だった。 「安倍マリオを見た時の『うゎ…』という違和感を一番的確に表してくれるのはこの記事だ」。自身のツイッターでそうつぶやいて、ニュースサイト「LITERA(リテラ)」の記事を紹介した。  記事では、「最初から最後まで、完全に安倍首相が主役だった」とした上で「北朝鮮など独裁国家でオリンピックが開かれないかぎり、こんなショーはありえない」と批判している。〉 「せっかくの機運に水を差す記事」とか、いったいお前は誰の代理人なんだ?と言いたくなるが、それ以上に産経が姑息なのは、リテラの記事のどこが問題かを一切書かないまま、リテラを朝日の記者がリツイートしたということをあげつらい、「左翼メディア」というレッテル貼りで攻撃していることだ。  そもそも保守化著しい朝日を「左翼」などというのは、本物の左翼に失礼と思うが、それはともかく、本サイトが今回の安倍首相のパフォーマンスを批判したのは、それがオリンピックの精神に反しているからであって、左翼かどうかということとは何の関係もない。  産経は、オリンピックが国家でなく都市で開催されるスポーツと平和の祭典であり、政治利用が厳しく戒められていることを知らないのだろうか。オリンピック憲章にはこんな条文がはっきりと書かれている。 〈スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する。〉〈オリンピック区域、 競技会場、 またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない。〉  事実、これまで、閉会式のショーに次期開催国の国家元首や大統領、総理大臣が主役として登場したことなどただの一度もない。  しかも、安倍はたんにショーに出演しただけでなく、明らかに政治目的でそれを仕掛けていた。閉会式の後、東京五輪組織委の武藤敏郎事務総長がメディアに「森会長から『マリオ役は総理にお願いしよう』という提案があった」と明かしたが、本サイトの取材でも安倍の親分である組織委の森喜朗会長と、安倍の側近でやはり組織委理事をつとめる萩生田光一内閣官房副長官のラインが安倍の出演をゴリ押ししたことは明らかで、その背後には「東京五輪まで自民党総裁の任期を延長して安倍首相を続投させるための世論づくり」という意図があったとしか考えられない。  事実、この閉会式の直後に、自民党の二階俊博幹事長が2018年9月に切れる自民党総裁任期の延長を言い出し、小泉進次郎が反発の声を上げる事態となった。  さらに、安倍首相の寵愛を受けている丸川珠代五輪担当相にいたっては、「これからは安倍“マリオ”晋三とミドルネームをマリオにしていただけると、世界の皆様がすぐに分かってよいのでは」などと、さっそくショー出演を政治宣伝に使う始末。これが政治利用目的でなくてなんだというのか。  いずれにしても、リテラはこうした事実を指摘して「北朝鮮のような独裁国家でなければ、政治権力者の閉会式出演などありえない」と指摘したのであり、産経がこれを歪んだ記事だというなら、過去に閉会式のショーの主役をやった大統領や国家元首の名前をあげればいい。ところが、産経は具体的な反論は一切できないまま、ひたすら「左翼」だとレッテルを貼ることで、批判意見を排除にかかっているだけなのだ。  産経記事はこの後、東京新聞の記者の安倍マリオ批判をするツイートについても攻撃を加えているが、まったく同じやり口を使っている。こんな感じだ。 〈東京新聞の記者は、マリオが土管でリオにワープする瞬間について、ツイッターで「私はメルトスルーを想起した。原発事故で高温の核燃料が地中にのめりこみ、地球の裏側へ…リオ・シンドローム!」と書き込んだ。  リオ・シンドロームとは米映画「チャイナ・シンドローム」のタイトルをもじったものだ。米国の原発事故で核燃料が地球の内部を溶かしながら進み裏側の中国にまで達することを意味する用語で、現実には起こりえない荒唐無稽なことだが、反原発団体などが好んで使っている。〉  いったい何を言っているのだろう。東京新聞記者のツイートは、震災からの復興や原発事故の処理がまったく進んでいないなか、莫大な金を注いで五輪を優先したあげく、リオではしゃぐ日本のトップを皮肉ったもので、どこから見ても真っ当な指摘だ。それを産経は「反原発団体が好んで使う用語」だなどと、イデオロギー的な意見であるかのように歪めるのである。しかも、東京の記者はもともとブラックジョークである「チャイナ・シンドローム」という言葉をもじっているだけなのに、「現実には起こりえない荒唐無稽なこと」を信じているかのように書き立てるのだから、悪質極まりない。  そして、きわめつきはこのセリフだ。 〈そもそも、このパフォーマンスが伝えようとしたメッセージは、日本人なら安易に批判できるようなものではなかった。〉 〈東日本大震災の支援に対する感謝の気持ちと、56年ぶりの東京五輪を盛り上げようとする純粋な思い。異議を唱える日本人などいないと信じたいのだが…。〉  ようするに、産経新聞は「東京五輪に異を唱える者は日本人でない」と言っているのだ。これは、軍部の手先となって大本営発表を垂れ流し、“聖戦に反対する者は非国民”と片っ端から糾弾していった戦中の新聞とまったく同じではないか。  しかも愕然とするのは、こうした戦前回帰丸出しのオリンピック観をもっているのが、極右新聞・産経だけではないことだ。  たとえば21日放送のNHK『おはよう日本』がリオ五輪と東京五輪を取り上げ、刈屋富士雄解説委員が「五輪開催5つのメリット」を解説したのだが、こんなことを語ったのだ。 「今回、リオデジャネイロオリンピックが世界に投げかけた疑問は、なんのためにオリンピックを開くのか、その国にとって何のメリットがあるのか、オリンピックを開くメリットとしては、次の五つがずっとあげられているんですよ。国威発揚、国際的な存在感、経済効果、都市開発、スポーツ文化の定着」  そう。いの一番にあげたのが「国威発揚」だったのである。しかも、これ、刈谷解説委員の個人的な意見ではない。スタジオの解説用モニターでも、最初に「国威発揚」の文字が踊っていた。  NHKは、「国威発揚」を「五輪のメリット」として報じる意味を、理解しているのだろうか。これは、1936年、ナチスドイツが総力をかけて臨んだベルリン五輪、そして、その4年後、1940年にナチスドイツの同盟国である大日本帝国が招致を勝ち取った“幻の東京五輪”とまるっきり同じ発想なのである。  この幻の東京五輪は、ベルリン大会の翌年に日本が日中戦争に突入したため、開催権を返上することになるのだが、当時の新聞社説を読むと、戦中日本が五輪をどのように捉えていたかがわかる。 〈就中オリンピツクは最近わが國の運動協議界が急速に進歩し、(中略)この方面においてわが國民の優秀性を遺憾なく發揮して來たのである。従つて光輝ある皇紀二千六百年に大會を招致し、スポーツを通じてわが國體の精華とわが國民、わが文化の眞價値とを、廣く世界に理解せしめることは、最も有意義な企てとして、國民は等しくその成功を希望したのであつた。〉(1938年7月15日付読売新聞)  見ての通り、その目的は「わが国民の優秀性」「国体の精華」「わが国民、わが文化の真価値」を世界に発信すること。ここに見えるのは、五輪は政治の道具でしかないというスポーツマンシップの欠如と優生学的思想、そして、政府が挙国一致を強要するモロな全体主義体制にほかならない。  しかし、それから80年後、日本政府とマスコミは、このときの戦前戦中丸出しの価値観で、五輪を迎えようとしているのだ。ヒトラーでもやらなかったような政治宣伝を行った安倍首相に対して、マスコミは批判を放棄したばかりか、政府主導の国威発揚に右ならえをしたのだ。さらには五輪を踏み絵にした“思想狩り”まで始める始末だ。  タレントのマツコ・デラックスは22日放送の『5時に夢中!』(TOKYO MX)で“安倍マリオ”について、「突き抜けていないよね。恥ずかしいんだったらやるんじゃないよ! すぐ脱ぐんだったらやるな、断れって話。ヒゲもないし中途半端」と苦言を呈したが、安倍が口ヒゲをつけなかったのはおそらく、ヒトラーとそっくりといわれるのを嫌がったからだろう。  しかし、口ひげをつけようがつけまいが、やろうとしていることの本質は変わりがない。このままでは、「わが国民の優秀性」「国体の精華」「わが国民、わが文化の真価値」を世界に発信することをもくろんだ“幻の東京五輪”が80年の時を経て本当によみがえるという事態もけっして冗談ではない。 (編集部)