もはや、マンガを紙の本で買う時代は終わりつつあるのか……? 2016年の市場動向から、マンガが電子に移行している実態が明らかになってきた。2月に発表された出版科学研究所の調査によれば16年のコミック市場は、電子コミックスが前年比27.1%増の1,460億円となった。 一方で、紙コミックスは7.4%減の1,947億円と、いよいよ2,000億円を割り込んでしまっている。 では、市場全体が沈んでいるのかといえば、そんなことはない。紙と電子を合わせたコミックス・コミック誌総合計は0.4%増の4,454億円と微増しているのである。つまり、電子が紙を補完する形で市場自体は拡大しているというわけである。 実際、出版社の収益でも、デジタルの負う部分は大きくなっている。2月に発表された講談社の決算報告(平成27年12月1日~平成28年11月30日)では、売上高のうち、デジタル・版権収入にあたる「事業収入」が前年度比29.7%増の283億5,300万円。雑誌(7.4%減)、書籍(1.1%減)を大きくカバーしているのだ。 昨年5月に発表された小学館の決算(平成27年3月1日~平成28年2月29日)でも「出版売上」が前年度比13.1%減の一方で「デジタル収入」は54.4%増となっている。 ここ数年、マンガ市場における電子の割合が増えているのは、紛れもない事実である。アプリやサイトなどで無料で配信した後に、紙、あるいは電子書籍で単行本として刊行するスタイルも当たり前になってきた。 しかし、多くの編集者が口を揃えるのは「儲かるかどうかは、怪しい」という言葉。データを見る限りは微増しているのだが、その実感が現場には感じられないということか。 ここで整理しなくてはならないのは、コミック市場で前年比27.1%増となった電子コミックの実態である。ある編集者に話を聞いたところ、次のような指摘が。 「紙で発行している雑誌や単行本の電子書籍は、伸びているでしょう。紙の下げ幅を電子書籍がカバーしているのは事実です。手に入りにくい関連本もカバーしているなど、電子書籍の利点のおかげで、プラスに見えますけど実際の市場は現状維持か、むしろ減っているんではないでしょうか」 一口に「電子コミック市場」などの言い方がなされるが、「紙でも出しているマンガの雑誌・単行本の電子版→そこそこ売れている」「ウェブ発→ぜんぜん売れていない」というのが実情。とりわけ、乱立するウェブの媒体は成功しているとは言い難い。 現に、ウェブ媒体で連載に連載されてアニメ化された作品は、どれもコケまくっている。ウェブを用いたプロモーションの効果は、ここ数年で効果が激減されたといわれているが、媒体も同様。無数の情報の森の中で、埋もれてしまっているのだ。 つまり、いかに数字上はマンガにおける電子書籍の割合が増えたとはいえ「紙の時代が終わった」というわけではない様子。やはり、部数が減ったとはいえ、週単位・月単位で実物が店頭に並ぶことの価値は高いのか。 (文=昼間たかし)公益社団法人 全国出版協会・公式サイトより。
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「文化庁メディア芸術祭」で個人情報漏洩? 広報委託先業者が別業務に流用
3月に第20回目となる受賞作発表が予定されている、文化庁メディア芸術祭。毎年、話題となった作品が選出され注目を集めるこの催しで、個人情報の漏洩が発覚した。 広報を担当する業者が個人情報を持ち出し、まったく別のクライアントから受注した宣伝業務に流用していたのである。 広報担当として得た個人情報を不正に利用したのは、千代田区にある「hilo Press」。同社のサイトに記された情報によれば、設立は2010年。文化庁メディア芸術祭をはじめ、美術展を中心に広報を担当している。会社登記はなく、代表の鎌倉かおる氏をはじめとする数人のスタッフで運営される個人事務所のようだ。 「hilo Press」は、2012年以降に文化庁メディア芸術祭の広報を担当。そこで取材申込みや授賞式の際の受付などで得た個人情報を持ち出したとみられる。 文化庁メディア芸術祭は、文化庁が公益財団法人画像情報教育振興協会(CG-ARTS協会)に業務を委託して運営。事務局は中央区にあるCG-ARTS協会に設置され、広報業務の委託を受けた「hilo Press」は「文化庁メディア芸術祭事務局 広報担当」として業務にあたっている。 つまり、そこに集まる各種媒体からの取材申込みのメール、ライター・記者の名刺は、文化庁メディア芸術祭の取材のためのもの。それを持ち出し、まったく別の業務に流用することは、個人情報保護法18条の目的外使用に該当するのではないか。 「メディア芸術祭の取材申込みで連絡先を入手しているということは『連絡先』を『本人』ではなく『第三者』から取得したことになります。この『第三者』が、『本人』から、外部へ『連絡先』を開示する許可を得ているのかどうか。この取得方法自体も問題になる可能性があります。そして、予め『本人』から『利用目的』についての同意をもらってないのであれば、そもそも、『目的外利用』ですらなく、もともとが『不正、違法な利用』となるのではないかと思います」(弁護士法人 ALG&Associates 山岸純弁護士の見解)。 「hilo Press」による不正が明らかになったのは、昨年4月頃。筆者の住所宛に「ルーヴル美術館特別展 LOUVRE No.9 ~漫画、9番目の芸術~」の案内が送付されたのである。この案内自体、封入されていたのは、取材依頼などではなくリーフレットと、素材の貸し出し依頼書のひな形。そして連絡先として「hilo Press」が記されているだけのものであった。 別の取材で関係のできた広報担当者から、新たな取材依頼というのは、よくあるもの。 通例「こういうものなので、ぜひ~」など、依頼文が同封されているものだ。けれども「hilo Press」が発送したそれは、一切存在しなかった。 この時は気にも留めていなかったのだが、7月になり、ある出来事がきっかけで「hilo Press」が、個人情報を流用しているのではないかという疑惑を深めた。そして、文化庁への情報公開請求による契約関係の調査などを経て、今回の取材に至ったのである。 数々の裏付けから、流出・流用が行われたのは明らかであろう。しかし、当事者は送付の事実を認めたものの流出・流用ではないとの説明を繰り返した。 事務局であるCG-ARTS協会の文化事業部長・脇本厚司氏は次のように説明する。 「調査を行いましたが流出ではなく、誤って送付してしまっただけです。それで、ご迷惑をおかけしてしまって……」 なぜか、やたらに「ご迷惑を」という言葉を繰り返す脇本氏。その説明によれば、メディア芸術祭に集まる個人情報のうち応募者の情報は事務局が管理。取材関連のものは、広報チームすなわち「hilo Press」が管理する体制だという。業務を委託するにあたって流用はしないのは、当然だと説明する脇本氏。では、何通誤って送付をおこなったのかと聞いてみると……。 「そちらに、お送りしたのだけです」 これは、どうもにわかには信じがたい説明である。その腑に落ちない気分を素直に投げてみると、それは仕方がない旨を語り、再発の防止を明言したのであった。 説明は丁寧であるものの、やはり口裏を合わせているのではないかという疑念は払拭されない。「ミスだ」という説明が事実だとしても、杜撰な管理で流出させているのも事実である。 実は、メディア芸術祭の広報業務自体が杜撰なのではないかという出来事もあった。昨年の7月、文化庁メディア芸術祭20周年企画展の記者発表会が秋葉原で開催された。この前日に、メールでリリースが届いている。 このメール、タイトルには再度のお知らせであることを示す「(再)」の文字があり、本文の冒頭には「既にご案内をしておりますが」とあった。だが、これ以前に筆者が受け取った案内はない。 そうした管理体制も含めて「hilo Press」に、話を聞くべく取材を申し込んだところ、メールで次のような返答が送られてきた。 * * * 今回の誤送信におきまして、ご迷惑をおかけして 大変申し訳ございませんでした。 詳細につきましては委託元がお話させていただいた通りです。 今後二度とこうしたことが起こらぬよう管理を徹底して参ります。 改めて心よりお詫び申し上げます。 hilo Press 代表 鎌倉かおる * * * なお、事業を管轄する文化庁は、CG-ARTS協会から同様の説明を受けた上で「流出・流用」ではないという見解を示してる。 (文=昼間たかし)「文化庁メディア芸術祭」公式サイトより。
5年ぶりのワンマンライブを終えて——姫乃たまはアイドルになれたのか?
——地下アイドル“海”を潜行する、姫乃たまがつづる……アイドル界を取り巻くココロのお話。
割れんばかりの歓声に包まれながら、観客に背を向けないよう、笑顔で手を振って舞台から立ち去る。
満員の客席では、誰もが笑っていて、穏やかな夢でも見ているような表情をしていた。舞台袖の床に貼られた見切れ線のテープを越えた瞬間、私は楽屋へつながる階段の手すりにすがって、目頭を押さえた。
演奏を終えたゲストミュージシャンたちが、私の姿を見て拍手をしながら微笑んでいる。楽屋の前で待ってくれていたヘアメイクさんが、そっと微笑みながら、私とカメラマンだけを楽屋へ入れて、外から扉を閉めた。楽屋の白い蛍光灯が、ワンマンライブの終演を告げる。
私は、アイドルになれたのだろうか。
■僕とジョルジュ――世代を越えてサブカルチャーが交錯する、東京のアンダーグラウンド
2017年2月7日、渋谷WWWで私は五年ぶりにワンマンライブ「アイドルになりたい」を開催した。18歳で開催した最後のワンマンライブから、会場の規模は倍以上になっていたが、ソロアルバム『First Order』をリリースしたことや、バンド「僕とジョルジュ」のメンバーに恵まれたことなど、数々の幸運が重なっていた。さらに、東京キララ社やディスクユニオンの社員さんたちをはじめ、振付師の方や、映像、照明などの技術を持った周囲の人たちが自然と集まって協力してくれたことで、フリーランスで活動していることの不自由を何も感じないほど、さまざまな人に支えられて当日を迎えることができた。
朝早くから、とんでもなく高いところに登って装飾している美術さんたちを見学し、夕方までのリハーサルを経て、楽屋で歌いながらヘアメイクをしてもらっている頃、WWWのゆるやかな螺旋階段を降りて来場してくださった方々には、1枚ずつ香水を振りかけた御礼状が配られていた。
いつものライブと違って、直接お話できない人がたくさんいるのは寂しいことだったので、少しでも気持ちが伝わればと思っていた。
ロビーでは、音楽や演技を生業としている豪華なスタッフさんたちが、この日に発売された新譜や写真集を販売してくれており、客席は和ラダイスガラージの中村保夫さんによるDJで、ゆったりとしたダンスフロアと化していた。
後から知ったのだけれど、この時、ロビーと言わず、客席と言わず、至るところで、あらゆる人々の再会が繰り広げられていたそうだ。昔ミュージシャンだった人が、レーベルで働いていた人が、作家だった人が、そのファンや関係者が、「えっ、なんで地下アイドルのライブにいるの?」を枕詞にして再会を喜んでいたという。
これは、ずっと誰かの共通言語になりたいと思って活動してきた私にとって、嬉しい話だった。ただ、どうしてそれがこの日に現実になったのか、私にはわからない。もったいないことである。
楽屋のモニターから、開演前の舞台と、満員のフロア前方を見ていた。すでに400人以上の観客が駆けつけていて、一度退出したら戻って来られないほど混雑していたことを、この時の私はまだ知らない。
いつもより派手にドレスアップした状態で、「僕とジョルジュ」のメンバーと合流する。少し気恥ずかしい。人懐こいパーカッションのシマダボーイ君が私を見て笑い、唯一の女性演奏家であるキーボードの金子麻友美さんが「わあ」と声をあげた。
やがてDJの音が大きくなり、次々と歓声があがった。
開演を知らせるブザーとともに幕が開けて、フランス映画のキスシーンがモノクロで立て続けに映し出される。最初に佐藤優介さんが舞台に上がり、「僕とジョルジュ」のジングルをキーボードでループ演奏すると、続けて佐久間裕太さんが登場して、ドラムで思い切りの良いビートを刻んだ。彼らとバンド・スカートとして活動しているギターの澤部渡さん、ベースの清水搖志郎さん、シマダボーイ君も次々と舞台に上がり、ドラムを軸にそれぞれが好きな音でめいめいセッションを始める。
私は、最も舞台袖の近くで演奏していた金子さんの横顔をしばらく眺めてから、舞台に上がった。春一番のように重たくまとまった歓声の中に、私の名前を呼ぶ声がいくつも聞こえた。
2015年からずっとアンセムである『恋のすゝめ』に続いて、この日発売のアルバムから最新のアンセム『悲しくていいね』を初披露した後、『巨大な遊園地』まで演奏すると、ゲストミュージシャンの有賀幼子を舞台に招き入れた。
突然現われたおばあさんに一瞬、会場がどよめく。彼女は私の祖母である。
何度かの交渉の末、「冥土の土産に」という理由で、この日発売された写真集、『号外 地下しか泳げない通信』で私が着用していたワンピースを着て、彼女は舞台に上がってくれた。私と手を繋いでキーボードの前まで進んだ祖母は、みんなに見守られながら、思い切り鍵盤を叩いた。
彼女の叩いた音がループし、さらにもうひとつ叩いた音がループし、音がどんどん重なって厚くなっていく。人はやがて子どもに戻る。私はあと何年、この人と生きていけるのだろう。子どもの落書きのように無秩序で、しかしすごいものを作りたいという勢いのこもった音が鳴り続ける。それに合わせて、再びバンドのセッションが始まり、祖母と入れ替わりでゲストボーカルの山崎春美さん(タコ/ガセネタ)が登場した。私たちは音に合わせて、ひたすらうねうねと踊り、時々歌をうたった。
この時のことを、宗像明将さんは「東京インディーズバンドシーンの過去と現在が交錯した瞬間」とレポートに書いている。そこには、「文化的なコンテクスト(アイドル、東京インディーズバンドシーン、呪われたサブカルチャー)の交錯」が、私という地下アイドルのプラットホームに根付いて発展していたと、まとめられていた。
私はそれを他人事のように、「わあ、なんかすごそう」と思って読み、これまたどうして、そういうことになったのかまったくわからないのだった。そもそも私は、あまり物を知らないし、何についてもあまり知識がない。
私はただこの日まで、すべての人を受け入れて、その中で居心地のいい人と一緒に過ごしてきただけだった。
■姫乃たまソロセット――「アイドルになりたい」
白い羽があしらわれた、思い切りアイドルらしいミニドレスに着替えた。「僕とジョルジュ」の楽器が撤収されて、がらんとした舞台にひとりで立ち、幕が開けるのを待つ。いつもと同じ条件で戦えるように、ソロの出番にはバンドでなく、カラオケを用意してあった。地下アイドルとしてのソロセットが始まる。
今回の公演では、普段のライブでは凝ることができない演出に、準備期間の多くを割いた。まずVJの映像は、舞台の背景とフロア両サイドの併せて三面に、なるべく大きく映し、舞台の天井には大きな立方体の箱をいくつか吊って、プロジェクションマッピングでそれぞれの面に映像を映し出した。その映像を活かしつつ、舞台が暗くならないように、照明さんが最後まで調整してくれた。
また、すべての楽曲は照明さんによって楽譜に書き起こされ、最初から最後まで曲と合うように照明の展開はすべて決めてあった。それから音響を、「僕とジョルジュ」のレコーディングを担当してくれている馬場友美さんにお願いしたおかげで、技術的にも、精神的にも、非常に安定した。トラブルが起きる度、馬場ちゃんの対応の速さと笑顔に救われた。
ソロセットは、アルバム『First Order』の全曲と、7インチレコードの楽曲『たまちゃん!ハ~イ c/w おんぶにダッコちゃん』の楽曲から成り立つ。序盤は勢いを損なわないように、『来来ラブソング』『ねえ、王子』『マジで簡単なコネクション』『DSK019』とアルバム通りの曲順に、一気に歌って踊った。
『ねえ、王子』では、水野しずちゃんが描き下ろしてくれたイラストの私が、舞台上の私と一緒に映像の中で踊っていた。そのほかの3曲は、ワンマンライブに向けてイベントを開き、振付師のNachuさんとファンの人たちと1から作り上げた振付だった。客席のファン人たちを見ながら、ああでもないこうでもないと話し合った振付会を思い出す。
もっとも映像と私が融合していたのは、中盤の『愛はさかあがり』だろう。パリ万博の「動く歩道」をモチーフにしたもので、背景で動いている歩道に私が飛び乗ると、歩道に乗って移動できるというものだ。岸野雄一さんが音楽劇「正しい数の数え方」で披露していた演出で、最初はこれがやりたくて映像の導入を決めたのだった(だって楽しそうじゃないですか……!)。
終盤になるにつれて、ヒップホップダンスとジャズダンスを混ぜた、踊る楽曲が増えてくる。藤井洋平さん作曲の『そういうこと』を歌い終わると、私を照らしていたスポットライトが消え、次にスポットライトがついた時、そこにはギターを持った藤井洋平さんが立っていた。
その間、私は楽屋に戻り、赤いドレスに着替えていた。髪に薔薇の生花をあしらってもらっている時、モニターで見た藤井洋平さんのギターソロは、プリンスが再来したようだった。アルバムの中で問題曲とされていた『人間関係』のイントロが流れ、藤井さんがギターを鳴らすと、私は歓声に包まれて舞台に戻った。東京の夜景や、ミラーボールの映像を背景に、藤井さんと歌う。この日までファンの人にも披露していなかった『人間関係』の振付は、ロックを取り入れたせいか、コアなファンからも驚きの声があがった。今まで私が、汗をかくまで歌うことや、かっちりとしたダンスを避けてきたからだと思う。
セットリストが残り2曲になった時、他愛のないMCをした。いきなりステーキに初めて行った時、300グラムのステーキが1300円で売られていて、もうこれはいつかタダになるんじゃないかと思って驚いた話。いきなりステーキがタダになった時、きっとチェーン店の安居酒屋もタダになって、医学の発展で私たちの寿命は600歳になる。そしたら、ずっと長く一緒にいられますね、という話だった。人間の心臓はどんなに保っても~とか、野暮なことを言う人は誰もいなかった。
踊っている時、客席と私は、見る人と見られる人にわかれて、関係が一方通行になってしまう。舞台で話している時、ひとりひとりの相槌や表情を見ることで、やっと私たちは向き合える気がする。
最後に、『くれあいの花』を歌う。宇宙に放り出されたような映像と、暗い照明と、無機質な振付。私が指をさすと、星が点滅するように、頭上の箱がひとつずつ光った。すべての関係者が、不思議とこの曲には最初からまったく同じイメージを抱いていた。この時ようやく、私たちの力が足し算からかけ算にかわるのを感じて、最後のサビで少しだけ声が震えた。
■アンコール――怒り、そして涙の真相
アンコールでは、古くから親交のある3人のミュージシャン(JOHN★MANJIRO-metal[Gt.]、msys[Gt.]、STX[Ba.])と一緒に、デビュー曲『三両列車でにゃんだりあ』を演奏しようと準備していた。彼らがすでにセットしてあるはずの楽器を、いつまでもいじっているのでおかしいと思ったら、突然、「僕とジョルジュ」のメンバーが机と椅子、ワインやステーキを持って現われて、私を座らせた。よくわからないまま、客席をバックに集合写真を撮り、労われるままステーキを口に運んだら、舞台に映像が映し出された。
有志のファンが制作した『ねえ、王子』をみんなで踊った映像である。若林美保さんにアーバンギャルドの松永天馬さんや大谷能生さん、DARTHRAIDERさんに漢a.k.aGAMIさんと、仕事で関わりのある人たちから、いったいどうやって集めたのか、友人、両親まで映っていた。その合間に踊るファンの人たちが映る。ここで自分の姿を映像で流したかったファンの気概を感じた。私のワンマンライブは、ファンの人たちの晴れ舞台だったのだ。
お礼として演奏した『三両列車でにゃんだりあ』は、イントロが18歳の時に手売りしていたセカンドシングル『少女の脚を汗が伝う、夏の涼風に制服は翻る。』のイントロにリアレンジされていた。曲の終盤にはハート型の赤い風船が客席後方から、私の元へ降ってきた。舞台はハートでいっぱいになり、私は親友から受け取った大きな花束を抱えていた。
後にファンの人が、「客席後方から風船出す時、満員で大変でさあ。あんなに人が来るなんて思ってなかったから」と、私より自慢げに話すので笑ってしまった。応援し続けてくれたファンの人たちのおかげです。感謝しています。
* * *
楽屋で、「悔しい」という自分の声を聞いた。モニターには終演後の客席が映っていて、ファンの人たちのはしゃぐ姿が見えた。カメラマンに「涙の理由はなんですか?」と聞かれて、私は「ムカつく!!!」とカメラを睨んで泣いた。誰でも受け入れて、人を幸せにする、姫乃たまのパブリックイメージから、噴出するように私は怒っていた。
ワンマンライブは紛れもなく幸せな空間だったと思う。私はこれまで、歌うことと踊ることを建前にして、人を幸せにすることを本質に活動してきた。
この日、歌も踊りも演出も、それをプロデュースしたことも賞賛され、「アイドルとして上にあがったね」と言われ、メジャーレーベルに勧める関係者も何人かいた。熱心なファンは、「間違いなく人生で1番の日だった」と言ってくれたし、出版関係の人たちは、「姫乃さんってアイドルだったんですね!」と驚いていて、勇気を出して初めて足を運んでくれた人たちからは、「救われました」「人生の居場所を見つけました」「なぜかわからないけど涙が出ました」と、ありがたいメッセージをたくさんいただいた(まるで教祖になったみたい!)。握手した時に泣いている女の子がいて、彼女の胸元には私の缶バッチが光っていた。可愛い女の子だった。すべての人の言葉が、感情が、何もかもが純粋だった。
一方で私は、褒められれば褒められるほど、ファンが幸せになってくれたことを知れば知るほど、胸に残っているわだかまりの理由に気づかされてしまった。自分は今まで、自分よりも人のことを考えて活動してきたつもりだった。それも本当のことだけれど、実のところ私は自分と戦っていたのだ。私は人に認められたいとか認めさせたいとかじゃなくて、ずっと私と戦っていた。ちやほやされたいなんて欲求は、活動を始めたその日に充分満足している。それよりももっと、私は、私に、私を満足させてほしかった。限界を越えた能力を発揮することで、自分を驚かせてほしいと、どこかで思っていたのだ。
この日ひとりだけ、ミスを起こし続けた関係者がいた。それが結果的にさまざまな人に迷惑をかけることになり、いくつかの大きなトラブルにも繋がった。一度しか面識のない外注の人で、私はどう対応したらいいかわからず、リハーサルの段階からひたすら困惑し続けた。結局私は、舞台に集中するため、ミスを起こすスタッフに途中で見切りを付ける労力を惜しんだ。その結果、本番で他人のトラブルに気を引かれて、限界以上の能力を発揮することはできなかった。もし、きちんと判断できていたら、すべての場面で『くれあいの花』と同じくらいのことが起こっていたかもしれない。私の能力はその程度だった。私は私と戦って、完全に自分に負けたのだ。
打ち上げで涙の真相を聞いた友人が、ぎょっとしながら、「それ、5年前と同じじゃん」と言うので、今度は私が驚いてしまった。自分ではすっかり忘れていたのだけど、5年前のワンマンライブが終わった時、私は「悔しい」と言って泣いていたらしい。笑顔の写真しか残っていなかったので、すっかり忘れていた。
私は一体、後何百年あったら、アイドルとしての自分に満足できるのだろうか。
●姫乃たま
1993年2月12日、下北沢生まれの地下アイドル/ライター。アイドルファンよりも、生きるのが苦手な人へ向けて活動している、地下アイドル界の隙間産業。16才よりフリーランスで地下アイドル活動を始め、ライブイベントへの出演を中心に、文筆業も営む。そのほか司会、DJとしても活動。音楽作品に『First Order』『僕とジョルジュ』、著書に『潜行~地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)がある。7インチレコード「恋のすゝめ」「おんぶにダッコちゃん」をリリース。
★Twitter<https://twitter.com/Himeeeno>
「ジャンプ」で“また”サッカーマンガ打ち切り! 『LIGHT WING』『少年疾駆』……サッカーマンガの歴史を振り返る!
2月27日に発売された「週刊少年ジャンプ」(以下、「ジャンプ」)2017年13号で、サッカーマンガ『オレゴラッソ』(作:馬上鷹将)が最終回を迎えた。わずか12話、最終話直前に物語が7年後に飛んだ末での連載終了となったため、どう見ても打ち切りのように思えてしまう。“やはり”「ジャンプ」におけるサッカーマンガは鬼門のようだ。 「ジャンプ」のサッカーマンガと言えば、世界的に大ヒットした『キャプテン翼』(作:高橋陽一)があるのだが、それが偉大過ぎてか、その後のサッカーマンガが短命で終わりがち。 最近の例を挙げていくと、02年連載スタートの『NUMBER10』(作:キユ)が10話で打ち切り。08年連載スタートの『マイスター』(作:加地君也)が10話で打ち切り。10年連載スタートの『少年疾駆』(作:附田祐斗)が15話。同じく10年連載スタートの『LIGHT WING』(作:神海英雄)が21話。11年連載スタートの『DOIS SOL』(作:村瀬克俊)が17話。そして14年連載スタートの『TOKYO WONDER BOYS』(原作:下山健人、漫画:伊達恒大)が10話で連載終了を迎えている。 比較的長く連載が続いた作品として91~92年にかけて連載されたにわのまことの『超機動暴発蹴球野郎 リベロの武田』といった作品や、98年から02年にかけて全216話が連載された『ホイッスル!』(作:樋口大輔)といったヒット作もあるが、打率はかなり低めといえるだろう。 『LIGHT WING』の神海英雄はその後、吹奏楽をテーマにしたマンガ『SOUL CATCHER(S)』を「ジャンプ」で連載開始し、その後掲載誌を変えながら全89話を連載。『少年疾駆』の附田祐斗は現在好評連載中の料理マンガ『食戟のソーマ』で原作を担当するなど活躍しているので、「ジャンプ」でサッカーマンガを描いたマンガ家たちのスキルが低かったというわけでもない。 「ジャンプ」におけるサッカーマンガの敗北の数々はもはやネット上でネタ化しており、今回の『オレゴラッソ』打ち切りに対しても「ホント長続きしねえなwww」「ジャンプでサッカー漫画は悲しくなるからもうやめて」「まーたつきぬけてしまったか」といった声が。 しかし、バスケマンガ界では『SLAM DUNK』(作:井上雄彦)という超偉大な作品と比べられながらも、『黒子のバスケ』(作:藤巻忠俊)が大成功を収めることができたため、いつか大ヒットするサッカーマンガが出る可能性は十分にある。 サッカーは現実世界では世界的にもトップクラスの人気スポーツであるため、「ジャンプ」は何度打ち切りをだそうとも、ヒットした時の旨味を考えると、これからもサッカーマンガを量産し続けるだろう。メッシ、ジダン、ネイマール、ロナウジーニョ、インザーギ、フェルナンド・トーレス、デル・ピエロ、ハメス・ロドリゲスなど、世界最強プレイヤーたちに愛された『キャプテン翼』の跡を次ぐマンガはいつ誕生するのだろうか。「週刊少年ジャンプ」公式サイトより。
「ジャンプ」で“また”サッカーマンガ打ち切り! 『LIGHT WING』『少年疾駆』……サッカーマンガの歴史を振り返る!
2月27日に発売された「週刊少年ジャンプ」(以下、「ジャンプ」)2017年13号で、サッカーマンガ『オレゴラッソ』(作:馬上鷹将)が最終回を迎えた。わずか12話、最終話直前に物語が7年後に飛んだ末での連載終了となったため、どう見ても打ち切りのように思えてしまう。“やはり”「ジャンプ」におけるサッカーマンガは鬼門のようだ。 「ジャンプ」のサッカーマンガと言えば、世界的に大ヒットした『キャプテン翼』(作:高橋陽一)があるのだが、それが偉大過ぎてか、その後のサッカーマンガが短命で終わりがち。 最近の例を挙げていくと、02年連載スタートの『NUMBER10』(作:キユ)が10話で打ち切り。08年連載スタートの『マイスター』(作:加地君也)が10話で打ち切り。10年連載スタートの『少年疾駆』(作:附田祐斗)が15話。同じく10年連載スタートの『LIGHT WING』(作:神海英雄)が21話。11年連載スタートの『DOIS SOL』(作:村瀬克俊)が17話。そして14年連載スタートの『TOKYO WONDER BOYS』(原作:下山健人、漫画:伊達恒大)が10話で連載終了を迎えている。 比較的長く連載が続いた作品として91~92年にかけて連載されたにわのまことの『超機動暴発蹴球野郎 リベロの武田』といった作品や、98年から02年にかけて全216話が連載された『ホイッスル!』(作:樋口大輔)といったヒット作もあるが、打率はかなり低めといえるだろう。 『LIGHT WING』の神海英雄はその後、吹奏楽をテーマにしたマンガ『SOUL CATCHER(S)』を「ジャンプ」で連載開始し、その後掲載誌を変えながら全89話を連載。『少年疾駆』の附田祐斗は現在好評連載中の料理マンガ『食戟のソーマ』で原作を担当するなど活躍しているので、「ジャンプ」でサッカーマンガを描いたマンガ家たちのスキルが低かったというわけでもない。 「ジャンプ」におけるサッカーマンガの敗北の数々はもはやネット上でネタ化しており、今回の『オレゴラッソ』打ち切りに対しても「ホント長続きしねえなwww」「ジャンプでサッカー漫画は悲しくなるからもうやめて」「まーたつきぬけてしまったか」といった声が。 しかし、バスケマンガ界では『SLAM DUNK』(作:井上雄彦)という超偉大な作品と比べられながらも、『黒子のバスケ』(作:藤巻忠俊)が大成功を収めることができたため、いつか大ヒットするサッカーマンガが出る可能性は十分にある。 サッカーは現実世界では世界的にもトップクラスの人気スポーツであるため、「ジャンプ」は何度打ち切りをだそうとも、ヒットした時の旨味を考えると、これからもサッカーマンガを量産し続けるだろう。メッシ、ジダン、ネイマール、ロナウジーニョ、インザーギ、フェルナンド・トーレス、デル・ピエロ、ハメス・ロドリゲスなど、世界最強プレイヤーたちに愛された『キャプテン翼』の跡を次ぐマンガはいつ誕生するのだろうか。「週刊少年ジャンプ」公式サイトより。
2017年は特撮にとってどんな年になる? ゾルダ復活&『スーパー大戦』に見るサブライダーの復権に注目!!
こんにちは、モノブライトのベース、出口です。 スーパー戦隊シリーズ第40作の記念作となった『動物戦隊ジュウオウジャー』が最終回を迎えました。一年間、その勇姿を追いかけ毎週応援してきたヒーローとのお別れは、毎度のことながら最終回を見終わると胸にポッカリ穴が空いたような寂しさを覚えます。“ジュウオウジャーロス”と言ったところでしょうか。 しかし、文字通り彗星の如く現れた新ヒーロー『宇宙戦隊キュウレンジャー』のこれまで見られなかったタイプの勢いと革新的な格好良さを目の当たりにし、胸の隙間に入り込んだジュウオウジャーロスは緩和され「ジュウオウジャーには劇場版とか、また会えるしな」とひとりごちるのは、なんともゲンキンと言うか心変わりが早いと言うか、我ながら柔軟な距離感でヒーローを応援している次第であります(放送局はいずれもテレビ朝日系)。 2016年は日本特撮の歴史を語る上でターニングポイントとなった年でした。前述のスーパー戦隊シリーズが第40作となったことをはじめ、『ウルトラマン』50周年、『シン・ゴジラ』公開、『仮面ライダー』45周年、などなど。日本特撮の始祖であり、現在も特撮の最前線とも言えるシリーズたちの記念周年が同じ年にこれだけ重なるなんて、記憶している限り今まで無かったと思う。偶然そうなった、と言ってしまえばそれまでですが、もっと大きな意味が2016年にはあります。その理由は、どの作品にもアニバーサリーイヤーにありがちな懐古主義ではなく、特撮の未来、特撮のこれからのために大きな楔のような句読点を打つ気概、気迫が感じられたからです。 言い方を変えると“総決算”であり、以後の作品にとっては、ともすれば悪夢的に高い壁にもなりかねない句読点。そんな意味合いが込められた作品群が乱立した2016年は、特撮史においてある意味終点であり起点になり得る重要な年と言えるです。 そこで気になるのは、2017年はどうなるんだ、ということ。モノブライトのベース・出口博之(撮影:松沢雅彦)
大きなトピックスとしては、『ウルトラセブン』50周年、Vシネマ『スペーススクワッド』の6月公開(『宇宙刑事ギャバン』『特捜戦隊デカレンジャー』などが登場予定)がすでに発表されていて、今年も特撮ファンにはたまらない話題作が目白押しになりそうです。そんな中、現在個人的に今一番注目しているのは、3月公開になる映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』です。スーパー戦隊シリーズと仮面ライダーシリーズが同一の世界に登場する、まさにヒーローの祭典と言っても過言ではない劇場版シリーズ。公開される度に「過去作品のヒーロー」が新たな形で登場し、もう一度あのヒーローに出会える驚きと喜びがある作品です。 今作では総勢100名のヒーローが登場することと同時にメインビジュアルも公開されましたが、今回はなかなか興味深いキャスティングになっていて、直近の作品群のヒーローと共に今年10周年を迎える『仮面ライダー電王』(07~08年)と、同じく今年15周年を迎える『仮面ライダー龍騎』(02~03年)を差し置いて、中央に同作のサブライダーである仮面ライダーゾルダの姿が。 たしかに龍騎本編ではほぼ主人公級のキャラクターではありますが、なぜこの立ち位置に龍騎ではなくゾルダなのか。それは、膨大なアーカイブを再構築することがひとつの方法論として確立した00年代中盤以降のスピンオフ作品(スーパーヒーロー大戦シリーズも含む)などでのいわゆるサブライダーは、本編とは少し離れた立ち位置で多元的な世界観をつなぐ役割を獲得したから。この事象は2017年以降の特撮史において、非常に重要なポイントになり得るのではないかと思うのです。 ものすごく前置きが長くなりましたが、今回の【特撮自由帳】はゾルダ復活と『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』公開待ちきれない記念として、サブライダーについてを、極論に支配された思考ルーチンで考察したいと思います。いつにも増してあっちこっちにいきそうな考察になりそうですが、お付き合いくださいませ。 ■パラレルワールドと正史の差 まずはじめに、スーパー戦隊と仮面ライダーの両シリーズにおける作品ごとのつながりに対するスタンスを見ていきましょう。 スーパー戦隊では『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11~12年)で「スーパー戦隊は連綿と地球を守ってきた存在」として、すべてのシリーズがひとつの次元でつながっていることを提示しています。仮面ライダー(平成シリーズ)では、『仮面ライダーディケイド』(09年)において「仮面ライダーが存在する9つの並行世界」を提示し、各世界を違う次元の出来事にしています。あくまで広義での分類とご理解いただければ。Vシネマ『スペーススクワッド』公式サイトより
ゴーカイジャー、ディケイド共に「他のヒーローに多段変身できる」ことは共通していますが、その扱い方には明確な差別化が図られており、この違いによりスーパー戦隊シリーズは他のヒーローがたくさん集まる系の作品では「本人」もしくは「ゴーカイジャーの大いなる力」なくしては登場できない制約が生まれています。それに対し、仮面ライダー自体の力、言い換えるとデータを用いて他のライダーを立体化させたディケイドの方法論は、フレキシブルに多くのライダー含め、他のヒーローを登場させることへの理由と説得力を獲得し、この制約を突破しているのです。 ヒーローのデータを用いる点はゲームをモチーフにしている『仮面ライダーエグゼイド』でも受け継がれ、『超スーパーヒーロー大戦』において過去のヒーローが登場する理由を「ゲームの登場キャラクターにする」という部分に見られます。その上、ディケイドによって並行世界に対する理解力、読解力が私たちの中にもあるので、「あー、龍騎は周年だからファンサービスね」ということだけではなく、あくまで物語と世界観に準拠した形での再登場は、劇中で北岡先生が亡くなっていてもゾルダの登場に納得できるし、もしかすると北岡先生だけではなく並行世界にいるであろう由良吾郎も登場するんじゃないか、という期待も膨らむという訳です。 もう少しゾルダへの期待という部分で掘り下げると、『仮面ライダー電王』との絡みも注目したいところ。電王でのサブライダー的立ち位置には仮面ライダーゼロノスがいます。ゼロノスとゾルダの共通点(緑色、モチーフなど)が多いので、何かしらの絡みがあるのではと予想。このようなメタ的なネタもサブライダーだからできるものではないでしょうか。 ■世界観を広げる、もうひとつのストーリー『仮面ライダー龍騎 Blu-rayBOX』ジャケット
『仮面ライダー龍騎』勢で言えば、もうひとり忘れてはならないのが、仮面ライダー王蛇(おうじゃ)。こちらは劇場版ではなく、東映特撮ファンクラブ初のオリジナル映像作品『仮面ライダーブレイブ~Surviveせよ!復活のビーストライダー・スクワッド~』(17年)で登場しています。野獣タイプのライダーが集まった「ビーストライダー・スクワッド」というのも、新団体を旗揚げしたヒールレスラー集団にも近いものを感じ胸が熱くなります。時を超えて主役級の登場を果たした仮面ライダー王蛇はじめとする「ビーストライダー・スクワッド」は、もはや「サブ」という言葉がふさわしくないほどの存在感を持ち、もうひとりの仮面ライダーであることを声高に宣言しています。 平成仮面ライダーシリーズでは複数のライダーを便宜上「1号と2号」や「メインとサブ」と呼称していますが、そもそも両者の関係性は「仮面ライダーと仮面ライダー」であって、おしなべて全員が主役です。 しかし、本編ではどうしても中央の仮面ライダーがフォーカスされるので、もうひとり(もしくは二人目、三人目)の仮面ライダーは一歩引いた立ち位置になります。テレビでは必然のことであり、そこで描ききれない要素を特にVシネマで補完するのが定石とされていましたが、ここ数年でもうひとつのアウトプット「ネット配信」が生まれ、テレビ本編では描けない物語(高年齢層や一歩引いた立ち位置だったもうひとりの仮面ライダーについてなど)を紡ぐことが可能になったのです。Vシネマはいわゆる読み切り的な物語でしたが、テレビとほぼ同じ連続モノとして物語を追うことができます。直近の作品で言えば、テレビでは放送できない(後に修正した編集版が放送されるが)一歩踏み込んだ表現でより高い年齢層を狙った『仮面ライダーアマゾンズ』(16年)が当てはまります。 『仮面ライダーアマゾンズと仮面ライダーブレイブ~Surviveせよ!復活のビーストライダー・スクワッド~』は、ネット配信という形でこれまで読み切りの番外編にすぎなかったもうひとりの(もしくはそれに準ずる)仮面ライダーの物語などを、細部まで、深部まで描く可能性を示しています。ネット配信の登場によって豊富になったプラットフォームは、作品の世界観をより重層的な構造にするのです。これは仮面ライダーに限らず当てはまることですが、登場人物の多くが複雑な関係性になる仮面ライダーにとっては殊更相性が良く、今後のスタンダードになり得るものだと思います。 ■もしも叶うなら、どのサブライダーの物語が見たいか「東映ファンクラブ」作品紹介ページより
仮面ライダーゾルダ、仮面ライダー王蛇が時間を超えて復活したことを考えると、他の作品のサブライダーにもスポットライトが当たるチャンスはあると言うことです。これまで登場したサブライダーは一体何人いるのかをカウントしてみました。 仮面ライダーアギト:3 仮面ライダー龍騎:12 仮面ライダー555:2 仮面ライダーブレイド:6 仮面ライダー響鬼:15 仮面ライダーカブト:7 仮面ライダー電王:2 仮面ライダーキバ:3 仮面ライダーディケイド:3 仮面ライダーW:3 仮面ライダーオーズ:3 仮面ライダーフォーゼ:2 仮面ライダーウィザード:4 仮面ライダー鎧武:11 仮面ライダードライブ:4 仮面ライダーゴースト:4 仮面ライダーエグゼイド:5 ※主人公以外の変身者の数。劇場版含む。 合計で89人。こうやって見ると、作品ごとで人数にかなりのばらつきがあります。特に注目したいのは大人数の印象が強い龍騎や鎧武を抑え、実は響鬼が最多人数であること。響鬼は魔化魍(まかもう)から人々を人知れず守り続けている猛士(たけし)という組織があるため、ここに所属する鬼(今作でのライダーの呼称)の人数と考えれば合点がいきますが、内訳を見ると劇中に名前しか出てこない鬼、オープニングのみに登場する鬼もカウントされています。 これだ!今まで語られることのなかった鬼たちの活躍、見てみたいと思いませんか? 深刻な人員不足により、疲れが癒えないまま魔化魍と戦い続けていることが言及されているので、過酷な現場環境で戦う鬼たちの師弟関係なんて、これがドラマチックにならなくてどうする!といったところでしょう。ネット配信であれば、テレビでは表現できなかった魔化魍の凶悪さや、鍛え抜かれた肉体で戦う鬼のバイオレンス感満載の格闘なんかも実現できると思います。きっと面白い物語になりそうなので、製作の方よろしくお願いします! いかがだったでしょうか? 今回はサブライダー(もうひとりの仮面ライダー)について色々と想いを巡らせてみましたが、ゾルダや王蛇の再登場は、今後仮面ライダーに限らず周年記念を迎える作品のヒーローが活躍できる場所を大きく広げた結果になると思います。 2017年以降の特撮は、これまで語られなかったサイドストーリーを拡充する時代が到来すると感じています。 ■モノブライト公式サイト http://www.monobright.jp/ ・3月4日「見放題東京2017」 に出演 会場:東京新宿歌舞伎町界隈9会場 イベント公式サイト http://mihoudai.tokyo/ ・3月11日「KOBE MUSIC STADIUM-対バン’17-」に出演 会場:神戸 太陽と虎(http://taitora.com/) ・3月12日「HIROSHIMA MUSIC STADIUM -ハルバン’17 」に出演 会場:広島 CAVE-BE(http://www.cave-be.net/hiroshima/top.html)『劇場版 仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼』Blu-rayジャケット
不死身が悩みの種!? アメコミ“ベスト・オブ・グロテスク”シーンを大公開!『ローガン』
前回は今年公開の映画『ジャスティス・リーグ』が原作とどう違ってくるのかなどを取り上げた。今回は同じく映画公開(6月)が待ち遠しい『ローガン』に登場するある能力、描写についてお話ししたいと思う。 『X-MEN』シリーズでも登場したヒーロー「ウルヴァリン」が、自身の特殊能力を失いつつある晩世を描くという異色作『ローガン』。原作コミックは『Old Man Logan』(MARVEL)だ。 主人公でミュータントであるウルヴァリンは、鋭い爪を持ったイメージが強いが、本来の力はどんな怪我からも回復することができる、治癒再生能力「ヒーリング・ファクター」。傷ついたり壊れたりした細胞を、人間よりも早く再生する治癒能力で、直接命にかかわるような部分でなければ、銃弾を受けた傷も数分で治せる。さらに、治癒能力の高さゆえ、毒物なども効かず、投薬しても解毒され、老化そのものも遅くなるために普通の人間と比べて寿命も長い。ただ、今回の映画では年月とともに治癒能力が弱くなったウルヴァリンが登場する。 「ヒーリング・ファクター」は、ウルヴァリンだけの能力ではない。ウルヴァリンの宿敵である「セイバートゥース」、ウルヴァリンの息子「ダケン」、ウルヴァリンの女性型クローンの「X-23」。ウルヴァリンの命を狙い続ける「レディ・デスストライク」などウルヴァリン周辺にたくさんいる。 この無敵の「ヒーリング・ファクター」は、グロテスクな描写で描かれることが多い。腕がとれるなんて序の口。再生能力を使い、傷を負いながらも戦っている。 アメコミにグロテスクな描写はつきものだが、映画化などをする際、ほとんど再現はできず、そのシーンは企画の段階でお蔵入りになってしまうという。ちなみに、『ローガン』はR指定ということが決定しており、過剰な暴力シーンやグロテスクな表現があるに違いない。 長くなってしまったが、アメコミにおける“グロテスクな表現”を今回はご紹介。血しぶき撒き散らすそのさまを、ぜひとも堪能してもらいたいと思う。 今回、私が腕によりをかけて選ぶ“ベスト・オブ・グロテスク”は……『デッドプールvs.カーネイジ』(小学館集英社プロダクション)より“血しぶきバトル”。『スパイダーマン:ブランニュー・デイ2』(同)より“悪役「フリーク」のグロすぎる姿”。『ULTIMATUM(アルティメイタム)』(MARVEL)より“33人以上のヒーローが序盤で死亡”だ。 まず一つ目は『デッドプールvs.カーネイジ』。この作品は、マーベルコミックのキャラの中でも特にイカレた“2狂”が対決するというもの。デッドプールは、昨年映画化も果たしたが、「カーネイジ」を知らない人も多いだろう。彼は、スパイダーマンに登場する悪役で地球外寄生生物シンビオートが殺人鬼を宿主にした結果、大量殺人を繰り返すというトンデモない殺人狂だ。対するデッドプールの素っ頓狂さといえば、映画を見た方にはお分かりいただけるだろう。 そんな2人がぶつかるってもんだから、カーネイジも赤けりゃデッドプールも真っ赤っか。内臓は飛び出すわ、街は火の海。女子供も容赦なしに殺されるという目を覆いたくなる展開の連続。とにかくやりすぎなのだが、デッドプールがいるおかげ(?)でどこか笑えるのは、読者のこちらも狂ってしまったからなのか……。 次に『スパイダーマン:ブランニュー・デイ2』。ヒーロー活動を休止していたスパイダーマンが活動を再開するシリーズの2作目。ヒーローであるスパイダーマンが、連続殺人事件の容疑者としてマークされるなど、次々と災難が降りかかる。 この作品の中で、ニューヨーク市民を脅かす新たなヴィランの「フリーク」。麻薬中毒者の男がクスリを求めるあまりに、たまたま侵入した研究所で勘違いして幹細胞血清を打ってしまい、異形の化け物「フリーク」と化して街で暴れ始めるという内容だが、そのビジュアルが凄まじいまでのグロさ。筋肉丸見えの人体模型のような容姿だが、それは第一形態なのだ。 フリークは“一度死亡すると、その死に至った要因(弱点)を克服して復活する”という厄介な能力を持っているため、復活するたびにフォルムがよりグロテスクになっていく。 そして最後は『ULTIMATUM(アルティメイタム)』。映画『アベンジャーズ』の原案としても知られている同シリーズだが、『アルティメイタム』は衝撃の展開とグロさで、アメコミファンの間で知られている。 この作品のグロさ、それは序盤で33人以上のヒーローが死亡する超絶鬱展開。ファンからは賛否両論も多かったが、耐性があるはずの自分も読んで思わず「マジか!」と声を上げてしまった。 簡単に説明すると、ニューヨークを大洪水が襲い、一夜にして数100万人の市民が死亡。全国民が氷漬けになったり、火山が爆発したりする。さらに、各地で自爆テロが横行するなど、まさに世紀末。これらがすべてX-MENの宿敵「マグニートー」が仕掛けたものだと判明し、X-MENとアベンジャーズたちが立ち上がるというものだ。 しかし、序盤で大量のヒーローが無残にも死亡。内臓が飛び出した状態で死んだり、巨大な敵に頭をもぎとられるわ、爆弾で四散するなど、とにかく次々と殺されていく。ほぼ不死身のウルヴァリンでさえ、味方の誤射を浴びたあげく敵のマグニートーにとどめを刺されて死亡。あちこちでヒーローたちが死にまくる、死屍累々のスプラッタ展開の作品も珍しいので逆に必見だ。 今回はグロテスクな作品を3つ紹介したが、アメコミはまだまだ奥深い。精神的にグロテスクなものもたくさん。もちろんグロテスクではないものも。最近では日本の漫画界でも、絶望感たっぷりのグロテスクな表現の作品も人気になっているので、好きな人にはぜひ見てほしい作品を選んでいる。気になった人はご一読を! (文=大野なおと) アメコミ実写化奇譚の過去の記事はこちら『Wolverine:Old Man Logan』(Marvel)
女優の素のかわいらしさを引き出すのが天才的にうまい! 今泉力哉監督の新境地『退屈な日々にさようならを』
SFアニメ『蒼穹のファフナー』や人気ゲーム『FINAL FANTASY X』などで声優としても活躍する女優・松本まりかがメインキャストを演じている実写映画『退屈な日々にさようならを』は注目の作品だ。本作を撮ったのは『こっぴどい猫』(12年)、『サッドティー』(13年)、『知らない、ふたり』(16年)など恋愛をテーマにしたユーモラスな群像劇を生み出している才人・今泉力哉監督。本作もまた今泉監督ならではの、人を好きになることのおかしみと切なさが巧みにブレンドされたオリジナル作品となっている。 『退屈な日々にさようならを』は、売れない映画監督・梶原(矢作優)のダメダメな日常生活から始まる。梶原は監督業では食べていけず、同棲中の彼女・佐知子(村田唯)との関係も怪しい雲行きに。自主映画仲間の上映会に顔を出しては一方的にダメ出しして、みんなから嫌われまくる始末。悪酔いしてサイテーの一夜を過ごす梶原だが、その夜に知り合った男の紹介で、新人女性タレント(カネコアヤノ)のミュージックビデオを撮ることになる。だが、せっかくの仕事も、売れない監督ならではの妙なこだわりを発揮して、暗礁に乗り上げてしまう。 一方、とある田舎。亡くなった父親の後を継いで造園業を営んでいた太郎(内堀太郎)だが、景気の悪さから店を畳むことに。実家でまったりとした日々を過ごしていると、太郎の双子の弟・次郎の彼女だという青葉(松本まりか)から連絡があり、「彼が姿を消した」と知らせてきた。次郎は18歳のときに実家を出てから音信不通状態だったので、次郎が東京で生きていたことを知って、太郎たち一家は青葉の知らせに逆に安堵する。まったく関係ないと思われた梶原のミュージックビデオの撮影と田舎で暮らす太郎たちの生活が、青葉を接点にして思いがけない方向へと転がっていく。松本まりかをはじめ、女優陣の美しさが目に焼き付く注目の映画『退屈な日々にさようならを』。
今泉監督は女優をかわいらしく、美しく撮り上げ、さらに他の監督たちがまだ見出していない隠れた素顔を引き出すことに天才的な才能を発揮する演出家だ。本作でも、今泉作品に初参加となった松本まりかの魅力をぐいぐいとスクリーン上に押し広げてみせる。東京でインディペンデント系の映画を撮っていた次郎(内堀太郎2役)は、地道に女優活動をしている青葉と一緒に暮らしていた。恋する2人の回想シーンがあまりにも素晴しい。ただ2人がアパートで朝食を摂るだけの場面なのだが、わがままな青葉が食パンの耳を残して、パンの柔らかい部分だけを食べている様子を次郎は愛おしそうに見つめ、次郎は自分の食パンの耳を外して、彼女に渡す。テーブルには2枚の食パンと一人分の牛乳があるだけのシンプルな設定ながら、恋愛期にある恋人たちの心の満たされ加減を200%表現してみせている。ちなみにこのシーンの2人のやりとりは、撮影現場でのアドリブだったらしい。 男と女の感情の機微をこれまで笑いを交えて描いてきた今泉監督だが、今回は人間の生き死にについて言及した、これまでになく陰影のあるドラマとなっている。実は今泉監督は福島県出身。6年前に大災害を経験した故郷の人々の喪失感に、そっと寄り添う作品に本作を仕立てている。試写会場のロビーに佇んでいた今泉監督はこう語った。 「特に震災を意識して撮った作品というわけではありませんが、僕が生まれ育った福島を舞台にした映画はずっと撮りたいなと考えていたんです。2015年に僕は初めての舞台『アジェについて』を上演したんですが、そのときの内容が人間の生き死にと記憶についてのものだったので、そのテーマをより掘り下げた形で映画化したのが『退屈な日々にさようならを』なんです。映画に出てくる太郎の家は僕の実家で、近所の公園は僕が子どもの頃に遊んでいた思い出の場所です(笑)」(今泉監督)映画監督の梶原(矢作優)が悪酔いから目を覚ますと、そこは若い女性だらけの謎のコミュニティーだった。
物語の後半、太郎の家を青葉が訪問する。弟の恋人が思いがけず美人だったので、あわてふためく太郎。弟が行方不明だというのに、「彼の生まれた街を見てみたかった」という青葉のために、あれこれと地元の名所を案内しようと張り切る。太郎一家に歓迎され、青葉も笑顔をこぼす。ところが、行方不明中であるはずの次郎はすでに他界しており、青葉は太郎たちに嘘を吐いていたことが明るみになる。 「死んだことを知らなければ、知らない人の中では生きていることになるのではないか。死んだことを知らない人たちが暮らしている街に行けば、もしかしたら生きているあの人に逢えるんじゃないかと思った」と青葉はおかしな理屈で弁解する。次郎の死をなかったことにしようとする青葉の行為は、世間の常識から大きく逸脱したものだし、青葉が吐いた嘘は太郎たち家族をぬか喜びさせ、彼らの感情を弄んだことになる。でも、嘘を吐いている青葉自身が大切なパートナーを失ったことに対する心の整理がまだできていない状態であり、太郎たち家族と一緒に次郎の不在を哀しみ、そして生前の次郎の思い出をお互いに共有しあうことで彼の死を少しずつ受け入れていこうとする。 映画というメディアは、どうしようもなく過去を映し出していくものだ。どんなに輝いている人を撮っても、カメラに記録した瞬間からどんどん過去のものとなっていく。映画を愛するということは、過ぎ去った記憶を愛するということでもある。恋愛感情は時間の経過と共に次第に冷めていくことは否めないが、でもその人を愛したという記憶は一生心に残る。すでに失われた愛も、これから始まるかもしれない恋も、すべてを等価値として温かく包み込む包容力が、今泉監督作品には備わっている。 (文=長野辰次)青葉(松本まりか)は次郎がいなくなったことを次郎の兄・太郎(内堀太郎)に伝えに現われる。
『退屈な日々にさようならを』 監督・脚本/今泉力哉 主題歌/カネコアヤノ「退屈な日々にさようならを」 出演/内堀太郎、矢作優、村田唯、清田智彦、秋葉美希、猫目はち、りりか、安田茉央、小池まり、疋田健人、川島彩香、水森千晴、カネコアヤノ、松本まりか 配給/ENBUゼミナール 2月25日(土)より新宿K's cinemaほか全国公開 (c)ENBUゼミナール http://tai-sayo.com
同業他社からもディスられる……「不健全図書」2冊同時指定された謎出版社・ブラスト出版の正体
毎月、東京都が実施している「不健全図書指定」。いまや多くの人が知ることになった、都職員が買い集めた雑誌・書籍の中から青少年に有害と思われるものを東京都青少年健全育成審議会に諮問し、指定する制度である。指定された雑誌・書籍は18歳未満への販売が禁止され、店頭では18禁を表示するなど区分して陳列することが義務づけられる。 制度の是非はともかくとして、条例で定められている以上、出版業界ではいかにして自主規制などの手段で指定を回避するか。あるいは、いざ指定された場合には、どんな対応をするかの経験を蓄積している。 そんな制度の中に登場した新興出版社が、注目を集めている。2月に『桜井遥、女体化しちゃいました。』『俺だけが知ってるアイツの秘密』を同時に指定されたブラスト出版がそれだ。 この指定に対して、2月21日。ティーアイネットの「コミックMUJIN」編集部、公式アカウントで次のようなツイートが投じられた。ブラスト出版公式サイトより。
法人登記がないとは、どういうことか? 件のブラスト出版の公式サイト(http://blastpub.jp/)を見ると、会社概要に記されているのは、会社名と電話番号のみ。しかも、会社名は単に「ブラスト出版」と記されているだけで、株式会社などの表記はないのである。そこで、電話番号で検索してみると、デジタルコミックレーベル「COMIC維新」を運営し、BL・TL単行本を発行している株式会社彗星社のサイトへと行き着くのである。 結論からいうと、ブラスト出版の法人登記は存在する。正確には登記から、まだ半月も経っていない。登記簿によれば、今年2月14日に「合同会社ブラスト出版」として会社が成立しているのである。つまり、会社の正式な設立を期して不健全図書指定を喰らうという、なかなか狙ってもできない記念碑を打ち立てたというわけである。 では、ブラスト出版は彗星社がエロ作品を扱うためのダミーとして立ち上げた出版社なのかといえば、そうではない。両社とも公式サイトの会社概要では関係を秘めているが、どちらも東池袋の同じオフィスに所在する、株式会社ウェイブのダミー会社なのである。 株式会社ウェイブは、公式サイトでは事業として乙女ゲームのほか「COMIC維新」を運営していることは隠してないが、ブラスト出版の存在については、まったく触れていない。しかし、登記簿を見れば三者共に代表取締役(註:ブラスト出版は合同会社のため代表社員)に、関口航太なる人物の名前が記されている。 株式会社ウェイブのサイトに記された「主要取引先」を見る限り、ブラスト出版は同社が表には出しづらい事業を行うためのダミーとして設立されたもののようである(ただ、単行本自体には発行者名と住所電話番号も掲載されている。読者にはバレても構わないという判断か?)。 エロ作品を扱うために、出版社が別の会社をつくる事例は、双葉社におけるエンジェル出版や、少年画報社における大都社、マガジン・マガジンにおけるサン・メディアレップなど、数多く行われていること。しかし、昨年11月の審議会では、委員の一人が指定を受けたロングラインドジェイ有限会社発行の『いいなり少女』を取り上げ「これは(別の出版社である)ジーウォークではないのですか」と指摘している。 この委員は「逃げ道」という言葉を用いていることから、どうも不健全指定の回数が積み重ねるのを避けるために、同一出版社が複数の会社名を使っているのではないかと見ている様子。つまり、すでにバレバレなのである(ジーウォークの名誉のために触れておくが同社によれば「編プロであるロングラインドジェイにコードを貸したので、こうなっているだけ」とのこと)。 ■国家権力への挑戦か? 18禁表示も一切ナシ そんな、株式会社ウェイブ=彗星社=ブラスト出版だが、冒頭に記したように同業他社にディスられる明確な理由はある。それが、株式会社ウェイブが運営元として記されている、電子コミック配信サイト「コミックフェスタ(http://comic.iowl.jp/)」の存在だ。このサイトでは、講談社や秋田書店など他社作品と共に、オリジナル作品の販売も行われている。 問題は、その中のメンズコミック(要はエロ)のカテゴリー。ここでは、無料で白抜きの修整があるエロシーンまで立ち読みすることができる。 様々な配信サイトでは、修整が必要なレベルの作品のページを閲覧する際に「18禁です」の表示が現れる。あるいは、白抜きページまでは見せない。ここからは、同社が自主規制に対して知識が不足しているのではないかとも感じられる。 そうした点について、話を聞くべく株式会社ウェイブ宛に取材依頼を送付したものの、期限までに返事はなかった。 (文=昼間たかし)2月の都条例候補のブラスト出版ってどこ? (法人登記がないとのこと) 森嶋こん先生や浅月のりと先生の本 ウエブから紙でだした系か? 都への対応知らなそうでコワイな ――コミックMUJIN編集部公式アカウント(@mujin_tinet)より。
【劇場アニメレビュー】再発進した『ヤマト』で福井晴敏節が唸る!? 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』
20世紀を代表する伝説的SFアニメーション・シリーズ『宇宙戦艦ヤマト』、そのTV版第1作(1974~75年)を21世紀に蘇らせた『宇宙戦艦ヤマト2199』(2012~13年)シリーズは、おおむね好評をもって迎え入れられた印象がある。 問題は、その後をどうするか? であった。 20世紀のTV版第1作を再編集した映画『宇宙戦艦ヤマト』(77年)のヒット(これにより空前の第一次アニメブームが巻き起こった)を受けて製作された続編映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)と、そのテレビ版ともいえる『宇宙戦艦ヤマト2』(78~79年)。両者は設定の相違もさながら、主人公・古代進らヤマト・クルーが最終的にどうなるかといったラストが大きく異なる。 結果としてヤマト・シリーズはテレビ『2』を正編としてシリーズを続行していくが、おかげで『さらば』は黒歴史扱いされてしまい、そのラストに涙していた当時のファンたちは激昂。また『さらば』の結末は当時の大人たちの間で「軍国主義復活への懸念」「いや、これは特攻賛美ではなくロマンなのだ」などなどと、右へ左への大議論を巻き起こしていったことも、つい昨日のことのように思い浮かべてしまう。 そして『宇宙戦艦ヤマト2199』シリーズの続編『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』が前回と同じ全7章で製作されることになったわけだが、総監督が前シリーズの出渕裕から羽原信義にバトンタッチ。またシリーズ構成を、作家で『機動戦士ガンダムUC』シリーズ(10~14年)の原作も担った福井晴敏が担当。『ガンダム』も『ヤマト』も手掛けるとは何ともうらやましい御仁ではあるが、2月25日から2週間限定で上映が開始される『第一章 嚆矢篇』の冒頭、いきなり福井節ともいえる設定に仰天してしまった。 ヤマト・シリーズのお約束ともいえる「無限に広がる大宇宙…」に始まるナレーションを、今回は強大な敵・帝星ガトランティスのズォーダー大帝が、いかにも荘厳なる巨悪の声で唱えているのだ。 それどころか、最後に彼はつぶやく。 「だから、愛が必要だ」 「愛」とはヤマト・シリーズのキモでもあり、良くも悪くも「愛」を旗印(もしくは免罪符)に、古代進らヤマト・クルーは敵と戦い続けていったわけだが、ここでは何と敵の側から「愛」が語られる。 つまり今回は敵味方の双方から、それぞれの「愛」(「正義」と呼んでも差し支えないかもしれない)が唱えられ、それゆえの熾烈な戦いが繰り広げられていくことが予想されるのだ。 設定としては、前作の敵であったガミラス帝国と地球は連合を結び、この第1章の段階ですでにガトランティスの猛攻に立ち向かっている。 『さらば』のときは“白色彗星”のイメージが強烈だったガトランティスではあるが、ここではまだその全貌をあらわしていないのが無気味と言えば無気味でもある。 また、『2199』では最終的に使用を戒められた波動砲だが、それをパワーアップさせた二連装波動砲を装備する新鋭艦アンドロメダは、今回かなり人間の好戦的な悪しき業を背負った存在として映え渡りそうな予感もする。 アンドロメダというところでどうしてもこだわりたくなるのが、今回のヤマト艦長である。 『さらば』では初代艦長・沖田十三の親友でもあった土方竜が二代目艦長を見事な存在感で担ってくれていたが、TV版『2』では古代進が二代目艦長に着任し、土方はあろうことかアンドロメダ艦長へと設定が変更されていた。 さらに今回は神田沙也加の美声も麗しい(まだほんの少ししか出番はないけど)テレザート星のテレサだが、『さらば』では宇宙の愛を象徴し、しかも触れたら大爆発する反物質の身体を持つ“女神”として映えていたものの、『2』ではなんとヤマト・クルーの島大介と恋に落ちるという“人間”もどきに成り下がり、多くのファンを落胆させた罪があるだけに、もう今回の『2202』の今後の成り行きに関して、いてもたってもいられない。 実は今回アンドロメダは憎々し気に登場するが、土方は登場しない。ということは、ヤマト二代目艦長に彼が就任する可能性も大ということだ。 極論すれば、私は土方がヤマト艦長になってくれさえすれば、あとはどのようなひどい出来になっても『2202』は許す(しかし、そうでなかったら許さない!)。 正直なところ、私はヤマト・シリーズの中でもっとも好きなキャラクターが『さらば』の土方さんなのだ。一度はガトランティスに敗北し、本人が言うところの「生き恥をさらしながら」敗残の将としてあえて沖田の代打としてヤマトを指揮し、多大な戦果を収めていく姿は、いつ見ても涙を禁じ得ないものがある。 前作『2199』で個人的にもっとも好きなシーンも、土方と親友・沖田との語らいの数々であり、これがあるだけで私は『2199』肯定派なのであった。 テレサにしても、できれば今回は“女神”のオーラを湛えたままで全7章を貫いてほしいものと切に願っている次第だが、果たしてどうなるか……? 今回、ガミラス側の地球駐在武官クラウス・キーマンが新キャラとしてスパイのごとく暗躍したり、また生死不明の宿敵デスラー総統がどのような形でお目見えするのかなども興味津々ではあるのだが、第1章の段階では何も見えてこない。こちらはただただ想像し、期待するのみである。 一見すると職人肌ではあるが、その実『宇宙戦艦ヤマト復活篇』DC版のアニメーション・ディレクターとして大任を全うし、一方では『蒼穹のファフナー』シリーズ(04&15年)のような鬱アニメを見事なエンタメの域にまで高めた羽原監督の力量を、今は信じたい。 思えば『さらば』が公開された1978年は、『未知との遭遇』(77年)や『スター・ウォーズ』(77年)といった海の向こうのSF超大作が黒船のごとく日本に押し寄せ、空前のSFブームが巻き起こった年でもあったが、そんな中で我が国は『惑星大戦争』(77年)やら『宇宙からのメッセージ』(78年)『火の鳥』(78年)『ブルークリスマス』(78年)などの竹槍SFで健気に応戦するもあえなく討ち死にしていく中(すべて個人的には愛してやまない作品だが)、『さらば』だけがそんな黒船SFに拮抗しながら人気を博し、またそれゆえに当時の中高生たちはアニメに夢と希望を抱き、ブームに拍車をかけていくことになったのである。 (少なくともあの頃、ヤマトはもとよりアニメをちゃんと見ていないと、学校のクラスで仲間外れにされるほどであった。部活動のイケメン・キャプテンも学年一の秀才少女も、みんなアニメを見て語り合っていた) あの頃、アニメは若者たちの流行の最先端だったのだ(ヲタクさんたちが本格的に台頭してくるのは、80年代に入ってからである)。 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』こそは、そんな時代のトレンド(死語?)の象徴であり、単にアニメーションの域にとどまらず、当時の若者たちの映像文化全般に対する希望の星でもあった。そこに右だの左だのは関係ない。 そして21世紀、ヲタク心もマニア情緒もごくごく普通のものとなって久しく、再び映画に音楽にとアニメ・メディアの数々がヒットチャートを賑わしていく一方、政治思想経済的には混迷の度を増していく今の時代に、『さらば』を原作とする『2202』が誕生した事実もまた、当時を知る世代としては何やら興味深く思えてならない。 ホント、今は旅立つヤマトをいつも見送りつつ、その無事を祈り続けてきた藤堂長官の気分である。 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』、絶対に成功してほしい。 (文・増當竜也)『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』公式サイトより。














