この際、清水富美加のことは置いておいて映画『暗黒女子』について語ってみよう

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映画『暗黒女子』公式サイトより。
 我々男性にとって、決してその世界に入ることはできず、清らかで崇高なイメージを保たれている場所。それが女子校だ。  ましてや、ミッション系の歴史のあるお嬢様校となれば、そのハードルと憧れは、一段も二段も上がる。そんな女子校を舞台にした映画『暗黒女子』。  主演女優、清水富美加の芸能界引退、出家騒動で公開が危ぶまれ、本編とは関係ないところで大きな話題となってしまった。  当然、あれだけ騒がれたのだから、映画を見ていてまったく彼女のことを考えない、というのは無理だ。ただ、一方でこの映画は、気鋭の若手女優が多く出演しており、アイドル好きとしても見逃せない作品となっている。  ここはひとつ、彼女の騒動のことは置いておいて、映画の見どころと魅力を語ってみることにする。  私立の名門女子高「聖母マリア女子高等学院」。ここには選ばれた人だけが参加することができるという「文学サークル」が存在する。学園内に作られたサロンを中心に活動を行い、全生徒の憧れの的ともなっている。  主催者は、学校経営者の娘、高校3年生の白石いつみ。  彼女が謎の死を遂げたことから、その真相をめぐって部員たちの語り合いが始まる。主人公と言ってもいいであろう、いつみを演じるのは、飯豊まりえ。  若い女性の間ではモデルとして有名だろうが、私が印象に残っているのは、2015年に放送されたドラマ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(フジテレビ系)だ。  メガネをかけたクールな優等生、つるこを演じた彼女は美しかった。その美しさの中に悲しみを抱えて、一人の人を思い続ける役だった。その美しさと演技力は、今回の映画でも遺憾なく発揮されている。  唯一の1年生部員、二谷美礼役は、今や押しも押されぬ人気女優となった平祐奈。5年前、おはスタにおはガールとして登場したときは、その明るく屈託のないキャラクターに、朝にピッタリの女の子だと感心したものだ。  同時期におはガールであった岡本夏美、吉川日菜子とともに組んだ「おはガールちゅ!ちゅ!ちゅ!」でアイドル活動を行い、また、女優としても着実にキャリアを積んできた。  お菓子作りの得意なメンバー、小南あかね役の小島梨里杏。  14年に『烈車戦隊トッキュウジャー』(テレビ朝日系)でブレークした彼女だが、それ以前はグラビア活動もしており、12年のイベントに行ったときは、参加者全員に手紙を書いて渡してくれるなど、ファン思いの一面を見せてくれたことも忘れられない。  女子高生作家、高岡志夜を演じたのは清野菜名。彼女もモデルとしての活動が長かったが、アクションもこなせる女優として注目度も高い。今回も年上の男性との関係を匂わせるシーンがあったが、その微妙なニュアンスをうまく演じていた。  最後は、ブルガリアからの留学生ディアナ・デチェヴァ役、玉城ティナ。ハーフならではのエキゾチックな顔立ちが美しい玉城。個性的という面では、ピカイチだろう。今年は『PとJK』『サクラダリセット』と、話題作に立て続けに出演しており、今後の活躍が期待される。  そんな魅力的なメンバーが揃った、この映画。前半はとにかく「女子校」という汚れなき世界の美しさを描いていく。緊張の糸がピンと張りつめていくようなイメージだ。そこに「死」「殺人」という要素が入ってくる。  しかし、その死にはどこか現実味がない。まるでおとぎの国でおきている一つの儀式のように、淡々と殺人の物語が語られる。それがこの作品のキモでもある。  そして、後半、予告編にもある「驚愕のラスト24分」は、どんでん返しによって物語の真実が明かされていく。この作品の原作は「イヤミス」と呼ばれ、「読んだ後にイヤな気持ちになるミステリー」とのことであった。  確かに、ストーリーや最後のオチは嫌な気持ちになる人もいるかもしれない。しかし、映画でこれを体験すると、最後は、張り詰めた緊張の糸が一気に解けていき、ひとつの真実に向かって物語が収束していく。驚きや恐怖といった感情が一気に押し寄せてくるようで、それはある種「快感」でもあった。  これがいわゆる「クセになる」というやつかもしれない。  女子校という非現実的な世界と、死という現実的な事象。それが物語を通してつながっていく。  要はバランスなのである。  我々は本能的に知っている。光にあふれた眩しい世界。しかし、その裏には必ずやその世界を支えている闇となる事実があるであろうことを。  映画では、「文芸サークルのメンバーが書いた小説」という前提で、その闇の部分が少しずつ語られていく。光の世界と闇の世界が、そのバランスを保ったまま逆転したとき、この映画の真の意味が見えてくる。  春休みということもあり、劇場には若い女性の姿が多く見られた。  教師役で出演している千葉雄大の人気もあるだろうが、キャストの多くがモデル経験があり、女の子から見ても憧れの対象であること。そして、もともと女の子はミステリーが好きということもあるのではないだろうか。  もちろん、私のような若手女優好きには、絶対に見逃せない作品だ。何年か後、ここに出演していた女の子たちが、日本の映画界で重要な役割を担う日が来るように思う。  そしてそのとき、この作品がある意味伝説として語られるような気がしてならないのだ。 (文=プレヤード)

神社本庁も「これはちょっと……」と漏らした。「DMM GAMES」新作『社にほへと』から考えるオタクの信仰

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『社にほへと』公式サイトより。
『艦隊これくしょん-艦これ-』や『刀剣乱舞-ONLINE-』など数多くのヒット作を世に送り出してきた「DMM GAMES」が新たに発表した『社にほへと』。夏からのリリースを予定して、事前登録が始まっているこのタイトルは、神社を擬人化した「社巫娘」なる美少女キャラクターが登場する。  事前登録をすると、毎日1回おみくじを引くことができ、「伏見稲荷」「鹿島」「春日」などのキャラクターを引き当てることができる。だが、そこには神社や神道への理解、そして畏敬や信仰への畏敬を疑わざるを得ない面が見受けられる。「おみくじ」を引くと、大吉から凶までがキャラクターのレアリティによって分類されている。つまり、特定の神社は大吉、あるいは凶と分類されているようである。  信仰心や日本における神社の存在理由を少しでも知っていれば、ここに超えてはいけない線を越えていることを感じるのではないか。取材に応じてくれた神社本庁の担当者も、おみくじを見て「これはちょっと……」と顔を曇らせる。  また、凶の「おみくじ」を引くと登場するキャラクターに割り当てられた石清水八幡宮に話を聞いたところ「(神社の名前を)使用したい等の連絡は来ておらず、まったくの無断使用」というのである。  ところが、当の「DMM GAMES」にも話を聞いたところ「本ゲームは『神社』をイメージした“フィクション”である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません」という。そして「おみくじ」についても「結果の運勢に『社(やしろ)』が紐づいているものではない」というのである。  これを、どういう形で書くべきか。凡庸なニュースサイトのごとく、センセーショナルな部分のみをクローズアップして記すだけで、終わってはならぬように思った。すると、筆は勝手に走り続けたのである……。  昨年、縁あって御柱を曳く機会を得た。  御柱祭の年、諏訪大社の御柱祭が終わった後の秋、諏訪の神社では地域の人々によって、それぞれ御柱祭が催される。地域の人々によって山から切り出された御柱は、地域中で曳かれ、境内に建てられるのだ。  そうした神社のひとつに、岡谷市の洩矢神社がある。数年前の夏に、私は偶然神社を訪れて、驚いた。普段は人もいない神社に設置された絵馬掛には、いくつものキャラクターを描いた絵馬が設置されていたのである。  そう、この神社はゲームに『東方Project』シリーズのキャラクター・洩矢諏訪子にゆかりのある神社だとされ、多くのファンが訪れるところになっていたのである。  いったいどのようなファンが集まっているのだろうか。たまたまTwitterで見つけた地元の人に聞いたところ、大みそかの夜には、地元の人々によって絵馬や熊手などの頒布も行われるという。ならば、ファンも集っているのだろう。私は、現地に行ってみることにした。  2014年の大みそか。私のほか、わずかな客だけを乗せて走る夜の中央本線各駅停車。  上諏訪まで高速バスで行き、そば千(上諏訪駅近くにあったコンビニと合体した、立ち食い蕎麦屋)で年越し蕎麦を食べた後に向かおう。そんなスケジュールを考えていたのだが、行ってみると店は閉まっていた。年越し蕎麦を食べ損なったガッカリ感にどうしようもない気持ちを抱えたまま、岡谷駅を降りると、雪がしんしんと降り積もっていた。  岡谷駅から洩矢神社へは、市街地とは逆方向の道を進むことになる。誰も歩いていない道の雪は、ただただ深かった。  そんな道を20分あまり。うっそうとした森に包まれた洩矢神社は、雪化粧を施されて、夏に訪れたときとはまったく違う風景を見せていた。石段の道には、提灯が並び新年への期待と厳粛な空気とが混じり合い、幻想的な雰囲気に包まれていた。  石段を昇ると、普段は閉ざされている社殿の扉は開かれ、その横に設置されたテントでは、地元の人たちによって熊手と破魔矢の頒布も行われていた。そして私の姿を見ると、待ってましたとばかりに樽酒を紙コップに注いで勧めるのである。まったくの下戸である私だが、ひとまずは口をつける。下戸なのに、まったく酔わない。それほど、あたりは寒いということに気づいた。  改めて寒さを感じながら、頒布されている熊手や破魔矢を見る。驚いた。破魔矢には300円と書かれていた。おみくじは100円。前に訪れたときには、絵馬掛けの横に積まれ100円を賽銭箱に入れるように案内されていた絵馬は、無料で頒布されていた。安さには驚くが、決して値段の高い低いの問題ではない。本来は、地元の人のために頒布するものだからの値段なのである。儲けなど関係なく、神社への崇敬の念で、このような値段になっているのだろう。だからといって、ふと訪れただけの私にも、分け隔てなく頒布してくれた。ただ、それだけのことなのだが、そこに何か神社の暖かさというものを感じた。  さて、境内を見渡すと地元の人にまじって「東方民」は10人あまりだったろうか。それぞれ、ファン同士で交流したり、地元の人と会話を交わしていた。  そんな風景を眺めているうちに、年が変わると打ち上げ花火が上がった。それが合図だったのか、地元の人々がどっと神社に押し寄せてきた。それぞれ、新年の挨拶をして縁起物を手に戻っていく。それが、この地域での大みそかから新年にかけての過ごし方のようだった。  そんな混雑も30分あまり。すぐに境内には静寂が戻る。さて、これからどうしようかと考えた。東京のような異常な大都会とは異なり、新年を迎える夜に営業している店など、ほぼあり得ない。いまだに十代のときと変わらず野宿を楽しんでいる身ゆえ、駅のあたりで始発まで寝ようかと考えていた。あるいは、諏訪湖をほとりを歩いて下社への参拝くらいならできるだろう、と。  そんな時「東方民」の一人に、声をかけられた。 「一緒に、回りませんか」  そう声をかけてくれたのは、長野県在住の男性であった。彼は「せっかく来てくれたんだから」と、車で上下の四社、さらに御頭御社宮司総社と手長神社まで案内してくれた。道中、彼は仕事の合間にさまざまな神社を参拝していることを聞いた。ゲームをきっかけに、神社への関心を高める人も増えているのだろうか。そんなことを考えた。  神社に限らず、マンガやゲームがきっかけに、違う何かが芽生える人々の姿は、それまでも見ていた。岡谷からさらに先、飯田線の沿線にある伊那市や飯島町が、そうだ。そこは、『究極超人あ~る』の「聖地」として知られる土地である。ここで2012年に飯田線開業100周年を記念した行事の一環として、作品のアニメ版で描かれた飯田線田切駅から伊那市駅までを自転車で走るイベントが開催された。参加者は申込みの上で、自転車を持参して田切駅に集合。そんなハードルの高い催しにも関わらず、見物も含めて集まったのは100人あまり。以来、このイベントは毎年の恒例行事となった。  詳しくは別に書こうと思っているが、そこでは、マンガやアニメを軸にした「聖地巡礼」や地域起こしとは違うことが起こっているのを感じる。今でも参加者の紐帯が作品であることには、変わりはない。でも、参加者の多くが、作品をきっかけにして地域の魅力を知り、何もないときにでも、ふらりと街を訪れるようになった。私も、その一人である。東京で、事務所の傍にあるコンビニの「ローソン」が、伊那名物の「ローメン」に見えてしまうほどである。「いつかは、このあたりに住もうか」そんなことを、考えている人も増えている。  だから、ゲームをきっかけに神社を訪れて、その魅力を知り、信仰心や知的欲求を高める人もいるのは当然だと思った。何しろ洩矢神社はただ単にゲームのモデルとされた神社などという軽々しいものではない。諏訪の伝承では、そこに祀られるのは諏訪の土着神であり、ミシャクジ様とも同一視される洩矢神。その土地に、国譲りの際に、天津神に抗した建御名方神が出雲を追われ、この地へとやってきた。ここで出会った二柱の神は争った後に和解した。そして、建御名方神は祭神となり、洩矢神の子孫は明治まで、諏訪神社上社の神長官となった。その神の子孫である守矢家は今も続き、その自宅がある茅野市の神長官守矢史料館には、歴史と現在も続く信仰を伝える資料が展示されている。  諏訪の歴史や信仰は、それだけで何冊も本が書けるほどなので簡潔に記したが、自ずと畏敬の念の湧き上がるものだと思う。  前述の大みそかの参拝の際には言葉を交わす機会を逸したのだが、しばらく後にネット経由でT氏と知り合った。初めて出会ったのは、その年の秋の例大祭を訪問したときであった。ゲームのファンだと思っていたT氏は、法被を着て地元の人と一緒に働いていた。なぜ、そこまで地元に馴染んでいるのだろうかと、驚いた。聞けば、ゲームのモデルが洩矢神社だと、ファンの間でささやかれ始めた頃に、彼は一人で、この神社を訪れたという。やはり、行事のないときの神社には人もおらず、当時は絵馬もなかったという。そこで見つけたのは、神社の案内板に記された例大祭の日時であった。何も情報がないまま、T氏は例大祭の日に神社を再訪した。その日はちょうど大雨の日だったという。神事を行っていた地元の人たちは、誰ともわからぬT氏を、雨に濡れないところに案内してくれたのだ。それから、数年。埼玉県から通っているT氏はすっかり地元に馴染んでいる。 「大社にお詣りするよりも、こちらにお詣りする機会のほうが増えましたね」  そして、諏訪の地域の信仰の魅力を語るのだ。変わらずゲームも愛好している。けれども、もはや東方ファンというよりは、洩矢神社のファン、信仰者というのが、彼の偽らざる姿である。  だが、人が増えれば必ずしもすべてが明るい方向にはいかない。昨年、大社の御柱祭が終わった頃から、T氏と幾度も話をしていたのは、洩矢神社の御柱祭のことである。私は、ぜひこの祭りに参加をしてみたいと思っていた。けれども、単なる「にわか」が「祭りがあると聞いて来ました」と参加してよいものだろうかと、畏れがあったのである。  というのも、人気のゲームの「聖地」として注目を集めることに対する地域の人々の想いには、複雑なものを感じていた。例大祭や、大みそかに参拝したときには、分け隔てなく歓迎してくれる。洩矢神社を管理している地元の自治会の神社委員の人たちは、各地から参拝に来てくれる人のために、絵馬だけでなく御守りまで、つくるようになった。それは「聖地巡礼」でありがちな、作品の舞台になり人が集まるようになったので、ここらで一儲けしよう、地域を活性化させよう、なとどいうものではない。あくまで、遠くから神社に参拝に訪れる人がいることの喜びから始まった自発的な活動だ。  つまり、主体は神社であり、ゲームは従に過ぎない。その親切心にあぐらをかいてはならないと思っていた。そもそも、ゲームのモデル、すなわち創作の材料とされ、制作者の創造力の趣くままに使われていることが、単純に喜ばれているとは思えなかった。  前述の守矢家の現在の当主は、第78代の守矢早苗氏である。サイト「ニコニコ大百科」などでは、『東方Project』中に登場するキャラクター・東風谷早苗の「元ネタ」は、この人だと書かれている。さらに、制作者自らゲームに出す許可を取りに行ったと記しているサイトもある。自身がキャラクターとされていることや、ゲームのファンが訪れていることをどう思っているのか。自ずとそんな疑問が沸いた。 「お会いする機会があれば、来てみたい」と言ったところ、T氏には止められた。さらに、本人とも交流のある地元の郷土史研究団体の人は「それは、止めておいたほうがいい」と、苦い顔をする。何かしらの形で許可は出したようだが、必ずしもゲームによい印象を抱いているわけではないことは、容易に感じ取れた。  ここは神社であって、作品の聖地でも観光地でもない。だから、洩矢神社の御柱祭も人が来るのは歓迎するけれども、大っぴらに宣伝するようなものではないというのが、地元の人々の考えのようだった。  それでも、Twitterなどに流れた洩矢神社に掲示されている神事の日程表などを見て、里曳きには十数人の「東方民」の姿があった。そこで、私は、もしも公式サイトなどを立ち上げて、大々的に宣伝すれば、予想だにしない事態が起こるであろうことの片鱗を見てしまった。  今回の御柱祭は9月に山出しを終えたあと、10月9日に里曳き。そして、翌日に建御柱というスケジュールだった。てっきり、曳いているフリだけしておけばよいのかと思っていら、甘かった。柱も太いが人数も多い大社とは、まったく違った。地元の人たちを中心に、かなり必死に曳かねばならない、けっこうな重労働であった。御柱の進む先では、沿道の住民が振る舞いを用意して待ってくれているが、なかなかそこまでは進まない。一度神社に集まってから、御柱まで向かうときは「案外、短い距離だな」と思った。でも、まったくそんなことはなかった。加えて、坂もあり道は曲がっているために、なかなか先が見えない。  日頃の運動不足を恨みつつ、曳きながら、こんなことを考えた。このような大変な行事を、地元の人たちは7年に一度行っている。それは、なぜだろうか。単に伝統だからとか、そんな単純なことでできるものではない。観光客が来て儲かるわけでもない。金融資本主義にまみれたアメリカ風のドライな見方をすれば、なんら個人が利益を得る行事ではないのだ。にもかかわらず、地元の人が集い絶えることなく神事が続いている。それは、神社が単に人が拝み、神様が何がしかの御利益をくれるギブアンドテイクの関係の場所ではない存在であることを、教えてくれた。  その里曳きで、S氏と知り合った。Facebookで私が来ていることを見つけた伊那の友人が「その地区にSさんという、諏訪信仰に詳しい方がいるので探しなさい」と連絡をしてきた。T氏に「Sさんって、どの人?」と聞いたら、目の前にいた。  地域の信仰や歴史について、さまざま話をして、翌日の建御柱に守矢早苗氏が来てくれるという話になった。ご挨拶することはできないかと尋ねると、S氏はタイミングを見て繋いでくれることを約束してくれた。  翌日、小雨の中で建御柱の神事は、始まった。先を切って尖らせて、木遣り唄の中を慎重に建てていく。その最中に、早苗氏に挨拶をする機会を得た。長く教師をしていたという早苗氏は、まったく気取るところもない親しみやすさのある女性であった。しかし、同時に本人や周囲の人々の立ち振る舞いからは、そこにある連綿と続いてきた信仰と歴史とが一人の人間を通じて、止めどもなく溢れているように感じた。神々しさなどとはまた違う、言葉では表現できないもの。遠い祖先から続く人間の営み。その積み重ねが、一人の女性を通じて現れ出ているのだ。そこに、畏敬があるのは当然であった。  けれども、集っている中には、別のものが見えている人もいた。前日から、初めてやって来たことに興奮気味だったゲームファンの若者が、早苗氏にノートを取り出してサインを求め、周囲の人に止められていた。それはまだ、気持ちがわからなくもない。若さゆえの過ちかもしれないからだ。  でも、もうひとつ、見たくはなかったものを見てしまった。御柱の先を尖らせるときにできた木片に、サインを求める人物もいたのである。この人物は、岡谷市内の別の地区の住人だと聞いていた。曲がりなりにも、地域に住みながら、どうしてそのような行為ができるのか、不可解であった。  後日、この人物が「自分は、天照大神と話ができる」などと喧伝して、さまざまな神様を込めた勾玉を販売したりしていることを知った。さらに、この人物が長野県白馬村にある、やはり『東方Project』の「聖地」だと目されている城嶺神社が地震で倒壊したために再建の事業を手伝っていると聞いた。何か違和感を覚えて本人のFacebookを見てみると、勾玉を販売したりする傍らで、仮想通貨・ビットコインの勉強会を開催したり、情報商材を販売していることもわかった。それは、ゲームファンに注目されている神社に関わることに、ビジネスチャンスを見いだしているように見えた。  そこで、本人に尋ねてみたところ「私は手助けしたい一心で動いている」と言い張り、筆者の取材を再建の妨害とまで、非難してきたのだった。この件は、昨年別に記事にしたが(http://otapol.jp/2016/12/post-8967.html)、この人物によって作成された「洩矢神社公式ホームページ」は、この事件の後に、地域の神社委員の管理へと移行している。それでも、この人物はいまだに神社や神様をビジネスの場にしようと蠢いていると聞いている。近年、新聞やテレビでも当たり前のように報じられるマンガやアニメ発の「聖地巡礼」。その光と影の両方を、洩矢神社にはあった。  これまで、いくつもの「聖地巡礼」を体験し取材してきた。それは、必ずしも歓迎されるものではなかった。それは、時として地域の生活に負の要素をもたらす。人が増えれば、必ずしもよい人ばかりはやってこない。むしろ、迷惑な人や怪しげなビジネスを企画する人は、ここぞとばかりに寄ってくる。  神社は、そうした人々が土足で踏み入ってよい場所であるはずがない。  実のところ『社にほへと』は、さまざまな問題のほんの一部に過ぎない。神社がマンガやアニメの舞台となり「聖地巡礼」する人々が集まっている。あるいは、神社の中にも、作品とのコラボをしてマンガやアニメのファンに盛んにアピールをしているところもある。こうした話題のネガティブな面が報じられることは、極めて少ない。いわゆるオタク系メディアの書き手は、そうしたネガティブな面を、私よりも知っているはずだ。けれども、そうした人々の多くは「御用」であることを相争い、目を背ける。  だからこそ、改めて神社の存在理由や、神道というものについて、詳しく知りたい、ひとつの文章にまとめなくてはと思った。  そこで、神社本庁にアポイントメントを取った。神社本庁は、日本でもっとも多くの神社が加盟する宗教法人として知られている。ただ、キリスト教における教皇庁のような教義やら何やらを隅々まで指導する総本山ではない。あくまでも、全国の多くの神社が相互に協力し連絡しあうための組織といえる。  ただ、そうした役割は必ずしも正しく理解されてるとは言い難いと思う。やはり、総本山的な理解をしている人は多いし、昨今、左翼的な思想の人は政権批判と絡めて、その存在までをも批判する。これまた、神道への無理解や、信仰というものが失われていっていることを示す、一つの事象であろう。  ただ、そのような状況だから、少し敷居の高さを感じたのも事実である。話の入口は、ゲームの話である。ともすれば「ゲームなんかの話で」と、断られるのではないかとか、どこから説明すればよいのか、考えながら電話した。  でも、それは杞憂であった。こちらの取材の趣旨を告げ『社にほへと』の件に触れると「そういうのもあるみたいですね」と、既に知っていたのである。  電話で応対してくれた、神社本庁広報国際課課長の岩橋克二氏は、すぐ翌日に会ってくれた。  冒頭、和歌山県出身という岩橋氏は「関西弁でもいいですか」と言った。その言葉や立ち振る舞いには、神職らしい「来る者は拒まず」の姿勢を感じ取れた。取材の中でも決して難しい言葉などを用いることがなかったのも、人柄を示すものだろうと思う。  そうして始まった取材。最初は、やはり発表になったばかりのゲームの情報まで知っていることに驚いた、私の感想から始まった。聞けば『ポケモンGO』をはじめ、神社に何かしら関連があったり、影響が懸念されるコンテンツには、常にアンテナを張っているのだという。だから『社にほへと』も、知ってはいた。ただ、実際に事前登録をして「おみくじ」を引いたりはしていなかった。  現在公開されている『社にほへと』では、「事前登録」のボタンを押すと、ページが遷移する。そこでは「おみくじ一覧」として、神社の名前を持つ美少女キャラクターを見ることができる。そして、Twitterで『社にほへと』のアカウント(@yashiro_staff)をフォローすれば、毎日1回「おみくじ」を引くことができるという仕組みだ。  私の持参したノートパソコンで「おみくじ一覧」を見てもらったとき、岩橋氏の顔が少し曇った。その「おみくじ一覧」には、キャラクターのレアリティ(希少度によるキャラクターのランク付け)によって大吉から小吉までが割り当てられているようであった。このレアリティが、どのように設定されているのかはわからない。ただ、ある神社は大吉、あるいは小吉とカテゴライズされているようだった(ゲームが稼働前のため、詳細なレアリティの設定などは不明)。 「これはちょっと……」  そう言葉を漏らし、少し間をおいてから、岩橋氏は続けた。 「ここまでは見ていませんでした。信仰を持つ側としては気分のよいものではありません。いったい、なんの根拠があって、やっているのでしょうか……」  岩橋氏は決して、偏狭な考えから話しているのではない。あくまで、しごく真っ当な懸念であった。 「気になるのは、お宮自身が承諾をしているかどうかです。これが、ご祭神名であれば、逃げられるんですが……春日大社があるのに、鹿島神社もありますよね」  春日大社と鹿島神社は、同じ建御雷之男神を祭神とする神社である。神社を「擬人化」というのが『社にほへと』のコンセプトのようではあるが、開発段階で祭神を同じくする神社が重なっている。そこに、神道への理解の浅さを感じているようであった。  とりわけ、私も驚いた「おみくじ」の部分には、それを感じているようだった。大吉を引くと登場するキャラクターは、それを喜ぶ。かと思えば中吉のキャラクターは「せいぜい、中途半端な一日を過ごすとよい」と言うのだ。 「おみくじは、明確な定義のあるものではありません。大吉中吉小吉とあり、よく幸運の度合いを示すと理解している人もいらっしゃいますが、それはあくまでも現状のことであって、例えば凶が出たからといって、お先真っ暗なわけではありません。大吉を引いたからといって、人生遊んで暮らせるわけではありません。今はいいけど、気を抜かないでねという意味合いのもの。内容を見て、努力して改善していけばやがてよくなるというものです。ですから、ここには、やはり意味の取り違え、単純に格付けとして理解している感がありますね」  日本の神社には、熊野や八幡、諏訪などさまざまな「系列」は存在する。また、神社の社格というものあるが、これは、いわば朝廷や政府が管掌する上での分類。どこそこの神社は、○○神を祀っているから強いとか、御利益はほかの神社の三倍などということはない。だから、日本の神様はランク付けができるような存在ではないはずだ。 「確かに天照大神が一番貴い神様とはいわれますが、その一方で、天照大神のお一方ではできないこともあります。日本の神様は人間と同じく得手不得手もあるのです。たとえば、オモイカネ(思金神・常世思金神)という世の中のすべてを知っている神様もいらっしゃいますが、オモイカネは自分自身では動くことはできないのです。なので、神様同士で力を合わせて世の中をよくしていくというのが、日本の神様なんです。モチーフとしてこういうところに使うという気持ちはわかりますが、なぜ神様じゃなくて神社なんだという疑問はありますね」  ならば、こうしたゲームが登場したことによって、どのようなことが懸念されるのだろうか。 「神社とか日本の神様に対して、意識の薄い人たちが純粋にゲームとして楽しむかもしれません。怖いのは、そういう方たちが『舞台だから、登場人物だから』というだけで神社に行ったときに、ほかの参拝の方がいらっしゃる中で、不敬な行為を行うことです。神社側としては節度を保って下さいとは言うのでしょうけど、ほかの参拝の方の気分を害しないのか、と」  マンガやアニメなどの作品により深く寄り添いたいと「聖地」を訪れるファン。彼らは作品の舞台を訪れたことに喜びを感じているかもしれない。けれども、その「聖地」が神社だったとき、彼らは神社をどのようなところとして捉えているのか。岩橋氏は、そこに、いささかの疑問を感じているようだった。 「埼玉県の鷲宮神社が『らき☆すた』で注目を集めてから以降も、神社が舞台になることはよくあります。最近では『君の名は。』も、そうですよね。でも、訪問される皆さんが、そこを神社として認識しているのか、あるいは、単にアニメの舞台だから行っているだけなのか、そこはこちらとしては疑問です。もちろん、神様も人が来て賑やかになることは好きですし、歓迎なんです。けれども、そこがお宮であること、そこには神様がいらっしゃるということをまったく埒外にして、記念写真だけ撮って帰るとかになるは、どうでしょうか」  意味を取り違えたまま、神社を訪問してしまう。それは「聖地巡礼」に限った現象ではない。もはや、定着した感のある「パワースポット」でも、似たような問題は起こっている。神社本庁に隣接する明治神宮では、一時期境内にある「清正の井戸」が「パワースポット」であるとして、整理券も出すほどのブームになったことがある。けれども「清正の井戸」を写真に収めた後、お詣りもせずに帰る人もいたというのだ。 「やはり清正の井戸が明治神宮の境内にある意味を考えていただきたい。もちろん、深く知る必要があるとは思いませんが、日本の神様というのはより人間の近いところにいる存在です。よその家にお邪魔したときに、庭だけウロウロして挨拶もしないで帰るのと一緒になってしまいます」  だからといって「聖地巡礼」や「パワースポット」が、すべて神社にとっていらないもので、お断りというわけではない。むしろ、最近では『ポケモンGO』でもなんでも、せっかく来てくれるのであれば、積極的に働きかけていこうとする気運も神社側にはあるという。 「気づきがある人が三割いればありがたいと思っています。お越しいただいた中の三割に過ぎなくても、その方達が周りに広げてくれると思っていますから」  最近では、神社がアニメとコラボしてキャラクターの描かれた絵馬や御朱印帳などの頒布を始めたりもしている。岩橋氏は、それを真っ向から否定したりはしない。 「時代を捉えているとは思います。定期的にお宮に来ていただく手段としては、あり得ると思います」  一方でやり過ぎのある神社があれば、神社本庁として指導していかなくてはならないともいう。ただ、テクノロジーがどんどん発展し、新たなビジネスの溢れる現代において、何をどのように指導していくかも難しい。例えば、すでにどこそこの神社で祈願しており、こういう御利益があるなどと謳った「祈願済み」の商品。これは、あってはならないものと即答する。 「神社というのは、そこに行って、神様に直接お願いすることに意味があるものです。なんとかご祈祷済みとか、ご祈願済みとか、こういう御利益がある商品というのは、つまり神様の名前を使った商売になってしまう。神社も商売といわれると、そこまでなんですけど。やはり、お宮の中で起こっていることと、外で行われていることは違うと思うんです」  一方で、意外だったのはインターネット参拝に対する意見だ。2000年代半ばに登場したこれは、多くの神社がサイトに設置したが、神社本庁は06年に「信仰の根幹に関わる問題だから、もう一度考えていただきたい」と注意喚起を出している。 「あれは、判断が難しいことでした。というのも、神社の信仰の中に遙拝(ようはい)というものがあります。例えば、式典では国旗を通じて伊勢神宮を遙拝することがあります。それが、バーチャル参拝とどう違うのかといわれることもあるんです。多分、その作法が長く定着しているので受け入れられているのだと思うのです。伝統的なものとテクノロジーの発展というのは、かみ合うようになるまで時間がかかると思います。お賽銭に電子マネーが使える神社も議論を呼びましたが、お賽銭というのも貨幣経済が発達してから登場したものです。私自身も抵抗はあるけど、100年後にはインターネット参拝は、当たり前になっているかも知れません」 「聖地巡礼」も、インターネットが発達したことによって流行しているという一面がある。もはや、どんな作品であっても「モデルはここではないか」という情報が流れ、訪問記も当たり前のように見ることができるからだ。だから、ビジネスのチャンスと考えるのを止めることはできない。でも、欲にまみれて、やり過ぎたりしていれば神様はちゃんと見ていることを、岩橋氏は語る。 「そこに力を入れすぎると、神様が軌道修正をします。急にブームがぴたっと終わってしまうでしょう。ですから、神主としては、欲に走ることなく、あくまで神社なんだということを常に忘れずにやっています」  だから「聖地巡礼」や「パワースポット」で神社に関心を持った人には、むしろ地域の氏神にも参って欲しいという。 「日本全国どこでも、どこかの氏子地域なわけですよね。いつも面倒をみてくれている神様がいるわけですから、そこにご挨拶に行かずに有名な神様のところに行っているのは、いけないと思うんですよね。私が父から言われたことですが、神様は頼むものではなく讃えるもの。大事にするから、おかげがいただける。お願いするのは自分が十分やってからあとの話なんです」。  やはり、神社とは歴史に裏打ちされた、数多の人間の想いによって成り立っているもの。それがゲームのキャラクター、それも、それぞれが一枚のカードのようなものにされてしまうことには、違和感を拭えなかった。 「自分の信仰が」だからではない。日本の歴史が2677年、そして神や人間の営みは、それ以前から存在する。それを、わずか数十年に満たない期間の間で勃興した「オタク文化」の中で弄んでよいものだとは思えないのだ。近年、マンガやアニメは、日本の中心的な産業のごとく位置づけられ、政府や行政機関までもが利用するものとなった。確かに、今、この瞬間は価値と力を持つ文化なのかもしれない。だからといって、祖先から受け継いだ神社や神様を、簡単に弄んでよいものだろうか。でも、それは判断が難しい。100年後には完全なメインカルチャーとなっていているかもしれない。現在、神様の肖像として紹介される画像が、浮世絵や日本画であるように、未来では神社に祀られている神様はすべてアニメキャラクターになっているやもしれない。  でも、今はどうなのだろうか。  神社本庁への取材の後、編集部と相談して神社にも取材をすることにした。電話で話を聞いたのは「凶」に割り当てられている石清水八幡宮である。対応してくれた担当者は、電話口の向こうで、けっこう驚いているようであった。 「私が広報なんですが、こうした連絡はありません。無断使用です」  数日後、改めて電話をくれた担当者は「ほかのお社さんとも話をして」しばらくは、様子を見ることになったと教えてくれた。当初は、すぐにでも削除を要請することも考えていたようだが、まだリリース前でもあり、ゲーム自体がヒットするかどうかもわからないため、事態の推移を見守るという方針に落ち着いたようだ。一方で、正直な気持ちも伝えてくれた。 「あまり気持ちのいいものではないですね」  担当者は、キャラクターの名前を「石清水八幡宮」ではなく「石清水八幡」と、一文字だけ削ることで神社と無関係に見せる意図を感じ取っていた。それは、無断使用される以上に不快なものだったのだろう。  この取材と同時に、DMMにも取材を申し込んでいた。質問事項として送ったのは、次の二点である。 1.このタイトルでは神社の擬人化が行われておりますが、これは該当する神社には許諾あるいは、なんらかの事前折衝を行っていらっしゃいますでしょうか? 2.当方でも事前登録をさせて頂きましたが、キャラのレアリティに応じて大吉~凶に振り分けがなされております。これは特定の神社が、凶になってしまうことであり、当該の神社はよい気持ちを得るとは思えないのですが、いかがでしょうか?  願わくば、ぜひ会ってゲームの意図を聞きたいと思ってた。なぜなら、決して制作側も神道を貶めることを目的として開発している淫祠邪教の徒ではないはず。多くの人々に喜んでもらいたいと思ってゲームを開発しているはずである。イラストレーターはキャラクターに愛情をこめて執筆しているはずだし、声優もそうであるはずだと思ったからだ。  しかし、願いは叶わずメールで次の回答が返ってきた。 1.「社(やしろ)」の擬人化について 本ゲームは「神社」をイメージした「フィクション」である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません。また、実在する地域や神社等の関係性につきましても、一切関係がございません。 2.事前登録おみくじについて 事前登録おみくじは、結果の運勢に「社(やしろ)」が紐づいているものではなく、結果の運勢についてキャラクターが説明しているものになります。  改めて、ネットでこのゲームを事前登録し「おみくじ」を引いている人たちが、どのような感想を得ているのか検索して見た。自分の縁のある神社の登場を期待する人。手に入れたキャラクターを喜ぶ人も多いが、やはりゲームとしてキャラクターの強弱やレアリティを気にしている人の存在も否めなかった。  これは、なんなのだろうか。  強弱どころか、多くのキャラクターがそうであるように、二次創作の形でエロを期待している人を見つけたときには、言葉にならない根源的な恐ろしさを感じた。  でも、それを真っ向から批判しても、なんら解決にならない。西洋的な異端や邪教を狩る行為は、日本には似合わない。誤りに気づき、感じさせるのこそが日本的な精神の根本であろう。  だから今は、この推移を見守るしかないと思うのだ。  そう考えながら、しばらく氏神様にご無沙汰してしまったのを思い出して、参拝に向かった。  参拝の後、春の祭りの準備が進む境内を散策し、おみくじを引くと大吉が出た。けれども、決して思いのまま万事が上手くいくようなことは書かれていなかった。  改めて神道の意味を感じた。 (文=ルポライター/昼間たかし http://t-hiruma.jp/

『サザエさん』新一年生入学のエピソードにツッコミ殺到! カツオとワカメは進級しないのに後輩が増える……

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『サザエさん』フジテレビ公式サイトより。
 4月2日、TVアニメ『サザエさん』(フジテレビ系)が放送された。久しぶりの通常放送を、いつもと同じようにネット民たちが楽しそうにツッコミを入れながら視聴していたので、ネットの声とともに内容を紹介したい。  この日最初に放送されたのは作品No.7598の「ようこそ新一年生」。ある日の磯野家の夕食でのこと。サザエが「4月はあちこちに新一年生がいっぱいね」と話すと、波平はカツオとワカメに「新一年生のお手本になるようにな」と諭す……。何気ない家族の会話だが、ネット民はここで敏感に反応。 「新1年生が云々という話題を出しながらカツオとワカメの進級に関しては一切触れられないサザエさん世界の闇」「新一年生が入学するのにカツオたちの学年が上がらないってのはさすがにサザエさん時空とはいえ違和感がヤバいよ」「カツオたちは留年でもしたのかな?」とツッコミを入れていた。  磯野家の近所にはトモヒロという新一年生の男の子がいたようで、カツオはこの男の子の面倒を見ることに。お手本になろうと真面目に礼儀正しくしようと努力するが、最後はいつものように元気いっぱいにはしゃぎ、結局それが一番いいお手本になった、というオチであった。『サザエさん』は永遠に時がループしている世界観であることはみんなわかっているが、時間軸に触れるエピソードではどうしても視聴者は違和感を覚えてしまうようだ。  続いては作品No.7603の「姉さんのご挨拶」。ある日、サザエは買い物の途中に顔見知りの女性に、元気よく挨拶をしたのだが無視をされてしまう。人違いではなさそうだし、相手を怒らせた記憶もないしと困惑。しかし「挨拶されて嫌な人はいないんだから」と、これからも自分の信念を貫こうと決意。  また別の日のこと、花沢不動産の前を通ったサザエは、花沢さんの父親に声をかけられ店内に連れていかれる。そこには新居を探しているという夫婦がいて、花沢さんの父親はその人たちに「この方は町内一の有名人でして」とサザエを紹介。  そしてサザエに町の魅力を紹介してもらうように頼んだ。これにネットでは「町内一の有名人って……」「地獄のような紹介のされかただな」「これは恥ずかしい」といった声が。しかしサザエのおかげで話は盛り上がり、この夫婦は契約を決めるのだった。ちなみに冒頭でサザエの挨拶を無視した女性は、ただの人違いで知り合いでもなんでもなかったと最後に判明。  最後は作品No.7602の「マスオさんの秘密」。これは何事もすぐ顔に出てしまうマスオがどうにか隠し事をバレないようにしようと頑張るというエピソード。宝くじを内緒で買っても簡単に感づかれて全然うまくいかないマスオ。宝くじを話に盛り込んだことには「スポンサーに対する配慮かな?」「ステマだな」なんて声も。  最後は子供たちに内緒でサザエと2人きりで出かけようとするのだが、それも感づかれて結局、カツオ、ワカメ、タラオがついてきてしまうというものだった。今週もネット上で大いに盛り上がっていた『サザエさん』。今年度もネット上での人気は衰えそうにない。

「当時は配慮は足りなかったかも、でも……」松戸市の公式萌えキャラが4年も前のコラボポスターで今さら炎上!?

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とあるTwitterユーザーの投稿より。
 もはや数カ月に一度は必ず起こる日常となった、萌えキャラを使った公的組織のPRが、ネットで炎上する事件。今度は、千葉県松戸市の萌えキャラを用いた献血ポスターが問題となっているのだが……。  問題となっているのは、松戸市の公式萌えキャラクター・松宮アヤを用いた赤十字の献血ポスターだ。このポスターでは、ピンクの背景にナースの衣装を身に包んだキャラクターが描かれている。  これを「パブリックに萌えロリナースは必要か」「中学生に性産業のイメージコスプレをさせている図」などという批判がネットでわき上がっているのだ。ついには「公共団体による萌えエロ汚染」なる強烈な言葉まで飛び出している。  しかし、である。これが問題になったのは、今週に入ってから。でも「糾弾」されるポスターが制作されたのは2013年2月のこと。このときには、献血応援を目的にキャラクターを用いたポスターとクリアファイル、カード入れの配布が行われている。  つまり、すでに4年も前のポスターが、今頃になって問題にされているというわけである。  ゆえに、市としても「何を今さら」という印象なのではないか。ところが、この事業に携わっていた、当時の松戸市の担当者Y氏に話を聞いたところ……。 「すでに4年前のものですが、今から考えると配慮が足りなかったなと思っています。監修はしたんですけど、背景もピンクですしね」(Y氏)  Y氏によれば、このポスターは日赤側からの提案があり、イラストレーターを紹介して作成。その上で、市側でも監修も行うという流れを取ったという。 「現在でしたら、背景だけでなくスカートの長さには、もう少し配慮をするでしょう。私たちも配慮は必要だし、なんでもやり放題とは思っていませんよ」(Y氏)  そうして、現状の「進化」としてY氏が語ったのは、2月からリリースされている『秋葉原まで13時間 ~姫はゲームを作りたいっ!~』(https://matsudocontent.jp/13h/)。  これは、松戸市が市内のゲーム制作会社と共同で開発しているスマートフォン向けゲーム。同市の高校に留学生としてやって来たお姫様が友人と一緒にゲームを作るというストーリーだ。 「このゲームの制作にあたっては、スカートの長さはもちろんのこと、身体のラインが出すぎないようにするとか、背景の色まで注意を払っているんです」(Y氏)  なぜ、そこまでの配慮を行うのか。やはり、「ネットのうるさい非難」を避けるのが目的なのか? 「そうではありません。松戸市は来る者を拒まない街です。ですので、あらゆる人が自分らしく生きられるのが目標です。ただ、さまざまな属性の人がいる中で配慮や、意見に耳を傾けることも重要。そうした中で、コンテンツはもちろん、人も進化していくのだと思っています」(Y氏)  この『秋葉原まで13時間』。一見、ギャルゲーっぽいが、実際には男女の別なく楽しむことのできる青春と成長を描く群像劇なのだとか。すでに古くなったポスターに噛みついているよりも、まずはゲームをやってみて現状を確かめてみるのは、いかがだろうか。 (文=昼間たかし)

アサシンブレードは存在しなかった? 『アサシンクリード』で学ぶ“武器と暗殺の歴史”

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映画『アサシンクリード』公式サイトより
 映画に出てくる実在武器を紹介する「武器で見る映画」、第8回は『アサシン クリード』です。原作は僕も大好きなユービーアイソフトの同名ゲームソフト。この「アサシンクリードシリーズ」は史実を元に作られており、実在の人物、建造物、出来事、そして武器などが多く登場します。 そんなゲームソフトの映画化ですから、心踊らせて鑑賞してまいりました。『アサシン クリード』(原題: Assassin's Creed)2016年公開、ジャスティン・カーゼル監督、マイケル・ファスべンダー主演で、映画の舞台は現代と15世紀スペインです。  まず簡単に作品を紹介すると、自由意志を尊ぶ「アサシン教団」と、人類の意志を支配しようとする「テンプル騎士団」の何世紀にもわたる争いの物語です。主人公たちアサシンは「アサシンブレード」と呼ばれる、籠手から短い刃が飛び出る暗殺用の武器でテンプル騎士団の戦士を暗殺していきます。そもそもアサシンとは、暗殺者や刺客という意味で、語源は諸説あります。   それでは、武器を紹介していきましょう! 「アサシンブレード」って実在するのかという疑問をお持ちの読者諸氏に答えます。「ありません!」。じゃあ、いったい何をどう紹介するのか? ここでは、実在した暗殺用武器の数々と、舞台となっている15世紀スペインで使用されていた武器を紹介することにします。  まずは、「アサシンブレード」の元になったと思われる暗殺武器を紹介します。それは手甲鉤(てっこうかぎ)、忍者が暗殺用に使っていた武器で、熊手みたいなものがついた手甲です。「鉤爪」と記したこうがイメージしやすいかもしれません。「いやいや! こんな武器で殺傷できるの?」って思いますよね? でも、できるんです。それは簡単で、鉤に毒を塗って、毒殺します。  忍者から連想する手裏剣、忍手裏剣。手裏剣は大きく分けて棒状の棒手裏剣と、一般的なイメージの十字手裏剣、八方手裏剣などの車手裏剣の二種類に分類できます。車手裏剣の方は、とりあえず、投げて体に当たると、傷つくような形状をしています。手裏剣に毒を塗っておけば、暗殺、あるいは深手を負わすことができます。そして、手裏剣を使う手裏剣術には投げる以外の方法もあって、手に持った状態で突き刺すのです。刀を所持した状態で併用することもあります。  もうお気づきでしょうか? そうです。これは、劇中やゲーム内でのアサシンの暗殺方法にそっくりなんです。じゃあ、モデルは忍者かというと、そうとは限りません。なぜなら手裏剣や手甲鉤なんてものは世界各地にあり、起源もわからないほど。暗殺を達成するために自然発生的に誕生したという説もあります。他にも暗殺用武器として、似ているものが角指(かくし)と呼ばれるものです。指輪のような形状で、掌の内側にトゲが向くよう装着します。毒を塗れば暗殺用としても使えますし、相手を掴んだとき、動くと激痛が走るため、捕縛用武器としても使えたそうです。  さて、15世紀当時のヨーロッパで使われていた武器を紹介しましょう。基本的装備はロングソードです。一般的な両手持ちの両刃の剣で、本作でも多くの兵士がたくさん使っています。ドイツだとツヴァイハンダー、スイスだとバスタードソード、スコットランドだとクレイモアって名前です。これらの名前は、テレビゲームなんかでもよく耳にすると思います。1〜1.5mの長い刀身と2〜4kgの重量で、ピンとこないかもしれないですが、江戸時代の日本刀、打刀は刀身70cmくらいで重さ1kg程度。その打刀を日本人は両手持ちでチャンバラしているので、江戸時代の日本人くらいの体格や体力と西洋人のそれとでは、これだけ違ったわけです。もっともこの打刀が主流になったのは近世で、刀で戦争していた中世の鎌倉から安土桃山までの日本刀、太刀はもっとでかい。  なぜ、日本の話を急にしたかといえば、日本刀と西洋の剣は比較しやすいんです。ロングソードは、斬れ味なんてあってないようなもの。というのも、西洋の甲冑は、ご想像の通り板金鎧と呼ばれるプレートアーマー。さらに、その下に鎖帷子を着込んでいたので、どれだけ斬れ味を鍛えても斬れないんです。ロングソードは斬るのではなく、叩き折る、あるいは殴る鈍器として使用されていました。斬れ味抜群の日本刀に対して、こちらは打撃武器なんです。  アサシンの戦い方は、実は対プレートアーマー戦でした。大きな剣で打ち合い、アーマーの隙間にダガーなどのナイフを刺して致命傷を与える、という戦法。実は、こちらの方がアーマーの上から打撃を与えて倒すより、はるかに効率的なんです。  次に多く登場したのがクロスボウ。引き金を引くことで、矢を発射するギミックを有する武器で、漢字では弩(ど)という表記になります。日本では「おおゆみ」「いしゆみ」って呼んでいました。ボウガンって言った方がわかりやすいかと思います。鉄製のクロスボウは1370年頃に歴史に登場します。従来の弓に比べて貫通力や飛距離に優れ、何よりの利点は片手で発射できること、素人でも標的に命中できることが最大の特長。中世に発明された革命的な武器と呼ぶ人が多いのもわかります。しかし、機構が複雑で故障が多いこと、連射が難しいことが欠点でした。  悲しいかな、人間の歴史とは戦いの歴史。僕らの先祖である猿人類が道具を使い出した瞬間から、武器は存在し、狩猟に使い、戦争に使い、社会の発展に貢献してきました。今僕らが普通に生きていて、「戦争や武器なんか関係ないやい!」って思っていても、知らずに武器の発展の恩恵を享受しているわけです。だから、武器に興味なくても、関係ない人なんていないんです。いや〜、武器って、本当にいいもんですね〜。 (文=二木知宏[スクラップロゴス])

アサシンブレードは存在しなかった? 『アサシンクリード』で学ぶ“武器と暗殺の歴史”

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映画『アサシンクリード』公式サイトより
 映画に出てくる実在武器を紹介する「武器で見る映画」、第8回は『アサシン クリード』です。原作は僕も大好きなユービーアイソフトの同名ゲームソフト。この「アサシンクリードシリーズ」は史実を元に作られており、実在の人物、建造物、出来事、そして武器などが多く登場します。 そんなゲームソフトの映画化ですから、心踊らせて鑑賞してまいりました。『アサシン クリード』(原題: Assassin's Creed)2016年公開、ジャスティン・カーゼル監督、マイケル・ファスべンダー主演で、映画の舞台は現代と15世紀スペインです。  まず簡単に作品を紹介すると、自由意志を尊ぶ「アサシン教団」と、人類の意志を支配しようとする「テンプル騎士団」の何世紀にもわたる争いの物語です。主人公たちアサシンは「アサシンブレード」と呼ばれる、籠手から短い刃が飛び出る暗殺用の武器でテンプル騎士団の戦士を暗殺していきます。そもそもアサシンとは、暗殺者や刺客という意味で、語源は諸説あります。   それでは、武器を紹介していきましょう! 「アサシンブレード」って実在するのかという疑問をお持ちの読者諸氏に答えます。「ありません!」。じゃあ、いったい何をどう紹介するのか? ここでは、実在した暗殺用武器の数々と、舞台となっている15世紀スペインで使用されていた武器を紹介することにします。  まずは、「アサシンブレード」の元になったと思われる暗殺武器を紹介します。それは手甲鉤(てっこうかぎ)、忍者が暗殺用に使っていた武器で、熊手みたいなものがついた手甲です。「鉤爪」と記したこうがイメージしやすいかもしれません。「いやいや! こんな武器で殺傷できるの?」って思いますよね? でも、できるんです。それは簡単で、鉤に毒を塗って、毒殺します。  忍者から連想する手裏剣、忍手裏剣。手裏剣は大きく分けて棒状の棒手裏剣と、一般的なイメージの十字手裏剣、八方手裏剣などの車手裏剣の二種類に分類できます。車手裏剣の方は、とりあえず、投げて体に当たると、傷つくような形状をしています。手裏剣に毒を塗っておけば、暗殺、あるいは深手を負わすことができます。そして、手裏剣を使う手裏剣術には投げる以外の方法もあって、手に持った状態で突き刺すのです。刀を所持した状態で併用することもあります。  もうお気づきでしょうか? そうです。これは、劇中やゲーム内でのアサシンの暗殺方法にそっくりなんです。じゃあ、モデルは忍者かというと、そうとは限りません。なぜなら手裏剣や手甲鉤なんてものは世界各地にあり、起源もわからないほど。暗殺を達成するために自然発生的に誕生したという説もあります。他にも暗殺用武器として、似ているものが角指(かくし)と呼ばれるものです。指輪のような形状で、掌の内側にトゲが向くよう装着します。毒を塗れば暗殺用としても使えますし、相手を掴んだとき、動くと激痛が走るため、捕縛用武器としても使えたそうです。  さて、15世紀当時のヨーロッパで使われていた武器を紹介しましょう。基本的装備はロングソードです。一般的な両手持ちの両刃の剣で、本作でも多くの兵士がたくさん使っています。ドイツだとツヴァイハンダー、スイスだとバスタードソード、スコットランドだとクレイモアって名前です。これらの名前は、テレビゲームなんかでもよく耳にすると思います。1〜1.5mの長い刀身と2〜4kgの重量で、ピンとこないかもしれないですが、江戸時代の日本刀、打刀は刀身70cmくらいで重さ1kg程度。その打刀を日本人は両手持ちでチャンバラしているので、江戸時代の日本人くらいの体格や体力と西洋人のそれとでは、これだけ違ったわけです。もっともこの打刀が主流になったのは近世で、刀で戦争していた中世の鎌倉から安土桃山までの日本刀、太刀はもっとでかい。  なぜ、日本の話を急にしたかといえば、日本刀と西洋の剣は比較しやすいんです。ロングソードは、斬れ味なんてあってないようなもの。というのも、西洋の甲冑は、ご想像の通り板金鎧と呼ばれるプレートアーマー。さらに、その下に鎖帷子を着込んでいたので、どれだけ斬れ味を鍛えても斬れないんです。ロングソードは斬るのではなく、叩き折る、あるいは殴る鈍器として使用されていました。斬れ味抜群の日本刀に対して、こちらは打撃武器なんです。  アサシンの戦い方は、実は対プレートアーマー戦でした。大きな剣で打ち合い、アーマーの隙間にダガーなどのナイフを刺して致命傷を与える、という戦法。実は、こちらの方がアーマーの上から打撃を与えて倒すより、はるかに効率的なんです。  次に多く登場したのがクロスボウ。引き金を引くことで、矢を発射するギミックを有する武器で、漢字では弩(ど)という表記になります。日本では「おおゆみ」「いしゆみ」って呼んでいました。ボウガンって言った方がわかりやすいかと思います。鉄製のクロスボウは1370年頃に歴史に登場します。従来の弓に比べて貫通力や飛距離に優れ、何よりの利点は片手で発射できること、素人でも標的に命中できることが最大の特長。中世に発明された革命的な武器と呼ぶ人が多いのもわかります。しかし、機構が複雑で故障が多いこと、連射が難しいことが欠点でした。  悲しいかな、人間の歴史とは戦いの歴史。僕らの先祖である猿人類が道具を使い出した瞬間から、武器は存在し、狩猟に使い、戦争に使い、社会の発展に貢献してきました。今僕らが普通に生きていて、「戦争や武器なんか関係ないやい!」って思っていても、知らずに武器の発展の恩恵を享受しているわけです。だから、武器に興味なくても、関係ない人なんていないんです。いや〜、武器って、本当にいいもんですね〜。 (文=二木知宏[スクラップロゴス])

プロ野球開幕! プロ野球といえば“球場メシ”!! メシ情報とウンチク満載の球場食漫画『球場三食』 作者・渡辺保裕 インタビュー

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『球場三食』(作:渡辺保裕、講談社)
 本日3月31日、いよいよプロ野球が開幕! 「2017 WORLD BASEBALL CLASSIC」も大盛り上がりのうちに閉幕し、近年は観客動員が回復しているといわれているプロ野球。中でも密かに人気になっているのが、球場で個性的なメニューが続々と登場する「球場メシ」。  それを、細かな野球の豆知識とともに「うまそー」に紹介しているのが、「アフタヌーン」(講談社)で連載中の野球観戦漫画『球場三食(きゅうじょうさじき)』だ。  球場観戦に一家言を持つ主人公が全国のスタジアムへ赴き、ウンチクをたれながら球場メシを堪能するという、ありそうでなかった野球漫画でありグルメ漫画は、どのような取材をして描いているのか? 作者の渡辺保裕先生を直撃した。
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撮影:松沢雅彦
■きっかけは野球好き同士の会話から ── 『球場三食』は、主人公・日下昌大(くさかまさひろ)が独自の“観戦心得”をもってプロ野球の球場を訪れ、こだわりの球場メシを食し、色々なウンチクをこぼしながら、野球観戦を堪能するというストーリーです。野球マンガとしては、ありそうでなかったテーマですね。どういう経緯で連載に至ったのですか? 渡辺保裕(以下、「渡辺」) 私は『ドカコック』(週刊漫画ゴラクほか)というグルメ漫画も描いていますが、その編集の共通の知り合いを通じて現在の担当である講談社の編集を紹介してもらったんです。それで、一緒に食事をしたときに「野球ものやりたいですよね」というお話になって、「野球ものでメシものはどうか」とご提案いただいたんですよ。そこから球場メシをメインに据えてネームを描きだした、という流れです。 ── ちょうど食べ物を描く作品も手がけていたので、ノリ良く決まっていった感じですね。 渡辺 でも、しばらくは寝かせた状態になっていたんですよ。その間は明治神宮球場(以下「神宮球場」)に通い詰めながら、“下調べ”と称して神宮球場の大概のメニューを食べつくしました。そのなかで、「ライトスタンドにある『ルウジャパン』のソーセージのメガ盛りはメインイベントだよな」とかいろいろ練りながらぼちぼちネームができてきた頃に、「◯月◯日〆切りで」という話が来たので、急いで描いて持っていったんです。そこからは(連載開始まで)トントン拍子でしたね。 ── 連載初回の神宮球場編以降も、ご自身で実際に球場に行って、実体験的に取材しているのですか。 渡辺 もちろん。元々野球好きなので事前に知っていることはあるし、先にある程度調べますけど、球場に行って得ていることが多いです。 ── 主人公の日下は、球場観戦に行く際に自己ルールを決めています。「野球観戦日の食事は三食すべて球場内で調達する」というのもそのひとつで、それが漫画のタイトルにも結びついています。渡辺先生も野球観戦のときには同じようにしているんですか? 渡辺 さすがにそれは(笑)。でも、やってみたことはありますよ。夏場だったので1杯目のビールは死ぬほど美味しかった。球場メシの楽しみ方としてはアリじゃないですかね。
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神宮球場といえばこれ! 表紙にも登場した「ソーセージ・メガ盛り」
■駅からの道のりから取材開始 ── 現地ではどのような流れで取材をしているのでしょうか? 渡辺 チケットを自分でとるところから始めます。座席も自分で選びますね。最寄り駅を降りてからは、すべてが取材です。写真を撮りながら球場へ向かいます。 ── ごく普通の客として体験していくわけですね。主人公の日下のモノローグで紹介される球場の豆知識などは、コアなファンしか知らないようなものも盛り込まれています。第1幕の神宮球場編の冒頭から「正面入口にある『明治神宮野球場』という大きな看板の『宮」』の字は旧字で上下の『口』と『口』が結ばれていない」とか。あれは調べたのですか? 渡辺 いや、前から知っていました。実は、知っている人が多いと思っていたんですけど、「知らない」という反応が周囲で多かったので。豆知識は自分が元々知っていたものを入れることが多いですね。 ── 日下は球場入りすると、観戦しやすい穴場的な座席について持論を展開しながらその席につきます。あれも渡辺先生が現地で見つけているんですか? 渡辺 はい。場内を歩き回りながらチェックしています。普段はあまり行かないようなところにも行ってみたりして。いろいろな発見があるので楽しいですよ。 ── 現在はファンクラブのマイレージとかもあって、日下も球場の機械で来場ポイントをつけていました。渡辺先生もファンクラブに入っているのですか?  渡辺 9球団に入りました。広島はもう締め切られていて入れなかったんですよ。あと、DeNAとロッテも入っていなくて……。千葉出身なんですけどね(笑)。 ── いまどきのファンクラブは、たくさんの特典がありますよね。 渡辺 来場特典などもあるので、レプリカユニフォームがもらえる日などは「資料をゲットするために!」という名目でせっせと球場へ通っています。おかげさまで、野球を観に行くことに罪悪感がなくなりました。「仕事だから、しょうがねぇな」って(笑)。
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上:シャウエッセンエッグドッグ、下:もつ煮
■食べ物は作者も三食分以上食べる ── ストーリーの核である球場メシの描写や解説には力が入っています。でも、朝・昼・夕と3食分は最低登場するので、1度の取材では食べきれそうにないですね? 渡辺 さすがにひとりでそんなに食べられないので、取材のときは編集の人も一緒に行って2人でいろんなメニューを食べ合っていますが、食べる量は多くなりますね。 ── 定番から、知らないとありつけないものまで登場します。まだ、単行本化されていませんが、第7幕の札幌ドーム編(『アフタヌーン』2月号)に登場する日本ハム直営「ホットドッグ・パーク」にある「シャウエッセンエッグドッグ」などはそうですね。 渡辺 外野スタンドの高いところにひっそりとあるんですが、「あれは行かねば」と思っていました。 ── 第9幕のZOZOマリンスタジアム(『アフタヌーン』4月号)の回でも、主人公が内野席にいるのに、外野席で販売されている「サンマリン」のもつ煮の話題に触れています。実際に外野席にも行かれたのですか? 渡辺 行きました。あれも人気の一品なので、絵としては外せませんでした。 ── 掲載しきれなかったものも含めて、食べ物で一番印象に残ったのは何でしょうか? 渡辺 札幌ドームは、やはり北海道ということでどれも美味しかったですね。あと、西武ドーム(メットライフドーム)のピザがうまいっすよ! 石窯で焼く本格的なピザです。メヒア選手も「美味しい!」と言っていたらしいし。あとZOZOマリンの球場外に並ぶ屋台も基本おいしいです。肉系が多いですけど、ガパオライスとか。何を食べても美味しかったなぁ。 ■主人公・日下昌大の見た目は編集担当、中身は作者がモデル? ── 主人公の日下昌大は何歳くらいの設定なんですか? 渡辺 近鉄の助っ人・ブライアントが東京ドームの天井にあったスピーカーに直撃弾を放った(1990年6月)場面を子どもの頃に見ているので、80年代生まれの30歳ちょっと、という感じです。ルックスは担当編集の人がモデルです。細くてシュッとしています。 ── 野球の話で盛り上がったのがこの連載のきっかけということですから、野球が好きなんですよね? 渡辺 すごく好きですよ。横浜生まれの横浜育ち。いまは横浜(DeNA)ファンですが、小さい頃は西武ファンだったそうです。90年代の西武は強かったですからね。
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「スキあらば近鉄ネタ入れますよね?」と聞いたところ、「出ちゃうんですよねぇ」と渡辺先生
── なんと! 渡辺先生は、いまは亡き近鉄バファローズの猛烈なファンですよね? 渡辺 はい、そうです。ですから、当時は憎っくきライバル球団ですね(笑)。 ── ぶっちゃけ、担当編集さんとは仲良くやっていますか(笑)? 渡辺 もちろんです。軟式野球審判員の資格をもつほどの野球好きですし、私がのめり込み過ぎるとブレーキをかけてくれますし、逆に「ここはもう少し突っ込んだほうが」と背中を押してくれます。いつも楽しく打ち合わせをしていますよ。 ── 本編では、日下が語る体裁で近鉄ネタが結構あります。 渡辺 いやいや、結構どころか、明らかに多いです(笑)。あと、プロレスネタも。このへんは趣味丸出しです。担当編集からは、「言われたくないだろうけど、あまり入れないくださいね」と釘を刺されています。これでも自分としてはセーブしているんですけどね。 ── すると、日下は見た目が編集さんで、中身が渡辺先生ご自身がモデルということになるわけですね。こういった漫画を描くにあたり、近鉄ファンとして深く愛情を注いでいたことが逆に生きている部分はありますか? 渡辺 近鉄が消滅してからは、プロ野球を親のような気持ちで客観視して見るようになりました。特に1990年代に宿敵だった西武は憎んでいたほどでしたが、今になって西武ドームに通うと、敵味方なく両方から見るのも案外面白いなと感じます。 ── ただ昔の伝説的なネタは、いかんせん近鉄に絡みがちになる? 渡辺 そうですね。たとえば藤井寺球場編では、80年代の近鉄を回想するシーンに、梨田昌孝(現楽天監督)が大昔に出版した『燃えろキャッチャーミット』という自伝本やフェイスガードをつけたマニエルを背景に入れたり、実は背景の観客のなかにはキダタローと、藤田まこと、井上ひさし、榊莫山先生、ぼんちおさむ、関根潤三などを小さく描いてまぎれ込ませています。(笑) ── 全部、近鉄ゆかりの人で固めている! 渡辺 そう、自己満足なんですけど、(デジタル作画だと)拡大すれば描けちゃうから。西武ドームの回でも、清原和博、桑田真澄、東尾修の3人を描き込んだり。よく見るとわかりますよ。いろいろ遊んでいるので、ぜひ探してみてください。 ■球場の細かい描写に没頭する ── 各球場の施設についても、詳細に描かれています。どうやって描いているんですか? 渡辺 自分で撮影してきた写真をベースにしてトレースしてます。いまはデジタルなので、部分的に拡大すると細かいところまで延々と描けてしまうんですよ。気分がハイになって楽しいですけど、時間がエライかかる。アナログ時代よりもかえってマンパワーと時間がかかるという(笑)。 ── 今までに行った球場で、改めて良かったなと思うところはありますか? 渡辺 広島のマツダスタジアムは良かったですね。天然芝のフィールドはいいなって思うんです。あと、福岡ドームは、ホークスファンによる一体感があって印象に残りました。演出がすごいんですよね。エンタテイメント感があって。地元に住んでいたら楽しいだろうな、と思います。観客席の傾斜がわりと緩やかで、壁の圧迫感はないですよね。勝つと毎回花火が炸裂して、ドームを開くこともありますし。 ── 食べ物も雰囲気を出すのがまた大変かなと思いますが、『ドカコック』からの延長線上という感じでしょうか。 渡辺 それは問題ないですが、現場で写真を撮るので、周りの人からは「なにやってんの、このひと?」となる。それがツラいですね。 ■人情味あふれる個性派キャラが熱い ── 第8幕のKoboパーク宮城(『アフタヌーン』3月号)には、スタンドに入る危険な打球を知らせるために笛を吹く係について「打球判断は世界一」とありましたが、あれは実際に目撃したのですか?
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打球の行方にご注意ください
渡辺 実はですね。あれは西武ドームにいた人の話なんですよ。Koboパークにもイエローハットみたいな格好している笛吹き係がいるのは事実ですが、うまい下手は、以前、西武ドームで見ていたときに意識したことなんです。一度、笛を吹くのが遅くて女の子の顔面当たってしまったのを見たことがありまして。血だらけになって運ばれる姿を見て、「『もう、球場には二度と来たくない』って思ってしまうのかな……」と心配でした。でも、うまい人は本当にうまいんですよ。笛を吹くタイミングも早い。その話を持ってきました。 ── そのKoboパークの回では、宮城球場がロッテの準フランチャイズだった時代を知る気難しい爺さんが絡んできたり、藤井寺球場編では、近鉄バファローズの生き字引を自認する少年を中心に商店街の人との触れ合いが描かれたり。また、ヒロインとして、ヤクルトファンのつばみちゃんが、猛烈な野球知識をもって日下に絡んできたり、球場で出会うキャラたちも強烈です。 渡辺 神宮球場で観戦していたときに、第1幕に出てくるような集団が本当にいたんですよ。野球なんてどうでもいい感じで、「この前クライアントにメシ食わせてさぁ」とか。あの中に一人だけ「私、なんでこんなところにいるんだろう」というガチな野球好きの女の子がいたらいいな、と思って……。 ── 取材時は球場メシや座席だけでなく、全周囲にアンテナを張り巡らせているわけですね。 渡辺 球場行くと、とにかく何かしらのネタは拾いますね。実はそうしていると、肝心の野試合そのものを見ることからどんどん遠ざかっていくんですけどね(笑)。 ■ビールの売り子事情もナマで体験 ── 『球場三食』では、多くのエピソードでビールの売り子が登場します。あれは実在する人をモデルにして描いてるのですか? 渡辺 「写真を撮らせてください」とお願いして、撮影したものをベースにしています。 ── 単行本第1巻には、各話の最後に取材後記的なイラストコラムが描き下ろされていて、売店の人やビールの売り子さんとのやりとりについても描かれています。その際に漫画の取材であることは明かしているんですか? 渡辺 明かしていません(笑)。実際、球場では売り子の写真を撮る人が、結構普通にいるんですよ。もちろん、みなさん本人にちゃんとお願いをして撮影していますけどね。 ── コスプレイヤーの撮影に近い感覚ですね。 渡辺 だから、向こうも慣れているみたいで、笑顔でポーズをとってくれますよ。でも、私は資料にしたいので、「いいから、背中のタンクを撮らせて」と思っていたりして(笑)。 それと、「嫌な顔などせずに撮影に応じれば、ビールをたくさん買ってくれる」という思惑もあるみたいですよ。お気に入りの売り子さんから“樽買い”する人もいますからね。
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おのののかさんとか有名ですよね
── 第2幕の西武ドーム編に登場したネタですね。一人の売り子のタンクの分をグループで観戦に来た人たちが一度にすべて買い占めるんですよね。 渡辺 実は個人でもやる人がいるんですよ。 ── 個人でですか!? 絶対に飲みきれないじゃないですか! 渡辺 あれ22~25杯分ぐらいあるみたいで。全部は飲まないのでしょう。もったいない。 ── AKB48総選挙の投票券付きCDを買い占めるような感覚ですね。周りの席の人に振る舞えばいいのに。 渡辺 近くにいても、そんなことは一度もないです(笑)。 ── Koboパークの回にありましたが、座席に届けてくれる売り子さんもいるんですね。 渡辺 はい。通路で買うと「席どこですか?」と聞かれるんですよ。私は動き回って取材をしているのでいないことが多いんですけど、「15分後に」みたいに言っておくと、だいたい来てくれます。漫画では描いていないですけど、かなり押しの強い売り子もいますね。ただ、売り子は注ぎ方に当たりハズレがあります。だから、売店のほうが安心できるところがあるんですよ。 ── 泡だらけになってしまって、中身が少ないときがあるんですよね。西武ドーム編でそのあたりのことも描かれていました。 渡辺 あれは実話です。入れ直してくれて「どうですか?」「今度はどうですか?」と言われるんですけど、「軽いじゃない」って。でも、周りの人がみんなこちらを見ているので「これでいいよ」とするしかない。 ── こうして聞いていると、渡辺先生が現地で体験したことを、本当にそのまま作品にしていることがよくわかります。 ■球場の出会いがまた面白い ── 球場での取材で、ほかに面白い出会いなどはありましたか? 渡辺 漫画に描いたものだと、アマチュアのカメラマンと、ビールを回してくれないおじさんについては実話です。 ── ZOZOマリンスタジアムの回のエピソードですね。 渡辺 真ん中あたりの座席に座っていたら、隣のカメラマンは身を乗り出しているうえに望遠レンズをニューっと出しているので視界に入ってくるんですよ。そして、ビール買ったら、今度は一番端っこのおじさんが受け取ってくれない。通路から売り子の女の子が「すいません! ビールを回していただけけますか?」と言うと、「え、なんで私が?」という反応なんです。カメラマンのレンズがでかくて動けないし、まいりましたね。 ── 逆に仲良くなるケースは? 渡辺 札幌ドームで大谷翔平がホームランを打ったときは、隣の人と「大谷はやっぱいいなぁ」とか語り合ったりしました。それと、福岡ドームに取材にいったら、手首につける腕時計みたいなアクセサリーを配っていて、それが試合中にときどき光るんですよ。隣にいた2人組の女性に「これってどうやって光らせてるんですか?」って聞いたら、「勝手に光るんですよ。ホームラン打ったりしたら光るんです」と教えてくれました。盛り上がるところで球団側が情報を送って光るらしく、「そうなの!?」と驚きました。 ── さすがIT企業が親会社ですね。 渡辺 そういう、小さな出会いややりとりは行った先々であるので、楽しいですね。 ■最終ページのチャートは辛辣な評価も ── 先ほどのビールの注ぎ方もそうですが、紹介するものすべてをベタ褒めというわけではないのもひとつの特徴かと。ときには、日本ハムの本拠地移転問題について、日下と一緒に観戦した旧友が熱い語り口で疑問を呈するシーンもあります。 渡辺 悪いことばかりは描けないですけど、かといって褒めちぎっても仕方がない。そこら辺のさじ加減が難しいですね。
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こちらは作中で日下が想像した日本ハムの新球場
── 漫画本編ではさしさわりのない評価をしていながら、最後のページに毎回登場する評価チャートでは「あれ? 厳しい採点」ということがあります。それが渡辺先生ご自身の本音かなと感じます。 渡辺 ある球場について、「殺風景」ということをネームで厳し目に描いたことがあったんですけど、編集から指摘されて柔らかい表現に変えたんです。そしたら、掲載後にその球場の職員から編集部に連絡が来たんですよ。「取り上げていただいてありがとうございました。至らぬ点もあると思いますが……」みたいな感じで。「ああ、良かった~」と(笑)。  他にも、「来てくださると知っていたらご案内したものの、ぜひ次回お越しの際は……」という連絡が別の球場から来たことがありました。でも、このような作品の取材で、事前に連絡して丁寧に案内をされちゃ駄目でしょう? という思いはありますね。 ── フラットな目線で空気を実感し、称えるなかにも、さりげなくチクっといく。 渡辺 取材のときには、すべて自分でお金を払っていますから。球場メシって、ひとつネックなのはどこも値段が高い。平均で一品1,000円くらいしてしまう。それを、編集と分担してもひとりにつき5品くらいは食べますし、おまけにビールも飲みますから結構な金額になります。だからこそ、すべて手放しで褒めてばかりではなく、球場に訪れた人が感じるだろうことについては、柔らかい表現にするにしても入れていきたいと思っています。
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2巻も5月発売! なお中央の写真は元近鉄、現楽天の梨田監督
■単行本第2巻はナゴヤD、札幌D、Koboパーク、ZOZOマリンなどが登場 ── 最後に今後の展開についての構想はありますか? まずは12球団すべての本拠地は網羅するのが目標かと思いますが、それで連載終了! ということはないですよね!? 渡辺 どうでしょう(笑)。とりあえず、単行本の第2巻では、ナゴヤドーム、札幌ドーム、コボスタ宮城、ZOZOマリンスタジアムなどが収録予定です。札幌とマリンは、結構、食べ物に寄せた内容にしていますので、2巻のほうが「食」のイメージが強いかもしれません。 ──高校野球と阪神の聖地である甲子園球場は? 渡辺 いつ描こうかな……と思案中です。あと、ハマスタ(横浜スタジアム)もまだ描いてないですし。地方球場も描きたいんですよ。岐阜の長良川球場とか。沖縄のセルラースタジアム、熊本の藤崎台野球場、福島や秋田、静岡の草薙球場もいいな。 ── そうすると、12回くらいで終わるなんてことはないんじゃないですか? 渡辺 人気が続けば連載も続くと思いますけどね。いまのところはなかなかいいらしいので。これからも、ぜひ、よろしくお願いします。 ── 今後、“近鉄”色は? 渡辺 薄めにしておきます。ご安心下さい(笑)。 (文、取材・キビタキビオ) ■『球場三食』第1巻 出版社:講談社 定価:本体590円(税別) ISBN:978-4063882377 単行本第2巻が5月23日発売! ■アフタヌーン公式サイト モアイ http://afternoon.moae.jp/lineup/652

『クズの本懐』最終話 おもしろクズたちが、ただの「つまんねえ人」になっちゃった……その尊さに打たれました

『クズの本懐』最終話 おもしろクズたちが、ただの「つまんねえ人」になっちゃった……その尊さに打たれましたの画像1
『クズの本懐』公式HPより
 BPOに「高校生にキスさせんな」的な意見が寄せられているにもかかわらず、平気でキス以上のあれやこれやを描いてきたノイタミナ枠『クズの本懐』も最終回を迎えました。  正直な感想を述べてしまえば、つまんねえぇーところに落ち着いたなと思うんですよね。超絶ビッチだった茜先生(CV:豊崎愛生)は天使のように何もかもを受け入れる鐘井先生(CV:野島健児)のおかげでビッチを卒業し、そのまま結婚することに。  一方、その2人への片思いが破れた花火(CV:安済知佳)と麦(CV:島崎信長)は、それまでの歪んだ“契約関係”を破棄して、花火は「本物を探す」決意を固め、前に進む。麦に片思いしていたモカちゃん(CV:伊澤詩織)と、花火をレズ的な意味で好きだったえっちゃん(CV:戸松遥)も、それぞれ失恋を乗り越えることができた。  それぞれのクズが「クズの本懐」を遂げることなく、「人間の本懐」ともいうべき克己と自立を経て、物語は終わりました。どうにも、みんなつまんない人になっちゃったな、という感じです。  でも、だからダメな作品というわけでは全然なくてですね。  傍から見ていてつまんなくない人、おもしろい人っていうのは、大概において本人はすごく苦しんでいるんだと思うんです。それらを単にキャラクターとして、娯楽の対象として消費するならば、この結末は実に娯楽性に乏しい物語ということになる。そして『クズの本懐』という作品は、過剰にエロシーンを描写してきました。作品そのものを娯楽として消費されること、つまりは「単なるエロアニメ」と見られることを、まったく恐れていませんでした。それは大変に立派な姿勢だったと思うし、それだけ物語の強度を信じていたということだと思います。  単なるキャラクターとしてではなく、彼らに人物として共感してしまえば、このつまらなさは実に尊いものになります。彼らを苦しめてきた自意識や妥協や、孤独に耐えられない弱さや、歪んだ価値観や歪んだ人間関係から、ひとまず解放される様が描かれました。救済され、成長した後の人間というのは、きっと娯楽対象には適さないものです。だから、「みんながつまんない人になった」と感じたということは、この作品は彼らの「救済と成長」を描き切っていたということなので、全然ダメじゃなくて、むしろとてもいい作品だったと思うわけです。  第1話、「遂げてみせるよ、クズの本懐──」というセリフで始まった物語のラストで、花火に「本物を探してる、そのために生きていく」と言わせています。何かのために生きていくと自覚している人は、もうクズではありえません。  最終回で印象的なエピソードがありました。  名前も覚えていないクラスの男子にいきなり告白されそうになった花火が、「ご、ごめんなさい。でも、ありがとうございます」と、丁寧に断る場面です。  第1話でも花火は、知らない男子に告白されています。そして、「興味のない人から向けられる好意ほど、気持ちの悪いものってないでしょ」と言っています。  茜先生が鐘井先生にちょっかいを出したのは「花火の悔しがる顔が見たいから」というだけの理由でした。しかし最終回で茜先生は、結婚祝いの場でブーケから花を一輪抜いて、花火に「ブーケトス」だと言ってぐいぐい押しつけます。ほかの女を見下すことでしか自分を保てなかった大人の女が、ほかの女の幸せを心から願う人になっていました。  花火の寂しさにつけこみ、便利な性のはけ口として利用してきた麦は、最終回になっても自分にも花火にも、相手への執着が残っていることを感じています。望めば続けられるセフレ関係を、優しく断ち切るために「ごめん」と謝ってみせました。そして、もうキスもハグもしようとせず、花火といろいろな話をしました。  こうした対比が丁寧に描かれることで感じたのは、物語の「節度」というものです。『クズの本懐』は、キャラクターたちに対して、とても「節度」を持って作られた作品だったと思うんです。クズたちを誰ひとりとして、雑に扱わなかった。これだけ大量に未成年のセックスを描いておいて「節度」を感じさせるというのは、なかなかこれは凄まじいクリエイティビティだと思うし、満足度の高い全12話だったと思います。  本音をいえばね、天使のような鐘井先生が「実は20年来の制服泥棒でした」みたいなオチを期待してなかったといえば、それはまあウソになりますけど。 (文=新越谷ノリヲ)

『クズの本懐』最終話 おもしろクズたちが、ただの「つまんねえ人」になっちゃった……その尊さに打たれました

『クズの本懐』最終話 おもしろクズたちが、ただの「つまんねえ人」になっちゃった……その尊さに打たれましたの画像1
『クズの本懐』公式HPより
 BPOに「高校生にキスさせんな」的な意見が寄せられているにもかかわらず、平気でキス以上のあれやこれやを描いてきたノイタミナ枠『クズの本懐』も最終回を迎えました。  正直な感想を述べてしまえば、つまんねえぇーところに落ち着いたなと思うんですよね。超絶ビッチだった茜先生(CV:豊崎愛生)は天使のように何もかもを受け入れる鐘井先生(CV:野島健児)のおかげでビッチを卒業し、そのまま結婚することに。  一方、その2人への片思いが破れた花火(CV:安済知佳)と麦(CV:島崎信長)は、それまでの歪んだ“契約関係”を破棄して、花火は「本物を探す」決意を固め、前に進む。麦に片思いしていたモカちゃん(CV:伊澤詩織)と、花火をレズ的な意味で好きだったえっちゃん(CV:戸松遥)も、それぞれ失恋を乗り越えることができた。  それぞれのクズが「クズの本懐」を遂げることなく、「人間の本懐」ともいうべき克己と自立を経て、物語は終わりました。どうにも、みんなつまんない人になっちゃったな、という感じです。  でも、だからダメな作品というわけでは全然なくてですね。  傍から見ていてつまんなくない人、おもしろい人っていうのは、大概において本人はすごく苦しんでいるんだと思うんです。それらを単にキャラクターとして、娯楽の対象として消費するならば、この結末は実に娯楽性に乏しい物語ということになる。そして『クズの本懐』という作品は、過剰にエロシーンを描写してきました。作品そのものを娯楽として消費されること、つまりは「単なるエロアニメ」と見られることを、まったく恐れていませんでした。それは大変に立派な姿勢だったと思うし、それだけ物語の強度を信じていたということだと思います。  単なるキャラクターとしてではなく、彼らに人物として共感してしまえば、このつまらなさは実に尊いものになります。彼らを苦しめてきた自意識や妥協や、孤独に耐えられない弱さや、歪んだ価値観や歪んだ人間関係から、ひとまず解放される様が描かれました。救済され、成長した後の人間というのは、きっと娯楽対象には適さないものです。だから、「みんながつまんない人になった」と感じたということは、この作品は彼らの「救済と成長」を描き切っていたということなので、全然ダメじゃなくて、むしろとてもいい作品だったと思うわけです。  第1話、「遂げてみせるよ、クズの本懐──」というセリフで始まった物語のラストで、花火に「本物を探してる、そのために生きていく」と言わせています。何かのために生きていくと自覚している人は、もうクズではありえません。  最終回で印象的なエピソードがありました。  名前も覚えていないクラスの男子にいきなり告白されそうになった花火が、「ご、ごめんなさい。でも、ありがとうございます」と、丁寧に断る場面です。  第1話でも花火は、知らない男子に告白されています。そして、「興味のない人から向けられる好意ほど、気持ちの悪いものってないでしょ」と言っています。  茜先生が鐘井先生にちょっかいを出したのは「花火の悔しがる顔が見たいから」というだけの理由でした。しかし最終回で茜先生は、結婚祝いの場でブーケから花を一輪抜いて、花火に「ブーケトス」だと言ってぐいぐい押しつけます。ほかの女を見下すことでしか自分を保てなかった大人の女が、ほかの女の幸せを心から願う人になっていました。  花火の寂しさにつけこみ、便利な性のはけ口として利用してきた麦は、最終回になっても自分にも花火にも、相手への執着が残っていることを感じています。望めば続けられるセフレ関係を、優しく断ち切るために「ごめん」と謝ってみせました。そして、もうキスもハグもしようとせず、花火といろいろな話をしました。  こうした対比が丁寧に描かれることで感じたのは、物語の「節度」というものです。『クズの本懐』は、キャラクターたちに対して、とても「節度」を持って作られた作品だったと思うんです。クズたちを誰ひとりとして、雑に扱わなかった。これだけ大量に未成年のセックスを描いておいて「節度」を感じさせるというのは、なかなかこれは凄まじいクリエイティビティだと思うし、満足度の高い全12話だったと思います。  本音をいえばね、天使のような鐘井先生が「実は20年来の制服泥棒でした」みたいなオチを期待してなかったといえば、それはまあウソになりますけど。 (文=新越谷ノリヲ)

これは美少女マトリョーシカ映画だ! 酒井麻衣監督の商業デビュー作『はらはらなのか。』の配役が素晴しい件

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『はらはらなのか。』で商業デビューを飾る酒井麻衣監督。女の子のイノセントな魅力を引き出す天才!
 全力歯ぎしり、レッツゴー♪ 園子温監督の半自伝的映画『地獄でなぜ悪い』(13年)は当時17歳だった二階堂ふみが火傷しそうなほどにラブリーだったが、二階堂ふみ演じるミツコの少女時代に扮したのが、2003年生まれの原菜乃華だった。園子温作詞作曲のCMソングを天真爛漫に歌い踊り、ヤクザ役の堤真一にメンチを切る少女時代のミツコを見て、「この娘は大物になる!」と予感した人は少なくないだろう。原菜乃華はその後も『おはスタ』(テレビ東京系)のおはガールに選ばれるなど、美少女への階段を順調にステップアップ中。  そんな成長過程にある彼女の撮影時12歳の魅力がみっちり詰まった主演映画が、酒井麻衣監督の商業デビュー作『はらはらなのか。』だ。その道の巨匠・大林宣彦監督の名作『時をかける少女』(83年)や『さびしんぼう』(85年)を思わせる、現実世界とフィクションがせめぎあうドキュメンタリータッチのファンタジー映画となっている。  原案となっているのは原菜乃華主演の舞台『まっ透明なASOべんきょ~』。2015年に中野・ザ・ポケットで上演された劇団Z-lionの公演をベースに、初めて舞台に主演することになった少女のナイーブな心情をクローズアップした多重構造の作品へと酒井監督によってアレンジされている。ジュニアアイドルから本格的に芸能界に羽ばたこうとする原菜乃華のイノセントな輝きは今だけのもの。素顔の原菜乃華もかわいいが、作品の世界に足を踏み入れ、役にハマった瞬間の表情は何とも言えない愛らしさがある。フィクションの世界に同化する演者としての恍惚感を、どうやら彼女はすでに知っているようだ。  本作に主演した原菜乃華をサポートするキャストも気になる配役ぞろい。父親(川瀬陽太)とケンカして家を飛び出したナノカ(原菜乃華)を優しく見守る喫茶店の若い店長・リナには元SKE48の松井玲奈。SKE卒業後、初の映画出演となる松井玲奈だが、本作では前にグイグイと出る役ではなく、舞台デビューを控えて揺れ動くナノカの心情を理解する落ち着いたお姉さんキャラ。SKE時代も松井珠理奈という好対象な存在があったからこそ “ダブル松井”としてファンの印象に残った。松井玲奈には夜道を照らすお月さまのような穏やかな魅力がある。ナノカが通い始める中学校の生徒会長には、16歳の新進アーティスト・吉田凛音を起用。吉田が学校内で明るく歌い踊るミュージカルシーンも見せ場のひとつだ。それぞれのキャストに合わせて“当て書き”された脚本ゆえ、松井玲奈も吉田凛音も等身大にのびのびと振る舞っている。  キャストの自然な魅力を引き出した酒井麻衣監督も1991年生まれの注目の逸材。インディーズ映画の登竜門「MOOSIC LAB 2015」でグランプリ&最優秀女優賞&観客賞ほか6冠に選ばれた前作『いいにおいのする映画』(15年)はスクリーンからは伝わらないはずの“匂い”をモチーフにしたユニークなファンタジー映画だった。本作はナノカ主演の舞台をベースに、二重三重のマトリョーシカふうドラマに仕立ててある。ナノカの若くして亡くなった母親役を魔法アニメ『シュガシュガルーン』(テレビ東京系)などの人気声優としても活躍した松本まりかが演じており、松本まりか、松井玲奈、原菜乃華と世代の異なる女優たちが“演じることの面白さ”をバトンリレーしていくことになる。女優陣のそれぞれのキャリアと実年齢を活かした配役の妙が楽しい。  酒井麻衣監督の前作『いいにおいのする映画』は魔法使いなることを夢見る女子高生の物語だったが、京都造形芸術大学映画学科を卒業し、一度は就職も経験した酒井監督にとって、映画製作の現場こそが魔法の国だった。『はらはらなのか。』の製作発表会見で酒井監督は「『いいにおいがする映画』のときは周りのプロのスタッフさんを魔法使いだと思っていた。今回は菜乃華ちゃんや凛音ちゃんを輝かせる魔法使いの側でいたい。シンデレラになってほしいです」と語っている。シンデレラ誕生の瞬間に立ち会いたい。 (文=長野辰次)
これは美少女マトリョーシカ映画だ! 酒井麻衣監督の商業デビュー作『はらはらなのか。』の配役が素晴しい件の画像2
酒井監督と『いいにおいのする映画』に続いての出演となったmicci the mistake。ホラー映画ではありません。
『はらはらなのか。』 監督・脚本/酒井麻衣 音楽・主題歌/チャラン・ポ・ランタン 出演/原菜乃華、吉田凛音、粟島瑞丸、チャン・ポ・ランタンと愉快なカンカンバルカン、micci the mistake、上野優華、広瀬斗史輝、水橋研二、松本まりか、川瀬陽太、松井玲奈  配給/SPOTTED PRODUCTIONS 4月1日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー  http://haraharananoka.com