なぜ嫌われる?“プロ子供”寺田心くんがネット炎上常連のワケ

【アガるニュースをお届け!デイリーニュースオンラインより】
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事務所HPより
 天使のような声と顔立ちで一躍人気者になった子役の寺田心(7)がネット炎上する事態が続発している。誰もが目を細めてしまうような可愛いキャラクターのはずだが、なぜかメディア出演するたびに批判が殺到しているのだ。
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ジャスティン・ビーバー、BRITアフターパーティーで大激怒!?

ジャスティン・ビーバーは24日(水)にロンドンで行われたブリット・アワードのアフターパーティーを喧嘩で台無しにされ、大激怒してその場を去ったようだ。ブリット・アワード式典での男性ソロアーティスト賞獲得と大成功をおさめたパフォーマンスをお祝いして25日深夜、ロンドンのあるクラブでアフターパーティーを楽しんでいたジャスティンであったが、ジャスティンの仲間内の1人がほかのグループと喧嘩を始めたためにお祝いムードが壊されてしまったようだ。ある関係者は「午前1時35分ころにセクシーなアンダーウェアを身に着けたクラブのダンサーたちが座っていたVIP席の近くにジャスティンは案内されました。ジャスティンは写真を撮られたりすることや薄暗いことに不服そうでしたね」「それから突然ジャスティンのグループの1人がほかのグループの誰かと喧嘩を始めたんです。警備員によって止められはましたが」と語る。 その出来事の後、楽しく過ごすはずであった夜を台無しにされたジャスティンは突然クラブを出て行ってしまったそうだ。 前述の関係者はデイリー・ミラー紙のインタビューに「ジャスティンはとても怒っているように見えましたよ。その出来事の後、その場は完全にカオスな状態になりました。押し合いへし合いでしたね」「警備員はその喧嘩を何とか止めていました。ジャスティンはその夜を引き続き楽しもうとしましたが、緊迫した雰囲気でクラブも超満員だったんです。するとジャスティンは裏の出口から突然出て行ってしまいました」とその一部始終を話していた。

ボクサー・辰吉丈一郎はどう家族と向き合ってきたか? 20年のドキュメンタリーに刻まれた生き様

【リアルサウンドより】  ボクシングの試合を観て、熱くなり、声を出し、感動に打ち震え涙を流した経験はあるだろうか? 私事で恐縮ではあるが、1991年9月19日、辰吉丈一郎の世界タイトルマッチ初挑戦の試合で筆者はそれを経験した。  彼の試合は、人の心を根底から揺さぶる。そこに勝敗は関係ない。もちろん勝つに越したことは無いが、負けてもなお、人々の心をつかんで離さないのが辰吉丈一郎の試合である。  そんな辰吉丈一郎の20年間を追ったドキュメンタリー映画『ジョーのあした -辰吉丈一郎との20年-』がいよいよ今週末、2月27日(土)に公開される。監督を務めたのは、『どついたるねん』(1989年)や『鉄拳』(1990年)などのボクシング映画のほか、『闇の子供たち』(2008年)や『座頭市 THE LAST』(2010年)など、数々の名作を撮ってきた名匠・阪本順治。『BOXER JOE』(1995年)撮影以来、20年に渡り辰吉丈一郎の姿を撮り続けたドキュメンタリー映画である。
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 1989年にデビューし、45歳になるいまでも現役で生き続ける辰吉は、周囲の雑音も気にせず、ただひたすらボクサーとして生き抜く。この映画は、ボクサーのドキュメンタリー映画ではあるが試合シーンはほぼ出てこない。余計な演出を一切廃して、人間・辰吉丈一郎の愛に溢れた生き様を、節目ごとに行ったインタビュー映像を紡ぐことで描き出している。  父・辰吉粂二(くめじ)に男手ひとつで育てられた辰吉の、「生まれ変わってももう一度自分に生まれたい。父ちゃんの子で生まれたい」と語る姿から、本作は幕を開ける。その一言は、どれだけパンチを喰らっても前に出続け、初めて世界チャンピオンとなり、父親に向けて「やったで!」と親指を立てたあの日の試合を、まるで昨日のことのように思い出させる。
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 顔も知らぬ母親に対しての心情も吐露されているが、その悲しみの深さを知るからこそ、自分の家族に対して惜しみない愛情を注いでいることもわかる。「引退後は24時間、子どもの父ちゃんでいたい」という言葉には、父としての辰吉の心情が集約されているようにも思える。  かつてテレビのドキュメンタリー番組で、自分の子どもが学校へ集団登校する際に、毎日ジョギングでついていき学校へ送り届ける姿を観たことがあるが、そうした行動は場合によっては過保護に映るかもしれない。しかし、この映画を通じて辰吉の心情に触れると、その態度もまた正しいのだと思わされる。  阪本監督と辰吉の信頼関係も、本作からは滲み出ている。公私ともに深い交流を持つ監督だからこそ、全編に渡って辰吉の「愛」を捉えることができたのだろう。また、1回のインタビューを33分(16ミリフィルム1本11分×3本分)と決め、監督自らもボクサーのような制限時間の中で撮影していることが、ある種の緊張感ももたらしている。まるで辰吉と監督との試合を観ているかのようだ。  また、年月を追うごとに変化していく辰吉の「顔」も、本作の見どころである。ときには言葉以上に生き様を語っており、観る者の脳裏に刻み込まれていく。
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 映画の後半では、ジムに所属せず、近所のマダムたちがエクササイズをする横で黙々とサンドバッグを叩き続ける姿が映し出される。辰吉は4度目のチャンピオンになるまで、父の納骨はしないと決めており、いまもまったくその夢を諦めていないのだ。  しかし、息子がボクサーになることについて聞かれると、「自分の子供がどつき合いする姿を見たい親がどこにいる」と辰吉。永遠のボクサーでありながら、親でもある彼の複雑な感情が垣間見えるシーンで、その人間味に思わず共感してしまう。  この映画は、ボクシング映画である以上に、ひとりの男が抱く哲学に向き合い、その根底に流れる家族愛を捉えたドキュメンタリー映画だ。 辰吉丈一郎の心に寄り添うと、「愛とは何か」という根源的な問いについて考えざるを得ない。 ■ISHIYA アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。 FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST ■公開情報 『ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年-』 2.20(土)よりシネ・リーブル梅田ほか大阪先行公開 2.27(土)よりテアトル新宿ほか全国順次ロードショー 企画・監督:阪本順治 出演:辰吉丈一郎 ナレーション:豊川悦司 製作:日本映画投資合同会社 特別協力:日本映画専門チャンネル 特別協賛:J:COM  2016年/日本/82分/カラ―/DCP/1:1.85 公式サイト:www.joe-tomorrow.com (C)日本映画投資合同会社

まるで佐村河内!? “ゲーム機バキバキ事件”で大炎上中の高嶋ちさ子、割る前に「事前に調べた」発言もウソでさらに炎上!

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高嶋ちさ子公式Twitter(@chisako824)より。
“ゲーム機バキバキ事件”で大炎上中のヴァイオリニスト・高嶋ちさ子。友人でヴァイオリニストの葉加瀬太郎がTwitterで高嶋を擁護するも、炎上は収まるどころか、増すばかり。その中、当の高嶋が「週刊文春」(文藝春秋)のインタビューに応じ、騒動の釈明をしたのだが、「嘘つくな」と非難が集中している。  この騒動は、12日付けの「東京新聞」に掲載された高嶋の子育てコラムが発端。コラムによると、高嶋は子どもに「週末、宿題が終わって時間が余ったら」ニンテンドー3DSで遊ぶことを許可していたが、9歳の長男がその約束を破ってしまったため、怒り狂い、自らの手でニンテンドー3DSを真っ二つにしたとか。また、チェロの練習をサボった6歳の次男の同機も破壊。「あなたはゲームが一生できないことを嘆くより、ママからもう二度と信用されないということを心配しなさい!」と叱りつけたという。  真っ二つに割れたゲーム機の写真も掲載された“ゲーム機バキバキ事件”コラムは、世間で賛否両論を巻き起こすことに。だが、やはりと言うべきか、高嶋を非難する声のほうが強く、21日の『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演したダウンタウン・松本人志も「ゲームを完全に否定する人間が嫌い」と激怒。また、この騒動をきっかけに、高嶋の「昨日キレて破った子ども日記と宿題。私が破いたから、私に修復の義務があるのか、破く気持ちにさせた息子が修復すべきか…」といった過去のツイートも掘り返され、その“毒親”っぷりも話題に。  そんな中、「週刊文春」の取材に応じた高嶋は、ゲーム機を破壊したことについて、「事前にいろいろ調べていた」と釈明している。 「『週刊文春』の取材に応じた高嶋によると、自分のスケジュールとそれを守らなかった時のペナルティは、子ども自身が決めているようで、『ルールを破ったら3DSを折っていい』というのは、長男自身が言ったことだとか。さらに、高嶋は3DSを破壊する以前に、壊した端末を任天堂に持って行くと3,000~4,000円程度で修理してもらえることを調べ、ソフトを傷つけないように注意しながら真っ二つにしたと語っています。しかし、高嶋は3DSを折ったというツイートをした際、任天堂に持っていけば修理してもらえるというツイートに『え?こんなに折っちゃっても????』『そうですか。ありがとうございます。しかしこれで直したら本当の馬鹿親ですよね』とツイートしており、“破壊する前に調べた”というのはまっかなウソ。これにネットでは批判の声と共に『まるで佐村河内だな』『号泣議員かよ』といった声すら上がっています」(エンタメライター)  まさに八方塞がり状態の高嶋。炎上の火が収まるのはまだまだ先となりそうだ。

元少年Aは本当に「凶暴」で「更生していない」のか? 「週刊文春」の直撃記事は妄想と煽りだらけだった

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林真理子が木村拓哉を批判
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  少年Aは今もヤバかった、あいつはやっぱり何をするかわからない、あんな凶暴な奴を野放しにしていていいのか。先週、「週刊文春」(文藝春秋)が神戸児童殺傷事件の「元少年A」直撃の一部始終を報道して以降、週刊誌やネットでこんなヒステリックな声が再び広がっている。  たしかに、「文春」の記事を一読すると、元少年Aは今も危険人物であるとの印象を強く受ける。直撃した記者に対して、「命がけで来てんだろ?」というセリフで威嚇し、その後も1キロに渡って記者を追走、逃げる記者を「お前顔覚えたぞ」と鬼のような形相でにらみつける......。その姿は過去に少年犯罪を犯した人物というより、現役の凶暴犯のイメージだ。  しかし、記事の中身を仔細に読み直してみると、このイメージは意図的につくられたもので、事実はまったくちがうことがわかってくる。ヤバいのはAではなく、むしろ記者の勝手な被害妄想をそのまま活字にし、Aの凶暴性と異常性をひたすら煽り続けた「文春」の記事のほうなのだ。  まず、〈「神戸連続児童殺傷事件のことで」と伝えた瞬間、男の表情は一変。〉というリードからしてそうだ。これだけ読めば、読者は、「文春」が声をかけたとたん、Aがいきなり声を荒げ暴れたかのような印象をもつだろうが、しかし、実際のAはすぐに怒り出したわけではない。  「文春」の記者は自宅アパートの駐輪場でAを待ち伏せし、買い物から帰って来たところを突然、声をかけているのだが、その際、Aは「違いますけど」「申し訳ないんですけど、ちょっと帰ってもらっていいですか」と、なんとか穏便に取材から逃げようとしていた。  記者がさらに「我々の取材では、犯人、容疑者があなただと」と食い下がっても、「人違いされてるんで。申し訳ないけど、うん」と冷静に取材拒否を繰り返していた。  ところが、その後も記者が「こちらにお住まいですよね」とさらに詰め寄るなど、2ぺージにわたる長いやり取りがあり、記者が手紙と名刺を手渡そうしたところで、Aが耐えられなくなって、切れてしまったのだ。 「文春」によれば、Aはそれまでのか細い声から一転し、「いらねえよ」「違うって言ってんだろ」とドスの利いた声で張り上げ、タイトルにもなった「命がけで来てんだろ」というセリフを繰り返し絶叫したという。  そして、「文春」はこのセリフをもって、少年が今も凶暴性をもっていることを強調するのだが、ちょっと待ってほしい。  直撃取材した相手に怒鳴られたり、激高したり、など週刊誌記者ならよくある話ではないか。直撃した場合でなくとも、告発者やインタビュイーなど、被取材者が記者に対して「命がけ」などと言ってコミットを求めることは珍しくない。  加えて、「文春」は事件当時はもちろん、Aが『絶歌』(太田出版)を出版したときも、ホームページをオープンしたときも、一貫してAを糾弾する論陣を張っている。そんな相手にたった一度訪問しただけでスムーズにインタビューなどとれなくても、当たり前ではないか。  自分たちで挑発しておいて、Aが怒り出した途端に犯罪予備軍扱いする。このやり口はいくらなんでも卑怯すぎるだろう。  しかも、「文春」は、Aが怒り出す際の描写で、「"何か"をもっていることをアピールするためか、左手はずっとコートの中に入れていた」などと書いている。実際のAは左手をコートの中に入れていただけなのに、まるで刃物などの危険な武器をしのばせているように描くのだ。  Aの表情を「左目は陶酔するかのように潤んでいた」と書いたのも同様だ。本当に潤んでいたのなら、「涙目」というのが普通だが、「陶酔」という言葉を使ったのは、Aが暴力的な行為に恍惚を感じている、精神鑑定の「性的サディズム」傾向は今も矯正されていないとのイメージを作り上げるためだろう。  さらに、ひどいのは、怒ったA が記者に「お前、顔と名前、覚えたぞ」と言ったくだりだ。これも取材上のトラブルではよくあることだが、「文春」はこのセリフの後、「Aは、一度目に映ったものをいつでも再現できる直観像素質という能力を持つ」などと仰々しい解説をする。  いやいや、記事にして2ページ分も会話をし、自分から名刺を渡しているのだから、そんな能力なんてなくても、顔と名前くらい覚えられる。こんなことまでA特有の異常な能力のように言い立てる妄想力にはほとほと呆れ返るしかない。  その後の逃亡劇となると、もはやギャグだ。記者はそれまで執拗にAに食い下がり、追い詰めながら、Aがカメラの気配を察知して大声を上げたという理由だけで、急に身の危険を察知してその場から逃げ出す。  そのうえで、勝手に「記者が車に戻っても、興奮状態のAに追いつかれれば、乗り込む時間的余裕はない」と大げさに危機感を募らせ、「照明のある場所を目指して、まず近くにあるショッピングモールの方向に走り出」すのだ。  そして、「Aも全速力で追ってきた」「こちらに迫ってくる」「鬼のような形相で記者の顔を凝視」など、1キロにわたって追いかけてきたと、まるでサイコホラーのような筆致で恐怖体験を得々と語る。  しかし、これ、A が写真を撮られたことに対してパニックを起こし、怒って写真を消去させようとしただけなのではないか。実際、Aは手記『絶歌』でも、職場の後輩にカメラを向けられた際、自分がパニックになって、カメラを壊してしまったことを告白している。いや、Aだけでなく、週刊誌に写真を隠し撮りされた有名人がカメラを叩き壊すトラブルなど、過去に山ほどある。  しかも、「文春」を読むと、記者がたった一人で人目のないところで恐ろしい目に遭ったように思い込んでいる人も多いが、そんなことはまったくない。実際は直撃した記者だけでも2名、また近くにカメラマンを配置、さらにおそらくは車で待機している者。少なくとも3〜4名の「取材班」でAを訪れているのだ。  夜、照明もない、暗く人目のない時間帯も場所も、何もAが指定して呼び出したわけではなく、記者たちが自らその時間と場所を選んで直撃しているのだ。3人がかりで自宅そばで不意打ちされ、住所も顔も名前も把握され、客観的に考えれば、元少年Aのほうがよっぽど恐ろしかったはずだ。    もうひとつ、「文春」が悪質だったのは、電車に乗っているAを隠し撮りしたグラビアページだ。わざわざ「すぐ隣には男子児童が座る」などと思わせぶりなキャプションを入れ、連続児童殺傷事件を連想させてまるでAがその男子児童を狙ってでもいるかのような印象をつくりあげている。しかし、本文をよく読めば、この男子児童は後から乗り込んできてAの隣に座っただけのこと。250日の総力取材とやらのなかから、男子児童が隣に座ったこの写真をわざわざ選び抜いているのは、ゲスとしか言いようがない。  ようするに、記者の勝手な妄想と煽りで、Aを"異常なモンスター"に仕立て、ひたすら「元少年Aは危ない」「更正していない」「危険」などと印象づけていくのだ。  いや、ひどいのは編集部だけではない。記事に登場する専門家のコメントもひどい。 「我々は6年半かかって彼に矯正教育を施したわけですが、関東医療少年院を出てから十年間は成功していたのです。再犯することなく、賠償金を支払い、年に一回報告を兼ねて遺族に謝罪の手紙を書いていた。  だけど社会の強い逆風の中で疲れてしまったんでしょう。彼は幻冬舎にのせられるようにして手記を出版してしまった。それによってこれまでの更正の道のりが台無しになりました。彼は(パリ人肉事件の)佐川一政氏を師として異端の世界で生きることを決めてしまったのかもしれません」(Aの更正に取り組んだ関東医療少年院の杉本研士元院長) 「今回の文春に対するヒステリックな対応も同様です。こうした行動から少年院での矯正教育が不十分であり、退院後も、専門家が継続的に支援を続ける必要があったと思います」(多くの犯罪者の心理鑑定を手掛けてきたという「こころぎふ臨床心理センター」代表の長谷川博一氏) 「手記出版以降の振る舞いで、医療少年院での『育て直し』は、一般社会に出たら効果がなかったことが明らかになりました」(犯罪者の矯正教育に詳しい五十嵐二葉弁護士) 「彼を犯行に至らしめた性的サディズムは矯正教育によって治療できたのかもしれません。ただ酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文などの異常なまでの表現欲と自己顕示欲という病は、全く治っていないと言えます」(犯罪学が専門の小宮信夫立正大学教授)  そろいもそろって、手記を出版したことをもって、更正していないと断じるのだ。たしかにAが手記を発表したことで、遺族感情が傷つけられたなど、大きな批判が巻き起こった。しかし、手記を出版することは犯罪ではない。  あげくは「異常なまでの表現欲と自己顕示欲という病は、全く治ってない」という指摘である。  まるで、表現欲そのものが犯罪みたいに書いているが、それを言うなら文藝春秋で書いてる作家はどうなるのか。自己顕示欲が罪なら、「週刊文春」で本を出してる作家も、テレビに出ている芸能人もみんな犯罪者だろう。炎上ツイートしまくりの百田尚樹センセイや巻頭の原色美女図鑑でポーズをきめている女優さんに「センセイ、その異常なまでの表現欲と自己顕示欲、ヤバいですよ。犯罪につながりますよ」とご注進してあげてはどうか。 「文春」もAが手記『絶歌』を出版したことを理由に「純粋な私人であるとは、とても言えないのではないか」などと言っているが、『絶歌』出版前から、この19年のあいだ、「文春」はじめ週刊誌各誌はたびたび、Aの近況を記事にしてきた。Aを題材にしたノンフィクション、フィクションと、たくさんの本も出版してきた。  こうした過剰な報道がAの居場所を奪い、更正の機会をつぶす要因のひとつとなったことはまちがいないだろう。  手記にしても、たまたまAが自らアプローチしたのが幻冬舎の見城徹氏で、出版したのが太田出版だったというだけで、Aに手記を出させようとアプローチを試みていた出版社はほかにもあるし、幻冬舎より前からAとコンタクトをとっていた記者もいる。  もともとコミュニケーションに苦手意識のあるAが、犯罪者や異物を排除しようという空気がどんどん強まる社会のなかで、犯罪者の過去をもちながら、誰かと関係を結びはたらくことは至難の業だ。  そうして行き場を失ったAが、最後に行き着いたのが手記の出版だった。表現することが、最後の居場所、唯一の生きる術だったのだ。生きる術であり、更正の手段でもあったろう。  それにしても恐ろしいのは、このような記者の単なる被害妄想で書かれた記事によって、Aが更正していないという印象操作があたかも事実のように語られ、さらなる厳罰化が叫ばれることだ。  少年事件の半数近くが5年以内に再犯を犯しているということを考えれば、事件から19 年再犯を犯しておらず、さらに遺族への謝罪の手紙、そして賠償金の支払いも定期的にしていたという意味では、十分に更正しているといって差し支えない。精神鑑定の性的サディズム傾向が事実なら、むしろ矯正プログラムが効果があったと考えるべきだろう。 「文春」はこの記事で、繰り返し「果して「元少年A」は本当に更正しているのか」という大義名分を叫んでいるが、その更正の機会を阻んでいるのは、当の「文春」ではないか。  Aがアパートを借りた、バスに乗った、家で通販を受け取った、電車に乗って都心に出かけた、近くに公園がある、公園では子どもが遊んでいる......などと、ただの日常生活を執拗に暴いていく。そこに貫かれているのは、一度犯罪を犯した者が、アパートを借り、電車に乗り、雑踏に紛れ道を歩くことすら、許さないという姿勢だ。  実際、今回の「文春」のグラビア写真をもとに、さっそくネットではAの住んでいる場所や最寄り駅が特定されている。Aの居場所を奪い更正の機会をつぶしているのは「文春」のほうだ。  少年Aの事件からの19年を冷静に分析するなら、「思春期の性的サディズムは矯正可能である」「少年Aほどの重大な犯罪を犯しても再犯を犯さないよう更正できる」「ただし過剰な報道は社会復帰の妨げになる」というべきだろう。 「Aがどんな顔をしているかわかって安心した」「ありがとうセンテンススプリング!」などと、「文春」を讃える声がネットにはあふれているが、本当に恐ろしいのはAが近くに生活していることじゃない。Aを排除する社会のほうだろう。 (酒井まど)

元少年Aは本当に「凶暴」で「更生していない」のか? 「週刊文春」の直撃記事は妄想と煽りだらけだった

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林真理子が木村拓哉を批判
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  少年Aは今もヤバかった、あいつはやっぱり何をするかわからない、あんな凶暴な奴を野放しにしていていいのか。先週、「週刊文春」(文藝春秋)が神戸児童殺傷事件の「元少年A」直撃の一部始終を報道して以降、週刊誌やネットでこんなヒステリックな声が再び広がっている。  たしかに、「文春」の記事を一読すると、元少年Aは今も危険人物であるとの印象を強く受ける。直撃した記者に対して、「命がけで来てんだろ?」というセリフで威嚇し、その後も1キロに渡って記者を追走、逃げる記者を「お前顔覚えたぞ」と鬼のような形相でにらみつける......。その姿は過去に少年犯罪を犯した人物というより、現役の凶暴犯のイメージだ。  しかし、記事の中身を仔細に読み直してみると、このイメージは意図的につくられたもので、事実はまったくちがうことがわかってくる。ヤバいのはAではなく、むしろ記者の勝手な被害妄想をそのまま活字にし、Aの凶暴性と異常性をひたすら煽り続けた「文春」の記事のほうなのだ。  まず、〈「神戸連続児童殺傷事件のことで」と伝えた瞬間、男の表情は一変。〉というリードからしてそうだ。これだけ読めば、読者は、「文春」が声をかけたとたん、Aがいきなり声を荒げ暴れたかのような印象をもつだろうが、しかし、実際のAはすぐに怒り出したわけではない。  「文春」の記者は自宅アパートの駐輪場でAを待ち伏せし、買い物から帰って来たところを突然、声をかけているのだが、その際、Aは「違いますけど」「申し訳ないんですけど、ちょっと帰ってもらっていいですか」と、なんとか穏便に取材から逃げようとしていた。  記者がさらに「我々の取材では、犯人、容疑者があなただと」と食い下がっても、「人違いされてるんで。申し訳ないけど、うん」と冷静に取材拒否を繰り返していた。  ところが、その後も記者が「こちらにお住まいですよね」とさらに詰め寄るなど、2ぺージにわたる長いやり取りがあり、記者が手紙と名刺を手渡そうしたところで、Aが耐えられなくなって、切れてしまったのだ。 「文春」によれば、Aはそれまでのか細い声から一転し、「いらねえよ」「違うって言ってんだろ」とドスの利いた声で張り上げ、タイトルにもなった「命がけで来てんだろ」というセリフを繰り返し絶叫したという。  そして、「文春」はこのセリフをもって、少年が今も凶暴性をもっていることを強調するのだが、ちょっと待ってほしい。  直撃取材した相手に怒鳴られたり、激高したり、など週刊誌記者ならよくある話ではないか。直撃した場合でなくとも、告発者やインタビュイーなど、被取材者が記者に対して「命がけ」などと言ってコミットを求めることは珍しくない。  加えて、「文春」は事件当時はもちろん、Aが『絶歌』(太田出版)を出版したときも、ホームページをオープンしたときも、一貫してAを糾弾する論陣を張っている。そんな相手にたった一度訪問しただけでスムーズにインタビューなどとれなくても、当たり前ではないか。  自分たちで挑発しておいて、Aが怒り出した途端に犯罪予備軍扱いする。このやり口はいくらなんでも卑怯すぎるだろう。  しかも、「文春」は、Aが怒り出す際の描写で、「"何か"をもっていることをアピールするためか、左手はずっとコートの中に入れていた」などと書いている。実際のAは左手をコートの中に入れていただけなのに、まるで刃物などの危険な武器をしのばせているように描くのだ。  Aの表情を「左目は陶酔するかのように潤んでいた」と書いたのも同様だ。本当に潤んでいたのなら、「涙目」というのが普通だが、「陶酔」という言葉を使ったのは、Aが暴力的な行為に恍惚を感じている、精神鑑定の「性的サディズム」傾向は今も矯正されていないとのイメージを作り上げるためだろう。  さらに、ひどいのは、怒ったA が記者に「お前、顔と名前、覚えたぞ」と言ったくだりだ。これも取材上のトラブルではよくあることだが、「文春」はこのセリフの後、「Aは、一度目に映ったものをいつでも再現できる直観像素質という能力を持つ」などと仰々しい解説をする。  いやいや、記事にして2ページ分も会話をし、自分から名刺を渡しているのだから、そんな能力なんてなくても、顔と名前くらい覚えられる。こんなことまでA特有の異常な能力のように言い立てる妄想力にはほとほと呆れ返るしかない。  その後の逃亡劇となると、もはやギャグだ。記者はそれまで執拗にAに食い下がり、追い詰めながら、Aがカメラの気配を察知して大声を上げたという理由だけで、急に身の危険を察知してその場から逃げ出す。  そのうえで、勝手に「記者が車に戻っても、興奮状態のAに追いつかれれば、乗り込む時間的余裕はない」と大げさに危機感を募らせ、「照明のある場所を目指して、まず近くにあるショッピングモールの方向に走り出」すのだ。  そして、「Aも全速力で追ってきた」「こちらに迫ってくる」「鬼のような形相で記者の顔を凝視」など、1キロにわたって追いかけてきたと、まるでサイコホラーのような筆致で恐怖体験を得々と語る。  しかし、これ、A が写真を撮られたことに対してパニックを起こし、怒って写真を消去させようとしただけなのではないか。実際、Aは手記『絶歌』でも、職場の後輩にカメラを向けられた際、自分がパニックになって、カメラを壊してしまったことを告白している。いや、Aだけでなく、週刊誌に写真を隠し撮りされた有名人がカメラを叩き壊すトラブルなど、過去に山ほどある。  しかも、「文春」を読むと、記者がたった一人で人目のないところで恐ろしい目に遭ったように思い込んでいる人も多いが、そんなことはまったくない。実際は直撃した記者だけでも2名、また近くにカメラマンを配置、さらにおそらくは車で待機している者。少なくとも3〜4名の「取材班」でAを訪れているのだ。  夜、照明もない、暗く人目のない時間帯も場所も、何もAが指定して呼び出したわけではなく、記者たちが自らその時間と場所を選んで直撃しているのだ。3人がかりで自宅そばで不意打ちされ、住所も顔も名前も把握され、客観的に考えれば、元少年Aのほうがよっぽど恐ろしかったはずだ。    もうひとつ、「文春」が悪質だったのは、電車に乗っているAを隠し撮りしたグラビアページだ。わざわざ「すぐ隣には男子児童が座る」などと思わせぶりなキャプションを入れ、連続児童殺傷事件を連想させてまるでAがその男子児童を狙ってでもいるかのような印象をつくりあげている。しかし、本文をよく読めば、この男子児童は後から乗り込んできてAの隣に座っただけのこと。250日の総力取材とやらのなかから、男子児童が隣に座ったこの写真をわざわざ選び抜いているのは、ゲスとしか言いようがない。  ようするに、記者の勝手な妄想と煽りで、Aを"異常なモンスター"に仕立て、ひたすら「元少年Aは危ない」「更正していない」「危険」などと印象づけていくのだ。  いや、ひどいのは編集部だけではない。記事に登場する専門家のコメントもひどい。 「我々は6年半かかって彼に矯正教育を施したわけですが、関東医療少年院を出てから十年間は成功していたのです。再犯することなく、賠償金を支払い、年に一回報告を兼ねて遺族に謝罪の手紙を書いていた。  だけど社会の強い逆風の中で疲れてしまったんでしょう。彼は幻冬舎にのせられるようにして手記を出版してしまった。それによってこれまでの更正の道のりが台無しになりました。彼は(パリ人肉事件の)佐川一政氏を師として異端の世界で生きることを決めてしまったのかもしれません」(Aの更正に取り組んだ関東医療少年院の杉本研士元院長) 「今回の文春に対するヒステリックな対応も同様です。こうした行動から少年院での矯正教育が不十分であり、退院後も、専門家が継続的に支援を続ける必要があったと思います」(多くの犯罪者の心理鑑定を手掛けてきたという「こころぎふ臨床心理センター」代表の長谷川博一氏) 「手記出版以降の振る舞いで、医療少年院での『育て直し』は、一般社会に出たら効果がなかったことが明らかになりました」(犯罪者の矯正教育に詳しい五十嵐二葉弁護士) 「彼を犯行に至らしめた性的サディズムは矯正教育によって治療できたのかもしれません。ただ酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文などの異常なまでの表現欲と自己顕示欲という病は、全く治っていないと言えます」(犯罪学が専門の小宮信夫立正大学教授)  そろいもそろって、手記を出版したことをもって、更正していないと断じるのだ。たしかにAが手記を発表したことで、遺族感情が傷つけられたなど、大きな批判が巻き起こった。しかし、手記を出版することは犯罪ではない。  あげくは「異常なまでの表現欲と自己顕示欲という病は、全く治ってない」という指摘である。  まるで、表現欲そのものが犯罪みたいに書いているが、それを言うなら文藝春秋で書いてる作家はどうなるのか。自己顕示欲が罪なら、「週刊文春」で本を出してる作家も、テレビに出ている芸能人もみんな犯罪者だろう。炎上ツイートしまくりの百田尚樹センセイや巻頭の原色美女図鑑でポーズをきめている女優さんに「センセイ、その異常なまでの表現欲と自己顕示欲、ヤバいですよ。犯罪につながりますよ」とご注進してあげてはどうか。 「文春」もAが手記『絶歌』を出版したことを理由に「純粋な私人であるとは、とても言えないのではないか」などと言っているが、『絶歌』出版前から、この19年のあいだ、「文春」はじめ週刊誌各誌はたびたび、Aの近況を記事にしてきた。Aを題材にしたノンフィクション、フィクションと、たくさんの本も出版してきた。  こうした過剰な報道がAの居場所を奪い、更正の機会をつぶす要因のひとつとなったことはまちがいないだろう。  手記にしても、たまたまAが自らアプローチしたのが幻冬舎の見城徹氏で、出版したのが太田出版だったというだけで、Aに手記を出させようとアプローチを試みていた出版社はほかにもあるし、幻冬舎より前からAとコンタクトをとっていた記者もいる。  もともとコミュニケーションに苦手意識のあるAが、犯罪者や異物を排除しようという空気がどんどん強まる社会のなかで、犯罪者の過去をもちながら、誰かと関係を結びはたらくことは至難の業だ。  そうして行き場を失ったAが、最後に行き着いたのが手記の出版だった。表現することが、最後の居場所、唯一の生きる術だったのだ。生きる術であり、更正の手段でもあったろう。  それにしても恐ろしいのは、このような記者の単なる被害妄想で書かれた記事によって、Aが更正していないという印象操作があたかも事実のように語られ、さらなる厳罰化が叫ばれることだ。  少年事件の半数近くが5年以内に再犯を犯しているということを考えれば、事件から19 年再犯を犯しておらず、さらに遺族への謝罪の手紙、そして賠償金の支払いも定期的にしていたという意味では、十分に更正しているといって差し支えない。精神鑑定の性的サディズム傾向が事実なら、むしろ矯正プログラムが効果があったと考えるべきだろう。 「文春」はこの記事で、繰り返し「果して「元少年A」は本当に更正しているのか」という大義名分を叫んでいるが、その更正の機会を阻んでいるのは、当の「文春」ではないか。  Aがアパートを借りた、バスに乗った、家で通販を受け取った、電車に乗って都心に出かけた、近くに公園がある、公園では子どもが遊んでいる......などと、ただの日常生活を執拗に暴いていく。そこに貫かれているのは、一度犯罪を犯した者が、アパートを借り、電車に乗り、雑踏に紛れ道を歩くことすら、許さないという姿勢だ。  実際、今回の「文春」のグラビア写真をもとに、さっそくネットではAの住んでいる場所や最寄り駅が特定されている。Aの居場所を奪い更正の機会をつぶしているのは「文春」のほうだ。  少年Aの事件からの19年を冷静に分析するなら、「思春期の性的サディズムは矯正可能である」「少年Aほどの重大な犯罪を犯しても再犯を犯さないよう更正できる」「ただし過剰な報道は社会復帰の妨げになる」というべきだろう。 「Aがどんな顔をしているかわかって安心した」「ありがとうセンテンススプリング!」などと、「文春」を讃える声がネットにはあふれているが、本当に恐ろしいのはAが近くに生活していることじゃない。Aを排除する社会のほうだろう。 (酒井まど)

炎上ネタは確信犯?指原莉乃の元HKTメンバー批判が波紋

【アガるニュースをお届け!デイリーニュースオンラインより】
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「猫に負けた」より
 HKT48・指原莉乃(23)が、かつての同僚の“仁義なき”芸能活動ぶりについてWeb上で攻撃を開始した。すでにファンの間では波紋を呼んでいるが、大半の意見は「今回は指原が正論」というものだが、AKB運営関係者は「指原がスマホを眺めながらさぞ恍惚の表情を浮かべていることでしょう」と溜息をつく。一体何が起こっているのだろうか?
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レディー・ガガ、自身の曲で過去の傷を癒す

レディー・ガガは自身の楽曲『ティル・イット・ハプンズ・トゥ・ユー』で過去のレイプ体験を思い出すことになったが、その反面その傷を癒す手助けになったともいう。アメリカの大学にはびこるレイプ犯罪を追ったドキュメンタリー映画『ザ・ハンティング・グラウンド』のために同曲をダイアン・ウォーレンと共に作曲したガガは、アカデミー賞歌曲賞にもノミネートされたこの曲を書いている間に19歳の時に自分自身に起きた辛いレイプ体験を思い出すことにもなったとデッドラインのインタビューの中で語る。「ダイアンとこの曲を作ることで昔の嫌な記憶を思い出すことになったわ。良くなってきているのだけど、これは怪我のようなものなの。完全に治るまでにはひび割れたり、ぐちゃぐちゃになったりするものなのよ。ダイアンとじゃなければこんなこと一生しなかったと思うわ。自分自身に向き合うこともできなかったと思うし、誰かの曲を歌うことなんてなかったと思うの。私の中のやらなければならなかった大切な何かだったんだわ」 その一方でアカデミー賞にノミネートされたことで重要な問題により焦点が当てられることを喜んでいるガガは「みんな『わあ、アカデミー賞のノミネート作品なんだ』っていうの。私にとってはそれだけの事じゃないのよ。もちろんクールなことだけど、アカデミー賞はこの曲をノミネートすることでこの問題のこともノミネートしたってことなの。だから今、この問題についてメディアがとりあげることによって、みんながこの問題を口に出すことができるようになると願っているわ。もっとたくさんの人たちにこの問題を伝えることができるはずよ。アカデミー賞のような団体が『私たちはあなたのことを大切に思っているよ』と言ってくれればね。だからこのノミネートはただ私とダイアンへのメッセージではなくて、この曲を聴いてくれた人や、同じような問題を経験した人たちへのメッセージなのよ」と続けていた。

BOYS AND MEN・水野勝と田中俊介が語る、山田悠介原作『復讐したい』に込めた情熱

【リアルサウンドより】 水野「葛藤を持ちながら、役に挑みました」 ーーまずはBOYS AND MENがどんなグループなのか、教えて下さい。 水野勝(以下、水野):BOYS AND MENは“名古屋のエンターテイメントを世界に発信する”をコンセプトに、東海地方出身のメンバー11人で歌やダンス、芝居を行うグループで、今年で結成6年目になります。東海地方ではラジオやテレビなどでレギュラー番組が10数本あって、いまは全国進出を目指して奮闘しているところです。 田中俊介(以下、田中):名古屋は日本三大都市のひとつで、“芸どころ”とも言われるように御園座などの劇場もありますが、現状ではコンサートツアーでも“名古屋飛ばし”があったりと、エンタメの街としてはまだまだな部分もあります。僕自身も愛知県出身で、かつては芸能の夢を叶えるには東京に出なければいけないと考えていました。でも、そうではなく名古屋からエンターテイメントを発信することで、上京しなくてもちゃんと夢を叶えられるということを証明したいと思っています。僕らが全国進出することで、“夢は諦めなければ必ず叶う”というメッセージを届けるとともに、名古屋のエンタメ界を盛り上げていければ。 ーーBOYS AND MENはもともと舞台での活躍が中心だったそうですね。 水野:はい、僕たちはもともと演技をやりたい人間が集まっています。舞台で行っていたミュージカルが原点で、だからこそステージ衣装もド派手だし、歌を披露するときも表情や身体表現にこだわったパフォーマンスを心がけています。言ってみれば、生身のパフォーマンスというか。 田中:思いっきり気持ちをぶつけて、泥臭くやっていくのが僕らのやり方なんです。だから楽曲でも、歌詞には自分たちのいまの状況が反映されているし、ストレートに熱い感情を乗せた応援ソングが多い。僕らの歌を聴いて、自分も頑張ろうと思ってもらえたら嬉しいです。 ーー映画『復讐したい』は、BOYS AND MENにとって『サムライ・ロック』(2015年)に次ぐ主演作です。山田悠介さんの原作で、この作品もメッセージ性が強いですね。本作の主演が決定した時はどう思いましたか? 水野:山田悠介さんの小説は中高生に大人気で、僕らももちろん学生時代から親しんできたので、お話を聞いたときはすごく光栄でした。ただ、原作のファンもたくさんいらっしゃるので、プレッシャーも大きかったです。 田中:本当に夢中になって読んだ世代だから、決まったときは本当に驚きました。家族や周りの友人も「あの山田悠介さんの作品!?」って驚いていました(笑)。これはもう、120パーセントの力を注ぐしかないな、という感じです。
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(C)山田悠介 / 幻冬舎 / 「復讐したい」製作委員会

ーー山田悠介さんの原作はどんなところが魅力でしょう。 水野:直接的でわかりやすい表現が多いところが、親しみやすくて好きですね。小説というと抽象的な表現が多いから難しく感じるけれど、山田さんの作品はすごく鮮明に絵が浮かんできて、ぐいぐい読み進められる。山田さんの作品で本の面白さに目覚めるひとは多いんじゃないかな。 田中:すごく疾走感もあるよね。展開が早いから、「次はどうなるんだろう?」って読み出したら止まらない。その魅力は映画でもちゃんと引き出したいと思っていました。 ーー“復讐”をテーマに据えつつも、なぜそれがダメなことかを考えさせる、寓話的な側面もありました。 水野:そうですね、実際に僕が主人公と同じ境遇になったらどうなるだろうというのは、演じていてもずっと考えていました。現状、犯罪被害者に対してどういった制度が用意されているのかも勉強しましたし、実際に犯罪被害者となった方の手記なども読みました。家族を犯罪によって亡くした方は、本作でもそうであるように加害者に対して復讐しようという心理があるし、それとずっと向き合わなければいけません。すごくキツいことだと思います。それでいて、その心理の核には深い愛情もあるんですよね。そういう葛藤を持ちながら、役に挑みました。 田中:僕は両親を殺害される役で、もし自分も同じ立場になったらと想像すると、やっぱり絶対に相手を許せないと思うんです。でも、作中と同じように“復讐法”が合法だとしても、簡単に人を殺められるかというと、そうではないと思います。僕が演じた板垣潤也はテロ被害者たちのリーダーとして、何人もの被害者の思いを背負っていくのですが、彼の気持ちに寄り添うのはかなり大変でした。 水野:被害者がどうすれば報われるのかというのは、簡単に答えが出せないですよね。この作品はほかにも現実の社会問題と重なる部分があって、命の大切さや制度の難しさというものを考えさせられます。僕が演じた高橋泰之は中学校教師として生徒たちに道徳を教えながらも、妻が殺されたことから犯人に復讐することを決意するのですが、どちらも本当の彼の気持ちなんですよね。道徳はとても大事だけれど、それでは報われない気持ちも抱えている。 田中:僕自身もたくさん考えたけれど、なにが正解かは結局わからなかった。ただ、考えた時間は無駄ではなかったと思うし、この作品に向き合ったことでより一層、家族や友人やファンなど、周囲にいてくれる人を大切にしたいと思うようになりました。

田中「メンバー同士でしっかり意思統一はできていた」

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田中俊介

ーーとてもシリアスなストーリーだと思います。BOYS AND MENの関係性などは、この作品に反映されているのでしょうか。 田中:事前にほかのメンバーにどんな心境で役に挑むのかをヒアリングすることができたのは、劇中で“チーム”を演じるうえで役に立ったと思います。しっかり意思統一はできていたので、それは演技にも反映されているはず。ただ、各々の役柄についてはいつもの自分たちとは違うし、現場でもいちいち打ち合わせたりせず、感情をぶつけ合っています。 ーー手に汗握るアクションシーンも見どころでした。 水野:今回は銃を使用する役柄だったので、男として昂ぶるものがありました(笑)。ただ、構え方に説得力がないとカッコ悪いので、その辺はかなり研究しましたね。映画のガン・アクションシーンを観るのはもちろん、専門的な本も読んだし、海外で実弾射撃もしました。実際に打った経験があるかないかは、大きな違いになると思うので。普通のハンドガンでもものすごい衝撃で、これを人に向けると考えただけでも怖くなっちゃいましたが。 田中:劇中で使用する銃が用意されたときは、すごくテンション上がりましたよね。メンバーもみんな、そんなに格好つけるシーンなんてないのにキメ顔で自撮りしていて。「みんなまだまだガキなんだな」って思いました(笑)。今回、法務省の役人の役をしている岡田義徳さんはすごく銃に詳しくて、いろいろ解説してくれたのも面白かったです。今回はCGを多用していて実際に弾は出ないけれど、現場では監督が口で「ばばばばば!」って銃声を言ってくれて、想像しながら演技をするのも良い経験でした。
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(C)山田悠介 / 幻冬舎 / 「復讐したい」製作委員会

ーーロケ地も東海地方だったとか。 水野:愛知と岐阜がメインで、本当の廃墟の中に街を作って撮影しました。「絶対におばけが出る」って思うような廃学校が主な舞台で、すごく怖かったけれど、その分、映画の世界に入り込めました。そういう意味では、ロケ地に恵まれていましたね。 田中:撮影は10月だったので、昼間は日が出ていて暑いけれど、夜になると息が白むくらい寒くて、けっこう過酷な現場だったと思います。水道もないから、仮設トイレに行くのも10分くらいかかって。 ーーでも、大変な分、現場では士気が高まりそうですね。 水野:監督がすごく熱い人で、「Cカメ発動しまーす!」とか言いながら自分でカメラを回してしまう感じだったんですよ。それで、誰よりも泥だらけになって撮影していたから、自然と僕らも本気でぶつかろうという気持ちになりました。 田中:海東健さんなんか、今回テロリストという役柄だった事もあり現場に入ってきた瞬間から殺気を放っていて、「ヤバイ、本物の怖いひとがきた!」って思いましたからね。待機中も自分専用の場所を作って、そこに籠っちゃって、近寄りがたい雰囲気を出していました。でも、撮影が終わった瞬間にニコって笑ってくれて、本当は良いひとだったとわかりホッとしました。やっぱり、今回の作品はみんなで仲良く過ごすようなものではないので、海東さんはああやって現場を締めてくれていたんだと思います。そういう意味では、周りの演者さんにすごく助けられました。 水野:ヒロインの高橋メアリージュンさんの演技もすごかったです。彼女は一人二役を演じているんですけれど、僕の目の前に出てきたときは本当に別人になっていて。お芝居をぐっと引っ張ってくれました。とにかく目の演技がすごくて、深いお芝居を学ばせてもらいました。 田中:僕ららしく、とても泥臭くて“熱い”現場だったと思います。

水野「アクション映画としても楽しめるエンタメ作品です」

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左、水野勝/右、田中俊介

ーー本作では、BOYS AND MENと同じく名古屋出身のバンド・lynch.が主題歌を務めているほか、ROTTENGRAFFTYや感覚ピエロ、Drop’sなど、エッジの効いたミュージシャンたちが楽曲提供をしています。 水野:音楽はこの映画の大きな魅力になっていますね。ハードでワイルドな曲調の楽曲が多くて、オープニングから一瞬で映画の世界に引き込んでくれます。 田中:Lynch.さんの「BEAST」とか、初めて聴いたときはあまりにかっこよくて衝撃を受けました。その曲が映画とどうシンクロするのか楽しみにしていたのですが、初めて仕上がった映像を観たらずっと想像を超えていて、完全に作品のレベルを底上げしてくれていました。本当にたくさんのミュージシャンの楽曲が入っているので、この映画をきっかけにそれぞれの音楽も掘り下げてくれると嬉しいですね。BOYS AND MENとしても今後、ライブなどで皆さんとコラボできたら最高です。 ーーでは最後に、この映画を楽しみにしているファンにメッセージを。 水野:この作品は“復讐”をテーマにしているので、もしかしたら怖い映画だと思う人もいるかもしれないけれど、アクション映画としても楽しめるエンタメ作品でもあります。自分なら復讐するのかどうか、この作品を通じて考えてもらえると嬉しいです。 田中:日常生活ではあまり考えないことについて、思いを巡らせることができる映画だと思います。家族や友人の大切さを改めて感じるきっかけになれば。あと、まさかの展開も用意されているので、お楽しみに。

BOYS AND MEN『復讐したい』インタビュー特別映像「2人が復讐したいメンバーは?」

(取材・文=松田広宣/写真=池田真理) ■公開情報 『復讐したい』 2016年2月27日(土)より中部地方先行ロードショー 2016年3月5日(土)より全国ロードショー 原作:山田悠介「復讐したい」 監督・脚本:室賀厚 主題歌:lynch.「BEAST」(キングレコード)、ROTTENGRAFFTY「P.I.L」(ビクターエンタテインメント) キャスト:水野勝、高橋メアリージュン、小林豊、田中俊介、本田剛文、田村侑久、吉原雅斗、勇翔、本達規、土田拓海、若菜太喜、平松賢人、上野優華、海東健、神保悟志、岡田義徳 (C)山田悠介 / 幻冬舎 / 「復讐したい」製作委員会 公式サイト:http://revenge-movie.com

益若つばさ、“メイド風エロ水着”披露で「Fukaseが羨ましい!」 舟山久美子の“SM演技”には、M男歓喜!

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益若つばさインスタグラム(@tsubasamasuwaka1013)より。
 18日、モデルの益若つばさが自身のインスタグラムに、セレクトショップ『EATME』の、メイド風やレース地などの新作水着画像を投稿。ネット上では、「エロ過ぎる!」「つばさちゃん、試着した姿を見せてよ!」など、興奮の声が上がっている。 「『EATME』は、益若自身がプロデュースするファッションブランドですが、今回インスタグラムに投稿した新作水着に関しては、日本語で直訳すると『私を食べて』というブランド名をまさに体現したような、男性が思わず食べてしまいたくなるようなセクシーなデザインとなっていて、男性ファンからは『Fukaseの趣味?』『水着としてじゃなくて、エッチの時に使ってるんじゃないの?』など、現在、益若と真剣交際が伝えられている、ロックバンド・SEKAI NO OWARIのボーカル・Fukaseに対する嫉妬の声が上がっているようです。その一方で、女性ファンからは、『エッチ過ぎて、こんなの着る勇気ありません!』『最近、露骨にエロ路線になってきてるような気がするけど、大丈夫?』など、ブランドコンセプトの度が過ぎていることに苦言を呈する声も少なからず上がっているようです」(芸能関係者)  エロ路線といえば、益若がかつてカリスマモデルとして活躍したファッション雑誌『Popteen』(角川春樹事務所)の後輩モデル・舟山久美子が、ミュージック・ビデオで初となる官能シーンに挑戦したことが話題となった。 「“くみっきー”の愛称で親しまれる舟山は、『Popteen』在籍時は、金髪にカラコン、ギャルメイクを施し、“ギャルの神様”と呼ばれ、現役時代の益若に勝るとも劣らぬ人気を獲得していました。しかし、14年に『Popteen』の専属モデルを卒業してからは、髪の毛を黒く染め、メイクも抑えめにしたことで、今ではすっかり清楚なイメージが定着しています。それだけに、今月12日に公開された、イギリスの歌手エリー・ゴールディングの『Love Me Like You Do』の日本版ミュージックビデオで、ベッドの上に横たわる外国人男性に馬乗りになり、目隠しをし、蝋を垂らす“SM演技”を披露した際には、従来の舟山ファンだけでなく、Mっ気のある男性ファンからも『エッチなくみっきー最高!』『僕にも蝋を垂らしてくれませんか?』など、興奮の声が上がっていました」(同)  舟山は12日、自身のインスタグラムに「綺麗なおちり。。。 今年は、ふわっとしていて、しなやかなラインの身体作りをがんばろう」と、ハイレグ水着を着た女性の画像を投稿。これにはファンから「これと同じ水着でグラビア撮影して欲しい」「今年はセクシーなくみっきーに期待している」といった声が上がっているようだ。