半年間の育毛活動でハゲはどう変わったか? ドイツの女性用ハゲ改善飲み薬に膨らむ期待!

自らのハゲと向き合うことを決意し、この半年、地道な育毛努力を継続するかたわら、専門クリニックでカウンセリングを受けたり、同様にハゲ経験を持つ女性(薄毛女子=スゲジョ)の声に耳を傾けてきたやまもとありさ先生。今回は半年間の生活が頭皮および頭髪にどう影響を与えたか? 注目の経過報告回です!

~いままでのお話~

【第1話】若年・女性・薄毛…生えなくなった女性漫画家の決意
【第2話】女なのに20代でハゲ、何で!? カミソリ除毛は頭皮を弱らせるのか
【第3話】睡眠・大豆・炭酸・コラーゲン直塗り! 生やしたい人のリアルな「毛活」をレポるよ
【第4話】女性専用の薄毛クリニックに無料カウンセリングを受けたらゴリゴリ勧誘されました。
【第5話】円形脱毛は「ほっとけば治る」? 増え続けるハゲに焦り愚かなドクターショッピング
【第6話】「休み時間は無心で髪の毛を抜いてました」抜毛症だったナタさん【私が薄毛女子です】

10年に一度のチャンス 多様な性のあり方を伝えない教科書を変えるなら今

 「思春期になると、だれもが異性に惹かれる。二次性徴が来るのは素晴らしいことで、気になる異性がいることは自然なことだ」と書かれた小中学校の教科書を読んで、ショックを受ける子どもがいる。当然のように語られる「異性愛」や「心と体における性のあり方」から外れる子どもたちにとっては、「その他に何も語られない」ということが重たいメッセ―ジになるからだ。

 ようするに、これらの沈黙は「同性を好きになることは、やはり、キモいと笑われたり、どこかおかしかったり、そもそも公の場所でまっとうに扱われるようなトピックではないのだ」という価値観を伝えていることになる。すでに同性への恋愛感情を抱いていたり、周りの友達とのちがいに戸惑っていたり、ましてやクラスで「ホモ」「レズ」なとど揶揄されている子どもたちにとっては、このような性教育の時間は、まさに黒歴史の一幕と化してしまう。

 中学二年生のこの手の授業で、アタマの中が真っ白になったと語るのは、友人の室井舞花だ。すでに大好きな女子生徒がいて、「レズ」と揶揄されていた彼女にとって「思春期になると誰もが異性に惹かれます」という教科書の記述は、心を打ちのめすのに十分だった。なにしろ教科書が言っているのだから、その説得力たるや。「自分の恋心は、まちがっているんだ。同性を好きになるのは間違っているんだ」。そう思った彼女は、異性を好きになろうと努力をしては報われない青春を過ごした。同性以外に人を好きになれないことがわかると、自分は人を愛してはいけない人間なのだろうかと思ったともいう。

 そんな彼女が呼びかけて始めたオンラインの署名キャンペーン「クラスに必ず1人いる子のこと、知ってますか?〜セクシュアル・マイノリティの子どもたちを傷つける教科書の訂正を求めます〜」は、2016年9月28日現在で2万人を超える賛同を得ている。LGBTなどの多様な性のあり方を、そのまま伝えるような教科書でない限りは、マイノリティとされる子どもたちにとっては黒歴史が繰り返されるし、マジョリティと呼ばれる側の人間にとっても「お互いのちがい」をうまく扱うための学習機会が奪われてしまう。

 著者は現在アラサーのトランスジェンダーだが、やはり学校でLGBTなどの多様な性について学ぶ機会はなかった。「そもそも二次性徴が来ること自体が死ぬほど苦しいのは、一体なんなのだろうか」とか「女として生まれて、女として生きるのが罰ゲームのようにつらいけれど、これは周りの女子も一生けん命に頑張って、歯をくいしばりながらスカートを履いているのだろうか」などと考えていたりした。性別を変えて生きられることを知るまでの私はセーラー服を着たゾンビで、インターネットを駆使しながらトランスジェンダーの全てを調べ上げる以外に情報がなかったのは、やはり教育システムの穴だっただろう。

 「教えてほしかった!」と言っているのは、別にマイノリティの側だけじゃない。

 友人で、男性が好きな女性、つまりは世間における「多数派」に属するマッキーも、多様な性についてきちんと学校で教わりたかったひとりだ。

 彼女は、無知ゆえに親友の前で「ホモきもいよね」を連呼。親友に「どうして彼氏つくんないの?」とお節介をやき、かなりの長い時間を彼女と一緒に過ごしていたのにもかかわらず、いざ親友が海外へと渡る直前になるまでカミングアウトされることがなかった。

「言ってなかったけど、私、女の子が好きなんだよね」

 その一言を言い残して親友は海外へと去る。マッキーは後悔した。親友は、もうここにはいない。なぜそれを言い残して彼女が消えたのかといえば、ほかならぬ自分が「同性愛者に対する失礼な発言」を繰り返してきたからだった。そんな自分だから、一緒に暮らしていたのに(シェアハウスに暮らしていた)、毎日ご飯を一緒に食べていたのに、打ち明けてくれなかった。

「わかってたら、大切な友達を傷つけることは絶対しなかったのに!!!」

 同じ台詞を、LGBTを家族に持つというきょうだいや親からも、何度となく耳にしてきた。みんながフツーに話している「ゲイいじり」が、どんな意味を持つのか知らなかった。というか、身近にLGBTの人がいることを知らなかった。教わる機会がなかった。だから、知らない間に大切な友人やきょうだい、子どもを人知れぬ場所で悩ませてしまっていたんだ――。

 少数派について学ぶことは、かれらを愛する全ての人たちにとって必要なことだ。多様な性について知ることは、大切な人を理解し、傷つけないために不可欠なことだ。そのような意味でも、多様な性について学校で扱うことの意義はとても大きい。

 この状況を変えるにはどうしたらよいのだろうか。

 根本的には、「学校で何を教えるか」の指標を定めているのは、学習指導要領だ。現在の学習指導要領では、「思春期になると、だれもが、おそかれ早かれ異性に惹かれる」(小学校学習指導要領解説)という趣旨が書かれているのみで、多様な性についての記述はない。それに基づいて作られる小中学校の教科書にも、現在LGBTに関する記述は皆無だ。

 この状況を変えるチャンスが、実は今(!)だ。

 2016年は十年に一度の学習指導要領の改訂の年で、文部科学省では学習指導要領の改訂にあたって9月9日(金)から10月7日(金)までパブリックコメントの募集をしている。提出方法はメール、郵送、FAXにて。10分ほどあればどなたでも意見を届けることが可能だ。

 2016年の改訂時期にもこの記述が変わらなければ、次の改訂時期は2026年。

 2026年になっても、いまだに学校で「思春期になると誰もが異性に惹かれます」という授業をしていたり、「LGBTについては授業で扱えません」なんていう教育システムだったりしたら、たぶん日本は終わっている。第一、誰もが異性愛になるなんていうことは科学的事実にも反している。子どもにインチキを教えてはいかん。

 というわけで、この状況に少しでも「なんとかせな」と思った方は、是非パブリックコメントを送ってみてほしい。意外と簡単にできるよ。

 さらに「学校で、多様な性について教えることは大切だよな~」と思っているあなた。フェイスブックやツイッターで、私たちの署名キャンペーンをシェアして、この社会問題について周りの方に知らせていただけるとうれしいです。

 とにかく10年に一度ってのは、なかなか逃したくないチャンス。一人でも多くの方が興味や関心を持って、教育現場を変える流れを生み出してもらえたらと熱く願ってやまない。だって、多様な性について学ぶのは、マイノリティの人のためではなくて、これからの時代を生きるみんなのために必要なことだと思うから。
(遠藤まめた)

10年に一度のチャンス 多様な性のあり方を伝えない教科書を変えるなら今

 「思春期になると、だれもが異性に惹かれる。二次性徴が来るのは素晴らしいことで、気になる異性がいることは自然なことだ」と書かれた小中学校の教科書を読んで、ショックを受ける子どもがいる。当然のように語られる「異性愛」や「心と体における性のあり方」から外れる子どもたちにとっては、「その他に何も語られない」ということが重たいメッセ―ジになるからだ。

 ようするに、これらの沈黙は「同性を好きになることは、やはり、キモいと笑われたり、どこかおかしかったり、そもそも公の場所でまっとうに扱われるようなトピックではないのだ」という価値観を伝えていることになる。すでに同性への恋愛感情を抱いていたり、周りの友達とのちがいに戸惑っていたり、ましてやクラスで「ホモ」「レズ」なとど揶揄されている子どもたちにとっては、このような性教育の時間は、まさに黒歴史の一幕と化してしまう。

 中学二年生のこの手の授業で、アタマの中が真っ白になったと語るのは、友人の室井舞花だ。すでに大好きな女子生徒がいて、「レズ」と揶揄されていた彼女にとって「思春期になると誰もが異性に惹かれます」という教科書の記述は、心を打ちのめすのに十分だった。なにしろ教科書が言っているのだから、その説得力たるや。「自分の恋心は、まちがっているんだ。同性を好きになるのは間違っているんだ」。そう思った彼女は、異性を好きになろうと努力をしては報われない青春を過ごした。同性以外に人を好きになれないことがわかると、自分は人を愛してはいけない人間なのだろうかと思ったともいう。

 そんな彼女が呼びかけて始めたオンラインの署名キャンペーン「クラスに必ず1人いる子のこと、知ってますか?〜セクシュアル・マイノリティの子どもたちを傷つける教科書の訂正を求めます〜」は、2016年9月28日現在で2万人を超える賛同を得ている。LGBTなどの多様な性のあり方を、そのまま伝えるような教科書でない限りは、マイノリティとされる子どもたちにとっては黒歴史が繰り返されるし、マジョリティと呼ばれる側の人間にとっても「お互いのちがい」をうまく扱うための学習機会が奪われてしまう。

 著者は現在アラサーのトランスジェンダーだが、やはり学校でLGBTなどの多様な性について学ぶ機会はなかった。「そもそも二次性徴が来ること自体が死ぬほど苦しいのは、一体なんなのだろうか」とか「女として生まれて、女として生きるのが罰ゲームのようにつらいけれど、これは周りの女子も一生けん命に頑張って、歯をくいしばりながらスカートを履いているのだろうか」などと考えていたりした。性別を変えて生きられることを知るまでの私はセーラー服を着たゾンビで、インターネットを駆使しながらトランスジェンダーの全てを調べ上げる以外に情報がなかったのは、やはり教育システムの穴だっただろう。

 「教えてほしかった!」と言っているのは、別にマイノリティの側だけじゃない。

 友人で、男性が好きな女性、つまりは世間における「多数派」に属するマッキーも、多様な性についてきちんと学校で教わりたかったひとりだ。

 彼女は、無知ゆえに親友の前で「ホモきもいよね」を連呼。親友に「どうして彼氏つくんないの?」とお節介をやき、かなりの長い時間を彼女と一緒に過ごしていたのにもかかわらず、いざ親友が海外へと渡る直前になるまでカミングアウトされることがなかった。

「言ってなかったけど、私、女の子が好きなんだよね」

 その一言を言い残して親友は海外へと去る。マッキーは後悔した。親友は、もうここにはいない。なぜそれを言い残して彼女が消えたのかといえば、ほかならぬ自分が「同性愛者に対する失礼な発言」を繰り返してきたからだった。そんな自分だから、一緒に暮らしていたのに(シェアハウスに暮らしていた)、毎日ご飯を一緒に食べていたのに、打ち明けてくれなかった。

「わかってたら、大切な友達を傷つけることは絶対しなかったのに!!!」

 同じ台詞を、LGBTを家族に持つというきょうだいや親からも、何度となく耳にしてきた。みんながフツーに話している「ゲイいじり」が、どんな意味を持つのか知らなかった。というか、身近にLGBTの人がいることを知らなかった。教わる機会がなかった。だから、知らない間に大切な友人やきょうだい、子どもを人知れぬ場所で悩ませてしまっていたんだ――。

 少数派について学ぶことは、かれらを愛する全ての人たちにとって必要なことだ。多様な性について知ることは、大切な人を理解し、傷つけないために不可欠なことだ。そのような意味でも、多様な性について学校で扱うことの意義はとても大きい。

 この状況を変えるにはどうしたらよいのだろうか。

 根本的には、「学校で何を教えるか」の指標を定めているのは、学習指導要領だ。現在の学習指導要領では、「思春期になると、だれもが、おそかれ早かれ異性に惹かれる」(小学校学習指導要領解説)という趣旨が書かれているのみで、多様な性についての記述はない。それに基づいて作られる小中学校の教科書にも、現在LGBTに関する記述は皆無だ。

 この状況を変えるチャンスが、実は今(!)だ。

 2016年は十年に一度の学習指導要領の改訂の年で、文部科学省では学習指導要領の改訂にあたって9月9日(金)から10月7日(金)までパブリックコメントの募集をしている。提出方法はメール、郵送、FAXにて。10分ほどあればどなたでも意見を届けることが可能だ。

 2016年の改訂時期にもこの記述が変わらなければ、次の改訂時期は2026年。

 2026年になっても、いまだに学校で「思春期になると誰もが異性に惹かれます」という授業をしていたり、「LGBTについては授業で扱えません」なんていう教育システムだったりしたら、たぶん日本は終わっている。第一、誰もが異性愛になるなんていうことは科学的事実にも反している。子どもにインチキを教えてはいかん。

 というわけで、この状況に少しでも「なんとかせな」と思った方は、是非パブリックコメントを送ってみてほしい。意外と簡単にできるよ。

 さらに「学校で、多様な性について教えることは大切だよな~」と思っているあなた。フェイスブックやツイッターで、私たちの署名キャンペーンをシェアして、この社会問題について周りの方に知らせていただけるとうれしいです。

 とにかく10年に一度ってのは、なかなか逃したくないチャンス。一人でも多くの方が興味や関心を持って、教育現場を変える流れを生み出してもらえたらと熱く願ってやまない。だって、多様な性について学ぶのは、マイノリティの人のためではなくて、これからの時代を生きるみんなのために必要なことだと思うから。
(遠藤まめた)

姉が健常者だったらよかったのにと考えたことは数えきれない、けれど。/「家族に障害者がいる日常」前篇

 9月上旬、リオデジャネイロではオリンピックに続き、パラリンピックの熱戦が繰り広げられました。障害者への理解がさけばれる時期ですが、「オリンピック」の名を冠した世界大会は、もうひとつ存在しています。4年に一度、知的障害を持つひとたちが夏季と冬季のオリンピック競技種目に準じたさまざまなスポーツトレーニングなどを通じて自立と社会参加を目指す「スペシャルオリンピックス」です。

 同じ障害者でもパラリンピックとスペシャルオリンピックスの“区別”に表れるように、身体障害者と知的障害者ではさまざまな点が異なります。なかでも重度の知的障害を持つひとがどのような日常を送っているのかは、知る機会がないどころか存在に接したこともないのが一般的ではないでしょうか。

 筆者には、重度の知的障害のある姉がいます。姉とともに送ってきた生活を、少しだけご紹介します。

 自治体によって知的障害の等級の名称は違いますが、姉は「最重度」に区分されます。障害の原因は、難産の末の帝王切開で投与された陣痛促進剤の副作用ではないかと聞いています。病名などはありません。私よりも4つ年上で今年40歳になりますが、知能は2歳半くらい。自立生活は不可能で、食事やトイレ、お風呂の介助はもちろん、着替えも見守りが必要です。

姉の障害と、妹の存在

 物心がついたころから、姉が「普通」ではないことは、見た目からも行動からもよく認識していました。親の努力で身体は健康に育ち発語も問題ありませんが、意味のないことをずっと話しつづけています。語彙は少ないので何を言いたいのかは、家族や周囲は表情と状況、その言葉を過去どのように使っていたかの経験則で判断するしかありません。

 発している言葉は、本当に突飛です。機嫌がよく突然歌を歌い出したり、何かに怒っていて同じ曲のワンフレーズだけを怒鳴っていたり。何に怒っているかの判断はいまだにむずかしいです。自宅にいるときはいくら叫んでくれてもかまいませんが、外出時にされると周囲の目が気になるのも本音です。

 自分なりのこだわりがあり、外出したら必ずコンビニなどで缶コーヒーと袋菓子を買う、は構わないのですが、食品の包装紙は全部はがしてしまう、家中のタオルを集めて自分のかばんにしまってしまう、をされると結構不便です。慣れましたが。

 私には姉のほかに、2つ年下の妹もいます。ふたりで仕事の愚痴を言いあっていたとき、満面の笑顔の姉から「黙ってせっせと働きな」と言い放たれたことがありました。語彙が少ないはずの姉の「アラフォー独女」的毒舌に、大笑いしました。

 姉に対する気持ちを整理してみると、妹の存在はとても大きいです。交流のある他の障害児のいる家庭はたまたまふたりきょうだいが多く、もし親やきょうだいに対して思うことがあったとしても独りで抱え込まざるを得ないでしょうが、「私には同じ立場で相談でき頼り合える相手がいる」という心強さは、何物にも変えがたいもの。もっとも、単純にきょうだいの人数は多い方が楽しいよね、という気持ちもあるかもしれません。

 4つという年齢差のほどよさと、父親似の外見に生まれたことでお父さん子だったこと、なにより妹との仲がとても良好だったことで、姉のことを子どもなりに冷静にとらえられていたように感じます。

 半面、母に対する感情は、少し複雑だったかもしれません。母は一言で表せば「スーパー専業主婦」。おやつは手作りで、華道の師範資格を生かして玄関には常に花のアレンジメント。家族旅行はなかなか行けませんでしたが、そのぶん、ガールスカウトや山村遊学、ホームステイなど、子どもだけでもできる体験をたくさんさせてもらいました。

 しかし母はとても“保守的”で、私や妹が仲よくなった友だちでも「よくない子」と判断した相手とのつき合いは制限してきました。ゲームや漫画も禁止。抑圧的だと感じつつも、姉がいることによって「よそはよそ、うちはうち」という考えが身に染み付いていたため、表面上はおとなしく従っていた気がします。

母からの、ひと言

 30歳を過ぎ、母ともいち社会人同士として接することができるようになって言われたのが、

「姉がいることを引け目に感じて媚びたりしないで、堂々としていて」

 実は昔からずっと言ってくれていたそうなのですが、そのころは私たちも子どもすぎて理解できていなかったのでしょう。交友関係への口出しも、姉がいるせいで友だちが作りにくく不本意な相手に無理につき合わされているのではないかという、母なりの心配だったようです。もう少し分かるように話してくれればよかったのに、とは思いますが、母も当時は子ども3人を抱えて、あれが精一杯だったのだろうとは想像がつきます。

 それでも母の思いの根底がどこかで感じ取れたのか、周囲に姉を隠そうと思ったことはありませんでした。「ちょっとうるさいのがいるけど、うち結構イケてるから遊びにくる?」というノリで友だちを姉もいる自宅に誘う幼少期を過ごし、その子が姉を見て驚いたり時には泣いてしまったりする姿を見て、こっちも落ち込んだり。他人との距離の詰め方を見極める大切さは、姉のことをきっかけに覚えていったかもしれません。

 姉は養護学校の高等科を卒業した後、作業所へ通所するようになりました。知的障害は障害そのものの重篤度は変わりませんが、症状は本人をとりまく環境や年齢によって良くも悪くも変化します。悪化すれば、髪や爪をむしる、壁に頭をぶつけるなどの自傷行為が激しくなったり、泣きわめいたりします。姉も何度か悪化した時期があり、私の高校時代がそうでした。

 ふたりで過ごしていたあるとき、ずっと叫んでいる姉に我慢ができなくなって、姉の顔へ向かってお茶をぶちまけたことがあります。自分にとっては妹ととっくみあいするようなきょうだいゲンカの延長でしたが、姉が腕力で抵抗することは不可能な以上、虐待以外の何物でもなかったと思います。

 ですが、後悔はしていません。

 私は地元の、それなりながらも不本意な大学へ進学し就職で家を離れましたが、卒業してずいぶん経ってから母に「姉がいなければ、進学時にもっと手をかけてあげられた」と言われたことがありました。潜在的に感じていたことでしたが、ショックでした。でも高校時代に姉にやったことで、自分が被らざるを得ない一生分のとばっちりへの不満は、解消できたと思うのです。結局は自分の努力が足りなかったのだし、三姉妹の真ん中というポジションは、だいたい似たようなものなのじゃないかと。

 姉は幼いころ、人形のようなとてもかわいい外見をしていました。しかし今は、指をしゃぶる癖からくる開咬(かいこう=上下の歯がきれいに噛み合わないこと)や自傷行為からの頭部の変形などもあって、初対面のひとは少なからずびっくりする容姿だと思います。

姉の写真を、見せたことがない

 一緒に育ってきた自分にとっては見慣れた姿で、笑顔はやっぱりかわいい。スマートフォンのフォルダにも写真はたくさん入っていますが、先日、十年来の友人に、妹の写真はよく見るけど姉のは見たことがない、と指摘されました。

 障害者の家族がいることで敬遠するような相手ではないのに、見せることを無意識に避けていました。驚かせたくないから、は建前で、本音は驚かれるのが当然でもやっぱり悲しいから、なのかもしれません。

 先日、妹が結婚しました。式は近親者だけが出席して海外で挙げ、姉は参列しませんでした。義弟は姉も出席できるならぜひにと言ってくれましたが、姉が参加したら私と母は介護でつきっきりになり、妹の晴れ舞台どころではなくなります。妹は、判断を両親にゆだねました。

 両親は姉の一生を背負っていますが、同時に私たちの親として、それぞれの人生と幸せがあると尊重してくれています。健常者だったらいいのに考えたことは数えきれませんが、親のおかげで、姉のことを大切な存在だと思いつづけていられていると感じています。

(フィナンシェ西沢)

姉が健常者だったらよかったのにと考えたことは数えきれない、けれど。/「家族に障害者がいる日常」前篇

 9月上旬、リオデジャネイロではオリンピックに続き、パラリンピックの熱戦が繰り広げられました。障害者への理解がさけばれる時期ですが、「オリンピック」の名を冠した世界大会は、もうひとつ存在しています。4年に一度、知的障害を持つひとたちが夏季と冬季のオリンピック競技種目に準じたさまざまなスポーツトレーニングなどを通じて自立と社会参加を目指す「スペシャルオリンピックス」です。

 同じ障害者でもパラリンピックとスペシャルオリンピックスの“区別”に表れるように、身体障害者と知的障害者ではさまざまな点が異なります。なかでも重度の知的障害を持つひとがどのような日常を送っているのかは、知る機会がないどころか存在に接したこともないのが一般的ではないでしょうか。

 筆者には、重度の知的障害のある姉がいます。姉とともに送ってきた生活を、少しだけご紹介します。

 自治体によって知的障害の等級の名称は違いますが、姉は「最重度」に区分されます。障害の原因は、難産の末の帝王切開で投与された陣痛促進剤の副作用ではないかと聞いています。病名などはありません。私よりも4つ年上で今年40歳になりますが、知能は2歳半くらい。自立生活は不可能で、食事やトイレ、お風呂の介助はもちろん、着替えも見守りが必要です。

姉の障害と、妹の存在

 物心がついたころから、姉が「普通」ではないことは、見た目からも行動からもよく認識していました。親の努力で身体は健康に育ち発語も問題ありませんが、意味のないことをずっと話しつづけています。語彙は少ないので何を言いたいのかは、家族や周囲は表情と状況、その言葉を過去どのように使っていたかの経験則で判断するしかありません。

 発している言葉は、本当に突飛です。機嫌がよく突然歌を歌い出したり、何かに怒っていて同じ曲のワンフレーズだけを怒鳴っていたり。何に怒っているかの判断はいまだにむずかしいです。自宅にいるときはいくら叫んでくれてもかまいませんが、外出時にされると周囲の目が気になるのも本音です。

 自分なりのこだわりがあり、外出したら必ずコンビニなどで缶コーヒーと袋菓子を買う、は構わないのですが、食品の包装紙は全部はがしてしまう、家中のタオルを集めて自分のかばんにしまってしまう、をされると結構不便です。慣れましたが。

 私には姉のほかに、2つ年下の妹もいます。ふたりで仕事の愚痴を言いあっていたとき、満面の笑顔の姉から「黙ってせっせと働きな」と言い放たれたことがありました。語彙が少ないはずの姉の「アラフォー独女」的毒舌に、大笑いしました。

 姉に対する気持ちを整理してみると、妹の存在はとても大きいです。交流のある他の障害児のいる家庭はたまたまふたりきょうだいが多く、もし親やきょうだいに対して思うことがあったとしても独りで抱え込まざるを得ないでしょうが、「私には同じ立場で相談でき頼り合える相手がいる」という心強さは、何物にも変えがたいもの。もっとも、単純にきょうだいの人数は多い方が楽しいよね、という気持ちもあるかもしれません。

 4つという年齢差のほどよさと、父親似の外見に生まれたことでお父さん子だったこと、なにより妹との仲がとても良好だったことで、姉のことを子どもなりに冷静にとらえられていたように感じます。

 半面、母に対する感情は、少し複雑だったかもしれません。母は一言で表せば「スーパー専業主婦」。おやつは手作りで、華道の師範資格を生かして玄関には常に花のアレンジメント。家族旅行はなかなか行けませんでしたが、そのぶん、ガールスカウトや山村遊学、ホームステイなど、子どもだけでもできる体験をたくさんさせてもらいました。

 しかし母はとても“保守的”で、私や妹が仲よくなった友だちでも「よくない子」と判断した相手とのつき合いは制限してきました。ゲームや漫画も禁止。抑圧的だと感じつつも、姉がいることによって「よそはよそ、うちはうち」という考えが身に染み付いていたため、表面上はおとなしく従っていた気がします。

母からの、ひと言

 30歳を過ぎ、母ともいち社会人同士として接することができるようになって言われたのが、

「姉がいることを引け目に感じて媚びたりしないで、堂々としていて」

 実は昔からずっと言ってくれていたそうなのですが、そのころは私たちも子どもすぎて理解できていなかったのでしょう。交友関係への口出しも、姉がいるせいで友だちが作りにくく不本意な相手に無理につき合わされているのではないかという、母なりの心配だったようです。もう少し分かるように話してくれればよかったのに、とは思いますが、母も当時は子ども3人を抱えて、あれが精一杯だったのだろうとは想像がつきます。

 それでも母の思いの根底がどこかで感じ取れたのか、周囲に姉を隠そうと思ったことはありませんでした。「ちょっとうるさいのがいるけど、うち結構イケてるから遊びにくる?」というノリで友だちを姉もいる自宅に誘う幼少期を過ごし、その子が姉を見て驚いたり時には泣いてしまったりする姿を見て、こっちも落ち込んだり。他人との距離の詰め方を見極める大切さは、姉のことをきっかけに覚えていったかもしれません。

 姉は養護学校の高等科を卒業した後、作業所へ通所するようになりました。知的障害は障害そのものの重篤度は変わりませんが、症状は本人をとりまく環境や年齢によって良くも悪くも変化します。悪化すれば、髪や爪をむしる、壁に頭をぶつけるなどの自傷行為が激しくなったり、泣きわめいたりします。姉も何度か悪化した時期があり、私の高校時代がそうでした。

 ふたりで過ごしていたあるとき、ずっと叫んでいる姉に我慢ができなくなって、姉の顔へ向かってお茶をぶちまけたことがあります。自分にとっては妹ととっくみあいするようなきょうだいゲンカの延長でしたが、姉が腕力で抵抗することは不可能な以上、虐待以外の何物でもなかったと思います。

 ですが、後悔はしていません。

 私は地元の、それなりながらも不本意な大学へ進学し就職で家を離れましたが、卒業してずいぶん経ってから母に「姉がいなければ、進学時にもっと手をかけてあげられた」と言われたことがありました。潜在的に感じていたことでしたが、ショックでした。でも高校時代に姉にやったことで、自分が被らざるを得ない一生分のとばっちりへの不満は、解消できたと思うのです。結局は自分の努力が足りなかったのだし、三姉妹の真ん中というポジションは、だいたい似たようなものなのじゃないかと。

 姉は幼いころ、人形のようなとてもかわいい外見をしていました。しかし今は、指をしゃぶる癖からくる開咬(かいこう=上下の歯がきれいに噛み合わないこと)や自傷行為からの頭部の変形などもあって、初対面のひとは少なからずびっくりする容姿だと思います。

姉の写真を、見せたことがない

 一緒に育ってきた自分にとっては見慣れた姿で、笑顔はやっぱりかわいい。スマートフォンのフォルダにも写真はたくさん入っていますが、先日、十年来の友人に、妹の写真はよく見るけど姉のは見たことがない、と指摘されました。

 障害者の家族がいることで敬遠するような相手ではないのに、見せることを無意識に避けていました。驚かせたくないから、は建前で、本音は驚かれるのが当然でもやっぱり悲しいから、なのかもしれません。

 先日、妹が結婚しました。式は近親者だけが出席して海外で挙げ、姉は参列しませんでした。義弟は姉も出席できるならぜひにと言ってくれましたが、姉が参加したら私と母は介護でつきっきりになり、妹の晴れ舞台どころではなくなります。妹は、判断を両親にゆだねました。

 両親は姉の一生を背負っていますが、同時に私たちの親として、それぞれの人生と幸せがあると尊重してくれています。健常者だったらいいのに考えたことは数えきれませんが、親のおかげで、姉のことを大切な存在だと思いつづけていられていると感じています。

(フィナンシェ西沢)

生理中でセックスができない時、せめてものフェラを“要求”されるのは「普通」のこと?

生理用品やおりものシートを「布ナプキン」にしてみようか検討中です。こんにちは、大根 蘭です。

先日、20代の女子から相談されました。

「生理中でセックスが出来ないとき、フェラだけ要求してくる人ってどう思います?」

その子は交際中の彼に要求され、断るとあからさまに拗ねられて面倒だったようです。「生理中のセックス」というキーワードは、いつの時代もガールズトークのテーマのひとつでもありますね。

◎生理中フェラは当たり前?

 むかーしむかしの高校生時代に遡りますが、友人が彼とデートの予定日に生理になってしまい、それを伝えると「じゃ、デート中止で」と言われたということがありました。

♀「いや、でも体調大丈夫だよ?」

♂「でも、セックス出来ないんでしょ?」

まぁ、ここまでわかりやすい、カラダ目的であればとっとと別れるか、同じくカラダ目的の男にしてしまえばいいのですが……。では、男性たちがセックスできない時にフェラを要求するのは、そして女性たちがそれに応えることは普通のことなのか・・・・・・。

 「生理ならフェラして」と求められること自体はよくある話。という女性もいました。そのような方からみれば、「普通」の話だと思いますが、みなさんはどうでしょう?私の場合、お願いされたことがなく、その行為は「あるある」ではないので、自分だったら・・・・・・と思いを巡らせてみます。

 その前に私が何故、お願いされたことがないのか振り返ってみましたが、男性が「コイツにお願いしたら、キレるかもしれない」オーラを感じ、怯えて言えなかったというのも考えられますが、生理中は「セックス出来ない」という前提でデートをしているので、そういう雰囲気にならない(しない)ようにしていたのかもしれません。と言いつつ、生理中でも、そういう雰囲気になってしまった際、私が我慢できずにお風呂場で少しだけ、なんてことはありました。※生理中は膣内がデリケートな期間なので、本来はやめておいた方がいいです。

◎要求してくる人は“オトナの男”ではない?

 30代の同世代の男性数名に問いかけた「生理中の彼女にフェラをお願いしたことがあるか?」には、「昔は言ったことがある。今は彼女からしてくれることはあるけど、自分からは言わない」率が多かったです。中には「表情で訴える」という回答もありました。お願いしたことがある・ないに関係なく、してもらえるならそれに越したことはないようですが。

 友人に問い、ネットで相談者や回答者の意見を見てみると、自分から言い出すか否かは、年齢とともに変化があるようにも思えます。10代女子の相談に対して、「(相手の男性も)若いから仕方ないかもなぁ」とたしなめている20代や30代男性からの回答が多く見られました。ざっくりと分けるならば、10代は性欲が勝って要求しちゃうお猿さん。20代は相手の様子を伺いながら。30代は相手を労り諦めることも覚える(キレた時の女の怖さも知っているからか……)。もちろん、関係なく30代でもそれ以上でも“お猿さん”のままの人はいますが。そして、実は多かった「お願いしたことがない人」の理由は「精子処理みたいなことは頼めない」とのこと。意外と紳士はたくさんいるんですね!!

◎「クンニDAY」を作ってしまおう

 他方、「私は、フェラだけでもしてあげたい派」という女性もいます。こういう自発的フェラには、男性も素直に身を任せればいいと思います。が、男性はここで注意が必要! 女性側も最初は、(本当はフェラだけするなんてイヤだけど、それで彼に嫌われたら・・・・・・)という気持ちや、セックス出来ないことを申し訳なく思って(!!)い思いから、「フェラしようか?」と言い出しているのかもしれません。相手がそれを当たり前のように要求し始めると、いたわり、思いやり、愛情のつもりだったものが怒りや悲しみに変わり、「私って、精子処理する道具なの?」となってしまうパターンもあるように思います。ということで、彼女から発信がない限り、生理中の数日くらい我慢せい、ということですね。

 「フェラをして彼が喜んでくれるなら、それでいいの♪」な女性ならいいですが、私のように生理中も性欲が強い場合。フェラだけさせられ、こちとら置いてきぼりなのは非常に酷な行為です。例えば・・・・・・男性側の事情でティンコ使用禁止でセックスが出来ない期間があるとしましょう。その時に「クンニで逝かせて」と言われているようなもんです。どれだけ悶々しても勃起しても、それはノータッチなので我慢しなくちゃいけないのですよ。彼がフェラだけ要求してくることに嫌気がさしている女性は、彼にこれを説明し<クンニデー>を設けてみては如何でしょうか。そこで彼のティンコが反応しても、スルーして、一方的に快感を与えるためだけの苦しみを共有してもらっちゃいましょう。

(大根 蘭)

脅迫と無責任。育児系デマの温床「トンデモ・ママサイト」徹底比較、一番ヒドイのはどれ?

 自然派ママのブログで紹介されたトンデモ処置〈火傷は温めてなおす〉は見事炎上物件へと発展していましたが、相変わらず育児界周辺にはおかしなネタに事欠きません。今回は危険度が高いことで反論の嵐でしたが、トンデモ物件はやがてネットの肥やしとなり、伝聞形式で「こういう考えかたもあるらしい」という無責任な形で拡散されていきます。

 その拡散手段はSNSでの〈シェア〉のほか、〈ママサイト〉の存在も大きいはず。子育て中のママたちが知りたい情報を集めて提供しているママサイトは、「日経DUAL(デュアル)」やNHKエデュケーショナルの「すくコム」などが有名どころ。基本的に大手の運営しているママサイトには無責任記事は全く見当たらず、認知度と比例した信頼度はさすがとしか言いようがありません。

 科学的根拠に欠けるトンデモ系を無責任に広めるのは、キュレーション、バイラルメディア系のママサイトでしょう。とは言えすべてが該当するわけではなく、掲載されている記事の数も膨大で、センセーショナルなタイトルが多いほど怪しいとも言いがたい……。

 そんな折、見つけました。公平な育児情報を扱っているサイトかどうか見極める目安を。それは〈授乳記事をチェックしてみること〉です。また母乳か~とうんざりする方も多いでしょうが、結局はそこが分かりやすいんですよね。育児サイトでふれないわけにはいかない重要な情報=授乳をどう扱っているかどうかで、ママサイトの信頼度をチェックしていきましょう。

◎その1「BEBYCO」
 季刊誌フリーペーパー「BEBYCO」のweb版として2011年にオープンしたもの。紙版は全国の産婦人科や保育園等の施設、ベビーザらス店舗に設置してあるというだけあり、基本的には〈まとも〉な情報が多いサイトです。

 ところがどうも〈自然派寄り〉のようで、授乳に関しては粉ミルク育児の存在自体をスルーする勢いの母乳推し。〈おっぱいの話〉というカテゴリーは母乳情報オンリーです。記事タイトルのひとつを見ると、典型的な母乳神話そのものです。「母乳で育った赤ちゃんはゆたかな心を持ち賢い子に育ちます」ひえー。

 粉ミルクの情報は「赤ちゃんの身体のこと」というカテゴリーで、申し訳程度に登場。しかもパパと赤ちゃんが触れあういい機会だよねとしながら「ただ、ミルクは母乳に比べて画一的な変化のない味なので、味覚の発達が遅れる傾向があります」と、ディスっております。母乳が賢い子に育つというのも粉ミルクで味覚の発達が遅れるというのも、根拠がないうえに、粉ミルク育児の親の気持ちを無視しまくりで、これで〈子育て応援サイト〉かあ。

 世界各国のママから見た、「海外から見た日本の子育て、ここが不思議!ここがうらやましい!」というコラム集は大変面白かったものの「日本は母乳育児の指導があって羨ましいわ」というコメントを太字&色文字で強調。さらにアメリカ人から見た羨ましい点は「自然派育児が根付いている」って、別に根付いていませんけど……。「火傷を温めろ」系のディープなトンデモ情報は掲載していないけれど、偏りのあるサイトであることは確かでしょう。

◎その2「mamari(ママリ)」

記事の適当レベルで突出していたのは、「妊活・妊娠・出産・育児に関するまとめサイト」ことママリです。ネットで拾ってきた情報を適当に書いただけと思われるものが多く、あまりの無責任さに唖然となります。

 母乳記事は〈脅しスタンス〉で、典型例は「授乳中の添加物摂取が気になる!赤ちゃんに与える影響とは?」です。「添加物を摂取すると赤ちゃんにどのような影響があるのでしょうか? 基本的に赤ちゃんには影響がないといわれています」という導入に始まるにも関わらず、続々と脅しにかかります。

「過剰に摂取してしまうとホルモンバランスが崩れたり、必要な成分が母乳に含まれなかったりと、赤ちゃんに必要な栄養素が授乳によって届かなくなるという事例もあります。必要な栄養素が不足すると夜泣きがひどくなったり、一日中ぐずったり、落ち着きがなくなることがあります。しかし、日本において一般的な食生活を送っていれば『母乳に影響が出るほど添加物を過剰に摂取する』という状況にはなりません」

「添加物の過剰摂取によって母体で毒素を分解しきれず、母乳を通じて赤ちゃんの体内に入ってしまうという例も稀に存在します」

 脅しては安心させての繰り返し、読んでいてうんざり。

 夜泣きやぐずりといった赤ちゃんには日常的にあってもおかしくないことを引き合いに根拠のない脅し情報を投入することで、疲労で判断力が鈍っている乳児持ちの母親たちが「これは自分が添加物を食べたせいなのか」と不安にさせられるのは容易に想像がつくこと。書き手のペンネームは「陽気なママ」ですが、ずいぶん陰気なことをしているな~。

 「乳児湿疹とは?赤ちゃんの顔が赤くなったら要注意!母乳との関連性や原因、症状、対処法まとめ」という記事も、ツッコミ要素満載。糖分や脂質の多い食事をしていると赤ちゃんがそのまま摂取するので脂漏性皮膚炎の原因になるというのですが、それどこ情報。専門的な内容にもかかわらず、ソースが一切記載されないのも、ダメサイトの典型です。

 その他、産後の白髪は栄養不足が原因といい、解消法として「ごま油うがい」を紹介。これは本来アーユルヴェーダにおける免疫アップ効果から若返りにつながるという思想のはずですが、記事では「舌の裏は吸収率が高いから、そこからごま油が入り込み(!)身体に栄養分をいきわたらせる」という珍解説(産後白髪がごま油で予防できる!?産後白髪の原因と予防法をご紹介☆)。書き手が混乱しているのか、単に説明しきれていないのかわかりませんが、あたかも〈ゴマ油の栄養が舌から吸収されて髪の栄養になる〉と言っているように聞こえてしまいます。これを読んだ人が誤解したまま話を広め、ゴマ油が魔法の白髪回復薬的存在になっていくのかもしれません。

 有機野菜推しの記事では、

「農薬漬けにされたものではなく、薬の力を借りずにしっかりと育った産物には力があり、栄養も豊富で味も抜群に美味しいです。そして、太陽の光を受けたお野菜を選びましょう。自然の環境にさらされた野菜は強く生命力にあふれています」子供に食べさせている食品、本当に安全?添加物と農薬の恐さと有機野菜のすすめ

だそうです。添加物をディスりながら、「栄養が豊富」「生命力にあふれている」と根拠のないイメージトーク(有機野菜の栄養価が特別に高いというデータはありません)。「家族の毎日をもっと笑顔にする」サイトなんだそうですが、白目で半笑いにはなりました。

 同サイトのライター募集ページには「専門的な知識はないけれど、普段ものを書くのが好きな方、家庭と両立しながら真面目にお仕事をこなしていきたい!といった方にピッタリなお仕事です」とありましたが、なるほど確かに先ほどの「陽気なママさん」も専門性もなければ、メディアリテラシーが身につくような経歴もなさそう。えーと運営会社様、採用条件をご再考なさってはいかがでしょう。

◎その3「It MAMA(イットママ)」

〈今までありそうでなかった、結婚しても出産しても”自分らしさ”を失いたくない女性のための情報サイト〉も、母乳記事でやらかしています。

 こちらは今年8月に「『乳活食』考えていますか?母乳が美味しくなるのは和・洋どっち?! 【前編】」なる記事を掲載し、twitterで宋美玄医師によって「嘘」とつっこまれると、訂正する姿勢は見せつつも「あくまで考えのひとつ」と言い訳開始。ででで、デター。

「ママパパ必読のバイブル! 子育て界のトンデモをまとめて検証した『子どもを守るために知っておきたいこと』」で担当編集者が語っていた「たった数人の個人が主張している根拠のない説と、多くの専門家が検証したうえで実証した事実を、同等に扱わないようにしてほしい」という苦言そのもの。いろいろな考え方があるよね!という中立を気取ったあげく、デマも事実もごっちゃになるという。

 母乳記事のやりとりはその後、宋美玄医師により「専門家風の肩書を持つ人が本当に医学的に妥当なことを言っているか見分けられないのなら、健康情報を扱うのはやめたほうがいい」とバッサリ切られ、編集部より「お詫びとご報告」として修正されるという結末に。

「本記事内容につきまして改めて調査し、食事内容が引き起こす乳腺炎トラブルとの関連性はなく、該当内容を削除・訂正の上、『【和食を取り入れるメリット・前編】魚介類の「脂肪酸」が血流を良くする』として、8月25日に再公開させて頂きましたことを報告致します」

として訂正記事が掲載されたものの、似たような過去記事は放置中。現在も公開されている「ビックリ!おっぱいの『味見』をすると子育てがラクになる理由」では、母乳の色や味はママが食べたものによって日々変化する、乳製品や油製品を摂りすぎると乳管閉塞などのトラブルにもつながる、和食を多く摂取していると母乳がほんのり甘くなる等々、根拠のない古い通説がズラズラ……。ツメが甘いっす。

◎その4「Cuta(キュータ)」

「キュートな時間とタフな時間。そんな両極端な2つをこなしていく「ママ」のライフシーンに寄りそいもっとハッピーに」というコンセプトから名づけられたママサイト。

 こちらの運営は「モバオク」「モバゲー」で知られる「DeNA」です。インターネット業界で手広く事業を展開していると危機管理が万全になるのか、読者にとっては全く優しくないスタンスを見せつけてくれます。この会社が運営する情報サイトは、ファッション記事にさえ、

「当社は、この記事の情報(個人の感想等を含む)及びこの情報を用いて行う利用者の判断について、正確性、完全性、有益性、特定目的への適合性、その他一切について責任を負うものではありません。この記事の情報を用いて行う行動に関する判断・決定は、利用者ご自身の責任において行っていただくと共に、必要に応じてご自身で専門家等に相談されることを推奨いたします」

という注釈が入っているのです。「正確性」も責任を負わないって、すごいです。

 さて母乳記事はどうでしょう。「ヨーグルトが母乳や赤ちゃんに与える影響」では、乳製品の脂肪分を過剰に摂取すると、血液ドロドロになって乳腺炎の原因になると紹介されています。そもそも因果関係は疑わしいし、血液ドロドロになるほどヨーグルトを食べる人って、世の中にどれだけいるんでしょう。その他の記事も、ママの食べたものが美味しい母乳になるよという姿勢は変わらずです。

 母乳以外では、発達障害についての記事がなかなかにひどい。「発達障害は遺伝する?増える発達障害児…原因や治療法を知ろう」では、〈信憑性の高い仮説〉というすごい表現で、環境要因説を紹介。

「ダイオキシン、医薬品(合成性ホルモン)、農薬(メトキシクロル、DDTなど)、合成洗剤、殺虫剤、喫煙、塗料などが環境ホルモンと呼ばれます。これらが身体の中に影響を及ぼすことは、様々な研究から明らかになっています」

 大量に摂取すれば確かに「身体に影響を及ぼす」でしょうが、発達障害とのかかわりが全く分からない記事でありました。さらに締めの言葉はこうきます。

「現段階では、はっきりとした原因は明らかではありませんが、多くの研究者たちによって導かれた様々な仮説を知ることで、発達障害の可能性を下げることが出来るのかもしれませんね

 なんじゃそりゃ! さすが、「正確かどうかは責任持ちません」と明言しているサイト。だれそれがこう言っているらしいけど、信じるか信じないかはあなた次第という、読者突き放し系です。

◎その5「子育て応援サイト マーチ」

 こちらは母乳記事よりも、不妊記事のトンデモっぷりが突出しているサイトです。不妊情報では「電磁波は自律神経に悪影響を及ぼしやすく、それが原因となって冷え性を引き起こしやすくなる」(不妊に悩んでいる人は冷え性が原因?妊娠しやすい体質作りの基本)と謳い、産み分け情報として「あっさりセックスで女の子が生まやすくなる」など、根拠のない情報を掲載(女の子の産み分けは成功率が低い? 成功させるためのポイントは?)

「高齢だから早く妊娠したい!40代から始める妊娠しやすい体づくり」では、身体を温めよう食べるものに気を付けよう体力をつけようお金を貯めておこう……などの一般的な情報で、〈高齢〉はどこいったという感じ。極めつきはラストに「不妊治療は『40歳になったら一旦止めてみようか』などのラインをパートナーと話し合って決めておくのもいいかもしれませんね」。……40代から始める妊活なんじゃなかったでしたっけ。タイトルはどこに行ってしまったんでしょう。内容以前の問題ですが、まさかの編集者不在!?

◎その6「養生ラボ」

 ママサイトという体裁ではありませんが、「胎内記憶」や「放射能」「陣痛促進剤」など、ママたちアンテナに引っかかる記事が多く掲載されているため、ラインナップに入れさせていただきます。

 トンデモレベルでは突出している「養生ラボ」は、個人が運営している情報サイトのようですが、私がこのサイトを知ったきっかけは、体内記憶第一人者である池川明医師が登場している(この連載、池川医師登場し過ぎ……)、「羊水からシャンプーのにおいがするというのは本当だった!」という記事が拡散されたからです。

 日用品の化学物質が体内に蓄積されるという〈経皮毒思想〉の中で「化学物質が体内に蓄積される証拠のひとつに、助産師がシャンプー臭い羊水に遭遇した」という都市伝説的な有名ネタがあるのですが、ここでまさかの現役医師が「私が体験しました!」と名乗り出るとはびっくり(びっくりと言っても池川医師は経皮毒についての著書もあるので妥当な流れなのでしょうけど)。

 記事内ではこう語られています。産後に処置していた胎盤がドブのように臭く、それは「化学物質が壊れたような臭い」と感じた池川医師。そこで「これシャンプーの臭いだなと分かった」そうです。シャンプーってドブ臭がするんですか?? そして経皮毒脳な池川医師が実際に母親に聞いてみると「○○堂のTS〇○〇KIを使っています」とのことで、ほーらやっぱり、ということのよう。データや証拠はもちろんなしで、池川医師が「そう感じた」というだけの仮説ですよね、これ。

 固定概念を嫌い「リテラシー」「エビデンス」という世の雑音は全く届かないような雰囲気のサイトですが、意外にも「火傷は温めよう」という旬の話題を見逃しません。このサイトの顧問だという田中佳(たなか よしみ)脳神経外科専門医の体験談として「火傷は温める!?【妻の火傷をホメオパシー的に対処してみた】」と掲載されているのです。ちなみにこの監修者・田中医師のHPへ飛んでみると、ホメオパシー、EM菌、直傳靈氣(じきでんれいき)と香ばしい物件がずらりと並び、あっち側の方であることがよくわかります。

 その他の記事も「東日本大震災後、EMで放射能が除染できるのに使わない理由」「生理の不快な辛い症状を解消『布ナプキンのすすめ』」「白砂糖はあなたの体を壊す」など、おなじみすぎるトンデモ物件がずらりと並び、ある意味ブレないサイトです。「養生ラボもまだまだ日々勉強中ですので、間違っていることももちろんあると思います、そんな時は是非教えていただけたら有り難いです」とありますが、ここまで徹底されるとツッコミづらい?

*   *   *

 「大手以外はホントどーしょもないサイトばっかりだよね!」なんて言うつもりは全くありませんが、やはり〈どこから引用している情報なのか〉〈どんな専門家が監修しているのか〉、それとも〈全くの個人的な体験〉なのか、そして〈誰が書いているのか〉ということがしっかり明記されているかどうかは、〈情報〉を扱う上で重要なポイントです。当然ですが、有名企業や自治体の運営するママサイトは、その点ぬかりなし。

 PV稼ぎだけが目的の育児記事に振り回されるほどバカバカしいことはありませんので、無責任なママサイトの閲覧はヒマつぶし程度に閲覧するのが妥当でしょう。とは言っても、世のママたちにヒマなんかないんですけどね。

(謎物件ウォッチャー・山田ノジル)

脅迫と無責任。育児系デマの温床「トンデモ・ママサイト」徹底比較、一番ヒドイのはどれ?

 自然派ママのブログで紹介されたトンデモ処置〈火傷は温めてなおす〉は見事炎上物件へと発展していましたが、相変わらず育児界周辺にはおかしなネタに事欠きません。今回は危険度が高いことで反論の嵐でしたが、トンデモ物件はやがてネットの肥やしとなり、伝聞形式で「こういう考えかたもあるらしい」という無責任な形で拡散されていきます。

 その拡散手段はSNSでの〈シェア〉のほか、〈ママサイト〉の存在も大きいはず。子育て中のママたちが知りたい情報を集めて提供しているママサイトは、「日経DUAL(デュアル)」やNHKエデュケーショナルの「すくコム」などが有名どころ。基本的に大手の運営しているママサイトには無責任記事は全く見当たらず、認知度と比例した信頼度はさすがとしか言いようがありません。

 科学的根拠に欠けるトンデモ系を無責任に広めるのは、キュレーション、バイラルメディア系のママサイトでしょう。とは言えすべてが該当するわけではなく、掲載されている記事の数も膨大で、センセーショナルなタイトルが多いほど怪しいとも言いがたい……。

 そんな折、見つけました。公平な育児情報を扱っているサイトかどうか見極める目安を。それは〈授乳記事をチェックしてみること〉です。また母乳か~とうんざりする方も多いでしょうが、結局はそこが分かりやすいんですよね。育児サイトでふれないわけにはいかない重要な情報=授乳をどう扱っているかどうかで、ママサイトの信頼度をチェックしていきましょう。

◎その1「BEBYCO」
 季刊誌フリーペーパー「BEBYCO」のweb版として2011年にオープンしたもの。紙版は全国の産婦人科や保育園等の施設、ベビーザらス店舗に設置してあるというだけあり、基本的には〈まとも〉な情報が多いサイトです。

 ところがどうも〈自然派寄り〉のようで、授乳に関しては粉ミルク育児の存在自体をスルーする勢いの母乳推し。〈おっぱいの話〉というカテゴリーは母乳情報オンリーです。記事タイトルのひとつを見ると、典型的な母乳神話そのものです。「母乳で育った赤ちゃんはゆたかな心を持ち賢い子に育ちます」ひえー。

 粉ミルクの情報は「赤ちゃんの身体のこと」というカテゴリーで、申し訳程度に登場。しかもパパと赤ちゃんが触れあういい機会だよねとしながら「ただ、ミルクは母乳に比べて画一的な変化のない味なので、味覚の発達が遅れる傾向があります」と、ディスっております。母乳が賢い子に育つというのも粉ミルクで味覚の発達が遅れるというのも、根拠がないうえに、粉ミルク育児の親の気持ちを無視しまくりで、これで〈子育て応援サイト〉かあ。

 世界各国のママから見た、「海外から見た日本の子育て、ここが不思議!ここがうらやましい!」というコラム集は大変面白かったものの「日本は母乳育児の指導があって羨ましいわ」というコメントを太字&色文字で強調。さらにアメリカ人から見た羨ましい点は「自然派育児が根付いている」って、別に根付いていませんけど……。「火傷を温めろ」系のディープなトンデモ情報は掲載していないけれど、偏りのあるサイトであることは確かでしょう。

◎その2「mamari(ママリ)」

記事の適当レベルで突出していたのは、「妊活・妊娠・出産・育児に関するまとめサイト」ことママリです。ネットで拾ってきた情報を適当に書いただけと思われるものが多く、あまりの無責任さに唖然となります。

 母乳記事は〈脅しスタンス〉で、典型例は「授乳中の添加物摂取が気になる!赤ちゃんに与える影響とは?」です。「添加物を摂取すると赤ちゃんにどのような影響があるのでしょうか? 基本的に赤ちゃんには影響がないといわれています」という導入に始まるにも関わらず、続々と脅しにかかります。

「過剰に摂取してしまうとホルモンバランスが崩れたり、必要な成分が母乳に含まれなかったりと、赤ちゃんに必要な栄養素が授乳によって届かなくなるという事例もあります。必要な栄養素が不足すると夜泣きがひどくなったり、一日中ぐずったり、落ち着きがなくなることがあります。しかし、日本において一般的な食生活を送っていれば『母乳に影響が出るほど添加物を過剰に摂取する』という状況にはなりません」

「添加物の過剰摂取によって母体で毒素を分解しきれず、母乳を通じて赤ちゃんの体内に入ってしまうという例も稀に存在します」

 脅しては安心させての繰り返し、読んでいてうんざり。

 夜泣きやぐずりといった赤ちゃんには日常的にあってもおかしくないことを引き合いに根拠のない脅し情報を投入することで、疲労で判断力が鈍っている乳児持ちの母親たちが「これは自分が添加物を食べたせいなのか」と不安にさせられるのは容易に想像がつくこと。書き手のペンネームは「陽気なママ」ですが、ずいぶん陰気なことをしているな~。

 「乳児湿疹とは?赤ちゃんの顔が赤くなったら要注意!母乳との関連性や原因、症状、対処法まとめ」という記事も、ツッコミ要素満載。糖分や脂質の多い食事をしていると赤ちゃんがそのまま摂取するので脂漏性皮膚炎の原因になるというのですが、それどこ情報。専門的な内容にもかかわらず、ソースが一切記載されないのも、ダメサイトの典型です。

 その他、産後の白髪は栄養不足が原因といい、解消法として「ごま油うがい」を紹介。これは本来アーユルヴェーダにおける免疫アップ効果から若返りにつながるという思想のはずですが、記事では「舌の裏は吸収率が高いから、そこからごま油が入り込み(!)身体に栄養分をいきわたらせる」という珍解説(産後白髪がごま油で予防できる!?産後白髪の原因と予防法をご紹介☆)。書き手が混乱しているのか、単に説明しきれていないのかわかりませんが、あたかも〈ゴマ油の栄養が舌から吸収されて髪の栄養になる〉と言っているように聞こえてしまいます。これを読んだ人が誤解したまま話を広め、ゴマ油が魔法の白髪回復薬的存在になっていくのかもしれません。

 有機野菜推しの記事では、

「農薬漬けにされたものではなく、薬の力を借りずにしっかりと育った産物には力があり、栄養も豊富で味も抜群に美味しいです。そして、太陽の光を受けたお野菜を選びましょう。自然の環境にさらされた野菜は強く生命力にあふれています」子供に食べさせている食品、本当に安全?添加物と農薬の恐さと有機野菜のすすめ

だそうです。添加物をディスりながら、「栄養が豊富」「生命力にあふれている」と根拠のないイメージトーク(有機野菜の栄養価が特別に高いというデータはありません)。「家族の毎日をもっと笑顔にする」サイトなんだそうですが、白目で半笑いにはなりました。

 同サイトのライター募集ページには「専門的な知識はないけれど、普段ものを書くのが好きな方、家庭と両立しながら真面目にお仕事をこなしていきたい!といった方にピッタリなお仕事です」とありましたが、なるほど確かに先ほどの「陽気なママさん」も専門性もなければ、メディアリテラシーが身につくような経歴もなさそう。えーと運営会社様、採用条件をご再考なさってはいかがでしょう。

◎その3「It MAMA(イットママ)」

〈今までありそうでなかった、結婚しても出産しても”自分らしさ”を失いたくない女性のための情報サイト〉も、母乳記事でやらかしています。

 こちらは今年8月に「『乳活食』考えていますか?母乳が美味しくなるのは和・洋どっち?! 【前編】」なる記事を掲載し、twitterで宋美玄医師によって「嘘」とつっこまれると、訂正する姿勢は見せつつも「あくまで考えのひとつ」と言い訳開始。ででで、デター。

「ママパパ必読のバイブル! 子育て界のトンデモをまとめて検証した『子どもを守るために知っておきたいこと』」で担当編集者が語っていた「たった数人の個人が主張している根拠のない説と、多くの専門家が検証したうえで実証した事実を、同等に扱わないようにしてほしい」という苦言そのもの。いろいろな考え方があるよね!という中立を気取ったあげく、デマも事実もごっちゃになるという。

 母乳記事のやりとりはその後、宋美玄医師により「専門家風の肩書を持つ人が本当に医学的に妥当なことを言っているか見分けられないのなら、健康情報を扱うのはやめたほうがいい」とバッサリ切られ、編集部より「お詫びとご報告」として修正されるという結末に。

「本記事内容につきまして改めて調査し、食事内容が引き起こす乳腺炎トラブルとの関連性はなく、該当内容を削除・訂正の上、『【和食を取り入れるメリット・前編】魚介類の「脂肪酸」が血流を良くする』として、8月25日に再公開させて頂きましたことを報告致します」

として訂正記事が掲載されたものの、似たような過去記事は放置中。現在も公開されている「ビックリ!おっぱいの『味見』をすると子育てがラクになる理由」では、母乳の色や味はママが食べたものによって日々変化する、乳製品や油製品を摂りすぎると乳管閉塞などのトラブルにもつながる、和食を多く摂取していると母乳がほんのり甘くなる等々、根拠のない古い通説がズラズラ……。ツメが甘いっす。

◎その4「Cuta(キュータ)」

「キュートな時間とタフな時間。そんな両極端な2つをこなしていく「ママ」のライフシーンに寄りそいもっとハッピーに」というコンセプトから名づけられたママサイト。

 こちらの運営は「モバオク」「モバゲー」で知られる「DeNA」です。インターネット業界で手広く事業を展開していると危機管理が万全になるのか、読者にとっては全く優しくないスタンスを見せつけてくれます。この会社が運営する情報サイトは、ファッション記事にさえ、

「当社は、この記事の情報(個人の感想等を含む)及びこの情報を用いて行う利用者の判断について、正確性、完全性、有益性、特定目的への適合性、その他一切について責任を負うものではありません。この記事の情報を用いて行う行動に関する判断・決定は、利用者ご自身の責任において行っていただくと共に、必要に応じてご自身で専門家等に相談されることを推奨いたします」

という注釈が入っているのです。「正確性」も責任を負わないって、すごいです。

 さて母乳記事はどうでしょう。「ヨーグルトが母乳や赤ちゃんに与える影響」では、乳製品の脂肪分を過剰に摂取すると、血液ドロドロになって乳腺炎の原因になると紹介されています。そもそも因果関係は疑わしいし、血液ドロドロになるほどヨーグルトを食べる人って、世の中にどれだけいるんでしょう。その他の記事も、ママの食べたものが美味しい母乳になるよという姿勢は変わらずです。

 母乳以外では、発達障害についての記事がなかなかにひどい。「発達障害は遺伝する?増える発達障害児…原因や治療法を知ろう」では、〈信憑性の高い仮説〉というすごい表現で、環境要因説を紹介。

「ダイオキシン、医薬品(合成性ホルモン)、農薬(メトキシクロル、DDTなど)、合成洗剤、殺虫剤、喫煙、塗料などが環境ホルモンと呼ばれます。これらが身体の中に影響を及ぼすことは、様々な研究から明らかになっています」

 大量に摂取すれば確かに「身体に影響を及ぼす」でしょうが、発達障害とのかかわりが全く分からない記事でありました。さらに締めの言葉はこうきます。

「現段階では、はっきりとした原因は明らかではありませんが、多くの研究者たちによって導かれた様々な仮説を知ることで、発達障害の可能性を下げることが出来るのかもしれませんね

 なんじゃそりゃ! さすが、「正確かどうかは責任持ちません」と明言しているサイト。だれそれがこう言っているらしいけど、信じるか信じないかはあなた次第という、読者突き放し系です。

◎その5「子育て応援サイト マーチ」

 こちらは母乳記事よりも、不妊記事のトンデモっぷりが突出しているサイトです。不妊情報では「電磁波は自律神経に悪影響を及ぼしやすく、それが原因となって冷え性を引き起こしやすくなる」(不妊に悩んでいる人は冷え性が原因?妊娠しやすい体質作りの基本)と謳い、産み分け情報として「あっさりセックスで女の子が生まやすくなる」など、根拠のない情報を掲載(女の子の産み分けは成功率が低い? 成功させるためのポイントは?)

「高齢だから早く妊娠したい!40代から始める妊娠しやすい体づくり」では、身体を温めよう食べるものに気を付けよう体力をつけようお金を貯めておこう……などの一般的な情報で、〈高齢〉はどこいったという感じ。極めつきはラストに「不妊治療は『40歳になったら一旦止めてみようか』などのラインをパートナーと話し合って決めておくのもいいかもしれませんね」。……40代から始める妊活なんじゃなかったでしたっけ。タイトルはどこに行ってしまったんでしょう。内容以前の問題ですが、まさかの編集者不在!?

◎その6「養生ラボ」

 ママサイトという体裁ではありませんが、「胎内記憶」や「放射能」「陣痛促進剤」など、ママたちアンテナに引っかかる記事が多く掲載されているため、ラインナップに入れさせていただきます。

 トンデモレベルでは突出している「養生ラボ」は、個人が運営している情報サイトのようですが、私がこのサイトを知ったきっかけは、体内記憶第一人者である池川明医師が登場している(この連載、池川医師登場し過ぎ……)、「羊水からシャンプーのにおいがするというのは本当だった!」という記事が拡散されたからです。

 日用品の化学物質が体内に蓄積されるという〈経皮毒思想〉の中で「化学物質が体内に蓄積される証拠のひとつに、助産師がシャンプー臭い羊水に遭遇した」という都市伝説的な有名ネタがあるのですが、ここでまさかの現役医師が「私が体験しました!」と名乗り出るとはびっくり(びっくりと言っても池川医師は経皮毒についての著書もあるので妥当な流れなのでしょうけど)。

 記事内ではこう語られています。産後に処置していた胎盤がドブのように臭く、それは「化学物質が壊れたような臭い」と感じた池川医師。そこで「これシャンプーの臭いだなと分かった」そうです。シャンプーってドブ臭がするんですか?? そして経皮毒脳な池川医師が実際に母親に聞いてみると「○○堂のTS〇○〇KIを使っています」とのことで、ほーらやっぱり、ということのよう。データや証拠はもちろんなしで、池川医師が「そう感じた」というだけの仮説ですよね、これ。

 固定概念を嫌い「リテラシー」「エビデンス」という世の雑音は全く届かないような雰囲気のサイトですが、意外にも「火傷は温めよう」という旬の話題を見逃しません。このサイトの顧問だという田中佳(たなか よしみ)脳神経外科専門医の体験談として「火傷は温める!?【妻の火傷をホメオパシー的に対処してみた】」と掲載されているのです。ちなみにこの監修者・田中医師のHPへ飛んでみると、ホメオパシー、EM菌、直傳靈氣(じきでんれいき)と香ばしい物件がずらりと並び、あっち側の方であることがよくわかります。

 その他の記事も「東日本大震災後、EMで放射能が除染できるのに使わない理由」「生理の不快な辛い症状を解消『布ナプキンのすすめ』」「白砂糖はあなたの体を壊す」など、おなじみすぎるトンデモ物件がずらりと並び、ある意味ブレないサイトです。「養生ラボもまだまだ日々勉強中ですので、間違っていることももちろんあると思います、そんな時は是非教えていただけたら有り難いです」とありますが、ここまで徹底されるとツッコミづらい?

*   *   *

 「大手以外はホントどーしょもないサイトばっかりだよね!」なんて言うつもりは全くありませんが、やはり〈どこから引用している情報なのか〉〈どんな専門家が監修しているのか〉、それとも〈全くの個人的な体験〉なのか、そして〈誰が書いているのか〉ということがしっかり明記されているかどうかは、〈情報〉を扱う上で重要なポイントです。当然ですが、有名企業や自治体の運営するママサイトは、その点ぬかりなし。

 PV稼ぎだけが目的の育児記事に振り回されるほどバカバカしいことはありませんので、無責任なママサイトの閲覧はヒマつぶし程度に閲覧するのが妥当でしょう。とは言っても、世のママたちにヒマなんかないんですけどね。

(謎物件ウォッチャー・山田ノジル)

出産を恐れるのは誰だ? 『光り輝く世界』と『フランケンシュタイン』【女とSF(1)】

SFはどちらかと言えば男のものだ、なんてイメージはないだろうか? サイエンス・フィクションはその名の通り科学やテクノロジーを主題にしたジャンルであって、当然女やジェンダーの関心にとって優先度が高い分野ではないようにも思われる。けれどもちろんフェミニズムとは、「女」にまつわるさまざまな「当然」を問い直すことを通じて(例:女なので「当然」仕事よりも家事や子育てを優先すべき)、より公正な社会を目指す学問・運動なのだから、女とSFの関係もそんなに簡単なものじゃ決してない。

 これから何回かにわたって、「女」にまつわるSF小説とその背景の歴史を辿ることを通じて、「女にとってSFはなぜ、そしてどれだけ重要なんだろうか」を考えてみよう。SFにとって女あるいはジェンダーの問いがどれだけ重要かなんてことは、ここ何十年かの主要なSF賞の受賞者リストを見るだけで簡単にわかる。でも逆に、フェミニズムにとってのSFというものの重要性は、十分に理解されているとは言いづらい気がする(ダナ・ハラウェイ、という名前を聞いて「あ、懐かしい」と思ってしまったあなた、そう、その感覚です)。女、あるいはフェミニズムにとって、SF小説はどれだけ切実で重要な問題を提示し、表現するための優れた場であった(またそうあり続ける)んだろうか? それを考えるために、まずはフェミニストSFの「起源」へとさかのぼってみよう。

◎最初のフェミニスト・ユートピアSF?:キャベンディッシュ『光り輝く世界』

 じっさい、SFにおけるフェミニズムの歴史は深く長い。そもそもSFとは何か、っていうのも難しい問題だけど――『竹取物語』(異星人もの)や『浦島太郎』(時間旅行もの)だって的に読める一方、今あるジャンルとしてのSFはH.G.ウェルズなどの19世紀末の小説から始まった、なんて考えもある――、一般に英米圏では1666年に書かれた『光り輝く世界と呼ばれる新世界についての記述』がフェミニズムSFの起源とされている(邦訳は『ユートピア旅行記叢書』第2巻(岩波)に収録)。

 著者マーガレット・キャベンディッシュはニューカッスル公爵夫人にして科学者・哲学者という知識人。本書『光り輝く世界』は、もともと彼女の『実験哲学に関する所見』という自然哲学の本の補遺として出版されたことからも分かるように、当時の学問や政治・宗教の制度に対し介入しようとする、優れて学究的な小説――というよりは、『ガリバー旅行記』のようなある種の政治的な寓話になっている。

 物語は、航海中のとあるレディが北極の向こうにある「光り輝く世界」なる別世界に漂着するところから始まる。皇帝と結婚し女帝になった彼女は、夫からこの国の全面的統治権を譲り受ける。「光り輝く世界」では学問・政治・宗教はもとの世界とは違う形で発展していたのだが、彼女はより良い統治のために、これらがなぜ今ある形で発展したのか、そしてどうあるべきなのかについて、臣民である喋る動物や精霊と長い議論を交わす。自らの教えを書き記したいと考えるようになった彼女は、古典・現代のいかなる(男性の)作家も筆記者として相応しくないと悟り、作者キャヴェンディッシュ自身の霊魂を呼び寄せる。一種の「シスターフッド(女性同士の連帯)」で結ばれた二人は、他の(男性)思想家・政治家の考えに拠るのではなく、自分たち自身の理性をもとに、「光り輝く世界」のルールを作り出す……というのが第一部の大まかなあらすじ。それに続く短い第二部では、祖国が他国の侵略を受けたことをきっかけに女帝が霊魂の形で元の世界に戻り、侵略してきた国を征服するどころか、やがて世界全体を支配していく様子が描写される。

 政治的な寓話として読んだ場合、「光り輝く世界」には「一つの言語、一つの宗教、一つの政府」だけがあるべきで、それこそが平和と繁栄をもたらすのだ、という女帝の考え方は大英帝国を支えた帝国主義の価値観そのものだ(第二部の展開はまさにその裏付け)。一方で、

「私はできる限り独自な私でありたいと思います。[…]他人に真似されるのは嫌だし、避けられるなら避けたいけれども、誰かの真似をするくらいなら誰かに真似される方がまだましです。様式に従って素晴らしい人物になるよりも、自分自身の独自性を選んで悪くみられる方が私の性に合っています」

 と精霊に向かって語るように、女帝はそのフェミニスト的な個人主義の生き方を通じて、当時の自然哲学や社会哲学の制度・体系にメスを入れるものであることも強調しておきたい。じっさいページ数で言えば、本書のほとんどは中盤の女帝と霊魂の学問・政治・宗教に関する思弁的な対話によって占められているわけで、作品の主眼は当時極めて限定されていた女性の学問・教育への参入そのものにあると言ってしまってもいいだろう。

 そうしたわけでこの本は最初の「フェミニストSF」あるいは「フェミニスト・ユートピア」とみなされるようになった。けれど個人的には、ユートピア小説としての本書には(中盤の長い自然哲学的な問答が退屈なこと以外にも)不満がないわけでもない。それは、彼女がもといた現実の世界と、この「光り輝く世界」とがほとんど完全に断絶されていて、女帝とキャベンディッシュただ二人が霊魂の形で行き来することしかできないからだ。作者にとって「光り輝く世界」が(帝国主義的な価値観に基づくにせよ)平和と平等に満ちた、ひょっとしたらフェミニスト的な理想郷であるとして、私たちはどうやったらそこに辿りつけるのかというプロセスは、残念ながら本書からは抜け落ちている。イギリスにおいて女性が選挙権を得る200年以上も前に書かれた『光り輝く世界』において、市井の女性による直接的な社会変革はあくまで「空想小説」でしかなかったのだ。

◎「出産」を恐れるのは誰だ?:シェリー『フランケンシュタイン』

 キャベンディッシュが北極点の彼方に、学知と技術の発展に支えられた理想郷を思い描いたおよそ150年後、その北極から科学技術の薄暗い未来を仄めかす手紙が届く。冒険家ロバート・ウォルトンから姉マーガレット・サヴィルへ宛てられたその手紙には、彼が北極点に向かう途中で遭遇した衰弱した男ヴィクター・フランケンシュタインから語り聞いた世にもおぞましい怪物の物語が語られていた――イギリスの小説家メアリー・シェリーによる『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(1818年)はこうして始まる。

 ヴィクターはスイス・ジュネーヴの高位公職者にして慈善家である父アルフォンスと、彼が貧困から救い上げた母キャロリーヌの長男として生まれた。貧しい農村からフランケンシュタイン家に迎え入れられた従妹エリザベスや、親友ヘンリーと共に幼少期を過ごしたヴィクター。彼は生来自然世界への強い好奇心をもっていたが、ある嵐の日に落雷を目撃したことをきっかけに自然科学を志すようになる。生命の謎を解き明かすべく、ドイツ・インゴルシュタット大学で化学を学び始めたヴィクターは、やがて無機物に命を与える方法を発見し、葛藤の末、人間の死体を材料にした怪物を創造する。しかしヴィクターは完成した怪物に強烈な恐怖と嫌悪感を覚え、彼を放棄して作業場を逃げ出す。その数カ月後、弟ウィリアムズが何者かに殺害されたことを告げる手紙が父アルフォンスより届けられる。スイスに戻ったヴィクターは、これが怪物による犯行であることを直観的に推察するが、状況証拠からエリザベスと親しい使用人ジャスティンに嫌疑がかけられ、裁判の末犯人として処刑されることとなる。罪責感に苛まれるヴィクターは、たまたま訪れたモンブランの山中で怪物と遭遇する。怒りに燃えるヴィクターに対し、怪物は自らの辿った不遇な運命を語り始める。

 創造主であるヴィクターに拒絶され、近郊の農民にもその醜悪な容貌から忌み嫌われた怪物は、絶えざる迫害と孤独の中で生き延びていた。やがて一軒の小屋へと身を追われた彼は、近隣に住む貧しくも幸福な家族――盲目の老人デ・レイシーと息子フェリックス、娘アガサ、そして以前彼らに助けられたアラブ人少女サフィ――の生活を覗き見る中でひと時の安らぎを覚え、また彼らの会話や彼らが置き忘れた本から言語を習得していった。彼ら(特に盲目のデ・レイシー)とならば「人間的」な関係が築けるのでは、という怪物の期待はしかし裏切られ、その後も少女を助けようとしたところを襲っていると誤解されるなど、彼の疎外感は癒えることがなかった。彼が偶然に出会ったウィリアムズを殺害したのは、こうした境遇から芽生えた人間全体への、とりわけ創造主ヴィクターへの、強い復讐心からであった。

 「自分の悪徳は押し付けられた孤独の産物だ。対等な誰かと共感や親交を持ち合うことが出来れば、必然的に美徳が生まれてくるはずだ」と怪物は語り、伴侶となる女の怪物を作るように要求する。更なる怪物は世界の荒廃の元となる、とヴィクターは拒否するも、結局は「伴侶を作ってくれれば二度とヨーロッパに足を踏み入れない」と語る怪物に説得され、女の怪物の創造を引き受ける。だが彼女が完成するまさにその直前、ヴィクターの心は恐怖に囚われる。

彼女はその伴侶の一万倍も強い悪意を持ち、殺人や卑劣な行いに悦びを覚えるかもしれない。[…]もし彼らがヨーロッパを去り、新世界の荒野に住まおうとも、あの悪魔が渇望する共感とやらの最初の成果の一つはその子孫だろう。悪魔の種が地に繁殖し、人類の生存そのものを危険で恐怖に満ちたものにしてしまうかもしれないのだ。(筆者訳)

 恐怖に駆られたヴィクターはほとんど完成している彼女を八つ裂きにし、その残骸を海へ投げ捨てる。怪物は当然激高し、復讐のためヴィクターの親友ヘンリーを、そしてヴィクターと婚約していたエリザベスをその結婚式の夜に、殺害する。更なる憎悪から復讐を誓うヴィクターは、怪物を追跡し、北極海まで来たところでウォルトンの船に拾われたのであった。

 ウォルトンからマーガレットへの最後の手紙では、全てを語り終えたヴィクターが復讐をウォルトンに託し、息を引き取ったことが伝えられる。その遺体の前に姿を現した怪物が、ウォルトンに向かって創造主の死を嘆き、北極点で自らを焼いて供儀に捧げるのだと言い残して姿を消したところで、物語は幕を閉じる。

 フェミニズム小説として『フランケンシュタイン』がどういうものなのか一言で語ることは極めて難しい。19世紀に出版されたこのゴシック・ホラー小説に関する批評は、フェミニズム批評が制度化した1970年代以降爆発的に増加し、本書は現在では一種のフェミニスト・アイコンになったと言っても過言ではない。その原因は、

(1)著者シェリーの伝記的背景
ラディカルな社会思想家の両親の娘として生まれ、詩人パーシー・シェリーと結婚したメアリーは、両親の政治思想に共感はしていたが、同時に著作家として複雑な劣等感を抱いていた。また母はシェリーを出産した10日後、産褥病により死去。シェリー自身も一人の子を流産、二人の子を乳幼児期に亡くしている。なお本作執筆中も彼女は妊娠中であった。

(2)「創造・再生産」という作品の主題それ自体
(3)ゴシック小説それ自体への文学的関心の高まり

 などにあると言っていいだろう。

 素朴で伝記的な読みをするならば、この小説は(シェリー自身も感じたであろう)妊娠・出産に対して女が覚える強烈な不安や恐怖それ自体についての作品だ、と言うことができるかもしれない。けれど多くのフェミニストはむしろ、ヴィクターの野心が「女なしでの再生産」を目指すものであることや、「花嫁」を作ってほしいという怪物の要求に対して彼が感じる、「女の怪物は、この醜悪な怪物ではなく、より美しい人間の男を選ぶのではないか」というおそれや、先ほど引用した「怪物の夫婦が子孫を作ること」への恐怖に注目した(ヴィクターが女の怪物を殺害するシーンは、かなり露骨に堕胎を思わせる書き方をされている)。つまり、『フランケンシュタイン』が性にまつわる寓話であるとすれば、その核にあるのは、「コントロール不能な女の欲望」に対する異性愛の男のミソジニックな恐怖や、「妊娠・出産という再生産を管理しなければ自分の存在が危うくなるのではないか」という家父長主義的パラノイア(偏執的な妄想)――おそらくは、異性愛の男は「生まれてくる子供が自分のものである」という確信が最終的には得られないことに由来する――だ、というわけだ。

 もちろんこうした「出産への恐怖」以外にも、複雑な物語構造や、ヴィクター・ヘンリーなどの男性同士の絆やエリザベス・ジャスティンなどの女性同士の絆、「科学」のジェンダー性(大学という「公の場」ではなく、家という「私の場」で、しばしば妻に手伝われながら実験をすることは、作中のヴィクターだけでなく、当時の科学者にとって珍しくないことだった)といった問題もフェミニズムにとって重要な問いであることは間違いない。これらの読みがどこまで説得的で正統なものかは議論の余地があるところだし、そもそも保守的なジェンダー観を持ったシェリーのこの作品をフェミニスト小説だと言えるのか問題視する声も少なくない。

 けれど一つ確かなことは、当初匿名で出版されたこのゴシック・ホラーSFは、作品全体がウォルトンから姉マーガレットに宛てられた手紙という構成を取っていることからも明らかなように、女に向いて書かれたものである、ということだ。『フランケンシュタイン』がフェミニズムSFとして重要であるのはひとえに、この小説が突きつける出産・生命倫理といった問題が今なお「女」という読者にとって切実な問題であり続け、またそれを取り扱う作品の手つきが、一つの単純な読みに還元できない、複雑で文学的豊かさを持ったものであるために他ならない。

 『光り輝く世界』が提示した、『フランケンシュタイン』における「再生産にまつわる恐怖」という問題は医療技術が発達した現在でも切実さを失わない。けれど、現在私たちは、これらの問題を現実の社会問題として語る言葉を――人権法、社会学、生命倫理などの、より「リアル」な言葉を持っている。では、「女」が語るうえで、あるいは「女」を語るうえで、サイエンス・フィクションという言葉が持つ重要性とは何なのだろうか? 続く回では引き続きフェミニストSFの系譜を辿りながら、この問題を問い続けて行こう。
(Lisbon22, special thanks to A.I)

のびのび☆小陰唇ストレッチ 大きな花びらで攻めのビューティ

 人類がまんこに加えてきた、美白・脱毛・装飾などなどの“まんこカスタマイズ”の歴史をふりかえる連載「まんこカスタマイズAtoZ」。今回は、「小陰唇ストレッチ」のお話です。(連載・全10回予定)

 まんこにも、トレンドがあるんです。まんこにスタンダードはないんです。

 「小陰唇」……内側の小さいビラビラの正式名称。これで検索すると、どこもかしこも、小さくする手術の話しかしていないのがわかります。大きな花びらも小さな花びらも、それぞれに美しいはずなのに――小さく咲くことがトレンドとされる社会的プレッシャーのもとで、切り落とされた花びらはいったいどれほどになることでしょうか。

 小陰唇は、まさに花です。普段は閉じていますが、性的に興奮すると、色鮮やかにふくらんで開きます。そんな小陰唇が大きいのは美しいことだ、と感じる人々もいるのでは? と思って調べたところ……やっぱり、あったんです。

大きいことはいいことだ! アフリカ伝統・小陰唇ストレッチ

 ラビア・エロンゲーション――現地語で「ククナ・イミチノ」。ルワンダやコンゴ共和国など、アフリカ中部の国々を中心に行われてきた、小陰唇を大きくするための伝統的手法です(※1, 2)。……というとなんか難しいことするのかと思いますが、具体的にはこんなことをします。

・引っ張る。
・重りをつけておく。

 シンプルです。重りはともあれ、引っ張るだけなら簡単にマネできそうですね。この引っ張る手法を、ラビア・ストレッチング……小陰唇ストレッチと呼びます。肌を柔らかくするため、伝統的には薬草を、近年はワセリンを使うこともあるそうです。

 この習慣は、西洋の学者たちの記録を頼れば、17世紀ごろにはすでに存在したと考えられます。こちらは、19世紀、南アフリカのコイサン人の女性たちの写真です。

 古い写真なので少しわかりにくいですが、ちょこん、って花びらをのぞかせているのがおわかりいただけると思います。個人差はありますが、大きさとしては前から見ても見えるくらい大きく、だいたい根元から10センチメートル前後まで育てることを目指しての小陰唇ストレッチが行われてきたそうです。

 そもそも、なぜ大きくするのかっていうと……

小陰唇は大きい方がいいと考えられた理由

 まぁ、簡単に言えばそれがトレンドだからです。現代の日本で「小さい方がいい」っていう声のほうが大きいのと同じように、アフリカでは「大きい方がいい」っていう声が昔から大きかったからそうされてきた、ってことですね。

 では、「いい」とは、誰にとっての「いい」なのでしょうか?

 それが女性器の持ち主自身のためなのか、そうでないのかということは、まんこカスタマイズを考えるにあたっての永遠のテーマです。もちろん人それぞれでしょうが、だいたいアフリカの小陰唇ストレッチの場合は、「お互いのため。小陰唇は大きい方がセックスの時に気持ちいい」ということで行われてきたといいます。男性だけでなく、女性の快感のためにも、ということですね。また、美の観点からも、小陰唇ははみ出している方がセクシーだとされてきました。

 ザンビア共和国でジェンダーに関する課題に取り組む、チャンダ・カトンゴさんの調査(※3)によれば、小陰唇ストレッチを受けた人々はこんなふうに語っているそうです。

「(大きな小陰唇は)アクセサリーのようなもの」
「自信の源、私の誇り」
「彼も私も気持ちいい」

 小陰唇ストレッチを受けた人々が、そのことにプライドを持てる、そのおかげで性的快感を得られるというならば、それは文句のつけようもないことでしょう。

 ところが、中にはこんなふうに告白する人もいます。

「小陰唇ストレッチを受けないと結婚できないと言われ、小さいころから女性親族に小陰唇を引っ張られて育った」
「小陰唇がうまく育っているかのチェックと称して、叔母に何度も女性器を調べられた」
「小陰唇ストレッチは彼の浮気防止のため」
「痛かった」

 痛いんだ。そう思って引っ張ってみましたが、確かに痛いです。やさしく引っ張ったとしても、なんていうかイヤな感じですね。小陰唇をお持ちでない方にお伝えするならば、「舌を引っ張られる」みたいな感じでしょうか? まぁ、人間、美のためなら耳たぶに穴を開けたりもするので、「おっきくしたーい!」と思っている人は小陰唇ストレッチも全然耐えられるのでしょうが。

 それにしても。大好きなパートナーにプレイの一環としてやられるならともあれ、「やらないと結婚できないよ!!」とか言われながら親戚に引っ張られる小陰唇ストレッチとか、地獄。地獄でしかない。そんなことを無理矢理やられようものなら、私なら蹴りますね。鼻を。

そうさ まんこは 世界に一つだけの花

 ひとりひとり違う小陰唇を持つ私たちは、その花を咲かせることだけに一生懸命になればいいのではないでしょうか。小さい花が美しい、と日本や西洋諸国では言います。大きい花が美しい、とアフリカでは言います。そんなものは単なるトレンドでしかありません。ところ変われば、時代が変われば、簡単に移り変わってしまう不確かなものです。

 「大きく咲かせたいな」って小陰唇ストレッチをすることも、「小さく咲かせたいな」って小陰唇縮小術を受けることも、ひとりひとりの自由でしょう。ただ、「そうしないと結婚できないよ」「そうしないと気持ちよくない」などと、他人が人の体をどうするかに口を出すことは、相手を意志ある個人として尊重しない無礼な態度です。

 小陰唇ストレッチの習慣は、現代にも続いています。これについてはアフリカ内外の研究者が、医学・社会学・文化人類学ほか様々な観点から研究を重ねており、少なくとも「小陰唇ストレッチ=悪」とか「小陰唇ストレッチ=善」とか一概に断じるような声はあまり上がらなくなってきました。悪いのは小陰唇ストレッチそれ自体ではなく、それを強制することだ、というわけですね。

 のびのびしても、きゅっとしても、そのままでも。

 自分の花をどう咲かせるかくらい、自分で決めていきたいものですよね。

【参考文献】

※1……Annalissa Bertoletti et al. “Stretching of the Labia Minora and Other Expansive Interventions of Female Genitals in the Democratic Republic of the Congo (DRC)”, 2010 http://link.springer.com/chapter/10.1007%2F978-90-481-9446-9_13
※2……Marian Koster, “Rwandan female genital modification: Elongation of the Labia minora and the use of local botanical species”, 2008 http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/13691050701775076
※3……Chanda Katongo, “Elongation of the Labia Minora: A Violation of women’s bodily autonomy”, 2014 http://www.osisa.org/buwa/regional/elongation-labia-minora-violation-women%E2%80%99s-bodily-autonomy