フェミニズムは男への復讐が最終目的ではないと教えてくれる映画『駆込み女と駆出し男』

大泉洋と戸田恵梨香主演の『駆込み女と駆出し男』。公開時に見たときは、フェミニズムを感じさせるラブ・ストーリーだと思っていました。ところが、今回見直して見たら、印象ががらっと変わりました。

開始直後に流れる、縄で縛られてどこかへ連れて行かれる大勢の女義太夫たちのカット。彼女たちは路上で芸を披露して風紀を乱したとして、さらし首にされることになっていたのでした。女義太夫たちは、この物語に直接的な関係を持つ人たちではありません。それでも冒頭にこのカットを入れてくるということは、江戸時代、そしてこの映画を見る現代の女性たちには、理不尽に縛られている部分があるいうのを示唆するものだと考えていいでしょう。

この映画の舞台は1841年の江戸時代です。当時は、男性から離縁をつきつけることができても、女性からは離縁を申し出ることができませんでした。そこで、離縁をしたい女性たちは、幕府公認の「駆け込み寺」であった鎌倉の東慶寺に向かいました。東慶寺への駆け込みに成功すると、女性たちは御用宿である柏屋で聞き取り調査を受けます。そこで離縁するに値する事情があると判断されれば、夫と離婚の交渉が始まり、それでもまとまらない場合は、東慶寺で二年間を過ごし、離婚を成立させるのでした。

鉄屋の女将のじょご(戸田恵梨香)は、夫の代わりに鍛冶場を取り仕切る働き者で、日々、炉の火を管理しているため顔に火ぶくれの跡がありました。ある日、夫の浮気や放蕩に耐えられなくなったじょごは、「お暇が欲しい」と切り出します。働くじょごのことを、「男を顎で使うのがうれしくてたまらねーんだこの火ぶくれは」となじる夫でしたが、同時に「はま鉄屋にはお前の技術が必要」と引き止めます。それでも、じょごの決意は固まっていました。

じょごは決して男を顎で使うタイプの女性ではありません。むしろ腕の良い職人として、鍛冶場の男性たちにも信頼されていました。じょごが働かないと自分は食べられないくせに、女が働くことを女だてらにと非難する夫の様子からも、夫の性質がにじんでいます。酷い仕打ちを受け、駆け込み寺に向かうか悩んでいたじょごが、ご先祖様の霊前で語る「ええ鉄は見分けがつく、でも男は見分けはつかねえ」という言葉が染みます。

◎フェミニズム映画「駆込み女と駆出し男」

じょごは、駆け込みに向かう道中で、同じく駆け込みに向かう途中だったお吟(満島ひかり)と出会います。足をくじいたお吟を荷車に載せるときも、無駄な動きがなく、お吟から「何から何まで手際がいいねえ」と言われるじょご。彼女が何事においても手順が見えていて、何をすべきかの判断のできる聡明な女性だとわかります。

ところが、駆け込みが成就して柏屋での聞き取りが始まった途端、じょごは、おどおどしてうまくしゃべれなくなってしまいます。また、柏屋に居候中の医師見習いで戯作者見習いの信次郎(大泉洋)が、顔の火ぶくれを治療しようと薬を塗ろうとすると、おびえて怒り出す始末。その光景は、怯えた猫が「シャー!」と威嚇するようにも見えました。

そんなじょごですが、あるきっかけで、元々持っている聡明さを発揮するシーンがあります。信次郎が江戸の風呂屋で曲亭馬琴に遭遇したときの話を聞いたじょごは、自分と馬琴、そして祖父との縁について語り始めます。最初は、思いついたことを思いついたままに話しているだけで、うまく伝えるということのできないじょごでしたが、次第に活き活きと当時を思い出し語るようになります。その話は、戯作者を目指す信次郎に迫るほどの達者さで、それを聞いた柏屋の主・源兵衛(樹木希林)は、「話を全部、心で覚えているのね」と感心するのです。

このシーンで、信次郎はじょごの話に興味を持ちすぎて、矢継ぎ早に質問しようとするのですが、源兵衛や柏屋で働くお勝(キムラ緑子)は、じょごの話をかみ砕き、話しやすいように引き出していきます。そのことによって、じょごの気持ちがほぐれ、本来持っていた聡明さが開花します。抑圧されてきた女性の中には、言葉を発することに恐怖心を持つ人もいます。「何を言ってるかわからない」「もっとちゃんとしゃべれ」と煽るのではなく、「あなたの話に興味がり、それを理解したい」という態度をとれば、本来の能力を発揮するということがあるのだなと気づかされます。

聞き取りが終わり、東慶寺に入ってからのじょごは、ますます「仕事」において能力を発揮します。病気になったお吟の病状を克明に記し、薬草の知識を積極的に身につけ、薬を煎じる技術も上達していきます。環境のせいで、学ぶことができなかったり、その能力を認められなかった人が、少しずつ学び、知識を身につけていく姿にはぐっときてしまいます。

映画の後半になると、じょごは、強くて頼もしい女性になっています。それは、演出からも感じられます。一般的に、男性の背中が大きいという表現は褒め言葉として使われますが、女性の背中が頼もしいという表現は、あまり褒め言葉にはなりません。ところが、じょごの背中は小さいけれど頼もしい、そう思える瞬間があるのです。その背中を信次郎はただ見ていました。

じょごは、彼女自身の手で、女たちの悲しみを断ち切ります。その断ち切り方をあからさまに描けば、復讐の物語として観客にカタルシスを与えることもできたでしょう。でもこの映画では、その復讐の部分がことさら克明ではなかったために、一度映画を見ただけでは、その意味に気づかないくらいでした。ところが、二度、三度と見ていくと、この映画に書かれているじょごや女性たちの怒りは軽いものではないことがわかるのです。

この作品は、一見しただけでは気付きにくいけれど、はっきりと女性たちの痛みと怒りを描いたフェミニズム映画です。そして、この映画のフェミニズムは、単に男に復讐することが最終目的ではないし、人を好きになる気持ちも否定していない。そして何より、女には復讐をした先の人生のほうがもっと大切なんだということも教えてくれるのです。

◎信次郎はなぜ偽善者に見えないのか

そんな映画の中で、大泉洋演じる信次郎の立ち位置は、本来、難しいものかもしれません。女性たちに寄り添っている姿が偽善的に見えたり、あるいは実は自分を肯定するためであるように見えたりしてしまうこともあるからです。フェミニズムに寄り添う男性がときに偽善的に取られるのと同じでしょう。

それでも、信次郎が受け入れられるのは、じょごを含めた女性たちを自らが救うという上から目線にないところにあるでしょう。また信次郎は「女はこうであれ」という思い込みでは見ていません。じょごの火ぶくれを治そうとするのも、「女は顔に傷があってはいけない」という理由からではなく、じょごの夫が、自身の能力のなさからじょごに嫉妬して、示談の際に彼女の弱みである顔の火ぶくれを責めるだろうと考え、火ぶくれを治してから夫と談判するほうが有利になると判断したのです。信次郎の話を聞いて、半ば自暴自棄だったじょごの顔が、ぱっと明るくなったのは印象的でした。

また、信次郎は見習い医者だけでなく、戯作者見習いでもあります。そして、戯作者(フィクションを描く人)であるということは、自分のついた嘘が良い嘘でないといけないし、物語というものの可能性を信じていないといけないと考えているように見えます(それは前回の『ヘイトフル・エイト』のテーマにもつながります)。言葉の可能性を信じ、そのことで自分と人を救いたいという意味で一本筋が通っているからこそ、偽善者には見えなかったのかもしれません。それは、柏屋に乗り込んできたヤクザの親分(橋本じゅん)を追い払う場面での見事な啖呵が実は作り話であったり、東慶寺で想像妊娠をしたおゆき(神野三鈴)を巧みな話術と機転で治療し、それを見ていた東慶寺の駆込み女たち全員に「つらい立場にあるのは自分のせいだと思い込んで、自分を罰することはない」と納得させる場面からもわかります。

信次郎は決して完璧な男というわけではありません。江戸を怖がるヘタレだし、子供じみた部分もあり、源兵衛やお勝からも突っ込まれるときもある。でも、信次郎が信頼のおける人物であるということは、最初から描かれていました。冒頭の女義太夫が縛られているシーンで、信次郎はその光景に憤りを感じ、「楽しいことは全部悪いことかい?」と野次り、江戸の町を追い出され、駆け込み寺に身を置くことになっていたのでした。監督は、時代設定をわざわざ天保の改革にあわせたそうです。このファーストカットを何度目かに見て初めて、江戸の女性たちの置かれた状況と、天保の世の中で、息苦しさを感じている信次郎がシンパシーを感じる関係性だとわかったのです。

フェミニズムは男への復讐が最終目的ではないと教えてくれる映画『駆込み女と駆出し男』

大泉洋と戸田恵梨香主演の『駆込み女と駆出し男』。公開時に見たときは、フェミニズムを感じさせるラブ・ストーリーだと思っていました。ところが、今回見直して見たら、印象ががらっと変わりました。

開始直後に流れる、縄で縛られてどこかへ連れて行かれる大勢の女義太夫たちのカット。彼女たちは路上で芸を披露して風紀を乱したとして、さらし首にされることになっていたのでした。女義太夫たちは、この物語に直接的な関係を持つ人たちではありません。それでも冒頭にこのカットを入れてくるということは、江戸時代、そしてこの映画を見る現代の女性たちには、理不尽に縛られている部分があるいうのを示唆するものだと考えていいでしょう。

この映画の舞台は1841年の江戸時代です。当時は、男性から離縁をつきつけることができても、女性からは離縁を申し出ることができませんでした。そこで、離縁をしたい女性たちは、幕府公認の「駆け込み寺」であった鎌倉の東慶寺に向かいました。東慶寺への駆け込みに成功すると、女性たちは御用宿である柏屋で聞き取り調査を受けます。そこで離縁するに値する事情があると判断されれば、夫と離婚の交渉が始まり、それでもまとまらない場合は、東慶寺で二年間を過ごし、離婚を成立させるのでした。

鉄屋の女将のじょご(戸田恵梨香)は、夫の代わりに鍛冶場を取り仕切る働き者で、日々、炉の火を管理しているため顔に火ぶくれの跡がありました。ある日、夫の浮気や放蕩に耐えられなくなったじょごは、「お暇が欲しい」と切り出します。働くじょごのことを、「男を顎で使うのがうれしくてたまらねーんだこの火ぶくれは」となじる夫でしたが、同時に「はま鉄屋にはお前の技術が必要」と引き止めます。それでも、じょごの決意は固まっていました。

じょごは決して男を顎で使うタイプの女性ではありません。むしろ腕の良い職人として、鍛冶場の男性たちにも信頼されていました。じょごが働かないと自分は食べられないくせに、女が働くことを女だてらにと非難する夫の様子からも、夫の性質がにじんでいます。酷い仕打ちを受け、駆け込み寺に向かうか悩んでいたじょごが、ご先祖様の霊前で語る「ええ鉄は見分けがつく、でも男は見分けはつかねえ」という言葉が染みます。

◎フェミニズム映画「駆込み女と駆出し男」

じょごは、駆け込みに向かう道中で、同じく駆け込みに向かう途中だったお吟(満島ひかり)と出会います。足をくじいたお吟を荷車に載せるときも、無駄な動きがなく、お吟から「何から何まで手際がいいねえ」と言われるじょご。彼女が何事においても手順が見えていて、何をすべきかの判断のできる聡明な女性だとわかります。

ところが、駆け込みが成就して柏屋での聞き取りが始まった途端、じょごは、おどおどしてうまくしゃべれなくなってしまいます。また、柏屋に居候中の医師見習いで戯作者見習いの信次郎(大泉洋)が、顔の火ぶくれを治療しようと薬を塗ろうとすると、おびえて怒り出す始末。その光景は、怯えた猫が「シャー!」と威嚇するようにも見えました。

そんなじょごですが、あるきっかけで、元々持っている聡明さを発揮するシーンがあります。信次郎が江戸の風呂屋で曲亭馬琴に遭遇したときの話を聞いたじょごは、自分と馬琴、そして祖父との縁について語り始めます。最初は、思いついたことを思いついたままに話しているだけで、うまく伝えるということのできないじょごでしたが、次第に活き活きと当時を思い出し語るようになります。その話は、戯作者を目指す信次郎に迫るほどの達者さで、それを聞いた柏屋の主・源兵衛(樹木希林)は、「話を全部、心で覚えているのね」と感心するのです。

このシーンで、信次郎はじょごの話に興味を持ちすぎて、矢継ぎ早に質問しようとするのですが、源兵衛や柏屋で働くお勝(キムラ緑子)は、じょごの話をかみ砕き、話しやすいように引き出していきます。そのことによって、じょごの気持ちがほぐれ、本来持っていた聡明さが開花します。抑圧されてきた女性の中には、言葉を発することに恐怖心を持つ人もいます。「何を言ってるかわからない」「もっとちゃんとしゃべれ」と煽るのではなく、「あなたの話に興味がり、それを理解したい」という態度をとれば、本来の能力を発揮するということがあるのだなと気づかされます。

聞き取りが終わり、東慶寺に入ってからのじょごは、ますます「仕事」において能力を発揮します。病気になったお吟の病状を克明に記し、薬草の知識を積極的に身につけ、薬を煎じる技術も上達していきます。環境のせいで、学ぶことができなかったり、その能力を認められなかった人が、少しずつ学び、知識を身につけていく姿にはぐっときてしまいます。

映画の後半になると、じょごは、強くて頼もしい女性になっています。それは、演出からも感じられます。一般的に、男性の背中が大きいという表現は褒め言葉として使われますが、女性の背中が頼もしいという表現は、あまり褒め言葉にはなりません。ところが、じょごの背中は小さいけれど頼もしい、そう思える瞬間があるのです。その背中を信次郎はただ見ていました。

じょごは、彼女自身の手で、女たちの悲しみを断ち切ります。その断ち切り方をあからさまに描けば、復讐の物語として観客にカタルシスを与えることもできたでしょう。でもこの映画では、その復讐の部分がことさら克明ではなかったために、一度映画を見ただけでは、その意味に気づかないくらいでした。ところが、二度、三度と見ていくと、この映画に書かれているじょごや女性たちの怒りは軽いものではないことがわかるのです。

この作品は、一見しただけでは気付きにくいけれど、はっきりと女性たちの痛みと怒りを描いたフェミニズム映画です。そして、この映画のフェミニズムは、単に男に復讐することが最終目的ではないし、人を好きになる気持ちも否定していない。そして何より、女には復讐をした先の人生のほうがもっと大切なんだということも教えてくれるのです。

◎信次郎はなぜ偽善者に見えないのか

そんな映画の中で、大泉洋演じる信次郎の立ち位置は、本来、難しいものかもしれません。女性たちに寄り添っている姿が偽善的に見えたり、あるいは実は自分を肯定するためであるように見えたりしてしまうこともあるからです。フェミニズムに寄り添う男性がときに偽善的に取られるのと同じでしょう。

それでも、信次郎が受け入れられるのは、じょごを含めた女性たちを自らが救うという上から目線にないところにあるでしょう。また信次郎は「女はこうであれ」という思い込みでは見ていません。じょごの火ぶくれを治そうとするのも、「女は顔に傷があってはいけない」という理由からではなく、じょごの夫が、自身の能力のなさからじょごに嫉妬して、示談の際に彼女の弱みである顔の火ぶくれを責めるだろうと考え、火ぶくれを治してから夫と談判するほうが有利になると判断したのです。信次郎の話を聞いて、半ば自暴自棄だったじょごの顔が、ぱっと明るくなったのは印象的でした。

また、信次郎は見習い医者だけでなく、戯作者見習いでもあります。そして、戯作者(フィクションを描く人)であるということは、自分のついた嘘が良い嘘でないといけないし、物語というものの可能性を信じていないといけないと考えているように見えます(それは前回の『ヘイトフル・エイト』のテーマにもつながります)。言葉の可能性を信じ、そのことで自分と人を救いたいという意味で一本筋が通っているからこそ、偽善者には見えなかったのかもしれません。それは、柏屋に乗り込んできたヤクザの親分(橋本じゅん)を追い払う場面での見事な啖呵が実は作り話であったり、東慶寺で想像妊娠をしたおゆき(神野三鈴)を巧みな話術と機転で治療し、それを見ていた東慶寺の駆込み女たち全員に「つらい立場にあるのは自分のせいだと思い込んで、自分を罰することはない」と納得させる場面からもわかります。

信次郎は決して完璧な男というわけではありません。江戸を怖がるヘタレだし、子供じみた部分もあり、源兵衛やお勝からも突っ込まれるときもある。でも、信次郎が信頼のおける人物であるということは、最初から描かれていました。冒頭の女義太夫が縛られているシーンで、信次郎はその光景に憤りを感じ、「楽しいことは全部悪いことかい?」と野次り、江戸の町を追い出され、駆け込み寺に身を置くことになっていたのでした。監督は、時代設定をわざわざ天保の改革にあわせたそうです。このファーストカットを何度目かに見て初めて、江戸の女性たちの置かれた状況と、天保の世の中で、息苦しさを感じている信次郎がシンパシーを感じる関係性だとわかったのです。

まるで三代目? ワイルドなのに可愛い人気ホスト・南涼くんと迎える休日の朝☆

 ホストといえば、どこで売っているのかよく分からないスーツにビジュアル系バンドのようなM字型前髪と盛りヘアー&長い襟足が定番ですが、どうやら今、歌舞伎町を中心にこれまでにない、ジャニーズのように爽やかでモデルのようにオシャレなホストが出現している模様。その名も、「ネオホスト」。

 夜の世界に生きながらもそれを感じさせない彼らには、街のネオンよりも朝の木漏れ日こそがふさわしい——ということで、“夜の新人類”を追うネオホスト調査隊が、彼らの素顔を直撃取材! 寝起きから着替え、そしてシャワー(!)まで、ホストクラブでは見せない彼らの素の魅力をグラビアと一問一答でお届けしま〜す!

 「男らしくてカッコ良いのに可愛いんです!!!」ネオホスト雑誌『Y+』(カラークリエイト)編集部が大プッシュ中のホスト・南 涼(みなみ りょう)さんの登場です! 「よろしくお願いしますっ」と人懐っこくて柔らかい笑顔で挨拶してくれたかと思えば、いざカメラを向けるとワイルドなキリっとした表情に……まるで三代目● Soul Brothersのガンちゃんのような容姿ギャップの持ち主。さ・ら・に。ちょっと放おっておくと、パンツ一丁でお尻側に手を突っ込んでフラフラ歩き出したり(写真アリます↓)、ベッドで枕を抱えだしたり(写真アリます↓)、湯水のごとく可愛い一面が溢れ出しました。そんなリラックスしまくりの涼くんと迎える“休日の朝”をとくとご覧あれ~!

<南涼くんグラビアはmessyよりお楽しみください☆>

【ネオホストファイル No.7】

名前
南 涼(みなみ りょう)

店名
STELA(幹部補佐)

年齢
22歳

出身
大阪府

生年月日
1991/6/10

血液型
O型

よく遊ぶ場所
渋谷、表参道

源氏名の由来
本名です!

前職
中学時代から『men's egg Youth』や『men's knuckle』でモデルをしつつ、大阪で携帯電話の営業をしてました!

ホストになろうと思った一番の理由
お金が欲しかったので!

ホストになって最大の成功と失敗
【成功】
1カ月で1800万円の売上を上げたこと

【失敗】
一度、多額の売掛を飛ばれた(未払いのまま、連絡が付かない状態)!

涼さんの売り/営業スタイル
マメスタイル
(とにかくマメです!)

自分がイケメンだと気づいた時期/出来事
ホストをしてから確信に変わりました!

"俺のモテ伝説"があったら教えてください
ホストを始めて、1カ月目にナンバーワンを取ったこと!

好きな女性のタイプ
【芸能人】
北川景子さん

【タイプの詳細】
すべて!

初体験について
【いつ】
中学二年生の夏休み

【どこで】
実家

【誰と】
彼女

【感想】
「こんなもんか!」

最後にセックスした日
4カ月前……。

最後にオナニーした日/頻度
一週間前です! 頻度は適当です!

オナニーのおかず
Xビデオ!!!

あなたはAV男優です。なんというタイトルの作品に出たい?
『馬用興奮剤を飲んだ涼が中田氏ぐちょぐちょ種つけプレス』

乙武不倫騒動に、あらためて問う「妻が夜の営みを拒否したら、夫が外でするのは“仕方のないこと”なのか」

 不倫の事実を認め、「当面は家族と向き合うことに専念する」として仕事の自粛を表明した、乙武洋匡さん(39)。15年前に2歳年下の仁美さん(37)と結婚し、ふたりの間には幼い3人の子供たちがいる。不倫をめぐる一連の報道では、乙武さんがいかに女好きの女たらしであるかが伝えられ、過去に関係を持ったという女性たちが暴露合戦をしている。一部ネット上では先天性四肢切断という障害を抱える乙武さんが、「いかにして性行為をおこなっていたのか」に注目が集まり、下ネタで盛り上がっている。

 なかなか収束しなかったのは、不倫をスクープした「週刊新潮」(新潮社)の発売直前、乙武さんがメディア発表した謝罪文の最後に、妻・仁美さんが「妻である私にも責任の一端がある」としたためたことも大きかった。<夫の不貞について妻が責任を感じ謝罪する必要などない>と批判する論調や、<事態を収拾するため妻のコメントを出すなんて戦略的><乙武は気弱な妻を洗脳している>といったものまで、様々な感想がネット上に並び、全体としてはいっそう乙武批判が強まった印象だ。

 そんななか、3月31日発売の週刊誌ではこぞって妻のコメント取りに動いた。「週刊文春」(文藝春秋)では、『乙武妻仁美さん独占告白「主人の世話から解放される時間が欲しいと…」』。同誌から取材の申し込みを受けた仁美さんは、「私自身が子育てに精一杯で、心身ともに疲れきっており、主人の世話から少しでも解放される時間が欲しいと思ったのは事実でした」。「女性セブン」(小学館)では一問一答に応じるかたちで、「子供を育てる中で、手足のない体をぞんざいに扱ってしまったことで、彼がとても屈辱的な思いをしたこともあったと思います」。

 「週刊新潮」は、前週号で直撃した乙武さんから引き出していた言葉を、あらためて選りすぐり掲載している。乙武さんは3~4年前に妻から突然「外で子供だけは作らないでくださいね」と言われて不倫はすでに妻にバレていると察知したこと、8年間にわたり様々な女性と不倫関係を持つ中で何度も「不倫を断ち切ろうと思った」ことなどを饒舌に語っていたようだ。子供を育てる中で夫婦関係が疎遠に、つまり妻とセックスレスになっていったこと、そして「(妻は自分と違って)子育てに翻弄されない夫婦生活を取り戻したいとは思っていないのかなと考えてしまったことも」あり、妻と別れて不倫相手とどうこうなりたいわけではなく「妻と元の関係に戻れたらどんなにいいんだろうとずっと思って」いたそうである。見逃せないのは、「孤独に耐えていかなきゃって、自分に言い聞かせてきましたけど……」という部分である。乙武さんは、子供たちが誕生したことで、家庭内で孤独になったと感じていたのだ。そしてその孤独に耐えられず、家の外で愛情を注いでくれる女性を複数求めた。これは、障害者である乙武さんだから特別に感じた孤独というわけではあるまい。婚外セックスに励む多くの一般男性たちが繰り出す“言い訳”として、「妻が子供にかかりきりになって、孤独で……」というのは驚くほどよく使われる。

◎射精は必須事項なのか

 基本的に、妊娠・出産は、夫婦の合意あってのものである。つまり、夫側も妻が母親になり自分が父親となること、家族が増えることによって生活が変化することを理解しているはずだと、女性側は考えがちだ。ところが実際には、夫婦両方の「こう変わるはずだ」という思い込みはズレている。意外なほど、「子供を産んで妻が変わってしまった」と嘆く男性は多く、「子供が産まれたのに夫が変わってくれない」と嘆く女性も多い。そして夫婦間がすれ違い、セックスレスに……当サイトでもこの問題についてはたびたび扱われている。

■産後のセックスを拒否される妻の苦悩と夫婦間の問題

■「風俗禁止でセックスレスはきつい」新米パパの性欲/林さん(仮名・32)

■婚外セックスで不倫を予防せよ!? 当事者心情を無視した「不倫学」の不思議

 しかしいつも疑問に思うのは、夫側に「したいけど、数年間は我慢する」という選択はあり得ないものか、ということだ。「したいけど、妻はしてくれない」→「なので、よそで解消します」。この流れに「まあそうなるよね」とは頷けないのである。

 夫は妻とセックスしたいのに拒否される。妻が子供にかかりきりで疎外感を感じる。そりゃあ悲しい気持ちになるだろう。「いやいや感じるな、悲しくなるな」と言っても無理である。だけど現時点で行為をしたくない、できない理由があって、そうなっているわけである。相手のことを嫌いになってもう二度としたくないというわけでないなら、その「理由」が解消されれば、またセックス頻度が上がる日が来るのではないか。そう受け止めて、しばらくの間は頻度が低くても我慢するわけにはいかないのだろうか。

 男性は日々精子が製造されて溜まっていくという身体構造上、「出す」つまり射精することが必須であるという共通認識がある。しかし実際には、出さなくとも病気になったり死んだりはしない。夢精するぐらいだ。それとも食欲や睡眠欲と同様に、性欲は解消されなければ命にかかわる欲求なのだろうか?

 なぜ私たちは「男性は定期的な射精が必要」と思い込んでいるのだろうか。男性は種をばらまきたい生き物だから本能で不倫をするのだとか、女性も夫以外の男性の子を孕みたいから不倫をするのだとか、いずれも「思い込み」の域を出ず、本質ではない。

育児に奮闘する妻をいたわり我慢をするのが良い夫だとか、夫の気持ちを慮ってセクシャルな関係を拒絶しないのが良い妻だとか、そうした「正しいあり方探し」をしたいわけではまったくない。そうではなくて、「男性は我慢できないものなんだ」という社会の共通認識を疑い、今一度あらためて検証しても良いのではないか、ということだ。

 再び乙武さんの話に戻ると、彼は「僕は一晩に何回でもできる」と性的な強さを誇示していたというが、射精や性行為は、男性の“自信”に大きな影響を及ぼしている。だからこそ拒絶されると深く傷つくのだろうが、そこに依拠した男らしさに、果たして何の意味があるのか。射精だけでなく、「女性を悦ばせる」「多くの女性に求められる」といった要素も男性は誇りに思う傾向にあり、女性経験の貧困さは嘲りの対象になる。こうして形作られている男らしさや男の自信について、問い直すべきときが来ていると思う。

究極のカスタマイズ! 世界にひとつだけのバイブレーターを手作りしてみた

 理想のバイブとは? と訊かれるといつも返答に詰まる私ですが、バイブを自分好みに「カスタマイズ」できればそれがベストでしょう。でも、いまのところ現実的ではありません。そこで、国内外合わせるとかなりの数になるバイブのなかから「自分に合う1本」を見つけていくわけですが、これが実はむずかしい。素材がよくても大きすぎたり、いい動きをしてくれるのに見た目がエグかったり……。すべての条件をクリアするものには、何年経っても出会えません。

 広い世界にはこうして私と同じく「自分の理想を追求したい!」という願望を持つ女性が少なからずいるようで、そのニーズに応えて「じゃあ、見た目だけでも自分の好みを追求してみる?」と提案する商品も存在します。

 トップ画像の「MY TOY」は、オリジナルバイブを作るためのキット。自分でデザインを決め、自分の手でシリコンをこね、それで成形して世界でただひとつのバイブを作ります。同梱されているのは、

 これだけ。シリコン製のバイブって総じてお高いイメージがありますが、えっ、こんなシンプルなキットで1本作れちゃうの? と私も驚きました。

 このキットの存在は以前から知っていましたが、なかなか手が出なかったのは、何を隠そう、私が超絶不器用だからです。そして、造形のセンスがゼロ。小学校のときから図画工作、美術はずっと通知票で「2」でした。いまは絵を描く機会すらありませんが、私が筆を手に取れば、「アメトーーク!」の絵心ない芸人さんたちに遜色のないレベルの仕上がりになることはまちがいありません。

◎どんなバイブができるかな?

 でも、ふだんからバイブのフォルムをあーだこーだ批評している私。口でいうだけなら簡単ですが、ここらでバイブの造形ってどんな苦労があるのか知っておくのは悪くない体験です。いつの日か、カスタマイズ・バイブを作れる日が来たら、この体験が役立つかもしれません。

 ということで、レッツ・トライ!

 ピンク+白、ブルー+白の組み合わせで、シリコン粘土と凝固剤を手でこねながら混ぜます。お子さんのいる人は別として、オトナになると粘土は縁遠いもの。こうしていると、童心に返ります。

 それぞれ混ぜ終わりました。ぺったりとした質感の粘土2色のできあがりです。

 この段階では、ほんとうにこれがシリコン? という感触でした。これをバイブレーター本体に貼り付けて、デザイン&成形していくわけですが……むずかしいのはココから。作りはじめる前は、あんなふうにしたいこんなふうにしたい、と頭のなかに思い描いていました。基本的にはハイデザインのバイブが好きな私です。できるだけすてきなモノを作りたい。ということで、デザインも事前に考えていました。

 ……すみません、ウソです。造形センスゼロの私には、頭で考えたデザインを紙に起こすことがそもそも無理なので、「こうしたい」「ああしたい」と好き勝手なことをいって、あとは彼氏にラフを描いてもらいました。

 でも、実はこのシリコン乾くのがとても速く、形を整えようとしているあいだに、みるみるうちに固まっていきます。これは焦ります。早く形を作りたいのに、まったく思いどおりになりません。すっかりパニクってしまった私、事前に考えていた形はいったん放棄し、平たく広げたシリコン粘土を本体にぺろんと巻きつけました。

 不器用さ丸出しですが、シリコンの特徴のひとつである「発色のよさ」は見てとれると思います。鮮やかな色からニュアンスのある色まで、シリコンは再現できます。色による印象はたいへん大きく、購買につながりやすいもの。衛生面を考えてもシリコン素材はベストチョイスですが、こうしたデザイン的な必然性もあるのです。

 さて、ここからは超特急で作業を進めます! ブルーのシリコンも同じくペタペタと本体に貼りつけました。当初の予定とはぜんぜん違う様相になってきましたが、もう構っていられません。美しい仕上がりになるのはもうあきらめました。だったらせめて明るい気分になるルックスにしたい!

 ということで、100円ショップで買った型抜きの出番です。これで、模様を切り抜いて、貼り付けたシリコンの上に乗せます。

 これが、「MY TOY」桃子版の完成形。このころまでにはシリコンはほぼ固まり、粘土のような柔軟さはなくなっています。時間が経つとさらにしっかり固まっていきますが、カチコチになるわけではありません。ぷにぷにとした弾力を感じる点でも、シリコンの持ち味をしっかり体験できるといっていいでしょう。

 たしかに上手とはいいがたいバイブですが、それだけに愛着もあります。なんといっても自分で作った世界でひとつだけのバイブですからね。気持ちが入っているセックスは気持ちよさも倍増するのと同様、心がすでに受け入れ体制にあるとバイブも気持ちいいのです。

 それにしても、バイブを手作りするのって楽しい! もっと思いどおりに理想の形を作れるキットだといいのでしょうが、こうして限られた条件のなかで頭のなかにあるイメージを具現化していくのは、別の面白さがあります。ふだん自分がバイブを、またはオナニーによる快感をどう捉えているのかも表れそう。いろんな女性たちがこのキットでバイブを手作りする、「MY TOY」コンテストがあったらまちがいなく面白いものになるんじゃないかなぁ。

■桃子/オトナのオモチャ約200種を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。

もはやホラー!? 世界の自然派出産を礼賛するドキュメンタリーが恐怖そのもの

 お産の数だけドラマがあるというのは当然ですが、世界各国の出産シーンを切り取ったドキュメンタリー映画『プルミエール わたしたちの出産』は、なかなかにディープです。この作品、日本ではPG12指定となっているようですが、〈12歳未満の観賞は 成人保護者の助言や指導が適当とされる〉その理由は、うっかりこんなお産に憧れたら問題であるからだ、と思いたい!

 同作品に登場するのは、日本ベトナムシベリアメキシコブラジル等で出産を迎える女性たち。文化や価値観、それぞれの選択によって行われるお産がバリエ豊富に映されますが、現代日本でごく標準的な出産を体験した自分の目には、ホラーレベルで「ひい、怖い!」と映るものが続々と……。

 登場するお産をジャンル分けしてみると、ざっくり2種類。

・現代医療が介入する派
・民間療法に頼る自然派

です。その中で、この映画のウリでもあろう最大のエクストリーム出産は〈イルカの立ち会う水中出産〉です。作中、メキシコで30年のキャリアを積んできたという助産師が表れ、こんなナレーションが流れます。

「イルカの超音波が胎児を癒す」
「イルカの発する超音波は子宮内に届き、胎児の免疫力を高めてくれ、左右の脳の動きのバランスを取る」

 科学的根拠うんぬんはさておきにしても、イルカの超音波って、仲間とのコミュニケーションだけでなく、エサを捕るときに攻撃としても使ってませんでしたっけ。なんだ? この異物。どりゃ! と、胎児がイルカに攻撃されないといいんですけど。ネット民の間で有名な挿絵「イルカがせめてきたぞっ」(ご存じない方はぜひ検索を)が頭に浮かんでしまったのは、私だけ?

◎意地でも、海で産む!

 イルカの心温まる逸話はたくさんあるけれど、なんでもかんでもイルカは平和で高知能、人間の友達だ! と思うのは、むしろ自然を軽視していそう。そもそも同作品では、水中出産のため、トレーナーが人なつっこい性格のイルカを選んでいるシーンがあって、これはつまり訓練された人慣れしたイルカでないと難しいということでしょう。これって自然なのかな~。

 さて、肝心の本番。陣痛が来たら施設のプールである程度お産が進むのを待ってから、いよいよとなったらすぐ近くの海へ移動して産むというプランだったのですが、何が起こるのか予想がつかないのは当たり前。予想外に進行が早く移動する余裕がなくなり、施設のベッドで生まれます。

 まあ、無事に生まれて何より……とホッとしたのもつかの間、なんと生まれたての赤ちゃんとお母さんを毛布の担架で海に運ぶではありませんか。何が何でも海で出産したいという、すごい執念。気候のよいときを選んでいるのだろうけど、生まれたてほやほやの赤ちゃんを、わざわざ紫外線や外気、潮風にさらす必要があるの~?

 画面に登場するのは、パートナーとともに砂浜で愛おしそうに赤ちゃんを見つめるお母さん。誰が何といおうと、完全に自己満足の世界であります。世の中的には、屋内のプールを使った水中出産はもちろんのこと、海中での出産は有害なバクテリアに感染する恐れがあるので危険であると警鐘が鳴らされていますので、そういった情報もどこかに入っているとよかったのですが。

 お次は、医師はおろか助産師すら頼らず、自分とコミュニティの仲間たちだけで挑む、完全な「フリーバース」です。「よりよい世界をめざし活動を続けてきた」と語り、4組のカップルとアメリカ北部で共同生活する女性の生活は、ヒッピーのそれを思わせます。陣痛が始まると、プールにつかった妊婦の周りで仲間がギターを慣らし、皆で合唱するというもはやイベント状態。お産の直前、仲間に決意をこう語っています。

「お産の最中に死ぬかもしれない。リスクは覚悟している。でも、どんな結果でも受け止める。それが人生だもの」

 できればリスクは自分だけで背負っていただきたいですが、何とか自力で産むことができていたので、まずはおめでとうございます。しかし問題は、産後に起こります。通常なら30分以内に自然に剥離して出てくるはずの胎盤が、3時間たっても出てこないのです。胎盤癒着になれば、大量出血を招き出血性ショックが起こったり、子宮摘出しなくてはならなくなることも。それだけでも「はーやーくー病院に行けよ!」と思うのですが、最終的には仲間の女性が手をつっこみ、胎盤を剥がして取りだしていました。これまた全方向的に、怖い。

 日本パートでは、現代医療否定で有名なあの、吉村医院が登場します。やめてー、全世界にこれが日本のお産だと発信しないでー。吉村医院では、妊婦たちが昔ながらの日本家屋で薪割りをしたり、全身を使ってぞうきんがけをして体を動かしながら暮らします。

「現代の生活を批判し、伝統的な生活を重んじる」
「病院はお産を機械的に行う」
「医療の助けを借りずに出産する」

 そう解説されていきますが、検診では超音波の機械を使ってるじゃ~ん。しかも(作中には登場しませんが)ここ、分娩中にトラブルがあったら普通の病院へ緊急搬送するんですよね。いざというときは医療の力に助けられながら、都合のいいときだけ現代医療を批判するのって何だかずうずうしい。

 同作品の本当の〈昔ながら〉は、マサイ族やカポヤ族の出産でしょう。こっちは分娩法がどうこうというよりも「年頃になったら男たちが牛を持ってきて結婚の約束を競うから、という理由で女の子を望んでいる」などの背景が、現地の生活が投影されていて、とても面白いです。

◎産み方を習うのはヘン!?

 一方、医療を介しての分娩として登場するのは1日120人誕生するという、世界でも有数の分娩数を扱うベトナムの病院や、自宅出産が禁じられているためヘリで搬送されてきて、帝王切開するシベリアのケース。また、フランスのダンサーは無痛分娩(海外では普通分娩よりも無痛分娩のほうが多い)の際に行われる硬膜外麻酔の説明を受け、いきみかたをレクチャーされています。

「自然に産む人もいるのに、産み方を習うなんてへんね」

 わざわざこのコメントをもってきたり、妊婦がイモ洗い状態(言い過ぎ?)で転がっているベトナムの病院を出したりする構成、「命をかけて真剣に挑む自然なお産がいかに幸せに満ちていて、病院でのお産はシステマチックで感動に欠けるという意図が見え見え! それを「出産って生命の神秘だよねっ!」と投げかけられても、そりゃそうなんですけどねえ、と白けモードになるってもんです。私にはむしろ、〈自然なお産〉をあえて選んだ妊婦さんたちの、陶酔しているかのような笑顔に不安を覚えましたけど。

 お腹の中から出てきたてホヤホヤの、羊水&胎脂びっちり(でもかわいい)新生児をたくさん見られるという点は楽しいドキュメンタリーですが、お産そのものは、繰り返しますがはっきり言って戦慄もの。ホラー映画は大好きだけど、この手の恐怖は嫌だなあ。作り物ではない真の恐怖を味わいたい人には、おすすめしてもいいかもしれません。

(謎物件ウォッチャー・山田ノジル)

“当事者”に振り回されない生き方 介護、退学、綱渡り生活を送るシングルマザー女子大生

祖母が腰を痛めてしまい、家事・育児・祖母の世話と、娘ちゃんが新生児だった頃に経験した毎日3時間しか眠れないという悪夢が再来しています。寝不足続きで思考回路はショート寸前♪ シングルマザー女子大生、上原由佳子です。

娘ちゃんが新生児の頃は、3時間おきに母乳をあげても、愛おしさでなんとか強烈な眠気も乗り越えられました。でも老人の唸り声が3時間おきに聞こえてくる日々はさすがに疲弊しちゃいます。 介護と育児をしているシングルマザーの皆さまの苦労を垣間見ています……。

想像以上に早く介護ライフがやってきてしまった上原。今回で「シングルマザー女子大生 上原由佳子の事件簿」は最終回です。最後は「綱渡りって大変だ!」という、お話を書いてみたいと思います。

その前にご報告。実は後期から全く大学に行けなくなっていました。お正月明けに心療内科に行ってみると、躁鬱と解離性障害の診断を受けました。もう大学に通うのは難しいんじゃないか? 休学は休学費用がかかるし、退学した方が良いのではないか? と、半年間ほど考えた結果、とりあえず大学を辞めてみることにしました(笑)。

でもただでは転びません。すでに再入学のタイミングを大学の先生と相談して決めています。実は上原の大学、再入学に必要なお金が、休学費用の約10分の1なんです。だから休学より退学のほうがお得(笑)。ちなみに県外の大学の先生から休学費用の話を伺ってみたところ、学費の半分くらいらしいです。上原の大学は学費の8分の1くらいで休学できるので、他大学はめちゃくちゃ高い! それにしても休学より退学のほうが安いのはびっくりでした。もし同じような悩みをお持ちの方は、休学費用だけでなく再入学費用の確認もしてみると良いのかもしれません。

普段はのん気な上原でさえ、この半年間は流石に辛かったです。大学には通えなくなってしまうし、大学を辞めると決めたら数日後に祖母が立ち上がれなくなっちゃう。その上、時計を持たず外で遊ぶようになった娘ちゃんの帰宅時間はどんどん遅くなっているし……。どこから手をつければいいのかわかりませんでした。それでも締切は毎週やってきます。重い腰をあげてパソコンを起動し、ワードを開いて、さあ書くぞ……と意気込んでも、聞こえてくる祖母の唸り声が気になって原稿なんて書けませんでした。だってイヤホンをしても聞こえて来るんだもん。

どうしよう書けない。進まない。眠たい。頭がボーッとする。娘ちゃんが帰ってこない。あ、もう18時30分だ。夕食の準備をしなきゃ。ああ、ばあちゃんが呼んでる。やっと娘ちゃんが帰ってきた。ねえ、心配するから遅くまで遊んでいないでよ。やれやれ、やっと就寝時間だ。でも原稿まだ終わってない。はやく書かなきゃ。ちょっとだけでいいから寝たい。うるさい! 唸らないでよ! 終わらない!

これが数日間続いたとき「当事者が声をあげられないのは、声を出す余裕がないんだよな~」と気がつきました。問題がすべて解決する特効薬なんていくら探しても見つからないし、「苦しい」って言うのもつらい。なかなか伝わらない。「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせても、ちゃんと出来ない自分に苛立つだけ。

上原は、いつ足元が崩れても不思議ではない状況にいることを忘れかけていました(笑)。日々綱渡りをしていると、急に苦しくなったり、でも瞬間的に楽になったりして、メンタルはいつもソワソワしています。その焦燥感のおかげで、休学より退学のほうがお得だという抜け道を見つけられました。抜け道を探す気力や余裕がない人、探し方が分からない人もたくさんいます。上原だって余裕が一切なくなってしまったらそんなこと出来ません。

どんなに足元が不安定でも、綱渡りがそれなりに上手くいっている時は、自分より立場が弱い人に冷たくしちゃったり、自分が出来たんだから君も出来るでしょ? と思ってしまうことがあります。祖母が腰痛で動けなくなるまでは、ぼちぼち上手くいっている環境に慣れていたのか「困難な状況を変えられない当事者は、自分に甘えているだけでしょ」とすら思い始めているところがありました。でも、その考え方は間違っていたな、といまになって分かりました。

同じ「苦しい」「つらい」という言葉を使っても“しんどさ”は人それぞれです。しんどさの中身が違うとか、感じ方が違うとか、少し考えてみれば気付くはずなのに。つい、自分の基準で考えてしまいがちです。

先日、他大学の先生のご厚意で刑務所の施設見学に行ってきました。刑務所の内側から見る、プラスチック製の透明な壁を隔てた面会者側の席に、明るく気丈に振る舞う上原とまだ小さい娘ちゃんの姿が見えた気がしました。

上原が刑務所に足を運んだのは今回が初めてではありません。というか何回目になるかわからない(笑)。留置所、拘置所、刑務所といった場所には、元夫の面会と差し入れのためにこれまでに何度も行っていました。罪を犯した人の親近者としての立場での訪問。あのとき上原は“見学者”ではなく“受刑者家族”だったんです。

当時、刑務所は大嫌いだったし、苦しい場所でした。面会の申し込み、差し入れ、ほとんど無表情での施設側の対応。刑務所の職員からの視線は「モノ」を見るような、冷淡なものでした。面会のための番号札を受け取る度に「上原の存在って、社会から見ると何なんだろう?」と考えては、涙が出そうになるのを堪えていました。あの視線を浴びていると、“受刑者家族”という枠の中に閉じ込められるような感覚を覚えました。

離婚すれば……。シングルマザーになれば……。窮屈で苦しい感覚は消えるかもしれない。娘ちゃんに似たような思いをさせないで済むかもしれない。あのときから離婚に希望を見いだしていました。

でも離婚をしても上手くいくわけじゃなかった。気づけば、今度は“シングルマザー”という枠の中に閉じ込められてしまいました。

途中から閉鎖しましたが、上原の連載にコメント欄があったとき、残念ながら弱者の声を沈めていくような典型的なコメントが多かったと思います。シングルマザーに社会的な弱者であることを期待し、自分の思い通りにならないシングルマザーに対し「ワガママだ」と決めつけ、キツい言葉を投げつける。それらは「当事者を“あるべき当事者像”に縛りつける」ような行為に思えました。

以前ある記事に、娘ちゃんに「権利」という言葉を教えたにゃんこ先生が登場しました。そのにゃんこ先生に、「“当事者”で居続けることがつらい」と弱音を吐いたことがあります。そのときに返されたのは「何者かになりたがりすぎる」という言葉。振り返ってみれば、上原は別の何者かになり続けようとすることで、“当事者”から逃れようとしていたのかもしれません。受刑者家族からシングルマザー、シングルマザーから高校生、大学生……。こうやって、いま自分を縛り付けている記号から逃げ続けてきました。でも全ての記号を剥がしたら、残るのは「私」だけのはずです。誰かの、社会のラベリングにずっと振り回されていたんだってようやく気がつきました。「私」なりに考えてみるってどういうことなんだろう? どうすればいいんだろう? と思うし、頼るものがない分苦しいのかもしれないけれど、他人に押し付けられたラベルを前提に考えるよりもきっと意味があるんだと思います。

ひとり親が学び直しを断念したり、ひとり親世帯の子供が進学を諦めたりすることがたくさんあります。制度が整っていないのはもちろんですが、それだけじゃなく世間の目が気になる人も多いでしょう。「不安定な生活じゃ勉強なんてできない」「生活基盤がないのに勉強するなんて贅沢だ」「勉強するくらいなら子供の世話をするべきだ」。そんな、自分の考える“あるべき当事者像”から外れる人を叩く人が少なからずいる。でもきっとスルーして大丈夫! 気にしないほうが断然いい! スルーし続けてきたからこそ気付いたこともたくさんあるはずです。

上原がいま1番後悔しているのは、民間の奨学金をしらみつぶしに調べた気になっていたことです。意外と知られていない、民間の給付型奨学金もあります。一般論に振り回されて病んでいる時間を使って、もっとちゃんと調べれば良かったし、議員に相談すれば良かった、と思っています。上原のバカ!!! 頭も顔も悪いのか!!!

……余計なことに煩わされずに、どんな制度があるのか調べたり、誰かに相談したりしてください。いまある制度だけでも、なんとかなることは多々あります。

「上原、大学と連載辞めるってよ」という、なんとも間抜けな最終回になってしまいました。もっと考えてみたいこともあったけど、いまは介護もあるし、育児もある。連載が終わってからは、しばらく勉強は先送りにして、生活を落ち着かせようと思っていたのですが、「勉強しろ」「英語だけはやっていた方がいいよ」とのアドバイスを身近な人からいただいたので、これからは原稿を書くのにあてていた時間を勉強に使いたいと思います。

来年度から小学2年生になる娘ちゃんから目が離せません。腰痛で動けなくなった祖母にまち針を刺そうとしていました(笑)。娘ちゃんいわく「針で刺すと腰が痛いの治るって、テレビでやってたよー」。娘ちゃん……それには国家資格が必要なんだよ。しかも、まち針じゃダメなんだよ。

読者の皆様、感想やアドバイスをくれた皆様への感謝の言葉で終わりたいと思います。連載中に彼氏が出来る予定だったのに、誰も紹介してくれなかったけど……今までありがとうございました。

極めてプライベートなラブストーリー、セックスのエモーション、愛の終わり、後悔だらけの現在地。/ギャスパー・ノエ『LOVE 3D』

 衝撃的なレイプシーンが世界中の人々を震撼させた『アレックス』や、警官に射殺されたドラッグディーラーの彷徨える魂を描いた『エンター・ザ・ボイド』等、センセーショナルな映画表現を追求し続けるギャスパー・ノエ監督の新作『LOVE【3D】』が、2016年4月1日よりいよいよ日本で公開される。

 『エンター・ザ・ボイド』の公開前インタビューにて、ノエ監督は「次回は、3Dポルノを撮るかも」と構想を語っていた。見事、実現する運びとなった本作の情報解禁時には、「3Dで精液が飛び出す!?」と、世界中で話題騒然となった。噂が噂を呼び、2015年のカンヌ国際映画祭でのプレミアム上映の際には、チケットシステムをパンクさせる狂乱の事態を招くに至る。

 ノエ監督作品は、商業映画のタブーを打ち破る過激な演出で知られている。本作にも強烈なインパクトを想定し、精液とともにこちらの心臓までもが飛び出さないよう身構えながら鑑賞したところ……。予想に反し、スクリーンには恋愛独特の不安定な情動をメランコリックに想起させる、極めてプライベートなラブストーリーが映し出された。

 惜しみなく披露される裸体、生々しいセックス、精液など、商業映画の規制をものともしない過激な描写は健在だが、いずれにも感情の琴線を揺るがすセンチメンタルな味わいを覚える。多幸感と苦痛、希望と失望、肉欲と信頼、様々に異なる感覚をいっぺんに引き受ける性愛の不安定な情緒が、スクリーンにも、見る者の胸にも溢れ出る。

 その点、本作公開前に来日したノエ監督に直接お伝えしたところ、「カンヌでも、思っていたのと違うって言われたよ」とのこと。以下、ノエ監督へのインタビューと合わせて本作を紹介したい。

◎普通のカップルの、日常のセックス

ギャスパー・ノエ
ギャスパー・ノエ監督
 若い妻と幼い息子と暮らす主人公の青年マーフィーは、ある日、かつての恋人エレクトラの母親からの電話で、彼女が失踪したことを知らされる。以降、エレクトラと過ごした日々を回想するマーフィー。その胸には彼女との別れによる大きな喪失感があった。

 マーフィーとエレクトラの過ぎ去った愛の日々を描くにあたり、ノエ監督は「セックスは普通に誰もがする、自然な行為」と位置づけた。

「身の回りにいる普通のカップルの日常を描きたかったんです。ここ2~3年、ヨーロッパでは、社会の注目が愛や恋愛関係より遠のいて、紛争や闘い、男同士の力の見せつけ合いに移行している気がします。通信手段、コミュニケーション手段が発達した一方で、裸や露出、エロティックな動画、映画が規制され、逆に紛争や武器など、暴力的なものが氾濫しています。Instagramでは、女性の胸を出すのもNGだそうですが、女性の胸って、普通にあるものですよね。人間は生まれたら誰もがお母さんのお乳を吸う。それが最初の社会とのつながりで、最初に幸福感をもたらすもの。裸体もセックスも、自然にあるもの。今の世の中、何でもコントロールできなければいけないという社会になってきているので、普通に存在する愛の衝動とか肉体の欲求といった『自然』の方が上回り、コントロールできないものを表に出してはいけないとする風潮にあるのかもしれません。幸福感も得られれば波乱に満ちて傷を負うもの、混乱や苦痛を伴うものも、コントロールできないから粛正する。そんな今だからこそ、身の回りにいる友人の間で、日常的に起きている愛情にまつわる出来事、みんなが経験することを、普通に描きたいと思いました」

 カップルが、恋愛をして、セックスをする。そんな当たり前の日常風景として切り取られた性描写は、映画だから(とりわけ立体感のある3Dだから)こそ、生々しい。しかし、行為そのものではなく、快楽の感覚や恋愛感情の上下動といった、感受性を視覚化する「気分」が随所に露呈するあたり、消費されるためのポルノとは一線を画したメロドラマ性を感じる。つまり、本作にあって消費されるためのポルノにないのは「普通にナイーブな恋愛の心情」。二人が快楽を貪るシーンの根幹にあるものが、喪失の物語である以上、観客はスクリーンに存在する哀しみを無視してエロスだけを消費することは出来ない。

 また、3Dの視覚情報は、肌の触れ合いや体液、涙などの温もり、感触等をも想起させる。胸と胸を合わせる安心感や、お互いの肌が溶解するような恍惚状態を追体感するような錯覚も覚えるのだが、それも3D効果の狙いだろうか。

「3Dにすることによって、現実と非現実が混在する不思議な感覚が生まれるかなと。人物と背景のサイズ感が合わないところにはゲーム的な面白さもある。観客も特殊なメガネをかけていて、トンネルの中にいるような感じで、周囲に注意を払わなくなるのも体験として面白い。それに、今回低予算なのですが、『LOVE【3D】』って書くと予算をかけた大作と思ってもらえる(笑)。でも……、日本では映倫指定の『ぼかし』があるのが残念です。本作の3Dの良さを味わうには、ない方がいい。これはセンチメンタルなラブストーリーで、人間のありのままの姿を描いているのに、『ぼかし』のせいでピンク映画のように見えてしまう(笑)。普通の生活で目の前に裸体があったら、『ぼかし』はないですよね。二人のラブシーンには、哀しみが伴う。ただエロティックなわけではない」

◎日本の性と愛の分断

 映画表現の規制としての『ぼかし』を筆頭に、日本には性を秘め事とし、オープンに語りづらい風潮がある。セックスは、どこまでパートナーと正直に向き合えばいいのか。と、尋ねると、「そんなことないよ! 日本人はどの国よりも性にオープンだよ!」と、当の日本人が把握していない客観的なご意見が!

「そんなに日本で多くの時間を過ごしていないし、多くの人と語り合ってはいないけれども、いろいろな国の人々のいろいろなセクシャリティーを見聞きして来た中で、日本はセクシャリティーについて語る人が多い印象です。荒木(経惟)さんの写真とかね。自分が会った人がそうした人たちなのかもしれないけれど、でも、日本人って普通に電車の中でエロ漫画とか読んでいるでしょ(笑)?」

 確かに、18禁ではない青年漫画誌やスポーツ紙、週刊誌に、女性の裸や性描写は溢れている。なんといっても日本は風俗大国。繁華街のビルボードにも堂々、性ビジネスの告知が登場する。その一方で、出産や結婚、生活にまつわる家族愛はハートウォーミング。性にオープンなようでいて、夫婦間はセックスレス。同じ性欲が子孫繁栄の祝福と性の肉欲に分断されていると感じることが度々ある。

 世界的な大手コンドームメーカーDurex社の「グローバル セクシャル ウェルビーング サーベイ(性の幸せに関する世界調査)」では、日本は調査対象となった41カ国中、最もセックスの頻度が低く、かつ性生活に満足していない人の比率が高い社会だとの結果が出ていた。先日は、既婚女性をターゲットとした女性誌で、「夫は、妻にのみED」という特集が組まれたことも話題となったが、こうした愛と性の分断について、ノエ監督はどう考えるか。

「性と愛は、両方一緒であるとベストですが、切り離されても存在し得るもの。愛のないセックスもあれば、プラトニックなLOVEもある。ヨーロッパも日本とさほど違わない状況だと思いますが、一つ違う点があるとすれば、男女間の会話。観察してみると、日本は、男は男同士で、女は女同士で、恋愛の問題について話したりする。パートナー同士の直接対話が少ないかもしれないと思います。人前で手をつないだり、抱き合ったり、キスしたりするカップルを見かけないことも、ヨーロッパと日本の文化の違いですね」

 言われてみれば、互いへの不満が生じたとき、オープンに話しあい、協力しながら改善の努力を行うカップルは、少ないのかもしれない。他方、劇中のマーフィーとエレクトラはお互いを信頼し、すべてさらけ出すような激しいぶつかり合いに取り組むカップルである。

「愛と性が一緒になると幸福感が増す一方で、執着心が生まれ、相手にナチュラルドラッグのように依存して、盲目的になる危険もある。彼が浮気したら彼女の方もする。都会には様々な誘惑もある。浮気や嫉妬によって信頼関係が崩れてしまい、破滅に導かれた。科学的な話として、人間は遺伝子の中に種の保存の欲求があるので、惚れ込んだ相手への忠誠心は二の次で、異性に惹かれてすぐやっちゃう、というようなことが根本に存在するのかもしれません。ドーパミンやセロトニン、エンドルフィンが分泌されて、正気を失ったり、盲目的になったり。人間はそうした不安定な混乱の中にいるというのは、科学的にも証明されていることです。非合理性を伴うようなことはいくらでもあります」

◎マーフィーというしょうもない男

 人間という生物はその構造ゆえに、自分の理性や理屈のみで言動をコントロール出来ないこともある。ノエ監督は、非合理性を伴う人間の不備を断罪せず、それも人間の証とばかりにまるごと受容する。とはいえ、「ちょっとは己を律しなさいよ」と小言の一つも投げつけたくなるのが、このマーフィーという男。

 彼は、子供はいらないと言うエレクトラに「でも子供がほしい」と望み、抱きしめてほしいとか愛してほしいとか求めてばかりいる甘えん坊。嫉妬心も剥き出しだ。にもかかわらず、二人連れ立ってでかけたクラブで別の女をトイレに連れ込んだり、若い隣人女性と浮気をしたりと、やりたい放題だ。結果、二人は破局、マーフィーは隣人女性と結婚してからも別れたエレクトラを思ってめそめそ泣き、妻への不満を募らせる。まったくもって、しょうもない人間である。

「マーフィーからの要求が多いということではないのですが、彼はお酒やドラッグに酔って馬鹿なことをする愚かで弱い男(笑)。エレクトラの方がマーフィーよりも成熟した人間ですが、プライドが高いから、『私だって浮気した』と見栄を張りあう。自分の身の回りでもごく普通に起こる『よくある諍い』です」

 最後に、本作最大の謎に迫りたい。それは、マーフィーと浮気相手の結婚だ。二人は、子供ができたという理由で結婚したが、「夫婦」になる必要性はあったのだろうか。マーフィーはアメリカ人なのだが、宗教上の理由や貞操観念が彼に出産=婚姻の契りを促したのか。

 というのも、劇中の舞台のフランスでは出産のタイミングで入籍せず、婚姻関係を結ばずに子の両親として機能するカップルもいる。日本では未婚の女性が出産した場合、子供は非嫡出子と呼ばれ、相続など法律的な権利の制限が発生するが、フランスの場合は両親が婚姻関係にあろうとなかろうと子供の相続等における権利に変わりはなく、両親も税金等の面で制限されることがない。また、フランスには、パートナーと共同生活を行う際、結婚同様の権利を得られる制度(PACS)がある。よって、マーフィーが、子供の母親である浮気相手の女性と婚姻関係を結ばないという選択もあり得たのではないか。エレクトラとのパートナーシップを維持したまま、父親として責任を果たすことも可能なのではないか。なぜ、彼は「デキ婚」を選択したのか。

「確かにフランスにはPACSがあって、結婚していなくても子供を産み、パートナーに財産がいくのは自然なこと。ただ、今回の場合は、エレクトラが対応できなくなった。隣人を妊娠させたということは、コンドームを使ってなかったってことだから、彼女にとってこれは許せない裏切り行為だった。マーフィーは彼女を追いかけ続けたけれども、エレクトラは拒絶した。二人とも、愛に向き合えなくなったんです」

 如何せん、マーフィーはしょうもない男であるため、エレクトラの気持ちになってみれば「こいつもう無理」と拒絶したくなるのも致し方ない。マーフィーとエレクトラの愛はどう足掻いても修復できるものではなく、終わった事実も揺るがない。だが、それとこれとは別の話として、子供が出来たこともまた別の話として、子供の母親である浮気相手その人とマーフィーが家族としてのパートナーシップを結んだことに、合点がいかない。それがマーフィーの「幸福のための選択」であるならば歓迎するが、彼は劇中で後悔とエレクトラへの未練と妻への文句をぶつぶつぼやき、妻との良好なパートナーシップを築く努力を一向に見せない。

 つまり、彼は子供ができたことを歓迎していない。子供本人は愛しているが、現在の自分の人生を愛せない。妻のことも愛していない。疎ましくさえ思っている。一体、何のための結婚なのか。子供のためか。そのためにかけがえのない愛と幸福を犠牲にした自覚がある者に、家族への愛情は芽生えるのか。もっとも、親は「子に親にしてもらう」と言うくらいだから、マーフィーの家族への思いも、愛の正解も、これから様変わりしていくのだろう。常に愛の問題と共に流浪する不安定な人間の宿命を、本作は「あたりまえの、どうしようもない不安定さ」として描いたのだと、私は解釈する。

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 ノエ監督は本作にて「性と愛を分けるのではなくて、セックスと感情のすべてを内包するLOVEを描く」と公言されている。しかし、マーフィーは、①家族との幸せを噛み締めるLOVE、②ひたすらに快楽に興じるLOVE、③本当に好きな人と遂げるLOVEなど、様々な愛の分断と選択に遭遇する。結果、「子供はLOVE」。その他のLOVEを彼は今のところ所持しない。

 上記、愛の解釈や性愛の分断は、日本の現代社会でも常に取り沙汰される問題点である。が、答えはひとそれぞれ。自分の愛の正解にパターンなど存在しない。自分は、恋愛の喜びと哀しみ、パートナーとの心身の交流、性の快楽とその暴走を、如何様にとらえるか。毒にも薬にもなるアンビバレントな性愛の「普通」について、今一度熟考する機会を、本作は与えてくれる。その感受性の揺れが臨場感たっぷりの3Dで描かれているあたり、劇場で鑑賞しないわけにはいかない作品であると心得る。

(林永子)

『LOVE【3D】』

4月1日(金)より、新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー!

【第68回カンヌ国際映画祭正式出品作品】
2015年/フランス・ベルギー合作/英語/スコープ/135分/R18+
原題:LOVE 3D

監督・脚本・編集・製作:ギャスパー・ノエ
撮影:ブノア・デビエ
音楽:ケン・ヤスモト
VFX:ロドルフ・シャブリエ、マック・ガフ・リーニュ社
出演:カール・グルスマン(マーフィー役)、アオミ・ムヨック(エレクトラ役)、クララ・クリスティン(オミ役)

配給:コムストック・グループ
配給協力:クロックワークス

<ストーリー>
彼女は愛のすべてを僕に与え、消えない傷を残した…

一月一日早朝、電話が鳴る。マーフィーは目覚め、傍には若い妻と二歳の子供。彼は留守番電話を聞く。エレクトラの母だ。心労で声がやつれ、娘から連絡はなかったか知りたがっている。エレクトラはずっと行方不明なのだ。母は、娘に何かあったのではないかと心配している。いつまでも雨のやまない一日、マーフィーはアパートにいて、彼の生涯最大の愛を思い返す。エレクトラとの二年間を。いつまでも続くはずだった、駆け引きに満ち、時に行き過ぎた、過ちだらけの、焼けつくような情熱の日々を…

エマ・ワトソンのフェミニスト・ブッククラブへようこそ! 広がりを見せるフェミニズムを語る熱い波

エマ・ワトソンが、女優を一年間休業するというニュースが先月(2016年2月)流れた。

エマと言えば、2001年から2011年にかけて8本制作された映画『ハリー・ポッター』シリーズでのハーマイオニー役で有名だが、ここ最近は、フェミニズム関係の活動でも話題となってきた。2014年9月に、「UN Women(ジェンダー平等と女性のエンパワーメントのために活動する国連機関)」の親善大使として、ニューヨークの国連本部で行ったスピーチの動画をご覧になった方も多いと思う。「HeForShe」というキャンペーンについての情熱的なそのスピーチでは、ジェンダー平等の実現のための運動への参加を男性たちに呼びかけ、また、男性が「男らしさ」の固定観念から自由になるように(それによって女性の側にも変化が訪れるだろう)と訴えるものだった。

◎ガール・クラッシュ

今回エマは、女優業は一年間の休業に入っており、その間は自己成長のための読書と、「HeForShe」のキャンペーンの活動に専念することを発表した。このことついてエマが語ったのは、NY発のカルチャー/ファッション雑誌『Paper』 2016年4月号に掲載された、著名な黒人フェミニスト作家で活動家のベル・フックスとの対談でのこと。

この対談は、同号に一挙掲載された「Girl Crush」と題するシリーズ対談記事の一本として行われたもので、「Girl Crush」とは、女性が女性に(恋愛感情とはまた別の形で)夢中になる・惚れ込むこと、という感じだろうか。お互いを賞賛し合っている女性同士が、今日女性であることはどのようなものか、啓発的な視点が得られるような対話を交わす、という企画だそうだ(ビル&メリンダ・ゲイツ財団のメリンダ・ゲイツによる序文まで付いている)。

フックスがエマに「Girl Crush」したきっかけは、女性や表現について論じる文化批評家として、エマ演じるハーマイオニーのキャラクターに魅了された時のこと。エマの方は、国連の親善大使に就任した折、友人からフックスの著作を送られたのだという。そこから自分で色々探索して、フックスのある講演のビデオにたどり着き、その語り方に感銘を受けたのだそうだ。

エマは対談中、フックスの『Feminism is for Everybody』という著作に何度か言及し、自身のフェミニズムについての考え、フェミニズムのメッセージを発信するにあたってのスタンスに関して、影響を受けたことを語っている。

フックスがフェミニズムについての読みやすい、シンプルな本として執筆したというこの著作は邦訳も出ており(『フェミニズムはみんなのもの』)、同書の序文を見てみると、たしかにエマのスピーチに通じるような、「フェミニズム運動は男性に反対する運動ではな」く、フェミニズムに触れることによって「男性たちが変わり、成長する可能性」「自分自身が家父長制の束縛から解き放たれる希望」があるとして、(女も男も)フェミニズムの近くに来て、それを知ろう、と呼びかける主張が出てくる。エマのスピーチに興味を持ち、(ポジティブにであれネガティブにであれ)反応するところがあった人は、一度手にとってみてもいい本かもしれない。

◎ブッククラブ

エマは対談の中で、1年間女優の仕事を離れるのは、自己成長のためだと語っている。読書に力をいれたいと言う彼女は、一週間に一冊、加えて自分のブッククラブでも一カ月に一冊読むことをタスクとするのだとか。

このブッククラブとは、エマが今年の1月から始めたフェミニスト・ブッククラブのことで、その名を「Our Shared Shelf」(わたしたちの本棚)という。「Our Shared Shelf」は、ネット上で本や読書の情報を共有できるサービスGoodreads上にグループのページが作られていて、世界中から誰でも参加できるかたちで運営されている。

「Our Shared Shelf」の最初の一冊、1月の課題図書には、フェミニズム活動家で作家のグロリア・スタイネムの回想録『My Life on the Road』が選ばれた。エマによるスタイネムの公開インタビューも行われ、動画でも公開されている。

その後、2月はアリス・ウォーカー『カラー・パープル』、最新の3月はベル・フックス『All About Love: New Visions』(『オール・アバウト・ラブ―愛をめぐる13の試論』として邦訳が2016年3月刊行予定)が選ばれている。

このエマによるブッククラブの始動について伝えるGuardianの記事によると、セレブがオンライン上でブッククラブを立ち上げようと試みるのは、エマに始まったことではないらしい。

女優のグウィネス・パルトロー(意識高い系の料理本を出していることでも知られる)が、自身のライフスタイル・サイトで、料理本に絞ったブッククラブを運営していたり、同じく女優のリース・ウィザースプーン(お気に入りの本を原作とする映画、『ゴーン・ガール』『わたしに会うまでの1600キロ』のプロデュースも務めた)が、インスタグラム上で「#RWBookclub」というハッシュタグを用いて、リースが勧める本のブッククラブをやっている例がある。

エマにせよ、グウィネス、リースにせよ、これらのブッククラブは、男性を排除してはいないが、やはり女性をメインターゲットにしたものだろう。

日本では、ブッククラブと言ってもピンとこないが、アメリカの読書文化について扱った尾崎俊介『ホールデンの肖像』によると、1990年代末に人気タレントのオプラ・ウィンフリーが自身の番組のワンコーナーとして始めた「オプラズ・ブッククラブ」をきっかけとして、女性を主たる構成員とするブッククラブのブームが起こったのだそうだ。

尾崎の著作では、「ブッククラブ・クロニクル」と題して、このブーム以前のブックグラブ文化も含めて、どんな風に女性たちが同じ一冊の本を読み、語り合ってきたのかが描かれており興味深い。エマを始めとするセレブたちによるブッククラブも、この大きな流れの中でも捉えられるのだろう。

◎フェミニズム復活の新しい波?

『Paper』誌のエマとフックスの対談が、「Girl Crush」というシリーズ対談の一環として行われたことは既に書いたが、実はその掲載号全体が、「Girls Girls Girls」という女性特集となっている。表紙は、女優・クリエイターのレナ・ダナム。特集名も、彼女が監督・脚本・主演を務めるヒットドラマ『GIRLS/ガールズ』から採られたものだ。

レナは、『エル・ジャポン』2015年2月号で「ネオ・フェミニズム宣言」という特集が組まれた時にも、エマ・ワトソンと並んでインタビューが掲載されていた。今回の『Paper』の特集も、「フェミニズム」を1つのキーワードとする女性特集だ。筆者はまだ読めていない記事も多いが、出てくるテーマや人々は、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)、有色人種の女性たちによるフェミニスト活動家グループ、クィアな(メジャーではないセクシュアリティの)アーティスト/活動家デュオから、ハリウッドの新進女優たちや、IT業界で活躍する女性たち、そして「Girl Crush」の対談に登場する女性たち(ミュージシャン、ラッパー、作家、女優、ファッション・ブロガー、ファッション写真家、家族計画団体の会長)などなど、多岐にわたっている。

エマとフックスの対談でも、記事冒頭に置かれた編集部による導入文の中で、昨今の「女性たちが、フェミニズムについて語り、熱意を持ってフェミニストと自称し始めるという、長年みられることがなかった」動きについて触れられている。そして、このような動きが現れた現在を時が経って振り返ったら、フェミニズム復活のこの新しい波の、ハイライトとなる出来事として、いずれも2014年の、ビヨンセのMTV Video Music Awardでのパフォーマンス(FEMINISTという巨大な文字の前に立ちフェミニストであることを宣言した)、マララ・ユスフザイのノーベル平和賞受賞、そしてエマの国連でのスピーチが挙がるだろう、と述べられているのだ。

もちろん、今の文章が、未来から振り返った時に、というかたちで書かれていたように、フェミニズム復活の新しい波については、そのようなものが本当に存在しているのか、存在しているとしてどのような新しい特徴があるのかなど、その評価はまだ定まってはいないのだろう。

それでも、『Paper』のカルチャー雑誌の一号丸ごと使った特集や、これからも回を重ねていくのだろうエマ・ワトソンのブッククラブのような活動に触れると、女性が様々な事柄について声を上げ、対話する機会を作り出そうという熱を感じるのは確かだ。
(福島淳)

痴漢被害が起きる瞬間を、断ち切る剣になるか。「痴漢は俺の敵」バッジの可能性

痴漢被害を減らすための新たな方法として「バッジを付ける」という行動がネットを中心に話題になっています。

きっかけは去年、痴漢被害に頻繁に会っていた女子高生が「私たちは泣き寝入りしません」というバッジを自作して電車に乗ったところ、痴漢被害に遭わなくなったエピソードが広まったことから。その後デザインを公募し、「痴漢抑止バッジ」として配布がなされました。

一方、「痴漢は女性だけではなく、男性の敵でもある」という思いから、男性用の痴漢抑止バッジを作成する動きも生まれています。3月12日に、男性用痴漢抑止バッジの配布イベントが東京・恵比寿で行われ、約40名が集まりました。

◎男性にとっても「痴漢は俺の敵」

今回のイベント主催者は、そんきょばさんという男性。痴漢被害を無くすために男性もできることがあるという考えから、「痴漢は俺の敵 困っている人は助けます」と書かれた缶バッジを作成しました。

痴漢は女の敵だという言葉は聞きますが、痴漢をする人間は男性の敵でもあります。大事な女性が痴漢被害で傷つけられたという男性、痴漢冤罪による誤認逮捕に怯える男性、そして痴漢被害に遭う男性もいるのです。そしてそんきょばさんには、痴漢は自分には無関係な、「女性の問題」だと思い込んでいる男性にも、痴漢は社会全体の敵であり他人事ではないということを認識してもらいたい、という思いがありました。

先駆けて取り組みが始まっている女性用の痴漢抑止バッジには、「泣き寝入りしません」と書かれています。

「この活動を知った時、男性も何かしなきゃと思いました。痴漢被害の問題を語る際、世間では女性(を始め痴漢被害者)に一方的に自衛を求める風潮がありますが、それはいじめられっ子だけに『お前頑張れよ』というのと同じ。警視庁のHPには『性犯罪から身を守れ 許すな痴漢』というページがありますが、これも被害者に向けて『自衛してくださいね』『痴漢被害にあったらあなたが戦ってくださいね』という内容になっています。被害者に痴漢行為に立ち向かえと言うのではなく、痴漢被害を未然に防ぐために自分たち男性にもできることがあると考え、男性用の痴漢抑止バッジの製作をしました」

痴漢被害の問題については、被害者の女性VS加害者の男性という構造で語られることが多く、一般の男性の声はかき消されてしまいがちです。そんきょばさんは今回の活動を始めるにあたり、男性の声を可視化しようとメッセージを募集しました。

多数集まった声の中には、娘が痴漢被害に遭って電車に乗れなくなり、今も痴漢加害者が誰かを傷つけているかもしれないと思うと許せない、というものや、家族と話をしたら、母と妹が日常的に痴漢被害を受けていたということがわかった、というものもありました。また、自分自身が痴漢被害に遭ったという声も少なくありませんでした。

一方で、派手な服装だから痴漢被害に遭う、といった誤解や無理解も世の中には未だあります。

「未だに男性社会と言われてしまう国だからこそ、男性の意識が変わると、痴漢被害を取り巻く状況は大きく変わる。改めて男性からも、痴漢行為を許さないと示すことによって、痴漢行為がやりづらい世の中にしていくことができると考えています」

◎「背景の一部」にしないよう、わざと派手なカラーリングに

実際に会場でバッジを見てみると、まず目を引くのは色使い。ショッキングピンクのベースカラーは、実際に着けると、ぎょっとするくらいの異物感があります。少し付けづらいという声があるかもというのは承知で、わざとこのカラーリングにしてあるとのこと。

「ダークスーツばかりの車内に、このカラーリングはとても目立ちます。痴漢行為をしようとする人に対して、バッジを見た瞬間に抑止力になるようにしたかった。将来的には、遠目からでもこの色を見たら『痴漢抑止バッジだ、痴漢するのをやめておこう』と思わせたい」

電車を降りたら簡単に取り外せるよう、缶バッジはクリップの付いたデザインを採用。バッグなどにも付けられるよう小さいサイズから大きいサイズまで3種類を揃えています。

◎痴漢被害VS冤罪という構造から抜け出す

痴漢被害の問題を考える際、どうしても「痴漢冤罪はどうなるのか」という声が対立軸になりがちです。痴漢被害に遭った女性は加害者を「捕まえたい」という気持ちがある一方、混んでいる車内で違う人を捕まえ、冤罪を生んでしまうのも怖い。また、男性は自分が痴漢被害に遭うことの他に、痴漢に間違われることも怖い。

そんきょばさん自身、痴漢をした人間だと間違われ、その時に被害に遭った女性と言い合いになってしまった経験があります。

「本来であればどちらも被害者であるにもかかわらず傷つけ合ってしまう状況に、痴漢をした人間は笑っていたんだろうと思うと、とても悔しかったです」

「痴漢は俺の敵」と意思表示することは、痴漢をする人間に対しての威嚇になり、痴漢行為を踏みとどまらせることに繋がります。また誰かが痴漢被害に遭っているその現場で、このバッジをつけている人が居合わせれば、「助けて欲しい」と声を出すことが出来るかもしれません。

実際、女性用痴漢抑止バッジは使用者の声から一定の効果を出していると言われており、男性用についても同様の効果が期待できるとそんきょばさんは考えています。

誤解を受けやすいのが、このバッジの目的は冤罪を減らすことではなく、根本にある痴漢行為を減らすことであるという点です。

「『痴漢抑止バッジを付けていると、冤罪から身を守れる』という捉え方をする男性もいますが、このバッジの考え方は、痴漢被害の根っこを断ち切ること。痴漢をしようとする人間がバッジを見て、痴漢行為をやりづらいと思わせる環境を作る。これによって痴漢行為が無くなれば、冤罪の被害もなくなるという考え方です」

◎痴漢抑止バッジは、痴漢被害が生まれる瞬間を断ち切る剣

イベント会場にはFacebookやTwitter、ニュースサイトなどで痴漢抑止バッジを知った約40名が集まりました。

「わたしは過去にいじめられた経験があります。いじめと似た構造になりがちな痴漢行為が許せないという思いで今日は来ました」(30代・男性・会社員)
「男友達に頼まれて、バッジを買いに来ました。渡したら、実際に着けた感想を聞いてみたいです」(20代・女性・大学生)
「このバッジ着けたら格好いいと思います。友達にも『いいね』って言ってもらえそう」(20代・男性・会社員)

今回は第一回目の配布イベントでしたが、東京以外の地域からも痴漢抑止バッジが欲しいという声が上がっています。地方への販売方法も検討しながら、そんきょばさんは今後も配布活動を続ける予定です。

「痴漢対策は『女性専用車両』だけで十分だ、という意見があります。しかし、女性専用車両は盾であって剣ではない。女性専用車両は痴漢被害に遭った女性を守ることはできますが、痴漢行為自体を減らすことにはなりません。この痴漢抑止バッジは剣になります。痴漢被害が起きる瞬間を断ち切るための剣です。みんなでこの問題に関心を持ち、痴漢被害の発生を減らしていけたらと思います」

痴漢被害を無くすためにできることは、男女関係なくあります。そのひとつとして痴漢抑止バッジを着けることは、これからの痴漢被害を減らす有効な手段になり得るでしょう。イベントの参加者が、買ったばかりのバッジを着けて帰っていく様子に、この活動が徐々に広がっていくだろうと感じることができました。
(此方マハ)