「子宮の声」に耳を傾ける女性たち。ひとり芝居の擬人化ごっこで得るものとは

 魂の欲求である子宮の声に従って生きることが、幸せのカギ! という〈子宮教〉。先週末の4月9日には、子宮系女子のカリスマである子宮委員長はる氏の著書第2弾が発売され、ますます盛り上がっているご様子です。

 でも私には未だ〈子宮の声〉が1ミリも理解できず、やりたい放題するための言い訳に聞こえてしまい……この視野の狭さ、謎物件ウオッチャー失格!? そこで〈子宮と対話するコツ〉を学べるというDVD『子宮との対話レッスン』(7000円也)を知人からお借りしてみました。

 〈調和整体セラピスト〉を名乗る彩(さい)氏という子宮系女子が過去に開催した、ワークショップが収録されているようです。彩氏は、子宮委員長はるの著書にも登場する〈心と体の調和〉をコンセプトに活動する整体師。〈子宮と体が仲良くなるメルマガ〉を発行し、サロンのHPには〈子宮力アップ整体セッション〉なるメニューも紹介されています。どんな施術であるのか激しく気になるところですが、まずはDVDのレッスンを実践し、セルフでがんばってみることにしましょう。

 DVDを再生すると彩氏の自己紹介と、子宮の声についての説明が始まります。ところでお召しになっているワンピ―ス、どこかで見たことが~、と思ったら「もうすぐ私の子宮から新しい命が誕生する予定です」と来るじゃありませんか。ああそうか、あれだあれだ。楽天1位の、あのマタニティ兼授乳ワンピースですわ。

 じゃなくて、子宮の声って〈マタニティハイ〉の産物なんじゃないのかなんて疑惑が、まずひとつ浮上。「私のおなかから」と言わず「子宮から」と強調するあたりは、子宮系女子のたしなみなのかしら。この人たち、生理痛で「お腹が痛い」と言う時も「今日は子宮の調子がイマイチで~」とか言うのかな。胎内記憶をリスニングするとき、「おかあさんの子宮にいたとき、どんな気持ちだった?」って聞くのかな。「子宮リスペクト!」は理解いたしましたが、会話がちょっと生生しくてギョっとさせられます。

◎あなたの子宮の色は何色?

 DVD全2時間のうち、1時間20分までは子宮の声を解説する体の、〈自分語り〉。治療を受けて薬を飲まなくては生理が来なかったのに、子宮の声に従って温めケア等を取り入れるようになったら順調になった。子宮の声=魂の欲求に突き動かされて海外へ旅行したら、奇跡の妊娠! パートナーシップもビジネスも思い通りにうまくいくことばかりでびっくり!

 なんでしょう、子宮系女子の体験談って、テンプレでもあるのでしょうか。DVDでは繰り返し「声の聞こえ方は人それぞれ」「正解は、ない」と言いながら、子宮教女子たちの語る物語の、この既視感! 元風俗嬢であったことを語る子宮委員長はる氏ほどハードなストーリーではないにしろ、話の流れがそっくりなんですよね。

 まあそれはそれとして、とにかく本題である子宮の声を聞くレッスンを試してみなくては。レッスンパートが始まると映像が自然風景の写真に切り替わり、ゆったりほんわかしたトーンの語りが流れます。

「子宮をイメージしたら、ゆっくり深呼吸してください。子宮さんに、質問をしていきます。パッと浮かんだ答えをキャッチしていきましょう」

 イマジネーションの世界に入るわけですね。ふむふむ。でもmessyチームとしては、脳内にしQちゃんが躍り出てきてしまうキュウ~。

「あなたの子宮の色は、何色でしょうか」

 いきなりの珍クエスチョンにお次は脳内で「てめえらの血は何色だ!」が再生されてしまいました。元ネタである北斗の拳ではそう問われた兵士たちの血は当然〈赤〉でありますが、邪道なことをしている自覚があると、ギクっとくる何かがあるのでしょうか。とはいえ、子宮は筋肉の固まりなんだから、ピンクじゃないの?

「色が思い浮かんだら、今度は子宮の重さを感じてみましょう。今あなたが感じる重さを感じてみてください」

 昔国際フォーラムで開催されていた「人体の不思議展」で、脳の重さを体験できる展示ってあったなあ。はいすみません、子宮のお話でしたね。妊婦期に何かで読んだ記憶によると確か40g程度であったと思うので、卵のSサイズくらい? って考えるのは、子宮教がいうところの〈頭で考えてばかりで感覚を大切にしていない〉ってヤツかしらあ。

「今度は、子宮の温かさ、冷たさはどうでしょうか。子宮の温度を感じてみましょう。暖かいのか、ぬるいのか、冷たいのか、どれくらいの温度なのか具体的に感じてみましょう」

 子宮温暖化計画!とかの物語が大好きな人は、〈私の子宮は冷えている〉とすりこまれているので「ひんやり、つめたい」と感じるのかもしれません。

「触ってみたらどんな感触でしょうか。それでは香りを嗅いでみましょう。もし香りを嗅ぐことができるとしたら、どんな香りでしょう?」

 あらら、ちょっとグロくなってきましたよ?

「イメージの中で、子宮をなめてみてもいいですし、かじっても、食べてみてもいいです。どんな味がするでしょうか。それではまた、あなたの子宮全体を感じてみてください。あなたの子宮さんの、今のご機嫌はいかがでしょうか」

 まさかの展開で食われそうになった子宮様は「なにすんじゃい!」と荒ぶっていらっしゃるんじゃないですかね。

◎子宮との関係は、人間関係と同じ

「その子宮さんに向かって、今話しかけても大丈夫ですか? と問いかけてみてください。そして少しお話させてくださいねとお願いしてみましょう。それではあなたの子宮さんに、名前があるかどうか聞いてみてください」

 名前を聞き出すとは、まるでエクソシスト……。

「そしてパッと浮かぶ名前があれば、その名前を憶えてあげましょう。あなたが、今子宮さんに聞いてみたいことはあるでしょうか。何かひとつ具体的に思い浮かべてください。問いかけたときの、子宮さんの感じは? 具体的にアドバイスがもらえそうだったら、もらってみてください」

 吾輩は子宮である、名前はまだない。と、子宮小説が始まりそうな勢いです。彩氏曰く、名前にこだわる必要はないけれど、名前があると「仲良くなりやすいかもしれない」そうです。そして〈子宮が言いたい事〉がないかどうか、聞いてみるんだとか。声がわからなければ聞き方を変えてみたり、もっとつっこんだ質問をしてみることがレクチャーされていきますが、このプロセスには、まるで自己暗示であると言われている〈コックリさん〉が連想させられます。

「子宮さんを感じながら、今やりたいことはなんでしょうか? 具体的に感じてみてください」

 寝たい、酒飲みたい。以上。多分コックリさんをやっても指が「ね む い」と動くような気がします。

「逆に今やりたくないことはないでしょうか」

 確定申告、経費の精算。

「ほかに言いたいことはありますか? もう一度聞いてみてください。子宮さんがあなたに言い残したことはないでしょうか。子宮さんに届くような気持ちで伝えてあげましょう。もっともっと子宮さんと仲良くなっていきます……」

 子宮の声を聞くワークは、ざっとこんな感じでした。別に蔑(ないがし)ろにはしていないけれど、仲良くなれる気がしねえ~。

 彩氏曰く、今まで子宮の声を感じようとせずにきた人の場合は、無視されてきた子宮が「突然、何事!?」とびっくりして返答してくれないこともあるそう。そして子宮からのアドバイスが聴こえたらすぐに実行しないと、「せっかく教えたのに、アドバイスし甲斐がない」と思って答えてくれなくなるので、小さなことでもすぐ実行すべし! 子宮との関係づくりは、人間関係と同じであるという教えでした。

◎セルフカウンセリングですらない

 レッスンパート後、ワークショップ参加者から子宮筋腫の話が出ると、「筋腫さんに名前をつけて、なにか言いたいことはある? ご機嫌はどう?」と、子宮同様に問いかけることをオススメする彩氏。人面瘡じゃあるまいし、筋腫が気になるなら早く病院へ行け~!と画面の前で叫びたくなりましたが、なるほど〈子宮の声〉とは、臓器擬人化ごっこなのでしょう。セルフカウンセリングですらなく、ファンタジックな小芝居で〈私の体は神聖! 不思議なパワーに満ち溢れている!〉というナルシズムを満たすレッスンであるとお見受けしました。

 子宮の声を聞くレッスンは〈体に意識を向けるための手段〉だという言い方もできそうですが、特殊なテクニックで自分に付加価値をつけたい願望も、超お手軽に叶えてくる遊びです。国家資格であるそれ(特殊技能)とは違い、技術が身についているのか何に役立つのかの評価は、自分自身で判断するしかありませんが。そして真偽の確かめようがない、完全なる〈言ったもん勝ち〉の世界ですから、誰でも発信者となることができ、伝道師&カウンセラーごっこも今すぐ実現可能。うまくいけば子宮委員長のように悩める女子たちの駆け込み寺的存在となり、承認欲求と財布を満たすことも叶うでしょう。

 この、つっこみどころ満載である〈子宮の声を聞くレッスン〉の世界にすんなる入り込める人は、単に好奇心旺盛な人もいるでしょうが、手軽に後利益(付加価値や承認欲求、ひいては開運!)をゲットしたいという願望があるのだと思います。

 逆に、半信半疑だったけれど、このレッスンを見てなんだこりゃ!と思った人は、我に返るための気付け薬にお金を払ったと思うしかなさそうです。

 こんな見解も、私の子宮が発する声なのかもしれませんね。

(謎物件ウォッチャー・山田ノジル)

合意してたのに…3年ぶりの3Pで味わった「複数プレイ実現の難しさ」

 AVなどでよく行われている「複数プレイ」。私はこれがわりと好きなのですが、いままで4回程度しか経験できていません。

 そもそも、セックスとは自分と誰かもうひとりの合意があって初めて成立するものですよね。改めて考えてみると、その時点で結構すごい確率だなと思うんですが、複数プレイはさらにもうひとり(またはもっと多くの人)の合意がないとできません。

 例えば、SMなんかはパートナーに「ちょっとやってみない?」と言ってみれば簡単にできるかもしれません。しかし、複数プレイをしたいと思っても、ソフトSMと同じ感覚で「今度3Pしない?」と気軽に誘ったりはできなくないですか? 2人で行うセックスにはない、「誰かのセックスを見る」「自分のセックスを見られる」という要素が入ってきますし、抵抗を感じる人が多いと思います。

 そうして、なかなか複数プレイの機会に恵まれず、AVで複数プレイものを見て我慢していた時、3年前に複数プレイをしたゆうすけくん(仮名/30歳)から久々に連絡がきました。「久しぶり! 最近何してんの?」といったよくありがちな連絡でしたが、要約すると「久々にセックスしない?」という誘いでした。

 以前ゆうすけくんと複数プレイした時は、ゆうすけくんの友人と男2・女1で行ったので、せっかくならその時の友人を連れてきてもらって久々に3Pしたい! と思ったのですが、その友人は現在海外に住んでいるとのこと。ものすごくガッカリしましたが、ゆうすけくんは「代わりに3Pできる男連れていくから!」と言ってくれました。

 3年ぶりの3Pに心躍らせていた私。当日、ゆうすけくんは後輩のたかゆきくん(仮名/28歳)を連れてきてくれました。たかゆきくんは経験こそないものの、以前から複数プレイに興味があったそうで、この日が初3P。3人でゆうすけくん宅に集合して、お酒を飲みつつイチャイチャし、3Pが開幕したのですが……。

◎地蔵現る

 私とゆうすけくんはすでに半裸状態だったのですが、たかゆきくんは服を脱ぐこともなく固まっています。私からキスをすれば応じてくれたり、ちんちんを触ったら勃っていたものの、積極的に絡んでこようとはしません。私とゆうすけくんは「まあ、初めては誰でも緊張するよね」とウザい感じの先輩目線でたかゆきくんを見守り、「私たち2人がもっと絡むことでたかゆきくんもノッてくるのでは?」と思ったので、フェラやらクンニやら69やら、とにかくいろいろ試みました。

 しかし、たかゆきくんはいまだに固まったまま。それどころか、「やっぱ俺は無理! 先輩の前とか無理!」と言い出しました。

 「別になんも気にすることないのに……」と思いましたが、本人がそう言うならば仕方がありません。話し合いの結果、とりあえずゆうすけくんが家を出てコンビニで時間を潰してくるので、その間に私とたかゆきくんがセックスして、終わったら交代するという結論に。もう3Pではなく、「順番に私とセックスする」だけです。ただ、先にたかゆきくんにヤラせるゆうすけくんには“先輩としての余裕”を感じました。

 いざゆうすけくんがコンビニに行くと、たかゆきくんはそれまでの地蔵っぷりが嘘だったかのようにものすごい勢いでクンニをしてきました。その変貌ぶりに驚いたのですが、地蔵でいられるよりは全然いい。クンニ好きのようだし、挿入時にはちんちんが鉄棒のように固くて好感度がアップしました。

 たかゆきくんとのセックスを終え、ゆうすけくんに「終わったよ」とLINE。戻ってきたゆうすけくんが、たかゆきくんに対して「お前、見ててもいいよ」と告げたところ、たかゆきくんは先程の地蔵モードに戻って私たちのセックスを見ていました。

 私は3P中の「2人の男性に左右のおっぱいをそれぞれ吸われる」とか「1人の男性とキスをしながらもう1人の男性にバックから突かれる」のが好きなので、それを堪能できなかったのは誠に残念だったのですが、たかゆきくんが無理なら強要できないし、仕方ないですよね……。とはいえ、今回のような時間差3Pもそれはそれで楽しかったので、また3人で会いたいと思います。

テ女礼賛~美しく友情に篤い女たち

◎嫉妬深い女性というステレオタイプ

 ここのところ労働問題と病気、ブス、生命倫理や同性愛者差別など重い話題ばかり扱っているので、今回はもう少し気楽な話をしたいと思います。テーマは「モテ」です。

 そもそもモテるモテないという話自体いじめや偏見に結びつきやすいので、これだけでは全然愉快に見えないかもしれません。むしろ気が沈むようなテーマだと思う方もいるでしょう。嫌な話にならないよう、気をつけようと思います。

 女は嫉妬深くて他の女の足を引っ張るとか、女の友情は男に比べて長続きしない、というようなことを自明の理であるかのように言うのが好きな人がいます。これは単なるステレオタイプで、たいして根拠があるものではありません。社会言語学の研究者であるファーン・ジョンソンによると、1970年代の後半になるまでそもそも女の友情についてはほとんど研究がなく、女は陰湿だとか、女同士が親しくすると男との関係に支障が生じるとかいった「男の世間知」ばかりが信じられていたそうです (Fern Johnson, ‘Friendships among Women: Closeness in Dialogue,’ in Gendered Relationships, ed. by Julia T. Wood, Mayfield, 1996:79-94, p. 79、拙訳)。

 最近は女同士の人間関係についての研究もありますが、あなたが友人のいる女性であれば研究成果を紹介するまでもないでしょう。友を思いやる気持ちは性別や性的指向で左右されるようなものではありません。1991年公開の『テルマ&ルイーズ』のような古典的なものから2015年公開の『駆込み女と駆出し男』など新しい作品まで、映画などで女同士の友情や連帯を描くものもたくさんあります。また、英語版のハフィントンポストには女の友情についての記事一覧があり、実は女の友だち付き合いというのは男が想像しているようなものとは結構違うというような記事がいくつも読めます。

◎悪いモテ女、いじめられるモテ女

 一方、いまだに女の嫉妬は好んでとりあげられる主題です。「悪女」「妖婦」といった類型がありますが、性格が悪くて友だち甲斐のないモテる美人が出てくる作品はたくさんあります。成熟した色っぽい悪女から、アメリカの学園映画に出てくるようなライバルを蹴落としたり他の子をいじめたりするのにばかり頭を使う若い「女王蜂」(Queen Bee)キャラまで、枚挙にいとまがありません。

 あまり可愛くない女が可憐なモテ女に嫉妬するという物語もたくさんあります。日本では『源氏物語』の桐壺いじめが有名ですね。ディズニーアニメ『シンデレラ』(1950)のようなおとぎ話にすら、ぱっとしない義理の姉に美人のシンデレラがいじめられるモチーフがあります。

 私はこうした陳腐なステレオタイプにはうんざりしています。個人の経験は限られているので一般化はできないかもしれませんが、分別ある大人であれば、とくに性格に問題が無いかぎり美人だとかモテるというだけで同性に嫉妬したりはしないでしょうし、同性の間で人望のあるモテ女もたくさんいます。どこかに美しく友誼に篤いモテ女が出てくる愉快な作品はないものでしょうか……?

 実は、思いもよらない古典的な作品の中に、こうした女性が登場することがあります。今日の本題は、こうしたフィクションに出てくる「友だちにしたいモテ女たち」を褒めることです。ここからはポジティブな感じでオススメの作品を紹介していきましょう。

◎『ラ・ボエーム』のムゼッタ

 最初はジャコモ・プッチーニ作曲のオペラ『ラ・ボエーム』(La Bohème)です。1896年に初演され、おそらくイタリアオペラの中で最も有名な作品でしょう。パリで芸術や学問を志す貧しい若者たちの恋模様を描いており、中心は作家志望のロドルフォと貧しいお針子ミミの悲恋です。ロドルフォとミミは愛し合っていますがミミが結核になってしまい、もっと金持ちの恋人を探したほうがミミのためになるということでふたりは一度別れます。最後に瀕死のミミがロドルフォのもとに戻り、ミミは死んでしまいます。

 私は高校生の時に音楽の授業でこのオペラのダイジェストを見たのですが、全然面白くありませんでした。ミミはとても可憐ですが、ひどい言い方ですけれどもまるで出てきて死ぬだけみたいな役割で、いかにも古くさいお涙頂戴に思えたのです。大人になってから、造花を作るお針子ミミの芸術的創造性を強調したり、ミミの死を女性の抑圧や貧困の象徴として描いたりする演出があることを知りましたが、それでも無力に死んでいくだけのヒロインを見て泣くのは、私はあまり好きではありません。

 ところが、この作品にはとても心強いモテ女、ムゼッタが登場します。お金持ちのアルチンドロの愛人であるムゼッタは、自己主張が強く自分の美貌に自信があります。第二幕では別れた恋人で画家であるマルチェッロの気を惹くためにアルチンドロを振り回し、「私が街をあるけば」というとてもセクシーなソプラノのアリアを歌います。このアリアは「私が街を歩けば、みんな私の美しさに見とれる」と自信に溢れた歌詞で、ムゼッタの人柄を表しています。一方、アルチンドロはリッチですが魅力の無い男として戯画化されており、ムゼッタは金で女の心や体をいいようにできると思っているアルチンドロのような男に対して一切、敬意を払いません。

 自分の意志で男を誘惑したり捨てたりする女に対して冷たい扱いをする作品が多い中で、『ラ・ボエーム』第二幕はむしろムゼッタの根性を胸がスっとするような反骨精神として描いています。ムゼッタは本気で愛しているマルチェッロに対しても容赦せず、第三幕では自分が自由な女であることを高らかに歌い上げながら嫉妬するマルチェッロとケンカします。ムゼッタは男に従順ではなく、モテ女らしい余裕に満ちています。

 男に厳しいムゼッタですが、女にはとても優しい友です。病気のミミをロドルフォのところに連れてきたのはムゼッタですし、ミミのために手をあたためるマフを用意し、自分の耳飾りを売りって作ったお金をミミのために使おうとし、病気が治るよう聖母に祈りを捧げます。金持ちのパトロンからはむしり取り、恋人の束縛には容赦なく毒づくのに、友だちのミミのためならためらいなく自分の持ち物を売るムゼッタは清々しいキャラクターです。ミミもムゼッタのことは信用して頼っているようですし、女の美しい友情が垣間見えます。

◎『紳士は金髪がお好き』

 次にオススメしたいのはハワード・ホークス監督の映画『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen Prefer Blondes)です。1953年の作品で、マリリン・モンローとジェーン・ラッセルがふたりのショーガール、ローレライとドロシーを演じます。モンロー演じるローレライがピンクのドレスを着て 「ダイアモンドは女の親友」‘Diamonds Are a Girl’s Best Friend’を歌う場面は有名で、何度もカバーやパロディが作られています。

 この作品は一見、お色気で玉の輿を狙う古くさいお話に見えますし、ローレライがブロンドのバカ娘、ドロシーがブルネットの賢い娘、というアメリカ映画によくある性差別的ステレオタイプが使われているように見えます。ところがこの作品ではローレライとドロシーの友情が細やかに描かれ、今でも女性に人気があります。

 ローレライとドロシーは貧しい生まれで、タフで美貌に恵まれており、それを生かして出世するためお互い協力を惜しみません。ローレライは一見、お金と宝石に目のない頭の足りない浮気娘に見えますが、嫌な女としては描かれていません。ローレライはドロシーをお節介なくらい心配しており、素敵なお金持ちを親友に紹介しようとしてドジってしまうなど思いやりが裏目に出ることもあります。また、最後まで見ていると実はローレライはバカなふりをしているだけで、本当はかなり機転が利くのだとわかります。一方のドロシーは頭が良く、世間的な常識もありますが、弱点は破天荒なモテ女でいくぶんドジっ子でもあるローレライに夢中なところです。ローレライがいくら素っ頓狂な失敗をしてもドロシーは見捨てずに救いに駆けつけます。ローレライは呆れるほどモテモテですし、ドロシーも人好きのする美人ですが、お互いに嫉妬したりすることはありません。ふたりともとてもセクシーで、自分の性欲や性的魅力、モテっぷりに居心地の悪さを感じていませんが、この映画にはそうした女性の性的な自信や自己主張を断罪するようなところもありません。

 『紳士は金髪がお好き』は、1950年代のアメリカ映画にしてはとても女性のセクシーさや自己主張、友情に対して肯定的です。ローレライもドロシーも自分の意志で行動し、魅力があります。時代の限界はあるにせよ、女同士の絆が熱い作品です。

◎『セックス・アンド・ザ・シティ』

 最後に一作だけ、新しめの作品をとりあげようと思います。1998年から2004年まで放送され、映画も作られたドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』(Sex and the City)です。ちょっとゴージャスでセクシーすぎるところもあり、好みは分かれるかと思いますが、とても影響力があるドラマです。

 ニューヨークを舞台に、成功している女4人の恋愛談義を描くこの作品は、今まで紹介したものとは少々毛色が違います。性についての考え方も現代的ですし、女性が職業を持つことが当然となっていることもあり、ヒロインが貧しい『ラ・ボエーム』や『紳士は金髪がお好き』とは異なり、色気よりは専門技術を用いてリッチになった女たちの物語になっています。

 この作品に出てくる一番のモテ女はサマンサ(キム・キャトラル)です。PR会社を経営しており、呆れるほどモテますしセックスに積極的です。『ラ・ボーム』のムゼッタや『紳士は金髪がお好き』のローレライと違って自分で会社を経営し収入を得ているサマンサは、生きるために色気を使う必要がないので、楽しみのためだけにデートやセックスできる自由を持っています。

 このモテ女サマンサはきわどいエロ話で他の3人をビックリさせることもある一方、たいへん友情を大事にする性格で、トラブルがあれば友だちを誠心誠意助けます。友だちのキャリーもミランダもシャーロットも、たまにケンカすることはありますが年長で根性もあるサマンサを基本的にとても信頼しています。男にはあまり執着しない一方で女友だちには優しいモテ女サマンサは、キャラクター造形としてはムゼッタの直系の子孫でしょうし、『セックス・アンド・ザ・シティ』は『紳士は金髪がお好き』にも少し似た女の友情と恋愛の物語だとも言えるかもしれません。

 このように、探してみれば友情に篤いすばらしいモテ女たちの活躍を楽しめる作品はけっこうあります。こうした作品に出てくる女性たちに共通するのは、皆自分の美貌や生き方に自信があり、自己表現として美しさをアピールしたり、自分の意志で自由に行動したりする一方、女同士助け合うためには自分の利害を捨てて行動することもできるという点です。もし女同士の友情は軽いものだとか、女は嫉妬深いとかいうような話に出会ったら、是非ムゼッタやローレライやドロシーやサマンサのことを思い出して欲しいと思います。あなたの周りにもこういう女性がいるかもしれません。

セックスの経験がないのは恥ずかしいことか? 「中年処女」の知られざる実態

<p> 何歳からをそう呼ぶのかは別として、「中年処女」は実は少なくない。処女のままでいる理由や背景はさまざまで、いわゆる「中年童貞」にある低スペック(非正規雇用、オタク、コミュ障など)のイメージとは少し異なるようだ。では、その知られざる実態とは? 当事者の声を聞いてみた。</p>

セックスの経験がないのは恥ずかしいことか? 「中年処女」の知られざる実態

<p> 何歳からをそう呼ぶのかは別として、「中年処女」は実は少なくない。処女のままでいる理由や背景はさまざまで、いわゆる「中年童貞」にある低スペック(非正規雇用、オタク、コミュ障など)のイメージとは少し異なるようだ。では、その知られざる実態とは? 当事者の声を聞いてみた。</p>

「男をひと括りにするな!」「女もクソ!」草の根作戦によるクソ男撲滅は厳しい!? 男女仲良く恋愛するにはどうすれば良いのか

こんにちは、桃山商事の清田です。これまで「クソ男撲滅委員会」という連載を通じ、我々男性の中に眠る「クソさ」や「しょーもなさ」について自己省察を交えながら考えてきました。

今回、この連載をリニューアルし、「先生、“男らしさ”って本当に必要ですか?」というタイトルの新企画をスタートすることになりました。

桃山商事では「失恋ホスト」といって、主に失恋した女性・恋に悩める女性たちの語りに耳を傾ける活動をしています。そして、そこで見聞きしたエピソードを元に、男女のすれ違いやジェンダーの問題について意見や考察を発信しています。それが“恋バナ収集ユニット”を標榜している理由です。

恋バナというとちょっと軽い響きに感じられるかもしれませんが、話を聞かせてくれる女性たちはかなり真剣です。恋人や配偶者のいる人、いない人。そこで見聞きするエピソードは実に多種多様であり、安易にカテゴライズすることはできません。人生の一端をのぞかせてもらったような気がして、毎回ズシーンと来ます。

もちろん、悩みごとをどう乗り越えていくかは最終的に本人の問題であり、我々はその手伝いくらいしかできません。良き話し相手になれるよう努めるのみです。

その一方で、ここでの体験は男である我々に重たい課題を突きつけてきます。なぜなら、女性たちの恋バナにはクソな男、しょーもない男がわんさか登場し、「うわっ、それ俺もやったことあるかも」「俺も同じ穴のムジナなのか……」という気持ちになって全然笑えないからです。

女性たちの目に映る男のクソな部分を直視し、その原因やメカニズムについて男性当事者として考察していく──。それが「クソ男撲滅委員会」のコンセプトでした。

◎「男をひと括りにするな!」「ていうか女もクソだろ!」

旧連載では、主に世間を賑わせたニュースや作品を題材にクソ男の研究を進めてきました。連載の第1回では「女性の目に映る『男のクソな性質』ベスト30」を紹介しましたが、これに加え、下記のような問題点もあぶり出されてきました(ごく一部を抜粋)。

・男の家事には「サステナビリティ」という視点が全然ない
・男にとって妻や彼女は“セックスできるママ”
・男を狂わせる「俺SUGEEEE(=全能感)」という麻薬
・「努力や成長の“報酬”としてイイ女がついてくる」という謎の発想
・「ケアされる側」で生きてきたため、人の話を聞けない
・ゲームやスマホの中に引きこもって、目の前の現実と向き合わない
・責任や面倒を回避するため、すぐ正当化のロジックを構築する
・妊娠や生理について理解度が恐ろしく低い
・「俺は変わる」とか言いながら結局は行動を何も変えない
・「全部やれる!」という“無限論”的な過信がある
・「忙しい→疲れる→キャパがパンパンになる→逃げる」というループ
・「得したいけどリスクは背負いたくない」というキョロ充マインド
・現実を自分のフレームにハメ込んで解釈する“演繹的思考”
・“戯れ”の会話しかできず、相手を掘り下げることができない
・そもそもコミュニケーションがまったく成り立たない
・こんなに批判しても、「あ~、いるよねそういう男」とどこか他人事

……いかがでしょうか。私自身も、連載の相方である佐藤広報も、胸の痛みで何度も死にかけながらこういった問題と向き合ってきました。

しかし、こういった問題点について丹念に考察を深めても、記事のコメント欄には「男をひと括りにするな!」「俺は違えから!」「ていうか女もクソだろ!」といった男性たちからの書き込みが後を絶ちません。

我々としては、「女の人は俺たちのこんな部分に腹を立てているから気をつけよう!」というメッセージを発信してきたつもりですが、毎回のように記事そっちのけで「男VS女」の激しいバトルが繰り広げられており……残念ながら、男性たちに言葉を届けられたという実感は正直ありません。「クソ男撲滅委員会」という看板を掲げながら、悲しみの敗北宣言です。

そこで新連載では、男性性について深く考察している先生たちに教えを乞いながら、引き続きこの問題について考えていきたいと思います。こうなったら偉い人の力を借りるしかありません。

ヒントになったのは、男性学の専門家である武蔵大学・田中俊之先生との対談でした。こういった形で、ジェンダー論の研究者はもちろんのこと、様々な立場・視点から男性問題について研究されている先生たちにも話をうかがっていくつもりです。

我々がフィールドワークで収集した実例と専門家の知見を接続させ、男女が仲良くやっていくための有用な視点を提供していけたらと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

(清田代表/桃山商事)

モラハラの世代間連鎖に絡め取られた母娘 “モラハラ家庭で育った私”と決別する日

「お母さん、カウンセリング行きなよ。私、探すから」

年明けだったろうか、遠方に住む母と電話で3時間話した末に私がした提案。根本的解決にはつながらないだろうけど、母には遠慮なく吐き出せる“場”が必要だ。そう思った。

◎モラハラ夫である父が支配する家庭

私はモラハラ家庭に育った。家庭内モラハラのベクトルは、いろいろある。夫から妻へ、妻から夫へ、親から子へ。我が家は夫から妻へ、つまり父から母へだ。

きわめて男尊女卑思考が強い父は、母を家政婦かつ子育て係かつ介護要員と認識しているようだった。専業主婦である母が家のことを担当するのは自然だとしても、その働きに対する父からの“感謝”や“敬意”が決定的に欠けていた。母を顎で使い、口ごたえを許さず、ときに罵倒し手を上げた。

父は家庭に君臨する絶対専制君主であり、父の機嫌が家庭を支配した。子である私も激情型の父の顔色をうかがいながら過ごしたものだ。

◎モラハラの世代間連鎖におびえ、鎖をぶった切ると決めた

そんな家庭に育った私は、「大きくなったらお父さんのお嫁さんになるの!」という幸せな家庭の象徴みたいなセリフを一度も口にしたことがない。思ったこともない。むしろ、「父親とは違うタイプの人と結婚しよう」と固く心に決めていた。

有名な話なのでご存知の方も多いだろう。モラハラの世代間連鎖――モラハラ夫婦の両親を見て育った娘は、同じようにモラハラ男性を配偶者に選んでしまう可能性が高いという学説がある。世代間連鎖をはじめて知った時は震えた。何を隠そう、母の両親、つまり私の祖父母もモラハラ夫婦だったのだ。古い時代は家父長制の名残りがあり、どこの家庭もある程度父親が威張っていたものだというが、聞く限りでは祖父の行為はその範囲を逸脱していた。母はモラハラの世代間連鎖をまさに体現してしまっている。

じゃあ、娘の私はどうなるの?

私は結婚しないほうがいいのかもしれない、父と同じタイプはいやだと言いながら同じような人を選んでしまうのかもしれない。頭が真っ白になった。でも、私は世代間連鎖をぶった切ると決めた。そんな学説、私が反証してみせるとばかりに、徹底的に慎重に男性を見る目を養おうとした。自信満々に自分の価値観ばかりを一方的に話さないか、過剰な束縛をしないか、やたらと人を見下さないかなど、10ほどのチェック項目を設けて、モラハラ男性を避けるよう自分の中のセンサーみたいなものを鍛えた。

結果、私が配偶者に選んだ男性は父とは全く違うタイプの男性だ。専業主婦だった頃の私が体調を崩せば「洗濯物がたまっても家が散らかっても人は死なないから、とにかく休んで」と言う(それ普通じゃない? とお思いかもしれないが、私の実家じゃ考えられなかった)。夫は「誰かが家の中でビクビク緊張して、言いたいことを我慢しなきゃいけない家庭は絶対にいやだ。みんながホッとできる空間を作りたい」という私の切実な願いに共感を示してくれて、結婚式のときに作った自己紹介シートの「相手に約束してほしいこと」の欄には、「何事も我慢しないこと」と書いてくれた。一生分の幸せを使い果たしたんじゃないかと思って涙が止まらなかった。

母は、優しい男性が娘の伴侶となったことを心底喜んでくれて、暮らしの中のちょっとしたエピソードなんかを話すと「ほんとにお父さんとは違うねえ」なんて笑っている。娘としてはちょっと切ない笑いだ。

◎モラハラ夫婦の間に足りないものは何なのか

こうして無事、モラハラの世代間連鎖はいまのところ断ち切れているものの、両親のモラハラ問題が解決したわけじゃない。東京で夫と平和に過ごしていても、ふと両親に思いを馳せると、心に暗い影がさす。

母も、娘がもはや30を過ぎ、“妻”という立場を共有できる関係になったこともあって、子供の頃よりも遠慮なく弱音や愚痴を吐いてくるようになった。母の方からしか話を聞いていないので欠席裁判で不公平ではあるけれど、父は歳をとって丸くなるどころかますますややこしくなっている。

長年両親を見てきた一人の人間として、あの夫婦間に何が足りないんだろうと、最近は客観的に考えるようになった。今更ではあるが、父は人格破綻者ではない。立派に仕事で身を立て、家族を養い、(私の知る限りでは)外に女を作ることもなく、真面目に生きてきた。子供の教育には熱心だったし、旅行にもたくさん連れて行ってくれた。自営業者である自分の職業を、無理に子に継がせようとしなかったことにも感謝している。娘の結婚式では号泣していた。救いようなく性根が腐ってるわけではない。ただ、母に対する“思いやり”と“敬意”が決定的に欠落している。家族でない、周りの人に対しても傲慢な部分はあるが、多少は守るべき体裁や外面が存在する。しかし完全な身内であり自分が養っている「弱者」である母には、自制も働かない。どんなに近い仲でも、いやむしろ近い仲だからこそ、思いやりと敬意は絶対に必要なのに。

思いやりが欠けるとどうなるか。母が昔、少し静養を必要とする病気にかかったとき、父はいたわるどころか「子供をつれて実家に帰れ」といった。足手まといだと言わんばかりだった。

敬意が欠けるとどうなるか。父方の祖父を看取ったのは、母だ。10年近い祖父の闘病を子育てしながら1番近くで見続けたのは、母だ。その祖父が亡くなった時、父から母へ「ありがとう」のひと言はなかった。

些細なことかもしれない。でもこれらは氷山の一角で、一時が万事なのだ。ときに人格否定さえされながら、思いやりも敬意も与えられない日々を何十年も過ごした母。目を背けてきた小さなヒビや歪みは、いまや溝のように深くなっているようでもあり、同時に鎖のように2人をがんじがらめにしているようにも見える。しかも悪いことに、父が地元に根付いた仕事をしていて周囲は知り合いだらけなので、ちょっと誰かに愚痴を漏らすわけにもいかない。

◎考えられる解決策と、それを阻む現実

そこで娘の私が聞いてるわけだが、電話での会話に、愚痴が占める割合がだんだんと増えてくる。内容も、なんだか聞いていて心がえぐられるような話になってくる。

ついに、私は常々考えていたことを言った。「お母さん、もう別れたら? 帰る実家が無くなっても、それでも親が苦しみながら暮らしてると思うより、バラバラでも風通しよく暮らしてくれてる方が嬉しい」と。

母は声を抑えて泣いたあと、言った。「それも考えるよ、でもね、いざとなると不安なのよ」何が不安なのかと聞くと、やはり1番は経済的なこと、次は老後の体の心配だという。

モラハラ被害に合う女性が離婚に踏み切れない理由は、一般的にも経済的事情が多い。子供がいないならまだしも、子供を抱えてしかも専業主婦の場合、よほど実家が裕福でもないと、生活に困窮することが目に見えているので辛くても離婚に踏み切れない。女性が経済的にパートナーに依存しないことは重要だと、こういう場面でも思い知らされる。

そして老後の体の心配とは、つまり日々の生活や介護の心配だ。1人暮らしじゃ病院に付き添ってくれる人もいない、看病してくれる人もいない。いやな夫の老老介護でも、一人よりはましだと言う。でも、子供の誰かの近くに住むなり、同居するなり、ホームに入るという手もある。それを伝えると、「とにかく子供に迷惑をかけたくない」というセリフが返ってきた。ちょうど今、祖母の介護問題で母と叔母の関係がややこしくなっている。だから、自分が原因で、自分の子供たちがいがみ合うのを避けたいんだろう。

そういう諸々の要素を勘案するといやな夫でも添い遂げるしかない、と諦めの境地みたいなものに達しつつ、日々のつらさは耐え難い……そんな母の心境がみてとれた。

そこで私が発したのが、冒頭のセリフだ。母には“話す場”が必要だ。共有してくれる人が必要だ。私は話を聴くけれど、やっぱり母は相手が娘だということを最後まで忘れてなくて、“越えてはいけない一線”を意識している。娘の父親である夫への悪口を言いつつも、微妙に言葉を選んでいる。でも相手が職業カウンセラーなら、なんのしがらみも無いから、呪詛の言葉でも好きなだけ吐いたらいいし、泣こうが喚こうがちゃんと聞いていてくれる。とりあえず吐き出せて、共感してもらえて、もしかしてちょっとでも気持ちが楽になるヒントでもくれればラッキーだ。そのくらいの楽な気持ちで行ってみたらいいよと提案してみたら、母は同意した。

私はその日のうちに、通える範囲で、出来るだけ地元から離れたカウンセリングルームをピックアップして母にメールしておいた。少しでも楽になってくれればと祈るような気持ちだった。

◎ひっそりと、でも確実に存在する私が克服すべき歪み

でも、私は気づいている。

自分が、本来一番すべきことから逃げていることに。

母の愚痴を聴くのもいい、出張で上京する父とたまに食事して機嫌よく帰ってもらうのもいい。

だけど、全く効果無しかもしれないけれどもしかしたら1番効果的かもしれなくて、でも意識的・無意識的にずっと避けていること。それは私が両親を前に「お父さんのやってることはモラハラで、娘として両親が切実に心配だ」と正面切ってきりこむことだ。

多分、“思いやり”や“敬意”をいまさら身につけろといっても無理だ。でも、娘から切実に訴えかけられたら、妻に対する当たりをやわらかくしようかとほんの少しは心が動くのではないか。真剣に考えてくれはしないだろうか。……その可能性に思い当たらなくもないのに、私はそれから目をそらし続けている。

つまり、私も父が怖いのだ。もう30をこえて、よそへ嫁いでも、正面切って父に抗議できない。ビクビク顔色をうかがって過ごしていた少女の頃と、根本的に何も変れていないのだ。論理的に考えたら、私が父を怖れる理由は何もない。キレられたって縁を切られたって生活は脅かされない(私に夫婦の事情を話したことについて母が責められてしまうリスクはあるが)。単に、モラハラ家庭で育ったゆえに育まれてしまった歪んだ恐怖心を、私が克服できていないのだ。

声を震わせながらでも両親を前にして毅然とこの話題について意見できたとき、私は“モラハラ家庭で育った私”と、やっと決別できるんだと思う。
(吉原由梨)

男性の「挿入でイカせたい願望」を立てながら跳ね飛ばす方法

◎挿入でイカせたがる彼にもっと手マンをしてもらうには?

<qiqiさん>47歳/女性

 ロリルミさんこんにちは。いつも、私も勉強させてもらいながら読んでいます。それで、思い切って相談することにしました。

 私はセックスのスタートも遅ければ、性に対する恥ずかしさも強くあり、男性と上手く付き合うことは難しい時間をずっと過ごして来ました。しかし、今の彼と出会って心も身体も素直になることが出来、遅ればせながらやっと“イク”という感覚も掴めました。本当に彼には感謝しています。

 彼は54歳。調子の良し悪しもあります。でもそんな時はクンニやクリへの刺激で満足させてくれます。ただ、「今、指を中に入れて欲しい」っていうタイミングに入れてくれないのです。

 彼にとって「指でイカす」ということに抵抗があるらしく、あくまでもナカは「自分のモノでイカす」というこだわりがあるようなんです。何度か「今、入れてみて」と、雰囲気に合わせて言ってるのですが、3回に2回はスルー。やっと指を入れてくれて私がイッてしまうと「指のほうがいいの?」とちょっと悲しげなんです。

 彼の信念? みたいなモノを傷つけずに、指を使ってもらうにはどうすればよいでしょうか?

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 qiqiさん、いつもコラムを読んで下さってありがとうございます!

 qiqiさんの彼のように「イクなら俺のちんちんで!」という男性って少なくない気がします。面倒くさいですよね。こちらとしてはイケれば何でもいいし、イケる確率の高いほうでお願いしたいところなのに。

 ただ、もし自分が男性に「挿入よりも手コキのほうが気持ちいいから、手コキを重点的によろしく!」と言われたら結構ショックかもしれません。手マンや手コキなどのテクニックは練習次第で変えられても、ちんちんやまんまんは簡単には変えられないし、言うなれば自分の個性でもあるので、それを否定されたら悲しいのかもしれませんね。

 そもそも、「調子の良し悪しもあります。でもそんな時はクンニやクリへの刺激で満足させてくれます」とありますが、挿入ナシ=挿入でイカせることができない状況なら、尚更指でイカせてくれてもいいじゃないですかね! もしかして彼としては、次回挿入するまでおあずけ☆ 的な、じらしプレイをしているつもりだったり?

 いずれにしても、どうしても彼は「挿入で一番感じてくれるqiqiさん」を求めているようなので、あくまでも挿入が気持ちいいことを全面に出した上で「手マンと挿入時の感覚がすごく似ている」と伝えてみるのはどうでしょうか? ちょっとエッチな言い方をすれば、「あなたの指ってちんちんみたい!」とか。AVみたいな言い回しですけど、セックスが盛り上がってる時ってこういう赤面ワードもOKだったりしますよ。そうすれば、彼も「俺の手マンは挿入並の実力があるんだ!」と感じ、積極的に手マンしてくれるようになるかもしれません。

 あとは手マンしてほしいタイミングがきたら、自ら彼の手をまんまんに誘導するのもアリ。私はいつもそうしています! 「今ものすごく手マンを欲している」ことを行動で示して、彼が手マンをせざるを得ない状況を作りましょう。

専業主婦という生き方を選ぶのはなぜか? 結婚・出産・育児で仕事をやめる女性たち

女性をめぐる社会問題について、誰にとっても身近なのは、女性の仕事、労働ではないかと思います。

子育てや介護には「誰が家庭内労働をするのか」という問題が、通勤電車での痴漢や女性車両登場の背景には「女性が男性社会で働き始めた」という社会の変化が、そして女性管理職の少なさや、女性非正規労働者の問題には「女性は家庭を優先するので働き方が違う」という社会通念、あるいはそういう働き方をせざるを得ない社会構造があります。

こうした問題は、男性がブルーカラー労働者からホワイトカラー専門職まで家族を養うのに十分な収入と社会保障を得て、女性が家庭で主婦として家事・子育て・介護労働を提供していた頃には、大した社会問題になっていませんでした。しかし、世界的な女性の権利や人権意識の向上、新自由主義の進展、グローバリゼーションによる経済競争の激化、産業構造の変化、男女の教育レベルの向上、人口構造や家族のあり方の変化など、さまざまな理由により社会は急激に変化し始めています。

◎世界的には女性のほうがトータル労働時間が長い

労働や仕事を考えたとき、こうした外部環境の変化に最も影響を受けているのは女性です。「男性サラリーマンが世帯主で、主婦が家庭で無償労働を提供」を前提にした社会のシステムはいまだに変化しておらず、男性の働き方もほとんど変わっていないのに、女性は男性のように働くことを求められ、かつ家庭での無償労働も今まで通り提供し続けています。

下のグラフは男女の労働量の比率を示したOECD の最新のデータを基にしたグラフです。各国の「外での仕事時間」「家庭内労働時間」を足した、トータルの1日あたりの労働時間のグラフを見ていきましょう。

【グラフはmessyで!】

この2つのグラフから分かるのは、ほとんどの国で男性より女性の方がトータルの労働時間が長くなっているということです。もともと女性の家事労働時間は男性よりもずっと長い状況にありました。そこに女性の労働参加率上昇によって外部労働時間が加わったことで、女性のトータル労働時間が長くなるという傾向が出ているわけです。

例外もあります。日本、オランダ、ノルウェイ、ニュージーランド、デンマーク、スウェーデンの6カ国は、女性よりも男性のトータル労働時間が長くなっています。これら6カ国の中では、日本は家事労働時間、外部労働時間、トータル労働時間、フルタイム労働者の賃金格差すべてで男女差が大きく、また子育て世代である20代、30代の女性の就労率も他の5カ国に比べて低い、という特徴があります。

◎女性は、結婚・出産・育児で仕事を辞めている

ここで、女性就業率と労働力率の問題について考えてみたいと思います。

読者の皆さんの中にも「女性のM字型労働力率」という言葉を聞いたことがある人は多いかもしれません。女性が結婚・出産・子育てを機会に労働市場を離脱し、子育てが一段落したところで再び労働市場に戻ってくる、という現象をグラフで表したときにM字型に見えることから、こうした呼び方が定着しました。

女性の年齢階級別労働力率の世代による特徴

リンク先は内閣府が発表している正規・非正規を合わせた労働力率のグラフです。労働力率とは、簡単に説明すると、15歳以上の人口に占める「働ける人、働きたい人」の割合を意味します。このグラフをみると、昭和58年以降生まれの世代についてはM字型になっていくのかどうかわかりませんが、昭和53〜57年生まれについては、すでにM字型の兆候が確認できます。

年齢階級別・就業形態別に男女の就労者数をグラフ化しているものもあります。

年齢階級別労働力率の就業形態別内訳(男女別,平成24年)

これも内閣府の発表しているものですが、ここでもM字型がはっきりと見て取れます。つまり、結婚・出産・育児を機に仕事を辞めている女性が多く、育児が落ち着いた頃に再び就労するという状況が続いている、ということです。

◎問題は子育てのために仕事をやめることなのだろうか?

一方で、子育てのために仕事をやめることそのものが問題なのか、ということも、議論しておくべきです。子どもにとって親と過ごす時間はかけがえのないものであり、親にとっても子どもの成長を見届けることは、限られた期間しか享受することのない貴重な経験でしょう。専業主婦(夫)という選択肢そのものは決して否定されるべきものではありませんし、世界中で、ある時期には世帯主が夫で、専業主婦が家庭内の無償労働を行うという家庭のあり方が最も効率よく、経済成長にとって効率的なライフスタイルであったことも見過ごしてはなりません。しかし、時代は変わりました。男性賃金の停滞、非婚、未婚、離婚、教育費高騰など子育てにかかる費用の増大といった様々な原因によって、専業主婦はもはや多くの女性にとって現実的選択肢ではなくなっています。

また、心理学、社会学、経済学などの社会科学では、子どもの生育や発達には専業主婦家庭と共働き家庭で育ったことによる差は無いという研究が多数出ています。「3歳児神話」がまだまだ根強く社会に残っていますが、重要なのは子どもと関わる量ではなくその質です。

こうした科学的根拠があるにもかかわらず「子どもは母親が育てるべき」という迷信がまだまだ強く母親を縛り付けています。そして、本来ならば夫婦の問題であるはずの子育てが、母親のみの問題とされてしまっています。

専業主婦という選択肢が、本当に本人が完全に自由な状態で選んだ生き方、キャリアのあり方ならば、それは素晴らしいものでしょう。しかし、現実には専業主婦以外の選択肢を自由に考慮したうえで選んでいるとはいえない状況が多いのではないでしょうか。

家庭内労働に加えて外で働く負担まで負えない状況、「子どもは母親が育てるべき」という迷信に踊らされている状況、外での勤めでどんなに頑張っても報われないという諦め。そうした状況で選ぶ専業主婦というライフスタイルは、決して本人の選択ではありません。専業主婦が提供している家庭内労働は社会に必要な労働であり、高い価値のあるものです。「専業主婦という生き方、働き方をしたい」と自ら望むのではなく「専業主婦の方がまし」と思って「でもしか専業主婦」になるのは、本人の心からの選択ではなく、社会に選ばされているのです。

保育園問題に声を上げるのも女性、家庭と仕事の両立で悩むのも女性。すべてが女性の肩に重くのしかかる一方です。会社、保育園、そしてありとあらゆる行政サービスや社会の仕組みが、子育てや家庭と仕事の両立を「女性の問題」として捉え、女性に対するアプローチをしています。しかし「世帯主が男性」という前提で成り立っている社会そのものを変えていかなければ、女性はいつまでたっても「本当に自由な状態で自分で専業主婦という生き方を選ぶ」ということができません。社会が「女性の問題」と考えている問題は、女性が生み出しているのではなく、女性が問題を抱えざるを得ない社会によって生み出されているのです。

そして、女性が完全に自由な状態で様々な可能性を検討したうえで専業主婦を選ぶことができる社会では、きっと男性も同じように様々な可能性を検討したうえで家庭に入ること、外で働くことを選択できるようになるでしょう。

こうした選択肢を考慮するにあたり、非正規雇用という働き方についても検討すべきです。日本では非正規雇用のネガティブ面が強調されることが多いですが、世界には非正規雇用が労働者のワークバランスを保つ新たな働き方として機能している国もあります。次回はもう少し詳しく非正規雇用について考察していきたいと思います。

「子供を連れて来ないでほしい」独身子なしが既婚子持ちにモヤモヤする時

 「女性は結婚や出産を経ることで、女友達との付き合い方が変わる」というのはよく言われることです。生活環境が変わることで、以前にも増して友情が深まったとしたらいいことですが、その逆パターンも珍しくないようです。

 28歳のOL・Sさんは、高校時代から仲のいい4人の女友達がおり、年に数回は全員で集まるそうです。その中の一人は6年前に結婚して5歳と2歳の子供がいますが、Sさん含む他の4人は独身。彼女たちの関係は、徐々に変化してきたそうで……。

――5人グループの友情はどんなふうに変化してきたんでしょうか?

S「私たちは皆別々の都道府県に住んでいるので、それぞれの住む県で順番にみんなが集まってきたんです。前回は私が住んでいる東京に集まってくれて、その前は別の友達が住んでいる群馬に集まりました。そんな時、子持ちの友達が必ず子供2人を連れてくるんです。仕方ないことなのかもしれませんが、私を含め独身の4人はそれにモヤモヤしてしまって」

――どういうことでしょうか?

S「『預けるところがない』などの事情があるかもしれないし、子供を連れてくること自体はまだいいんです。ただ、子持ちの友達は私たちと集まる度、動物園や公園など自分の子供たちが行きたい場所に行くこと前提で。子供がいると行動範囲が限られるのはわかりますが、さも当然のように振る舞われるのに違和感があるんです。そもそも、私たちは子供向けの施設に行ってもつまんないですし。でも、『子供を連れてこないでほしい』『動物園には行きたくない』とは誰も言えなくて。私たちは独身だから子育てについてよくわからないし、そんなこと言ったらこっちが悪者になりそうで」

――子連れ参加の友達がいたら、どうしても子供優先になってしまいますよね。

S「友達の子供は可愛いと思うんですが、ものすごくやんちゃで。兄妹なんですが、お兄ちゃんのほうは私たちにキックやパンチをしてきて、それが地味に痛くて(苦笑)。母親である友達が、それを見ても『やめなさいよー』と軽く言うだけで、きちんと注意しないのもモヤモヤするポイントかも。友達は毎日子育てしているから、子供がやんちゃなことをするのも慣れているかもしれませんが、いくら子供相手でもされたら嫌なことってあるじゃないですか」

――せめてそのお友達がお子さんを叱ってくれたら、そこまでモヤモヤしないかもしれませんね。

S「その友達のことは嫌いではないんですが、子供も含めた付き合いはしたくないのが正直なところ。これは私が独身だから思うことで、自分も結婚して子供ができたらまた変わるのかもしれませんが。なので最近は、子持ちの友達抜きの4人で会うことも多いです。仲間外れにしたいわけじゃないんですが、せっかく友達と会うのならストレスなく過ごしたいし。子持ちの友達もママ友なんかとよく遊んでるみたいなんで、無理して付き合うこともないのかなとも思います」

 Sさんたち独身者の中には「友達同士で気兼ねなく楽しみたい」という共通認識があったとしても、子持ちの友達としては「友達と遊ぶ時にも子供は連れていく」のが当然になっているのでしょう。ただ、どちらの考えも、独身同士あるいは子持ち同士であればそのまま通じることかもしれませんし、「独身」「子持ち」という状況はすぐに切り替えられるものではありません。

 ただ、いまは子持ちと独身で立場が違っても、数年後にはライフステージが変化していたりして、共通の話題が増えるかもしれません。仲の良かった友達との付き合い方に迷った時は、無理に付き合いを続けてストレスを溜めるのではなく、一時的にでも少しだけ距離を置くなどしたほうが結果的に友情が長続きするかもしれません。

(リオネル・メシ子)