「山谷でしか出会えない“顔”があった」青空写真館が収めた“最後の山谷”の男たち

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(c)多田裕美子
「山谷」という街の意味は、2000年代以降、大きく変わった。  かつては、日雇い労働者の街であり、暴動も発生するような危険な街であった山谷。しかし、00年代以降、労働者の勢いはすっかり影を潜め、今では外国人バックパッカーも集う、静かでおとなしい街へと変貌を遂げている。  そんな山谷の街で、1999年から01年まで、100人以上の男たちを撮影した写真家・多田裕美子のフォトエッセイ『山谷 ヤマの男』(筑摩書房)には、“最後の山谷”の姿が写真と文章で収められている。青空写真館で撮影された山谷に生きる男たちの姿は野性味にあふれ、凛々しく、時にユーモラスであり、まさに山谷でしか見ることのできない顔つき。写真展で発表されたことはあったものの、15年間、多田の元に眠っていたこれらの写真は、4年前、編集者・都築響一氏に見せたことがきっかけで息を吹き返し、やっと刊行へとこぎ着けた。  いったい、かつての山谷の男たちの姿から、何が見えてくるのだろうか? そして、今では外国人や福祉の街に変貌を遂げた山谷とは、いったいどんな街なのか? 多田に訊いた。 *** ――『山谷 ヤマの男』には、99年から2年間にわたって撮影された山谷の人々の写真とエピソードをつづったエッセーが記されています。そもそも、なぜ、山谷を撮影しようと思ったのでしょうか? 多田裕美子(以下、多田) 私の両親は、72年から01年まで「丸善食堂」というお店を山谷で営んでいました。山谷の労働者たちが毎日通うような酒場ですね。そんな関係もあって、カメラを始めた20代前半の頃に、面白半分でお店に来る人々を撮影していたところ、ある日「撮るんじゃねえ」と、お客さんからコップを投げられてしまった。それで、「山谷は簡単に撮れるものではない」と気づいたんです。だから、いろいろな人から作品として山谷を撮影することを勧められましたが、どうしても乗り気にはなれなかった。しかし、ある時店を手伝っていたら、飲んでいるお客さんの姿がほかの街とは違うことに気づきました。山谷の人々は、過去を語らないし、聞きたがらない、愚痴もこぼさないんです。 ――山谷には、過去にさまざまな事情がある人も少なくない。だからこそ、酒場の雰囲気も独特なんですね。 多田 そんな彼らの姿に魅力を感じて、再びレンズを向けることを決心しました。しかし、山谷といっても、私が知っているのは丸善食堂の中だけ。父にも「甘い!」と反対されて、初めて店を出て、ロケハンを始めたんです。そこで見つけたのが玉姫公園。ここしかないと。背景幕を持っていき、毎週末、ポートレート撮影を始めました。 ――玉姫公園といえば、山谷夏祭りや朝市「ドロボー市」などが開催される、山谷を代表する場所です。そんな場所で撮影を行うにあたって、恐怖心はなかったのでしょうか? 多田 もちろん怖さもありましたが、自分が思い描いていたイメージを実現できる喜びのほうが大きかったですね。公園の周囲に張り紙をしてモデルを募集したところ、初日から7人も来てくれました。
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(c)多田裕美子
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(c)多田裕美子
――2年間で、どれくらいの人々を撮影したんですか? 多田 延べ140人ほどですね。初日に知り合ったおじさんが用心棒になってくれて心強かったんですが、公園にも派閥があるから、このおじさんと仲良くしていると撮れない人もいる。だから、こちらから近づいて花札をしたり、お酒を飲んで仲良くなりながら、撮影することもありました。それに、いい被写体に巡り合うと、どうしても写真を撮りたくなってしまうんです。 ――「いい被写体」とは? 多田 ほかの街にはいない、その人らしさがにじみ出ている顔つきですね。山谷には、山谷でしかお目にかかれない“顔”というのがあるんです。そして彼らは、少ない荷物の中から一番いいものを着て、被写体になってくれる。撮影の際には、ポーズをお願いするのではなく、彼らの持っている存在感がにじみ出るようにこだわりました。 ――表紙に起用されているリンさんをはじめ、圧倒的な存在感ですね(笑)。 多田 実は最近、知人が偶然、リンさんを見つけてこの本の表紙と並べて撮った写真を送ってきてくれたんですが、いい具合に年を重ねていました(笑)。リンさんもそうですが、山谷は、基本的に我が強く、組織では生きられない人ばかり。だから、撮った写真を並べると、個性の強い顔ばかり。今の社会では、個性を出すのではなく、スマートに生きることが良しとされていますが、山谷には個性がムンムンな人々ばかりですね(笑)。 ――確かに。当時の山谷の姿を垣間見ているようです。 多田 実は、写真を撮っているときは「山谷」を消したかったんです。被写体の顔だけ撮れば、にじみ出てくるものがあるだろうって。でも、本にするにあたって、当時の「山谷」という街を残したいという気持ちになったんです。 ――そんな男たちを通じて、山谷とはどのような街だと感じましたか? 多田 ほかにはない、“情”がある街だと思います。居酒屋でも互いの過去に触れないように、関係性はベタベタしていません。けれども、みんな同じような境遇で、20年も30年も山谷にいる人も少なくない。出稼ぎで来て、帰れなくなってしまった人たちです。だからこそ、すごく人懐っこくて、他人に優しくすることができるんです。お金がなくても、誰かのところで飲むことができるし、逆にお金があれば誰かを飲ませる。不思議なコミュティですよね。みんな末っ子気質で、なぜか7番目という人が本当に多いんですよ。
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(c)多田裕美子
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(c)多田裕美子
――多田さんが山谷の街を撮影してから、15年がたちました。現在、山谷はどのような環境にあるのでしょうか? 多田 いまだにドヤは多いのですが、日雇い仕事も少なくなり、求人は激減。閉鎖してしまったドヤも、少なくありません。高齢化し、働きに出ることができない労働者は、生活保護を受給しながらドヤで暮らしているんです。およそ8割の宿泊者は、生活保護をもらいながら暮らしているのではないでしょうか。 ――そんなに多いんですか? 多田 しかし、行政の関係者に話を聞いたところ、昔から山谷の人々は生活保護を受けたがらないそうです。「国の世話にはなりたくない」というプライドがある。だから、仕事もなくなり、路上生活になり、心身ボロボロになって初めて受給する人が多い。その一方で、そんな状況でも受給せず、路上生活を続ける人もいます ――働けなくなっても「労働者」というプライドが、生活保護の受給をためらわせる。 多田 今は福祉やボランティアの方たちが山谷を支えていて、労働者の街から福祉の街に変わりつつあります。孤独な独居老人が多く住む街としての報道も多いですよね。ただ、彼らも、かつては屈強な労働者だった。この本では、そんな男たちが粋がっている姿を残したかったんです。 ――では、もし多田さんが、現在の山谷を撮るとしたら何を撮影すると思いますか? 多田 今の山谷の何を撮りたいかは明確には答えられませんが、今の山谷に託したいことはあります。最近は、かつての労働者以外に、生きづらさを抱え、身寄りもなく、ひとりで生きられない人々が福祉施設で暮らしています。山谷には昔から、社会で生きづらさを抱えた人々を受け入れる土壌があるというか、人へのまなざしがやさしいんですね。近年は安宿のおかげで、外国人観光客も増えてきています。時代の変化を受け入れつつ、これからも他者にやさしい街であり続けてほしいです。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

「山谷でしか出会えない“顔”があった」青空写真館が収めた“最後の山谷”の男たち

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「山谷」という街の意味は、2000年代以降、大きく変わった。  かつては、日雇い労働者の街であり、暴動も発生するような危険な街であった山谷。しかし、00年代以降、労働者の勢いはすっかり影を潜め、今では外国人バックパッカーも集う、静かでおとなしい街へと変貌を遂げている。  そんな山谷の街で、1999年から01年まで、100人以上の男たちを撮影した写真家・多田裕美子のフォトエッセイ『山谷 ヤマの男』(筑摩書房)には、“最後の山谷”の姿が写真と文章で収められている。青空写真館で撮影された山谷に生きる男たちの姿は野性味にあふれ、凛々しく、時にユーモラスであり、まさに山谷でしか見ることのできない顔つき。写真展で発表されたことはあったものの、15年間、多田の元に眠っていたこれらの写真は、4年前、編集者・都築響一氏に見せたことがきっかけで息を吹き返し、やっと刊行へとこぎ着けた。  いったい、かつての山谷の男たちの姿から、何が見えてくるのだろうか? そして、今では外国人や福祉の街に変貌を遂げた山谷とは、いったいどんな街なのか? 多田に訊いた。 *** ――『山谷 ヤマの男』には、99年から2年間にわたって撮影された山谷の人々の写真とエピソードをつづったエッセーが記されています。そもそも、なぜ、山谷を撮影しようと思ったのでしょうか? 多田裕美子(以下、多田) 私の両親は、72年から01年まで「丸善食堂」というお店を山谷で営んでいました。山谷の労働者たちが毎日通うような酒場ですね。そんな関係もあって、カメラを始めた20代前半の頃に、面白半分でお店に来る人々を撮影していたところ、ある日「撮るんじゃねえ」と、お客さんからコップを投げられてしまった。それで、「山谷は簡単に撮れるものではない」と気づいたんです。だから、いろいろな人から作品として山谷を撮影することを勧められましたが、どうしても乗り気にはなれなかった。しかし、ある時店を手伝っていたら、飲んでいるお客さんの姿がほかの街とは違うことに気づきました。山谷の人々は、過去を語らないし、聞きたがらない、愚痴もこぼさないんです。 ――山谷には、過去にさまざまな事情がある人も少なくない。だからこそ、酒場の雰囲気も独特なんですね。 多田 そんな彼らの姿に魅力を感じて、再びレンズを向けることを決心しました。しかし、山谷といっても、私が知っているのは丸善食堂の中だけ。父にも「甘い!」と反対されて、初めて店を出て、ロケハンを始めたんです。そこで見つけたのが玉姫公園。ここしかないと。背景幕を持っていき、毎週末、ポートレート撮影を始めました。 ――玉姫公園といえば、山谷夏祭りや朝市「ドロボー市」などが開催される、山谷を代表する場所です。そんな場所で撮影を行うにあたって、恐怖心はなかったのでしょうか? 多田 もちろん怖さもありましたが、自分が思い描いていたイメージを実現できる喜びのほうが大きかったですね。公園の周囲に張り紙をしてモデルを募集したところ、初日から7人も来てくれました。
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(c)多田裕美子
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――2年間で、どれくらいの人々を撮影したんですか? 多田 延べ140人ほどですね。初日に知り合ったおじさんが用心棒になってくれて心強かったんですが、公園にも派閥があるから、このおじさんと仲良くしていると撮れない人もいる。だから、こちらから近づいて花札をしたり、お酒を飲んで仲良くなりながら、撮影することもありました。それに、いい被写体に巡り合うと、どうしても写真を撮りたくなってしまうんです。 ――「いい被写体」とは? 多田 ほかの街にはいない、その人らしさがにじみ出ている顔つきですね。山谷には、山谷でしかお目にかかれない“顔”というのがあるんです。そして彼らは、少ない荷物の中から一番いいものを着て、被写体になってくれる。撮影の際には、ポーズをお願いするのではなく、彼らの持っている存在感がにじみ出るようにこだわりました。 ――表紙に起用されているリンさんをはじめ、圧倒的な存在感ですね(笑)。 多田 実は最近、知人が偶然、リンさんを見つけてこの本の表紙と並べて撮った写真を送ってきてくれたんですが、いい具合に年を重ねていました(笑)。リンさんもそうですが、山谷は、基本的に我が強く、組織では生きられない人ばかり。だから、撮った写真を並べると、個性の強い顔ばかり。今の社会では、個性を出すのではなく、スマートに生きることが良しとされていますが、山谷には個性がムンムンな人々ばかりですね(笑)。 ――確かに。当時の山谷の姿を垣間見ているようです。 多田 実は、写真を撮っているときは「山谷」を消したかったんです。被写体の顔だけ撮れば、にじみ出てくるものがあるだろうって。でも、本にするにあたって、当時の「山谷」という街を残したいという気持ちになったんです。 ――そんな男たちを通じて、山谷とはどのような街だと感じましたか? 多田 ほかにはない、“情”がある街だと思います。居酒屋でも互いの過去に触れないように、関係性はベタベタしていません。けれども、みんな同じような境遇で、20年も30年も山谷にいる人も少なくない。出稼ぎで来て、帰れなくなってしまった人たちです。だからこそ、すごく人懐っこくて、他人に優しくすることができるんです。お金がなくても、誰かのところで飲むことができるし、逆にお金があれば誰かを飲ませる。不思議なコミュティですよね。みんな末っ子気質で、なぜか7番目という人が本当に多いんですよ。
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(c)多田裕美子
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――多田さんが山谷の街を撮影してから、15年がたちました。現在、山谷はどのような環境にあるのでしょうか? 多田 いまだにドヤは多いのですが、日雇い仕事も少なくなり、求人は激減。閉鎖してしまったドヤも、少なくありません。高齢化し、働きに出ることができない労働者は、生活保護を受給しながらドヤで暮らしているんです。およそ8割の宿泊者は、生活保護をもらいながら暮らしているのではないでしょうか。 ――そんなに多いんですか? 多田 しかし、行政の関係者に話を聞いたところ、昔から山谷の人々は生活保護を受けたがらないそうです。「国の世話にはなりたくない」というプライドがある。だから、仕事もなくなり、路上生活になり、心身ボロボロになって初めて受給する人が多い。その一方で、そんな状況でも受給せず、路上生活を続ける人もいます ――働けなくなっても「労働者」というプライドが、生活保護の受給をためらわせる。 多田 今は福祉やボランティアの方たちが山谷を支えていて、労働者の街から福祉の街に変わりつつあります。孤独な独居老人が多く住む街としての報道も多いですよね。ただ、彼らも、かつては屈強な労働者だった。この本では、そんな男たちが粋がっている姿を残したかったんです。 ――では、もし多田さんが、現在の山谷を撮るとしたら何を撮影すると思いますか? 多田 今の山谷の何を撮りたいかは明確には答えられませんが、今の山谷に託したいことはあります。最近は、かつての労働者以外に、生きづらさを抱え、身寄りもなく、ひとりで生きられない人々が福祉施設で暮らしています。山谷には昔から、社会で生きづらさを抱えた人々を受け入れる土壌があるというか、人へのまなざしがやさしいんですね。近年は安宿のおかげで、外国人観光客も増えてきています。時代の変化を受け入れつつ、これからも他者にやさしい街であり続けてほしいです。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

“売春マンション”から“未解決事件”まで……今日も冥府魔道を闊歩する『鈴木智彦の「激ヤバ地帯」潜入記!』

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『鈴木智彦の「激ヤバ地帯」潜入記!』(宝島社)
 ヤクザ専門ライターとして活躍する、鈴木智彦の著作『鈴木智彦の「激ヤバ地帯」潜入記!』(宝島社)では、我々の知らない世界をのぞくことができる。  本書に登場する“激ヤバ地帯”は、多岐にわたる。ゲイが集まる“売り専バー”で働き、自らも美少年を買ったという男色「激ヤバ」地帯をはじめ、最近流行りの相席居酒屋や、不倫専門サイトで女性にアタックをかけまくる、中年性欲「激ヤバ」地帯。さらに、海外でシノギを展開するヤクザを追った、混沌のアジア「激ヤバ」地帯など、その“激ヤバ”っぷりに血の気が引くが、何よりそこへ身を投じる鈴木もまた“激ヤバ”だといえるだろう。  香港では“売春マンション”に潜入。もともと、香港産として日本で出回るウナギの一部が密漁もので、マフィア経由で香港に集められているとの情報を探るために潜入した。  しかし、その情報を確かめることができずに帰国となってしまった。そこで鈴木は、香港で有名な“売春マンション”、通称ピンポンハウスへの潜入を試みたそうだ。この“売春マンション”、名前の通りマンションの一室一室がそのまま個室になっていて、ピンポンを押して出てきた女性が好みなら、部屋に上がり込み本番ができるというもの。スケベな旅行者がいるようで、ネットでは日本語で場所を紹介するサイトもある。  鈴木は、丹念に全ての部屋を回り、楽しんだそう。その怪しさから非合法的にも感じるが、香港国内でも有名な合法風俗だ。  奇怪な謎を残した「水曜日の絞殺魔事件」についても語っている。付き合いのある元暴力団の知り合いが、この事件の犯人とされてしまったということで鈴木を頼ってきたそう。  「北方事件」「佐賀女性7人連続殺人事件」とも呼ばれるこの事件は、1975~89年に佐賀県で起きたもの。結論から言えば、この助けを求めた人物は犯人ではない、と鈴木は見ている。過去にも、この人物の支援者の元に脅迫状が届いていたという。  鈴木は、自ら事件について情報を集め、疑わしい人物の目星がついていると語る。「捜査に時効はあっても取材に期限はない」と鈴木は言った。  ほか、鈴木が自ら体験した“激ヤバ地帯”を221ページ、全8章に渡って網羅。読み応えのあるルポとなっている。

マルチアングルが浮かび上がらせる、歴史を動かした大事件の、もうひとつの“真実”『今だから、話す 6つの事件、その真相』

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『今だから、話す 6つの事件、その真相』(日経BP社)
 歴史に残る大事件は、繰り返しテレビで放送され、いつの間にか「世紀の瞬間」として、多くの人々が同じ映像を脳裏に焼き付けることとなる。阪神・淡路大震災であれば、横倒しになった高速道路、アメリカ同時多発テロであれば、飛行機がワールド・トレード・センターに突っ込む瞬間、そして、東日本大震災であれば、押し寄せる津波と、原子力発電所の爆発……といった具合に。  しかし、そんな大事件の中で、渦中にいた人々は、いったいどのような感情で、その様子を見守っていたのだろうか? そんな疑問をもとに立ち上げられた番組が、NHK-BSプレミアムで放送されている『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』だ。そして、この番組で特に人気が高かった放送回を書籍としてまとめた『今だから、話す 6つの事件、その真相』が日経BP社より刊行された。本書には、プロデューサーを務める河瀬大作の視点から、この番組で取り上げられた6つの事件が記録されている。  1986年の「チェルノブイリ原発事故」、89年の「ベルリンの壁崩壊」、97年の「ダイアナ妃事故死」など、同時代を生きてきた人間にとって忘れることのできない大事件をひもとくと、そこには意外な真実が満ちあふれていた。  85年に起こった日航機墜落事故は、乗員乗客520人が死亡する、日本の航空史に刻まれる大惨事となった。31年も前の事故でありながら、墜落現場となった御巣鷹山に、破片となって散らばった航空機の姿をいまだに鮮明に覚えている人は多いだろう。『アナザーストーリーズ』では、これまで幾度も語られてきたこの事故を、さまざまな人々の視点から再び語り直している。  当時、上毛新聞のカメラマンを務めていた伊藤幸雄は、休暇中に事故の発生を知り、取るものも取りあえず、墜落現場に近いとされた群馬県上野村へ向かった。軽装だったものの、捜索隊の後を追って山道に分け入った伊藤。5時間もの間、道なき道を進み、墜落現場にたどり着いたその目に飛び込んできたのが、生存者を救助するヘリの姿だった。そんな大スクープを写真に捉えた彼は、4時間かけて下山し、翌日の朝刊に間に合わせるため、車を飛ばした。  一方、遺体の身元確認現場では、そのほとんどが、損傷が激しい部分遺体だった。遺族が衝撃を受けないように、日本赤十字社群馬県支部の春山典子らは、三角巾や包帯を使って傷を隠しながら遺体と対面させた。歯だけの遺体、頭皮だけの遺体などから、次々と肉親を確認していく遺族たち。ある男性は腹部の帝王切開の傷痕から、それが妻の遺体であることを見抜いた。「すごいんだな、家族って」と、春山は家族の深いつながりを実感したという。  彼らが語る言葉は、これまで多くの人が「知って」いたはずの日航機墜落事故とは、また異なった「真実」だった。  戦後生まれ初のアメリカ大統領となったビル・クリントンに不倫騒動が勃発したのは98年。大統領の不倫スクープは、その相手、モニカ・ルインスキーの名前と共に、世界中を駆けめぐった。この発端を作った人物が、出版エージェントを務めていたルシアン・ゴールドバーグだ。熱心な共和党支持者である彼女は、クリントンが「とにかく大嫌い」であり、「汚いネズミ」とまで罵っている。政治信条ではなく、生理的に彼のことを受けつけなかったようだ。そんな彼女のもとに、同じくクリントンを毛嫌いするホワイトハウス職員のリンダ・トリップから暴露本出版の話が舞い込んできた。カーペットにコーヒーのシミをつけ、ピザの空き箱を放置し、実習生と浮気をする……。そんな、大統領の醜聞は、その権威を失墜させるに十分と判断したゴールドバーグは、その情報をニューズウィークにリークする。当初、クリントンはこの疑惑を否定し、別の裁判で、ルインスキーとの不倫を問われながらも、その関係を否定していた。宣誓の上で証言台に立ちながら、虚偽の証言をしたのであれば、偽証罪にも問われかねないのに……。  しかし、ニューズウィークのみならず、ワシントン・ポストやそのほかの報道機関に疑惑を追及されたクリントンは、ついに観念して「不適切な関係」を認め、大統領としては131年ぶりとなる弾劾裁判にかけられることとなった。経済政策を評価されたクリントンは、「お咎めなし」という結果を勝ち取ったが、次の大統領選挙では共和党のジョージ・ブッシュに大統領の座を明け渡すこととなってしまった……。アメリカを揺るがした大スキャンダルは、蛇蝎のごとくクリントンを嫌う女性が、執念によって勝ち得たものだったのだ。  歴史に残る事件の周囲には、それに立ち会った人々が多数存在している。世間に広まった「決定的瞬間」だけではなく、その現場に居合わせた人々それぞれに真実があり、それぞれの思いを抱えながら暮らしている。そんな彼らの視点を、著者の河瀬は「マルチアングル」と表現し、別の角度から歴史を検証することの重要性をこう語る。 「正義は常に正義ではありません。視点が変われば、見える風景はがらりと変わります。こうした視点を持つことで、他人の痛みを知ることができ、無用な諍いを回避できるかもしれません」 「マルチアングル」を持つことで、歴史は多様な姿を浮かび上がらせる。河瀬をはじめ、『アナザーストーリーズ』の取材班は、丹念な取材によって、歴史の別の側面に光を当てているのだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

精神科医が見つけた“自殺希少地域”の共通点とは――『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』

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『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)
 自殺大国と呼ばれる日本。まったく不名誉なことだが、毎年3万人近い人が自らの命を絶ち、世界トップクラスの自殺率という事実がある。けれど、国内にも、自殺が多い地域と少ない地域がある。それは、一体なぜなのか? 『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)は、精神科医の森川すいめいさんが、自殺で亡くなる人が少ない地域“自殺希少地域”の5カ所を訪れ、それぞれ1週間ずつ滞在した記録だ。  調査というほどカッチリしたものではまったくなく、森川さんは、現地で暮らすできるだけ多くの人に声をかけ、雑談をした。少し関係が深まったと思ったときに、「自殺で亡くなる人が少ない地域と聞いたのだけど、どうして?」と聞く、あるいは、「生きやすい地域だと聞いたのだけど、どうして?」と尋ねた。  自殺が少ない地域と聞いて、どんな場所を想像するだろうか? 個人的には、人の良さや将来への希望がある場所ではないかと思った。森川さんは、ゆっくり休めて癒やされる、そういう空間があるものと期待した。けれど、最初に訪れた「自殺希少地域」のひとつ、徳島県海陽町の旅館へ到着して、ガッカリする。  友人の友人に「この地域のことは、この旅館のおやじさんに聞いたらいい」と案内された旅館だったが、特に旅館らしい丁寧なおもてなしがあるワケではなく、浴衣は潮風でパリパリ。用意されたお菓子の賞味期限を確認すると、ちょっと切れていた。それで、従業員のおばちゃんにそのことを伝えると、「へっ?」と驚き、「ほお。ほうかほうか。さすが若いひとは、そういう気にすんのやね。ほうかほうか」と、まったく悪気のない様子で、「わかったわかった、おばちゃん、新しいのもってきといたる」と言って、すぐにいなくなってしまった。その後、もらったお菓子は、おそらくおばちゃんが家から持ってきたものだった……。  また、同じ町に滞在中、親知らずを抜いたばかりで、痛みでどうしようもなくなってしまった。最初はスマホで歯科医院を探していたが、ゴールデンウィークだったので、どこも閉まっていて、電話をしても、当然断られる。困り果てて、旅館の主人に相談した。すると、「この町の歯医者は今日は休みやけど、さっきいるの見たから起こしてきちゃろう」とか、「ここから82キロ先にある歯医者が今日はやってるのがわかったから、送るわ」と、いろいろなツテを使って情報をかき集め、その場で、解決してくれようとした。その結果、近所の人たちから、「あんた、歯が痛いひとやろ、大丈夫か?」と声をかけられることになるのだが、それは、田舎特有のウワサがすぐに広まってしまう、というようなどこか暗いものではなく、本人まで筒抜けのウワサ話だった。なお、最終的に、近所に住んでいた元看護師さんの家に案内され、事なきを得た。  森川さんは、こうした“ちょっとした”出来事であったり、そこに住む人々の人と人の関わり合いを垣間見る、あるいは、体験することによって、なぜ「自殺希少地域」なのか、納得をしていく。その最も大切なことは“対話”だ。とにもかくにも、対話をすること。困ったことがあれば、人に相談し、ひとりで抱え込まない。  この本には、ある意味では、当たり前のことが描かれている。けれど、都会で暮らす人にとっては、「あぁ、もっと人に助けを借りてもいいんだ」とか「もっと適当でいいんだ」とか、少なくとも日本にもそういう地域があるということが感じられ、ほっとするだろう。  このほかの「自殺希少地域」でも、たくさんの“ちょっとした”気になる出来事がちりばめられている。それぞれのエピソードに驚き、笑って、なるほど、そういう人付き合いや心の持ち方って大切だな、なんて思う。  心の病を持っていなくても、日本には、都会で生活する独特の息苦しさや、仕事で多忙な毎日に疲れ切っている人も多い。そんな人たちにとっても、生きやすさとは何かを考えるきっかけになり、小さなヒントを与えてくれる一冊だ。 (文=上浦未来) ●もりかわ・すいめい 1973年まれ。精神科医。鍼灸師。現在、医療法人社団翠会みどりの杜クリニック院長。阪神淡路大震災時に支援活動を行う。また、NPO法人「TENOHASI(てのはし)」理事、認定NPO法人「世界の医療団」理事、同法人「東京プロジェクト」代表医師などを務め、ホームレス支援や東日本大震災被災地支援の活動も行っている。アジア・アフリカを中心に、世界45カ国をバックパッカーとして旅した。著書に『漂流老人ホームレス社会』(朝日文庫)がある。

精神科医が見つけた“自殺希少地域”の共通点とは――『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』

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『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)
 自殺大国と呼ばれる日本。まったく不名誉なことだが、毎年3万人近い人が自らの命を絶ち、世界トップクラスの自殺率という事実がある。けれど、国内にも、自殺が多い地域と少ない地域がある。それは、一体なぜなのか? 『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)は、精神科医の森川すいめいさんが、自殺で亡くなる人が少ない地域“自殺希少地域”の5カ所を訪れ、それぞれ1週間ずつ滞在した記録だ。  調査というほどカッチリしたものではまったくなく、森川さんは、現地で暮らすできるだけ多くの人に声をかけ、雑談をした。少し関係が深まったと思ったときに、「自殺で亡くなる人が少ない地域と聞いたのだけど、どうして?」と聞く、あるいは、「生きやすい地域だと聞いたのだけど、どうして?」と尋ねた。  自殺が少ない地域と聞いて、どんな場所を想像するだろうか? 個人的には、人の良さや将来への希望がある場所ではないかと思った。森川さんは、ゆっくり休めて癒やされる、そういう空間があるものと期待した。けれど、最初に訪れた「自殺希少地域」のひとつ、徳島県海陽町の旅館へ到着して、ガッカリする。  友人の友人に「この地域のことは、この旅館のおやじさんに聞いたらいい」と案内された旅館だったが、特に旅館らしい丁寧なおもてなしがあるワケではなく、浴衣は潮風でパリパリ。用意されたお菓子の賞味期限を確認すると、ちょっと切れていた。それで、従業員のおばちゃんにそのことを伝えると、「へっ?」と驚き、「ほお。ほうかほうか。さすが若いひとは、そういう気にすんのやね。ほうかほうか」と、まったく悪気のない様子で、「わかったわかった、おばちゃん、新しいのもってきといたる」と言って、すぐにいなくなってしまった。その後、もらったお菓子は、おそらくおばちゃんが家から持ってきたものだった……。  また、同じ町に滞在中、親知らずを抜いたばかりで、痛みでどうしようもなくなってしまった。最初はスマホで歯科医院を探していたが、ゴールデンウィークだったので、どこも閉まっていて、電話をしても、当然断られる。困り果てて、旅館の主人に相談した。すると、「この町の歯医者は今日は休みやけど、さっきいるの見たから起こしてきちゃろう」とか、「ここから82キロ先にある歯医者が今日はやってるのがわかったから、送るわ」と、いろいろなツテを使って情報をかき集め、その場で、解決してくれようとした。その結果、近所の人たちから、「あんた、歯が痛いひとやろ、大丈夫か?」と声をかけられることになるのだが、それは、田舎特有のウワサがすぐに広まってしまう、というようなどこか暗いものではなく、本人まで筒抜けのウワサ話だった。なお、最終的に、近所に住んでいた元看護師さんの家に案内され、事なきを得た。  森川さんは、こうした“ちょっとした”出来事であったり、そこに住む人々の人と人の関わり合いを垣間見る、あるいは、体験することによって、なぜ「自殺希少地域」なのか、納得をしていく。その最も大切なことは“対話”だ。とにもかくにも、対話をすること。困ったことがあれば、人に相談し、ひとりで抱え込まない。  この本には、ある意味では、当たり前のことが描かれている。けれど、都会で暮らす人にとっては、「あぁ、もっと人に助けを借りてもいいんだ」とか「もっと適当でいいんだ」とか、少なくとも日本にもそういう地域があるということが感じられ、ほっとするだろう。  このほかの「自殺希少地域」でも、たくさんの“ちょっとした”気になる出来事がちりばめられている。それぞれのエピソードに驚き、笑って、なるほど、そういう人付き合いや心の持ち方って大切だな、なんて思う。  心の病を持っていなくても、日本には、都会で生活する独特の息苦しさや、仕事で多忙な毎日に疲れ切っている人も多い。そんな人たちにとっても、生きやすさとは何かを考えるきっかけになり、小さなヒントを与えてくれる一冊だ。 (文=上浦未来) ●もりかわ・すいめい 1973年まれ。精神科医。鍼灸師。現在、医療法人社団翠会みどりの杜クリニック院長。阪神淡路大震災時に支援活動を行う。また、NPO法人「TENOHASI(てのはし)」理事、認定NPO法人「世界の医療団」理事、同法人「東京プロジェクト」代表医師などを務め、ホームレス支援や東日本大震災被災地支援の活動も行っている。アジア・アフリカを中心に、世界45カ国をバックパッカーとして旅した。著書に『漂流老人ホームレス社会』(朝日文庫)がある。

元暴走族の教官が熱血指導! 最短2日で免許が取れる『東京板橋マルソウ自動車教習所』

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『東京板橋マルソウ自動車教習所』(吉沢優/リイド社)
 みなさんは、自動車運転免許って持ってますか? 免許を取るために必ず通わなきゃいけない自動車教習所、あれがダルくて取得をあきらめたなんて人も、結構いるんじゃないかと思います。  免許は欲しいけど、教習所は嫌だ! そんな人にピッタリのマンガがあります。このマンガに出てくる教習所に通えば、もしかしたらたった2日で免許が取れて、しかも、ものすごいドライビングテクニックまで身についてしまうかもしれません。というわけで、今回は世にも珍しい自動車教習所マンガ『東京板橋マルソウ自動車教習所』を、ご紹介しましょう。  本作の作者・古沢優先生は、暴走族マンガを数多く手がけており、作品のタイトルに「特攻」というキーワードが入っている率がめちゃくちゃ高いです。本作も、元暴走族の教官が熱血指導してくれる教習所の物語です。自動車教習所がテーマというのも相当珍しいですが、メインの舞台が板橋区というのも、なかなかレアです。  早速、内容をご紹介しましょう。なんといっても、冒頭に掲げた「もしかしたらたった2日で免許が取れる」というところが気になりますよね。それ以外にも、画期的サービスで魅力満載の、この教習所。入所すると、すごい2大特典が! <どこでも印鑑」>  好きなところに勝手に教習印を1カ所だけ押せるという、夢の特典。ここぞという時、たとえば「みきわめ」の時とかに使えば、より効果的! 僕も、こんな教習所に通いたかった……。 <ロイヤルスペシャルスーパー教習券>  1時間だけ、元レースクイーンでマドンナ教官の杉本夏生ちゃんの、教習が受けられます。なんというダイレクトな色仕掛け!    しかも入所早々、いきなり実車教習開始です。最初の教習はドライビングシミュレーターみたいなやつでイメージをつかむのが一般的ですが、この教習所は、かなり実践的な方針のようです。いきなりの実車教習に戸惑っている生徒には、受付のお姉さんが優しく…… 「69号車だって言ってんのがわかんねーの!!」 と、ややキレ気味ですが、すごく親切に教えてくれます。こんな型破りすぎる教習所ですが、ちゃんと公認教習所なんでしょうか? 普通の人は心配になりますよね。でも大丈夫、ちゃんと看板に「公認」って書いてありますから、安心です。左のほうにミクロな文字で小さく「未」と書いてあるのが気になりますけど……。  教官はもちろん、さわやかイケメンが教えてくれます。……っていうか、予想通り、完全にヤンキーです。  そして教習車はもちろん、教習車とは思えないほどにエアロを装着しまくった、カッチョいい車がお出迎え。踏切とか上り坂でエアロがバキバキするレベルの、車高の低さも魅力です。  教習車のスペックは、ロングノーズにノーサス、自慢のカラーリング、シートはバケット、バリバリの福岡チューン……だそうです。  ちなみに教官は元暴走族のため、まれに仮免教習中に族の抗争に巻き込まれることがあります。というか、日常茶飯事です。族の抗争に巻き込まれたら、当然スピードオーバーやスピンターンなど多少の暴走運転をしてパトカーに追われることがありますが、仮免教習中だから問題ありません。 「安心しろ、おまえは無免だ、取り消しになる事も免停になる事もねーよ」  なんという斬新なロジック! その発想はなかった!!  このような過酷な教習を受けた見返りとして、入所初日なのに、もう次が卒業検定。合宿免許よりも断然早い!!  さらに、この教習所独自のスペシャルコースで「暴走教習」というのがありまして、教官が全員元暴走族というメリット(!?)を生かして、生徒に暴走族の走り方、並びにその精神などを徹底的に教え込みます。その様子はこんな感じです。 「前の車がチンタラおせー時はヨォ、まずアオる」 「いーか、日本の道路はすべて自分の道だと思え!!」  それって、教習所で一番言っちゃいけないセリフだろ……。  というわけで、もしかしたら2日で免許が取れるかもしれない『東京板橋マルソウ自動車教習所』をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか? なにげに、Vシネマの実写版もあったりする人気マンガです。 「どうしてもすぐに免許が欲しい、多少荒っぽくても構わない」とお急ぎの方は、こういう教習所で教習を受けてみるっていうのも、ありかもしれませんね。本当に、この教習所が板橋にあるのかどうかはわかりませんが……。

元暴走族の教官が熱血指導! 最短2日で免許が取れる『東京板橋マルソウ自動車教習所』

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『東京板橋マルソウ自動車教習所』(吉沢優/リイド社)
 みなさんは、自動車運転免許って持ってますか? 免許を取るために必ず通わなきゃいけない自動車教習所、あれがダルくて取得をあきらめたなんて人も、結構いるんじゃないかと思います。  免許は欲しいけど、教習所は嫌だ! そんな人にピッタリのマンガがあります。このマンガに出てくる教習所に通えば、もしかしたらたった2日で免許が取れて、しかも、ものすごいドライビングテクニックまで身についてしまうかもしれません。というわけで、今回は世にも珍しい自動車教習所マンガ『東京板橋マルソウ自動車教習所』を、ご紹介しましょう。  本作の作者・古沢優先生は、暴走族マンガを数多く手がけており、作品のタイトルに「特攻」というキーワードが入っている率がめちゃくちゃ高いです。本作も、元暴走族の教官が熱血指導してくれる教習所の物語です。自動車教習所がテーマというのも相当珍しいですが、メインの舞台が板橋区というのも、なかなかレアです。  早速、内容をご紹介しましょう。なんといっても、冒頭に掲げた「もしかしたらたった2日で免許が取れる」というところが気になりますよね。それ以外にも、画期的サービスで魅力満載の、この教習所。入所すると、すごい2大特典が! <どこでも印鑑」>  好きなところに勝手に教習印を1カ所だけ押せるという、夢の特典。ここぞという時、たとえば「みきわめ」の時とかに使えば、より効果的! 僕も、こんな教習所に通いたかった……。 <ロイヤルスペシャルスーパー教習券>  1時間だけ、元レースクイーンでマドンナ教官の杉本夏生ちゃんの、教習が受けられます。なんというダイレクトな色仕掛け!    しかも入所早々、いきなり実車教習開始です。最初の教習はドライビングシミュレーターみたいなやつでイメージをつかむのが一般的ですが、この教習所は、かなり実践的な方針のようです。いきなりの実車教習に戸惑っている生徒には、受付のお姉さんが優しく…… 「69号車だって言ってんのがわかんねーの!!」 と、ややキレ気味ですが、すごく親切に教えてくれます。こんな型破りすぎる教習所ですが、ちゃんと公認教習所なんでしょうか? 普通の人は心配になりますよね。でも大丈夫、ちゃんと看板に「公認」って書いてありますから、安心です。左のほうにミクロな文字で小さく「未」と書いてあるのが気になりますけど……。  教官はもちろん、さわやかイケメンが教えてくれます。……っていうか、予想通り、完全にヤンキーです。  そして教習車はもちろん、教習車とは思えないほどにエアロを装着しまくった、カッチョいい車がお出迎え。踏切とか上り坂でエアロがバキバキするレベルの、車高の低さも魅力です。  教習車のスペックは、ロングノーズにノーサス、自慢のカラーリング、シートはバケット、バリバリの福岡チューン……だそうです。  ちなみに教官は元暴走族のため、まれに仮免教習中に族の抗争に巻き込まれることがあります。というか、日常茶飯事です。族の抗争に巻き込まれたら、当然スピードオーバーやスピンターンなど多少の暴走運転をしてパトカーに追われることがありますが、仮免教習中だから問題ありません。 「安心しろ、おまえは無免だ、取り消しになる事も免停になる事もねーよ」  なんという斬新なロジック! その発想はなかった!!  このような過酷な教習を受けた見返りとして、入所初日なのに、もう次が卒業検定。合宿免許よりも断然早い!!  さらに、この教習所独自のスペシャルコースで「暴走教習」というのがありまして、教官が全員元暴走族というメリット(!?)を生かして、生徒に暴走族の走り方、並びにその精神などを徹底的に教え込みます。その様子はこんな感じです。 「前の車がチンタラおせー時はヨォ、まずアオる」 「いーか、日本の道路はすべて自分の道だと思え!!」  それって、教習所で一番言っちゃいけないセリフだろ……。  というわけで、もしかしたら2日で免許が取れるかもしれない『東京板橋マルソウ自動車教習所』をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか? なにげに、Vシネマの実写版もあったりする人気マンガです。 「どうしてもすぐに免許が欲しい、多少荒っぽくても構わない」とお急ぎの方は、こういう教習所で教習を受けてみるっていうのも、ありかもしれませんね。本当に、この教習所が板橋にあるのかどうかはわかりませんが……。

迷い込んだのは“秘境”で“魔境”だった!? 藝大生のヘンテコな青春『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』

artschool1012
『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)
 本の帯に“前人未到、抱腹絶倒の探検記”という興味をそそられる煽り文句があり、恐る恐る『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)を読み始めた私にとって、予想だにしない事実が待ち構えていた。  そこには前人未到の場所も、腹を抱えて笑うべき部分もなかった。それどころか、驚くべきことなどどこにも存在してはいなかったのだ。より正確に言えば、日本大学藝術学部を卒業した私が普段身を置いている日常に酷似したものが“カオスな日常”と呼ばれてしまっていた。 探検隊のつもりでいたらそうではなく、探検される先住民の側だったのだ。カオスの中で普通に呼吸をしていれば、当然のことながらそこがカオスであると自覚するきっかけは与えられない。麻痺していたのだ。  本書は、藝大生の妻を持つ作家の二宮敦人が、藝大生の生態に興味を持ち潜入した東京藝大で出会った若き天才たちの青春をしたためた一冊。  私にとって、この本に登場する中で立場として最も近い人物は、“体に半紙を貼り始めたり”、授業で使用したガスマスクのフィルターを“台所に置いたり”して、日常的に二宮へ衝撃を与え続けている妻、その人である。    率直に言って、私だってそれぐらいやりかねないな、と思った。世の芸大生、芸大の卒業生にとっては、そんなことで驚くのか、ということに改めて新鮮に驚く本となっている。出てくる学生はいずれも、自らの専門分野に真摯に取り組んでいる者ばかりだ。それでもどこかたがが外れている、世間の常識からは逸脱していると感じるのであれば、それは東京藝大がおかしいのではなく、大学で芸術を学ぶということ自体がそもそもどこかで滑稽さを孕んでしまうという証明に他ならない。芸術大学そのものが秘境なのだ。  もちろん、普段接しない世界の未知の部分に触れられるという楽しさは、随所に仕掛けられている。例えば、工芸科の漆芸専攻。漆がカブれやすいのは知っていたが、学内バレーボール大会で“漆芸専攻がトスしたボールで、他の専攻の人がカブれる”ことさえあり、「近くに座んないで」と疎まれ、端的に言って迫害されているというのは、半ば冗談であるとしてもなかなかのエピソードである。普段完成品しか目にしない者にとって、漆がそこまでの破壊力を備えている素材であることは、想像の埒外にある。  ただ何度も言うように、そこは狂人ばかりがはびこる魔境ではない。 「ぼくには最近悩みがあります。それは本番が終わった日にさみしくて眠れないことです。今日は盛りだくさんだった夏休みの中でも一番大切な本番でした。」この文章は、本書に登場する学生の一人が、演奏したコンサートの本番が終わった寂しさから思わずFacebookに投稿したという記事である。素朴過ぎるほどに素朴な悩みを抱える人も、この本には多数登場する。決して遠い世界の住人ではない彼ら、彼女らに、どこかで愛着に似た気持ちを覚え始めていた。  これからどこかで会うかもしれない、会わなくてもその名前をどこかでみるかもしれない、控えめに言って今後の日本の代表的芸術の一角を担うかもしれない、今日もどこかでたゆまず努力を続けている彼ら、彼女らの今もなお続いている日常を本気で頭の中で思い描こうとしてみた時、きっとこの本は異なる色彩を帯びる。  それは必ずしもカオスな日常ではないかもしれないが、間違いなく魅力的な日常として目の前に現れる。 (文=綾門優季[青年団リンク キュイ])

迷い込んだのは“秘境”で“魔境”だった!? 藝大生のヘンテコな青春『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』

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『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)
 本の帯に“前人未到、抱腹絶倒の探検記”という興味をそそられる煽り文句があり、恐る恐る『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)を読み始めた私にとって、予想だにしない事実が待ち構えていた。  そこには前人未到の場所も、腹を抱えて笑うべき部分もなかった。それどころか、驚くべきことなどどこにも存在してはいなかったのだ。より正確に言えば、日本大学藝術学部を卒業した私が普段身を置いている日常に酷似したものが“カオスな日常”と呼ばれてしまっていた。 探検隊のつもりでいたらそうではなく、探検される先住民の側だったのだ。カオスの中で普通に呼吸をしていれば、当然のことながらそこがカオスであると自覚するきっかけは与えられない。麻痺していたのだ。  本書は、藝大生の妻を持つ作家の二宮敦人が、藝大生の生態に興味を持ち潜入した東京藝大で出会った若き天才たちの青春をしたためた一冊。  私にとって、この本に登場する中で立場として最も近い人物は、“体に半紙を貼り始めたり”、授業で使用したガスマスクのフィルターを“台所に置いたり”して、日常的に二宮へ衝撃を与え続けている妻、その人である。    率直に言って、私だってそれぐらいやりかねないな、と思った。世の芸大生、芸大の卒業生にとっては、そんなことで驚くのか、ということに改めて新鮮に驚く本となっている。出てくる学生はいずれも、自らの専門分野に真摯に取り組んでいる者ばかりだ。それでもどこかたがが外れている、世間の常識からは逸脱していると感じるのであれば、それは東京藝大がおかしいのではなく、大学で芸術を学ぶということ自体がそもそもどこかで滑稽さを孕んでしまうという証明に他ならない。芸術大学そのものが秘境なのだ。  もちろん、普段接しない世界の未知の部分に触れられるという楽しさは、随所に仕掛けられている。例えば、工芸科の漆芸専攻。漆がカブれやすいのは知っていたが、学内バレーボール大会で“漆芸専攻がトスしたボールで、他の専攻の人がカブれる”ことさえあり、「近くに座んないで」と疎まれ、端的に言って迫害されているというのは、半ば冗談であるとしてもなかなかのエピソードである。普段完成品しか目にしない者にとって、漆がそこまでの破壊力を備えている素材であることは、想像の埒外にある。  ただ何度も言うように、そこは狂人ばかりがはびこる魔境ではない。 「ぼくには最近悩みがあります。それは本番が終わった日にさみしくて眠れないことです。今日は盛りだくさんだった夏休みの中でも一番大切な本番でした。」この文章は、本書に登場する学生の一人が、演奏したコンサートの本番が終わった寂しさから思わずFacebookに投稿したという記事である。素朴過ぎるほどに素朴な悩みを抱える人も、この本には多数登場する。決して遠い世界の住人ではない彼ら、彼女らに、どこかで愛着に似た気持ちを覚え始めていた。  これからどこかで会うかもしれない、会わなくてもその名前をどこかでみるかもしれない、控えめに言って今後の日本の代表的芸術の一角を担うかもしれない、今日もどこかでたゆまず努力を続けている彼ら、彼女らの今もなお続いている日常を本気で頭の中で思い描こうとしてみた時、きっとこの本は異なる色彩を帯びる。  それは必ずしもカオスな日常ではないかもしれないが、間違いなく魅力的な日常として目の前に現れる。 (文=綾門優季[青年団リンク キュイ])