沖縄県の1人当たり県民所得は47都道府県中最下位の210.2万円と、全国平均306.5万円に対して大きく落ち込んでいる(内閣府・平成25年度県民経済計算)。失業率、DV発生率なども高く、離婚率も全国ワースト。統計が見せる沖縄の姿は、牧歌的な南の島のイメージから遠く隔たっている。 この島で育った教育学の研究者・上間陽子は、2012~16年まで、風俗業界やキャバクラなどで働く女性たちの実態をリサーチするために、継続的なインタビューを実施。4年間のリサーチの成果として『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を上梓した。本書に収録されたさまざまな女性たちのインタビューを読めば、DV、虐待、援助交際など、この島が抱える現実が見えてくる。 「私たちの街は、暴力を孕んでいる。そしてそれは、女の子たちにふりそそぐ」 上間は、自身が育った島の姿を、このように表現する。 では、その「暴力」とは、いったいどのようなものだろうか? 本書の中から2つの例を見てみよう。 兄からいつもひどく殴られて育ってきた優歌(仮名)は、16歳で妊娠して結婚、17歳で男の子を出産した。しかし、子どもが生まれると、夫は優歌に対して暴力的になる。目の前で作った食事を捨てられ、仕事着を洗うと舌打ちされ、洗い直しを命じられる日々。そんな生活に嫌気が差し、優歌は夫と離婚した。優歌がひとりで子どもを育てていたにもかかわらず、ユタ(霊能者)の「一族に問題が起こる」というお告げから、8カ月になる子どもは夫の家族に引き取られた。 実家に戻った彼女は、キャバクラの体験入店などを行いながら暮らしていく。しばらくして、5歳年上の恋人ができたが、男はDVの常習犯だった。周囲の反対を押し切り付き合った優歌は、些細なことで怒鳴られ、殴られながらも男との子どもを妊娠。しかし、男は働いていた店の金と模合(もあい/メンバーが一定のお金を出し合い、順番に給付し合う頼母子講のようなシステム)の金を持ち逃げして、街から消える。男は、ほかの女も孕ませていたのだった。優歌は、再びキャバクラで働きながら、ひとりで子どもを産んだ。 街に戻ってきた男は、優歌の兄に謝罪し、5万円を詫びとして支払った。男にとって、謝罪する相手は、孕ませた優歌ではなく、優歌の兄のほうだった。優歌は今も、ひとりで子どもを育てている。 優歌よりもさらに悪質な暴力にさらされているのが、翼(仮名)だ。彼女が幼いころに両親は離婚。母親に引き取られた翼は、スナックのママを務める母から、ネグレクト(育児放棄)されて育った。ご飯も作ってもらったことのない彼女にとって、「母親の味」の記憶はない。 高校に進学しなかった彼女は、友達の誘いでキャバ嬢になる。16歳になった頃、7歳年上のボーイと付き合うようになり、2カ月で妊娠。不安はあったものの、彼女は結婚し、出産することを決意する。しかし、結婚すると、夫はその態度を一変させる。生活費を家に入れず、翼が不満を言えば、暴力を振るい、馬乗りで殴る蹴るの暴行を加えた。その暴力は、鼻が折れて、目が開かなくなるという壮絶なものだった。出産後、翼はすぐにキャバクラに戻ったものの、夫からの暴力で顔に傷ができると、仕事を休まなくてはならない。そんな翼を見て、男は「お前が悪い」と自分の行為を棚に上げて罵った。 親からの虐待、夫からのDVのほか、レイプ、援助交際など、少女たちが直面する暴力の数々は、想像をはるかに超えるものばかりだ。彼女たちにインタビューをした経験を、上間は「予想していたよりもはるかにしんどい、幾重にもわたる困難の記録」だったと振り返っている。唯一の救いは、本書に登場する少女たちがみな、自分の子どもを愛していることだろう。せめて彼女たちの子どもは、そんな暴力とは無関係に育つことを願ってやまない。そのためには、多くの人々が、この暴力の実態に目を向けることが不可欠だ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●うえま・ようこ 1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学部研究科教授。専攻は教育学、生活指導の観点から主に非行少年少女の問題を研究。1990年代後半から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの調査・支援に携わる。共著に『若者と貧困』(明石書店)。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)
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「昭和最大のミステリー」下山事件を読み解くブックガイド
昨年、海の向こうのトランプ大統領が使った「ポストファクト主義」という言葉が注目を集めた。「ポスト真実」とも言うらしい。無数のあらゆる情報が飛び交う現代においては、「真実かどうか」よりも「それに対する感情や、個人的な意見」のほうが影響力を持っている、という意味の言葉だ。この言葉を聞いた時、僕は「下山病」を思い出した。 そう、日本には「下山病」という病気がある。60年以上前に生まれたこの病は、一度かかると非常に治療が難しい。 ゲザンビョウ? 高山病の逆? いやいや違う。「しもやまびょう」と読む。初代国鉄総裁・下山定則氏の名前に由来する。下山総裁こそが、昭和最大のミステリーと呼ばれる「下山事件」の主役であり、このミステリーの謎解きに取り憑かれた人々を「下山病患者」と呼ぶのだ。 1949年7月6日午前0時30分過ぎ、常磐線・北千住駅と綾瀬駅の間の線路上で、列車に「轢断」された死体を発見した。約85メートルにわたってバラバラになっていたその轢死体は、色白で肉付きがよかったために当初は女性と思われたが、散乱する所持品の中に「国鉄総裁・下山定則」の名刺等が発見されたことから、事件は急激に騒がしくなっていく。まさに、轢死体発見の15時間前、下山総裁は日本橋の三越に入っていく姿を運転手に見届けられたのを最後に行方不明となり、失踪事件として捜査が開始されていたのだ。轢死体は、下山総裁本人であることが確認され、このニュースは列島中を駆け巡った。『日本の黒い霧〈上〉』(文藝春秋)
下山氏は、同年に発足した国鉄の初代総裁となった人物だ。技術畑出身でありながら異例の抜擢を受けた彼に課せられた仕事は、実に10万人近い国鉄職員の人員整理。1949年当時は本格化する冷戦に突入した時代であり、日本の占領統治を行うアメリカは、日本を「反共産主義の砦」として再生すべく、経済の立て直しを急いでいた。そのために実施された「ドッジ・ライン」と呼ばれる経済政策の一環として、全国で28万人の公務員の人員整理、いわゆる「首切り」を日本政府に要求した。下山総裁は事件当時、まさにこの人員整理を迫られ、そのリストを発表している最中だった。こうした緊迫した状況の中での、遺体発見。 当初は、これらの「首切り」のプレッシャーを受けての「自殺」と考えられ、マスコミもそれに寄った報道を行った。しかし、遺体の司法解剖の結果からは「他殺」の可能性が浮かび上がった。それだけでなく、検視を行った各機関による見解が、「他殺」と「自殺」で真っ二つに割れたのだ。注目されたのは、列車に轢断された下山総裁の遺体が、生きている状態で轢断された=「生体轢断」か、死んでいる状態で轢断された=「死後轢断」か、だ。生体轢断なら自殺である可能性が高いが、死後轢断ならどこか別の場所で殺害されて線路上に放置された、つまり他殺だということになる。それを判定する鍵は、下山総裁の傷口が生きている間にできたことを示す「生活反応」があるかどうかだ。最初に司法解剖を行った東京大学の古畑教授は、死後轢断と判定した。つまり他殺だ。しかし、そのあとに司法解剖を行った東京都監察医務院の八十島監察医、慶應義塾大学の中舘教授は「生体轢断」、つまり自殺の可能性が高いと主張した。マスコミもこれに追従し、朝日新聞や作家の松本清張などは「他殺」、毎日新聞などは「自殺」を支持し、一大論争に発展した。 「他殺」「自殺」それぞれを支持する人々によって無数の証拠や証言が集められたが、結局、論争が結論を見るには至らず、捜査本部は同12月31日に解散。翌年、「自殺」と結論付ける内部資料「下山白書」が週刊誌に流出、という非公式な形で一応の結末を見た。しかし、この報告書に対しても、「他殺派」から無数の事実誤認や捏造を指摘されている。 ……と、あらましがめちゃくちゃ長くなってしまったけど、お察しのように、こういうことがサラサラと書ける時点で、僕も「下山病」罹患患者の一人なのだろう。いやいや、僕なんかかなり軽度のほうだと思うが。それで、今回の記事なんだけど、「下山事件」の真実に迫ろう!ということではない。そんなことをしたら、それこそ何十年という歳月、何百ページという原稿が必要になる。じゃあ、何をやろうかというと、この国でひそかに増殖を続けてきた「下山病」の世界を、代表的な書物を読み解くことで、ちょっとガイドしてみようと思う。なんたって、この「下山論争」、今も続いているのだ。今この瞬間も、書籍コーナーの一角で、ネットの片隅で、下山事件に関する「新事実」が現れては消え、「自殺なのか他殺なのか」「他殺なら黒幕は誰なのか?」という論争が続いているのだ。 下山事件に関する書籍のうち最も有名で、導入に適しているのは、推理小説家・松本清張の『日本の黒い霧』(1960年)だろう。戦後、GHQ統治下で起きた事件に焦点を当て、裏で糸を引くGHQの陰謀を暴き出したノンフィクション小説で、一大ベストセラーとなり、「陰謀=黒い霧」という概念を日本に植えつけた。下山事件に関する本はどれも情報量が多いために分厚かったり、また本職の物書きでない人が書いているものが比較的多いということもあってか、「ん? 文章が読みづらいかな?」っていう瞬間も少なくない。要するに、完読するのに気合が必要な本が多く、よほど興味のある人でないと読み切るのが難しいものもある。でも、この清張の『日本の黒い霧』なら大丈夫! 「帝銀事件」「松川事件」などのいくつかの事件に関する推理がオムニバス形式で収録されていて程よい長さだし、さすがベストセラー小説家! という感じでグイグイ読ませる。事件の概要がとてもわかりやすい名著だ。ただ、前述のように清張の結論は「他殺」であり、本書でもさまざまな推理を巡らせ黒幕を暴き出しているのだが、いかんせん、全体的に論拠に疑問点が残るものが多い。残念ながらノンフィクションとしては取材も不十分で、あくまで下山事件を題材にした「推理小説」として読みたい一冊だ。現在の日本橋三越(筆者2017年撮影/以下同)。下山総裁は、三越の重役や得意客などが使う本店南口から入って失踪した。店内で複数の店員に目撃されている
さてそれでは、コレ! と言える「他殺本」はどれか? 事件発生当時から取材を担当し、独自の調査で線路上の血痕などさまざまな「新事実」を見つけ出し、捜査本部にも食い込んでいた朝日新聞の記者・矢田喜美雄氏が執筆した『謀殺 下山事件』(1973年)だろう。映画にもなった本書には、とにかく新事実や新証言が多く登場し、「他殺派の急先鋒」として、さまざまな「下山本」に引用される機会も多い。本書を読めば、ほとんどの人が間違いなく「なるほど……これは他殺なんじゃないか」と考えるだろう。一読者としては、それくらい「他殺」という結論への導き方が、勢いと説得力に満ちているパワーのある本だ。だがしかし、問題点として挙げられるのが、その「新事実」を証言する「新証人」が、みーんな仮名だったりイニシャルだったりで、どこの誰だかわからないことだ。確かに昭和の闇に迫る危険な証言で匿名なのはわかるが、あまりにも都合よく、「この本にしか登場しない新証人」が多すぎないかい? という疑問は当然湧いてくる。「他殺」という結論に向かって走っていくためのパーツを、ムリヤリこしらえたような違和感は拭えない。これは多くの書籍で批判されている部分で、後に平成3部作といわれる「平成になってから出版された下山本」でもやり玉に挙がっている。 その平成3部作の中では、『下山事件 最後の証言』(2005年)は読み逃せない一冊だろう。平成3部作はそれぞれ別の著者が書いているが、基本的にこれが「元ネタ」といってよい。本書は実にセンセーショナルだ。なんたって、著者・柴田哲孝氏の祖父が下山事件の実行犯として深く関わっていた!? という内容なのだ。その祖父が所属した実行犯グループと名指しされる「亜細亜産業」なる会社についての調査・考察が、「平成3部作」共通の大きなキモだ。さまざまな証人に会い、謎に迫っていく――という筋書きは、読み物としてめちゃくちゃ面白い。実行犯グループの写真なども多数掲載されていて、もうこれが正解ジャン、やばいジャン、他殺ジャン、と思うだろう。とにかく近年話題になった「下山本」の中で最もインパクトが大きく、「亜細亜産業関与説」は今ではスタンダードのひとつになっている。旧八洲ホテル跡地。三越から徒歩数分の場所にあった八洲ホテルは、清張が「黒幕」と指摘したGHQ参謀第2部(G2)の特殊部隊「CIC」の拠点であった
さて、ここまで読んで「あれ?」と思う人もいるかもしれない。「他殺派の本ばっかで、自殺派の本がないじゃん」と。そうなのだ。下山事件に関する本、いわゆる下山本で話題になるのは、ほとんどが「他殺本」だ。自殺派の本もあるにはあるが、まずそもそもの数が少ない。さらに、当然っちゃ当然なのだが、「下山事件は、謀殺事件だった! 新事実発見! 黒幕は…○○!」というセンセーショナルな切り口の本でなければ、ちっとも売れないし話題にもならない。そのため、「実はね~自殺だよ」という本はどうしても地味な扱いを受けて読まれる機会も少なく、早々と絶版になってしまうのだ。結果、世に出回るのは「他殺派」の本ばかり、という状況になる。実際、下山事件を少しかじったことのある人は、「果たして誰が? どの組織が黒幕か?」という部分において差異はあっても、ほとんどの人が「下山事件は他殺に決まってる」と考えているんじゃないだろうか。僕も実際、いろんな他殺派の本を読みあさっていた頃は、「これは絶対、謀殺だよな~」と考えていた。しかし、次に紹介する本を読んでから、「どうもおかしい」と考えだすようになった。「自殺派のバイブル」であり、「究極の下山本」、佐藤一著『下山事件全研究』(1976年)だ。旧ライカビル跡地。「亜細亜産業」が入っていたといわれるライカビルは、写真の正面のビルの右脇にあった。正面の旧日本貿易会館ビルは、地下通路で三越とつながっている。
とにかく、分量が多い。600ページオーバー、しかもすべて小さな文字の二段組みで、よほどの読書ジャンキーじゃないと、これを読み切るのは不可能だ。それもそのはず、本書は、事件に関するあらゆる資料や証言、そして検証実験の結果を極力「客観的」に網羅しようという意図で作られた本なのだ。そのため、分量は膨大で、かつストーリー仕立てになっていないために「物語を追っていく興奮」などまったくない。著者の佐藤氏は、福島県で起きた列車転覆事故「松川事件」の被告として一度は死刑判決を受け、その後「冤罪」が証明され、無罪を勝ち取った人物だ。清張らに誘われ、下山事件の研究に参加したが、さまざまな調査を進めるにつれ、「自殺」への確信を深めていき、清張らと袂を分つことになる。研究の集大成を提示し、そこから導き出される結論として、本書は「自殺説」を支持し、各「他殺説」への反論も掲載している(前述の『謀殺 下山事件』への反論もある)。言うなれば、とてつもなく硬派な「自殺派」の本なのだ。その上、76年に出版されるも、09年に再版されるまで、ずっと絶版だった。そもそもかなり高い本なのだが、絶版なので一時期は古書市場で高値がついていた。片や、紹介した他殺派の『日本の黒い霧』『謀殺 下山事件』『下山事件 最後の証言』は、どれも文庫でも出版されていて、書店でワンコインでお手軽に安く買える。どう考えても、『全研究』は誰にも読まれない。一人の読者が本書を手に取る間に、一体何千人の読者が他殺派の本を読むんだろうか。そんなことを考えてしまうほど、ハードルの高い本だといえる。 しかし、そのハードルを越えて読むと、驚かされるのは、諸々の「下山本」が、どれほど「自分たちの望む結論に都合の良い証言や実験結果」しか引用していないか、ということについてだ。もちろん、『全研究』は結論から言えば「自殺派」の本であり、自殺と結論付けるバイアスが「まったくかかっていない」と言う気はない。しかし、それが極力少ないのは間違いなく、これが感覚としてわかるだけでも、本書には一字千金の価値があるんじゃないだろうか。これに照らし合わせると、平成3部作の『下山事件 最後の証言』も、かなり重要なポイントを「あえて」いくつも無視して「結論ありき」で話を進めている、という事実が見えてくる。『最後の証言』はものすごく興味深く面白い本だが、僕はこれもまた下山事件を題材にとった推理小説のようなものに近いと考えてしまう。 それで、冒頭の「ポスト真実」の話に戻るのだが、下山事件に関する証言や実験結果は、うわさ話のようなものも含めれば無数に存在する。そもそも司法解剖の結果ですら、それぞれの研究機関によって判定が違うのだ。尽きることなく結論の違う「陰謀」が暴き出され続けることからもわかるように、極端な話、必要なパーツだけを望むようにピックアップしていけば、自分の思い描くストーリーを構築するのも不可能ではないのだ。たとえば下山総裁の奥さんの発言として、失踪直後に「自殺かもしれない」と心配していたとする証言Aと、後年になって「下山は殺された」と周りに言っていたとする証言Bが存在する。自殺派は証言Aだけを、他殺派は証言Bだけをピックアップする。こうして意識的にせよ無意識的にせよ、無数の取捨選択が繰り返された結果、われわれが「真実」として受け取ってきたストーリーが作り上げられるのだ。そして「真実」が謎である限り、あらゆる推論に等しく真実である可能性がある。いや、もはや真の意味での「真実」は問題でなく、下山事件には「それに対する感情や、個人的な意見」だけが存在するのかもしれない。まさに、下山事件は「面白ければ、なんでもあり」の、「ポスト真実」を地でいく無法地帯なのだ。 そして、この無法地帯を永久にさまよい歩く病が、「下山病」だ。「真実」という太陽を探して、地面を掘り続けるのだ。空を見上げることなく、死ぬまでそれを続けるのだ。「おそろしい病気だな~」と思った。そこのあなた。ここまで原稿を読んだら、もう、伝染(うつ)ってますよ。 *** 【後記】 暖かくなってきた4月のある日、僕は五反野を訪れた。駅から10分ほど歩いた、線路脇の道や公園からやや遠めに見える伊勢崎線(いまは東武スカイツリーラインというらしい)と常磐線が交差するポイントが、68年前に下山総裁が列車に轢かれた場所だ。夜の闇の中に電車が通るたび、音を立てて地面を揺らし「そこ」を光のレールが通過する。轢断現場の近くの高架下の、ほとんどの通行人が見逃しそうな片隅に、「下山国鉄総裁追憶碑」が作られている。そこに添えられた下山総裁の肖像を見ていると、時代に翻弄され無念の死を遂げた一人の紳士の姿が浮かび上がってくる。下山本を読み進めたある時から、それまで「昭和最大のミステリー」のパーツのひとつにすぎなかった下山総裁という存在が、穏やかな表情で、一人の人間として、自分の中に立ち上がってくる瞬間があった。時代が違えば、優秀な技術者としての職務を全うしたかもしれない、市井の人として穏やかに生きたかもしれない。もちろん会ったことも話したこともない人物だが、先述の「真実」がなんであれ、彼の魂の安寧に想いをはせずにはいられない。下山事件の無法地帯では、こういう「感情や、個人的な意見」も許されるだろう。合わせた手をほどいて歩きだすと、夜風に吹かれて、その感情はどこかへ吸い込まれるように飛び去っていった。その風の行く先を見ると、下山事件が、今も風に吹かれて揺れている。
下山総裁轢断現場周辺
「下山国鉄総裁追憶碑」
●タカハシ・ヒョウリ
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。
HP:http://www.owarikara.com/
ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/
Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw
5日間の出張のはずが……ジャパニーズサラリーマンの悲哀を描く『僕らはみんな生きている』
GWという絶好の海外旅行シーズンを前に、旅行業界に激震が走りました。そう、格安旅行会社「てるみくらぶ」の経営破綻です。特に衝撃なのは、現在海外に渡航中の旅行者が自力で帰ってこなければいけないという、文字通りの片道切符状態。これはさすがに前代未聞でしょう。 ところで、行ったが最後、お国に帰れないワンウェイチケットなマンガといえば『僕らはみんな生きている』。ほんの5日間の海外出張だったはずが、テロに巻き込まれ、マラリアに感染し、パスポートを盗まれ……など、あらゆる災厄が降りかかり、帰国不可能になってしまった悲惨なジャパニーズサラリーマンの物語です。 本作は、1992年から「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載された漫画版と、93年に公開された映画版が存在するメディアミックス作品ですが、本稿では山本直樹先生による漫画版をご紹介します。エッチマンガのカリスマである山本先生による本格的ビジネスマンガ――この組み合わせが意外や意外、バッチリハマっているのです。 主人公は、大手建設会社のサラリーマン・高橋。社命により、西南アジアの小国・タルキスタンへ5日間の出張に行くことになるのですが、タルキスタンは軍事政権であり、テロやクーデターは日常茶飯事。国民の貧富の差が激しく、大部分が貧民。マラリアやコレラなどの風土病もあり、日本人にとってはかなり劣悪な、いわゆる渡航したらヤバい国のひとつです。 高橋は、たった5日間の出張のため、完全に観光気分だったのですが、出迎えに来た現地法人の駐在員・中井戸がクセモノでした。あの手この手で高橋の出張を長引かせ、あわよくば駐在員を高橋に押し付けて自分は日本に帰国しようと画策します。短期出張のつもりが、気づけば次期駐在員候補へ……なんという恐ろしいトラップでしょうか。 その中井戸によるトラップの最たるものが、彼の運転手兼現地妻であるセーナによるハニートラップ。セーナを高橋にあてがい、夜な夜な誘惑させます。現地の女にハマらせてしまえば、帰りたくなくなるはず……という作戦です。高橋には日本に恋人がいるのですが、見事セーナのハニートラップにハマり、ヤッてしまいます。これではもう、相手の思うツボですよね。 さらに極悪なことに、中井戸は高橋のパスポートを盗み出します。大使館でパスポート再発行を試みる高橋に対し、現地の職員を買収して再発行を引き延ばすなど、徹底的に帰国を妨害。本気で高橋にタルキスタン駐在員を押し付けようとします。 着々と帰国不能な状態に追い込まれ、マラリアに感染して生死をさまよい、セーナに優しくされて情が移り……嫌がりながらも、次第にタルキスタンの生活に慣れ始める高橋。完全に永住パターンです。 ところが、軍事政権にクーデターが起こり、タルキスタンは一気に内戦状態へ。中井戸や高橋たち日本人はタルキスタンからの脱出を図ることになり、ゲリラが仕掛けたブービートラップだらけのジャングルを突き進むアドベンチャーマンガへ。 そして従順な現地妻だと思っていたセーナが、実は中井戸を利用して軍の情報を収集し、国家を転覆させるべく活動するゲリラのメンバーだったことも判明。ストーリーが急展開します。 登場人物たちの裏切りに次ぐ裏切り、後半に何回も来るどんでん返し的展開に翻弄される、典型的なジャパニーズサラリーマン高橋による最後の逆転劇とは――! このマンガの魅力はズバリ、謎の女セーナのマタ・ハリもビックリな女スパイっぷりに尽きます。山本直樹先生による妖艶なイラストもバッチリハマっており、連載当時リアルタイムで読んでいた僕は、まるでエロマンガを読んでいるかのような錯覚に陥ったものです。山本先生の画ってなんでこう……エッチなんでしょうね。 というわけで、世界情勢が不安定になりつつある今だからこそ読んでおきたいマンガ『僕らはみんな生きている』を、ご紹介しました。みなさんも海外出張や旅行の際は、うっかりハニートラップにハマって、気がついたら現地の人に……なんてことにならないよう、くれぐれもお気をつけください。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>) ◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから『僕らはみんな生きている(1)』(小学館)
5日間の出張のはずが……ジャパニーズサラリーマンの悲哀を描く『僕らはみんな生きている』
GWという絶好の海外旅行シーズンを前に、旅行業界に激震が走りました。そう、格安旅行会社「てるみくらぶ」の経営破綻です。特に衝撃なのは、現在海外に渡航中の旅行者が自力で帰ってこなければいけないという、文字通りの片道切符状態。これはさすがに前代未聞でしょう。 ところで、行ったが最後、お国に帰れないワンウェイチケットなマンガといえば『僕らはみんな生きている』。ほんの5日間の海外出張だったはずが、テロに巻き込まれ、マラリアに感染し、パスポートを盗まれ……など、あらゆる災厄が降りかかり、帰国不可能になってしまった悲惨なジャパニーズサラリーマンの物語です。 本作は、1992年から「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載された漫画版と、93年に公開された映画版が存在するメディアミックス作品ですが、本稿では山本直樹先生による漫画版をご紹介します。エッチマンガのカリスマである山本先生による本格的ビジネスマンガ――この組み合わせが意外や意外、バッチリハマっているのです。 主人公は、大手建設会社のサラリーマン・高橋。社命により、西南アジアの小国・タルキスタンへ5日間の出張に行くことになるのですが、タルキスタンは軍事政権であり、テロやクーデターは日常茶飯事。国民の貧富の差が激しく、大部分が貧民。マラリアやコレラなどの風土病もあり、日本人にとってはかなり劣悪な、いわゆる渡航したらヤバい国のひとつです。 高橋は、たった5日間の出張のため、完全に観光気分だったのですが、出迎えに来た現地法人の駐在員・中井戸がクセモノでした。あの手この手で高橋の出張を長引かせ、あわよくば駐在員を高橋に押し付けて自分は日本に帰国しようと画策します。短期出張のつもりが、気づけば次期駐在員候補へ……なんという恐ろしいトラップでしょうか。 その中井戸によるトラップの最たるものが、彼の運転手兼現地妻であるセーナによるハニートラップ。セーナを高橋にあてがい、夜な夜な誘惑させます。現地の女にハマらせてしまえば、帰りたくなくなるはず……という作戦です。高橋には日本に恋人がいるのですが、見事セーナのハニートラップにハマり、ヤッてしまいます。これではもう、相手の思うツボですよね。 さらに極悪なことに、中井戸は高橋のパスポートを盗み出します。大使館でパスポート再発行を試みる高橋に対し、現地の職員を買収して再発行を引き延ばすなど、徹底的に帰国を妨害。本気で高橋にタルキスタン駐在員を押し付けようとします。 着々と帰国不能な状態に追い込まれ、マラリアに感染して生死をさまよい、セーナに優しくされて情が移り……嫌がりながらも、次第にタルキスタンの生活に慣れ始める高橋。完全に永住パターンです。 ところが、軍事政権にクーデターが起こり、タルキスタンは一気に内戦状態へ。中井戸や高橋たち日本人はタルキスタンからの脱出を図ることになり、ゲリラが仕掛けたブービートラップだらけのジャングルを突き進むアドベンチャーマンガへ。 そして従順な現地妻だと思っていたセーナが、実は中井戸を利用して軍の情報を収集し、国家を転覆させるべく活動するゲリラのメンバーだったことも判明。ストーリーが急展開します。 登場人物たちの裏切りに次ぐ裏切り、後半に何回も来るどんでん返し的展開に翻弄される、典型的なジャパニーズサラリーマン高橋による最後の逆転劇とは――! このマンガの魅力はズバリ、謎の女セーナのマタ・ハリもビックリな女スパイっぷりに尽きます。山本直樹先生による妖艶なイラストもバッチリハマっており、連載当時リアルタイムで読んでいた僕は、まるでエロマンガを読んでいるかのような錯覚に陥ったものです。山本先生の画ってなんでこう……エッチなんでしょうね。 というわけで、世界情勢が不安定になりつつある今だからこそ読んでおきたいマンガ『僕らはみんな生きている』を、ご紹介しました。みなさんも海外出張や旅行の際は、うっかりハニートラップにハマって、気がついたら現地の人に……なんてことにならないよう、くれぐれもお気をつけください。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>) ◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから『僕らはみんな生きている(1)』(小学館)
『ドラがたり』が読み解く「社会のインフラ」となったドラえもんと、“のび太系男子”の功罪
誰もが子どもの頃に一度は通り、そして大人になっても愛する心をどこかに持っている──それが『ドラえもん』だ。『ドラえもん』は、ダメなのび太とそれを助けるドラえもんの友情物語であり、2014年の映画『STAND BY MEドラえもん』のような泣けるコンテンツであり、そして現在新作映画『のび太の南極カチコチ大冒険』が公開中であるように、今の子どもたちにも愛される、世代を超えた名作である。 だが実は、そんな『ドラえもん』が全盛期だった頃に子ども時代を過ごした世代の男子には、恐るべき特徴があるという。このたび編集者・ライターの稲田豊史氏が上梓した『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)には、そんな鋭い見立てが詰まっている。「てんとう虫コミックスは全巻頭に入っている」という同氏が、この本で読み解こうとした“のび太系男子”の正体とは? ――3月に稲田さんが上梓された『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』は、『ドラえもん』をテーマにした、これまでにない切り口の書籍となっていますね。 稲田豊史(以下、稲田) 2015年の7月から「PLANETS」のメールマガジンで連載を始めたものですが、やっぱり『ドラえもん』は、作品論としても藤子・F・不二雄論としても、もう語られ尽くしてる。その中であえて語るとしたら、今だからこそ書ける『ドラえもん』論じゃないとダメだと思いました。僕も含めた今の30代から40代は、原作が一番元気だった頃の『ドラえもん』を共通原体験として育った世代です。そんな彼らに『ドラえもん』が自分たちに与えた影響をなんとなくわかってもらえたらいいな、というのが目的です。 この本には大きく3つの柱があって、ひとつは『ドラえもん』の作品論。もうひとつは、作者の藤子・F・不二雄論。そして3つ目が、今言った“のび太系男子”にまつわる世代論です。 ――“のび太系男子”は、この本のサブタイトルにもなっていますね。日刊サイゾー読者のために、“のび太系男子”を簡単に説明してもらっていいですか? 稲田 リスクや責任を負うのが嫌で、「果報は寝て待て」みたいな考え方の人ですね。ダメな自分を恥ずかしく思って自己変革するんじゃなくて、ダメな自分をさらけ出すことこそが誠実で、「それでいいじゃん」って言ってしまうのが“のび太系男子”。のび太はたまに努力するんですけど、『ドラえもん』が日常を描く作品である以上、次の話ではまたダメ人間に戻っていて、結局は変わらない。それと一緒で、誠実で優しいことこそが一番の美徳で、いい年こいて「僕は繊細で弱いんだ」って言ってれば、いつかしずかちゃんみたいなマドンナが現れるに違いない……と思っちゃってるような人のことです。 ――本書では30~40代男性、団塊ジュニアとポスト団塊ジュニアに“のび太系男子”が多いと指摘されています。 稲田 僕も含めた、いわゆる「文化系男子」に限ってですけどね。共通して言えることとして、決断が非常に苦手なんですよ。だから、婚期が遅れがちな人が多い(笑)。 彼らのひとつ上の世代はバブル世代で、「早く結婚する奴は馬鹿だ」とか「もっと独身で遊べばいいじゃん」と言って享楽的にお金を使っている先輩や上司がたくさんいました。我々は直近の先輩である彼らをロールモデルにするしかなかったけれど、社会状況や経済状況が変化して、それは許されなくなった。それでも「趣味に生きるのは控えて、将来設計して、貯金して、結婚を考えよう」みたいな決断ができないまま、今に来てしまっている。 こうした精神性を決定づける上で一番大きかったのは、04年に『「のび太」という生きかた』(アスコム)という本が出たことです。あの本以降、「のび太って良いよね」と、のび太に同調する男性が僕の周りでもすごく多くなった。それ以前からも、のび太がいい奴に描かれている『ドラえもん』の傑作選がよく売れていたこともあって、のび太再評価の気運が土壌としてありました。 ――00年頭あたりで、ヴィレッジヴァンガードのようなサブカル書店で『ドラえもん』の「泣ける話」といった傑作選がよく販売されていた印象があります。 稲田 そこでサブカル男子のプライドをうまくくすぐった側面もあるでしょう。自分が小さい頃に好きだったコンテンツが再評価されるのは誰だってうれしい。「『ドラえもん』を好きな俺が好き」って感じにもなった。 ――「婚期が遅れている」ということですが、そんな“のび太系男子”の問題点とは? 稲田 う~ん……いっぱいあり過ぎますね(笑)。とりあえず、状況を切り開いていくファイトが弱い気がします。団塊ジュニア世代は人口も多くて、競争社会でずっと生きてきたから、いい加減疲れちゃってるんですよ。あとは、自分たちが割をくってるという意識が強い。すぐ上のバブル世代が甘い汁を吸ってるのを目の当たりにしてるのに、自分たちは吸えなかったから、被害者意識も強い。……という感じで、なんでも時代や社会状況のせいにしがち(笑)。 ――“のび太系男子”しかり、本書では、『ドラえもん』を「未成熟な男子の欲望の物語」とも見なしています。では、現代社会における“成熟”とは、どういったものなのでしょう? 稲田 『ドラえもん』は、どこかに必ず「正解」が存在する世界だと思うんですよ。その「正解」を最短のプロセスで探すソリューションツールが、ドラえもんという22世紀から来たお世話ロボットです。ただ、“のび太系男子”が小さい頃、『ドラえもん』を読みふけっていた30年前なんかはまだそういう世界だったけど、今は集団や状況によって「正解」は違う。絶対的な「正解」が存在しない複雑な世界になってしまった。そうすると、「正解を探す」という考え方自体が、間違いなわけです。 そんな時代における“成熟”というのは、今の複雑な状況を複雑なままで受け止めて、その中で「どう快適に生きていくか」という、いわば“瞬間瞬間で息をするための技術”を見つけるということでしかない。そういうパラダイム・シフトを受け入れ、「今は昔とは違う世界なんだ」と認められる人が、成熟した人間ではないでしょうか。 ――『ドラえもん』という物語の中では、まだ「正解のある世界」という共同幻想が生きていた? 稲田 『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄先生が亡くなった96年に終わっている昔の作品ですからね。しかも90年代の新作は年1本の大長編がメインで、短編はぽつぽつしか描かれていない。みんなが知っている『ドラえもん』の日常話はほぼ80年代、つまり30年近く前に描き切られているんです。 だから、今を生きるのに『ドラえもん』は役に立たないはずなんです。『ドラえもん』は、もっとおとぎ話扱いしなきゃいけない。80年代に「コロコロコミック」(小学館)や単行本で『ドラえもん』をいっぱい読んでいた大人にとって、その頃の思い出や染み付いた価値観はなかなか抜けきらないので、厄介ですが……。『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)
■ドラえもんは日本社会の「インフラ」だ! ――『ドラがたり』では、“のび太系男子”だけでなく、しずかちゃんを打算的な姫タイプの女子、ジャイ子をサブカル文化系の女子としても分析していますね。 稲田 “のび太系男子”と思しき読者の方からは「胸が痛い」という反響があって、そこまでは大体予想していたんです。でも、文化系女子としてのジャイ子の生き方について、「私もジャイ子でした」と共感してくれる女性がけっこういたのは意外でしたね。この本の中では、ひとつの語り口の方法というか、ある種の思考実験として文化系女子をジャイ子に見立てているだけですから、ジャイ子がすごくリアルに現代の文化系女子を表しているとは思わないんですけど。ともかく、男女問わずみんなジャイ子が大好きなんだな、というのはわかりました。 ――“のび太系男子”や“ジャイ子系女子”だけでなく、うるさ型の『ドラえもん』好きからも反響はありましたか? 稲田 うるさ型の『ドラえもん』好き(笑)。ウワサによると、世の『ドラえもん』発言を常に巡回サーチしている“ドラえもん警察”っぽい集団もあるらしいのですが……。その人たちにはまだ見つかってないと思います(笑)。 そもそも僕は、『ドラえもん』は日本における最強のインフラだと思ってるんですよ。だって、こんなに全世代が内容も含めて熟知しているコンテンツって、他にないでしょう。「主要登場人物5人の名前は?」と聞かれたら、団塊世代も未就学児も、多分8~9割の人は言えると思う。『ドラゴンボール』やジブリ作品と比べても、図抜けた知名度です。『ドラえもん』は誰もが意識しないくらい、国民の生活に浸透している。それって、もはやインフラです。 誰もが日常で触れているインフラだけに、作品について僕より詳しい人は世の中にたくさんいます。それもあって、この本では「巷では言われているけど、検証されていないこと」はなるべく書いてません。たとえば、「ドラえもんの諸設定を考えたのは、当時チーフアシスタントだった方倉陽二さん」という話が流布していますが、どの設定が彼の手によるもので、どの設定がF先生も了解していたかは細かく確認できないので、言及しませんでした。極力、公式の原典にたどれるものについてだけ書きました。やっぱり“ドラえもん警察”が怖いんで(笑)。 ――「『ドラえもん』はインフラになっている」という指摘は、興味深いですね。 稲田 面白いのは、世代によって作品の受け取り方がけっこう違うということ。これは長らく感じてました。だから、『ドラがたり』の第1章では、学年誌に掲載された同時期の作品を“水平”に、時系列順の作品を“垂直”にとって、『ドラえもん』の作品性をマッピングしています。アニメ版でも、観ていたのが(現在のアニメで声優を務める水田わさび版の)“水田ドラ”なのか、“大山(のぶ代版)ドラ”なのかでドラえもんに抱く印象が大きく違いますし、リアルタイムで原作を読んでいたかどうかでも違う。その他にも、ザワっとする章タイトルや見出しをぶっこんでおいたので、目次を見ただけで百家争鳴の議論が湧き上がると思います。結果的に、そういう本に仕上がって良かったです。 あと、絶対に言及したかったのは、「エコドラ」ですね。 ■プリウスに東京メトロ……ドラえもんをめぐるイメージ ――エコ(環境問題)を呼びかけるドラえもんのことですね。本書を読むと、その部分は特に稲田さんの筆にも力が入っているのがわかります(笑)。 稲田 環境問題に傾倒した時期の『ドラえもん』が本当にイヤでイヤで。84年くらいからですね。“ぼくたち地球人”というスローガンを掲げて、お行儀が良くて、品行方正で……。極めつけは、大長編『のび太とアニマル惑星』でまるで“放射脳”化したみたいな、のび太のママです。あれは、ひどい。 「エコドラ」に対する嫌悪感をはっきり打ち出した書籍にお目にかかったことがなかったので、この気持ち悪さはどうしても書いておきたかったんです。読者の反響でも「私も嫌だった」って人がわりといて、うれしかったですね。F先生自身も、作品によってはエコに寄り過ぎたことをあとで反省してたらしいんですけど。 ――そういったクリーンなイメージからか、近年でもドラえもんを使ったタイアップは盛んですよね。 稲田 (俳優を起用した実写CMの)トヨタはまあ、わかるんですよ。“のび太系男子”にそろそろ家族ができて、エコ色の強いプリウスをファミリーカーとして買わせたいってことなので。ドラえもん役の俳優にジャン・レノが起用されてますけど、“のび太系男子”は彼の主演した映画『レオン』(96年公開)が響く層でしょう(笑)。この世代の文化系男子は皆、ナタリー・ポートマンの演じた黒髪おかっぱの美少女・マチルダが大好きですからね。 昔は日産も、ラシーンという若者向けの車のCMで「新・ぼくたちのどこでもドア」と謳って、『ドラえもん』を起用していました。それが20年くらい前で、“のび太系男子”の一番上の世代が免許を取ったくらいの時期です。当時はまだ、大学生が車を買う発想があった時代でしたからね。 あとは今、東京メトロが『ドラえもん』を起用して「すすメトロ!」というキャンペーンをやってますが、イラストレーターが描いたオシャレクソなドラえもんが、個人的にはちょっと癇に障ります(笑)。普通に原作かアニメの絵でやればいいのに、なんでフラットデザインのオシャレ絵なんでしょうか、あれ。 ――毒気の抜けたドラえもんですよね(笑)。 稲田 ドラえもんというキャラクターは、デザイン的にものすごくうまくできているんです。特にF先生による原作タッチ、円の組み合わせによるバランスは完璧で、時代を経てもぜんぜん古臭さを帯びません。また、原作とアニメのタッチは全然違うのに、青・白・黄・赤のカラーリングさえしてあれば、アイコンとして成立する。だからこそオシャレ絵にもアレンジしやすいし、アパレル展開なんかで女子受けするような方向性に持っていくのも、わかるんですけど。 実は今回、本に書こうと思って書かなかったのが、「文化系アラサー女子、『ドラえもんが好き』って言っておけばOK問題」です。ほら、「このキャラクターが好きな自分」を打ち出すアピールのやり方ってあるじゃないですか。例えば、『ムーミン』のスナフキンが好きだったら、「北欧にも目配せしてる自由人気質」。ディズニーキャラが好きなら、ちょっとマイルドヤンキー文化にも踏み込んだ「平和的なウェイ系」。サンリオのキティ好きなら、周りからどう思われようと「夢の国の住人」として全身ピンクを着まくるとか。でも、ディズニーとかサンリオ好きって公言すると、ディスられる可能性がありますよね、「サイゾー」みたいな意地悪なメディアに(笑)。 ――稲田さんが「サイゾー」本誌の連載で言ってるだけですよ(笑)。 稲田 とにかく、「『ドラえもん』が好き」なら、全方位で安全なんです。思想的にも中立中庸でニュートラルだし、キャラとしての可愛さもある。さらに、原作に顕著ですが「実はちょっと毒がある」みたいなマニアックなアプローチもできる。そういった深い戦略を踏まえた“ドラえもん好き女子”が、世には結構いるわけですよ! だから、郵便局で『ドラえもん』グッズを売り出せば飛ぶように売れるし、(劇場版最新作の)『のび太の南極カチコチ大冒険』にも若い女子が乗っかれる。身につけてもギリギリ恥ずかしくないキャラとしてのドラえもん。そうやって一大マーケットができているんですよね。『ドラえもん』第1巻は1974年の刊行だった
■“虚淵ドラ”だっていいじゃないか! 今後の大長編 ――今、話にも出ましたが、『南極カチコチ大冒険』はいかがでしたか? 稲田 公開直後、ネット上では「クトゥルフ神話っぽい」といった絶賛の意見もよく見られましたが、すみません、僕としては「普通」でした(笑)。偉そうにごめんなさい。もちろん、時間ギミックのアイデアは良かったし、パオパオの登場や『のび太の魔界大冒険』を彷彿とさせるミスリードといった、オールドファンがぐっと来る仕掛けも良かった。導入部はそこそこに、物語がすぐ動き出すなど、子どもたちを飽きさせない工夫もできていました。 でも、原作のない映画オリジナルの『ドラえもん』は、脚本家の力量でもっとぶっ壊してもいいと思うんです。アメコミだってそうでしょう。何十年も前に誕生して、描き手がどんどん変わって、新しい要素や時代性を作品に取り込んだ結果、新規の読者を常に獲得しています。見た目が大きく変わったとしても、最低限の世界観さえ守っていれば、『バットマン』や『スパイダーマン』を名乗れる。それこそ『ドラがたり』にも書いたように、「大長編ドラえもんコード」(大長編の『ドラえもん』を成立させている要件)さえ守っていれば、誰がどう書いたって長編の『ドラえもん』になるんです。 『ドラえもん』は、05年の声優リニューアルで確実に20年は延命したと思いますが、これからさらに延命させたいのなら、新しい脚本家をどんどん起用していけばいいんじゃないでしょうか。それこそ、虚淵玄さんが脚本の映画『ドラえもん』を観てみたい。個人的には、ドラえもんの動力源が原子力だってことをネタにした作品ができると面白いのになと。「体内の原子炉がメルトダウンして、さあ大変。ドラえもんが販売元からリコールされちゃう!」みたいな。 ――最後に、これを読んで久しぶりに『ドラえもん』を読み返したいと思った「日刊サイゾー」読者に、オススメの『ドラえもん』エピソードはありますか? 稲田 やっぱり、大長編の『のび太の魔界大冒険』かな。オールド世代にとって不動のナンバー1・2は、『魔界大冒険』と『のび太と鉄人兵団』。異論は認めん(笑)。 『魔界大冒険』がすごいのは、伏線とその回収です。最初に登場した謎が、その1時間後とかに、小学校低学年が見ても理解できるよう、きっちり解ける。SFのプロットとして図抜けた完成度の高さが魅力です。さらに、「タイムマシン」や「石ころぼうし」といった、ドラえもんの道具の万能性が破られる恐怖もすごい。敵のメジューサからはタイムマシンでも逃げられない。時間を超えてのび太とドラえもんを追跡してくる。このくだりが最高にホラーだっていう意見は、本当に多いんですよ。しかも、『魔界大冒険』は、しずかちゃんのスカートめくりで物語が動き出して、スカートめくりで終わる(笑)。エロスもアドベンチャーも全部入り。完璧です。 原作の大長編『ドラえもん』は、単行本たった1冊分なので、大長編というよりは中編ですが、この短さでアドベンチャーの起承転結が過不足なく描かれています。この見事な構成技術は、僭越ながら僕がものを書いて商売していく上でも、とても役に立っているんですよ。何分くらいで読めるものを、どういうスピード感で語るのが一番快適か。そういうのを小学生のときから感覚として刷り込んでくれたのが、F先生の初期の大長編です。今、読み返してもコマ運びにまったく無駄がない。大河ドラマを得意とした手塚治虫とはまた違った、中短編で光るウェルメイドの素晴らしさが、藤子・F・不二雄作品にはあると思っています。 (構成=須賀原みち) ■稲田豊史(いなだとよし) 1974年、愛知県生まれ。編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経てフリーランスに。著書に『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)、編著に『ヤンキーマンガガイドブック』(DU BOOKS)、編集担当書籍に『押井言論2012-2015』(サイゾー)など。<http://inadatoyoshi.com/> ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代 発売中公開中の『映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』
子どもたちを救うはずが、ますます不幸にさせる? “限界寸前”児童相談所の実情とは――
「児童相談所」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか? 虐待を受けた子どもたちの相談や、養育困難な家庭への対応、そして非行や虐待によって家庭にいられなくなってしまった子どもたちを一時的に保護するといったことを行っている児童相談所の仕事は、社会からはなかなか見えにくくなっている。だが、その世界に一歩足を踏み入れると、そこには驚くべき現実が広がっていた。米・不動産ファンド「モルガン・スタンレー・キャピタル」出身で、NPO法人「Living in Peace」を設立し、子どもたちの支援を行っている慎泰俊による著書『ルポ 児童相談所 一時保護所から考える子ども支援』(ちくま新書)から、その実態を見てみよう。 本書を一読して驚かされるのは、児童相談所における子どもたちの扱いだ。虐待、貧困、非行などによって、家庭での養育が困難となった子どもたちが一時的に預けられる「一時保護所」では、一昔前まで体罰が当たり前だった。現在では体罰こそ減ったものの、「外出禁止が徹底され、学校にも行くことができない」「脱走防止のために、窓を開くこともできない」「私物はおろか、服も持ち込めない」「男女のトラブルを避けるため、きょうだいであっても会話ができない」「連絡先交換を防ぐため、紙の使用も管理されている」など、すべてが「トラブル防止」の名のもとに、徹底的に管理されている。在所経験のある人々は、この施設について口々に「あそこは地獄だ。思い出したくもない」「刑務所のような場所」と表現。さらに、一部の保護所では、トラブルを起こした子どもに対しては「個別対応」という名目で、4畳の個室での隔離生活を強いる。まるで、独居房のようだ。 かつて、一時保護所は非行少年の入所比率が高く、暴力や規律で徹底的に抑えつける必要があった。また、近年は虐待や精神障害で入所するケースが多く、心の傷がちょっとしたことで爆発してしまうケースもある。そんな、さまざまな問題を抱えた子どもたちを1カ所で集団生活させるため、このような抑圧的な方法を用いて管理しているのだ。 もちろん、神奈川県の中央児童相談所のように「子どもを守るための場所なのだから、子どもが逃げ出したがるような場所であるほうがおかしい」と、子どもに寄り添った一時保護所を開設している自治体もあるが、抑圧的な一時保護所は少なくない。その原因を、慎は、職員数の不足とともに、職員の子どもたちに対する想像力の欠如に見ている。慎自ら、携帯電話を切って一時保護所で2泊3日を過ごしたところ、言いようのない閉塞感を味わったという。シフト制で働き、仕事が終われば帰宅する職員たちには、その閉塞感が理解できないようだ。 また、児童相談所そのものに目を移してみると、別の深刻さが浮かび上がってくる。 虐待を受けた子どもの支援、養育困難な子どもやその家庭の対応にあたっている児童相談所では、常に職員ひとりあたり100件あまりの対応を行っている。2009年に1,101件だった相談件数は、15年には10万3,260件と、およそ100倍にまで増加。虐待数そのものが増加しているのか、通報しやすい環境が整ってきているのかは定かではないが、職員の負担は増加の一途をたどっている。この15年間で、児童福祉司の数は1,230人から2,829人に大幅増員されたが、相談件数の伸びには追いついておらず、「あと2~3倍の人員が必要」というのが現場の声。多忙のあまり、深刻な虐待を見逃し、虐待死事件に至ってしまったという、取り返しのつかないケースも報告されている。 このような状況を打破すべく、慎が提言するのは、行政による子ども向け対策の抜本的な改革とともに、3~4年のローテーションで部署を異動する、役所内の人事制度の見直しだ。また、民間でも、児童相談所に頼るばかりでなく、地域の努力によって状況を好転させることはできると説く。 虐待を受ける子どもたちに罪はない。しかし、増え続ける虐待によって職員が忙しく目配りできない環境や、一時保護所の抑圧的な対応は、子どもたちを救うばかりか、ますます不幸にさせていく。行政と民間がこの問題に向き合って根本を改善しない限り、すべての子どもたちが安心して生きられる社会はやってこないのだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援』(ちくま新書)
子どもたちを救うはずが、ますます不幸にさせる? “限界寸前”児童相談所の実情とは――
「児童相談所」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか? 虐待を受けた子どもたちの相談や、養育困難な家庭への対応、そして非行や虐待によって家庭にいられなくなってしまった子どもたちを一時的に保護するといったことを行っている児童相談所の仕事は、社会からはなかなか見えにくくなっている。だが、その世界に一歩足を踏み入れると、そこには驚くべき現実が広がっていた。米・不動産ファンド「モルガン・スタンレー・キャピタル」出身で、NPO法人「Living in Peace」を設立し、子どもたちの支援を行っている慎泰俊による著書『ルポ 児童相談所 一時保護所から考える子ども支援』(ちくま新書)から、その実態を見てみよう。 本書を一読して驚かされるのは、児童相談所における子どもたちの扱いだ。虐待、貧困、非行などによって、家庭での養育が困難となった子どもたちが一時的に預けられる「一時保護所」では、一昔前まで体罰が当たり前だった。現在では体罰こそ減ったものの、「外出禁止が徹底され、学校にも行くことができない」「脱走防止のために、窓を開くこともできない」「私物はおろか、服も持ち込めない」「男女のトラブルを避けるため、きょうだいであっても会話ができない」「連絡先交換を防ぐため、紙の使用も管理されている」など、すべてが「トラブル防止」の名のもとに、徹底的に管理されている。在所経験のある人々は、この施設について口々に「あそこは地獄だ。思い出したくもない」「刑務所のような場所」と表現。さらに、一部の保護所では、トラブルを起こした子どもに対しては「個別対応」という名目で、4畳の個室での隔離生活を強いる。まるで、独居房のようだ。 かつて、一時保護所は非行少年の入所比率が高く、暴力や規律で徹底的に抑えつける必要があった。また、近年は虐待や精神障害で入所するケースが多く、心の傷がちょっとしたことで爆発してしまうケースもある。そんな、さまざまな問題を抱えた子どもたちを1カ所で集団生活させるため、このような抑圧的な方法を用いて管理しているのだ。 もちろん、神奈川県の中央児童相談所のように「子どもを守るための場所なのだから、子どもが逃げ出したがるような場所であるほうがおかしい」と、子どもに寄り添った一時保護所を開設している自治体もあるが、抑圧的な一時保護所は少なくない。その原因を、慎は、職員数の不足とともに、職員の子どもたちに対する想像力の欠如に見ている。慎自ら、携帯電話を切って一時保護所で2泊3日を過ごしたところ、言いようのない閉塞感を味わったという。シフト制で働き、仕事が終われば帰宅する職員たちには、その閉塞感が理解できないようだ。 また、児童相談所そのものに目を移してみると、別の深刻さが浮かび上がってくる。 虐待を受けた子どもの支援、養育困難な子どもやその家庭の対応にあたっている児童相談所では、常に職員ひとりあたり100件あまりの対応を行っている。2009年に1,101件だった相談件数は、15年には10万3,260件と、およそ100倍にまで増加。虐待数そのものが増加しているのか、通報しやすい環境が整ってきているのかは定かではないが、職員の負担は増加の一途をたどっている。この15年間で、児童福祉司の数は1,230人から2,829人に大幅増員されたが、相談件数の伸びには追いついておらず、「あと2~3倍の人員が必要」というのが現場の声。多忙のあまり、深刻な虐待を見逃し、虐待死事件に至ってしまったという、取り返しのつかないケースも報告されている。 このような状況を打破すべく、慎が提言するのは、行政による子ども向け対策の抜本的な改革とともに、3~4年のローテーションで部署を異動する、役所内の人事制度の見直しだ。また、民間でも、児童相談所に頼るばかりでなく、地域の努力によって状況を好転させることはできると説く。 虐待を受ける子どもたちに罪はない。しかし、増え続ける虐待によって職員が忙しく目配りできない環境や、一時保護所の抑圧的な対応は、子どもたちを救うばかりか、ますます不幸にさせていく。行政と民間がこの問題に向き合って根本を改善しない限り、すべての子どもたちが安心して生きられる社会はやってこないのだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援』(ちくま新書)
ディズニー映画に隠されたメッセージを徹底解明! 見方がガラリと変わる『暗黒ディズニー入門』
「ディズニー」という言葉ほど、人によって連想されるものが違う言葉はないだろう。印象も、知識の量も大きく異なるはず。『暗黒ディズニー入門』(コア新書)では、そんなさまざまなイメージを持つディズニーの正体の解明を試みる。 著者である高橋ヨシキ氏は、ディズニー好きを自負しており、本書はニュースサイト「ブッチニュース」で連載されていた「高橋ヨシキのディズニー大好き!」をまとめ、一部加筆した一冊。まえがきで著者は、ディズニーによって「魔術への信頼」という影響を受けたとしている。サブカルチャーを主な主戦場とする著者の源流が、ここにあるようだ。 第一章では、ディズニー34本目のアニメーション映画『ノートルダムの鐘』からディズニーを深掘りしていく。この『ノートルダムの鐘』は、テーマとモチーフに、キリスト教が前面に押し出されているという。 しかし、それはキリスト教を賛美するプロパガンダ的役割ではなく、“反キリスト”だというのだ。そもそも「アニメーション」の語源は、ラテン語で霊魂を意味するアニマ(anima)。由来は、自然界のあらゆるものに霊が宿るというアニミズム信仰からきている。対するキリスト教では、生命と無生物では大きな隔たりがあるとされており、その生命でも人とそれ以外では全く違う。すべてのものに霊が宿るという信仰と、神が生命を創造したという信仰のキリスト教とでは、決して相入れないのだという。同作品は、アニメ作品という点で、すでに“反キリスト”だといえるだろう。聖母マリアを示す言葉を冠した実在の教会を舞台にした作品だが、“反キリスト”のメッセージが巧みに隠された作品だというのは、なんとも皮肉である。 続いて『白雪姫』の項目では、ナチスドイツ総統アドルフ・ヒトラーがミッキー・マウスが大好きだったというエピソードが語られる。ヒトラーは、ディズニーアニメの大ファンで、その中でも特に『白雪姫』が好みだったとか。ヒトラーが『白雪姫』を好んだその理由や、同作品がのちの文化に与えた影響などが詳しく著されている。 “奇形と差別にまつわる物語”とされる『ダンボ』についての解説も。“奇形と差別にまつわる物語”といわれてもピンとこない人は、ぜひともこの章を読んでいただきたい。 本書には、以下のように書かれている。「ダンボは自らの奇形・短所を飛翔するための(文字通り)翼へと変えてしまいます。細かい差異を取り上げて『奇形だ』『変人だ』『我々とは違う』などと言い募る世間に迎合して『ノーマル』になる必要などない、『ダンボ』は高らかに謳いあげます」。そもそも、『ダンボ』とは英語でまぬけ、といった意味合いだし、劇中に登場する5匹のカラスは、黒人をイメージしているとされている。 一方で、同作品はそういった差別や偏見を受けたために、自分を変えるといった話ではなく、自分らしくあることで、世間の視線を変える物語として着地している。 『メリーポピンズ』、実写映画の『トゥモローランド』と続き、最後にはディズニーの本丸、ディズニーランドを徹底検証。「暗黒ディズニー」と銘打っているものの、単にディズニーを批判している書籍ではない。むろん、妄信的にディズニーを賛美する書籍でもない。歴史的な背景や、ディズニーが与えた文化的な影響を深く、それでいてわかりやすく解説しており、まさに入門書といえる一冊だろう。ディズニー好きはもちろん、そうではない人にも、ぜひともおすすめしたい。 (文=二木知宏[スクラップロゴス])『暗黒ディズニー入門』(コア新書)
斬新すぎるビジネスモデルの数々! ヤンキー起業革命『代表取締役総長 東郷西吉』
サラリーマンの皆様、日夜お仕事ご苦労様です。お仕事、順調ですか? 僕もサラリーマンの端くれですが、順調と言う言葉からは程遠い状況にあります……。まあ、仕事もせずに、マンガばっかり読んでるからなんですけど。 本日ご紹介するマンガは、もしかしたら起業を考えている方や、新規事業を立ち上げようと頑張っているビジネスマンにとって、大いなるヒントが隠されているかもしれません。その名も『代表取締役総長 東郷西吉』(作:古沢優)。ほとばしる元ヤン魂から次々と繰り出される、斬新なビジネスモデルの数々をご堪能ください。 舞台は有限会社 西吉興業。風俗の雑居ビル内にオフィスを構えるこの会社の代表取締役総長が東郷西吉です。ルックスは、完全に族上がりのチンピラ。社長ではなく、「総長」と呼ばせるあたりでいろいろとお察しください。 この東郷総長のビジネスセンスが独創的すぎるのです。まず、オフィスが風俗ビルにあります。一見すると怪しさ抜群ですが、メリットも多数。普通のオフィスビルより、風俗ビルのほうが家賃は圧倒的に安く、おまけにイメクラの居抜きなので、プレイルームが会議室としてそのまま使えます。リフレッシュしたければ、近くのお店から「美人秘書」たちを派遣することもできます。この合理的発想、並のセンスではありませんよね。 しかし、ここからがこのマンガのすごいところ。次々と斬新な商売のアイデアが飛び出してきます。 ご存じ、子どもたちに大人気の昆虫・カブトムシを縁日で売ろうというのです。しかし、「カブトムシ売り」のどこが画期的なビジネスモデルなのか? 実は、ツノがないためにまったく人気がないカブトムシのメスを安く大量に仕入れる、というところがポイントなのです。 「写真指名の来ない風俗嬢なんだよ こいつらは」 総長の例えが妙に的確ですが、ここからが西吉興業の商売術です。なんと、メスのカブトムシにプラスチックで成型したツノの型のパーツを瞬間接着剤で貼り付けて、メスをオスにしてしまいます。これで売れれば、利益率はなんと90%! 「牛乳と思って買ったらそれが加工乳だったって事、よくあるだろ? それと同じなんだよ」 いやいや……普通に詐欺じゃねーか! ちなみに、ハンドメイドで作られた人工のオスのため、ツノが折れたり、ツノの向きが逆だったりという不良品が多数発生! 「最近のカブト虫はカルシウム不足みたいで……」 みたいな言い訳をしつつ、バレて収拾がつかなくなったらバイクに乗って暴走しながら逃走。バレるまでが勝負の、刹那的ビジネスです。 ここで社訓。 「何かを忘れたくなったら まず暴走」 これ以外に「投げて暴走(はし)って仕事して」とか「女も営業も押しの一手」みたいな、まっとうな経営者なら絶対に言わなさそうな社訓が多数あります。 そのほかの商品展開も、実にユニーク。手を使わず、単車に乗りながらアンパンできるアンパンホルダー「アンパンチョ」。念のために説明しておきますと、アンパンって、ヤンキー用語でシンナーのことです。こちらはカーショップが取り扱ってくれないなどの理由で、300個作ったのに3個しか売れませんでした。そりゃ、取り扱わないだろ……。 また、独自のノウハウを生かしたコンサルティングサービスもやっています。周りの族にナメられている弱小暴走族のお悩みを解決する、本物の暴走族になるためのおまかせプラン「ZOKUZOKUパック」。 服装、単車、集会まで、暴走族のすべてをプロデュースしてくれます。暴走に合わせて歓声を上げてくれるギャラリーをサクラで雇ったり、時には以前ボコられたライバルの暴走族に対して報復のお手伝いをしたりします。まさに、手取り足取りで立派な暴走族になれます。 本格的なITを使った商品もあります。その名も、新型カーセキュリティシステム「サイキッチーV」。これはお客様の車を、衛星を使って24時間体制で監視するシステムです。このシステムの斬新なところは、もし盗難など緊急事態があれば、愛車の位置により、地区を管轄している暴走族がすぐに駆けつけ、盗難車を追い詰めて犯人をボコボコに。警察よりもスピーディーな対応が可能、ということなんです。 そのほか、「タマちゃん」ブームで余ったラッコの人形を売りさばくため、ラッコの気ぐるみを着て荒川に入水。「アラちゃん」ブームを起こしたり、レディース上がりのヤンママを集めてデートクラブの営業(しかも、完全に美人局)してみたりと、とにかくユニークなのです。 「マイルドヤンキー」なんて言葉がはやってますけど、もしかしたら、これからの時代は「ガチのヤンキー」がビジネス成功のキーワードになる……のかもしれません。ビジネスモデルがヤンキーに依存しすぎるのも、どうかとは思いますけどね。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>) ◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから『代表取締役総長 東郷西吉』(日本文芸社)
『ホンマでっか!?TV 』のパネラーが健康本の大ウソをバッサリ! 間違いだらけのウォーキング常識
「ダイエットウォーキング」「健康ウォーキング」「歩くと病気が治る」など、ちまたにあふる健康ウォーキング本をバッサリ切り捨てた『その歩き方はいけません! 間違いだらけのウォーキング常識』(ガイドワークス)が出版された。 筆者は『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)など、さまざまなメディアに出演し、中山雅史や久保竜彦、また40歳を過ぎても現役のJリーガーとしてプレーしていた服部年宏など、多くの日本代表選手の体を改善してきた夏嶋隆氏。かなり過激なタイトルで、ある意味“ウォーキング革命”ともいえそうだが、どのような内容なのか? 本書をプロデュースした石井紘人氏に訊いた。 ■「デュークウォーキング」や「ベターッと開脚」では、健康にならない? ――まず、なぜウォーキング本をプロデュースされたんですか? 「今だったら、開脚本のほうが売れるかもしれないですね(笑)。ですが、現在の日本人が抱える健康の問題は、膝痛、腰痛、肩こり、首こりに集約されているといっても過言ではない。それらと因果関係があるのは、日常の動作ですよね。日常の動作改善へのアプローチとして、開脚だけではあまり効果がないのではないかと。むしろ、ウォーキングがこれだけ流行しているのに、健康被害が改善されないのであれば、ウォーキングというものを考えるべきなのではと思い、プロデュースしました」 ――確かに、ウォーキング本は結構出版されていますよね。 「今までのウォーキング本は、ワンパターンだったと思います。たとえば、わかりやすいのが、2003年前後に一時期流行した側屈させる歩き方があります。理論はわからなくもないのですが、日常に落とし込み、あの歩き方を続けていたら、逆に疲労がたまるように思います。でも、ウォーキングという動作は、日常。今までのウォーキング本は、ウォーキングと題しながらも、実際はストレッチ本といえるのではないでしょうか。ウォーキング本とするのならば、裸足で生活する家の中から、靴を履いて外出し、平坦な道から、坂、階段の歩き方。さらには、歩くスピードや歩く環境、履いている靴までも網羅しなければ、トゥーマッチだと思うんです。『大股で歩こう』とか目にしますが、都心の雨が降ると滑るタイルを大股で歩いたら転んでケガをしてしまうし、ヒールで大股で歩くのも難しい。ほとんどのウォーキング本が、そういったことに触れていないのではないでしょうか。本書では、状況に応じたウォーキングの使い分けと、どのように歩けば体にダメージを与えないかを記しました」 ――つまり、日常に落とし込めるウォーキング本を作ったと。 「そうですね。本書をご覧頂き、意識されるだけで体が感じる疲労がだいぶ変わると思います。健康本の多くは、著者の経験による主観が入っている理論も多くあるように感じます。ですから、著者が勧める一種類だけがブームになり、『でも、日本人は健康になってないよね?』となってしまう。そうではなく、解剖学や運動生理学をベースに『階段を歩くときは、こう歩いた方が……』『滑りやすい道はこう歩いたほうが……』『ヒールの時は……』『通勤ラッシュの時は……』さらには『お家でソファーから立って歩くときにぎっくり腰などにならないようにするためには』と写真と共に解説してあります。立ち読みでもよいので、読んでほしいです」 (文=週刊審判批評編集部)『その歩き方はいけません! 間違いだらけのウォーキング常識 』(ガイドワークス)
















