
『邪悪な虫』『邪悪な植物』(朝日出版社)
男子は、小学生の頃、昆虫採集や植物採集に入れ込む。虫取り網を振り回しながら、雑木林で見つけた見慣れない植物に興味を示す。かつての原風景として、そんなイメージが心に浮かぶ人も多いだろう。あの頃に戻りたい……と、かなわぬ望みを抱くかもしれない。
しかし、朝日出版社から出版された『邪悪な虫』『邪悪な植物』に目を通せば、そのような考えは改めなければならない……。ガーデニング誌の編集にも携わる作家エイミー・スチュワートが記した本書は、毒や害のある虫と植物の数々を解説。そのグロテスクにも思える挿絵と相まって、読者に強烈なインパクトを与え、なんとニューヨークタイムズのベストセラーにまでランクインしてしまった。
世界中に100万種が分類されている昆虫のうち、『邪悪な虫』には34種の恐ろしい虫が掲載されている。日本人にも馴染み深いオオスズメバチをはじめ、西アフリカで3人に1人を失明に追い込んでいたブヨ、新大陸を発見したコロンブス一行を苦しめたスナノミ、ペストを伝染させるケオプスネズミノミなど、そこには目を覆いたくなるばかりの昆虫たちの悪行が記されている。
かみ付き、寄生し、病気を媒介し、化学物質をまき散らし……と、彼らの人間に対する邪悪さは枚挙にいとまがない。世界中であらゆる虫たちが、それぞれ天敵から身を守るために、さまざまな進化を遂げたのだ。
そもそも昆虫は植物の受粉に役立ち、落ち葉やほかの生物を土に還す、生態系の中ではとても重要な存在である。その働きぶりは「昆虫なしでは人間も生きてこられなかった」と著者も認めるところだ。しかし、それを理解した上で、本書では「背筋がゾクゾクするようなスリル」を届けたいというのだから趣味が悪い。虫たちの世界は、解説を読んでいるだけで、常識はずれで、好奇心をそそられ、なおかつ、かなり嫌な気持ちにさせられる。
一方の『邪悪な植物』も負けていない。
摂取すれば、神経麻痺を引き起こすトリカブト、マンドラゴラの異名で知られ、古代ギリシャでは媚薬として用いられたマンドレイク、アメリカに入植したイギリス兵を狂乱状態に陥れたチョウセンアサガオなど、人間にとってささやかではない影響をもたらす植物たちのオンパレード。また、監訳者が、ジャンキー小説家ウィリアム・バロウズの著作翻訳で知られる山形浩生氏とあって、大麻やコカイン、アヤワスカなどのドラッグ系の植物の解説も充実している。ただし、本書を読めば、間違ってもそれらの植物に手を出したくはなくなるだろう。
現代の都市に生活していれば、昆虫も植物も、人間にとっては、ほんのささやかな存在である、という先入観がある。だが、昆虫たちは世界中で人間を襲い、作物を荒らす。植物はその毒で人間を自然から遠ざけ、その身を守っている。彼らの恐るべき邪悪さに比べれば、人間などなんとちっぽけなものかとすら思えるだろう。
「怖がらせて自然を敬遠させるためではない」という著者の意に反して、『邪悪な虫』『邪悪な植物』を読んでいると、どんなに気候がよくても、一歩も家から出ずに、部屋で「本の虫」として過ごすのが、一番なのではないかと思えてくる……。
(文=萩原雄太[かもめマシーン])
●エイミー・スチュワート
ニューヨークタイムズ紙やワシントンポスト紙をはじめとする数々の新聞・雑誌に、主に園芸・自然に関するコラムを寄稿。邦訳書に、『ミミズの話――人類にとっての重要な生きもの』(今西康子訳、飛鳥新社、2010)、『人はなぜ、こんなにも庭仕事で幸せになれるのか――初めての庭の物語』(J・ユンカーマン、松本薫訳、主婦と生活社、2002)がある。
「05本」タグアーカイブ
伝説のトキワ荘メンバー・森安なおやの傑作幻の『烏城物語』が、まさかの限定復刻!

トキワ荘の伝説的メンバーの幻の作品が、まさかの復刊! 藤子不二雄・石ノ森章太郎・
赤塚不二夫ら多くの漫画家を輩出したトキワ荘。その中で一際異才を放った男・森安なおやの最後の作品『烏城物語』が復刊された。
森安は1934年岡山県生まれ。寺田ヒロオの呼びかけた新漫画党結成に参加した、トキワ荘を語る上で欠かせない人物として知られる。
彼の名が知られるのは、その作品よりも藤子不二雄の自伝的作品『まんが道』(あるいは続編にあたる『愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春』)などで描かれた奇矯なふるまいだ。これらの作品では、満賀道雄(いわずとしれた『まんが道』の主人公)が朝食と昼食用に置いていたパンを平らげたり、締め切りでヒィヒィいっている満賀に「青春を楽しまなくちゃ」と遊びに連れだそうとしたり、奔放な姿が描かれる。実際の森安も、これに近い人物で、出版社からの前借りや借金も踏み倒し、同居していた鈴木伸一の背広を売り払って食費に充てたりと無頼を貫き、ついには寺田ヒロオから新漫画党の除名処分を受けると共に、「今後一切、森安なおやとは付き合わない」との回状を回されるまでになった。
だが、トキワ荘を知る人々は、この人物を(「キャバ」などの愛称をつけて)愛してやまない。締め切りが絶対な漫画家の世界で、「気が乗らなければ描かない」を貫き、漂泊しながらも死ぬまで漫画を描くことをやめなかった生き様は、決して真似できない憧れである。
今回、復刊された『烏城物語』は1997年に、地元の同級生たちが「漫画家・森安なおやを岡山に呼ぶ会」を結成し出版したもの。しかし、少部数の出版であり、古書市場でも滅多に出回ることはなかった。
それが、11月3日から岡山で開催される芸術祭『岡山芸術回廊』の出品作品として限定2,000部で復刊されたのだ。
筆者が、この情報を知ったのは、11月も下旬に入ってから。これは大変だ! とすぐさま岡山へ向かった筆者は、『岡山芸術回廊』のホームページで案内されていた販売場所(何が後楽館高校跡だよ! 農政局跡だろ、ここは!)に駆け込んだ!
「う、う、う、烏城物語ぃいいい!」
県庁坂を駆け登り、ものすごい勢いで駆け込んできた筆者に、売店のお姉さんは
「まだ、ありますから安心してください」
と、極めてクール(ちょっと引いてる?)。聞けば、幾人かマニアが買いに来たけれど、思ったよりも売れていないのだとか。どうも、地元岡山でも、森安の事績を知る人は限られているらしい……もったいない。しかも、売店のお姉さんによれば、版権でゴニョゴニョあるとかで「もしかしたら、販売中止になるかも」と、気になることを。部数も限定であるし、早めに手に入れるに越したことはない。
無事に念願の1冊を手に入れた筆者は、森安の愛した岡山城と後楽園を望む旭川の川辺に向かった。その一角にある、友人たちの設置した万成石のベンチと桜の木のところで、思いを馳せているのは……筆者だけだった。
(取材・文=昼間たかし)
読んだ後もずっと怖い! 記憶に入り込むノイズのような不安が襲う『後遺症ラジオ』

『後遺症ラジオ』(講談社)
あやふやな記憶に対する恐怖というものがある。僕の場合、やけにだだっ広い空き地みたいな場所(今探しても見つからない……)で誰かと遊んでた記憶とか、山道で親の運転する車が派手に脱輪した記憶(どうやって帰ってきたか覚えてない)とかがそれだ。ヤマもオチもないし、本当にあったことなのかも疑わしいのだけれど、そういう不確かな記憶は、ふとした瞬間に蘇って僕を薄気味悪い気持ちにさせる。
中山昌亮の『後遺症ラジオ』(講談社)は、そんなノイズのような恐怖の記憶を植え付ける作品だ。「ラジオ」にちなんで、「89.27MHz」といった無機質なサブタイトルが付けられた各エピソードには、どれもわずか数ページで、物語というより不可解な体験が描かれている。突然、“何か”に髪を引っ張られたり、不思議なものが見えたりする様子を、ほとんど説明もなく目の前に提示されるのだ。
そうして描かれた断片は徐々に積み重なり、やがてつながりや全体像らしきものをぼんやりと見せ始める。まるで、恐ろしいものの正体に少しずつ迫っているようで、実は相手のほうがジワジワと近づいてきているような……そんな気持ちにさせる読み味だ。
しかし、この作品の真骨頂は、全体像が見えてきたときの恐怖ではなく、全体が見えないまま断片を突きつけられるという、得も言われぬ不安感にある。
人は理解できないものに名前や理屈をつけることで、恐怖や不安を抑えようとする。だから、整合性のある“物語”になればなるほど、読み手も怖さに折り合いをつけやすくなる。だけど、物語化されていない断片は、整合性がないがゆえに不安となる。子ども時代のあやふやな記憶の恐怖と同じように、単体ではヤマもオチもないため、異質なものとして記憶に残り、不条理な恐怖としてこびりつくというわけだ。
この作品を読む人は注意したほうがいい。読んでいる最中や読み終わった直後はもちろんだが、『後遺症ラジオ』はそのずっと後まで怖い作品なのだ。忘れたころに、ふと作中のワンシーン、1コマを思い出してゾクッとさせられる。まさに“後遺症”を読者に与える作品だ。
(文=小林聖)
「市民球団」なんて真っ赤なウソ!? “最弱キャラ”に甘んじる、広島カープ球団フロントを徹底糾弾

『「マツダ商店(広島東洋カープ)」
はなぜ赤字にならないのか?』
(文工舎)
ペナントレースが終了し、今年も4位、Bクラスに甘んじた。21世紀に入って、12球団の中で唯一、Aクラス入りを果たしていない広島東洋カープが、最後に優勝の美酒を浴びたのは山本浩二監督時代の1991年にまでさかのぼる。それ以来、毎年成績は下がり続け、今では不甲斐ない成績が当然のものとなってしまった。
もはや、“最弱キャラ”が板につき、それが魅力となってしまった感もある。人気バラエティ番組『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の「広島カープ芸人」回では、チュートリアル徳井、アンガールズ、ロザン宇治原、有吉弘行などが「マスコットが気持ち悪い」「野次を飛ばしやすい」などと、カープをネタに盛り上がっていた。
もちろん、勝つことだけがスポーツを応援する楽しみではない。だが、ファンならば、やはり応援するチームが勝利する姿を見たいものだろう。広島市在住の作家・堀治喜氏の著作『「マツダ商店(広島東洋カープ)」はなぜ赤字にならないのか?』(文工舎)は、広島不調の原因として、オーナーである松田元氏を痛烈に批判する一冊だ。
タイトル通り、万年Bクラスであるにもかかわらず、カープの経営は赤字になることはない。それどころか、40年にわたって、黒字を出し続ける優良経営だ。有力な親会社があるわけではないカープでは、他球団と比較すると選手の年俸は安く、1億円プレイヤーは数えるほど。かつては名物の“たる募金”を募りながら、球団の運営をやりくりするほどだった。そんな姿勢が許されてきたのが、広島に貼られた「市民球団」という免罪符だ。しかし、本書はそのイメージを打ち破る。
創設時こそ本来の意味での「市民球団」であったものの、時を経るにつれて、その実態は形骸化。現在では、球団株式のほとんどは松田元を中心とする松田家によって保有されている。3代目オーナーである松田恒次は、経営危機に陥っていたカープを救うために、東洋工業に援助を依頼。当初の約束では「球団を私物化することはない、一時預かるだけだ」といって株を引き取ったものの、恒次の後を継いだ4代目オーナー・松田耕平は球団株を松田家に集約、その約束は果たされないまま今に続いている。
そして、現在のオーナーを務める5代目・松田元氏が2002年に球団を譲り受けると、広島の転落劇は決定的なものとなり、Bクラスが指定席となっていった。
だが、それでもカープの人気は衰えることはなく、2011年には158万人もの来場客を維持している。その理由を、堀氏は、一部メディアの報道姿勢に問う。球団批判は行われることはなく、ほとんどがカープに対して好意的なものばかり。時折、批判が行われたとしても、本質的な球団トップの経営姿勢にまで踏み込まれることはない。メディアとのなれ合いのもとに、カープはぬくぬくと“市民球団”の甘い汁を吸い続けた。その結果、オーナー自らが「勝率5割を目指す」と、最弱チームらしい低い目標を語り、万年Bクラスに甘んじても大規模な戦力補強がなされることはない。観客が入り、興行が成立するのであれば、年俸の高いスター選手を抱える必要はないのだ。経営術としては一流なのかもしれないが、チームは弱体化の一途をたどる。堀氏の言うとおり、「勝つ気がない」と勘繰られてもおかしくない。
帝京大経済学部教授・大坪正則氏も「奇想天外な提案」と前置きしながらも、松田家がオーナーを務める弊害を説き、「市民の、市民による、市民のための」球団としてNPO法人による運営を提唱。誰もが、このままではいけないと気づきはじめているのだ(http://www.sankeibiz.jp/business/news/121114/bsg1211140502003-n1.htm)。
シーズン終了後に行われたドラフト会議でカープは、龍谷大平安高の高橋大樹や二松学舎大付高の鈴木誠也など野手を指名。また、助っ人外国人としてメッツに所属していたフレッド・ルイス外野手の獲得に乗り出している。来年こそは、ネックとなっている貧打を克服したい考えだ。
どんなに負け続けても愛され、入場客を獲得し続ける広島東洋カープは、スポーツ経営にとって、稀にみる理想の球団だろう。しかし、その負けが経営陣の怠慢と保身、そして金儲け主義によって続いていると知れば、ファンたちはいったいどんな顔をするだろうか? 「まな板の鯉」ではなく「鯉の滝登り」を見るために必要なのは、選手のトレードや補強ではなく、球団トップの退場なのかもしれない。
●ほり・はるよし
1953年生まれ、作家。主な著書に『衣笠祥雄はなぜ監督になれないのか?』(洋泉社)、『ダメージ―復活に賭けたプロ野球トレーナーの戦い』(現代書館)、『カープ猛者列伝』(文工舎)など。
「NHK+白石さん+のだめ+バカリズム=?」 @NHK広報のツイートはなぜユルい?

『中の人などいない@NHK広報の
ツイートはなぜユルい?』(新潮社)
数ある企業の公式Twitterの中でも、1、2を争う人気アカウント「NHK_PR1号」。お堅いNHKらしからぬ“ゆるさ”を全面的に押し出し、日々、お叱りの声とも戦いながら、マイペースに更新。現在のフォロワー数は50万を超える。普段、わたしたちが持っているNHKのイメージとはあまりにかけ離れたツイートの数々に、戸惑いを覚えた人も少なくないだろう。このアカウント、NHKから委託を受けた広告代理店や放送作家がやっているのかと思いきや、「中の人」はれっきとしたNHK広報部の職員。近年バラエティ化が著しいNHKとはいえ、こんなお遊びが許されるなんて、いったいどういうことなのか――。
『中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?』(新潮社)は、そんなNHK_PR1号のつぶやきの秘密と正体に迫る一冊だ。
実はこのアカウント、もともとはPR1号が会社の了解なしに勝手に始めた非公式のもの。視聴者と直接コミュニケーションを取って、NHKに対するイメージを変えてもらおうと実験的に活用していたアカウントだったが、ある日、ネット管理業務を担当する同僚にそのユニークさを認められ、公式アカウントとなることを命じられるのだった。
あまり知られていないが、一応キャラ設定があるそうで、NHKの真面目なイメージ、「生協の白石さん」の誠実さ、のだめ(『のだめカンタービレ』)の天然さ、バカリズムの面白さ、そしてPR1号本人の性格を合わせたものだという。「3時ヽ(*´∀`)ノだよ!」「(* ̄ω ̄) チラッ。oO(2号先輩の机の上におせんべいがある…)」など、他愛のないことを顔文字とともに綴ったり、「きょうの『ピタゴラスイッチ』は“やくにたつあな”です。中にはあまり役に立たないアナも…うわやめろ何をする…んtんとどkzとどkz尾rまたはい異kk…」といった番宣なのにどこかツッコミたくなるツイートなど、言われてみればそのキャラ設定も分からなくもないが、それにしても遊びすぎなのではないかと、こちらが不安になってしまう。
これまで、NHKで中継していない小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還の様子を生放送している他のネット配信を紹介したり、「さかなクン」に“さん”を付けるかどうか論争、エイプリルフールの不適切発言など、数々の話題を振りまいてきたPR1号だが、その存在感をより印象付けたのは、やはり東日本大震災だろう。
いつものゆるキャラを封印し、NHKに届く最新情報を簡潔にまとめ、停電などでテレビが見られない人に向けてツイートするだけでなく、当時はまだ認めていなかったNHKの放送をネット上で動画配信しているサイトを知らせたり、政府の公式発表前に福島第一原発の爆発の可能性を示唆するツイートなども行ったが、緊急時とはいえ、多大な影響力を持つNHKの一職員が独断で情報を流す、という行為は前代未聞だし、この行為は賛否を呼んだ。だが、「クビになるかもしれない」という覚悟の上、それでも“たった一人でも助かるなら”“わずかでも事故の可能性があるのなら”ツイートすべきだと決断をしたPR1号の行為は、日々のユーザーとのやりとりの中で築かれた信頼関係に、非常時こそ真摯に向き合おうとする誠実さが感じられるものだった。
そして、それが最も象徴的に表れたのが、震災4日後にツイートされた、こんな文章だった。
「被災地では、被災された方も支援にあたっている方も疲労がたまり、たいへんお辛い状況かと存じます。孤立状態にある方も大勢いらっしゃいます。誰もが緊張しています。だからこそ、このアカウントでは、今後、出来る限り日常的なユルいツイートをします。ご批判もあるとは思いますが、ご理解ください」
未曾有の大震災を前に、誰もが底知れぬ不安と苛立ちを抱える中、ことネットの世界では攻撃的な発言で埋め尽くされていた。せめてPR1号のタイムライン上だけでもこの流れを変えたい、という思いでのツイートだったが、もちろん、これにも非難が殺到。「状況を考えろ」「ふざけるな」「不謹慎だ」――。しかし、「不謹慎なら謝ります。でも不寛容とは戦います」と、厳しい意見にも屈することなく、PR1号は自らの信念を貫いた。
ゆるキャラを装いながらも、ユーモアがあって大事な局面では上に頼らず自ら判断し、厳しい意見にも耳を傾ける――。NHK_PR1号のそんな姿は、報道だけでなく、真面目なドキュメンタリー番組から子ども向け番組、お笑い番組まで、実は幅広い間口を持つNHKの本当の姿を反映しているようにも思える。このアカウントの活躍によって、少なくともネットユーザーの間では、NHKのイメージが変わりつつあることは間違いない。
「中国の動物園は雑すぎる!」日本だからこそできた動物目線の写真集
「ヤベェ。マジでかぁー。だーら、ちゃんとセーブしとけって言ったべ」と、カメラ目線でぼやくキリン。まっすぐカメラを見つめながら、「あ・・・! すいません・・・。人違いでした・・・」と謝るプレーリードッグ──。 写真家・橘蓮二が撮影した“カメラ目線”の動物たちに、リリー・フランキーが謎のひと言をつけた世にも不思議な写真集『どうぶつぶつ』(パルコ出版)。写真でボケる大喜利のようでもあり、人間の縮図を動物で表現した深い哲学書のようでもあり……これは一体、何の本なの? 著者の2人に率直な疑問をぶつけてみた。 「まあ、歯医者の待合室か何かに置いてあって、治療前に読んでやんわり癒やされてもらえたらうれしいって本なんですけどね。そもそも、動物を真っ正面から見つめる機会って、滅多にないじゃないですか。この珍しい構図だけでも十分に面白いと思います。言葉に関しては、なんの前情報もなく写真を見て、感じたことをそのまま書きました。ゴリラなんて完全にヤクザの親分にしか見えなかったし、派手なクジャクは着飾ったおばさんにしか見えなかった。その印象をコメントにした感じですね。多分、クジャクはオスだと思いますが(笑)」(リリー) ひたすら動物の正面写真が続いていく構成になっているので、リズムよくすらすら読めてしまう本書だが、よく考えてみると、大きさも棲息している場所も動物によってバラバラなはず……。撮影するのに苦労も多かったのでは? 「すべて真っ正面から平行に写しているので、キリンは背が高すぎて大変だったし、逆にカメなんかは地を這うようなところにいますからね。鳥たちも小刻みに動くから撮影が難しかった。というか、そもそも動物たちは撮影に関してまったく協力してくれません。だから真っ直ぐカメラ目線になってくれるまでひたすら待つ感じになるので、夏なんかは熱中症になりかけました。しかも、近づきすぎると動物たちも怒りますからね。ここに登場するラマなんか、唾を吐く直前の顔です。これはラマにとって“威嚇”の表現なんですが、ホント、危機一髪でした(笑)」(橘) これらの撮影はすべて、動物園の全面協力のもとに行われたとか。動物園に寄った際は、動物たちに“カメラ目線をいただく”という鑑賞方法も、面白いかも。 「それにしても、日本の動物園は動物にも観客にも優しいですね。前に中国の動物園に行ったとき、トラと2ショットを撮らせてくれるサービスがあったんですよ。500円で。怖いし、別にまったくやりたくなかったんですが、コーディネーターさんがゴリ押しするんで仕方なくトラと隣に並んだんです。そしたら、トラが全然カメラの方を向いてくれなくて。それでも一向に構わなかったんだけど、コーディネーターさんがバンバントラの頭を叩くんで相当ビビりました。突然キレて襲ってきたらどうするんだって話ですよね。どう猛な動物も野放し気味だし、申し訳程度に設置された柵も超低くて頼りないし……とにかく、中国の動物園はすべてにおいて雑でした。多分、こんな企画は日本じゃないと成立しなかったと思います」(リリー) トラをバンバン殴るなんて、さすが中国クオリティ! ともあれ、動物たちとじっくり向き合い、聞こえてくる声に耳を傾ける。これは“動物萌え”の新たなスタイルになるかも。 (文=清田隆之) ■たちばなれんじ(橘 蓮二) 1961年生まれ。写真家。現在、人物、落語演芸、動物園を中心に活動、作品を発表。 著書に『高座』『橘 蓮二写真集 噺家(全五巻)』『おやすみ動物園』(ともに河出書 房新社)、『東京ねこ景色』(ちくま文庫)、『ず~っといっしょ』(小学館)、など、著 書多数。 ■リリー・フランキー 1963年生まれ。イラストレーター、文筆家、写真家、俳優など。代表作は絵本『おで んくん』、小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』、主演は『ぐるりのこ と。』など。カンガルー様。(『どうぶつぶつ』より)
ゲームの神様・横井軍平「枯れた技術の水平思考」が意味する、本当の“ものづくり”とは

『ものづくりのイノベーション
「枯れた技術の水平思考」とは何か?』
(P-Vine-Books)
コンシューマゲームファンにとってのXデーが近づきつつある。
その日は12月8日。世界に名をはせる任天堂が放つ、最新ゲームハード「Wii U」の日本国内発売日である(海外では先駆けて11月に発売される)。ゲーム市場全体の冷え込み、相対的に市場規模を拡大し続けるソーシャルゲームの台頭など、さまざまなニュースが関係者やゲームファンに届けられる中、果たして任天堂はどのようなゲームライフを我々に提示してくれるのだろうか。
そのように世界中が注目する今だからこそ、任天堂の次の一手に期待を寄せつつ『ものづくりのイノベーション「枯れた技術の水平思考」とは何か?』(P-Vine-Books)を読んでみてはいかがだろうか。
本書は大ヒット玩具「ウルトラハンド」に始まり、「ゲーム&ウオッチ」「ファミコン」「ゲームボーイ」といった任天堂のヒット商品を次々と考案しながらも、1997年に不慮の交通事故で他界したクリエイター・横井軍平氏がよく口にしていた発想方法「枯れた技術の水平思考」を、彼自身の言葉から読み解く発言集である。ゲームファンのみならず、技術分野・開発分野に携わる人ならこの言葉を、一度でも聞いたことがあるだろう。
「枯れた技術」=「すでに広く使用されてメリット・デメリットが明らかになっている技術」でコストを減らし、「水平思考」=「現在利用されているジャンルから離れ、まったく別のものに置き換えて使うことにより新しいものを生み出す、というこの考え方は、今や任天堂という大企業の根幹をなす思想となっている。
それを裏付けるように、家庭用ゲームが高度化・複雑化する中、任天堂はひと世代前のコンシューマゲーム機「ゲームキューブ」のアーキテクチャを応用しながらも、「家族で遊べるゲーム機」というコンシューマゲーム機の根本に立ち返った思想で設計された「Wii」や、タッチパネルという直感的な操作で老若男女問わず楽しめる「ニンテンドーDS」などを次々とヒットさせたことを記憶している読者も多いだろう(ただ、その後、ファミリー層が「ゲームファン」として定着したかどうかは別の話)。
世界一のゲームメーカー・任天堂に、今もなお多大な影響を残す横井軍平という人物が、いったいどのようなことを考え、ゲームという「ものづくり」に向き合ってきたかがうかがえる本書だが、
「本当の先端技術を使ったら売れるものはできません。娯楽の世界ではそんな高い商品は誰も買ってくれないのです」
「テレビのような受動的な機器には、そもそも立体の必要がないんじゃないですか。能動的に関わる世界ではじめて、立体であることが意味を持つんです」
など、ゲームファンのみならず、すべての「ものづくり」に携わる人々にとって多くの示唆を含んだ発言も多数収録されている点にも注目したい。
そして本書最大のポイントは、稀代の失敗ゲーム機として今もなおゲームマニアの間で語りぐさとなっている「バーチャルボーイ」の狙いについての、横井氏の発言がまとめられている点である。
かつては新機種が出るたびに、新たなエンタテインメント性を提案してきたゲーム機だが、ゲームのアイデアや内容ではなく性能勝負となってきた94~95年当時、彼が感じた閉塞感と新たな娯楽を提案せねばならないという危機感もまた、現在のコンシューマゲーム業界を先取ったものだといえる。
ゲーム機の性能競争が進むことでライトユーザーが振り落とされ、やがてゲームはマニアのものとなって先細っていく……。そんなゲーム業界の趨勢に危険性を感じた横井氏が、新たなゲームの価値観を提唱すべく誕生したのが「バーチャルボーイ」だったのだ。
バーチャルボーイを評価できなかったゲームファンに見る目がなかった、と断罪するつもりは毛頭、ない。だが、あの時……いや今も、我々はあまりにも表層的にしかゲーム、ひいては「ものづくり」というものを捉えていなかったのではないだろうか。
「ものづくり」という行為に対して物の見方をあらためて問い直し、日本が「ものづくり大国」として復権するためのヒントがちりばめられている現代のバイブル。それが本書なのだ。
“プレゼンの天才”肉声CDに胸躍る『スティーブ・ジョブズ 伝説のスピーチ&プレゼン』

『スティーブ・ジョブズ 伝説の
スピーチ&プレゼン』
(朝日出版社)
先日開催されたAppleのイベントでは、待望の小型タブレット端末・iPad miniをはじめ、RetinaディスプレイになったMacBook Proや、冗談みたいに薄くなったiMacなど注目の新製品がバンバン発表され、テレビのニュース番組などでも大きく扱われていた。
一方、その数日後に発売されたMicrosoftの新OS・Windows 8の方はイマイチ話題になっていなくて、Appleが悲惨だった時代を知る古くからのファンとしては「時代も変わったなぁ~」と感慨ひとしおってもの。
そんな感じで話題性も、時価総額でもMicrosoftを抜いて名実ともに世界一の企業となったApple。その創業者、スティーブ・ジョブズが亡くなってから、もう一年が過ぎてしまった。
命日である昨年の10月5日、Twitter上はもうジョブズ追悼ムード一色で「えーっコイツが!?」っていうような人までもが「世界が少し退屈になった(ドヤッ)」的なツイートをしていて「スティーブ・ジョブズって、ここまで一般に浸透してたんだ!?」と、逆にビックリさせられたものだ。……ま、どうせあの時ドヤ顔追悼ツイートしてた人の大半は「スティーブ・ジョブズ」って名前を知ったの、iPodとかiPhone以降でしょ!?
確かに、倒産寸前の状態だったAppleに電撃復帰し、iMac、iPod、iPhone、iPad……と次々ヒット商品を生み出して一気に世界一の企業にまで押し上げたスティーブ・ジョブズの手腕はスゴイとしかいいようがないし、不世出のカリスマであることにも異論はない。そしてボク自身もジョブズにガッチリ心をわしづかみにされ、Appleの新製品が発売されるたびにホイホイ金をつぎ込んでいるApple信者ではあるのだけれど、晩年~死後にかけての過剰な神聖視されっぷりには若干違和感を覚えずにはいられないのだ。
だって……やっぱ頭おっかしいもん、あの人! ワガママ過ぎて自分が立ち上げたプロジェクトから(しかも社長なのに)追い出されたとか、部下が開発していた新製品を奪い取って自分の手柄にしたとか、Appleに復帰した際に当時の社長からプレゼントされた20周年記念Macintoshを窓から投げ捨てたとか、気に入らない部下には罵詈雑言を浴びせかけてバンバン首切りまくったとか……どこまでホントか分からないけど、とにかくカリスマ性はスゴイが上司や友達には絶対したくないタイプ、というのが古いAppleファンの共通認識だったような気がする。
このように人格はちょいと破綻しちゃってると思うし、理想的な経営者かといわれるとビミョーなところだとは思うけど、あの天才的なプレゼン能力に関しては、やっぱり認めざるを得ないところだろう。ただでさえ魅力あふれる新商品をさらに何倍も魅力的に見せてくれるワクワク感満点なプレゼン。めんどくさいおっさんなんだろうなー……とは思いつつも、あの語り口、グッとくる演出で、ボクらはいつも夢中にさせられてしまっていたのだ。ソフトバンクの孫社長あたりが、ジョブズみたいになりたいんだろうなって感じのプレゼンをよくやってるけど、ちょっと足元にも及んでないもんなぁ。
そんな、スティーブ・ジョブズのスピーチやプレゼンを教材にして英語の勉強ができてしまうという謎の本が、この『スティーブ・ジョブズ 伝説のスピーチ&プレゼン』。ジョブズのスピーチやプレゼンを紹介する本……ならまだわかるけど、なぜそれを英語教材に!? 英語でプレゼンをできるようになりたいと思っている人にとっては、最適な教材ってこと?
ビジネスプレゼンをする予定も、海外で活躍する予定も皆無なボク的には、コレが実践で役に立つ英語教材なのかどうかは判断しかねるところだが、英語の勉強を抜きにしても、iPodやiPhoneなどの新製品発表時のプレゼンや、2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチ(『Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)』から引用した「Stay Hungry, Stay Foolish」という言葉はあまりに有名!)をジョブズの肉声で収録したCDが付属しており、それを聞きながら対訳付きの英文を読むというのはなかな面白い体験だった。時差のせいで日本時間の深夜に行われるAppleの新製品発表会を眠い目をこすりながら待って、スティーブ・ジョブズのプレゼンに夢中になった、あの時のワクワク感がよみがえってくるかのようだ。
ただ少し残念なのは、音声ソースがCNNのニュースからということで、せっかくのジョブズの肉声に、変なBGMやナレーションがかぶっちゃっている部分があること。そして、ここまでやるなら映像付きでDVDにしてほしかったなーと。自分のジーパンを指さしながら「こっちの(小さい方の)ポケットが何のためにあるのか不思議に思ったことはありませんか。僕はつねづね不思議でした。さあ、やっと分かりました」といって超小さいiPod(iPod nano)をジーパンの小銭入れみたいなポケットから取り出した時のコーフンときたら……あー、やっぱり映像でもう一度見たいなぁ。ぜひとも続編ではDVD付きにしてほしい!
ちなみに、ボクが一番印象に残ってるジョブズのプレゼンは、2001年に行われたMacWorld EXPO TOKYOでのもの。「ジョブズが日本にやって来てスゴイ新製品を発表する!」という噂を聞きつけ、「いよいよ小型軽量のノート型マック(今でいうMacBook Airみたいな……当時は力持ちのバカが作ったとしか思えない、デカくて重いノートしかなかったの)が発表されるのでは!?」とワクワクしながら会場へプレゼンを聞きに行ったんだけど、発表されたのは気持ち悪い花柄とヘビのうろこみたいな模様のiMacだけだったという……。発表自体は相当ガッカリ感が高かったものの、生ジョブズの生プレゼンはやはり衝撃&コーフンもので、プレゼン後、なんと客席に降りてきたジョブズにウヒョーウヒョーと夢中で歓声をあげまくったのをよく覚えている。……まあ、あの変な柄のiMacは、さすがに買わなかったけど。
先日発表されたiPad miniがビミョーだとか、iPhone 5のマップがヒドイということで「スティーブ・ジョブズ亡き後のAppleはダメだな」みたいにネット上ではいわれているようだけど、まあジョブズが元気だった頃から超革新的なスゴイ製品もあれば、超ガッカリなダメ製品もあったからね(変な柄のiMacとか、アホデカくて高いスピーカーとかね)。なので、これからもまだまだAppleにはワクワク感を喚起してくれるような新製品&新製品発表プレゼンを期待してしまうのだ。がんばれティム・クック新社長!?
最後に思いっきり蛇足な話題だが、この『スティーブ・ジョブズ 伝説のスピーチ&プレゼン』を出版しているのは、橋下大阪市長が「週刊朝日」を発行している「朝日新聞出版」と間違えて社名を名指ししたために、まったく関係ないのに苦情がガンガン届いているというかわいそうな「朝日出版社」。かわいそうだからみんな本を買ってあげるといいと思うよ、そしてDVD付きの第二弾が出るといいと思うよ!
(文=北村ヂン)
日本の万引き被害額は世界ワースト2位!? なぜ人は物を盗むのか――『万引きの文化史』

『万引きの文化史』(太田出版)
世界でも類を見ない安全大国「日本」。財布を落としても、警察に届ければ中身もそのままの状態で戻ってくることはよくあるし、酔っ払って気持ちよーく道路で寝転んでいても、身ぐるみはがされることもない。
そんな平和な国にもかかわらず、日本の万引き被害額は2011年で4,500億円以上。なんと、世界ワースト第2位なのだ。「物価が高い」ということももちろんあるが、驚くべき結果だ。
『万引きの文化史』(太田出版)は、2011年に『The Steal:A Cultural History Of The Shoplifting 』(The Penguin Press)というタイトルでアメリカで発売された邦訳本。北米や欧州など、西洋の万引きの歴史などをはじめ、罪と罰、“道徳的”万引き犯など、いろいろな視点から万引きという行為について深く掘り下げ、学術的にまとめている。
残念だが、万引きは「小学生の頃は、よくやってたなー」などと、別に悪びれもせず話す人がいるほど、わりと罪の意識が低い犯罪だ。物があれば盗む人がいる。それは古代から変わらないようで、本書によれば、紀元前2500年、世界最古の法令「ハムラビ法典」でも、物を盗んだ者に対する罰について記されているほどだ。
また、16世紀後半のロンドンには、帽子屋、服地屋、眼鏡屋など、ガラスショーウィンドウの魅力的な店が並び始め、世界で最も豊かな大都市になり、万引き犯が激増した。この時に、いわゆる万引き、“ショップリフター”という言葉が登場した。
人はなぜ万引きをするのか――。著者のレイチェル・シュタイア氏は、何人もの万引き常習犯にこの質問をぶつけている。
「うまくいくと、すごく気持ちがいいの。ざまあみろという気になるわ」
「自分を貶めることが快感だった」
日本やアメリカなど、先進国で万引きをするのは、何も貧しい人が食う物に困って……というケースに限らず、中にはお金を持っているにもかかわらず、罪を犯してしまう人もいる。
物を盗むという行為がもたらす快感やスリル、誰かに対する反抗など、その背景にはさまざまな理由が付随している。
またアメリカでは、万引きを社会貢献でもしているかのように考え、正当化する人々もいるという。個人商店ではなく、大きなスーパー、大企業の商品ならば万引きが許され、むしろ、盗むことで金持ちと貧乏人の貧富の差を是正する、と考えているそうだ。
「万引きは文化である」かどうかは別として、日本では軽い犯罪と思われている万引きについて、全311頁という膨大なテキストに書き綴られた思いから、万引きという行為について、あらためて考えさせられる。
(文=上浦未来)
●レイチェル・シュタイア(Rachel Shteir)
イリノイ州シカゴのデポール大学演劇学部準教授および、美術学士課程「批評および劇作法」の主任を務める。「ニューヨーク・タイムズ」「ガーディアン」「シカゴ・マガジンズ」など、多くの新聞や雑誌に寄稿。著書に、ジョージ・フリードリー記念賞を受賞したStriptease:Untold History Of The Girlie Show,Gypsy:The Art Of The Teaseがある。
訳者略歴
●くろかわ・ゆみ
翻訳家。津田塾大学英文学科卒。主な訳書に『イーティング・アニマル』ジョナサン・サフラン・フォア(東洋書林)、『トラウマと解離症状の治療』サンドラ・ポールセン(東京書籍)、『バナナの世界史』ダン・コッペル(太田出版)ほか多数。
“アイドル戦国時代”の懐の広さを垣間見る──『インディーズ・アイドル名鑑』

『インディーズ・アイドル名鑑』
(河出書房新社)
現在、日本アイドルシーンのトップに君臨しているAKB48。テレビなどでさんざん曲が流れまくっているので、まったく興味がなかったとしても代表曲のサビくらいはフフフーンと歌えたりするんじゃないだろうか。そんな国民的アイドルとしての地位を確立しているAKB48だが、メンバーの顔と名前をどのくらい覚えているかといわれると……。
なんせ人数がスゴイので、かなりのガチなファンでもない限りすべてのメンバーを把握なんてできてないんじゃないだろうか。だってSKE48、NMB48、HKT48などの姉妹グループに研修生まで合わせると、総勢で200人以上にもなるらしいもん。そんなん覚えるの無理だーッ!
もちろん、AKBグループ以外にもたくさんのアイドルたちが存在する。この夏、開催された一大アイドルイベント「TOKYO IDOL FESTIVAL 2012」には、AKBグループからはSKE48しか参加していないにもかかわらず、111組、732人ものアイドルが出演した。AKBグループでもなければ「TOKYO IDOL FESTIVAL」にも参加していないアイドルだってまだまだいるし(「サイゾー」でおなじみの小明ちゃんとかね!)、とにかく今の日本には、少なくとも1,000人以上の「アイドル」と呼ばれる活動をしている子たちがいるということだ。
さらに、AKBのメンバーオーディションには毎回数万人の応募があるというし、アイドル・ワナビー層まで含めたら、ホントにすさまじい数のアイドルが存在している今の日本(しかも男性アイドルを抜かしてこの数!)。日本の歴史上において、かつてこれほどまでに大量の「アイドル」が存在した時代があっただろうか!? ……ないだろうなぁ。時はまさにアイドル戦国時代!
で、こんな巨大なシーンが生まれると、当然その中ではピラミッド構造のヒエラルキーが形成される。ゴールデンタイムのテレビ番組や巨大なライブ会場でガンガン活躍しているトップアイドルから、もうちょっと小規模なステージで活動しているB級アイドル、そして数十人も入ればいっぱいな地下のライブハウスが主戦場となる地下アイドルたち。
言葉の通り「地下のライブ会場で活動するアイドル」という意味ではあるものの、「地下アイドル」と言っちゃうと「地下格闘技」や「地下カジノ」などのように、あまりにもアンダーグラウンドな感じがしてイメージが悪いからなのか、最近では「インディーズ・アイドル」などとも呼ばれているらしい。とにかく、彼女たちが現在のアイドル・ピラミッドのボトムをガッチリと守っているのは間違いないだろう。
そんなインディーズ・アイドルたちを総勢208人も一気に紹介しているのが、この『インディーズ・アイドル名鑑』(河出書房新社)。パラパラとページをめくってみると……それなりにアイドルシーンに興味を持っているつもりのボクでも、ほっとんど誰が誰だか分からないッ!
そして、「アイドル」にとってかなり重要なステータスのひとつであるハズの顔面偏差値も「メジャーなアイドルよりも遙かにカワイイよ!」という子から、「コレでアイドルになろうとは……アンタ、どういうつもりだ!?」と説教したくなるレベルまで公立中学の生徒並みに幅広く、現在のアイドル業界の裾野の広さを実感せずにはいられないのだ。
さて、この『インディーズ・アイドル名鑑』。208人ものアイドル(一応)を紹介はしているものの「この子はこういうグループでこういう活動をしていて……」みたいな細かい解説は一切ナシ。女の子ひとりにつき1ページ、白バックのスタジオで撮影された写真が1枚だけ掲載されており、隅っこに、申し訳程度に名前とグループ名が表記されているだけ。ホント、カタログのようにアイドルちゃんたちが羅列されているという編集になっている。
聞いたこともない、しかも顔面偏差値もビミョーなアイドルのグラビア(しかも基本、非エロ)を解説もナシで延々見せられて面白いのかいな? という気もするが、ひとくちに「アイドル」といっても本格派からイロモノまで、従来のアイドルという枠には収まりきらない衣装やコンセプトで多種多様に進化したアイドルちゃんたちの「なんとかこの1枚の写真で自分のアイドルとしての魅力を伝えよう!(そんで売れたい!)」という気合いがビンビンに伝わってくるグラビアは、なかなかに見応えがあって面白いのだ(「最ブス・アイドルを探せ!」的な見方をしても相当楽しめるけど)。
それにしても、必ずしも顔面偏差値が高くなくても、スタイルがよくなくても、コンセプトやインパクト勝負で「アイドル」と言い張っている子たちが、今の日本にはこんなにいるのかと……(もちろん直球勝負してる子もいっぱいいるけど)。で、そんな子たちにもそれなりにファンがついて、愛されているという懐の広さが現在のアイドルシーンの面白さともいえるのではないだろうか。
しかしこの状況、オジサン世代としては若干90年代のバンドブーム・イカ天ブームを思い出さずにはいられないのだ。演奏力や楽曲以上に衣装や珍妙なパフォーマンスが注目を集め、なぜか水泳選手の格好をしたバンドや、歌舞伎メイクで決めたバンドなど、ワケの分からないヤツらが次々に注目されては消えていったあの時代。もちろん、そんな中から後世に残るようなガチで実力のあるバンドたちもたくさん輩出されたので、今のブームが過ぎた後、アイドルシーンがどうなっていくのかというのは楽しみではあるのだけれど。
ただ、ちょっと気になるのがお金事情。バンドブーム当時、とにかくどんなバンドのCDでもそれなりに売れて、レコード会社や事務所はガンガン儲かっていたのに、契約やお金の仕組みを全然分かっていなかった若いバンドマンたちの手元にはほとんどお金が入ってこなかった、というような話をよく聞くけど、今のアイドルシーンでも同じようなこと、起こっていないといいけどなぁ~……と。
とある事務所では、それなりにCDなどが売れているにもかかわらず、今までの赤字が解消されるまでアイドルはノーギャラ。あるアイドル・コンピレーションアルバムは握手券やツーショットチェキでファンを釣ってアルバムを売りまくっているのに、アイドルに対する印税はナシ(現物支給で手売りした分がギャラらしい)なーんて話を小耳に挟むたびに、ファンたちは何もプラスチックの円盤をいっぱい欲しいわけじゃなくて、「アイドルの生活が少しでも楽になれば……」「活動がもっと広がれば……」と思って何枚もCD買ってるんだからな! とは思ってしまう(アイドルを売り出すのにいろいろ金がかかるのも分かるけどね)。
じゃなかったら、かつてバンドシーンがそうなっていったように、事務所やレコード会社を通さずにホントの意味での「インディーズ」な活動をしていくアイドルがドンドン増えていくんじゃないかな。若い女の子たちが自分たちだけで……というのはそれはそれで色々と問題が出てきそうだけど、それを乗り越えた本当に面白くてインディーズなアイドルが出てくるのが楽しみでもある。
……ところで、この本もアイドルたちにちゃんとギャラ、出てるのかな?
(文=北村ヂン)
