Tシャツの捨て時とは、いつなのか? 首元がよれよれになって破れたり、イラストがはげたり、「あまりにも」みすぼらしくなった時だろうか。Tシャツは、そう高い代物ではないにもかかわらず、何年も捨てられないことがよくある。 『捨てられないTシャツ』(筑摩書房)は、都築響一氏の有料週刊メールマガジン「ROADSIDE’ weekly」上で毎週連載されていた記事をもとに構成された1冊だ。 都築氏はTシャツについて、いつ頃からか、こんなことに気づく。通常、ファッションは値段が高かったり、有名ブランドだったり、誰が見ても「ヨシ」とされるものがリスペクトされるワケだが、Tシャツは違う。「誰も見たことないもの」や、「ヨシなのかダメなのか判断に迷う」ほうがリスペクトされたりする。そして、「ヨシなのかダメなのか判断に迷う」Tシャツには、着用する本人の確固たる意思や、根拠のない自信、なによりも個人的な記憶が染みついていることが多々あるのだ。 本書に登場するTシャツの持ち主は、年齢、性別、職業だけが記載されている。この話はあの人だな、とわかるようなかなり著名人の場合もあるが、9割方は一般人。けれど、一般人から語られるTシャツ物語にこそ、とてつもないすごみがある。 例えば、福島県出身/デザイナー/33歳女性の場合。 彼女の家はちょっと変わっていた。7人暮らしで、父親と母親は、町で変わり者呼ばわりされているじいちゃんに働いた金をすべて上納し、1カ月約1万円で、家計のやりくりを命じられていた。母親は発狂してはたびたび実家へ帰り、戻ってきては、じいちゃんにコテンパンに叱られる。そんな日々の中、父親がじいちゃんの命を狙って風呂場を襲撃するも、失敗。そこで、家族そろって夜逃げ同然で家を出た。健康ランドで1カ月過ごした後、父親の就職が決まって埼玉へ。学校生活は順風満帆だったが、両親の仲は破綻し、友達に何も告げられないまま、父親と福島へ戻ることに。ところが、福島では“標準語で気取っている”とイジメに遭い、不登校で勉強が遅れ、高校受験も失敗。荒れに荒れた生活の中、父親が再婚。家からも追い出され、16歳で付き合っていた彼氏の家に預けられる。親にも見放された時に、味方してくれていたばあちゃん。そんなばあちゃんを描いたオリジナルTシャツ――。 ものすごく要約してしまったが、このドラマにもなりそうな濃厚さは、なんなのか? 本書には1ページでさらっと書かれた話もあるが、多くは数ページを費やして、Tシャツの持ち主がどんな家庭環境で育ち、青春時代をどんなふうに物事を考えて過ごし、社会へ飛び出して今に至るのかまでつながっていく。そういった人生の回想録のようなものであり、15ページにも及ぶ短編小説レベルのものまである。 音楽を聴くと、あの頃を思い出すように、捨てられないTシャツには、個人の何か強烈な記憶を呼び覚ますスイッチがあるのかもしれない。 (文=上浦未来) ●つづき・きょういち 1956年東京生まれ。編集者。現代美術・建築・写真・デザインなどの分野で執筆活動、書籍編集を続けている。93年、東京人のリアルな暮らしを捉えた『TOKYO STYLE』(ちくま文庫)を刊行。97年、『ROADSIDE JAPAN』(ちくま文庫)で第23回木村伊兵衛写真賞を受賞。現在も日本および世界のロードサイドを巡る取材を続けている。2012年より有料週刊メールマガジン『ROADSIDERS'weekly(http://www.roadsiders.com/)を配信中。Tシャツのサイズは3L。『捨てられないTシャツ』(筑摩書房)
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年間被害総額は400億円! バッタ博士の狂気の奮闘記『バッタを倒しにアフリカへ』
『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)の表紙を一瞥すれば、なんとフザけた学者なのか……と、あきれてしまうかもしれない。昆虫学者の前野ウルド浩太郎氏は、幼少期にファーブルに憧れ、夢は「バッタに食べられること」という、バッタを愛してやまない男だ。だが、バッタに触るとじんましんが出てしまうという、どこかキワモノ感が漂っている……。 しかし、彼のアフリカ・モーリタニア共和国でのフィールドワークを記した本書を読めば、彼が一流の昆虫学者であると同時に、純粋な心でバッタと向かい合うひとりの人間であることがわかるはず。ポスドク(博士研究員)として研究費の調達に悩み、バッタの大発生を粘り強く待ちながら、ようやく彼は成功を手に入れたのだ。 本書をもとに、彼の足跡をたどってみよう。 大学を卒業し、晴れて博士号を取得するも、日本にはほとんどバッタの被害がないために、研究の需要はない……。途方に暮れていた前野が飛びついたのが、アフリカでのサバクトビバッタの研究だ。アフリカでは、このバッタがたびたび大量発生し、「神の罰」と恐れられている。農作物を食い荒らし、年間の被害総額は西アフリカだけでもおよそ400億円に上るうえ、深刻な飢饉がもたらされているのだ。前野は「日本学術振興会海外特別研究員」として年間380万円の研究費・生活費を得て、2年間をモーリタニアでの研究に捧げた。 到着早々、バッタの発生が告げられ、意気揚々と調査に繰り出す前野。夢にまで見たバッタの大量発生を目の当たりにし、大興奮する。それまで日本の研究室で研究を行ってきた彼にとって、初となるフィールドワークは、好スタートを切った。しかし、ここからが長い長い道のりだった……。 前野はその熱意を認められ、バッタ研究所の所長から直々にモーリタニアで最高の敬意を込めたミドルネーム「ウルド」の名前を授かり、フィールドワークに赴くための体力づくりにも余念がない。しかしその冬、建国以来といわれる大干ばつに見舞われたモーリタニアにバッタの大群が現れることはなかった。仕方なく、砂漠を代表する昆虫「ゴミムシダマシ」を研究したり、偶然出会ったハリネズミを飼育したりしながら日々を過ごす前野。バッタが発生しなければ、もちろん研究もできない。「一体何しにアフリカにやってきたのか」。バッタ博士は、バッタの存在なくしては無用の長物だった。さらに、バッタの大量発生を解明する論文が書けなければ、研究者としての立場も危うくなる……。 そして、最初の遭遇から1年半、ようやくバッタの大群との邂逅が実現! 車に飛び乗り、バッタの元へと500キロの道程を突き進む彼の前に現れたのは、はるか地平線まで続くバッタの大群だった。大群を目の当たりにした感動に酔いしれながら、調査を始めた前野。しかし、飛び回るバッタを追いかけようとしたその先に待っていたのは、一歩立ち入れば命の保証はない地雷原だった。バッタたちは、前野をあざ笑うかのように、地雷原の上を飛び去っていった。 こうして、前野の2年間は終わった……。 研究期間を終え、無収入状態に陥った前野。しかし、バッタに対する尽きせぬ想いを捨てられない彼は、無収入であっても、その研究を進めていくことを決めた。日本に一時帰国し、バッタ研究の意義を広く知らしめ、バッタ問題の認知度を上げるため、率先して雑誌連載やトークショー、そしてニコニコ超会議などの場での広報活動にいそしんだ。そして、再び彼はいちるの望みをかけて、アフリカの地へと舞い戻ったのだ。 前野にとって3年目のアフリカは、例年にない大雨に見舞われ、各地でバッタの大群が猛威を振るっていた。バッタ発生の一報をつかみ、現場に飛び込んだ前野が見たのは、これまでに遭遇したものとはケタ違いの、空が真っ黒く覆われるほどの大群。念願の再会に、前野は観察ノートにペンを走らせながら、狂ったようにデータを収集していく。数日間にわたってバッタを追いながら、前野の手にはさまざまなデータが蓄積されていったのだ。その詳細な観察は、群れの動く法則すらも見えてくるほどだったという。前野の情熱は、この瞬間にようやく実を結んだ。 バッタへの情熱、自然の前になすすべもない悔しさ、不足する研究費、量産されるポスドクによって就職難にあえぐ苦しみ、そして、そんな苦悩をついに打ち破る瞬間……。かつて、これほどまでドラマティックなバッタ研究についての本があっただろうか? 残念ながらバッタに食べられるという夢こそかなわなかったものの、前野は無事日本での研究者としての椅子を手に入れることにも成功した。バッタ博士は、今日もバッタを観察しながらニヤニヤとした笑みを浮かべていることだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)
体罰、セクハラ、長時間拘束……生徒も顧問も悩まされる「ブラック部活」の実態
6月12日、埼玉県の私立武蔵越生高校において、外部コーチがによる体罰の様子を記録した動画がTwitterに投稿され、7万以上のリツイートを記録。新聞、テレビなどのメディアでも広く報道され、同校では、このコーチを解雇。謝罪を行った。 体罰や長時間練習によって、生徒や顧問を追い詰める部活動は「ブラック部活」と呼ばれるようになり、問題視されている。2012年、大阪市立桜宮高校ではバスケットボール部のキャプテンを務めていた2年生の男子生徒が、部活における顧問からの体罰、暴言、理不尽な指導を理由に自殺。神奈川県横浜市の公立中学校では、行きすぎた指導によって柔道の生徒の脳の静脈が切断され、いまでも後遺症が残っている。 いったいなぜ、「ブラック部活」が横行してしまうのだろうか? そして、どのように改善すればいいのだろうか? この問題に迫ったライターの島沢優子による新著『部活があぶない』(講談社現代新書)から、その構造を見ていこう。 特に体育系の部活において、一番の問題となっているのが暴力行為だ。「スポ根」の時代は遠くなったとはいえ、顧問による体罰や暴言は、いまだに数多く行われている。では、いったいなぜ、体罰や暴言はなくならないのだろうか? 生徒の自殺という最悪の結末を迎えた桜宮高校の事件の後でさえ、元アスリートなどから「私たちのころは(体罰が)もっとすごかった」「僕らの時代はこんなもんじゃなかった」「亡くなった子は心が弱かった」など、体罰を正当化する発言が行われている。実際に体罰を行っているという現役顧問は、島沢の取材に対して「叩いてやらせる時代じゃない」と前置きしながらも、このような迷いを口にしている。 「ただ、(暴力のような)刺激を与えずに、選手が伸びるのだろうか。この先、結局は陰で叩いてやらせるコーチが得をするのではないか。教えるほうも、やるからには勝ちたいけど、どう指導していけばいいのかわからない」 また、女子生徒が活躍する部活においては、性暴力の事例も少なくない。16年には横浜市立中学校女子バレーボール部顧問が尻や胸を触る、足や腰をマッサージするなどの行為によって懲戒免職。同年、福岡大付属若葉高校の吹奏楽部男性顧問が「腹式呼吸の練習」と称し、女子生徒の下腹部を触ったり、ブラジャーのホックを外して楽器を吹くように指示をし、諭旨解雇となった。90年代には、九州の高校女子バスケット部顧問が、複数の生徒と性的関係を持っていたことも明るみに出ている。 部活において、暴力に直面した男性は、島沢の取材に対して本音を吐露した。彼は、暴力に対して「みんな我慢しているのに、自分だけチクったら卑怯」「自分が騒動のきっかけにはなりたくない」といった理由で被害を言いだすことができなかったと述懐する。 一方、生徒だけでなく、教師の側もブラック部活に悩まされている。「課外活動」である部活動のために、土日も返上で働く教師は数多い。しかも、土日の練習に参加しても日当はわずか3,000円……。テストの採点や授業で使用するプリントの作成、報告書の作成など、ただでさえ「ブラック」といわれる勤務を行っている教師たちに、部活の負荷は重くのしかかる。本書では、顧問を断ろうとしても「この学校は全員顧問制」と認められず、練習時間を少なくしようとすれば、保護者から「練習を減らして、勝てなくなったらどうしてくれるんだ?」とクレームが飛ぶ事例が報告されている。そんな現状を変えるために、公立中学校に勤務する教師たちが練習時間の縮小を訴えるオンライン署名活動を開始すると2万8,000人以上の署名が集まった。教師にとっても、部活は耐え難いものとなっているのだ。 では、なぜ、ブラック部活が生み出されてしまうのだろうか? 私立校であれば、部活の成績の向上は、学校の知名度の向上や、寄付金の増加、入学者数の増加といった利益をもたらしてくれる。また、「子どもがプロになれるのではないか」あるいは「スポーツ推薦を獲得できるのではないか」という希望から、生徒たちの親が体罰などの暴力を容認したり、長時間練習を是認する姿勢が見えてくる。しかし、すでに最新のトレーニング理論では、体罰よりもモチベーションの向上のほうが、はるかに技術の向上をもたらすことが証明されている。また、06年に全国高校総体でサッカー部を優勝させた元県立広島観音高校顧問の畑喜美夫氏は、平日の練習をたった2日に制限しながら、チームを優勝に導いているのだ。そんな事例を知らず、「勝つためには仕方ない」「強くなるためには仕方ない」といった強迫観念に支配されてしまうことが、部活の「ブラック化」の一因となっているのだろう。 もちろん、青春の1ページとして思い出に残るだけでなく、部活動は学校教育において大きな役割を果たしている。学習指導要領では、部活動について、「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等に資するものであり、学校教育の一環」と記されている。そんな部活動によって追い込まれ、取り返しのつかないケガをしたり命を落としてしまうような「ブラック化」は、絶対に阻止しなければならない。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『部活があぶない』(講談社現代新書)
常識でがんじがらめの世界の日常を覆す、表現者たちの物語『アウトサイドで生きている』
『アウトサイドで生きている』(タバブックス)は、超独特の世界観を持つ“アウトサイダー・アーティスト”の生きざまが詰まった1冊だ。 “アウトサイダー・アーティスト”とは、いわゆる専門的な美術教育を受けず、独学自習で制作を続ける人々のことを指す。彼らの生み出す作品を眺めていると、「なぜ?」「なんのために?」という思いが浮かんでくるものの、解釈不能すぎて思考停止してしまう。けれど、同時に世間の常識を飛び越えて、膨大な時間や尋常ではないエネルギーの過剰さに―――凡人は打ちのめされる。 著者は、おそらく日本唯一のアウトサイダー・キュレーター・櫛野展正氏。知的障害のある人が利用する福祉施設でアート活動支援を16年間も行い、昨年、広島県福山市に「クシノテラス」というアートスペースをつくった。世の中から無視され、正当な評価を受けていない作品の価値を見直そうと奮闘している。 本書には、櫛野氏が全国を飛び回って出会った18名の表現者たちが登場する。カブトムシ、クワガタ、コガネムシの死骸を2万匹以上集めて体長180cmもの千手観音像をつくり上げた大正8(1919)年生まれの男性、ご近所からも愛されている、ショッキングピンクの作品であふれるアートハウスの家主、行政の反対を押しのけてアートを描く路上生活者、25年以上も料理のイラストを描き続ける歩行障害を患った元調理師などなど。 彼らの作品は、コスパ、コスパと、生産性や効率性が叫ばれる世の中で、特にもうかるわけでもなさそうに見える。いや、絶対にもうからないだろう。そのモチベーションは一体なんなのか? 人の出入りを拒むように茂みに覆われ、廃材などでつくられた無数の仮面が建物全体に貼りつけられた「創作仮面館」の館主・岡田昇(自称)さんは、こんなことを話している。 「ゴミからゴミをつくったんです。俺は世間のゴミだしね」 「子どものときに両親が亡くなって、ずっと1人で生きてきてね。仲間もいなければ友だちもいない。モテたこともないんだから。(中略)そんな人間がやることは、1人でできることでしょ。絵を描くとか、最終的にみんなそこに行くんですよ」 本書には、岡田さんのように孤立したり、愛人と息子が失踪し、寂しさから彼らの名前を堂々と店舗外観に描く、ド派手なカラオケ喫茶マスターなど、何かを表現しなくては生きていけない人が数多く登場する。会社員の人もいるし、世間で言うところの“道を外れている”人もいる。立場も暮らし方もバラバラだが、彼らは誰になんと言われようと自分のやりたいことを続け、好きなように生きている。 誰かのせいにして、やりたいことをできないことにしていないか? ページを閉じたとき、そう突きつけられた気がした。 (文=上浦未来) ●くしの・のぶまさ 日本唯一のアウトサイダー・キュレーター。1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設で介護福祉士として働きながら、福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。クシノテラス http://kushiterra.com/『アウトサイドで生きている』(タバブックス)
常識でがんじがらめの世界の日常を覆す、表現者たちの物語『アウトサイドで生きている』
『アウトサイドで生きている』(タバブックス)は、超独特の世界観を持つ“アウトサイダー・アーティスト”の生きざまが詰まった1冊だ。 “アウトサイダー・アーティスト”とは、いわゆる専門的な美術教育を受けず、独学自習で制作を続ける人々のことを指す。彼らの生み出す作品を眺めていると、「なぜ?」「なんのために?」という思いが浮かんでくるものの、解釈不能すぎて思考停止してしまう。けれど、同時に世間の常識を飛び越えて、膨大な時間や尋常ではないエネルギーの過剰さに―――凡人は打ちのめされる。 著者は、おそらく日本唯一のアウトサイダー・キュレーター・櫛野展正氏。知的障害のある人が利用する福祉施設でアート活動支援を16年間も行い、昨年、広島県福山市に「クシノテラス」というアートスペースをつくった。世の中から無視され、正当な評価を受けていない作品の価値を見直そうと奮闘している。 本書には、櫛野氏が全国を飛び回って出会った18名の表現者たちが登場する。カブトムシ、クワガタ、コガネムシの死骸を2万匹以上集めて体長180cmもの千手観音像をつくり上げた大正8(1919)年生まれの男性、ご近所からも愛されている、ショッキングピンクの作品であふれるアートハウスの家主、行政の反対を押しのけてアートを描く路上生活者、25年以上も料理のイラストを描き続ける歩行障害を患った元調理師などなど。 彼らの作品は、コスパ、コスパと、生産性や効率性が叫ばれる世の中で、特にもうかるわけでもなさそうに見える。いや、絶対にもうからないだろう。そのモチベーションは一体なんなのか? 人の出入りを拒むように茂みに覆われ、廃材などでつくられた無数の仮面が建物全体に貼りつけられた「創作仮面館」の館主・岡田昇(自称)さんは、こんなことを話している。 「ゴミからゴミをつくったんです。俺は世間のゴミだしね」 「子どものときに両親が亡くなって、ずっと1人で生きてきてね。仲間もいなければ友だちもいない。モテたこともないんだから。(中略)そんな人間がやることは、1人でできることでしょ。絵を描くとか、最終的にみんなそこに行くんですよ」 本書には、岡田さんのように孤立したり、愛人と息子が失踪し、寂しさから彼らの名前を堂々と店舗外観に描く、ド派手なカラオケ喫茶マスターなど、何かを表現しなくては生きていけない人が数多く登場する。会社員の人もいるし、世間で言うところの“道を外れている”人もいる。立場も暮らし方もバラバラだが、彼らは誰になんと言われようと自分のやりたいことを続け、好きなように生きている。 誰かのせいにして、やりたいことをできないことにしていないか? ページを閉じたとき、そう突きつけられた気がした。 (文=上浦未来) ●くしの・のぶまさ 日本唯一のアウトサイダー・キュレーター。1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設で介護福祉士として働きながら、福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。クシノテラス http://kushiterra.com/『アウトサイドで生きている』(タバブックス)
ワンレン、ボティコンだけじゃない……JK、クールジャパンを生み出した「バブル」再考『東京バブルの正体』
「ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?」 今年のサラリーマン川柳コンクールの第1位には、こんな作品が選ばれた。今ではすっかり揶揄の対象となっている「バブル」という時代。日本中が好景気に沸いた30年前、日経平均株価は3万8,000円を超え、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「24時間戦えますか?」といった言葉を胸に、日本人が最も自信にあふれていた。そんな時代の姿をいま一度捉え直そうとするのが、ルポライターの昼間たかし氏による本書『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)だ。 一体なぜ今、バブルを再考する必要があるのだろうか? まさに「狂乱」という言葉がふさわしかった、バブル時代のライフスタイル。男性はイッセイミヤケやヨウジヤマモトなどのDCブランドに身を包み、女性は体のラインを強調するボディコンに、髪形はもちろんワンレン。デートには、「GORO」(小学館)や「Hanako」(マガジンハウス)などの雑誌で話題の(雑誌によって流行が生み出されていたというだけでも隔世の感があるが……)高級レストランにクルマで乗りつけ、休日はスキー場やゴルフ場で謳歌した。2017年の今、当時の軽薄なライフスタイルを列挙していると、冷笑しか浮かばない……。 しかし、本書を一読すれば、そんな冷笑だけでバブルを語ることはできないことに気づくだろう。 当時まだ珍しかったコンビニエンスストアの業績はバブル期に一気に伸長し、アルバイト情報誌「フロム・エー」(リクルート)は1987年に「フリーター」という言葉を生み出した。近年では「JK」という言葉がすっかり定着した、女子高生に対する男性のまなざしが生まれたのもこの頃。85年に森伸之氏の『東京女子高制服図鑑』(弓立社)が刊行され、93年まで改訂版が出されるロングセラーを記録している。当時の男性誌「GORO」ではこう書かれている。 「女子大生・OLがおやじギャル化し、オジサマ族の愛玩具となりつつある現在、オレたちの目は、その下の女子高生へと向きつつあるよな」(1989年11月23日号) また、コラムニストの中森明夫氏は83年から「漫画ブリッコ」(白夜書房)誌上で「おたくの研究」の連載を開始。89年に宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件が起きると、その存在が社会的に可視化されることとなる。だが、そんな陰惨な事件によって注目を浴びたオタクという存在に同調するように、事件の翌年に行われたコミケの来場者数はそれまでの10万人の倍以上となる23万人を記録した。ここから、「クールジャパン」と呼ばれる現在の施策が生み出されていることは言うまでもない。冷笑とともに語られるバブルは、現在まで続くさまざまな文化の揺籃期でもあったのだ。 バブル期の雑誌の数々を読みあさり、昼間氏が見いだしたのは「現代には存在しない圧倒的な開放感と自由」だったと語る。 「現代の人々が、バブル時代のうらやましさとして挙げるのは、いつも会社で経費が使い放題とか、就職活動が楽勝といった安易な部分ばかりだ。しかし、現代人が本当にうらやましいと思うことは、なんの抑圧も感じず、誰の目も気にすることのない世界が広がっていたことなのではないだろうか」 軽薄なカルチャーと経済的な熱狂が終わると、「80年代はスカだった」と言われ、白い目が向けられた。しかし、SNSで炎上が相次ぎ、人の目を気にしながら生きる現代から30年前に目を向ければ、そこには「スカ」というだけでは語ることのできない人々の姿が浮かび上がってくることだろう。 1985-1991 東京バブルの正体 (MM新書) 発売中!『1985-1991 東京バブルの正体』(マイクロマガジン社)
ストリートチルドレン、難民、代理母出産……世界各地の過酷なお産を巡る旅『世界の産声に耳を澄ます』
日本では少子高齢化が著しいものの、世界に目を移してみると、1日に生まれる子どもの数はおよそ3.8万人にも及ぶ。この記事を読んでいるまさにこの瞬間にも、地球上のどこかで新しい生命が産声を上げているのだ。しかし、日本のように衛生的な環境で生まれる赤ん坊はごくわずか。世界中の母親たちの大半は、過酷な環境で子どもを産み、育てているのだ。 そんな世界のお産に迫ったのが、ルポライターの石井光太氏。『物乞う仏陀』(文藝春秋)、『神の棄てた裸体-イスラームの夜を歩く』『レンタルチャイルド-神に弄ばれる貧しき子供たち』『遺体-震災、津波の果てに』(新潮社)などで知られる彼は、2013年から3年間にわたって9カ国を歴訪し、『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)を上梓した。 中米のグアテマラ共和国では、第二次大戦後、36年間にわたって内戦が繰り広げられ、国土は徹底的に荒廃。先住民の多くが虐殺され、20万人以上の人々が死亡したといわれている。和平合意から20年以上を経ても、いまだこの国の政治・経済は停滞したままだ。石井氏は、この国でかつて行われてきた人身売買の実態に迫る。 「昔は外国人がやってきて、子どもを買っていったの。貧しい家に5人も6人も子どもがいると育てられないでしょ。だから、親も赤ちゃんを売っちゃう」 農家の女性がこう証言するように、年間4,000人あまりの子どもたちが養子としてアメリカに送られるグアテマラは、中国に次いで第2位の養子提供国。養子提供はひとつの「ビジネス」となっていた。そんな国で、子どもをアメリカ人に「売った」男性は、石井氏の取材に対してこのように答えている。 「裕福なアメリカ人の里親に預けられるなら、グアテマラよりずっといい生活ができる。どうせここにいたって、コヨーテ(不法越境を助ける仲介業者)に大金を払ってアメリカに行くことになるんだ」 貧しい家に生まれた子どもは、病気になったり、ストリートチルドレンになる可能性が高い。また、成長しても、ろくな仕事のないグアテマラではなく、不法移民としてアメリカに生きる道を見いだす人は少なくない。グアテマラの過酷な現実が、親に人身売買という道を選ばせるのだ。 08年から、グアテマラ政府は国外へ養子に出すことを制限し、養子ビジネスに対する規制に乗り出した。しかし、その結果生まれたのが、代理母出産という新たな搾取の方法だ。先進国の不妊症カップルや同性愛カップルが、グアテマラ人女性の子宮を借りて子どもを産ませる。そんなビジネスが今、特に貧しい先住民の間で広まっている。美人で有名なツツヒル族は人気で、アメリカ人好みの目鼻立ちのくっきりとした子どもが生まれるといわれる。石井氏は「これでは、ペットショップで高値で売れる犬をつくるために種を混ぜるブリーダーと同じ発想ではないか」と憤りながらも、ストリートチルドレンが行き交うエクアドルの現実を見れば、単にそれを否定することもできない。代理母には、多額の報酬が支払われるのだ。 エクアドルと同じ中米のホンジュラスでは、ストリートチルドレンが、売春やレイプによってできた子どもを産む。まともな教育も得られず、母親としての知識もない彼女らは、子どもたちを病院に連れて行くこともなく劣悪な環境で育て、そのほとんどが1~2歳になるまでに死んでしまう。また、国民の3人に1人がHIVに感染するアフリカ南部のスワジランド王国では、親をエイズで亡くした孤児が親戚の家をたらい回しにされたり、ストリートチルドレンと化し犯罪に手を染める。日本では気づかないが、親の愛情を一身に受けて育つというだけでも、とても恵まれていることなのだ。 しかし、そんな状況を目の当たりにしながらも、石井氏は本書のあとがきで「ひとつひとつの命が持つ可能性は、すべて等しく無限だ」という希望を記している。どうして、そんな楽観的な希望を語ることができるのか? それは、彼の見た光景が、決して絶望だけではなかったからだ。 内戦が続いたスリランカで出会った女性は、兵士にレイプされて妊娠した。 堕胎をするには、経済的にも時間的にも余裕がなかった。彼女は子どもを産み、施設に預けることにした。しかし、首が据わるまで3カ月間、生まれた男児を抱き続け、母乳を与えていた彼女は、子どもを手放さずに、自分の手で子どもを育てることを決意する。両親には猛反対され、出生の秘密を知る村人は彼女をあざけり、彼女の周囲にはいつも非難の目が向けられていた。しかし、彼女はわが子のために涙を流さず、村民に対しては気丈に振る舞い、息子の前では明るい笑顔を見せた。成長した息子は「なんでお父さんがいないの?」と友達から聞かれると、必ずこう答える。「ママはなんでもできるすごい人なんだ。お父さんなんていらないほど、すごいんだぞ!」 レイプの末、望まない妊娠によって生まれた子どもに対して葛藤はないのか? 当然の疑問に対して、彼女ははっきりとこう答えた。「うちの子って、すごくかわいいの。誰が父親なんて関係ない。私の息子だから」 世界中の過酷な現実を見続けてきたルポライターは、「子どもの持つ無限の力は、現実の不条理を打ち破ることができる可能性を秘めている」と書く。本書には、戦争の続く中東シリアを逃れた難民たちが、キャンプにおいて多くの新たな生命を育んでいる様子も描かれている。子どもの持つ「可能性」が現実を変える日が、一刻も早く訪れることを願ってやまない。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)
古き良き山口組・加茂田組の姿が蘇る ! 大物芸能人たちとの写真も満載『烈俠外伝』秘話
三代目山口組では最強の組織といわれた加茂田組。その親分であった加茂田重政氏は、昭和ヤクザ史に名を残す大物俠客である。史上最大の抗争といわれる「山一抗争」においても一和会最高幹部として勇名を馳せるが、引退後は長きにわたり沈黙を守ってきた。 その加茂田氏が昨夏突如、自叙伝『烈俠~山口組 史上最大の抗争と激動の半生』(小社)を上梓し、大きな話題な呼んだ。さらに、同書からビジュアル重視のバイオグラフィーとしてスピンオフしたのが、今回発売された『烈俠外伝 秘蔵写真で振り返る加茂田組と昭和裏面史』(同)である。 本書では、加茂田氏ほか三代目山口組を支えた親分たちの貴重ショットや、加茂田組の面々の当時の様子、有名芸能人や地域住民との交流の模様など、今はなき「昭和ヤクザの実像」が収められている。業界関係者やヤクザ文化が好きの人々のみならず、多くの人々が関心を抱く内容だ。 そこで本稿では、『烈俠』および『烈俠外伝』の制作に加わったライターの花田庚彦氏に、『烈俠外伝』の制作秘話や読みどころを書き下ろしてもらった。 ■モザイクなしのヤクザたちの素顔『烈俠外伝』(サイゾー)
加茂田組組長・加茂田重政の自叙伝『烈俠』をベースにした写真集的な本を作ろうという話が『烈俠』の制作スタッフから来た時に、私は条件をいくつか出した。 そのひとつは、1970~80年代に撮られた数々の貴重な写真に登場する人々の顔にモザイクを入れないこと。出来上がった『烈侠外伝』を見てもらえばわかるが、特別に配慮すべき理由がある一部を除き、基本的には錚々たる親分の顔にも、組員の方々の顔にもモザイクを入れていない。 加茂田氏本人から提供された写真には、加茂田氏の了解のもとモザイクは入れておらず、ほかの方から借り受けた写真にも一部を除き入っていない。例外があったのは、この写真の提供を受けた方の親分が鬼籍に入られているため、すべてにおいてモザイクを入れないことへの了解が取れないからである。その点は、この場を借りてご理解をいただきたい。 モザイクなしの写真により、当時のヤクザたちの生き生きとした表情や生きざまが今に蘇ってくることは、『烈侠外伝』の大きな魅力のひとつである。 そんな『烈俠外伝』と前作『烈俠』の大きな違いは、前作では組織の「上」から加茂田組と加茂田重政という人物を見ているのに対し、今回は「下」からそれらを見ているという点といえる。つまり、組員や加茂田重政氏の付き合いのあった住民、芸能人たちといった人々の、我が親分や加茂田組に対してのプライドや愛情が強く感じることができるのだ。 ■各方面への許可取りの煩雑さ 『烈俠』において私は聞き手に徹し、加茂田氏の話を引き出す役割を担った。その後、補足取材などのため、加茂田組の地元・神戸市長田区の番町という街を歩き回り、元加茂田組の方々から話を聞き、文章にまとめた。『烈俠外伝』では、それらの作業に加えて、多くの方々への取材交渉や写真および資料の使用許可取りに大変難儀したのである。 この許可取りは各方面への根回しが必要なことから複雑な作業であったため、時には制作スタッフを叱咤したこともあった。『烈俠』のスピンオフ作品でもあるし、比較的スムーズに進む仕事と思って企画をした『烈俠外伝』であったが、前作にも増して面倒が多い仕事であるということを理解していなかったのだ。 こうして『烈俠』の制作スタッフも手を引く中、『烈俠外伝』は出来上がった。 例えていうなら、『烈俠』は大きな岩を山頂から転がして、道をつくればよかった。対して『烈俠外伝』は麓から草を刈りながら、山道を作る作業だったのだ。 さらに詳しくいえば、暴力団の抗争において当たり前のようにダンプカーでの特攻が行われた時期があったが、これを日本で初めて実行したのは当時の加茂田組の人間である。その方から話を聞くにあたっては、筋としてはその上の方から許可を得なくてはならない。そのためには、東京から関西方面へ二度、三度と足を運ばねばならなかったし、そのような地道な作業の積み重ねにより浮き上がったのが、下から見た加茂田組の実像であり、今回の『烈俠外伝』なのだ。 こうして得ることができた貴重な証言や資料が、前作にも増して豊富に詰め込まれていると自負している。前作では収録しきれなかった写真を惜しみなく使用したほか、当時の貴重な証言を含む記事を作ることができたのだ。例えば、山一抗争当時、加茂田組と対峙していた山口組側の幹部組員との対談は必見である。 ヤクザの世界は厳しいだけでなく、時として一般人からして面白い場面も多い。普段、見聞きすることのできないヤクザの事務所の内情、実際のヤクザの生活など、こんな話もあるのかと思わされたことが一度や二度ではなかった。三代目山口組・田岡一雄組長ら一行による慰安旅行の様子。中心が田岡親分。左から2番目が加茂田親分(『烈俠外伝』より)
■ダンプ特攻を考えた男 また、『烈俠』では、加茂田氏が初めに客分として迎えられた神戸のわさび会と、そこの会長であった米田義明氏が何者であったのかを明らかにできなかった。『烈俠外伝』では、米田氏が経営していた、とある場所の従業員によって、米田氏と加茂田氏の関係、普段は見せなかった加茂田氏の素顔が明かされている。文字数にしてはそれほど多くはないが、組員、また関係者すら見たことのない加茂田氏の描写も含まれている。 さらに、山一抗争を最前線で戦った元加茂田組系の若頭補佐・沖中東心氏のコラムも必読といえる。実際に命を懸けて戦ったが、どれだけ加茂田組を誇りに思っていたのかが伝わってくる内容である。 今回、沖中氏とは、共に加茂田氏宅へ伺い、親分と会うことがかなえられた。それだけでなく、今も加茂田組を思う沖中氏の気持ちを感じ取ってくれたのか、親分からの感謝の品物を受け取ることができたのである。これは、元組員としては感極まる出来事であったに違いない。加茂田氏から直接何かを下される最後の組員かもしれないのだ。 その沖中氏は、かつて加茂田組の部屋住みをしていた時期があるが、同時期に共に部屋住みをしていたのが、前述した日本で初めてダンプ特攻を行った人物である。巨大なダンプカーで敵の組事務所に突っ込み破壊するという、その後、ヤクザ映画などでもおなじみとなった、とてつもない戦法を考え出したのは、果たしてどんな人物だったのか。その前後の話も大変興味深い。 この人物と沖中氏との2人の当時の思い出話は、部外者である私が立ち入る隙もないほど、実に濃密な対談であった。当時の加茂田組の内情が十二分に伝わる内容といっていい。 ■昭和のヤクザの魅力 加茂田組とは、昭和の後半を代表する組織のひとつに数えられる、三代目山口組の有力組織のひとつであった。その後、山一抗争で敗れ、解散を余儀なくされている。だが今でも、その時代を生きた人々の脳裏に、加茂田重政と加茂田組は、深く焼き付いている。それはなぜなのか? 答えは簡単ではない。桜の花のように、ぱっと咲いてぱっと散る姿を愛する日本人に、その美しい去り際が見事に映ったのであろうか? 私は、世間の人々にいい意味での影響も与えたのが、昭和のヤクザだったと今でも思っている。地域住民とのふれあいがあり、堂々と芸能界と付き合っていたのもこの時代だ。 それから数十年を経て、今もヤクザの抗争事件が日本全国で毎日のように起こっているが、あの頃の抗争とは何かが違うのだ。「では、違いは何か?」と問われれば、返す言葉は持ち合わせていないのだが……。しかし、そう思うのは私だけではないはずだ。『烈俠外伝』を見てもらえば、そのことをさらに強く感じるに違いない。 『烈俠外伝』の最後には、加茂田氏の自筆の署名と近影も掲載されている。 加茂田重政という男と彼が率いた加茂田組の実像を浮き彫りにした『烈俠』と、それに続く『烈俠外伝』。ヤクザの歴史に名を残した彼らを取り上げるのは、今回で最後となるであろう。 (文=花田庚彦)熱唱する加茂田親分と菅原文太氏(『烈俠外伝』より)
伝説の女相場師は18歳! 枕営業も駆使する、仕手バトルマンガ『銭華』
みなさんは「はちきん」という言葉をご存じですか? 「男勝りの女性」を指す土佐弁ですが、土佐の女性が4人の男性(=8つのキン○マ)を手玉に取るほどの男勝りであることに由来しているそうです。高知県出身の女性タレントいえば、広末涼子さんや島崎和歌子さんなどがいますが、なるほど、そう言われてみると「はちきん」かもしれません。 今回は、そんな高知県出身18歳の「はちきん」な美少女が、両親を死に追いやった奴らへの復讐のため守銭奴となり、兜町の女帝といわれる女相場師になるまでのストーリーを描くマンガ『銭華(ぜにばな)』をご紹介します。 「そこらの小娘と一緒にしなや、土佐の女舐めちょったら痛い目にあうぜ!」 一見すると、おとなしそうな女子高生が、2代目スケバン刑事みたいな土佐弁をまくし立てます。彼女に一体何があったのか? 『銭華』の主人公は坂本千尋。高知県一の財閥、山之内家に両親を殺され、山之内家の長男に自分の処女までも奪われた千尋は、東京に出て一攫千金を狙って、カネの力で山之内家に復讐することを誓います。 「山之内一族…絶対許さんぜよっ!」 「今度帰ってくる時は復讐の時だ! 山之内一族を潰す時だ…!!」 「私は夜叉となって金を稼いでやる!! 他人に何と言われようと守銭奴となって銭の華を咲かせてやる!!」 18歳にしてこの決意。ただ事ではありません。 田舎から上京してきた小娘がビッグになって、故郷の奴らに復讐するというストーリーは以前、当コラムでご紹介した『女帝』(参照記事)の設定と似ています。それもそのはず、この『銭華』も『女帝』と同じく、原作・倉科遼先生、作画・和気一作先生のコンビ作なのです。 東京で大金をつかむ手段として千尋が選んだのは「株」。千尋は、カリスマ相場師・片山鉄造が率いる投資顧問会社「日本橋経済研究所」に就職します。そこで思い知らされるのが、投資の世界の汚れっぷり。投資顧問会社の仕事の実態は、しょせん株投資の電話営業。全国の強欲投資家に対し、嘘八百並べて金を吐き出させる詐欺稼業なのでした。 「顧問業も相場師も一番近いのは刑務所だね」 「俺達がやっている顧問業は出資法や証券取引法に完全に抵触しているんだ!」 「兜町では騙される方がマヌケなんだ。兜町というところは日本で唯一嘘が認められた社会なんだ!」 会社の先輩のありがたい教えの数々……正直、読者はドン引きします。やっぱり投資って、うっかり手を出すとだまされる運命なんですね。 しかし、千尋の目的は復讐です。相場師になるために、初めっからヨゴレ上等で東京に来ています。そんじょそこらのリーマンとは、カネに対するモチベーションが違うのです。 「女の体は武器になる!! この肉体(からだ)が通じるうちに勝負してやる!! 銭の華を咲かせてやる!!」 というわけで、師匠の片山をはじめ、ありとあらゆる業界人に枕営業を仕掛けては、投資の裏情報をゲットしていきます。最終的には片山をも敵に回して仕手戦に勝利し、5億円ゲット! 18歳にして、伝説の女相場師と呼ばれるようになります。女がビッグになるために枕営業は必須! 処女はできるだけ高く売る!! これは倉科作品に共通する哲学です。 「恐怖のふるい落としで提灯筋は全滅させてやる!!」 「これが片山鉄造得意の地獄の逆落としだ!」 などなど、一見すると格闘マンガの必殺技のようですが、違います。これらはすべて仕手戦の最中に出てくるセリフです。マネーゲームだって命懸けですから、セリフも自然と熱くなります。 そのほかにも提灯、受け皿、利食い、ネタ玉、ハメ込み、踏み上げ、場内クロス、売りぶつけ等々、普段聞いたこともない専門用語が山ほど出てきて、読んでいると自然に株に詳しくなれるため、これから投資を始めたい人の入門マンガとして最適! な気もしないでもないですが、一方で登場人物に詐欺師が多すぎて、投資に対して尻込みしてしまう可能性もある、そんな悩ましい作品です。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>) ◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから『銭華 1』(作:倉科遼/画:和気一作/グループ・ゼロ)
DV、虐待、援助交際から垣間見える、沖縄の現実『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』
沖縄県の1人当たり県民所得は47都道府県中最下位の210.2万円と、全国平均306.5万円に対して大きく落ち込んでいる(内閣府・平成25年度県民経済計算)。失業率、DV発生率なども高く、離婚率も全国ワースト。統計が見せる沖縄の姿は、牧歌的な南の島のイメージから遠く隔たっている。 この島で育った教育学の研究者・上間陽子は、2012~16年まで、風俗業界やキャバクラなどで働く女性たちの実態をリサーチするために、継続的なインタビューを実施。4年間のリサーチの成果として『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を上梓した。本書に収録されたさまざまな女性たちのインタビューを読めば、DV、虐待、援助交際など、この島が抱える現実が見えてくる。 「私たちの街は、暴力を孕んでいる。そしてそれは、女の子たちにふりそそぐ」 上間は、自身が育った島の姿を、このように表現する。 では、その「暴力」とは、いったいどのようなものだろうか? 本書の中から2つの例を見てみよう。 兄からいつもひどく殴られて育ってきた優歌(仮名)は、16歳で妊娠して結婚、17歳で男の子を出産した。しかし、子どもが生まれると、夫は優歌に対して暴力的になる。目の前で作った食事を捨てられ、仕事着を洗うと舌打ちされ、洗い直しを命じられる日々。そんな生活に嫌気が差し、優歌は夫と離婚した。優歌がひとりで子どもを育てていたにもかかわらず、ユタ(霊能者)の「一族に問題が起こる」というお告げから、8カ月になる子どもは夫の家族に引き取られた。 実家に戻った彼女は、キャバクラの体験入店などを行いながら暮らしていく。しばらくして、5歳年上の恋人ができたが、男はDVの常習犯だった。周囲の反対を押し切り付き合った優歌は、些細なことで怒鳴られ、殴られながらも男との子どもを妊娠。しかし、男は働いていた店の金と模合(もあい/メンバーが一定のお金を出し合い、順番に給付し合う頼母子講のようなシステム)の金を持ち逃げして、街から消える。男は、ほかの女も孕ませていたのだった。優歌は、再びキャバクラで働きながら、ひとりで子どもを産んだ。 街に戻ってきた男は、優歌の兄に謝罪し、5万円を詫びとして支払った。男にとって、謝罪する相手は、孕ませた優歌ではなく、優歌の兄のほうだった。優歌は今も、ひとりで子どもを育てている。 優歌よりもさらに悪質な暴力にさらされているのが、翼(仮名)だ。彼女が幼いころに両親は離婚。母親に引き取られた翼は、スナックのママを務める母から、ネグレクト(育児放棄)されて育った。ご飯も作ってもらったことのない彼女にとって、「母親の味」の記憶はない。 高校に進学しなかった彼女は、友達の誘いでキャバ嬢になる。16歳になった頃、7歳年上のボーイと付き合うようになり、2カ月で妊娠。不安はあったものの、彼女は結婚し、出産することを決意する。しかし、結婚すると、夫はその態度を一変させる。生活費を家に入れず、翼が不満を言えば、暴力を振るい、馬乗りで殴る蹴るの暴行を加えた。その暴力は、鼻が折れて、目が開かなくなるという壮絶なものだった。出産後、翼はすぐにキャバクラに戻ったものの、夫からの暴力で顔に傷ができると、仕事を休まなくてはならない。そんな翼を見て、男は「お前が悪い」と自分の行為を棚に上げて罵った。 親からの虐待、夫からのDVのほか、レイプ、援助交際など、少女たちが直面する暴力の数々は、想像をはるかに超えるものばかりだ。彼女たちにインタビューをした経験を、上間は「予想していたよりもはるかにしんどい、幾重にもわたる困難の記録」だったと振り返っている。唯一の救いは、本書に登場する少女たちがみな、自分の子どもを愛していることだろう。せめて彼女たちの子どもは、そんな暴力とは無関係に育つことを願ってやまない。そのためには、多くの人々が、この暴力の実態に目を向けることが不可欠だ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●うえま・ようこ 1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学部研究科教授。専攻は教育学、生活指導の観点から主に非行少年少女の問題を研究。1990年代後半から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの調査・支援に携わる。共著に『若者と貧困』(明石書店)。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)











