ハンセン病――。それは、らい菌という細菌が原因の感染症で、体の末梢神経が麻痺したり、重症化すると、体が変形していく病。しかし、衛生状態や栄養状態のよい現代の日本では、ほとんど発病することはなく、感染する可能性は限りなくゼロに近い。 日本国家は、かつてハンセン病患者に対し、とんでもない過ちを犯した。明治時代、諸外国から、文明国としてハンセン病患者を放置するべきではない、と非難を浴びると、患者を一般社会から隔離させた。1931年には「らい予防法」という法律を成立させ、警察や保健所がハンセン病患者を見つけると、強制的に療養所へ送り込んだ。これらの一連の働きかけにより、国民は“危険な伝染病”と誤認。ひとたび病気にかかれば、本人はもちろん、家族を巻き込んで村八分にされ、最後には家族にも見放され、孤独に死んでいく、という壮絶な人生を送らざるを得なくなった。 今回紹介する『蛍の森』(新潮社)は、これまでノンフィクション作家として活躍してきた石井光太氏による、初のフィクションだ。「小説新潮」内で2年間連載していた原稿をまとめたもので、テーマは“ハンセン病患者の遍路”である。 四国八十八か所を巡礼するお遍路さんのことは、誰でも知っているだろう。では、“へんど”という言葉は知っているだろうか? この言葉は、乞食やハンセン病患者の遍路を指す蔑んだ呼び方で、彼らは一般的な遍路道ではなく、人目につかない密林に自分たちだけの遍路道を作り、ひっそりと隠れて八十八か所を回った。しかし、彼らの遍路に終わりなどなく、死ぬまで神にすがるような必死の思いで歩き続けたのだ。 石井氏は、大学時代に彼らの存在を知り、足かけ10年以上にわたり、遍路経験を持つハンセン病患者に会いに出かけた。本書は、彼らの話や海外の類似ケースなどをベースに、ハンセン病患者たちが集う香川県高松市の密林で起きた60年前の出来事と、現代の老人3人の謎の失踪事件が交差していくミステリーに仕上げている。 この物語のどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのかはわからない。けれど、すさまじいまでのリアリティが伝わってくる。 「らいになるってことは、人間として認めてもらえなくなるってことなんだよ。家になんて帰れるはずがねえだろ!」 「生きちゃいけなかったのよ。らい病者っていうのは、この世でのうのうと生きてちゃいけない存在なの。山の中にこもって誰の目にも触れず、最後まで無心で巡礼をしていればいいんだわ」 登場人物から吐き出される言葉は、どれも鋭く心を突き刺す。また、あるハンセン病患者が山から下りて姿を現した時のこと。村人がわらわらと集まり、寄ってたかって暴行を続け、羽交い絞めにして木の棒を目に突き立てた。眼球が垂れ下がり、地べたにはいつくばって苦しむ姿を見て、村人だけでなく、警察官までもが手を叩いて笑っていた……といった残酷な描写は、正直、読んでいて何度も気持ち悪くなる。と同時に、もっと読みたい、という思いが込み上げ、400ページを超える超大作にもかかわらず、最後の1行まで、あっという間に読み切ってしまった。 なぜ、フィクションにしたのか――。最初に疑問が浮かんだが、読み終えて理解した。これは、ノンフィクションにはできない。「らい予防法」が廃止されたのは1996年。まだ20年もたっていない。今も、この平和な日本で、差別の恐怖におののき、一般社会へと出られない人が存在しているのだから。 (文=上浦未来) ●いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争などをテーマに取材、執筆活動を行っている。『物乞う仏陀』(文藝春秋)、『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『遺体』(新潮社)、『地を這う祈り』(徳間書店)、『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書など著書多数。『蛍の森』(新潮社)
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やっぱり“アノ国”とは永遠に分かり合えない!? 『呆韓論』が暗示する日韓関係の行方
『呆韓論』というタイトルに、「エキセントリックだ」という否定的な声も上がっているが、米「Newsweek」誌に「暴走する韓国 その不可解な思考回路 竹島をめぐる常軌を逸した行動と粘着外交」と題した号があったように、決して悪意あるタイトルではない。 そんな呆韓論というワードだが、初めて目にする人も多いはず。一方で、「嫌韓」ならば聞いたことはあるだろう。嫌韓、つまり韓国を嫌っている日本人は、2011年を境に圧倒的に増えたといわれている。それを裏付けるように、韓国批判がテーマの新書はたちまち増刷され、ネット上でも韓国に疑問を呈するようなトピックスのアクセス数は軒並み高く、SNSなどにもすぐさま波及する。その嫌韓の理由を「週刊SPA!」(扶桑社)は、【1)国民性(スポーツの国際試合で不正を省みず勝利にこだわる態度など)が嫌い:35.2% 2)反日だから:32.1% 3)領土問題:13.0%】と、アンケート結果を記す。 呆韓は、嫌韓を通り越し、「(韓国に)あまりにも呆れることが多い」と感じた著者が作り出した“新語”である。 韓国側からすれば「ステレオタイプな呆韓論」のようだが、著者のイデオロギーやプロパガンダから構成されているのではなく、見てきたものが率直に描かれている。それだけに、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が言うように「(この本を読んで)韓国とは上手くやれると思っていた私の淡い思いを粉々に壊してくれた。韓国との良好な関係を築くことは並大抵の努力では実現しないことを思い知らされた」(「MSN産経ニュース」より)。 だからこそ、政治の役目は重要になってくる。 とある在日のサッカー選手は、酒の席でこんな話をしてくれた。 「僕も若い時は、日本人が大嫌いでした。学生の時に、トレセン(有能な学生のサッカー選手を集めてサッカー協会が指導を行う場)に行っても、日本人としゃべらなかった。日本人なんか、って思っていました。けれど、Jリーグに入って、いろいろな方々と関わる中で、『あぁ、俺は差別されていたんじゃない。俺が差別していたんだ』って思ったんです。そこから、いろいろな人たちの話を聞くようになりました。今は日本人とか、肌の色や文化の違いで人を見ません。日本に尊敬する人もいっぱいいます。そういうのを母国でも伝えたいですよね」 本書は、個々がなんとなく持っている嫌韓を確固たるものにする。だが、ここで韓国を突き放してしまうと、上述したサッカー選手が言うような友好関係が日韓に生まれることはない。 いま求められるのは、日本の政治家が、韓国の政治家と侃々諤諤と意見を戦わせられるようにすることではないか。韓国併合・強制連行論争などについて謝罪するというスタンスは、日本の政治家には許されていない空気がある。また、日本統治時代の朝鮮を肯定する韓国人の老人が実在するという事実も公には語れない。もし、そのような指摘をすれば、韓国の妄言コールを受け、それに呼応した日本のマスメディアと野党により、日本国内でも窮地に立たされる。ゆえに、歴史問題を政治的に利用されるばかりだ。外交に勝利はないという言葉がある一方で、敗北はある。いつまでも反日攻勢を受けてばかりでは、何も変わらない。 本書の帯には「これでもまだあの国につき合いますか?」とあるが、その言葉は日本国民ではなく、日本の政治家や大手マスメディアにこそかみしめてほしい。 (文=FBRJ_JP編集部)『呆韓論』(産経新聞出版)
「尼崎には、同じようなんはなんぼでもおる……」尼崎連続変死事件・角田美代子が求めた“家族”の姿
「尼崎連続変死事件」は、その残虐性とともに、まるで全容が見えない不可解さで、多くの人びとの注目を集めた。事件に関わる容疑で逮捕されたのは8人、事件に関連して死亡したとみられる被害者は10人以上の大惨事だ。この事件の首謀者である角田美代子は、2012年12月に留置所で首を吊り自殺。事件の真相は闇に包まれた。 この事件を解き明かそうとする一冊が、ルポライター・小野一光による『家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』(太田出版)だ。事件に関係する人物たちが、複雑怪奇に絡み合ったこの連続変死事件。さながら中上健次か、それともガルシア・マルケスの小説かというような入り組んだ関係図だ。本書では、丹念に現場を取材し、人々の証言をかき集めることで、関係図を丁寧に解きほぐしながら、その「真相」に迫っていく。 美代子をはじめ、内縁の夫・鄭頼太郎や、戸籍上の長男・角田優太郎、義理の妹・角田三枝子らによって構成された「角田ファミリー」の残忍極まりない手口は、報道によって広く明らかになった。借金やいさかいなどの些細なトラブルの種を見つけると、家族や親族たちに踏み込み、恫喝し、軟禁し、徹底的に金を巻き上げていく。美代子たちは彼らに、何時間にも及ぶ「家族会議」を開かせ、親族間で暴行を加えさせる。被害者たちが警察に訴えたところで、家族間の暴力は「民事不介入」として立ち入ることができない。平和な日常を過ごしていた一家は、美代子の存在によって、地獄に突き落とされ、ついには親族内の殺人にまで発展していく……。 この手口を評して、小野はこう書いている。 「たしかに、すべては美代子が元凶だ。彼女さえ関わらなければ、なにも凶事は起きていない。しかし、真に厄介なのは、美代子は媒介だということだ。彼女の存在によって、社会の、個人の、そのなかに潜む悪の部分があぶり出され、被害者にまとめて降りかかってくるのだ」 美代子の振る舞いによって、人々の悪や暴力が徹底的にむき出しにされていく。恫喝し、追い込み、不眠不休の家族会議を開催させることで、人々の理性はあっけなく崩されていく。彼女は人を殺さない。殺すように追い込むだけなのだ。 では、この美代子とは、いったいどのような人物なのか? 左官職人の手配師であった父と、「新地」と呼ばれる非公然売春地域に務める母の間に生まれた美代子。中学校にはろくに出席せず夜遊びで補導を繰り返し、少年院にも入れられている。中学時代の担任を務めた元教師は「とにかく月岡(注:角田美代子の旧姓)には親の愛情が足りへんかった。それは間違いない。あの子は親の愛情に恵まれんかった子なんや」と振り返る。そして、高校を1カ月で退学すると、美代子は「よくある不良少女」の枠にとどまらなくなっていく。実の親から仕事場として紹介された売春街を渡り歩き、19歳にして、少女に売春を斡旋した容疑で逮捕。その後もスナックの営業や売春斡旋、恐喝行為などを主な収入源としながら尼崎の地で生きのびていく。そして、彼女が家族の問題に介入し、金銭をむしりとるようになったのは1998年、50歳の頃だった。 この事件を追っていく過程で、著者の小野が見たものは、「家族」という共同体に対する角田美代子の特別な視線だ。 「今回のことは、全部お母ちゃんが悪いから、責任を取る」という遺書を残して美代子は自殺した。ちょうどその頃、美代子の戸籍上の妹であり、彼女を右腕として支えてきた三枝子が自供を開始する。事件が発覚したことではなく「信じていた家族」に裏切られたことが、美代子自殺の引き金になったと小野は考える。 「角田ファミリー」を構成する人間に、血のつながりはなく、あくまでも彼らは擬似家族にすぎない。美代子は、ファミリーに対して血のつながり以上に深い「家族」の姿を求めた。そして、それが血縁以上に強いものであることを示すためであるかのように、ほかの家族を瓦解させていく。拘置所で同房になった女性は、「ファミリー」を失った美代子の姿をこう証言する。 「オカン(美代子)は横柄でわがままなんですけど、寂しがり屋でもあるんです。急に私の手を握ってきて、私が外そうとすると『いやっ。ギュッとしかえして』と言ったり、喫煙所から部屋に帰るときに、私が『オカン、先に出て』って言うと、『そんな寂しいこと、先行ってなんか言わんといて』と、小さな声で訴えてました」 では、どうして美代子は、ほかの家族を奪ってまで、この擬似家族を必要としたのか? それは、尼崎という街で生き抜いていくための知恵であったかもしれないし、親の愛情に飢えた幼少期の反動なのかもしれない。いずれにしろ、当人が死んでしまった以上、それらは臆測の域を出ることはない。 美代子は死に、大勢の関係者は捕まった。しかし、小野の取材によれば、まだ美代子の周辺には行方不明者が少なくなく、今後も新たな事件が発覚する可能性も考えられる。 事件報道が一段落した尼崎のスナックで、小野は旧知のママからこう語られた。「角田ファミリーだけおらんようになったからって、なんも変わらんのやって。仲間だって残っとるし、同じようなんはなんぼでもおるんやから……」。一時の盛り上がりがなかったかのように、すっかりと報道は沈静化した。しかし、「同じようなもん」たちは、まだ尼崎に存在し続けている。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●おの・かずみつ 1966年生。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。「戦場から風俗まで」をテーマに北九州監禁殺人事件、アフガニスタン内戦、東日本大震災などを取材し、週刊誌や月刊誌を中心に執筆。尼崎連続変死事件では100日以上にわたり現地に滞在し取材。著作に『完全犯罪捜査マニュアル』(太田出版)、『東京二重生活』(集英社)、『風俗ライター、戦場へ行く』(講談社文庫)、『灼熱のイラク戦場日記』(講談社電子文庫)など。『家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』(太田出版)
「自尊心を刺激されて、誇大妄想を信じた」元オウム・上祐史浩が麻原を捨てるまで
地下鉄サリン事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件……など、さまざまな凶悪犯罪を起こし、90年代の日本を震撼させたオウム真理教。18年が過ぎた現在でも、多くの日本人にとって鮮明な記憶として刻まれていることだろう。『危険な宗教の見分け方』(ポプラ新書)は、かつてオウム真理教の幹部として「危険な宗教を見分けられなかった」上祐史浩と、ジャーナリストの田原総一朗による対談本だ。田原が繰り出す質問に対して、上祐が答えていく形で本書は進んでいく。 早稲田大学大学院を卒業し、宇宙開発事業団(現JAXA)に就職するスーパーエリートであった上祐。しかし、当時「オウム神仙の会」を名乗っていた前身団体のヨガ講座に足を踏み入れ、麻原彰晃に出会ったことでその人生は変わっていく……。 教団に魅せられた理由の一つに、彼は「承認欲求の充足」を挙げている。「特別な存在になりたい」という上祐青年の願望を、オウム神仙の会が行う修行やヨガ、そして麻原彰晃による寵愛が満たしていく。『危険な宗教の見分け方』(ポプラ新書)
上祐 自尊心を刺激されて、あとから思うと誇大妄想としかいえないようなことを信じたんです。麻原からマイトレーヤ(弥勒菩薩)という名前をもらい、「類まれな魂」と絶賛された上祐。承認の喜びを満たされた青年は、「第三次世界大戦」「ハルマゲドン」といった教義を疑いなく信じてしまう。ただし、理系のエリートコースを歩み、「ああ言えば上祐」の異名で呼ばれた彼は、決して「バカな」人間ではない。大阪大学理学部を卒業し、神戸製鋼に就職した村井秀夫や、大阪府立大学大学院を卒業し鴻池組に入社した早川紀代秀なども同様だ。彼らのような人間ですら、ほとんど自覚のないままに犯罪に手を染めていったところに、一連の事件の恐ろしさがある。
田原 自分はこの世の中で必要な存在になれるという自尊心。
上祐 そうです。重要な存在だと。
上祐 教祖に代わって教祖の未来予見を吟味して、科学的な批判精神を持つことは、教団の中での自分にとって意味を成さない。逆に、普通の人には従えない不合理な指示に対しても無思考に従える弟子が優れているとされる。結果的に、「思考停止状態」ということになるんです。ズブズブとオウム真理教にのめり込み、幹部にのし上がった上祐だが、ロシアでの布教活動を行っていたことにより、教団が犯した一連の凶悪事件にはほとんど携わってはいなかった。彼は、1995年に国土法違反などで懲役3年の判決を受け、広島刑務所に服役する。そして99年に釈放されると、彼は再びオウム真理教の門を叩いてしまう……。
田原 思考停止することが信者として意味のあることだった。
上祐 そうですね、思考停止して理不尽なことにも従うことが、自己保全を捨てる修行として、価値があるとしたんです。
上祐 信仰は弱まっていたけれども、ただ、依然として麻原は霊的な導師「グル」であり、自分の魂の幸福のために必要なもので、手放せないという意識は強く残っていました。その後、内部分裂の発生や、自らの思想を確立したことで、上祐は07年、20年にわたる信仰を手放し、ようやくオウム真理教から手を切った。 その後、上祐は、現在代表を務めている宗教団体「ひかりの輪」を設立。だが、立ち入り検査によって、麻原の写真や呪文の音声ファイルなどが見つかっており(教団側は、「廃棄漏れ」と釈明)、公安調査庁では「オウム真理教上祐派」として観察処分対象としている。上祐が本当にオウムから手を切ったのか否かは、被害者に対する損害賠償の支払いとともに、今後の行動で証明し続けていかなければならない。そのためか、本書最終章「宗教やスピリチュアルとどう付き合うか」には、現在の上祐の思想が語られているものの、どこか「ひかりの輪」のパンフレットのようにも読めてくる……。 オウム事件以降、しばらくは宗教=悪という見方が強かったが、近年では、女性を中心にスピリチュアルがブームになり、伊勢神宮への参詣者は今年1,000万人を数えている。宗教や信仰に対する価値が、あらためて見直される時期になってきているのだろう。そんな状況だからこそ、今一度、オウム真理教事件を思い起こし、当事者のたどった道を検証していくことは必要な作業なのではないだろうか? (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●たはら・そういちろう 1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学卒。岩波映画製作所、テレビ東京を経て77年フリーに。現在は時代の最先端の問題をとらえ、さまざまなメディアで精力的な評論活動を続けている。 ●じょうゆう・ふみひろ 1962年、福岡県生まれ。早稲田大学大学院在学中にオウム真理教に入信。偽証罪などで逮捕され、服役。その後、「アレフ」代表となるが、オウム信仰を脱却し、自ら立ち上げた「ひかりの輪」代表を務める。
田原 こんな大犯罪を犯した人間でも、やはり霊的導師なんですか。
上祐 ええ、当時の私の意識状態としては、現実の世界で何をしたとしても、人には輪廻転生があって、来世がある。その世界はだれがコントロールできるかというと、一般の人にはできなくて、麻原にはできる……と思っていたわけです。(中略)麻薬中毒の禁断症状などにたとえればわかりやすいかもしれません。宗教的な崇拝対象に対する依存を抜けるときにも、さまざまな不安、不快を乗り越えないとならないのです。
裏総合商社、売春の相場、末端価格……“アングラマネー”の秘密を解きほぐす『図解 裏ビジネスのカラクリ』
凶悪事件をニュースで知るとき、我々が注目するのはその凄惨な内容や当事者たちの心理、あるいはその後の顛末であったりする。事件の渦中にある特定の人物たちの内面にクローズアップしたルポルタージュは、いつでも我々の関心の的になる。 しかし、世の中にあまたある犯罪や逸脱行為は、特定の個人が凶悪だったから、異常者だったからという理由だけで起きているわけではない。落ち度のない人間が被害者になり、食い物にされる事件が絶えないのは、その搾取のメソッドが我々の見えないところで確立されているためだ。そんな裏ビジネスのしくみを、あたかも一般社会のビジネス解説書のように明快に図解しながら説明してくれるのが、丸山佑介著『図解 裏ビジネスのカラクリ』(イースト・プレス)である。ヤクザや半グレといった人々についてなんとなく想像することはできても、それらが集団としてどのような「業務」を行っているのか、彼らのやっている「事業」はどんなふうに回っているのか、そこまではなかなか見ることができない。そんな「裏のしくみ」をわかりやすくまとめた、裏社会の現場に身をおいてきた著者だからこその裏ビジネス解説書だ。 この本が特徴的なのは、結果として凶悪犯罪につながってしまうような裏社会のしくみを、一般社会のシステムになぞらえたり具体的な数値を示したりすることで、基本的にはあくまでビジネスの流れとしてレクチャーしている点である。 非合法ドラッグが日本社会のどこかに流通していることだけは知っていても、その詳細な道筋についてはどうにも現実味がなかったりする。しかし本書であらためて原産地から卸問屋、小売業、消費者までを一般の物流ルートのように図解で解説されると、これらの犯罪行為もまたごく一般のビジネスと同じように社会に根を下ろしたシステムになっていることがよくわかる。 また山口組や住吉会、稲川会といったヤクザ組織の代表的な名前は聞いたことがあっても、それがどのような大きさの組織なのか、詳しいイメージをつかむ機会はあまりない。本書ではこれらヤクザ組織の規模と、三井、三菱など「表」社会の商社の規模とを比較し、その巨大さを数値で簡潔に把握させてくれる。「裏総合商社」であるヤクザ組織と、「表」社会の総合商社とを対比する視点は新鮮である。言われてみればヤクザは警備業から貿易、販売、金融、不動産業などまでを手がける総合商社なのだ。もちろんそれぞれは非合法なビジネスに根ざしている。だからこそ「裏総合商社」なのだが。 図解の中に盛り込まれている、裏ビジネスの相場価格表も本書のポイントだろう。密造銃の種別価格や各種ドラッグの末端価格まで、数値として示されるから、そのビジネスの規模や客単価の相場も見当がつきやすい。これらの数字も、非合法ビジネスの悪質性を強調するためではなく、あくまで解説のための資料として載せられているのがこの本の特徴である。 売春の年齢別の基本価格からオプション価格までがわかりやすく載せられた項目には、素人が簡易的に売春に参入しやすくなったために「市場」が荒らされ、管理買春がその立場を脅かされている現状が解説される。こうやって紹介されると、表社会と何一つ変わらないような、裏ビジネスの商業としてのダイナミズムや悲哀がうかがえるようで面白い。 もっとも、人身売買のしくみや人体売買のパーツごとの相場価格までが同様に解説されるくだりなどを読むと、その明快さゆえに静かな怖さにも触れることになる。簡潔にメソッドが解説できるほどにマニュアル化されているということは、我々の住んでいる社会を一枚めくれば、そこにはこうした裏のビジネスシステムが張り巡らされているということの証しでもある。「表」に見えていないだけのことなのだ。 本書ではまだ記憶に新しい近年の凶悪事件についても、その背後にある裏ビジネスの組織や、裏ビジネスのどのようなメソッドがそこに息づいていたのかを説明してくれる。北九州や尼崎の監禁殺人事件で、首謀者が駆使していた裏ビジネスに必須のスキルとはどのようなものか。六本木のクラブ「フラワー」での撲殺事件でニュースにもたびたび取り上げられた関東連合とは、いかなるつながりで形成された集団なのか。ニュースを流し見していては一件一件の事件でしかないものが、裏ビジネスのシステムという補助線を引くことで立体的に見えてくる。ニュースの背後をいかにして考えていくかの一助にもなるだろう。 次々と新手の方法があらわれる詐欺の手口や、いつの世も絶えない“下半身”つまり性欲をめぐるビジネスなど、非合法ビジネスを広範に解説している本書は、アンダーグラウンドの住人たちの興味深さとそら恐ろしさを同時に伝えるものになっている。付け加えて言うならば、この手広い裏ビジネス解説書は、裏を返せばそのようなアンダーグラウンドの犠牲者にならないための対策マニュアルにもなるのだ。なにしろ、我々の住んでいるこの世界は、ちょっとひっくり返せば周到にマニュアル化された闇にあふれているのだから。 (取材・構成=香月孝史/http://katzki.blog65.fc2.com/)『図解 裏ビジネスのカラクリ』(イースト・プレス)
フグ、シイタケ、ホタテ……中国産の確率が最も高いのは? 中国「猛毒食品」に殺されないために
2013年、中国産食品の危険性が再び大きくクローズアップされたが、同時に問題となったのは、三重県四日市市のコメ販売元業者による偽装米事件や、阪急阪神ホテルズをはじめ、複数の名門ホテルや老舗百貨店にまで連鎖した食品偽装事件だ。 日本の消費者の中国産食品を避ける動きは、ますます積極的になりつつあるが、企業による食品表示が当てにならないとなると、一体どうすればいいというのだろうか? よく言われるのは、輸入量に占める中国産シェアが高い食品を避けるという方法だ。 12年の農林水産物輸入概況の品目別統計表によれば、輸入量のうち中国産が占める割合の高い食品は、ネギ99.9%、ゴボウ99.9%、シイタケ99.8% 落花生97.4% ショウガ97.9%、ニンニク98.5%、ハマグリ93.4%、ホタテ96.1%などである。 ところが、奥窪優木著『中国「猛毒食品」に殺される』(扶桑社新書)は、これはあくまで輸入品に占める中国産の割合に過ぎず、輸入量のシェアが低ければ、いくら輸入量に占める中国産の割合が高くても、中国産を口にする確率は高くなるとは限らないと指摘。そこで同書では、ある品目の輸入量と国産品出荷量を合わせた、総流通量に輸入品に占める中国産シェアを「中国産率」と名付けて算出している。 それによると、落花生、ハマグリ、ニンニクが中国産率ベスト3となるという。産地が明らかでないまま口にした場合、中国産である可能性が高いというわけだ。また、意外なところでは、世に出回っているフグの3分の1は中国産という計算になるという。一方の、シイタケやホタテは、輸入品に占める中国産の割合こそ高いものの、輸入量自体が低いため中国産率はさほど高くない。 同書ではこのように、中国産食品をつかまされないために身につけておくべき正しい知識を紹介。さらに、中国産キノコがイタリア産に変わる産地ロンダリング、スポンサータブーとされるレジャー施設の中国産使用事情、食品偽装の裏事情についても迫っている。 ただ、中国で社会問題となっている下水油の採掘現場やがん患者が多発するゴミ処理場の村など、食品汚染の源流をたどる驚愕のルポには絶句するほかなく、完全なチャイナフリーが不可能な現状、「知らぬが仏」の感も否めないが……。リスクを正しく把握することをリスク管理と呼ぶとすれば、必読の一冊だろう。 (文=牧野源)『中国「猛毒食品」に殺される』(扶桑社新書)
デリヘルの市場規模は鳥取県クラス! 世界に広がる「下半身」経済のマーケット
「風俗に行く男の気持ちがわからない」という女性は多い。しかし、男性としての意見を言わせていただくなら、「寂しいから」「ストレス解消で」「たまには羽を伸ばしたい」「いつもとは違う抱き心地を」「友達に誘われたから」等々、ネオン街に足を運ばせる理由は枚挙にひまがないのだ(女性には言い訳に聞こえるかもしれないが……)。 そんな、世の男性たちの煩悩が結晶化したような性風俗産業。門倉貴史氏の著書『世界の[下半身]経済のカラクリ』(アスペクト)は、日本をはじめ、世界中の性風俗産業の仕組みを紹介するとともに、経済評論家である門倉氏が、その知見を元に経済規模までを推計してしまった一冊だ。 ソープランドならば9,285億円、イメクラは5,414億円、ピンサロは4,556億円、デリヘルならば鳥取県の県内総生産とほぼ同じ1兆8,362億円……etc.と、門倉氏が計算した下半身経済に集まる金額を累積すると、ほとんど国家予算のような額に膨れ上がっていく。男たちが汗水たらして稼いだお金は、積もり積もって莫大な金額となって歓楽街の闇の中へと消えていく。女性からすれば、とんだバカみたいな話かもしれないが、男性にとってはそれほどまでに切実にならざるを得ないのが下半身経済である! と、ご理解いただきたい。 国内風俗産業の市場規模のみならず、本書では、タイトル通り世界中のあらゆる国々の下半身経済についても実態が語られている。 ドイツ、ケルン市では、売春婦一人につき1日6ユーロ(約800円)の「セックス税」なる税金を課したところ、なんと年間1億円以上の税収増加につながった。ギリシャでは、通例ではGDPに含まれないセックス産業の金額を含めたところ、400~600億ユーロ(約5兆4000億~8兆1,000億円)もGDPが増加し、巨額の財政赤字を押し隠すことに成功した(もちろんこの見せ掛けは、2010年の財政危機で露呈する)。オーストラリアでは、世界で初めて売春宿が株式上場を実現し、タイではGDPの46%となる6.5兆円が風俗産業の市場規模。台湾では公娼制度を一時廃止していたものの、売春婦たちが活動を続けた結果、11年に再び売春が合法化された。 ……と、世界のさまざまな国々で、その国独自の売春産業が営まれている。ただし、殿方の下半身は、世界を動かしているのだ! と、能天気に終わることができないのが、風俗産業の難しいところ。その前には、「人身売買」や「児童ポルノ」「暴力団・マフィアへの資金流出」など、根深い問題が横たわっているのだ。 だからといって、やみくもに規制の網をかければいいというわけではない。 本書で門倉氏は、日本において、地下経済抑制の観点からポルノ解禁を提言。当局が規制をすればするだけ、法律外のポルノは、地下経済を潤す資金源となっていく。インターネットの登場により国境をなくしたポルノ映像、画像を規制していくよりも「北欧諸国のように『見たい人の権利』と『見たくない人の権利』を同時に守るようにしたほうがいい」と門倉氏。また違法とされる売春については、「自らの自由意思で働くセックスワーカーが多数存在しているにもかかわらず、『売春防止法』により売春産業が違法とされるがために、ソープランドをはじめとするセックス産業は、アンダーグラウンド化してしまう。違法であることがネックになって、ソープランドやホテトルなど性風俗で働くセックスワーカーは、労働者として十分な保護を受けることができないのである」と、その合法化措置を真剣に考えている。 もちろん、どこまでが、門倉氏が書くような女性たちの「自由意思」であるかは議論が必要なところ。彼女たちが自ら選んだ選択肢であるとしても、事実上、その選択肢しか選べなかった女性たちもまた少なくないはず。安易に規制の手を緩めることが良策であるとも限らない。 しかし、売春が禁止されているにもかかわらず、ソープランドでは「自由恋愛」の建前のもとに、売春が行われ続け、警察も見て見ぬふりをしている。性に対する男性の衝動は、どんなに国家が禁止しようとも抑えることはできない欲望だ。禁酒法の例を出すまでもなく、国家による欲望の管理がうまくいった事例は多くない。法律が禁止したところで、国家予算規模にまで膨れ上がる男性の欲望はなくならないし、その欲望を利用して金儲けを企む人々もいなくなることはないのだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●かどくら・たかし 1971年神奈川県生まれ。95年慶應義塾大学経済学部卒業後、銀行系シンクタンク入社。99年(社)日本経済研究センターへ出向、00年シンガポールの東南アジア研究所(ISEAS))へ出向。02年4月から2005年6月まで生保系シンクタンク主任エコノミスト。05年7月からBRICs経済研究所代表。同志社大学大学院非常勤講師(07年度~)。専門は先進国経済、新興国経済、地下経済、労働経済学、行動経済学と多岐にわたる。『世界の[下半身]経済のカラクリ』(アスペクト)
10人に1人の童貞男子のために……『練習彼女。』で経験を積むべし、積むべし!
このような本が出版されて、もしかしたら、嘆きの声を上げる人もいるかもしれない。「日本男児たるもの、小娘一人としゃべれないなんて、なんと嘆かわしいことだろうか。草食男子など甘えだ! 大和魂を鍛えあげよ!!」 おそらく、石原慎太郎のような人が言うはずだ。 コンドームメーカー「相模ゴム」の調査によれば、20代男子のうち、童貞率は40.6%、30代になっても9.5%と実に「10人に1人が童貞」という結果が出ている(相模ゴム工業調査「ニッポンのセックス」)。この草食化を放っておいては、少子化に拍車をかけることにもつながりかねないのだ! 『練習彼女。 はじめての「女の子のお店」ガイド』(スコラマガジン)は、恋人を作るためのハウツー本ではない。さらにその前の段階、「恋人を作るために練習をするお店」を紹介するガイド本。例えるなら、ゴルフ場ではなく、ゴルフ練習場に行くためのマニュアルのようなものだ。この本を執筆したのは、これまでに『30歳の保健体育』『オンナノコになりたい!』『合コンなんてこわくない!』(すべて一迅社)などを執筆し、マニュアル本作りに定評のある「三葉」氏。 学生時代から、自然と女の子との会話の方法や関係の築き方を学び、いつの間にかどんな女の子とでもコミュニケーションを取ることができるようになる……一部の人にとっては、そのようなことはごく当然のことなのかもしれないが、別の一部の男性にとっては、まるで別世界の出来事だ。仲のいい男子ばかりで集い、気づけば、母親や姉などの身内女子としか会話をする機会がない。いざ、クラスの女子と会話をしようものならば、緊張のあまり挙動不審になり、言葉はしどろもどろになってしまう。その結果、さらに自信を喪失し、女子とのコミュニケーションのハードルは上がるばかり……と、負のスパイラルに陥ってしまうのだ。 この悪循環を断ち切るためには、女性と気軽に会話する「練習」をしなければならない! というわけで、本書では、お店でコミュニケーションを取ってくれる女性たちを「練習彼女」と定義し、美容院やガールズバー、キャバクラからヘルス、ソープランドに至るまで、恋人を作るためにあらゆる「練習」となるお店がガイドされている。美容院、メイド喫茶、ガールズバーという会話の実地訓練場での振る舞い方や、キャバクラ、デートサービス、出会いカフェ、リフレでの作法、さらにはピンサロ、ヘルス、ソープなどいわゆる"ヌキあり”なお店でのNG項目まで、さまざまなお店のハウツーが指南されている。 「コミュ力を身につけるために必要な要素は『経験』なのです。特に恋愛を視野に入れたコミュニケーション能力は、実際に女性を相手にして養うしかないでしょう」「どんな形であっても、経験を重ねることは成長につながり、ゆくゆくはお店に頼らなくても、自分だけの力で女の子と仲良くなるスキルが身についてくるでしょう」と、本書において三葉氏は「経験」の大切さを語る。いくら、シミュレーションを重ねても女心はわからない。経験し、悩み、成功や失敗を積み重ねながら、男の子たちはだんだんと女性という存在を学習していく。そして、そんなトライアンドエラーの末に、憧れの恋人が待っている。 あくまでも練習に過ぎない……と言ってしまっては、数多の「練習彼女」たちに申し訳がないものの、本書に掲載されているようなお店を通じて女性とのコミュニケーションを練習すれば、30年間童貞をこじらせ続けたあなたにも、きっとかわいい恋人ができるはずだ。そして、恋人ができた暁には、本書を読んでいたことがばれないように、ひっそりと処分することをオススメする。 ●みつば メディア企業にて勤務の後、現在は東京大学大学院に在学中。主な著書に『30歳の保健体育』『オンナノコになりたい!』『合コンなんてこわくない!』(以上、一迅社)など。また、本書の発売にあわせた『練習彼女。』FBページ(http://www.facebook.com/ren.kanojo)を公開中。『練習彼女。』スコラマガジン
原発作業員が綴る現場のリアルと、二極化する報道へのアンチテーゼ『福島第一原発収束作業日記』
先月の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)で、福島第一原発問題が取り上げられた。「本当に汚染水は危険なのか?」「福島第一原発はコントロールされているのか?」「東京電力の今後」について政治家や識者やジャーナリストが議論を交わしていたが、そんな中、「今までの議論を聞いていてどう思うか?」とアナウンサーが観覧者にマイクを向けると、福島から来たという年配の女性の怒りが爆発した。 「現場作業員の士気が下がっているなんて、現場作業員の実態を知らないで簡単にものを言わないでください。皆さん、本当に頑張っています」 テレビを見ていた人たちには、女性の怒りは感情的に映ったかもしれない。しかし、本書を読めば、誰しもがあの場で声を荒らげたくなるはずだ。 『福島第一原発収束作業日記』(河出書房新社)は、とある原発作業員の2011年3月11日からのツイートを、日記調にまとめたものである。福島第一原発でどのような作業が行われているのかが細部にわたってミクロな視点で描かれており、大手メディアが報道しないリアルと、生じている現場との齟齬が感じられる。そして、その齟齬は、そのまま被災地以外と被災地という図式になっていると思う。 というのも、現在の東京の日常において、福島第一原発への意識は薄い。それこそ、何かトピックスがない限り、テレビも新聞もトップニュースとして扱うことはほとんどない。 本書は、我々が福島第一原発の実態を何も知らないことを痛感させる。それは、東日本大震災後、当時の政府や東京電力経営陣の捏造を見抜けず、大本営発表に踊らされた過ちを繰り返す可能性を意味している。政府や東京電力上層部を監視できなかったゆえに生まれた“人災”を。 実は震災直後、内閣総理大臣補佐官に任命された民主党の馬淵澄夫氏は、福島第一原発の汚染水を懸念し、すぐに対策を練っていた。 「当時、東京電力の経営者は(遮水壁を作ることによる)1000億円の新しい債務がのしかかることについて、たいへん債務超過の懸念を示して、これに対して反対する立場を取っておられました。しかしながら海洋流出を止めないといけません。海への汚染を絶対起こしてはならないということで、私は当時のカウンターパートである副社長と話をして、この海への壁を作ることのプロセスを進めようと努力をしていました。 2011年の6月14日、記者発表まで準備をしていました。そこでは四方を囲む遮水壁、ベントナイトというんですが、その記者発表までをする予定だったのですが、最終的にはこれは延期されました。これは東京電力側によって、先ほど申し上げた債務超過の起こることを恐れる要請をうけて、当時の民主党政権が、その懸念を受け入れたのだと私は思います。 そして6月の27日、東京電力の株主総会の前日ですが、私は突然総理大臣補佐官の職を解かれることになりました。理由はわかりませんが、まあ少なくとも任命権者から任を解かれたことで、私はこの収束の作業から身を離れることになりました。そしてその後、民主党政権においてはこの遮水壁は作られませんでした」(エコーニュースより引用) 馬淵氏が明かしたように、汚染水問題は“人災”であり、権力の暴走でもある。それを防げなかったのは、我々が騙され、無知だったからだ。にもかかわらず、馬淵氏がなぜ更迭されたのかという議論も起こさなかった大手メディアに、いまだに身を委ねている。 こういった上層部の迷走のしわ寄せを受けるのは現場である。二転三転する指示に振り回され、自分たちがベストと考える作業ができない。誤ったトップダウンに、なす術もなく翻弄されてしまう。 古代ローマの拷問に、身動きを取れなくした人間を暗闇に入れて、額に水を一滴ずつ垂らすというものがある。数日ならばなんてことのないが、これが延々と続くと耐えられなくなってしまうというものだ。本書で福島第一原発の現場作業員の現状を知り、そんなことを思い出した。 「なぜ、国が一括して作業員を雇い、給料の中抜きをする仲介会社が出ないような仕組みを作らないのか」「なぜ、国が中心になって、事態を収束させないのか」「なぜ、時間的に不可能な工程表を出すのか」「なぜ、予算を削減するのか」 積み重なる「なぜ?」が現場作業員を苦しめる。しかし、当時も今も、そのような現場を伝える大手メディアはほぼ皆無であり、いまだに責任問題すらも論じられていない。芸能人のスキャンダルは追い掛け回すが、当時の東京電力経営陣は糾弾すらされていない。 著者がTwitterをスタートさせたのは、そんなメディアに対するアンチテーゼでもある。現在も変わらず、原発への報道は二極化している。大手主要メディアは驚くほど好意的に報じ、その逆張りのように、週刊誌やネットメディアやフリーランスは過激に煽る。どちらも扇動的であり、ノイズがある。「正確な情報」を見極めるのが難しい。だからこそ我々は、原発について、自分の頭で考えなければいけない。 原発の最終処理は何万年単位の時間が必要だといわれている。未来の人たちからすれば、我々が意味を理解できなかったピラミッドやナスカの地上絵を見るような感覚で、原発という危険な代物の最終処理場と接するのだろう。 このまま、万が一の対応も、最終処理も、未来に託すしか方法がない原発を利用していいのか。それとも、ウルトラC的な技術を生むための研究と並行するのか。原発を甘受してきた日本国民全員が是々非々で論じる必要がある。「どっちでもいい」はやめにしよう。我々が生み出す世論で、メディアや政府を動かさなければいけない。本書はその一端を担うものだ。 (文=石井紘人@FBRJ_JP)『福島第一原発収束作業日記』(河出書房新社)
「視聴率至上主義は東京の論理」『水曜どうでしょう』ディレクターのテレビ論
世間をにぎわせた『ほこ×たて』(フジテレビ系)のヤラセ問題。ヤラセに至った構造的問題について、いまだフジテレビからの説明は一切行われてない状態だが、過去にはギャラクシー賞や日本民間放送連盟賞などを受賞し、ゴールデン昇格後は高視聴率を誇ったこともある番組だけに、「最近の低視聴率を食い止めるため、過剰演出に走ったのでは」と、業界関係者の間ではささやかれている。 視聴者を裏切っても、数字を重視する――このような視聴率主義に対し、“それは東京の論理だ”と異議を唱える人物がいる。『水曜どうでしょう』のディレクターである北海道テレビ放送(HTB)の藤村忠寿氏だ。 ご存じの通り『水どう』といえば、ローカル局制作ながら熱狂的なファンを生み出した“お化け番組”。10月2日からスタートした新作の第一夜放送分は北海道テレビ放送で16.1%という高視聴率をマークし、さらに10月末に発売された最新DVD『水曜どうでしょう 原付西日本制覇・今世紀最後の水曜どうでしょう』も、オリコン週間DVDランキングで1位を記録。1996年のスタートから17年たった現在も、そのコンテンツの強さを見せつけている。 そんな『水どう』の生みの親の一人である藤村氏は、先日発売されたインタビュー集『テレビ番組をつくる人──あの番組をつくった、あの人に、思いきり叫んでもらいました』(PHPパブリッシング)でテレビ論を展開。「キー局さんが『本流』であるならば、我々は『脇道』」「脇道だからこそ、本質的なテレビ番組づくりを、正々堂々とできる」と、ローカル局ならではの姿勢を説き、視聴率の問題に対しても「視聴率はまったく気にしていませんし、気にする必要がないと思っています」と断言している。 しかし、なぜ視聴率を気にせず番組づくりができるのか。その理由を藤村氏は、「スポンサーも、ローカル局番組の視聴率の高低を問題にはしていないはずです」と話す。「視聴率が数%違ったからといって、ビジネス的にもほとんどインパクトはありません」というのだ。500人に番組を“なんとなく”見られるより、50人に“熱狂的に”見られることをスポンサーも望んでいる、というのが藤村氏の見解だ。 キャスティングや内容のわかりやすさ、過剰な演出。そうしたことにとらわれ、視聴率に縛られる番組づくりは、キー局(=本流)に任せればいい。視聴率主義というビジネスの論理に一切翻弄されない番組づくりに専念できるからこそ、ローカル局は「自由」であり、面白い番組を生み出す土壌がある──このローカル局の矜持から生まれたのが、『水どう』なのだろう。 そんな『水どう』はキー局では考えられないほどの低予算番組と思われるが、「そもそもいい番組をつくるために最も不可欠なものって何でしょうか。お金でしょうか。違います。人間関係です」と藤村氏は語る。そして、『水どう』が支持される理由も、「私と大泉との人間関係にあると思っています」と、堂々と話す。大泉とは、もちろん同番組がきっかけで全国区となった俳優の大泉洋のことだ。 「私は、あの番組では、大泉に好きにやらせるんです。あえて。そうすると、彼も、困惑しながらもきちんと彼らしいことを出してやってくれる。私は彼に魂を預ける、彼も私に魂を預ける──そういう信頼関係の上に成り立っています」 「事実いい加減な部分は多いのですが(笑)、人間関係の部分だけは『いい加減』では絶対にダメなんです」 視聴率よりも視聴者を見つめ、制作費よりも人間関係を重視する。番組づくりの問題が次々と明るみに出る今、「自分たちにしかできないオリジナリティ」を追求するローカル局にこそ、キー局が立ち返るべき原点とテレビの未来があるのではないだろうか。 (文=編集部)『テレビ番組をつくる人──あの番組をつくった、あの人に、思いきり叫んでもらいました』(PHPパブリッシング)









