「少女を縛って」美しい国・日本の生み出したエロス『部屋と少女と赫い縄』

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『部屋と少女と赫い縄』マイウェイ出版
 イラストレーターのみうらじゅんは、エロについてこう語っている。 「高校時代、中間・期末テストが終わると、まるで自分へのご褒美のように通っていたポルノ映画館。三本立ての中には必ずギャグ・ポルノという作品が混じっていて大層気分を損ねたもんだ。エロは陰湿でなければいけない! 陽気な性への反発からオレはいつしか団鬼六のSM映画シリーズにのめり込んでいった」(『とんまつりJAPAN』集英社文庫)  思春期をこじらせてしまった人間は、一度はフェティシズムの世界を通り、エロについて考えを巡らす。いったい、エロとは何か? どこからがエロくて、どこからはエロくないのか? 性の極北ともいえるフェティッシュの世界を垣間見ながら、文系童貞エロ青年たちは、この世のどこかにあるであろう真のエロを夢想するのだ。 heyatoshojotoakainawa__01.jpg heyatoshojotoakainawa__04.jpg  日本が、世界に誇るエロス「KINBAKU」。今や、海外でもその人気は高く、縄師たちは世界各地のフェティッシュイベントにもひっぱりだこ。一本の麻縄がカラダの自由を奪うことによって、どうしてここまで奥深いエロが生み出されてしまうのか? まさに、それは「東洋の神秘」と形容できる所業だ。  『部屋と少女と赫い縄』(マイウェイ出版)は、20人あまりの少女たちを縛り上げた一冊。真っ白い壁に囲まれた、やわらかな光が差し込む部屋で、濡れた目線をカメラに向ける美女たち。処女性を感じさせるそのあどけない面影と裏腹に、白い肌をきつく縛り上げる赤い縄。それは、エロさを通り越して美しさすら感じさせるだろう。  この写真集を撮影したのは、写真家の中島圭一郎氏。昨年上梓した『ウインクキラー』(マイウェイ出版)は、少女たちのウィンク姿がなぜかそこはかとないエロスを感じさせる一冊となったが、今回は、大胆に縛り上げられた少女のエロさを全開にしている。 heyatoshojotoakainawa__05.jpg heyatoshojotoakainawa__02.jpg  とはいえ、本書には、意外にもバストトップがあらわになっている写真は1枚もない。制服姿で、浴衣姿で、メイド服で、ボンテージで、ベビードールでとさまざまなコスチュームを身にまといながら、少女たちはそのカラダを荒縄に預けている。縛り方も、亀甲縛りから宙吊り、あるいは蜘蛛の巣のように広がる美しい縄まで多種多様だ。ブラの代わりに麻紐が乳首を隠している一枚に、欲情しない男がいないはずがないし、股間に通された縄に至っては、女性でもないのに、そのスジに食い込む荒縄の乱暴な触感を想像してしまうだろう……。そう、緊縛とは、全裸にして全てをさらけ出すのではなく、一本の縄を通すことによって、女性のカラダを想像しながら脱衣以上のハダカを実現してしまう行為なのだ。 heyatoshojotoakainawa__03.jpg  21世紀になって、中出しも乱交も当たり前になったAVは過激化の一途をたどるばかり。インターネットで検索すれば、モザイク無しの動画が溢れかえっているし、倫理的にアブない児童ポルノだって獣姦だってスカトロだって見ることができてしまう。こんなにも、エロが氾濫している時代は人類はじまって以来のことだろう。だが、奥ゆかしき日本人は忘れていない。エロとはただ全てを見せつけることではないのだ。隠すことによってハダカ以上にハダカにし、一本の縄で自由を奪うことがたまらない快楽を生み出す。それは、人間にのみ許された知的で痴的な性のカタチなのではないだろうか。  「美しい国・日本」の生み出したエロはかくも奥深い。

さらば梅田貨物駅……人が乗れない乗り物の裏側に迫った『貨物列車をゆく』

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『貨物列車をゆく』(イカロス出版)
 東京の臨海や河川沿いに、膨大な数のコンテナ群を見かけたことがあるだろうか? 今でこそ、ほとんど目にしなくなった貨物列車も、かつては物流の中心を担い、日本の近代化を支えてきた。まさしく縁の下の力持ちと呼べる存在。「機関車トーマス」の世界でも、主に貨車を引っ張るヘンリーは気の優しいイイヤツだ。  近代化の黒子に徹してきた貨物列車とは、いったいどのように集荷され、運行されているのだろうか? 『貨物列車をゆく』(イカロス出版)は、神秘のベールに包まれた貨物列車の裏側に迫ったムック本だ。貨物列車の基礎知識から、貨物列車の歴史、JR貨物の裏側、など、全4章112ページにわたって貨物列車のすべてを余すところなく紹介している。巻末に掲載されている「貨物デートのススメ」は、昭和の青年情報誌の趣きがあり、甘酸っぱい感傷に誘われる。写真の点数も多く、鉄道ファンならずとも楽しい一冊だ。  東京都内には、東京貨物ターミナルと隅田川駅という大規模な貨物駅が二つあり、東京貨物ターミナルは西へ、隅田川駅は北への玄関口となっている。その貨物駅に常磐線・東北本線・武蔵野線などを経由して貨物列車が乗り入れ、荷やコンテナを積み卸しし、また西へ東へと運ばれてゆく。主な品目としてガゾリンや灯油などの石油製品があり、JR貨物宇都宮ターミナル駅では、栃木県内の石油需要の65%に当たる159万キロリットルが取り扱われているというから驚きだ。ほかにも、ヤマト運輸から委託された宅急便を運んだり、また東日本大震災の際には18万トン超のガレキを被災地から運んだりと、貨物列車は知られていないところで私たちの生活に大きく関わっているのだ。  その一方で、廃止される貨物駅もある。1874年(明治7年)に開業された梅田貨物駅は、大阪駅のすぐ北側に位置し、関西では最大級の貨物ターミナルとして栄えてきた。最盛期の1961年には年間360万トンもの貨物を取り扱っていたが、80年代から徐々に取扱量が減少。都心の一等地に17ヘクタールもの広大な敷地に加え、周辺の再開発計画もあり、2013年度末のダイヤ改正をもって廃止。140年の歴史に幕を下ろした。  高度経済成長期を支えた数々のシステムや建物は、静かにその役目を終えようとしている。何気なくそこにあった貨物列車も、徐々に縮小されていく運命を免れ得ない。上述の隅田川駅は、常磐線南千住駅に隣接しているので、近くに立ち寄ったら眺めてみてはいかがだろうか? 本書を読んで、貨物列車の歴史をひも解けば、無骨なコンテナ群もまた違った色を見せてくれることだろう。 (文=平野遼)

大島優子、前田健太、黒木メイサ……ゆとり世代の仕事論『「情熱大陸」800回記念 ぼくらは、1988年生まれ』

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『僕らは1988年生まれ』(双葉社)
 「ゆとり世代」は、とにかくイメージが悪い。言われたことしかしない、すぐにめげる、飲みニケーションが不得手……と、先行世代は、あたかもその時代に生まれた全員の罪であるかのように断罪し、「これだから『ゆとり』は……」の決めゼリフで、個人の資質をむやみな世代論に広げてゆく。  『僕らは1988年生まれ』(双葉社)は、ドキュメンタリー番組『情熱大陸』(毎日放送)800回記念として放送されたインタビューを書籍の形にまとめた一冊だ。1988年に生まれた彼らは、ゆとり第2世代といわれている。俳優の東出昌大、広島カープの前田健太、女優の黒木メイサ、サッカー日本代表の吉田麻也、先日AKB48を卒業したばかりの大島優子などなど、各界の著名人たちが「1988年に生まれた自分」を語り、「ゆとり世代」とくくられることに対する自分なりの回答を述べてゆく。  それぞれのインタビューに共通しているのは、「ゆとり」として語られることへの違和感だ。 「プライベートで出会う中で、それこそ20歳未満でもしっかりしてる子はたくさんいるし、上の世代でも、どうなんだろうと思う人もいる」(東出) 「う~ん……まぁ、ゆとり世代ということで一括りにするのはよくないな、と思います。人によって仕事に対する姿勢も違うと思いますから」(黒木) 「上の人から僕らの世代を見て『ゆとりだから』と言われるのは、すごくシャクに感じるんです。ゆとりの中でも出てくるヤツは出てくると思うし、別にゆとりじゃない世代にだってどうしようもないヤツなんていっぱいいるわけで、一括りにされるのはちょっと腑に落ちないという気持ちもありますよね」(吉田) 「しらけ世代」「新人類」「ロスジェネ」などなど、世代に対するレッテルは、いつも別の世代から一方的に貼り付けられるもの。彼らが、「ゆとり世代」という言葉遣いに対して疑問を投げかけるのは当然だろう。しかし、そんな乱暴なレッテル張りに対してすらも肯定的に捉えているのが、大島優子だ。 「それが時代の象徴になっているからいいと思うんです。そのとき時の世代で『ゆとり世代』『団塊の世代』って言われてるじゃないですか。  (中略)  ゆとり世代というと、一括りにするにはあまりに多くの人たちが含まれているので、一概には言えませんが、世代ごとに特徴があると思うので、その特徴をいかしていけばいいと思うんです。上の世代の良いところはできるだけ踏襲しつつ、別の形で力を発揮していけば大きな力が生まれると思います」 と、「ゆとり世代」に偏見を抱く人々のさらに上を行く、寛容なまなざしを投げかけているのだ。  1988年に生まれた彼らは、今年26歳を迎える。大学を卒業した者であれば、社会人3~4年目。いまや社会の一翼を担う存在になりつつある。では、いったい、その仕事観とはどのようなものだろう? 「仕事とは『仕事じゃない』と思います。野球は仕事ですけど、仕事だと思ってやってないんです。仕事だと思うと、楽しくなくなってしまうと思うから。変な言い方かもしれないですけど、仕事って自分のためにやるものだと思うので」(前田) 「仕事は、自分の人生の中で大きくとらえた時に、豊かにしてくれるもののひとつですね。特に俳優の仕事って、出会いと別れと再会がものすごく多いんですよね。それは人なのか作品なのか、役なのかものなのか、いろいろあるんですけど、その瞬間、その瞬間に自分が受ける感動が、自分を豊かにしてくれるということですかね」(俳優・松坂桃李)  と、仕事に「自己実現」を求めている者が多い中、バイオリニストの五嶋龍は、「嫌でもやること」「夢やパッションだけでは仕事はできない」と、その語り口はあくまでドライ。当然のことながら、ゆとり世代の仕事論も、立場によってさまざまなのだ。  彼らへの取材を通じて、1969年生まれのプロデューサーの大島新は、「放っておけば、自分の親世代よりも貧しくなってしまうという、日本の歴史の中でもかつてない時代を生きる若者たちは、自らの将来を先行世代よりも真剣に考えたはずだ。(中略)この世代には地に足をつけて、一歩一歩前に進んでいる若者が多いに違いないと感じた」と、彼らに対する理解を示している。 日刊サイゾー読者の中にも、ゆとり世代の後輩に手を焼いている人は少なくないかもしれない。しかし、「これだからゆとり世代は……」と乱暴な世代論を振りかざすのではなく、彼らの声に耳を澄ましてみてはいかがだろうか。一見クールに見える彼らにも、もしかしたら本書に登場する8人のように、熱い哲学が潜んでいるかも? (文=萩原雄太[かもめマシーン])

一生働かずに生きていける南の島があった!?『アホウドリの糞でできた国 ナウル共和国物語』

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『アホウドリの糞でできた国 ナウル共和国物語』(アスペクト文庫)
“ナウル共和国”という国を知っているだろうか?  この国は、サンゴ礁に集まってきたアホウドリの糞が、長い月日をかけて積もりに積もってできた、全周約19kmの小さな島国。オーストラリアの北、赤道より少し南に位置する。ナウル共和国として独立した1968年から1980年代にかけて「世界で最も豊かな国」と呼ばれ、1981年には国民1人当たりのGNPが、アメリカの1万3,500ドル、日本9,900ドルを抜き、なんと2万ドル(!)と推定された。国民は、税金なし、教育費や病院代、電気代もタダ。誰も働く必要がなく、結婚すると政府から2LDKの家がプレゼントされる――。そんな夢のような国、だった。  その理由は、アホウドリの糞とサンゴ礁が生み出した“リン鉱石”という資源。だが、1990年代に入ると、採掘のしすぎによりリン鉱石はほぼ枯渇してしまい、国家財政はみるみるうちに悪化。2003年2月には、何があったのか、オーストラリア政府が、ナウル共和国との連絡がつかなくなったと発表し、国家がまるごと行方不明という前代未聞の事態に……。  『アホウドリの糞でできた国 ナウル共和国物語』(アスペクト文庫)は、2004年に発売された同タイトルを大幅に加筆編集したもので、ナウル共和国とはどういう国なのかという紹介から始まり、その歴史、「世界で最も豊かな国」と呼ばれていた頃の話、国民がまったく働かなくなってしまったこと、資源がまもなく枯渇することが判明し、政府が資金繰りのために実行した驚くべき対策などがまとめられている。さらに単行本発売から9年、その後、ナウルがどうなったのかについても迫っている。  この本を読んでいるうちに、ナウル共和国政府のあまりにも自由な発想、行動に、一体どんな国なのかとますます興味が湧き、外務省のナウル共和国の紹介ページを調べてみた。  すると、「政府」という項目には「大統領が、公務員大臣、外務・貿易大臣、気候変動大臣、警察・緊急業務大臣、内閣議長を兼務」と書かれ、経済概況については「国家の主要外貨獲得源である燐鉱石がほぼ枯渇し、現在その収入だけでは操業費用すらもまかなえない状況にあるほか、他にナウル経済を支えるめぼしい産業もなく、経済状況はさらに厳しい状態である。国営銀行も機能しておらず、正確な経済活動の動きは把握できない」(一部省略)とあり、“えぇっ、いろいろ大丈夫!?”と、思わずツッコミたくなってしまった。  こんなに不安材料が多いのに、どこかユーモラスで深刻さが感じられないのは、南の島だから? とはいえ、資源に依存し、枯渇間際になってどうしようかと悩むナウル共和国の現状は、そう遠くない将来、石油に頼る中東諸国でも十分起こり得ること。また、富を得るために自然を破壊し続け、取り返しのつかない事態に陥る可能性は、日本だってあり得る。政治が暴走したらどうなるのか? 働くとはなんなのか? 政府のジタバタ具合にちょっと笑わせられながらも、一方で真剣にそんなことを考えさせられる。  なお、本書の最後には、実際にナウル共和国を訪問したことがある日本人5名による対談があり、どうしたら入国できるのか、現地の観光や様子についてなど、写真付きで紹介されているので、行ってみたい! という人はぜひ参考に。 (文=上浦未来) ●ふるた・やすし(文) 1969年愛知県生まれ。ライター。電子雑誌トルタル編集長。名古屋大学工学部電気学科中退。著書に『瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか』(河出書房新社)、『「アイデア」が生まれる人脈。』(青山出版社)、『新企画は宇宙旅行!』(TAC出版社)ほか。12年4月電子雑誌トルタルを創刊。 ●よりふじ・ぶんぺい(イラスト) 1973年長野県生まれ。アートディレクター。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科中退。近年は広告アートディレクションとブックデザインを中心に活動。著書に『死にカタログ』(大和書房)、『元素生活』(化学同人)、『ラクガキ・マスター』『絵と言葉の一研究』(美術出版社)ほか。

廃墟から産業遺産へ──未来へ受け継がれていく炭鉱の記憶『未来世紀軍艦島』

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『未来世紀 軍艦島』(ミリオン出版)
 廃墟が静かなブーム、なんて話も今はむかし。廃墟ファンも、そうでない人も、軍艦島といえばすっかりおなじみのスポット。廃墟界のスーパースターだ。2009年の立ち入り制限解禁以来、多くの上陸ツアーが組まれるなど、その人気はもはや静かなブームといえないほどの盛況ぶりを見せている。今年1月、政府はユネスコに同島の世界遺産登録に向けて推薦書を提出。先日、富岡製糸場が世界遺産に暫定登録されたことで、「軍艦島も世界遺産に」という機運が高まってきている。「秘境・軍艦島」から「世界遺産 端島(軍艦島)」となる日も、そう遠い未来のことではないかもしれない。  先人たちの生きた記憶は、興隆期の形を留め、未来へと受け継がれていく。『未来世紀軍艦島』(ミリオン出版)は、フリーカメラマンの酒井透氏が撮った軍艦島の写真集だ。全160ページに収められた写真は100点余り。青い海に浮かぶ島の外観は軍艦そのもの、工場の遺構はハードボイルドな雰囲気を漂わせ、住居跡は不思議ともの悲しい。大判サイズで観る遺構写真は圧倒的迫力に満ちている。巻末には島内地図や各写真の詳細な説明が掲載され、この一冊であたかも島内を巡っているような気分に誘われる。  端島(はしじま)は、長崎港から南西約18kmにある無人島で、明治初頭から1974年の閉山まで、海底炭鉱の掘削および製炭の拠点として大いに賑わい、日本の近代化を支えてきた。軍艦島の通称は、島の外観が軍艦に似ていることに由来する。1960年(昭和35年)の最盛期には5000人を超える人々が起居し、世界一の人口密度を誇った。  遺構には、人々が暮らした息吹が今も息づいている。  夜明け間近の鉱業所跡。幾重にも並んだベルトコンベアの支柱が稼働していたころ、活況は如何ばかりであったろうか。 dsaadf.jpg  荒れ果てた民家のふすまには「金魚とことりをおねがいします えさは少しでいい」その家の子どもが、残してきた金魚を案じて書いたのだろうか。脇には金魚と小鳥のイラストが添えられ、涙を誘う。 dfsakhfw.jpg  島唯一の寺院・泉福寺跡。屋根も外壁も破壊されているが、地蔵が海を望み、今も全島を守り続けている。 fwqrfwqfqwrwf.jpg ――足しげく通い、レンズを向けているうちに、そこに立ち現われてくるものがあった。様々なものが、まるで固有の表情を見せ始めたようにも感じられ、それはあたかも遺構や建物が命を吹き返してくるようだった。(本文あとがきより)  遺構は過去のものであるが、今を生きる私たちに、当時より熱く活気を伝え、より新鮮な感動を持って、ありし日を思い起こさせてくれる。忙しくて現地まで行けない人も、この『未来世紀軍艦島』が手元にあれば、居ながらにして軍艦島の息遣いを感じることができるだろう。 (文=平野遼)

暴言か、暴論か、それとも金言か? ビートたけしを知り尽くした男による『たけし金言集』上梓!

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『たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録』(徳間書店)
 2003年に公開された、北野武監督映画『座頭市』の撮影が行われていた頃、ロケ先・広島のホテルで、たけしは弟子のアル北郷と酒を飲みながらテレビでドキュメンタリー番組を見ていた。  画面では映画監督を志望する青年が、熱い思いを語っていたようだ。すると、たけしが口を開いた。 「なんだ、このバカは!」  いきなりの全否定である。その後も、青年に対する巨匠監督の悪態は止まらず、 「だいたい、はなから映画監督になろうって根性が気にいらないよ!」 と言い放ったかと思えば、 「こいつは、映画は撮れても漫才はできないだろ」 などと、言いがかりに近い毒舌まで炸裂させる始末である。  しまいには、「だいたいこいつは、人前でチ○ポ出せない顔だよ!」 と、映画監督志望の青年がする必要のないことまで持ち出して口撃し続けたという――。  「負けず嫌い」が高じて、理屈抜きでヒートアップしていく、たけしの素の部分がよくわかるエピソードだが、こうした知られざるビートたけしの(秘)言動を書き連ねた単行本『たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録』(徳間書店)が発売された。著者は前述の現場でも師匠に付き添っていた、アル北郷である。  1995年にたけし軍団入りした北郷は、97年から7年間も殿の付き人として過ごしただけではなく、現在も『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)でブレーンを務めるなど、たけしの側近といえる。  それだけに、同著で紹介されている「たけし金言」の数々は、どれも一般のファンでは知らない生々しさ、迫力に満ち溢れているのだ。  テレビなどでも、たけしがカツラの話題になるとはしゃぎ出す姿はよく見かけるが、同著では普段からいかに“カツラLOVE”であるかという詳細を以下のように書き切っている。 <(前略)先日もわたくしが夜、自宅にてテレビを見ていると、携帯の着信音が鳴り、電話に出ると、 「おい、たけしだけどよ、今、NHKに出てるやつ、カツラだぞ。名前メモっとけな」  と、それだけ言うと電話をお切りになりました。(中略)クライアントとその重役の方々が殿の元に挨拶に来られたのですが、その中の、たぶん一番偉いと思われる方が、やっかいなことにカツラでした。(中略)殿はそのカツラに目を止める様子もなく、クライアイアントの方々と挨拶を済ませると、(中略)何も発することなく静かに現場を後にしたのです。  ところが翌日、殿にお会いすると、すぐさまわたくしに、 「おい。昨日の現場にカツラいたな。お前、あのカツラばっかりチラチラ見てたろ。しかし、お前もカツラ好きだな~」  と、ニヤニヤしながら報告されてきたのです(後略)>  ほかにも、殿の下半身にまつわる爆弾発言から“ビートきよしいじり”まで、ここまで明かしていいのかという逸話が連発されている。 「すべて“殿公認”だから驚きます。とはいえ、本書発売にあたって『誰がここまで書けって言ったよ、バカ野郎!』との言葉もいただきましたが(笑)」(担当編集者)  たけしファンのみならず、全日本人、必読の1冊……のハズである。

浪速シリーズの元祖・赤井英和とジム会長の愛憎劇に迫る『浪速のロッキーを<捨てた>男』

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『浪速のロッキーを<捨てた>男』(角川書店)
 いきなり私事で恐縮だが、4月に大阪城ホールで行われた山中慎介と長谷川穂積のボクシングWタイトルマッチを観戦してきた。長谷川は惜しくも敗れてしまったものの、山中が見事6度目の防衛を果たし、両者とも非常にエキサイティングな試合を繰り広げてくれた。  その会場には、“浪速のジョー”こと辰吉丈一郎が観戦しに来ており、前座試合には期待のホープ“浪速のショー”こと中澤奨も登場し、見事KO勝利。新旧 “浪速シリーズボクサー”の共演も見られるなど、いかにも大阪の会場らしい盛り上がり方も印象的だった。この浪速シリーズ、今では亀田興毅の“浪速の闘拳”、弟・大毅の“浪速の弁慶”など、世代ごとに大阪出身の注目ボクサーに与えられる称号のようになっている。  前置きが長くなったが、『浪速のロッキーを<捨てた>男』は、浪速シリーズの元祖“浪速のロッキー”こと赤井英和と、彼が所属していた現「グリーンツダボクシングクラブ」の創設者・津田博明の蜜月と破局を綴ったノンフィクションである。  津田は、自ら裸一貫で創設したジムから井岡弘樹ら3人の世界チャンピオンを生み出し、晩年には当時所属していた亀田兄弟を売り出すなど、稀代のプロモーター、名伯楽として名を馳せた人物である。一方の赤井はご存じの通り、1989年に映画『どついたるねん』に主演し、最近ではTBS系ドラマ『半沢直樹』で下町の町工場のおっちゃんを演じるなど、俳優・タレントとして活動しているが、れっきとした元プロボクサーだ。赤井は、82年に行われた試合で急性硬膜下血腫と脳挫傷の重症を負って一時危篤となり、それが原因でボクサーを引退することになる。しかし、くだんの試合以前には赤井が一方的に引退宣言をし、金銭面で津田と揉めているなどの臆測も周囲で飛び交うなど、2人の間にはかなりのゴタゴタがあったとされているが、その真相はいまだに明かされていない。  そこで、当時2人の間に何があったかを知ろうと本書を読むと、肩透かしを食らうことになる。本書では「~だろう」「~ではないだろうか」「~なのかもしれない」といった表現が目立ち、津田と赤井の本心には迫っていない。著者である浅沢英氏は津田と赤井の両名にインタビューを試みてはいるが、津田は「しかたなかったんですわ」、赤井は「堪忍してください」と答えるにとどまっていて、当時の2人の心境や確執については語られないままだ。  とはいえ、津田と赤井の周辺への入念なインタビューや、当時の記録、新聞記者の取材ノートなど綿密な資料から書き起こされた文章は読み応えがあるし、津田が赤井を売り出すためにマッチメークに奔走する姿からは、一人の世界チャンピオンを生み出すために人材と労力と金がいかに必要かがよく分かる。また、津田と赤井のことだけはなく、当時の大阪のボクシングシーンや、ジムのある町の雰囲気、選手たちの息遣いやジム周辺に漂う人いきれまでがはっきりと伝わり、全体を見ればとても内容の濃い一冊であることは間違いない。  そもそも、この2人の関係は、高校生だった赤井が津田の元を訪れて「ボクシングを教えてください」と頼み込んだのが始まりだった。津田がまだジムを開く前、2人は公園にサンドバッグを持ち込み、ひたすらに練習を重ねていた。本書でも、その当時のことを赤井が懐かしそうに振り返る場面も描かれており、厚い師弟関係で結ばれていたことがわかる。その後、ジムを開いた津田は赤井をテレビ局に売り込み、連続KO勝利日本記録のために手を尽くすなど、その関係を深めていったのだが、赤井のモチベーションの低下とまさかの敗戦で歯車が狂い出した。その狂いを我々は「津田の精神は、もう擦り切れていたのかもしれない」、「津田は孤独に耐えかねたのかもしれない」といった文面から読み取るほかないのだ。  では、なぜ浅沢氏は2人の確執とその原因を憶測でしか語れなかったのか。それは津田や赤井が語らなかったからではなく、2人とも語る言葉をいまだに持ち合わせていなかったからではないだろうか。津田が入院して意識不明に陥っていた頃、赤井は病院に見舞いに行ったことがあるという。だが、浅沢氏が「それは、和解だったのですか?」と赤井に尋ねると、赤井は「和解。そんなもんはあらへんよ」と答えている場面もあるなど、実は赤井は、まだ当時のことを整理しきれていないのではないかと思わせるコメントが散見される。  世界チャンピオンまであと一歩と迫るも、夢半ばでリングを降りざるを得なかったボクサーと、ジム念願の世界チャンピオン輩出を逃した会長。それぞれの思惑が交錯もせず、すれ違ったまま袂を分かつことになった本当の原因は、すでに鬼籍に入ってしまった津田の口から語られることはもうないし、赤井ですらもわからないままなのかもしれない。  浪速のロッキーをはじめ、これまで多くの強豪浪速シリーズボクサーを生み出してきた大阪の地で、今後もジム会長と選手の蜜月と確執と破局は繰り返されるのだろうか。読後はそんなことを考えてしまう──。本書は、激しい戦いでファンを熱狂させるリングの外で起きている、男同士の愛憎を描いたメロドラマでもあるのだ。 (文=高橋ダイスケ)

「この話は、わしが死んでから世に出してください」教誨師が語った、死刑囚たちの実像

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『教誨師』(講談社)
 以前、サイゾー本誌で「死刑特集」という企画を行った時に、集中して何冊もの死刑に関する書籍を読んだ。死刑廃止、死刑存置、それぞれの立場からさまざまな意見が書かれていたが、同時に、死刑について考えるということは、「廃止」か「存置」かに回答することではないのではないかという根本的な疑問にも思い至った。単純な存廃二元論ではなく、社会が犯罪者を死に至らしめること、その意味を考えることこそが死刑問題におけるひとつの本質ではないだろうか。  ドキュメンタリー作家・堀川惠子の新著『教誨師』(講談社)は、浄土真宗の僧侶であり、かつては全国教誨師連盟の理事長を務めていた渡邉普相による告白をもとに執筆された一冊だ。「この話は、わしが死んでから世に出してくださいの」という遺言通り、堀川は、2010年から取材を続けてきた渡邉の言葉を、その死後に刊行した。  拘置所に入った死刑囚と、一般人が面会する機会はまずない。だから、受刑者に対して精神的な救済を施す教誨師は、死刑囚と面会することができるほとんど唯一の民間人となる。死刑囚の心の拠り所となるため、キリスト教や神道、仏教の各宗派がほぼ無償で教誨師たちを派遣しており、渡邉も、三鷹事件の竹内景助をはじめ、ほぼ半世紀にわたって数々の死刑囚たちと拘置所の中で心を交わしてきた。  渡邉は、親鸞上人を開祖と仰ぐ浄土真宗本願寺派の僧侶。連続殺人、強盗殺人、強姦殺人など、死刑判決が下された極悪人たちを前に、親鸞の遺した「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(善人ですら往生できるのだから、悪人はなおさら往生できるはずだ)という言葉を頼りに教誨に臨んでいく。だが、もちろん死刑囚に向かい合うことは、一筋縄ではいかない。渡邉の話など聞かず、雑談に終始する者や、「私は女だから死刑にはならない」とたかをくくる者、まだ明らかになっていない事件の真相を告白する者、平仮名もろくに書けないため渡邉に文字を教わる者、そして、渡邉も舌を巻くほど仏教の勉強にいそしむ者などさまざまだ。週2回、一人あたり30分の面接をこなすと、渡邉は心身ともにクタクタになった。  渡邉の尽力によって、多くの死刑囚が改心し、自分の起こした事件に向き合い、深い反省へと導かれていった。しかし、どんなに改心したところで、その先に待ち受ける死刑という未来がくつがえることはない。ある死刑囚は、渡邉にこう漏らした。「私も正直言うと、こんなに信心してどうなると思うことはありますよ。自分は所詮、死刑囚じゃないかと、時々、自暴自棄になりますわ……」  しかし、未来に死が待ち受けているからこそ、渡邉は努力を重ねた。死刑囚が自分の起こした事件に向き合い、反省し、その原因となった心の問題を解消し、安らかに死を迎えさせることこそが渡邉の目的である。数年、十数年という時間をかけて、渡邉は死刑囚たちと話し合いながら、心の奥の襞に触れ、その考え方を改めさせていく。そして、彼らとの別れは、ある日突然、一枚の令状とともにやってくる。死刑執行の通知だ。  教誨師たちは、刑場まで一緒に足を運び、その最後の瞬間まで死刑囚に寄り添っている。 「最近はカーテンから向こうの部屋には、私らは入れないですけどね、当時は、彼らに一緒についていって、目の前でやるんです。『キミュオームリョウージュウニョウライーー!』と言ったらガターンって、目の前から落ちていくんですから、目の前ですよ! 自分の目の前をロープが、ビーンッと伸びて、落ちていった体がグッ、グッ、グッとなるのをね、こうやって上から見るんです」  葬式や法事など、日常的に死者に接している僧侶だが、人が死ぬ瞬間に立ち会うことはほとんどない。それも、「殺される」瞬間に立ち会うことなど皆無だろう。その現場では、さまざまな感情が渦巻くことになる。母親に捨てられたことを深いトラウマとしていた死刑囚・横田和男(仮名)は、渡邉にすがりついた。 「刑場の教誨室で最後のタバコを吸わせ、お別れの儀式を済ませ、いよいよ執行の部屋へと移動しようとした時だった。横田が動かなくなった。『さあ』と刑務官に促されても、両足から根が生えたように踏ん張っている。  それまでつつがなく進んでいた場の流れが急に途切れ、居合わせた全員がぎょっとした。たくさんの視線が突き刺さった男の顔に、大粒の涙がポロポロポロポロこぼれる。横田は渡邉にすがりつくようにして叫んだ。 『先生! お袋はやっぱり来てくれませんでした! もう私には時間がありません。もう間に合いません! あの時、お袋に捨てられさえしなければ、私はこんなことにならなかった! お袋は私を捨てた、捨てたんです!』  そういって、まるで子どものように顔を隠そうともせずワンワン声をあげて泣き始めた」  そして、横田は「お母さん! お母さん!」と叫びながら死んでいった。渡邉は、母親への恨みを拭えなかった自分の力不足を悔やみ、読経を続けることすらできなくなってしまう。その頬には涙が伝っていた。  数々の死刑執行の瞬間に立ち合いながら、渡邉の心には、深い葛藤があった。 「それは、辛いですよね。辛いです。うん……。『殺したくないな』と思いますよ。『死なせたくないな』という気持ちはありますよ。『こんな人間をなぜ殺さなければいけないのだろう』という疑問はありますよ。疑問はあるけども、やっぱり日本の法律の下でわれわれは仕事をしていることですからね、それ以上のことは言えないね……ええ」  死刑に対して、法務省は秘密主義を徹底している。だからこそ、そこに直接関わる人々の姿はなかなか見えてこない。しかし、一言で「死刑」といっても、それは人間の手によって運営され、人間の手によって実行されている行為なのだ。「社会問題」としてくくることによって、抽象的になってしまう死刑についての議論。その実態を、本書はひとりの教誨師を通じて浮かび上がらせている。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

怪魚を求めて世界の僻地へ! 衝撃のとんでも写真の数々が詰まった『新・世界怪魚釣行記』

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『新・世界怪魚釣行記』(扶桑社)
 寝ても覚めても、釣り、釣り、釣り! 三度の飯より何より釣りが大好きな、俗に言う“釣りバカ”。世の中には、この“釣りバカ”が意外と多いと思うのだが、『新・世界怪魚釣行記』(扶桑社)の著者で、怪魚ハンターの武石憲貴氏はレベルが違う。もう、人生を捧げちゃってるのだ。 「釣竿片手に、世界の水辺のヌシに会いに行く!」をテーマに、これまでに“釣旅”に費やした総日数は1732日、訪問した国は37カ国。ひたすら怪魚を求め、世界中の辺境を訪れ、戦いに挑んでいる。本書は、2009年に発売された『世界怪魚釣行記』(同)の第2弾で、09~13年の“釣旅”の記録である。  今回登場する怪魚たちは、南米のアマゾン河を代表する、下アゴから長い牙が伸びたカショーロ、秘境パプアニューギニアの密林の奥地に潜む未知の大ナマズ、北米大陸の氷河から流れ出す川の底を徘徊する、最大4メートルを超えるといわれる世界最大の淡水魚・シロチョウザメほか、数え切れぬほど登場するのだが、その見た目は魚というよりも、もはや恐竜! そんな怪魚たちを相手に、子どものように興奮しながらファイトを繰り広げる。 「動きは鈍く、慌てるほどではない。だが、どこか捉えどころがなく、何か底知れぬ力を秘めたような不気味な感じだ」 「竿先が“グゥーン、グゥーン”とゆっくり上下し始め、じれったくなった僕は力を込めて合わせた。“ドスッ!”という衝撃と共に、その魚はゆっくりと潜行を開始した」 「あまりの大きさに一瞬めまいがして頭の中が真っ白になるが、気持ちを持ち直し、『掴んだぞー!』と勇ましく叫ぶが、グローブに穴が開いており、剣山状に並ぶ歯が人差し指に突き刺さる」 4484-1.jpg 4484-2.jpg 4484-4.jpg など、臨場感たっぷりだ。  また、武石氏が巨大魚を両腕に抱きかかえ、押しつぶされそうになっている記念写真をはじめ、鮮やかな黄色に発色した魚や、水玉模様の魚、やたら目が大きなびっくり顔の魚など、見たこともない魚が次々と登場するので、写真を眺めているだけでも十分楽しめる。  帯は、未確認生物や探検の世界ではコアなファンが多い、ノンフィクション作家・高野秀行氏が担当。「衝撃の写真とユーモアあふれる文章。いや、凄い。面白い。参った!」とコメントを寄せている。  怪魚を求めて世界中を放浪する、男のロマン、そして、男の人生が詰まった一冊だ! (文=上浦未来) ●たけいし・のりたか 1973年、秋田県生まれ。大学卒業後、会社勤めをするが2年半で退社。99年、まだ見ぬ怪魚を探索するため、インドを訪れたのをきっかけに“釣り旅”を始め、世界各地を釣り歩く。以後、ユーラシア・北米・南米・オーストラリア・アフリカの五大陸の怪魚を追い求め、放浪している。

「タモリ学」「有吉本」が大ヒット! 新進気鋭のテレビっ子ライター・てれびのスキマとは何者なのか

sukima0414.jpg  当サイトの人気連載「テレビ裏ガイド」(http://www.cyzo.com/cat8/tv_ura/)を執筆する、てれびのスキマこと戸部田誠氏が、『タモリ学』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』(コア新書)の2冊を上梓した。  前者は、イースト・プレスが運営するウェブ文芸誌「マトグロッソ」の不定期連載をまとめたもの。テレビやラジオ、書籍などでのタモリの発言やエピソードを通して、その哲学や魅力を浮かび上がらせている。一方、後者は、浅草キッド・水道橋博士が編集長を務めるメールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」に連載していた「芸人ミステリーズ」を書籍化。有吉をはじめとする8組の芸人を取り上げ、それぞれの“謎”を通して、芸人の苦悩や、それをいかにして乗り越えていったのかを解き明かす。  戸部田氏は、お笑い、格闘技、ドラマなどをこよなく愛する、いわき市在住の“テレビっ子”だ。ブログ「てれびのスキマ」(http://littleboy.hatenablog.com/)が業界内で話題を集め、あれよあれよという間に、雑誌やウェブで多数の連載を抱える人気ライターに。さらに、そこから時を待たずして、立て続けに2冊上梓。ブックファースト渋谷文化村通り店の週間ランキングで2冊同時にトップ10入りするという、鮮烈なデビューを遂げた。  そんな戸部田氏のコラムの魅力について、あるテレビ誌編集者はこう語る。 「ナンシー関さんが亡くなって以降、“ポスト・ナンシー”を気取るコラムニストが増えましたが、“愛情ある辛口”が売りだったナンシーさんに対し、彼らの多くはやみくもに相手を批判する、ただの悪口でしかないケースが目立つ。それに比べ、“テレビっ子”という視点で、ただただその愛情だけでテレビを語る戸部田さんは、今までにいなかった新しいタイプの書き手ですね。“裏”を読み解くのが主流になってしまったテレビ批評界において、彼の文章にはいつも、番組の作り手や出演者への尊敬のまなざしが感じられます」  戸部田氏の作り手に対する尊敬のまなざしは、かつて、われわれが子ども時代に夢中になってテレビを見つめていたまなざしそのものだ。この2冊は、その頃の気持ちで、もう一度、テレビという魔法の箱をのぞいてみるチャンスを与えてくれる良書といえよう。