今シーズン、クライマックスシリーズに進んだ阪神タイガースは、巨人を4連勝で下し、パ・リーグの覇者・福岡ソフトバンクホークスと9年ぶりの日本シリーズを戦っている。10月30日現在、勝ち星は3対1と崖っぷちに立たされてはいるものの、2012年の和田豊監督就任から3年、「猛虎復活」という当初のコンセプトが実現したといってもいい成績だろう。 はたして85年以来29年ぶりの日本一に輝くことができるのか? それとも……と、全国の阪神ファンがかたずをのんで見守っている中、この熱狂を斜めから眺めている人物がいる。元阪神タイガース監督・野村克也だ。彼は、この阪神の好調を一過性の出来事として考えている。今年9月に発売された、その名も『阪神タイガースの黄金時代が永遠に来ない理由』(宝島社新書)の冒頭で、野村は「阪神タイガースが強くなることは絶対にない。阪神に黄金時代は永遠に来ないと断言できる」と書き記しているのだ。 いったい、どういうことだろうか? 99年から3年間阪神の監督を務めた野村。当時は3年連続最下位と芳しくない成績に終わっているが、その経験から、野村は阪神の「悪い伝統」の内幕をつぶさに観察することができた。まず、彼が告発するのは、その人気ぶりから来る弊害だ。 「弱くても人気があり、周囲からチヤホヤされるから、選手が“お坊ちゃん”なのだ。甘えの体質が染みついていた」 サッカーW杯がどんなに盛り上がろうとも、関西のスポーツ紙は阪神ネタばかりが1面を飾る。そして、その人気をあおっているのが、「虎番」と呼ばれるスポーツ新聞の阪神担当記者たち。勝てば選手を大々的に持ち上げるが、負けた場合はその後の関係を考慮して選手ではなく、監督や球団へバッシングの矛先を向ける。調子に乗った選手たちは、キャンプ中にミーティングをしていても、練習後の遊びのことを考えて、気もそぞろ。タニマチからの食事のお誘いや、OB会の接待など、阪神選手は球場の外でも忙しいのだ。 そして、なぜか阪神はドラフトにおいて有力選手を獲得することができない。野村は、近年の阪神のドラフト1位で即戦力としてチームの柱になったのは、鳥谷敬、能見篤史と、藤浪晋太郎ぐらいしかいない、と語っている。野村のヤクルト監督時代、阪神には選手を入団までこぎ着けると、担当スカウトに球団から数十万円のボーナスが支給される制度があったという。取りたい選手ではなく、取れる選手を……そんなスカウトの姿勢では、実力のある若手選手を獲得することは難しいだろう。 さらに、FAで阪神が獲得した選手たちのほとんどは、実力を発揮せずに終わると野村。その原因は、阪神の中にある「空気」だという。 「あのチームでは、ヨソ者扱いされて馴染めないのだ。FAで加入した選手や、城島(健司)、福留(孝介)、西岡(剛)も、それで力を発揮できない面もあるのだろう」 と、独特の「伝統」を持つ阪神タイガースならではの事情が、「黄金時代が永遠に来ない」と断言する野村の根拠となっているようだ。そして、その「伝統」に対する批判だけでなく、現役選手や監督個人についても、野村の批判はやむことがない。 野村の監督時代に現役選手だった和田監督には「オーラのようなものがない」と苦言を呈する。「和田はマジメな性格で、コーチとしては手腕を発揮するが、残念ながら監督の器ではない。(略)あまりしゃべるタイプではないし、ベンチでも、いるのかいないのかわからない感じがする」。さらにオ・スンファンの150kmのストレートに「スピードの割には打者は早く感じない」、新井貴浩に「フルスイングではなくムチャ振り」、鳥谷は「キャプテンというより脇役タイプ」と、同書では批判的な分析が展開されているのだ。 そもそも、野村は、監督時代に当時のオーナーであった久万俊二郎オーナーに対して、クビを覚悟で阪神タイガースの球団改革を訴えていた。しかし、それから14年が経過しても球団全体からの「毎年優勝してやろう」という気概は一向に感じられないという。だからこそ、「勝ったところで決して本質が改善されているわけではない」と、この好調が一過性のものであると予言しているのだ。 ただし、野村も、ただただぼやき続けているわけではない。サッカーに押され、野球人気が低迷する今だからこそ、野村は関西を中心に絶大な人気を誇る阪神タイガースの活躍に、プロ野球界の未来を見ている。 「関係者にとっては相当厳しいことを書いてきたが、それは3年間お世話になり阪神の内情を知る私があえて低減することで、少しでもいい方向に進んでくれればという思いからだ」 はたして、そんな野村の思いが通じる日は来るのだろうか? (文=萩原雄太[かもめマシーン])相も変わらず、ボヤいてます。
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パリ、台湾、スペイン、サンフランシスコ……禁断のハッテン場漫遊記『世界一周ホモのたび 祭』
『世界一周ホモのたび 祭』(ぶんか社)は、めくるめく禁断のホモ旅をのぞき見ることができる大人気シリーズの第3弾。本書は、デブ好きでフケ専のホモライター・サムソン高橋氏の原作を基に、派手好きで露出好きのホモ漫画家・熊田プウ助氏がイラスト描く“ハッテン(場)漫遊記”である。その内容は、ふたりが元ホモ雑誌編集者時代の同僚ということもあり、かなり詳細で、あけっぴろで、最初から最後までぶっ飛んでいる。熊田氏のユーモアあふれるかわいらしいタッチのイラストに惹かれ、軽い気持ちでページをめくると、性へのあくなき探求心……いや、ホモの方々だけが知るディープな世界が広がり、ページをめくった瞬間から「わー、わー、わー!!!」と叫びたくなる。 第3弾では、“祭”という名のタイトルにふさわしく、台湾で6万人の参加者が集まった世界最大級のゲイパレートや、ヨーロッパ中のゲイが参加するパリのゲイパレード、サンフランシスコの革とSMの祭典「フォルサムストリートフェア」などのイベントをはじめ、ゲイバーやゲイサウナ、ハッテン便所ほか、いわゆる“ハッテン場”と呼ばれる世界各国のゲイスポットを、短編マンガで紹介している。 一言で“ホモ”といえど、プロレスラー的に鍛えた太めのガチホモ、パッと見でいかにもホモとわかる独特ファッションに身を包んだイカホモ、美青年系などいろいろなタイプがいるそうで、高橋氏自身は40代の自称ブス系で、好みは冒頭で書いた通り、デブ好きのフケ専。その筋では、角●卓造氏のようなタイプがかなりの高級物件だという。そんな高橋氏が「ブスだから相手にされない!」と怒りながらも、デブフケ系を狙い、グイグイと積極的にアプローチしては撃沈を繰り返していく姿がこの本の見どころとなっている。 終始非常に濃密な下話が続くのだが、ラストは同姓婚が認められているスペインで、輝くようなイケメン親父に「パリはキャンセルしてしばらくこの家にいたら? 君が望むなら好きなだけ」と求愛されるも断り、「また今度」と涙でお別れ……という、ちょっと切ないエピソードで締められている。 ……と、「イイハナシダナー」のまま終わればいいのだが、直後のコーナー「サムソン高橋×熊田プウ助 ハミ珍対談」での会話がひどい。『世界一周ホモのたび 祭』(ぶんか社)
高橋:編集者から<いつもハッテンでモテない話ばっかり! 恋愛エピソードはないの?」ってリクエストがあって、そんなものない体験の中で必死に探して書いたのがこの話で、その原稿が送ったら、ソッコーで返事がきて、<すっごいムカつく!>って。 熊田:その編集者の気持ちはよくわかるんだけど、ひどい話ね。 高橋:(いや、)熊田さんが仕事の途中にツイッターで「(原作に絵を)描きながら不愉快で体調がおかしくなりそうです」とかってつぶやいてたんだよね……。 熊田:ぜんぜん覚えてないわ。あまりムカついたから記憶から消去したのかしら。 高橋:おふた方の反応を見て、ああ、自分はモテないままのほうが皆さんに幸せを届けられるんだな、と改めて実感しましたよ。だから今後の目標としては、読者の幸せ配達人としてこれからもモテないままでいたいですね。 熊田:そこはいちいち目指さなくても、今のままで大丈夫だから。こんなふたりが描く、ホモ旅の世界。読者は非常にニッチな層に思えるのだが、第3弾まで出ているということは、いわゆる“ノンケ”の方々からも需要があるのかも!? ホモとノンケの世界の架け橋になる1冊かもしれない。 (文=上浦未来)
と学会が「嫌韓・嫌中論争」に参戦! トンデモ本から読み解く、“真実”の日中韓関係と歴史
世の中、嫌韓・嫌中ブームである。書店へ行くと、韓国と中国の悪口本が山のように出ている。売れているのだ。中韓の日本嫌いは凄まじいが、これまではネット以外でこの2カ国の反日文化を知ることは難しかった。その実態を知らせるべく多くの本が書かれている。 しかし反日の実態がわかればわかるほど、疑問が浮かぶ。 彼らの反日は、日本人の知る日本やアジアの歴史とはあまりにもかけ離れている。従軍慰安婦や領土問題などの高度に政治的な案件はともかく、桜や剣道の起源は韓国だという韓国起源説、いわゆるウリジナルや日本を軍国主義化していると批判しながらチベットやウイグルを弾圧する中国の姿勢は、日本人からすると意味不明、トンデモな話である。 しかもそうした現状を知っているだろう日本の政治家や財界の大物たちが、過剰なほど中韓に肩入れをしているのだ。日本にもまた、トンデモない価値観の人たちがいるらしい。 トンデモのことはトンデモ本に訊け! 中韓を巡るトンデモ言説の真相を、日・韓・中3カ国のトンデモ本から解き明かそうとしたのが『日・韓・中 トンデモ本の世界』(と学会、水野俊平、百元籠羊/サイゾー刊)である。 韓国で政治問題にまで発展した超絶“嫌日”本(『悲しい日本人』)、悪名高き統一教会の教祖による丸ごと一冊自画自賛本(『平和を愛する世界人として 文鮮明自伝』)、敵が真っ赤っかな韓国の反北朝鮮アニメ(『ロボット王シャーク』)、さらには幸福の科学の教祖・大川隆法が北朝鮮の現在の首領・金正恩の守護霊を呼び出し、秘密のベールに隠された北朝鮮の「真実」を暴き出した一冊(『金正恩の本心直撃!』)など日・韓・中にまたがって、互いに互いがトンデモないことになっている本や映画を発掘し、その裏側にある民族的メンタリティを掘り下げる。そこでは歪んだ妄想が合わせ鏡のように増幅し合い、もう笑うしかない異様な価値観を生み出しているのだ。 『平和を愛する世界人として 文鮮明自伝』のパートを読むと、韓国人の唱える反日が理屈ではなく、宗教であることがよくわかる。 合同結婚式や開運壺売りで社会問題化した統一教会。彼らは、韓国を「防共の砦(とりで)」とする西側諸国の戦略に乗って勢力を拡大したが、そのバックに故・笹川良一など日本の右派がいたことは公然の秘密だろう。しかしその教祖の故・文鮮明が日本で早稲田高等工学校を卒業していたことや、反共を唱えながらも北朝鮮出身だったことは、評者はこの解説で初めて知った。 彼は韓国の反日思想を、神からの教えとして信者に伝えているらしい。『平和を愛する世界人として 文鮮明自伝』によると、日本は海に浮かぶ島国なので女性を表し、「世界の中でエバ国(母の国)の使命」(p.33)を担う。だから「世界の母として、たとえ飢えたとしても世界の国々を保護」(同)しなければならないという。ずいぶんな話である。 エバ国があるならアダム国(父の国)もあるだろう。それが韓国だ。その証拠に半島は男性を表す大陸から突き出している。その形は男性自身を表しているという。 たしかに大陸から朝鮮半島は突き出てはいるが、角度的には元気の尽きた老人のようだ。反日は、彼らにとってバイアグラなのか? 文鮮明いわく、エバはアダムに仕えなくてはならない。だから日本は日韓併合の贖罪として南北朝鮮の統一のために「生きなければならない」(同)。世界中に慰安婦像を建てるようなメチャクチャができるのは、それが宗教行為だからなのだ。 宗教といえば日本も負けてはいない。『金正恩の本心直撃!』で呼び出された金正恩の霊(本人が生きていても霊を呼び出せる、それが大川隆法流である)は、台湾が繁栄している理由を、南にあって「バナナがいっぱいとれる」(p.166)からと言い、父だった金正日を「注射を打てば死ぬでしょう」(p.170)と暗殺したことを認め、「君らの敵は、われわれじゃなくて、税務署だ」(p.180)と、幸福の科学の税金の心配までするのだ。 戦前の朝鮮と日本が同じ起源を持つという日韓同祖論(だから日本は朝鮮を併合していいという屁理屈である)は、日本にも(『韓国人は何処から来たか』)、韓国にも(『日本語の正体 — 倭の大王は百済語で話す』)あり、そのベクトルが真逆になっているのが面白い。前者では日韓は同じ民族が日本と韓国に分かれたといい(そして韓国だけが堕落したのだという)、後者では韓国から日本へと民族が移動したという(だから日本は韓国の亜流で二流)。日韓同祖論者の日韓同祖史観というべき独特の考え方が、この2つのパートを読むと理解できる。そして、そんなトンデモ説を掲げて朝鮮併合を行なった当時の日本の姿が、その向こう側に透けて見えるのだ。 トンデモ本を読むのは、多くの場合、苦行以外の何ものでもない。こういっては申し訳ないが、冗長で退屈で、正直、まったく面白くない作品が多いのだ。だが、と学会の面々がそんなトンデモ本のエッセンスを抽出し、こねくり回すとあら不思議、ゲラゲラ笑いながら読み進むうちに、トンデモ説の持つ視点のユニークさに気が付き、トンデモを生み出した背景を知ることができるのだ。 嫌中・嫌韓本のさらに先には、アジア3国の濃密な関係と隠された史実がある。その端っこを覗き見る、入門書としてぜひ一読をオススメしたい。 (文=コタロー)『日・韓・中 トンデモ本の世界』(サイゾー)
日本の歴史を大きく変えたアメージングトーク集!『日本人の誇りを呼び覚ます魂のスピーチ』
日本人はスピーチが苦手だというイメージが強いが、本当にそうなのか? 『日本人の誇りを呼び覚ます魂のスピーチ』(廣済堂出版)はそんな思い込みに再考を促す、日本人による歴史的スピーチを集めたものだ。スピーチを「演説」と訳した福沢諭吉による日本初のスピーチに始まり、政治家、実業家、文化人、スポーツ選手ら24人の名言&名スピーチを収録。日本人が発した言葉によって、日本の歴史が動いた瞬間を収めている。 現在に至る日本文化を語る上で、もっとも重要なスピーチとなったのはパナソニック(旧松下電器)の創業者・松下幸之助が1932年5月の第一回創業記念式で社員に向かって語った「水道哲学」だろう。 『水道の水は加工された価値のあるものであるが、道端の水道水を通行人が飲んでもとがめられることはない。それは、その量が豊富で安価だからである。松下電器の真の使命も、物資を水道のごとく安価無尽蔵に供給して、この世に楽土を建設することである』 松下のこの水道哲学は、企業とは単に営利追求だけを目的にした集団ではないことを明朗に謳い上げ、他の多くの産業にも多大な影響を与えた。家電製品、自動車、インスタント食品、ゲーム機、衣料など、高品質かつ低価格であることを売りにした数々の日本ブランドが誕生していくことになる。“経営の神様”の口から産み落とされた、まさに言霊だった。 本著に選ばれた24人の中で最も鋭い舌鋒を誇ったのは、軍部を敵に回して戦い抜いた孤高の政治家・斎藤隆夫だ。「反戦演説」と呼ばれる1940年2月に開かれた帝国議会での斎藤の質問演説には目を見張るものがある。原稿を手にすることのなかった斎藤は、この演説の中で「正義の戦争など存在しない」と看破してみせた。 『かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向かって猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を摑むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない』 日中戦争が泥沼化していく当時の社会情勢の中で、この反戦演説は命懸けの行為だった。軍部の怒りを買い、斎藤は所属していた民政党を離脱。さらに同年3月には議員除名動機が提出され、斎藤は国会から締め出される。多くの議員はこの決議を棄権、もしくは欠席したが、除名に反対した議員はわずか7名だった。日本の議員制民主主義は軍部に屈服し、太平洋戦争へと突き進むことになる。 戦後のスピーチで外せないのは、戦後50年の節目となる1995年8月15日に総理・村山富市が発した「村山談話」。日本とアジア諸国との関係を理解する上で、再読しておきたい発言である。 『我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い追悼の念を捧げます』 “杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し”という『春秋左氏伝』からの引用で締めた村山談話は、日本政府が公式的な立場から初めてアジア各国に謝罪を表明したもので、その後の歴代内閣はこの見解を踏襲する形をとっている。バブル経済が弾け、政治も混沌を極めた1993年に瓢箪から駒で連立政権の総理に担ぎ上げられた社会党委員長の村山だが、「自民党政権では成し得なかった問題解決に、連立政権の良さを生かして突っ走ろうと考えた」という翁が挑んだ大勝負がこのスピーチだった。政治家としての功績は今なお賛否が分かれるが、『──魂のスピーチ』の著者であるジャーナリスト・弓狩匡純氏は本著の中で、「戦後初めて、我が国が過去の戦争に対する見解を公に言及した事実は、諸外国の理解を得るために一定の役割を果たした」と評価している。 日本の近代・現代史を語る上で重要なスピーチを選び出し、解説を加えた弓狩氏は、日本の有名企業を“社歌”の成立からその社風や企業理念を紐解いた『社歌』(文藝春秋)、世界各国の“国歌”の中に秘められた国民性や国の成り立ちを読み取った『国のうた』(文藝春秋)などユニークな視点で著書を発表してきた。世界の偉人・著名人たちの名言を集めた『The Words 世界123賢人が英語で贈るメッセージ』(朝日新聞出版)を2012年に上梓し、今回の『──魂のスピーチ』はそれと対をなす日本版の名言集とも言える。 「米国の大学を卒業し、海外で取材することが多いのですが、欧米の文化圏では自分の意見を持ち、発言することで一人前として認められます。英語は口語文化であり、文語中心の日本語文化とは大きく異なることをこれまでたびたび実感してきました。前作『The Words』は欧米人が中心になりましたが、日本にも素晴しいスピーチを残している人たちはいるに違いない、と探し出したのが今回の『──魂のスピーチ』です。また、名言だけを紹介するのではなく、可能な限りスピーチ全体を掲載するよう努めたので、スピーカーの想いや真意も読み取れるのではないでしょうか。村山談話は確かにまだ評価は定まっていませんが、あの談話がなければアジア外交はもっと混迷していたはず。日本人はこれまでアジア各国に経済援助したことで謝罪の意を表したつもりになっていますが、アジアの各国はきちんとした言葉での謝罪をずっと待っていたわけです。“日本が欧米相手に戦争したから、他のアジアの国々は独立できたんじゃないか”という押し付けがましいことに一切触れていない潔さが村山談話にはある。大人のスピーチですよ。問題になっている河野談話とは、スピーチとしても格が違うように思います」(弓狩氏) 名スピーチと聞くと、舌先で操られた美句麗文を思い浮かべがちだが、本著で紹介されているスピーチの多くは、平易な言葉で、かつ発言者の生命そのものを懸けたもの、もしくはそれまで歩んできた人生の道程を言葉に凝縮した重みのあるものだ。日本の近代・現代史をスピーチの数々で振り返る入門書であり、人間が発する言葉の重みを改めて感じさせる一冊となっている。 ●ゆがり・まさずみ 1959年兵庫県生まれ。米テンプル大学教養学部アメリカ研究学科卒業。国際情勢、経済、文化からスポーツに至るまで幅広い分野で取材・執筆活動を続けている。主な著書に『社歌』『国のうた』(文藝春秋)、『国際理解を深める世界の国歌・国旗大事典』(くもん出版)、『The Words 世界123賢人が英語で贈るメッセージ』(朝日新聞出版)などがある。『日本人の誇りを呼び覚ます魂のスピーチ』(廣済堂出版)
月収はサラリーマン並みなのに……「やりがい」を見いだす風俗嬢たちのリアル
「風俗嬢」のイメージは両極端だ。ブランド品を買い漁ったり、ホスト遊びに明け暮れるなど、派手な生活をしているイメージがある一方、「借金のカタに売られて……」「ソープに沈められる……」など、悲壮感に満ちたイメージも根強い。けれども、ルポライターの中村淳彦氏が新著『日本の風俗嬢』(新潮新書)で明らかにした彼女たちの生活は、そのどちらにも当てはまらない。彼女たちのリアルは、驚くほどに一般人の生活と変わらず、その仕事にはやりがいすらを見いだしているのだ。 2000年代に入り、風俗をめぐる環境は激変した。長引く不況とデフレによって夜の街に流れる金が激減したこと、1999年の風俗営業適正化法改正によってデリヘルが事実上合法化され、爆発的に店舗数を増やしたこと、また「草食男子」と呼ばれる性に強い興味を示さない男性が増えたこと。さまざまな要因が複合的に重なり、風俗業界は不況の苦しみにあえいでいる。にもかかわらず、風俗嬢を志願する女性は増加の一途をたどり、需要と供給のバランスは完全に崩れている。もはや、風俗嬢は決して「儲かる」商売ではなくなりつつあるのだ。 中村氏の推計によれば、日本には1万3000店の風俗店が存在し、およそ35万人あまりの女性たちが風俗嬢として働いている。これは、品川区や所沢市の人口とほぼ同数。しかも、中村氏の推論によれば容姿やコミュニケーション能力の問題で、風俗嬢になることすらできない女性が、さらに同数程度存在する。風俗嬢になるには「狭き門」をくぐらなければならなくなっているのだ。本書では、60分1万8000円の平均的なデリヘルの採用実態がこう語られる。 「年齢に問題のない女性を20人面接して、採用するのは多くて3人。過半数は風俗嬢として耐えうるレベルに達していないので断る」 風俗嬢として働くことは、「体を売るしかない」という最終手段だったはずだが、現代ではそこに入店することもままならない。女性たちのレベルが著しく向上しているにもかかわらず、その価値が下落の一途をたどっているという現状は、風俗を利用する男性にとってはこの上なくうれしいことだが、そこで働く女性たちにとってはたまったものではないだろう。だが、風俗嬢たちの中には、この仕事に「やりがい」を見いだしている女性も少なくないという。 「完全出来高制で頑張りが報酬に反映されて、収入に上限がなく、最近は年齢の上限もない。男性たちにも注目をされるから、本当にやりがいがあるといった意識を持つ者もいる。そのため90年代以前と比べると圧倒的に稼ぐことが困難になっているにもかかわらず、前向きに働く女性が増えている」(本書より) 報酬が下がっても、それを補うやりがいを見いだせる。もしも「裸になって男性にサービスを行う」ということに抵抗が薄ければ、「悪い仕事ではない」と思う女性がいても不思議ではない。では、そんな「やりがい」をもって働く彼女たちは、いったいどれほどの金額を手にしているのだろうか? 中村氏の推計によれば、サービスレベルも高い美女が勤める総額6万円の高級ソープランドで月収128万円という高給だが、都市部の人気ピンクサロンで月収36万円、格安デリヘルでは月収33万円、地方のデリヘルでは月収25万円、地方のピンサロでは月収22万円。もちろん、高級店に勤められる女性は、本番可能ということも含めてそれなりの商品価値がある女性。ルックスが良く、スタイルが抜群で、サービスレベルも高い女性でなければ、体を売ってもサラリーマンとほとんど大差のない金額しか手にすることはできない。 「まだまだ風俗嬢という職業には、社会的にスティグマを押されている。それでもその道を選んでカラダを売る以上は、高収入を目指すべきだろう。また、その能力がある女性だけが目指したほうがいいように思う。そして、能力的にそれがかなわないならば、近づかずに別の道を探すべきなのだと思う」(同) もちろん、女性たちが風俗を始める動機には「お金」があり、その背景には非正規雇用やシングルマザーといった「貧困」があることもしばしばだ。けれども、だからといって、彼女たちが後ろめたさを感じながら「金のために」体を売っているわけではない。その中で、やりがいを見つけて、ポジティブに風俗嬢として生き抜いており、もはや風俗を「社会の歪みである!」と息巻いて告発することは実態にそぐわなくなってきているのだろう。中村氏は「社会の劣化と連鎖して生まれたポジティブに働く風俗嬢の姿を眺めて、このままでいいのだろうかという疑問は拭えない」と複雑な胸中を語っている。 本書を読んでいると、“最古の職業”である風俗嬢のリアルな姿は、現代日本を映しとる鏡のようであることがわかる。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『日本の風俗嬢』(新潮新書)
清少納言が紫式部をひっぱたく! 超訳モダン枕草子『砂子のなかより青き草』
先日の内閣改造で女性活躍担当相が新設されたが、現在、日本は先進国の中で男女間賃金格差が最も大きい国である。女性の平均賃金は、男性の平均賃金の70%に満たないほどで、驚くべき低い水準だ。欧米では男女間賃金格差が確実に是正されているにもかかわらず、この30年間、日本の男女間賃金格差はほぼ横ばいで、男女の給与待遇は変わっていないのが現状だ。日本の性差は深刻で、根深い問題だといえる。 現代よりも圧倒的な男社会であった平安時代、男まさりの学問と教養を身に付けていた女性は、何を思って暮らしていたのか――。『砂子のなかより青き草』(平凡社)は、R-18文学賞を受賞した気鋭の女流作家・宮木あや子氏が、清少納言とその身辺を描いた小説だ。夫と離婚した清少納言(なき子)は、一条天皇の皇后・定子に仕える女房という仕事を得て、華やかな宮中の暮らしを草子に記す。原文『枕草子』ではうかがい知ることのできない清少納言の内面を、現代人の視点から巧みに描いている。バツイチの寂しさ、ライバルとの権力争い、イケメン貴族との恋など、特に古典に知識がなくともエンタテインメントとして楽しめる内容となっている。 なき子は、枕草子原文に描かれているような「春はあけぼの。いとをかし」なんて、ただ季節の移ろいを眺めているだけの女性ではない。「女が学をつけても良いことは何もない」と自嘲しながら、女が役に就ける世の中を待ち望み、自分から男に口づけをせがむ。意志と行動力の備わった現代の女性だ。特に、紫式部の胸ぐらをつかみ、平手打ちをかまし、懐刀を突きつける場面は、コミカルでありながら、鬼気迫るすごみを感じさせる。 男女雇用機会均等法が成立した80年代、橋本治氏は『桃尻語訳 枕草子』(河出書房新社)で、女子高生の言葉を用いて清少納言を現代に連れてきたが、宮木氏は、現代のアラサー女性を平安京にタイムスリップさせることに、この『砂子のなかより青き草』で成功したといえる。仕事や結婚で悩む女性に、またそんな女性を理解したい男性に手に取ってほしい一冊だ。枕草子のエッセンスは、1000年がたった現代においても“青き”草として、あなたの心にみずみずしく訴えかけるだろう。 (文=平野遼)『砂子のなかより青き草』(平凡社)
「傘かしげ」も「こぶし腰浮かせ」も存在しなかった!? 古き良き日本の心“江戸しぐさ”を論破する!
ネット上では、「江戸しぐさ」の評判はすこぶる悪い。 かつて公共広告機構のCMや東京メトロの広告などにも取り上げられ、オリエンタルランドやNEXCO東日本などの企業研修にも導入されてきた。さらには、公民の教科書や道徳教材として学校教育にも取り入れられているなど、公のお墨付きも獲得しているにもかかわらず、江戸しぐさは「捏造」であるという主張がまことしやかにささやかれているのだ。 この「江戸しぐさ捏造説」を裏付ける新書が、原田実氏による『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)だ。 往来を行き交う人びとの暗黙の心遣いとして、お互いが傘を傾け通行しやすくする「傘かしげ」、相手の時間を奪うことを戒める「時泥棒」、ひとりでも多くが座席に座れるように、席を詰める「こぶし腰浮かせ」など、江戸しぐさは、江戸を生きる町人たちが相手を思いやるためのマナーであり、現代の日本人が忘れてしまった美しい習慣だと思われてきた。 しかし、原田は、傘が江戸時代のぜいたく品であり、編笠や箕が雨具として用いられていたこと、江戸時代に精巧な時計などなく、外国人の残した証言からも日本人は時間にルーズだったこと、「こぶし腰浮かせ」を必要とするような長い座席の乗り物自体が存在しないこと……など、江戸しぐさが存在しなかった証拠を次々と語っていく。 原田に従って江戸しぐさを見ていくと、怪しい点が次々と浮かんでくる。 江戸時代に広く共有されていたにもかかわらず、なぜ、江戸しぐさは近年になって「発見」されたのか? 「NPO法人江戸しぐさ」の理事長であり、江戸しぐさ普及の第一人者である越川禮子氏は、幕末~明治期にかけて、薩長によって「江戸っ子狩り」が行われていたことを理由としている。当時、江戸っ子に対してベトナムのソンミ村のような殺戮が行われていたという越川の話だが、もちろんそんな話は歴史には刻まれていない。さらに、江戸しぐさは口伝で書物を残すことを禁じられており、わずかな書物も薩長勢力に渡ることを恐れて焼き討ちにされてしまったと、どうもに怪しさが際立っている……。 では、なぜ江戸しぐさという偽りの伝統が生まれたのだろうか? 原田は、江戸しぐさの提唱者であり「創始者」である芝三光を調べ上げる。 だが、複数の「江戸しぐさ」を扱う団体を調べると、芝の来歴は謎に包まれている。生年も、1922年生まれや1928年生まれなど複数あり、GHQに江戸しぐさの保護を請願したという話や、逆にGHQから江戸の素晴らしさを教えられたという説などが混在している。また、江戸しぐさの普及に乗り出す前は、経営コンサルタントとして活躍していた芝。彼の語る「江戸しぐさ」の哲学は、元マクドナルドの藤田田をはじめとする経営者により、70年代に出版されたビジネス書の哲学と奇妙に符合していく。 芝の生涯を追い、原田はこう結論付ける。 「芝は戦前の軍国主義的風潮、ひいてはそれを準備した明治政府の政策を嫌っていた。その心情が彼を『江戸』への回帰に導いたわけである(たとえその空想上の『江戸』が、現実の江戸と比べてどんなに珍妙なものだったにしろ)」 いわば、現代に絶望した芝が、ユートピア「江戸」を妄想しながら生み出したファンタジーこそが「江戸しぐさ」であり、それゆえに不自然に現代的な「江戸しぐさ」が数多く存在しているのだ。その後、江戸しぐさは、芝の弟子である越川や日本経済新聞社社友の故・桐山勝氏などの運動によって拡大。かつて200といわれていたその数はいつの間にか800に膨らみ、独り歩きを続ける。そして、「古き良き日本」の代名詞として、教育現場にまで取り入れられるようになっていったのだ。 原田は、皮肉としてこう語っている。 「『江戸しぐさ』で重要視される概念に『真贋分別の目』というものがある。『江戸しぐさ事典』によるとそれは、『周囲の意見に惑わされることなく、自分で相手が信用できるかを判断できる目』なのだろう」 江戸しぐさは、伝統的な江戸の心なのか、それとも現代人が勝手に捏造したフィクションなのか――。本書を読むと、どうやら前者である可能性は限りなく薄いようだ……。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)
女性を誘拐し、結婚する――キルギスの衝撃的な慣習を追った写真集『キルギスの誘拐結婚』
「誘拐結婚」という言葉を聞いたことがあるだろうか? キルギス語で「アラ・カチュー」=「奪って去る」を意味し、仲間を連れた若い男が、嫌がる女性を自宅に連れていき、一族総出で説得し、無理やり結婚させる、という中央アジアのキルギスで古くから続く、“慣習” だ。違法とされているにもかかわらず、現状、警察や裁判官も単なる「親族間のもめごと」と見なされ、犯罪として扱われることはほとんどない―――。 『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナル ジオグラフィック社)は、その実態を探るべく、世界を舞台に活躍する気鋭のフォトジャーナリストの林典子さんが、2012年7月から約5カ月間、現地に滞在し、女性ならではの目線で切り取った写真集である。滞在中、林さんは、実際に誘拐結婚の現場に数回遭遇。女性が誘拐され、泣き叫んで抵抗するも、数時間後には結婚を受け入れてしまうまでの一部始終を、写真で生々しく記録している。どの写真も絶句するほど衝撃的な写真ばかりだが、とりわけ驚かされたのは、当時大学生だったディナラ(22歳)という女性を追った一連の写真だ。 彼女は、高校教師であるアフマット(23歳)に市場でひと目惚れされ、2回目に会った時にプロポーズを受ける。だが、当時2年ほど付き合っていた彼氏がいた上、1年後にトルコへ行って就職するつもりだったので、「お互いを知るまで1年待ってから考えたい」とやんわり断った。ところが、ある日、誘拐されたのだ。 「お願いだから車を止めて! ドライブに誘い出しておいて、私を誘拐するなんて。ウソをついたのね、最低な男!」 この現場に林さんも居合わせ、彼女はシャッターをひたすら切り続ける。相手の家に連れて行かれ、花嫁の象徴である白いスカーフを無理やりかぶせ、結婚するよう説得する高齢の女性たち、スカーフを外そうと泣き叫ぶディナラ、ディナラとアフマットの結婚を祝おうと馬に乗って駆けつけるアフマットの友人たち……。 「やめてください。あの人のことなんか、愛していないんだから!」 「アフマット、私が結論を出す前に、結婚式の準備を始めてるの? そんなことは時間の無駄よ。恥ずかしいと思わないの?」 けれど、5時間後、彼女は結婚を受け入れていた。その理由はこうだ。 「アフマットのことはよく知らなかった。でも、誘拐結婚はキルギスの伝統だから、受け入れたの」 日本の半分ほどの国土に、約540万人が暮らす中央アジア・キルギスの最大民族は、キルギス人。彼らの多くは、スンナ派のイスラム教を信仰している。この国では、一旦、男性の家に入ってしまうと、たとえ拒否し続けて実家に帰ったとしても、「純血を失った」と見なされ、家族に恥をかかせてしまうこともあるという。 正直なところ、「恥」という理由で、結婚を拒否できないという事実をまったく理解できない。訳がわからない分、一体、彼女たちが何を考えているのだろうと、写真に映る彼女たちを何度も凝視してしまう。すべてのページに目を通した時、衝撃とともにやっぱりよくわからない、という思いが残る。けれど、再びページをめくった時は少し印象が変わる。この写真集から伝わってくるのは、「誘拐結婚」ってダメだよねということよりも、むしろキルギスの女性たちが力強く、生きる姿だ。 林さんは、最初の取材から1年4カ月後、ディナラから出産すると聞いて再訪する。そこには、嘆くばかりではなく、子どもを宿し、ロシア語教師という新たな仕事を見つけ、幸せになるんだと意気込みさえ感じさせる、ディナラの姿があった。 この写真集にはディナラ以外にも、婚約者がいるのに誘拐され、結婚を迫られた大学生のファリーダ、強引に結婚式が行われた末にレイプされ、19歳の若さで自殺してしまったウルス、誘拐結婚を利用して、わざと恋人に誘拐されることで結ばれたアイペリ、誘拐結婚の末に今は幸せに暮らしているグルスン(59歳)など、13名の女性が登場し、「誘拐結婚」を通した、キルギス人の女性たちの生き方を伝えている。 これらの写真で、林さんは日本人初となる、2013年フランス世界報道写真祭「ビザ・プール・リマージュ」特集部門最高賞「ビザ・ドール(金賞)」、さらには、14年全米報道写真家協会(NPPA)「フォトジャーナリズム大賞」現代社会問題組写真部門1位を受賞している。世界中の人々の心を揺さぶった写真の数々を、とくとご覧あれ。 (文=上浦未来) ●はやし・のりこ 1983年生まれ。大学在学中に、西アフリカ・ガンビアの地元新聞社、ザ・ポイント紙で写真を撮り始める。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材。ナショナル ジオグラフィック日本版で、12年9月号「失われたロマの町」、13年7月号「キルギス 誘拐婚の現実」を発表。その他、米ワシントン・ポスト紙、独デア・シュピーゲル誌、仏ル・モンド紙、デイズ・ジャパン誌、米ニューズウィーク誌、マリ・クレール誌(英国版、ロシア版)など、数々のメディアで作品を発表。著書に、『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ――いま、この世界の片隅で』(岩波書店)。受賞歴/11年第7回名取洋之助写真賞、12年第8回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞1位、13年米アレクシア写真財団写真賞ファイナリスト、フランス世界報道写真祭「ビザ・プール・リマージュ」特集部門最高賞「ビザ・ドール(金賞)」、14年全米報道写真家協会(NPPA)「フォトジャーナリズム大賞」現代社会問題組写真部門1位。(日経ナショナル ジオグラフィック社)
アルコールに飲まれた女たち『ほろ酔い女子』のエロさとは!?

というわけで、フェチ写真集の刊行で名高いマイウェイ出版による最新ムックが『ほろ酔い女子』だ。居酒屋で、バーで、海で、旅行先で、オフィスで、ラブホテルで……と、さまざまな場面で頬を赤らめながらアルコールを嗜む女の子たちが写し出された本書。もちろん、フェチ写真集のプライドとして、女性たちは一切裸を見せることはない。ここには、パンツ、ブラ、谷間などのチラリズムがあるのみだ。
余計な文章は一切挟まれることなく、写真だけで展開される”ほろ酔い女子”たちのストーリー。アルコールが周ってとろ~んと潤んだ瞳、バーカウンターに上半身を預けながらこちらを見て、彼女はいったい何を期待しているのだろうか? 汗ばんでいるからって、そんなに薄着になって大丈夫なの!? おいおい、浴衣の裾がはだけて下着が見えているじゃないか! 本書を眺めていると、酔いの勢いに任せて大胆になる女の子たちを、覗き見しているような感覚になってくる。酔っ払った彼女たちのリアルな姿が写し出されているからこそ、読者とほろ酔い女子たちとの距離はグイグイと近づいていくのだ(あくまで妄想の上だけど……)。
ユニコーンが実在しないように、麒麟が古代中国人による想像の産物であるように、非モテ系男子にとって、お持ち帰り可能な”ほろ酔い女子”はファンタジーの世界に住んでいる生き物。こんな女の子たちと一緒に美味しいお酒を飲んで、こんなシチュエーションを味わいたい……と思うけど、冷静に考えてみれば、これまでそんな経験は一切なかったボクらの人生において、こんな女性たちに巡りあうことはまずないと考えたほうが懸命だろう。
だから、本書を読みながら妄想と股間を膨らませつつ、来世に期待しよう!
ゆるキャラの次は “ゆるパイ” ブーム到来!?『ゆるパイ図鑑 愛すべきご当地パイたち』
“ゆるパイ” の文字に、うっかりあらぬ想像をしてしまった人には申し訳ないが、今回はそっちのパイの話ではない。今月1日、全国各地のご当地パイ約200種類を紹介した『ゆるパイ図鑑 愛すべきご当地パイたち』(扶桑社)が発売され、ちまたでちょっとした話題になっている。 “ゆるパイ” とはなんぞやと思う人も多いかと思うが、これは、著者の藤井青銅氏が、「味」「その土地らしさ」に加え、“ウケる” というベクトルが加わった、魅力的なご当地パイを勝手に命名したもの。パッとイメージが思い浮かばないかもしれないが、その代表的な存在が、静岡県浜松市の名産うなぎを使った「うなぎパイ」だ。うなぎとパイという、まさかの組み合わせながら、サクサクの食感と、ひと口食べるとクセになる香ばしい味わいで、1961年の誕生以来、根強い人気を誇るアノ銘菓である。 と、これだけではウケる要素はないのだが、爆発的ヒットに至るまでのエピソードが実に面白い。発売当初は意外にもイマイチの売れ行きだったのだが、夕食の後に家族みんなで食べてほしい、と願いを込めて付けた“夜のお菓子”というキャッチフレーズに、うなぎが持つ精力増強のイメージが重なり、ムフフ……と勝手に妄想するおじさんたちが続出。その反応にお店も乗っかって、栄養ドリンクのカラーである赤・黄・黒を使って夜っぽいパッケージを変えたところ、大ヒットしたというのだ。 そんな「うなぎパイ」に続けとばかりに、全国各地で「焼あなごパイ」や「淡路島はもパイ」「さんまパイ」「どじょうパイ」などの魚介系のパイが次々に登場し、さらには、「松坂牛」「牛たん入り仙台パイ」「名古屋地どりコーチンパイ」などの肉系、ウマイに違いない「信州りんごパイ」、「山口夏みかんパイ」「伊予柑パイ」「メロンパイ」などのフルーツ系と、観光地とあらば、ともかくパイを――。日本ではそういう流れが生まれた、ようなのである。この本を読んでいると、そのバラエティの多さに、日本人はこれほどまでにパイを求めていたのかと、驚かされる。 また、個人的に非常に気になったのが、藤井氏がすべてのパイに対してつけている、ツッコミどころ満載のキャッチ。ラ・フランスを使ったパイには「フランスにはないのよ」、その隣に紹介されている、ルレクチェのパイには「フランスにはないのだ」と、全体的にかぶった内容が妙に多かったり、京都産の楓の形をしたパイには「そうだ、京都行こう…と思うパイ」、そばの実パイには「“おか~さぁ~ん!”と叫びたくなるパイ」など、ネタに詰まったのか、“どうした!?”と聞きたくなる、絶妙ないい加減さで書かれた内容が多く、じわじわと笑いが込上げてくる。 ほ~、全国にはこんなにもパイが……とただ感心しながら見るも良し、何かの機会に小ネタで使うも良し、旅行や出張などでどこかへ行った時の土産の参考にするのも良し、なんとなく手元に置いておきたくなる本である。 (文=上浦未来) ●ふじい・せいどう 1955年生まれ。作家、エッセイスト、脚本家。「第1回星新一ショートショートコンテスト」入選をきっかけに、作家兼放送作家に。『夜のドラマハウス』『オールナイトニッポン・スペシャル』『青春アドベンチャー』など、書いたラジオドラマは数百本に上る。伊集院光と共に、ヴァーチャルアイドル「芳賀ゆい」を創り、腹話術師いっこく堂のデビューもプロデュース。「東洋一」の謎を追った『東洋一の本』(小学館)、変な名前を研究した『あんまりな名前』(扶桑社)、実話に基づいた小説『ラジオな日々』(小学館)など著書多数。『ゆるパイ図鑑 愛すべきご当地パイたち』(扶桑社)








