最近、虐待死のニュースをよく目にするようになった。日常的に行われる虐待の末に死んでしまう子供や、親に子育ての知識がないために知らず知らずのうちに命の危機にさられている子供たち。 そんな子供と親の救済措置として機能する“はず”なのが、「児童相談所」である。機能する“はず”というのは、「児童相談所」で働く児童福祉司の怠慢な仕事ぶりが、『告発 児童相談所が子供を殺す』(文藝春秋)で暴露されているからだ。 本書は、かつて児童福祉司として実際に働き、現在は独立してカウンセラーとして活躍する山脇由貴子のルポだ。山脇がカウンセリングした子供は2,000人以上。その実績から児童相談所の実態を、辛辣に指摘している。 そもそも、児童相談所に勤める「児童福祉司」とはいったいどんな職業なのだろう? 本書によれば「1、子供、保護者からの福祉に関する相談に応じる。2、必要な調査・社会診断を行なう。3、子供、保護者、関係者等に必要な支援・指導を行なう。4、子供、保護者等の関係調整を行なう」とある。要するに、家庭内で起きた案件の相談役ということで、法的な強制力は持ち合わせていない。しかも、児童福祉司は大学や専門機関で訓練を積んだ専門家ではなく、地方公務員が異動でやってくるだけだというのだ。ということであれば、一時の職場と捉える公務員も多いわけで、本書には彼ら児童福祉司が家庭からの緊急を要する相談を、ないがしろに扱う様子が記されている。 虐待の相談があったとき、どのようにして虐待が認められるか、あるいはどのようにして虐待がなくなったとするのか? この判断についての明確な判断基準はなく、これもまた担当した児童福祉司に委ねられる。どう見ても虐待が続いているのに、虐待はなくなったというとある児童福祉司は、それを「見た感じ」と言っていたそう。 “子供の悲鳴よりも親のクレームの方が怖い”というのが本音のようで、親からの苦情、場合によれば逆恨みをされたり、担当者が信頼関係を築くことに失敗して、保護所から子供が逃げ出してしまうこともあるそうだ。 児童相談所は、基本的に受け身の体制だ。虐待が発覚するのは、地域の学校や病院からの連絡が圧倒的に多い。赤子を何度も揺さぶる「揺さぶられっ子症候群」の場合は、子育てをよく知らないことが原因なので、ちゃんと指導をすれば虐待はなくなる。 虐待はなぜなくならないのか? 山脇は、本書で「親の無知」が原因だとしている。赤子の夜泣きに耐えられなくて押し入れに閉じ込めたり、口にガムテープを貼る。「犬のしつけだと思って」とは親の言葉。赤子が泣いたりするのは、意思表示だということをわかっていない。 言うことを聞かない子供を無視したり、家から追い出したりする。親としては一時的なものだとしても、子供は「ひどいことをされた」と記憶する。叱られるよりも親の無関心に耐えられない子供は、再び親を怒らせるなどして関心を向けさせる、そして親の暴力が激しくなる。全て、親の無知が招いた結果だと言えるだろう。 虐待の相談件数は年々右肩上がり。8万件を超えるその数を見ると陰鬱な気分になる。本書の最後に、山脇は児童相談所のあるべき姿を示している。そこから感じられるのは、山脇の未来ある子供たちに対する真摯な思いだ。『告発 児童相談所が子供を殺す』(文藝春秋)
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「これはファックではない訓練だ!」伝説のハードボイルドエロ劇画『実験人形ダミー・オスカー』
今回ご紹介するのは『実験人形ダミー・オスカー』という作品。小池一夫先生と叶精作先生の巨匠コンビによる名作です。しかし、タイトルは知っているけど読んだことがない、という人も多いのではないでしょうか? その異様な響きのタイトルといい、あまりにエロ劇画的で近寄りがたいオーラが漂う表紙といい、恐れをなして手を出せないという気持ちもわかります。実際、僕もそのひとりでした。 今回は、この狂気の名作、『実験人形ダミー・オスカー』の魅力について語り、今まで敬遠していた人にもぜひ読んでもらいたいという趣旨で書いておりますが、もしかしたらいま以上に敬遠する結果となるかもしれません。それほどにアクの強い作品、「ハードボイルド・セクシーコミック」なのです。 『実験人形ダミー・オスカー』の主人公は、本物の人間とまったく見分けがつかない人形(ダミー)を作る天才人形師、渡胸俊介(ときょう・しゅんすけ)です。渡胸がその人形師としての能力を生かしてビジネスをしたり人助けしたり、時には犯罪を解決したりしながら世界中を渡り歩くというストーリーです。 渡胸は人形師として紛れもなく天才なのですが、口数が少なく、内向的で常にオドオドしており、加えてイチモツが子どものように小さくてベッドで女にバカにされるといった、非モテ男子要素が数え役満のようにそろっている人物です。 しかし、この渡胸が実は二重人格者で、精神的なショックを受けると裏の人格「オスカー」が現れます。「オスカー」は渡胸と真逆の人格で、性格はワイルドで暴力的、しかも顔つきまで精悍でイケメンになり、筋肉ムキムキで巨根という……、いくら二重人格だからって、そこのサイズまで変わる!? と、ツッコミを入れざるを得ないキャラクターです。 作中のエピソードは、心優しい渡胸が人形を使って人助けする癒やし系パートと、オスカーがそこらへんの女を犯しまくったりするエロ&バイオレンスパートに分かれるのですが、やはりオスカーのブッ壊れた人格と、過剰すぎるエロスが、この作品を特徴付けているといえるでしょう。オスカーは自らを「超人間」と自称しているのですが、セリフからしてもう常人のレベルをはるかに超えています。 「おれのコックにあいさつしてくれ」 「女は子宮(ウーム)で撃つことを覚えれば絶対だッ!」 ……どうですか? この俺様口調で、救いようのないくらい下品なセリフ。ちなみに、この作品では「コック」という言葉がまるで日常会話であるかのように普通に出てきますが、お察しの通り、コックさんのことではありません。念のため。 もうひとつ、この作品の魅力となっている重要な要素があります。それが、エピソードごとに毎回とっかえひっかえで登場するゴージャスな美女たちです。美女とは言いましたが、ことごとく洋物ポルノ女優みたいな濃すぎるルックスの女ばかりである上に、ほぼ全員が欲求不満という、必然的にエロくならざるを得ない設定となっています。お約束のベッドシーンでは…… 「BING! BING!! BINNーG!!」 というような擬音とともに、金属バットを模したオスカーの巨大な男根が登場。それをうっとりと眺める欲求不満な洋ピン女優もとい、ゴージャス美女たち。そして、ベッドで繰り出されるハードコアなあえぎ声は、それはもうすさまじいものです。 「ああーッ!! すごい あー!! ロッド!! OH ロッド ロッドーーーーッ(大きい)」 「ああッ!! ジィグ!! ジャグ!! アーッ上(ジィグ)!! アーッ下ッ(ジャグ)」 「もっと……もっとォ!! にぎりつぶしてェーーーーッ!! 私の乳房(ヘッドライト)ーーーーッ!!」 「あーーッ すご…い…い…もっと…もっと…ドッグファッションーーーーッ!!」 「ちょうだいッ ちょうだいッ あなたの…スライムッ」 どうですか、この狂気のセリフ……ヘッドライトとかスライムとか例え方がすでにおかしいし、ドッグファッションに至っては何を例えているのかもまったくわかりません。原作者、小池先生によるボキャブラ天国状態となっています。 ちなみに「勃起」と書いて「エレクチオン」と読ませたり、「性交」と書いてファックと読ませたり、「射精」と書いて「イジャキュレイション」と読ませたりなど、読んでいると自然と夜の英会話のボキャブラリーが増えるというマンガでもあります。まあ、覚えたところで使いどころがないけど。そして、これらの単語を組み合わせた代表的な例文としては…… 「これは性交(ファック)ではない訓練だ、その証拠におれは射精(イジャキュレイション)してはいない」 オスカー様のカッコよすぎるセリフです。「これはファックではない訓練だ!」男なら一度は言ってみたいような言ってみたくないような、それでいて口走ったら確実にお縄になりそうなセリフですね! こんな感じで、ページをめくるたびにエロかっこいい変態ゼリフが乱れ飛んでいる『実験人形ダミー・オスカー』なのですが、ムチャクチャな設定なのにストーリーとしては奇跡的に破綻しておらず、しっかり読ませる作品となっているのが名作といわれるゆえんです。ただ、エロいシーンが山ほど出てくるわりには、美女たちがあまりにポルノ女優っぽすぎるのと、モンスターのようなあえぎ声にドン引きしてしまい、ちっとも興奮しないっていうか、どっちかというとギャグマンガ扱いしたくなるレベルです。どうですか? ちょっと読んでみたくなったでしょ?「イジャキュレイション」って、言ってみたくなったでしょ?(それはないか……) (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>) ◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから『実験人形ダミー・オスカー1 Kindle版』(グループ・ゼロ)
“入ってはいけない”刑務所の獄中生活とは!?『ヤバい! 刑務所体験 有名人の獄中生活』
『ヤバい! 刑務所体験 有名人の獄中生活』(宝島社)は、弊メディアを愛読する品行方正な読者なら一生立ち入らないであろう“刑務所”での獄中生活をしたためたルポだ。同社が刊行している『ヤバい!』シリーズの第2弾。今回もそのヤバさが研ぎ澄まされている。 2003年に覚せい剤を所持・使用していたとして、覚せい剤取締法違反で逮捕された岡村靖幸。続く05年に同じ罪状で逮捕。1年6カ月の懲役ののち、復活するが08年に3度目の逮捕。こちらも覚せい剤取締法違反だった。 そんな岡村ちゃんこと、岡村靖幸の獄中での様子を本書では、06年に北海道の月形刑務所で岡村と一緒になったという元ヤクザに取材。 「表情は暗いし、分厚いメガネをして、何よりめちゃくちゃ太ってた。二重アゴがタプンタプンでトドみたいなんだから。(中略)“あの岡村靖幸”とは全然違ってたね」 ヒット曲を歌い、セクシーなダンスで一世を風靡した岡村とは、ほど遠い姿だったという。元ヤクザによれば、岡村が覚せい剤に手を出したのは、担当のヘアメイクから教えてもらったことがきっかけらしい。岡村は、歌舞伎町界隈のヤクザから1度に40万円ほどの覚せい剤を買い込んでいたとされる。 シャブで捕まると、逮捕者同士で変な連帯感があるらしく、この元ヤクザも岡村の替え歌を本人の前で披露するなど、ちょっとからかうようにして交流を持とうとしたが、岡村はボーッとするだけで、常に1人でいたという。 刑務所の生活では、ほとんどの囚人が独房ではなく共同生活を強いられる。年相応の男となれば、性欲がフツフツと湧いてくるわけで、そういった課題にはどのように対処しているのだろうか? 刑務所内では「陰部摩擦罪」というものがあり、囚人たちは禁欲生活を強いられている……ともいわれるが、どうやらそれは都市伝説であったようだ。本書で記事を執筆している、元囚人で現在は作家の影野臣直が実際に刑務所内部で見た、「受刑者遵守事項」にオナニーについての記述は認められなかったそう。むしろ「ワシは古希だから、コキまくるんじゃ!」と豪語する老囚や、同じ部屋の全員に向かって「ちょっと失礼します!」と律儀にあいさつしてトイレに駆け込む者もいたとか。 さらに、アメリカ・コロラド州にある最高峰の刑務所「スーパーマックス」についてのページも。アメリカ国内では“最悪中の最悪”と呼ばれる刑務所で、記憶に新らしい9.11同時多発テロの主犯であるテロ組織・アルカイダのメンバーが収監されていることからも、米国内でどれだけ恐ろしい場所であるかわかるだろう。この刑務所の目的は、重罪人の“精神の破綻”。一人ひとりを独房に押し込み、ドアの開閉、シャワーの使用時間までプログラムされているという。徹底的な隔離状態が何年も続くと、人は精神を病んでしまう。スーパーマックスに収監された受刑者の9割以上が理由なき怒りに悩まされ、精神をコントロールできなくなってしまうというのだ。 再犯率は70%。犯罪大国と呼ばれるアメリカが編み出した究極のセキュリティと言ってもいいだろう。 ほかに、押尾学へのインタビューや獄中で出産した元女囚の出産ルポ、死刑囚デスマスクコレクションなど、さまざまな切り口から普段知り得ない刑務所の内幕を網羅。 いずれにしても、この“入ってはいけない”刑務所に立ち入るのは願い下げだ、という思いを新たにする。『ヤバい! 刑務所体験 有名人の獄中生活』(宝島社)
ないものにされる“高齢者の性欲”に向き合う女性たち『昼、介護職。夜、デリヘル嬢。』
本書『昼、介護職。夜、デリヘル嬢』(ブックマン社)は、介護職で働きながら夜は風俗嬢として働く女性に、著者の家田荘子が取材したルポだ。 現在、国内の介護職員は、約171万人。要介護者の総数に対して、36万人以上不足しているとされている。その理由として、重労働に対して低賃金であることが言及されているが、それだけではない。なんと、高齢者からのセクハラがあるというのだ。介護業界では“ないもの”とされる高齢者の“性欲”。本書では、それらと真摯に向き合う女性介護職員が多数登場する。 動けないはずの右手が女性職員の股間めがけて動いたり、声の出せない高齢者が筆談で卑猥な言葉を投げかけてくることがある。自分が性の対象と見られたことにショックを受けて、仕事を辞めてしまう職員があとを絶たない。 しかし、家田が取材した女性介護職員たちは、別の顔を持っていた。昼間、介護職員として働き、さらに夜は風俗嬢として男の相手をするのだ。もちろん、少ない稼ぎを補うためでもあるが、本書に登場する女性たちは、そこに生き甲斐を感じているという。いったいどういうことなのだろう? ある介護職員と風俗嬢を掛け持ちする女性は、風俗嬢を経験しているからこそ、日常的に行われる高齢者のセクハラ行為をうまくかわすことができよるようになったという。風俗の接客中に、客の男性が“本番”を要求してくることが多いので、それと同じように相手を嫌な気持ちにさせないように断る。「奥さんがみてるよ」などと、話を反らしたりするそうだ。 介護でのストレスを風俗の仕事で解消していると語る女性。介護をやめるわけでも、風俗一本にするわけでもない。「お金じゃなくて、私は介護が好きなんです」と語る彼女は、現代の3K(キツい、汚い、危険)労働とも言える介護に今日も前向きに従事している。「もしかしたら、介護の仕事のストレスをこっちで発散しているかもしれませんね。おかげで、プラスとマイナスで、どっちの世界でも、いろんなことが許せるようになりました」と彼女は言い切った。 また別の女性は、「デリヘルの仕事を始めてから、もっと人のことを考えられるようになったんです。介護の仕事が滑らかになったというか……」と語る。高齢者の“性欲”を汚いものと感じ、急に冷たくなったり会いに来なくなる家族が多いという。女性は、そんな高齢者を不憫に思いバレないように処理してあげるのだと語る。デリヘルの仕事を始めて、そういった感情の機微にも敏感になり、結果以前よりもスムーズに介護職に取り組めるようになったそうだ。 本書には、彼女と同じような理由で仕事を掛け持ちする女性が登場。なかには複雑な理由の上で裸の世界を選ぶケースもあるが、この女性たちに共通しているのは、家田が言うように“頑張り屋”であること。 日本は、高齢化社会を突き進んでいく。彼女たちのような女性こそ、日本を支えているといえるだろう。「ここ(介護施設)は、死を待つ監獄。(中略)ただただ毎日を過ごさなきゃいけないベッド生活で、生きていてよかったっていうか、生きていることの幸せを感じてもらえるようにしたい」という言葉が重くのしかかる。『昼、介護職。夜、デリヘル嬢。』(ブックマン社)
“昭和の味”が滅亡の危機!? 北尾トロ&下関マグロらが探る『町中華とはなんだ』
“町中華”という言葉をご存じだろうか? 主に個人経営の中華料理店のことで、中華と名乗りながらも、カツ丼やらカレーも食べることができ、店内には昭和のレトロな雰囲気が漂っている。さらに、おいしさはさほど重要ではなく、数百円でおなかがいっぱいになる、といったら、なんとなく伝わるだろうか。 でも、そういえば、最近見かけなくなった? 『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(リットーミュージック)は、サブカル界のスターの北尾トロ氏(隊長)と下関マグロ氏(2号)、さらに、ゲイマガジン「薔薇族」の二代目編集長・竜超氏による、町中華の記録本である。 町中華の店主たちは、主力が70代で、80代もちらほら。超高齢化の荒波にさらされ、ひょっとして滅亡の危機に瀕しているのではないか――。「急がないと、大変なことになる」と、30年来の盟友である北尾氏と下関氏が立ち上がり、町中華の面白さを伝える親睦団体「町中華探検隊」を結成。のちに、竜氏をはじめとする隊員をどんどん増やしながら(40人超!)、怒涛の食べ歩きを始めた。 活動のきっかけは、高円寺にある町中華「大陸」の閉店だった。この店は、北尾氏が20歳の時から30年以上にわたり、足しげく通った店で、いつも注文していたのは“まずくてうまい”300円のカツ丼。本書には、こう記されている。 「丼のぎゅうぎゅう押し込まれた飯と分厚い衣にくるまれたカツが織りなす力強さは、たいしてうまくないという現実を忘れさせるパワーに満ちていた。しょっぱすぎる味付けで、合成着色料たっぷりの沢庵三切れがつく。とにかく飯の量が多くて、そんなに押し込んだらまずくなると思うのだが、腹ぺこ野郎どもを満腹にしてやることに使命感を感じているようだった」 そう、町中華は、味はどうあれ、おなかいっぱいになることが最重要なポイントなのだ。北尾氏によれば、食べた直後は「もうやめよう」と思うのだが、10日もすると、ウズウズして懲りずに訪れてしまう。たいしておいしくないにもかかわらず、引き寄せられてしまう。これぞ、町中華の真骨頂なのかもしれない。 一方の下関氏は、そういったお店をよく利用していたものの、“町中華”という言葉は知らなかった。ごく初期には、町中華の定義を知りたいと、町中華らしき店を見かけては、北尾氏に「ここは町中華なのか?」と確認していたが、ほどなくしてやめる。どうも答えが“ゆらぐ”のだ。 当初、北尾氏は「カツ丼がある店」ということを絶対条件として挙げていたが、その後、カツ丼、カレーライス、オムライスがあることが町中華の「三種の神器」だと言い始めて、でも、やっぱり定食もない……と、コロコロ言うことが変わる。さらに「駅前の店限定」「単品はあってもエビチリはない」、挙げ句は「床が少しぬるぬるしている店」などの条件も増やしてみたりと、迷走を繰り返した。店主の個性が激しく反映される町中華は、どうもビシッと“くくれない”のだ。 1年がたったころ、少食の2人は調査に限界を感じ、もっと町中華の実態を知るべく、竜氏をはじめとするメンバーをどんどん増やし始める。そして、駅に集合して周辺エリアの町中華をめぐり、気に入った店で食事をする“地域アタック”を決行するようになる。武蔵小山、西荻窪、荻窪、下北沢、築地、押上などなどを訪れ、とにかく町中華を求めて町を歩き回り、各自が行きたい店を訪れ、食べまくる。そして、“油流し”と呼ばれる、喫茶店での恒例儀式(感想会)を開く。店舗の実名もバンバン出て、感想が述べられているので、気づけば自分も参加しているような気になる。 「オヤジさん、出前に備えてバイクのヘルメット被って鍋振ってましたよ。あれすごかったなあ」 「決しておいしそうに見えず、サイズだけを強調している盛り付けが立派です」 「いや~、まずかったなぁ」 「全部食いきれるかどうかヒヤヒヤしたよ」 そんなコメントを聞いているうちに、うちの近くにも、町中華あったっけな? と思い始め、探したくなってきた。町中華が、なんだか妙に気になってくることは間違いない。 (文=上浦未来) ●きたお・とろ 1958年、福岡県生まれ。ライター。本やマニア、裁判傍聴、狩猟など、好奇心の赴くまま、さまざまな分野で執筆。町中華探検隊では隊長を務めるものの、好きな割に食べっぷりは力弱く、隊員の助けを借りて完食にこぎ着けている。『裁判長!ここは懲役4年でどうですか』(文春文庫)、『沈黙の オヤヂ食堂』(KADOKAWA)など著書多数。 ●しものせき・まぐろ 1958年、山口県生まれ。街歩きをしながら、ネタを探して原稿を書いている。町中華探検隊では2号。店舗ファサード、店の歴史などに興味あり。主な書著は『歩考力』(ナショナル出版)。メシ通に「美人ママさんハシゴ酒」を連載中。『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(リットーミュージック)
芦田愛菜も顔負け! 芸能界をあざとく生きる天才子役マンガ 『このゆびとまれ』
「天才子役」。このワードを聞いてすぐにイメージするタレントといえば、芦田愛菜ちゃん、加藤清史郎くんあたりでしょうか。かつては、日本テレビ系『家なき子』で一世を風靡した安達祐実、NHK朝ドラ『おしん』の小林綾子も、天才子役と呼ばれていましたね。 そんな天賦の才能を持った子役たちが魑魅魍魎はびこる芸能界で生き延びるには、大人顔負けのプロ根性や、世渡り上手さも必須です。当然、天使のような表の顔に対し、裏では性格が最悪だった……なんていうウワサも常につきまといます。今回ご紹介するのは、そんな天才子役にスポットを当てたマンガ『このゆびとまれ』です。 主人公は日本で一番忙しい子ども、藤江恵那(ふじえ・えな)ちゃん、小学1年生(6)です。恵那ちゃんがひとたび天使のように笑えば、大人たちをキュンキュンさせ、ひとたび泣きだせば、お茶の間もつられて号泣するという、まさに演技の天才。 そんな恵那ちゃん、いや、ここはあえて「恵那さん」と呼ばせていただきますが、控室で見せる素の姿がスゴすぎます。控室に戻るなり、少々頼りないマネジャー・田代を呼びつけ……。 「田代ぉ! 水っ!!」 「ほんっと使えねーな、言われる前に考えて動けっつーの!」 などと怒鳴りつけます。6歳に「使えねー」なんて言われる大人の立場って……いや、きっついです。これが天使の素顔なのか!? さらに、控室で次々に披露される本音トーク。自分が天才であるという自負も、しっかりあるようです。 「はっ、ばかじゃね? 数字持ってるのは私なんだから!」 「まー私もプロだし? 求められる以上のことはやるけどさっ!!」 「皆さんの大好きな“理想の子ども”を見事に演じてあげますよっ」 6歳にして、このプロ根性。「数字持ってる」とか、なかなか言えませんよね。それもそのはず、恵那ちゃんには「全宇宙で一番のトップ女優」になるという野望があるのです。「全宇宙」ってところだけは、なんか子どもっぽいですが。 さらに恵那ちゃんは、「恵那's eye」により、『ドラゴンボール』のスカウターよろしく、一瞬にしてタレントの実力を数値化できる能力があります。それがETP(恵那's・タレント・ポイント)と呼ばれるもので、そのタレントが100ポイント中、何ポイントなのかで接し方を変えるのです。 例えば、スタッフを怒鳴り散らし、現場の雰囲気を悪くするベテラン女優(ETP37)と共演した際には、撮影中に「くしゅん」とかわいいくしゃみをして、わざとNGを出し、その場を和ませます。もちろんこれは、ベテラン女優を踏み台にして自分の好感度を上げるための計算です。そして、腹の中では「もう用済みよ! お・ば・さ・ん」のセリフ。エグい、エグすぎる! ETP90以上の大物芸能人には、子どもの特権を利用して巧妙に取り入ります。お笑い界の大物、松鶴亭剃瓶や三河屋はまちには、無邪気さ&かわいさを全力でアピール。そして、計算通り大物のハートをつかんだ時は、腹の中で「そるべさんゲットだぜーっ!!」って、ポケモンか! ライバルの子役に対する仕打ちも容赦ないです。撮影の合間、椅子の上で子役同士おしくらまんじゅうして遊んでいる時、ライバルの子役にささやきます。 「よーく聞け小娘。芸能界(このせかい)は蹴落とし合いだ、うかうかしてると喰われっちまうぜ」 そう言うと同時に、自ら椅子から落下。そして、 「てへへへへーおっこちちゃった(コツンッ)」 自ら落ちることで、周囲の大人たちにドジッ子ぶりをアピールしつつ、ライバルを蹴落とすという一石二鳥の巧妙な動き。あざとい、あざとすぎる! 小悪魔どころか、もはや悪魔といって差し支えありません。 人気芸能人のお約束、始球式では、本当は豪速球が投げられるのに、かわいく「えいっ」とヘロヘロのボールを投げます。そして、投球後のインタビューでは……。 「パパとれんしゅうしたかいありました!!」(ヘタに投げる練習をなぁ……!!) 努力する方向そっち!? とにかく、自己プロデュースのために日々の鍛錬を惜しまないのです。 こんな感じで、芸能界を必死に生きていく恵那ちゃんの表と裏での豹変っぷりから目が離せない作品なのですが、大人顔負けのプロ根性と世渡りのうまさは、いろいろ学ぶところも多いです。これはもう、マンガという体の、自己啓発本といってもいいかもしれません。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>) ◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから『このゆびとまれ 1』 (ニチブンコミックス)
「3人に1人がイスラム教徒」の時代をどう生きる?『となりのイスラム』
「イスラム教徒なんて、テロを起こすんだから出ていけ!」 昨年11月のフランス・パリ同時多発テロ事件以降、ヨーロッパでは日常的にこのような声が上がっている。まるで、イスラム教徒全員がテロリストかのような扱いだ。しかし、そのイスラム教徒の数は、いまや世界に約15億人以上。しかも年々増え続け、まもなく3人に1人がイスラム教徒になる時代がやってくるといわれている。 『となりのイスラム』(ミシマ社)は、圧倒的にイスラム教徒の数が多いんだから、この先、彼らと関わらずに生きていくなんてムリ。仲良くやっていく方法を考えましょうよ、と提案する1冊だ。日本人にとって、イスラム教はかなりなじみが薄い。そのため、“イスラム”と名の付いているイスラム国(IS)と、善良で優しいイスラム教徒がごっちゃになって、「なんだかコワイ存在」と思っている人が本当に多い。だからこそ、イスラム教徒とはどういう人たちなのかを知り、なぜISが生まれたのか、そして戦争やテロを起こさないために私たちができることを考えるべく、この本は生まれた。 著者は、現代イスラム地域研究専門の社会学博士である内藤正典氏。1981年から83年までシリアに留学し、91年にはトルコに家を持ち、現在に至るまで、ヨーロッパ各地でイスラム移民の声に耳を傾けてきた。「調査方法としては、まったく古臭いやり方」と語る内藤氏だが、彼らの生の声や様子がリアルに伝わってくる。 内藤氏は、ヨーロッパの人々が自分たちの価値観に合わせないイスラム教徒に対し、“いじめ”まがいのことをする様子を目の当たりにしてきた。いつか暴力で反撃されるのでは、と心配していたが、それは街中のテロという最悪の形で実現した。言うまでもなく、罪のない市民を巻き込むテロを繰り返すISが悪であることは大前提だが、ヨーロッパ各地がなぜ標的にされるのか? それは、「西欧的な進歩主義は唯一無二の正しい道」だと思い込んでいるからではないか、と内藤氏は指摘する。西欧の人々は、イスラム教徒たちが『コーラン』に基づき、1日5回の礼拝を行い、豚肉やアルコールを禁止していることは時代錯誤で「遅れている」とみなしがちだ。スカーフは女性の自由を妨げるものであり、イスラム教徒のシンボルだと言って、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギーでは、公共の場で禁止されている。しかし、実はイスラム教徒の女性は、スカーフをかぶるかどうかは選択することができ、多くの女性が「恥ずかしいからかぶっている」ということを理解していない。 日本人も、どこか西欧に憧れを抱き、「発展していくことが正しい」という価値観にのみ込まれている節がある。しかし、“発展するために”毎日働き詰めで、どこか殺伐として、結婚や子どもを持つことが困難な社会は、本当に発展しているといえるのだろうか? それって、なんだか疲弊していないだろうか? 冒頭にも書いたが、イスラム教徒は増えている。決まりごとだらけで、大変なだけの宗教ならば、誰も好んで入りたがらない。数が増えているには、理由があるのではないか――。 かつて私は、トルコやエジプト、ヨルダン、イランなどのイスラム圏をひとりで旅した。ヨーロッパは、どこかピリッとした空気に包まれているが、イスラム圏に入ると、途端にのんびりとした空気が流れる。おもてなしの精神が強い彼らは、どこまでも親切で、優しくしてくれるので、ホッとしたことを覚えている。 混乱前のエジプトの首都・カイロで、新聞記者の夫と、会社の事務員として働く妻の夫婦に出会った。日本では新聞記者というと、昼夜問わず忙しそうだが、彼は夕方4時頃に仕事を終え、私をレストランに連れて行ってくれた。 食事をしている時、奥さんから「どうして日本の女性は、子どもを産んだら仕事を辞めるの?」と、不思議そうに質問された。イスラム世界では、すべての者は平等であり、弱者を守る文化がある。そのため、女性や子どもを守ることを前提に社会が回っているので、小さな子どもがいるからといって、何かができなくなる、という発想がよく理解できないのだ。 イスラム世界がスバラシイ! とゴリ押しするつもりはまったくない。しかし、彼らに学ぶことも多い。偏見からは何も生まれない。浅草などの観光地を訪れれば、イスラム教徒があっちにもこっちにもいる時代が、もうやって来ている。4年後には東京五輪も控えている。まずはこの本を読んで、彼らのことを知ることから、始めてみてはどうだろうか? (文=上浦未来) ●ないとう・まさのり 1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。社会学博士。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラム――癒しの知恵』(集英社新書)、『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』(集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』(集英社)など多数。『となりのイスラム』(ミシマ社)
ヤクザもツラいよ!? 任侠の世界に押し寄せる“ゆとり世代”と、おかしな兄貴たち『ヤクザライフ』
警察当局の取り締まりが厳しくなり、ヤクザの“シノギ”がなくなったことで構成員の数は軒並み減っている。当局の努力の賜物だが、一方のヤクザはどうなのだろう? ヤクザといえど家族や恋人だっているだろうし、何よりドラマでみかける毎月の上納金や事あるごとに必要になる“カネ”。彼らはどんな生活を送っているのだろうか? 本書『ヤクザライフ』(双葉社)は、長い間ヤクザと密接に関わり取材を続ける上野友行の一冊だ。ひとえにヤクザといっても、さまざまな形で不特定多数の人間が関わっている。若い衆を多く抱える兄貴や、その若い衆と親分との間に挟まれる中間管理職的ポジションで日夜苦悩する中堅のヤクザ。さらには、入社した企業がたまたま組のフロント企業だったせいで、劣悪な環境下で働く30代の男。また、ヤクザ映画になくてはならない“愛人”だが、本書でも“ヤクザ専門の愛人”として数々のヤクザを渡り歩く女や極妻まで登場。まさに“2010年代の任侠の世界”を網羅している。 上野が取材した“ゆとり世代”の若い衆を抱える、とあるヤクザ。ある日、路地裏でリンチの現場に鉢合わせてしまう。袋叩きにされていたのは身内で、最悪なことにこちらは2人、相手方は5人だった。もともと犬猿の仲だった相手方とは乱闘になり、彼はあっという間に抑えこまれてしまった。 引き連れていた若い衆に視線を向けると、路地を抜けた先でまったく関係のないサラリーマンと揉めていた。「なにやってんだ、この野郎!」と叫び声をあげると、若い衆は「こいつら、動画撮ってやがったんスよ!」と答えたという。目の前で自分の兄貴が殺されかけているのもかかわらず、これである。しかも、かなり真剣な剣幕でだ。 ヤクザの世界にもSNSが爆発的に広まっている。フェイスブックやTwitterにインスタグラム。躊躇なく本名で登録し、刺青や事務所の内部を撮影して無邪気にアップしているという。昨年のパリ同時多発テロの際に、自分の写真をフランスの国旗と同じトリコロールカラーにするのが流行したが、例外なくヤクザの間でもこれが大流行。刺青などの上にトリコロールカラーが上乗せされた意味不明な写メがタイムラインを埋め尽くし、さらに義理堅い彼らは続々といいね! を押しまくる。ヤクザが、である。難癖を付けてみかじめ料を巻き上げ、不祥事を起こせば己の指を切り落とすヤクザが、である。 その“指を詰める”場面にも、上野は立ち会ったという。任侠映画で想像するような、ドスを用い、苦悶の表情で切り落とす。そんなものを想像していたが、道具を買いにヤクザが向かったのは、なんと100円ショップ。 指を詰めることになったヤクザは、ある理由から兄貴分を病院送りにしてしまったらしい。現在の業界では、慰謝料としていくばくかの金銭を支払うことが主流。切り落とした指を組長に渡しても突き返されることが常という、なんとも世知辛い話だが、指を後でくっつけるために長さを計算しているんだとか。そんな昔ながらのヤクザらしいケジメの付け方を選んだ彼の手には第一関節から先がない指が、すでに1本あった。その理由を聞くと「親父の愛人とヤっちゃったんですよ」と、間抜けな答えが返ってきたそう。 ほかにも、定時きっかりに実家に帰るヤクザや、上野に「モンハン一緒にやりましょうね!」と喜々として誘う親分など、知られざる業界の素顔を437ページ、全5章にわたって紹介。人間味溢れる彼らに思わず笑ってしまうだろう。『ヤクザライフ』(双葉社)
ヤクザもツラいよ!? 任侠の世界に押し寄せる“ゆとり世代”と、おかしな兄貴たち『ヤクザライフ』
警察当局の取り締まりが厳しくなり、ヤクザの“シノギ”がなくなったことで構成員の数は軒並み減っている。当局の努力の賜物だが、一方のヤクザはどうなのだろう? ヤクザといえど家族や恋人だっているだろうし、何よりドラマでみかける毎月の上納金や事あるごとに必要になる“カネ”。彼らはどんな生活を送っているのだろうか? 本書『ヤクザライフ』(双葉社)は、長い間ヤクザと密接に関わり取材を続ける上野友行の一冊だ。ひとえにヤクザといっても、さまざまな形で不特定多数の人間が関わっている。若い衆を多く抱える兄貴や、その若い衆と親分との間に挟まれる中間管理職的ポジションで日夜苦悩する中堅のヤクザ。さらには、入社した企業がたまたま組のフロント企業だったせいで、劣悪な環境下で働く30代の男。また、ヤクザ映画になくてはならない“愛人”だが、本書でも“ヤクザ専門の愛人”として数々のヤクザを渡り歩く女や極妻まで登場。まさに“2010年代の任侠の世界”を網羅している。 上野が取材した“ゆとり世代”の若い衆を抱える、とあるヤクザ。ある日、路地裏でリンチの現場に鉢合わせてしまう。袋叩きにされていたのは身内で、最悪なことにこちらは2人、相手方は5人だった。もともと犬猿の仲だった相手方とは乱闘になり、彼はあっという間に抑えこまれてしまった。 引き連れていた若い衆に視線を向けると、路地を抜けた先でまったく関係のないサラリーマンと揉めていた。「なにやってんだ、この野郎!」と叫び声をあげると、若い衆は「こいつら、動画撮ってやがったんスよ!」と答えたという。目の前で自分の兄貴が殺されかけているのもかかわらず、これである。しかも、かなり真剣な剣幕でだ。 ヤクザの世界にもSNSが爆発的に広まっている。フェイスブックやTwitterにインスタグラム。躊躇なく本名で登録し、刺青や事務所の内部を撮影して無邪気にアップしているという。昨年のパリ同時多発テロの際に、自分の写真をフランスの国旗と同じトリコロールカラーにするのが流行したが、例外なくヤクザの間でもこれが大流行。刺青などの上にトリコロールカラーが上乗せされた意味不明な写メがタイムラインを埋め尽くし、さらに義理堅い彼らは続々といいね! を押しまくる。ヤクザが、である。難癖を付けてみかじめ料を巻き上げ、不祥事を起こせば己の指を切り落とすヤクザが、である。 その“指を詰める”場面にも、上野は立ち会ったという。任侠映画で想像するような、ドスを用い、苦悶の表情で切り落とす。そんなものを想像していたが、道具を買いにヤクザが向かったのは、なんと100円ショップ。 指を詰めることになったヤクザは、ある理由から兄貴分を病院送りにしてしまったらしい。現在の業界では、慰謝料としていくばくかの金銭を支払うことが主流。切り落とした指を組長に渡しても突き返されることが常という、なんとも世知辛い話だが、指を後でくっつけるために長さを計算しているんだとか。そんな昔ながらのヤクザらしいケジメの付け方を選んだ彼の手には第一関節から先がない指が、すでに1本あった。その理由を聞くと「親父の愛人とヤっちゃったんですよ」と、間抜けな答えが返ってきたそう。 ほかにも、定時きっかりに実家に帰るヤクザや、上野に「モンハン一緒にやりましょうね!」と喜々として誘う親分など、知られざる業界の素顔を437ページ、全5章にわたって紹介。人間味溢れる彼らに思わず笑ってしまうだろう。『ヤクザライフ』(双葉社)
「いんばいになるか、死をえらぶか、といわれたら、死ぬんだった」“からゆきさん”として体を売った少女たち
中村淳彦の『日本の風俗嬢』(新潮新書)、坂爪真吾の『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書)、そして鈴木大介の『最貧困女子』(幻冬舎新書)など、性産業を描いた書籍は近年、新書を中心に好調な売れ行きを見せている。現代の格差社会を背景にした売春を描いたこれらの書籍には、「エロ」だけでは語れない女性たちの姿がつづられている。 作家・詩人である森崎和江の『からゆきさん 異国に売られた少女たち』は、今から40年前の1976年に刊行された書籍であり、今年8月に朝日文庫より復刊された。本書を一読すれば、この海を渡って売春を行った「からゆきさん」たちの境遇が、驚くほど現代に似ていることがわかるだろう。 シベリア、朝鮮、大連、上海、シンガポールなどのアジア各国から、アメリカ、オーストラリアまで、海を渡って世界各地で売春を行った女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。明治維新によって開国した日本からは、新天地を求める男たちだけでなく、それを慰撫するための少女たちが海外へと連れて行かれたのだ。本書の軸となるのは、明治29年に天草に生まれ、朝鮮へと売られたおキミ。作者は、偶然知り合ったおキミの養女である綾から、その壮絶な体験と、老婆になっても悔い続ける姿を知る……。 よく知られているように、もともと日本は、性に奔放な土地だった。田舎の村々には夜這いの風習が近代以降も残り、当時の福岡の新聞には「13歳以上の者にして男と関係せざるものはない」と書かれているほど。キミの育った天草地方でも、日露戦争の頃までは夜這いの風習が残されていて、心の通った男とは妊娠してからの婚姻が当たり前だったという。 しかし、おキミたち「からゆきさん」が男たちから求められるセックスは、そんな牧歌的な日常とは程遠かった。口減らしのために、浅草の見世物小屋の養女となったおキミは、16歳の頃、再び李慶春という男のもとに養女として出された。しかし、李の目的は、彼女に売春をさせることだった。ほとんど誘拐に近い形でおキミは神戸に連れて行かれ、貨物船に乗せられた。そして、その船内で李をはじめ数々の船員たちと「おショウバイ」をさせられたのだ。それを断れば、食事すらも与えられず、おキミはただただ男たちを受け入れるしかなかった。おキミと共に貨物船に乗せられた14人の少女たちは、昼も夜も「おショウバイ」を強要され、誰もが泣いていた。そして、貨物船が朝鮮半島南端の漁港木浦(もっぽ)に着くと、少女たちは北朝鮮の鉄道敷設現場につくられた娼楼へと送られる。 娼楼での暮らしは、さらに過酷を極めた。少女を買う男たちは、工事現場の人夫として集められた荒くれ者であり、日本人工夫は、背中一面に刺青を持った粗暴な男が多かった。一方、朝鮮人の中には、日本人に対する恨みを晴らそうという者もいたという。おキミは、朝鮮人の性欲を満たすことには耐えられた。けれども、人間としての尊厳を奪われることには耐えられなかった。朝鮮人の男4~5人に囲まれ、限界まで尿意を耐えさせられた挙げ句、小便を漏らし、笑われた。この記憶が蘇るとき、おキミは朝鮮語で叫び声を上げた。その屈辱は、すでに老いたおキミの心の中で、いまだ癒えぬ傷となっていたのだ。 「いんばいになるか、死をえらぶか、といわれたら、死ぬんだった。うちは知らんだったとよ、売られるということが、どげなことか……」 おキミは、養女の綾に何度もこう語った。 綾と2人きりになった時、おキミは「夜叉のよう」に狂ったという。綾の実母は、おキミと同じ娼楼で体を売っていた。そんな綾に向けて、数々の男にされてきたのと同じような口調で、おキミは綾が淫売の血を引いていることを口汚く罵った。綾は、森崎に向かって「売られた女とは一代のことではない」「身を売るっていうことはいちばんふかい罪なの」と語り、「いのちにかえても、すべきことではない」とつぶやく。背負いきれない過去のトラウマに押しつぶされたおキミは、精神科の病院で死んだ。 「からゆきさん」たちは、貧しい家の生まれだった。家族が生きるために、彼女たちは養女として出され、貨物船に詰め込まれ、見知らぬ土地で男たちの性欲の相手をさせられた。それから100年あまり――。いま再び貧困から売春をする女性たちの存在が取り沙汰されており、中村淳彦によれば、韓国人はもちろんのこと、脱北者や中国朝鮮族の女性たちまでも体を売るために来日しているという(『日本人が知らない韓国売春婦の真実』宝島社)。貧困、格差、越境……「からゆきさん」少女たちの姿は、現代の女性たちに重なるだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『からゆきさん 異国に売られた少女たち』(朝日文庫)








