
『緑のさる』(平凡社)
小説を読むと、ときに重箱の隅をつつくように作品のアラを探し、つじつま合わせに終始してしまうことがありはしないだろうか。また逆に、つじつまが合っていることが小説の“おもしろさ”なのだろうか。
緻密な構成、流れるような筋書き、論理的な仕掛け、そのような整然とした小説の醍醐味といわれているものに、真っ向から疑問をぶつけたのが山下澄人『緑のさる』(平凡社)だ。山下氏は2005年、「演劇界の芥川賞」と呼ばれる岸田國士戯曲賞候補となり、このたび第147回(2012年上半期)芥川賞候補にもなった気鋭の作家だ。
『緑のさる』は全8編のごく短い章で構成された連作短編。とある劇団に所属し、葬儀屋のアルバイトで生計を立てている“わたし”は、ある日突然、劇団のリーダーであるサカタから劇団の解散を告げられる。“わたし”の元恋人で劇団員のノジマヨウコとサカタが付き合い始めたことが解散の理由だ。しかしこの導入は、その後さしたる発展も見せず、病室や浜辺へ、次々と場面が転換される。それぞれの物語がつながっているのか、繰り返される記号に何か意味があるのか。ひとつの眠りの中で、複数の物語が同時進行していく夢のような小説だ。
中でも7章「ぎそくのゆめ」が出色だ。浜辺で会った男・キンバラが、見た夢の内容を語り出す。キンバラはサチコという少女になり、交通事故で片足を失ったこと、スナックで働いていたこと、トウドウという男と恋をし、結婚したこと、DVを受けたことなど、少女の生涯を断片的に経験する。初めて義足をつけたときの痛みなどが瑞々しく描かれており、不思議で、心温まるエピソードだ。
脈絡も結末もなく、「だからどうした」と言われればそれまでなのだが、そもそも作者は整然とした筋を描こうとしておらず、意味づけを拒否しているようにも思える。ラストでかごの中から「マンキー、ニィー」と笑う緑色のさるは、まっとうな世界(常識的な物語)をせせら笑っているのではないだろうか。
小説らしい小説にヘキエキしている方は、この『緑のさる』を一度手に取ってみるといい。幼いころのように、素直に物語を読む楽しさを思い出させてくれるはずだ。
(文=平野遼)
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“規制国家ニッポン”の根っこを見据える『踊ってはいけない国、日本』

『踊ってはいけない国、日本
風営法問題と過剰規制される社会』
(河出書房新社)
世界中のどこにでもあるような、とある国の物語。ある日、その国で「茶色以外のペットは飼わないことを奨励する」という奇妙な法律が制定される。茶色の犬や猫のほうがより健康で都市生活にもなじむ、というのがその理由だ。毛の色が茶色じゃない犬と猫を飼っていた主人公とその友人は、違和感を覚えたり、自分のペットを安楽死させなきゃいけないことに胸を痛めたりしながらも、「まあ、しょうがないか」と、そのことを受け入れる。
それからも、いろんな言葉に「茶色の」という形容詞が自主的につけられるようになったり、新聞が発行停止になったり、少しずつ日常は変わり続けていく。「なんだか嫌だな」とか「心配しすぎかな」とか「でもそれで守られた安心も悪くないかな」とか、いろんなことを思いながらも、主人公とその友人は変わらない平穏な毎日を過ごし続ける。しかし、ある日突然、主人公は「過去に茶色以外のペットを飼ったことのある人」も自警団による取り締まりの対象になったことを知らされる。そして次の日の朝、彼は自宅のドアを強くノックする音で目が覚める――。
これは、心理学者フランク・パブロフの著による『茶色の朝』のあらすじ。ファシズムや全体主義を批判する寓話として1998年にフランスで刊行されたこの本は、排外主義を唱える極右政党が大きく躍進した2002年のヨーロッパの社会状況を背景に、03年、フランスでベストセラーを記録した。この『茶色の朝』と、ここで取り上げる『踊ってはいけない国、日本 風営法問題と過剰規制される社会』(河出書房新社)の内容とは、直接的な関連はまったくない。けれど、この一冊に寄せられたさまざまな論考を読んでいると、まるでデジャヴュのように『茶色の朝』の風景が頭をよぎる。「何かおかしなことが起こっている」ということには、実は多くの人が最初から気付いている。そういう人は、違和感や嫌悪感もちゃんと持っている。でも、日々の仕事もあるし、自分が直接的に関係することでもないし、決まったことを覆すのは覚悟がいるし、何よりきちんと問題にコミットするには労力がかかるし。そういうわけで、ほとんどの人が「まあ、しょうがないか」とそれを放っておく。そうしているうちに、「何かおかしなこと」=社会から異質なものを排除しようとする動きは徐々に拡大していく。それが、10年前のヨーロッパで、そして今の日本で起こっていることだ。
『踊ってはいけない国』は、その名の通り、昨年の大阪・アメリカ村のクラブ一斉摘発を発端とした「風営法によるクラブシーンの取り締まり激化」を中核のテーマに緊急出版された一冊だ。音楽ライターの磯部涼氏が編著を務め、m-floの☆Taku、津田大介、坂口恭平、開沼博、松沢呉一、宮台真司×モーリー・ロバートソン(対談)など、幅広いフィールドの論者が寄稿し、登場している。なので、実際のところ、クラブシーンと風営法の問題だけを取り扱った一冊というよりも、それが象徴する「規制が過剰に拡大する社会で、今、何が起こっているのか」ということを俯瞰するような本になっている。
そのキーワードとなるのが「グレーゾーン」。実は、現在営業しているほとんどのクラブは、いわば脱法行為によって成立している。85年に改正された風営法は「深夜1時以降にダンスフロアで客を踊らせること」を規制している。だから、ほとんどの店は「踊らせる」のではなく「音楽を聴かせる」という体裁で営業許可を取っていて、警察も半ばそれを黙認してきたというのが実情だ。しかし、今になって「無許可で客を踊らせている」と、そのことを理由に大々的に摘発されるようになった。つまり、かつてはグレーゾーンの中で許されてきたものが、もはや許されなくなってきているというのが、ことの本質なのである。
そして、そういう「グレーゾーンの消滅」はクラブシーンや音楽だけの問題ではない。繁華街の浄化作戦、違法ダウンロード刑罰化、脱法レバ刺しまで、さまざまな場面で立ち現れている。それが本書の主張の骨子だ。
本書に登場する論者たちによって繰り返し指摘されているのは、そういった規制は決して「上から押し付けられる」ものではない、ということ。規制への欲望は、むしろ宮台真司が「新市民」と呼ぶような、一人一人の市民が持っている。彼らの持つ「何か起きたら怖いから行政が責任とってくれよ」というクレーマー的な不安や依存の集積が、その欲望を駆動している。だから、取り締まりに遭ったクラブの客がただ「警察の横暴だ!」と叫んでみたところで、問題は何ら解決しない。
では、どうしたらいいのか? 本書に挙げられている対処策は、実のところは、てんでバラバラだ。業界団体を作ってロビーイングをし、風営法の改正を求めて政治家に訴えるべきだと、編著者の磯部涼氏は主張する。実際、「Let's Dance」と銘打った法改正のための署名運動もスタートしている。クラブシーンを観光地化してマネタイズできる場所にするべきだという☆Taku氏の提言もある。リアリストの戦略も、ビジネスの提案もある。そして、そもそも風営法自体が憲法違反であるとする佐々木中氏や、「金本位制ホームパーティー」を夢想する坂口恭平氏のような、ラディカルな主張もある。
はっきり言って、一冊読んでも「こうすればいい」というクリアな回答はまったく浮かび上がってこない。それぞれの論者が示す指針のベクトルは、それぞれまったく別の方向を向いている。けれど実は、そういう雑多な多様性こそが、「規制でがんじがらめになっていく社会」への対処策を示唆しているともいえる。つまり、江戸アケミの言を借りるなら、「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」ということだ。
「いや……そう言われても、別にクラブとか行かないし。クラブなんてなくなっても、踊れなくても、別に何も困らないです」
それでも、クラブカルチャーに興味がない人の中には、そんなふうに思う人も多いだろう。逆に、生計がかかっているクラブ関係者の中には「何も言わずにやり過ごしたほうが賢明だ」と声を上げず黙っている人も多いと、本書にはある。しかし、本書を読む限り、どうやら黙っていることが正解でもなさそうだ。
前述した通り、クラブだけではなく、社会のさまざまな場所で「排除の論理」は立ち現れている。ルールを増やし厳格化することで「何が起こるかわからない」という不安を打ち消そうとする動きが、あちらこちらで現前化している。それはどういうことか? いろいろな意味で、生活から「遊び」が奪われていく、ということである。そして、もしそれがつまらないと思うなら、「遊び」を取り戻すためには、既存のルールを読み替え、書き換えるたくさんのアイディアが必要だ。本書には、その種になる多くの考え方が示されている。
「一人一人が考えることが必要です」という結論は、紋切り型の思考停止の文句のようであまり好きじゃないけれど、クラブシーンの規制が象徴する「健全で清潔な社会」への志向がどういうものか、多くの人に考えてほしいと思う。少なくとも「なんだか嫌だな」「でも俺には関係ないな」「まあ、しょうがないな」と思って何もしないでいたら、ある日突然「茶色の朝」を迎えることになるかもしれないわけだから。
(文=柴那典)
iPhone 5からGoogleマップがなくなったワケと対処法

iPhone 5でもGoogleマップが活用できる!?
先月発売され、大ヒット中のiPhone 5。搭載されているiOS 6では、マップアプリが変更された。従来はGoogleマップだったのだが、Appleのオリジナルマップになったのだ。iPhone 5やiOS 6はすこぶる評判がいいのだが、マップアプリだけは大不評。地図データはすかすかだし、地名や駅名などが変な名称になっていたりと、Googleマップと比べると精度が大幅に劣っているのだ。日本でiPhoneを発売しているauとソフトバンクには苦情が殺到したようだが、これはApple側の問題だ。
アップルの開発者会議「WWDC 2012」でiPhone 5が発表された時のプレゼンを見ていたのだが、その時はGoogleマップのような画像ではなく、ベクタデータを使った新しいシステムのマップに進化したように聞こえた。3D表示や音声案内が可能なナビ機能など、Googleマップではできない機能を実現したように見えたのだ。

iOS 6のマップアプリ(左)、モバイルGoogleマップ(右)で
JR五反田駅周辺を表示したところ。
だが、現実は違った。あまりに新しいマップへの苦情が多いため、Appleの最高経営責任者(CEO)であるティム・クックは、ホームページ上に謝罪文を公開。しかも、「地図マピオン」や「地図 Yahoo!ロコ」などのアプリをダウンロードしたり、Googleマップのウェブサイトを利用することを推奨している。これは、Appleに限らず異例のことだ。
すると、気になるのはAppleがGoogleマップを外した理由だ。公式には一切発表されていないが、バックグラウンドを探ると状況が見えてくる。Appleの時価総額は6,230億ドル(約49兆5000億円)という莫大なものになった。当然、将来のことも考える。今はiPhoneが大ブレイクしているが、近いうちに飽和して頭打ちになることは間違いない。その時、ソフトやサービスで儲けていかなければならない。アプリや音楽の環境はがっちり固めたが、Googleのサービスを使っている限り、地図や動画(YouTube)からは一切収益が上がらないのが悩みどころ。いつかは自前でサービスを持ち、収益につながるようにする必要がある。そこで、3年ほど前からいくつもの地図関連企業を買収し、準備を進めてきた。
2011年初めに、GoogleはGoogle Maps APIの有料化を発表した。これは、Googleマップのデータを利用するアプリやサービスの提供者に課金するということ。そのため、Foursquareのような有名サービスはGoogleマップを使わなくなった。また、あるニュースサイトでは、AppleがGoogleマップの音声ナビ機能を求めたのに提供してもらえなかったことが原因、という報道もあった。

モバイルGoogleマップのページをホーム画面に追加して、
アプリのように起動できる。
Googleにとっても、iOSから外されるのにはなんの不満もない。iOSの標準機能として提供すると、Googleマップに広告を表示できないためだ。さらに、Googleマップが優れていることがわかれば、Androidスマートフォンへの強力な誘導にもなる。
これら、もろもろが重なって、不十分なマップへの強制移行が起きたと考えられる。とはいえ、ユーザーにとってはそんなことは関係ない。不便なマップを使い続けるわけにはいかない。そこで、iOS端末でGoogleマップを使う方法を紹介しよう。
まずは、モバイルGoogleマップ(http://m.google.co.jp/maps)を表示し、矢印アイコンをタップ。送信先の選択画面が開くので、「ホーム画面に追加」をタップしよう。アプリ名を「GoogleMap」にすれば、ホーム画面にGoogleマップのショートカットが作成される。これで、アプリのようにGoogleマップを利用できる。しかも、GoogleはモバイルGoogleマップでストリートビューを使えるようにすると発表。モバイルGoogleマップなら、PCで作成したマイマップ機能も利用できるというメリットもある。Appleのマップが改善されるか、GoogleマップのネイティブアプリがApp Storeに登場するまでは、この手でしのいでいただきたい。
(文=柳谷智宣)
秋の夜長にメカバトル! 期待の秋クールスタートのロボットアニメ

テレビ東京『超速変形ジャイロゼッター』
かっこいいロボットやメカの活躍が見たいんだ!
そんな少年の心を忘れないアニメファンのためのアニメが、2012年秋クールから続々とスタートする。
まずは、テレビ東京系列の夕方枠でスタートした『超速変形ジャイロゼッター』を挙げたい。ある日突然「君は選ばれたドライバーだから、これに乗りなさい」と言われた主人公・轟き駆流が、巨大な人型ロボットに変形する赤いスポーツカー「ジャイロゼッター・ライバード」を託され、悪者と戦う。
この上なくシンプルで分かりやすく、少年の心を滾らせるストーリーだが、これぞロボットアニメ。『ガンダム』シリーズや『マクロスF』でメカデザインを担当した石垣純哉による、マッシブなロボットのデザインもさることながら、さまざま自動車メーカーの協力で実現した「実在の自動車が変形する」というコンセプトもなかなかそそるものがある。そのロボットがPerfumeよろしくグリグリとダンスを踊るED映像も、一部のアニメファンの間で話題となっている。
もしかしたら、今期アニメにおけるダークホースといえるかもしれない。
アニメファンにとってのゴールデンタイム・深夜枠に目を向けると、『武装神姫』(TBSほか)がなかなかイイ感じだ。
コナミデジタルエンタテインメントが2006年より展開する「MMSフィギュア」と呼ばれる可動モデルに、メカニカルな武装を施した「武装神姫」シリーズを題材とした本作は、主人公の男子高校生・理人と4体の美少女武装神姫たちの生活や活躍を描く。イメージとしては『プラレス3四郎』の世界観でチャム・ファウがMS少女みたいな格好で戦う感じだろうか。違うか。失礼しました。
……さて。この世界では、手のひらサイズの美少女フィギュアである武装神姫たちは量産され、ショップで売られていることが普通となっている。そのため、ヒロインたちはホビーの一種といえる。実際に彼女たちの間接や背中のビス穴などが描かれ、あくまで「フィギュア」として徹底的に描かれる。
その一方で、武装神姫たちは主人公に対する好意を寄せ、時には普通の女の子のように恥じらい、愛情を表現もする。これがまた、ペットのようにかわいらしいのだ。
これだけだと、また「フィギュア萌え族」だのなんだのとバッシングを受けそうだが、いざアクションシーンが始まると巨大でゴテゴテしたメカニックパーツが武装神姫たちの全身を覆い、3D映像を駆使したアクロバティックで非常にスピーディなバトルを繰り広げる。
本作の3D監督を担当するのは、『IS』や『創聖のアクエリオン』も手がけた井野元英二。その名前は知らずとも、仕事ぶりは作品を通して多くのアニメファンが知るところだろう。とにかく少年の心を燃え上がらせる「かっこいい」と「かわいい」。そして、思わず手元に置いておきたくなるようなヒロインたちのキャラクター設定など、心揺さぶられる要素がこれでもかと詰まっているのだ。
ちなみに、本作の主題歌や劇伴を手がけるのは織田哲郎だ。90年代、良質なアニメソングを多数生み出した彼のハイクオリティなサウンドにも注目したい。
そして10月11日より、アニメファン最大の注目タイトル『ROBOTICS;NOTES』(フジテレビ系)がスタートする。ゲーム版に続き、昨年テレビ版が放送され、来年には劇場版の公開が予定されているヒット作『STEINS;GATE』と世界観を同じくする「科学アドベンチャーシリーズ」最新作の本作にも、ロボットが登場する。本作ももともとはゲームが原作だが、アニメ作品としてロボットがどのような活躍を見せてくれるのか。放送が待ち遠しい限りだ。
(文=龍崎珠樹)
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セックス教団の合宿に潜入!?『「カルト宗教」取材したらこうだった』

『「カルト宗教」取材したらこうだった』
(宝島社新書)
1995年3月20日、地下鉄内でサリンが撒かれ、13人が死亡、6, 000人以上が負傷した、オウム真理教による地下鉄サリン事件。その莫大な被害者の数に加え、首都中心部での犯行だったため、地下鉄の利用者はもちろん、日本中の人々を大混乱に陥らせた。
あれから17年。昨年末には、特別手配中だった逃亡犯の平田信容疑者が自ら警視庁に出頭、今年6月には相次いで、同じく特別手配中だった菊地直子容疑者、高橋克也容疑者も逮捕された。これにより、地下鉄サリン事件はようやく一段落、あるいは、この事件が「ナゼ」起こったのか、を解明する兆しが見えてきた。
この事件が起こった当時、私はまだ小学生だった。テレビでは事件の報道が繰り返し、繰り返し流れ、死亡した遺族や後遺症が残る被害者らが、怒り、涙し、吼えていた。とんでもない事件が起こった。その事実を受け止めるのに、精一杯だった。
だが、そんな事件の残虐さとは別に、小学生たちの心を釘付けにしたのが、オウム真理教の信者たちの行動だった。ボクシングのヘッドギアのようなものを頭に装着し、修行する信者。「しょーこー、しょーこー、しょこしょこしょーこー、あーさーはーらー、しょーこー♪」と、無我夢中で歌う信者。
これらの映像に、子どもたちは一瞬で食いついた。「うわー、なにあれ」「大の大人がヤバイっしょー」とバカにしつつも、なんだか面白い。そんな理由から、深い考えもなく無邪気にアノ歌を歌い、中にはヘッドギア代わりに包帯を頭にかぶり、信者の真似をして一心不乱に歌い出す子もいて、みんなで爆笑していた記憶がある。
今回、紹介する『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)は、カルト宗教が起こす事件の残虐性ではなく、どちらかというと、カルト宗教が、時として起こす「とんでもない行動」ぶりに注目。
著者は、ニュースサイト「やや日刊カルト新聞」の運営者で、カルト宗教を専門とするライターの藤倉善郎氏。本書では、14年以上にわたる体当たり取材に挑み続ける中での、カルト集団との交流、そして、闘いの結果がまとめられている。
中でも気合が入っているのが、週刊誌等でセックス教団と名づけられた「ラエリアン・ムーブメント」への潜入取材。5泊6日の合宿に参加している。
この宗教は、フランス人教祖ラエル氏が宇宙人と遭い、UFOに乗せてもらったと主張している団体で、宇宙人となんの関係があるのかはナゾだが、フリーセックスを提唱。そんなナゾの宗教の合宿では、教祖ラエル氏による“愛”のレクチャーが、日に何度も行われていた。
「もし今から10秒後に、10トンの隕石がここに落ちてくるとしたらどうしますか? 私だったら、ソフィー(妻の名前)とセックスをします。落ちていく飛行機の中で、いままでにないくらいのオーガズムを感じ、墜落の瞬間クライマックスに達する。しかし、隕石が落ちてくるここでは、セックスしている暇はない。6、5、4……。いい知らせです。安心してください。隕石はやってきません。人生について考えてもらうための想像です」
「愛とは感情ではありません。“Make Love”とは、“愛を作る”ことではありません。セックスすることです。“愛のあるセックスと愛のないセックス”という言い方があるが、両者を分ける必要などない。どちらもすばらしいのです」(本文より)
などなど、内容はセックスに尽きる。
合宿では、初日にホテルで色つきの輪ゴムを渡され、黒「私は未成年者なので性行為はしない」、白「私は新たなセックス・パートナーを望まない」、ピンク「私は異性のセックス・パートナーを求めている」などの中から、希望のものをつける仕組みになっていた。
藤倉氏は、もちろん「私は異性のセックス・パートナーを求めている」を選択。その結果、彼の身に何が起きたか。それは、ぜひ自由に妄想していただきたい。
本書では、このセックス教団以外にも、“治療中”と称し、遺体をミイラ化させた「ライフスペース」、“スカラー波”なるものを恐れ、白装束であちこち動き回る「パナウェーブ研究所」など、かつて世間を騒がせたカルト宗教のその後を追っている。
また、“カルト宗教の面白さは危険の裏返し”と、カルト宗教に対する注意も促している。一般人からすると突飛な行動や言動を、彼らは正しいことだと信じているわけで、批判されれば攻撃もする。
世の中には一体どういう宗教があり、内部ではどんなことが行われているのか。それを知る、ひとつのきっかけになるかもしれない。
(文=上浦未来)
●ふじくら・よしろう
1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。特に幸福の科学をめぐるトラブルや、大学生を勧誘する各カルト集団に注目して記事を執筆している。
やや日刊カルト新聞 <http://dailycult.blogspot.jp/>
「なんだ、このヤロー!」予想のつかない劇的ラストを見逃すな!!『アウトレイジ ビヨンド』

(C)2012『アウトレイジ ビヨンド』製作委員会
「全員悪人」のキャッチコピーで注目を集め、大ヒットを記録した北野武監督・主演のバイオレンス映画『アウトレイジ』(10)。ヤクザ同士の壮絶な権力争いを描いた同作の続編が、10月6日公開の『アウトレイジ ビヨンド』(R15+指定)だ。
関東最大の暴力団組織・山王会は、5年前の熾烈な抗争を制し会長にのし上がった加藤(三浦友和)と、壊滅した大友組の生き残りで加藤に取り入った若頭の石原(加瀬亮)を中心に勢力を拡大。いまや国政にまで影響を及ぼすほどになり、警察は危機感を強めていた。警視庁“マル暴”の片岡(小日向文世)は、関西の巨大暴力団・花菱会に目をつけ、表面上は友好関係にある東西の組織を対立させようと画策。さらに片岡は、獄中死したと思われていた元組長の大友(ビートたけし)を仮出所させ、ヤクザ同士のつぶし合いを加速させる。
「度を超した怒り・狂気」(outrage)を強烈な残虐シーンで視覚的に表現した前作を受け、本作は一触即発の怒気を帯びた激しい言葉の応酬と、観客にじわじわと痛みを想像させる間接的な表現で「その先」(beyond)を描く。バイオレンスとエンタテインメントの融合という道を極める、北野監督流の“落とし前”がここにある。従来は善人役の多い三浦、小日向、西田敏行らも北野作品の中で見事にワルになり切っている点も見どころ。桐谷健太と新井浩文の若さ、高橋克典のクールさも男の色気を添える。
「全員悪人、完結。」がキャッチコピーの今作で、彼らが果たしてどんな結末を迎えるのか。あるいは、たけし扮する大友が復活したように、終わったと見せかけて次につながる伏線を張っているのか。予想のつかない劇的ラストを、ぜひ映画館で目撃していただきたい。
(文=映画.com編集スタッフ・高森郁哉)
『アウトレイジ ビヨンド』作品情報
<http://eiga.com/movie/56609/>
「なんだ、このヤロー!」予想のつかない劇的ラストを見逃すな!!『アウトレイジ ビヨンド』

(C)2012『アウトレイジ ビヨンド』製作委員会
「全員悪人」のキャッチコピーで注目を集め、大ヒットを記録した北野武監督・主演のバイオレンス映画『アウトレイジ』(10)。ヤクザ同士の壮絶な権力争いを描いた同作の続編が、10月6日公開の『アウトレイジ ビヨンド』(R15+指定)だ。
関東最大の暴力団組織・山王会は、5年前の熾烈な抗争を制し会長にのし上がった加藤(三浦友和)と、壊滅した大友組の生き残りで加藤に取り入った若頭の石原(加瀬亮)を中心に勢力を拡大。いまや国政にまで影響を及ぼすほどになり、警察は危機感を強めていた。警視庁“マル暴”の片岡(小日向文世)は、関西の巨大暴力団・花菱会に目をつけ、表面上は友好関係にある東西の組織を対立させようと画策。さらに片岡は、獄中死したと思われていた元組長の大友(ビートたけし)を仮出所させ、ヤクザ同士のつぶし合いを加速させる。
「度を超した怒り・狂気」(outrage)を強烈な残虐シーンで視覚的に表現した前作を受け、本作は一触即発の怒気を帯びた激しい言葉の応酬と、観客にじわじわと痛みを想像させる間接的な表現で「その先」(beyond)を描く。バイオレンスとエンタテインメントの融合という道を極める、北野監督流の“落とし前”がここにある。従来は善人役の多い三浦、小日向、西田敏行らも北野作品の中で見事にワルになり切っている点も見どころ。桐谷健太と新井浩文の若さ、高橋克典のクールさも男の色気を添える。
「全員悪人、完結。」がキャッチコピーの今作で、彼らが果たしてどんな結末を迎えるのか。あるいは、たけし扮する大友が復活したように、終わったと見せかけて次につながる伏線を張っているのか。予想のつかない劇的ラストを、ぜひ映画館で目撃していただきたい。
(文=映画.com編集スタッフ・高森郁哉)
『アウトレイジ ビヨンド』作品情報
<http://eiga.com/movie/56609/>
巨大な“ケガレ”の一塊から被災者個々の声を浮き彫りにする、インタビュー集『ガレキ』

宮城県女川町の現在の様子(2012年9月撮影)。
大飯原発再稼働への是非が問われた2012年の夏。最も厳しい需給が見込まれた関西でも計画停電は回避されたが、再稼働が妥当であったか否かについての検討はまだ入り口の段階だ。
今年の春以降、その大飯原発再稼働に関わる議論が紛糾する中で、後景に押しやられてしまったトピックがある。それが、丸山佑介著『ガレキ』(ワニブックス)が再提起する、震災がれき広域処理の問題である。
2011年11月に東京都の石原慎太郎都知事が震災がれきの広域処理に反対する声に対して、「(放射線量などを)測ってなんでもないものを持ってくるんだから『黙れ』と言えばいい」と発言して賛否の声が巻き起こってから、今年5月に北九州市で起きた受け入れ反対の抗議騒動までの約200日間を本書は「ガレキ問題」と捉え、何ひとつ過去の問題になどなっていない震災がれきについて、再度目を向けることを促す。
『ガレキ』は東北各地の首長や元原発作業員、福島県で震災を経験した広域処理反対派市民など、被災地に暮らす人々を含めた多くのインタビューおよびルポルタージュで構成されている。原発再稼働問題の陰で、検証や議論が尽くされないままに世間的なトピックとしては収束してしまったように見える、がれき広域処理の問題を考え直すための記録となっている。
がれき広域処理問題が、受け入れ賛成か反対かという単純な二択に収斂してゆく中で忘れ去られがちになっているもので、著者が忘れるべきでないと強調したのは、膨大な量のがれきがただの廃棄物ではなく、人々の財産であったもの、日常に在ったことを思い起こさせる具体的な品々であるということだ。遠目には廃材と映るものが、近づいてみれば子どものおもちゃであり、洋服であり、家具や本のかけらである。
また、それは平穏な日常の記憶であると同時に、悲惨な大災害の爪痕でもある。岩手県陸前高田市の戸羽太市長は、目の前に取り残されているがれきはもともと市民の財産であると同時に、「自分の子どもを轢き殺した車が家の玄関に置いてあるようなもの」でもあると語る。かけがえのない日々の面影と、2011年3月11日の痛ましい記憶とが表裏一体になっている。震災がれきは、そんな複雑さをはらむものである。
本書の編集時点で、陸前高田市内の死者は1,555人、行方不明者232人。その中には、戸羽市長の愛妻も含まれている。家族を失い、町の舵取りに追われる中で我が子たちへのケアを満足にできない不甲斐なさを滲ませる戸羽市長の言葉は、いまだ何も決着していない被災地の日々を、読む者に強く認識させる。共感する、などと軽々に口にできるものではない。けれども、これらインタビューでそれぞれの立場から語られる言葉には、せめて敏感でありたい。
しかし、これが震災がれき問題として括られてしまうとき、被災地の息遣いへの配慮は失われ、忌避すべき巨大な一塊として扱われる。がれき受け入れの是非を問うことであったはずの論点が見失われ、判断基準が不明瞭なまま拒絶の意識ばかりが際立ち、ついにはその地で生活する人々をも否定してしまうような言葉が拡大してゆく。
言葉を発する側に被災地の人々そのものに向けているつもりなどなくとも、被災地に暮らす人々にとっては自身を否定する声として突き刺さってくるのだ。
本書に収められたインタビューで繰り返し映し出されるのは、そうした否定の声に傷つく人々の姿である。
拒絶され無配慮な言葉を投げられる震災がれきは、被災地の日々の暮らしのすぐ横に存在する。何よりがれきは彼らにとって、自分たちの暮らしの礎となる我が家だったものなのだ。「それ(がれき)を放射能で汚れたとか言われると、私たちが汚れているみたいな感じがする」という人々の声に、受け手はどれほどの想像力を働かせられるだろうか。
時に脊髄反射的ともいえる震災がれきへの拒否反応の根底に、著者は「ケガレ」の意識を読み取る。個人に明確な判断基準があるわけではなく、抽象的な感覚による不浄の意識が、科学的な根拠よりも先行して震災がれきへのイメージを生み出してしまう。間接的で確度の定かでない大量の情報のみによって作られていったケガレのイメージはそのまま肥大し、議論の入り込む余地が限りなく乏しい禁忌の意識を強固にしてゆく。この意識に多くの人たちが縛られていることにすら気がついていない。
著者が本書で震災がれきを「ガレキ」とカタカナ表記しているのは、がれき広域処理問題が本質からはぐれてゆく中で、そのようなケガレのニュアンスが、がれきという言葉に含まれるようになっていったという問題意識に基づいている。ケガレの意識に基づいた過剰な禁忌への疑念、そして再考を促すのが本書『ガレキ』である。
もっとも、著者はこの本を通じて、がれき広域処理の受け入れ賛成あるいは反対いずれかを促そうとしているわけではない。むしろ、単純化された回答を即座に出すような振る舞いから離れ、丁寧な議論をおこすための材料となる「当事者の記録」として扱われることこそが、この本の意図するところだろう。
そして何よりも、本書を通じ、過去の話題になってしまったかのような震災がれき広域処理について、まだ先に進むには多大な課題が残されている現在形の問題としてあらためて考えるためのきっかけとしたい。
(香月孝史/http://katzki.blog65.fc2.com/)
パンチラ現象を数学的に解説!?『本当は実生活で役に立つ学校の勉強』

『本当は実生活で役に立つ学校の勉強』
(三才ブックス)
女の子のパンツを見たいみなさまに朗報である。階段でパンチラが見える角度や位置関係を、三角関数・解析幾何学・微積で計算し、数学的に解説するという斬新な書籍『本当は実生活で役に立つ学校の勉強』(三才ブックス)が発売されたのだ。数学といえば、たかし君などがやたらとリンゴ(120円)やみかん(80円)を買ってきたり、無意味に弟と池の周りを走ったり(分速140m)するせいで、必要性がさっぱり分からない計算ばかりさせられてきた。三角関数に至っては、異国の新聞を読んでいるような気持ちでうつむいてやり過ごした記憶しかないが、テーマがパンチラならば、見ず知らずのX軸や点Pよりは親しみを持てるだろう。どれどれ――
パンチラが見える条件を導き出す方程式は、階段の角度や、階段の下にいる人の目線の高さなどから割り出すとのことなのだが……。
tan(階段の角度)=スカート丈-25/スカート半径
目線の高さ=tan(階段の角度)×X+(身長-15)
…………。パンチラのくせに小癪な。本の解説では、ご丁寧にパンツやスカートの図解も込みで細かく紐解いてくれているので、数学に自信がある/数学に自信はないがパンチラを愛する気持ちには自信がある/数学にもパンチラにも自信がある、のいずれかに該当する人は、挑戦してみてほしい。
数学のほかにも主要5科目すべてが掲載されているこの本、文系部門からは、明日使えるムダ知識系が多く登場。「エロ古典の名作を愛でよう!」「誰でも書ける実践エロ小説講座」など、パンチラのような奥ゆかしさゼロのもろなエロ分野は、やはり国語が強いようだ。漢検一級の訓読みすら、本書にかかればこうなる。
凋む【読み:しぼむ】ン~周クンたらしぼんじゃってる。
擢んでる【読み:ぬきんでる】今日は手コキ曜日なのでヌキん出よう。
英語では、「あの車を追ってくれ」「(セックスが)良かったかい?」などの一度は言ってみたい夢のセリフから、「馬鹿なの? 死ぬの?」「ググれカス」といったネット用語まで、ちょっと知りたかったあの英訳を一挙公開している。たぶん、「トムはテニスをします」「これはペンです」より実用性はある、はず。
そして理科からは真打ち、パンツがあるならおっぱいも忘れちゃいけない。おっぱいの弾力や揺れを、ニュートンの運動方程式や万有引力の法則、フックの法則などで解説している「おっぱい力学」も押さえておきたいお勉強である。こんな未来でごめん、ニュートン、フック……。
(文=朝井麻由美)
スネ夫こそ、人生をうまく切り抜ける天才!?『「スネ夫」という生きかた』

『「スネ夫」という生きかた』
『ドラえもん』に登場する、キザでイヤミっぽく、髪がやたらとなびいている人物といえば、お金持ちでマザコンの“スネちゃま”こと、骨川スネ夫。力の強いジャイアンにはうまく取り入り、勉強もスポーツもダメなのび太には、超上から目線。近くにいたら、絶対にイラっとくるタイプだ。
けれど、視点を180度変えて見れば、実は自分の立ち位置をうまくつかみ、人間関係をより円滑にする力がある!
そう力説するのは、富山大学名誉教授の横山泰行氏。横山氏は、「ドラえもん学」の提唱者で、あの、不朽の名作『ドラえもん』を研究対象とし、全1,345話に登場するセリフをすべてエクセルに打ち込みデータ化し、学術的に分析。のび太、ジャイアン、スネ夫など、時代を超えて“こういう人いるよね”という登場人物たちの「生き方」に注目し、「『ドラえもん』の中には、生きるヒントがいっぱいある」と語っている。
その第1弾として、2004年に発売された本が、『「のび太」という生きかた』(アスコム)。のび太はドジでのろまで、勉強もスポーツもできない。けれど、困ったことがあれば、いつも誰かが助けてくれるし、最終的には学校のマドンナ・しずかちゃんと結婚。ダメ人間に見えるのに、意外とうまいこと生きている。それはなぜなのか? 日本人ならば誰もが知る『ドラえもん』を斬新な切り口でひもとき、21万部を突破した。
そして、その第2弾が、「スネ夫」を主人公にした、『「スネ夫」という生きかた』(同)。横山氏は、ズル賢いスネ夫の身のこなしこそ、有益な人生の指南書になる、と語る。
たとえば、ジャイアンが「ひさしぶりの新曲を聴きたいか」と迫った時、のび太は、「え~新曲!?」と露骨に嫌がってしまう。けれど、スネ夫は「聴きたい! 聴きたい! ひさしぶりだなあ」と、大げさな身振りで反応。ジャイアンはご満悦で、すっかりイイ気分。一方で、のび太はジャイアンに「おまえはどうなんだ」と聞かれ、「聴きたい聴きたい。どうせ聴かされるなら、いやなことは早くすませたい」と本音をもらす。当然ながら、ジャイアンは激怒。のび太をボカっと殴り、「だれが聴かせてやるか!!」と、捨て台詞を残し、広場を去っていく。結果、スネ夫はジャイアンの歌を聴かずに済み、ホッとひと安心……。
ジャイアンをうまくホメることで気に入られるスネ夫と、正直に言ってバカをみるのび太。これって、現実でもよくあることじゃないだろうか。
本書では、こんなスネ夫の計算ずくの行動のひとつひとつを、発想を変え、すべて肯定的に考える。天才的な口のうまさと要領の良さ――。これをちょっとでも盗み、人生をうまく生き抜こうではないか、と提案している。
前述したエピソードは、スネ夫の「ホメ力」が発揮された内容だが、そのほかにも、エコひいきされやすくなるわけ、罪のない上手なウソのつき方、レディーファースト力についてなどなど、スネ夫の「教え」が29の項目に分けられ、紹介されている。
正直者には、キーっと腹が立つ内容かもしれないが、これからの時代、世渡り上手になるには、「スネ夫力」は必須の能力であり、結局、得をする。これを読めば、スネ夫がなんだか「デキる男」に見えてくる……かもしれない?
(文=上浦未来)
●よこやま・やすゆき
1942年岐阜県生まれ。東京教育大学体育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。フルブライト交換留学生。現在は富山大学人間発達科学部名誉教授で教育学者(教育学博士)。本来の専門は生涯スポーツ論だが、『ドラえもん』を研究する「ドラえもん学」の提唱者としても知られる。ドラえもんの研究とともに、高岡市立中央図書館に全国初の「ドラえもん文庫」を設立。新聞、雑誌などへの登場も多数。著書に『「のび太」という生き方』『「のび太」が教えてくれたこと』などがある。また、「ドラえもん学」をはじめとした講演を、全国で精力的に行っている。