製作総指揮・クリムゾンが語る『蒼い世界の中心で』の魅力とは

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(c)2012 Crimson 
 「最も危険なWEBコミック」というキャッチコピーが躍るWEBコミック『蒼い世界の中心で』が、TOKYO MXほかでテレビアニメ化される!  このニュースを聞いて「いろいろと大丈夫なの?」と、驚きよりも先に、心配をしてしまったオールドゲーマーは少なくないだろう。  覇権(シェア)をめぐり、ニンテルド帝国とセグア王国が激しく争うコンシューム大陸。「炎帝・マルクス」率いる強国ニンテルド帝国は、特殊能力を持つ優秀なキラーの力であっという間に大陸の覇権を握り、近隣諸国をも傘下に収めていた。有効な打開策を見出せないセグア王国は防戦一方。しかし、「青い音速」ことギアの登場で、戦局は大きく動き出していく、という一見ファンタジー戦記モノっぽいあらすじの本作だが、読んでいただければ分かる通り、出てくる名称がいちいちゲーム業界を彷彿とさせるものばかり。こういうネタは誰もが一度は想像するけれども、それを実際に作品として発表し、あまつさえちゃんと「面白い作品」になっているのが本作のすごいところだ。 「もともとこういう漫画は描いてみたいと思っていて、これまで自分を育ててくれた“ゲーム”への感謝の気持ちで描き始めました。“ゲーム”は世界的にはとても評価されているにもかかわらず、日本国内での評価はまだそれに見合うものではないと感じています。国内でも、もっとその価値が認められるようになったらいいなと思います」  そう執筆の動機を語るのは、原作であるWEBコミック『蒼い世界の中心で』の作画を手がけ、アニメ版の製作総指揮も担当するクリムゾン氏だ。  ゲームとともに成長し、ゲームから多くのことを教えてもらった氏が描く『蒼い世界の中心で』の世界は、ゲームへの愛情に満ち溢れている。1980年代以降の国内コンシューマゲーム市場の動向を下敷きに描かれる壮大な戦国絵巻である本作の物語は、ほぼ史実に基づいたものだ。 「やはり一から創作するとなると、よほど練り込まない限りは薄っぺらいファンタジーになってしまうので、実際の歴史をエッセンスのように取り入れてはいます。実際の歴史が8割くらいのつもりです。  物語の細かいところに思い出を詰め込む作業は楽しいですね。とあるゲーマーの方から“『蒼い世界の中心で』は本気でゲームを愛していた人ほど細かい部分で泣けるマンガ”という評価をもらったときはうれしかったですね」
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 「ニンテルド」と「セグア」の抗争という基礎設定だけで、思わずニヤリとしてしまう読者も少なくはないだろうが、その戦いにニンテルドと友好関係を結んでいた「ハビド」が「ピシエ王国」と結託し、突如第三勢力として参戦。さらに、敵か味方か、北方からやってきた穴に棒を入れたがる謎の傭兵・アレクセイ=テジロフ(好きな数字は4で、パズルと呼ばれる魔道を使って戦う)などが登場し、物語が進むにつれてコンシューム大陸は混迷を深めていく。しかし、覇権を目指して登場人物たちはみな生き生きと戦場を駆け抜け、各陣営は強化戦士である「キラー」を駆使して必死に生き残りをかける。その光景は、まるで活気に溢れていたひところのゲーム業界の縮図そのものといってもいいかもしれない。  そんな驚異の擬人化(?)アニメ『蒼い世界の中心で』だが、冒頭にも書いた通り、原作には「最も危険なWEBコミック」というキャッチフレーズがついたほど「ここまで描いちゃっていいの?」と思えるような業界ネタや、マニアックなゲームネタがたっぷりと盛り込まれている。果たしてアニメ版では、この危険な要素はどの程度再現されるのだろうか。この疑問にクリムゾン氏は、 「製作総指揮を原作者である私自身が務めていますので、その辺りは大丈夫だと思います。キャラクターデザイン、脚本、絵コンテ、アフレコ、動画チェックすべてにおいて参加していますので、原作のテイストを可能な限り残すように頑張りました」 と自信満々に回答。氏のゲームに対する深い理解と愛情は、アニメ版でも健在のようだ。  また、アニメ版では躍動感溢れるアクションシーンはもとより、原作ではまだ一度も戦ったことのないニンテルド最強の男・マルクスの戦闘シーンも描かれるということで、原作ファンも見逃せない内容となっている。個人的にはキャラクターのアクションに加えて、演出やSEといった要素でも、どこまでネタを再現できるのかにも注目したいところだ。  そんな問題作を作り上げてしまったクリムゾン氏。WEBコミックからスタートし、ついにテレビアニメまで成長してしまった本作を作る原動力となった「ゲーム業界」の魅力とは、いったい何なのだろうか?
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「0と1と夢とで、0から1を生み出すことができることですね」  自身が作詞を手がけ、ネル役の三森すずことオパール役の橘田いずみが歌うEDテーマ「0と1の花」の一節を引用して語るクリムゾン氏。その言葉からは、揺るぎのないゲームへのリスペクトと愛情が感じられる。  クリムゾン氏は、「普通の少年漫画として見てもいいし、壮大なコント作品として見てもいいところ」が本作最大の魅力だと言うが、コントも突き詰めれば立派にドラマを語れるのだ。原作コミックを読んだことのある人なら、誰もがそう感じたことだろう。  前代未聞のチャレンジ精神とゲーム愛。そしてほんのちょっぴりのノスタルジーに満ちた『蒼い世界の中心で』第1話は、10月20日にTOKYO MXにて。11月9日にAT-Xにて放送予定。第2話、第3話は2013年春に放送を予定している。  余談ではあるが、もともとクリムゾン氏といえば同人業界のヒットメーカー。商業ベースの作品を発表する上で、何か違いや新たな発見がないかを尋ねたところ、 「実は今回のアニメ化以外にも、ここ数年の間に携帯コミック化、アダルトビデオ化、OVA化などいろいろやっているのですが、もちろん新しい発見が数多くありました。すごく面白くて貴重な体験もありますので、いずれ自叙伝とか出して語りたいです(笑)」 とのこと。クリムゾンファンは、こちらにも期待してもいいのかもしれない。 (取材・文=有田シュン)

「3.11後」の‟見えない戦争”の先にあるものは? 園子温監督『希望の国』

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(C)2012 The Land of Hope Film Partners
10月20日(土)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
 コミック原作の『ヒミズ』(12)の脚本を震災後に大幅に書き換え、批判を恐れずがれきの荒野と化した被災地の映像を商業映画のシーンにいち早く取り入れた園子温監督。そんな園監督が描く「3.11後」の第2弾が、オリジナル脚本で10月20日公開の『希望の国』だ。  東日本大震災から数年後の20XX年、長島県。酪農家の小野泰彦(夏八木勲)は、認知症の妻・智恵子(大谷直子)と息子の洋一(村上淳)、その妻いずみ(神楽坂恵)と慎ましくも穏やかな日々を送っていた。だがある日、長島県をマグニチュード8.3の地震が襲い、再び深刻な原発事故が発生。原発から半径20キロ圏内が警戒区域に指定され、強制的に避難させられる中、道路ひとつ隔てただけで小野家は避難区域外に。国の事故対応を信用しない泰彦は、息子夫婦を説得して避難させ、自らは家に留まる。一方、避難先で妊娠がわかったいずみは、放射能への恐怖を募らせ、周囲から孤立していく。  園監督は、『冷たい熱帯魚』(11)、『恋の罪』(同)で際立っていたバイオレンスとエロスの表現を今作では封印し、福島の農家や避難先で生活する被災者らに取材した「言葉」を脚本に反映させていった。ジャンルとしてはフィクションだが、原発事故で家や土地を奪われた人々の無念さと悔しさ、子を持つ親が抱く放射能への恐怖と周囲の当惑といった真実が、ドキュメンタリー作品以上のリアルさを持って見る者の胸に突き刺さる。  20キロ圏の境界に杭を打ち黄色いテープを張っただけで、強制避難させるかどうかを区分けするという、杓子定規なお役所仕事をカリカチュアライズした場面もあり、不条理な状況に思わず苦笑させられるが、そんな国に私たちが今まさに住んでいることを痛感し、笑いを引きつらせるしかない。一方で、がれきに埋もれた町を一歩一歩と歩き続ける若いカップルや、雪原の上で踊る泰彦と智恵子など、悲しく美しいシーンも印象に残る。  映画を見終えて、『希望の国』というタイトルの意味を改めて想像する人も多いだろう。確かに、商業映画にありがちな分かりやすい「希望」は、本作には用意されていない。だが、今まで隠されていた、あるいは無意識のうちに私たちが見過ごしてきたさまざまなこの国の問題が、原発事故によって明らかになってきたという一面もある。パンドラの箱を開けたら諸悪が飛び出し、その後に希望だけが残ったというギリシャ神話のように、きっとこの国には、あるいは私たちの心の中には、「希望」が確かに残っていると思いたい。 (文=映画.com編集スタッフ・高森郁哉) 『希望の国』作品情報 <http://eiga.com/movie/57744/>

「声優の取り分は7~8割」あまりの儲からなさに、悲鳴を上げる声優事務所が続出中!

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 声優人気なんて幻想に過ぎない!? オタク文化の一ジャンルとして定着した声優。男女共に、多くのアイドル声優が人気を博しているのはよく知られている。まったく売れない音楽CDの世界で、声優の音楽CDや、キャラソンは唯一「好調」なジャンルといってよいだろう。  しかし、一部のアイドル化した声優を除けば、声優は“寒い商売”だということを知る者は少ない。もはや声優事務所は、ビジネスモデルとして崩壊しかかっているのだ。 「声優事務所は、基本的に所属している声優の出演料だけでは儲からないシステムになっています。売り上げの取り分が8:2、あるいは7:3に設定されているためです」(声優事務所のマネジャー)  取り分を聞いて、随分と儲かっているんじゃないかと思ったら、なんと少ない数字のほうが事務所なのだ。つまり、ギャラが1万円だとすると、事務所に入ってくる金額は2,000~3,000円に過ぎない。一般芸能の場合、近年では5:5にしているところが大半といわれており、これはかなり声優に有利な取り分の設定といえる。  声優業界では、日本俳優連合(日俳連)制度が使われるのが一般的で、声優のギャラの設定はランク制となっている。ランク制とは出演料の規定のことで、年1回更新され、キャリアを積み重ねたり、人気を得ることで最低出演料がアップしていくシステムだ。この制度の下では、役柄やセリフの数によらず、規定の出演料が支払われる。  かつて一般芸能でもランク制は存在していたのだが、いつの間にか消滅してしまった。この制度では、キャリアを積めばギャラはアップしていくため、声優にとっては有利なシステムに思えるが、現在、この制度が声優自身の首を絞めることになっているという。 「キャリアを積めばランクが上がり、出演料がアップします。ところが、キャリアがあっても名が売れていなければ、ギャラが安くて済む若い子に仕事が回ってしまうんです」(同)  結局、声優という職業を長く続けていこうと思ったら、アイドル化するしかない。アイドル化すれば、CDや写真集など多方面で活躍でき、キャリアが長くなっても仕事が途切れることはない。ただ、CDや写真集にはさまざまな企業が絡むわけだから、やっぱり事務所に入ってくる金額が大きくはならない。 「ここまで営業利益の少ない業種もほかにないでしょう。事務所の取り分からマネジャーなどの人件費はもちろん、宣伝費等々も捻出しなければならないのですから、今でも経営が回っていること自体がおかしいと思いますよ。単純に考えると、営業をして売り上げを増やすのがよいのでしょうが、マネジャーを増員するわけにもいかないから、限界があります」(同)  この悪循環から脱出する方法があるとすれば、ギャラから声優の取り分を設定する方式をやめて、給料制に移行することだ。給料制ならば、会社も利益を確保することができ、結果的に営業力も強くなる。しかし、ある程度売れている声優からしてみれば、取り分が減ることになるためか、まだ給料制は主流にはなり得ていない。  さらに考えられるべき手段は、CDや写真集といったアイドル売りの展開を、事務所が自前で切り盛りすることだ。これまで、声優事務所は本業の部分以外は、レコード会社など、別の企業に頼る感じで展開してきた。もはや、本業では収益を上げることができなくなった現在、発想の転換が求められているのは間違いない。ただ、自前ですべてを回せるほどの力量を持つ事務所は少ない。もう、声優事務所も淘汰の流れに入っているのだろうか? 合掌。 (取材・文=三途川昇天)

コンシューマーゲーム信仰と嫌儲思考がゲーム業界を滅ぼす!?

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大ヒットとなったソーシャルゲーム
『怪盗ロワイヤル』。
 ソーシャルゲームの勢いが止まらない。9月に開催された、毎年恒例の世界最大規模のゲーム見本市「東京ゲームショウ2012」は、出展社数209社、来場者数22万3,753人と、過去最多となった。華やかな数字が喧伝される一方で、ゲーム業界の先行きは不透明だ。その中で、一際目立つのがソーシャルゲームである。今回のゲームショウでは、出展の7割がソーシャルゲーム関連で占められるまでになった。  もはや、ゲーム業界の主流となった感もあるソーシャルゲーム。現在のところ、ほとんどのゲームがカードバトルのスタイルで運営されている。今後、ほかのジャンルへの展開や技術革新が進めば「バブル」と呼ばれる状況から、安定成長へと転換することができるだろう。しかし、そこに至るには、まだ大きな壁が立ちはだかっている。コンシューマーゲームへの篤い信仰と、ユーザーと開発者の双方が持つ「嫌儲」の意識が、それだ。  月々の稼ぎの中で、娯楽に費やせる金額が減少している中で、コンシューマーゲームの参入障壁は高くなっている。ファミコン時代のような「ゲーム機ならば、これが主流である」という状況がなくなり、据置型ゲーム機から携帯ゲーム機まで、さまざまなものが乱立している。限られた小遣いの中で、多くのゲームを購入して楽しむことは困難だ。それに、長い時間を費やして遊ぶスタイルも、もはやコアなユーザーを除いては敬遠されるようになった。誰もが持っている携帯電話で手軽に遊ぶことができるソーシャルゲームの普及は、社会状況を考えれば自明の理といえる。ソーシャルゲームは、これまでとは違うユーザー層、あるいは、極めてライトなユーザー層を取り込むことに成功しているのだ。  ところが、既存のゲームユーザーの中には、いまだにコンシューマーゲームへの「信仰」が根強い。そして開発の現場でも、それは同じく信じられている。大手開発会社のゲームプロデューサーは語る。 「新入社員にコンシューマーゲームとソーシャルゲームと、どちらに行きたいかを聞くと、ほぼ間違いなくコンシューマーゲームを選びます。やはり、コンシューマーゲームがゲーム業界の頂点であるという意識は根強いです」  ゲームユーザーのコンシューマー信仰を最も如実に表しているのは、既存のゲーム情報誌だ。例えば、もっとも権威のあるゲーム情報誌「週刊ファミ通」(エンターブレイン)で、ソーシャルゲームが扱われることはほとんどない。増刊枠でソーシャルゲーム専門誌は発行されているものの、本誌やオフィシャルサイトでソーシャルゲームが扱われることはほぼないのが実情だ。普段目にすることのできるゲーム情報誌やサイトで何かとスポットを浴びることができるコンシューマーゲームに対して、ソーシャルゲームは日陰者のような扱いなのだから、あえて選択する者が限られるのはよくわかる。だが、もはやコンシューマーゲームに身を投じてもスポットライトを浴びることができるとは限らない。 「ソーシャルゲームが『メタルギアソリッド』シリーズよりも売り上げが高かったとしても、小島秀夫監督のようにスタッフの名前が出ることはめったにありません。片やコンシューマーゲームは、1タイトル当たりの売り上げが落ちているにもかかわらず賞賛されています。その構図は、文芸の世界のように見えますね。さほど売れなくても“大先生”と呼ばれるような業界で、若い才能が生まれるはずはありません」(同)  このことは、名の知れているコンシューマーゲームのゲームクリエイターを考えてみれば、おのずと理解できる。いまや大御所クラスといえる小島秀夫氏、名越稔洋氏、宮本茂氏、野村哲也氏くらいは、ある程度以上のコンシューマーゲームのユーザーなら、すぐに出てくるだろう。しかし、5年前に名の知れているコンシューマーゲームのクリエイターとして名前を挙げられたのも彼らのハズ。となると、5年後もそうだろう。もはや、新たな才能が生まれることはなく、大御所クラスがいつまでも「大先生」として君臨しているのがコンシューマーゲーム業界の一側面なのだ。新陳代謝のない業界に先があるとは思えない。 「現在のゲームメディアは、既存のコンシューマーゲーム業界を支えるための“御用マスコミ”でしかありません。そして、そうしたメディアだけで支えることができるくらいの市場規模しかないんです。もし、業界に革新を起こすとしたら『週刊ファミ通』が“偉い人を使うのをやめる”くらいしないとダメなんじゃないでしょうか」(同)  結局、既存のファンが限られた情報だけしか掲載しないメディアを通じて情報を得て、ゲームを購入することで成り立っているコンシューマー業界。それは、縮小再生産でしかないのだ。  コンシューマーゲームへの信仰心と並んで、ソーシャルゲームの成長を阻むのが「嫌儲」の感覚だ。 「MMOを制作する時、多くのクリエイターはアイテム課金ではなく月額課金にしたがります。企業としての利益はアイテム課金のほうがずっと増えるにもかかわらず、です。クリエイター、ユーザーであるかにかかわらず、世の中全体に金を取ることや、不公平なことへの拒否感が増加していると思います。そうした中で、ソーシャルゲームは“お金の取り方が汚い”という批判をされます。でも、それは単なるエゴなんじゃないでしょうか」  と、別の大手開発会社の社員は話す。この人物は、ソーシャルゲームはむしろ公平なゲームであると主張する。 「ソーシャルゲームは、むしろ公平だと思います。課金しなくても、時間をかければ(カードバトルの場合だと)レアカードはちゃんと入手できます。逆に時間がなければ、課金すれば短時間で強いカードを手に入れることもできます。時間か金かどちらを費やすか選択肢があるのですから、従来のゲームよりも公平だとは思いませんか?」  どうもゲームユーザーたちの間では、金を儲けることへの嫌悪感、さらにむやみやたらと公平感を求めている人ばかりが「声が大きい」ようだ。そんなものを気にしていては、ちゃんと企業が潤うゲームを開発するなんて不可能だ。『ドラゴンクエストX』は、元気玉システムの導入に見られるように、公平感に配慮しているが、それでも問題が発生している。もう「ソーシャルゲームが嫌い」「課金が嫌い」「強いヤツがいるのが不公平」「俺がカネを払っているのに、儲けているヤツがいるのは許せん」みたいな思考の人々を、相手にしていられない。  「東京ゲームショウ2012」出展社数が過去最多となった一方で、出展を見送り注目されたのがマイクロソフトと任天堂だ。特に、マイクロソフトが出展を見送ったことは、日本のゲーム業界が世界市場から見限られつつあることを如実に示した。 「マイクロソフトが出展しなかった理由は明白です。同社が最も推しているのはKinectなのですが、海外では好評を得ているにもかかわらず、日本ではあまり売れていません。同社はもう、日本市場を切り捨てたと考えてよいでしょう」  と、海外事情に詳しい業界関係者は話す。  コンシューマーゲームが勢いを失い、海外市場からも見離される状況で、唯一、可能性があるのがソーシャルゲーム業界なのは間違いない。ほとんどすべてがカードバトルで占められている現状は大いに問題があるとしても、ユーザーの参入障壁の低いソーシャルゲーム、あるいはブラウザゲームがゲームの主流になっていくのは間違いない。だが、ゲーム業界内外のさまざまな動きが成長を阻害している。 (取材・文=昼間たかし)

パンチラ続発!? 「妄想科学研究所」ニコ生公開オーディションに大潜入!

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これは……!
 短いスカートの女性が、絶対にパンツを見せずに物を拾うには―― そんなコスモレベルに壮大なテーマを研究し、検証映像を制作し続けている「妄想科学研究所」。  謎の映像クリエイター・野平花男氏率いる同研究所は、2011年6月より制服姿の美少女が様々な動作でシュシュを拾う映像などを、YouTubeで続々と発表。その再生回数は累計700万回を超える。  そんな「妄想科学研究所」の人気映像が、ついにファン待望のDVD化。未公開映像も収録した『絶対に下着がみえない拾い方の研究と考察』『絶対にふらつかない吊り革の掴み方の研究と考察』の2本が同時リリースされ、早くも話題となっている。  そして先日、DVDの発売を記念して、時にパンツを見せながら検証を行う有能な新研究生を発掘すべく、発売元のポニーキャニオン会議室でオーディションが開催された。  最初に登場したのは、170cmの長身とお嬢様フェイスが眩しい麻生希さん(23歳)。緊張する彼女に、野平氏がすかさず「所有しているパンティーの色は?」と質問。「7割は白です」との答えに、「パンティーは白でなければならない」というこだわりを持つ野平氏は、「マジッすか!?」と目を爛々とさせた。
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麻生希ちゃん。かわいい。
 続いて“下着がみえない拾い方”の実技審査へ。カップからボールを取り出すようなフォームで対象物を拾う「ゴルフカップ拾い」に挑戦。今回のDVDに出演している、女優の朝香歩美さんがお手本を見せると、希さんもすぐに理解して披露。その美しいフォームに、朝香も「バランスがいい!」と太鼓判を押した。  次に審査員が指定したのは、対象物そのものでパンツを隠しながら拾い上げる「みだれ牡丹」。拾うタイミングがなかなか合わず、股を広げた状態でパンティーがモロ出し状態となるハプニングはあったが、審査員からの「もっとせつない顔で」等のリクエストにも見事応えて見せた。
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切なげな顔で。
 2人目は、すでにDVDの中で自転車にまたがり、「絶対に下着がみえない跨ぎ方の研究と考察」の研究員として出演を果たしている木村つなさん(19歳)。ロリキャラが愛くるしい彼女だが、この日はピンクのうさぎさんを手に「おにぎりが好きだけど、おなかが悪くてお昼はおかゆを食べた!」などと強烈な個性を発揮。彼女の不思議なペースに、会場はみるみる巻き込まれていった。
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木村つなちゃん。かわいい。
 実技審査では、まず「横綱土俵入り」を披露。経験のない“シコ踏み”に戸惑いながら、「もっと足を高く!」のリクエストに、縞模様のパンティーをチラつかせながら一生懸命応えていた。  また、対象物の上にしゃがみ、上からスカートの中に手を突っ込んで対象物ごと引き抜く「ふんわりパニエ」に挑戦。しかし用意された制服のスカートがきつく、手を突っ込んだまま「出ない……」と嘆く彼女。これが後の審査に影響を及ぼさなければよいが……。
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かわいい。
 最後に登場したのは、ファンの間で“終身名誉処女”としてお馴染みのつぼみさん(24歳)。終始、ウブな表情を見せる彼女に、すかさず野平が「処女ですか?」と質問。彼女が「はい」と答えると、審査会場の温度は急上昇。実技審査を見ずして「合格!」の声も上がるほどだった。
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つぼみ。
 彼女への期待度が高いせいか、審査員は高度な演技力を要する「けんと淳子の夫婦拾い」の実技を要求。かつて、志村けんと桜田淳子が夫婦を演じた名作コントを模し、対象物の前にペタンと座り、しばらくイジイジした後に拾うという難しいプロセスを、「恥ずかしい……」と漏らしながらも完璧にやってのけた。
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当然だが、かわいい。
 また、対象物でパンティーを隠す「ふんわりパニエ」の実技では、見えるパンティーの面積を最小限に抑えつつ、流れるような動作を披露。審査員からも「うますぎて唖然としちゃいました」と驚きの声が上がり、大盛り上がりの中、オーディションは終了した。  このオーディションの模様は、ニコニコ生放送「ポニーキャニオンちゃんねる」(http://live.nicovideo.jp/gate/lv110517762)で配信された。次回作では、この美少女たちの中から新研究員が誕生しているかもしれないぞ。 (取材・文=林タモツ)

マンガ家・大橋裕之版『スタンド・バイ・ミー』? 子どもたちのひと夏の冒険を描いた新作『夏の手』

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『夏の手』(幻冬舎)
 今夏、「サイゾーpremium」のロンドン五輪特別短期集中連載「オリンピック奇想譚」で話題を集めたマンガ家・大橋裕之。そんな彼が新刊を発売した。あらすじは、3人の少年が1人の少女のために、常夏の島・ケロ島にいる「夏さん」を日本に連れてこようとする冒険の物語。そこで発刊を記念して、執筆の裏話も含め、おおいに語っていただいた。 ──まずは発刊おめでとうございます。9月26日発売に発売された『夏の手』(幻冬舎)ですが、現在までの反響はどういった感じでしょうか? 大橋裕之(以下、大橋) まだ反響は少ないですが、Twitterでちょろちょろっと。身近な人が読んでくれた感想としては、「わけがわからなかった」という意見も(笑)。あと、「読んで混乱した」とか(笑)。 ──そんな意見もあるんですね。「『スタンド・バイ・ミー』を超える名作、誕生!!」と本の帯にもあるように、個人的にはストレートな少年の冒険譚として楽しく読ませていただきました。 大橋 そう言っていただけるとありがたいです。 ──『夏の手』は「papyrus」(幻冬舎/隔月刊)の今年2月号から10月号までの連載に、描き下ろしを加えてできた作品だと伺いました。 大橋 実は1話目、2話目は自費出版で出していた「週刊オオハシ」の9巻と10巻で掲載して、あらためて1話目から「papyrus」で連載し直して、「続きを描ければな」と思ったわけです。 ──「週刊オオハシ」で描いたころから、続きがなんとなく頭の中にあったということですか? 大橋 そうですね。ずっとぼんやりと続きが頭の中にあって。でも、そのまま途切れちゃっていて……。 ──「papyrus」で連載するときは、もともと『夏の手』でいきます、ということだったんですか? それとも新作を描くつもりだったんですか? 大橋 事の発端は、幻冬舎の担当編集者さんが、「自費出版で出していたときの短編を集めて、単行本を出しませんか?」と。それで、この『夏の手』を持っていったらすごく面白がってくれて、「これの続きを描きませんか?」とおっしゃってくれたんです。それで、僕の思いとも合致したというわけです。 ──この作品の単行本自体は、三段階の構成になっているんですよね。まずは「週刊オオハシ」掲載時の『夏の手』があり、「papyrus」連載時の『夏の手」があり、描き下ろしの『夏の手』がある。なんでも、描き下ろしの作業はとてつもないスケジュールだったとか? 大橋 68ページの作画を2日間でやりきりました(笑)。どう考えて無理だな、と思ってたんですが、なんとかできちゃいました。 ──それでは具体的に、物語の内容に移りますが、3人の少年と1人の少女が出てきて、基本は少年の冒険譚というのがベースですが、恋愛あり、SFチックなところがあります。そこで大橋さん独特のペーソスというか、叙情派でロマンチックな部分も加わって、という感じですよね。 大橋 ありがとうございます。でも、かつてこの作品をマンガ雑誌の賞なんかにも出したんですけど、全然引っかからなくて……。 ──物語の筋道としては、「今年は夏が来ない」と言う少女・なっちゃんの言葉を真剣に受け止めた少年3人が、人称化された「夏さん」を探す話ですよね。これは事前に考えていた構想だったんですか? 大橋 昨日、思い出したんですが(笑)、1970年代初頭に活動していた乱魔堂というバンドがいまして、「可笑しな世界」という曲があるんですけど、その歌詞の中に、「夏が来てるって」という歌詞があるんです。その歌詞を耳にしたら、夏が人間のような感じに思えてきて。そこが発想の出発点だったんですね。夏に人格みたいなものがあったら、と思うと、奇妙に思えてきたんです。 ──いちばん重要な人物として出てくる少女・みっちゃんのキャラ設定は本当に絶妙ですよね。アホでいじめられっ子の少年・タケシより「アホ」なキャラクターとして登場して、単純な「不思議ちゃん」に思えるし、本当の「キチ○イ」のようにも思えてきました。 大橋 そこはどう捉えてもらってもいいんです。こういう言い方を許してもらえれば、読者まかせですよね。いろんな見方をしてもらって結構です。正直、どこまで人物設定を細かくしていいのか、自分でもわかんないですから(笑)。ただ、この作品を描くにあたり、自分の好きな『スタンド・バイ・ミー』であったり、『グーニーズ』であったり、楳図かずお先生の『わたしは真悟』といった作品を目指して描いていたことは間違いないです。もちろん、あの領域まで届くことは自分でも無理だとはわかっているんですが(笑)。ただ目標としては、そういった作品群が頭の中にありました。 ──少年少女の話というくくりでは、そういった作品と同系列ですよね。 大橋 最初の気持ちは、単純にあんな作品作りたいな、と。 ──作品を描き終えて、手応えみたいものはありましたか? 大橋 いや、毎回そうなんですけど、自信を持って作品を世に出したことはありません。いわゆる、「手応え」を感じたことがないんです(笑)。 ──それはそれで非常に大橋さんらしいですよね(笑)。さて、これはネタバレになるから言えませんが、このラストはとてもポジティブな終わり方ですよね。 大橋 こういう終わりにするのは照れがあったんですけどね。でも、せっかく描くなら、希望を持たせたいな、と。救いのない話にするのは簡単なので。 ──これから読む人に、こういう部分に注目して読んでほしいといった点はありますか? 大橋 さらっと自由に読んでほしいです。しょぼいSFとして読んでもらってけっこうですし(笑)。 ──さらっと自由に。でも、さらっと自由に読んでも、どうしても大橋さん独特の作品のにおいみたいなものがついて回りますよ。 大橋 そういうものですかね。自分ではあまり意識してないので、特別これといったオススメポイントはないです!(キッパリ) 今回の出版に当たって、インタビューしてくれたのが、まだ「日刊サイゾー」さんだけなので、非常にありがたいです。ほかの媒体でも取り上げていただけるよう、どうぞよろしくお願いします!! (構成=編集部)

「バクチを打てる人間がいなくなった……」アニメの製作委員会方式はもう限界なのか

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秋クールの注目作『中二病でも恋がしたい!』
も製作委員会方式が取られている
(公式サイトより)。
 10月スタートの秋アニメの初回放送が一通り終わり、ファンたちはさまざまな感想を述べている。  現在、アニメ製作の多くを占めるのが製作委員会方式だ。テレビアニメだと、オープニングの最後に表示される「○○製作委員会」のクレジットは、誰もが見たことがあるだろう(近年は妙な名称を付けるものもあるが)。  よく知られている通り、製作委員会方式はさまざまな企業がお金を出し合って作品を制作する方法だ。各企業は出資比率に応じてロイヤリティを得たり、各々が商品化権や海外販売権などで収益を得ることになる。  日本における製作委員会方式は、特にリスクの分散を重視しているとされる。制作側は制作費用の負担で発生するリスクを避けられるし、流通部門の企業は、あらかじめ決まった制作費内のコストで安定したクオリティーのコンテンツを確保することができる。また、広告部門の企業があれば、認知度の確保も可能だ。つまり、マンガや小説を原作にして映像作品やゲームを展開する、あるいはその逆を行うメディアミックスが拡大していく中で、アニメはもとより実写作品でも、製作委員会方式はベストな方法として多用されてきたわけである。  日本で製作委員会方式が導入されたのは、1980年代に独立系の映画会社が登場してからだとされる。80年代には、大手総合商社が原作を保有する出版社と手を組む方法がよく用いられ、90年代に入るとそこにテレビ放送局も参入するようになってきた。アニメでは、84年の『風の谷のナウシカ』を契機に、まず劇場用アニメから製作委員会方式が普及していった。90年代になるとテレビアニメでも製作委員会方式が用いられるようになる。製作委員会方式で成功したとされる作品には、オリジナルアニメから多方面に展開し成功した『新世紀エヴァンゲリオン』や、ライトノベル原作から展開した『スレイヤーズ』などが挙げられる。  しかし現在、製作委員会方式は欠点のほうが目立つようになってきた。アニメのメディアミックス戦略では、放映に合わせて原作のライトノベルやマンガ単行本を販売して収益を得るのは基本中の基本だ。これに加えて、グッズやコラボ商品、それこそ抱き枕から、マウスパッドにタオルにポスターにと、思いつく限りの商品が展開されていく。  ところが、例えば製作委員会に参加している企業が、あるグッズを考えついたとする。すると、「そのジャンルの商品化権は別の企業が……」なんてことが多々あるのだ。製作委員会に参加していない企業がグッズ展開を提案しようとすると、さらに大変だ。要は、権利がやたらと複雑化して、何がなんだかわからない混乱が当たり前に起きているのだ。もちろん、こうした混乱が収益を得る機会の損失を招くこともあり得る。メディアミックスが当然になり、展開の幅が広がったいま、権利関係をシンプルにするスキームが求められている。  さらに、製作委員会の利点であったはずのリスク分散は、作品づくりの足かせともなりつつある。リスク分散は前述の通り、製作委員会方式が普及した大きな理由だ。ところが「リスクを最大限回避する」ために、冒険的な作品が生まれにくくなっている(このことは実写映画では、もっと如実に現れているはずだ)。製作委員会に参加する、どの企業も「どーんと出資して、どーんと稼ごう」なんてところはない。「ちょっとずつ出して、損をしないようにしよう」という思考なのだ。これでは、時代を変えるような新たな作品が生み出されるとは思えない。 「もうアニメは製作委員会方式はやめて、自社製作を中心に据えるほうがよいのではないでしょうか。例えば、劇場用アニメを製作するなら2億円もあれば多いほうです。あえて製作委員会方式を使うメリットが感じられません。かつて、バンダイは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)時に、ガイナックスに好きに作らせました。結果、赤字になってしまいましたが、ガイナックスは『トップをねらえ!』などを制作して完済しました。ある程度資本力のある企業であれば、作品が一つコケても、ほかがヒットすれば埋め合わせができるはずです」 と、ある製作会社のプロデューサーは話すが、はたしていまのアニメ業界にそんな大バクチをやろうと立ち上がる人材はいるだろうか? いま求められているのは、昭和の時代にいたような剛腕なプロデューサーと出資者だろう。それは、アニメから実写まで同じなのだが。 (取材・文=昼間たかし) 

震災が浮かび上がらせた「本」の意味、「書店」の役割とは?『復興の書店』

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『復興の書店』(小学館)
 東日本大震災後、岩手、宮城、福島から本が消えた。  本だけではない。書店も消えた。2011年4月の時点で、東北全体の9割の書店が震災によって被害を受け、岩手、宮城、福島の3県では70以上の書店が全半壊。さらに、廃業を余儀なくされる店も、その後の数カ月で20軒近くに増えていった。  流通網は途切れ、本が思うように流通できない時期が1カ月近く続いた。とくに、情報を最も切実に欲していた福島県沿岸の書店には、原発事故の影響でより一層、到着が遅れた。  そんな混乱の中にあって、震災による被害を受けてなお「本」を届けようとする人たちの姿は、同じ紙の本にかかわる仕事をしている自分たちが記録し、伝えるべきことの一つではないか? 「週刊ポスト」(小学館)編集者のそんな提案で、ノンフィクション作家の稲泉連氏が現地へ飛んだ。断続的に続けてきた連載に大幅加筆して出来上がった本が『復興の書店』(同)だ。  岩手県内に3店舗を展開するブックポートネギシの本店・地ノ森店は、津波によって跡形もなく流された。書店員だった高橋葉子さんは、店が津波にのみ込まれていく一部始終を目の当たりにした。 「見たというよりも、見てしまったっていう感じで……。お店が完全に浸水してしまったときはつらくて、もうそれ以上見ていたくないと思いました」(本文より一部抜粋)  だが猪川店は、ほとんどの商品が床に落ち、店内はめちゃくちゃになっていたものの、建物自体は難を逃れた。町で残った唯一の書店ということもあり、客が殺到した。  3月15日、三陸沿岸でもいち早くお店を再開させると、「アサヒグラフ」(朝日新聞出版)や「フライデー」(講談社)、「フォーカス」(新潮社)といった緊急発売された写真週刊誌、震災を特集した各週刊誌をはじめ、『心に響く「弔辞」―葬儀のあいさつ実例集』(新星出版社)や『1000万円台で建てた家』(ニューハウス出版)といった書籍、中古車情報誌「Goo」などの雑誌も瞬く間に売れていった。その様子には、書店には似つかわしくない、どこか切迫した雰囲気があったという。   また、福島第一原発から約40キロの場所にある相馬市で、11代続く老舗「丁子屋書店」を営む佐藤さん夫婦は、避難ではなく、この地にとどまり、店を再開することを決めた。 「店を開いたのは、本が売れた、何が売れた、っていうことじゃなかったんです。ああ、お店が開いている、という声。最初はただそれだけで嬉しくてやっていたようなものです」(佐藤さん)  本書では、公園に設置された大型テント内で仮営業を続けてきた「大手書店」、計画的避難区域内で営業する日本で唯一の村営書店「本の森いいたて」、スタッフ全員が書店員として働いた経験がない新規参入の「一頁堂書店」など、12店舗の書店を中心に話が展開される。  町を歩けば、風景の一部として、当たり前のようにある書店。けれど、もしその書店がなくなったら――――。  インターネットが普及し、情報が「無料」になった現代。そんな中、やはり書店が必要だと意気込み、奮闘する被災地の書店に、これからの「本」、そして、「書店」のあり方を考えさせられる。 (文=上浦未来) ●いないずみ・れん ノンフィクション作家。1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒。05年『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』(中央公輪新社)で大宅賞を受賞。他の著書に、『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』(文藝春秋)、『仕事漂流 就職氷河期世代の「働き方」』(プレジデント社)、『命をつないだ道 東北・国道45号線をゆく』(新潮社)などがある。

新旧アクションスターが再び大集結!『エクスペンダブルズ2』

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(C)2012 Barney's Christmas, Inc.
 今週は、アクションスター総出演でド派手なファイトが特盛りの娯楽超大作と、知的な推理とゴシック調の世界観を味わうサスペンス劇という、好対照なハリウッド映画2本を紹介したい。  10月20日公開の『エクスペンダブルズ2』は、シルベスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレンといった新旧アクションスターが集結した大ヒット作『エクスペンダブルズ』(10)の続編。バーニー(スタローン)が率いる凄腕ぞろいの傭兵部隊「エクスペンダブルズ」(消耗品軍団)は、東欧アルバニアの山脈に墜落した輸送機からデータボックスを回収するという依頼を受ける。難なくボックスを手に入れたバーニーたちだったが、ヴィラン(ジャン=クロード・バン・ダム)をリーダーとする凶悪な武装集団が立ちはだかる。  第1作で監督・脚本も兼ねていたスタローンは、今作では主演に専念し、『トゥームレイダー』(01)『メカニック』(11)のサイモン・ウェストにメガホンを任せた。ブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツェネッガーは前作で顔見せ程度のワンシーン出演だったが、今回は期待に応えて本格的なアクションを披露。スタローンと3人でマシンガンをぶっ放す感涙モノの揃い踏みもあるし、『ターミネーター』シリーズのシュワちゃんのキメ台詞「アイル・ビー・バック」をネタにしたジョークも楽しい。飛び後ろ回し蹴りを華麗に決めるバン・ダム、西部劇風のBGMと共に登場する一匹狼のチャック・ノリスなど、初参戦組にもそれぞれ見せ場が用意されている。全盛期が短く使い捨てられがちなアクション俳優の境遇を「消耗品軍団」の物語に重ねたスタローンの心意気をしっかり受け止めるもよし。往年のスターたちが競演するロックフェスのように、夢の顔合わせと心地よい刺激に身を委ねるもよし。ガチなアクションマニアからライトな娯楽映画好きまで、幅広い層が楽しめる快作だ。  もう1本の『推理作家ポー 最期の5日間』(10月12日公開、R15+指定)は、19世紀に数々の名作を発表し史上初の推理作家と呼ばれるエドガー・アラン・ポーの謎めいた最期の日々を、史実と創作を交えて描くミステリーサスペンス。米国ボルティモアで1849年、高名な作家エドガー・アラン・ポーの小説『モルグ街の殺人』を模倣した猟奇的な殺人事件が起こる。警察から犯行を疑われたポー(ジョン・キューザック)は、第2、第3の模倣殺人が発生したことから、自ら捜査に乗り出すが……。  監督は『Vフォー・ヴェンデッタ』(05)、『ニンジャ・アサシン』(09)のジェームズ・マクティーグ。虚実を巧妙に織り交ぜたストーリーと、ポーの小説を基にした殺害方法やトリックの数々は、推理小説ファンに元ネタと照らし合わせる楽しみを提供してくれる。ポーの作品群を知らなくとも、犯行現場や台詞に隠されたヒントを頼りに、真犯人の正体を探る知的興奮を味わえるだろう。当時を再現したシックで上品な衣装や美術と、意表を突く凄惨な殺害シーンのコントラストも印象的だ。 (文=映画.com編集スタッフ・高森郁哉) 『エクスペンダブルズ2』作品情報 <http://eiga.com/movie/57824/> 『推理作家ポー 最期の5日間』作品情報 <http://eiga.com/movie/58200/>

「出るか、ウルトラC!」幸福の科学『神秘の法』が予言する領土問題の行く末

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映画『神秘の法』公式サイトより
 尖閣諸島や竹島問題など近隣諸国による領土問題で、がぜん盛り上がりを見せる日本の国防論だが、もし中国が本気を出して日本の領土に侵入してきた場合、そして日本がチベットなどと同じように占領されてしまった場合、わが国はどのようになってしまうのだろうか?  そんな非常にセンシティブな話題にズバリと切り込み、最悪な事態をいかに回避すべきかを大胆にシミュレートした問題作が、先週末に公開されたばかりの映画『神秘の法』である。  経済的・軍事的な超大国となった東アジア共和国でクーデターが発生。軍部出身のタターガタ・キラーを皇帝とする 「帝国ゴドム」が、日本を侵略した後、占領。言論・信教の自由がなくなった日本において、主人公・獅子丸翔が世界平和を目指して帝国に戦いを挑む、というあらすじの本作は、宗教団体・幸福の科学の同名の教典を題材としたアニメーション映画だ。  冒頭に述べた通り、序盤で日本が東アジアの大国(公用語が中国語と設定されているあたり、どう考えても中華人民共和国を想定しているとしか思えない)に日本海側から侵攻されるという衝撃的なシーンが描かれる。以前なら「何をバカな」と苦笑してしまいそうな展開だが、尖閣諸島における衝突などかの国の強硬な対日政策を見た後だと、ある程度の説得力があるようにも思えなくもない。  これまでも『コードギアス』や『ギルティクラウン』などのSFアニメでも日本が他国に占領されてしまう様子が描かれてはいたが、序盤のリアルな作風と絵柄も相まってなかなかの迫力と緊迫感がフィルムから感じられるのだ。  ここは『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』などのガイナックス作品に参加したほか、『カウボーイビバップ』などのセットデザインを手がけた今掛勇監督ならではの見せ場といえるだろう。  とはいえ、本作はあくまでエンタテインメント作品である。物語はそこでは終わらず、中盤から怒涛の超展開が待ち構えている。日本の将来を憂う獅子丸翔が出雲で結跏趺坐を組んで瞑想をしていると、木花開耶姫(このはな さくやびめ)が姿を現し「翔はブッダとエル・カンターレ(幸福の科学の本尊)の生まれ変わりだと告げる。すると次のシーンでは、金星人がUFOに乗って登場。帝国ゴドムの黒幕は宇宙人だと明かすのだ。なんじゃそりゃ。ここで宇宙人のオーバーテクノロジー兵器で世界を侵略する帝国ゴドムの秘密を知った獅子丸翔は、国際秘密結社「ヘルメス・ウィングス」を率いて抵抗するようになるのだが、最終的にはタターガタ・キラーの手先である中華風ゾンビ兵軍団と、獅子丸翔が召喚するインド仏教の戦闘神や古代日本の兵士たちが激突。さらにタターガタ・キラーの化身である黒龍と日本を守るヤマタノオロチが空中大決戦を展開する。日中の英霊が激突する、さながら「スーパー神仏大戦」とでもいうべき一大スペクタクルが繰り広げられるのだ。  そしてクライマックスでは、愚かな争いを続ける人類に絶望した地球が怒って火山を爆発させるという、どこかのアニメソングの歌詞のような事態が発生。戦争と自然災害に襲われ大ピンチの日本! この状況を打破するために、我々は何をすればいいのか……!? そんな観客と登場人物の思いに応えて、獅子丸翔が出した救いの手段は、ぜひ劇場で確認してほしい。  ウルトラC級な発想の大転回であると同時に、誰がこの映画の総指揮者なのかを考えたら「そりゃそうだよな」と納得せざるを得ない超力技なオチはお見事であり、爆笑モノである。いや、きっとここは笑うべきじゃないんだろうけど。 「信仰や宗教は、教義からはじまるのではなく、その偉大な物語をつくり、それを信じて生きた人への共感と尊敬と愛からはじまる」  かつて五木寛之は著書『人生の目的』においてこのように語っていたが、まさしくこの言葉は本作の全てを表現しているといえるだろう。思えば日本の古代神話や聖書などにも、「なんでやねん!」とツッコミたくなるような超展開は少なくはない。だから『神秘の法』の超展開も何もおかしくはないのである。その人が体感した大きな物語を追体験し、その人の信じる物語を共有することで、我々は生きる目的と意味を見だすである。本作に当てはめると、さまざまな困難を乗り越え、最終的にいかにして教義が人々の間に広まっていったか。それをどこまでドラマティックに演出できるかが重要なのだ。そういう意味では、ドラマティックすぎるクライマックス。そしてエンディング映像は本作最大の見どころともいえる。  つまり、『神秘の法』はエンドマークが出るまで席を立つことのできない、最初から最後まで見どころ満載な映画ってことでいかがでしょうか。先生!