国際結婚というと、皆さんがすぐに思い浮かべるのは千昌夫とジェーン・シェパード夫人、梅宮辰夫とクラウディア夫人、川崎麻世とカイヤ夫人、後藤久美子とジャン・アレジ等の華々しい結婚ではないでしょうか。えっ、どれも古いって? 今回ご紹介する『愛しのアイリーン』は、1995~96年まで「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に連載されていた新井英樹先生による作品で、国際結婚がテーマです。しかし、国際結婚といっても、いま挙げたような華やかな事例とはちょっと違い、フィリピン人女性とのトンデモ国際結婚がテーマとなっています。 80~90年代まで、日本人男性がフィリピンに行って嫁探しをし、フィリピン人女性は出稼ぎ感覚で日本に嫁ぐ……そういったスタイルの国際結婚が社会現象になっていました。「ジャパゆきさん」という言葉がはやったり、フィリピン人女優のルビー・モレノが活躍したりしました。『愛しのアイリーン』は、そんな社会情勢に強く影響を受けています。 それはともかく、『愛しのアイリーン』ってタイトル、なんともラブリーでかわいらしいですよね。タイトルだけだと、きっとキュートな女性が登場するあまーいラブコメじゃないか、なんて思う人もいるかもしれません。ところがどっこい、内容は全然かわいくありません。出てくるのは、オナニーとセックスとバイオレンス。主人公は有り余る性欲が抑えられず、「おまんごー!」「メイグラーブ!」と、方言全開で雄叫びを上げたりします。軽い気持ちで読むと、トラウマになる作品ですね。 舞台は、過疎化が進行したとある山村。主人公、宍戸岩男は熊のようなガタイをした大男で、パチンコ店勤務のモテない42歳のオッサンです。同居する家族は年老いた母親・ツルと、認知症が進行している父親・源造……なんとも切なさがこみ上げてくる設定ですね。 1話目から、岩男の非モテエピソードが全開です。仕事から帰ってきて、夜中に親の目を盗んでAVやエロ本を見ながら自慰にふける主人公。その様子を、障子の穴から心配そうにのぞく母。なんともやるせないシーンです。なにより、この42歳独身男にプライバシーが皆無なのがやるせない。母よ、そこはのぞかないでやってくれよ……。 そんな母は、結婚するアテもない息子を不憫に思い、お見合いをセッティングしようとするのですが、岩男は母ちゃんが苦労してセッティングした縁談を頑なに拒みます。 実は、岩男は職場にいる愛子という同僚に惚れていました。バツイチ子持ちの薄幸そうな清楚系美女ですが、岩男に対し、ちょくちょく気があるようなそぶりを見せるため、免疫のない純情中年童貞は、すっかりその気になってしまっていたのです。 ところが、その愛子が清楚な見た目とは裏腹に超お盛んで、パチンコ店の複数の男性従業員とエッチ済みだったのでした。その事実を知って愕然とする岩男は、怒りのあまり愛子の自宅に押しかけるも「ほ…本気だと困るんだわ」と、ガッツリ振られます。その夜、怒りのあまり車で壮絶に事故り、血だるまの状態で雪山に駆け上り、『北斗の拳』のケンシロウよろしく上半身の服をビリビリに引き裂きながら「お…おま…おまんごー」と絶叫。あまりに壮絶すぎるシーンに、読者の大半はドン引き必至。それにしても、非モテをこじらせるとケンシロウ化するんですね。知らなかった……。 さて、ここまでのシーンで6話経過しているのですが、一切タイトルの「アイリーン」がなんなのか触れられていません。まるでスピッツの「ロビンソン」並みに謎の存在でしたが、ここから急展開します。 愛子に振られて失意の岩男は、あっせん業者になけなしの貯金280万円を支払って、フィリピンへ嫁探しに。そして、30人の嫁候補と面談の末、面倒くさくなって決めたのが、18歳の生娘、アイリーンでした。ただヤリたいだけの夫と、カネ目当ての妻。打算だらけの国際結婚が成立します。 しかし、せっかく嫁を連れて帰国した岩男、バラ色のハネムーンどころか、そこからが地獄の始まりでした。岩男が黙ってフィリピンに嫁探しに行っている間に父が亡くなっていたのです。事もあろうに、葬儀中にフィリピン人妻を突然連れて帰ってきたため、母・ツルが激怒。その姿は、まさに鬼婆そのものでした。その後のシーンでは、ツルはアイリーンに猟銃を突きつけ、単なる脅しかと思いきや、本当に発砲。間一髪で逃れたものの、本気でアイリーンを殺しにかかるシーンが何度かあります。こんな恐ろしい婆さん、マンガでもなかなかいないレベルです。 家の敷居をまたげなくなってしまった岩男は、アイリーンとともにラブホテルを転々とする生活を余儀なくされますが、しょせんカネで買った関係。アイリーンが岩男に心を許さず、セックスを拒み続けるため、いまだに初夜を迎えられません。280万円払っても望みがかなわない岩男は、ラブホのベッドを引き裂き、逃げ回るアイリーンに対し「おまんごー」「メイグラーブ!!」「ファッグ ミ ファッグ ミ」と怒りの絶叫。最後は、ホテルの部屋中の器物を破壊しまくります。非モテが極まって、公害レベルの迷惑な存在へと進化! ここまででも十分に常軌を逸している展開なのですが、その後もすごいです。どうしても岩男とアイリーンの結婚を受け入れられないツルは、アイリーンと和解するフリをして家に呼び寄せ、女衒のヤクザ者に売り飛ばします。しかし、ヤクザに車で連れ去られるアイリーンを岩男がカーチェイスの末、決死の救出。勢い余って、ヤクザ者を猟銃で撃ち殺してしまいます。 岩男とアイリーンは、その遺体を人里離れた山中に埋めます。皮肉なことに、結婚後初めての共同作業がケーキカットではなく、死体埋葬でした。そしてその夜、2人は初めて結ばれるのです。 その後、2人は仲睦まじく幸せに……ということは全然なく、人を殺した罪悪感と、殺したヤクザの仲間からの執拗な嫌がらせにより精神崩壊状態の岩男は、同僚の愛子を襲ったり、アイリーンの友人のフィリピーナを買ったりと、女がいれば手当たり次第にセックス三昧で現実逃避に走ります。人を殺した後が一番モテモテ、なんという皮肉でしょうか。 その後はなんと、岩男が途中で死亡。残されたアイリーンとツルが壮絶な嫁姑バトルを展開しますが、最後の最後までドン底すぎる展開が続きます。 実は本作品、農村の少子高齢化や嫁不足問題、後継者問題、そして国際結婚といった複雑な社会問題をテーマとして扱っている作品でもあるのですが、終始狂気に満ちあふれた、気が抜けないストーリーとすさまじい画で、そういった部分をまったく感じさせません。バブルアフターで浮かれ気分の残る世間の風潮に強烈な冷水を浴びせるものすごいマンガ、それが『愛しのアイリーン』だったのです。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>)『愛しのアイリーン』(新井英樹/太田出版)
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増加する“ストーカー殺人”加害者の心の深淵をのぞく『ストーカー加害者:私から、逃げてください』
先月、東京・小金井市で女子大生シンガーソングライターがファンを名乗る男に襲われる痛ましい事件が発生した。男は、SNSで女子大生に対して脅迫めいた発言を続けていたと報じられている。2010年代に入り、こうしたネットを介したストーカー事件が後を絶たない。そういった中で、無視され続けてきたストーカー加害者のパーソナリティを知る必要があるという声が上がるようになった。その声の主は、ストーカー殺人の被害者遺族だった。 『ストーカー加害者 私から、逃げてください』(河出書房新社)は、著者でドキュメンタリー・ディレクターとして活躍する田淵俊彦が複数のストーカー加害者とされる人に行ったインタビューを元にしたルポだ。 田淵は、インタビューの結果から、ストーカーは3タイプに分類できるという。 「私は被害者であり加害者ではない」と語る佐藤さん(仮名)は、わかっているけどやめない“執着型”。相手より優位に立ちたいという気持ちが強いのが特徴で、佐藤さんは「相手が這いずりまわる姿をみたい」と、平然と言ってのける。佐藤さんが執着するのは、別れ方がわからないから。「別れるくらいなら、殴るくらいのことをしてみせて」。歪んだ愛情表現を口にする。 50代後半の田中さん(仮名)は、わかっていないからやめられない“求愛型”。一途な人が多く、思い込みが激しいこのタイプは、「相手がどう思っているか?」を理解するまで、延々とストーカー行為を繰り返す。田中さんは、相手が今でも自分の求婚を受け入れてくれるのだと信じている。 ネット上で知り合った面識のない男性に、理想像を重ねる上田さん(仮名)は、わかっているけど、やめられない“一方型”だ。ストーカー行為をしている自分自身にアイデンティティを見いだし、なにもしていないことが耐えられない。「私は、その人が住んでいた家が自分の家だと思っていたんです」上田さんは、6時間もかかる相手の家に何度も通った。 本書に登場するDVのない社会を目指す民間団体「アウェア」の吉祥(よしざき)さんは、ストーカー予備軍の増加の一因はデートDVにあるという。吉祥さんが、「強い束縛は愛情表現だと思うか?」と何人かの高校生に投げかけたところ、ほとんどが「そうだ」と答えた。 「束縛は大切にされている感がある」「重い、って思われないなら束縛はしたい」デートDVの兆候のひとつが若者の間で“強い愛情表現”になってしまっている。そんな歪んだ愛情表現が、関係が切れた瞬間に憎悪に変わり、ストーカーを生み出すのは言うまでもないだろう。 田淵が本書の執筆にあたり、取材したテープは100時間を超える。加害者の本音を記録したそれらを読み解いていく作業は精神を削っただろう。田淵はこう言う。「ストーカー加害者はあなたの隣に普通にいる。いや、あなたの心の中にいる。そして私の心の中にも……」『ストーカー加害者:私から、逃げてください』(河出書房新社)
瀧本哲史が考える、最強の「マッチメイク」読書術!『読書は格闘技』
本屋に行けば「ブックガイド本」というジャンルの書籍が並び、雑誌「サイゾー」でも「本特集」は人気企画のひとつ。いったい、どんな本を読めばいいのかという指針を求めている人は少なくないようだ。しかし、ブックガイド本を購読するくらいならば、そこに紹介されている本から手に入れるほうが早いのではないだろうか? いったいなぜ人はまず「ブックガイド本」を選んでしまうのだろうか? 『武器としての決断思考』(星海社新書)、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)などで知られる瀧本哲史の新著『読書は格闘技』(集英社)は、「組織論」「グローバリゼーション」「教養小説」「児童文学」など、12のテーマごとに読むべき本を紹介するブックガイド本である。本書の中で、瀧本は「読書は格闘技」であり「書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して、「本当にそうなのか」と疑い、反証する中で自分の考えを作っていくという知的プロセス」と持論を展開する。瀧本は、いったいどのような形で「格闘」を繰り広げているのだろうか? いくつかの例を見てみよう。 本書の中で、瀧本はテーマごとに、アプローチの異なる2冊の本を取り上げる。「心をつかむ」というテーマであれば、カーネギーの名著として知られる『人を動かす』(創元社)とロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』(誠信書房)を、「組織論」というテーマであれば、ジム・コリンズ、ジェリー・I・ポラスの『ビジョナリー・カンパニー』(日経BPマーケティング)と、マキャベリの『君主論』(講談社学術文庫)をそれぞれ「マッチメイク」している。では、瀧本の立場はその2つの間に立つレフェリーなのだろうか? 褒めるところは褒め、批判するべきは批判する瀧本は確かに中立を保つレフェリーに似ている。しかし、彼の役割は、勝ち負けを決めることではなく、2つの書籍にどんな使える「武器」が眠っているかを掘り起こすこと。トーマス・フリードマン『フラット化する世界』(日本経済新聞出版社)と、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(集英社)を紹介する「グローバリゼーション」のページでは、2005年に原書が刊行され、もうすでに「古典」と化している前者を「どこが古くてどこが新しいのか、何が一時的なブームで何が大きなトレンドなのかを自分で考えるための素材」として紹介し、アメリカ中心で描かれ、事象を単純化していると批判されることも少なくない後者を「この20年間を冷静に振り返ってみると、各地域で『文明の衝突』とみられる紛争が数多く起きている」と擁護する。 また、「教養小説」のテーマでは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(岩波文庫)とともに、なぜかあだち充の『タッチ』(小学館文庫)が取り上げられる。「主人公が大人になるまでの過程を描く小説」と定義される教養小説というジャンルにおいて、両者を比較して見えてくるのは「大人」というイメージの変遷。かたやヒロインの朝倉南をモチベーションとして、甲子園に出場しても野球を続けることに「疲れた」という個人的な自己承認の物語である『タッチ』に対し、「意識高い系学生」に似ているというヴィルヘルム・マイスターは旅をしながら新たな人物に出会い、自己を形成し、再び日常へと戻る。時代ごとに、「大人になっていく過程」は異なっているようだ。 瀧本にとって、読書は、著者の高説を承るものではなく、「武器」を引き出し「世界という書物を直接読破」するためのツールである。2冊の本を取り上げることによって、複眼的にテーマに迫る瀧本の姿勢から見えてくるのは、彼がどのように「世界を読解しているか」ということ。だから、文芸としての「読書の楽しみ」や狭い意味での「教養」はここには描かれていない(瀧本はあとがきで「教養について考えるのであれば、『自分にとって』読むべき本、読む必要のない本を判断することが『教養』と言えるだろう」と語っている)。 書物を読みこなすのではなく、世界を読みこなそうとしている瀧本の記した『読書は格闘技』は、単なる本の紹介には終わらない魅力を持っている。では、そんな瀧本の「格闘スタイル」から、読者はどのような武器を取り出すのか? ただの指針にとどまらず、読者はそんな「格闘」を迫られることだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『読書は格闘技』(集英社)
うっとうしいけど、憎めない!? 時代に翻弄される中国人の姿を描く“倦中本”『激ヤバ国家 中国の正体!』
いまやお昼の情報番組から週刊誌まで、中国ネタは欠かすことのできないおなじみコンテンツとなっている。 しかし、そこに登場する中国人たちの行動といえば、白昼の路上で突然裸になったり、横転したトラックの積み荷をわれ先にと奪い合ったりと、われわれ日本人からすれば“とっぴ”と言わざるを得ない。彼らは、日本人と顔形が似ているからこそ、われわれの常識にそぐわない行動をすると、余計に奇妙奇天烈に映る部分もあるだろう。 そのせいか、内閣府が2016年3月に発表した「外交に関する世論調査」によると、中国に「親しみを感じない」と答えた日本人は、が83.2%に達し、1978年以降で過去最高となっている。 そんな日本人のステレオタイプな「中国人不信」を少しだけ好転させるかもしれない本が、奥窪優木氏による『激ヤバ国家 中国の正体! 』(宝島社)である。 本書は、「週刊SPA!」(扶桑社)で8年間にわたって連載されていた人気コラム「中華人民毒報」の中の、習近平体制発足前夜から4年間の記事をまとめた一冊だ。中国で巻き起こる3面記事的なドタバタ劇が、現地在住者の視点を交えてつづられている。 ところが、ページをめくるうち、不可解で迷惑千万な中国人の行動が「実は、激動の時代を死に物狂いで生き抜こうとしている結果なのかもしれない」と、同情の念すら湧いてくる。 例えば、コソ泥を捕まえて恥ずかしい写真を撮影し、ネット上に晒すという「私的制裁」が流行する裏には警察の不作為があり、危険を顧みず車道を横切る歩行者が後を絶たない背景には、地下横断歩道の治安の悪さもある。 また、習政権によるさまざまな政策や不透明な経済状況のもと、庶民らが翻弄される姿も見えてくる。反腐敗運動で公務員の袖の下が激減する中、回鍋肉で税務署職員を買収する飲食店経営者や、モーターショーから一掃され、途方に暮れる元コンパニオンたちの末路など……。 そのあたりが、いわゆる嫌中本とは一線を画しているわけだが、著者は本書を「倦中本」と呼んでいる。確かに本書に登場する中国人たちには、うっとうしいけどどこか憎めない、そんな倦怠期の連れ合いに対するような感情が芽生えてくるのである。『激ヤバ国家 中国の正体! 』(宝島社)
納豆は日本人だけのソウルフードではなかった!? 辺境作家・高野秀行が追った納豆ルポ『謎のアジア納豆』
納豆。それは、日本人だけが食べる超庶民派ソウルフード、のはずであった。ところが、実はミャンマーやタイ、ネパール、中国、ブータン、ラオスでも、古くから食べられていた――! そんな世界を股にかけた衝撃の納豆ルポ『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)が発売された。著者は、辺境作家のレジェンド・高野秀行氏。早稲田大学在学中の『幻獣ムベンベを追え』(PHP研究所)でデビューした彼も、まもなく50歳を迎える。にもかかわらず、まったくといっていいほどその好奇心と行動力は衰えず、まさに生きる伝説である。これまでに、コンゴ奥地の幻獣ムベンベ探し、ゴールデン・トライアングルでアヘンを栽培する村に潜入、無政府状態のソマリア国内に存在する独立国家ソマリランドを取材したりと、好奇心の赴くまま、奥へ奥へと突き進み、取材を繰り返してきた。 その高野氏が、次に目をつけたのが納豆だ。出合いは、ミャンマー北部カチン州のジャングルを歩いていたとき。密林が途切れた平原にある小さな村で、ふいに白いご飯に生卵と納豆が添えられた食事が目の前に現れた。しょうゆではなく、塩で食べたというが、ちゃんと糸も引くし、味は間違いなく日本の納豆と同じだったという。さらに、タイ北部の町・チェンマイにある、当時「麻薬王」と呼ばれていたクンサーの地下宝石工場でも“納豆汁”に出くわす。納豆は厚さ2~3ミリの薄っぺらい円盤状をしていて、薄焼きせんべいのようなものを火であぶり、杵(きね)でついて粉にし、スープにしたのだという。 高野氏は、辺境での納豆との出合いから、日本人が外国人に対し、踏み絵のごとく「納豆は食べられるのか?」と問う場面に出くわすと、ついつい口を挟んでしまう。納豆は日本人だけの専売特許ではない! と。けれど、返ってくる答えはいつも同じだ。それは「日本の納豆と同じなのか?」「作り方は?」。そこで、答えに窮していた高野氏が、アジア納豆、さらには、そもそも日本の納豆とはなんぞや、という調査に本格的に乗り出す。その答えとして、季刊誌「考える人」(新潮社)で発表。大幅に加筆して導き出した報告書が、本書だ。 例えば、ミャンマーのシャン族の場合。彼らは、日本人が納豆をソウルフードと思い込んでいるように、「納豆はわれわれのソウルフード」と豪語する。しかも、納豆のことをシャン語で「トー・ナウ」といい、それは中国語の「豆(トゥ)」から来ているというから、とても偶然とは思えない。高野氏は本格的な調査を行うため、入り口となるタイのチェンマイへと飛び、シャン料理店の美人女将に日本の納豆を差し出した。すると、「ホーム・ホーム(いい香り)」と喜び、「これ、炒めるよね?」と言って、タマネギ、生姜、唐辛子を刻み、中華鍋で炒めた後、納豆を放り込んだ! しかも、これを餅米とともに食べた……。東京に20年暮らす、シャン族のサイさんは、日本の納豆についてこう語る。「おいしいけど、日本の納豆は味がひとつしかないからね」。 ひょっとして、日本は納豆の後進国なのか? 高野氏は、これまでに培った辺境のマニアックな語学力を生かし、ミャンマーのカチン州で竹筒を使って発酵させるという幻の竹納豆、同じくミャンマーのナガ山地で暮らす元首狩り族の納豆汁、ネパールの“納豆カースト”の人々が食べるヒマラヤ納豆カレーなど、数多くのアジア納豆を求めて取材を重ねる。さらには、日本へと立ち返り、岩手県和賀町(現・北上市)に伝わるという、雪の中で納豆を発酵させる、謎の雪納豆の正体まで追いかける。 その中で高野氏は、アジア納豆とは「辺境食」ではないか? という、ひとつの結論に達する。その理由について、辺境と納豆の関係について、熱を帯びて解説されているページをめくるたび、あまりに壮大な納豆の世界に、凡人はひれ伏してしまう。読み終えたとき、“納豆観”が、変わること間違いなし。 (文=上浦未来) ●たかの・ひでゆき ノンフィクション作家。1966年、東京都八王子市生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒。1989年、同大学探検部の活動を記した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」をモットーとする。2006年『ワセダ三畳青春期』(集英社)で第1回酒飲み書店員大賞を受賞。13年『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(本の雑誌社)で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。その他の著書に『アヘン王国潜入記』『未来国家ブータン』(集英社)、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)などがある。『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)
日本人だけのソウルフードではなかった!? 辺境作家・高野秀行が追った納豆ルポ『謎のアジア納豆』
納豆。それは、日本人だけが食べる超庶民派ソウルフード、のはずであった。ところが、実はミャンマーやタイ、ネパール、中国、ブータン、ラオスでも、古くから食べられていた――! そんな世界を股にかけた衝撃の納豆ルポ『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)が発売された。著者は、辺境作家のレジェンド・高野秀行氏。早稲田大学在学中の『幻獣ムベンベを追え』(PHP研究所)でデビューした彼も、まもなく50歳を迎える。にもかかわらず、まったくといっていいほどその好奇心と行動力は衰えず、まさに生きる伝説である。これまでに、コンゴ奥地の幻獣ムベンベ探し、ゴールデン・トライアングルでアヘンを栽培する村に潜入、無政府状態のソマリア国内に存在する独立国家ソマリランドを取材したりと、好奇心の赴くまま、奥へ奥へと突き進み、取材を繰り返してきた。 その高野氏が、次に目をつけたのが納豆だ。出合いは、ミャンマー北部カチン州のジャングルを歩いていたとき。密林が途切れた平原にある小さな村で、ふいに白いご飯に生卵と納豆が添えられた食事が目の前に現れた。しょうゆではなく、塩で食べたというが、ちゃんと糸も引くし、味は間違いなく日本の納豆と同じだったという。さらに、タイ北部の町・チェンマイにある、当時「麻薬王」と呼ばれていたクンサーの地下宝石工場でも“納豆汁”に出くわす。納豆は厚さ2~3ミリの薄っぺらい円盤状をしていて、薄焼きせんべいのようなものを火であぶり、杵(きね)でついて粉にし、スープにしたのだという。 高野氏は、辺境での納豆との出合いから、日本人が外国人に対し、踏み絵のごとく「納豆は食べられるのか?」と問う場面に出くわすと、ついつい口を挟んでしまう。納豆は日本人だけの専売特許ではない! と。けれど、返ってくる答えはいつも同じだ。それは「日本の納豆と同じなのか?」「作り方は?」。そこで、答えに窮していた高野氏が、アジア納豆、さらには、そもそも日本の納豆とはなんぞや、という調査に本格的に乗り出す。その答えとして、季刊誌「考える人」(新潮社)で発表。大幅に加筆して導き出した報告書が、本書だ。 例えば、ミャンマーのシャン族の場合。彼らは、日本人が納豆をソウルフードと思い込んでいるように、「納豆はわれわれのソウルフード」と豪語する。しかも、納豆のことをシャン語で「トー・ナウ」といい、それは中国語の「豆(トゥ)」から来ているというから、とても偶然とは思えない。高野氏は本格的な調査を行うため、入り口となるタイのチェンマイへと飛び、シャン料理店の美人女将に日本の納豆を差し出した。すると、「ホーム・ホーム(いい香り)」と喜び、「これ、炒めるよね?」と言って、タマネギ、生姜、唐辛子を刻み、中華鍋で炒めた後、納豆を放り込んだ! しかも、これを餅米とともに食べた……。東京に20年暮らす、シャン族のサイさんは、日本の納豆についてこう語る。「おいしいけど、日本の納豆は味がひとつしかないからね」。 ひょっとして、日本は納豆の後進国なのか? 高野氏は、これまでに培った辺境のマニアックな語学力を生かし、ミャンマーのカチン州で竹筒を使って発酵させるという幻の竹納豆、同じくミャンマーのナガ山地で暮らす元首狩り族の納豆汁、ネパールの“納豆カースト”の人々が食べるヒマラヤ納豆カレーなど、数多くのアジア納豆を求めて取材を重ねる。さらには、日本へと立ち返り、岩手県和賀町(現・北上市)に伝わるという、雪の中で納豆を発酵させる、謎の雪納豆の正体まで追いかける。 その中で高野氏は、アジア納豆とは「辺境食」ではないか? という、ひとつの結論に達する。その理由について、辺境と納豆の関係について、熱を帯びて解説されているページをめくるたび、あまりに壮大な納豆の世界に、凡人はひれ伏してしまう。読み終えたとき、“納豆観”が、変わること間違いなし。 (文=上浦未来) ●たかの・ひでゆき ノンフィクション作家。1966年、東京都八王子市生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒。1989年、同大学探検部の活動を記した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」をモットーとする。2006年『ワセダ三畳青春期』(集英社)で第1回酒飲み書店員大賞を受賞。13年『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(本の雑誌社)で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。その他の著書に『アヘン王国潜入記』『未来国家ブータン』(集英社)、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)などがある。『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)
理想の恋人という偶像(アイドル)を追い求めてしまう若者の哀しい心理『エクス・マキナ』
男はいくつになっても、理想の女性像を追い求めてしまうものらしい。友松直之監督の『老人とラブドール』(09)や城定秀夫監督の『ユリア100式』(09)といった独身男性と女性型アンドロイドとのラブロマンスを描いたファンタジー作品は男たちの涙腺を刺激してやまない。その一方で、自分の理想像を現実世界の女性に身勝手に押し付けた「元アイドル刺傷事件」という悲惨な事件が起きてしまった。多くの男は思う。犯人はなぜ生身の女性に稚拙な理想像を求めたのだろうと。そんな自分に都合のいい理想の女性なんて実在するはずないのにと。現実の世界には理想の女性は実在しない。それゆえに、余計に自分の脳内にいる理想の恋人が愛しく思えてくる。『わたしを離さないで』(10)の脚本家として知られるアレックス・ガーランドの監督デビュー作『エクス・マキナ』は、最新のAI(人工知能)を搭載した女性型ロボットに恋をしてしまう若者を主人公にした興味深い内容となっている。 主人公である青年ケイレブ(ドーナル・グリーソン)は検索エンジンで有名な巨大IT企業に勤めるプログラマー。企業内の抽選に運良く当たり、普段は姿を見せない社長が暮らす豪邸に招待される。人里離れた山奥に建つ社長宅にヘリコプターで向かうケイレブ。厳重なセキュリティーシステムに守られた自宅にひとりで暮らす社長・ネイサン(オスカー・アイザック)はアスペルガー系かと思わせるかなりの変人。どうやらケイレブは社長と親睦を深めるために呼ばれたわけではないらしい。ここ社長宅は隔離された研究施設でもあり、ネイサンは最新のAIの開発を進めていた。そのAIの性能を確かめる“チューリングテスト”の質問者としてケイレブが選ばれたのだ。 社長のネイサンが開発したAIを見て、ケイレブは思わず息を呑んだ。AIは女性型ロボットに搭載されており、若く美しい女性の顔の下のボディ部分はスケルトン状になっており、配線の様子が覗いてみえる。ロボットを人間に似せれば似せるほど“不気味の谷”を感じさせるはずなのに、そのアンバランスで無防備な姿が何とも艶かしい。しかもエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)と名乗る女性ロボットは優れたAIを備え、初々しくも知的な会話が2人の間で交わされる。ボーイ・ミーツ・ガール。思春期の頃に両親を亡くし、淋しい生活を送ってきたケイレブはテストを重ねるごとに、どうしようもなくエヴァに魅了されていく。エヴァこそ、ケイレブにとって理想の女性だった。 エヴァを演じたアリシア・ヴィキャンデルは、『リリーのすべて』(15)で今年のアカデミー賞助演女優賞を受賞したスウェーデン出身の若手女優。生まれて間もないエヴァのあどけなさ、そして次期AIが開発されれば廃棄処分となるという運命を背負った哀しみを顔の表情で巧みに演じてみせる。物語の中盤、丸坊主だったエヴァはウィッグを被り、ソックスを履き、カーディガンを羽織ってテストに臨む。特にこのソックスを履くシーンは堪らない。足フェチならずとも、多くの男性はときめきを覚えてしまうだろう。ロボットなのに、エヴァはなんてエロチックなんだ。そんなギャップが、さらにケイレブの欲情を募らせる。映画『エクス・マキナ』に登場する女性型ロボットのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)。今年のアカデミー賞で視覚効果賞を受賞。
ケイレブとの会話を重ねることで、エヴァは自分の言動によって男性はどんなリアクションをするのかを学び、ケイレブに対して恥じらいの表情を見せ、おねだりすることを覚えるようになっていく。わずか数日間で、どんどん人間の女性に近い存在となっていく。これはもうチューリングテストというよりは、人間と機械との間に芽生えた恋愛感情である。もうすぐテストが終了すれば、エヴァはその役目を果たし、AIは初期化されてしまう。ケイレブはようやく出会えた理想の恋人を失ってしまうことになる。ケイレブはエヴァを連れて、ネイサン宅から逃げ出すことを考え始める。『旧約聖書』の創世記に記されたアダムとイブのように、エヴァもまた知恵を身に付けたことでケイレブを誘惑しようとしているのか。まるで機械仕掛け(エクス・マキナ)の失楽園を我々は目撃しているような気分になってくる。 理想の女性は現実には存在しない。多くの男性が思い描く理想の女性像は、幼かった自分にあらん限りの愛情を注いでくれた若き日の母親の面影だろう。もしくは恋愛初期段階で脳内物質が活発に働き、まぶしく映った異性の一瞬の姿ではないか。やがて恋が醒めると、冷ややかに相手のことを見ている自分がいることに気づく。仮に理想の女性がいたとしても、それは男性側の一方的な思い込みか、理想像を演じる女性の演技力のたまものに他ならない。 理想の女性なんて、どこにも存在しない。もし存在するとすれば、それは想像の世界のものだ。想像の世界と現実の世界を混同してしまうと、小金井市で起きたような悲惨な事件を招いてしまう。でもいつか、テクノロジーの進歩によって、本当にエヴァが誕生する日が訪れるかもしれない。果たして、それは楽園時代の再来なのだろうか。想像の世界と現実の世界との結界が崩れた、危険な時代となる可能性もある。新しく生まれてくるエヴァは、偏屈で古臭い思考回路しか持たない生身の男の手には負えるような代物ではないことは確かだろう。 (文=長野辰次)メタル感とメッシュ地の組み合わせが、エヴァに新鮮な魅力を与えている。スケルトン状のボディが、何とも色っぽい。
『エクス・マキナ』 監督・脚本/アレックス・ガーランド 出演/ドーナル・グリーソン、アリシア・ヴィキャンデル、オスカー・アイザック、ソノヤ・ミズノ 配給/ユニバーサル映画、パルコ R15+ 6月11日(土)より渋谷シネクイントほか全国ロードショー (c)Universal Pictures http://exmachina-movie.jp
「世の中は甘いものだと思いなさい」蛭子能収の荒唐無稽な人生哲学『僕はこうして生きてきた NO GAMBLE,NO LIFE.』
今や、テレビでは見ない日はないほどブレイクした蛭子能収。番組ではニタニタとした笑顔を振りまく一方で、ネットを検索すればブラックすぎる“マジキチ伝説”がゴロゴロと出てくる、デタラメな人物。本職がマンガ家であることを忘れられてしまっているようにすら思える。 『僕はこうして生きてきた NO GAMBLE,NO LIFE.』(コスモの本)は、そんな蛭子本人が幼少から現在までの半生を語る。 「遊んでいる時が人生で一番楽しくて充実した時間」だと語る蛭子。 “ギャンブラー”としての片鱗は、小学生のときからみえていたという。当時、友人とビー玉やお菓子を賭けて『自分が考えたゲーム』で遊んでいた。当然、考案した蛭子がそのゲームを熟知しているので、負けることはない。まるで、ドラマなどに登場するイカサマ師のようだ。 蛭子の有名なエピソードで、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)に出演した際、タモリに井の頭公園の思い出を尋ねられ「よく青姦しにきた」と語ったというものがある。事実のようで「場所は井の頭公園の動物園とは反対側の森の中でした。(中略)やるなら絶好のロケーションでした。」と本書に詳細を綴っている。 また、蛭子を語るには外せない『ローカル路線バス 乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)。番組内で歯に衣着せぬ発言をする蛭子だが、蛭子なりに思うところがあるらしい。「あまり人に気を遣わない僕でさえやはり女優さんには気を遣います。だからマドンナがバラエティ系のタレントさんだと正直ほっとします」と胸の内を明かしている。“バス旅”は人気を博し、映画版が制作され今年公開された。 ほか、漫画雑誌ガロに掲載されたデビュー作「パチンコ」を全編掲載。「ギャンブラーこそ働き者である」「世の中は甘いものだと思いなさい」など、蛭子がギャンブラー人生のなかで会得した『蛭子流・ギャンブル人生の哲学』その24か条を網羅。 “ちょっとヤバい人”蛭子能収。その飄々としたキャラクターは波瀾万丈な人生から得たものに違いない。『僕はこうして生きてきた ―NO GAMBLE,NO LIFE. 』(コスモの本)
映画史上もっとも“陰鬱な日本映画”月間が到来!! 無差別暴行、連続殺人鬼ほかドス黒映画が集中公開
映画史上もっとも“陰鬱な日本映画”月間と呼びたい。柳楽優弥と菅田将暉が無差別暴行魔に扮した暴力ロードムービー『ディストラクション・ベイビーズ』が5月21日から劇場公開されたのに続き、V6の森田剛がストーカー&連続殺人鬼役で迫真の演技を見せている犯罪サスペンス『ヒメアノ~ル』が同28日より公開。さらに神戸児童無差別殺傷事件ほか幾つかの実在の事件をベースにした加害者家族の崩壊劇『葛城事件』、北九州監禁連続殺人事件や尼崎連続変死事件を連想させる黒沢清監督作『クリーピー 偽りの隣人』が6月18日(土)に同日公開。日本中の警察組織を震撼させた“稲葉事件”の悪徳刑事に綾野剛が渾身の演技で成り切ってみせた実録犯罪もの『日本で一番悪い奴ら』も6月25日(土)の公開日を待っている。 どの作品も口当たりのよい作品ではない。ハードなバイオレンスシーンが盛り込まれた犯罪映画&社会派作品が、短期間にこれほど次々と公開されるのも珍しい。配給会社はそれぞれ異なるため、偶然ではあるわけだが、これだけ一時期に集中することになった映画業界の背景を探ってみよう。雑誌編集者に話を聞いてみた。 「最近の日本映画で活気があるのは、『ちはやふる』など少女コミックの実写化作品。少女コミックの映画化は、人気原作を押さえられれば確実にファン層を動員でき、若手キャストの顔を売ることもでき、製作費もあまり掛からない。それで10億円程度の興収が望める。原作も売れ、winwinな企画なんです(笑)。今はどの映画会社も10代の女の子向けコミックの映画化を競っている状況ですね。でも、誰が監督なのか、よく分からないような作品がほとんど。そんな風潮に反発する製作者も少なくないと思います。気骨ある映画人たちの熱気が、ここに来ていっきに溢れ出したような印象を受けますね。『チェイサー』など実録犯罪ものの傑作が次々と生まれた近年の韓国映画を思わせ、映画好きには見応えのある作品ばかりです」(映画誌編集者) 昨年公開された桐谷美玲主演作『ヒロイン失格』や有村架純主演作『ストロボ・エッジ』は共に23億円の大ヒットに。少女コミックの映画化は学園を舞台にしたものが多く、キャストも若いため、製作費を抑えることができる。確かに映画会社にとっては美味しい企画に違いない。映画界の内情について、東京テアトルの大場渉太宣伝プロデューサーに聞いてみた。 「GWや夏休みのようなお客さんの掻き入れどきは、レイティングの掛かった作品はなかなか公開しにくいという事情があります。それでGWと夏休みの狭間となるこの時期に、エッジの効いた作品が集中することになったのでしょう。ヒットが期待できるコミック原作の映画は映画会社にとっては有り難い作品ですが、コミック映画ばかり作られている現状に危機感を感じている製作者は確かにいます。TBSが東宝に持ち込んだ『64 ロクヨン』は当初は重い社会派作品を二部作として公開することを危ぶむ声があったそうですが、主演の佐藤浩市の熱演もあって、前編は好スタートを切っています。東京テアトルが配給している『ディストラクション・ベイビーズ』は製作費も宣伝費も限られた作品ですが、柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎とブレイク中の若手キャストがそろっています。普段はコミックものなどの原作付きの作品に出演することの多い彼らですが、今回は新鋭・真利子哲也監督のオリジナル作品であり、地方都市で暮らすひとりの若者の暴力衝動に、同じようにくすぶって生きてきた少年や少女が感化されていくという異色作。真利子監督と一緒にゼロから役づくりしていくことが、キ ャストにとって新鮮で充実感のある現場だったそうです。作品に触れた観客も必ず刺激を受ける作品になっているので、テアトル新宿を中心にロングランできる作品に育てていきたいですね」(大場渉太宣伝プロデューサー)真利子哲也監督の商業デビュー作『ディストラクション・ベイビーズ』。もともとの題名は『喧嘩のすべて』だった。
『ディストラクション・ベイビーズ』は若いキャストや監督たちに、将来の映画界を担って欲しいという想いも寄せられた作品のようだ。ちなみに大場プロデューサーは日活から東京テアトルに出向している身。日活が製作した『ヒメアノ~ル』『日本で一番悪い奴ら』についても聞いてみた。 「吉田恵輔監督の『ヒメアノ~ル』は古谷実さんのコミックが原作ですが、これはプロデューサーがオファーしたものではなく、吉田監督がずっと前から映画化を希望していたもの。企画にGOサインが出たのは、やはり日活が製作・配給した白石和彌監督の『凶悪』の成功が大きい。ピエール瀧、リリー・フランキーが実在の凶悪犯を演じた『凶悪』が単館系では大ヒットといえる2億円の興収結果を残したことで、犯罪ものもうまく作ればビジネスとしても成功することが分かった。『ヒメアノ~ル』はV6の森田剛が出演OKしたことも大きな決め手になったでしょう。白石監督の新作『日本で一番悪い奴ら』は、綾野剛主演作として『凶悪』以上のヒットが狙える作品。俳優たちも実人生では経験できないようなハードな役を演じることを望んでいるんだと思いますよ」 三浦友和が殺人犯の父親という難役を演じたシリアスドラマ『葛城事件』、西島秀俊が犯罪心理学者に扮した『クリーピー 偽りの隣人』は、どちらも温かく幸せなはずの家庭の中にドス黒い暗黒面が潜んでいることを暴き出した作品。他人事だとは言い切れない怖さがある。今回取り上げた“陰鬱な日本映画”は、華やかな少女コミック原作の映画とは真逆のベクトルにあるものばかり。キャストのみならず観客にすら“痛み”を強いるが、それだけ観た者の記憶に強く刻み込まれる作品でもある。人間のダークサイドに踏み込んだ陰鬱な日本映画たち、おひとついかがだろうか。 (文=長野辰次) 『ディストラクション・ベイビーズ』 監督・脚本/真利子哲也 脚本・喜安浩平 音楽/向井秀徳 出演/柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎、池松壮亮、北村匠海、岩瀬亮、キャンデイ・ワン、テイ龍進、岡山天音、吉村界人、三浦誠己、でんでん 配給/東京テアトル R15 テアトル新宿ほか公開中 (c)2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会 http://distraction-babies.com 『ヒメアノ~ル』 原作/古谷実 監督・脚本/吉田恵輔 出演/森田剛、濱田岳、佐津川愛美、ムロツヨシ、駒木根隆介、山田真歩、大竹まこと 配給/日活 R15 TOHOシネマズ新宿ほか公開中 http://himeanole-movie.tumblr.com 『葛城事件』 監督・脚本/赤堀雅秋 出演/三浦友和、南果歩、新井浩文、若葉竜也、田中麗奈 配給/ファントム・フィルム PG12 6月18日(土)より新宿バルト9ほか全国公開 (c)2016「葛城事件」製作委員会 http://katsuragi-jiken.com 『クリーピー 偽りの隣人』 原作/前川裕 脚本/黒沢清、池田千尋 監督/黒沢清 出演/西島秀俊、竹内結子、川口春奈、東出昌大、香川照之、藤野涼子、戸田昌宏、馬場徹、最所美咲、笹野高史 配給/松竹、アスミック・エース 6月18日(土)より丸の内ピカデリーほか全国公開 http://creepy.asmik-ace.co.jp 『日本で一番悪い奴ら』 原作/稲葉圭昭 脚本/池上純哉 監督/白石和彌 出演/綾野剛、YOUNG DAIS、植野行雄(デニス)、矢吹春奈、瀧内公美、田中隆三、みのすけ、中村倫也、勝矢、斎藤歩、青木崇高、木下隆行(TKO)、音尾琢真、ピエール瀧、中村獅童 配給/東映、日活 R15 6月25日(土)より全国ロードショー http://www.nichiwaru.com『その夜の侍』で監督デビューした赤堀雅秋監督の第2作『葛城事件』。家族が崩壊していく姿を冷徹に見据えている。
「21世紀はホームレスの世紀」現代社会に警鐘を鳴らす圧倒的ルポ『釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本』
2000年代に入ってから、中学生や高校生などの若者たちによるホームレス殺人事件が頻発した。そのほとんどが、行き当たりばったりな理由だったことに恐怖を感じた人もいるだろう。そんな物騒な事件を久しく聞かなくなったが、一方で“ネットカフェ難民”や“マック難民”など、野宿者の若年化が社会問題となっている。 『釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本』(筑摩書房)は、その野宿者に迫った約360ページにわたるルポである。著者の生田武志は、野宿者が多くいる大阪・釜ヶ崎で実際に生活していたという人物。昼間は住民と同じようにキツい日雇い労働に従事し、夜はボランティアとして野宿者支援を30年間続けてきた。 生田が、初めて釜ヶ崎を訪れたのは学生のとき。当時のテレビ番組で、冬を迎える釜ヶ崎を見た。そこには、失業したため路上で暮らす人々が映っており、大阪市内だけで毎年数百人が路上死していると報じられていたという。「自分が今まで生活してきたのとはまったく違う世界が、行こうと思えば1、2時間のところにあるというのは大きな衝撃を受けた」と語っている。 現地では、他の住民たちと同じように狭いドヤ(簡易的な宿泊施設)に宿泊し、朝4時になると“寄せ場”と呼ばれる仕事が集まる場所へいった。そこでは、「1000円・8~5時・枚方市・土木」と仕事の概要が書かれたワゴン車が何台も並び、手配師と呼ばれる仲介業者によって現場に送り込まれる日々を繰り返した。 生田は、野宿者問題は社会と密接に関係していると語る。長期休みの大学生やフリーターが好んで日雇い労働を利用するようになってから、釜ヶ崎でも仕事が減った。若くて安い労働力にシフトしていき、比較的年配者が多い釜ヶ崎は相手にされなくなった。仕事が月に10日あるかないかが当たり前となり、ドヤ代すら支払えなくなった日雇い労働者が路上にあふれていったという。 最近になって、釜ヶ崎は姿を変えた。ドヤはマンションになり、日雇いの街は福祉の街になった。これはマンションだと「住居」とみなされ、生活保護が支給されるからで、ドヤの経営者たちは、生活保護受給者を住まわせることで収入を得ている。 ほか、野宿者を狙った貧困ビジネスや野宿者襲撃に関する構造など、知られざる貧困と社会の関係が克明に描かれる。 「21世紀はホームレスの世紀」。豊かさの裏側には、現代社会の歪な姿が見え隠れする。『釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本』(筑摩書房)











