
『仮設のトリセツ――もし、仮設住宅で
暮らすことになったら』(主婦の友社)
「首都圏で4年以内に70%」「東海地方では30年以内に88%」など、近い将来、巨大地震の発生が予測されている地震大国ニッポン。いまや、“仮設住宅住まい”は、他人事ではないのかもしれない。
東日本大震災から早1年。今も多くの被災者が仮設住宅での生活を余儀なくされている。仮設住宅というと、避難所よりはずっといいけれど、殺風景でなんとなく生活感のない印象があるが、そんなイメージをガラっと変える1冊『仮設のトリセツ――もし、仮設住宅で暮らすことになったら』(主婦の友社)が発売された。
「仮設住宅」と「トリセツ」――。一見、違和感がある言葉の組み合わせだが、「もし、仮設住宅で暮らすことになったら……」というネガティブな問いをポジティブに変えるヒントがつまっているのだ。
仮設住宅には、意外と知られていないルールがいくつかある。入居期限は原則2年(場合によって延長できることもある)。家賃は無料だが、水道・ガス・電気は居住者負担となる。生活に必要な電化製品6点は日本赤十字社によって希望者に支給されるが、テレビは32インチの液晶、炊飯器は5.5合などサイズが決まっている。また、こまごまとした物は家族構成に合わせて支給され、「100点セット」と呼ばれることもあるが、下着は上下3セット、靴下2枚などのほか、綿棒や目ざまし時計などもある。
一言に“仮設住宅”といってもさまざまなタイプがあり、コンテナユニットによるちょっぴりおしゃれな3階建て、切妻屋根、ログハウス型、一戸建てなどなど。さらに海外では、トレーラータイプ(アメリカ)、ブルーシート(インド)、高床式(インドネシア)など、日本以上にバリエーションに富んでいる。
■仮設の達人~究極のリフォーム~
たとえ、期間限定の仮住まいとはいえ、仮設住宅は“自分の家”であることには変わりない。本書では、そんな仮設住宅の住み心地をよくするためのリフォーム術が写真やイラスト付きで多数紹介されているが、リフォームというより、カスタマイズに近いのかもしれない。軒先のひさしは当たり前。洗濯物も干せる玄関前の「風除室」や、花壇、ベンチ、キッチンカウンターなど居住者のアイデア満載だ。さらに、床下や隙間をうまく使った収納上手さんまで登場。仮設住宅には次の入居者はいないため、すぐに取り壊せるレベルのDIYが可能。よってこのようなリフォームが手軽にできるのだそうだ。
車も通らない仮設団地の通路には子どもたちもいっぱい。元気に遊びまわり、夏にはお祭り、おえかき教室やボランティアさんとの鬼ごっこ……。家の中から子どもたちの様子が手に取るように分かることも含めて、古き良き昭和の長屋のような雰囲気だ。
「誰にでも住める」仮設住宅は、「誰にでも住みにくい」住宅でもある。そんな殺風景な仮設住宅が並ぶ仮設団地は、カスタマイズによって人の手が入ることでだんだんと街らしくなっていくのだ。
■『仮設のトリセツ』著者は大学教授
本書の著者は、新潟大学工学部建設学科准教授の岩佐明彦氏。新潟では、2004年から07年にかけて、7.13水害、中越地震、中越沖地震という3つの災害が続いた。これらの3つの災害で計5,500戸の仮設住宅が建設され、たくさんの人が一時的に不自由な生活を強いられた。新潟大学工学部の岩佐研究室では“同じ新潟に住む者として何かできないか”と、「仮設de仮設カフェ」というプロジェクトを実施。実際に被災地へ足を運び、仮設住宅に住む人々から仮設住宅の暑さをしのぐ方法や彩りを与える方法、ご近所さんと仲良くなる方法など、さまざまな「仮設の知恵」をヒアリング。居住者による環境改善策に注目しながら、仮設住宅の居住環境支援に取り組んできた。
東日本大震災ではこれまでに蓄積されたアイデアをもとに、ウェブサイト「仮設のトリセツ」(http://kasetsukaizou.jimdo.com/)を開設。被災地へ何度も足を運び、居住者に仮設住宅の改善策をレクチャーしたり、冊子を配布するなどの活動を行ったそうだ。
「つらいことばかりじゃありません。この本のアイデアで前向きに暮らしています」(福島県いわき市好間仮設住宅自治会長 藤井和彦さん)
と本書の帯には書かれているが、この本から見えてくるのは逆境にも負けない人間のたくましさや、地震や津波によって失われた町が少しずつ再興していく確実な息吹。一見、仮設住宅のマニュアル本やリフォームアイデア集のように見える本書だが、復興を支援する一つの表現なのかもしれない。
●いわさ・あきひこ
新潟大学工学部建設学科准教授・博士(工学)。1994年東京大学工学部建設学科卒業。2000年同大学院博士課程修了。同年新潟大学工学部助手。03年より現職。
●『仮設のトリセツ』
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無人駅で孤独に過ごすぜいたくな一夜 鉄道旅行の至高の楽しみ方


アウトドア用のコンロがあるだけで随分と捗るぞ。
使用は駅舎から十分に離れて、火の用心。
使用は駅舎から十分に離れて、火の用心。

無人駅ながら、駅舎が立派で過ごしやすい。
郵便ポストもあるから、ちょっと便利かも。
郵便ポストもあるから、ちょっと便利かも。

ただし、ちょい広すぎて落ち着かない気も。

この駅で、かけこみ乗車をする人がいるとは思えないけどね。

夜が明けると、目の前には天竜川が流れていた。
翌朝目覚めて、驚いた。夜の闇でまったく見えなかったのだが、駅は天竜川の雄大な流れに面していたのだ。うん、やはり朝一番の驚きこそ駅寝の醍醐味だ。

しばし、この風景も独り占めだ。

天竜峡駅の船頭は外国人でした。
これがホントのB級グルメ! 伊那の街でローメンを食す旅
とにかく麺類が好きだ。外食はほとんどラーメンか、そば・うどん、あるいはスパゲッティのローテーションだ。そんな筆者がずっと食べたくてたまらないのが、ローメン。写真でしか見たことがない謎の食べ物だ。さまざまな情報を総合すると、マトンの肉を使った焼きそばに、スープが入っていたりいなかったり。……いまいち、ピンとこない食べ物だ。東京にも何軒かローメンを食べることのできる店があるらしいが、基本、居酒屋のメニューの一部という形態らしく、下戸の筆者には敷居が高い。
ゆえに、飯田線の旅において外すことのできなかったのが、長野県伊那市でローメンを食すこと。それに、伊那は古来よりさまざまな作品の聖地である。まず『究極超人あ~る』に、つげ義春『無能の人』(「蒸発」の回を参照)、それに小畑実が「伊那は七谷~」と歌う「勘太郎月夜歌」というのもあった。かくて、期待を持って降り立った飯田線伊那市駅。そこには、昨年旅をした富山県高岡市(記事参照)を超える衝撃が待っていた。
まずは街の散策へ。40リットルのザックは邪魔だ。コインロッカーはだいたい駅前に……ない。駅員に聞くと、
「キヨスクがなくなった時に、一緒に撤去されちゃったんです。ここから100メートルくらい先のバスターミナルにはあるみたいですけど……」
小さいとはいえ、街のターミナル駅にコインロッカーがないことには驚く。桜の名所として知られる観光地・高遠に比べて、観光客も来ない街ということなのだろうか。かくて、そぼふる雨の中をバスターミナルへ。切符売り場の人に聞くと、売店で管理しているとのこと。さっそく、売店のレジに座っている、おばちゃんにコインロッカーの場所を聞いてみる。どの荷物を入れるのか聞くので、背中のザックであると伝えると、
「ああ、それは入らないわ~」
ううむ、ザックを背負ったままの街歩きになるのか? と思いきや、
「ここで預かって置くから。200円ね」。うん、田舎の人は温かい。で、どこに置いとけばいいのかと尋ねると「そのあたり」と、売り場の通路を指す。……預かるというか、見張って置いてくれるわけね。
さて、ローメンを目指して街を歩くが、アーケードのある商店街は、意外にもシャッター通りではない。かなり古くから続いているであろう、オモチャ屋や呉服屋などの店舗も、ちゃんと営業している。ものすごく古めかしい模型屋もあったが、まったくの現役で営業している。やはり、地域の共同体が機能していて「これこれを買うときは、この店」という不文律が残っているのだろうか。そんな街だが、雨のせいもあるのか人通りは少ない。ちょうど高校駅伝開催前だったらしく、試走している高校生ばかりである。



と、歩いていると古めかしい映画館のような建物が。「かつては賑わったんだろうな……」と思ったら、ポスターは新しい! なんと建物の古さ(失礼!)にもかかわらず、バリバリ営業中の映画館であった。さらに、元は三軒並んでいた店舗をぶち抜いたらしきスーパーやら、古本屋と美容院が合体した店など、ありえないほど味のある店舗が続く。その探索の果てにたどり着いたのが、伊那でも一軒しかないという銭湯だ。いや、正確には銭湯ではない。「人工ラドン温泉」である。



恐る恐る扉を開けると、古めかしい銭湯のスタイル。常連しか利用しないのか、ぱっと見で一見とわかる筆者に、番台に座るおばあさんは「うちは暖まるの。ボイラーも直したから」としきりに説明。さて、手ぬぐいは持参していたが、石鹸がなかったのを思い出し、買おうと思ったら 「そういうのはないけど……(番台の下を手で探って)これ、貸してあげる」 と、使いかけの石鹸を渡してくれたのである。うん、やっぱり田舎の人は温かいよ。 しかし、ここは風呂屋なので暖めるのは身体だ。壁には古めかしい「人工ラドン温泉之証」なる額に入った証明書と共に、人工ラドン温泉の入浴方法が掲げられている。まずは身体を洗った後に、白湯に入ってから人工ラドン温泉に入る、という順番だ。ラドンやラジウムを含んだ鉱石を使う人工温泉というものは各地に存在しているけれど、どういう仕組みなのか半信半疑で入浴。確かに、身体の疲れが取れていくような感じはする……? しかし、この銭湯もとい温泉、市内でも唯一ということもあってか、かなり多くの常連客がいる様子。湯船に浸かりながら、「ワシも若い頃は神戸で船員をやっていたが、今じゃ百姓をやっている……」に始まる一代記を語ってくれたお年寄りによれば、「前は上諏訪のほうにも一軒あったが、今ではもうここだけ」だという。どうも、伊那市内のみならず、かなり広い地域の人々の憩いの場になっているようだ。
■ローメンは難易度の高いB級グルメだった! さて、ローメンである。まず入ったのが元祖として知られる「B」。ローメンは戦後生み出された料理で、スープに漬かっているものと焼きそば風のものと2種類あるそうだが、元祖の店はスープ系である。大盛りを注文し、料理ができるのを待つ。そして、ついにやってきたローメン。長年、夢見た味についに邂逅できた感動と共にいただきます!……あれ? 正直、脳内に「?」が点灯した。思ったほど、おいくない。おいいラーメンやそば・うどんを食べた時のような「ガツン」と来るおいしさがないのだ。カウンターに置かれた食べ方の説明書きによれば、卓上の醤油や酢、ラー油、ニンニクを好みの量入れて食べるらしい。
なるほど、店の調理は基本形で、経験則に基づいて自分が「ウマイ!」と感じるように味を調整しなくてはならないのか。これは難易度の高い食べ物である。結局、十分においしさを感じることができないまま完食。完全敗北である。それでも、長年夢に見たローメン。暗澹(あんたん)たる思いで終わるわけにはいかない。さらにもう一軒、とやってきたのは「U」。どうも居酒屋兼業らしく、入口は難易度が高い。恐る恐る引き戸を開けると、これまた驚いた。やたら客層が広いのだ。座敷には子連れの家族がいるし、カウンターには若者から年配までさまざまな男性客。テーブル席には若い女の子の2人組も。こちらの店、卓上に置かれているのは七味唐辛子のみ。つまり、味は店のほうで調整するということだな、と理解して大盛りを注文。やってきたのは、スープなし焼きそばスタイルのローメン。まず、ソースの香りが鼻をくすぐる。周囲の動きを参考にしながら、適度に七味唐辛子を振りかけて食らいつく……おいしい! ソースの香りとマトンの臭みが調和した天国だ。ああ、大盛りの上の超盛りにしておけばよかったと、多少後悔しつつあっという間に完食してしまった。

このローメンという食べ物、元祖の「B」が作り方をオープンにしていたためか、店ごとに味もスタイルもかなり異なる食べ物になっている。そして、地元民であっても味の好みはさまざまなようだ。帰りに荷物を預けた売店のおばさんに「ローメンを食べて来た」と話したら「Uに行った?」と聞かれた。 かと思うと、駅で話をしたおばさんに「ローメンを食べに伊那に来た」と話すと、「旦那や息子はよく食べに行くけど、私はちょっとねえ……」

地元民でも好き嫌いの分かれるローカルさ。そして、味の統一感のなさ。最近の町おこしでフィーバーする、ブランド化したB級グルメとは違う。自由度の高さゆえに、一通り味わうには、何日か滞在して、朝から晩まで食べ続けなければならなそうだ。この、適当な感じこそ、真のB級グルメと呼ぶにふさわしい。 (取材・文=昼間たかし)

かなり年季の入った模型店。地域でここだけだったら、かなり儲かるかも。

これぞ、老舗映画館の趣き。調べたところ、隣の「旭座1」と共に大正時代からの伝統ある映画館だそうだ。

こんな味のある劇場で『ドラえもん』を観賞できる子どもは幸せだねえ。
と、歩いていると古めかしい映画館のような建物が。「かつては賑わったんだろうな……」と思ったら、ポスターは新しい! なんと建物の古さ(失礼!)にもかかわらず、バリバリ営業中の映画館であった。さらに、元は三軒並んでいた店舗をぶち抜いたらしきスーパーやら、古本屋と美容院が合体した店など、ありえないほど味のある店舗が続く。その探索の果てにたどり着いたのが、伊那でも一軒しかないという銭湯だ。いや、正確には銭湯ではない。「人工ラドン温泉」である。

古本屋なのに美容院? と思ったら古本屋の奥が美容院になっていた。

この説得力のある立て看板。町の本屋さんの鏡である。

これまた濃厚な味わいの町の電気屋さんである。

ちゃんと、この街にもゆるキャラがいた!
恐る恐る扉を開けると、古めかしい銭湯のスタイル。常連しか利用しないのか、ぱっと見で一見とわかる筆者に、番台に座るおばあさんは「うちは暖まるの。ボイラーも直したから」としきりに説明。さて、手ぬぐいは持参していたが、石鹸がなかったのを思い出し、買おうと思ったら 「そういうのはないけど……(番台の下を手で探って)これ、貸してあげる」 と、使いかけの石鹸を渡してくれたのである。うん、やっぱり田舎の人は温かいよ。 しかし、ここは風呂屋なので暖めるのは身体だ。壁には古めかしい「人工ラドン温泉之証」なる額に入った証明書と共に、人工ラドン温泉の入浴方法が掲げられている。まずは身体を洗った後に、白湯に入ってから人工ラドン温泉に入る、という順番だ。ラドンやラジウムを含んだ鉱石を使う人工温泉というものは各地に存在しているけれど、どういう仕組みなのか半信半疑で入浴。確かに、身体の疲れが取れていくような感じはする……? しかし、この銭湯もとい温泉、市内でも唯一ということもあってか、かなり多くの常連客がいる様子。湯船に浸かりながら、「ワシも若い頃は神戸で船員をやっていたが、今じゃ百姓をやっている……」に始まる一代記を語ってくれたお年寄りによれば、「前は上諏訪のほうにも一軒あったが、今ではもうここだけ」だという。どうも、伊那市内のみならず、かなり広い地域の人々の憩いの場になっているようだ。

立体版は、ビミョーな感じが。これ、流行ってるの?
■ローメンは難易度の高いB級グルメだった! さて、ローメンである。まず入ったのが元祖として知られる「B」。ローメンは戦後生み出された料理で、スープに漬かっているものと焼きそば風のものと2種類あるそうだが、元祖の店はスープ系である。大盛りを注文し、料理ができるのを待つ。そして、ついにやってきたローメン。長年、夢見た味についに邂逅できた感動と共にいただきます!……あれ? 正直、脳内に「?」が点灯した。思ったほど、おいくない。おいいラーメンやそば・うどんを食べた時のような「ガツン」と来るおいしさがないのだ。カウンターに置かれた食べ方の説明書きによれば、卓上の醤油や酢、ラー油、ニンニクを好みの量入れて食べるらしい。

これが、スープ系のローメン。味のカスタムは難しかった……。
なるほど、店の調理は基本形で、経験則に基づいて自分が「ウマイ!」と感じるように味を調整しなくてはならないのか。これは難易度の高い食べ物である。結局、十分においしさを感じることができないまま完食。完全敗北である。それでも、長年夢に見たローメン。暗澹(あんたん)たる思いで終わるわけにはいかない。さらにもう一軒、とやってきたのは「U」。どうも居酒屋兼業らしく、入口は難易度が高い。恐る恐る引き戸を開けると、これまた驚いた。やたら客層が広いのだ。座敷には子連れの家族がいるし、カウンターには若者から年配までさまざまな男性客。テーブル席には若い女の子の2人組も。こちらの店、卓上に置かれているのは七味唐辛子のみ。つまり、味は店のほうで調整するということだな、と理解して大盛りを注文。やってきたのは、スープなし焼きそばスタイルのローメン。まず、ソースの香りが鼻をくすぐる。周囲の動きを参考にしながら、適度に七味唐辛子を振りかけて食らいつく……おいしい! ソースの香りとマトンの臭みが調和した天国だ。ああ、大盛りの上の超盛りにしておけばよかったと、多少後悔しつつあっという間に完食してしまった。

とにかく、自分好みの味になるように勝手に調整して食べるものらしい。

微妙に難易度が高そうな店だったけど、低かったよ。田舎は温かい。
このローメンという食べ物、元祖の「B」が作り方をオープンにしていたためか、店ごとに味もスタイルもかなり異なる食べ物になっている。そして、地元民であっても味の好みはさまざまなようだ。帰りに荷物を預けた売店のおばさんに「ローメンを食べて来た」と話したら「Uに行った?」と聞かれた。 かと思うと、駅で話をしたおばさんに「ローメンを食べに伊那に来た」と話すと、「旦那や息子はよく食べに行くけど、私はちょっとねえ……」

チャレンジ精神をそそられる銭湯。

時間厳守と書いてあるけど、開店時間に入ったら既に客がいっぱいであった。
地元民でも好き嫌いの分かれるローカルさ。そして、味の統一感のなさ。最近の町おこしでフィーバーする、ブランド化したB級グルメとは違う。自由度の高さゆえに、一通り味わうには、何日か滞在して、朝から晩まで食べ続けなければならなそうだ。この、適当な感じこそ、真のB級グルメと呼ぶにふさわしい。 (取材・文=昼間たかし)
さよなら119系 浅春の飯田線の旅――雨と涙の下山ダッシュ
3月某日、『究極超人あ~る』を見ていたら、急に飯田線に乗りたくなった。折しも飯田線の名物車両・119系が3月で引退するという。かくて、40リットルのザックに寝袋や食料を詰め込んで、自転車も担いでの旅路は東京駅から始まった。
東京駅で「青春18きっぷ」を購入し、熱海行きの東海道線。徹夜明けでそのまま出発したので、少し休みたいと思って贅沢にグリーン車に乗ってみたら、やたらと混雑をしていた。主な乗客は年配の団体。おそらくは伊豆方面への温泉旅行なのだろうと思いつつ目をつむり、気がつくと早や熱海に到着していた。ホームの向かいには浜松行きが待っていたが、以前、慌てて乗車したらトイレ無し車両だった悪夢を思い出し、一本見送って、次の列車に乗車する。
静岡が近づくと、高校生がトイレで一服する姿も見えて、次第にローカルな感じが漂ってくる。「青春18きっぷ」で旅行する者なら誰もが知っていることだが、静岡県は東西に長い。ずっと乗りっぱなしなのは旅行者くらいのものだ。浜松に到着した頃には、もう夕方6時過ぎになっていた。仕事を終えて帰宅する人々の姿も多く見られる。都内ならば、まだ誰もが必死に仕事をしている時間だろう。賃金は安くとも地縁・血縁に庇護されて、夕方には家に帰ることのできる地方在住者とどちらが幸せだろうかと考えているうちに、列車は豊橋駅に到着した。駅構内の立ち食い蕎麦屋で、きしめんを一杯。ようやく飯田線の旅路の始まりだ。乗り込んだ平岡行きは、まだ7時前だというのに最終列車である。
しばし、都市近郊の代わり映えしない風景が続くが、気がつくと列車はガランとして、時刻表を手にした、いかにもな愛好者ばかりになっていた。途中駅で、高校生らしき二人組と話してみると地元民だそうで、このところは毎週のように飯田線に乗っているという。119系は次々と廃車回送が行われているそうで、もう乗車するのは難しいという話を聞かされる。

「でも、運転手に聞いたら、えちぜん鉄道に持っていくかもって話もあるんですよ」
といった情報も。飯田線から姿を消しても、二度と乗れなくなるわけじゃなかったらいいかななどと話しつつ列車に戻る。と、ドアが締まり、今まさに走り始めようとした時に「あれ、(対向列車が)313系の音じゃないな……」とつぶやく高校生。そして、向かいのホームに滑り込んできたのは119系。しかし、我々の乗っている列車は無情にも発車していくのであった……。


音で車両を判断できるレベルの高さに、彼らの将来に期待しつつ、この日の旅路を小和田駅で終えた。
■飯田線の儀式「下山ダッシュ」
翌朝、小和田駅から始発電車に乗り込む。登山に使っている40リットルのザックを背負い、自転車も担いで乗り込めば、車内はやはり鉄道愛好家風の人々がちらほらと。しかし、乗車駅と持ち物は、こちらのほうが妙らしく「この人はなんなのだろう」と、チラ見されている。たしかにザックはともかく、自転車まで持っているのは珍しいかもしれない。


『究極超人あ~る』を見ている人ならばピンと来るだろうが、自転車を持参したのには目的があった。「下山ダッシュ」の完遂が、それである。さすがにザックを背負って走るのは辛いので、妥協の産物が自転車である。しかし、天候は最悪。車内アナウンスが「次は下山村~」とアナウンスする頃には大粒の雨が降り始めている。しかし、ここで諦めては自転車を持参した意味がない。慌てて雨ガッパを着込み、ザックを背負う。
駅に到着しても、慌ててはならない。地図を確認しながら、列車が見えなくなるまで見送るのだ。「また20分後に会いましょう」と、つぶやきながら。

列車が見えなくなったら、自転車に跨り、交通ルールを守りながらも猛ダッシュである。目指すは、伊那上郷駅。距離はさほどではないが、下山村駅から伊那上郷駅はすべて上り坂である。次第に雨が強くなってくるし、準備運動もしていないので、自転車とはいえ、筋肉が悲鳴を挙げる。 雨も降っているし、田舎ゆえか車は走っているけれども、歩行者はまったく見かけない。
ザックを背負って、雨ガッパを着込んで必死に自転車を漕いでいる様は、ちょっと異様である。とはいえ、乗り遅れれば敗北感と共に、一時間あまり呆然と次の列車を待たなければならない。必死でペダルを漕いで進めば、さらに坂道はキツくなっていく。「アホらしい、もうやめようかな……」と、半ば諦めそうになったところで、ようやく目の前に線路と踏切が見えた時は、心底ホッとした。こうして、列車到着の5分前に伊那上郷駅に到着することができたのである。
成功を祝って一人で缶ジュースで乾杯して、20分ほど前に別れた列車に乗車。車掌は「ああ、さっきの人か」といった感じで、一瞥して横を通り過ぎていく。おそらく、この路線に乗務していたら、電車と競争する人なんて、珍しくもなんともなくなっているのだろうか。
飯田線が飯田市内をオメガカーブを描くように走るがために、直線距離で走れば列車に追いつくことができるという「下山ダッシュ」。今でも、自転車ではなく自分の足で挑戦する人は多いというが、最初は伊那上郷駅からスタートすることをオススメする。ずっと下り坂なので、ちょっとは楽なハズだ。
■今も健在! 元祖「アニメの聖地」
再び列車に乗って次の目的地、田切駅を目指す。ここが、今では知る人ぞ知るアニメの聖地だということは、どれだけの人が知っているだろうか。今回の旅行のきっかけであった『究極超人あ~る』のOVAが製作されたのが1991年。その時に前述の「下山ダッシュ」と並んで登場したのが、この田切駅である。一時は、数多くのファンが訪れたという、まさに<聖地巡礼>の元祖ともいわれる駅である(最近は麻雀漫画『咲-Saki-』の聖地だったりもする)。そして、駅近くの元酒屋だった個人宅では、今でも『究極超人あ~る』の駅スタンプを保管しているという。


期待を持って降りた田切駅は、ホームが極端に狭い駅だ。小さな待合室にはタバコの吸い殻が転がっていたので、まずは聖地に到達した感動を味わいつつ、簡単に掃き掃除(ホウキとちりとりは備え付け)。そして、駅周辺を撮影しながら駅スタンプを求めて歩き出す。
事前に、駅スタンプを保管している酒屋は今は商売をやめていて個人宅になっているという情報を得ていたが、元酒屋っぽい建物はすぐに見つかった(今は個人宅のためかネットでも詳細な情報は掲載されていない。もし、これを読んで訪問を決意したならば、自分で調べてほしい)。とはいえ、個人のお宅なので迷惑でないか躊躇しながらドアをノックする。すぐに返事がして、おばあさんが出てくる。
「あの、こちらに駅スタンプがあると聞いてきたのですが……」
と尋ねると、店のほうに回るよう指示され、店だった部分の戸を開けて中に招いてくれた。出してくれたのはスタンプと駅ノート。開いてみれば、今年になってからも10人あまりが既に訪問していた。聞けば、多い時には30人も来たことがあるというし、かつてのブームの時以来、今では子ども連れで訪れてくれる人もいるそうだ。おばあさんも「ああ、“あ~るくん”のファンね」「119系もなくなっちゃうね」と、とても詳しかった。そんな歴史の重みを感じるノートをじっくりと見せてもらったが、誰もが田切駅を訪れた感動を書き記している。

きっと、現在盛り上がりを見せているアニメの聖地も、廃れて誰も来なくなるなんてことはなくて、数が減っても何度も訪問する人は絶えないだろう。
丁重にお礼の言葉を述べて、再び田切駅から次の目的地に向けて列車に乗り込む。こうして綴ると、順調に列車が来ているように見えるかもしれないが、通常の飯田線の運転感覚は1時間に1本程度。それに、全線は乗りっぱなしでも7時間はかかる長大な路線だ。
とにかく、この路線に来ると時間はゆっくりと流れていく。乗っている時も、誰もいない駅で待っているときも。都会でせかせかと過ごしている時には、絶対に味わえない贅沢な時間の使い方が、ここではできるのだ。旅行だからといって、値段の高い旅館に泊まったり、贅沢な料理を食べなくてもよい。流れていく車窓を長めながら、うとうととしているだけで十分に満足することができるのだ。
乗るなり、撮るなり、聖地巡礼なり、多様な楽しみ方ができるのも魅力だろう。『飯田線のバラード』を聞きながら、ずっとこのまま乗り続けていたいと思った。
(取材・文=昼間たかし/次回は伊那市駅に停まります)

豊橋駅の立ち食い「壺屋」のきしめん。ただでさえ絶品なのに、刻み揚げがかけ放題

残念ながら、119系じゃなかった……

飯田線の旅路は長い。中部天竜駅に到着しても、まだ旅は始まったばかりか?

この駅をはじめ、為栗とか金野とか難読駅名の宝庫でもある

終電も行ってしまった小和田駅。いったい、これからどうすればいいんだろうか

一応、小和田駅に来たらあちこち写真を撮影しないと損だよね

駅ノートはバックナンバーまで完全に完備。多くの人が降りる観光名所になっている

夜が明けて、ようやく駅周辺の全貌がわかってきた

観光気分だけど、夏の北アルプスの登山装備を着込んでなんとか……という寒さです

下山村駅8:02。あの列車にもう一度乗るのだ
列車が見えなくなったら、自転車に跨り、交通ルールを守りながらも猛ダッシュである。目指すは、伊那上郷駅。距離はさほどではないが、下山村駅から伊那上郷駅はすべて上り坂である。次第に雨が強くなってくるし、準備運動もしていないので、自転車とはいえ、筋肉が悲鳴を挙げる。 雨も降っているし、田舎ゆえか車は走っているけれども、歩行者はまったく見かけない。

伊那上郷駅8:24。あまりに必死だったので途中の写真はナシ

ありがとう、俺の轟天号

ようやく辿り着いた! ここが元祖アニメの聖地

ここが元祖、アニメに出た光景

こっちも同じく

これが、あの駅スタンプ。今でも大切に使われている

かつて行われたファンのツアーのポスターも貼られている

ここまで来なければ絶対に手に入らない。その苦労が楽しい
「香川はマンU? アーセナル?」若手にも続々食指 加熱するサッカー欧州移籍市場

香川はどこへ……?
お前ら必見の意欲作! 春アニメの注目は『アクセル・ワールド』
AKB48、人気タイトルの第2期、人気コミック作品のアニメ化、懐かしいコミックのアニメでの復活など、話題に事欠かない2012年春クールスタートの新作アニメ。中でもとりわけ高い注目度を集めているのが、超高速で繰り広げられる仮想空間でのバトルと、スクールカースト最下層のいじめられっ子だった少年の成長を描く、ハイブリッド&ハイスピードアクションアニメ『アクセル・ワールド』だ。
第15回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞した作品を原作とする本作は、刊行元であるアスキー・メディアワークス創立20周年記念作品に位置付けられている。制作を担当するのは、『ガンダム』や『コードギアス』シリーズをはじめとする数多くの作品でハイクオリティな作画を実現したサンライズ。主題歌はMay'n&浅倉大介という強力タッグ。放送前にすでにPS3、PSPでのゲーム化やトレーディングカード等のリリースが予定されているメディアミックス作品だ。
そんな一大プロジェクトを展開する『アクセル・ワールド』とは、どんな作品なのだろうか。
ニューロリンカーという携帯端末のおかげで、生活の大半がネットワーク上の仮想空間で行われるようになった未来世界。太った体型を理由にいじめられっ子扱いされている少年・ハルユキは、学校のマドンナ的存在・黒雪姫の誘いに応じて、謎のプログラム《ブレイン・バースト」を受け取る。ニューロリンカーに接続し、思考速度を1000倍に加速する《ブレイン・バースト》を手に入れたハルユキは、自身の恐怖や圧迫感を元に生み出されるデュエル・アバターを操り、《ブレイン・バースト》が作りだした仮想世界で戦いを繰り広げる――というストーリーの本作。
仮想世界という、いまやそう珍しくもないキーワードだが、ソーシャルカメラの映像から再構成された仮想世界というAR技術を彷彿とさせる『アクセル・ワールド』の設定は非常に現代的だ。
そして、まるまるとした体格で内向的な性格、学校ではいじめれっ子という主人公ハルユキの設定は、イマドキのアニメファンには斬新かもしれない。どんな主人公も、そこそこイケメンに設定されている昨今のアニメ作品において、非常に珍しく思えるだろう。近年のアニメではまずないと言っても過言ではない(ただ、一方でオールドファンには実はなじみの深い主人公像だろう。『銀河鉄道999』の星野鉄郎や、『さすがの猿飛』の猿飛肉丸などを思い出した人もいるかもしれない)。
いじめられっ子のハルユキは、リアルな世界に対して強いコンプレックスをもっている。視聴者は、彼がそこからいかに現実世界に向き合う力を手にするのか。仮想世界で手に入れた強さをいかに自身の生き方に取り込んでいくのか……そこに本作の面白さを感じるに違いない。
『アクセル・ワールド』のプロジェクトには、昨年から日本のアニメ業界に参入したハリウッドスタジオのワーナーブラザーズの日本法人のワーナーエンターテイメントジャパン(ワーナー・ホーム・ビデオ&デジタルディストリビューション)が参画しているのも業界的には話題のひとつだ。
同社は、テレビ放送前に劇場映画と同じように自社の試写室でマスコミ試写会を実施、都内各所に大型看板を設置したり、3月31日、4月1日に幕張メッセで開催された大型アニメイベント「アニメコンテンツエキスポ2012」にもブース出展(大型ショッパーの大量配布や黒雪姫のコスプレイヤーを登場させ、ブースには長蛇の列ができていた)、『アクセル・ワールド』という作品を通じて業界への本格参入の意思を強くアピールしている。
ディーラーの同作への期待も高い。秋葉原駅から最も近いアニメ・ゲーム・コミックなどの専門店ゲーマーズのバイヤー小川信弘氏も「春アニメ一番の注目タイトル、間違いなしです! ゲーマーズでも全店規模『アクセル・ワールド』大展開しています!」と語っている。
放送開始と同時に、すさまじい加速力でアニメファンの話題をさらっていくこと必至の『アクセル・ワールド』。猛スピードで展開するストーリーに振り落とされないように第1話からしっかりと見届けよう。

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『アクセル・ワールド』のプロジェクトには、昨年から日本のアニメ業界に参入したハリウッドスタジオのワーナーブラザーズの日本法人のワーナーエンターテイメントジャパン(ワーナー・ホーム・ビデオ&デジタルディストリビューション)が参画しているのも業界的には話題のひとつだ。
同社は、テレビ放送前に劇場映画と同じように自社の試写室でマスコミ試写会を実施、都内各所に大型看板を設置したり、3月31日、4月1日に幕張メッセで開催された大型アニメイベント「アニメコンテンツエキスポ2012」にもブース出展(大型ショッパーの大量配布や黒雪姫のコスプレイヤーを登場させ、ブースには長蛇の列ができていた)、『アクセル・ワールド』という作品を通じて業界への本格参入の意思を強くアピールしている。
ディーラーの同作への期待も高い。秋葉原駅から最も近いアニメ・ゲーム・コミックなどの専門店ゲーマーズのバイヤー小川信弘氏も「春アニメ一番の注目タイトル、間違いなしです! ゲーマーズでも全店規模『アクセル・ワールド』大展開しています!」と語っている。
放送開始と同時に、すさまじい加速力でアニメファンの話題をさらっていくこと必至の『アクセル・ワールド』。猛スピードで展開するストーリーに振り落とされないように第1話からしっかりと見届けよう。
アクセル・ワールド03 フィギュア付き特装版 2012/8/10発売
この「青春」って味わいたいか? 松本市「旧制高等学校記念館」に行ってみた!
JRが発売する「青春18きっぷ」。この春の期間も、いよいよ10日までとなった。学生ならいざしらず、社会人になると、鉄道旅行を楽しむ時間を確保するには、己の才覚をフルに発揮せねばならぬところ。紀行作家の宮脇俊三は、作品も一流だけれど編集者としても一流、中央公論社の常務にまでなったわけで、社会人としても一流。その文章を読んでいると、土日に旅行に出かけて、月曜日の朝に東京駅に到着、そのまま出社ということも記されている。なるほど、旅を趣味にするには体力も必須か。
さて、いくら日本が一極集中の進んだ国だからといって、東京で得られる情報ばかりではない。なので、旅行はネタ探しの一環。そこで、「青春18きっぷ」を手に得た面白ネタを記していくことにする。
3月某日、筆者は長野県の松本駅に降り立った。松本市は、南信地方の大都会。ちょうど休日だったのか、中央本線の各駅停車は、家族連れや若者たちで混雑していた。松本市までは新宿から特急で約2時間半と、東京からはかなりの距離のある街。にもかかわらず、都会の香りはあり、文化レベルも高い不思議な場所だ(ちなみに、オタクショップは駅前に)。
加えて妙なのは、単ににぎやかな街というわけでなく、文化レベルも高いということ。象徴的なのは、松本市の目抜き通りに位置する松本市美術館である。主に、この地域にゆかりのある芸術家の作品を展示しているのだが、目玉は、玄関脇に展示されている草間彌生の作品「幻の華」。草間彌生といえば、一般にはちょっとアレな感じの現代美術家と認識されていると思うのだが、その作品を「どうだ!」とばかりに展示する、この美術館は懐が深い!
この妙な文化レベルの高さを生み出した要因となっていたのが、おそらく旧制高校の存在だ。この街に存在した旧制松本高等学校は、作家・北杜夫をはじめとした多くの人材を輩出した高校だ。その校舎の一部は今でも現役で使われ、「旧制高等学校記念館」という博物館もある。普段から「寮歌」を愛唱する筆者として、これは訪れるしかないスポット。さっそく足を運ぶことにした。
まずやってきたのは、かつての旧制松本高等学校の本館。現在は文化会館や図書館として使用されているそうで、保存状態は良好だ。東京だったら、“スペースを有効活用する”という触れ込みで、こうした建物でも保存せずに取り壊されかねないところ。それを、現在でも全室を博物館などにするのではなく、現役の建物として使用しているのだから、松本市はすごい。本館で当時を再現する形で公開されているのは、教室と校長室の部分。当然ながら、机も椅子もすべてが木製である。古ぼけた木の独特の感触が、古き良き時代を感じさせてやまない。
さて、本館の隣にあるのが、この探訪の目的である「旧制高等学校記念館」だ。ここは、全国にあった旧制高等学校の資料を収集し展示する施設。かつて使われていた、旗、書、当時の教科書から答案までさまざまなものを展示している。戦前の教育システムでは、旧制高等学校は入学した時点で、もはやエリート確定。大学は選ばなければどこかに入学できるし、学生にもかかわらず社会的地位も高い。

さらに、原則的に全寮制だったこともあり、そこには独特の文化が生まれた。今でもそれを懐かしむ風潮は強く、さまざまな創作にも生かされているわけだが、この記念館は文字通り「あの頃は楽しかったなあ~」が展示のスタンスなのだ。

ゆえに、フツーの博物館と呼ばれる施設に比べて、ちょっと妙な感じが。それが如実に現れているのが、展示の説明文だ。通常の博物館ならば、無機質な感じで「これは○○年に撮影された写真で、○○をしている姿である~」と、わかりやすく説明するだろう。でも、ここはちょっと違う。
当時の寮で撮影された写真には「常識や不潔を超越し、カオスの中に沈潜呻吟してこそ青春であるとする若者の部屋である」との説明文が。さらに、ほかの説明文を見ると「店構えは粗末だが、おやじの気風が気に入った」など、個人の感想も。かと思えば「憂愁を秘めた麗人佐々木きみは、三高生の共同幻想の女性、いや生身の女性であったのか」……うーん、この説明文を書いた主は、喫茶店のウェイトレスに袖にされた悔しさを長い人生で、ずっと引きずっていたのか?


こうした展示をたどっていき、「青春の思い出」が最高潮に達するのは、当時の学生寮の一室を再現した展示だ。畳にせんべい布団の部屋はとても住み心地はよいと思うのだが、問題は壁に書かれた青春のほとばしりだ。うーん、現代の若者がこんなところで過ごしたら何日持つだろうか。プライバシーの概念なんか皆無っぽいから、筆者は即日逃亡しそうだ。ぶっちゃけ、過去から現代まで、「旧制高校=青春=最高!」という意識を持つ人も多いけれど、その逆もしかり。エリート意識ばかりを肥大させた欠陥だらけの教育システムという見方もある。

ともあれ「青春」を大義名分にして、やりたい放題ができたのはうらやましい限り。誰もが進学と就職で頭がいっぱいの現代では、こんな無茶な青春なんてあり得ないのだから。ミュージアムショップには、これまた旧制高校グッズがたくさん売られているので、自宅に帰ってからも、無軌道な青春が味わえるぞ。
(取材・文=昼間たかし)
るるぶ信州’12
パワーチャージ!

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・ファン狂喜乱舞モノ!? 藤子・F・不二雄ミュージアムに行ってきた

ここが市の名所! う~ん、すごいセンスだ。

本館は古いけど現役。隣の記念館は単なるビル。

内装もほとんどそのまま。この時代が好きな人にはたまらない。

この椅子で授業を受けていたら、確実にお尻が痛くなりそうだな。

この窓の外には、どんな青春の光景があったのだろうか。

旧制高校に関するあらゆる物品が展示されている。

「外見に惑わされない精神=バンカラ」。単に汚いだけか?

この上から目線。「お前とは身分が違う」と言いたいのか?

おそらく故人だろうけど。展示で名前晒し上げなんて……。

この問題、解けた人は編集部までご連絡を。

この部屋に住みたい! とは決して思わない。
この「青春」って味わいたいか? 松本市「旧制高等学校記念館」に行ってみた!
JRが発売する「青春18きっぷ」。この春の期間も、いよいよ10日までとなった。学生ならいざしらず、社会人になると、鉄道旅行を楽しむ時間を確保するには、己の才覚をフルに発揮せねばならぬところ。紀行作家の宮脇俊三は、作品も一流だけれど編集者としても一流、中央公論社の常務にまでなったわけで、社会人としても一流。その文章を読んでいると、土日に旅行に出かけて、月曜日の朝に東京駅に到着、そのまま出社ということも記されている。なるほど、旅を趣味にするには体力も必須か。
さて、いくら日本が一極集中の進んだ国だからといって、東京で得られる情報ばかりではない。なので、旅行はネタ探しの一環。そこで、「青春18きっぷ」を手に得た面白ネタを記していくことにする。
3月某日、筆者は長野県の松本駅に降り立った。松本市は、南信地方の大都会。ちょうど休日だったのか、中央本線の各駅停車は、家族連れや若者たちで混雑していた。松本市までは新宿から特急で約2時間半と、東京からはかなりの距離のある街。にもかかわらず、都会の香りはあり、文化レベルも高い不思議な場所だ(ちなみに、オタクショップは駅前に)。
加えて妙なのは、単ににぎやかな街というわけでなく、文化レベルも高いということ。象徴的なのは、松本市の目抜き通りに位置する松本市美術館である。主に、この地域にゆかりのある芸術家の作品を展示しているのだが、目玉は、玄関脇に展示されている草間彌生の作品「幻の華」。草間彌生といえば、一般にはちょっとアレな感じの現代美術家と認識されていると思うのだが、その作品を「どうだ!」とばかりに展示する、この美術館は懐が深い!
この妙な文化レベルの高さを生み出した要因となっていたのが、おそらく旧制高校の存在だ。この街に存在した旧制松本高等学校は、作家・北杜夫をはじめとした多くの人材を輩出した高校だ。その校舎の一部は今でも現役で使われ、「旧制高等学校記念館」という博物館もある。普段から「寮歌」を愛唱する筆者として、これは訪れるしかないスポット。さっそく足を運ぶことにした。
まずやってきたのは、かつての旧制松本高等学校の本館。現在は文化会館や図書館として使用されているそうで、保存状態は良好だ。東京だったら、“スペースを有効活用する”という触れ込みで、こうした建物でも保存せずに取り壊されかねないところ。それを、現在でも全室を博物館などにするのではなく、現役の建物として使用しているのだから、松本市はすごい。本館で当時を再現する形で公開されているのは、教室と校長室の部分。当然ながら、机も椅子もすべてが木製である。古ぼけた木の独特の感触が、古き良き時代を感じさせてやまない。
さて、本館の隣にあるのが、この探訪の目的である「旧制高等学校記念館」だ。ここは、全国にあった旧制高等学校の資料を収集し展示する施設。かつて使われていた、旗、書、当時の教科書から答案までさまざまなものを展示している。戦前の教育システムでは、旧制高等学校は入学した時点で、もはやエリート確定。大学は選ばなければどこかに入学できるし、学生にもかかわらず社会的地位も高い。

さらに、原則的に全寮制だったこともあり、そこには独特の文化が生まれた。今でもそれを懐かしむ風潮は強く、さまざまな創作にも生かされているわけだが、この記念館は文字通り「あの頃は楽しかったなあ~」が展示のスタンスなのだ。

ゆえに、フツーの博物館と呼ばれる施設に比べて、ちょっと妙な感じが。それが如実に現れているのが、展示の説明文だ。通常の博物館ならば、無機質な感じで「これは○○年に撮影された写真で、○○をしている姿である~」と、わかりやすく説明するだろう。でも、ここはちょっと違う。
当時の寮で撮影された写真には「常識や不潔を超越し、カオスの中に沈潜呻吟してこそ青春であるとする若者の部屋である」との説明文が。さらに、ほかの説明文を見ると「店構えは粗末だが、おやじの気風が気に入った」など、個人の感想も。かと思えば「憂愁を秘めた麗人佐々木きみは、三高生の共同幻想の女性、いや生身の女性であったのか」……うーん、この説明文を書いた主は、喫茶店のウェイトレスに袖にされた悔しさを長い人生で、ずっと引きずっていたのか?


こうした展示をたどっていき、「青春の思い出」が最高潮に達するのは、当時の学生寮の一室を再現した展示だ。畳にせんべい布団の部屋はとても住み心地はよいと思うのだが、問題は壁に書かれた青春のほとばしりだ。うーん、現代の若者がこんなところで過ごしたら何日持つだろうか。プライバシーの概念なんか皆無っぽいから、筆者は即日逃亡しそうだ。ぶっちゃけ、過去から現代まで、「旧制高校=青春=最高!」という意識を持つ人も多いけれど、その逆もしかり。エリート意識ばかりを肥大させた欠陥だらけの教育システムという見方もある。

ともあれ「青春」を大義名分にして、やりたい放題ができたのはうらやましい限り。誰もが進学と就職で頭がいっぱいの現代では、こんな無茶な青春なんてあり得ないのだから。ミュージアムショップには、これまた旧制高校グッズがたくさん売られているので、自宅に帰ってからも、無軌道な青春が味わえるぞ。
(取材・文=昼間たかし)
るるぶ信州’12
パワーチャージ!

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ここが市の名所! う~ん、すごいセンスだ。

本館は古いけど現役。隣の記念館は単なるビル。

内装もほとんどそのまま。この時代が好きな人にはたまらない。

この椅子で授業を受けていたら、確実にお尻が痛くなりそうだな。

この窓の外には、どんな青春の光景があったのだろうか。

旧制高校に関するあらゆる物品が展示されている。

「外見に惑わされない精神=バンカラ」。単に汚いだけか?

この上から目線。「お前とは身分が違う」と言いたいのか?

おそらく故人だろうけど。展示で名前晒し上げなんて……。

この問題、解けた人は編集部までご連絡を。

この部屋に住みたい! とは決して思わない。
企業に就職せず、自転車で世界一周!『僕たちのバイシクル・ロード』
20代の若者2人がわずかな所持金だけを持って、自転車で世界一周旅行に出掛ける。大学を卒業して、そのまま企業に就職し、一生を過ごすことに抵抗を感じたからだ。2011年に日本公開された映画『僕たちのバイシクル・ロード 7大陸900日』は、イギリスで暮らす白人青年2人が軽装で自転車旅行におもむき、お互いの姿をデジカメで記録したセルフドキュメンタリー。仲の良い従兄弟同士であるベンとジェイミーが決めた旅のルールは至極簡単。ガイドブックは持たず、思い付きのまま自転車を走らせる。疲れたときは鉄道やバスも利用するけど、飛行機には乗らない。ドーバー海峡を渡って、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、南北アメリカ、アフリカ、それに可能なら南極まで。世界の7大陸を自分たちの自転車で走ってみよう。この自転車旅行を完遂することで、2人は『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03)の若き日のチェ・ゲバラのように革命に目覚めるわけではない。『進め!電波少年』(日本テレビ系)でユーラシア大陸横断ヒッチハイクに成功した猿岩石のように一躍人気スターになるわけでもない。ただ、社会のシステムに取り込まれてしまう前に、自分たちの五感で地球の大きさを体感してみたかっただけ。ベンとジェイミーは、意気揚々と自転車のペダルを漕ぎ始める。
フランス、ベルギー、ドイツ……とヨーロッパの国々は、ベンの自転車がやたらとパンクすることを除けば、さほど苦労なく走り抜ける。だが、ユーロ圏を出ると、ずいぶんと様子が変わってくる。ベラルーシ共和国に入ると、うっそうとした森と川が広がる。近くでチェルノブイリ事故が起きたことなど感じさせない、手つかずの大自然が美しい。いよいよ本格的な冒険旅行へ突入する。ロシアの国境に入り、2人は初めて恐怖を感じる。ロシアではトラックが自転車のことなどおかまいなしでびゅんびゅんと通り抜けていく。邪魔者はどけと言わんばかりだ。ヨーロッパ人と違って、ロシア人は表情が少なく、何を考えているのか分からないと2人は顔をしかめる。モスクワに到着した一行はここからシベリア鉄道に乗って、一気にモンゴルへ。見渡す限り何もないゴビ砂漠のパノラマ風景を堪能した後、中国の北京から西安へと自転車で南下。中国人たちは英語が全然通じないものの、人なつこい笑顔で集まり、2人を取り囲む。残念なことに、西安に向かうルートは大気汚染が酷く、自転車で走っているだけで全身がすぐに真っ黒状態。「中国人は人はいいが、環境はサイアク」というのが2人の中国観だ。東南アジアをグルッと回った2人はシンガポールに到着。だが、ここで所持金が尽きてしまう。虫のいい2人はタダでオーストラリアまで連れて行ってくれる船がないか、港に停泊中の船に片っ端から頼み込む。「俺も若い頃は冒険したもんさ」とある船のオーナーが理解を示し、2人を無賃乗船させる。
ベンとジェイミーは、いわゆるイケメンの白人青年。陽気で人当たりのよいジェイミーとマジメそうな二枚目タイプのベン。好青年2人がビンボー旅行をしているということで、旅先の人々はだいたい彼らを温かく迎え入れる。手持ちの金がないままオーストラリアに渡った2人は、メルボルンでこれまでの旅の画像と日記をミニコミ誌として1冊にまとめて路上で販売。これが意外と売れて、旅の継続資金が貯まる。さらには、またまた好意の持ち主のお陰で南極に渡る幸運に恵まれる。念願の南極大陸では、ペンギンと自転車で競争。若き日のチェ・ゲバラのように貧困層の惨状にショックを受けることもなく、お騒がせタレントのサシャ・バロン・コーエン主演作『ブルーノ』(09)みたいに中東の危険エリアに足を踏み入れて命からがら逃げ出す事態にも陥らない。政治や宗教の問題はとりあえず置いといて、2人は気ままに、眺めのいい土地を自転車で存分に走り、その土地の風を肌に感じる。
育ちのいい白人青年2人のお気楽な遊興旅とクサすこともできるが、スケジュールの決まっていないビンボー旅行はやはりどこか人を惹き付けるものがある。自転車と映画は形状だけでなく、ゆったりとした時間が過ぎていくという点でも似ており、相性がいいのだろう。イタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』(98)、キリギスタン映画『あの娘と自転車に乗って』(98)、冨樫森監督の『ごめん』(02)、シルヴァン・ショメ監督のアニメ『ベルヴィル・ランデブー』(02)など自転車が登場する映画は秀作が多い。近年の作品でも、平野勝之監督の極私的ドキュメンタリー『監督失格』(11)や脱北者の過酷な収容所生活を描いた『クロッシング』(08)での自転車シーンが甘美な陶酔感をもたらした。自転車は映画を観る者を少年時代に帰らせるタイムマシーンなのかもしれない。
引きこもりとは逆に、自国を飛び出して海外でまったりと暮らす若者たちのことを“外こもり”と呼ぶそうだ。割のいい短期バイトなどで手っ取り早く稼いで、食費や居住費の安いタイのバンコクあたりで過ごす日本人は1万人前後になるらしい。本作のベンとジェイミー同様に、閉鎖的な社会で暮らし続けることに疑問を持つ人々だ。海外での生活は新鮮だし、自宅に引きこもるよりも行動範囲はずいぶんと広がる。ただし、その国に永住できるわけではなく、生活費が尽きると自国に戻って再びバイト生活を繰り返さなくてはならない。その点、ベンとジェイミーが賢明だったのは、“所持金ゼロ=旅の終わり”とせず、世界7大陸走破という大きなゴールを設定していたことだろう。オーストラリアを後にした2人は南北アメリカ大陸を縦断し、最後のアフリカ大陸を目指す。すでにスタートから2年以上の歳月が経っていた。2人は自分たちの旅の終わりが近づいていることを自覚する。もともと仲の良かったベンとジェイミーだが、それまでは適度に距離を置くことで親友として付き合っていたが、旅の間ずっと一緒に自転車を漕ぎ続けてきたことで一心同体になったような境地に至ったと話す。
イギリスに帰国した2人は、結局は企業に就職するという選択を選ばない。ジェイミーはフリーランスのデザイナーとなり、メルボルンでミニコミ誌を買ってくれた女性と結婚した。ベンは映像製作会社を立ち上げた。サンダル履きの気ままな旅を経験した2人は、それぞれ家庭と会社という、小さいながらも責任を負う立ち場に就いた。2人の選んだ選択が正しかったかどうか分かるのは、ずっと先のことだ。ベンとジェイミーの冒険は、イギリスに戻ってからもまだ続いているらしい。
(文=長野辰次)
『僕たちのバイシクル・ロード 7大陸900日』
監督・撮影・出演/ベン・ウィルソン、ジェイミー・マッケンジー ナレーション/ピーター・コヨーテ 発売元・販売元/ポニーキャニオン 3月21日よりDVDリリース中 http://bicycleroad.jp
(c)2010 THE END PRODUCTION Ltd.

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僕たちのバイシクルロード [DVD] 自転車乗ろう。
企業に就職せず、自転車で世界一周!『僕たちのバイシクル・ロード』
20代の若者2人がわずかな所持金だけを持って、自転車で世界一周旅行に出掛ける。大学を卒業して、そのまま企業に就職し、一生を過ごすことに抵抗を感じたからだ。2011年に日本公開された映画『僕たちのバイシクル・ロード 7大陸900日』は、イギリスで暮らす白人青年2人が軽装で自転車旅行におもむき、お互いの姿をデジカメで記録したセルフドキュメンタリー。仲の良い従兄弟同士であるベンとジェイミーが決めた旅のルールは至極簡単。ガイドブックは持たず、思い付きのまま自転車を走らせる。疲れたときは鉄道やバスも利用するけど、飛行機には乗らない。ドーバー海峡を渡って、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、南北アメリカ、アフリカ、それに可能なら南極まで。世界の7大陸を自分たちの自転車で走ってみよう。この自転車旅行を完遂することで、2人は『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03)の若き日のチェ・ゲバラのように革命に目覚めるわけではない。『進め!電波少年』(日本テレビ系)でユーラシア大陸横断ヒッチハイクに成功した猿岩石のように一躍人気スターになるわけでもない。ただ、社会のシステムに取り込まれてしまう前に、自分たちの五感で地球の大きさを体感してみたかっただけ。ベンとジェイミーは、意気揚々と自転車のペダルを漕ぎ始める。
フランス、ベルギー、ドイツ……とヨーロッパの国々は、ベンの自転車がやたらとパンクすることを除けば、さほど苦労なく走り抜ける。だが、ユーロ圏を出ると、ずいぶんと様子が変わってくる。ベラルーシ共和国に入ると、うっそうとした森と川が広がる。近くでチェルノブイリ事故が起きたことなど感じさせない、手つかずの大自然が美しい。いよいよ本格的な冒険旅行へ突入する。ロシアの国境に入り、2人は初めて恐怖を感じる。ロシアではトラックが自転車のことなどおかまいなしでびゅんびゅんと通り抜けていく。邪魔者はどけと言わんばかりだ。ヨーロッパ人と違って、ロシア人は表情が少なく、何を考えているのか分からないと2人は顔をしかめる。モスクワに到着した一行はここからシベリア鉄道に乗って、一気にモンゴルへ。見渡す限り何もないゴビ砂漠のパノラマ風景を堪能した後、中国の北京から西安へと自転車で南下。中国人たちは英語が全然通じないものの、人なつこい笑顔で集まり、2人を取り囲む。残念なことに、西安に向かうルートは大気汚染が酷く、自転車で走っているだけで全身がすぐに真っ黒状態。「中国人は人はいいが、環境はサイアク」というのが2人の中国観だ。東南アジアをグルッと回った2人はシンガポールに到着。だが、ここで所持金が尽きてしまう。虫のいい2人はタダでオーストラリアまで連れて行ってくれる船がないか、港に停泊中の船に片っ端から頼み込む。「俺も若い頃は冒険したもんさ」とある船のオーナーが理解を示し、2人を無賃乗船させる。
ベンとジェイミーは、いわゆるイケメンの白人青年。陽気で人当たりのよいジェイミーとマジメそうな二枚目タイプのベン。好青年2人がビンボー旅行をしているということで、旅先の人々はだいたい彼らを温かく迎え入れる。手持ちの金がないままオーストラリアに渡った2人は、メルボルンでこれまでの旅の画像と日記をミニコミ誌として1冊にまとめて路上で販売。これが意外と売れて、旅の継続資金が貯まる。さらには、またまた好意の持ち主のお陰で南極に渡る幸運に恵まれる。念願の南極大陸では、ペンギンと自転車で競争。若き日のチェ・ゲバラのように貧困層の惨状にショックを受けることもなく、お騒がせタレントのサシャ・バロン・コーエン主演作『ブルーノ』(09)みたいに中東の危険エリアに足を踏み入れて命からがら逃げ出す事態にも陥らない。政治や宗教の問題はとりあえず置いといて、2人は気ままに、眺めのいい土地を自転車で存分に走り、その土地の風を肌に感じる。
育ちのいい白人青年2人のお気楽な遊興旅とクサすこともできるが、スケジュールの決まっていないビンボー旅行はやはりどこか人を惹き付けるものがある。自転車と映画は形状だけでなく、ゆったりとした時間が過ぎていくという点でも似ており、相性がいいのだろう。イタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』(98)、キリギスタン映画『あの娘と自転車に乗って』(98)、冨樫森監督の『ごめん』(02)、シルヴァン・ショメ監督のアニメ『ベルヴィル・ランデブー』(02)など自転車が登場する映画は秀作が多い。近年の作品でも、平野勝之監督の極私的ドキュメンタリー『監督失格』(11)や脱北者の過酷な収容所生活を描いた『クロッシング』(08)での自転車シーンが甘美な陶酔感をもたらした。自転車は映画を観る者を少年時代に帰らせるタイムマシーンなのかもしれない。
引きこもりとは逆に、自国を飛び出して海外でまったりと暮らす若者たちのことを“外こもり”と呼ぶそうだ。割のいい短期バイトなどで手っ取り早く稼いで、食費や居住費の安いタイのバンコクあたりで過ごす日本人は1万人前後になるらしい。本作のベンとジェイミー同様に、閉鎖的な社会で暮らし続けることに疑問を持つ人々だ。海外での生活は新鮮だし、自宅に引きこもるよりも行動範囲はずいぶんと広がる。ただし、その国に永住できるわけではなく、生活費が尽きると自国に戻って再びバイト生活を繰り返さなくてはならない。その点、ベンとジェイミーが賢明だったのは、“所持金ゼロ=旅の終わり”とせず、世界7大陸走破という大きなゴールを設定していたことだろう。オーストラリアを後にした2人は南北アメリカ大陸を縦断し、最後のアフリカ大陸を目指す。すでにスタートから2年以上の歳月が経っていた。2人は自分たちの旅の終わりが近づいていることを自覚する。もともと仲の良かったベンとジェイミーだが、それまでは適度に距離を置くことで親友として付き合っていたが、旅の間ずっと一緒に自転車を漕ぎ続けてきたことで一心同体になったような境地に至ったと話す。
イギリスに帰国した2人は、結局は企業に就職するという選択を選ばない。ジェイミーはフリーランスのデザイナーとなり、メルボルンでミニコミ誌を買ってくれた女性と結婚した。ベンは映像製作会社を立ち上げた。サンダル履きの気ままな旅を経験した2人は、それぞれ家庭と会社という、小さいながらも責任を負う立ち場に就いた。2人の選んだ選択が正しかったかどうか分かるのは、ずっと先のことだ。ベンとジェイミーの冒険は、イギリスに戻ってからもまだ続いているらしい。
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監督・撮影・出演/ベン・ウィルソン、ジェイミー・マッケンジー ナレーション/ピーター・コヨーテ 発売元・販売元/ポニーキャニオン 3月21日よりDVDリリース中 http://bicycleroad.jp
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