『HUNTER×HUNTER』連載再開も募るファンの不安……「次回作構想」発言に非難の声も

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『HUNTER×HUNTER 33』(集英社)
 冨樫義博の人気漫画『HUNTER×HUNTER』が、6月26日発売の「「週刊少年ジャンプ」(集英社)2017年30号で連載再開することがわかった。同日には、コミックス最新34巻も併せて発売されるという。  ファンとしてはうれしいニュースだが、冨樫はジャンプ執筆陣の中でも悪名高き“休載作家”として知られる。口さがないファンの間では「どうせ、またすぐに休載するんだろ」といった声も聞かれる。 「『HUNTER×HUNTER』が最後に掲載されたのは、約1年前の16年31号。連載が始まったのは1998年ですが、頻繁に休載を繰り返していて、2014年からは2年にもわたる長期休載でしたからね。週刊誌での連載19年でコミックスがたったの34巻なんて、通常は考えられないですよ」(男性コミック誌編集者)  そんな冨樫だが、昨年には姉妹誌「ジャンプGIGA」誌上での発言がヒンシュクを買った。『NARUTO -ナルト-』の作者・岸本斉史との対談で、次回作の構想について問われると、冨樫は「僕めちゃくちゃあるんですよね。描きたいやつ」と応じたのだ。 「当時休載中だったにもかかわらず、この発言ですからね。連載中の作品すら全うしていないのに、よく次回作の構想なんて口にできたものです。厚かましいにもほどがありますよ。たびたび休載してしまうのは、持病の腰痛のせいだなんていわれていますが、単に連載に飽きてしまったのでしょう」(同)  連載を再開するというだけでニュースになってしまうのは、冨樫と『HUNTER×HUNTER』の人気の高さをうかがわせるが、またしても休載に突入してファンをぬか喜びさせないよう願いたいものだ。

お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!

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サラッと書いているように見えるけど、いつまでたっても五條市。いつまでたっても十津川村が数時間続く。
 このお尻が痛くなる旅は価値がある。  日本一の長距離バスとして知られる奈良交通の路線「八木新宮線」。またの名を「新宮特急」とも呼ばれるこのバスは、近鉄の大和八木駅から紀伊半島の山々を巡り、熊野灘を望む紀勢本線の新宮駅前までを結ぶ。  その全長は約166キロ。停留所は167カ所。所要時間は6時間を超える長距離路線だ。  昨今、鉄道に代わって安価な高速バス網が発展したことで、長距離を走るバスというものは増えている。でも、それらは大都市と地方を結ぶ、いわば高速バス。それに対して、この八木新宮線は、あくまで一般路線バス。つまり、そこいらを走っているバスが、超長大な路線になったというヤツである。  実はこのバス。以前より興味はあったものの、乗ることは躊躇していた。というのも、単なる路線バスである。6時間も乗っていれば、かなりお尻が痛くなりそうだ。おまけに、その間に休憩は3回あるものの、車内にトイレはついていない。実際に使用するかしないかは別として、トイレの有無は重要である。途中から我慢しながら乗らなければならないとすれば、精神的にも身体的にもあまりよくなさそうである。
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大和八木駅前で出発を待つバス。京都から1時間あまりの町で新宮行きの表示は、やはり期待と不安が募る。
 そうした理由から躊躇していた路線だが、今回、別件で新宮まで取材に行かねばならぬ機会を得た。運賃はともかくとして、とにかく多くの時間を使わねばならぬ路線。ここの機会を逃せば、もう乗ることはないと考えて、まずは出発地の大和八木駅へと向かった。  1日に3便が運行されているこの路線だが、その後の行動を考えると、便利なのは午前9時15分に大和八木駅を出発するバスだろう。そう考えて、前泊して向かうことに。  大和八木駅は橿原神宮という名所もある橿原市のターミナル。とはいえ、車社会の今、市内には人の影も少ない。おまけに、泊まった旅館には1988年の「なら・シルクロード博覧会」の文字がある張り紙もあり、なんだか悠久の歴史を知らせてくれる。
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以前よりよい車両になったというけれど、やはり路線バス。リクライニングもしないし狭い。
■椅子のグレードは高いけど、やっぱりキツい  さて、乗車である。赤字のため廃止も危惧されるこの路線。観光向けの需要の拡大も図っているのか「168バスハイク乗車券」という割引き切符も販売中。2日間有効のこの乗車券を用いると、大和八木駅~新宮駅間6,190円が5,250円と大幅にディスカウントされるのである。  そんな乗車券を手に、やってきたバスに乗車。乗客は10人ほど。いったい、このバスに乗ってどこに行くのだろうか、興味は尽きない。  まず乗って安心したのは、椅子である。路線バスとはいえども、椅子はグレードアップされている。だからといって、乗り心地がよいわけではない。ずっと座っているとエコノミークラス症候群になりそうな、でも適度な狭さである。もし乗る場合には、脚を伸ばしやすい最後尾の座席を選ぶのが賢明だと思った。  こうして発車したバスで流れる自動音声のアナウンスは、路線が公的支援によって維持されていることを説明し、乗車を呼びかける。  長大な路線とはいえ、最初は一般の路線と大差はない。幾人かの乗客が短距離を乗っては降りていく。  そんな路線の本格的な凄さが見えてくるのは、五條バスセンターでの休憩が終わってからである。ここから先、バスがずんずんと入っていくのは山の中。走っている路線は国道168号線と、国道ではあるものの急峻な道だ。  時折、待避所に入って一般車両を先に通しながら、バスは山の中を進んでいく。紀ノ川水系(丹生川)と熊野川水系(十津川)の分水嶺となる天辻峠にさしかかれば、いよいよ「よくこんなところに道を通したな~」という雰囲気だ。  今でこそ舗装されて整備された道になっているわけだが、かつての南朝勢力や幕末の志士たちも通ったこの道。よくもまあ、こんなところを進もうと思ったものだと歴史の深さが感じられてくる。
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ここ発電所があったのだが洪水で流されて再建中なのだとか。発電所消滅とかにわかに信じがたい。
 そうして、バスがようやく五條市を超えて十津川村へと入っていくと、見えてくるのは巨大な土木工事が行われている光景だ。この沿線は2011年の大水害で甚大な被害を受けた地域。その復旧工事はいまだに続いている。途中、バスはスピードを緩め、運転手が「このあたりまで水が来た」などと説明をしながら進んでいく。
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国道の改良工事が進んだ結果、峡谷に天空を結ぶ橋のようなものが次々と建設されている。
 この復旧工事にあたっては、新たな道路の建設も進んでいる。急峻な谷間の道に突然現れるのは、巨大な橋げた。頑丈な橋を建設し水害に耐えうるような高度に道を新しく作る方向で工事が進んでいるようだ。そのため、バスはグルグルと回りながら高規格の道路と、合間の集落とをゆきつ戻りつ進んでいく。
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ようやく20分の休憩。でも、バスを下りてもコンビニなんてないので食糧の準備は欠かせない。
■この吊り橋、舐めてかかると怖い!  そんな路線の中で、必ず寄りたい観光スポットが谷瀬の吊り橋。ここでは20分休憩時間が設けられているため、急げば渡って帰ってくることができるというわけだ。
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特に誰かが見張っているわけじゃないので、突然団体客が来たらロープが切れるんじゃないかと不安に。
 次に、ここに来るのはいつのことかわからない。ここは渡っておくしかない。そう考えて橋に向かった筆者であるが、この橋はヤバい。日本一の長さは別に譲ったとはいえ、全長297メートル。川面からの高さは54メートルの吊り橋である。渡ろうとすると「20名以上は同時に渡らないで」の注意書きが。観光シーズンには見張りの人が出るのだろうが、この日は見ている人もおらず。突然、観光バスでもやってきてゾロゾロと渡り始めたら……などとネガティブなことを考えながら歩みを進める。  きっと、多くの人は最初の数十メートルは「なんだこんなものか」とタカをくくるだろう。敷かれている板切れは頼りなさそうだが、特段危険な感じはしないからだ。
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20分の休憩のうちに向こうまで渡って戻って来ることができるのか……。
 だが、中央あたりに来ると「これ、ヤバいんじゃないか……」と、突然恐怖心が湧き上がってくる。中央に来ると、にわかに揺れが強くなってくるのである。「これは危険だ」と立ち止まれば、ふと見てしまう足元。明らかに高い! そして怖い! 最良の手段は、恐怖心が募る前に駆け抜けること。戻りも猛ダッシュすることである……。  そんなアクティビティも堪能できる路線。今回、十津川温泉を越え和歌山県まで乗り通したのは、筆者だけ。残りの乗客はすべて、十津川で下りてしまった。どうも普段から、乗り通しを目的としている観光客を除けば、こんなものらしい。行政からの補助がなければ運行が困難な路線であることは確かだろう。
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ようやくたどり着いた新宮の海岸……は、メチャクチャ荒波なので泳ぐどころか近寄るだけでも危険。
 とはいえ、6時間を超えて紀伊半島の秘境を越えていくという充実感はたまらない。何しろ、まだ都会の雰囲気のある大和八木駅を後に、十津川の峡谷を越えて、新宮に達すれば、そこは荒波が打ち寄せる太平洋。これだけで日本の広さというものを感じることができるはずだ。
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新宮駅前のバスターミナルは時間の止まったようなレトロ感。これだけでも見る価値がある。
 6時間を超えて乗り通すことだけで、達成感を得られるこの路線。時間さえあれば、誰にでも挑戦できるから、一度は乗ってみてもよいだろう。ただ、トイレがないので水分補給だけは、よく考えて!! (文=昼間たかし)

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サラッと書いているように見えるけど、いつまでたっても五條市。いつまでたっても十津川村が数時間続く。
 このお尻が痛くなる旅は価値がある。  日本一の長距離バスとして知られる奈良交通の路線「八木新宮線」。またの名を「新宮特急」とも呼ばれるこのバスは、近鉄の大和八木駅から紀伊半島の山々を巡り、熊野灘を望む紀勢本線の新宮駅前までを結ぶ。  その全長は約166キロ。停留所は167カ所。所要時間は6時間を超える長距離路線だ。  昨今、鉄道に代わって安価な高速バス網が発展したことで、長距離を走るバスというものは増えている。でも、それらは大都市と地方を結ぶ、いわば高速バス。それに対して、この八木新宮線は、あくまで一般路線バス。つまり、そこいらを走っているバスが、超長大な路線になったというヤツである。  実はこのバス。以前より興味はあったものの、乗ることは躊躇していた。というのも、単なる路線バスである。6時間も乗っていれば、かなりお尻が痛くなりそうだ。おまけに、その間に休憩は3回あるものの、車内にトイレはついていない。実際に使用するかしないかは別として、トイレの有無は重要である。途中から我慢しながら乗らなければならないとすれば、精神的にも身体的にもあまりよくなさそうである。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像2
大和八木駅前で出発を待つバス。京都から1時間あまりの町で新宮行きの表示は、やはり期待と不安が募る。
 そうした理由から躊躇していた路線だが、今回、別件で新宮まで取材に行かねばならぬ機会を得た。運賃はともかくとして、とにかく多くの時間を使わねばならぬ路線。ここの機会を逃せば、もう乗ることはないと考えて、まずは出発地の大和八木駅へと向かった。  1日に3便が運行されているこの路線だが、その後の行動を考えると、便利なのは午前9時15分に大和八木駅を出発するバスだろう。そう考えて、前泊して向かうことに。  大和八木駅は橿原神宮という名所もある橿原市のターミナル。とはいえ、車社会の今、市内には人の影も少ない。おまけに、泊まった旅館には1988年の「なら・シルクロード博覧会」の文字がある張り紙もあり、なんだか悠久の歴史を知らせてくれる。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像3
以前よりよい車両になったというけれど、やはり路線バス。リクライニングもしないし狭い。
■椅子のグレードは高いけど、やっぱりキツい  さて、乗車である。赤字のため廃止も危惧されるこの路線。観光向けの需要の拡大も図っているのか「168バスハイク乗車券」という割引き切符も販売中。2日間有効のこの乗車券を用いると、大和八木駅~新宮駅間6,190円が5,250円と大幅にディスカウントされるのである。  そんな乗車券を手に、やってきたバスに乗車。乗客は10人ほど。いったい、このバスに乗ってどこに行くのだろうか、興味は尽きない。  まず乗って安心したのは、椅子である。路線バスとはいえども、椅子はグレードアップされている。だからといって、乗り心地がよいわけではない。ずっと座っているとエコノミークラス症候群になりそうな、でも適度な狭さである。もし乗る場合には、脚を伸ばしやすい最後尾の座席を選ぶのが賢明だと思った。  こうして発車したバスで流れる自動音声のアナウンスは、路線が公的支援によって維持されていることを説明し、乗車を呼びかける。  長大な路線とはいえ、最初は一般の路線と大差はない。幾人かの乗客が短距離を乗っては降りていく。  そんな路線の本格的な凄さが見えてくるのは、五條バスセンターでの休憩が終わってからである。ここから先、バスがずんずんと入っていくのは山の中。走っている路線は国道168号線と、国道ではあるものの急峻な道だ。  時折、待避所に入って一般車両を先に通しながら、バスは山の中を進んでいく。紀ノ川水系(丹生川)と熊野川水系(十津川)の分水嶺となる天辻峠にさしかかれば、いよいよ「よくこんなところに道を通したな~」という雰囲気だ。  今でこそ舗装されて整備された道になっているわけだが、かつての南朝勢力や幕末の志士たちも通ったこの道。よくもまあ、こんなところを進もうと思ったものだと歴史の深さが感じられてくる。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像4
ここ発電所があったのだが洪水で流されて再建中なのだとか。発電所消滅とかにわかに信じがたい。
 そうして、バスがようやく五條市を超えて十津川村へと入っていくと、見えてくるのは巨大な土木工事が行われている光景だ。この沿線は2011年の大水害で甚大な被害を受けた地域。その復旧工事はいまだに続いている。途中、バスはスピードを緩め、運転手が「このあたりまで水が来た」などと説明をしながら進んでいく。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像5
国道の改良工事が進んだ結果、峡谷に天空を結ぶ橋のようなものが次々と建設されている。
 この復旧工事にあたっては、新たな道路の建設も進んでいる。急峻な谷間の道に突然現れるのは、巨大な橋げた。頑丈な橋を建設し水害に耐えうるような高度に道を新しく作る方向で工事が進んでいるようだ。そのため、バスはグルグルと回りながら高規格の道路と、合間の集落とをゆきつ戻りつ進んでいく。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像6
ようやく20分の休憩。でも、バスを下りてもコンビニなんてないので食糧の準備は欠かせない。
■この吊り橋、舐めてかかると怖い!  そんな路線の中で、必ず寄りたい観光スポットが谷瀬の吊り橋。ここでは20分休憩時間が設けられているため、急げば渡って帰ってくることができるというわけだ。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像7
特に誰かが見張っているわけじゃないので、突然団体客が来たらロープが切れるんじゃないかと不安に。
 次に、ここに来るのはいつのことかわからない。ここは渡っておくしかない。そう考えて橋に向かった筆者であるが、この橋はヤバい。日本一の長さは別に譲ったとはいえ、全長297メートル。川面からの高さは54メートルの吊り橋である。渡ろうとすると「20名以上は同時に渡らないで」の注意書きが。観光シーズンには見張りの人が出るのだろうが、この日は見ている人もおらず。突然、観光バスでもやってきてゾロゾロと渡り始めたら……などとネガティブなことを考えながら歩みを進める。  きっと、多くの人は最初の数十メートルは「なんだこんなものか」とタカをくくるだろう。敷かれている板切れは頼りなさそうだが、特段危険な感じはしないからだ。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像8
20分の休憩のうちに向こうまで渡って戻って来ることができるのか……。
 だが、中央あたりに来ると「これ、ヤバいんじゃないか……」と、突然恐怖心が湧き上がってくる。中央に来ると、にわかに揺れが強くなってくるのである。「これは危険だ」と立ち止まれば、ふと見てしまう足元。明らかに高い! そして怖い! 最良の手段は、恐怖心が募る前に駆け抜けること。戻りも猛ダッシュすることである……。  そんなアクティビティも堪能できる路線。今回、十津川温泉を越え和歌山県まで乗り通したのは、筆者だけ。残りの乗客はすべて、十津川で下りてしまった。どうも普段から、乗り通しを目的としている観光客を除けば、こんなものらしい。行政からの補助がなければ運行が困難な路線であることは確かだろう。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像9
ようやくたどり着いた新宮の海岸……は、メチャクチャ荒波なので泳ぐどころか近寄るだけでも危険。
 とはいえ、6時間を超えて紀伊半島の秘境を越えていくという充実感はたまらない。何しろ、まだ都会の雰囲気のある大和八木駅を後に、十津川の峡谷を越えて、新宮に達すれば、そこは荒波が打ち寄せる太平洋。これだけで日本の広さというものを感じることができるはずだ。
お尻の痛さと、トイレへの不安と戦う6時間超えのバスの旅……日本最長距離「新宮特急」はやっぱりスゴかった!の画像10
新宮駅前のバスターミナルは時間の止まったようなレトロ感。これだけでも見る価値がある。
 6時間を超えて乗り通すことだけで、達成感を得られるこの路線。時間さえあれば、誰にでも挑戦できるから、一度は乗ってみてもよいだろう。ただ、トイレがないので水分補給だけは、よく考えて!! (文=昼間たかし)

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ゴジラ映画史上最大の異端児坂野義光監督に捧ぐ『ゴジラ対ヘドラ』にまつわるエトセトラの画像1
『ゴジラ対ヘドラ 東宝DVD名作セレクション』(東宝)
『ゴジラ対ヘドラ』という映画がある。  ゴジラシリーズの11作目として1971年に公開されたこの映画は、シリーズ最大の「異色作」ともいわれ、一部ゴジラファンの間で熱烈な人気を誇る。  当時の社会問題であった「公害」が受肉し、そのまま実体化したような怪獣「ヘドラ」と、ゴジラが戦う――。新怪獣とのバトルが通例となっていたこの時期の娯楽路線のゴジラにおいて、ヘドラは異端の対戦怪獣だった。  そもそもゴジラは、人間の生んだ「核」という負の領域からヌッと現れた怪獣だ。54年の第1作『ゴジラ』で、人々はその存在に戦争の亡霊を見いだし、恐怖した。その脅威を排除するために全力を尽くし、沈みゆくゴジラに自らの過去も重ねて祈りを捧げた。  それから時がたち、地球の、子どもたちの味方になっていったゴジラの前に立ちはだかったのは、くしくも同じ人間が生んだ「公害」という負の領域からヌッと現れたヘドラだ。言うなれば、ヘドラは70年型の「新ゴジラ」だった。  この映画では、メッセージを背負っているのはゴジラではなく、ヘドラのほうなのだ。子どもの声に応えてどこからともなく現れたゴジラは、もはや実態を持たない、子どもたちが生んだ妄想のヒーローのようにすら見える。重量もなければ、奥行きもない、書き割りのようだ。そして、ヘドラは強い。ゴジラが対峙した怪獣の中でも最強の部類だ。  感情を見せず、ただヘドロやスモッグを吸いつくし、全身から有害物質をまき散らし、無尽蔵に成長することだけを本能としている。それはそのまま、公害を撒き散らしながら膨れ上がる日本の姿を暗示している。メッセージを持った敵は強い。  痛みも感じず、体が崩れても死なないヘドラに対して、今作のゴジラは鬼神のように立ち向かう。新たな「ゴジラ」であるヘドラに勝つには、自身の「ゴジラ」を取り戻すしかない。敵の「重さ」をむしり捨てるように、ヘドラの肉体をえぐり取っていく。  これはゴジラにとって「アイデンティティー」の戦いなのだ。  そこには余裕に満ちたヒーロー然とした姿はなく、ただ目の前の脅威を消滅させるために泥にまみれ、片目を潰され、腕は白骨化し、人類の武器まで利用して、満身創痍で辛くも勝利する。夕日に照らされ、死にゆくヘドラを傍目に佇むゴジラ、そこにかぶさる荘厳なコーラス。その姿は、自らの亡霊を葬り去っているかのようだ。第1作で沈み行くゴジラを見つめた人々と、ゴジラがダブる。  映画は、「そして、もう一ぴき?」という新たなヘドラの出現を予感させるスーパー(字幕)で終わる。  これもまた、新たなゴジラの存在を予感させた第1作目の『ゴジラ』と同じだ。  僕は、この『ゴジラ対ヘドラ』こそが、第1作目の『ゴジラ』に迫ることができた唯一のゴジラ映画だと思っている。そこには、監督の「ゴジラには、その時代の文明批評的なメッセージが必要だ」という並々ならぬ想いがあるからだ。  この映画を監督したのが、坂野義光さん。生涯において、メインの監督作はこれ1本。そして、その坂野さんは、5月7日に亡くなった。享年86歳。  少し自分の話をしたい。人にはそれぞれの「特撮」を卒業するタイミングがある。僕にも、特撮を卒業しそうなときが二度あった。一度は、小学校高学年になったとき。アニメや漫画やゲームに夢中で、特撮番組を見なくなった。これは、ほとんどの人が特撮番組を卒業する至極まっとうなタイミングで、多くのクラスメイトも戦隊ヒーローの話をしなくなったし、怪獣ソフビを買ったり、ウルトラマンのガチャガチャを回す人もいなくなった。  でも、そのときハマったアニメとその監督が、特撮のDNAを持っていることに気づき、すぐに戻ってきた。  そのアニメは『新世紀エヴァンゲリオン』で、監督は雑誌でスペシウム光線のポーズを決めている庵野秀明さんだった。  次のタイミングは中高生のときで、こちらのほうが大きかった。音楽に目覚めたのだ。それまで漫画家志望だったのに、一夜で音楽家に変わった。とにかく曲を作ったりする人になりたかった。特に「サイケ」と言われる音楽が妙に気に入った。どこまでがハードロックで、どこらへんがサイケで、どこからがプログレかよくわからなかったが、反復されるリズムや、エコーの効いたボーカル、主役のオルガン、ワウ、ファズが気に入った。  子どもの頃に好きだった特撮に対する興味は薄れて、音楽に夢中になった。  そんな時に、何かの雑誌で「ヘドラはサイケだ!」という一文を見つけた。言われてみれば、子どもの頃に見た『ゴジラ対ヘドラ』は変な映画だったよな……と思い返し、レンタル屋で借りて見てみた。  そこからの91分。開始早々に突如流れる「かえせ!太陽を」というサイケデリック歌謡曲、「水銀、コバルト、カドミウム……」と公害物質を連呼するAメロ、「かえせ!」「かえせ!」の大合唱、子どもからゴジラに捧げる作文、オタマジャクシのようなヘドラの融合と成長、ボディペインティングの歌姫と、魚人間が踊り狂うゴーゴークラブ、荒削りなバンドの演奏、麻雀中にヘドロに巻き込まれて死ぬサラリーマン、ヘドロに沈むメガネ、32分割されるニュース映像、赤ん坊の泣き声、不吉なアニメーション、バタバタと倒れる女子学生、めちゃくちゃ唐突に白骨化する通行人、富士の裾野100万人ゴーゴー(100人くらいしかいない)、役に立たない自衛隊、そして悲痛なまでのゴジラの死闘、強烈なイメージの数々が流れ込んできた。  この瞬間、自分の「好きになった物」と「好きだった物」がつながり、直列電流のような強力な電気が体内を走った。 「おれ、こういうのが好きなんじゃん!」  人生が決まってしまったような瞬間だった。  それ以来、僕は自分が好きになるものを、直列電池のようにつなぎ合わせて生きてきた。一人の人間のことだ。同じリズムの中で愛したものに、古いも新しいも、はやりもダサいもない。 『ゴジラ対ヘドラ』は、僕の中で大きな作品となった。  さて、冒頭で書いたように坂野さんは、この『ゴジラ対ヘドラ』の1本しかメインでの監督をしていない。もともと東宝で黒澤明監督はじめ数々の巨匠の助監督を務めた経験のある坂野さんは、70年の大阪万博・三菱未来館での映像制作を大成功させ、新進気鋭の監督として抜擢された。その記念すべき1作目が『ゴジラ対ヘドラ』だったのだが、それだけのキャリアを持つ坂野さんがこれ1本しか監督をしていないというのは不思議な話だ。一部では「坂野義光は“ゴジラを飛ばして”東宝の逆鱗に触れて、干された」ともいわれている。 『ゴジラ対ヘドラ』のクライマックス、死闘の末にヘドラを追い詰めたゴジラだったが、ヘドラは使い古した肉体を脱ぎ捨てるように脱皮し、飛翔して逃げ出してしまう。それを追いかけるべくゴジラが取った行動は、尻尾を抱え込むようにして丸まり、口から地面に向けて放射火炎を噴き出したのだ。その「逆噴射」ジェットで空に飛び上がったゴジラは、そのまま飛行してヘドラを追いかけ、体当たりで叩き落とす!  それまでのゴジラにはなかった強烈なこの「空飛ぶゴジラ」のシーンが、坂野さんが「ゴジラを飛ばした男」とまで呼ばれる由来だ。  しかし、公開後にこのシーンを見たプロデューサーの田中友幸さんが難色を示し、「ゴジラのキャラクターを変えてもらっては困る」「坂野にはもう特撮映画は撮らせない」と述べたという。真偽のほどはわからないが、日本映画の斜陽とも重なり、この数年後に坂野さんは劇映画の世界を離れることとなる。  では、これで坂野さんの映像作家としてのキャリアは終わってしまったのか?  そんなことはない。むしろ、ここから坂野さんは、その行動力と企画力で、数々の功績を残していく。 まず、坂野さんは助監督時代から培ってきた水中撮影の技術で、数々の水中映像のドキュメンタリーの傑作を生み出していく。困難に直面しながらも、水中撮影のノウハウを切り開いてきた坂野さんは、日本の水中撮影のパイオニアと言っても過言ではない。  さらに万博での経験から、大型映像の未来を予感した坂野さんは、独自に日本初の大型映像「ジャパネックス・システム」を開発。80年代には、大型映像用のコンテンツの制作にも積極的に関わっていく。  いまやIMAX3D、4DMXなどの大型上映システムが映画の主流になっているが、坂野さんは40年も前からこの未来を予測し、その普及と発展に尽力してきた。  そして坂野さんの夢は、この大型映像システムで、もう一度ゴジラの映像を作り出すことだった。2003年、坂野さんはIMAX3D用にゴジラとヘドラが登場する短編を企画し、東宝との権利契約も締結する。  しかし、この『新ゴジラ対ヘドラ』は資金難に直面し、企画は頓挫寸前になってしまう。転機は10年、この短編3D映画の企画がとある人物の目に止まり、そこから「坂野版3Dゴジラ」は、さらに規模を拡大してハリウッド製作の長編映画として生まれ変わることとなる。  その人物が、レジェンダリー・ピクチャーズのトーマス・タル会長であり、その企画から生まれたのが、14年に公開されたギャレス・エドワーズ監督作『GODZILLA』だったのだ。この大作映画のスタッフロールに、坂野さんは「エグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)」として大きくクレジットされた。  坂野さん自身の願いであった「環境問題に根ざしたシナリオとメッセージを」という想いも反映され、原子力発電所の事故を背景としたシナリオが完成した。  坂野さんは、自らのデビュー作であり、自身が特撮映画の世界を去るきっかけともなったゴジラの世界に、40年ぶりに帰ってきたのだ。そして、それはゴジラ映画自身の10年ぶりの復活でもあり、その復活の仕掛け人がゴジラ映画史上最大の異端児だった、というオマケ付きだ。  こんな痛快なことがあるだろうか?  スタッフロールに出た「YOSHIMITSU BANNO」の名前に、多くの『ゴジラ対ヘドラ』ファンは感動した。この坂野さんの企画書からスタートしたレジェンダリー版ゴジラは、今後も続編が予定されており、坂野さん亡き後も続いていく。  長年の夢を実現させ「新ゴジラ」をハリウッドで完成させた坂野さんだが、まだまだやりたい企画が山ほどあるようだった。14年、僕が見に行った坂野さんのトークショーでも、ヘドラが登場する新しい企画を進めたいと語っていた。  最近も、福島第一原発事故により新たなヘドラが登場するという『新ヘドラ』の企画を進めていたという。亡くなる直前まで、いくつもの企画を構想し、最新の映像技術を追いかける「現役映像作家」だった坂野さん。  そのエネルギーを『ゴジラ対ヘドラ』という1本の映画の中で追体験できる僕らは幸福だ。そして、坂野さん自身による『新ヘドラ』は残念ながら実現しなかったが、人間がいる限り、その陰から生まれる怪獣もまた、必ずいる。  新たなゴジラ、新たなヘドラは、時代の陰からヌッと現れてくるだろう。だからこの原稿も、このスーパーで終わる。 「そして、もう一ぴき?」 参考文献:『ゴジラを飛ばした男 85歳の映像クリエイター 坂野義光』 ゴジラ映画史上最大の異端児坂野義光監督に捧ぐ『ゴジラ対ヘドラ』にまつわるエトセトラの画像2 ●タカハシ・ヒョウリ “サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。 HP:http://www.owarikara.com/ ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/ Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw

「拳法の達人」なんていない!? 中国人も憧れる『らんま1/2』の世界観

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『らんま1/2』(小学館)
 こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。今回は日本の漫画作品を通して、日本人が想像する中国と現実の中国の違いを紹介します。 ■題名、キャラの名前が変更されていた、台湾版『らんま1/2』  1987年から96年まで「週刊少年サンデー」(小学館)に連載されていた『らんま1/2』(高橋留美子)は、拳法の達人で、水をかぶると少女になるという呪いがかかった少年・早乙女乱馬を主人公とした漫画です。少年漫画ながら作者が女性ということもあり、少女漫画テイストも含まれているため、僕が小学校のころは男女問わず大人気でした。『らんま』はギャグありバトルありと、さまざまな要素が詰まった作品で、中国で発売されていた台湾の海賊版には、「発狂する」という意味の「七笑」をもじった『七笑拳』という題名がつけられていました。おそらく「ギャグで大笑い」「ドタバタ」といったニュアンスでしょうが、同じく乱馬の名字は「乙女」と意味が近いからか「姫」に、ヒロインの天道あかねは「銭小茜」と中華風の名前に変えられていました。主要キャラほぼ全員の名前が変更されていたため、中国人ファンはがっかりしたものです。当時、僕は原作に忠実なキャラ名が使用された香港版のコミックスを所有していたため、クラスで好意を持っていた女子に貸して、『らんま』について2人で語り合った思い出があります。 『らんま』の世界で描かれた中国は現実の中国とは似ても似つかないもので、中国人の僕にとって両世界のギャップは興味深いものです。まず、主人公の乱馬はカンフー映画に出てくるような道着を着ていますが、このような格好をしている中国人はいません。また、「拳法の達人が存在する」「人民服を着ている」「美少女が多い」「おいしい料理がたくさんある」という作中設定も、現実の中国とは異なります。道端で不思議グッズを販売する行商人や、肉まんのような頭をした中国人キャラも非常にユニークでした。  おそらく『らんま』の中国は、華やかな文化が咲き誇った古代中国をイメージしたものでしょう。日本人は『らんま』を読んで中国に「幻想」を抱いたかもしれませんが、実際に訪れた際は「幻滅」すると思います。例えば『らんま』の作中では「中国4000年の歴史」という言葉が頻出しますが、現実の中国では「5000年」と水増しされ、「超能力者」と名乗る行商人たちは不思議グッズではなく、インチキ商品を売りつけます。 ■何気ないネーミングにセンスを感じる  また、『らんま』の用語センスは、とても秀逸です。作中の中国人が語尾につける「~アル」とは、中国人のおかしな日本語を揶揄する際に日本の漫画ではよく使われる言葉だと知人から聞きました。また「シャンプー」「ムース」といった作中キャラの名称は、中国語の発音に非常に似ていますが、実際は整髪料の名称をもじったものであることを訪日後に知りました。  数年前、とある在米中国人評論家が「外国人作家が描く中国のイメージは、実際の中国よりも海外のチャイナタウンに近い」という内容のコラムを書いていましたが、おそらく、作品を手がける時に観光地化されたチャイナタウンや古代中華文明を継承する台湾や香港をイメージしていること、中国が現実の国内情勢を伝えないため、作家たちは想像を膨らませて「理想の中国」を作り上げていることが要因でしょう。僕は中国が民主化して、『らんま』の中国のようなユニークな世界になることを願っています。  日本で作られる中華料理のように、『らんま1/2』は日本人がアレンジした「和製中華」といえる作品です。『きまぐれオレンジ☆ロード』の鮎川まどかと同じく、天道あかねは少年時代の僕にとって憧れのヒロインでした。『らんま』以外にも日本の漫画やアニメには数々の魅力を持ったキャラが登場し、それらが日本のイメージアップにつながります。現在、漫画家として活動する僕は、かつて自身が憧れたような魅力的な女性キャラを生み出すべく、日々精進を重ねています。
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●そん・こうぶん 中華人民共和国浙江省杭州市出身の31歳。中国の表現規制に反発するために執筆活動を続けるプロ漫画家。著書に、『中国のヤバい正体』『中国のもっとヤバい正体』(大洋図書)、『中国人による反中共論』(青林堂)、『中国が絶対に日本に勝てない理由』(扶桑社)がある。 <https://twitter.com/sun_koubun>

ワンレン、ボティコンだけじゃない……JK、クールジャパンを生み出した「バブル」再考『東京バブルの正体』

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『1985-1991 東京バブルの正体』(マイクロマガジン社)
「ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?」  今年のサラリーマン川柳コンクールの第1位には、こんな作品が選ばれた。今ではすっかり揶揄の対象となっている「バブル」という時代。日本中が好景気に沸いた30年前、日経平均株価は3万8,000円を超え、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「24時間戦えますか?」といった言葉を胸に、日本人が最も自信にあふれていた。そんな時代の姿をいま一度捉え直そうとするのが、ルポライターの昼間たかし氏による本書『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)だ。  一体なぜ今、バブルを再考する必要があるのだろうか?  まさに「狂乱」という言葉がふさわしかった、バブル時代のライフスタイル。男性はイッセイミヤケやヨウジヤマモトなどのDCブランドに身を包み、女性は体のラインを強調するボディコンに、髪形はもちろんワンレン。デートには、「GORO」(小学館)や「Hanako」(マガジンハウス)などの雑誌で話題の(雑誌によって流行が生み出されていたというだけでも隔世の感があるが……)高級レストランにクルマで乗りつけ、休日はスキー場やゴルフ場で謳歌した。2017年の今、当時の軽薄なライフスタイルを列挙していると、冷笑しか浮かばない……。  しかし、本書を一読すれば、そんな冷笑だけでバブルを語ることはできないことに気づくだろう。  当時まだ珍しかったコンビニエンスストアの業績はバブル期に一気に伸長し、アルバイト情報誌「フロム・エー」(リクルート)は1987年に「フリーター」という言葉を生み出した。近年では「JK」という言葉がすっかり定着した、女子高生に対する男性のまなざしが生まれたのもこの頃。85年に森伸之氏の『東京女子高制服図鑑』(弓立社)が刊行され、93年まで改訂版が出されるロングセラーを記録している。当時の男性誌「GORO」ではこう書かれている。 「女子大生・OLがおやじギャル化し、オジサマ族の愛玩具となりつつある現在、オレたちの目は、その下の女子高生へと向きつつあるよな」(1989年11月23日号)  また、コラムニストの中森明夫氏は83年から「漫画ブリッコ」(白夜書房)誌上で「おたくの研究」の連載を開始。89年に宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件が起きると、その存在が社会的に可視化されることとなる。だが、そんな陰惨な事件によって注目を浴びたオタクという存在に同調するように、事件の翌年に行われたコミケの来場者数はそれまでの10万人の倍以上となる23万人を記録した。ここから、「クールジャパン」と呼ばれる現在の施策が生み出されていることは言うまでもない。冷笑とともに語られるバブルは、現在まで続くさまざまな文化の揺籃期でもあったのだ。  バブル期の雑誌の数々を読みあさり、昼間氏が見いだしたのは「現代には存在しない圧倒的な開放感と自由」だったと語る。 「現代の人々が、バブル時代のうらやましさとして挙げるのは、いつも会社で経費が使い放題とか、就職活動が楽勝といった安易な部分ばかりだ。しかし、現代人が本当にうらやましいと思うことは、なんの抑圧も感じず、誰の目も気にすることのない世界が広がっていたことなのではないだろうか」  軽薄なカルチャーと経済的な熱狂が終わると、「80年代はスカだった」と言われ、白い目が向けられた。しかし、SNSで炎上が相次ぎ、人の目を気にしながら生きる現代から30年前に目を向ければ、そこには「スカ」というだけでは語ることのできない人々の姿が浮かび上がってくることだろう。
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1985-1991 東京バブルの正体 (MM新書) 発売中! ワンレンボティコンだけじゃない……JK、クールジャパンを生み出した「バブル」再考『東京バブルの正体』の画像3

ストリートチルドレン、難民、代理母出産……世界各地の過酷なお産を巡る旅『世界の産声に耳を澄ます』

ストリートチルドレン、難民、代理母出産……世界各地の過酷なお産を巡る旅 石井光太『世界の産声に耳を澄ます』の画像1
『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)
 日本では少子高齢化が著しいものの、世界に目を移してみると、1日に生まれる子どもの数はおよそ3.8万人にも及ぶ。この記事を読んでいるまさにこの瞬間にも、地球上のどこかで新しい生命が産声を上げているのだ。しかし、日本のように衛生的な環境で生まれる赤ん坊はごくわずか。世界中の母親たちの大半は、過酷な環境で子どもを産み、育てているのだ。  そんな世界のお産に迫ったのが、ルポライターの石井光太氏。『物乞う仏陀』(文藝春秋)、『神の棄てた裸体-イスラームの夜を歩く』『レンタルチャイルド-神に弄ばれる貧しき子供たち』『遺体-震災、津波の果てに』(新潮社)などで知られる彼は、2013年から3年間にわたって9カ国を歴訪し、『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)を上梓した。  中米のグアテマラ共和国では、第二次大戦後、36年間にわたって内戦が繰り広げられ、国土は徹底的に荒廃。先住民の多くが虐殺され、20万人以上の人々が死亡したといわれている。和平合意から20年以上を経ても、いまだこの国の政治・経済は停滞したままだ。石井氏は、この国でかつて行われてきた人身売買の実態に迫る。 「昔は外国人がやってきて、子どもを買っていったの。貧しい家に5人も6人も子どもがいると育てられないでしょ。だから、親も赤ちゃんを売っちゃう」  農家の女性がこう証言するように、年間4,000人あまりの子どもたちが養子としてアメリカに送られるグアテマラは、中国に次いで第2位の養子提供国。養子提供はひとつの「ビジネス」となっていた。そんな国で、子どもをアメリカ人に「売った」男性は、石井氏の取材に対してこのように答えている。 「裕福なアメリカ人の里親に預けられるなら、グアテマラよりずっといい生活ができる。どうせここにいたって、コヨーテ(不法越境を助ける仲介業者)に大金を払ってアメリカに行くことになるんだ」  貧しい家に生まれた子どもは、病気になったり、ストリートチルドレンになる可能性が高い。また、成長しても、ろくな仕事のないグアテマラではなく、不法移民としてアメリカに生きる道を見いだす人は少なくない。グアテマラの過酷な現実が、親に人身売買という道を選ばせるのだ。  08年から、グアテマラ政府は国外へ養子に出すことを制限し、養子ビジネスに対する規制に乗り出した。しかし、その結果生まれたのが、代理母出産という新たな搾取の方法だ。先進国の不妊症カップルや同性愛カップルが、グアテマラ人女性の子宮を借りて子どもを産ませる。そんなビジネスが今、特に貧しい先住民の間で広まっている。美人で有名なツツヒル族は人気で、アメリカ人好みの目鼻立ちのくっきりとした子どもが生まれるといわれる。石井氏は「これでは、ペットショップで高値で売れる犬をつくるために種を混ぜるブリーダーと同じ発想ではないか」と憤りながらも、ストリートチルドレンが行き交うエクアドルの現実を見れば、単にそれを否定することもできない。代理母には、多額の報酬が支払われるのだ。  エクアドルと同じ中米のホンジュラスでは、ストリートチルドレンが、売春やレイプによってできた子どもを産む。まともな教育も得られず、母親としての知識もない彼女らは、子どもたちを病院に連れて行くこともなく劣悪な環境で育て、そのほとんどが1~2歳になるまでに死んでしまう。また、国民の3人に1人がHIVに感染するアフリカ南部のスワジランド王国では、親をエイズで亡くした孤児が親戚の家をたらい回しにされたり、ストリートチルドレンと化し犯罪に手を染める。日本では気づかないが、親の愛情を一身に受けて育つというだけでも、とても恵まれていることなのだ。  しかし、そんな状況を目の当たりにしながらも、石井氏は本書のあとがきで「ひとつひとつの命が持つ可能性は、すべて等しく無限だ」という希望を記している。どうして、そんな楽観的な希望を語ることができるのか? それは、彼の見た光景が、決して絶望だけではなかったからだ。  内戦が続いたスリランカで出会った女性は、兵士にレイプされて妊娠した。  堕胎をするには、経済的にも時間的にも余裕がなかった。彼女は子どもを産み、施設に預けることにした。しかし、首が据わるまで3カ月間、生まれた男児を抱き続け、母乳を与えていた彼女は、子どもを手放さずに、自分の手で子どもを育てることを決意する。両親には猛反対され、出生の秘密を知る村人は彼女をあざけり、彼女の周囲にはいつも非難の目が向けられていた。しかし、彼女はわが子のために涙を流さず、村民に対しては気丈に振る舞い、息子の前では明るい笑顔を見せた。成長した息子は「なんでお父さんがいないの?」と友達から聞かれると、必ずこう答える。「ママはなんでもできるすごい人なんだ。お父さんなんていらないほど、すごいんだぞ!」  レイプの末、望まない妊娠によって生まれた子どもに対して葛藤はないのか? 当然の疑問に対して、彼女ははっきりとこう答えた。「うちの子って、すごくかわいいの。誰が父親なんて関係ない。私の息子だから」  世界中の過酷な現実を見続けてきたルポライターは、「子どもの持つ無限の力は、現実の不条理を打ち破ることができる可能性を秘めている」と書く。本書には、戦争の続く中東シリアを逃れた難民たちが、キャンプにおいて多くの新たな生命を育んでいる様子も描かれている。子どもの持つ「可能性」が現実を変える日が、一刻も早く訪れることを願ってやまない。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

佐藤天彦名人が“ボロ負け”……それでも将棋界が「人間対コンピュータ」に挑んだ理由

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公益社団法人「日本将棋連盟」公式サイトより
 ついに名人がコンピュータとの勝負の場に登場し、注目を集めた将棋の「電王戦」。2番勝負の第2局が5月20日に行われ、佐藤天彦名人が「PONANZA」に完敗した。これまでチェスや囲碁のトッププロがコンピュータソフトに敗れており、将棋界も今回の敗戦は想定の範囲内だったはずだが、わざわざ“負け戦”に挑んで何か得るものはあったのか? 「名人が2連敗」という屈辱的な結果に終わった電王戦。両者の力の差がどれほどあったのかは、 「精度の高い読みの前にリードを広げられて完敗した」(日刊スポーツ) 「ソフトが佐藤名人に圧勝」(時事通信) 「佐藤名人がソフトに完敗」(サンスポ) といった見出しや寸評を見れば明らかだ。将棋に詳しい週刊誌記者が語る。 「今回の電王戦は、第1局、第2局とも佐藤名人の完敗としか言いようがない内容の将棋でした。そもそもプロ棋士レベルの将棋は、『良い手を指したほうが勝つ』よりも、『悪い手を指したほうが負ける』という勝負になるもの。しかし、今回のPONANZAとの対局で、佐藤名人はこれといった悪手を指したわけではありません。ということは、両者の力にかなりの差があったということです」  名人という“ラスボス”が出動し、わざわざ引導を渡されに行った形の将棋界。その背景には将棋界の焦りがあったのではないかと、前出の記者は分析する。 「将棋が世間で最後に話題になったのは、羽生善治さんが七冠を取った“羽生フィーバー”の時で、それが1996年のこと。今、羽生さん以外の棋士の名前を答えられる人がどれだけいるでしょうか? 実際、将棋人口は激減しており、昨年には将棋界唯一の新聞だった『週刊将棋』(マイナビ出版)も休刊になりました。しかし、ソフトとの対局となれば、マスコミも大きく報じますし、将棋ファンでない層も興味を持ってくれます。実際、2013年から行われた電王戦はニコニコ動画で中継が行われて大変な視聴者数を記録し、将棋を指さずに観るだけの『見る将』という新たなファンを獲得しました。名を捨てて実を取ったというのは酷ですが、ソフトに敗れるのと引き換えに新たなファンを獲得できたのですから、悪くない試みだったのではないでしょうか」  残念ながら名人は敗れてしまったが、それと前後して“スーパー中学生”の藤井聡太四段が登場。プロ棋士とコンピュータソフトが対決する電王戦は、「役割を終えた」として今回限りで終了したが、注目度が高まるタイミングでのニューヒーローの誕生は将棋界に福音をもたらすかもしれない。

古き良き山口組・加茂田組の姿が蘇る !  大物芸能人たちとの写真も満載『烈俠外伝』秘話

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『烈俠外伝』(サイゾー)
 三代目山口組では最強の組織といわれた加茂田組。その親分であった加茂田重政氏は、昭和ヤクザ史に名を残す大物俠客である。史上最大の抗争といわれる「山一抗争」においても一和会最高幹部として勇名を馳せるが、引退後は長きにわたり沈黙を守ってきた。  その加茂田氏が昨夏突如、自叙伝『烈俠~山口組 史上最大の抗争と激動の半生』(小社)を上梓し、大きな話題な呼んだ。さらに、同書からビジュアル重視のバイオグラフィーとしてスピンオフしたのが、今回発売された『烈俠外伝 秘蔵写真で振り返る加茂田組と昭和裏面史』(同)である。  本書では、加茂田氏ほか三代目山口組を支えた親分たちの貴重ショットや、加茂田組の面々の当時の様子、有名芸能人や地域住民との交流の模様など、今はなき「昭和ヤクザの実像」が収められている。業界関係者やヤクザ文化が好きの人々のみならず、多くの人々が関心を抱く内容だ。  そこで本稿では、『烈俠』および『烈俠外伝』の制作に加わったライターの花田庚彦氏に、『烈俠外伝』の制作秘話や読みどころを書き下ろしてもらった。 ■モザイクなしのヤクザたちの素顔
古き良き山口組・加茂田組の姿が蘇る !  大物芸能人たちとの写真も満載『烈俠外伝』秘話の画像2
三代目山口組・田岡一雄組長ら一行による慰安旅行の様子。中心が田岡親分。左から2番目が加茂田親分(『烈俠外伝』より)
 加茂田組組長・加茂田重政の自叙伝『烈俠』をベースにした写真集的な本を作ろうという話が『烈俠』の制作スタッフから来た時に、私は条件をいくつか出した。  そのひとつは、1970~80年代に撮られた数々の貴重な写真に登場する人々の顔にモザイクを入れないこと。出来上がった『烈侠外伝』を見てもらえばわかるが、特別に配慮すべき理由がある一部を除き、基本的には錚々たる親分の顔にも、組員の方々の顔にもモザイクを入れていない。  加茂田氏本人から提供された写真には、加茂田氏の了解のもとモザイクは入れておらず、ほかの方から借り受けた写真にも一部を除き入っていない。例外があったのは、この写真の提供を受けた方の親分が鬼籍に入られているため、すべてにおいてモザイクを入れないことへの了解が取れないからである。その点は、この場を借りてご理解をいただきたい。  モザイクなしの写真により、当時のヤクザたちの生き生きとした表情や生きざまが今に蘇ってくることは、『烈侠外伝』の大きな魅力のひとつである。  そんな『烈俠外伝』と前作『烈俠』の大きな違いは、前作では組織の「上」から加茂田組と加茂田重政という人物を見ているのに対し、今回は「下」からそれらを見ているという点といえる。つまり、組員や加茂田重政氏の付き合いのあった住民、芸能人たちといった人々の、我が親分や加茂田組に対してのプライドや愛情が強く感じることができるのだ。 ■各方面への許可取りの煩雑さ 『烈俠』において私は聞き手に徹し、加茂田氏の話を引き出す役割を担った。その後、補足取材などのため、加茂田組の地元・神戸市長田区の番町という街を歩き回り、元加茂田組の方々から話を聞き、文章にまとめた。『烈俠外伝』では、それらの作業に加えて、多くの方々への取材交渉や写真および資料の使用許可取りに大変難儀したのである。  この許可取りは各方面への根回しが必要なことから複雑な作業であったため、時には制作スタッフを叱咤したこともあった。『烈俠』のスピンオフ作品でもあるし、比較的スムーズに進む仕事と思って企画をした『烈俠外伝』であったが、前作にも増して面倒が多い仕事であるということを理解していなかったのだ。  こうして『烈俠』の制作スタッフも手を引く中、『烈俠外伝』は出来上がった。  例えていうなら、『烈俠』は大きな岩を山頂から転がして、道をつくればよかった。対して『烈俠外伝』は麓から草を刈りながら、山道を作る作業だったのだ。  さらに詳しくいえば、暴力団の抗争において当たり前のようにダンプカーでの特攻が行われた時期があったが、これを日本で初めて実行したのは当時の加茂田組の人間である。その方から話を聞くにあたっては、筋としてはその上の方から許可を得なくてはならない。そのためには、東京から関西方面へ二度、三度と足を運ばねばならなかったし、そのような地道な作業の積み重ねにより浮き上がったのが、下から見た加茂田組の実像であり、今回の『烈俠外伝』なのだ。  こうして得ることができた貴重な証言や資料が、前作にも増して豊富に詰め込まれていると自負している。前作では収録しきれなかった写真を惜しみなく使用したほか、当時の貴重な証言を含む記事を作ることができたのだ。例えば、山一抗争当時、加茂田組と対峙していた山口組側の幹部組員との対談は必見である。  ヤクザの世界は厳しいだけでなく、時として一般人からして面白い場面も多い。普段、見聞きすることのできないヤクザの事務所の内情、実際のヤクザの生活など、こんな話もあるのかと思わされたことが一度や二度ではなかった。
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熱唱する加茂田親分と菅原文太氏(『烈俠外伝』より)
■ダンプ特攻を考えた男  また、『烈俠』では、加茂田氏が初めに客分として迎えられた神戸のわさび会と、そこの会長であった米田義明氏が何者であったのかを明らかにできなかった。『烈俠外伝』では、米田氏が経営していた、とある場所の従業員によって、米田氏と加茂田氏の関係、普段は見せなかった加茂田氏の素顔が明かされている。文字数にしてはそれほど多くはないが、組員、また関係者すら見たことのない加茂田氏の描写も含まれている。  さらに、山一抗争を最前線で戦った元加茂田組系の若頭補佐・沖中東心氏のコラムも必読といえる。実際に命を懸けて戦ったが、どれだけ加茂田組を誇りに思っていたのかが伝わってくる内容である。  今回、沖中氏とは、共に加茂田氏宅へ伺い、親分と会うことがかなえられた。それだけでなく、今も加茂田組を思う沖中氏の気持ちを感じ取ってくれたのか、親分からの感謝の品物を受け取ることができたのである。これは、元組員としては感極まる出来事であったに違いない。加茂田氏から直接何かを下される最後の組員かもしれないのだ。  その沖中氏は、かつて加茂田組の部屋住みをしていた時期があるが、同時期に共に部屋住みをしていたのが、前述した日本で初めてダンプ特攻を行った人物である。巨大なダンプカーで敵の組事務所に突っ込み破壊するという、その後、ヤクザ映画などでもおなじみとなった、とてつもない戦法を考え出したのは、果たしてどんな人物だったのか。その前後の話も大変興味深い。  この人物と沖中氏との2人の当時の思い出話は、部外者である私が立ち入る隙もないほど、実に濃密な対談であった。当時の加茂田組の内情が十二分に伝わる内容といっていい。 ■昭和のヤクザの魅力  加茂田組とは、昭和の後半を代表する組織のひとつに数えられる、三代目山口組の有力組織のひとつであった。その後、山一抗争で敗れ、解散を余儀なくされている。だが今でも、その時代を生きた人々の脳裏に、加茂田重政と加茂田組は、深く焼き付いている。それはなぜなのか?  答えは簡単ではない。桜の花のように、ぱっと咲いてぱっと散る姿を愛する日本人に、その美しい去り際が見事に映ったのであろうか?   私は、世間の人々にいい意味での影響も与えたのが、昭和のヤクザだったと今でも思っている。地域住民とのふれあいがあり、堂々と芸能界と付き合っていたのもこの時代だ。  それから数十年を経て、今もヤクザの抗争事件が日本全国で毎日のように起こっているが、あの頃の抗争とは何かが違うのだ。「では、違いは何か?」と問われれば、返す言葉は持ち合わせていないのだが……。しかし、そう思うのは私だけではないはずだ。『烈俠外伝』を見てもらえば、そのことをさらに強く感じるに違いない。 『烈俠外伝』の最後には、加茂田氏の自筆の署名と近影も掲載されている。  加茂田重政という男と彼が率いた加茂田組の実像を浮き彫りにした『烈俠』と、それに続く『烈俠外伝』。ヤクザの歴史に名を残した彼らを取り上げるのは、今回で最後となるであろう。 (文=花田庚彦)

伝説の女相場師は18歳! 枕営業も駆使する、仕手バトルマンガ『銭華』

伝説の女相場師は18歳! 枕営業も駆使する、仕手バトルマンガ『銭華』の画像1
『銭華 1』(作:倉科遼/画:和気一作/グループ・ゼロ)
 みなさんは「はちきん」という言葉をご存じですか? 「男勝りの女性」を指す土佐弁ですが、土佐の女性が4人の男性(=8つのキン○マ)を手玉に取るほどの男勝りであることに由来しているそうです。高知県出身の女性タレントいえば、広末涼子さんや島崎和歌子さんなどがいますが、なるほど、そう言われてみると「はちきん」かもしれません。  今回は、そんな高知県出身18歳の「はちきん」な美少女が、両親を死に追いやった奴らへの復讐のため守銭奴となり、兜町の女帝といわれる女相場師になるまでのストーリーを描くマンガ『銭華(ぜにばな)』をご紹介します。 「そこらの小娘と一緒にしなや、土佐の女舐めちょったら痛い目にあうぜ!」  一見すると、おとなしそうな女子高生が、2代目スケバン刑事みたいな土佐弁をまくし立てます。彼女に一体何があったのか? 『銭華』の主人公は坂本千尋。高知県一の財閥、山之内家に両親を殺され、山之内家の長男に自分の処女までも奪われた千尋は、東京に出て一攫千金を狙って、カネの力で山之内家に復讐することを誓います。 「山之内一族…絶対許さんぜよっ!」 「今度帰ってくる時は復讐の時だ! 山之内一族を潰す時だ…!!」 「私は夜叉となって金を稼いでやる!! 他人に何と言われようと守銭奴となって銭の華を咲かせてやる!!」  18歳にしてこの決意。ただ事ではありません。  田舎から上京してきた小娘がビッグになって、故郷の奴らに復讐するというストーリーは以前、当コラムでご紹介した『女帝』(参照記事)の設定と似ています。それもそのはず、この『銭華』も『女帝』と同じく、原作・倉科遼先生、作画・和気一作先生のコンビ作なのです。  東京で大金をつかむ手段として千尋が選んだのは「株」。千尋は、カリスマ相場師・片山鉄造が率いる投資顧問会社「日本橋経済研究所」に就職します。そこで思い知らされるのが、投資の世界の汚れっぷり。投資顧問会社の仕事の実態は、しょせん株投資の電話営業。全国の強欲投資家に対し、嘘八百並べて金を吐き出させる詐欺稼業なのでした。 「顧問業も相場師も一番近いのは刑務所だね」 「俺達がやっている顧問業は出資法や証券取引法に完全に抵触しているんだ!」 「兜町では騙される方がマヌケなんだ。兜町というところは日本で唯一嘘が認められた社会なんだ!」  会社の先輩のありがたい教えの数々……正直、読者はドン引きします。やっぱり投資って、うっかり手を出すとだまされる運命なんですね。  しかし、千尋の目的は復讐です。相場師になるために、初めっからヨゴレ上等で東京に来ています。そんじょそこらのリーマンとは、カネに対するモチベーションが違うのです。 「女の体は武器になる!! この肉体(からだ)が通じるうちに勝負してやる!! 銭の華を咲かせてやる!!」  というわけで、師匠の片山をはじめ、ありとあらゆる業界人に枕営業を仕掛けては、投資の裏情報をゲットしていきます。最終的には片山をも敵に回して仕手戦に勝利し、5億円ゲット! 18歳にして、伝説の女相場師と呼ばれるようになります。女がビッグになるために枕営業は必須! 処女はできるだけ高く売る!! これは倉科作品に共通する哲学です。 「恐怖のふるい落としで提灯筋は全滅させてやる!!」 「これが片山鉄造得意の地獄の逆落としだ!」  などなど、一見すると格闘マンガの必殺技のようですが、違います。これらはすべて仕手戦の最中に出てくるセリフです。マネーゲームだって命懸けですから、セリフも自然と熱くなります。  そのほかにも提灯、受け皿、利食い、ネタ玉、ハメ込み、踏み上げ、場内クロス、売りぶつけ等々、普段聞いたこともない専門用語が山ほど出てきて、読んでいると自然に株に詳しくなれるため、これから投資を始めたい人の入門マンガとして最適! な気もしないでもないですが、一方で登場人物に詐欺師が多すぎて、投資に対して尻込みしてしまう可能性もある、そんな悩ましい作品です。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>) 「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから