レコ大、ジャニー前社長に贈られる「特別音楽文化賞」と近藤真彦のステージに注目集まる

 今月30日にTBS系で中継番組が放送される年末恒例の音楽界最大の賞レース『輝く!日本レコード大賞』を巡って、周辺が慌ただしくなっている。

 今年は、米津玄師がプロデュースする音楽ユニット・Foorinの『パプリカ』や乃木坂46の『Sing Out!』、欅坂46の『黒い羊』、日向坂46の『ドレミソラシド』、氷川きよしの『大丈夫』などが優秀作品賞に選出されており、「レコード大賞」を競うことになる。
 
 そうした中、大賞の行方以上に業界内で注目を集めているのが、今年7月に亡くなったジャニーズ事務所のジャニー喜多川前社長に贈られる「特別音楽文化賞」に関する演出だという。
 
「ジャニーズ事務所といえば、かつては1987年に近藤真彦さんが『愚か者』で、88年に光GENJIが『パラダイス銀河』で大賞を受賞するなど、レコ大にも参加していましたが、90年に忍者が、美空ひばりの名曲『お祭りマンボ』をカバーをした際、同曲の扱いが希望していた演歌・歌謡曲部門ではなく、ポップス・ロック部門に振り分けられたことに激怒。それ以来、自社アーティストやその楽曲が賞の対象になっても“辞退”を繰り返し、距離を置いてきました。そうした歴史があるだけに、特別音楽文化賞の話を聞いた時は正直驚きましたね」(大手レコード会社スタッフ)

 実際、こうした経緯から多くの業界関係者はジャニー喜多川前社長の偉大なる功績を鑑みても、音楽界に大きな貢献をした故人に贈られる既存の賞の特別功労賞が贈られるものだろうと考えていたようだ。

 そこで気になるのが、受賞時の演出だ。当日は事務所を代表して近藤真彦が同賞を受賞することがすでに発表されているが……。

「ステージに登場した近藤が、かつての大賞受賞曲である『愚か者』を歌唱するのではないかと噂になっているんです。近藤といえば、87年のレコ大直前に、前年亡くなった母親の遺骨盗難事件が起き、『レコード大賞を辞退しろ。辞退しないとどうなるか、横浜の墓の下をよく見てみろ』という脅迫電話や脅迫文が届く中、『きっとお母さんなら辞退するなと言うと思う』と、事件を公にせずステージに立ち、同曲で大賞を受賞してステージで号泣した一件は今も語り草になっています。それに、ジャニーズ事務所がレコ大と距離を置いていたにもかかわらず、10年には『心 ざんばら』で最優秀歌唱賞も受賞している。そんな因縁浅からぬレコ大に久々に姿を現すわけですから、今は亡き天国の恩人に捧げるサプライズの演出があったとしても不思議ではないでしょう」(スポーツ紙記者)

 マッチがどのようにステージ上で振る舞うのか、ジャニー喜多川氏も天国から見守っているに違いない。

近藤真彦、「ジャニーズの長男」発言で存在を誇示も、滝沢秀明は眼中ナシの未来図

 ジャニー喜多川社長の死去に伴い、所属タレントが次々と追悼のコメントを寄せた。その中で、注目を浴びたのが近藤真彦の「長男でいながら、何度も泣いちゃいました。叱られそうです。ジャニーさんありがとう」という発言だった。

「近藤といえば、ジャニーズでは最古参で、メリー喜多川副社長から『ウチのトップ』と称されたこともあった。しかし、あるときからカーレースに夢中になりすぎて、後輩の育成どころか芸能界からも距離を置くようになっています」(芸能関係者)

 その一方、”次男”の東山紀之はジュリー副社長と結婚することを条件に幹部になるレールが敷かれたものの、結局、破談となり、その道を断たれている。

「その結果、後継者に滝沢秀明が選ばれ、2人の序列は一段下がった。とりわけ近藤については、滝沢が切りたがっているという話もある。それを耳にしている近藤は”長男”というワードを使って存在感を誇示しようとしたのでしょう」(同)

 長男の上に立った滝沢が、力を入れているのが、育成からマネージメントまで一貫して行うという取り組みだ。

「ジャニ―氏が晩年気を揉んだのが、ジャニーズJr.がデビューできないまま高齢化していること。生活ができないような状況で彼らを独り立ちさせることを託された滝沢は、さっそく『Snow Man』『SixTONES』といった若手の売り出しに奔走しています。ジャニ―氏の個人資産は500億円とも言われ、一部では遺言にそのうちの100億円を滝沢に渡るよう記されていたとも。これだけあれば、ジュニアたちが路頭に迷う心配もない。滝沢には男版・宝塚のようなビジネスプランもあるといいますが、彼の未来図に、近藤は映っていないでしょうね」(前出・関係者)

 近藤は、”長男”という肩書に、いつまでブラ下がることができるだろうか。

近藤真彦、「泣いちゃいました」というジャニー社長への追悼コメントに見る「怖いオトコ」の顔

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「長男でいながら、何度も泣いちゃいました」近藤真彦

 7月9日、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏が亡くなった。「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネス世界記録の保持者である氏の逝去に対し、所属タレントたちがコメントを発表した。

 タレントたちのコメントは、自身を見いだしてくれたことへの「感謝」と故人の「人となり」に触れながら、愛情表現をしているものが多い。

 例えば、木村拓哉は「今の自分があるのも、ジャニーさんとの出会いが無ければ…。と思うと感謝してもしきれません」と「感謝」し、少年隊・東山紀之は「ジャニーさんが教えてくれた、人に対する優しさやプロ意識がなければ、僕はここに存在していなかったでしょう」と、故人の「人となり」を感じさせながら、その教えがどれほど有意義なものであったかを明かしている。

 例外として、TOKIOの長瀬智也が「ジャニーさんはカッコ良すぎるのでたぶん地獄行きです」と弔事の際に使われることのない「地獄」という言葉を使っているが、その後に「僕も地獄を目指している男なのでまた地獄で会いましょう」と続けているので、長瀬なりの愛情表現ということがわかる。

 そんな中、シンプルにしてオリジナリティーが高いと私が驚いたのが、マッチこと近藤真彦のコメントである。

「倒れてから3週間、病室で数々の奇跡を見せて頂きました。あらためてジャニーさんの強さを感じました。タレントと社員が、もしかしたらという心の準備をする時間もいただきました。さすがジャニーさん、最後まで最高なセルフマネジメントでした」

 と、ここまでは出来事とジャニー氏の「らしさ」を時系列順に説明している。注目すべきは、その後だ。

「長男でありながら、何度も泣いちゃいました」

 コメントを出したタレントたちは、ひたすらジャニー氏に感謝し、氏のイズムを継承していくことを誓っている。それは大人としては正しい判断だが、ビジネス的な立ち位置からのコメントと思えないこともない。しかし、マッチだけは弱さを隠さず、「泣く」ことで氏の喪失を悼んでいる。家族のような近しい人が旅立った時に、涙することはおかしなことではなく、むしろ当たり前である。となると、マッチの「泣いちゃいました」という言葉は、最も強い愛情表現はないのではないだろうか。

 この「泣いちゃいました」で、私は人の懐にすっと入り込むマッチの“怖さ”を思い出した。

 2015年、「週刊文春」(文藝春秋)に、「ジャニーズ女帝メリー喜多川 怒りの独白5時間」と題された、メリー喜多川副社長へのインタビューが掲載された。メリー氏の娘・ジュリー氏とSMAPのマネジャー飯島三智氏(当時)、それぞれを「社長候補」と記者が言ったことにメリーは激昂。「もし、ジュリーと飯島が問題になっているのなら、私はジュリーを残します。自分の子だから」と後継者はジュリーであることを宣言した。怒りの収まらないメリー氏は、飯島氏をインタビューの現場に呼び出し、「うちのトップはだれ?」と質問して、飯島氏に「近藤真彦です」と答えさせるなど、自分の娘だけでなく、マッチに対する強い思い入れを示している。 

 同記事で、記憶に残っているのがもう一つ。メリー氏はマッチの母親にも強く感情移入している点である。喫茶店を経営していたマッチの母親は、仕事の帰り道に自らが運転する車で、交通事故を起こした。2010年に放送された『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)で、本人が語ったところによると、マッチの母親は、大病院への搬送を頑なに拒んだという。救急車はその希望通り、“大病院ではない”病院に運び込んだが、結局そこでは手に負えず、再度大学病院に搬送され、42歳の生涯を閉じた。

 マッチの母親が、なぜ大きな病院に行かなかったのかというと、事故が公になることを恐れていたからと、マッチは説明する。つまり、自分の命と引き換えに、息子ひいてはジャニーズ事務所に迷惑をかけまいとしたということだろう。

 メリー氏はその事故を振り返りながら、インタビューでは「私がマッチの面倒を見るのは当たり前だと思う……話しているだけで涙が出てきちゃう」と落涙寸前の勢いで言い切っていた。

 このようなエピソードから、メリー氏は、面倒見の良い、情の深い人物と言えるだろう。明石家さんまもMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』でこんなエピソードを披露している。さんまがジャニーズのタレントと共演が増えるようになった際、メリーに「うちの子どもたちが本当にお世話になって」という感謝の言葉をかけられたことに加え、「一緒のレストランになると、全部はろてくれはる。こっちがどれだけの人数であろうと払ってくれる」と証言した。

 それでは、メリー氏のような情の深い人が好むのは、どんな人だろうか。

 まず情が深い人というのは、「この人を大事にしなくてはならない」と思い込みやすい人と言えるだろう。それでは、どんな人を「大事にしたい」かというと、マッチの母親のように、身を挺して忠誠を誓ってくれる人と、「自分が面倒を見ないといけない気にさせる人」、つまり、庇護欲をそそる「甘え上手な人」と言えるのではないだろうか。

 若い世代にはぴんと来ないだろうが、昭和という時代は「オトコは人前で涙を見せるべきではない」という考えが主流だった。なぜ男性が泣いてはいけないかというと、泣くと「弱い人」「オトコらしくない」と見なされたからである。自分の評判を落としかねない弱さを露呈することは、情の深い人を「そこまでの犠牲を払ってくれるのなら、自分が面倒をみてあげなくては」という気持ちにさせるのではないだろうか。

 そういえば、マッチのかつての恋人、中森明菜も情が深い人だった。かつて明菜が「お母さん」と呼び、付き人を務めていた木村恵子氏が出した暴露本『中森明菜 哀しい性』(講談社)によると、明菜は「結婚のため」マッチにかなりの金額を貢いでいたそうだ。1987年の「日本レコード大賞」では、マッチと明菜は二人とも大賞候補としてノミネートされているが、受賞したのはマッチだった。発表を聞いた明菜が手を叩いて喜んでいたと記憶している。明菜はすでに2回レコード大賞を受賞していたが、自分が受賞したときよりも、はるかにうれしそうに見えた。自分よりも恋人が成功する方がうれしかったのかもしれない。

 ジャニーズ帝国の女帝メリーと昭和の歌姫・中森明菜を自在に操った近藤真彦。悪いオトコというと、口のうまい男性を連想する人も多いだろうが、本当に怖いのは「甘え上手」なオトコかもしれない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

近藤真彦、「泣いちゃいました」というジャニー社長への追悼コメントに見る「怖いオトコ」の顔

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「長男でいながら、何度も泣いちゃいました」近藤真彦

 7月9日、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏が亡くなった。「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネス世界記録の保持者である氏の逝去に対し、所属タレントたちがコメントを発表した。

 タレントたちのコメントは、自身を見いだしてくれたことへの「感謝」と故人の「人となり」に触れながら、愛情表現をしているものが多い。

 例えば、木村拓哉は「今の自分があるのも、ジャニーさんとの出会いが無ければ…。と思うと感謝してもしきれません」と「感謝」し、少年隊・東山紀之は「ジャニーさんが教えてくれた、人に対する優しさやプロ意識がなければ、僕はここに存在していなかったでしょう」と、故人の「人となり」を感じさせながら、その教えがどれほど有意義なものであったかを明かしている。

 例外として、TOKIOの長瀬智也が「ジャニーさんはカッコ良すぎるのでたぶん地獄行きです」と弔事の際に使われることのない「地獄」という言葉を使っているが、その後に「僕も地獄を目指している男なのでまた地獄で会いましょう」と続けているので、長瀬なりの愛情表現ということがわかる。

 そんな中、シンプルにしてオリジナリティーが高いと私が驚いたのが、マッチこと近藤真彦のコメントである。

「倒れてから3週間、病室で数々の奇跡を見せて頂きました。あらためてジャニーさんの強さを感じました。タレントと社員が、もしかしたらという心の準備をする時間もいただきました。さすがジャニーさん、最後まで最高なセルフマネジメントでした」

 と、ここまでは出来事とジャニー氏の「らしさ」を時系列順に説明している。注目すべきは、その後だ。

「長男でありながら、何度も泣いちゃいました」

 コメントを出したタレントたちは、ひたすらジャニー氏に感謝し、氏のイズムを継承していくことを誓っている。それは大人としては正しい判断だが、ビジネス的な立ち位置からのコメントと思えないこともない。しかし、マッチだけは弱さを隠さず、「泣く」ことで氏の喪失を悼んでいる。家族のような近しい人が旅立った時に、涙することはおかしなことではなく、むしろ当たり前である。となると、マッチの「泣いちゃいました」という言葉は、最も強い愛情表現はないのではないだろうか。

 この「泣いちゃいました」で、私は人の懐にすっと入り込むマッチの“怖さ”を思い出した。

 2015年、「週刊文春」(文藝春秋)に、「ジャニーズ女帝メリー喜多川 怒りの独白5時間」と題された、メリー喜多川副社長へのインタビューが掲載された。メリー氏の娘・ジュリー氏とSMAPのマネジャー飯島三智氏(当時)、それぞれを「社長候補」と記者が言ったことにメリーは激昂。「もし、ジュリーと飯島が問題になっているのなら、私はジュリーを残します。自分の子だから」と後継者はジュリーであることを宣言した。怒りの収まらないメリー氏は、飯島氏をインタビューの現場に呼び出し、「うちのトップはだれ?」と質問して、飯島氏に「近藤真彦です」と答えさせるなど、自分の娘だけでなく、マッチに対する強い思い入れを示している。 

 同記事で、記憶に残っているのがもう一つ。メリー氏はマッチの母親にも強く感情移入している点である。喫茶店を経営していたマッチの母親は、仕事の帰り道に自らが運転する車で、交通事故を起こした。2010年に放送された『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)で、本人が語ったところによると、マッチの母親は、大病院への搬送を頑なに拒んだという。救急車はその希望通り、“大病院ではない”病院に運び込んだが、結局そこでは手に負えず、再度大学病院に搬送され、42歳の生涯を閉じた。

 マッチの母親が、なぜ大きな病院に行かなかったのかというと、事故が公になることを恐れていたからと、マッチは説明する。つまり、自分の命と引き換えに、息子ひいてはジャニーズ事務所に迷惑をかけまいとしたということだろう。

 メリー氏はその事故を振り返りながら、インタビューでは「私がマッチの面倒を見るのは当たり前だと思う……話しているだけで涙が出てきちゃう」と落涙寸前の勢いで言い切っていた。

 このようなエピソードから、メリー氏は、面倒見の良い、情の深い人物と言えるだろう。明石家さんまもMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』でこんなエピソードを披露している。さんまがジャニーズのタレントと共演が増えるようになった際、メリーに「うちの子どもたちが本当にお世話になって」という感謝の言葉をかけられたことに加え、「一緒のレストランになると、全部はろてくれはる。こっちがどれだけの人数であろうと払ってくれる」と証言した。

 それでは、メリー氏のような情の深い人が好むのは、どんな人だろうか。

 まず情が深い人というのは、「この人を大事にしなくてはならない」と思い込みやすい人と言えるだろう。それでは、どんな人を「大事にしたい」かというと、マッチの母親のように、身を挺して忠誠を誓ってくれる人と、「自分が面倒を見ないといけない気にさせる人」、つまり、庇護欲をそそる「甘え上手な人」と言えるのではないだろうか。

 若い世代にはぴんと来ないだろうが、昭和という時代は「オトコは人前で涙を見せるべきではない」という考えが主流だった。なぜ男性が泣いてはいけないかというと、泣くと「弱い人」「オトコらしくない」と見なされたからである。自分の評判を落としかねない弱さを露呈することは、情の深い人を「そこまでの犠牲を払ってくれるのなら、自分が面倒をみてあげなくては」という気持ちにさせるのではないだろうか。

 そういえば、マッチのかつての恋人、中森明菜も情が深い人だった。かつて明菜が「お母さん」と呼び、付き人を務めていた木村恵子氏が出した暴露本『中森明菜 哀しい性』(講談社)によると、明菜は「結婚のため」マッチにかなりの金額を貢いでいたそうだ。1987年の「日本レコード大賞」では、マッチと明菜は二人とも大賞候補としてノミネートされているが、受賞したのはマッチだった。発表を聞いた明菜が手を叩いて喜んでいたと記憶している。明菜はすでに2回レコード大賞を受賞していたが、自分が受賞したときよりも、はるかにうれしそうに見えた。自分よりも恋人が成功する方がうれしかったのかもしれない。

 ジャニーズ帝国の女帝メリーと昭和の歌姫・中森明菜を自在に操った近藤真彦。悪いオトコというと、口のうまい男性を連想する人も多いだろうが、本当に怖いのは「甘え上手」なオトコかもしれない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。

ジャニー喜多川氏、レコ大に近藤真彦をゴリ押しは事実だった! 死後に続々と暴かれる”権力者の闇”

 ジャニーズにとって「不都合な真実」がまたもや飛び出した。

 7月9日、音楽プロデューサーの福田裕彦氏が自身のツイッターを更新し、過去に『レコード大賞』にて、ジャニー喜多川氏の“鶴の一声”によって、土壇場で大賞受賞者がひっくり返ったことを暴露した。

 福田氏はジャニー氏の訃報を知り、〈もう25年以上前、「既に××にレコ大よこさなければ今後お前の局にはうちのタレントは一切出さない」の一言でレコ大放送の数日前に局の決定事項をひっくり返せた人です(事実)。綺麗事で生きていた人ではない。まさに大権力者。美辞麗句は似合いません。合掌。〉とツイート。

 これを受け、ネット上では「近藤真彦」の名前が上がっている。

「32年前の1987年のレコ大で近藤は『愚か者』で大賞を受賞しています。当時は史上初の3連覇がかかっていた中森明菜と、オリコン年間シングルチャート1位の瀬川瑛子の『命くれない』、五木ひろしの『追憶』が本命視されていました。また、この頃のレコ大はまだ権威のある賞レースで、それを『ジャニーズのアイドル』が受賞したことで一気に重みがなくなり、ここから現在の“形骸化”につながっていったように思います」(音楽ライター)

 事実、『愚か者』はその年のオリコン年間シングルチャートでは35位と、特別に大ヒットしたわけではなかったことから、当時はかなり波紋を呼んでいた。

「前年に近藤の母親が亡くなったこともあり、ジャニー氏としてはどうしても大賞を受賞させたかったのでしょう。しかし、世間からは『出来レース』との抗議の声が上がり、授賞式直前には近藤の母親の遺骨が何者かによって盗まれるという事件まで発生。ジャニーズ事務所に『レコード大賞を辞退しろ』との脅迫状が送られる大騒動となりました。そのため、福田氏の暴露によって、ネット上でも『××=近藤』でほぼ確定しています」(前出・音楽ライター)

 7月10日の英BBCニュースでは、ジャニー氏の功績を紹介すると共に、過去に事務所に所属していた少年たちから性的虐待の告発が繰り返されたことを掲載している。今後も「美談」では済まない権力者としての「闇」が明るみに出てくるかもしれない。

嵐、近藤真彦、木村拓哉……ジャニーズと交際して“人生を狂わされた”女たち

 中森明菜の名前が久々にマスコミに登場した。一時期、タレント活動を行っていた実妹の明穂さんが先月亡くなったが、すでに家族の戸籍から抜け、25年にわたって家族と絶縁状態にあった明菜は、その葬儀にも姿を見せなかったと報じられた。

「芸能界ではトラブル続き。生活も荒れていた明菜だけに、せめて家族だけは変わらぬ存在であり続けてほしかったと願うマスコミの人間も多かった。しかし、その家族も信じられなくなった彼女の孤独が、今回あらためて浮き彫りになりました」(芸能リポーター)

 圧倒的な歌唱力を誇り、「歌姫」の名をほしいままにしていた中森の人生の歯車が狂い始めたのは、30年前、近藤真彦宅での自殺未遂騒動にあることは間違いない。今でもご法度とされるジャニーズと女性アイドルの恋愛だが、二人は6年にわたり交際を続け、世間にも知られる関係だった。

「カーレースや怪しい投資話に首を突っ込んだ近藤のために、当時8000万円もの大金を明菜が工面したこともあったといいます。また、一緒に住むための新居の購入資金をマッチがレースにつぎ込んでいたとも。にもかかわらず、マッチは明菜のライバルである松田聖子とニューヨークで密会。マッチのニューヨーク行きの直前まで、明菜はハワイで彼と幸せな時間を過ごしていたといいますから、その裏切りを知ったときは相当ショックだったはずです」

 ハワイでの密会が報じられてから5カ月後。中森は、近藤のマンションの浴室で自殺を図る。帰宅した近藤がその姿を発見し、命には別状なく入院2週間と診断された。

「その後の5カ月間、明菜はリハビリ生活を送る一方、同時期に起こった事務所独立騒動の影響で復帰は白紙になるなど足場が不安定な状況でした。そして、同年大みそかに、自殺騒動の謝罪と復帰を報告する会見に登場。なぜか近藤も同席したこの会見は、二人の席の後ろに金屏風があったため、直前まで記者たちは『婚約発表会見では』と思っていたとか。しかし近藤は、会見で結婚について問われると『そういうことは、まったくありません』と断言。明菜自身、“マッチとの婚約発表会見だ”といって引っ張り出されたという話もあるだけに、人間不信に陥るのも無理はないでしょう」(ワイドショー関係者)

 このだまし討ちといえる会見を仕組んだ黒幕は、マッチを溺愛していたメリー喜多川だったと報じられていますだがジャニーズによって運命を狂わされたのは、中森だけではない。

90年代、当時SMAPだった木村拓哉の恋人「かおりん」こと伊東香里さんも、その一人だろう。当時は大手プロに所属するモデルで、その関係はファン公認状態。何度も結婚秒読みと報じられたが、人気絶頂期へと駆け上る最中にあったキムタクの結婚を事務所が許すはずもなく、約9年もの長い春を過ごした。そして、99年7月に破局が伝えられることに。

 しかし破局に至る裏側で、木村は歌番組で共演した工藤静香に猛アプローチをかけ始め、99年4月、工藤の誕生日に手作りのネックレスをプレゼントしていたという。

「つまり木村は、工藤と二股をかけていたというわけです。かおりんは今、幸せな家庭を築いているといううわさもありますが、キムタクの彼女という色眼鏡で見られるようになってしまったこともあり、モデルとして花開くことなく、青春時代の貴重な時間を奪われた事実は変わりません」(女性誌記者)

 また、96年に小室ファミリーの期間限定ユニット「L☆IS」のメンバーとして2カ月ほど活動し、のちにセクシー女優に転身。2010年10月に飛び降り自殺でこの世を去った、AYAこと牧野田彩さんも、ジャニーズによってその人生を大きく狂わせた一人だろう。

嵐メンバーとAYA

 AYAは嵐メンバーのうち、櫻井翔をのぞく4人との肉体関係が「週刊文春」(文藝春秋)に報じられ、写真も大量流出。しかし、内容はAYA自らが語ったものとされ、特にセックスについては具体的に描写された。松本潤が承諾もなく“口内発射”する“オラオラ”タイプだったこと、大野智はキスがうまくセックスもなかなかだったことが明かされている。

「二宮和也には突然呼び出され、公衆トイレで済まされたそう。一方、相葉雅紀とはお互いの両親に紹介し合うほど、深く親密な関係にあったとか。ほかにもTOKIO・長瀬智也との関係もうわさされ、当時KAT-TUNだった田中聖とは、デート現場も撮られていますが、その翌年、2007年頃からジャニーズ事務所の『ブラックリストに入れられた』とのこと。そして、再浮上をと願ってAVの世界にまで飛び込んだ。ジャニーズだけでなく、さまざまに黒い話がつきまとうAYAですが、死の間際には『芸能界の大物に殺される!』と震えていたといいます」(芸能ライター)

 多くの女性ファンに夢を与える存在のジャニーズが、身近な女性たちを不幸にしてきた現実。彼らは、彼女たちとの関係にどんな決着をつけて今を生きているのだろうか。
(渡邊孝浩)

 

嵐、近藤真彦、木村拓哉……ジャニーズと交際して“人生を狂わされた”女たち

 中森明菜の名前が久々にマスコミに登場した。一時期、タレント活動を行っていた実妹の明穂さんが先月亡くなったが、すでに家族の戸籍から抜け、25年にわたって家族と絶縁状態にあった明菜は、その葬儀にも姿を見せなかったと報じられた。

「芸能界ではトラブル続き。生活も荒れていた明菜だけに、せめて家族だけは変わらぬ存在であり続けてほしかったと願うマスコミの人間も多かった。しかし、その家族も信じられなくなった彼女の孤独が、今回あらためて浮き彫りになりました」(芸能リポーター)

 圧倒的な歌唱力を誇り、「歌姫」の名をほしいままにしていた中森の人生の歯車が狂い始めたのは、30年前、近藤真彦宅での自殺未遂騒動にあることは間違いない。今でもご法度とされるジャニーズと女性アイドルの恋愛だが、二人は6年にわたり交際を続け、世間にも知られる関係だった。

「カーレースや怪しい投資話に首を突っ込んだ近藤のために、当時8000万円もの大金を明菜が工面したこともあったといいます。また、一緒に住むための新居の購入資金をマッチがレースにつぎ込んでいたとも。にもかかわらず、マッチは明菜のライバルである松田聖子とニューヨークで密会。マッチのニューヨーク行きの直前まで、明菜はハワイで彼と幸せな時間を過ごしていたといいますから、その裏切りを知ったときは相当ショックだったはずです」

 ハワイでの密会が報じられてから5カ月後。中森は、近藤のマンションの浴室で自殺を図る。帰宅した近藤がその姿を発見し、命には別状なく入院2週間と診断された。

「その後の5カ月間、明菜はリハビリ生活を送る一方、同時期に起こった事務所独立騒動の影響で復帰は白紙になるなど足場が不安定な状況でした。そして、同年大みそかに、自殺騒動の謝罪と復帰を報告する会見に登場。なぜか近藤も同席したこの会見は、二人の席の後ろに金屏風があったため、直前まで記者たちは『婚約発表会見では』と思っていたとか。しかし近藤は、会見で結婚について問われると『そういうことは、まったくありません』と断言。明菜自身、“マッチとの婚約発表会見だ”といって引っ張り出されたという話もあるだけに、人間不信に陥るのも無理はないでしょう」(ワイドショー関係者)

 このだまし討ちといえる会見を仕組んだ黒幕は、マッチを溺愛していたメリー喜多川だったと報じられていますだがジャニーズによって運命を狂わされたのは、中森だけではない。

90年代、当時SMAPだった木村拓哉の恋人「かおりん」こと伊東香里さんも、その一人だろう。当時は大手プロに所属するモデルで、その関係はファン公認状態。何度も結婚秒読みと報じられたが、人気絶頂期へと駆け上る最中にあったキムタクの結婚を事務所が許すはずもなく、約9年もの長い春を過ごした。そして、99年7月に破局が伝えられることに。

 しかし破局に至る裏側で、木村は歌番組で共演した工藤静香に猛アプローチをかけ始め、99年4月、工藤の誕生日に手作りのネックレスをプレゼントしていたという。

「つまり木村は、工藤と二股をかけていたというわけです。かおりんは今、幸せな家庭を築いているといううわさもありますが、キムタクの彼女という色眼鏡で見られるようになってしまったこともあり、モデルとして花開くことなく、青春時代の貴重な時間を奪われた事実は変わりません」(女性誌記者)

 また、96年に小室ファミリーの期間限定ユニット「L☆IS」のメンバーとして2カ月ほど活動し、のちにセクシー女優に転身。2010年10月に飛び降り自殺でこの世を去った、AYAこと牧野田彩さんも、ジャニーズによってその人生を大きく狂わせた一人だろう。

嵐メンバーとAYA

 AYAは嵐メンバーのうち、櫻井翔をのぞく4人との肉体関係が「週刊文春」(文藝春秋)に報じられ、写真も大量流出。しかし、内容はAYA自らが語ったものとされ、特にセックスについては具体的に描写された。松本潤が承諾もなく“口内発射”する“オラオラ”タイプだったこと、大野智はキスがうまくセックスもなかなかだったことが明かされている。

「二宮和也には突然呼び出され、公衆トイレで済まされたそう。一方、相葉雅紀とはお互いの両親に紹介し合うほど、深く親密な関係にあったとか。ほかにもTOKIO・長瀬智也との関係もうわさされ、当時KAT-TUNだった田中聖とは、デート現場も撮られていますが、その翌年、2007年頃からジャニーズ事務所の『ブラックリストに入れられた』とのこと。そして、再浮上をと願ってAVの世界にまで飛び込んだ。ジャニーズだけでなく、さまざまに黒い話がつきまとうAYAですが、死の間際には『芸能界の大物に殺される!』と震えていたといいます」(芸能ライター)

 多くの女性ファンに夢を与える存在のジャニーズが、身近な女性たちを不幸にしてきた現実。彼らは、彼女たちとの関係にどんな決着をつけて今を生きているのだろうか。
(渡邊孝浩)

 

ジャニー&メリー喜多川「鬼のように怖がられてた」――松本隆が明かす「硝子の少年」制作秘話

 ジャニーズ事務所の重鎮・近藤真彦がパーソナリティを務めるラジオ番組『COME ON! ROCKIN' ROAD』(FM COCOLO)。月替わりのゲスト、3月は作詞家・松本隆が登場し、近藤とトークを展開。10日放送回では、KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」(1997年発売)の制作秘話などが飛び出した。

 松本が作詞、シンガーソングライターの山下達郎が作曲を手がけた「硝子の少年」は、当時のオリコン週間シングルランキングで初週31.5万枚を売り上げ、初登場1位を獲得。この曲によって堂本光一&堂本剛の知名度はさらに広まり、ジャニーズJr.時代より人気だった彼らはスター街道を駆け上っていった。

 そんな名曲「硝子の少年」が誕生した背景には、ジャニー喜多川社長の姉であるメリー喜多川副社長の存在が大きかったようだ。1990年代、近藤や松田聖子への歌詞提供で力尽きてしまい、仕事を5~6年休んだという松本。ある時、久しぶりに東京・麻布十番のイタリアンレストランで食事していたところ、後ろの席で「怖い声がしてる」「この声はなんか聞いたことある」と思い、チラッと見ると、「メリーさんがいた」とのこと。メリー副社長の性格を知る松本は「そりゃ怖いよね(笑)」と振り返り、「それでさ、目が合っちゃって。『あら松本くん、今度ちょっと新人頼むわ』つって。『はい』って」と、活動再開に至った思わぬ再会を明かした。

 この「新人」について、「それがキンキだったんですね」と近藤が驚くと、松本は「そうそう、それで大騒ぎになっちゃってね」と回顧。「それスゴいなぁ~。そこで、イタリアンで会ってなかったら、キンキの『ガラスの十代』なかったってこと?」と、衝撃のあまり、1987年発売の光GENJIのシングル曲を口走り、松本に「『硝子の少年』(笑)」とツッコまれる一幕も。

 松本は制作時を思い返し、「あのシリーズ。マイナー歌謡シリーズ。でさ、ずっとジャニーさんがOK出なくてね」「いっぱい作ったのに全然OK出なくて。全部お蔵入っちゃって。で、3つ目にできたのかな。『硝子の少年』が」と、懐かしんだ。近藤も「いい歌だったなぁ~、あれには抜かれたなぁ」と、歌手としてのストレートな感想をポロリ。

 また、最近では「松本隆の少年シリーズ」が再評価されており、その筆頭が近藤、そして少年隊、KinKi Kidsにあたるという。近藤に向けた歌詞を書いていた頃、当時30代だった松本は「10代の感じ」や心情を反映するため、バイクに乗ってイメージを膨らませたそうだ。仕事の合間の気分転換にもなったといい、「スゴい、作詞とかってストレス高いじゃない。みんなが『売れ、売れ』とかうるさくてさ。怖い人たちもいっぱいいるし」と漏らすと、すかさず「メリーさんですか?」と、聞き返す近藤。松本は「メリーさんとか、(筒美)京平さんとか、ジャニーさんとかさ(笑)。そういう、今はおとなしいだろうけど。あの頃はね、ホント鬼のように怖がられてたからね。僕なんか大事にされた方だと思うんですけど」と、しみじみ話した。

 また、松本は最近の音楽業界に関して、「ディレクターがいないのよね、作り方知ってる。曲先(曲が先に出来上がるパターン)しか知らない」と指摘し、これに近藤が「うちにいた、小杉理宇造。今でもいるんですけど」と、音楽プロデューサーでジャニーズ事務所顧問、ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長の名を口に。ジャニーズとの付き合いが長い松本だけに、小杉と旧知の仲のようで、「あの人はできるよ、両方」と手腕を評価。近藤が、サビやタイトルにこだわりが強かったと言うと「そうそうそう」(松本)と同意したのだった。

 2016年、SMAPの解散騒動でネットユーザーから“諸悪の根源”扱いされてしまったメリー副社長。しかし、彼女と松本との偶然の再会がなければ「硝子の少年」は生まれなかったのかもしれない。

ジャニーズ、握手会は「嫌で嫌でしょうがない」と重鎮失言! 咄嗟の弁明も動揺あらわ

 AKB48グループをはじめとする多くのアイドルグループが行う、CDリリース時の握手会イベント。一方でジャニーズアーティストは、商品に応募券を封入し、当選したファンをイベントに招待する例はあるものの、購入者が直接タレントと触れ合える機会は滅多にないパターンだ。ジャニーズの重鎮・近藤真彦も、こうした数少ないファンサービスを行った一人であり、ラジオ番組『近藤真彦くるくるマッチ箱!』(文化放送、2月26日放送)では、握手・サイン会に対する本音を打ち明けた。

 この日は、近藤の楽曲にまつわる思い出を取り上げる「マッチリクエスト」コーナーにて、2010年に行われた『近藤真彦 30周年記念 あの街この街マッチとデート 想い出ツアー』に参加したファンからのお便りを紹介。リスナーは全国ツアー初日となる岐阜公演を見に行き、「CD購入者にはあとから特典がある」とのお知らせを目にするも、「ポストカードか何かだろう」と考え、当時の新曲「ざんばら」(10年2月発売)を買わなかったとか。

 ところがその後、CD購入特典は「握手と、CDにサインするというシークレットサプライズ」だと判明。「都会じゃない田舎の小さなホールで何百人にサインすることに決めたマッチのファン思いと、そのチャンスを逃したことを思い出しつつ……」などと、悔しさの残るエピソードを綴っていた。

 これを受け、近藤は「覚えてる、これ。あった、あった」と回顧し、「嫌で嫌でしょうがなかったんだ、俺。ホントにそう。嫌でしょうがなくて。でも、まぁやったんだよ」と、笑いながら告白。さらには、「要するに、これを全国で(コンサートが)終わった後、握手をして。まぁ、久し振りのコンサートだし、全国ツアーだったから『やろう』って話になったけど、『それは無理だ』っつったの」「でも、ここの岐阜はもうスタートしちゃったから。終わってから『どうしてもやってくれ』って言われて。もう、本当嫌だったの、俺。疲れちゃってて。でもまぁ、やらせていただきましたよ」と、悪びれる様子もなくぶっちゃけた。

 スタッフサイドは次の会場においても「やる」と判断したそうだが、「それはもう無理だ」と突っぱねたといい、

「『じゃあ、次からどうするか』って言って、俺は『お買い上げいただくCDに、とにかく全部サインする』と。だから、コンサート会場入ったら、たぶん500枚ぐらいいつもサインしてたよね、俺。まずそれが仕事だったから。その代わり、握手は免れて。(中略)大変なんだもん。コンサート終わってから握手会は、やっぱりさ。いや、10代、20代の頃はいいよ。でもやっぱりさ、もう40(代)後半でしょ? この頃は。コンサート終わったらさ、体力も失っちゃってるから、(お酒を)飲み行きたいっつーの!」

 と、率直な心情を吐露。ともにパーソナリティを務める文化放送・舘谷春香アナウンサーが「早く飲みに行きたいから(握手は)やりたくなかったってことですか?」と指摘したところ、近藤は「失礼いたしました。ファンファーストでございます!」「よろしくお願いします!」と急に控えめな口調になり、自ら問題発言をフォロー。いつも飾らない発言が持ち味とはいえ、さすがにファンの気持ちを考えて思い直したようだ。

 すっかり態度をあらためた近藤は、その直後も“ファンファースト”の姿勢を続行。22~23年前、石川・金沢にある有線(USEN)が流れる画廊で働いていたというリスナーの希望により、番組ではシングルのカップリング曲「LOVE」(1997年)を放送。当時、このリスナーは開店前に有線で近藤の曲をリクエストし、優しい歌声に癒やされつつ、地道な作業をに取り組む日々を送ったそう。舘谷アナが「幸せな気持ちで、朝のひとときを過ごしていたことを思い出します。これからも素敵な歌声を聞かせてください」とのメッセージを読み上げると、近藤は、

「こういうね、メールをいただくと歌手冥利に尽きますね。歌を歌っててよかったな、っていう。あらためてね。歌って素晴らしいな。ファンって素晴らしいな。握手ぐらいしなきゃダメだな。当たり前ですよ。ほんっとに失礼だよね、もう。そうだ! 握手会やろう、今度」

と、数分前の暴言を反省。しかし、舘谷アナが「握手会やりますか? やります?」と踏み込めば、「うん、うん……今度ね、今度」と言葉を濁し、「『今度』と言いますのは、具体的には出さないわけで?」と問われた際も、「そうか、やっぱりでもうれしいじゃないですか」と、さりげなく話を逸らす始末だった。

 昨年末の『ジャニーズカウントダウン2018-2019』や12月のディナショー以降、歌手活動で表舞台に出る機会が減っているものの、先日はKONDO Racing監督の近藤がプロデュースするランニングイベント『第9回イイコトチャレンジ』が2月3日に神奈川・日産スタジアムで開催されたばかり。現在のところCDリリース情報は明らかになっていないが、果たして年内に握手会は実現するのだろうか……?

近藤真彦の発言にキムタクファンが激怒!?「お前が言うな」とツッコミが殺到した芸能人3人

 ご意見番として辛口な発言をする芸能人は少なくないが、時には「お前が言うな」と突っ込まれてしまうことも。以前には近藤真彦が、ラジオでブーメラン発言をして話題になっていた。

 1月20日に放送された『COME ON! ROCKIN’ROAD』(FM COCOLO)には、木村拓哉がゲスト出演。同ラジオのパーソナリティーを務める近藤が、木村の主演映画『マスカレード・ホテル』について言及した。しかし近藤は「階段降りていくのもさぁ、“トントントントン”って降りていけばいいのに、スキップして“トトントトン”って降りてくじゃん」「『こいつ計算してるなぁ』って思いながら見てた」と、木村の“カッコつけ”を指摘。「計算高い男」として木村をしつこくイジり続け、木村のファンから「マッチもだいぶカッコつけてるのに人のこと言えないでしょ」「キムタクもマッチには言われたくないだろうな」「“キムタクをイジれるオレ”に酔ってそう」と叩かれてしまった。

 今回はそんな近藤のように、「お前が言うな」とツッコミが殺到した芸能人を紹介していこう。

 

●小山慶一郎

 まずはNEWSの小山慶一郎。彼は以前『news every.』(日本テレビ系)で山口達也の謝罪会見が取り上げられた際に、「先輩のあんな顔は見たくなかったです。しかし被害者の方はもっと辛い思いをされていると思います」「今回の件は決して許されることではないので、山口さんにはしっかり被害者の方に向き合ってほしい」と厳しいコメントを残していた。

 しかしその数カ月後には、小山に未成年との飲酒スキャンダルが。ジャニーズ事務所は彼の活動自粛を発表し、昨年12月には『news every.』を降板してしまう。そんな小山にネット上では、「自分も未成年と遊んでたのによく山口にあんなコメントができたな」「過去の発言がブーメランになってしまう珍しいケース」「完全に“お前が言うな”案件」といった批判が。山口に言及していた際は涙も浮かべていたが、あれは偽りの涙だったのだろうか。

 

●有吉弘行

 お次は辛口コメントでお馴染みの有吉弘行。彼は以前ラジオ番組で、毎年発表される「世界で最も美しい顔100人」について言及。「人に順位をつけてるようじゃ世界は進んでいかない」「下の順位の人が傷つく」「みんな一緒だしみんな1位」と持論を展開していた。

 しかし有吉といえば、これまで散々“ブスイジり”をしてきた芸人。例えばタレントの大沢あかねには“ブス界一の美女”とのあだ名をつけていたり、高橋真麻を「ブスの巨乳なアシスタント」などとこき下ろしている。そのためネット上では「散々容姿の格差をイジってきたのにどうしたの?」「確かに容姿をランキングにしたりするのは嫌だけど、有吉が批判するのはなんか違う」といった声が続出。発言だけ見ると正論だが、“辛口キャラ”の弊害が出てしまったのかもしれない。