いまだ波紋を広げ続けている、ジャニーズ事務所創業者の故・ジャニー喜多川氏による性加害問題。
藤島ジュリー景子社長と、所属タレントで“ジャニーズの長男”ともいわれる東山紀之が「(性加害問題を)知らなかった」とコメントする一方、“ジャニーズの元長男”的存在である…
いまだ波紋を広げ続けている、ジャニーズ事務所創業者の故・ジャニー喜多川氏による性加害問題。
藤島ジュリー景子社長と、所属タレントで“ジャニーズの長男”ともいわれる東山紀之が「(性加害問題を)知らなかった」とコメントする一方、“ジャニーズの元長男”的存在である…
田原俊彦の「ジャニーさん賛美」が波紋を広げている。ジャニーズ事務所創業者・故ジャニー喜多川氏による未成年タレントへの性加害疑惑が社会問題化する中、公の場でジャニー氏を礼賛するかのような発言を繰り返し、物議を醸しているのだ。
田原は6月12日付の情報メディア「ENCOUNT」のインタビューで、ジャニー氏の性加害問題などについて意見を求められると、「話したくないよ。だって、ジャ…
コロナ禍で自宅で過ごす時間が増えたジャニーズファンに向けて、いま改めて読み直したいジャニーズ本をご紹介。知られざるジャニー喜多川氏、ジャニーズ事務所の歴史を紐解く。
■2009年『職業=田原俊彦 「ありがとう」、それだけが伝わるならいいのに。』(KKロングセラーズ)
今回取り上げるのは、田原俊彦が09年に上梓した『職業=田原俊彦 「ありがとう」、それだけが伝わるならいいのに。』。
1979年に放送された『3年B組金八先生』(TBS系)で注目され、80年に「哀愁でいと」でレコードデビュー。瞬く間にトップアイドルの階段を駆け上がり、時代の寵児となった田原が、デビュー30年の節目に綴った、自身の半生記である。
当時の田原は、ジャニー事務所から独立して、またその退所1カ月前の会見での「ビッグ発言」から15年がたっていた。テレビでその姿を見る機会は少なく、コンサートのステージには立ち続けていたものの、新曲が話題に上ることもほとんどなく、一般的にはほぼ“消えた”存在であった。
それだけに本著も、それほど注目を集めなかったが、一部の芸能マスコミは強い関心を寄せていた。
かつてはトップ人気を誇りながら、独立と同時に長く不遇の時代を過ごすこととなった田原だけに、そのウラにジャニーズの圧力があるのではないかと、臆測が囁やかれていたのだ。さらには、これまで刊行された元ジャニーズによる暴露本と同様、ジャニー喜多川氏とのセクシャルな“関係”の真実について、何か明かされるのではと期待が寄せられていたのだ。
しかし、そこに綴られていたのは、
〈ジャニーさんの最高傑作になりたかった〉
〈ジャニーさんは真のクリエイター〉
といった、ジャニー氏への感謝や称賛の言葉ばかりだった。
「そういう意味では、正直、物足りなさは否めない内容でした。ただ、よくよく読み込むと、ジャニー氏について〈当時はお母さんのような存在にも思えた〉とか、中学時代を振り返る部分での〈野球と不良の「両刀使い」は、さすがに無理だった〉など、ジャニー氏のセクシャリティやジャニーズ事務所に関するさまざまなウワサを連想させる、危険なワードが散りばめられているようにも見えます。ジョーク好きな田原のイタズラ心……というのは、深読みが過ぎるでしょうか(笑)」(芸能記者)
また、「ビッグ発言」に関する告白も興味深いものがあった。これは、94年2月17日、長女が誕生したことを報告する記者会見を開いた田原が、
「何事も穏便にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになってしまうとそうはいきませんっていうのがね、よくわかりました」
と発言したところ、「調子に乗っている」との批判が相次ぎ、マスコミからも袋叩きに。その後、テレビからお呼びがかからなくなったとされる一件だ。本著によれば、田原の発言の意図は別のところにあったという。
〈ほんの冗談のつもりで言ったこの発言は、その前後にあった言葉がまるまる省かれた。そこの部分を省略しなければすぐに冗談と分かるような内容だったのに〉
と「切り取り」によって、悪者に仕立て上げられてしまったと明かしている。近年、問題視されることが増えた「発言の切り取り」だが、田原もその被害に遭ったというのだ。しかし、果たしてそうだったのか?
2011年10月から田原がスペシャルゲストMCとしてレギュラー出演している『爆報!THE フライデー』(TBS系)の初回放送では、この会見の検証が行われた。
そこでの田原の発言全体が公開されたのだが、改めて見てみると、田原は会見場に登場する際から、取材陣への敵意をむき出しにした表情を浮かべている。
「エンターテインメントとプライベートを区別するため、結婚から出産まで静かに進めようとしていた田原に対し、取材の手を緩めるどころか過激になっていったマスコミ。その間に確執が生まれていました。それだけに、田原の表情が険しくなっても致し方ないでしょう」(同)
だが、それでも必死に記者からの質問に答える田原の姿が、そこにはあった。例えば、「ここに至るまでのね、皆さんの熱意というか、しつこさというか、大きなお世話に僕も大変困惑しまして」と言った後に、「皆さんにとっても、冷たくして失礼なこともあったなぁなんて」と自分を戒めるようなことを口にする。
結婚式や披露宴の時期に関する質問には、一度は答えないフリをして、「嫌いなんだから、僕はみんなのこと」と憎まれ口を叩いたり、「また〜、(自宅に)来ないでよ。疲れるんだから」と表情を緩めて冗談を飛ばしていたのだ。冗談と本音を織り交ぜながらの発言の数々。のちに「ほんの冗談のつもり」と綴った言葉に、ウソはなさそうだ。
「ただ、ギャグと本音のバランス、配合がどうにもわかりづらいところが多い。それでマスコミ各社は、それらを冗談として受け取らず、むしろ叩き落とす材料とした。“ビッグ発言”がなくても、ほかの箇所を切り取って叩いていたのではないでしょうか」(芸能ジャーナリスト)
そんな田原も、昨年、デビュー40周年を迎えた。恩人であるジャニー氏の死についてと、この10年を総括した本音を、わかりにくい冗談なしで聞いてみたい。
(渡邊孝浩)
歌手デビュー40周年を迎えた田原俊彦が1日、NHKの『あさイチ』に出演。約10分間のメドレーを披露し、話題となっている。
冒頭、黄色のスーツでヒット曲「抱きしめてTONIGHT」を熱唱した田原は、司会の博多華丸・大吉と軽快なトークを繰り広げた後、真っ赤なスーツに衣装替え。デビュー曲「哀愁でいと」をはじめ「NINJIN娘」「ハッとして!Good」など往年の名曲や、田原復活のキーマンとなった爆笑問題・太田光作詞の「ヒマワリ」のメドレーを約10分間にわたってダンス付きで披露した。
この前日、58歳の誕生日を迎えたばかりとあって、往年に比べるとダンスのキレはなく、ところどころ息切れしている様子も見受けられたが、その歌声と”トシちゃんスタイル”は健在。これにはファンのみならず、一般視聴者も胸アツとなったようで「58歳になってもクオリティが維持されてる」「アイドルの鑑だな」「足上がってた!」「キーも同じだし歌声も変わらないし、歌い方も10代20代と同じってスゴないかマジで」といった声が上がり、「トシちゃん」がTwitteのトレンドにも入った。
これにより、まだ空席が残っていた4月21日にNHKホールで開催される40周年記念ライブはたちまち売り切れるなど、トシちゃん人気の高さを見せつけた。
「トークでは、『(歌やダンスに)自信がないから練習した』『たまたまスターダムに乗れて、あとから実力を追いつかせるのに必死だった』と当時の苦労を明かしたトシちゃん。ビッグマウスが原因で業界を干されましたが、実は努力家で、プロ意識が高かったことは知られた話。当時は今より歌番組が多かったですが、口パクなんてなかったですからね。“ヘタクソ”と陰口を叩かれながらも、場数を踏んで上達させるしかなかった。今のアイドルにも見習ってほしいですね」(芸能記者)
定期的に過去のぶっちゃけトークで注目を集める田原だが、今後も“アイドルの鑑”として年を重ねてほしいものだ。
特にアラフォー以上のテレビディレクターと話をしていると、不意に「トシちゃんが好き」「トシちゃんと仕事したい」という声を耳にすることがある。
同世代の筆者からすると、その気持ちはよくわかる。幼少期に見た『教師びんびん物語』(フジテレビ系)をはじめとした田原主演のドラマは一世を風靡していたし、「ジャングルJungle」等のヒットシングルはチャートの記録以上に世を席巻。取り沙汰された「僕はビッグ」発言も、三浦知良へと受け継がれる“伊達男”のキャラクターをセルフパロディした意味合いが多分にあり、正直、悪いイメージをあまり抱いていない。気取り屋を必要以上に振る舞うことで、逆に気取っていなかったような印象さえあるのだ。
かつて、彼はどういうポジションにいたか。沢田研二→田原俊彦→木村拓哉という“時代の寵児”の系譜があり、現在にまで至る……と表現するとわかりやすいだろうか。田原俊彦はそういう存在だった。
6月23日に放送された『サワコの朝』(TBS系)に、田原がゲスト出演した。現在の主な活動場所はディナーショー。レギュラーを務める『爆報!THE フライデー』(同)以外の番組で彼を見かけると、レア感というかプレミア感が放出される。
ゲストの半生を振り返るのが、この番組の常。TBSだけに、まず掘り起こされるのは『3年B組金八先生』、要するに「たのきんトリオ」だ。田原は3人のキャラの違いをこう分析する。
「僕がスイーツな感じで、マッチ(近藤真彦)がワイルドな感じで、ヨッちゃん(野村義男)がギター弾く! っていう」
なんと田原、原宿で野村がジャニー喜多川氏にスカウトされる場面を目撃していたという。
「Jr.のみんなに、ジャニーさんが『スケート行こう!』って連れて行ってくれて、代々木のスケートリンクに。その時にヨッちゃんがスケボーか何かやってたんですよ。ものすごいかわいらしくて、ジャニーさんがその時スカウトしたんですよ」
そして、マッチとの関係性について。
「(マッチと)シリアスな話、そんなしたことないですねえ。彼はその後、レース始めましたけど『早く免許取って、こんな車買いたーい!』とか」
アイドル時代の自身についてはどうか?
「自分の置かれている立場は恵まれてたし、田原俊彦がやらなきゃいけない使命感っていうのがいつしか芽生えて『最低10年は死ぬ気でやるぞ!』っていうのがなんとなくありましたね。10年は死ぬ気でやって、33歳で結婚するぞ! っていうのが」
予定通り、田原は33歳で元モデルの女性と結婚。そして94年2月、長女の出産会見において「何事(結婚も出産も)も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきません」と発言して世間のひんしゅくを買い、干されることとなる。
当時、この会見はかなり話題になった。ビートたけしが「ビッグになったって言われても、こっちは『トシちゃんで~す』って言ってた頃を覚えてる」と東京スポーツ紙上でネタにしていたほどだ。
この“ビッグ発言”については、ワイドショーが会見の映像に悪意ある編集を施し「天狗になった田原」を印象付けるよう情報操作を行ったものであると、2011年10月21日放送の『爆報!THE フライデー』が検証している。
「ここだけ切り取られるとね(笑)。ここに至るまでの経緯というのがありまして、僕、写真週刊誌からすごくターゲットにされたんですよ。女の子とデートすれば撮られて、ひどい目に遭ったんです(笑)。で、マスコミに『NO!』って感じになってしまった僕がいたんですね。戦うじゃないんですけど、そんな構図になってしまって」
「長女が生まれて、さすがに僕も生活ができないんですよ。マンションも病院も周りに迷惑がかかっちゃうし、『これは表に出なきゃダメだな』って。で、自分の中で精いっぱいジョーク交えてやってるつもりなんだけど、(マスコミは)『よし、来たな』『やっつけたろう!』と思ったんじゃないですか」
会見の前年より田原はジャニーズ事務所からの独立を画策しており、94年3月、ついに念願の個人事務所を設立。求心力が低下する頃合いと“ビッグ発言”のタイミングは見事にかぶっており、マスコミからの攻撃対象になりやすい時期にあった。パワーバランスとしても、障壁なくはしごを外すことのできるタレントに田原はなっていたのだ。
「人のせいにするんじゃなくて、僕がそういう行動を取って、そういう場面を作ってしまったんで、それは後付けだと思うんですよね。あの時に僕に力があれば、全然そんなの吹き飛ばせたと思うし。そんなに、みんなが思うほど干されたっていう気持ちはなくて、『干されたのは俺に力がないからでしょ?』っていう」
「(コンサートの)会場も小さくなるし、お客さんが離れたなっていうのもリアルにわかったし」
司会の阿川佐和子から引き出される形で、田原はジャニーズ事務所からの独立についても触れている。
田原「何しろ、あの時の僕は自由が欲しかったんですよ。自由! 何よりも『ほっといて。もう、いいから』っていう(笑)。だから、ある意味ねえ、スッキリしたっていうか安心した僕もいましたよ」
阿川「逆に仕事が減ったことで?」
田原「そうですね」
阿川「例えば、転職しようかなっていう気持ちは……?」
田原「まったくないですね! ないなあ」
阿川「どうして?」
田原「だって、田原俊彦ですから」
露出が減っても、なんだかんだやっぱり田原俊彦。見かけさえすれば、変わらずプレミア感があるのはさすがだ。彼は、現状についてこう述べている。
「楽しいですよ、今は」
(文=寺西ジャジューカ)
特にアラフォー以上のテレビディレクターと話をしていると、不意に「トシちゃんが好き」「トシちゃんと仕事したい」という声を耳にすることがある。
同世代の筆者からすると、その気持ちはよくわかる。幼少期に見た『教師びんびん物語』(フジテレビ系)をはじめとした田原主演のドラマは一世を風靡していたし、「ジャングルJungle」等のヒットシングルはチャートの記録以上に世を席巻。取り沙汰された「僕はビッグ」発言も、三浦知良へと受け継がれる“伊達男”のキャラクターをセルフパロディした意味合いが多分にあり、正直、悪いイメージをあまり抱いていない。気取り屋を必要以上に振る舞うことで、逆に気取っていなかったような印象さえあるのだ。
かつて、彼はどういうポジションにいたか。沢田研二→田原俊彦→木村拓哉という“時代の寵児”の系譜があり、現在にまで至る……と表現するとわかりやすいだろうか。田原俊彦はそういう存在だった。
6月23日に放送された『サワコの朝』(TBS系)に、田原がゲスト出演した。現在の主な活動場所はディナーショー。レギュラーを務める『爆報!THE フライデー』(同)以外の番組で彼を見かけると、レア感というかプレミア感が放出される。
ゲストの半生を振り返るのが、この番組の常。TBSだけに、まず掘り起こされるのは『3年B組金八先生』、要するに「たのきんトリオ」だ。田原は3人のキャラの違いをこう分析する。
「僕がスイーツな感じで、マッチ(近藤真彦)がワイルドな感じで、ヨッちゃん(野村義男)がギター弾く! っていう」
なんと田原、原宿で野村がジャニー喜多川氏にスカウトされる場面を目撃していたという。
「Jr.のみんなに、ジャニーさんが『スケート行こう!』って連れて行ってくれて、代々木のスケートリンクに。その時にヨッちゃんがスケボーか何かやってたんですよ。ものすごいかわいらしくて、ジャニーさんがその時スカウトしたんですよ」
そして、マッチとの関係性について。
「(マッチと)シリアスな話、そんなしたことないですねえ。彼はその後、レース始めましたけど『早く免許取って、こんな車買いたーい!』とか」
アイドル時代の自身についてはどうか?
「自分の置かれている立場は恵まれてたし、田原俊彦がやらなきゃいけない使命感っていうのがいつしか芽生えて『最低10年は死ぬ気でやるぞ!』っていうのがなんとなくありましたね。10年は死ぬ気でやって、33歳で結婚するぞ! っていうのが」
予定通り、田原は33歳で元モデルの女性と結婚。そして94年2月、長女の出産会見において「何事(結婚も出産も)も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきません」と発言して世間のひんしゅくを買い、干されることとなる。
当時、この会見はかなり話題になった。ビートたけしが「ビッグになったって言われても、こっちは『トシちゃんで~す』って言ってた頃を覚えてる」と東京スポーツ紙上でネタにしていたほどだ。
この“ビッグ発言”については、ワイドショーが会見の映像に悪意ある編集を施し「天狗になった田原」を印象付けるよう情報操作を行ったものであると、2011年10月21日放送の『爆報!THE フライデー』が検証している。
「ここだけ切り取られるとね(笑)。ここに至るまでの経緯というのがありまして、僕、写真週刊誌からすごくターゲットにされたんですよ。女の子とデートすれば撮られて、ひどい目に遭ったんです(笑)。で、マスコミに『NO!』って感じになってしまった僕がいたんですね。戦うじゃないんですけど、そんな構図になってしまって」
「長女が生まれて、さすがに僕も生活ができないんですよ。マンションも病院も周りに迷惑がかかっちゃうし、『これは表に出なきゃダメだな』って。で、自分の中で精いっぱいジョーク交えてやってるつもりなんだけど、(マスコミは)『よし、来たな』『やっつけたろう!』と思ったんじゃないですか」
会見の前年より田原はジャニーズ事務所からの独立を画策しており、94年3月、ついに念願の個人事務所を設立。求心力が低下する頃合いと“ビッグ発言”のタイミングは見事にかぶっており、マスコミからの攻撃対象になりやすい時期にあった。パワーバランスとしても、障壁なくはしごを外すことのできるタレントに田原はなっていたのだ。
「人のせいにするんじゃなくて、僕がそういう行動を取って、そういう場面を作ってしまったんで、それは後付けだと思うんですよね。あの時に僕に力があれば、全然そんなの吹き飛ばせたと思うし。そんなに、みんなが思うほど干されたっていう気持ちはなくて、『干されたのは俺に力がないからでしょ?』っていう」
「(コンサートの)会場も小さくなるし、お客さんが離れたなっていうのもリアルにわかったし」
司会の阿川佐和子から引き出される形で、田原はジャニーズ事務所からの独立についても触れている。
田原「何しろ、あの時の僕は自由が欲しかったんですよ。自由! 何よりも『ほっといて。もう、いいから』っていう(笑)。だから、ある意味ねえ、スッキリしたっていうか安心した僕もいましたよ」
阿川「逆に仕事が減ったことで?」
田原「そうですね」
阿川「例えば、転職しようかなっていう気持ちは……?」
田原「まったくないですね! ないなあ」
阿川「どうして?」
田原「だって、田原俊彦ですから」
露出が減っても、なんだかんだやっぱり田原俊彦。見かけさえすれば、変わらずプレミア感があるのはさすがだ。彼は、現状についてこう述べている。
「楽しいですよ、今は」
(文=寺西ジャジューカ)
<p>編集S 「フクシくん」と言えば最近は福士蒼汰のことだけど、それに違和感を持っているのは私だけではないはず! やっぱりフクシくんといえば落合福嗣でしょ。<br /> </p>
『東京ガールズコレクション』公式サイトより
視聴率女王、視聴率タレント……数字を持っている芸能人はそのように呼ばれ、もてはやされる。広告代理店やテレビドラマスタッフの手元には、誰が数字を持っているかがわかる「潜在視聴率」ランキングなるものまで出回り、その数字がドラマやCMのキャスティングの参考材料、さらには出演料にも影響していると言われているほどだ。
「米倉涼子や杏といった誰もが納得するような潜在視聴率タレントのほかにも、業界にはこれまで蛭子能収や太川陽介、そして最近では田原俊彦らが『数字を持ってるのでは』と囁かれてきました。ただ、『潜在視聴率タレント』とは、番組の演出内容にかかわらず、出ているだけでほぼ視聴率が見込める芸能人のことです。その点、先に挙げた3人のタレントは企画によるところが大きい。太川さんは蛭子さんとのコンビで『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)に出演していますが、このスペシャル番組は今年1月放送の第16弾では13.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と同時間放送帯でトップを獲得しました。しかし、今年2月18日、彼が単独でゲスト出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日系)は4.6%と普段の『徹子の部屋』とまったく変わりませんでした」(テレビ局関係者)
『35th Anniversary All Singles Best 1980‐2014』/フォーミュラレコーディング
デビュー35周年を迎える歌手・田原俊彦(53)の凄まじい人気を、あらためて目の当たりにした。ある日曜日の夕方、新幹線の車内で偶然トシちゃんに会い、先月下旬に東京・お台場Zepp Tokyoで行われたスペシャルライブの話をした。「抱きしめてTONIGHT」「ハッとして!Good」「悲しみ2ヤング」「原宿キッス」など全17曲を華麗なダンスとともに披露していたという。
私が「あそこまで脚が上がるのはすごいね、カッコいい」と外交辞令を言うと、トシちゃんは「もう53歳ですよ。頑張ってますよ」と、シャツをめくった。「こんな状態です」と笑いながら、見せてくれた背中には、数枚のシップが貼られていた。さらに、右足首も見せてくれたが、そこにもシップが貼られていた。ほぼ満身創痍の状態だ。トシちゃんは、「これから尼崎に行って、その後大阪市内に戻るスケジュールです。忙しいことはいいことですよ」と、マネジャーと共に新幹線を降りていった。
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