爆笑問題・太田光が”あの土下座事件”を神田松之丞に振られて動揺シーンの一部始終

 タイミングの悪いイジリだった?

 8月7日放送の『お願い!ランキング』(テレビ朝日)で、爆笑問題・太田光と講談師・神田松之丞が共演する『太田松之丞』が放送された。番組進行は弘中綾香アナが務め、毒舌キャラ3人の揃い踏みが放送前から話題を呼んでいた。

「弘中アナに対して、太田は開始早々『エース登場!』『日本で一番調子に乗っている女子アナ』と口撃。それに弘中アナも松之丞のラジオは毎週聞いているが、爆笑問題のラジオは一切聞いていないと反撃するなど、番組は盛り上がりました」(テレビ誌ライター)

 そんななか、視聴者をドギマギさせたのは、神田の暴露トークだった。「すぐ謝る人をどう思うか?」という視聴者の質問の流れで太田が「謝ってますよ! 俺だって散々色んな人に謝ってきましたよ」とコメント。すると神田は、「土下座なんて、太田さんも色々してきたでしょうけど」と太田に笑いながら振ったのだ。

「太田は、『掘り返すな……』と小さな声で囁き、手をバタバタとさせながら『してません!』と激しく動揺。彼は過去、ダウンタウン・松本人志のファッションをコラムで批判したことから呼び出しを受け、土下座させられた事件が有名。その松本は最近、吉本興業の騒動で、岡本昭彦社長のパワハラ発言に『松本、動きます』と乗り出すも、この件が掘り返され、“岡本社長を叱る資格なし”とネット上で叩かれたばかりです。このKY発言に番組では太田の顔色も変わっていましたが、松本の顔色まで変えていたかもしれません」(芸能記者)

 神田は『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)の『本音でハシゴ酒』に出演するなど、ダウンタウンと交流もあるだけに、後で松本に叱れていなければいいが。

爆笑問題・太田光の“友人がいなかった”エピソード集

 神奈川県川崎市で、51歳の男性が私立小学校のスクールバスを待っていた小学生を襲い2人が死亡、18人を負傷させ自殺した事件を受けて、爆笑問題・太田光の発言が話題となっている。

 太田は2日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)において、犯人に対しネットを中心に「死ぬなら一人で死ね」といった意見が出ていることを受け、犯人と同世代の人間として「高校生くらいのときに何も感動できなくなった。物を食べても味がしない。このまま死んでもいいんだというところへいくと、他人の命も大切に思えなくなる」と過去の体験を語った。太田が絶望から立ち直ったきっかけは、美術館でピカソの絵を見たことだという。「ああこんな自由でいいんだ、表現って」と思ったと語った。

 よく知られているように、太田は高校時代の3年間、友人が一人もいない暗い高校生活を送っていた。

 そのきっかけは、地元の埼玉を離れ、知り合いのいない都内の私立男子校へ進学したことによる。入学直後の友達づくりの時期に、自分から話しかけるといったことをしなかったため、孤立していったとか。ただイジメを受けていたといったわけではなく、クラスで誰とも交流を持たない存在であったようだ。

 昨年度、太田は「週刊新潮」(新潮社)に、日本大学芸術学部への裏口入学疑惑が報じられ、高校の同級生の証言も紹介されていたが、太田はこれに対しても「高校の同級生に恨みはない。ヤンキーも多かったがいい奴らだった。友人を作らなかった自分が悪い」と、ラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で述べている。そんな太田の高校時代にはさまざまな逸話がある。

「修学旅行の班決めで親しい人間がいないため、担任に適当なグループに入れられてしまい、周囲もめんどうになったのか、途中で撒かれたようですね。その間は、喫茶店で煙草を吸いながら文庫本を読んでいたそうです。旅館でも文庫本を読んでいたため、ほかのメンバーが別の部屋に遊びに行ってしまったとか。さらに、体育の授業でラグビーをやると、パスをする相手がいないため、ボールを持って独走。それが勘違いされ、部活のスカウトも来たようです」(業界関係者)

 笑いにはしているものの、かなりヘビーな高校生活であったことには変わりない。その分、川崎の事件にも思うところがあったのだろう。

(文=平田宏利)

爆笑問題・太田光vsぜんじろうの「対決」で思い出す、ビートたけしと上岡龍太郎の“奇妙な関係”

 人気お笑いコンビ・爆笑問題の太田光と、関西のお笑い芸人のぜんじろうが、芸歴を巡って繰り広げていたバトル。23日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』にぜんじろうが出演し、“直接対決”で一応の決着を見たが、このバトルで、太田が尊敬するビートたけしと、ぜんじろうの師匠で2000年に芸能界を引退した元上方お笑い芸人の上岡龍太郎の関係を思い出した。

 その昔、横山ノックをリーダーとする漫才トリオ・漫画トリオで一世を風靡した上岡は、その後、ピン芸人として関西で活躍していたが、5年前に亡くなった“浪速の視聴率王”こと故・やしきたかじんさん同様、“東京嫌い”で知られ、「東京では仕事をしない」「全国ネットでやっているお笑いは程度が低い。僕がアホに合わせる必要はない」などと公言していた。

 ところが、その舌の根も乾かぬうちに、関西地区で放送されていた『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ制作)が東京で放送されたことをきっかけに、東京進出を果たした。トークバラエティ『上岡龍太郎のもうダマされないぞ!』(フジテレビ系)でブレークした上岡は、上京後も「東京は民度、文化レベルが低い」「東京は田舎者集まり」などといった“東京批判”を売りにしていた。

 これに反発したのが、たけしだった。「東京に来なけりゃよかったのに」と痛烈に批判。結局その後、上岡は東京から撤退した。

 他方、『鶴瓶上岡パペポTV』で上岡と共演していた鶴瓶は、1986年、東京でゴールデンタイムに2番組のMCに起用された。しかし、その裏番組は、当時人気の高かった『天才!たけしの元気が出るテレビ!』(日本テレビ系)や『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)。鶴瓶の番組は、2番組とも視聴率で太刀打ちできず、週刊誌に「東京進出失敗」と報じられ、自信を無くした鶴瓶は、関西に戻ろうかと悩んでいた。

 ところが、それを知ったたけしは、鶴瓶の番組スタッフに「鶴瓶を大阪に戻したら、東京のテレビ局が笑われるぞ」と進言した。たけしは、鶴瓶の芸を当時から高く評価していたのだ。鶴瓶は、たけしに救われたといっても過言ではないだろう。

 鶴瓶が今も東京で活躍を続ける中、上岡が東京のみならず芸能界から去って約20年──。たけしを師と尊敬する太田と、上岡の弟子のぜんじろうが、芸歴を巡ってバトルを繰り広げるというのは、何か因縁めいたものを感じなくもない。

 もっとも、その内容は“どちらが先輩か後輩か”という低次元なもの。その度量の狭さには開いた口が塞がらないというべきか。
(文=本多圭)

爆笑問題と直接対決実現のぜんじろう、田中裕二の妻・山口もえを口説いていた?

 23日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBS系)に、ぜんじろうが出演した。ここ数週にわたって、ぜんじろうと太田光が「どちらが芸歴が上か」で論争を繰り広げていただけに注目が集まった。いざ、ぜんじろうがスタジオへ登場すると殴り合いなどにはならず、お互いの若手時代の思い出話や、海外と日本のお笑い感の違いなどについて至って真面目な話が語られた。

 だが、1時間以上が経過すると、くだけた話も多くなり、ぜんじろうは田中裕二夫人として知られる山口もえとの関係を暴露した。1990年代初めに「平成の明石家さんま」として東京進出を果たしたぜんじろうであるが、これに関しては違和感があったようで「平成の明石家さんまは、さんまさん。東京のスタッフが勝手に言った」と当時を振り返った。

 10代の山口もえと番組で共演していたというぜんじろう。山口といえば、おっとりとした見た目としゃべり方であるが、ぜんじろうが「かわいいし、返しもうまい」と、その頃の印象を語っていたように、山口のタレントとしての適性は、当時から十分にあったようだ。

 さらにルックスも抜群であったため、20代だったぜんじろうは、つい山口に声をかけた。田中から「普通に誘ったの?」とストレートに問われると、ぜんじろうは「誘ったね」と話し、スタジオは爆笑に包まれた。ぜんじろうは「奥さん偉いと思ったね。断り方がむげにするのではなく、きちっと手紙で」と、山口の人間性を語った。続けて、最終的に田中と結婚したことに対し「そこにいくか。不思議(笑)」と話し、笑いを誘っていた。

 ぜんじろうは現在に至るまで結婚歴がなく、「インターネットで静岡のアナウンサーと結婚してることになってるけど独身です」とアピールした。この日の放送ではぜんじろうの神経質、優柔不断な部分も透けて見えた。そうしたキャラクターも、独身生活を長引かせている要因なのかもしれない。

(文=平田宏利)

爆笑問題・太田光だけじゃない!? 上下関係に厳しい芸人って……

 爆笑問題の太田光とぜんじろうの間の「芸歴どっちが上か論争」はいまだ収束せず、直接対決が近く実現しそうだ。芸人の世界では「1日でも先に入った方が先輩」といわれる。だが、これは特に関西の吉本興業のしきたりともいわれ、事務所によって異なる。関東の人力舎は比較的上下関係がゆるいとされる。そうした温度差が、例えば『オールスター感謝祭』(TBS系)での東京03と島田紳助氏の“恫喝騒ぎ”を招いてしまったともいえ、やはり良し悪しはありそうだ。ただ、関東芸人であっても芸歴に厳しい者は存在する。

「アントニオ猪木のものまね芸で知られ14年に亡くなった春一番は芸歴に細かい人として知られたようです。芸能界デビューは88年で、これは松村邦洋や爆笑問題と同期になりますが、実際には85年に片岡鶴太郎に弟子入りしており、本人としてはそこから芸人であったと自覚しているようです。そのため87年結成の浅草キッドが、ゆるい態度で接すると怒りをあらわにしたようですね」(芸能関係者)

 さらに、TIMのゴルゴ松本も「芸歴厳しい芸人」として知られる。ゴルゴは野球の名門として知られる埼玉県立熊谷商業高校出身で、在学中には甲子園出場経験もある体育会系。現在は少年院でボランティア講演をして回るなど生真面目な性格で知られる。そんなゴルゴは、事務所の後輩芸人にマジギレしている。

「我が家の杉山裕之ですね。杉山といえば酒癖の悪さで知られ、一時は九州に実質左遷されていた時期もあります。杉山はゴルゴとの飲み会でも失礼をはたらき、『上下関係をわかっていない』ということでボコボコにされたそうです。ただ、それについては、事務所の大先輩にあたる中山秀征や恵俊彰にも目の前で『全然面白くない』と暴言を吐くなど、日ごろの失態が積み重なってゴルゴの怒りが爆発したともいえます」(同)

 どこまで厳格にすべきかは議論が分かれるところだろうが、芸人の世界にもある程度の上下関係は必要だろう。
(文=平田宏利)

爆笑問題・太田光だけじゃない!? 上下関係に厳しい芸人って……

 爆笑問題の太田光とぜんじろうの間の「芸歴どっちが上か論争」はいまだ収束せず、直接対決が近く実現しそうだ。芸人の世界では「1日でも先に入った方が先輩」といわれる。だが、これは特に関西の吉本興業のしきたりともいわれ、事務所によって異なる。関東の人力舎は比較的上下関係がゆるいとされる。そうした温度差が、例えば『オールスター感謝祭』(TBS系)での東京03と島田紳助氏の“恫喝騒ぎ”を招いてしまったともいえ、やはり良し悪しはありそうだ。ただ、関東芸人であっても芸歴に厳しい者は存在する。

「アントニオ猪木のものまね芸で知られ14年に亡くなった春一番は芸歴に細かい人として知られたようです。芸能界デビューは88年で、これは松村邦洋や爆笑問題と同期になりますが、実際には85年に片岡鶴太郎に弟子入りしており、本人としてはそこから芸人であったと自覚しているようです。そのため87年結成の浅草キッドが、ゆるい態度で接すると怒りをあらわにしたようですね」(芸能関係者)

 さらに、TIMのゴルゴ松本も「芸歴厳しい芸人」として知られる。ゴルゴは野球の名門として知られる埼玉県立熊谷商業高校出身で、在学中には甲子園出場経験もある体育会系。現在は少年院でボランティア講演をして回るなど生真面目な性格で知られる。そんなゴルゴは、事務所の後輩芸人にマジギレしている。

「我が家の杉山裕之ですね。杉山といえば酒癖の悪さで知られ、一時は九州に実質左遷されていた時期もあります。杉山はゴルゴとの飲み会でも失礼をはたらき、『上下関係をわかっていない』ということでボコボコにされたそうです。ただ、それについては、事務所の大先輩にあたる中山秀征や恵俊彰にも目の前で『全然面白くない』と暴言を吐くなど、日ごろの失態が積み重なってゴルゴの怒りが爆発したともいえます」(同)

 どこまで厳格にすべきかは議論が分かれるところだろうが、芸人の世界にもある程度の上下関係は必要だろう。
(文=平田宏利)

爆笑問題・太田光、ぜんじろうに対し真面目な表現者論を語る「プロならスケジュールは把握しておくべき」

 16日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)において、ぜんじろうとの間で続いている芸歴論争について太田光が口を開いた。今週もハイテンションで攻めるのかと思いきや、太田は落ち着いたトーンで、ぜんじろうが台湾に仕事に行っているため、今週のラジオに来られなかったことに対し「最初からスケジュールを把握しておくべき」とくぎを刺した。

 さらに、ぜんじろうがツイッターで発信を続けていることについては「ツイッターはプロならやるな」と持論を展開した。太田は「俺たちの時代はツイッターなんてないし、子どものころにテレビを見て憧れて、高校時代は友達がおらず何の発言権もなかった時代に『俺はいずれ有名になって自分の表現する場所をつくろう』と思った」と語り、やがて「みんなに認められて自分が表現する場所を獲得した」と来歴を交えながら自らの信念を語った。

 さらに、ぜんじろうに呼びかける形で「俺たちって、それの取り合いをやっていたわけじゃん。お前はその発言の場所を外国に求めたわけだろう。俺だっていつテレビから消えるかわからない。その場所がないと黙っているしかないから、それを得るためにマスコミに認められようとした。だからこそ頑張ってきたといった話をぜんじろうとしたかった」とアツい語りとなった。太田は「来週が最後」と期限を区切り、『サンデー・ジャポン』(TBS系)および、同ラジオ番組に来られなかったら、今回の騒動は幕引きとなると示唆した。

 1990年代初頭、爆笑問題は前の事務所からの一方的な独立により約3年間まったく仕事がない“干された時期”がある。その分、太田はそこからはい上がり、表現者としての居場所を獲得したことに自負があるのだろう。同時期に表舞台からは消えてしまったぜんじろうとは対照的であるだけに、やはり2人の話は聞きたいところだ。
(文=平田宏利)

ぜんじろうと爆笑問題・太田光の“芸歴問題”は泥沼化必至!「兄さん」呼びの行方は……?

 お騒がせ芸人として知られる爆笑問題の太田光が吠えている。きっかけは、太田が後輩芸人だと思っていたぜんじろうが『サンデー・ジャポン』(TBS系)で自分を呼び捨てにしたことに対し、ラジオで苦言を呈したことにはじまる。ツイート内では「太田くん」とも呼びかけており、ぜんじろうとしては爆笑が後輩芸人だと言いたいのだろう。

 太田は9日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で「俺のこと兄さんって呼んでいただろ」と大激怒。これを報じたネットニュースのリンクをぜんじろうがリツイートし、事態は泥沼化の様相を呈している。果たして爆笑問題とぜんじろうとはどちらが芸歴が上なのか。あらためて検証してみたい。

 両者の年齢は、爆笑問題は2人とも1965年生まれで今年54歳になる。田中裕二は早生まれなので64年の学年である。対してぜんじろうは1968年1月生まれの51歳なので、学年は67年になる。両者の年齢差は2歳である。

 芸歴はどうか。爆笑問題の初舞台は23歳で出場した、渡辺正行主催のお笑いライブ『ラママ新人コント大会』で大爆笑を取り、その場で最初の所属事務所である太田プロダクションからスカウトされている。同時に『笑いの殿堂』(フジテレビ系)の出演オファーも来た。この時点をプロデビューとカウントするならば88年となる。

 ぜんじろうは高校卒業後、86年に大阪芸術大学に進学。ただし大学は2日で退学するも、両親から仕送りを受けながら悠々自適な生活を送っていたところ、大阪の路上で上岡龍太郎を見かけ握手をしてもらう。その後も偶然上岡に再会し弟子入りを志願した。吉本興業のプロフィールでは1987年に上岡龍太郎に入門とある。

 芸歴のカウントは一般的に初舞台からとされる。吉本興業の芸人養成所であるNSCも入学時は芸人ではなく素人扱いであり、卒業ライブから芸歴カウントがはじまるため、87年に入門し、どこで初舞台を踏んだかが注目ポイントだろう。

 ぜんじろうは当初はラッキーぜんじろうを名乗り、やがて月亭かなめとコンビを結成し88年の『今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』で福笑い賞を受賞しているため、コンビとしての芸歴は爆笑問題とぜんじろうはほぼ同期といえるだろう。

 ただ芸人の世界にある「1日でも先に入ったほうが先輩」論に厳密に従うならば、ぜんじろうの方が先輩ということになりそうだ。11日深夜放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でも岡村は「ぜんじろう兄さんの方が先輩だと思う」と発言している。ぜんじろうは大阪での活動を経て東京へ進出しているので、謙遜を込めて爆笑問題を「兄さん」と呼んでいたのかもしれない。
(文=平田宏利)

ぜんじろうと爆笑問題・太田光の“芸歴問題”は泥沼化必至!「兄さん」呼びの行方は……?

 お騒がせ芸人として知られる爆笑問題の太田光が吠えている。きっかけは、太田が後輩芸人だと思っていたぜんじろうが『サンデー・ジャポン』(TBS系)で自分を呼び捨てにしたことに対し、ラジオで苦言を呈したことにはじまる。ツイート内では「太田くん」とも呼びかけており、ぜんじろうとしては爆笑が後輩芸人だと言いたいのだろう。

 太田は9日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で「俺のこと兄さんって呼んでいただろ」と大激怒。これを報じたネットニュースのリンクをぜんじろうがリツイートし、事態は泥沼化の様相を呈している。果たして爆笑問題とぜんじろうとはどちらが芸歴が上なのか。あらためて検証してみたい。

 両者の年齢は、爆笑問題は2人とも1965年生まれで今年54歳になる。田中裕二は早生まれなので64年の学年である。対してぜんじろうは1968年1月生まれの51歳なので、学年は67年になる。両者の年齢差は2歳である。

 芸歴はどうか。爆笑問題の初舞台は23歳で出場した、渡辺正行主催のお笑いライブ『ラママ新人コント大会』で大爆笑を取り、その場で最初の所属事務所である太田プロダクションからスカウトされている。同時に『笑いの殿堂』(フジテレビ系)の出演オファーも来た。この時点をプロデビューとカウントするならば88年となる。

 ぜんじろうは高校卒業後、86年に大阪芸術大学に進学。ただし大学は2日で退学するも、両親から仕送りを受けながら悠々自適な生活を送っていたところ、大阪の路上で上岡龍太郎を見かけ握手をしてもらう。その後も偶然上岡に再会し弟子入りを志願した。吉本興業のプロフィールでは1987年に上岡龍太郎に入門とある。

 芸歴のカウントは一般的に初舞台からとされる。吉本興業の芸人養成所であるNSCも入学時は芸人ではなく素人扱いであり、卒業ライブから芸歴カウントがはじまるため、87年に入門し、どこで初舞台を踏んだかが注目ポイントだろう。

 ぜんじろうは当初はラッキーぜんじろうを名乗り、やがて月亭かなめとコンビを結成し88年の『今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』で福笑い賞を受賞しているため、コンビとしての芸歴は爆笑問題とぜんじろうはほぼ同期といえるだろう。

 ただ芸人の世界にある「1日でも先に入ったほうが先輩」論に厳密に従うならば、ぜんじろうの方が先輩ということになりそうだ。11日深夜放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でも岡村は「ぜんじろう兄さんの方が先輩だと思う」と発言している。ぜんじろうは大阪での活動を経て東京へ進出しているので、謙遜を込めて爆笑問題を「兄さん」と呼んでいたのかもしれない。
(文=平田宏利)

爆笑問題・太田光、転倒から復帰……ナイナイ・岡村隆史の場合は?

 3月30日放送の『ENGEIグランドスラム』(フジテレビ系)の生放送中に転倒し頭を強打した爆笑問題の太田光が、2日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で復帰を果たした。

 幸い大事には至らなかったものの、転倒前後は意識がもうろうとしており、相方の田中裕二に「(自分たちの)ネタやったのか? ウケはどうだった?」と何度も繰り返し訊ね、ボケたおじいさんのようになってしまったという。さらに転倒直後に靴を脱がせようとしたら、普段の太田ならば嫌がって暴れるはずだが、その日は素直に応じたため、田中裕二はその瞬間に「もしかしたら、ただごとではないかもしれない……」と危惧したようだ。

 その後の太田は、田中の問いに少年のような笑みを浮かべており、ますます心配の度合いが高まったようだ。だが、大事を取って1日休んだほかは、異常なしとなった。不幸中の幸いといえるが、過去には舞台上の転倒で大怪我をしてしまった芸人もいる。

「ナインティナインの岡村隆史ですね。1990年年代に出演していた『ASAYAN』(テレビ東京系)で、番組収録中にハエをつかまえようとして、右肩から思い切り転倒し骨折してしまいます。この様子はテレビ番組でそのまま放送され、現在も動画サイトなどで見ることができます。さながら岡村が得意とするブレイクダンスのような華麗な動きですね。ただ岡村の場合は痛がりながらも、その後の収録をこなしていますから、芸人としてのプロ根性が感じられます。4日深夜放送の『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)でも、この話題が出ていましたね。ただ岡村が転倒したのは20代であり、50代の太田の体を心配してもいました」(放送作家)

 確かに太田は終始芸人であろうとした。病院に搬送されたのち、医者の質問にボケで答えようかと思ったと言ったり、病室で自身の転倒した映像を見て「衝撃映像と思った」といったエピソードトークのネタを探していたようだ。やはり、どのような窮地にあっても芸人としての性(さが)がはたらくのかもしれない。
(文=平田宏利)