東京に住むようになって5年がたつ。春が訪れるたびに、街のさまざまな場所に桜が咲いていることに気づかされる。地方出身の私にとって桜は、山に咲くものか、学校の校庭に咲くものであった。とりわけ、4月に咲く学校の桜は新学期への期待と不安を膨らませ、何かが起きるんじゃないか、何かが変わるんじゃないか、そんな根拠のない想像を掻き立てる。
3月22日発売のおほしんたろう『学校と先生』(ナナロク社)に、こんなセリフがある。
「俺たちゃ17歳だぞ! こんなこともたまには起こるよ!」
この言葉の通り、高校時代、とりわけ17歳は何が起こったっておかしくない季節なのだ。
前述のセリフは、1人の生徒の首が授業中に突然伸びたことにより発せられたものだ。『学校と先生』は、ファミ通町内会の伝説的なハガキ職人塩味電気、現在はお笑い芸人のおほしんたろうによる学校を舞台とした初の連作ギャグ漫画であり、こちらの想像を裏切る笑いにあふれている。しかし、この作品をとりわけ魅力的にしているのは、誰かから誰かへのまなざしが描かれている点だ。例えば、新田くんは心にゴリラを飼っている。その話を友人と話す姿を遠くから見つめる水谷さんは、こうつぶやく。
「私以外にも飼ってる人いるんだ、心のゴリラ」
ご飯をおいしそうに食べる男子はモテるらしいといううわさを聞き、新田くんはおいしそうにお昼を食べるも、女子からは見向きもされない。しかし、屋上から双眼鏡でそんな姿を覗いている人がいる。
新田くんと小野寺くんは、偶然入ったファストフード店で、学校では昼休みにノリでケツを出す久保くんがペラペラな英語をしゃべり、接客しているのを見かける。
野球部のキャプテンは、マネジャーの青山がたまにふとさびしげな表情をすることを知っている。
気づかれることなく誰かをまなざし、まなざされることは、まさに青春であり、愛おしいほどに意味のないギャグや不条理な出来事を支える重要な柱となっている。私が個人的に好きなのは、校庭に隕石が落ちてもそれほど動じず、「野球部の1年が片付けるだろ!」と言う場面だ。何が起きても受け止め日常の一部にしてしまう。そんな季節が17歳なのだ。
4月9日に文庫化される佐藤哲也『シンドローム』(キノブックス)でも、隕石が落ちる。『シンドローム』は、高校生を主人公としたSF小説だ。この作品の面白いところは、街に隕石が落ち、謎の生命体が侵略してきても、主人公にとってそのことはさほど重要ではなく、常に頭の中にあるのは同級生の久保田葉子のことばかりという点だ。謎の生命体の侵略という非日常と、あの子のことを考える日常が分断されることなく同居しているのだ。
物語は、主人公「ぼく」の一人称で進行する。「ぼく」は常に頭の中で思弁し、心の動きや目の前で起こることを理性的に捉えようとする。恋に落ちることを非精神的とし、自分がその状態に陥っていないことを、自分でも気づかないほどに自己弁護する。そんな思春期特有の自意識がどこまでも張り巡らされるが、結局のところ「ぼく」は久保田のことが好きというそれでしかないのだ。しかし、思春期の高校生の自意識は簡単にそんなことを認めることはできず、思弁を展開していく。そんな理性的な「ぼく」が唯一、恋を感覚として捉えた瞬間がある。久保田と河原でお昼を食べた時だ。
ぼくは久保田の顎を見つめる。
ぼくは久保田の手を見つめる。
ぼくは久保田の頬を見つめる。
ぼくは久保田を見つめている。
ぼくはまぶしさを感じている。
好きな人のすべてを見つめたい。そんな一方的なまなざし、それはもう恋でしかないのだ。「ぼく」による一人称の自意識にまみれた語りの中で、川原でのこのひとときは、とても美しく輝いている。

『バンブルビー』もまた、空から何かが落ちてくることによって物語が始まる。家族や同級生との軋轢を抱えた思春期真っ盛りのチャーリーは18歳の誕生日を迎えた日、バンブルビーと出会う。チャーリーはすぐに彼を受け入れ、名前をつける。トランスフォーマーシリーズのリブートとなる本作は、これまでの作品とは一線を画したものとなっている。それは、SFやアクションではなく、れっきとした青春映画であるからだ。宇宙人との出会いや交流といった80年代のスピルバーグ的映画への目配せと、ザ・スミスを筆頭とする音楽の使い方、そして『ブレックファスト・クラブ』(1985)オマージュといった、さまざまな要素が折り重なって、出会い、成長、別れが描かれる。
個人的に、たまらなかったのは、話すことのできないバンブルビーがカーステレオから流れるラジオの音楽によって会話をするところだ。なんて素敵な設定だろうか。物語終盤、バンブルビーはカーステレオからザ・スミスの音楽のワンフレーズを使ってチャーリーに言葉を投げかける。チャーリーは、「スミスで会話ができた!」と喜ぶ。このシーンは、好きな人と好きなものを共有できた多幸感がギュッと詰まった瞬間だった。CGがふんだんに使われ、非日常なアクションが繰り広げられる中での日常の小さな喜びに、どうしたって感動してしまう。
この3作は、どれも高校生が主人公だ。そしてフィクションである。17歳の私の首は伸びていないし、地球外生命体も侵略してきていないし、車に変形する友人もいなかった。けれども、そんなフィクションの中に、あの時のまなざしや小さな喜びを見つけ、もう戻ることのできない季節をふと思い出してしまうのだ。
●ミワリョウスケ
1994年生まれ。生活のこと、面白かった映画や演劇、ラジオなどについてブログを書いている。日記をまとめた本の販売も行っている。好きな食べ物はうなぎ。<http://miwa0524.hatenablog.com/>