多井隆晴・新書『全速力』ついに解禁! サイバー藤田晋氏「初」対談収録。空前の麻雀ブームを牽引するカリスマの「勝利のメソッド」

 今、「麻雀」に空前のブームが訪れていることを知っているだろうか。

 様々な市場の動向が掲載されている『レジャー白書 2019』(公益財団法人日本生産性本部)によると、全国の麻雀人口は2017年の500万人から、2018年には580万人と16%アップ。

 多様な娯楽が溢れ返るご時世、それもすでに世間に根付いている麻雀が、この伸び率を記録するのは驚愕といっていいだろう。2019年は、さらに上昇する見込みだ。

 この現象には、明確な「理由」がある。

 昨年、プロ麻雀のナショナルリーグ『大和証券Mリーグ』が誕生し、電通や博報堂、セガやコナミといった超一流企業がチームスポンサーに名を連ねたことで、プロ麻雀の注目度が急上昇。今、時代は麻雀を打つよりも、テレビでプロの華麗なテクニックを楽しむ「観る雀」が主流となっているようだ。

 そんな麻雀ブームの中心『Mリーグ』で昨季、無敵の強さを誇ったのが「麻雀界のカリスマ多井隆晴」だ。

 サイバーエージェントがスポンサーを務める渋谷ABEMASにドラ1指名された多井は、シーズン終盤で4連勝を含む、11試合連続連対を達成。選び抜かれたトッププロを相手に圧倒的な成績を残し、個人1位「MVP」を獲得。大舞台で現役No,1を証明している。

 そんな多井がMリーガーとして初めて世に送り出す新書『全速力』が26日、ついに発売を迎えた。

 昨年(2018年)、『大和証券Mリーグ』が誕生しましたが、いま、麻雀界には史上最高と言っていいブームが訪れています。

 プロ野球やサッカーのJリーグといった一大プロリーグを目指し、これまでスーツを着ていた麻雀プロが、「Mリーガー」としてユニフォームを着て麻雀の試合に挑む。インターネットテレビ局『AbemaTV』の麻雀チャンネルで放送され、毎試合約30万~40万の視聴数、それも全体25%程度が女性という、いままでの麻雀番組では考えられなかった反響があります。「オジサンの娯楽」だった麻雀はいま、誰にでも楽しめるスポーツに生まれ変わろうとしています。(※『全速力』まえがきより一部抜粋)

 空前の麻雀ブームの中で生まれた『全速力』は、麻雀ブームのさらなる過熱を目指す多井にとっても「新しい試み」だという。

「麻雀ファンだけでなく、世を支えるビジネスパーソンの方々にも読んでいただきたいと思って書いた」とある通り、本書にはMリーグだけでなく、ビジネスシーンに直結するであろう“金言”が数多く掲載されている。

 特に、サイバーエージェント代表取締役社長・藤田晋氏との長編対談は必見の内容だ。

 アマゾンや楽天ブックスなど主流ECサイトで発売されているほか、26日は全国の書店にも展開されている。日本を代表する娯楽1つから、新たなスポーツへ生まれ変わろうとしている麻雀。業界で誰よりも勝ち続ける多井隆晴は、その中心から新時代を切り開くパイオニアの1人に違いない。

「人は信じたいものしか信じない」山口連続殺人放火事件に見る、限界集落とSNSの共通点

 2013年7月21日、山口県周南市の限界集落で起きた連続殺人放火事件。集落の住人だった当時63歳の男が近隣に住む高齢者5人を殺害し、被害者宅を放火するという忌まわしい事件は「現代の八つ墓村」などと騒がれ、「犯人の男は村八分にされていた」などといった噂がネット上でまことしやかに語られた。事件から6年がたった今年8月、最高裁で男の死刑が確定したが、男は妄想性障害が進行しており、その動機についてはもはややぶの中だ。

 そんな事件の真相に迫ったルポ『つけびの村』(晶文社)が話題になっている。ノンフィクションライターの高橋ユキ氏は複数回にわたって現地取材を行うも、掲載媒体が見つからず、“最後の手段”とnoteで有料記事としてアップしたところ大反響を呼び、大幅な加筆を加えて出版された。「事件ノンフィクションの定型」とは一線を画す手法で、高橋氏がたどり着いた事件の真相とは――。

***

――今年9月に刊行された『つけびの村』が扱っている山口連続殺人放火事件は、2013年に起きた事件です。本書によれば、高橋さんが取材を始めたのは17年とのことですが、なぜこの時期だったんでしょうか?

高橋 ある月刊誌からの依頼で最初の取材をしたんですが、特に何かがあったタイミングではなかったですね。本にも書いた通り、くだんの集落では戦中まで「夜這い」があったという話が別の媒体で記事になって、それについてちょっと取材に行ってきてくれ、と。ずいぶん不思議な時期に依頼が来るものだな、と思いました。

――夜這いの風習があったことが今回の事件の因縁につながっている、という話ですよね。正直、わりと眉唾な話に聞こえると思うのですが、それを元に現地に取材に行くというのがまずすごいな、と。

高橋 さすがに月刊誌でも珍しい依頼だと思います。戦中に夜這いがあったかどうかの証言を今さら取ってくるって、かなり難しいですからね。その頃、思春期だった方ももう亡くなっているかもしれないですし。だから「これは空振りに終わるんだろうな」と思いながら取材に行きました。

――結局、その月刊誌では掲載できなくて実話誌に載せてもらったということでしたが、取材費は月刊誌のほうから出たんですか?

高橋 そうですね。それはありがたかったです。どんどん休刊になっていますが、事件モノをやるには、月刊誌の存在はすごく大切でした。大きいテーマで継続的に取材をして、自分なりに結論をつけて最終的に本にするという流れが立ち行かなくなっていると感じます。

――犯人がつかまって裁判にまで至っている、世間的にはひとまず「終わった」事件を追いかけるのも、ネットメディアではなかなかやれないことだと思いました。

高橋 私も普段、ネットメディアで事件モノを書かせてもらうときは、判決があったり控訴・上告があったりしたタイミングで編集さんに話をします。それくらいしか書けるチャンスがないんですね。この事件は今年7月に最高裁で判決があったので、個人的にはやっと一区切りがついたタイミングだったかな、と。

――本書の結末も、最高裁の死刑判決について高橋さん自身が考え続けるところで終わります。保見光成 (ほみ・こうせい)死刑囚は妄想性障害と判断されていて、妄想の世界を生きている人に贖罪は可能なのか、というしこりを感じていることが率直に書かれていて、これは裁判傍聴を続けてきた高橋さんならではじゃないかと思いました。

高橋 個人的に「どうなんだろうな」と思っていることを書きました。解釈はさまざまにあって、「妄想性障害であっても完全責任能力が認定されたんだから死刑になるのが当然だ」と思う人もいれば、「この状態で死刑にするのは人権的にどうなのか」と思う人もいるので、読んだ人にも考えてもらえるといいな、と。今でもまだ自分の考えはまとまっていないですね。本にも書いた通り、私は当事者でもないし遺族でもないので、どうあるのが一番いいのかはまだわかりません。

――その「当事者でもないし遺族でもない」というところで終わるのが、この本のすごいところだと思います。あとがきで「いま、普通の“事件ノンフィクション”には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている」と書かれていましたよね。事件に至った経緯、周辺情報、遺族、本人への取材を経て結論を出して、事件が内包する社会問題を提示する――という。

高橋 売れる本はどこが読者を惹きつけているか知りたくて、Amazonで殺人関連のノンフィクションをランキング上位から順に買って読んだんですが、そういうパターンが多いかな、と感じます。もちろん、私はそうしたノンフィクションも好きです。でも、読者として読んでいて「これはさすがに想像じゃないか?」「ちょっとついていけないかも」と複雑な思いを抱くときもあったので、定型をあまり意識しないで書いてみようと思いました。

――とはいえ最初は、そのスタンダードなスタイルにはめ込むように取材を重ねていた、とも書かれていました。

高橋 そうなんです。最後に本人から「私は本当はこういう動機で罪を犯しました」という話を聞き出して、それをクライマックスにして結論を出すという構成を考えていたんですが、取材をする中で、村の「噂」がかなり興味深いと感じたことと、面会した保見死刑囚は妄想性障害が相当進行していて事件の動機を語れない印象だったことで、その構成は頓挫しました。困ったんですが、それなら「噂」をテーマにしたノンフィクションはあまり見たことがないからそっちを中心にしよう、と切り替えました。

――「コープの寄り合い」で生まれていた噂の中身に迫っていくところは、特に引き込まれました。でもその後、後半では一転して村のお祭りの話が続きます。あの構成には、どういった意図があったのですか?

高橋 お祭りの話、長かったですよね、すみません(笑)。最初に原稿をnoteで公開したとき、「異様な村」「怖い村」ととらえている反応が多くて、それがちょっとひっかかったんです。確かに事件は起きたけど、同じように噂話ばかりしている集落は全国でほかにもあるはずで、私が住んでいた地元もそうでした。かつてはこの村も栄えていたときがあって、いろんな人が住んでいて地元を愛していたんだけれど、人口が少なくなったせいで噂が娯楽としての強度をだんだん増していったんだということがわかるように、栄えていた時期のことをきちんと入れたいと思ったんです。

 それに、ネットの一部では「村八分」説(編注:犯人が村民から村八分に遭っており、嫌がらせを受けていたことが犯行理由とする説)が今も根強く残っていて、住んでいる人たちは事件で怖い目に遭ったのにそんなことを言われ続けるのは気の毒だな、という思いもかなりありました。

――一方で、住人の方々の家を訪れたり加害者のお姉さんたちのもとを訪ねたり、口が重いであろう当事者の方々を直撃されてますよね。私は経験がないのですが、直撃取材は怖くないんでしょうか?

高橋 私は週刊誌でも仕事をしているんですが、週刊誌記者ってわりと直撃が多いですよね。先輩記者には“猛者”と呼ばれるような人もいますが、みんな「ピンポンするのは気が重いな」って言うんです。私もすごく怖いです。でも、先輩記者たちが気が重いというのであれば、私も怖くて当然だ! と思ってピンポンを押しました。相手の方の生活を乱すことになるので罪悪感はあるし、冷たく対応されたら悲しいけど、当然だなと思ってしょんぼりします。普通の人と同じように怖いんですよ(笑)。

――加害者のお姉さん3人の取材はすべて断られてしまいますが、加害者側も残された人たちは大変な思いをするんだと、そのぶん強く感じました。

高橋 都会だったら事件が風化する速度は速そうですが、田舎だと「あの人は今どこそこに住んでる」「騒ぎになって逃げた」とか、みんながよく知ってるんですよね。これが当人だったらつらいだろうな、と取材をしていても思いました。

――濃淡の差はありますが、娯楽としての噂というのは、どこにでも存在しますよね。SNSで日々起こっていることもそうだといえますし。

高橋 そうなんですよね。SNS上で、会ったこともない人をすごく批判したり、何か決めつけてかかったりするのも、似たようなマインドだと思います。この事件についても、「村八分」説をいまだに強固に信じている人がすごくいて、人は信じたいものしか信じないんだな、というのは強く感じます。逆に今は「なんでこの人はここまでこの説を信じているんだろう? どんな事情があるのか?」っていうほうが、だんだん興味が湧いてきていますね。

――先ほどのノンフィクションの定型の話に通じるのかもしれませんが、わかりやすく一本筋が通って聞こえるストーリーを消費したいという感覚があるのかな、と思いました。

 かつてのノンフィクションでは、犯人が異常な事件を起こした理由を生まれ育ちに帰結させて読者を納得させている部分があったのかなと思うんですが、実際はそれだけではないですよね。保見死刑囚も、生まれや育ちは村のほかの人とさほど変わりはないんです。ただ妄想性障害がひどくなってしまったという事情がある。でも、病気であるという結論は、読者は納得しづらいと思うんです。こんなに不条理な事件が起こったのに理由は病気か、って。その感覚もよくわかるので、『つけびの村』はそこがモヤモヤする人もいるかもしれません。ほかの書き手の方だったら、別の結論のつけ方をしたのかもしれない――と、想像はめぐらせます。でもやっぱり事件の取材をすると、こういう場合もあるんだということを、きちんと出したかったんです。

(取材・文=斎藤岬)

 

●たかはし・ゆき
1974年生まれ、福岡県出身。2005年、女性4人で構成された裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成。殺人等の刑事事件を中心とした裁判傍聴記を、雑誌、書籍等に発表。現在はフリーライターとして、裁判傍聴のほか、さまざまなメディアで活躍中。著書に、『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)『霞っ子クラブの裁判傍聴入門』(宝島社)『あなたが猟奇殺人犯を裁く日』(扶桑社)(以上、霞っ子クラブ名義)、『木嶋佳苗 法廷証言』(宝島社、神林広恵氏との共著)『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社)ほか。Web「東洋経済オンライン」「Wezzy」「サイゾーウーマン」等にて連載中。

 

「人は信じたいものしか信じない」山口連続殺人放火事件に見る、限界集落とSNSの共通点

 2013年7月21日、山口県周南市の限界集落で起きた連続殺人放火事件。集落の住人だった当時63歳の男が近隣に住む高齢者5人を殺害し、被害者宅を放火するという忌まわしい事件は「現代の八つ墓村」などと騒がれ、「犯人の男は村八分にされていた」などといった噂がネット上でまことしやかに語られた。事件から6年がたった今年8月、最高裁で男の死刑が確定したが、男は妄想性障害が進行しており、その動機についてはもはややぶの中だ。

 そんな事件の真相に迫ったルポ『つけびの村』(晶文社)が話題になっている。ノンフィクションライターの高橋ユキ氏は複数回にわたって現地取材を行うも、掲載媒体が見つからず、“最後の手段”とnoteで有料記事としてアップしたところ大反響を呼び、大幅な加筆を加えて出版された。「事件ノンフィクションの定型」とは一線を画す手法で、高橋氏がたどり着いた事件の真相とは――。

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――今年9月に刊行された『つけびの村』が扱っている山口連続殺人放火事件は、2013年に起きた事件です。本書によれば、高橋さんが取材を始めたのは17年とのことですが、なぜこの時期だったんでしょうか?

高橋 ある月刊誌からの依頼で最初の取材をしたんですが、特に何かがあったタイミングではなかったですね。本にも書いた通り、くだんの集落では戦中まで「夜這い」があったという話が別の媒体で記事になって、それについてちょっと取材に行ってきてくれ、と。ずいぶん不思議な時期に依頼が来るものだな、と思いました。

――夜這いの風習があったことが今回の事件の因縁につながっている、という話ですよね。正直、わりと眉唾な話に聞こえると思うのですが、それを元に現地に取材に行くというのがまずすごいな、と。

高橋 さすがに月刊誌でも珍しい依頼だと思います。戦中に夜這いがあったかどうかの証言を今さら取ってくるって、かなり難しいですからね。その頃、思春期だった方ももう亡くなっているかもしれないですし。だから「これは空振りに終わるんだろうな」と思いながら取材に行きました。

――結局、その月刊誌では掲載できなくて実話誌に載せてもらったということでしたが、取材費は月刊誌のほうから出たんですか?

高橋 そうですね。それはありがたかったです。どんどん休刊になっていますが、事件モノをやるには、月刊誌の存在はすごく大切でした。大きいテーマで継続的に取材をして、自分なりに結論をつけて最終的に本にするという流れが立ち行かなくなっていると感じます。

――犯人がつかまって裁判にまで至っている、世間的にはひとまず「終わった」事件を追いかけるのも、ネットメディアではなかなかやれないことだと思いました。

高橋 私も普段、ネットメディアで事件モノを書かせてもらうときは、判決があったり控訴・上告があったりしたタイミングで編集さんに話をします。それくらいしか書けるチャンスがないんですね。この事件は今年7月に最高裁で判決があったので、個人的にはやっと一区切りがついたタイミングだったかな、と。

――本書の結末も、最高裁の死刑判決について高橋さん自身が考え続けるところで終わります。保見光成 (ほみ・こうせい)死刑囚は妄想性障害と判断されていて、妄想の世界を生きている人に贖罪は可能なのか、というしこりを感じていることが率直に書かれていて、これは裁判傍聴を続けてきた高橋さんならではじゃないかと思いました。

高橋 個人的に「どうなんだろうな」と思っていることを書きました。解釈はさまざまにあって、「妄想性障害であっても完全責任能力が認定されたんだから死刑になるのが当然だ」と思う人もいれば、「この状態で死刑にするのは人権的にどうなのか」と思う人もいるので、読んだ人にも考えてもらえるといいな、と。今でもまだ自分の考えはまとまっていないですね。本にも書いた通り、私は当事者でもないし遺族でもないので、どうあるのが一番いいのかはまだわかりません。

――その「当事者でもないし遺族でもない」というところで終わるのが、この本のすごいところだと思います。あとがきで「いま、普通の“事件ノンフィクション”には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている」と書かれていましたよね。事件に至った経緯、周辺情報、遺族、本人への取材を経て結論を出して、事件が内包する社会問題を提示する――という。

高橋 売れる本はどこが読者を惹きつけているか知りたくて、Amazonで殺人関連のノンフィクションをランキング上位から順に買って読んだんですが、そういうパターンが多いかな、と感じます。もちろん、私はそうしたノンフィクションも好きです。でも、読者として読んでいて「これはさすがに想像じゃないか?」「ちょっとついていけないかも」と複雑な思いを抱くときもあったので、定型をあまり意識しないで書いてみようと思いました。

――とはいえ最初は、そのスタンダードなスタイルにはめ込むように取材を重ねていた、とも書かれていました。

高橋 そうなんです。最後に本人から「私は本当はこういう動機で罪を犯しました」という話を聞き出して、それをクライマックスにして結論を出すという構成を考えていたんですが、取材をする中で、村の「噂」がかなり興味深いと感じたことと、面会した保見死刑囚は妄想性障害が相当進行していて事件の動機を語れない印象だったことで、その構成は頓挫しました。困ったんですが、それなら「噂」をテーマにしたノンフィクションはあまり見たことがないからそっちを中心にしよう、と切り替えました。

――「コープの寄り合い」で生まれていた噂の中身に迫っていくところは、特に引き込まれました。でもその後、後半では一転して村のお祭りの話が続きます。あの構成には、どういった意図があったのですか?

高橋 お祭りの話、長かったですよね、すみません(笑)。最初に原稿をnoteで公開したとき、「異様な村」「怖い村」ととらえている反応が多くて、それがちょっとひっかかったんです。確かに事件は起きたけど、同じように噂話ばかりしている集落は全国でほかにもあるはずで、私が住んでいた地元もそうでした。かつてはこの村も栄えていたときがあって、いろんな人が住んでいて地元を愛していたんだけれど、人口が少なくなったせいで噂が娯楽としての強度をだんだん増していったんだということがわかるように、栄えていた時期のことをきちんと入れたいと思ったんです。

 それに、ネットの一部では「村八分」説(編注:犯人が村民から村八分に遭っており、嫌がらせを受けていたことが犯行理由とする説)が今も根強く残っていて、住んでいる人たちは事件で怖い目に遭ったのにそんなことを言われ続けるのは気の毒だな、という思いもかなりありました。

――一方で、住人の方々の家を訪れたり加害者のお姉さんたちのもとを訪ねたり、口が重いであろう当事者の方々を直撃されてますよね。私は経験がないのですが、直撃取材は怖くないんでしょうか?

高橋 私は週刊誌でも仕事をしているんですが、週刊誌記者ってわりと直撃が多いですよね。先輩記者には“猛者”と呼ばれるような人もいますが、みんな「ピンポンするのは気が重いな」って言うんです。私もすごく怖いです。でも、先輩記者たちが気が重いというのであれば、私も怖くて当然だ! と思ってピンポンを押しました。相手の方の生活を乱すことになるので罪悪感はあるし、冷たく対応されたら悲しいけど、当然だなと思ってしょんぼりします。普通の人と同じように怖いんですよ(笑)。

――加害者のお姉さん3人の取材はすべて断られてしまいますが、加害者側も残された人たちは大変な思いをするんだと、そのぶん強く感じました。

高橋 都会だったら事件が風化する速度は速そうですが、田舎だと「あの人は今どこそこに住んでる」「騒ぎになって逃げた」とか、みんながよく知ってるんですよね。これが当人だったらつらいだろうな、と取材をしていても思いました。

――濃淡の差はありますが、娯楽としての噂というのは、どこにでも存在しますよね。SNSで日々起こっていることもそうだといえますし。

高橋 そうなんですよね。SNS上で、会ったこともない人をすごく批判したり、何か決めつけてかかったりするのも、似たようなマインドだと思います。この事件についても、「村八分」説をいまだに強固に信じている人がすごくいて、人は信じたいものしか信じないんだな、というのは強く感じます。逆に今は「なんでこの人はここまでこの説を信じているんだろう? どんな事情があるのか?」っていうほうが、だんだん興味が湧いてきていますね。

――先ほどのノンフィクションの定型の話に通じるのかもしれませんが、わかりやすく一本筋が通って聞こえるストーリーを消費したいという感覚があるのかな、と思いました。

 かつてのノンフィクションでは、犯人が異常な事件を起こした理由を生まれ育ちに帰結させて読者を納得させている部分があったのかなと思うんですが、実際はそれだけではないですよね。保見死刑囚も、生まれや育ちは村のほかの人とさほど変わりはないんです。ただ妄想性障害がひどくなってしまったという事情がある。でも、病気であるという結論は、読者は納得しづらいと思うんです。こんなに不条理な事件が起こったのに理由は病気か、って。その感覚もよくわかるので、『つけびの村』はそこがモヤモヤする人もいるかもしれません。ほかの書き手の方だったら、別の結論のつけ方をしたのかもしれない――と、想像はめぐらせます。でもやっぱり事件の取材をすると、こういう場合もあるんだということを、きちんと出したかったんです。

(取材・文=斎藤岬)

 

●たかはし・ゆき
1974年生まれ、福岡県出身。2005年、女性4人で構成された裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成。殺人等の刑事事件を中心とした裁判傍聴記を、雑誌、書籍等に発表。現在はフリーライターとして、裁判傍聴のほか、さまざまなメディアで活躍中。著書に、『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)『霞っ子クラブの裁判傍聴入門』(宝島社)『あなたが猟奇殺人犯を裁く日』(扶桑社)(以上、霞っ子クラブ名義)、『木嶋佳苗 法廷証言』(宝島社、神林広恵氏との共著)『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社)ほか。Web「東洋経済オンライン」「Wezzy」「サイゾーウーマン」等にて連載中。

 

アカデミー賞トロフィをランプに改造! 没後1年で知る“樹木希林”的哲学の真髄『樹木希林のきもの』

2018年9月15日に、女優の樹木希林さんがなくなってからすでに1年がたった。没後、数々の追悼本が出版されその豊かな人生哲学に改めて注目が集まった。本稿ではそんな彼女の哲学を、“着物”について綴られた別冊太陽編集部による『樹木希林のきもの』(平凡社)から見ていこう。

 樹木希林さんはプリコラージュの人だ。

 本書にそう書いてあるわけではないが、強くそう感じた。プリコラージュとはフランスの文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロースが好んで使った言葉で「寄せ集めて作る」といった意味だ。彼は本来の用途ではない物を組み合わせて、別の役立つ何かを生み出してきた人類の思考をプリコラージュと呼んだ。

 希林さんも同じようにプリコラージュを実践した人だった。たとえば、贈呈されたアカデミー賞トロフィにランプをつけて改造し、食卓に置いた。時には、古布をドレスに再利用したりした。

 本書では「きもの」においてのプリコラージュが多数紹介されている。余った布を帯や比翼にしたりするのは日常茶飯事。手近にあるものはなるべく処分せずに再利用して、合体しては壊すことを「きもの」においても繰り返していたことが、豊富な実物写真によって紹介されている。そんな希林さんがプリコラージュして作り上げた数々の「きもの」を眺めていると、普段着物など着ない自分も、いつかは着こなしてみたい、と思ってしまう。

 また、プリコラージュという意味でも究極なのは、希林さんが園遊会に招かれたときのエピソードだ。控え室で着替えていた希林さんは、持参していたはずの帯締めを紛失してしまい、切羽詰まった挙げ句、電気ポッドのコードを帯の上に締め、形を整えたという。

 そして、コードをつけたまま何事もなかったかのように、宮様方の前に出て、その場を凌いだという。ちなみに、そのまま帰ればバレないはずなのに、俳優の性なのか「実はね」とコードを披露し、その場を爆笑の渦に巻き込んだとのこと。

「物にも冥利がある」

 希林さんが繰り返し唱えたこの言葉に耳を傾けていると、「きもの」だけでなく、生活の色々な場所で創意工夫をしてみたくなる。僕たちは希林さんになることはできないけれど、プリコラージュの人になら、なれるはずだ。

この国にはかつてエロ雑誌が群雄割拠していた! 『日本エロ本全史』著者が語るエロ本の栄華盛衰記

 今年9月より全国の大手コンビニから成人向け雑誌の売り場が撤去され、街からエロ本が姿を消した。東京五輪を翌年に控えた2019年は、エロ本文化が終焉を迎えた年として記憶されることになるだろう。そんな消えゆくエロ雑誌たちに多大なる情熱を注いだ一冊が、安田理央氏の著書『日本エロ本全史』(太田出版)だ。

 1946年に創刊されたカストリ雑誌『りべらる』(太虚堂書房)から始まり、篠山紀信の“激写”が話題を呼んだ『GORO』(小学館)、有名女優の顔に水をかける表紙でおなじみだった『ザ・ベストマガジン』(KKベストセラーズ)、最盛期には39万部を売り上げた『デラべっぴん』(英知出版)など、時代を賑わしたエロ雑誌100冊の創刊号が年代ごとに紹介されている。創刊号の表紙だけでなく、カラー図版もかなり掲載されているのもうれしい。

エロ本文化は80年代に黄金期、90年代に多様化へ

 創刊順に並んだエロ雑誌100冊を俯瞰して眺めることで、いろんな再発見が楽しめる。映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』(18年)の主人公にもなった末井昭が編集長を務めた『写真時代』をはじめとする「白夜書房」系はサブカル色が濃く、AVメーカー「宇宙企画」の兄弟会社「英知出版」が創刊した『ビデオボーイ』や『ベッピン』は女性モデルのレベルが高く、ヌードグラビアへのこだわりが強かった。白夜書房と英知出版の成功に多くの出版社が続き、80年代にはエロ本文化は黄金期を迎える。

 さらに90年代には多様化していき、ブルセラブームを反映した『クリーム』(ミリオン出版)、コギャル文化をフィーチャーした『チョベリグ!!』(東京三世社)などが創刊。浣腸は使用せずに自然便にこだわったというアナル&スカトロ誌『お尻倶楽部』(三和出版)や世界唯一の痴漢雑誌『フィインガープレス』(笠倉出版)といったマニアックな雑誌も誕生した。だが、ゼロ年代以降はDVDが付録につくエロ雑誌が主流となり、誌面から次第に活気が失われていく。

 アダルトメディア研究家の肩書きを持ち、これまでにも『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』(ともに太田出版)などの著書もある安田氏に、本著に込めた思いを語ってもらった。

「コンビニから撤去される以前に、エロ本文化はすでに死んでいたと言えるでしょうね。コンビニで売っていたエロ雑誌は付録のDVDが本体で、雑誌はブックレット状態となっていました。付録のDVDもAVメーカーが撮った映像を流用したものばかり。編集部で独自にモデルを探し、撮り下ろすとお金も時間もかかるからです。自由度の高さがエロ本の魅力だったのに、その魅力をエロ本は放棄してしまった。

 でも、そんなエロ本に僕は中学時代から憧れ、ライターとなり、30誌ほどのエロ雑誌で仕事をしてきました。自分が関わったエロ雑誌たちの記録を残しておきたかった。これまでにAVや性風俗の歴史を振り返った書籍やエロ本の黄金時代だった80年代に焦点を絞った本はありましたが、日本でエロ雑誌が誕生し、衰退していくまでの全体像を追った内容のものはなかったので、自分がやることにしたんです。

 今回出版した『日本エロ本全史』は、都築響一さんの会員制メルマガで連載した『日本エロ雑誌創刊号コレクション』をベースにしていますが、そのときは私物のエロ雑誌の創刊号を紹介していたので、抜けていた重要な雑誌を古本屋やネットオークションで入手して、100冊そろえました。消えゆくエロ本を保護したい、全部は無理なので創刊号だけでも、という気持ちで集めたものです」

 安田さんがエロ雑誌でがっつりと仕事を始めたのは、1993年ごろから。バブルは崩壊していたが、エロ本業界はまだまだ元気だった。安田さんは多いときには20誌のエロ雑誌で連載を抱えていたという。当時の業界の内情はどのようなものだったのだろうか?

「エロ本の編集者というと、白夜書房の末井さんらごく一部だけが有名になっていますが、他にも名編集者たちはいました。でも、エロ本の編集者はあまり名前を出したがらないんです。雑誌のクレジットは変名にし、家族にも黙っていた編集者が多かったようです。『うちの出版社はエロ本も出しているけど、俺がつくっているのはネコの雑誌だ』とか家族に話していたそうです。

 エロ雑誌のライターというと滅茶苦茶な人間と思われがちですが、むしろ編集者のほうにヤバい人が多かった。突然、音信不通になって失踪する編集者がけっこういました。理由はよく分かりませんが、ふと何もかも嫌になってしまうのかもしれません。中には会社のお金を持ち出して消える人もいました。でも、しばらくするとその編集者は戻ってきて、何食わぬ顔をしてまた仕事をしているんです。かつてのエロ本業界はすごく牧歌的でしたね(笑)。

 当時、エロ本で仕事をしていた頃は、企画書なんて書いたことがありません。原稿はファックスで編集部に送っていましたが、図版などは編集部に届けに行っていたので、そのときに編集者とバカ話をして、それが次の企画に繋がっていった。僕は英知出版での仕事が多かったんですが、社内にいくつもの編集部があったので、他の編集部にも紹介してもらい、仕事が増えていったんです。エロ雑誌向けに書いた原稿で、編集部から修正を求められたことはなかったですね。送った原稿を編集者はちゃんと読んでいるのかなと疑問に感じることもありました。連載で以前書いたネタを忘れて、うっかりまた書いてしまったんですが、編集者はそのことに気づかず、そのまま雑誌に載ったこともあります(笑)。

 確かにエロ本は原稿料が安かったけど、企画で遊べたし、経費が使えるなどの自由度があった。小さい出版社だとあまり経費は使えませんでしたが、『スコラ』(スコラ社)とか売れている雑誌にその分の経費を回すなんてことも可能でした。今の出版業界ではありえないことが通用したのが、かつてのエロ本業界でしたね」

 興隆を極めたエロ雑誌業界だが、読者の高齢化が徐々に進んでいく。多くの雑誌が読者層に合わせて熟女ものに転身を図るも、部数はやがて低迷化。インターネットの普及も著しく、英知出版は2007年に倒産、白夜書房のエロ部門が分社化したコアマガジンはエロ漫画や実話誌が中心となった。全盛期には100万部以上の発行部数を誇った「ザ・ベストマガジン」も2011年に休刊し、KKベストセラーズはエロ本から撤退。エロ雑誌は次第に姿を消していく。出会い系サイトからの広告出稿によって、廉価なエロ雑誌がコンビニに並ぶ“出会い系バブル”がゼロ年代には起きたが、一時的なもので終わった。エロ雑誌業界で辣腕を振るった編集者やカメラマンたちの、その後も気になるところだ。

「エロ本が消え、出版社だけでなく、多くの編集プロダクションもなくなりました。編集者の中には別の部署や情報サイトなどに回された人もいますが、エロ雑誌で培ったノウハウを使うことができず、苦戦しているんじゃないでしょうか。AV業界でスチール撮りを続けているカメラマンもいるけれど、雑誌と違ってAVのジャケット撮影はプロデューサーの指示どおりに撮らなくてはいけないので、大変でしょうね。作家性が強く、面倒くさいカメラマンは使ってもらえない。仕事がなくなって、田舎に帰るカメラマンやライターが多いようです。そういう自分も仕事先をネットに移行しなくちゃいけないんですが、紙媒体への愛着があってそれができずにいます。それで今回みたいな手間ばかりかかる本をつくっているんです。

 エロ本がコンビニから撤去された件は、エロ本業界だけの問題ではありません。コンビニから雑誌売り場そのものが大きく減っています。雑誌全体の売り上げが落ちているという出版業界全体の問題でもあるんです。エロ雑誌文化が今後復活するとは思えませんが、英知出版が印刷所にうるさく言い続けたこともあって、日本のグラビアの印刷技術は向上したとも言われています。現在も巨乳専門誌として発行されている『バチェラー』(大亜出版)はグラビアの美しさが海外で高く評価されています。エロ本が日本の出版文化を支えていた側面もあるんじゃないでしょうか」

 戦後日本の出版文化を彩った100冊のエロ雑誌に宛てた100通のラブレターとも言える『日本エロ本全史』、ぜひ手に取ってみてほしい。

●安田理央(やすだ・りお)
1967年埼玉県出身。美学校考現学教室考現学卒業。雑誌編集、コピーライターを経て、フリーライターに。主な著書に『日本縦断フーゾクの旅』(二見書房)、『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたか』『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』(ともに太田出版)、『AV女優、のち』(角川新書)。共著に『エロの敵 今、アダルトメディアに起こりつつあること』(翔泳社)、『エロ本黄金時代』(河出書房新社)などがある。

累計5400万部、50年超黙殺されてきた創価学会・池田大作の『人間革命』本としての評価は?

――創価学会の池田大作名誉会長による『新・人間革命』が昨年完結を迎えた。同シリーズは毎年ベストセラーになることから、学会員ではなくともその存在は知られているが、この本の「物語」や「商品」としての出来はどんなものだったのだろうか?

『人間革命』は第二代会長・戸田城聖の激動の半生と、教団立ち上げまでを第三代会長・池田大作が書き上げた。

 出版取次大手の日販とトーハンが発表した、今年上半期のベストセラー本。昨年9月に他界した女優・樹木希林の『一切なりゆき』(文藝春秋)が両社のランキングで総合1位に、『樹木希林 120の遺言』(宝島社)も日販3位に入り、話題になった。

 一方、その陰に隠れている印象を受けるのが、両ランキングで総合2位にランクインした『新・人間革命 第30巻 下』(聖教新聞社)である。これは国内最大の新宗教団体「創価学会」の池田大作名誉会長が、「聖教新聞」で25年近くにわたり毎日連載していた日本史上「最長の新聞小説」の最終巻だ。

自己啓発本を50倍くらい濃くした読まれ方

 1965年元日号~93年まで「聖教新聞」に連載された『人間革命』は、戦時中に牢獄に入れられた第二代会長の戸田城聖が出獄するシーンから物語が始まり、戸田の死後、若き山本伸一(=池田大作)が創価学会の第三代会長に就任して広宣流布の使命を引き受けることで終わる。

「『人間革命』は創価学会の真実の歴史が描かれた物語としてだけではなく、若き山本伸一や周囲の会員たちの奮闘の姿を通して、自らの悩みや苦しみの解決策を読みとっていくという、自己啓発本を50倍くらい濃くした読まれ方がされています。自らの悩みをぶつけながら同書を読み、仏法という教えの一端を涙ながらに理解し、実践していく……。これは『身読』と呼ばれ、会員として推奨される読み方のひとつとされています」とは、現役の学会員。

 続編の『新・人間革命』は、会長に就任した山本がハワイに訪れて世界広布を開始するところから始まり、最終巻では長年対立してきた日蓮正宗の迫害から会員を守るために会長を辞任。その後、反転攻勢をかけて、日蓮正宗から破門されるが、それを「魂の独立」として捉え、青年たちに「創価三代の師弟の魂を受け継いでもらいたい」と訴えて、完結を迎える。

 同書は創価学会という組織の中で、どのような機能を果たしてきたのだろうか? 戦後日本の宗教史を専門とする創価大学名誉教授の中野毅氏は、こう語る。

「もともと『人間革命』は第二代会長の戸田が始めた連載小説のタイトルであり、さらに『人間革命』という言葉自体は、戦後最初の東京大学総長である南原繁が、卒業生へ祝辞などで使った言葉でした。南原は、戦後の日本は政治も社会も大きく変わる必要があるが、最も重要なのは日本国民の精神的変革であり、そのためには(キリスト教信仰に基づく)精神革命、『人間革命』が必要だと説きました。それに対して戸田は『キリスト教で真の人間革命はできず、日蓮の仏法でしか人間革命はできない。実際に自分はそのことを、身をもって体験した』という思いから、自身の小説のタイトルにしたようです。それを引き継いだのが池田第三代会長による『人間革命』『新・人間革命』です。同書は折伏(布教活動)などにも活用されてきましたが、いまや創価学会の中心的聖典となったとも言えます。特に『新・人間革命』は今を生きている一般の会員が会長と共に物語に登場して描かれることから、池田会長への信頼感や親近感、師弟不二の感情や使命感を高める『参加型の聖典形成』という重要な働きもあったと思います」

 他方で出版流通の側面から同書を見てみると、65年に第1巻がミリオンセラーになったのを皮切りに、書店では毎年、確実に大口で売れる商品として非常に魅力的な存在となっている。ある出版関係者はこう語る。

「『人間革命』はひとりの購入者が20~30冊注文することもあり、個人商店でも100~200冊近くは売れます。さらに大型書店は棚に揃えるために置くこともありますが、同書は通常の委託販売とは違って、買い切り【註:返品しないことを条件に仕入れる商品】扱いのため、消化率100%で『広辞苑』(岩波書店)の売れ方に近いですね」

『新・人間革命』は第三代会長・池田大作が広宣流布のために行ってきた海外での活動と、学会員たちの活躍を描いた生きる教典。

 それでは、肝心の物語としての出来はどうだったのだろうか? ドストエフスキーや宮沢賢治に関する著作の多い文芸評論家の清水正氏は、次のように評する。

「日蓮大聖人の教えを世界に向けて広宣流布していくうえで、池田氏や学会員が苦難を乗り越える過程が書かれていますが、小説の名を借りた布教のためのルポルタージュのようでもあり、いわゆる文学とは違いますね。ある意味で池田氏がかつて日本正学館【註:戸田城聖が経営していた出版社】に勤めていた頃に手がけた、子ども向けの偉人の伝記から一歩も出ていない。伝記に『この偉人は実は好色だった』などと書かないわけですが、同じように『人間革命』も『陽と陰』でいうところの『陽の側面』しか描かないんです。しかし、『陰の側面』という、その抑圧された問題こそが文学的には重要で、自己の問題として正面から向き合い、掘り下げないといけない。外部の問題として、他人のせいにしている限りは文学にはなり得ません。ドストエフスキーは善と悪、神と悪魔が永遠に決着のつかない戦いをしている姿を小説という形で描いている。しかし、『人間革命』にはそういったものは描かれていません。離反した幹部たちとの確執であったり、池田氏を殺そうとした人たち……。そういった事件や出来事を、自分の内部の問題として、ちゃんとえぐり出して小説の中に描いていれば文学になるんですよ」

『人間革命』は歴史小説と題して一般流通しているが、学会員の経典・布教用の出版物としても機能しているため、ネガティブなことは書けない。創価学会が世界的に発展するさまを描いた『新・人間革命』では池田氏の神格化がさらに進んで、いよいよ「陽の側面」ばかりが強調されている節もある。こうした点は学会内部で、どのように考えられているのか?

「『人間革命』『新・人間革命』は中心的な当事者である池田会長が書く創価学会の歴史であり、第三者が書いた歴史ではない。そのため、多くの学会員は『創価学会の正史』として受け止めていますが、同書にも書かれているように、むしろ創価学会の『精神の正史』です。また、『新・人間革命』が91年の日蓮正宗からの分離後に発刊されたことからも、この本は創価学会が日蓮仏教の正統な後継集団であることを証明し、池田氏の会長としての役割や判断を正当化する目的もあったと言えるでしょう」(中野氏)

 ところで、『新・人間革命』の物語が現在まで続かずに00年代で終わったということで、巷で噂されている池田氏の健康状態によるところなのかと勘ぐってしまうが、実は全30巻で完結することは連載当初から決まっていたことでもある。一方で、死活問題なのが、これまで同書を販売することで潤っていた出版業界だ。

「どの書店も今年の11月の前年比は、確実に下がります。月商1000万円の店舗で毎年200冊売り上げていた場合だと、おおよそで20万円、2%の影響です。そもそも、ひとつの書店で100冊以上売れる本というのは『ワンピース』(集英社)ぐらい。コミックでは『ワンピース』の刊行があるかないかで、前年比5~10%くらい変わることもありますが、『人間革命』が分類される社会・宗教ジャンルだと前年比50%を切る可能性もある。ということは、毎年11月に確実に発売されていた『人間革命』は『ワンピース』以上に安定していたのかもしれません。そのため聖教新聞社で、取次向けに行われた最終巻の説明会では、『新しい書籍もそのうち……』という話もあったらしいのですが、何か出してもらわないと先行きは不安ですね」(前出・出版関係者)

 独自の出版文化ができているようだが、『人間革命』と『新・人間革命』は文庫版・ワイド版を合わせ、18年時点で累計5400万部発行されてきた事実は確かだ。しかし、我々は『人間革命』を読み生きてきた数百万の人々のことを知らないまま、平成を終え、令和を迎えてしまった。

 沈黙のベストセラーがない、令和時代の出版業界と創価学会はこの先どうなるのだろうか。(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)

「パプリカ」でビートを取る1歳の息子に”神々しい……!” 30代サブカル男に父性が芽生えるまで

 イクメンという言葉はもはや陳腐化し、男性が育児参加するのは当たり前という風潮が高まるなか、多くの男性を悩ますひとつのトピックスがある。それは、「父性が芽生えるのは一体いつなのか?」問題だ。

 日に日に膨らんでいくパートナーのおなか、ホルモンバランスの乱れによる理不尽をさんざん浴びせられ、「おれ、本当に父親になれるのか?」と不安におののく男性も少なくないだろう。

 そんなギモンに答えてくれる情報は、ググっても出てこない。だったら自分で書いてみよう、というのが、8月中旬に上梓された『こうしておれは父になる(のか)』(イースト・プレス)だ。著者は、ネット上では知る人ぞ知る有名人、本人(@biftech)氏。ライブ鑑賞が趣味で、大のネット好きの30代後半の男性が、パートナーの妊娠発覚から子どもが1歳になるまでの約20カ月を実況レポートしたエッセイ本だ。Cakesの人気連載に「妊娠編」を加え、パワーアップ。果たして彼は、どのようにして父親になったのだろうか?

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――そもそもこの本は、2018年の文学フリマで発売された同人誌「チャーミーグリーンに挑む」が元になっているんですよね?

本人 はい。当時、交際2カ月だった妻から妊娠を告げられ、これはすごいことになったなと。ライブレポートやTwitter実況など、体験したことを文章にするというのは日常的にやっていたので、記録しない手はないなと思いまして。ただ、これまでにないほど大きなトピックスだし、長いプロジェクトだと思ったので、日々少しずつネット上で出すというよりは、同人誌として一冊にまとめて出したほうがいいだろうなって。

 で、満を持して文フリに初参加したところ、たまたま隣のブースが作家の小林エリカさんだったんです。お手伝いに来ていた担当編集さんが1冊購入してくれたんですが、その場で「連載にしましょう!」と口説かれまして……。

担当編集 僕もサブカル寄りの人間なんで、サブカルの人間がどう社会に適合していくのか興味があったんですよ。

本人 (笑)。同人誌は妊娠編だけでしたが、出産後のことも書こうと思っていたので、「ぜひお願いします」と引き受けました。

――2018年8月にcakesで連載がスタートし、隔週でアップされていましたが、ただでさえ仕事に育児にと忙しい中、コラムを書いている夫に対して、奥さんから不満の声はなかったですか?

本人 ありましたね……。妻の体とかメンタルの変化についても赤裸々に書いてましたし。アップ前に読んでもらうようにしていましたが、朝までカタカタやってたり自分がスポットライト浴びてるところばかり書いたりしてるのは、やはりどうなんだと。本ができた今は「記録が残せてよかったね」ということになったんですが。

――読者からの反応は?

本人 もともとは僕と同じような男性に向けて、“同じ轍を踏んでくれるなよ”という気持ちで書いていたんですが、フタを開けてみると、わりと新米ママたちから「そうか、男性側はこういう気持ちなんだ」とか「パパも大変なんだね」という声があって「そっちもか!」と思いました。

――これまで趣味最優先だった独身男性が、いきなり育児モードになれるものですか?

本人 結婚前はGoogleカレンダーに気になったライブの予定とかをビッシリ書き込んでいたんですが、今は娯楽カレンダーは真っ白で、会社の予定、夫婦の予定、子どもの予定で埋まってる。人って変わるんだと思いました(笑)。

――フラストレーションはたまりませんか?

本人 「あのバンド今日ライブするんだ?! 当日券でライブ行こ!」ってのができないから、不満はたまらないわけではないんですが、その代わり新たに加わった育児で得られる刺激にグッときてますね。最近だと、音楽に対する興味が出てきていて、(Foorinの)「パプリカ」が流れると踊りだしたり。アリーナ席で、「1歳なのにビート取ってる!」っていうのを見てる感覚ですからね。神々しいって。

――(笑)。

本人 あと、ユニットの新メンバーみたいな感覚もあるんですよ。これまで、おれ、妻、たまに猫だったところに子どもが加入したような。相互作用というかユニット単位で高め合うというか、新章を迎えた感じが楽しいですね。

――そもそも、子どもは好きだったんですか?

本人 好き嫌いでいったら、好きではないほうでした。電車とかでワーキャー言ってるのを見て、それこそネットでよく話題になる、ひどいこと言っちゃうおじさんのような心境になることもあったし。そもそも得体の知れない生き物っていう見方をしていました。

――この本は「自分に父性が芽生えるのか」というのがテーマになっていますが、デキちゃった婚ではなく、結婚→妊娠という順番だったら、そういった焦りは生まれなかったものなのでしょうか?

本人 僕個人でいえば、順番が変わったからって、父性の芽生えの時期は変わらなかったと思いますね。実物を見るという体験をもって初めて気づかされたことってやっぱり多かったし、生まれる前にいろいろなエッセイとか子育て本を読みあさったんですが、自分の心自体は、そこまで変わらなかったですからね。何か書くときは基本「見たものじゃないとソースにしちゃいけない」って考え方でやってるんですけど、子どもに対しても同じなんだなと。

――「子どもができた!」「生まれた!」という喜びと、父性は違うものなんですか?

本人 最初に妊娠を告げられたときは、「いよいよ自分にもこのトピックが降りかかってきたか」が50%、「はえーな」が50%でしたね(笑)。子どもが生まれた瞬間は「子どもすげー」が50%、「妻、最高にえらいし、本当にかわいい」が50%。正直、産後しばらくは子どもというより、妻への愛情のほうが強かったですね。でも、生後2カ月くらいの時に、初めて僕の言動に対して子どもが笑い返してくれて。「自分には父性がないんじゃないか」と少し焦っていた時期だったんで、子どもへの愛おしさと安堵感が爆発して涙が止まりませんでした。

――確かに、特に前半は奥さんへの愛がにじみ出てますね(笑)。「妻に認めてもらいたいから頑張る」みたいな。

本人 ならよかった(笑)。妻にしろ子どもにしろ、育児ってコミュニケーションの入門みたいなところがありますよね。これまで、こんなに至近距離で人と接し続けることなんてなかったし、やっぱり家族ユニットとしてのバイブスを高めていくというところからスタートしてるんで、そういうふうに感じられるのかもしれません。

――やはり育休を取ったというのが大きかったんですか?

本人 それもありますね。産後、2週間ほどで育休に入ったんですが、一つ屋根の下で3人と1匹だけで生活していくという経験は大きかったです。日中は2人がかりで家事育児をやって、夜中のミルクは当番制でした。

――大変でしたか?

本人 外に遊びに行く余裕はなかったですけど、代わりに宅配食材のサンプルを取り寄せまくったり、メルカリで不用品を数万円に換えたりはしました(笑)。まあ最初こそ、「育児、途方もない……」って感じでしたが、一連のルーティーンができると、一人でやっているより格段に楽だったと思いますね。あの時期は揉めたりもなかったから、なんだかんだ2人でシェアできてるという実感がありましたし。夫婦で揉める時って、どっちかが睡眠不足か、キャパがオーバーしてるかのどっちかですからね。

――実際のタスクの分担以外に、育休のメリットってどんなところですか?

本人 フタを開けてみたら実はこうだったんだ、というのを当事者として体験できたということでしょうか。現場を見ないまま日中に家でどういうことが起きているのか理解するのは、やっぱり難しいと思うんですよ。そういう意味で、体験すると頭の片隅にずっと残りますからね。出産前の両親学級でシミュレーションとか、そういう話じゃないんですよね(苦笑)。

――人形相手の沐浴体験やオムツ替えと現実は違う(笑)。

本人 それに、育休中の妻が言ってた「世間から切り離される疎外感」とか「アウトプットできない悲しさ」の一端も味わえたと思います。家の中がすべてになってしまうから、久々にコンビニへ出かけて季節の移り変わりを知ったり。子どもの世話をするのは当然だけど、やっぱり自分を犠牲にしなきゃいけない部分もあるなって。

――24時間、緊張感と責任感で押しつぶされそうになるっていいますからね。

本人 逃げられないし、誰かに相談するにしても、この案件って人それぞれすぎますからね。ほんと、世の中のお母さんたちおつかれさまです……! あと、今回あらためて思ったのは、父親側の意見も全然違うなって。「子どもかわいい」ってところでは共通していても、得意不得意も違うし、仕事の関わり方も周りの理解も違うから、これを共有する、わかってもらうというのも、かなり大変なことだと思いましたね。

――育児に関わりたくてもどうか関わっていいのかわからない、という男性は少なくないのかもしれないですね。

本人 父親といえば大黒柱的なイメージがこれまでずっとありましたけど、実際はもっとヘタレだし、自分の頼りなさは一人の人間の命を扱う上ではすげえ欠点だなって思いましたね。だから、そういったダメなところも含めて、育児の敷居を下げたいと思ってこの本を書いたわけです。

――運よく育休を取れたとしても、パタハラに遭って退社を余儀なくされた、なんて話も聞きますが、本人さんが職場復帰するにあたって、トラブルとかはなかったんですか?

本人 勤務先はすごく理解があって、社長も育児経験者だし、女性に限らず全社員育休取ってなんぼでしょ、みたいなスタンスなんですよ。だから、特にトラブルはなかったと思います。ただ、やっぱり復帰した直後はいろいろバタバタして、何かひとつに本腰を入れると、マルチには回せないっていうのを痛感しました。仕事はどんどんたまっていくけど、家に帰って子どもをお風呂に入れなきゃいけないとか。ユニットのバイブスをよくするためにやってるはずが、単なる義務感にさいなまれる日もありましたね。

――振り返ってみて、一番つらかったのはその時期ですか?

本人 そうですね、子どもが寝返りを覚えて、仕事が忙しくなってきて、妻もフラストレーションがたまってきて、それが積み重なったのが生後3~5カ月あたりですかね。2週間に一度くらいのペースで夫婦間が荒れてました(笑)。

――育児にも関わりたいけど、仕事もしなきゃいけない。そして家庭は不協和音……。そんな状況を、どうやって打破したんですか?

本人 Excelで家事育児タスクをすべて書き出して、再分担したんです。いわゆる“見える化”をしないと全体像もわからないし、その作業の中で何げないことが相手にとって負担だったってわかったんですよね。たとえば、僕の連れ子である猫のエサやりとか。当然、仕事に関する項目はないので、「おれはこんなにやってない」を可視化する儀式のような気がして、最初はなかなか進まなかったんですが(笑)。

――家事や育児は、不公平感で揉めることが多いですよね。

本人 でも、家事分担って、ボリュームだけで言い切れるものじゃないなって。自分はフルタイムで責任のある仕事をやってるけど、毎月生理痛とかないし、社会にコミットできない育休中のフラストレーションっていうのは解消しようがないものだなと。難しいですよね。だから、互いに何かしら不満はあるだろうなっていうところに落ち着きますね。

――これから新米パパになる人に向けて、何かアドバイスはありますか?

本人 体力と睡眠を確保するための準備を全力でやろう! ですかね。バジェットか協力要請かアイデアで余裕を勝ち取るっていう。

――具体的には?

本人 白物家電は財布と相談しながらアップグレードさせていったほうがいいし、育児グッズに関しても、新生児期は電動で動くベッドをレンタルしたんですが、それで寝かしつけの時間が短縮できたり。あと、職場では周囲に配慮を要請するってことですかね。「この時間は絶対会議を入れんなよ」とか。結局、トラブルの多くはお互いのキャパオーバーから来ていたので、余裕こそすべてだと思うんですよね。だから、自治体や企業のベビーシッターサービスに登録しておくとか、何か気分転換になる趣味を見つけておくとか、心のケータリングみたいなものを隙あらば選別しておくのは、パパだろうがママだろうが、絶対にやっておくべきことだと思います。

――現在、お子さんは1歳半になり、奥さまも仕事復帰されてますます大変そうですが、続編が楽しみです。

本人 実は今、妻が第二子妊娠中でして……。

――それはおめでとうございます! 2人目は、すんなり父性が芽生えそうですか?

本人 前回同様の、ものすごいやつが確実に来る! 気がする! くらいの感じですね(笑)。少なくとも、前回やらかした失敗は二度とやらねえぞって気持ちです。やっぱり、パートナーのこと、よくわかってなかったなって。妻というか、女性の体のこと、体と心境の変化かな。今度はうまいことやってくれよな、おれ、って感じですね(笑)。

(取材・文=編集部)

LGBTペンギンを棚から外せ! 米国で禁書扱いされる創作童話・児童文学

――前記事では海外での童話の規制事情を紹介してきたが、実は創作童話や児童文学の締め付けも厳しいみたいで……。

 何百年も前の童話の中には今の価値観だと許されないような表現や描写もあるだろう。その結果、前記事でも紹介したような排除運動が起きているわけだが、憂き目にあっているのは童話だけではない。

 米国では図書館や学校に対して行政ではなく、保護者がクレームを申し立て、特定の地域だけで禁書にされた創作童話や児童文学がある。わかりやすいのは、人種差別的だという『ハックルベリー・フィンの冒険』や、反キリスト教的だとしてやり玉に挙げられていた『ハリー・ポッター』シリーズだろう。一方で、イマイチよくわからない理由で禁書に指定された本もある。

 例えばディズニー映画でもおなじみの『クマのプーさん』は06年にカンザス州の一部地域において「動物が人間の言葉を話すという表現は神への侮辱」という理由で、禁書になっている。また、カンザスつながりでいえば『オズの魔法使い』は「子どもに無利益であり、子どもを臆病にさせる」という理由で、シカゴやテネシーなどの図書館や学校で禁止されたこともある。

 さらに、ニューヨークの動物園で赤ちゃんペンギンを育てる2羽の雄ペンギンの実話を描いた『タンタンタンゴはパパふたり』(日本語版・ポッド出版)という絵本は、05年の出版以降、多くの保守的な地域で「LGBTQIA+コンテンツだから」という理由で禁書となった。ちなみに、シンガポールでは14年に国立図書館で破棄処分されている。

 そして昨年も同じような理由で、『にじいろのしあわせ~マーロン・ブンドのあるいちにち~』など、LGBT理解と個性の尊重を訴える児童書や絵本が何冊も禁書扱いされた。「宗教」や「教育」という名目なのかもしれないが、大人の思惑で子どもたちから本を取り上げていいのだろうか。

――学校や図書館から童話を取り上げる動きはスペインに限ったことではない。ここでは各地で行われている童話の追放運動を見ていこう。

●ディズニー版ですらNGなの?

カタール

2016年、SEKインターナショナル・スクール・カタールという私立学校に通う生徒の保護者が、学校の図書館に置いてあったディズニー版『白雪姫』は「性的な描写を連想させ、イラストや文章が教育上好ましくない」という理由(どのシーンかは不明)で、カタール最高教育審議会(SEC)にクレームを申し立て、SECは学校側に本を撤去するように命じた。「The Guardian」紙によると、性的、もしくは品位を欠くという理由で、コンテンツに検閲が入ることはカタールでは珍しくないという。


●「相手の同意なしのキス」は有害

イギリス
 

2017年、ニューカッスルの学校に通う息子が借りてきた『いばら姫』を現代版に描いた児童文学を見た保護者が、同書で描かれている「眠っていて意思表示ができない女性にキスをするという行為は、『相手の同意なしに性的行為に及ぶ』というレイプの根本的問題と重なる」として、学校の教材から外すべきだと主張。ツイッターでも問題のページを開いた写真と「#MeToo」のハッシュタグを用いて問題提起したが、彼女のクレームに対しては多くの反対意見が上がった。


●行政が主導して童話を排除?

オーストラリア 

2017年、メルボルンがあるビクトリア州政府は、学校や幼児教育にジェンダーバイアスを見直す教育プログラムの一環として、教室内にあるおもちゃや絵本の中に、男女のステレオタイプを助長するようなものがあれば排除すると、一部報道で伝えられた。このプログラムが実行されることで『シンデレラ』、『美女と野獣』、『ラプンツェル』などの童話が教室から撤去されると問題視されたが、州政府は「童話を締め出すことはあり得ない」と説明した。


●そもそも禁書が多すぎる!

米国各地 

上のコラムでもいくつか紹介しているが、米国では図書館に対して、「この本を置くな」と市民団体からクレームが寄せられたり、学校が指定する課題図書にも「こんな本を子どもに読ませるな」と保護者が噛みつくことがあり、これまでに数多くの本が禁書扱いされてきた。童話もご多分に漏れず、90年にはカリフォルニア州の2つの校区で『赤ずきん』の「子どもなのにワインを持っている」イラストが問題視されて禁書となった。(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)

祝・三陸鉄道リアス線開業! 経営難続くローカル鉄道の真実とは?『絶滅危惧鉄道2019 』

 第三セクターという言葉をご存じだろうか? 国や地方公共団体(第一セクター)と、民間企業(第二セクター)が共同出資して設立した法人を指す語で、鉄道以外にも上下水道などの公共性の強い事業や、地域振興・観光開発などを目的として、全国にあまたの第三セクター会社が存在している。自治体が直接運営するよりも、民間的な発想での経営が可能で、同時に自治体が出資者となることにより、公共性も担保できるというシステムだ。国鉄再建法が成立し、国鉄がJRへと民営化された80年代以降、多くの第三セクター鉄道が全国各地に誕生した。

 第三セクターの定義に基づくと、ゆりかもめやりんかい線、つくばエクスプレスなども第三セクター鉄道に含まれるが、一般に第三セクター鉄道という場合、主として旧国鉄の赤字路線を引き継いで運営している路線を指す。『絶滅危惧鉄道2019』(イカロス出版)は、存続の危ぶまれる各地の三セク鉄道に迫ったムック本だ。2019年4月1日をもって廃止となった夕張線(石勝線夕張支線)をはじめ、ムーミン列車など観光路線施策が成功したいすみ鉄道、中国山地を貫く特急を運行し、黒字を上げ続けている三セク鉄道の優良児智頭急行など、全国津々浦々、さまざまな事情を抱えた三セク鉄道を網羅し、一挙に紹介している。法改正や社会背景にも触れられ、三セク鉄道を通して世の中の動向を知ることができる良書だ。

 中でも、震災から8年の時を経て新たに開業した三陸鉄道リアス線は特集ページで大きく取り上げられている。東日本大震災以来、長らく不通となっていたJR東日本山田線の宮古駅~釜石駅間が19年3月23日に復旧され、三陸鉄道の南リアス線・北リアス線と統合し、JRから三陸鉄道に移管して運行が再開された。三陸海岸を縦貫する盛駅~久慈駅間の総距離は163kmと、三セク鉄道では日本一の長さを誇る。終点の久慈駅はNHK連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台として有名で、今も多くの観光客が訪れるという。

 震災の残した爪痕は深く、特に岩手県沿岸部は甚大な被害を受けた。上閉伊郡(かみへいぐん)の大槌駅は駅舎ごと津波に流され、同2月に新駅舎が竣工するまで完全な復旧がかわなかった。ターミナルの盛駅とJR大船渡線を接続する鉄路は、現在も途切れたままとなっている。そんな中、被災地の希望の光となったのが“震災復興列車”だ。三陸鉄道北リアス線は、震災からわずか5日後の2011年3月16日、久慈~陸中野田間の運転を再開。3月いっぱいは運賃を取らない無料運行を行った。

 三陸鉄道旅客営業部副部長の冨手淳さんは「あの復興列車がなかったら、三陸鉄道はずっと不通のままだったかもしれない。そうなると、そのまま廃止という話も出たことも考えられる。まさに復興に続く第一歩だったですね」(本書P29)と当時を振り返る。災害時の英断が、地域と路線の危機を救ったのだ。

 観光客誘致合戦を繰り広げる都市近郊の路線。接続改良により利便性が増し、黒字化に成功した路線。経営破綻し、廃止を待つばかりのローカル線。三陸鉄道のほかにも、絶滅が危惧される三セク鉄道はたくさんある。時代の流れとはいえ、草むす隘路を抜け、海辺の崖っぷちを走るローカル鉄道がなくなるのはあまりに寂しい。民営化により、競争の波にさらされた三セク鉄道の奮闘ぶりを応援したい。

(文=平野遼)

現代女子の目はなぜ異常なほど大きいのか? “盛る”女子たちの美意識の謎に迫った『盛りの誕生』

 90年代半ばの渋谷は、子ども心に少し怖い場所だった。世はコギャル全盛期で、ハイティーンのお姉さんたちが派手なメイクにルーズソックス姿で渋谷の街を闊歩していた。インターネットもまだほとんど普及していない時代で、「センター街を歩くとチーマーにカツアゲされる」「センター街のマクドナルドでポテトをつまんでいる女子高生は援助交際待ち」などと、根も葉もないウワサを信じていたものだ。コギャルブームの後も、“ガングロ”“ヤマンバ”“キグルミン”など、奇抜なメイクやファッションの流行は続いた。平成不況の折、世間には暗いムードが漂っていたが、渋谷は混沌として、活気にあふれていた。

 明らかに一般ウケ・男ウケしないメイクを、どうして彼女たちは好んでいたのだろうか。『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』(太田出版)は、メディア環境学者の久保友香氏が、地顔や写真に過剰な粉飾を施す現代女子の“盛り”についての考察をまとめた文化史の本だ。90年代半ばの「コギャルとプリクラの誕生」から、「ガラケー時代の盛りブログ」「デカ目加工された新世代プリクラ」「つけまつげの変遷」「カラーコンタクトの諸事情」「現代のスマホによる自撮り」「インスタ映え」「韓流オルチャンメイク」まで、それぞれの当事者にインタビュー取材を行い、“盛り”の誕生から25年の歴史をたどって、不可解な“盛り”の謎に迫っている。

 メイクの流行はテクノロジーの進歩によって変わっていく。「技術が変われば、女の子たちが目指す顔も変わる」「技術が女の子の目指す顔の基準を作っている」と久保氏は語っている。江戸時代以前は、白粉など白い化粧道具で目を細く見せることが目指されていたが、大正時代以降、アイシャドウの輸入により、目を大きく見せる化粧が流行し定着した。70年代、シンセサイザーの登場により、テクノミュージックが流行し、そのままジャンルとして確立したようなものだろうか。デジタル技術環境が発展すれば、極端なデカ目を目指す女の子が増えるのも自然なことなのだ。

 ではなぜ、女の子たちは “盛る”のか。本書では以下のように考察している。

「少し間を置いてから、彼女はこう答えた。「自分らしくあるため」私は驚いた。(中略)自然のままの人間の顔には多様性があるが、人工的に加工した顔は均一化する。「盛り」は自分らしさを消す行為だと考えていた。それなのに、彼女の「盛り」は自分らしさのために行っていると言う。私はその後、何人もの女の子に同じ質問をしたのだが、最終的に出てくるのは「自分らしさ」や「個性」という言葉だった。(略)日本の女の子たちの中には、最初から個性を表現するのではなく、まずは型を「守」り、それができたら「破」って個性を表し、それが真似されたら「離」れて新しい型を作ることができるという「守破離」の美意識がある。2000年代のデカ目にもそれが表れていたのだ。彼女たちが言う「個性」とは、最初から表す個性ではなく、コミュニティで共有するデカ目という「型」を守った上で表す個性。絶対的な個性ではなく、相対的な個性だったのだ」(本書P203-210)

 久保氏は、“盛り”が形成する女の子のコミュニティを、より重要視して語っている。個人主義の西洋では「コミュニティで作る個性」という概念がなかったが、インスタグラムなどSNSの普及により、コミュニティ主義に変化しているという。95年ごろからプリクラコミュニティを形成していた日本の女の子たちは、かなり先進的だったのだ。この“盛り”コミュニティの変遷についても、時代を追って詳しく述べられているので、興味がある方はぜひ読んでみてほしい。

 本書が他の社会学的アプローチの本と一線を画すのは、「女子がデカ目を目指すのは、日本人の西洋コンプレックスに起因している」などといった説教くさい論調と無縁な点にある。久保氏は女の子の“盛り”に概して肯定的で、“盛り”を楽しむ彼女たちの生き方を応援している。氏は最終章「オルチャン盛り」の項を次のように締めくくっている。、

「竹島? 私たちがオルチャンメイクをすることと、領土の話と、なんの関係があるの?」(本書P336)

 かつてシンディ・ローパーは「Girls just wanna have fun(女の子は楽しみたいだけ)」で鮮烈なデビューを果たし、日本のガールズバンド・プリンセスプリンセスは「好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ」(Diamonds)と歌い、大ヒットを記録した。女の子たちの生を謳歌するパワーに、今さらながら我々男性も見習うべきところがあるのではないだろうか。楽しむことに、国境も国籍も関係ないのだ。
(文=平野遼)

●久保友香(くぼ・ゆか)
1978年、東京都生まれ。2000年、慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科卒業。2006年、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了。博士(環境学)。専門は、メディア環境学。東京大学先端科学技術研究センター特任助教、東京工科大学メディア学部講師、東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員など歴任。日本の視覚文化の工学的な分析や、シンデレラテクノロジーの研究に従事。2008年「3DCGによる浮世絵構図への変換法」でFIT船井シストペーパー賞受賞。2015年「シンデレラテクノロジー」のための、自撮り画像解析による、女性間視覚コミュニケーションの解明」が総務省による独創的な人向け特別枠「異能(Inno) vation」プログラムに採択。

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