ユーモア、皮肉、哀愁…現代ヤクザの「ナマの姿」に我々が興味を惹かれるワケ

 8月25日、サイゾーから『令和ヤクザ解体新書 極道記者が忘れえぬ28人の証言』が上梓される。著者は20数年、実話誌業界でヤクザを取材してきた佐々木拓朗氏だ。同氏は、これまでのヤク…

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金もうけのためにマスコミに身内を殺され、自己責任扱いされる日本人

※本記事は『灘校物語』(小社刊)の出版を記念して、「まぐまぐ!」にて11月16日に配信された「和田秀樹の『テレビでもラジオでも言えないわたしの本音』」(https://www.mag2.com/m/0001686028.html)を加筆修正し、再掲載したものです。

◇ ◇ ◇

 総理主催の「桜を見る会」への招待が世を騒がせているし、その中止がさらに話題になっている。

 実は麻生太郎氏が首相の頃だから、2009年の春に、これに呼ばれたことがある。

 当時は今よりもっとおめでたい人間だったし、自分もやっと世に認められる人間になったのかと勘違いして、のこのことかけつけた。

 食事も予想外にしょぼいし、麻生氏と面識がなかったこともあって、まったく声をかけられることがなかった。

 後で聞くと、とある官僚が推薦してくれて呼ばれることになったという。

 食べ物のしょぼさ(これは予期していた)より、もっとがっかりしていたのはそのメンツだ。

 多少、芸能人やスポーツ選手も呼ばれていたが、特別枠のようで、その人たちが集まる場所があった。

 むしろ、田舎からきた県会議員とか村会議員とか、一介の自民党員がごそごそと来て、私も何人かそういう人から声をかけられた。

 当時は、多少の選民意識もあったので、正直なところちょっとがっかりした。

 内閣府からの招待だから、国の金の集まりなのに、自民党の支持者の接待になっているのはいかがなものかと多少の疑問は当時の私でも感じたものだ。

 桜を見る会のセキュリティチェックの甘さも問題になっている。総理が間近にいる会なのに、事実上ノーチェックだったようだ。

 実際、私のときもチェックを受けた記憶はない。

 招待客の皆様に不快な思いをさせたくないという配慮なのか、呼ばれた客を考えると絶対にテロ的なことは起きないという読みなのかはわからない。

 後者だとすれば、政府に批判的な人は呼ばないということだから、それを国の金でやるのは、公職選挙法の精神にもとる。

 確かに、選挙で政権政党が勝つことで、その選挙区に利益誘導といえるような公共事業がなされることはあった。

 しかし、選挙というのは選挙民に有利な政治をやってもらうためのツールとも言えるので、これを問題にするつもりはない。

 選挙で勝って、政権をとったら、支持者を国の金で接待するというのは、民主主義の国では許されないことだ。

 テレビのコメンテーターが、政治家が接待するのは法に触れるが、国の金で接待するのは法に触れないのがおかしいと論じていたが、そんなことは先進国ではありえないのが前提だ。自民党は憲法改正を求めているが、正直に、我が国には民主主義は合わないので、この手の規制のない封建制だの、王政に戻す憲法改正案を出せばどうだろう。

 日本人はマゾだから、意外に票が集まるかもしれない。

 ここしばらくの天皇陛下の即位にまつわる儀式でも感じることだが、この手の儀式の招待客がどういう基準で選ばれるのかが曖昧なのに、選ばれたものは選民意識をもつことは確かだ。

 私自身も恥ずかしながら10年前はそうだった。

 芸能人であれ、スポーツ選手であれ、作家であれ、それに呼ばれた人間は一流だと思うだろうし、人によっては、選ばれなかった人間に勝ったとか、そいつらのほうを下に見ることだろう。

 選ばれなかった人間にしても、私のように僻みっぽい人間は、自分はどうせ二流と感じるかもしれない。

 こういう形で、選ばれたものとそうでないものを分断するのは、どうしても好きになれない。

 園遊会もそうだが、おそらく官僚に気に入られた人間とか、政権与党に気に入られた人間が選ばれるのだろう。

 共産党やN国の議員が選ばれるとは思えない。

 スポーツや文化に功績があった人というのも、世界記録を出したとか、金メダルを取ったとか、わかりやすい基準があればいいが、そういう人でない人も選ばれている。

 ある程度、基準を明確にして、残りについては、たとえば財界人などは、誰を呼ぶかの基準が曖昧なら、いっそ高額納税者を上から1000人呼ぶとかしてはどうなのだろうか?

 明らかに国に貢献しているし、それをすれば脱税していた人が呼ばれたいばかりに経費を計上しなくても、自分の所得を多めに申告するようになるかもしれない。

 兆単位の税収増になることはあり得るし、これなら多少そういう会に金をかけても誰も文句を言わない。

 この手の皇室とか首相主催の集まりというのに呼ばれた人間は、より天皇陛下や首相のことを好きになることは間違いない。

 会ってみたら嫌なヤツとは思われない程度には儀礼を尽くすから感激する人のほうが普通だろう。

 陛下に関してはそれでいいのかもしれないが、首相が支持者を増やすために国の金を使うのは、やはり好きになれない。

 まだブッチホン(内閣総理大臣だった小渕恵三が著名人にかけた電話のこと。小渕の「渕」のテレフォンをかけ合わせた造語)のほうがましだ。

 さて、セキュリティの甘さの話に戻るが、実際、日本の警察はテロなど起こるものではないと思っているから、首相がそばに来るような会でろくに荷物の検査をやらないのだろう。

 ならば、今回の即位にまつわる行事での大げさな警備はなんだったのだろうか?

 今回は、見えるところは私服で警備をしていたようだが、交通規制では制服を着た警察官が一般市民を蹴散らすようにやっていた。

 大した警備をしなくても、テロなど起こらないのがわかっていて、自分たちが「やっています」と見えるために警備をしているなら市民には大きな迷惑だし、渋滞を作ることは地球環境に悪い。

 あるいは、警察には逆らえないぞというのを示すための行事ならなお性質が悪い。

 桜を見る会のようにすなおに市民を信用して、鍛えられたSPだけで警備をするほうが、よほどすなおに祝福できる。

 さて、東池袋の自動車暴走死傷事故で加害者が書類送検されたということでマスコミが騒いでいる。

 確かに若い母親と幼い子供が死に、10人が負傷した痛ましい事故だ。

 加害者はマスコミでぼろくそに叩かれ、被害者は厳罰を求める署名活動を始め、マスコミは全面的に味方している。

 結果を見たら仕方のないことだ。

 ただ、いっぽうで、確実に言えることは、この加害者のほかに交通事故の加害者は年間3,000人以上いるし、被害者は3,500人以上いるということだ。

 スマホをいじりながらとか、あおり運転まがいの危ない運転をして、人を撥ね殺したのに、飲酒をしていなかったり、高齢でなければ、マスコミは取り上げない。

 被害者だって、残りの3,500人の中には、「なぜ、うちの子も死んだのにマスコミは取り上げてくれないのだ」と、その映像をみて不快に思っている人もいるだろう。

「高齢者や飲酒運転の車に撥ね殺されたほうが、マスコミを通じて世間が同情してくれるだけはるかにまし」と思う被害者だっていないとは限らない。

 毎日、10件も交通事故の死亡者が出ているのに、マスコミがいろいろなことを煽りやすいものだけを重点的に取り上げる。

 それによって飲酒運転バッシングが起こったわけだが、そのきっかけになった東名の姉妹を撥ね殺した飲酒死亡事故の場合、ウィスキー1瓶とチューハイ1缶を飲んでいた。

 3人の子どもが犠牲になった福岡の飲酒死亡事故でも、運転者を含む3人で生ビールのジョッキを4杯、焼酎のボトル1本を空けたあと、スナックでブランデーの水割りを飲んだ後の事故であることがあきらかになっている。

 両者とも、あきらかに泥酔運転であり、酒気帯びレベルの運転ではない。

 しかし、警察は、日本人の程度を考えず、二分割思考(酒を一滴でも飲んだか、飲まないか)の特性を考えて、ビール一杯飲んだくらいで免許を取り上げる厳罰化を始めた。

 それによって、地方の飲食店はバタバタとつぶれ、跡地には警察の天下り先のパチンコ屋ができているという話を何人もの地方出身者から聞いた。

 アメリカでもフランスでも、食事のときに飲む酒では事実上つかまえない(ニューヨークは厳しいらしいが)。

 しかし、マスコミはスマホのながら運転の事故はまず報道しない。

 自分たちはタクシーチケットがあるから飲酒運転の心配はないが、スマホ運転が厳罰化されたら、わが身にふりかかるからと思えてならない。(※編注:このメルマガが出た時点では、スマホ運転の厳罰化は施行されていなかった)

 さて、交通事故の犠牲者でもマスコミにまったく取り上げられない気の毒な人がいるが、それでも近所の人は同情してくれるだろう。

 しかし、それ以上に、マスコミの人に殺された人たちは、自己責任の扱いを受ける。

 たとえば、「セブンティーン」(集英社)という雑誌は、まだ判断力が未成熟な10代半ばの少女を読者対象にしているのに、BMIが15を切るようなモデルをトップモデルに起用したりしている。

 それに憧れて、拒食症になった人はおそらく数多くいるだろう。

 毎年、約100人が拒食症で死んでいる。

 そういう雑誌が痩せすぎモデルと追放すれば、せめてティーンが読む雑誌だけでも追放すれば、半分くらいに減るはずだ。

 実際、世界的に見ても、拒食症が出現したのはツィギー以降であり、それゆえ、とくにヨーロッパでは痩せすぎモデルは追放され、それを使った雑誌やテレビは罰金を支払わないといけない。

 しかし、自分の子が、判断力のない中学生でも、痩せすぎモデルに憧れて、拒食症になって死んでも、自己責任の扱いを受ける。

 死ななかったとしても、思春期に過度のダイエットを行うと、子宮や脳の発育に大きな悪影響を及ぼすとされている。一生赤ちゃんを産めない体にされる女性が年間1万人は出ているだろう。軽度の知的障害になって、ろくな働き口がなくても自己責任の扱いだ。

 欧米だと、雑誌やテレビが断罪されるのに。

 毎年、100人もの命をうばっておいて、この老人を叩く資格があるのだろうか?

 WHOが再三にわたって、アルコール依存者を増やし、アルコール関連死を増やすからと、飲酒シーンを含む広告をやらないように勧奨しているのに、日本のテレビは自分たちの年収1,500万円を守るために、アルコールの飲酒シーンの広告はやめない。

 日本のアルコール関連死は5万人というのに。

 パチンコにしても200万人が依存症になり、それがらみの自殺は年に1,000人は出ているとされる。高齢者が起こす死亡事故より多いし、飲酒死亡事故の4倍もの数だ。

 それでも金もうけのための広告はテレビ局はやめない。

 自分たちこそ正義なのだ。

 チャップリンは『殺人狂時代』の中で、「一人殺せば悪党で、百万人だと英雄だ」と叫んだ。日本という国も、一人か二人殺せば悪党だが、万単位で殺せば正義の国のようだ。

 人殺しを断罪する前に、自分が何をやっているのか、胸に手を当てて考えられる人はいないのだろうか?

 テレビに出たい人間(私にはクソにしか思えない)が、この手の本質的なテレビの批判をしない時代が続く限り、誰にも同情されない自己責任の扱いを受ける被害者は、毎年、万単位で出続けることだろう。

 一定の確率で避けられない(飲酒運転をどんなに厳罰化しても、老人全員から免許を取り上げても毎年3000人は死ぬ)交通事故で亡くなる人より、そういう人が可哀相になってしまうのは、私が異常者だからだろうか?

和田秀樹(わだ・ひでき)
1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。国際医療福祉大学心理学科教授。和田秀樹こころと体のクリニック院長。「I&Cキッズスクール」理事長。一橋大学経済学部非常勤講師。製作・監督した『受験のシンデレラ』はモナコ国際映画祭で最優秀作品賞(グランプリ)を受賞し、『「わたし」の人生 我が命のタンゴ』もモナコで4部門受賞、『私は絶対許さない』でインドとニースの映画祭で受賞するなど、映画監督としても活躍している。

●『灘校物語』(和田秀樹・著/サイゾー・刊/定価1600円+税)
『灘校物語』は全国書店、ネット書店でお買い求めいただけます。 CYZO BOOK STORE(https://cyzo-two.shop-pro.jp/)でも、限定特典付き、著者の専門である個別受験カウンセリングをセットにした商品を販売中です。

家庭が壊れるのは男のせいなのか? 男性特有の「離婚のうしろめたさ」とその解放

 離婚経験を持つ13人の男性に、その経緯や顛末を聞いたルポルタージュ「ぼくたちの離婚」(角川新書/KADOKAWA)が刊行された。

 もともとは女性向けウェブメディア「女子SPA!」の連載企画だが、夫側からの一方的な離婚劇の総括という体裁によって、これまであまり語られることがなかった離婚男性の胸の内が赤裸々に発露。新たなエピソードが公開されるたびに、ネットを中心に大きな話題を集めた。一体、中年男の離婚話が、なぜここまで人を惹きつけるのだろうか。新書刊行を記念して著者の稲田豊史氏に同作に込めた思いを聞いた。

離婚の本が本棚にあるとマズイので…Kindle版が売れてます

——出版後の反響はいかがですか?

稲田 おかげさまで“刺さる”という声が続出です(笑)。ただ、男性読者は、こっそり読んでいるみたいですね。自宅の本棚に置いて奥さんにヘンに疑われるのが面倒だからか、発売直後はKindle版の方が伸びていたようです。

——男性目線で離婚を語る本というのは、あまりなかったですからね。

稲田 そうなんです。だからこそ反応もたくさんいただきました。そこで感じたのは、この本は、読む人の鏡になっているんじゃないかということ。ここまで激しい経験はしていなくても「ここに書かれているのは自分だ」と考える人がたくさんいたんです。でも、それを男性が口に出して語ると「へぇ、お前んとこってそうなんだ」と見られてしまうから、語る機会がないんですよね。まえがきにも書いたんですが、この企画はもともと自分も参加していた「バツイチ会」という離婚経験者の集まりが原点です。男性が自身の離婚についてもっと気楽に語り合う場所があってもいいんじゃないか、そういう思いではじまっています。

——確かに離婚について多くを語らない男の美学のようなものはある気がします。

稲田 そうそう。でも、それって別にかっこいいというポジティブなものではなく、過ぎたことをグチグチいうのはみっともないという考えなんですよね。これが社会問題なんです。令和の時代になってもいまだに男は昭和的な呪縛にからめとられている。家庭というのは男が守るものであって、それが崩壊したのは男が情けないからだと。もちろん、実際はそんなことはないと頭ではわかっていると思います。でも、30~40代の団塊ジュニアかその少し下の世代くらいまでは親の価値観の影響があるから、離婚に対する後ろめたさが大きいんですよ。僕自身も離婚経験があるんですが、友達レベルの会話でも悪気なく「お前がチャラチャラしてるから、嫁さんが出てっちゃったんだろ?」とか、軽く言われがちじゃないですか。女を下げるよりも、男を下げておいたほうが丸くおさまるみたいなね。そうなると男は吐き出す場がなくなり、溜めていく一方になってしまう。これはよくないんじゃないかなと思っていました。

——本書は「女子SPA!」での連載をまとめたものですが、もともと女性に読んでもらう想定だったのですか?

稲田 もともとの企画では、女性読者を想定していなかったんです。もちろん、読んでいただければうれしいけど、どちらかといえば男性読者に共感してもらうイメージでした。でも、飲みの席などでいろんな編集の人に「こんな企画があるんだけど」と話しても、あまり反応がなくて、はじめて本気で食いついてきたのが、女子SPA!の担当編集だったんです。

——どんなところに興味を惹かれたのでしょうか。

稲田 女子SPA!は担当編集も編集長も女性なんですが、離婚について男の人が女の前で本音を言ってくれないと言うんです。すごく奥さんを憎んでいるのか、それともすごく後悔をしているのか、結局どう思っているのかぜんぜんわからないと。だから、女性は男性の気持ちが知りたいんだと言っていました。僕からすると意外な意見だったんですが、実際にこの本を取材や書評で取り上げてくれたのも、8割方が女性向けのメディアでした。正直、ここまで偏るとは思いませんでしたね。

——書籍の内容は特に女性側に寄ったものというわけではないですよね。

稲田 そうなんですよ。いろいろなエピソードがある中で、明らかに夫が悪いケースもあれば、これは奥さんに原因があるだろうというものもある。基本的には、男が勝手なことを言っているわけで、読む人によっては女性が不快になるかもなとも思っていたので、ここまで女性読者が興味をもってくれるとは思っていませんでしたね。

——実際に読んでみると、男だから夫側、女だから妻側に感情移入するというようなシンプルな構造でもなかったように思います。

稲田 そうですね。それは、描かれているのが“人間”だからだと思います。例えば、女性の読者で「家族が得意じゃない」という離婚男性にすごく共感したという方がいて、一方でその感覚はまったく理解できないという男性読者もいる。「牛」のエピソード(結婚の挨拶に向かった同棲相手の実家近くで見た牛小屋が生理的に受け入れられず、関係を解消したデザイナーの話)も連載時に反響がすごくあったものなんですが、まったくわかりませんという人と、わかりますという人で真っ二つでした。そういう個々人の感覚がエピソードによって浮き彫りになってくるのはおもしろかったですね。

——どのエピソードに共感するかで、読む側の鏡になっているわけですね。

稲田 だからこそ、男性は具体的な感想をくれないんですよ。「ぼくたちの」という男性一人称のタイトルで距離がとれるからか、女性はSNSでも細かなエピソードをあげてしっかり感想を書いてくれるんだけど、男性は「ホラーですね」とか「刺さりました」とかふわっとしたことしか書かない(笑)。その代わり、facebookのDMなどで個別に「実は僕も……」みたいな具体的な感想を言ってくる。男はズルいなぁと思いましたね。

——たくさんの離婚経験者を取材したことは、稲田さんご自身の離婚を振り返るきっかけにもなりましたか?

稲田 そうですね。でもそれは新たな気づきというよりも再確認という感覚です。いろんな人がこれを読んで、自分の一部がそこに書いてあると感じるように、僕にとっても、すべてのエピソードでどこかしらに共感性がありました。そういう意味では、この企画の発端となった「バツイチ会」と同じ効用がありましたね。話すことで解決されるわけではないけど、このいびつな形の苦痛は自分オリジナルのものではなく、他の人も経験している類のことなのだとわかる安心感。実際、取材のたびに「それ、すごくわかります」とたくさん言ったし、相手から「そうですよね!」と言われて、共感しあっていました。

——なんか、カウンセリングのようでもありますね(笑)

稲田 実際、取材対象の方にそう言われたこともあります。カウンセリングって、話を聞くことが大事なんですよね。あなたの言っているその“ごちゃごちゃ”に輪郭づけるとこういうことで、それは私にもよくわかると認めてあげること。だから、取材の場では僕が自分の話をすることも多かったです。こっちが無傷ではフェアではないですからね。取材の形としてはちょっと変わっているかもしれません。

——取材対象の方たちも、話を聞いてほしいモードなんでしょうか?

稲田 一応、本当にわずかな謝礼はお支払いしているんだけど、そんなのどうでもいいから、俺の話を聞いてくれって感じですね(笑)。で、話しきってすっきりするという。ことの顛末を頭から最後まで誰かに話したことがない人がほとんどなんですよ。だって、おじさんの元妻の出会いから別れまでじっくり聞きたい人なんて誰もいないじゃないですか。友達だって、いいとこ15分くらいで別の話題に切り替わるでしょう。それを相槌を打ちながら、一切否定せずにすべて絞り切るというのがよかったんだと思います。

——取材時間もかなりかかっていそうですね。

稲田 長いときは6時間以上話を聞いてます。みんな話のプロではないから、順序立てて話したりできないじゃないですか。だからそこは自然に任せて、出てきたエピソードを頭の中で順序立てて組み立てながら聞いていきました。6時間の人の場合、3時間くらい聞いてようやく、こことここの話がまだ出てないなってことが見えてきたので、補足するようにそこを聞いて埋める。でも、その穴埋め作業は相手が一通り話し終わるまで待ちますね。とにかく話の腰を折らないですべて吐き出してもらうことが大事で、すべて聞き切ったところでポロポロとディティールの話が出てきたりするんです。

——疲れないですか?

稲田 すっごい疲れますよ(笑)。しかもテープを起こすときにまた6時間の音源を聞くから二度疲れます。まあ、いい疲れだなと思ってやっていますけどね。

——本作はルポの形式をとっていますが文章にする段階ではどんなことを意識しましたか。

稲田 この連載が決まって「バツイチ会」に招集をかけたんですよ。そこでみなさんにも意見を出してもらったんですが、ディティールが大事じゃないかって話になったんですよね。事の推移だけ書いてもダメで、例えば、元奥さんの実家の場所や、男が何を目的に上京してきたかとかの細部ですね。だから、原稿では身バレを防ぐために固有名詞は変えているけど、地名なら東京から見ての都市の規模感とか、その本質の部分は変えていません。対象者の職業についても、忙しさや働き方、ステータスといった、変えてはいけない部分は残しているので、その改変のさじ加減にはかなり時間をかけています。

——エピソードに具体性がすごくあったので、周囲の人ならば誰の話かわかってしまいそうだなと思いました。

稲田 ほとんど変えていないものも多いので、その人に近い人なら全員がわかると思います。だからこそリアリティを持っているし、まえがきにも書いたんですが、書籍化の段階で掲載しないでくれといわれたケースもありました。

——いまでは再婚されている方も多かったですしね。

稲田 出てくれた13人のうち8人は再婚しています。みんな一番苦しい時期は過ぎていたので、取材を受けてくれたんだと思います。渦中の人だったら話せないでしょう。離婚直後は、「もう二度と結婚しない」という人と、「すぐに次へ行きたい」という2パターンに分かれるんですけど、二度と結婚したくない人は、相手云々ではなく自分が日本の婚姻制度に合わないと感じてしまった人。後者は、婚姻制度には文句がないが、相手を間違えたと思っている人です。

——そういう意味でも、やはり離婚について男性の語りしろはまだまだありそうですね。

稲田 そうなんです。特に田舎だとおおっぴらに離婚の話がされることはほとんどありません。でも、よくよく聞いてみると、離婚経験のある親族がいたりするんですよね。それを知らされていないから、一族のなかで自分だけが離婚してしまうのは恥だと思って、我慢を続けてしまうケースもある。そういう事態にならないように、もう少し我々の世代から離婚をオープンにしていけないかと思っているんです。

——世間体を気にして離婚を我慢する必要はないんじゃないか、と。

稲田 そうそう。決して離婚を推奨するわけではないけど、限界まで我慢して自分が壊れてしまう必要はない。離婚は治療なんです。よくない夫婦関係というのは病気の状態だから、我慢しても意味がない。我慢しても悪化するだけだから、這いつくばってでも病院に行って早い段階で薬をもらわないと。極端な話、離婚を不名誉な犯罪歴みたいに思ってる人もいるじゃないですか。歴をつけたくないから頑張らないとって。その認識はよくないから変えていかないといけないと思います。

——自分が置かれた状況を俯瞰してみるためにも、「ぼくたちの離婚」でいろんなエピソードを知ることは役立ちそうです。

稲田 そうですね。それと、離婚“後”について語られることもあまりないんですよね。実際は、そのあとに幸せに暮らしてる人もたくさんいるのに。だから離婚というものが、いつまでも悲劇のままで終わってしまう。この書籍を通じて、もっと男性がオープンに離婚を語れるような社会になっていけばいいなと思います。

稲田豊史
1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「サイゾー」「SPA!」などで執筆。

家庭が壊れるのは男のせいなのか? 男性特有の「離婚のうしろめたさ」とその解放

 離婚経験を持つ13人の男性に、その経緯や顛末を聞いたルポルタージュ「ぼくたちの離婚」(角川新書/KADOKAWA)が刊行された。

 もともとは女性向けウェブメディア「女子SPA!」の連載企画だが、夫側からの一方的な離婚劇の総括という体裁によって、これまであまり語られることがなかった離婚男性の胸の内が赤裸々に発露。新たなエピソードが公開されるたびに、ネットを中心に大きな話題を集めた。一体、中年男の離婚話が、なぜここまで人を惹きつけるのだろうか。新書刊行を記念して著者の稲田豊史氏に同作に込めた思いを聞いた。

離婚の本が本棚にあるとマズイので…Kindle版が売れてます

——出版後の反響はいかがですか?

稲田 おかげさまで“刺さる”という声が続出です(笑)。ただ、男性読者は、こっそり読んでいるみたいですね。自宅の本棚に置いて奥さんにヘンに疑われるのが面倒だからか、発売直後はKindle版の方が伸びていたようです。

——男性目線で離婚を語る本というのは、あまりなかったですからね。

稲田 そうなんです。だからこそ反応もたくさんいただきました。そこで感じたのは、この本は、読む人の鏡になっているんじゃないかということ。ここまで激しい経験はしていなくても「ここに書かれているのは自分だ」と考える人がたくさんいたんです。でも、それを男性が口に出して語ると「へぇ、お前んとこってそうなんだ」と見られてしまうから、語る機会がないんですよね。まえがきにも書いたんですが、この企画はもともと自分も参加していた「バツイチ会」という離婚経験者の集まりが原点です。男性が自身の離婚についてもっと気楽に語り合う場所があってもいいんじゃないか、そういう思いではじまっています。

——確かに離婚について多くを語らない男の美学のようなものはある気がします。

稲田 そうそう。でも、それって別にかっこいいというポジティブなものではなく、過ぎたことをグチグチいうのはみっともないという考えなんですよね。これが社会問題なんです。令和の時代になってもいまだに男は昭和的な呪縛にからめとられている。家庭というのは男が守るものであって、それが崩壊したのは男が情けないからだと。もちろん、実際はそんなことはないと頭ではわかっていると思います。でも、30~40代の団塊ジュニアかその少し下の世代くらいまでは親の価値観の影響があるから、離婚に対する後ろめたさが大きいんですよ。僕自身も離婚経験があるんですが、友達レベルの会話でも悪気なく「お前がチャラチャラしてるから、嫁さんが出てっちゃったんだろ?」とか、軽く言われがちじゃないですか。女を下げるよりも、男を下げておいたほうが丸くおさまるみたいなね。そうなると男は吐き出す場がなくなり、溜めていく一方になってしまう。これはよくないんじゃないかなと思っていました。

——本書は「女子SPA!」での連載をまとめたものですが、もともと女性に読んでもらう想定だったのですか?

稲田 もともとの企画では、女性読者を想定していなかったんです。もちろん、読んでいただければうれしいけど、どちらかといえば男性読者に共感してもらうイメージでした。でも、飲みの席などでいろんな編集の人に「こんな企画があるんだけど」と話しても、あまり反応がなくて、はじめて本気で食いついてきたのが、女子SPA!の担当編集だったんです。

——どんなところに興味を惹かれたのでしょうか。

稲田 女子SPA!は担当編集も編集長も女性なんですが、離婚について男の人が女の前で本音を言ってくれないと言うんです。すごく奥さんを憎んでいるのか、それともすごく後悔をしているのか、結局どう思っているのかぜんぜんわからないと。だから、女性は男性の気持ちが知りたいんだと言っていました。僕からすると意外な意見だったんですが、実際にこの本を取材や書評で取り上げてくれたのも、8割方が女性向けのメディアでした。正直、ここまで偏るとは思いませんでしたね。

——書籍の内容は特に女性側に寄ったものというわけではないですよね。

稲田 そうなんですよ。いろいろなエピソードがある中で、明らかに夫が悪いケースもあれば、これは奥さんに原因があるだろうというものもある。基本的には、男が勝手なことを言っているわけで、読む人によっては女性が不快になるかもなとも思っていたので、ここまで女性読者が興味をもってくれるとは思っていませんでしたね。

——実際に読んでみると、男だから夫側、女だから妻側に感情移入するというようなシンプルな構造でもなかったように思います。

稲田 そうですね。それは、描かれているのが“人間”だからだと思います。例えば、女性の読者で「家族が得意じゃない」という離婚男性にすごく共感したという方がいて、一方でその感覚はまったく理解できないという男性読者もいる。「牛」のエピソード(結婚の挨拶に向かった同棲相手の実家近くで見た牛小屋が生理的に受け入れられず、関係を解消したデザイナーの話)も連載時に反響がすごくあったものなんですが、まったくわかりませんという人と、わかりますという人で真っ二つでした。そういう個々人の感覚がエピソードによって浮き彫りになってくるのはおもしろかったですね。

——どのエピソードに共感するかで、読む側の鏡になっているわけですね。

稲田 だからこそ、男性は具体的な感想をくれないんですよ。「ぼくたちの」という男性一人称のタイトルで距離がとれるからか、女性はSNSでも細かなエピソードをあげてしっかり感想を書いてくれるんだけど、男性は「ホラーですね」とか「刺さりました」とかふわっとしたことしか書かない(笑)。その代わり、facebookのDMなどで個別に「実は僕も……」みたいな具体的な感想を言ってくる。男はズルいなぁと思いましたね。

——たくさんの離婚経験者を取材したことは、稲田さんご自身の離婚を振り返るきっかけにもなりましたか?

稲田 そうですね。でもそれは新たな気づきというよりも再確認という感覚です。いろんな人がこれを読んで、自分の一部がそこに書いてあると感じるように、僕にとっても、すべてのエピソードでどこかしらに共感性がありました。そういう意味では、この企画の発端となった「バツイチ会」と同じ効用がありましたね。話すことで解決されるわけではないけど、このいびつな形の苦痛は自分オリジナルのものではなく、他の人も経験している類のことなのだとわかる安心感。実際、取材のたびに「それ、すごくわかります」とたくさん言ったし、相手から「そうですよね!」と言われて、共感しあっていました。

——なんか、カウンセリングのようでもありますね(笑)

稲田 実際、取材対象の方にそう言われたこともあります。カウンセリングって、話を聞くことが大事なんですよね。あなたの言っているその“ごちゃごちゃ”に輪郭づけるとこういうことで、それは私にもよくわかると認めてあげること。だから、取材の場では僕が自分の話をすることも多かったです。こっちが無傷ではフェアではないですからね。取材の形としてはちょっと変わっているかもしれません。

——取材対象の方たちも、話を聞いてほしいモードなんでしょうか?

稲田 一応、本当にわずかな謝礼はお支払いしているんだけど、そんなのどうでもいいから、俺の話を聞いてくれって感じですね(笑)。で、話しきってすっきりするという。ことの顛末を頭から最後まで誰かに話したことがない人がほとんどなんですよ。だって、おじさんの元妻の出会いから別れまでじっくり聞きたい人なんて誰もいないじゃないですか。友達だって、いいとこ15分くらいで別の話題に切り替わるでしょう。それを相槌を打ちながら、一切否定せずにすべて絞り切るというのがよかったんだと思います。

——取材時間もかなりかかっていそうですね。

稲田 長いときは6時間以上話を聞いてます。みんな話のプロではないから、順序立てて話したりできないじゃないですか。だからそこは自然に任せて、出てきたエピソードを頭の中で順序立てて組み立てながら聞いていきました。6時間の人の場合、3時間くらい聞いてようやく、こことここの話がまだ出てないなってことが見えてきたので、補足するようにそこを聞いて埋める。でも、その穴埋め作業は相手が一通り話し終わるまで待ちますね。とにかく話の腰を折らないですべて吐き出してもらうことが大事で、すべて聞き切ったところでポロポロとディティールの話が出てきたりするんです。

——疲れないですか?

稲田 すっごい疲れますよ(笑)。しかもテープを起こすときにまた6時間の音源を聞くから二度疲れます。まあ、いい疲れだなと思ってやっていますけどね。

——本作はルポの形式をとっていますが文章にする段階ではどんなことを意識しましたか。

稲田 この連載が決まって「バツイチ会」に招集をかけたんですよ。そこでみなさんにも意見を出してもらったんですが、ディティールが大事じゃないかって話になったんですよね。事の推移だけ書いてもダメで、例えば、元奥さんの実家の場所や、男が何を目的に上京してきたかとかの細部ですね。だから、原稿では身バレを防ぐために固有名詞は変えているけど、地名なら東京から見ての都市の規模感とか、その本質の部分は変えていません。対象者の職業についても、忙しさや働き方、ステータスといった、変えてはいけない部分は残しているので、その改変のさじ加減にはかなり時間をかけています。

——エピソードに具体性がすごくあったので、周囲の人ならば誰の話かわかってしまいそうだなと思いました。

稲田 ほとんど変えていないものも多いので、その人に近い人なら全員がわかると思います。だからこそリアリティを持っているし、まえがきにも書いたんですが、書籍化の段階で掲載しないでくれといわれたケースもありました。

——いまでは再婚されている方も多かったですしね。

稲田 出てくれた13人のうち8人は再婚しています。みんな一番苦しい時期は過ぎていたので、取材を受けてくれたんだと思います。渦中の人だったら話せないでしょう。離婚直後は、「もう二度と結婚しない」という人と、「すぐに次へ行きたい」という2パターンに分かれるんですけど、二度と結婚したくない人は、相手云々ではなく自分が日本の婚姻制度に合わないと感じてしまった人。後者は、婚姻制度には文句がないが、相手を間違えたと思っている人です。

——そういう意味でも、やはり離婚について男性の語りしろはまだまだありそうですね。

稲田 そうなんです。特に田舎だとおおっぴらに離婚の話がされることはほとんどありません。でも、よくよく聞いてみると、離婚経験のある親族がいたりするんですよね。それを知らされていないから、一族のなかで自分だけが離婚してしまうのは恥だと思って、我慢を続けてしまうケースもある。そういう事態にならないように、もう少し我々の世代から離婚をオープンにしていけないかと思っているんです。

——世間体を気にして離婚を我慢する必要はないんじゃないか、と。

稲田 そうそう。決して離婚を推奨するわけではないけど、限界まで我慢して自分が壊れてしまう必要はない。離婚は治療なんです。よくない夫婦関係というのは病気の状態だから、我慢しても意味がない。我慢しても悪化するだけだから、這いつくばってでも病院に行って早い段階で薬をもらわないと。極端な話、離婚を不名誉な犯罪歴みたいに思ってる人もいるじゃないですか。歴をつけたくないから頑張らないとって。その認識はよくないから変えていかないといけないと思います。

——自分が置かれた状況を俯瞰してみるためにも、「ぼくたちの離婚」でいろんなエピソードを知ることは役立ちそうです。

稲田 そうですね。それと、離婚“後”について語られることもあまりないんですよね。実際は、そのあとに幸せに暮らしてる人もたくさんいるのに。だから離婚というものが、いつまでも悲劇のままで終わってしまう。この書籍を通じて、もっと男性がオープンに離婚を語れるような社会になっていけばいいなと思います。

稲田豊史
1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「サイゾー」「SPA!」などで執筆。

「CIAの諜報員はあまり優秀ではない」暴露を“正当化”するスノーデンの危険な自伝

 2013年に米諜報機関の「大規模監視プログラム」を告白し、現在はロシア・モスクワに亡命中のエドワード・スノーデン。今年9月、そんな彼がアメリカをはじめ各国で自伝『スノーデン 独白 消せない記録』を同時出版した。案の定、物議を醸し、11月末には日本でも発売されたが、そこで暴かれている事実とはーー。サイバーセキュリティなどに詳しい国際ジャーナリストの山田敏弘氏が、この危険な一冊を斬る!

◇ ◇ ◇

 2019年9月17日、世界でもっとも有名な内部告発者のひとり、エドワード・スノーデンが米司法省によって訴えられた。

 訴状によれば、「アメリカ合衆国は、契約と受託義務に違反があったとして、CIA(米中央情報局)の元契約局員でその後局員になり、NSA(米国家安全保障局)では契約局員だったアメリカ人のエドワード・スノーデンに対して民事訴訟を起こします。スノーデンは、出版の前に原稿を提出することなく本を出版し、事前チェックのために資料を提出することなく講演を行い、米政府の秘密保持合意と守秘義務に違反した」という。

 この訴えは、米国で9月17日に発売されたスノーデンの著書『スノーデン 独白 消せない記録』(日本版は河出書房新社より11月30日に刊行)の出版のタイミングを狙い撃ちにしたものだった。

 もっとも、スノーデンに絡む本が、物議を醸さないはずがない。スノーデンは、NSAなどから170万書類と言われる機密情報を盗み出し、彼の選んだジャーナリストたちを介してその機密文書を公開した。そして、米国の手の届かないロシアに今も滞在しながら、テレビ電話アプリなどを介して、米国の監視システムやプライバシー問題などについて世界各地のイベントで発言するといった活動を続けている。

 そんなスノーデンが初めて筆を取った本書がどれほど過激な内容なのかと期待しながらページを進めた。本書は世界26カ国で刊行されているのだが、中国では本文のいくつもの箇所が検閲で消されているというからなおさらだ。 

 ただ、実際には、これまで表に出ていないような驚愕の事実が暴露されているわけではない。それでも一読の価値がある本だといえる。

 本書では、スノーデンが前代未聞の規模で機密情報の暴露を行うまでの人生の軌跡が、スノーデン自身の言葉で淡々と綴られていく。その「物語」は自叙伝として引き込まれる内容だ。同時に、彼が自ら経験してきた米国の諜報機関内部の実態や、日本の横田基地に赴任していた際の活動などを知ることができる、貴重な「資料」でもある。スノーデンの主観的で一方的な主張であることを踏まえても、かなり興味深い内容である。

 国際情勢やサイバー安全保障も取材する私は、最初にスノーデンが持ち出した機密情報を元に書かれた英ガーディアン紙の記事を見た衝撃を、今も忘れない。

 その記事は「PRISM(プリズム)」という大規模な監視プログラムについてだった。NSAが、名だたる米大手IT企業から個人の情報やコミュニケーションに、思いのままアクセスしてのぞき見していたことが暴露され、米国では上を下への大騒ぎになった。暴露後に当該企業が方針を変えてセキュリティを強化したことを鑑みると、スノーデンの行動は米国の傲慢な監視活動に一石を投じたといえる。彼はそれこそが暴露の動機だったと主張しているので、ある程度の役割は果たしたのである。

 その後、米国や英国、ドイツを中心に次々と明らかにされるスノーデンがらみの暴露記事や関係書籍も精読した。ドキュメンタリー『シチズンフォー スノーデンの暴露』(14年)は封切られてすぐに米国の映画館で見たし、オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』(16年)などももちろんチェックしている。彼の活動家としての「英雄像」も十分すぎるほど作り上げられたと感じていた。

 そんなことから、この本の出版を知った際にひとつの疑問をもった。彼がなぜ今この本を出版する必要があったのか、だ。その答えも探しながら、本書を読み進めた。

 結論を先に言うと、スノーデンは自らの行動を改めて正当化し、自由のないロシアに閉じ込められているという現状を打破したいのではないかということだった。彼は19年9月に米テレビ局のインタビューに応じ、「私の最終的な目標は米国に帰国すること」だとはっきりと述べている。

 その目標に向けて、自分の言葉で世界にアピールしたかったのではないか。

 本書では、同情を誘うようにスノーデンの人生がなぞられていく。両親は離婚し、高校をドロップアウト(中退)する。鬱(うつ)など苦境にありながら、米国への愛国心をもって陸軍に入り、そこから諜報機関に移って頭角を現すが、病気を発症するほど苦しみながら米国のために働いたと書く。

 さらに自らを正当化する記述は随所に見られる。彼のような外部からの契約局員が米諜報機関を支えてきたということ。そして、その契約局員の中でも自分がインテリジェンス・コミュニティで抜きん出て評価されていたこと、などである。CIAの諜報員はあまり有能ではないとまで主張する。

 スノーデンは本書が出た直後、世界の反応として、欧州ではフランスやドイツが彼を亡命者として受け入れるべきだという議論になっているとインタビューで述べている。つまり、この本が呼び水となって、欧州の民主的な国でも、スノーデンを受け入れるべきという声が出ているということらしい。

 とはいえ、欧米の諜報関係者の間では、スノーデンに対する不信感は根深い。私がこれまで取材をしてきたCIAやNSAの元幹部たちや軍関係者、同盟国の関係者らは、例外なくスノーデンについてかなり辛辣な見方をしていた。国に信頼されて機密情報やシステムへのアクセス権を与えられていたのに、それを裏切る者は裁かれるべきーー。それが彼らの揺るぎない主張だ。また、スノーデンの暴露によって、米国だけでなく、英国やオーストラリアなど同盟国のスパイ活動に多大なる支障が出たという。

 あるCIAの元高級幹部は、スノーデンについて、厳しい表情で私にこう語っている。

「この手の罪を犯す者は、自分が何をしたのか、なぜ暴露をしたのか、多くを語りたがる。そして、ほとんどの場合、本当のことを話していない。スノーデンは米政府が国民を秘密裏に監視している活動に反対だからだと動機を語っている。だが、そもそも170万もの書類を盗み出しているが、そのうちのほとんどは国民への監視活動とは関係がない機密情報だった。それらは国民や同盟国の安全のためにテロリストなどの敵を探す目的で使われるものだったにもかかわらず、だ」

 そして、暴露されていない大量の情報は今どこにあるのかも、スノーデンは明確にしていない。同盟国などでも政府側の見方は、かなり冷ややかだ。

 とにかく、今も各方面で物議を呼ぶエドワード・スノーデンは、今回の著作によって「最終目標」に近づくことができるのだろうか。

 スノーデンが愛した、米国の重要な同盟国である日本の読者の方々にも、ぜひ手に取って一読してほしい。そして、スノーデンの功罪について、改めて考えるきっかけにしていただきたいと願う。

文・山田敏弘(やまだ・としひろ)
国際ジャーナリスト、米マサチューセッツ工科大学(MIT)元フェロー。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などに勤務後、MITを経てフリー。国際情勢やサイバー安全保障を中心に執筆を行う。著書に『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)、『サイバー戦争の今』(ベスト新書)。

●書籍情報
『スノーデン 独白 消せない記録』
エドワード・スノーデン著、山形浩生訳/河出書房新社

「CIAの諜報員はあまり優秀ではない」暴露を“正当化”するスノーデンの危険な自伝

 2013年に米諜報機関の「大規模監視プログラム」を告白し、現在はロシア・モスクワに亡命中のエドワード・スノーデン。今年9月、そんな彼がアメリカをはじめ各国で自伝『スノーデン 独白 消せない記録』を同時出版した。案の定、物議を醸し、11月末には日本でも発売されたが、そこで暴かれている事実とはーー。サイバーセキュリティなどに詳しい国際ジャーナリストの山田敏弘氏が、この危険な一冊を斬る!

◇ ◇ ◇

 2019年9月17日、世界でもっとも有名な内部告発者のひとり、エドワード・スノーデンが米司法省によって訴えられた。

 訴状によれば、「アメリカ合衆国は、契約と受託義務に違反があったとして、CIA(米中央情報局)の元契約局員でその後局員になり、NSA(米国家安全保障局)では契約局員だったアメリカ人のエドワード・スノーデンに対して民事訴訟を起こします。スノーデンは、出版の前に原稿を提出することなく本を出版し、事前チェックのために資料を提出することなく講演を行い、米政府の秘密保持合意と守秘義務に違反した」という。

 この訴えは、米国で9月17日に発売されたスノーデンの著書『スノーデン 独白 消せない記録』(日本版は河出書房新社より11月30日に刊行)の出版のタイミングを狙い撃ちにしたものだった。

 もっとも、スノーデンに絡む本が、物議を醸さないはずがない。スノーデンは、NSAなどから170万書類と言われる機密情報を盗み出し、彼の選んだジャーナリストたちを介してその機密文書を公開した。そして、米国の手の届かないロシアに今も滞在しながら、テレビ電話アプリなどを介して、米国の監視システムやプライバシー問題などについて世界各地のイベントで発言するといった活動を続けている。

 そんなスノーデンが初めて筆を取った本書がどれほど過激な内容なのかと期待しながらページを進めた。本書は世界26カ国で刊行されているのだが、中国では本文のいくつもの箇所が検閲で消されているというからなおさらだ。 

 ただ、実際には、これまで表に出ていないような驚愕の事実が暴露されているわけではない。それでも一読の価値がある本だといえる。

 本書では、スノーデンが前代未聞の規模で機密情報の暴露を行うまでの人生の軌跡が、スノーデン自身の言葉で淡々と綴られていく。その「物語」は自叙伝として引き込まれる内容だ。同時に、彼が自ら経験してきた米国の諜報機関内部の実態や、日本の横田基地に赴任していた際の活動などを知ることができる、貴重な「資料」でもある。スノーデンの主観的で一方的な主張であることを踏まえても、かなり興味深い内容である。

 国際情勢やサイバー安全保障も取材する私は、最初にスノーデンが持ち出した機密情報を元に書かれた英ガーディアン紙の記事を見た衝撃を、今も忘れない。

 その記事は「PRISM(プリズム)」という大規模な監視プログラムについてだった。NSAが、名だたる米大手IT企業から個人の情報やコミュニケーションに、思いのままアクセスしてのぞき見していたことが暴露され、米国では上を下への大騒ぎになった。暴露後に当該企業が方針を変えてセキュリティを強化したことを鑑みると、スノーデンの行動は米国の傲慢な監視活動に一石を投じたといえる。彼はそれこそが暴露の動機だったと主張しているので、ある程度の役割は果たしたのである。

 その後、米国や英国、ドイツを中心に次々と明らかにされるスノーデンがらみの暴露記事や関係書籍も精読した。ドキュメンタリー『シチズンフォー スノーデンの暴露』(14年)は封切られてすぐに米国の映画館で見たし、オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』(16年)などももちろんチェックしている。彼の活動家としての「英雄像」も十分すぎるほど作り上げられたと感じていた。

 そんなことから、この本の出版を知った際にひとつの疑問をもった。彼がなぜ今この本を出版する必要があったのか、だ。その答えも探しながら、本書を読み進めた。

 結論を先に言うと、スノーデンは自らの行動を改めて正当化し、自由のないロシアに閉じ込められているという現状を打破したいのではないかということだった。彼は19年9月に米テレビ局のインタビューに応じ、「私の最終的な目標は米国に帰国すること」だとはっきりと述べている。

 その目標に向けて、自分の言葉で世界にアピールしたかったのではないか。

 本書では、同情を誘うようにスノーデンの人生がなぞられていく。両親は離婚し、高校をドロップアウト(中退)する。鬱(うつ)など苦境にありながら、米国への愛国心をもって陸軍に入り、そこから諜報機関に移って頭角を現すが、病気を発症するほど苦しみながら米国のために働いたと書く。

 さらに自らを正当化する記述は随所に見られる。彼のような外部からの契約局員が米諜報機関を支えてきたということ。そして、その契約局員の中でも自分がインテリジェンス・コミュニティで抜きん出て評価されていたこと、などである。CIAの諜報員はあまり有能ではないとまで主張する。

 スノーデンは本書が出た直後、世界の反応として、欧州ではフランスやドイツが彼を亡命者として受け入れるべきだという議論になっているとインタビューで述べている。つまり、この本が呼び水となって、欧州の民主的な国でも、スノーデンを受け入れるべきという声が出ているということらしい。

 とはいえ、欧米の諜報関係者の間では、スノーデンに対する不信感は根深い。私がこれまで取材をしてきたCIAやNSAの元幹部たちや軍関係者、同盟国の関係者らは、例外なくスノーデンについてかなり辛辣な見方をしていた。国に信頼されて機密情報やシステムへのアクセス権を与えられていたのに、それを裏切る者は裁かれるべきーー。それが彼らの揺るぎない主張だ。また、スノーデンの暴露によって、米国だけでなく、英国やオーストラリアなど同盟国のスパイ活動に多大なる支障が出たという。

 あるCIAの元高級幹部は、スノーデンについて、厳しい表情で私にこう語っている。

「この手の罪を犯す者は、自分が何をしたのか、なぜ暴露をしたのか、多くを語りたがる。そして、ほとんどの場合、本当のことを話していない。スノーデンは米政府が国民を秘密裏に監視している活動に反対だからだと動機を語っている。だが、そもそも170万もの書類を盗み出しているが、そのうちのほとんどは国民への監視活動とは関係がない機密情報だった。それらは国民や同盟国の安全のためにテロリストなどの敵を探す目的で使われるものだったにもかかわらず、だ」

 そして、暴露されていない大量の情報は今どこにあるのかも、スノーデンは明確にしていない。同盟国などでも政府側の見方は、かなり冷ややかだ。

 とにかく、今も各方面で物議を呼ぶエドワード・スノーデンは、今回の著作によって「最終目標」に近づくことができるのだろうか。

 スノーデンが愛した、米国の重要な同盟国である日本の読者の方々にも、ぜひ手に取って一読してほしい。そして、スノーデンの功罪について、改めて考えるきっかけにしていただきたいと願う。

文・山田敏弘(やまだ・としひろ)
国際ジャーナリスト、米マサチューセッツ工科大学(MIT)元フェロー。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などに勤務後、MITを経てフリー。国際情勢やサイバー安全保障を中心に執筆を行う。著書に『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)、『サイバー戦争の今』(ベスト新書)。

●書籍情報
『スノーデン 独白 消せない記録』
エドワード・スノーデン著、山形浩生訳/河出書房新社