妻への感謝をSNS投稿する夫が愛しているのは妻でなく自分自身!

「いつも家族を支えてくれる妻、ありがとう。感謝してるよ」といった、妻への感謝をなぜかSNS投稿する夫を見ると、こう思わないだろうか。「本人に言え」と。家族や、または恋人や友人に恵まれて幸せ/仕事が充実/リッチな生活をしている……といった、言わなくてもいいことをあえて投稿するは、なぜ、うかつに、あえて投稿してしまうのか? 前回に引き続き(インタビュー[1])、『自分のすごさを匂わせてくる人』(サンマーク出版)著者であり心理学博士の榎本博明氏に聞いた。

 

■「承認欲求&自己愛」でおそろかにされる        「周りの人の気持ち」

――「ウザい匂わせ投稿」でよく見かけるのが、「配偶者への感謝SNS投稿」です。妻から夫に対する“ありがとう”だけでなく、夫から妻への感謝の言葉も最近見ます。「SNSに書かずに本人に言え」と思うのですが、こういう投稿をする人の背景には何があるのでしょうか。

榎本博明氏(以下、榎本) 承認欲求と自己愛ですね。自己愛は誰にでもあるものですが、それに溺れてしまっているのです。

 例えば「妻への感謝をSNS投稿する夫」の場合、男性の理想像はかつてのような「男らしい男、強い男」でなく「優しい男」になりつつありますよね。それをふまえ「自分はこんな風に家族に優しくしている」と人に見せつけて自己愛を満たしたい。

――時代の男性像の変遷はしっかり押さえる客観性があるわりに、読者がその投稿をどう思うかについては無自覚なんですね。

榎本 はい。そんなものはSNSで他人に見せつけるものではないし、相手にだけ分かればいいのです。相手が外に自慢しているのをどう思っているのか、というのを考えると、なんでそんなことができるのか不思議ですよね。

――投稿者は「SNSの読者」だけでなく、勝手に投稿のネタにした「自分の配偶者」の気持ちにも想像力が働かないとなると怖いですね。

榎本 アピールすればするほど自分が小さい人間であることがばれてしまう。自慢せざるを得ないというのは、それだけ自分に自信がないのでしょう。投稿した自分に酔っている。恥ずかしい人だと周囲から思われていることに想像力が働かない。

 学生に聞いてみても、「こういう匂わせ投稿をする人は異質の人間だ」と言っていましたね。自慢したら嫌がられる、というのは普通の感受性があればわかるはずです。

 それでも自慢が止められない人は、どこかが壊れている人です。

■匂わせな人ほど、SNSが大好き!

――匂わせやすさと性別・世代は関係ないのでしょうか?

榎本 関係ないですね。僕の同世代にもいますよ。性別や年齢によって変わる、というよりも「自己モニタリング」ができていない人ほど匂わせますね。「自分が発信したことにどんな反応が返ってくるか見て、表現を調整する」ことができないのです。

 日常生活でモニタリングができない人は、ネット上でもモニタリングができません。

――いわゆる、場の空気が読めない人ですね。

榎本 はい。周りの人がぎょっとするようなこと、その話題はその場にいるAさんにとって傷つくような内容だから触れてはいけない、ということも口にしてしまう。自分の発言で場が凍っていることにも気が付かない。

 そういう人ほどSNSが好きなんです。SNSは一方的ですから。

■匂わせに閉口する人は「文句をつける」のでなく「いなくなる」

――SNSで匂わせを見るのに慣れてきて、さらに、なぜか匂わせに「いいね!」がついている状況を見ると、「むしろこれが普通なのか? イラっときているこっちの心が狭いのでは?」と思えてくるんですよね。

榎本 匂わせる人は匂わせる人同士でやり取りしますからね。そういう人同士で「いいね!」しあったり、義務感でいいねする人もいますから。不快に思う人は反応しなくなります。匂わせに文句をつける人はいないでしょう?

――確かに。Twitterならともかく、本人との紐づけの強いFacebookではないでしょうね。

榎本 リアルの場で、ひどい匂わせでその場にいる誰かを傷つけるような発言をした場合、場が凍り付いたり、たしなめる人や、話を逸らす人も出てくるもしれません。しかしSNSでそれをしたら、引いた人は、こんな人にはもう関わりたくないとそのまま離れていきます。ですので当の本人は勘違いしたまま、気づけないままなんです。

――人が引いて、離れているのに気が付かない、というのはネットならではの怖さですね。

* * *

「SNSは一方的ですから」という榎本氏の発言は、思わず唸ってしまった。考えてみればSNSは双方向、と言われがちだが対面のコミュニケーションとはまったく別物だ。SNSは一方的に始め、終わらせられるし、誰に対しての発言かはぼやけがちだし、対面ではとても言えないような発言も見かける。

 リアルのコミュニケーションの方がよほど難しく面倒で、それゆえネットのコミュニケーションに流れる気持ちはよくわかるが、そこに頼ると衰えていくものもあるのだろう。次回も引き続き榎本氏に、アナウンサーの伊藤綾子氏をはじめとした、「交際匂わせ炎上」についても聞く。

(文/石徹白未亜 [http://itoshiromia.com/])

●榎本 博明(えのもと・ひろあき)氏
1955年、東京都生まれ。心理学博士。MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。おもな著書に『「上から目線」の構造』『薄っぺらいのに自信満々な人』(ともに日本経済新聞出版社)、『カイシャの3バカ』(朝日新聞出版)などがある。

◆石徹白未亜の過去記事はこちらから◆

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せめてネットくらいでは輝きたい! さえない日常が“匂わせ”に火をつける

 2017年の新語・流行語大賞にも選ばれた「インスタ映え」。インスタに限らず、SNSで家族、恋人、友人に恵まれて幸せ/仕事が充実している/リッチな生活をしている……といった知人の匂わせ投稿に血圧が上がったことが一度もない人など少ないはずだ。“匂わせ”とは何なのか? なぜ人は匂わせてしまうのか? 『自分のすごさを匂わせてくる人』(サンマーク出版)著者であり心理学博士の榎本博明氏に聞いた。

■匂わせは悪いことばかりではない!      ~人間関係を円滑にする匂わせ~

――“匂わせ”というとSNSの自慢投稿を想像してしまいますが、『自分のすごさを匂わせてくる人』では、匂わせを悪いことだけでとらえていないのが新鮮でした。

榎本博明氏(以下、榎本) 匂わせは悪いことばかりではありません。匂わせは“自分の印象をどういう風に相手に伝えるか”ですよね。「印象操作」と言ってしまうと悪い印象がありますが、匂わせとは自分がどういう印象を持たれたいかという情報の与え方なのです。

――セルフプロデュースは多かれ少なかれ全員がしていますもんね。

榎本 また、匂わせにより相手とのミスマッチを防げます。私自身も仕事の依頼を受けることがありますが、「こういうことが好きだ(できる)、逆にあれは嫌いだ(できない)」と匂わせていないと、仕事はうまく進みません。

 例えば、私はバラエティ番組には出たくないのですが、匂わせておけば、そういった依頼は来なくなります。ミスマッチのまま進んでしまった方がお互い時間も無駄にしてしまいますし、気まずくなってしまいますから。

 プライベートでも一緒で、価値観やどういう付き合いをしていきたいかとか、相手に望むものなどを匂わせておけば、あとからのミスマッチを防げます。

――スタンスを明確に表明するとちょっと角が立つようなことに匂わせをうまく使うのは、日本的な知恵とも言えますね。

■せめてネットでは輝きたい!~さえない日常が匂わせに火をつける~

――でも、匂わせは短所もありますよね。

榎本 はい。ついやりすぎてしまう。承認欲求が高まりすぎて、相手の反応について想像力を働かせられず、やりすぎて反発を食らってしまう。

――SNSが承認欲求を加速させているのではと思うこともあります。

榎本 そうですね。SNSで、人の目を無茶苦茶意識するようになってしまった。

 学生たちに心理学の講義で、承認欲求の話をすると反響が高いです。「SNSをしていたころは辛くて、やめたらありのままの自分でいられた」と言った学生もいました。それも友達には言いづらいようで、私に言うんですね。

――もともと日本人は人の目を気にする傾向が強いですが、SNSでますますそうなってしまったところはあるでしょうね。

榎本 SNSが流行る前は、職場や学校では人の目を気にして自分を抑えていても、職場や学校を出て、一人になれば自由になれた。でも今は歩いていても電車に乗っていてもスマホからSNSの通知が来ます。起きている間、ずっと人の目を気にしないといけない。

 人の目を意識しだせば「認められたい」「馬鹿にされたくない」「仲間外れにされたくない」という思いが出てきます。それでついつい匂わせをやりすぎてしまう。

■24時間、365日輝いていなくてはいけないという風潮

榎本 スマホが匂わせを加速させているところもありますね。パソコンの時代でも、むかついたり目立ちたいという思いから何か匂わせたいと思った人はいたでしょう。でもパソコンの前に座るまでの時間に「やっぱりやめとこう」と冷静になった人は多かったと思います。しかし今はスマホがあるから、衝動的にすぐ書き込めてしまう。

――「承認欲求」「衝動」が、「自分がすることが人からどう思われるかという想像力」を上回ってしまうんですね。匂わせやすい人はどのような特徴があるのでしょうか。

榎本 承認欲求が強く、かつ満たされていない人です。現状が満たされていないから承認欲求が強くなってしまうのですが。

 あと、最近の風潮も匂わせを加速させていますよね。政府も「全ての女性が輝く社会づくり」とか言っているじゃないですか。芸能人やスポーツ選手、政治家ならともかく、一般の人がいつも輝け、輝けと言われてもですよね。

――他人の匂わせを見ると、闘争心に火がついてしまうというのもありますよね。

榎本 でも、仕事でも、プライべートでも輝けるものがないという場合、じゃあ、何で輝けるか……? となると、ネットの世界で虚勢を張ることになってしまう。ネットで、現実離れした自分を匂わせてしまう。満たされない承認欲求が匂わせに走らせているのです。

■キラキラアカウントに夢中な人は、他人を見下したい?

――その最たるものが「キラキラアカウント」*だと思います。こういった鼻につくアカウントは、一方でフォロワーが数万人いるような人もいます。いやなもの見たさという娯楽もあるとは思うのですが。

榎本 キラキラアカウントのフォロワーも多分いろいろなタイプがいるでしょうね。純粋に自分の変身願望を満たしてくれる存在として、素直にあこがれている人もいるかもしれません。

 一方キラキラアカウントを「こんなバカがいるわ」という気持ちでフォローしている人もいるでしょう。最近のお笑いを見ていても思いますが「人を見下したい」気持ちを満たすものが流行っていますよね。心理学には「社会的比較」という言葉があります。他人と比較して「自分の方があいつよりましだ」という気持ちになると、自己肯定感が高まるのです。

*有名ホテルやブランド品の写真など、ラグジュアリーな生活の様子や、誰に向けているのかよくわからない恋愛指南を投稿するアカウントのこと

* * *

“匂わせ”な他人のSNSを「イラつくのに見るのがどうにもやめられない」状態になっている際は、「自分の自己肯定感が弱まっていているサインかもしれない」と気づくと、少し冷静になれるかもしれない。引き続き榎本氏に、たまに見かける「配偶者の感謝をなぜかSNS投稿する人」の匂わせなど、さらに聞いていく。

(文/石徹白未亜 [http://itoshiromia.com/])

●榎本 博明(えのもと・ひろあき)氏
1955年、東京都生まれ。心理学博士。MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。おもな著書に『「上から目線」の構造』『薄っぺらいのに自信満々な人』(ともに日本経済新聞出版社)、『カイシャの3バカ』(朝日新聞出版)などがある。

◆石徹白未亜の過去記事はこちらから◆

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直木賞候補のセカオワ・Saoriだけじゃない! “芸能美女”たちの知られざる文芸作品

 人気バンド・SEKAI NO OWARIの紅一点であるSaoriこと藤崎彩織が10月に出版した『ふたご』(文藝春秋)が、2017年下半期の直木賞最終候補作品にノミネートされた。

「『ふたご』は構想に5年かけたという彼女の初の小説。バンドのメンバーであるFukaseらとの関係を彷彿とさせる私小説的内容で、セカオワファンにとっては、まるでバンドの内側を覗き見しているような気持ちにさせられます。もともと彼女は雑誌『文學界』(同)でエッセイを連載する文学少女ですから、筆力はそれなりには備わっている。しかし、ネット上では『直木賞の権威がなくなる』『水嶋ヒロと同じ匂いがする』『芸能人を受賞させるのやめてほしい』と、反発の声が目立ちますね」(芸能ライター)

 Saoriに限らず、芸能界の美女たちが小説やエッセイを発表するケースは多く、目を見張るような「秀作」や、逆に首を傾げたくなる「迷作」も混在する。出版関係者が言う。

「驚きの才能を見せたのは、お笑い芸人の鳥居みゆきです。15年に出版された短篇集『余った傘はありません』(幻冬舎)には、老婆や教師など、さまざまな主人公が登場。そのほとんどがシュールな内容なのですが、各篇が最後につながるという構成には非凡なものを感じさせられました」

 AKB48・峯岸みなみのフォト&エッセイ『私は私』(竹書房)は、お泊まり愛が発覚し、丸坊主になった当時を振り返った自叙伝だ。

「つらい思いを忘れないように書き留めていたものを発表。しかし、自分を悲劇のヒロインとして扱っている感じが、ファンを複雑な心境にさせました」(アイドル誌ライター)

 アイドル界で気を吐いているのが乃木坂46・高山一実だ。

「ウェブで発表した短篇小説『キャリーオーバー』は、人格を持つ宝くじという斬新な設定。総合文芸誌『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)連載の長編小説『トラペジウム』は、格段にレベルが上がっていると評判です」(同)

 群雄割拠なのが官能小説。杉原杏璃『……and LOVE』(双葉社)、祥子『祥子 愛河 いとしきけものたち』(同)、今野杏南『撮られたい』(TOブックス)などは、自らの体験を元にしたと思わせるような(?)濃密な描写を披露している。

「いずれも迫真のセックスシーンが盛り込まれています。杉原の作品は主人公『アンリ』が人気グラドルの地位を確立するまでに通った男との日々を綴った“半自叙伝”とも。今野は、なんと全文をiPhoneで打ったというから驚きです。祥子にいたっては、AVを鑑賞しながら妄想を広げていったんだそうです」(前出・出版関係者)

 Saoriに続けとばかりに、今後も文芸作品に挑戦する美女たちが増えそうだ。

直木賞候補のセカオワ・Saoriだけじゃない! “芸能美女”たちの知られざる文芸作品

 人気バンド・SEKAI NO OWARIの紅一点であるSaoriこと藤崎彩織が10月に出版した『ふたご』(文藝春秋)が、2017年下半期の直木賞最終候補作品にノミネートされた。

「『ふたご』は構想に5年かけたという彼女の初の小説。バンドのメンバーであるFukaseらとの関係を彷彿とさせる私小説的内容で、セカオワファンにとっては、まるでバンドの内側を覗き見しているような気持ちにさせられます。もともと彼女は雑誌『文學界』(同)でエッセイを連載する文学少女ですから、筆力はそれなりには備わっている。しかし、ネット上では『直木賞の権威がなくなる』『水嶋ヒロと同じ匂いがする』『芸能人を受賞させるのやめてほしい』と、反発の声が目立ちますね」(芸能ライター)

 Saoriに限らず、芸能界の美女たちが小説やエッセイを発表するケースは多く、目を見張るような「秀作」や、逆に首を傾げたくなる「迷作」も混在する。出版関係者が言う。

「驚きの才能を見せたのは、お笑い芸人の鳥居みゆきです。15年に出版された短篇集『余った傘はありません』(幻冬舎)には、老婆や教師など、さまざまな主人公が登場。そのほとんどがシュールな内容なのですが、各篇が最後につながるという構成には非凡なものを感じさせられました」

 AKB48・峯岸みなみのフォト&エッセイ『私は私』(竹書房)は、お泊まり愛が発覚し、丸坊主になった当時を振り返った自叙伝だ。

「つらい思いを忘れないように書き留めていたものを発表。しかし、自分を悲劇のヒロインとして扱っている感じが、ファンを複雑な心境にさせました」(アイドル誌ライター)

 アイドル界で気を吐いているのが乃木坂46・高山一実だ。

「ウェブで発表した短篇小説『キャリーオーバー』は、人格を持つ宝くじという斬新な設定。総合文芸誌『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)連載の長編小説『トラペジウム』は、格段にレベルが上がっていると評判です」(同)

 群雄割拠なのが官能小説。杉原杏璃『……and LOVE』(双葉社)、祥子『祥子 愛河 いとしきけものたち』(同)、今野杏南『撮られたい』(TOブックス)などは、自らの体験を元にしたと思わせるような(?)濃密な描写を披露している。

「いずれも迫真のセックスシーンが盛り込まれています。杉原の作品は主人公『アンリ』が人気グラドルの地位を確立するまでに通った男との日々を綴った“半自叙伝”とも。今野は、なんと全文をiPhoneで打ったというから驚きです。祥子にいたっては、AVを鑑賞しながら妄想を広げていったんだそうです」(前出・出版関係者)

 Saoriに続けとばかりに、今後も文芸作品に挑戦する美女たちが増えそうだ。

上村遼太君は、なぜ殺されなければならなかったのか?『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』

 2015年2月20日未明、神奈川県川崎市の多摩川河川敷で、当時、上村遼太君(享年13)の全裸遺体が発見された。1週間後、日本中が固唾を飲んで見守る中、逮捕されたのは、当時17歳と18歳の未成年3人だった。彼らは、1時間のうちに遼太君の全身にカッターで43カ所も切り付けた。凍てつくような寒さの中、川で泳ぐように命じ、川の中に放置して、逃げ出した。上村君が川から身体を出し、這うことができたのは、23.5メートル。雑草の生い茂る牧地の上で、小さな体は動かなくなった──。

『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)は、日本中を騒がせたこの事件の深層に迫るルポタージュだ。ノンフィクション作家の石井光太氏が、どのようにして、この凄惨な事件が起きてしまったのかを丹念に追っている。事件当日に何が行われたのか、一部マスコミに、イスラム国になぞらえて「カワサキ国」とまで書かれた川崎の不良少年たちと治安、犯人が捕まるまでのネット上での犯人捜し、犯人たちが置かれていた家庭環境、そして、なぜ遼太君が事件に巻き込まれてしまったのか。

 石井氏は現地に何度も足を運び、自分の思想に偏らないようできるだけ多くの人の声を聞き、当時、マスコミで騒がれた内容についての事実関係を客観的に記している。とりわけ、事件に巻き込まれる経緯は、再発防止の意味も込め、詳しく描かれている。遼太君は両親の離婚を大きなきっかけに、小学6年生の時、母親とともに島根県の島から川崎へと引っ越した。中学では、バスケット部に所属し、可愛らしい顔立ちに人懐こい性格で「カミソン」と呼ばれ、男子からも女子からも人気だったという。けれど、夏頃から、部活を休みがちになり、先輩たちとつるみ、ゲームセンターに入り浸るようになり、夜の街で徘徊するようになっていく。

 本書では、これまでマスコミの取材を拒否し続けていた遼太君の父親・後藤善明さん(仮名)が、家庭に関する質問を含め、インタビューに応じている。石井氏は、半年間、数カ月おきに取材を重ね、過程についても話を聞いた。事件が起き、警察から連絡を受け、遼太君と対面した時のこと。少年たちが引き起こした残虐な事件として、日本中で騒がれ、父親と母親、家庭環境に関するバッシングを受ける中、どんな思いで過ごしていたのか。今は連絡が取れないという、離婚した元妻への思うこと。なお、遼太君の母親は、現在、身元を伏せて家族でひっそりと暮らしているため、本書では公判での意見陳述のみが綴られている。

 この事件の判決は、すでに出ている。主犯でも13年の懲役刑、32歳には社会に出る。遼太君は、一生、この世に戻らない。善明さんは、インタビューの一部で、こんなことを語っている。

「遼太は13歳で未来を奪われ、死後もプライベートを暴かれる。でも、犯人たちにはまだ人生が何十年とあり、少年法によってたくさんのことを守ってもらえる。(中略)遺族だって、事件後にマスコミの餌食にされても、根拠のないデマで傷つけられても、加害少年に好き勝手言われても、それで体調を崩しても、国は何一つ助けてくれません。自分の責任で乗り越えるしかない。こんなの間違っていますよ。絶対におかしい」

 石井氏のインタビュー中、父親は厳しい表情を崩さず、淡々と、時に語調を強め、事件を語ったという。判決は出た。けれど、遺族にとっては通過点のひとつであり、事件を背負って生きていく始まりに過ぎない。社会が少年犯罪をどう受け止めるべきか、考えさせられる1冊だ。
(文=上浦未来)

●石井光太(いしい・こうた)
1977年、東京都生まれ。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材、執筆活動をおこなう。著書に『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』(新潮文庫)、『感染宣告』(講談社文庫)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)など多数。事件ルポとして虐待事件を扱った『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』(新潮社)がある。

映画界に投入された人間爆弾・小林勇貴の早すぎる自叙伝『実録・不良映画術』が爆裂的に面白い!!

 福岡で実際に起きた連続殺人事件を題材にした間宮祥太朗の初主演映画『全員死刑』(配給:日活、東京テアトル)の劇場公開が11月18日から始まった。ヤクザ専門のノンフィクションライターとして知られる鈴木智彦の『我が一家全員死刑』(コアマガジン、小学館文庫)を原作に、危険な匂い充満するこの映画を撮り上げたのは1990年生まれの小林勇貴監督だ。静岡県富士宮市出身の小林監督は地元の不良たちを大挙出演させた実録不良映画『孤高の遠吠』(15)が「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2016」オフシアター・コンペティション部門部門グランプリを受賞したばかりの新鋭ながら、速攻での商業デビューを飾ってみせた。そして『全員死刑』に合わせて出版された小林監督の早すぎる自叙伝『実録・不良映画術』(洋泉社)が小林監督の映画と同様に爆裂的に面白い!

 タカシ、キヨシ、ヒロシに憧れていた──という言葉のセンスから常人とは違う。タカシ=『殺し屋1』(01)の三池崇史、キヨシ=『CURE キュア』(97)の黒沢清、ヒロシ=『リング』(98)の脚本家・高橋洋なわけだが、日本映画を代表するバイオレンス&ホラー映画の巨匠たちを、小林監督はまるで『BE-BOP-HIGHSCHOOL』の登場キャラクター呼ばわりである。タカシ、キヨシ、ヒロシたちが残してきた日本映画界の伝説史に、きっとユーキも新しいページを書き加えてくれることだろう。

 小林勇貴監督がいかにして商業監督デビューを果たしたのか、その道のりを書き記した『実録・不良映画術』は、彼の生い立ちから始まる。幼少の頃から『エイリアン』(79)や『スターシップ・トゥルーパーズ』(97)などのモンスター映画ばかりを母親から見せられ続けたというスパルタ式英才教育を施され、アーノルド・シュワルツェネッガー主演映画を見ながら「ほら、これがあんたの本当のお父さん」と教えられたそうだ。小学校では小林監督が楳図かずおの『漂流教室』や望月峯太郎の『座敷女』などのヤバい漫画ばかり持ってくるため、小林文庫は教室出禁となり、その代わりに小林監督は山本英夫の『殺し屋1』の問題シーンをノートに模写して友達に読ませていたという。やがて模写に飽きて、友達同士のケンカをオリジナルの実録漫画にするなど、実録系バイオレンス映画を得意とする映画監督としての萌芽がすでに始まっていた。そんなファンキーなエピソードが序盤から目白押しだ。

 高校1年時の武勇伝にもワクワクさせられる。小林監督自身は不良ではなかったものの(弟は元暴走族)、タッパのでかい暴力主義者のオオグマ先輩が無性に気に入らなくなり、毎日のように睨みつけていたところ、「なんだてめぇ?」と校舎裏でタイマン対決することに。一瞬ビビリながらも、「一度イモを引いたやつは一生イモを引く」という想いが頭をよぎり腹を括ってみせる。深作欣二監督の『仁義なき戦い』シリーズの影響と思われる。オオグマ先輩の「進学受験があるから、顔はなし」という一方的な変則ルールの前に小林監督は破れるものの、どこか男のロマンを感じさせるじゃないですか。この度胸のよさは、不良や暴走族を相手にした自主映画づくりや、間宮祥太朗ら人気キャスト&プロのスタッフを見事に使いこなした商業デビュー作『全員死刑』でも存分に発揮されることになる。

 高校卒業後は東京のデザイン会社に就職した小林監督。やがて映画好きな上司に勧められ、映画づくりを決意。書店に並んでいた映画製作についての本を読破しまくることで、独学で映画監督としてのノウハウを学んでいく。そうやって週末ごとに富士宮に戻って撮影したのが、地元で起きた不良たちのヤバい事件の数々をベースにした『NIGHT SAFARI』(14)や『孤高の遠吠』といった驚異の自主映画だ。昔からヤクザ同士の抗争が多く、ヤクザと創価学会が争ったこともあるという歴史を持つ富士宮という街で生まれ育ってきた男たちの、身体に染み込んでいる暴力衝動が連鎖反応的に爆発してく解放感&陶酔感がそこにはある。いつも心に爆弾を。それが小林監督作品だ。

 小林監督のヤンチャぶりは映画の宣伝スタイルにも現われている。ぴあフィルムフェスティバル(PFF)の同窓会パーティーでは、来場した塚本晋也監督や白石晃士監督らPFF出身の人気監督たちにPFFのスタッフのふりをしてお土産用の手提げ袋を次々と手渡す。袋の中には小林監督が撮った『NIGHT SAFARI』のDVDが入っていた。さらにはライムスター宇多丸のラジオ番組で『孤高の遠吠』を宣伝するために、ポスターを貼るポスティング会社のスタッフに変装してTBSに潜入してみせる。エレベーターを降りた時点で番組スタッフに取り囲まれるも、このときも小林監督は自慢の新作をしっかりとアピールすることに成功した。小林監督の無軌道っぷりには清々しさすら感じてしまうではないか。

 そんな小林監督が撮った初の商業映画『全員死刑』は、映画会社や芸能プロダクションにおもねることなく、さらに危険度がアップしている。兄・サトシ(毎熊克哉)にそそのかされ、暴力団組長の次男・タカノリ(間宮祥太朗)は昔からの遊び仲間を金銭目的のために絞殺するが、殺人という行為そのものにタカノリが興奮し、アドレナリン全開となっていく姿を生々しく描いてみせる。映画初主演となる間宮祥太朗の熱演もあって、ハンパない猛毒映画として仕上がった。

『実録・不良映画術』の終章で小林監督はこのように書き記している。

「本当にあった事件をモチーフにしたことで、ああだこうだと言うヤツがいる。それはそれで当然に思う。見世物小屋で頭はってるんだ、石投げられて当然だ。その怒りを受け止められないようでは職務怠慢だと思う。
 俺は受けて立つ。
 だけど言わせて貰えば、人が恐怖を語り継ぐこと、すでに起きてしまった事件を何かの作品に昇華させて語り継ぐこと、これは大昔から人間がずっとやってきた大事なことだと思う」

 商業映画シーンにおいても、腹を括ってみせた小林監督。12月9日(土)には渋谷アップリンクにて早くも最新作『ヘドローバ』が公開される。『ヘドローバ』は不良しか住んでいない団地を舞台にした抗争エンターテイメントらしい。常識に囚われない男・小林勇貴監督はこれからの日本映画界でますます暴れ回ってくれるに違いない。
(文=長野辰次)

それは、寂しいクリスマスへの序章──“文系デート”の聖地としての「神田古本まつり」

「神田古本まつり」「神保町ブックフェスティバル」。それは、本好きにとっては、1年に一度のお祭り。せどりを生業にする者にとっても、利益を上げる好機である。

 今年も10月27日~11月5日には、多くの古書店、そして、出版社が在庫を割安で販売した。とりわけ、すずらん通りに広がる出版社の出店は、すでに絶版になっている在庫、あるいは、読むには支障はないけれど汚損などで書店には回せない本などが、一斉にバーゲン価格で売られ、多くの人が群がっていた。

 

 基本、日祝日は休業の周囲の店も、この時ばかりは、かき入れ時である。中でも、老舗喫茶店さぼうる、さぼうる2は大行列。それどころか、普段は閑散としているミロンガやラドリオにまで行列ができている。

 

 神保町界隈の編集者や出入りの人々にとっては、よく使われる馴染みの店。待ち合わせや取材の時に「○○時にミロンガ」などといえば、細かく地図や住所を送る手間もない。

 もっとも「いや~ミロンガって聞いてたのに、ラドリオで待ってたヨ!!」ってことは、けっこうある。

 そんな地域密着店も、この時期ばかりは観光地とななる。普段、店を使っているような出版人や本好きは少なく、その多くは家族連れ、そして、カップルである。

 そう、この祭りは単に本好きや、せどりが群れなす祭りではない。文系カップルにとって、なんとも便利なデートスポットなのである。

 ある古書店の前の棚に積まれていたのは、80年代の「POPEYE」や「BRUTUS」など、若者雑誌の山。表紙が破れていたり、ページが折れていて、普段売るには適さないものの投げ売り。これは宝の山だと吟味している筆者の両側は、なぜか中年カップルだった。

「いや~、この時ちょうど学生だったよ」

 みたいな会話をしながら、えらくウキウキしている。とりわけ、不倫カップルっぽい中年のほうは、本を手にしていても内容について語るのではない。男のほうが、ひたすらに自分がいかにウィンドサーフィンでイケていたかを語っているのである。

 

 こうした、一種知的なデートを楽しむ余裕がある中年カップルと異なるのが、若者層。よく見ると、手をつないで歩いている男女と、微妙に距離がある男女は半々くらい。

 興味深いのは、がぜん後者のほうである。距離感が見える。男にとって、このお祭りは一種の口実。とにかく2人だけで会う機会が欲しい。女の側に、その気があるのか? あるいは、断るのも角が立つと、仕方なしに「参加」しているだけなのか? 人混みの中に、微妙な距離感が揺れ動いている。

 筑摩書房、雄山閣、柏書房……さまざまなジャンルの専門書を手に取り、その本の価値を語って、自分の値段を吊り上げようと必死な男。でも、残念だ。隣にいる女のコの瞳は、明らかに違う方向へと泳いでいる。

 このお祭りも、今年で58回。いつも、人知れず多くの恋が破れ、寂しいクリスマスの序章がここに始まるのだと、改めて感じた。
(文=昼間たかし)

それは、寂しいクリスマスへの序章──“文系デート”の聖地としての「神田古本まつり」

「神田古本まつり」「神保町ブックフェスティバル」。それは、本好きにとっては、1年に一度のお祭り。せどりを生業にする者にとっても、利益を上げる好機である。

 今年も10月27日~11月5日には、多くの古書店、そして、出版社が在庫を割安で販売した。とりわけ、すずらん通りに広がる出版社の出店は、すでに絶版になっている在庫、あるいは、読むには支障はないけれど汚損などで書店には回せない本などが、一斉にバーゲン価格で売られ、多くの人が群がっていた。

 

 基本、日祝日は休業の周囲の店も、この時ばかりは、かき入れ時である。中でも、老舗喫茶店さぼうる、さぼうる2は大行列。それどころか、普段は閑散としているミロンガやラドリオにまで行列ができている。

 

 神保町界隈の編集者や出入りの人々にとっては、よく使われる馴染みの店。待ち合わせや取材の時に「○○時にミロンガ」などといえば、細かく地図や住所を送る手間もない。

 もっとも「いや~ミロンガって聞いてたのに、ラドリオで待ってたヨ!!」ってことは、けっこうある。

 そんな地域密着店も、この時期ばかりは観光地とななる。普段、店を使っているような出版人や本好きは少なく、その多くは家族連れ、そして、カップルである。

 そう、この祭りは単に本好きや、せどりが群れなす祭りではない。文系カップルにとって、なんとも便利なデートスポットなのである。

 ある古書店の前の棚に積まれていたのは、80年代の「POPEYE」や「BRUTUS」など、若者雑誌の山。表紙が破れていたり、ページが折れていて、普段売るには適さないものの投げ売り。これは宝の山だと吟味している筆者の両側は、なぜか中年カップルだった。

「いや~、この時ちょうど学生だったよ」

 みたいな会話をしながら、えらくウキウキしている。とりわけ、不倫カップルっぽい中年のほうは、本を手にしていても内容について語るのではない。男のほうが、ひたすらに自分がいかにウィンドサーフィンでイケていたかを語っているのである。

 

 こうした、一種知的なデートを楽しむ余裕がある中年カップルと異なるのが、若者層。よく見ると、手をつないで歩いている男女と、微妙に距離がある男女は半々くらい。

 興味深いのは、がぜん後者のほうである。距離感が見える。男にとって、このお祭りは一種の口実。とにかく2人だけで会う機会が欲しい。女の側に、その気があるのか? あるいは、断るのも角が立つと、仕方なしに「参加」しているだけなのか? 人混みの中に、微妙な距離感が揺れ動いている。

 筑摩書房、雄山閣、柏書房……さまざまなジャンルの専門書を手に取り、その本の価値を語って、自分の値段を吊り上げようと必死な男。でも、残念だ。隣にいる女のコの瞳は、明らかに違う方向へと泳いでいる。

 このお祭りも、今年で58回。いつも、人知れず多くの恋が破れ、寂しいクリスマスの序章がここに始まるのだと、改めて感じた。
(文=昼間たかし)

ヤリチンやギャルだって立派な親に! サイゾー的子育ての心得

──話題のあの記事をただ読む以上に、さらなる知識を知りたいそんなアナタのために、話が100倍(当社比)膨らむ" プレミアム"な記事をサイゾー目線で厳選レビュー! 今回はサイゾーウーマン連載中の「叶井俊太郎の子育て奮闘記」書籍版『突然、9歳の息子ができました。』刊行スぺシャルをお届けします!

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小社刊の『突然、9歳の息子ができま
した。』

 近年、日本では少子化が叫ばれるように、15歳未満の子どもの数が世界最低水準を推移しており、それと呼応するように「おひとりさま」、「草食系男子」ブームなどがすっかり定着してしまった感があります。そんな中、サイゾーウーマンでは叶井俊太郎氏の『突然、9歳の息子ができました。』を刊行。経験人数600人と噂され、草食系男子とは1ミリもかぶるところがないであろう叶井俊太郎氏が子育てについて語るという、多分ほかではお目にかかれない本になっているはずです。