内縁の夫が「新たなる妻を迎えようとした」……傍聴に人々が殺到した、殺害未遂の女医の告白【神戸毒まんじゅう殺人事件:前編】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 兵庫県の西側にあるM病院で副院長を務める橋本義男(仮名・当時28)のもとに神戸大丸からカルカン饅頭が届いた。お中元やお歳暮の時期でもないその届け物を義男の母親が受け取ったのは、1939年(昭和14)4月26日のこと。カルカン饅頭は義男の好物だった。ところが、2個を義男とその実弟が食べ、残りを実妹が、勤務する小学校に持って行き、職場の皆と食べたところ、饅頭を食べた全員がチフスに罹患した。饅頭の表面にはチフス菌が塗られていたのである。義男は一時期重体となるも回復。だが実弟はのちに死亡した。

 問題のカルカン饅頭を送りつけたのは、女医の永尾花子(同・当時29)。あらかじめ、ある細菌研究所からチフス菌の培養器3基を持ち出して神戸大丸に出向いた花子は、そこで購入したばかりの饅頭を便所に持ち込み、チフス菌を全て塗りつけてから発送していたのだった。

 花子がチフス菌付きの饅頭を食べさせたかったのは、義男だった。

【神戸 毒まんじゅう事件】

 女医が饅頭を使い男を毒殺しようとしたこの事件は、第二次世界大戦勃発の年にありながら、世間の耳目を大いに集めた。のちに神戸地裁で行われた公判では、限られた傍聴券を幸運にも手にした者らが午前7時頃から法廷に詰めかけ、午前8時半には法廷をぎっしりと埋め尽くした。一般傍聴席の8割が女性で占められていたという。

 9時半の開廷の頃には、花子の姿を見ようとする人々が法廷外にあふれた。女性の関心を集めたのは、この事件が義男の裏切りをきっかけとしていたものだったからだろう。

 二人の出会いは花子が東京女医学校を卒業し、神戸市民病院に勤務していた頃。ここに見学に来た学生が義男だった。やがて義男から結婚を申し込まれるも、年齢が下だったこと、性格も違っていたことなどから、花子はこれを再三断っていたのだという。やがて義男のあまりにも熱心な求婚に根負けする格好で、31年(昭和6)に内縁関係を結ぶ。すぐに同棲や結婚へと至らなかったのは、義男の事情によるものだ。

 求婚にあたりお互いの家族を交えて話し合いが行われた際、義男は経済的な苦境も打ち明けていた。そこで花子が経済的援助を行い、義男が学位取得を目指すことが約束された。だが義男による援助の要求は、徐々にエスカレートしてゆき、花子の負担は増していったという。

「佐藤へ送金するため女ひとりが夜道を3回も往復して5円作ったり、弟からタバコ代50銭を無心されるのも断り、時には兄の金を無断で借りて送金したこともあった」(神戸地裁での花子の証言)

 やがて義男への送金のため、花子は勤務していた病院を辞め、郷里に戻って開業した。

「1〜2年開業して月々学費を送れば、橋本も何か内職を探すとのことでした。兄には橋本が学校を出たばかりだから、私がついていては研究の邪魔になるから帰って来たといって開業した」(同)

 義男が学位を取得すれば晴れて同棲が叶う。いずれは結婚し、二人で共に人生を歩んでゆく……そう信じて花子は援助を続けていた。そしてようやくその日が来た。

 36(昭和11)年5月、義男は見事学位を取ったのだ。しかし、花子との同棲話は一向に進展する気配がなかった。それどころか、義男には新しい女性を探すそぶりすら見られるようになったのだ。

「橋本は、計画的に学費を出させるために私と結婚し、単位を取った上で、また新しい結婚をする気であったように思います」

 花子は証言台の前で、当時の義男の思いをこう推測する。当時、花子はこのように抱いた疑念を燃料に、徐々に恨みを募らせていた。貢がせるだけ貢がせて、学位を得たら古草履のように捨てられるだけなのか……。

「私を踏み台にして学位を得た橋本が、なんら恥ずるところなく独身者として新たなる妻を迎えようとしているので、橋本への愛は一転して憎しみを帯びるようになりました」

 こうした発言が週刊誌などで報じられるや否や、花子への同情論が巻き起こった。3日続いた公判の終盤、検察官は殺人ならびに同未遂罪として花子に無期懲役を求刑したのに対し、裁判所はのちに、傷害ならびに同未遂罪とし、なんと懲役3年の判決を言い渡したのである。

 当然ながら検事はこれを不服として控訴。舞台は大阪控訴院に移った。そこでも花子への注目度は衰えることはなく、裁判所に詰めかけた人々の群れで大騒ぎとなる。開廷後ほどなく「傍聴満員」のフダが掲げられたが、締め出された人々は一目でも花子の姿を見ようと雪崩れうちに。天満署の警官が出動する騒動となった。別の期日では前夜の午後6時から蓙を敷いて並ぶ傍聴希望者もいたという。

――続きは5月4日公開!

参考文献
「週刊朝日」(朝日新聞出版)1940.3.3
「サンデー毎日特別号」(毎日新聞出版) 1957.5.1

「5歳児餓死事件」赤堀恵美子と同じく洗脳・支配……「福岡4人組保険金連続殺害事件」の死刑囚・吉田純子とは?

 福岡で起こった「5歳児餓死事件」について、耳を疑うような背景が浮き彫りになってきている。3月2日、福岡県系は、保護責任者遺棄致死容疑で、翔士郎ちゃん(5歳)の実母・碇利恵と、知人・赤堀恵美子両容疑者を逮捕した。報道によると、2人はママ友の関係性だが、その実、赤堀容疑者が碇容疑者を“洗脳”していたというのだ。

 赤堀容疑者は「あなたはママ友の間で悪口を言われている」「でも私はあなたの味方」などと言って、徐々に碇容疑者を囲い込むように。また、碇容疑者の夫が不倫していると嘘をつき、離婚までさせ、その精神的支配を強めていったという。

 そして、ある時は架空のトラブルをでっち上げると、共通のママ友を「暴力団ともつながるボス」に仕立て、「ボスがトラブルを解決するので金を用意するよう」と言って、金銭を搾取。また赤堀容疑者は、碇家の生活費を全て管理しており、生活保護なども含めると、約1200万円も巻き上げたことになるそうだ。

 そんな赤堀容疑者の“支配下”で、翔士郎ちゃんは一昨年夏頃から食事を減らされていたといい、「餓死」という最悪の結末を迎えてしまった。

 このあまりにもいたましい「福岡5歳児餓死事件」は、世間の注目度も高く、連日各メディアが報道を繰り広げている。ネット上では、“洗脳”の恐ろしさにあらためて絶句したという人が多数見受けられ、これまで起こった類似事件の名前も挙がっているようだ。その一つが、女性間の洗脳・支配を背景に起こった「福岡4人組保険金連続殺害事件」である。

 福岡の看護婦4人組が、そのうち2人の夫を保険金目的で殺害したという事件なのだが、この4人は異常な主従関係で結ばれていた。トップに君臨する吉田純子という女性が、ほか3人を完全に洗脳し、支配下に置いていたのだ。「福岡5歳児餓死事件」が世間を震撼させる中、あらためてこの事件を振り返るため、サイゾーウーマンの連載「悪女の履歴書」の当該コラムを再掲する。
(編集部)


(初出:2013年1月27日)

女4人組の女帝と下僕――死刑囚・吉田純子が構築した異常な主従関係

 世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

[第9回]
福岡4人組保険金連続殺害事件

 社会を騒がせる重大事件の中には、往々にして類似点が指摘されるものがある。比較的最近では尼崎連続不審死事件の角田美代子、北九州連続殺人事件の松永太、そして今回取り上げる久留米の看護婦4人組による連続保険金殺人の主犯・吉田純子である。これらに共通するのが、主犯による従犯への恐怖や暴力による“洗脳”と”支配”だ。

 平成14年8月、中年女性が伯父に伴われ久留米署に出頭した。ベテラン看護婦の石井ヒト美(当時45歳)だった。ヒト美は警察で夫の殺害を告白する。そこから明らかになったのは、夫殺害はヒト美だけでなく看護婦仲間3人が関わっていたこと、また殺害されたのはヒト美の夫だけでなく共犯看護婦の別の夫も殺害されたこと、2件はいずれも保険金目的の殺害だったという驚くべきものだった。これが世に言う「看護婦4人組連続保険金殺害事件」だ。

 この事件の特異性は、男性2人を殺害したのが女4人組であり、いずれも看護婦という人の命を救うはずの職業にあったことだ。だがそれ以上に世間を驚かせたのが、4人の異常な主従関係だった。その頂点に君臨していたのが吉田純子(当時44歳)である。2件の犯行は純子が主導しており、共犯のヒト美、池上和子そして堤美由紀を完全な支配下においていた。

 その支配は彼女たちの弱みに付け入り、巧みな嘘と脅迫、時には実際の暴力を伴ったものだった。さらにその支配には“レズ行為”が含まれていたことも世間の注目を浴びることになる。3人は純子を“吉田様”と呼び、まるで召使、下僕のような関係だったという。

 純子は昭和34年福岡県柳川市に生まれた。両親と弟の4人家族。父親は自衛隊を除隊し、自動車修理工になるが、生活は苦しく母親も内職をする貧困家庭だった。母親は弟ばかりをかわいがり、純子を軽んじたそうだ。そして、こうした犯罪で共通することでもあるが、幼少期から貧困へのコンプレックス、金への執着、虚言、見栄っぱりな少女であったという。この小中時代の同級生に、後に純子の一番の子分となりレズ関係となる堤美由紀がいた。しかし、当時2人はそれほど親しい間柄ではなかった。

 高校の看護科に進んだ純子だったが、高校2年の時「友人の妊娠中絶費カンパ」という嘘の名目で級友たちから金を騙し取ることに成功する。さらに翌年も、同様の手口でカンパを集めたが、さすがに2度目は嘘が発覚し停学処分、転校を余儀なくされた。この一件で純子は正看護婦ではなく准看護婦の資格しかとれなかったのだが、2度目が発覚した際も特に反省の態度は見られなかったという。その後、一度は就職したものの再び看護専門学校に進み正看護婦となった。22歳で7つ年上の自衛官と結婚、3人の子どもをもうけた。だが結婚直後から夫婦仲は冷え切っていたという。

 平成元年、久留米に住んでいた純子は8年ぶりに美由紀と連絡を取り、急速に親しくなっていく。美由紀もまた看護婦となっていたが、独身だった。純子は次第に美由紀に異常な執着を示していく。アパートにも足しげく通うだけでなく、自ら望んで美由紀の勤める病院に転勤するようになったのだ。当時美由紀は不倫をしていて、別離を望んでいたが、純子はそこにつけ入った。

「私のバックには政界や警察にも顔が利く“先生”がいる。その先生が全部始末してくれる」

 不倫を清算してくれるという純子の申し出を美由紀は当然受け入れた。純子によれば“先生”は配下の人間が沢山いる大物で、影響力も強くかつ怖い存在でもあるという。だが、実際にはそんな“先生”は存在しない。純子のデッチ上げた架空の人物だったが、どんな偶然か不倫相手は美由紀の前から姿を消した。美由紀は“先生”を信じ、同時に純子をも信じた。その後も純子は何かにつけ“先生”を持ち出し、美由紀を心身ともに縛っていくことになる。

 その後、純子は自分との同居を熱心に勧めるようになる。「(トラブルはまだ続いているから)先生がうちに避難するよう言いよる。暴力団を使ってソープで働かせて東南アジアへ売り飛ばす計画らしか」。美由紀の恐怖心を煽る純子。平成3年、美由紀はついに同居を決意する。純子は当時、夫と子ども3人で高級マンションに住んでいたが、美由紀はここで純子の家族と共に住むことになる。

 同居して1年、不自然な同居に夫が家を出たが、同時に純子は美由紀に対し執拗に肉体関係を迫るようになった。最初は抵抗した美由紀だったが、純子は時に罵倒し、時には優しく口説き、それでも拒否されると今度も“先生”を持ち出した。

「先生が『美由紀は何度も中絶して子どもが産めん。だから(純子と)関係を持たないけん』とおっしゃるとよ」

そうして2人は関係を持つようになる。だがその行為は、美由紀が一方的に純子に“奉仕”させられる形だった。本来美由紀は同性愛者ではない。よってその苦痛を紛らわすため、行為の前に酒や薬を使用もした。それでも耐えられずに何度か逃走も図っている。その度純子に見つかり連れ戻された。「先生に頼めばあんたの居場所なんてすぐにわかる」と脅された美由紀は、言いなりになるしかなかった。こうして純子の性欲処理に加え、3人の子どもの世話や家事も美由紀の役割となっていった。ある時純子は「(美由紀との間に)子どもができた」という嘘をついたことがあった。だが美由紀は、こんな純子のあり得ない嘘さえ信じるようになっていた。

 その間純子は、美由紀から金を巻き上げ、給与や通帳の管理をするようになる。美由紀の母からも「美由紀が交通事故を起こした」と550万円を奪った。さらに義兄によるクレジットカード窃盗をデッチあげ、美由紀を親兄弟から分断していった。純子による支配、洗脳はこうして磐石なものとなっていくのだ。

後編につづく

「オレの正体をいま話して聞かせる」94歳オンナ詐欺師、最後の大ボラ! 商店街を主婦を巻き込む大脱走劇【岡山・高齢女性詐欺師:後編】

(前編:94歳、“オンナ詐欺師”の仰天「ホラ吹き」人生ーー「年寄りには親切に」を逆手に

商店街の人々を丸め込む、得意の「手段」

 市内に住むAさんはこのころ銭湯で、滝本キヨと名乗るトミヨと出会った。年を聞いて驚いた。なんと94歳だというのだ。

「10歳は若く見えますよ」
「ふふふ、そうだろうねえ」

 トミヨは年齢を逆に“水増し”することで、相手の警戒心を弱めていた。

 さらに駅前商店街にふらりと現れ、そこでも“仕掛け”を続ける。ちり紙を買うにも分厚い札束をチラリと見せ、ときには、札束の包みを店先に忘れ、すぐに取りに戻って、こうトボける。

「やれやれ、94歳にもなるとボケちゃって。天涯孤独で金ばかりあっても、どうしようもないよ。あっはっは……」

 寿司屋では、500円の寿司を食べても千円札を投げ出し、きっぷの良さを見せつける。

「お釣りだって? いらないよ。オレは江戸っ子だよ」

 こんなふうに存在感を示しながら商店街を練り歩くが、トミヨはよたよた歩きでよく転ぶ。通りがかりの女性が助け起こすと、その手を振り払って「何するんだい。親切そうな顔して、本当は私の財産を狙ってるんだろ? 銀座の土地かい? 株券かい?」などと叱り飛ばす。

「まあ、何を言うんです。私はただ、お年寄りだと思ったから……」

 女性が憤慨していると、トミヨはじっと女性を見つめ、ぽろりと涙を流しながら言うのだった。

「ごめんなさい。本当に親切心で助けてくれたのかい。ああ、若いのにやさしい人だ。あなた、住所と名前を教えておくれ。私はもう94歳。明日にも死ぬ身だ。でも天涯孤独で遺産を譲る相手もない。今のあなたの親切、忘れずにお礼をしますよ……」

 この手を使えば、住所と名前を教えない者はいなかった。

 また銭湯で出会った先のAさんは、後日、商店街でトミヨにこんなことを頼まれた。

「岡山の人は親切じゃと聞いたが、このあたりで余生を送りたい。どこぞに間借りをお願いしたい。金は十分銀行に預けてあるから、利子だけで生活できる」

 品のある和服に白足袋姿のトミヨを、Aさんもすっかり信用した。そしてGさん夫妻にも話した“銀座のタバコ屋”を話題にする。これはトミヨの定番ストーリーだったようだ。

「銀座に持っていた数十坪の土地を最近処分してな。いくら入ったかって? 考えてごらんな、天下の銀座だよ、計算すればわかるだろ」

「銀座に菊水というタバコ屋があってな。今改装中だが、それが終わると、そこの社長に収まることに決まっててな」

 などと言っては、岡山から東京に出て行くたびに、海外のタバコを仕入れ、戻っては「ここの株を持っているが、これは配当代わりに送ってきたもの」と言ってばらまき、皆を信用させていた。

 こうして機が熟した頃、詐欺に乗り出す。

「しまった、きょうは土曜日か。銀行は閉まっちゃったねえ。ちょいと、月曜まで1万円貸しとくれ。2万円にして返してやるよ」
「あら、1万円なんて言わないで、おばあちゃん。ここに5万円あるから、お使いなさいよ」
「そうかい。倍にして返してやるからね」

 月曜日が来ても、トミヨは金を借りたことを忘れているようだ。しかし貸した者が催促しようとすると、

「お前さんには、遺産の半分ぐらいあげようかと思ってんのさ。いつも親切にしてもらって、うれしくってねえ。それにひきかえ、あっちの女房、あいつは嫌だ。むりやり私に金や品物を押し付けて。あれは親切の押し売りだよ」

 立て板に水のごとく、スラスラとこんな話をするので、催促もできずじまい。そのほかにも、

「私はヒスイの鑑定士」
「金を引き出してくるから旅費を……」
「貸してくれれば5倍にして返す」
「土地を買ってやる」
「私の弟は、代議士の知り合い」

 など口から出まかせを言っては、5,000円から5万円を商店街の人々から借りまくった。貸した人間がさすがに気にし始める頃、滝本キヨ名義で、東京のデパートから座布団などのプレゼントが届けられるため、また黙ってしまうのだった。

 銭湯で出会ったAさんも、トミヨのために間借りする部屋を世話したのち「東京の土地を処分したいのだが親戚がうるさいので……」といったトミヨのいつものホラ話を信じてしまったひとりだ。「東京にいい土地がある。手つけを出しなさい」と持ちかけられたことを皮切りに、27回にわたり260万円をだまし取られてしまった。

 同じ手を使い、近所の主婦10人からも金をだまし取る。借用書には「返済の折には金百万円をつける」とあった。いかにも怪しい内容だが、トミヨの話術に丸め込まれ、一時は信用してしまっていたようだ。

 むろん、そのなかにも、金の催促をする者はいた。しかし血相を変えて返済を求めても、トミヨは一向に動じず、今度は銀行や役所も巻き込むのだ。

「うるさいねえ、200万円や300万円の金でゴタゴタ言うんじゃない。オレはいま、東京の銀行から5000万円ばかり、この岡山の銀行に預金を移そうと思っているんだよ。ちょっとお待ち、支店長を呼ぶから」

 本当に銀行に電話をかけ、支店長が飛んでくる。取り立てに来た者はバツが悪くなり引き返したという。また別の日には、複数人がトミヨのもとに金の取り立てに来たが、その目の前で県庁に電話をかけ“1億円の寄付”の相談をまとめるのだ。失いかけた信用は一挙に元に戻った。

 あの手この手で、借りた金の返済を免れてきたトミヨだったが、ごまかしの万策も尽き果て、被害者たちに取り囲まれた。逮捕直前の夏のことだ。

「株も土地もないのとちがうか?どうだ、全部嘘だろう」

 銀座のタバコ屋に“滝本キヨ”について確認し、トミヨの話が嘘だと知った者たちは問い詰めた。するとトミヨは、全て嘘だと認めたその直後、皆を一喝する。

「オレの正体をいま話して聞かせる。オレは密輸グループの一員で、サツに追われている身なんだ。だけどさ、お前たちに借りた金ぐらい、耳を揃えて返してやるから安心しな」

 検挙された時の罰金や追徴金のために、密輸グループらで金を積み立て、隠し持っている……という“最後の大ボラ”をかましたのだ。

「このうちの1000万円を引き出してくるから、2日だけ待て」

 そう言って、トミヨは岡山から立ち去った。

 嘘に嘘を重ねて金を借りまくり、逃げた先の静岡でも、同じように嘘をつき続けたトミヨは、詐欺罪で起訴後、懲役2年、執行猶予5年の判決を受け、のちに岡山県の老人ホームに引き取られた。

 しかし「オレ、こんな老人ホーム、いやだ、いやだ」と、一度脱走。岡山駅裏の旅館で、長野から出稼ぎに来ていた70歳の男性に、

「絵を預けてある名古屋の知人のところまで、一緒に行ってくださいな」

 とまた得意の作り話で、名古屋行きの切符を用立ててもらおうとしていたところ、すぐに発見され、老人ホームに戻されたという。

【参考文献】
S48.10.17 「女性セブン」
S48.10.15 「週刊文春」
S49.8.8 「女性自身」

94歳、“オンナ詐欺師”の仰天「ホラ吹き」人生ーー「年寄りには親切に」を逆手に【岡山・高齢女性詐欺師:前編】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 第一次オイルショックにより、令和の今も有事の際に起こるトイレットペーパー買い占め騒動が頻発し、ツチノコブームに沸いた昭和48年。秋の昼下がり、新幹線の岡山駅に一人の小柄な和服姿の老婆が降り立った。

 白髪をまとめ、コウモリ傘を片手に柔らかな眼差しを周囲に向ける。ぴったりと寄り添う中年男性は、この老婆の背中に優しく手を添えて歩く。事情を知らないものが2人を見れば、親孝行の息子が年老いた母親をいたわっているように見えたかもしれない。

 ところが彼女は、近づいて何か問いかけた男に、一喝した。

「歩きながらモノを尋ねるとは失礼じゃ! ちゃんと記者会見せい!!」

 中年男性は刑事であった。この元気な老婆は桐山トミヨ(仮名)、83歳。静岡から岡山へ護送中の一幕であった。

【岡山 高齢女性詐欺師】

「おばあちゃん、前にも悪いことしたことがある?」
「……」
「こんどが初めて?」
「うん」
「大正時代にも、警察にやっかいになったのとちがう?」
「どうして知ってるの?」
「そら、やっぱり」
「これから言うつもりだったんだ、聞きたくないの?」
「むむっ……」

 取調官が言葉に詰まると、トミヨはニヤリと笑って言う。

「すまんがお茶をください」

 仕方なくお茶を出すと、

「お茶菓子は羊羹がいい」

 万事そんな調子で、取り調べが一向にはかどらない。課長も記者らにこぼした。

「“年寄りには親切に”という気持ちを逆手に取ったやり方で、まったく腹が立ちます」

 被害総額は600万円。3年間で実に40件もの詐欺を働いたトミヨが岡山西署で指名手配され、9月29日に静岡・浜松市で逮捕されたのは、同県に住むGさん夫婦の通報によるものだった。だまし取られた金額は2万6000円であったが、親切を裏切られたという精神的ショックは大きかったようだ。

 Gさんが勤めていた浜松駅近くの旅行代理店にトミヨが立ち寄ったのが、二人の出会いである。日傘と風呂敷包みを持ったトミヨは、「滝本キヨ」と偽名を使い「神戸から東京へ行くところだが旅館を世話してほしい」と頼んだ。対応したGさんが3,500円のクーポン券を渡すと、トミヨはおもむろに懐から折り目のない五千円札を差し出し、言った。

「あんたは親切な人や。近いうちにお礼に行くから住所を教えてくれんかの」

 のち、本当にGさんのもとを訪れたトミヨは、出迎えてくれたGさんの妻、ウメさんに身の上話を始めた。

「自分は東京の足立区に住む宝石鑑定士だが、周りの者と折り合いが悪い」

 ……このように語るトミヨに同情したウメさんは、その晩、トミヨを自宅に泊めた。そのうえ「銀座のど真ん中にタバコ屋を持っていたが、500万円で売った」など語りながら「米原の知り合いのところへ行くのに、いま持ち合わせがない」と言い、数回にわけて金をだまし取ったのである。

 もちろん、Gさん夫妻はこのとき自分たちがだまされたなどとは思ってもいなかったが、9月24日付の静岡新聞で、トミヨが詐欺罪で指名手配されていることを知る。愕然としていたこの夫妻のもとに26日、なぜかトミヨが舞い戻ってきた。ウメさんは慌てて110番通報。そしてトミヨは逮捕されたのだった。

 この老女は詐欺に手を染めるようになる前、真面目に働き、恋人もいた。

 明治23年、長野県で酒造業を営む家の長女として生まれたトミヨは、高等女学校を出て上京。文京区の美術学校に進学した。在学中に美形の東大生と恋に落ちたものの、教師の資格試験に合格したことから、郷里に戻り、小学校で教鞭を振るった。

 当時は、その給料の大半を、恋人に送金していた。ところが恋人は東大を卒業すると仕事の都合で樺太暮らしになってしまう。居ても立っても居られないトミヨは彼を追い樺太へ。ようやく彼の住む家を探し当てたが、すでに妻帯者となっていたことがわかる。

 極寒の地でひとり恋に破れ、自暴自棄になったトミヨは、教師を辞め、そののち窃盗と横領で逮捕される。以後数十年間、次々に罪を重ねていった。そして逮捕の3年前、岡山にたどり着く。

 トミヨがとった手段は「自分には金がある」と見せることだった。老い先が短いと思わせるため、年齢も偽った。

 結城紬の対の着物に、つづれの帯。杖をコトコトと鳴らして運ぶ足には真新しい白足袋が光る。隙のない贅沢な身なりで、商店街を歩き回り、たどり着いたのは川沿いの「素泊まり500円」の旅館。この宿帳に〈滝本キヨ 94歳〉と達筆をふるう。本当の年齢よりも10歳上にサバを読んでいる。

「ひえ〜っ、ご隠居さん、94歳ですかぁ……」

 旅館の女将は仰天した。この年齢で一人旅とは、事情があるのか?

「あのう、宿泊料は前金になっておりますが……」
「あ、そう。いくら?」

 取り出した財布を見て、また仰天。100万円近い現金がぎゅうぎゅうに詰まっていたのだ。トミヨは驚く女将に財布を示し、スラスラとこんなことを言う。

「これは小遣い。はした金よ。わたくし、身寄りも頼りもないけれど、財産だけは嫌になるほどあってねえ……」

 そしてさらに続ける。

「わたくしはね、島崎藤村の弟子だったの。そう、昔の文学青年なら、わたくしの名前知ってますよ。女流作家だもの。いま、94年の人生を回想して自叙伝を書いてるけど、この岡山の旅館のことも書いてみたいねぇ……」

 荒唐無稽なホラ話だが、札束で膨らんだ財布を見せられながらだと、真実味が増すのか、女将はすっかりトミヨを信じてしまった。

 

女詐欺師が語った「男性に愛されるための研究」と「男に可愛がられた私」の記憶【熊本:つなぎ融資の女王】

 早朝の羽田空港。スーツ姿の捜査員に伴われ、タイから強制送還されたその女がが姿を見せると、報道陣からどよめきが起こった。朝はまだ肌寒い4月にもかかわらず、膝上20センチのショートパンツから、美脚があらわになっていたためだ。

 「62歳の聖子ちゃん」ともいわれたその女は、東京の男性から7000万円近くを違法に出資させたとして国際指名手配されていた。逃亡先のタイでは色白ぽっちゃりフェイスに松田聖子風のヘアスタイル、オフショルダーの白いブラウス、生足にショートパンツという出で立ちで、さらには“38歳”と年齢を偽っていたという。

 そんな彼女、山辺節子(逮捕当時62)は熊本県の地元では「姫御殿」と呼ばれる家に住んでいた。「つなぎ融資の女王」とも呼ばれる節子は、言葉巧みにだまし取った金をタイ人の男性(35)に貢ぎ、そしてその前には、フィリピン人男性の恋人にも、多額の金を貢ぎ、家族の生活費まで払っていた。最終的に節子は、1億7700万円をだまし取ったという詐欺罪で熊本地検に起訴され、羽田に降り立った1年後の2018年4月19日、熊本地裁で懲役7年の判決が言い渡された(求刑懲役10年)。控訴せず、刑は確定している。

(前編:「62歳の聖子ちゃん」1億7700万円をだまし取った、山辺節子の男と金と詐欺人生

「つなぎ融資の女王」誕生の一言

 節子は30歳になる頃、熊本市内にスナックを開いた。盛況だったが、数年で閉じる。

「離婚後、仕事はしていないと聞いていましたが、いつもジャガーに乗っていました。いつもノースリーブなので、寒くないのかと尋ねると、後部座席に毛皮のコートがあるから、と。支払いはカードではなく現金。財布は万札で膨らんでいて、なぜ仕事をしていないのにお金を持っているのか不思議でした。当時から男に貢がせているといううわさはありました」(同級生)

 節子が47歳の時に完成した「姫御殿」は「豆御殿」とも言われているという。男たちに貢がせて建てた御殿という隠語なのだという。

 噂の絶えない彼女はスナックと並行して焼却炉の製造販売会社を興していたが、資金繰りに行き詰まり、2005年に破産。選挙のウグイス嬢やイベントの司会で生活費を工面するようになったものの、派手な生活はやめられず、ついにはヤミ金にも手を出すようになった。

 ほどなく、投資詐欺に手を染める。

「2011年秋、ヤミ金の支払いが限界を迎えました。しかし、知人からお金を借りることはプライドが許しません。私は知人の1人に“お金を貸して”と言うかわりに“30万円投資してみない?”と言ってしまったのです」

 判決を控えた節子は、週刊誌の取材に対して、自ら「つなぎ融資の女王」誕生の瞬間をこう振り返った。

 ところが、当初は出ていたと言う配当は2015年には止まり、その年の秋以降、節子は地元から姿を消した。フィリピンやタイに渡り「フィリピンのコンドミニアムを売ってお金を返すので先に(出資者の)4%を送って」などという口実で金を集めては、現地の30代ホストに貢いでいた。

 週刊誌に寄せた手記で、節子は自分には幼い頃から“ある能力”が備わっていたとつづっている。

〈先生から叱られると、じいっと相手の目を見てまばたきせず、涙をつうっと一粒流す。ほとんどの先生は許してくれる。男性先生だけに通用する技だ。反比例するように女子や女性からは、どんどん嫌われていく。両親ですら父は私を以上に可愛がりいつも一緒だった〉

〈私は元来の美人ではないことを知っている。装いと誰にも負けない雰囲気づくり、表情、声、話し方、しぐさ、これらを細かく分析し、相手や場所に合わせてまるで一枚のパズル絵のように仕上げていく〉

 愛されるための研究を続け、そしてまた実際に男性に愛され続けて来た節子。38歳に見えるよう顔や胸の形を良くするヒアルロン酸注入施術も受けるなどしてきたが、拘置所で面会取材した記者の前でその面影は消え失せていた。黒のタートルネックと胸にリボンをあしらった青いショート丈のワンピースと、服装こそ若さを感じさせはするものの、三つ編みにしてまとめた髪は毛先の10センチほどだけが黒く、あとは真っ白だった。

 玉手箱を開けた浦島太郎のごとく、夢から醒めた節子が記者に語ったのは“身を隠していたときの生活”だった。このとき、九州の建設会社社長Aさんのもとに身を寄せ、たびたび援助をうけながら、その金で東京に飛び、ホストクラブに足繁く通っていたのだという。お目当は歌舞伎町のホスト、Bだった。

「行き詰まった現実から逃げたいという思いもありました。そんなときに思い出したのが、華やかな生活を送っていた数年前に一度だけ会ったことのある歌舞伎町のホストBのことでした。一度思い出したら、いてもたってもいられなくなり、Aさんに“東京でどうしても進めなければならない仕事がある”と説明したところ、500万円の現金を渡してくれました。それを持ってBに会いに行ったんです。もらった500万は2日くらいで使い切りました(笑)」

 このサイクルを繰り返していたが、そんな生活は長くは続かない。

「Aさんは私に愛情を持っていたんだと思います。でも、私の好みはB。一刻も早く会いたくて仕方がない。そんなことだから、クリスマスの日にAさんと大ゲンカしてしまうんです。お互いに感情的になって……私はAさんの用意してくれたケーキを彼の顔に押し付けて逃げ出したんです。グニグニ〜〜って」

 節子がその間に受け取った額は4500万円にものぼるという。その後、のちに身柄を確保されることになるタイに逃亡。レストランで31歳のプロボクサーの男性に声をかけられたことがきっかけで交際を始めていた。金をだまし取った被害者らに「申し訳ないことをしました」と語りながらも、面会ではBへの未来を夢見ていた。

「私はこの人と結婚の約束をしました。何年先になるかわからないけど、出所したらラオスで暮らします。彼を呼んで一緒に暮らすつもりです」

 研究し尽くした愛嬌を武器に、男に愛され続けてきた節子。息子や娘が面会に来ることは一度もなかったという。

【参考文献】
「新潮45」2017.6
「週刊新潮」2017.5.4・11.20、18.04.26
「週刊ポスト」2018.4.6
「SPA!」2017.4.25
「女性セブン」2017.4.272018.4.19
「FRIDAY」2017.4.262017.5.5

1億7700万円をだまし取った「62歳の聖子ちゃん」、山辺節子の男と金と詐欺人生【熊本:つなぎ融資の女王】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 早朝の羽田空港。スーツ姿の捜査員に伴われ、タイから強制送還されたその女が姿を見せると、報道陣からどよめきが起こった。頭に上着のフードを深くかぶり、ワイドショーなどで報じられていた“聖子ちゃんカット”が隠されていたからではない。朝はまだ肌寒い4月にもかかわらず、膝上20センチのショートパンツから、美脚があらわになっていたためだ。

 「62歳の聖子ちゃん」とも呼ばれていた彼女は、東京の男性から7000万円近くを違法に出資させたとして国際指名手配されていた。逃亡先のタイでは色白ぽっちゃりフェイスに松田聖子風のヘアスタイル、オフショルダーの白いブラウス、生足にショートパンツという出で立ちで、さらには“38歳”と年齢を偽っていたという。

 被害者は東京の男性だけではない。複数の知人らに投資話を持ちかけ集めた多額の金を、入れ込んでいたタイ人の男性(35)に貢いでいた。そしてその前には、フィリピン人男性の恋人にも、多額の金を貢ぎ、家族の生活費まで払っていた。

【熊本 つなぎ融資の女王】

 熊本県上益城郡益城町の中心から南東に4キロほどの場所にある、山あいの小さな集落。数軒の農家が並ぶ中、周囲の風景と不似合いな豪邸がそびえる。地元では「姫御殿」と呼ばれるその家に住んでいたのは「62歳の聖子ちゃん」「つなぎ融資の女王」こと、山辺節子(逮捕当時62)だった。彼女が逮捕されたのは2017年4月。この「姫御殿」に続く道は当時、前年4月に発生した熊本地震で倒れ落ちた巨石で塞がれていた。

「ここいらじゃそんな豪邸はあれだけよ。金持ちの男に貢がせて建てたっちゅう話。真っ赤なベンツば乗り回しよって、有名な女じゃった」(地元住民)

 節子はのちに被害者となる出資者らを、その「姫御殿」に招き、つなぎ融資のスキームをこう説明していたという。

「融資の審査に通っても、実際に大企業が銀行から資金を借りいれるまでには数カ月のタイムラグがある。そのつなぎの資金を調達するから、元本保証なのに10カ月で平均20%ものリターンになる」

 企業が銀行に融資を頼み、それが実行されるまでには時間がかかる。このタイムラグを埋めるのが「つなぎ融資」であり、融資の相手先にしているのは、東芝やシャープ、ソニーといった大企業ばかりなので、倒産の恐れはなく、銀行から融資が降りればすぐにお金は返ってくる。だから元本は保証されており、高利率の配当が約束される、というのである。

 知人の紹介を受けて「姫御殿」に招かれ、のちに4000万円の被害を被った男性は語る。

「『興信所をつけて、あなたがこの案件に参加するのに相応しいか審査させてもらう』と言われて3カ月間放置されたうえに、話し合いの場は豪華な自宅。おまけに『絶対、口外しないように』というので、完全に本物だと信じ込んでしまった。仮に詐欺師なら自宅に呼ばないし、私の周囲にお金を持った人間がいると信じれば『金持ちを紹介しろ』と言ってくるでしょう。そんな思い込みを逆手に取られてしまいました」

 総工費1億円とも言われる「姫御殿」の床は全て大理石。高級そうな調度品も、羽振りの良さを物語っていたという。車庫にあった車は2000万円相当のベンツCLSクラスのAMGと、普段使いのスポーツカー・フェアレディZ。女性のお手伝いさんが複数いたという。さらに、その自宅以上に豪華なエレベーター付きの別荘にも招待されたことで、この男性は節子を信じて“出資”を決める。

 ところが、こうして巻き上げられたお金の大半は、節子の“金満生活”に費やされていた可能性が高い。逮捕直前に滞在していたタイのホストだけでなく、フィリピンのホストにも入れ込んでいた。「毎月2500万〜3000万円をフィリピンに持って行っている」と自ら被害者に話していたように、ホストに高級コンドミニアムだけでなくポルシェ・ボクスターまで買い与え、さらにはホストの家族の生活費の面倒まで見ていたという。節子はその男性に男とのツーショット写真を見せながら、そんな自慢をしていたのだそうだ。

 逮捕当初、この「つなぎ融資」名目で金をだまし取られた被害者は全国各地に存在し、被害総額は7億円を超えるともいわれていたが、最終的に節子は1億7700万円をだまし取ったという詐欺罪で熊本地検に起訴され、強制送還からちょうど1年後の17年4月19日、熊本地裁で懲役7年の判決が言い渡された(求刑懲役10年)。控訴せず、刑は確定している。

 言葉巧みに出資を募り、集めた金を若いホストに貢いできた節子は、昭和30年3月3日、「姫御殿」のある益城町に生まれた。父親は市内大手バス会社の運転手、専業主婦だった母親は、材木屋の娘で恵まれた家庭の出だった。一人娘だった節子はその母親に可愛がられ、近所の住人によれば、母親は節子のことを「自分の思ったことしかしない子ども」だと話していたという。

「幼少期は地味な子だったけど、高校に入ってから男関係が派手になった。とっかえひっかえいろんな男と付き合うもんだから、両親が心配して高卒後早く結婚させたんです」(元子を知る地元住民)

 節子は中学卒業後に熊本市内の私立女子高に進学した。地元では「お嬢さん学校」として知られる偏差値中程度の高校だ。ところが節子は在学中に男と駆け落ちする「事件」を起こし留年。4年かけて卒業した。

 中学時代の同級生が、高校卒業後に通勤バスに乗っていると、制服姿の節子にばったり出くわした。

「普通だったら、バツが悪くて顔を背けると思う。でも、節ちゃんはニコニコしながら近寄ってきて“羨ましい、もう働いているの? 私なんか、まだ卒業できなくて、高校3年生よ!”とあっけらかんと言う。まったく悪びれる様子がないんです。事件の後、ニュースで流れる節ちゃんの動画を見て、あぁ、当時と全く変わってないな、と思いました。無垢な部分があるんです」(同級生)

 卒業後の節子は自動車会社に勤める男性と結婚し、長男と長女に恵まれたが、のちに離婚に至る。

「旦那の出張が多くなると、また男遊びが再燃して。それがバレて離婚しとります。別れるちょっと前には熊本市内で水商売を始めている。社長やら大金持ちを何人もつかまえたようで、生活がエラい派手になっていった」(地元住民)

――続きは12月20日公開

1億7700万円をだまし取った「62歳の聖子ちゃん」、山辺節子の男と金と詐欺人生【熊本:つなぎ融資の女王】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 早朝の羽田空港。スーツ姿の捜査員に伴われ、タイから強制送還されたその女が姿を見せると、報道陣からどよめきが起こった。頭に上着のフードを深くかぶり、ワイドショーなどで報じられていた“聖子ちゃんカット”が隠されていたからではない。朝はまだ肌寒い4月にもかかわらず、膝上20センチのショートパンツから、美脚があらわになっていたためだ。

 「62歳の聖子ちゃん」とも呼ばれていた彼女は、東京の男性から7000万円近くを違法に出資させたとして国際指名手配されていた。逃亡先のタイでは色白ぽっちゃりフェイスに松田聖子風のヘアスタイル、オフショルダーの白いブラウス、生足にショートパンツという出で立ちで、さらには“38歳”と年齢を偽っていたという。

 被害者は東京の男性だけではない。複数の知人らに投資話を持ちかけ集めた多額の金を、入れ込んでいたタイ人の男性(35)に貢いでいた。そしてその前には、フィリピン人男性の恋人にも、多額の金を貢ぎ、家族の生活費まで払っていた。

【熊本 つなぎ融資の女王】

 熊本県上益城郡益城町の中心から南東に4キロほどの場所にある、山あいの小さな集落。数軒の農家が並ぶ中、周囲の風景と不似合いな豪邸がそびえる。地元では「姫御殿」と呼ばれるその家に住んでいたのは「62歳の聖子ちゃん」「つなぎ融資の女王」こと、山辺節子(逮捕当時62)だった。彼女が逮捕されたのは2017年4月。この「姫御殿」に続く道は当時、前年4月に発生した熊本地震で倒れ落ちた巨石で塞がれていた。

「ここいらじゃそんな豪邸はあれだけよ。金持ちの男に貢がせて建てたっちゅう話。真っ赤なベンツば乗り回しよって、有名な女じゃった」(地元住民)

 節子はのちに被害者となる出資者らを、その「姫御殿」に招き、つなぎ融資のスキームをこう説明していたという。

「融資の審査に通っても、実際に大企業が銀行から資金を借りいれるまでには数カ月のタイムラグがある。そのつなぎの資金を調達するから、元本保証なのに10カ月で平均20%ものリターンになる」

 企業が銀行に融資を頼み、それが実行されるまでには時間がかかる。このタイムラグを埋めるのが「つなぎ融資」であり、融資の相手先にしているのは、東芝やシャープ、ソニーといった大企業ばかりなので、倒産の恐れはなく、銀行から融資が降りればすぐにお金は返ってくる。だから元本は保証されており、高利率の配当が約束される、というのである。

 知人の紹介を受けて「姫御殿」に招かれ、のちに4000万円の被害を被った男性は語る。

「『興信所をつけて、あなたがこの案件に参加するのに相応しいか審査させてもらう』と言われて3カ月間放置されたうえに、話し合いの場は豪華な自宅。おまけに『絶対、口外しないように』というので、完全に本物だと信じ込んでしまった。仮に詐欺師なら自宅に呼ばないし、私の周囲にお金を持った人間がいると信じれば『金持ちを紹介しろ』と言ってくるでしょう。そんな思い込みを逆手に取られてしまいました」

 総工費1億円とも言われる「姫御殿」の床は全て大理石。高級そうな調度品も、羽振りの良さを物語っていたという。車庫にあった車は2000万円相当のベンツCLSクラスのAMGと、普段使いのスポーツカー・フェアレディZ。女性のお手伝いさんが複数いたという。さらに、その自宅以上に豪華なエレベーター付きの別荘にも招待されたことで、この男性は節子を信じて“出資”を決める。

 ところが、こうして巻き上げられたお金の大半は、節子の“金満生活”に費やされていた可能性が高い。逮捕直前に滞在していたタイのホストだけでなく、フィリピンのホストにも入れ込んでいた。「毎月2500万〜3000万円をフィリピンに持って行っている」と自ら被害者に話していたように、ホストに高級コンドミニアムだけでなくポルシェ・ボクスターまで買い与え、さらにはホストの家族の生活費の面倒まで見ていたという。節子はその男性に男とのツーショット写真を見せながら、そんな自慢をしていたのだそうだ。

 逮捕当初、この「つなぎ融資」名目で金をだまし取られた被害者は全国各地に存在し、被害総額は7億円を超えるともいわれていたが、最終的に節子は1億7700万円をだまし取ったという詐欺罪で熊本地検に起訴され、強制送還からちょうど1年後の17年4月19日、熊本地裁で懲役7年の判決が言い渡された(求刑懲役10年)。控訴せず、刑は確定している。

 言葉巧みに出資を募り、集めた金を若いホストに貢いできた節子は、昭和30年3月3日、「姫御殿」のある益城町に生まれた。父親は市内大手バス会社の運転手、専業主婦だった母親は、材木屋の娘で恵まれた家庭の出だった。一人娘だった節子はその母親に可愛がられ、近所の住人によれば、母親は節子のことを「自分の思ったことしかしない子ども」だと話していたという。

「幼少期は地味な子だったけど、高校に入ってから男関係が派手になった。とっかえひっかえいろんな男と付き合うもんだから、両親が心配して高卒後早く結婚させたんです」(元子を知る地元住民)

 節子は中学卒業後に熊本市内の私立女子高に進学した。地元では「お嬢さん学校」として知られる偏差値中程度の高校だ。ところが節子は在学中に男と駆け落ちする「事件」を起こし留年。4年かけて卒業した。

 中学時代の同級生が、高校卒業後に通勤バスに乗っていると、制服姿の節子にばったり出くわした。

「普通だったら、バツが悪くて顔を背けると思う。でも、節ちゃんはニコニコしながら近寄ってきて“羨ましい、もう働いているの? 私なんか、まだ卒業できなくて、高校3年生よ!”とあっけらかんと言う。まったく悪びれる様子がないんです。事件の後、ニュースで流れる節ちゃんの動画を見て、あぁ、当時と全く変わってないな、と思いました。無垢な部分があるんです」(同級生)

 卒業後の節子は自動車会社に勤める男性と結婚し、長男と長女に恵まれたが、のちに離婚に至る。

「旦那の出張が多くなると、また男遊びが再燃して。それがバレて離婚しとります。別れるちょっと前には熊本市内で水商売を始めている。社長やら大金持ちを何人もつかまえたようで、生活がエラい派手になっていった」(地元住民)

――続きは12月20日公開

【宮城・婚活サイト殺人事件:後編】「胸も大きかったんで、好みだった」女との結婚を夢見て……罪に飲み込まれた男たち

 

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 いわゆる〝首都圏連続不審死事件〟で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した木嶋佳苗死刑囚(45)は、出会った男性たちからたびたび金を詐取し、うち3名を殺害していた。出会いの場は婚活サイトだ。

 ここに彼女は「結婚相手を探している」と登録し、男性たちに「学校に通うための授業料が必要」だと嘘をついて多額の金を振り込ませたり、ホテルに誘い、睡眠薬入りの飲み物で男性を眠らせた上で、財布から金を盗んで部屋から立ち去るなどしていた。

 木嶋死刑囚の一審裁判員裁判が開かれたのは、さいたま地裁。2012年のことだ。それから2年後、ここで同じように「婚活サイト」が出会いの舞台となった事件の裁判員裁判が行われた。宮城県に住む女・伊藤奈苗(仮名)は、埼玉県行田市在住の男性・黒木誠さん(仮名)とサイトで出会い、結婚をほのめかしながら多額の金を貢がせた揚げ句、黒木さんを殺害した。

 だが彼女自身が手を下したわけではない。実行犯は、同じく婚活サイトで出会った別の男・鈴木光俊(仮名)だった。男は惚れた弱みにつけ込まれ、身も心も操られていた。

(前編:【宮城・婚活サイト殺人事件:前編】木嶋佳苗に続いた“セックスと金”の婚活オンナ

蔵王の殺人未遂と埼玉での殺人実行

 「後には引けないからよろしく。返り血を浴びないように眼鏡をかけてね」……奈苗は黒木さんに睡眠薬を飲ませ、寝入った黒木さんにさらにインスリンを注射し、隣の部屋で待機する光俊に声をかけた。一人、黒木さんの部屋に赴いた光俊は、仕事で使っていたL型アングルを手に持ち、床で眠っていた黒木さんの目元や眉間を何度も殴った。

「殺してしまった。間違いなく警察に捕まるが、奈苗さんのことを黒木さんから守ることができた」

 こう思ったというが、しかし黒木さんは脳挫傷や目の損傷など大けがを負いながらも、九死に一生を得ていた。そしてなぜか、光俊のことも警察に話さなかった。罪を逃れたふたり。いま奈苗から離れるか、それともとことん付き合うか。光俊にとっては、運命の分かれ道だったことだろう。ところが、奈苗はこう言ってきた。

「黒木さん名義のクレジットカードを作って、楽天で指輪を買ってしまった。黒木さんにバレると、これまで以上に取り立てが厳しくなる。ここまで来たらもう、後戻りできない」

 光俊は、奈苗の望みを叶えることを選んだ。退院後の黒木さんを車に乗せ、埼玉県の自宅へ送る途中に、奈苗が黒木さんに睡眠薬入りのコーヒーを飲ませた。自宅に着く頃に黒木さんは目覚めていたが「病院で処方された薬を飲もう」と奈苗がもう一度睡眠薬を飲ませる。黒木さんが再び寝入ったことを確認し、奈苗は言った。

「今度こそしっかりやるんだよ。こんちくしょう、みたいな気持ちでやらないと、だめなんだからね」

 この言葉に背中を押された光俊は、眠り続けている黒木さんの右手を取り、牛刀を握らせた。自殺に見せかけるための方法だった。何度も奈苗と予行演習していたやり方だ。それでも、なかなか決心がつかない。

「実際、黒木さんを殺すのが怖かった。手は小刻みに震えていました。なんとか黒木さんを刺しましたが、全然力が入ってなくて、首の皮が一枚切れたような状態……それで、自分なりに今度こそ、と決意を固め、黒木さんの首を切りました。

 とうとう黒木さんを殺してしまった。これで間違いなく警察に捕まるという思いがありました。ただ……それでも、やっとこれで、奈苗さんを黒木さんから解放することができたという達成感がありました」

 2人は黒田さんを殺害後、彼の現金や健康保険証、指輪、キャッシュカードなどを奪い、部屋を後にした。

 奈苗と光俊は、退院後の黒木さんに対する強盗殺人などで起訴され、14年7月、さいたま地裁で裁判員裁判が行われた。罪に問われたのは、強盗殺人だけではない。黒木さんが詳細を明言しなかった蔵王のホテルでの大けがも、2人によるものだったとして強盗殺人未遂で起訴されていた。

 さらに殺害直後、福島県内のコンビニATMで黒木さんのキャッシュカードを使い不正に現金を引き出した(総額188万円)ほか、光俊が黒木さんになりすましスマホ10台を契約。これを売却し約14万の利益を得ていた。11年にはまた別の男性の家に忍び込みネックレスや着物などを奪った罪にも問われていた。

 起訴状や証拠によれば、奈苗は黒木さんから1000万円以上を借りており、返済を迫られていた。そのために殺害を企図したとされている。実行犯となった光俊も同様に、奈苗に夢中になるあまり、600万円~700万円ほどの“援助”をしたという。

 法廷に現れた奈苗と光俊は、どちらも小柄な中年だったが、2人ともかなり太っており、証言台の前に並んで立つ姿は横から見ても前から見ても同じ幅で、どこか“ゆるキャラ”を彷彿とさせる。これでも光俊はかなり痩せたといい、逮捕前は100キロを超える巨漢だったそうだ。そして光俊は、奈苗のそんな肉体にも惹かれたのだと明かした。

「初めて会った時の第一印象は……ふくよかな方で……え~、胸も大きかったんで、私の好みだと思っていました」

 光俊による2度の黒木さん襲撃は奈苗への愛ゆえだった。彼のいびつな愛は、この事件だけで示されたわけではない。震災の前の年のフィリピン旅行で、奈苗は「光俊の足を拳銃で撃ち、海外旅行保険金をだまし取る」ことを提案してきたのだという。

「結局それは実行しませんでしたが保険金はおりました。自分で足の指を……切断しようとして、実際に切りました。一人で途中までは切りましたが……どうしても切り落とすことができなかったので、ナイフを足の指の上に置いている状態で、奈苗さんが、スーツケースを上から叩き落とすというのをやりました」

 足の指を失い、二股をかけられた上、なんの恨みもない男性を殺害させられた光俊。奈苗に人生を一変させられたにもかかわらず、最後に言った。

「こういった事件を起こすくらい、愛してたってことですから、一概に、なんとも思っていないとは言えないですけど……まだ完全に奈苗さんのことを嫌いにはなれません」

 だが、一方の奈苗は、光俊への愛情など最初からなかったかのような供述に終始した。まず事件は“光俊が勝手にやったことであり、共謀などしていない”と、消え入りそうな声で一部否認し、光俊に罪をなすりつけた。被告人質問になると、それまでとは比べ物にならない大きな声で、こう言い放った。

「私は結婚できないと伝えてました。婚約者でもありません。私にとっては援助してくれる男性。光俊さんもそれでいい、と言っていました。私にとっては、援助してくれる男性です」

 これを目の前で聞く光俊は、大きな背中を丸め、ただうなだれるばかりだった。一途な愛を利用し、借金返済を免れようと、黒木さんを殺害させた奈苗には、光俊と同じく無期懲役の判決が言い渡された。ふたりは控訴、上告していたが、15年9月、最高裁で確定している。

真実を語らなかった被害者

 一途な愛で振り回されたのは光俊だけではないだろう。蔵王町のホテルで、視力を失うほどの大けがを負わされた黒木さんは、当時の警察の取り調べに真実を語ることはなかった。

「奈苗さん、光俊さんとホテルにチェックインし、別室の光俊さんが部屋に来て一緒に飲んでいた。体が熱くなり、ももひきになった。その後、風呂に行くため全裸になり、ソファの上で服を蹴飛ばしたりしていると、床に転げ落ちた。テーブルか椅子の角に顔面と頭を強く打ち付け、そこから意識がない。光俊さんと言い争いはしていない」(当時の黒木さんの調書)

 奈苗に渡していた1000万の返済を促すため、彼らに貸しを作ろうとしていたのか。それとも、やはり彼も、奈苗に理屈を超えた愛情を持っていたのか。誰も知ることはできない。

<参考文献>
・「女性セブン」(小学館) 2013年3月14日号
・「週刊新潮」(新潮社) 2013年3月7日号

 

 

【宮城・婚活サイト殺人事件:前編】木嶋佳苗に続いた“セックスと金”の婚活オンナ……「結婚するつもりの男」と1000万円の援助金

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

【宮城 婚活サイト殺人事件】

 宮城県刈田郡蔵王町、蔵王連峰を望む高原のリゾートホテルMは、2012年10月も、例年と同じく繁忙期を迎えていた。この時期は紅葉が見頃で、各地から観光客が訪れるのだ。Mに入社して3年の従業員・山本は、同月21日から夜勤でシフトに入り、翌日22日の10時に退勤予定だったが、紅葉シーズンで混み合うフロントでのチェックアウト業務に追われ、11時を過ぎても仕事を続けていた。

 レジ締めにもようやく終わりが見えてきた正午前、フロントの電話が鳴った。

「救急車呼んで。ちょっと部屋に来て」

 女性スタッフを伴い部屋の前まで行くと、ドアの外に中年の男女が立っていた。宿泊客の連れで、隣の部屋に泊まっていたのだという。「すごいことになってるので、部屋を見てほしい」と、通報主である女が言う。スタッフを残し山本がひとり部屋に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。

 窓の方を向き、寝室の床に座る初老の男性。壁には血が飛び散り、床には嘔吐物や排泄物が散乱している。山本が男性の顔をよく見ると、両目の上がボクサーのように腫れていた。山本は思った。「転んでけがをしたんじゃなく、誰かにやられたな」

 幸い、男性には意識があった。

「大丈夫ですか」

 こう問いかけると男性は朦朧とした様子ながらも「ああ、ああ」と答える。まもなく到着した救急車で、すぐに男性は病院に搬送、入院となったが、目のけがにより、視力を喪失していた。担当医師は「人為的外傷の可能性がある」と消防に伝えている。だが、瀕死の重傷を負った当の男性は、何者かをかばうように、こう言うのだった。

「酔っててソファから転落した。覚えていない」

 退院日の11月3日、男性を迎えに来たのは、ホテルMで部屋の前にいた、あの男女だった。そしてその日に男性は殺害されることになる。

 いわゆる〝首都圏連続不審死事件〟で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した木嶋佳苗死刑囚(45)は、出会った男性たちからたびたび金を詐取し、うち3名を殺害していた。出会いの場は婚活サイトだ。ここに彼女は「結婚相手を探している」と登録し、男性たちに「学校に通うための授業料が必要」だと嘘をついて多額の金を振り込ませたり、ホテルに誘い、睡眠薬入りの飲み物で男性を眠らせた上で、財布から金を盗んで部屋から立ち去るなどしていた。

 木嶋死刑囚の一審裁判員裁判が開かれたのは、さいたま地裁。2012年のことだ。それから2年後、ここで同じように「婚活サイト」が出会いの舞台となった事件の裁判員裁判が行われた。宮城県に住む女は、埼玉県行田市在住の男性とサイトで出会い、結婚をほのめかしながら多額の金を貢がせた揚げ句、男性を殺害した。

 だが彼女自身が手を下したわけではない。実行犯は、同じく婚活サイトで出会った別の男だった。男は惚れた弱みにつけ込まれ、身も心も操られていた。

 蔵王のホテルで瀕死の重傷を負ったのは、埼玉県行田市に住む電気設備業・黒木誠さん(仮名・67=当時)。彼は退院後の11月15日、自宅一階の居間で遺体となって発見された。死因は首元を牛刀で切られたことによる失血死で、死亡推定日時は11月3日であることがわかった。現場の状況から、自殺の可能性も捨てきれなかったために、他殺との両面で捜査が進められていたが、これはのちに他殺だったことがわかる。

 翌年2月に、黒木さんに対する強盗殺人容疑で逮捕されたのは、宮城県丸森町に住む無職・佐藤奈苗(仮名・逮捕当時42)とその交際相手である仙台市太白区の会社員・鈴木光俊(仮名・逮捕当時48)だった。

 奈苗は生まれて間もなく、子どものいない夫妻に引き取られ、丸森町で育った。仙台市内から車で南へ1時間。緑豊かでのどかな風景が広がる福島県との境にある小さな町は、その面積の1割を国有林が占める。雄大な自然と心優しい養父母のもとで育った彼女だったが、近所では“万引きの常習犯”として知られていたという。

「いつも服の下に本やお菓子など盗品を隠していた。注意すると、悪びれた様子もなく、謝りもしないんです。捕まえるたびに、お母さんが謝りに来ていました」(近所の住民)

 学校での評判は“ませた子”。中学生の頃から化粧をしていた。当時から高級品志向で、ブランド物の化粧品を万引きすることもあったという。地元の高校を中退した奈苗が飛び込んだのは夜の世界だった。ルイヴィトンのバッグを持ち歩き、都会への憧れをたびたび口にしていた。

「私はこんな場所にいる人間じゃない」

 20歳で地元の男性と結婚し、2人の子どもに恵まれたが、6年で離婚。子育てを義父母にまかせ、再び夜の世界に舞い戻る。さまざまな婚活サイトを通じて複数の男性と交際し、その男性を騙しては金を貢がせていたともいう。奈苗はバツ2になった02年、3度目の結婚を果たすが、夫となったAさんは2年後、31歳で突然死した。

「Aさんは体格が良く、元気だったのに突然病気で亡くなった。彼には3500万円の保険金がかけられており、受取人は奈苗だった」(捜査関係者)

 夫を亡くした奈苗は実家に戻り、毎日のように通販でブランド物を買いあさるようになる。「夫の保険金で買い物するなんて……」――そう近所で囁かれていたともいう。

 だが特にAさんの死が事件として扱われることはなかった。

 黒木さんと奈苗が出会ったのはAさんの死から2年後の06年。登録した中高年向けのお見合いサイトでマッチングし、交際を始めた。奈苗は黒木さんに借金を重ねる一方で、09年には同じサイトで光俊とも知り合い、交際を始める。

 奈苗と出会うまで、女性と付き合ったことがなかったという光俊は、彼女の胸の大きさに惹き付けられ、一気にのめり込む。

 初めて会った日に、リサイクルショップで10万円の指輪を買い与え、奈苗と結婚するつもりだった。でも「一番下の子が18歳になるまでは」と、籍をすぐに入れることができないと言われていたという。

 それでも“夫婦同然の関係”だと思い、給与や貯金も奈苗に渡していたという。また“あなたの子どもを妊娠した”と告げられたこともあった。

「『今はまだ産めないので、子どもは堕ろさなくちゃいけない』と言われました。実際に中絶したかは確かめていませんが、そこから給与の全額を渡すようになりました。年齢的に考えて、今後もう子どもは無理だろうと思ったからです」

 のめり込んでいた光俊に奈苗は、2012年に入ってからこんなことを告げてきた。

「黒木さんという男から1000万円ほど借り入れている。借金の返済がなかなかできないため、肉体関係を強要されている」

 夫婦同然だと思っていた女性が、借金のカタに体を捧げていた……この話に、光俊は「私以外の男との肉体関係があったということで嫉妬心を覚えました」と振り返る。この日から黒木さんのことを「埼玉のエロじじい」と呼ぶようになった奈苗は、光俊にこんなメールを送る。

「黒木には死んでほしい、この世からいなくなってほしい。誰かに殺してもらうか、ミッチーに手を下してもらうしかない」

 そして起こったのが、蔵王での強盗殺人未遂事件だった。

――後編は11月13日公開

<参考文献>
・「女性セブン」(小学館) 2013年3月14日号
・「週刊新潮」(新潮社) 2013年3月7日号

Dir en grey・京になりすました男だけじゃない! 「元華族」を偽り結婚式開催、マスコミを熱狂させた“伝説の詐欺事件”とは?

 10月22日、世間をあっと驚かせる“なりすまし”による詐欺事件のニュースが報じられた。自らを人気ビジュアル系ロックバンド「Dir en grey(ディル・アン・グレイ)」のボーカル・京と偽る男が、内縁の妻である女性の父親から、合計約5400万円をだまし取ったとして、詐欺容疑で逮捕されたのだ。

 この男は、自らの体に京と同じような入れ墨を入れており、これを見せることによって、女性や父親に「自分は京である」と信じ込ませていたとのこと。そして「所属事務所のオーナーに通帳を取り上げられて金がなくなった。金を貸してくれ」といっては、父親になんども金銭をせびっていたそうだ。また、テレビに京さんが出演した際には「あれは影武者」と説明、さらには実の母親にも京であると偽り、コンサートのチケットを贈ったこともあるなど、次々とその手口が明らかとなった。

 この大胆不敵ともいえる詐欺事件に、ネット上は震撼。「なぜ女性や父親はこんな大ボラに騙されてしまったのか?」という疑問が飛び交う一方、「大胆なウソのほうが案外バレない」と考察する者も見受けられ、一時Twitterでは「ディル・アン・グレイ」がトレンド入りを果たした。

 なりすましによる詐欺事件は、これまでも数多く起こってきただろうが、やはりDir en greyの京という有名人を偽った例は珍しいのではないだろうか。しかし、過去にはなんと、「宮家の後継者」とウソを吐き、マスコミや芸能人を巻き込んだ結婚式をぶち上げるという前代未聞の事件が起こっていた。「有栖川宮詐欺事件」と呼ばれるその事件を、今あらためて掲載する。
(編集部)


(初出:2016年11月20日)

「宮家の後継者」を自称、マスコミ・芸能人を巻き込んだ「有栖川宮詐欺事件」の女

世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

[第29回]
有栖川宮詐欺事件

 今から13年前、マスコミを熱狂させた珍妙な事件が起こった。

 すでに断絶していたはずの華族・有栖川宮家の後継者を名乗る人物と、そのパートナー女性による結婚祝賀を舞台にした詐欺事件だ。

 事件は2003年4月6日、有栖川宮家の後継者を名乗る有栖川識仁(当時41)と妻となるはずの坂上春子(仮名・当時44)による「有栖川記念奉祝晩餐会」と称した結婚式を舞台にしたものだ。このパーティは、カナダ大使館地下にある会員制のクラブで開かれたものだが、2人は結婚式の出席者375人からご祝儀など1350万円を騙し取ったとして、この年の10月21日に詐欺罪で警視庁公安部に逮捕されてしまう。

 有栖川を名乗る2人の存在は、結婚式以前から“あまりに胡散臭い”カップルとして一部メディアで話題になり、注目されていた存在だった。

 発端は、この年の2月に送られた「有栖川記念奉祝晩餐会」の招待状だ。その送付数は2千通ともいわれているが、彼らはさまざまなツテや、一度しか面識がない人々にまで結婚招待状を送りまくっていた。送付された人の中には何人ものマスコミ関係者がおり、「本当に有栖川家の継承者なのか」「末裔なんて嘘だろう」とその胡散臭さを嗅ぎ取り、“皇室詐欺事件”ではないかと裏付け取材が行われていた。

 実は筆者も、この招待状を受け取った1人だ。

 結婚式が行われる前年の02年末、著名人が集まるあるチャリティー・ショーが行われたが、筆者もそこに取材のため出席し、“知人の知人の知人”のような形で坂上と名刺交換をしている。当時の彼女は確かに活発で、物怖じせず、バリバリ働いている女性という印象だったが、一方で少々押しが強く、初対面なのに距離感が近いという感想を持った。ほんの短い時間だが、当時は“彼氏募集中”といっていた気がする。それだけの関係だったが、なぜか翌年2月に“有栖川宮記念”と記された立派な結婚式招待状が送られてきたのだ。

 名刺交換した人間なら誰彼構わず招待状を送っているとのうわさは聞いていたが、筆者も当時仰天したことを覚えている(残念ながらお金がもったいないので出席はしなかったが)。

 しかも、関係者をさせたのは、それからしばらくして送られてきたもう一通の招待状だった。前回の式はキャンセルとなり、別の日、別の場所、つまりカナダ大使館地下に変更になったという案内。華族という由緒正しき結婚式にあるまじき事態だとこれまた話題になった。

 ますます怪しさを増していく有栖川結婚式。そのため2人にアプローチするマスコミもあったほどだ。そして4月6日、晩餐会が開かれて以降、この“騒動”はさらにヒートアップしていく。

 その最大の理由は、“華族の末裔”を名乗る2人のキャラにあったのだが、それは後述するとして、もう1つの理由が、このパーティーに何人もの著名人が出席していたことだ。その筆頭株が俳優の石田純一だった。石田は友人として出席者たち一人ひとりに挨拶するというサービスぶりで、「こんな名誉な席にお招きいただいてありがとうございます」とスピーチに立ち語っている(とはいえ、後に石田も2人は大した交友がないことを明らかにしているのだが)。

 ほかにもエスパー伊東、デーブ・スペクター、数々の選挙に出馬したことで知られる羽柴秀吉(故人)、日本青年社幹部などが出席したとされる。

 結婚式もいかにもマスコミが飛びつくようなネタが満載のものだった。雅楽が流れる中、新郎が衣冠束帯ならば、新婦の衣装は十二単。さらにお色直しは新郎が勲章付きの陸軍大将の軍服で、新婦はピンク色のド派手なドレス。また2人の傍には神官と袈裟を着た僧侶もいたという。

 また結婚式は随所に“カネ”が介在した。受付で2人の写真が3,500円と5,000円で売られ、“謁見の間”での2人との記念撮影代金は1万円。さらに二次会の会費は1万5,000円なり。

 金が飛び交う怪しい“元華族”の結婚式、仰々しい“華族”を全面に押し出した演出、そして著名人の出席――。もちろんマスコミはこのネタに食らいつく。もしニセモノなら、これほど面白いネタはない。多くのマスコミが2人に群がったが、2人は逃げるどころか、嬉々として取材にも応じた。

 特に“ミニスカート”がトレードマークの坂上のマスコミ好き、出たがりもそれに拍車をかけていく。だが、その過程で浮かび上がってきたのは、一連の出来事は有栖川宮家であるはずの識仁ではなく、妻となる坂上が主導していたということだ。

 多くの取材に対し、口を開くのは決まって坂上で、いかに“殿下”が正当な後継者か、自身たちが愛し合っているかなどをまくしたてる。一方の“殿下”こと識仁はその傍らでほとんどしゃべることはなく、モゴモゴ、モゾモゾと不可思議な態度に終始した。

 当時のワイドショーもこのネタを盛んに報じた。そして坂上もまたテレビに登場し、「殿下は有栖川家の祭祀のお手伝いをしている」「披露宴を一度中止したのは、昨年11月に高円宮殿下がお亡くなりになったから」などと、強く主張している。それはまるで注目されている自分に酔っているかのようにも見えた。

 同時に彼らの疑惑は結婚式に関しても噴出していく。引き出物の業者に金を払っていない。記念撮影で1万円支払ったのに写真が送られてこない。出席者には燕尾服やイブニングドレスというドレスコードを義務付けたが、会場は立食形式でぼったくり。

 何よりとどめは、2人の結婚式に関し、宮内庁はまったく関知せず「有栖川宮家はお世継ぎがなく大正時代に断絶した」としたことだった。

 世間の空気はすっかり“ニセ殿下決定”というものだったが、しかし2人はそれでも自らの主張を変えることはない。しかも結婚式後でも2人は入籍をしようとしなかった。

 メディアの熱狂とともに次々と暴かれたのは2人の“本当”の経歴だった。

(後編につづく)