監禁され、見物人の前で愛し合う……『透明な迷宮』の“そそる”部分を読み解く醍醐味

 官能に特化した作品ではなく、一般文芸で官能寄りの作品における魅力は、「不透明な官能」を表現しているところである。ストレートに官能的なシーンが描かれているわけではないが、そのシーンの背景を読み解いていくことに面白さを感じる。わかりやすい表現をするならば、グラビアアイドルの水着姿と服を着ている姿の違いだろうか。水着の写真はストレートにエロを感じるけれど、厚手のニットを着たグラビアには「そそる」部分を見つける醍醐味がある。

 今回ご紹介する『透明な迷宮』(新潮社)も、「そそる」ヒントがちりばめられた作品だ。6作品で構成されている短編集だが、今回は表題となる『透明な迷宮』をご紹介したい。

 舞台はブダペスト。豪奢なサロンの一室に、主人公の岡田が閉じ込められているシーンで始まる。彼とともに捕われている人々の年代は20代から40代までさまざまで、国籍もバラバラ、すべて観光客である。その様子を、仮面を付けて下半身を露出させた男女4名が椅子に座って観察している。監禁された人々がこの館の主人から命じられたのは、「ここで、見物人の目の前で、愛し合え」という命令であった――。

 貿易会社に勤務している岡田は、出張でブダペストに来ていた。仕事を終えてカフェで酒を飲んでいると、日本人のミサが声をかけてきた。震災の1年後に日本の会社を辞めてヨーロッパを転々としているという彼女は、連れの女性フィデリカを放ったらかしにし、岡田のテーブルに移り談笑を始めた。その様子をつらい表情でフィデリカは見ていた。彼女はレズビアンであった。

 2人が仲良くしている様子が気に入らなかったフィデリカの策略により、岡田とミサは何者かに監禁されてしまう。そして、監禁された岡田とミサは、見物人の目の前で、リクエスト通り「日本的に」愛し合う。解放された2人は岡田のホテルで別々にシャワーを浴び、長い口づけを交わす。「一緒に日本へ帰ろう」とミサを誘ったのだが、彼女は空港に現れなかった。

 それから3カ月後、岡田はミサからのメールを受信する。彼女が帰国しているということを知った岡田は、ホテルのダイニングでミサと再会するが――。

 現実なのか、それとも夢なのか。ブダペストで監禁された現実と「ミサ」という女性、それぞれの輪郭が曖昧にぼやけていて、読者の想像力を掻き立てられる。

 「見物人の前で愛し合う」というショッキングなシーンはあるものの、直接的な官能のシーンは、ほとんど描かれていない。しかしその後、岡田がミサのことを深く考え、憎み、「会いたい」と感じていたことから、その行為が岡田にとって非常に有意義であったことが伺える。ラストシーンの絶妙なからくりによって、人を愛することは単純で滑稽であると痛感させられる。

 『透明な迷宮』は、想像を膨らませてくれる官能的な小説だ。何度も読み返し、その時々の読者側の感情や環境により異なる味わいがあるところも面白い。作者である平野氏にリードされながら快楽の物語にたゆたうことができる、希有な楽しみを噛み締められる作品だ。
(いしいのりえ)

“ピンサロ商店街”で初恋の人に再会――昔には戻れない男女が抱く「身勝手な願い」

 地元を思い出すと、ふと目を背けたくなるのはなぜだろう? そこには若かりし頃の自分の、あらゆる思い出が残されている。物心つく前の恥ずかしい思い出はもちろん、初めてできた恋人と過ごした公園や、中には処女を喪失した時の場所など“初恋の思い出”がある人もいるだろう。

 まだ幼かった自分が一所懸命生きた場所だからこそ、恥ずかしく、けれど懐かしくて胸を締め付けられるようなノスタルジックな感覚になる。そして、できればずっと、昔と同じ姿で永遠に残されていてほしいというワガママな期待を抱いてしまう。

 今回ご紹介する『欲望狂い咲きストリート』(実業之日本社)の舞台は、東京から少し離れた「地元」。主人公の岸本が地元に帰ってきたところから物語が始まる。今ではシャッター通りになってしまった商店街の中に、岸本の両親が営むクリーニング店があった。東京でキャバクラにハマり、借金を作ってしまった岸本は、親に借金を肩代わりしてもらう代わりに、クリーニング店を受け継ぐ約束をしていたのだ。

 寂れた商店街には馴染みの顔ぶれがあった。いじめられっ子だった幼馴染の野呂は、今では立派に商店街再生委員会の会長として仲間を牽引していて、岸本にとって初めての恋人であった琴子は、スナックを経営していた。何の将来性もなかった商店街だが、ひょんなきっかけで何軒ものピンサロがオープンし、その様子は徐々に変化してゆく。岸本の店はピンサロで使用するリネンのクリーニングを任され、料理店にはピンサロの客が入るようになり、野呂の弁当屋もピンサロに配達するようになってパートを雇うまでに活気付いた。「まるでピンサロ嬢に食わしてもらっているみたいだ」と複雑な思いを抱く、岸本をはじめとした商店街の人々。そんな、あらゆる人が行き交う“ピンサロ商店街”で、とある事態が起こるのだが――。

 この物語のキーとなる人物が、岸本の恋人だった琴子である。18歳の頃、岸本に処女を捧げてから12年が過ぎ、学生時代は嫌っていた母の職業である「スナックのママ」となった琴子は、ヒモまがいの、ろくでもない男とズルズル付き合うような女になってしまった。

 10代の頃には「一緒に東京へ行こう」と約束までした2人のラストシーンには胸が締め付けられる。長い歳月が過ぎた彼らの関係は決して昔には戻れず、現在の2人の立場の上で、それぞれの選択をするのである。そこには「永遠に相手が昔のままでいてほしい」という、身勝手でささやかな願いが込められているように感じられる。

 地元、そして初恋の人というのは、ずっと心の中で美しい思い出として残しておきたいものだ。本書は、そんな初々しい自分や、当時の記憶が残された地元を思い出させて、センチメンタルな気分にさせてくれる。
(いしいのりえ)

谷崎潤一郎『卍』に見る、女同士のセックスシーンを彩る「嫉妬」と「羨望」という感情

manji

 昔の文豪たちが書く作品には官能的で美しいものも多い。中でも江戸川乱歩や谷崎潤一郎は、耽美作品を多く手がけたことで有名だ。“和のエロチズム”が表現されている彼らの作品は、現代の官能小説とは一味違った味わいがある。

 今回ご紹介する『卍』(新潮社)は谷崎潤一郎の代表作である。主人公の園子が「先生」と呼ぶ人物に対し、かつて自分が溺れた恋愛を振り返りながら告白するという構成だ。

 弁護士の夫・孝太郎を持つ資産家の娘・園子は、結婚したものの、まだ子どもがおらず時間があったため、美術学校へ日本画を学びに通い始めた。

 園子は、授業で観音像を課題に出された際、とある女性の顔に似せて描く――それは、同じ美術学校に通う美しい女性、光子であった。光子は園子とは対照的な女性だ。和服が主流であった時代において、光子は常に洋服を着て、自由奔放に生きていた。そんな彼女に対して、園子はあこがれを抱いていたのだ。

 観音像を光子に似せて描いたことがきっかけで、園子と光子は同性愛の関係なのではないかというウワサが広まってしまう。すると光子は、どうせだったら本当に仲良くなろうと園子に提案をする。

 園子は、観音像の絵を完璧に光子に似せるために、光子を自宅の寝室に招いて、裸になってもらい、そこで2人は結ばれる。以来、手紙や電話でやりとりするようになり、園子は光子に夢中になるが、ある日、光子には栄次郎という婚約者がいると知る。自分以外の人物、しかも男と寝ていることを知った園子は激しくショックを受けるが、結局光子とよりを戻してしまう。

 一方で、夫の孝太郎と園子の仲がこじれたことから、光子は睡眠薬を使って心中するフリをしようと園子に持ちかける。しかし、その提案には別の目的があった。光子は、自分の睡眠薬は少なめにし、園子よりも早く目覚めるように仕向ける。そして、駆けつけた孝太郎を騙して、園子が眠る隣で2人は関係を持つのだった――。

 後半は、園子と光子の間に孝太郎が入り、こじれた三角関係が描かれているが、私はやはり、2人の女性が交わるシーンの艶めかしさに注目したい。

 容姿はもちろん、肌の質までも美しい光子と、そんな彼女に“嫉妬しながらも強く惹かれる”園子のベッドシーンは、同性同士だからこその感情が入り乱れ、震えるほど魅力的に描写されている。

 また、本作のような昔の作品には、現代には少ない“着物の質感”などを織り混ぜた、和文化ならではの、しっとりとした濡れ場の描写も多く盛り込まれている。さらに“仄暗い照明”しかない時代だけに、肌や髪の質など、視覚以外から得るエロスが綿密に表現されており、読み手のイマジネーションを掻き立てるのだ。こうした雰囲気の中で描かれるセックスシーンも、本作の見どころである。
(いしいのりえ)

高級クラブで繰り広げられる女同士の戦いは、なぜ醜くければ醜いほど興奮するのか?

 “女の戦い”をテーマにした小説は、その内容が醜ければ醜いほど、面白いのかもしれない。相手に対して、ライバル心とともに、“尊敬”の気持ちを持ち、正々堂々と勝負をする爽やかな物語も、人々の感動を呼ぶだろうが、どうやって相手を蹴落そうか、どうすれば相手より勝ることができるのかと、決して自分の本心は表に出さずに、虎視眈々と計画を練る女たちの駆け引きは、非常に面白い。傍観者としては、笑顔の裏で何を考えているのかわからない女に、興味を引かれるものだ。

 女の戦いが繰り広げられている作品の舞台といえば、高級クラブである。一流ホステス同士の戦いというテーマは、テレビドラマや漫画などあらゆる作品で使われているが、今回ご紹介する『濡れ蜜アフター』(二見書房)は、作者自身が長年ホステスをしてきたため、非常にリアリティのあるシーンが多く盛り込まれている。

 舞台は六本木にある人気クラブ。元アイドルだったママが経営するクラブ「ヴァッカス」では、毎晩きらびやかで美しい女性たちが、客の心を癒やしている。

 主人公の沙雪は、夜の仕事が初めてのため、テーブルについてもドジばかり。人気ナンバーワンの薫に、入店2日目でこっぴどく怒られ、5歳年下の現役女子大生ホステスのエマには、おいしいところを持って行かれる始末だ。

 最初は、客のエッチなイタズラにも困った顔をして応じるだけであった沙雪だが、先輩がどのように接客しているのかを観察、分析することで、ホステスとして着実にステップアップしていく。

 ホステスたちの仕事は店内だけに留まらない。毎日の営業電話、同伴やアフターなどに行くこともあれば、時に客と寝ることもある。この“寝る”タイミングを計るのも、一流ホステスの大事な仕事の一部なのだ。早すぎては客が満足して逃げられてしまうし、遅すぎてもしびれを切らして逃げられてしまう。

 もちろん顧客の情報を把握しておくのもホステスとして大事な要素である。薫は、客一人ひとりの情報を丁寧にメモした手帳を持っているそうだ。

 そんな話を、薫の上客である橋本とのアフター先で聞いていた沙雪だったが、そのまま酔いつぶれ、橋本のセカンドハウスで目を覚ます。そして、そこへ現れた店のママとともに、沙雪は橋本に抱かれてしまうのだった。

 ある日、沙雪はママからとある提案をされる。薫は、水面下で独立を企てており、それを阻止するために、例の顧客情報が詰まっている手帳の情報を盗んでくれ、というのだ—―。

 客からホステスへのセクハラまがいの官能シーンもあるが、それ以上に、沙雪が身ひとつでホステスとして上り詰めてゆく様子は、読んでいて爽快である。入店したての頃は、あどけなくオドオドしていた沙雪だが、5年の月日を経て、薫を蹴落そうとまで考えるほどにしたたかに成長するのだ。

 美しい夜の蝶たちが、相手を蹴落とすために盗聴や盗み撮りをしたりと醜い姿を晒し、「アンタ」「チキショウ!」などと汚い言葉を撒き散らしながら戦う姿は圧巻である。そんなふうに楽しめる理由は、自分自身が決してその世界へ足を踏み入れることができないから、そして、我々は日々、自らの醜さが表に出てしまわないよう取り繕うことに、ストレスを感じているからだろう。

 そんな女たちが裸一貫で戦う“ファンタジー”に、私たち同性はそそられるような気がするのだ。
(いしいのりえ)

同性愛はファンタジーではない――レズビアンカップルの老後を描いた「燦雨」

 バラエティ番組に“オネエタレント”が頻繁に出演するようになり、以前は、もの珍しさを感じる人も少なくなかったが、最近では当たり前の光景になっている。それに、日本でも「LGBT」という言葉が浸透してきて、同性同士の婚姻も少しずつ認識されつつあるようだ。とは言いつつ、女性の間ではBL(ボーイズ・ラブ)と呼ばれるジャンルが安定した人気を誇るように、ノンケにとって同性愛者の恋愛は、一番身近に存在する“ファンタジー”である側面もいまだ根強い。

 十数年前に出会った中山可穂の短編集『花伽藍』(角川文庫)は衝撃的であった。5編の物語の核となるのは、女を愛する女たち。祭りで太鼓を叩くことに生きがいを感じている主人公と、美しい既婚者との刹那的な夏の物語をつづった「鶴」、交際していた女性と別れ話をした直後、妻子持ちの知人と偶然出会い、酒を交わしながら恋人との思い出を語る「七夕」、サラ金に追われた元夫に転がり込まれ、仲良くしていたレズビアンの義理の妹に会いに行く「花伽藍」など、どの作品も繊細で濃密な女性同士の恋愛が語られている。

 中でも筆者が最も強く心を揺さぶられたのが、「燦雨」である。物語の主人公は2人の老女。体の自由がきかなくなってしまったイツコを、ユキノは1人で介護している。

 2人が共に暮らし始めてから25年がたった。ユキノは、息子の芳之が通う学校の美術教師・イツコと出会い、絵のモデルをするために毎週末彼女のもとへ通ううち、次第に恋人関係りに。そしてユキノは夫と離婚して、イツコと事実上の“夫婦”となった。

 夫を捨て、同性の恋人との生活を選んだ母の元へ、芳之はたびたび顔を出す。年老いて、ボケ始めているかつての教師・イツコを見て、母であるユキノに、「いつまでこんな生活を続けるんだ」と苦言を呈するが、ユキノは死ぬまでイツコの元にい続けることを誓う――。

 最期のパートナーに同性を選んだユキノとイツコの終焉には涙を流さずにはいられない。現在はファンタジーの対象として見られる部分もあるLGBTの人々も、老人となり、介護が必要になる。誰しも漠然と抱いている老後の不安は、そうした人々も同じように持っているのである。

 メディアでは常に明るく毒舌を吐いているオネエタレントだが、まだ一般的には同性同士の結婚に対して偏見を持つ人もいるだろうし、同性カップルが手をつないで歩いているところを見れば、好奇の眼差しを向ける人もいるだろう。

 自分の恋愛に対して、勝手に嫌悪感を抱かれてしまう彼・彼女らの恋を貫くには、相当の覚悟が必要だと考える。笑顔の裏では、私が想像している以上につらく儚い恋に身を焦がしてきたのだろうと想像せざるを得ない。そして、この物語を執筆した中山可穂自身もレズビアンを公言している。

 彼女が今、どういった恋をしているのかと想像すると、胸がつまるような切なさを感じる。しかし同時に、彼女が描いたユキノという老女の強さを思い出し、あこがれと敬意を抱いてしまうのだ。
(いしいのりえ)

 

同性愛はファンタジーではない――レズビアンカップルの老後を描いた「燦雨」

 バラエティ番組に“オネエタレント”が頻繁に出演するようになり、以前は、もの珍しさを感じる人も少なくなかったが、最近では当たり前の光景になっている。それに、日本でも「LGBT」という言葉が浸透してきて、同性同士の婚姻も少しずつ認識されつつあるようだ。とは言いつつ、女性の間ではBL(ボーイズ・ラブ)と呼ばれるジャンルが安定した人気を誇るように、ノンケにとって同性愛者の恋愛は、一番身近に存在する“ファンタジー”である側面もいまだ根強い。

 十数年前に出会った中山可穂の短編集『花伽藍』(角川文庫)は衝撃的であった。5編の物語の核となるのは、女を愛する女たち。祭りで太鼓を叩くことに生きがいを感じている主人公と、美しい既婚者との刹那的な夏の物語をつづった「鶴」、交際していた女性と別れ話をした直後、妻子持ちの知人と偶然出会い、酒を交わしながら恋人との思い出を語る「七夕」、サラ金に追われた元夫に転がり込まれ、仲良くしていたレズビアンの義理の妹に会いに行く「花伽藍」など、どの作品も繊細で濃密な女性同士の恋愛が語られている。

 中でも筆者が最も強く心を揺さぶられたのが、「燦雨」である。物語の主人公は2人の老女。体の自由がきかなくなってしまったイツコを、ユキノは1人で介護している。

 2人が共に暮らし始めてから25年がたった。ユキノは、息子の芳之が通う学校の美術教師・イツコと出会い、絵のモデルをするために毎週末彼女のもとへ通ううち、次第に恋人関係りに。そしてユキノは夫と離婚して、イツコと事実上の“夫婦”となった。

 夫を捨て、同性の恋人との生活を選んだ母の元へ、芳之はたびたび顔を出す。年老いて、ボケ始めているかつての教師・イツコを見て、母であるユキノに、「いつまでこんな生活を続けるんだ」と苦言を呈するが、ユキノは死ぬまでイツコの元にい続けることを誓う――。

 最期のパートナーに同性を選んだユキノとイツコの終焉には涙を流さずにはいられない。現在はファンタジーの対象として見られる部分もあるLGBTの人々も、老人となり、介護が必要になる。誰しも漠然と抱いている老後の不安は、そうした人々も同じように持っているのである。

 メディアでは常に明るく毒舌を吐いているオネエタレントだが、まだ一般的には同性同士の結婚に対して偏見を持つ人もいるだろうし、同性カップルが手をつないで歩いているところを見れば、好奇の眼差しを向ける人もいるだろう。

 自分の恋愛に対して、勝手に嫌悪感を抱かれてしまう彼・彼女らの恋を貫くには、相当の覚悟が必要だと考える。笑顔の裏では、私が想像している以上につらく儚い恋に身を焦がしてきたのだろうと想像せざるを得ない。そして、この物語を執筆した中山可穂自身もレズビアンを公言している。

 彼女が今、どういった恋をしているのかと想像すると、胸がつまるような切なさを感じる。しかし同時に、彼女が描いたユキノという老女の強さを思い出し、あこがれと敬意を抱いてしまうのだ。
(いしいのりえ)

 

同性愛や売春も……250年前の官能小説『ファニー・ヒル』に見る、セックスへのたくましい想像力

 官能小説の面白いところは「セックスを物語で表現する」という実に単純明快なルールの上で書かれているところである。

 筆者がよく聞かれるのは「恋愛小説と官能小説の違いは?」という質問だが、この答えは簡単だ。恋愛小説の目的は“恋愛”であって、官能小説の目的は“セックス”である。最近では、この境界線が非常に曖昧になっていて、読者の受け取り方に委ねられる部分もあるが、それだけ“官能小説”というジャンルが、さまざまな手法でつづられるようになったということではないだろうか。

 官能小説、かつては性愛文学と呼ばれていたジャンルが誕生したのは、実に250年以上前に遡る。今回ご紹介する『ファニー・ヒル』(河出書房新社)がそれに当たる。

 舞台はイギリス・ロンドン。タイトルと同名の15歳の少女・ファニーは、美しい容姿を持つ貧しい田舎娘である。ひょんなことから彼女は故郷を離れてロンドンへ移り住むが、仕事や住処を提供してくれるとアテにしていた女性は何の世話もしてくれず、その代わりに、品の良い格好をしたブラウン夫人に声をかけられ、彼女についていくことになる。

 「あなたは私の話し相手として雇われた」と夫人に告げられたファニーは、その夜、屋敷の女支配主であるフィービーにベッドの中でキスをされ、体中を触られる――彼女は、ブラウン夫人に騙されて売春宿に雇われたのであった。

 まだ処女であったファニーは、フィービーやほかの売春婦たちからセックスの話を聞き、想像を膨らませる。また、ブラウン夫人がセックスをする様子や、売春婦の“仕事”を覗き見しながら、次第にセックスや男性に対しての欲望を膨らませるようになっていく。

 そんなある日、彼女は美しい青年のチャールズと運命的な出会いをする。すぐに2人は恋に落ち、ファニーはブラウン夫人の売春宿を抜け出して、チャールズに処女を捧げるのだった。

 彼はファニーが処女であることに驚きつつも喜び、アパートを用意して、ともに生活を始める。しかし、2人にとって極上の幸せを1年ほど過ごしたある日、父親に騙されたチャールズは外国へ行くことになり、2人は引き裂かれてしまう。

 この先どう生きればいいのかと、路頭に迷っていたファニーに、とある男の愛人になる話が持ち込まれる。こうしてファニーは安定した生活を手に入れたが、彼がメイドと関係を持つ場面を目撃し、復讐しようと企てる――。

 本作のように、金のない田舎娘が身ひとつで愛と、そして金も手に入れるというシンデレラストーリーは、250年も前からの定番であったことがわかる。そんな主軸であるストーリーの面白さはもちろんのこと、特筆すべきは、ファニーとチャールズの男女のノーマルなセックスの様子から、ファニーが汚らしい初老の男に嫌悪を感じながらも体を買われるシーン、また、屋敷の支配主の女性・ファービーとファニーの、いわゆる“百合”の関係も描かれていて、非常にさまざまな要素のセックスが描写されている点である。

 まさに、現在の多種多様な官能小説の原点ともいえる、セックスへの想像力が詰まった本作。ぜひご一読いただきたい。
(いしいのりえ)

“痛み”でエクスタシーと生を覚える年代――今あらためて『蛇にピアス』を読むことの意味

 思春期から大人への過程に感じる、言葉にできないやるせなさは、誰しも多少は経験があるだろう。心とは無関係に、勝手に大人へと成長してゆく体と、自身を取り巻く環境の変化に気持ちが追いつかず、そのもどかしさをどうにか解消させようとする人も少なくない。そんな時、一番手っ取り早い方法がセックスである。好きでもない男と簡単に寝たり、何人もの男と関係を持ったりすることで、心の平穏を保とうとする女性もいるだろう。

 今回ご紹介する『蛇にピアス』(集英社)は、今さら説明するまでもない2003年発売の大ベストセラーである。今から15年近く前、金原ひとみがわずか20歳で芥川賞を受賞した本作は、世間の注目の的となった。金原氏と同年代である19歳の主人公に共感した若者は、大勢いるだろう。

 舞台は渋谷。主人公のルイは登録制のアルバイトをしながら、あてのない毎日を送っていた。ある日ルイは、体に刺青を入れ、蛇のように舌先が分かれている“スプリットタン”を持つ男・アマと出会う。彼に「身体改造をしてみないか」と勧められたルイは、身体改造だけでなく彼にも興味を持ち、すぐに肉体関係を持って恋人となる。ルイは、アマに連れられてきたシバと呼ばれる店長のいる店で、舌に穴を開ける。その瞬間、エクスタシーに似た恍惚感が彼女を襲った。

 ある日、とある暴力団員が死亡したというニュースが流れる。その男はアマが絡まれて殴った男で、ルイはその男の歯を「愛の証に」と、アマから受け取っていたのだ。暴力を振るうと制御がきかなくなるというアマを、ルイは心配する。

 一方で、ルイはシバの店で刺青を入れる準備をしていた。シバがデザインした麒麟の刺青を入れてもらった日、彼女はシバに抱かれた。サディスティックなセックスを好むシバに激しく抱かれながら、ルイは、もし自分が死にたくなったら、アマかシバのどちらかに殺してもらおうと考える。

 さらにルイは、舌に入れたピアスを徐々に大きくして、スプリットタンを作ろうと試みる。そのピアスを大きいものに付け替える瞬間に激痛が走り、生きていると実感をする。そんな矢先、アマがルイの前から姿を消すことになるのだが――。

 冒頭からラストまで虚脱感と苛立ちに満ちた本作は、まるで死にながら生きているようなフワフワとした印象がある。思春期の頃に感じた、どうしようもない憂いを蘇らせ、他人事とは思えない。

 「痛みを感じる時だけ生きていると実感できる」とルイは言う。自己を確立できていない若い頃は、人と触れ合うことで、心地よさより、自分自身の価値観や存在が揺らぐという恐怖を感じる場合も多い。それだけに、ルイのように自分を傷つけ、痛みを感じることでしか、自己を認識できない時もある。年を重ねると自分の輪郭をきちんと自覚できるようになり、楽になるのだが……。

 今あらためて本作を読んで、そんなこと感じてしまった。当時、ルイに“共感”していた読者は、今何を思うのか。本作は、自分がどう変わったのかを知ることができる作品なのかもしれない。
(いしいのりえ)

兄妹の禁断の関係――無人島を舞台に繰り広げられる『瓶詰地獄』の官能ポイント

 読書好きな女性の間で、昔から安定した人気を誇るジャンルが「耽美小説」である。その代表的な作家といえば、今回ご紹介する夢野久作だろう。独特な世界観となまめかしさが漂う夢野作品は、読者に深読みをさせ、1つの物語を何度も読み返させることで、“自分なりの解釈を掘り下げる”という楽しみを与える。読者としては、読むたびにぽつりぽつりと疑問が芽生えるところも、夢野作品の面白さの1つと言えるだろう。

 夢野作品の中でも、『瓶詰地獄』(角川文庫)は特有の色気を放つ、彼の耽美小説の代表作である。非常に短いこの物語は、“三本のビール瓶の中に詰められた三通の手紙の内容”で構成されている。

 主人公は、南方の島に漂流してしまった幼い兄と、その妹だ。2人は力を合わせて、島で10年近くも生き延びながら、兄は助けを求めるために、数少ない所持品であるノートと鉛筆を使って手紙を書き、ビール瓶の中に詰めて海へ流していた。

 最初に発見された手紙は、“兄の遺書”である。助けの船がやって来たものの、それを見届けながら、2人で自害することを選ぶ……という内容だ。その理由が、最初に発見された手紙より以前に書かれたと思われる、2番目の手紙に記されている。妹のことを女として意識してしまったことにより、兄が罪悪感を抱く様子がわかるのだ。無人島だが、食べ物は豊富で暖かい気候であったため、兄妹はあまり不自由なく育った。漂流から10年ほどたつと、ボロボロになってしまった衣服は棄て去り、裸で暮らすようになる。成長した兄は、妹に“女”を感じ、そしていつしか、妹も同じように兄のことを“男”として意識し始める。兄はそんな自分の罪に耐え切れず、持っていた聖書を焼き払ってしまうのだった。そして最後に発見された手紙は、おそらく漂流してすぐに書かれたものなのだろう。早く助けに来てほしいと、両親に求めている。

 兄は手紙の中で、自分たちの死について、“犯した罪の報償”のために自分たちの肉体と霊魂を罰する、としている。例えば、若者の遊びの延長で性的な関係を持ったとすれば、2人きりの秘密にして無人島を出て、平凡な暮らしに戻ればいい。しかし聖書を焼き捨て、死を選んだ2人は、その禁じられた愛の罪に耐え切れなかったということだ。それほどまでに禁忌と対峙した2人の真剣さや切実さに身がちぎれそうになる。

 この物語には、一切の性描写、また2人が性的な行為をしたという事実さえもはっきりとは記されていない。だからこそ、読者は懸命に文字を追い、想像を働かせて物語を楽しむ。こうして、わずかなヒントから自分の解釈を一歩一歩深めていくことによって、兄妹の禁断の関係性に辿りつくと、まるで官能の深淵を覗くような快感が生まれるのだ。ストレートな官能描写も、もちろん面白い。だが、たまにはこんな深読みを楽しんでみるのもおススメである。
(いしいのりえ)

美しすぎる少女が、初めて異性に体を差し出す瞬間――その「痛々しさ」と「神々しさ」

 女が自分の体を“女の武器”として使うことは、ほとんどない気がする。自分自身の体を代償にして、何かを得ようとすることは女としてのプライドが許さない……というわけではなく、自分の“武器”にはさほど価値がないと卑下している女性も少なくないと思うからだ。恥をかき捨てて自分の体を売ろうとしたところで、相手に断れてしまったら、決死の想いはズタズタに切り裂かれてしまうだろう。女にとってこれ以上恥ずかしいことはない。

 だからこそ、女が“女の武器”を使うのは、“必死”な時だ。恥も外聞もなく自分自身を捧げるほど窮地に立たされる――それほど崖っぷちな瞬間は、果たして一生のうちに存在するだろうか。

 今回ご紹介する『春狂い』(幻冬舎)は、1人の美しい少女を軸とした6章で構成されている短編集である。少女に惹かれ翻弄される男の話や、死んだ少女が恋人の女性に憑依する教師の話などの中、「少女の短い一生の一部分を切り取った」第4章の物語が非常に印象深い。

 一般的な容姿を持つ両親から生まれたこの少女は、幼い頃から異様なほど美しかった。子ども特有の“可愛らしい”という外見ではなく、大人たちを翻弄させ、困惑させるほどの美しい容姿をしていた。保育士の女たちは彼女を気味悪がり、学生になると周囲の生徒からあらゆる方法で虐めに遭った。教科書や体操服は焼却炉に捨てられるだけでなく、男子生徒に縦笛を何度も盗まれるなど、性の標的とされるようになる。それは実の父親も同様で、一緒に風呂に入る時、彼女は常に恥部などを触られ続けていた。母親の勧めで女子校へ転校するも、少女の存在がきっかけで教師同士の殺人事件が起きてしまい、再び公立の共学校に転校、そこでもいじめられることになる。

 そんな中、彼女を守る1人の少年が現れた。その少年もまた美しい容姿を持ち、兄から性的虐待を受け、学校内でもいじめを受けており、2人は同じ境遇から心を通わせることになる。

 美しすぎる容姿のために好奇の目にさらされ、性のハケ口にされてきた少年と少女だが、2人でいるときにはキスすらしなかった。2人は何度か家出をし、何泊も共に過ごすものの、セックスをせずにただ抱き合って眠る。そうすることで、セックスをするよりもはるかに深く通じ合い、一体感を得られたのであった。

 2人だけの空間は安住の地であったが、やがてある事件が起き、少年は永遠に少女のもとから去ってしまう。幼い頃から一方的に性の対象にされてきた少女が、再びひとりぼっちになったとき、彼女は、自分自身で身を守らざるを得なくなってしまった。そのため、初めて異性に対して“女の武器”を使うようになるのだが……。

 少女が異性に対して体を差し出そうとするシーンは、読んでいて胸がヒリヒリするほどたくましく勇敢だった。それは、今まで少女が「死にたい」とまで感じるほど否定し続けてきた“人の性欲をかきたてる存在である自分自身”を、初めて肯定した瞬間だったからである。そんな少女の姿を想像すると、この世のものとは思えないほど美しく神々しいように感じる。

 まだ分別のつかない若者たちのエロスは、時として非常に残酷でグロテスクなものである。小説の中だからこそ描写できる少女の痛々しいエロスが、この物語の魅力になっている。
(いしいのりえ)