不倫関係の男とSM行為に溺れる女が、恋の酔いから醒めていく時を描く『たまゆら』

 恋には必ず賞味期限が存在する。燃え上がっている時には恋もセックスも底知れぬほどに気持ちが良いが、ふとした瞬間に恋心は薄れてゆくものである。女は、相手に対して愛情が薄れてくると、まるで重箱の隅をつつくように、相手の悪い部分に目をこらすようになる。

 今回ご紹介する『たまゆら』(幻冬舎)は、官能小説界で第一線を切る女流作家である藍川京の「純愛官能小説」である。

 主人公の霞は新進気鋭の官能小説家だ。彼女はとあるパーティで、一回り以上年上の画家・神城と出会う。既婚者の霞は、離婚をして独身である神城に惹かれ、また神城も霞に思いを寄せる。2人は電話やメールではなく、手紙で言葉を交わしながら、互いの気持ちを確認していった――数回2人きりで会った後、ついに体を交わす。

 幼い頃に叔父と叔母がSM行為をしている様子を盗み見てから、神城は、女性を戒めることでしか快感を得ることができなくなってしまった。対する霞も、肉体的なコンプレックスがあることから、そういった行為に憧れていた。夫とのセックスから縁遠くなりながらも、毎日のように官能小説を書き続けている霞は、貪るように神城とのセックスに溺れていく。

 執筆時間と家事の合間を縫って、夫の目を盗み、霞は神城と逢瀬を重ねた。2人が住む地の中間地点である横浜のラブホテルで会うことがほとんどであったが、時には京都や北海道の支笏湖へ旅行に行くこともあった。しかし霞にとって、神城の存在は徐々に負担になってゆく。着実に知名度が上がり、執筆依頼も増えて行く霞だったが、神城のほうは仕事よりも霞のことを優先していた。筆一本で稼いでいこうと覚悟を決めていた霞は、何よりも小説を書くことを最優先としていたのである。

 神城への愛情が徐々に薄れていくことを実感していた霞。そんなある日、神城に「去年行った支笏湖へ行こう。霞と紅葉を見たい」と誘われる。しかしその頃、夫と松山へ旅行に行くことが決まっていた霞は、神城との旅行を断った。その後、2人の運命は思わぬ方向に向かっていく――。

 霞と神城、2人の心を強く結びつけていたのは「SM」であった。霞は男に身も心も支配されることを望んでいたのだが、小説家として生きることを何よりも喜びと感じていたため、仕事よりも恋愛を優先する神城に対して魅力を感じられなくなり、「自分を支配する男」として見られなくなってしまったのだ。

 恋に酔い、次第に酔いから醒めていく描写は、読んでいて心が苦しくなる。本作は、大人の恋愛小説としても満足できる作品となっている。官能小説に馴染みが薄い女性にも楽しんでいただける一冊である。
(いしいのりえ)

上階から聞こえる女の喘ぎ声で、“人生変わった”有名大卒・対人恐怖症の男

 セックスは人を狂わせる。心を和ませたり癒やすことと同じくらい、猟奇的になったり暴力的になったりという、負の感情を湧き起こすことがある。それが原因で警察沙汰になることも少なくない。

 今回ご紹介する『ララピポ』(幻冬舎)は、映画化もされた、「人生の負け組」が主役の作品である。風俗専門のスカウトマン、純文学小説家になりたかった官能小説家、デブ専裏DVD女優などの話がオムニバス形式で構成されていて、各ストーリーの主人公たちが東京の街で微妙に重なりあう。中でもご紹介したいのが巻頭の作品「WHAT A FOOL BELIEVES」だ。

 主人公の博は32歳の売れないフリーライターである。30歳を過ぎた頃から対人恐怖症になり、人と会わずに仕事が進められる、月に2回発行の雑誌の仕事だけで細々と食いつないでいる。有名大学を卒業した博だが、新卒で入社した会社は性に合わずに1年で退職してしまった。その後、元同級生のツテを経てフリーライターとなって、現在に至る。

 その日の博も、いつものように原稿を執筆していたが、ふと「とある音」が気になった。博が住むアパートは音漏れが激しく、上の住人の足音がドスドスと響くほどだ。その夜も上の部屋から、さまざまな音が聞こえて来る——規則的にコツコツと鳴り響く音の中で、かすかに女の喘ぎ声が聞こえてきたのである。数年間セックスから遠ざかっていた博は、上の階の男が毎晩繰り広げるセックスの音に聞き耳を立て、自慰をすることが習慣となった。

 ホスト風の上の階の住人は「栗野」といい、ほぼ毎日違う女とセックスをしていた。彼が引っ越してきてから、退屈な博の人生に光が差したように生き生きとしてゆく。対人恐怖症で、限られた人としか会話をしなかった博は、秋葉原へ行き、コンクリート・マイク(壁に直接マイクを当てて隣室の会話を聞くマイク)を購入して、栗野のセックスを聞くようになったし、性感ヘルスへも行った。博は心の中で栗野に感謝をしていた。

 ある日、いつものように図書館で新聞の求人欄を見ていると、ひとりの女と目が合う。たびたび見かけるデブで冴えない女だが、たっぷりと豊満な胸が博を欲情させる。彼女の名前は「小百合」といった。博は小百合に声をかけられ、彼女のアパートへ行き、数年ぶりのセックスをするのだが……。

 セックスへの執着によって、静かに坂道を転げ落ちていた博。物語のラストでは自分の生き様を振り返り、小百合を抱きながら涙を流す。セックスは、体も心も裸にする唯一無二の行為である。だからこそ人はセックスに惹かれ、翻弄されるのではないだろうか。
(いしいのりえ)

「女優」になる夢を抱く女が、“AV女優”という人生を受け入れる過程を描く『少女A』

 最近では、芸能人が引退後にアダルトビデオに出演することも珍しくなくなってきた。アイドル的な活動をするAV女優も増えてきて、普通のアイドルとの境界線が曖昧になりつつあるが、AV女優とアイドルとの決定的な違いは「脱ぐ」ことである。

 不特定多数の人々に裸を晒し、セックスを見せる「AV女優」という仕事は、1本出演しただけでも、その人の一生を大きく左右する。若い頃であれば家族や恋人、結婚して出産したら、夫や子どもは「元AV女優の妻」「元AV女優の母」を持つことになるのだ。

 今回ご紹介する『少女A』(祥伝社文庫)は、女優になる夢を抱いて上京した、ひとりのAV女優の物語である。

 大手芸能プロダクションのオーディションを受けるために上京した主人公の小雪は、幼い頃から児童劇団に入り、子役としてタレント活動をしていた経験を持っている。憧れの女優になるためにオーディションを受けるも、審査員に酷評され、「絶対にトップ女優になってみせる」と啖呵を切り、オーディション会場を飛び出してしまう。

 小雪はその日、街頭でスカウトしてきた井出に連絡をし、芸能プロダクション「リップグロス」と契約をする。しかし、リップグロスはアダルトビデオの女優が所属する事務所であった。

 何も知らずに現場へ行った小雪は、アダルトビデオの撮影だと知り、一度は出演を拒否する。しかし、自分が憧れている女優も、以前はアダルトビデオに出演していたことを知り、出演を決意する。

 恋人を作ったことがない処女の小雪は、一糸まとわぬ姿でカメラの前に立ち、挿入をしない疑似のセックスを演じたのである。

 それから1年、AV女優として、アダルトビデオの出演はもちろん、バラエティ番組などにも出演するほどの人気者となった。井出とは恋人関係になり、自らの夢である「女優」という道へ到達できるように、アダルトビデオに出演し続けていた。

 そんな中、姉である幸美が現れ、小雪がAV女優になったことにショックを受けて、母が鬱病になったことを知らされる――。自分の母を「AV女優の母」にさせてしまった小雪は、家族を捨ててAV女優として生きて行く決意をしたが、井出がほかのタレントと交際をしていたことが原因で、引退してしまう。それから5年、小雪は一児の母となったが――。

 女優になる夢だけを信じて右往左往していた小雪が、引退後に母となり、初めて自分が「AV女優」であった事実と向き合う覚悟をする。ずっと霧のかかったような薄暗い人生を歩んでいた彼女が、否定的だった「AV女優」という過去を受け入れてからの人生は非常に爽快である。

 不特定多数の人々の前で裸になる女性は、強い。本書は私たちに裸で演じる女性の逞しさと誇りを教えてくれる。
(いしいのりえ)

略奪愛で「医師の妻」の座を得ても満たされない――『女の子は、明日も。』が描く女の本性

 女に嫌われる女は、男に好かれるものである。彼女たちには独特のオーラがある。外見に限らず男を引き付ける魅力と「すぐにやれそう」な、ふわふわとした雰囲気を持っている。

 今回ご紹介する『女の子は、明日も。』(幻冬舎)は、4人の元同級生のアラフォー女性4人が登場する物語だ。

 中でも、専業主婦である満里子が主人公の話は非常に興味深かった。満里子は一回り年上の眼科医と結婚している。短大を卒業して、契約社員として職を転々としていた彼女が受付として派遣されたのが、夫の職場である診療所であった。

 当時、夫は既婚者で、満里子と面談したのは、夫と同じ医師である妻だ。髪を結い上げ、きちんとした印象の妻は、てきぱきと面談をし、満里子が採用された後も、てきぱきと職場に指示を与える人物だった。

 ある日満里子は、後に夫となる医師から食事に誘われる。数回夕食を共にしてからベッドへ誘われ、男女の関係となった。短大の奨学金を返済するためにホステスのアルバイトをしていることを打ち明けると、彼は金の代わりに高価なバッグなどを頻繁にプレゼントしてくれるようになる。不倫関係を続けていたある日、満里子は彼の妻に呼び出され、彼の離婚と仕事のクビを言い渡された。その後、満里子は彼と結婚をし、妻の座を奪うことになる。

 夫が働く職場の同僚数人を呼び集めたホームパーティで、満里子は田村という青年と出会う。彼は医療事務の資格を持っていないために、診療所での事務の仕事をその週でクビになってしまったという。しかし、田村は別の顔を持っていた。夜はアコースティックギター1本で弾き語りをしているのだ。

 友人と共に田村のライブを見に行った満里子は感動して、つい酒が進んでしまう。友人と別れてひとり歩く満里子は、偶然田村と出会い、彼と寝てしまう。不倫の末の略奪婚、そして再び年下の田村と不倫をする満里子に待ち受ける運命とは――。

 「医者の妻」という座を得たことにより、ダブルワークをして奨学金を払うという金銭的に苦しい生活から解放され、裕福になった。それなのに満里子は「淋しい、不安だ」とのたまう。

 女友達の間で、このようなことを言っては総スカンを食らいそうな贅沢な不満を持つ満里子は、決して自分の意思を強く言葉にしない。ただ流されるままに男に誘われ、必要とされればすぐに股を開く。男を引き付ける匂いをぷんぷんと放ち、男が寄ってくるのを待っているのだ。

 この物語に出てくる4人の女たちは、誰もがそれぞれの悩みを持ち、表面上では女友達同士で楽しく食事と会話をしながらも、腹の中にくすぶる黒い気持ちを持ち合わせている。だから女は面白く、いやらしい。この物語は、私たちに女だからこそ共感できるいやらしさを表現している。

なぜ「他人のもの」に惹かれてしまのか? 不倫とは真逆の“歪んだ愛”を描く「友だちの彼」

 連日のように不倫報道が活発化している昨今である。既婚同士の不倫はもちろん、本来であれば独身同士の健全な恋愛を手に入れられる、独身の女性タレントが、わざわざ妻を持つ既婚男性を選んでいることも多々ある。

 なぜ人は「他人のもの」に惹かれてしまうのだろう? 官能小説には不倫や不貞などをモチーフにした作品はあまた存在する。老若男女問わず「他人のもの」に惹かれ、セックスをするという行為は非常に魅力的なのだ。そんな禁断の関係のなかで最もスリルが味わえ、かつ、そそる題材なのは“友達の彼”ではないだろうか。

 今回ご紹介する『ハニー ビター ハニー』(集英社)は、甘さの中にもほろ苦い味わいのある短編が9作収録されている。

 特に注目したいのが「友だちの彼」だ。タイトルの通り、大学生の主人公・里穂は、同じ大学に通う親友の沙耶香の彼・陽平と定期的に寝ている。沙耶香からの電話をベッドの上で着信し、“友だちの彼”である陽平の愛撫を受けながら平然と受け答えする――玄関先で彼の口の中に入っていたブルーベリー味のガムを口移しで受け止めるのが2人の習慣だ。

 彼と初めてセックスをして1年になる。もともと沙耶香との交際について、陽平から居酒屋で飲みながら相談を持ちかけられた里穂は、「沙耶香が元カレと連絡を取っている」という陽平の告白を受け、沙耶香への「仕返し」として「自分と寝てみては?」という冗談まじりの提案をした。そして冗談は現実となり、現在に至っている。しかも里穂は、陽平に惹かれている自分に気づいていた――。

 物語は里穂の視点で淡々と語られてゆく。「なんとかしなきゃいけない」と感じていた里穂だが、体を重ねれば重ねるほど陽平の魅力に溺れてしまう。

 ともすると、女同士の友情によくある、マウントを取りたいために友達の彼と寝るのかと感じそうだが、里穂は沙耶香のことも大好きなのだ。里穂が陽平と寝ることの延長上には、沙耶香への気持ちが存在している。この物語は「他人のもの」を取るスリルと高揚感を得たいのではなく、大好きな女友達との「おそろい」を共有したいという、幼く残酷な里穂の心情の表れではないかと筆者は考えている。

 若い女友達同士が「双子コーデ」と称したおそろいの服を着たり、同じ趣味を楽しんだりすることの延長で、彼氏を共有する――巷を賑わせている不倫報道などとは真逆の、ピュアな心情が歪んで生まれる感情を、この物語は表現しているように思う。

なぜ「他人のもの」に惹かれてしまのか? 不倫とは真逆の“歪んだ愛”を描く「友だちの彼」

 連日のように不倫報道が活発化している昨今である。既婚同士の不倫はもちろん、本来であれば独身同士の健全な恋愛を手に入れられる、独身の女性タレントが、わざわざ妻を持つ既婚男性を選んでいることも多々ある。

 なぜ人は「他人のもの」に惹かれてしまうのだろう? 官能小説には不倫や不貞などをモチーフにした作品はあまた存在する。老若男女問わず「他人のもの」に惹かれ、セックスをするという行為は非常に魅力的なのだ。そんな禁断の関係のなかで最もスリルが味わえ、かつ、そそる題材なのは“友達の彼”ではないだろうか。

 今回ご紹介する『ハニー ビター ハニー』(集英社)は、甘さの中にもほろ苦い味わいのある短編が9作収録されている。

 特に注目したいのが「友だちの彼」だ。タイトルの通り、大学生の主人公・里穂は、同じ大学に通う親友の沙耶香の彼・陽平と定期的に寝ている。沙耶香からの電話をベッドの上で着信し、“友だちの彼”である陽平の愛撫を受けながら平然と受け答えする――玄関先で彼の口の中に入っていたブルーベリー味のガムを口移しで受け止めるのが2人の習慣だ。

 彼と初めてセックスをして1年になる。もともと沙耶香との交際について、陽平から居酒屋で飲みながら相談を持ちかけられた里穂は、「沙耶香が元カレと連絡を取っている」という陽平の告白を受け、沙耶香への「仕返し」として「自分と寝てみては?」という冗談まじりの提案をした。そして冗談は現実となり、現在に至っている。しかも里穂は、陽平に惹かれている自分に気づいていた――。

 物語は里穂の視点で淡々と語られてゆく。「なんとかしなきゃいけない」と感じていた里穂だが、体を重ねれば重ねるほど陽平の魅力に溺れてしまう。

 ともすると、女同士の友情によくある、マウントを取りたいために友達の彼と寝るのかと感じそうだが、里穂は沙耶香のことも大好きなのだ。里穂が陽平と寝ることの延長上には、沙耶香への気持ちが存在している。この物語は「他人のもの」を取るスリルと高揚感を得たいのではなく、大好きな女友達との「おそろい」を共有したいという、幼く残酷な里穂の心情の表れではないかと筆者は考えている。

 若い女友達同士が「双子コーデ」と称したおそろいの服を着たり、同じ趣味を楽しんだりすることの延長で、彼氏を共有する――巷を賑わせている不倫報道などとは真逆の、ピュアな心情が歪んで生まれる感情を、この物語は表現しているように思う。

夫の部下と自宅で交わる妻の本心――視点の異なるセックスの面白さを描く「藪の中の情事」

 セックスに理由を付けるのは野暮である。なぜなら、その行為の真実は存在しないからだ。一方が相手の愛撫に愛情を感じて悦びに浸っていたとしても、その相手は、まったく別の人を考えながらセックスをしているかもしれない。自分ではない相手を思い浮かべて感じていたとしても、その真実を知る術はないのだ。 

 今回ご紹介する『花びらめくり』(新潮社)は、著名作家の名作を花房観音らしい官能の解釈で掘り下げた5作が収録されている短編集である。中でも筆者が引き込まれた作品のひとつ「藪の中の情事」は、芥川龍之介の名作『藪の中』を元にした作品だ。

 作中に登場するのは40歳前後の平凡な夫婦、そして、その夫の部下である30歳の男性だ。

 ひとり暮らしで栄養が偏りがちな部下に、少しでも良いものを食べさせたいと、上司である夫は自宅に部下を定期的に招いていた。元栄養士である妻は彼らのために夕食を作り、腹いっぱい食べさせ、男たちは食後に2人で晩酌をする。

 部下が上司の自宅に数回招かれたある日、いつものように男2人でビールを飲んでいると、上司は酔い潰れてうたた寝をしてしまった。妻が寝室へ夫を運び、リビングには部下と妻の2人きりになってしまう。そして後日、ふたたび2人きりになった時、部下と妻はリビングで肌を重ねてしまうのだ。

 物語は3人それぞれの視点で語られる。

 犯したわけではない、自分は誘われたのだ、という部下は、夫を寝室へ運んだ後の妻の様子をなまめかしく語る。部下を見つめる時のいやらしい瞳や、ソファに並んで座る時に密着する膝、部下の股間に置いた手――今まで交際してきたどの女とも違う、男を狩る肉食動物のような妻の手中にはまり、部下は妻を抱いてしまった、と告白する。

 しかし、妻の言い分は部下のものとは真逆であった。いやらしい目をしてきたのは部下の方である、私は無理矢理、彼に犯されたのだと、彼らの現場を目撃した夫に言う。確かに自分たち夫婦はセックスの回数が少なく、それすらも満足できるものではなかった。だから夫とセックスをする時には、ほかの男性を思い浮かべたり、夫がいない間にこっそりと自慰に耽ることもあった。しかし部下を誘ったつもりはない、勝手に自分に欲情して押し倒したのは彼の方だ、と。

 そして、2人の一部始終を覗き見していた夫が感じていたこととは――。

 三者三様の言い分があり、それぞれが微妙に食い違い、真実がぼやけてしまう。しかし、その曖昧さこそが真実であり、「セックス」という結果を生み出すのである。

 人はセックスをする時に明確な理由を持つものだろう。好きだから、愛しているから、奪いたいから、体が疼くから、誰でもいいから――その理由は決して双方が一致するとは限らない。激しく乱れ合う2人であっても、その理由はひとつではない。

 裸で交わるという原始的でいやらしい行為も、心はすれ違っているかもしれない。そんなセックスの面白さをこの作品は表現している。
(いしいのりえ)

“キレイなもの”であるはずが「醜く異様な行為」に変わる、童話のエロスと狂気

 子どもの頃はもちろん、大人になってからも、ページをめくるたびに幸せな気持ちに浸れる童話の世界だが、それも解釈を変えるだけで非常にグロテスクかつ官能的な物語に変貌する。

 今回ご紹介する『行ってみたいな、童話(よそ)の国』(河出書房新社)は、長野まゆみ氏による不道徳な3作品の童話が収録されている。「にんじん」「ピノッキオ」「ハンメルンの笛吹き」というタイトルを聞けば、何となくその世界観が脳内で映像化される作品だが、長野氏が描く童話の世界は気味悪く、いやらしい。中でも、魂を持つ木製の人形が主人公の「ピノッキオ」は、メルヘンチックな内容とは裏腹に、長野氏のフィルターにかけられ、狂気とエロスに満ちた作品に仕上がっている。

 もともと小さな木の果(み)であったピノは、森の中でいちばん美しい白樺の木に育てられていた。白樺の幹に寄り添い、その樹液をもらって成長していた。ある日、ピノは2人連れの男たちに切り落とされて森を去ることになる。道端に捨てられたピノは大工の親方に拾われ、ジュゼッペ爺さんの手により人形に作り変えられる。

 人形となり、魂を持ったピノは街に出て、白樺の樹液を求め徘徊する。目や鼻はもちろん、口から飲んだ水を排泄する穴まで付いているというおかしな体のピノに興味を持ったあらゆる人々は、ピノを性的な玩具として弄ぶ。「樹液が出る」と嘘をついて性器をくわえさせる大人や少年たちは、ピノが彼らの「樹液」を飲み干すと、下の穴からそれを垂れ流す様子を見て嘲笑をする――一字一句読み進めるたびに気が滅入ってくるような、つらい描写が容赦なく書かれている。

 無邪気な暴力性を孕んだ3作品は、幼い少年や少女の危うさを的確に表現している。セックスもまた美しさと醜さは表裏一体で、一見「愛の表現」とキレイに表現されがちだが、互いの性器を貪り合い、奇声を上げて交わるという、醜く異様な行為に感じる人もいるだろう。

 この本は、私たちが「キレイなもの」と信じていたものをひっくり返された時のような、下半身がむず痒くなる官能に満ち溢れている。
(いしいのりえ)

男に屍を抱かせる「女の情念」――怪談との融合で官能を描く『朱夏は濡れゆく』

 よく恋愛を綴る歌詞や小説などで「愛は憎しみに変わる」という表現がされるが、私は「愛と憎しみは表裏一体」だと常々感じている。

 夏の風物詩「怪談話」などに登場する幽霊のほとんどが女性であるように、日本の女性は情に厚いため、一歩踏み違えると、その豊かな情念は、たちまち怨念に変貌し、男の魂を食いつぶしてしまう。

 今回ご紹介する『逢魔』(新潮社)は、日本人であれば誰しも親しみのある「四谷怪談」や「雨月物語」などを題材にした、8編からなる官能的な短編集である。この中から「牡丹灯籠」をモチーフにした『朱夏は濡れゆく』をご紹介したい。

 主人公の新三郎は、退屈な日常を過ごしていた。酒も女も、何をするにも退屈で満足できない……。そんな彼の下に友人で医者の志丈が「別嬪でうわさの娘に会いに行こう」と誘いに来る。

 若い娘に興味のない新三郎だが、渋々誘いに乗って出かけてみると、そこには息を飲むほどの美しい娘・露がいた。彼女を見て、すっかり心を奪われてしまった新三郎の家に、後日、彼女の乳母であるお米が「露が病気で伏せている」と伝えに来る。お米の話によると、露は新三郎に出会った時から、彼に恋をしているというのだ。

 新三郎は露のところへ出向き、互いの心を確かめ合い、恋に落ちる。以来、新三郎は毎晩のように露の別邸を訪ね、やがてお米の計らいによって体を重ねることになる。

 しかし、露はすでに縁談の話が進んでいた。身分違いである新三郎と露の恋は縁談により引き裂かれ、新三郎はすでに「死んだ」ということにして、彼女から身を引かねばならなくなってしまう。

 露との間を引き裂かれ、荒れていた新三郎の住まいに、露を連れたお米が現れる。新三郎が生きていたことに安堵した露は、蚊帳の中で新三郎に抱かれ、以来、子の刻になると、露は新三郎の前に現れて体を重ねるようになった。2人の仲を引き裂かれるくらいならば、一緒に死んで地獄に堕ちたほうがいいと、新三郎と露は言う。

 毎晩、露との逢瀬を続けていたある日、新三郎の身の回りの世話をしている夫婦が新三郎にこう打ち明ける。新三郎が毎晩抱いていたのは、体も頭も骨の屍となった露。「あのお方は、人ではありません」と——。

 相手を殺し、自分の命を絶ってまでも、互いの愛を貫きたいと感じるほどの強い思いを抱いたことはあるだろうか? それほどまでに、強い愛情を持つ女に惚れられた時、男はいったいどのような選択をするのだろう?

 ラストシーンには爽快な恋愛ドラマが描かれている。これをハッピーエンドと捉えるのか、怪談話として捉えるか見方が分かれる作品である。
(いしいのりえ)

男に屍を抱かせる「女の情念」――怪談との融合で官能を描く『朱夏は濡れゆく』

 よく恋愛を綴る歌詞や小説などで「愛は憎しみに変わる」という表現がされるが、私は「愛と憎しみは表裏一体」だと常々感じている。

 夏の風物詩「怪談話」などに登場する幽霊のほとんどが女性であるように、日本の女性は情に厚いため、一歩踏み違えると、その豊かな情念は、たちまち怨念に変貌し、男の魂を食いつぶしてしまう。

 今回ご紹介する『逢魔』(新潮社)は、日本人であれば誰しも親しみのある「四谷怪談」や「雨月物語」などを題材にした、8編からなる官能的な短編集である。この中から「牡丹灯籠」をモチーフにした『朱夏は濡れゆく』をご紹介したい。

 主人公の新三郎は、退屈な日常を過ごしていた。酒も女も、何をするにも退屈で満足できない……。そんな彼の下に友人で医者の志丈が「別嬪でうわさの娘に会いに行こう」と誘いに来る。

 若い娘に興味のない新三郎だが、渋々誘いに乗って出かけてみると、そこには息を飲むほどの美しい娘・露がいた。彼女を見て、すっかり心を奪われてしまった新三郎の家に、後日、彼女の乳母であるお米が「露が病気で伏せている」と伝えに来る。お米の話によると、露は新三郎に出会った時から、彼に恋をしているというのだ。

 新三郎は露のところへ出向き、互いの心を確かめ合い、恋に落ちる。以来、新三郎は毎晩のように露の別邸を訪ね、やがてお米の計らいによって体を重ねることになる。

 しかし、露はすでに縁談の話が進んでいた。身分違いである新三郎と露の恋は縁談により引き裂かれ、新三郎はすでに「死んだ」ということにして、彼女から身を引かねばならなくなってしまう。

 露との間を引き裂かれ、荒れていた新三郎の住まいに、露を連れたお米が現れる。新三郎が生きていたことに安堵した露は、蚊帳の中で新三郎に抱かれ、以来、子の刻になると、露は新三郎の前に現れて体を重ねるようになった。2人の仲を引き裂かれるくらいならば、一緒に死んで地獄に堕ちたほうがいいと、新三郎と露は言う。

 毎晩、露との逢瀬を続けていたある日、新三郎の身の回りの世話をしている夫婦が新三郎にこう打ち明ける。新三郎が毎晩抱いていたのは、体も頭も骨の屍となった露。「あのお方は、人ではありません」と——。

 相手を殺し、自分の命を絶ってまでも、互いの愛を貫きたいと感じるほどの強い思いを抱いたことはあるだろうか? それほどまでに、強い愛情を持つ女に惚れられた時、男はいったいどのような選択をするのだろう?

 ラストシーンには爽快な恋愛ドラマが描かれている。これをハッピーエンドと捉えるのか、怪談話として捉えるか見方が分かれる作品である。
(いしいのりえ)