セックスを仕事にする女が「かわいそうな女」とは限らない――風俗嬢と教師の価値観のズレ

 男性に多く存在するように、女性にも「セックスが好き」という人はいる。誰とでも寝てみたり、自分の性欲を満たすためだけに風俗店に勤めたり、アダルトビデオに出演したりする女性は、決して都市伝説ではなく、実際に存在するのだ。しかし、アダルトビデオに出演したり、風俗店に勤めているだけで、世間からは「かわいそうな女」だと思われがちである。

 今回ご紹介する『恋塚』(講談社文庫)収録の「鳴神」に登場する妙子がそうだ。主人公である教師の和樹は、かつての教え子たちが集う同窓会で、妙子が風俗店で働いているといううわさを聞いた。決して目立つ存在ではなかったが真面目な生徒であった妙子は、和樹が勤める高校を卒業してから家庭環境が悪くなり、結果、悪い男に捕まって借金を背負ってしまったという。

 10年前に妻をがんで亡くしてからずっと独り身である和樹は、ひとりで自宅にいることが耐えられずに、隙間の時間を埋めるようにボランティア活動に精を出していた。10年もの間、人のために尽くしてきた和樹は、男の借金のために風俗で働く妙子の力になりたいと考え、彼女が働く風俗店へ会いに行く。

 和樹の想像とは裏腹に、妙子は風俗の仕事を「楽しんでいる」と言った。また、風俗で働く自分のことを「かわいそう」と言うことで、クラスメイトたちは優越に浸っているのだと。

 連絡先を交換した2人は、後日カラオケボックスなどで話をする。しかし、和樹がどれだけ思いをぶつけても、妙子はまったく風俗をやめようとしない。そんなある日、妙子は和樹の家に遊びに行きたいと言い出す。昔の教え子ということから、軽い気持ちで妙子を家に上げた和樹だが、その夜、妙子は思わぬ行動に出る――。

 女子校のクラスメイトたちが妙子のことを「かわいそう」だと話していたが、妙子はそんな彼女たちの方こそ「かわいそう」だと言う。人にはさまざまな生き方があり、悩みがあり、価値観がある。その中でレッテルを貼りやすいのが「風俗で働く」ということだ。誰にでも身を売る女性は自分の価値を下げているから「かわいそう」だと言いやすい。しかし、風俗で働く女性全員をひとくくりにはできない。妙子のように、男に抱かれることが好きで好きでしょうがない女性も絶対数で存在しているのだ。

 正義感を振りかざす和樹を蔑むように、彼の上で微笑む妙子のラストシーンは、読んでいて実に爽快である。セックスの価値観は人それぞれであり、誰も型にはめることはできない。
(いしいのりえ)

40代女性にとって厄介なセックス——「サービスタイム」が教える、衰えた体を愛する意味

 年齢を重ねた女にとって、セックスは媚薬にも麻薬にもなりうる。性欲がピークに達している20代から30代までに比べると、40代を過ぎた女性は、ある程度セックスに対して「諦める」ことができる。

 夫から求められなくなったとしても、結婚生活が長く「家族」となった今では、逆にセックスレス夫婦の方が2人の関係を維持しやすかったりする場合もある。また、求められなくなった自分を振り返り、若い頃に比べて格段に衰えたスタイルを目の当たりにすると、男の前で裸になるという緊張感や「女でいるためのセックス」から解放されることに安堵感を覚える女性も多いだろう。

 その反面、たまに訪れる「ご褒美セックス」が極上に気持ちいいから厄介である。その相手はパートナーであったり、また別であったりと、さまざまではあるのだが。

 今回ご紹介する『MILK』(文藝春秋)は、石田衣良氏が書き溜めた短編官能小説を1冊にまとめたものである。10編からなる、さまざまなカップルの官能的な物語の中で、最も注目したいのが「サービスタイム」だ。

 本作は、とあるハタチの大学生の視点で描かれている。大学生の谷澤浩介は、セックスに対してあまり素敵な思い出がない。これまで経験した2人は、それぞれ飲み会の流れでホテルへ行った同世代の女性。憧れを抱いていたセックスはどちらも白けたものであり、浩介は落胆したことだけを覚えている。

 彼が気になっているのは、アルバイト先のスーパーで働くパートの智香子だ。うわさではアラフォーであるという智香子は、年齢が示すようにぽっちゃりとした体形で、これまで飲み会で出会った同世代の女たちのように華奢ではない。しかし、ふっくらとしている割にはキュッと引き締まったウエストや足首と、すべすべと柔らかそうな白い肌は、浩介の目を惹きつけるものであった。夜な夜な智香子を「オカズ」にし、妄想に耽る日々を繰り返していた。

 ある日、アルバイトを終えた浩介は、通用口でパート明けの智香子とばったり遭遇する。予想外の雨が手伝って、2人はぴったりと身を寄せ合って1つの傘に入って帰った。

 会話を弾ませながら最寄駅まで歩き、浩介は彼女をお茶に誘う。知香子の目尻に寄った魅力的なシワに釘付けになっていると、彼女は「あそこへ行ってみる?」と、喫茶店ではなく、別の建物を指差す……信号の向こうに見えるのは、きらびやかなネオンを放つラブホテルであった。小刻みに震える智香子の手を取り、浩介は彼女とホテルの扉を開けるのだが——。

 ホテルに入った後のセックス描写は、同世代の女性であれば誰しも智香子に共感をし、浩介に対して称賛を浴びせるだろう。年齢を重ねてシャープではなくなってしまった体を愛おしく感じてくれて、肌のぬくもりを愛してくれて、妊娠や出産を経験した逞しい自分の体を「気持ちいい」と言ってくれる。どんな関係であれ、たった1人の男に自分の人生を肯定してもらえただけで、女はまた明日から元気に過ごすことができるのではないだろうか。

 だから、40を過ぎたセックスは厄介である。セックスへの欲求は、定期的に解消するものではない。これからの長い人生のうちに一度でもいいから、智香子のような「サービスタイム」が得られれば、その喜びを糧にしばらくは前を向いていけるものなのだ。
(いしいのりえ)

SMは、なぜ人を惹きつけるのか? “危険なプレイ”を共有する先にあるもの

 官能小説といえば、SMプレイは代表ともいえるシチュエーションである。しかし、その世界観は一般的には非常に縁遠い存在であり、そういった行為を実際に体験している女性はごくわずかだろう。果たして本当にSMというプレイをしている人はいるのだろうか? 都市伝説のような存在であるSMが、なぜこれほど人を惹きつけるのだろう?

 今回ご紹介する『甘美なる隷従』(フランス書院)は、平凡な女性がある男との出会いにより、性に目覚め、美しく開化する物語である。

 主人公の真奈美は、小さな出版社に勤めている。美大を卒業し、イラストレーターになることを夢見ていたが、才能がないことに気付き、美術を取り扱う出版社に就職した。

 仕事でとある美術館に来ていた真奈美は、1枚の絵に釘付けになる。それは、緊縛された女性が恍惚の表情を浮かべている作品だ。描かれている女性の美しさに魅了された真奈美は、ふと背後に視線を感じた。視線の主は、この展覧会を企画した男・北条である。

 タイトな黒のスーツに身を包み、冷酷な表情を浮かべた彼は、真奈美を喫茶店に誘う。後ろを振り向きもせずに美術館を出て行く北条を訝しがりつつも、後を追う真奈美。運転手つきの車に乗せられ、連れられた場所は瀟洒な喫茶店であった。そこで真奈美は北条に「君が欲しい」と告白される。

 その後、真奈美は北条の「コレクション」を見に行くことになる。迎えに来た車が向かった先は、小さな博物館のような建物であった。北条に迎えられ、真奈美は地下室へと案内される。そこに飾られていたのは無数の女性の写真――ある者は猿轡を咥えて恍惚の表情を浮かべ、ある者は縄で縛られている――写真の女性たちはすべて、北条の愛した女であった。

 サディストである北条は、彼女たちのように真奈美を「支配」したいと申し出る。そして、真奈美自身がそれを「望んでいた」と言う。北条に支配されるということは、自らの「女であること」と向き合うことだ。悩んだ末に、真奈美は北条に隷従することを選択するのだが――。

 潜在的にマゾヒストへの願望を抱いていた真奈美は、北条の手ほどきにより自らの羞恥心を脱ぎ捨て、美しい女性へと開花する。それは北条のプレイによるものもあるが、彼への服従から芽生えた「恋心」も手伝っていた。

 SMという、一歩間違えれば命の危険も伴うプレイを共有することにより、互いの魂をさらけ出す――そんな行為を共有できる人など、どれほど存在するだろうか。我々は、愛する人に対しても秘密や嘘などの建前をまとい、穏便に関係を続けている場合が多い。そんな平和主義な私たちにとって、SMという行為はファンタジックでありながらも、密かに憧れを抱く行為なのかもしれない。
(いしいのりえ)

愛する人にセックスだけ受け入れてもらえない――至福の行為を奪われた40代女性の苦悩

 女の40代というのは本当に生きづらい年代だと実感している。自分が本格的にババアに片足を突っ込んでいることには自覚をしているけれど、まだ心まで老けたくない自分がいるのだ。

 身体的には確実に老いている。体のラインは20代の頃とは比べものにならないほど醜くたるみ、体重もなかなか減らなくなった。もちろん40代で、美しさを保っている女性も少なくない。しかし、多くのアラフォー世代は、若い頃よりも自分を甘やかすことを優先してしまい、結果として女としての商品価値を落としている。

 女としては完全引退の印籠を渡される年齢である。しかし、心の奥底では「まだ、私だって」と、キラキラと輝いた女の時代を捨てきれないのだ。その最たる例がセックスである。無条件にひとりの男に没頭され、愛されるという、女に生まれてきた喜びを感じられる行為。あの至福の行為を奪われてしまったら、どうなってしまうだろう?

 今回ご紹介をする「花車」は、R-18文学賞で大賞を受賞した田中兆子による初の単行本『甘いお菓子は食べません』(新潮社)に収録されている。

 物語の主人公は、40代の既婚女性の武子。ビーズアクセサリーの講師を務める彼女には、本業は日本画家であるが、ほとんど主夫と化している夫の宗一郎がいる。2人の子どもにも恵まれ、仕事も好調で順風満帆のはずであったが、ある日武子は宗一郎に「僕はもうセックスをしたくない」と告げられる。

 武子は産後15キロ太ってしまった。そのことでセックスから遠ざかっているのだと感じた彼女は、懸命にダイエットに励んだ。しかし宗一郎は、外見が変わっても相変わらず彼女に愛情はあるという。単純に性欲が薄れただけなのだ。

 もともとセックスが好きではなかった彼は、武子とのセックスを「おつとめ」と揶揄し、引退をしたいと宣言する。夫が我慢してセックスをしていたことを知った武子はショックを受け、友人から教えられた「セックススタイリスト」を紹介してもらう。セックススタイリストとは、セックスをしたい男女をマッチングする人物のこと。武子の友人はそのシステムを定期的に利用し、ストレス発散をしているのだ。

 好きな人と、宗一郎とセックスがしたい――しかし体は疼く。武子はセックススタイリストに紹介された男性に会うためにドレスアップをして向かうのだが――。

 作中では、年齢と性欲をこじらせている40代の武子が生々しく描かれている。セックスという行為以外はすべて夫に受け入れられ、心から愛されているからこそ、年を重ねた性欲は厄介だ。年を重ねるたびにセックスの回数よりも、その質に価値を見出すようになる。それは、老いてきたからこそ、「こんなに愛されている」と体で受け止める行為こそが喜びにつながるからである。

 あなたとセックスがしたい――武子の宗一郎に対する悲痛なセリフは、年輪を重ねた女性に強く響くだろう。
(いしいのりえ)

女性が肌や心を隠せば隠すほど欲情する――『ゲルマニウムの夜』が描く日本人のエロス

 例えば全裸の女性よりも1枚衣服をまとい、乳首がうっすらと透けている方がエロティシズムを感じるし、父親の書斎に公然と並べられているエロ本より、河原に捨てられていたエロ本をこっそりと読むことに、昭和の子どもたちはエロスを感じるのだ。

 巨乳でスケスケの服、挑発する眼差しのブロンド美人に対して、日本人はエロスを感じない。むしろ、女性が肌や心を隠せば隠すほど、その衣服や虚ろな瞳の裏側に隠された淫靡を想像し、欲情するのである。その最たる例が、官能小説のシチュエーションによく使われている「未亡人モノ」だ。夫に先立たれて悲しみに耽る喪服の女は、日本人であれば誰しも説明抜きに理解ができる、独特の色気を放っている。

 今回ご紹介する『ゲルマニウムの夜』(文藝春秋)も、喩えようのない色気を放つ作品である。芥川賞にも選ばれ、映画化もされているが、その内容は宗教とエロスが対峙する問題作である。

 主人公の「僕」は、幼い頃、孤児として引き取られ、とある修道院で暮らしていた。この修道院は社会的に常軸を逸した問題児だけを集め、社会から隔離された「檻」のような空間であり、大人になった主人公にとっても忌まわしい場でもある。

 「僕」は、かつて暮らしていた修道院に舞い戻る。愛というものを知らず、また信じることのできない「僕」は、愛に対して憎しみさえ抱いていた。

 夜になり、修道院を徘徊していると、「僕」はひとりの女と出会う。「アスピラント」と呼ばれる、修道女を志す女性だ。「僕」は、清廉潔白のように見える彼女を犯そうと思いつく。彼女をトラックに連れ込み、童貞ながらに強姦しようと試みるが、逆に彼女の方からセックスに持ち込んでくる。「僕」は戸惑いつつも、初めて女と交わる快感を知ることになる――。

 本作は、宗教と快楽について一石を投じている。しかし私はもっと単純に、“清廉潔白なアスピラントの女性が主人公を誘う”というエロティックな描写に「日本人らしさ」を感じてしまう。

 文学として読み解くには非常に難解な作品であるが、官能的な部分に着目してみると、決して西洋人では思いつかない「隠されたエロス」が描かれていると思うのだ。
(いしいのりえ)

若い男性との恋に潜む“罠”――『不倫純愛~一線越えの代償~』が描くアラフォー女性の転落

 歳を重ねると恋愛を始めることに対して慎重になるが、一度始めてしまうと思春期の頃のように燃えてしまうことが多い。その最たる例が「不倫」である。相手が独身で若ければ若いほど、相手と同じ年齢の頃に戻り、再び青春を謳歌してしまうのだ。そしてもちろん、セックスも楽しみ、溺れてしまう。

 しかし、そうしたアラフォー、アラフィフ女性の若い男性との不倫は、思わぬ危険を孕んでいる。

 今回ご紹介する『不倫純愛~一線越えの代償~』(幻冬舎)は、1人の女性が不倫によって奈落の底に落ちていく物語だ。

 40歳の売れっ子脚本家・香澄は、公務員の夫と結婚しているが、現在は別居生活を送っていた。別居の原因は夫の過干渉で、香澄は週に1度1LDKの部屋に夫を入れるという条件を飲み、一人暮らしをしている。そんな彼女が一回り年下のダンサーの来夢と出会い、その人生は大きく変化してゆく。

 ある日、香澄の元に配達員として荷物を届けに来た来夢。その逞しい胸板や爽やかな笑顔に、香澄は一目惚れをする。

 その後、街中で偶然、来夢と出会った香澄は、彼が出演するダンスショーの招待状をもらう。迷いながらもショーを見に行った彼女は、若い女性ダンサーやファンに嫉妬心を燃やし、歳が離れている既婚者であることも忘れて、彼に恋をしていることに気付いてしまう。同じく香澄のことを好きになってしまった来夢は、ショーを終えてから強引に彼女を食事に誘った。そして、ついに2人は結ばれてしまう――。

 売れっ子で金もある香澄は、来夢と知り合い、恋に落ちてしまったことで、かつて体験したことのない闇へ転落してゆく。母親の借金を肩代わりしている来夢のために貯金を崩し、とある男と愛人契約を結び、性奴隷のように扱われる。読者である我々は、香澄の転落人生の首謀者が誰だかわかるのだが、当の本人である香澄は、疑いもせずに来夢を愛し続けているのである。

 年甲斐もなく若い男と恋愛するとこうなってしまう――呆れる反面、主人公と同世代の筆者としては胸がチクチクと痛むのだ。年甲斐もないということは百も承知。歳を重ねると女は商品価値が薄れてしまう。けれど、これまで一生懸命生きてきた自分を、若い男性が好いてくれたら、それほどの称賛はないだろう。

 せめて、小説の中では夢を見させていただきたい――そんな淡い希望を抱くアラフォーの女性に対して、張り手でもしているかのような、反面教師のような1冊である。
(いしいのりえ)

若い男性との恋に潜む“罠”――『不倫純愛~一線越えの代償~』が描くアラフォー女性の転落

 歳を重ねると恋愛を始めることに対して慎重になるが、一度始めてしまうと思春期の頃のように燃えてしまうことが多い。その最たる例が「不倫」である。相手が独身で若ければ若いほど、相手と同じ年齢の頃に戻り、再び青春を謳歌してしまうのだ。そしてもちろん、セックスも楽しみ、溺れてしまう。

 しかし、そうしたアラフォー、アラフィフ女性の若い男性との不倫は、思わぬ危険を孕んでいる。

 今回ご紹介する『不倫純愛~一線越えの代償~』(幻冬舎)は、1人の女性が不倫によって奈落の底に落ちていく物語だ。

 40歳の売れっ子脚本家・香澄は、公務員の夫と結婚しているが、現在は別居生活を送っていた。別居の原因は夫の過干渉で、香澄は週に1度1LDKの部屋に夫を入れるという条件を飲み、一人暮らしをしている。そんな彼女が一回り年下のダンサーの来夢と出会い、その人生は大きく変化してゆく。

 ある日、香澄の元に配達員として荷物を届けに来た来夢。その逞しい胸板や爽やかな笑顔に、香澄は一目惚れをする。

 その後、街中で偶然、来夢と出会った香澄は、彼が出演するダンスショーの招待状をもらう。迷いながらもショーを見に行った彼女は、若い女性ダンサーやファンに嫉妬心を燃やし、歳が離れている既婚者であることも忘れて、彼に恋をしていることに気付いてしまう。同じく香澄のことを好きになってしまった来夢は、ショーを終えてから強引に彼女を食事に誘った。そして、ついに2人は結ばれてしまう――。

 売れっ子で金もある香澄は、来夢と知り合い、恋に落ちてしまったことで、かつて体験したことのない闇へ転落してゆく。母親の借金を肩代わりしている来夢のために貯金を崩し、とある男と愛人契約を結び、性奴隷のように扱われる。読者である我々は、香澄の転落人生の首謀者が誰だかわかるのだが、当の本人である香澄は、疑いもせずに来夢を愛し続けているのである。

 年甲斐もなく若い男と恋愛するとこうなってしまう――呆れる反面、主人公と同世代の筆者としては胸がチクチクと痛むのだ。年甲斐もないということは百も承知。歳を重ねると女は商品価値が薄れてしまう。けれど、これまで一生懸命生きてきた自分を、若い男性が好いてくれたら、それほどの称賛はないだろう。

 せめて、小説の中では夢を見させていただきたい――そんな淡い希望を抱くアラフォーの女性に対して、張り手でもしているかのような、反面教師のような1冊である。
(いしいのりえ)

奴隷調教するS男のセックスとは? そこに垣間見える「愛」が気付かせてくれること

 アダルトビデオなどを除けば、他人がどういったセックスをしているのかを実際に見たことのある人は少ないだろう。ネットや雑誌、友達同士の会話などから、自分たちの行為は何となく「普通である」「ちょっと普通ではない」と自己判断ができるけれど、果たして自分以外の人が、どういったセックスをしているのかは永遠の謎である。しかし、女性は自分の恋人や恋愛を女友達に自慢したいと感じることがしばしばあり、「私はこんなに愛されている」と、手っ取り早く周りに伝えることができる手段はセックス体験談なのだ。

 今回ご紹介する『SでもMでもなくこれは恋とか愛』(角川書店)は、サタミシュウの人気SMシリーズ。主人公の美樹は前作『私の奴隷になりなさい』(同)などにも登場した男性である。高校時代に教師であった志保によってSMの世界を知ることになった彼も、家庭を持つ一児の父となり、現在は塾講師をしている。美樹には忘れられない女性が2人存在していた。1人は美樹の最初の女性である教師の志保、そしてもう1人は、高校教師時代に夢中になった生徒の澄美。2人に共通するのは、女としての愛嬌を持つ人物ということだ。

 家庭がありながらも代わる代わる奴隷を持ち、調教をしていた美樹にとって、運命の出会いがあった。勤務先の近くの本屋でアルバイトをしている節子である。ある日、職場へ向かう電車内で節子と知り合い、食事に誘うことに成功した美樹は、行きつけの店で食事をしながら、2人でセックスの話をする。

 お互いに家庭がありながらも、長い間夫婦間のセックスがないこと。美樹は「奴隷」を持ち、いわゆる「普通ではない」セックスを楽しむ相手がいるということ。美樹の告白に対して節子は「興味がある」と話した。それから数回のデートを経て、節子は美樹に抱かれることになる。念願の節子を抱くことになった美樹は2度のセックスをし、食事を済ませてホテルに戻り、また節子を抱く。

 2人は主従関係であったが、節子にとって美樹は大切な存在となり、美樹にとっては予測していた通り「3人目の大事な女性」となった。2人は時間を見つけて逢瀬を繰り返す。しかしある日、節子から思いがけない告白のメールを受け取ることになる——。

 「類は友を呼ぶ」という通り、Sである美樹は自然と節子の持つMの素質を見つけ、節子は美樹の行為を受け入れる。美樹が節子に施していたセックスは決してハードなものではなく、ごく普通のカップルが行う行為の延長上のようなものであった。美樹のシンプルなセックス描写を読み進めていると、彼の節子に対する「愛」が垣間見えるのだ。

 セックスは普通かそうではないか、女友達に自慢ができるかそうではないかでは計り知れない。どういったセックスをし、相手がどう満足し、自分がどれだけ満足させてもらえるかが重要なのだと、本書は気付かせてくれる。
(いしいのりえ)

「好きな人にドロドロした欲望を知られたくない」――『ねむりひめ』が描く10代のセックス

  若い頃は、好きな人にはきれいな自分を見てもらいたいという気持ちが強かった。ダイエットに励み、きちんとメイクをし、きれいな下着をつけて恋人とのセックスを迎える――ハタチ前の女性たちにとって、好きな人とのセックスは「女」としての勝負ではなかっただろうか? セックスは自分をさらけ出す行為ではあるが、そう感じられるのは、もう少し大人になり、場数を踏んでからだ。経験の浅いうちは、まだそこまで開き直ることはできず、大好きな男の前では少しでもきれいな自分を演出したいと感じるものである。

 今回ご紹介する『しゃぼん』(集英社)は、高校生からアラサーまでの多感な女たちを描いた短編集だ。その中でも注目したいのが『ねむりひめ』である。

 主人公のゆかりは、ごく普通の高校3年生で、物静かな同い年の慎ちゃんと付き合っている。仲間内で彼の評判はあまりよくないが、ゆかりは慎ちゃんのことが大好きだ。

 けれど、ゆかりは慎ちゃんではなく、友人である真美の自慢の彼氏を誘ったり、援助交際などをして、ほかの男たちとも寝ている。慎ちゃんとのキスは気持ちよく、体がとろけるような感覚だったのに、セックスは回数を重ねるごとに何も感じなくなっていった。慎ちゃんに初めて抱かれて、自分の中に隠れていた官能に目覚めたゆかりは、慎ちゃんとの「恋」を守ろうとする。

 海に出かけた2人は小汚いラブホテルへ行き、そこでゆかりは奇妙な夢を見る。慎ちゃんのペニスを弄び、官能に耽る夢だ。自分の中に潜むドロドロとした欲望を彼に知られることは「恥ずかしい」と感じ、その汚れた思いを発散するように、ゆかりは、あらゆる男たちと寝るようになる。

 10代の頃のセックスは、まだ心と体がうまくつながらず、危うい行為に及ぶことも少なくない。年を重ねて自分を律することを覚えた今、彼女たちのキラキラとした官能が眩しく感じてしまう。
(いしいのりえ)

不倫関係の男とSM行為に溺れる女が、恋の酔いから醒めていく時を描く『たまゆら』

 恋には必ず賞味期限が存在する。燃え上がっている時には恋もセックスも底知れぬほどに気持ちが良いが、ふとした瞬間に恋心は薄れてゆくものである。女は、相手に対して愛情が薄れてくると、まるで重箱の隅をつつくように、相手の悪い部分に目をこらすようになる。

 今回ご紹介する『たまゆら』(幻冬舎)は、官能小説界で第一線を切る女流作家である藍川京の「純愛官能小説」である。

 主人公の霞は新進気鋭の官能小説家だ。彼女はとあるパーティで、一回り以上年上の画家・神城と出会う。既婚者の霞は、離婚をして独身である神城に惹かれ、また神城も霞に思いを寄せる。2人は電話やメールではなく、手紙で言葉を交わしながら、互いの気持ちを確認していった――数回2人きりで会った後、ついに体を交わす。

 幼い頃に叔父と叔母がSM行為をしている様子を盗み見てから、神城は、女性を戒めることでしか快感を得ることができなくなってしまった。対する霞も、肉体的なコンプレックスがあることから、そういった行為に憧れていた。夫とのセックスから縁遠くなりながらも、毎日のように官能小説を書き続けている霞は、貪るように神城とのセックスに溺れていく。

 執筆時間と家事の合間を縫って、夫の目を盗み、霞は神城と逢瀬を重ねた。2人が住む地の中間地点である横浜のラブホテルで会うことがほとんどであったが、時には京都や北海道の支笏湖へ旅行に行くこともあった。しかし霞にとって、神城の存在は徐々に負担になってゆく。着実に知名度が上がり、執筆依頼も増えて行く霞だったが、神城のほうは仕事よりも霞のことを優先していた。筆一本で稼いでいこうと覚悟を決めていた霞は、何よりも小説を書くことを最優先としていたのである。

 神城への愛情が徐々に薄れていくことを実感していた霞。そんなある日、神城に「去年行った支笏湖へ行こう。霞と紅葉を見たい」と誘われる。しかしその頃、夫と松山へ旅行に行くことが決まっていた霞は、神城との旅行を断った。その後、2人の運命は思わぬ方向に向かっていく――。

 霞と神城、2人の心を強く結びつけていたのは「SM」であった。霞は男に身も心も支配されることを望んでいたのだが、小説家として生きることを何よりも喜びと感じていたため、仕事よりも恋愛を優先する神城に対して魅力を感じられなくなり、「自分を支配する男」として見られなくなってしまったのだ。

 恋に酔い、次第に酔いから醒めていく描写は、読んでいて心が苦しくなる。本作は、大人の恋愛小説としても満足できる作品となっている。官能小説に馴染みが薄い女性にも楽しんでいただける一冊である。
(いしいのりえ)