「最もわかり合える存在」夫婦の欺瞞を暴く、男女4人のW不倫官能作品『花酔ひ』

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『花酔ひ』(文藝春秋)

■今回の官能作品
『花酔ひ』(村上由佳、文藝春秋)

 若い知人の結婚報告を聞いていると、ハラハラすることがたびたびある。なぜなら、「結婚」というイベントに参加するような感覚でいるから。ブライダル雑誌のテレビCMを見ていても、同じような気持ちが湧いてくる。確かに結婚式で花嫁は、純白のドレスを着て、大勢の人々に祝福され、その日だけは主人公になることができるわけだが、若い女たちにとって、結婚とは「学園祭のヒロイン」に抜擢されることと近い感覚なのでは、と錯覚してしまうのだ。

 結婚というものは一過性のものではない。パートナーとして選んだ男との人生は、離婚しない限り一生続く。ドレスを着て皆に祝福されたその先には、「どちらかが死ぬまで相手を愛し続けなければいけない」という人生が待っている。それはセックスも同じ。今の日本では、「結婚したら、パートナーとのセックスだけで満足し続けなければならない」ということになっている。しかし、果たして本当にそんな人間など存在するのだろうか。たいていの夫婦は、妥協してセックスを行事化したり、いつの間にかセックスレスになってしまうのではないだろうか。

『淫ら上司』に見る、スポーツクラブが男にも女にも“エロティック空間”なワケ

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『淫ら上司 スポーツクラブは汗まみれ』(実業之日本社)

■今回の官能作品
『淫ら上司 スポーツクラブは汗まみれ』(睦月影郎、実業之日本社)

 スポーツクラブという場所は、よくよく考えると、実にエロティックな空間である。老若男女が薄いウェアに身を包み、同じ空間で一心不乱に汗を流す。当然それは、健康的な風景だけれど、男女ともに相当貴重な場ではないだろうか。男性の髪が汗で乱れている落ちる様子、女性のファンデーションが様子……大人たちがそんな姿を異性に見せる機会なんてめったにない。温泉施設か、ベッドの中くらいではないだろうか。

 特にスポーツクラブのプールはエロティックさが格段に増すだろう。海水浴場やホテルのプールとは違い、皆スポーティな競泳水着を身につけている。見せるためではなく泳ぐために作られた水着。その姿に健康的とは裏腹な、“見せないエロさ”を感じる人も少なくないはずだ。

100年たっても愛される情念の歌集、与謝野晶子『みだれ髪』を官能作品として読む

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『みだれ髪』(新潮社)

 そんな時代に堂々と女の情熱を描いた歌人・与謝野晶子。今回は少し趣向を変えて、彼女の代表作『みだれ髪』(角川春樹事務所)の中に点在する“官能”を紐解いてみようと思う。

 『みだれ髪』が刊行されたのは、今から100年以上前の1901年。収録されている作品のほとんどは、家庭を持つ与謝野鉄幹への情熱的な思いをつづった歌である。彼女の歌は、女独特の色気や、女の黒さも表現されている。例えば、誰もが一度は聞いたことがあるだろう、この作品もそうだ。

処女喪失をめぐる「抜け駆け禁止」――『蝶々の纏足』が描く、女子の複雑な人間関係

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『蝶々の纏足・風葬の教室』(新潮社)

■今回の官能小説
『蝶々の纏足』(山田詠美、新潮社)

 セックスに対して性欲が先行しがちの男と違って、女は好奇心が先行する場合が多い。その違いは、思春期の頃に顕著に出る。エロ本やAVで女の裸を見てストレートに欲情する少年たちとは異なり、少女たちはコミュニティ内で性への関心を育てるのだ。クラスのあの子が初体験をしたとか、夏休みにあの子に彼氏ができたというように、女同士の関係性の中で、性の情報を得て、同時にどちらが先に性体験をし、大人になるかを窺い合っている。そこには、友情の裏返しとして、「抜け駆けしてはいけない」という思春期の女同士の束縛がある。

 思春期の少女たちを瑞々しく描いた『蝶々の纏足』(新潮社)は、美しい少女・えり子に縛られ続ける地味な少女・瞳の物語だ。幼馴染みの瞳とえり子は、周囲からは仲の良い親友同士に思われているが、実は瞳は、どこへ逃げようとしても行く手を塞ぐえり子のことを疎ましく感じていた。

女の『楽園』とは? 40歳前後の女が、あらためてセックスに翻弄される理由

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『楽園』(中央公論新社)

■今回の官能小説
『楽園』(花房観音、中央公論新社)

 初めてセックスをした頃は、セックスというものは若い女だけが行う行為だと思いがちである。男に“悦んでもらう行為”こそがセックスだと思い込み、であれば、若く弾ける肉体をさらけ出した方がいいだろうと考えるからだ。しかし歳を重ねるたびに、セックスはもっと奥深いものだと気づく。男が女を楽しむという男性主導の行為ではなく、お互いが快楽を追い求め、女の方が男を支配するセックスの形もあると知るのだ。

 しかし、やはり“加齢”には強いしがらみを感じてしまうのではないだろうか。男に悦んでもらうだけがセックスではないことを知ったのに、「女として見られなくなる」「私は一体いつまで女でいられるのだろう」という不安が、再び「男に悦んでもらいたい」という心を揺さぶるのである。

男にとってEDは死活問題なのか? 渡辺淳一の自伝的小説に感じる“勃たない男”の滑稽さ

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『愛ふたたび』(幻冬舎)

■今回の官能小説
『愛ふたたび』(渡辺淳一、幻冬舎)

 セックスにおいて“受け入れる側”である女は、相手と気持ちさえあれば、生涯セックスを楽しむことができる。しかし男はそういうわけにもいかない。加齢とともに“ED”という恐怖が待ち受けているから。男たちにとって、勃起は男としての誇りのようなものなのだろう。若い頃は痛いくらいにそそり立っていたものが、次第に勢いを失っていき、やがてピクリともしなくなる日がくる。女を抱けなくなったとき、男たちはどう感じるのだろう?

 今回ご紹介する『愛ふたたび』(幻冬舎)は、晩年にインポテンツに悩まされていた渡辺淳一の自伝的小説だ。公立病院を退職し、整形外科病院を開業している主人公の「気楽堂」こと国分隆一郎。彼は73歳になっても、女性に不自由していない。妻に先立たれてからは、日々女性との楽しい一夜を謳歌していた。

赤線地帯の女を描く『ある脱出』、娼婦の“性”への葛藤が心を掴んでしまう理由

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『娼婦小説集成』(中央公論新社)

■今回の官能小説
『ある脱出』(『娼婦小説集成』より/吉行淳之介、中央公論新社)

 皆さんは「赤線地帯」というものをご存じだろうか? 赤線は、1958年以前に公認で売春が行われていた地域の俗称である。有名なところでは、東京の吉原などがかつて赤線地帯であり、飲食店として風俗営業の許可を取得し、女たちは女給となり男性客を取っていた。

 飲食店の看板を掲げた店が立ち並ぶ遊郭に勤務し、男たちに刹那的な快楽を売る女たちの姿を小説として多く残したのが、吉行淳之介だ。赤線遊び好きとして有名だった吉行は、赤線に生きる女たちを生々しく描いた『驟雨』で第31 回芥川賞を受賞している。今回ご紹介する『娼婦小説集成』(中央公論新社)の『ある脱出』も、赤線地帯の女性の物語である。

美人妻が「セックスしたい」と大暴走――『次々と、性懲りもなく』の描く欲深き女の魅力

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『次々と、性懲りもなく』(マガジンハウス)

■今回の官能小説
『次々と、性懲りもなく』(菅野温子、マガジンハウス)

 美人の欲は、底なしだと思う。生まれながらの美貌は、幼い頃から彼女たちに特別感を与える。筆者が幼稚園児だった頃、同じ園に通っていた幼児モデルをしていたクラスメイトは、お遊戯会で当たり前のように主役を演じていたし、小学生の頃の美形の友達は、誕生日やホワイトデーには男子から大量のプレゼントをもらっていた。自分からアプローチしなくても、自然と周りにもてはやされてしまう。だからこそ、自分の思い通りにいかないことに遭遇すると、とまどい、許せなくなってしまう。美人がそのほかの人よりも欲深くなるのは当然だ。
 
 今回ご紹介する『次々と、性懲りもなく』(マガジンハウス)の主人公・真紀は、産まれながらに人を惹きつける容姿を持っている。しかし容姿以外には、取り立てた才能もやりたいこともなかった真紀は、母から「結婚するなら、医者か弁護士」と教えられた通り、お見合いパーティーを通じて歯科医と結婚した。

女と不倫をする主婦の物語――『深爪』の描く女同士のセックスは純粋なのか

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『深爪』(集英社)

■今回の官能小説
『深爪』(中山可穂、集英社)

 最愛の妻を寝取られた時、夫はそのやるせない気持ちにどう折り合いをつけるのだろうか。腹いせに、妻がそうしたように自分もほかの女と寝るかもしれないし、逆に妻の浮気がカンフル剤となって夫婦の絆がより深まるかもしれない。

 もし修復不可能な夫婦間であれば、離婚という道もあるだろう。不貞を働いた妻に反撃をしないと気持ちが落ち着かないという場合、離婚のための裁判をしつこく長引かせるのも1つの手だ。そうすることで、妻からも徹底的に嫌われれば、あきらめもつくというものだ。

生活か、セックスか。結婚を控えた女のやるせない渇望を描く『よるのふくらみ』

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『よるのふくらみ』(新潮社)

■今回の官能小説
『よるのふくらみ』(窪美澄、新潮社)

 結婚とは、1人の男性を家族として、またセックスのパートナーとして、2つの役割を両立させながら生涯愛し続けることである。そう考えると、筆者は途端に結婚に自信がなくなる。この2つを1人の男で消化できる女など存在するのだろうか。生活に重きを置けば、男を共に家庭を作るパートナーとしか見られなくなるし、そんな男の前で、夜だけは女になれといわれても、想像するだけで疲弊してしまう。

 出産とセックスという「生と性」をテーマにした作品『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)でデビューした作家・窪美澄は、新作の『よるのふくらみ』(新潮社)でも、生と性の狭間で揺れる男女の姿を描いている。その中の『なすすべもない』で、主人公のみひろは、結婚を控える前から家庭とセックスの間に挟まれ、押し潰されそうになっている。そう、生活とセックスという「生と性」の問題が描かれているのだ。