流行はセレブの仮装!? ビヨンセ、アリアナ、マリリン・マンソンまで出そろったセレブのハロウィン2019

 今年も大盛り上がりした10月31日のハロウィン。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う宗教的な祭りで、一昔前までは仮装した子どもに親が付き添い、ご近所を回って「トリック・オア・トリート」と言いながらお菓子をもらう、という子ども向けの行事であった。しかし、近年は大人も仮装し、パーティーを楽しむように。派手好き、目立つことが大好きなセレブたちは、気合を入れて仮装をし、SNSで公開。そのクオリティは毎年アップしており、ファンを楽しませてくれる。まさかの“セレブネタ”が多かった2019年のセレブのハロウィンの楽しげな写真を紹介しよう。

ヘレナ、クリスティー、リンダ……90年代を代表するスーパーモデルの今!

 1930年代、アメリカの写真モデルの報酬は、週65ドル(約7,000円)だった。彼女たちが特別な存在となったのが80年代後半。長身で、手足が長く、どんなファッションも着こなせる圧倒的な存在感を放つモデルたちが登場し、デザイナーたちから“ミューズ”として扱われるようになったのだ。

 スーパーモデルと呼ばれるようになった彼女たちの報酬はうなぎ上りで、大金を手に入れた彼女たちは積極的に慈善活動を行い、自立した女性のロールモデルとなっていった。そんな90年代に一世を風靡したスーパーモデルたちは今、どうなっているのか? 彼女たちのインスタグラムとともに半生を振り返ってみよう。

“無名の人”にされた鼻手術、愛ゆえに受けた膣手術……美容整形を告白したセレブ

 昨年、第一子を産んだ女性ラッパーのカーディ・B。今年に入ると、「(産後太りでも)エクササイズする時間はないし、垂れた乳が上向きに戻るわけない」と、豊胸と脂肪吸引したこと、手術の後遺症で足首がむくみ、つらい思いしたことまで赤裸々に語ったのだ。

 外見が重視されるショービズ界には美容整形を受けた人が多いとされているが、公にしなかったり、かたくなに否定したりする人たちがほとんどだった。しかし近年は、カーディのように美容整形をオープンにするセレブが増えている。今回はそんな、美容整形をカミングアウトしたセレブを紹介しよう。

イギー・アゼリア

 2014年に世界的に大ヒットした曲「Fancy」で、一躍有名になった女性ラッパーのイギー。オーストラリア出身の白人で物おじしないブロンド美女、という異色の存在を毛嫌いする同業者は多かったが、裏表のない性格は多くの女性たちの支持を得た。

 彼女が整形をカミングアウトしたのは15年のこと。米ファッション誌「VOGUE」で、「4カ月前に豊胸手術を受けたの」「ずっと大きくしたかったのよ。胸元にパッド入れるのが嫌でたまらなくって」「本当は秘密にしようとしていたの。自分には10代の女性ファンが多いから、彼女たちが自分の体をネガティブに受け止めちゃうかもしれないと思って。でも私は秘密を守れるタイプじゃないから」と告白。無名時代にモデルで生計を立てていた頃から、「上半身は小さくてサイズ0か2なのに、下半身が太いからパンツサイズが6」という「プロポーションの悪さ」に悩み、ずっと豊胸したかったのだという。

 その5カ月後、今度は米誌「Seventeen」で、「鼻の形を整えた」と激白。その後も、「顔が変わった」「お尻がさらに大きくなった」などとウワサされ、16年カナダ版女性誌「ELLE」で、「16年は、有名、無名、関係なく、多くの女性が美容整形を受けている事実をみんなが受け入れる年になると思う」「だって、これが現実だから。みんなやってるんだから、美容整形はタブーなんかじゃないのよ」と持論を展開。「私が鼻を整形したのは、16歳の時にサッカーのボールが当たってこぶができちゃったから。それが嫌で仕方なくて、だから直したの」と、きちんとした理由があったのだと弁明していた。

 カーダシアン三姉妹の末っ子で、姉たちには全く似ていないクロエ。「母親クリスが元夫の親友だったO・J・シンプソンと浮気してできた子」とゴシップされることも多く、幼い頃から「1人だけブス」と言われて傷ついてきたという。

 そんなクロエは、アスリート男性と恋に落ちる傾向にあり、元夫も、娘の父親もプロバスケ選手。金持ちでモテモテの彼らは誘惑も多いため、クロエは男には泣かされてきた。男と別れるたびに心労でやせ、精神的に鍛えられて強くなったことから、美しくなってきたと人気も上昇。

 2016年に司会を務めるトーク番組『Kocktails With Khloe』で、彼女は肌にハリを与えるフェイシャルフィラーを注入したと告白。しかし、「大失敗だった。私には合わなかったのか、顔全体の感覚がなくなってしまって」「時間がたっても感覚が戻らなくて、あまりにもひどいから3回くらいクリニックに通い、溶解治療を受けたの。でも今もまだ少し残っていると思う」と語った。気軽に受けたもののひどい目に遭った、自分のようなケースもあるから慎重になったほうがいいと、世間に注意を促した。

 ちなみに、昨年出産した娘の父親とは、彼の浮気が原因で破局。その後、「顔が姉たちに似てきた」「整形したのか」などとウワサされたが、実姉キムや異父妹カイリー・ジェンナーのコスメを使い、顔に立体感を作るメイクを学んだおかげだと明かし、「整形しなくても、メイクでここまで変われるなんて!」と、多くの女性に希望を与えた。

ベティ・ホワイト

 今年1月に97歳の誕生日を迎えた、大御所女優ベティ・ホワイト。コメディドラマ『ゴールデン・ガールズ』(1985~92)のキュートな天然ボケのおばあちゃん(ローズ)役で大ブレイクした彼女は、その後、コメディ作品に引っ張りだことなった。

 全米から愛されている彼女が、11年に発売した自叙伝『If You Ask Me』で、「自然に逆らうのはよくないことだわ。でも76年に、私はまぶたの美容整形を受けてしまったの。そのことを後悔して、ずっと自分を責めていたけど、今じゃ、やってよかったと大満足してるわ」と激白したのだ。

 ベティが受けたのは、まぶたの上についた脂肪や余分な皮を切り取る手術。70年代は美容整形は一般的ではなく、「失敗したらひどい後遺症が残る」というイメージがあったが、ベティはキャリアのため、女優として「もっと若々しく見られる」ために、54歳という年齢で思い切って受けたのだった。

 手術のおかげで自信がついたのか、翌77年には人気シットコム『The Betty White Show』に主演。その後、数多くのドラマやコメディに出演し、『ゴールデン・ガールズ』で再ブレイクした。彼女のように中年以降もオファーが途絶えなかった女優は珍しく、95年にハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム入りを果たした。

 トップモデル時代は名だたるブランドのランウェイを歩き、現在は司会者、プロデューサー、実業家、慈善家として活躍しているタイラ。アフリカン・アメリカン女性の憧れの的だが、昨年リリースした自叙伝『Perfect Is Boring』には、ローティーンのころに鼻について大いに悩み、整形手術を受けたことが書かれている。

 タイラにとっての思春期はさまざまな“痛み”が伴うものだったようで、11歳の時にわずか3カ月間で身長が約8cm伸び、体重は13kg減ったという。何を食べても体重が増えなかったため、病気を疑って病院に行ったが、成長の過程だと片付けられてしまった。

 同様の異変は、鼻にも起こったとのこと。「鼻の骨が成長し続けてしまい、かゆくてたまらなかった」と激白。医療処置が必要なわけではなかったが、鼻の骨がどんどん大きくなり、このままだと外見にも影響すると懸念し、美容整形で鼻を小さくしたとつづった。

 現在45歳のタイラは「(美容整形やメイクなしでも美しい)ナチュラル・ビューティーたちが、美容整形した女性を批判する風潮には不快感を覚える」と述べ、自分はまだ受けていないと前置きした上で、「アンチエイジングの美容整形に対しても、私は批判するつもりはまったくない」と美容整形を肯定した。

リサ・クドロー

 メガヒットコメディ『フレンズ』(1994~04)のフィービー役で知られるリサ。彼女が美容整形を受けたのは、高校生になる直前のこと。ユダヤ人の特徴とされるワシ鼻を小さくして、新生活をスタートさせたかったのだ。

 彼女は13年に米誌「サタデー・イブニング・ポスト」のインタビューで、悲惨な中学時代を激白。「中学に上がる時、仲良しだった2人から『友達をやめる』と宣告されたの。中学には、彼女たちが知っている(イケてる)子がたくさん通っていて。私がいるのが、うっとうしかったみたい」と回想し、「人気のある生徒は、性格がいいから、みんなを楽しませてくれるから、人気者なわけじゃない。一番意地悪だから人気者になれるのよ」と、一人ぼっちだった中学時代を回想した。

 そのため、知らない人たちばかりが通う高校に上がる際、「自分を醜くしている」と思い込んでいたワシ鼻を変える決意をしたとのこと。「過去の私を知らない人たちばかりだったから、自分にとっては最高だった。最高の変化だったの!」と語り、整形手術を受けたおかげで自信がつき、充実した高校生活を送れたのだと語った。

ジェニファー・グレイ

 青春映画『ダーティ・ダンシング』(1987)でヒロイン役を演じたジェニファー・グレイ。キュートかつ知的なルックスのジェニファーはモテモテで、マイケル・J・フォックス、ジョニー・デップ、マシュー・ブロデリック、ウィリアム・ボールドウィンらと交際。どこに行ってもチヤホヤされ、セレブライフを謳歌していた。

 しかし、その後、状況は一変。というのも、リサ・クドローと同じく、ユダヤ系だった彼女は89年に気にしていたワシ鼻にメスを入れたのだが、ほんの少し形を変えただけで、まるで別人のようになってしまったのだ。

 ジェニファーは、12年に開催された『ダーティ・ダンシング』公開25周年の記念イベントで、「セレブとして美容整形の手術室に入ったのに、出てきた時は無名の人になってしまった」と、ため息まじりに話した。嫌いだった鼻が、皮肉にも彼女の最大のチャームポイントだったことを思い知ったという。「地獄のような手術となってしまったわ。私は誰にも気づかれなくなって、“有名だった女優”に成り下がってしまったのだから」と肩を落とした。

 デザイナーとして、ファッション・アイコンとしてあがめられているヴィクトリア・ベッカム。女性グループ「スパイス・ガールズ」の一員だった頃からスリムだった彼女が、突然巨乳になったのは1999年のこと。その後さらに大きくなり、豊胸したとウワサされた。

 ヴィクトリアが16年に英ファッション誌「VOGUE」の「18歳の自分に送る手紙」という企画で、「おっぱいは、いじらないほうがいいわよ」と豊胸手術を突然告白。「長年、ずっと否定してきたけど…… バカよね。自分に自信がない証しだわ。自分が持っているものに満足すればいいのにね」と吐露した彼女は、99年に最初の豊胸手術を、06年に2度目の豊胸手術を受け、09年に乳房縮小術を受けたと説明した。

 本人は認めてはいないものの、近年はボトックス注射などの“シワ伸ばし”を打ち、レーザー治療で肌を若返らせているともウワサされている。しかし、今年45歳になった彼女の目元などは年相応。大がかりな整形には懲りているため、ボトックスやヒアルロン酸注射などのプチ整形でアンチエイジング対策していくとみられている

シャロン・オズボーン

 度々騒動を起こすミュージシャンのオジー・オズボーン。彼を手のひらで転がす敏腕マネジャーで、妻でもあるシャロンは、美容整形を繰り返していることで有名だ。

 ほとんどの女性が美容整形を隠したがるが、シャロンはオープンにしており、2013年に発売した自叙伝『Unbreakable』で、フェイスリフト術、おなかの脂肪や伸びた皮膚を切り取るタミー・タック術(腹壁形成術)、乳房縮小術など、さまざまな美容整形手術を受けたとつづった。

 これまで受けた中で一番痛かった手術は、ずばり「膣を引き締める手術」。13年に人気トーク番組『The Graham Norton Show』に出演した際、「もう激痛だったわ」と顔をしかめて回想したシャロンに、隣に座っていた俳優のコリン・ファレルは「え!? そんな手術あるの?」と大仰天。シャロンは、オジーへの愛ゆえに、その手術を受けたと語った。

 今年5月にも人気トーク番組『The Talk』で、「次の美容整形手術の日程が決まったの」「8月に受けるのよ」と明かしたシャロン。「9月にこの番組に戻ったら、全然違う顔になっているはずよ」とあっけらかんと語り、出演者から「え~、今の顔がいいのに」と言われても、「こういうのって慣れなの。大丈夫、私の新しい顔も、すぐに好きになるから」と笑って余裕を見せた。

 なお、美容整形を受け始めた理由についてシャロンは、「ママみたいな外見になりたくなかったから。気づいたらママそのものになっていて、やばいと思って」と明かしている。

カイリーの裸婦像水着に、シェイの妊婦ビキニ、サルマの好感度爆上げショットまで! セレブの水着2019

 22歳の誕生日を祝うために超豪華ヨットをチャーターし、カリブ海に浮かぶタークス・カイコス諸島をクルーズした若き実業家カイリー・ジェンナー。招待した友人たちとおそろいのビキニを着て記念写真を撮るなど、楽しいひと時を満喫していた。欧米のセレブは海が大好きで、カイリーのように結婚式や誕生日を海で過ごす人も。今年も多くの女性セレブは、海の思い出と共に水着写真をインスタグラムに投稿している。その様子を振り返ってみよう。

 

 

 

 

殺人、わいせつ行為、薬物所持……海外でトラブルを起こした大物セレブたち

 出演する音楽フェスのために滞在していたスウェーデンで、執拗につきまとってきた男性2人を取り巻きたちと共に殴ったとして逮捕された、ニューヨーク出身の人気ラッパー、エイサップ ・ロッキー。人種差別が根強いといわれている北欧だけに、「エイサップが黒人だから、こんな長く拘束されているのでは!?」と大騒ぎになったが、約1カ月後に行われた裁判で釈放・帰国許可が下り、無事アメリカに戻ることができた。

 世界中にファンがいるセレブは、コンサートやプロモーションなど海外で行う仕事も多い。自国と違う国では緊張感をもって行動しなければならないものだが、海外ゆえに開放的になってトラブルを起こし、逮捕されるケースも。今回は、そんな海外でトラブルを起こしたセレブたちを紹介したい。

ポール・マッカートニー

殺人、わいせつ行為、薬物所持……海外でトラブルを起こした大物セレブたちの画像1

 1980年1月16日、ツアーのために日本の成田空港に到着した際、税関の荷物検査で約220gの大麻が見つかり、大麻取締法違反と関税法違反で現行犯逮捕されたポール。01年に受けたインタビューでは、「日本では重い刑罰が科されるから、大麻は絶対に持ち込むなと警告されていたにもかかわらず、なぜか持ち込んでしまったんだよなぁ」と回想。摘発された瞬間を思い出そうとすると「“本当に起きたのかな? 夢だったんじゃないかな?”と不思議な感覚に陥る」そうで、「だってスーツケースに大麻が入ったビニール袋がポンと入ってたんだよ。隠そうともせずに」と明かした。

 言葉もわからない日本での拘置所生活は、最初の3日間が地獄のように感じたそう。しかし「体操の時間」に英語が話せる過激派の大学生と言葉を交わすようになると緊張がほぐれ、彼に通訳してもらい、背中に刺青を入れたヤクザとも交流するなど、それなりに楽しんだよう。拘置所生活は9日間続き、25日に釈放され、強制送還された。

 のちのインタビューで「あの頃のオレは、本当にバカだった」と笑ったポール。84年1月15日にバルバドスでも大麻所持で逮捕されているが、この時は罰金100ドル(約1万円)を支払ってすぐに釈放された。

 ビートルズ同様、イギリスの国民的ロックバンドとして名高い「ブラック・サバス」のボーカルで、奇抜な言動で知られるオジーは、1982年2月19日、ツアーのために滞在していたテキサス州サンアントニオ市で逮捕された。

 彼は18日夜、いつものように大量の酒を飲み、スッポンポンに。「泥酔状態で外に出たら、きっと問題を起こして警察沙汰になる」と感じた、マネジャーで後に妻になるシャロンは、オジーの服を隠した。しかし、オジーはシャロンのドレスを着て外出。テキサス独立戦争にまつわる歴史遺産・アラモ砦をがれきだと勘違いし、放尿。公共の場で立ちションベンしたこと、泥酔状態だったことから逮捕されたのだった。

 19日夕方には、シャロンが40ドル(約4200円)の保釈金を支払い、釈放された。その夜、予定通りコンサートを行い、MCで「ションベンしたら捕まっちゃった」と自慢までしていた。

 その後、有罪になったオジーは、市が保有する施設でのライブ活動禁止処分を受けて深く反省。93年に関連する団体に1万ドル(約105万円)を寄付したことで、処分を解かれた。オジーは15年にドキュメンタリー番組『Ozzy & Jack’s World Detour』で、息子のジャックと共にアラモ砦を訪問。改めて謝罪している。

キース・リチャーズ

結成から57年たった今も現役で活躍するイギリスの伝説的バンド「ローリンズ・ストーンズ」のギタリスト、キース・リチャーズ。薬物・アルコール依存のイメージが強いが、断薬を決意したきっかけとなったのは、1977年2月27日のカナダでの逮捕劇だった。

 この日、アルバム制作のためにカナダの空港に到着したキースと内縁の妻アニタ・パレンバーグは、以前から当局に目をつけられていたこともあり、持ち物検査を受けた。キースは自叙伝で「オレは何も持ってなかったが、なぜかアニタのポケットの中から(コカインの付着した)スプーンを見つけたんだ」と回想したように、まずアニタがコカイン所持容疑で逮捕された。

 その後、キースが滞在するホテルのスタッフとして張り込んでいた覆面警察官に、事前に手配していたヘロインを見つけられ、キースもヘロイン所持の容疑で逮捕された。末端価格が4,000ドル(約42万円)になるほどの量だったため、終身刑もあり得る「売買のための麻薬密輸」という容疑もかけられた。保釈されたものの、パスポートを没収されたために4月1日までカナダから出られず。それ以降は、ヘロイン依存症治療を受けるためにアメリカの医療滞在ビザを得て、リハビリ施設で真剣に治療を受けることとなった。

 その後、起訴内容はヘロイン所持だけとなり、78年10月に行われた裁判でキースは罪を認めた。判決は、保護観察期間1年の執行猶予、ヘロイン依存症治療の続行、裁判で盲目のファンが「終身刑にしないでほしい」と嘆願したことを受けて、カナダの視覚障害者支援団体向けのチャリティコンサートの開催だった。検察は控訴したが、キースはファンへ早く恩返しがしたいと、79年4月にチャリティコンサートを2回も開催。同年9月には判決は変わらなかった。

 『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズでおなじみの俳優ヒュー・グラント。ラブコメを得意とする彼は、“チャーミングでハンサム”な俳優として世界中にファンを持つが、実は主演映画『フォー・ウェディング』(94)が米英で大ヒットしてから、『ノッテングヒルの恋人』(99)で再ブレイクするまで低迷していた。それはヒューがアメリカで逮捕されたことに理由があった。

 逮捕されたのは1995年6月27日。主演映画『9か月』のプロモーションのために滞在していたハリウッドで、午前1時半に車を運転して街に繰り出し、客引きをしていた売春婦をピックアップ。路上でカーセックスにいそしんでいたところを、警察に公然わいせつ罪で現行犯逮捕されてしまったのだ。

 ヒューは87年から女優のエリザベス・ハーレイと真剣交際していたこともあり、世間は騒然。一緒に逮捕された売春婦ディヴァイン・ブラウンは23歳の黒人女性だったため、「本当は黒人が好みなのか!?」とタブロイドに書き立てられた。

 逮捕時、身元を明かして捜査にも協力的だったというヒューは、その日のうちに保釈され、「悪いことをした」と謝罪声明を発表。翌月18日の判決では罰金1,000ドル(約10万5,000円)とエイズ教育プログラムの受講が義務付けられた。

 その後もエリザベスと交際していたが、00年に破局。恋人が子どもを産んでも長らく独身を貫いていたが、昨年、自分の子どもを3人産んだその女性と結婚。57歳でようやく既婚者となった。

DMX

 暴行や薬物絡みで逮捕されるセレブが多い中、猛犬がほえるような独特のラップで知られるニューヨーク出身のラッパーDMXは、パフォーマンス中の暴言が原因で逮捕されたことがある。

 彼が逮捕されたのは1999年7月10日。中米トリニダード・トバゴでコンサート中、「ビッチ!」「フ〇ッキング!」などの“放送禁止用語”を繰り返しラップ。MCでもこうしたよう言葉を連発したため、「公共の場で口にすることを禁止されている冒涜的な言葉を使用した」として、現行犯逮捕されてしまったのだ。

 DMXは会場で見張っていた警察官から何度か警告を受けたそうだが、無視して使い続けたとのこと。大勢の観客が見ている中、DMXが逮捕された。コンサートを中断されることに納得できなかったDMXは抵抗したため、これも罪として加算され、12日まで拘置所に拘束されることになった。

 審議で罪を認め、謝罪したことから、「逮捕の際に抵抗した罪」は取り下げられ、罰金150ドル(約1万6,000円)の判決が下り、釈放された。トリニダード・トバゴでのパフォーマンス禁止という判決も下る可能性が高かったが、DMXが反省・謝罪したことから罰金だけで済んだとも伝えられている。

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 1980年代に一世を風靡したイギリスのバンド「カルチャー・クラブ」において、“妖艶な女装ボーカリスト”として人気を博したボーイ。彼が05年10月7日、ニューヨークのマンハッタンで逮捕された事件は、奇妙な物語として語り継がれている。

 マンハッタンにマンションを持つ彼は、同日午前3時過ぎ、「マンションに泥棒が入った!」と緊急通報した。しかし、ボーイは駆けつけた警察官に「どうしたの?」と笑顔で対応。警察官は、ふらついているボーイに不信感を抱きつつ、念のために室内を調べたところ、泥棒ではなく13袋に小分けされたコカインを発見。ボーイはその場で規制薬物所持容疑で逮捕された。

 翌日、正常な状態になってから行われた罪状認否に、ボーイは憔悴しきった顔で出席。「コカインは自分のものではないし、どうして自宅にあったのかもわからない」と主張した。

 その後、薬物依存症のリハビリ治療を受けることなどを条件に保釈。ボーイは薬物については引き続き「自分のものではない」と主張し続け、06年3月に「警察にうその通報をした」と虚偽通報罪を認めた。これにより規制薬物所持容疑の罪は取り下げられ、5日間の社会奉仕活動と罰金1,000ドル(約10万6,000円)の判決を受けた。また、裁判費用の160ドル(約1万7,000円)も支払った。

 裁判後、ほっとした表情を見せていたボーイだったが、この2年後、本国イギリスの自宅に、ゲイ専門出会い系サイトで知り合ったノルウェー人男性を手錠を使って監禁し、鎖で殴打したとして逮捕された。

ジョージ・マイケル

 3年前のクリスマスに、53歳の生涯を閉じたイギリス人シンガーソングライターのジョージ・マイケル。長らく同性愛者疑惑がかけられていたが、それが真実だと判明したのは、1998年4月7日の逮捕劇だった。

 ジョージは同日夕方、ビバリーヒルズの高級住宅街に隣接するウィル・ロジャース記念公園のトイレで、私服警察官に勃起したイチモツを見せつけ、「公共の場で卑猥な行為をした罪」で現行犯逮捕。タブロイドの格好の餌食となった。なお、このトイレでは事件前からわいせつな行為が行われているようだと近隣住民から通報があったため、警察官が見張っていたという。

 マイケルは身分を明かし、拘束3時間後には500ドル(約5万3,000円)の保釈金を支払って自由の身となった。裁判では「公共の場で卑猥な行為をした罪」について不抗争の答弁(有罪だとは認めないが、検察側の主張には反論しないという答弁)の申し立てを行い、80時間の社会奉仕活動と罰金810ドル(約8万5,000円)などの判決を受けた。

 逮捕後、マイケルは米「CNN」のインタビューで「もう10年近く、女性とは体の関係を持っていない。恋人関係になるのは男性だ」とカミングアウト。その後、MTVのインタビューで「覆面警察官のほうがペニスを出すそぶりをしたから、誘っているんだと思って(イチモツを)出したんだ。そしたら逮捕されたんだよ」と、おとり捜査だったことを示唆。「ハンサムで長身で、グッド・ルッキングでデリシャスなアメリカの警察官に誘われたから、オレも出しちゃったんだよ」ともあっけらかんと語った上、この逮捕劇を歌とMVにした「Outside」まで制作、大ヒットさせた。

 その後、逮捕した覆面警察官から「精神的苦痛を被った」と慰謝料1,000万ドル(約10億5,000万円)を求められる訴訟へと発展。この訴えは取り下げられたが、マイケルは一切のダメージを受けず、「カミングアウトして大成功した有名人」の先駆け的存在となった。

シド・ヴィシャス

 海外で壮絶な事件を起こして逮捕されたセレブといえば、イギリスの伝説的パンクバンド「セックス・ピストルズ」のベーシスト、シド・ヴィシャスは外せないだろう。

 1978年1月にバンドが実質的な解散を迎えてから、シドは恋人のナンシー・スパンゲンとニューヨークのチェルシーホテルに滞在し、薬物漬けの日々を送っていた。同年10月12日、ナンシーはその部屋のバスルームで、腹部に深い刺し傷を負った状態で死亡しているところを発見される。ナンシーが刺された時間帯、シドは睡眠薬の過剰摂取で昏睡状態だったが、凶器となったナイフはシドのものだったため、殺人容疑で逮捕された。ナイフは指紋が拭き取られた状態で発見されるなど不審な点が多かったが、警察は物的証拠があるとしてシドを逮捕した。

 シドは所属していた「ヴァージン・レコード」に保釈金2万5,000ドル(約265万円)を払ってもらい、自由の身に。手首を切って自殺を試みるが、未遂に終わり、79年に入ってからは歌手パティ・スミスの弟をビール瓶で殴って暴行罪で逮捕されるなど、トラブルを起こし続けた。そして2月2日、ナンシー殺しの汚名を晴らすことなく、ヘロインの過剰摂取により死亡した。まだ21歳だった。

ODや病気、交通事故に射殺……悲劇の死を遂げた人気ラッパーを振り返る!

 

 3月31日、カリフォルニア州クレンシャーでラッパーのニップジー・ハスル(享年33)が銃殺された。彼は、アフリカ系アメリカ人の2大ストリートギャングのひとつ「クリップス」を母体とした「ローリン60sネイバーフッド・クリップス」の一員だったが、抗争や暴力、犯罪は推奨せず、平和を愛し、地元の子どもたちのためによりよい未来を築こうと呼びかけてきた男だった。

 ニップジーと同じくカリフォルニア州を拠点に“西海岸”の看板を背負い活動していたラッパーの2パック(享年25)も1996年9月13日、移動中の車内で銃殺されているが、2パックはもともとニューヨーク出身。「西海岸で生まれ育ち、成功してからは地元に恩返ししてくれていたラッパー」が、事もあろうに地元で射殺されたのはニップジーが初めてとなる。そのため西海岸のギャングたちはもちろんのこと、住民たちは彼の死を深く嘆き悲しんでいる。

 2パックとビーフ関係にあったノトーリアス・B.I.G.も、移動中に銃殺された。2人ともまだ20代半ばだったこと、犯人が逃走し今も捕まっていないことから、ラップ界最大の事件だといわれている。

 活躍が期待されていたのに命を落としてしまったラッパーは、ニップジーや2パック、B.I.G.のほかにも、実はたくさんいる。今回は、そんな悲劇の死を遂げたラッパーたちを紹介したい。

オール・ダーティー・バスタード(ODB)

 1968年11月15日、ニューヨークのブルックリンにラッセル・タイロン・ジョーンズとして誕生。すさんだ地区の貧しい家庭に生まれた彼は、いとこのRZAことロバート・ディグス、GZAことゲイリー・グライスと仲が良く、共にラップを聴いたり、カンフー映画を見たりしながら育った。自然な流れで3人は独自のラップスタイルを確立。インペリアル・マスター、オール・トゥギャザーというグループ名で活動を行い、92年、複数人に声をかけ、香港映画『少林寺武者房』(84)にインスパイアされた「ウータン・クラン」というラップグループを結成。デビューアルバムはヒットし、おしゃべり好きでお調子者のODBは、グループの顔となり、多くの人に愛されるようになった。

 「Brooklyn Zoo」「Simmy Shimmy Ya」などのソロ曲もヒットし、95年にはマライア・キャリーの「Fantasy」リミックス盤に客演する。キャリアの成功を収め、金銭的にも余裕が出てきたが、ODBの私生活は荒れていく。6人の女性との間にもうけた13人の子どものうち3人への養育費未払い、配偶者への暴力、DUI(アルコールや薬物の影響下の運転)、コカイン所持、500ドル(約5万5,000円)持っていたにもかかわらず50ドル(約5,500円)のスニーカーを万引した罪などで逮捕。グラミー賞で最優秀楽曲賞を受賞したショーン・コルヴィンの受賞スピーチを妨害する騒ぎも起こした。

 収入が上がるにつれ、飲酒、ドラッグ乱用も増え、99年夏にはリハビリ施設に入所することに。同年9月にソロでのセカンドアルバムを発売するが、数週間後にはクラック(コカインの塊)所持などで逮捕。リハビリ施設入所の判決を受けたが、00年10月に施設から逃亡。11月に逮捕、禁錮2年の判決を受け、刑務所内で骨折するほどのリンチを受けた。あまりにもやりたい放題のODBに愛想を尽かしたウータン・クランのメンバーは、誰一人として面会に行かなかったという。

 03年に保釈され、実家に戻ったODBは、ロッカフェラ・レコードと契約を結ぶ。再起するかと思いきや、04年11月13日にレコーディング・スタジオで突然倒れ、病院に救急搬送されたが帰らぬ人となった。死因は複合薬物の過剰摂取。36歳の誕生日まであと2日だった。

 1971年11月10日、ニューヨークのブロンクスにクリストファー・リー・リオスとして誕生。プエルトリコ系の両親は薬物依存症で、父親はビッグの幼少期に死亡。嫌気が差した彼は15歳で家出し、ホームレス生活を送るようになった。そんな過酷な状況の中で高校時代の彼女と結婚。子どもが次々と生まれるが、生活は厳しく、過食でストレスを発散させるようになり、18歳から21歳までの3年間で81kgから181kgまでに体重が激増した。

 趣味でラップやブレイクダンスをしていた彼は、19歳の時に、子ども時代に公園でケガをした事故の和解金をニューヨーク州から受け取り、その金をもとにラッパーとして本格的に活動を開始。アメリカン・コミックのヒーロー、パニッシャーにちなみ、「ビッグ・パニッシャー」というステージネームにし、ビッグ・パンという愛称で呼ばれるように。「フル・エクリップス」というグループも結成し、巨体だけでなく人柄の良さ、そして息継ぎをせず長時間ラップできる独特のテクニックで注目されるようになった。

 95年に同じくブロンクス出身で、ラティーノ・ラッパーとして活躍していたファット・ジョーに気に入られ、ジョー率いるヒップホップ集団「テラー・スクワッド」の一員となる。ラウド・レコードと契約を結び、97年には「I’m not a player」がヒット。翌年発売したアルバム『Capital Punishment』はソロ・ラティーノ・アーティスト初のプラチナムレコードとなり、R&Bチャート第一位を獲得。グラミー賞にもノミネートされた。

 ラティーノ界のヒーローとなったパンだが、疲労から心臓発作を起こし、医師から2週間休養するよう命じられる。ジェニファー・ロペスら大物アーティストとコラボするなど成功を収めた彼だが、過食を止められず、周囲を心配させた。さすがに本人も危機感を抱いたようで、99年にデューク大学の減量プログラムを受け、36kgの減量に成功。しかし、すぐにリバウンドしてしまい、ジェニファー、ファットと共にパフォーマンスする予定だった00年2月5日の『サタデー・ナイト・ライブ』出演を体調不良でドタキャン。その2日後、家族と共に滞在していたニューヨークのクラウン・プラザ・ホテルで呼吸困難に陥り、心肺停止に。すぐに救急隊員が駆けつけ蘇生を試みたが、息を吹き返すことはなかった。まだ28歳だった。

 司法解剖の結果、パンの死亡時の体重は316kgだったと伝えられている。

ネイト・ドッグ

 1969年8月19日、ミシシッピ州にナサニエル・ドウェイン・ヘイルとして誕生。父親は牧師、母親は教会の合唱団のまとめ役で、ゴスペルミュージックにどっぷりと浸かりながら育った。14歳で両親が離婚。カリフォルニア州ロングビーチに移住し、高校で同級生のスヌープ・ドッグとラップや歌でバトルする日々を送るようになった。

 17歳で高校を中退、海兵隊入りし、沖縄の米軍基地などに配属されたが3年で除隊。ロングビーチに戻り、地元のクラブで活動していたスヌープとウォーレン・Gに誘われ、ヒップホップグループ「213」を結成。スヌープが抜けたのちも、ネイトはウォレンと活動を続け、94年に客演したウォレンの「Regulate」で披露したゴスペル仕込みの甘い歌声が大ウケけし、“Gファンクの先駆け的存在”と呼ばれるようになった。

 94年に窃盗罪で逮捕され、服役した経験を歌ったソロアルバムを98年にリリース。好評だったが、大ヒットとまではいかず、ネイトはソロで活動するより客演アーティストとして活動した方が金もうけができると確信する。そして、エミネム、50セント、リュダクリスら世界的な有名ラッパーを含む数え切れないほど大勢のラッパーとコラボし、ヒット曲を飛ばすようになった。

 女性ファンが多かったネイトは、複数の女性との間に9人の子どもをもうけるなど、プレイボーイとしても知られた。金も名声も得たが、アルコール依存に陥り、泥酔して元交際相手の家に不法侵入したり、その女性の現彼に暴力を振るうなど警察沙汰も起こし、友人たちは「酔っ払うと手がつけられなくなる」と心配した。

 07年、飲酒運転で車が横転するという大きな交通事故を起こして頭を打ち、複数針縫うケガを負う。意識ははっきりしていたネイトは、医師の猛反対を振り切りすぐに退院し、予定していたラスベガスのライブに出演。その数カ月後、脳卒中を起こし倒れた。

 利き手のある左側に麻痺が残ったネイトだが、懸命にリハビリをして奇跡的に復帰を遂げる。改心し、ゴスペル合唱団を結成して活動するようになったが、酒を断つことはできず、08年に2度目の脳卒中を発症。2度目の脳卒中は重く、体が動かなくなり、発語もできず、寝たきりの状態になった。体は動かないが、頭はしっかりしていたため、アルファベット・ボードを使い、目の動きで意思を伝えていたという。家族やスヌープやウォレンは頻繁に彼を見舞い、回復を願った。しかし、11年3月15日、合併症を起こし亡くなった。41歳だった。

 1992年1月19日ペンシルベニア州ピッツバーグに、建築家の父、フォトグラファーの母のもと、マルコム・マコーミックとして誕生した。幼少時代から音楽が好きで、シンガーソングライターになることを夢見るようになった彼は、ギターやピアノ、ドラムなどの楽器を嗜んだ後、14歳でフリースタイルを始める。この頃に出会った初恋の彼女とは、中・高校、卒業後と長期にわたり交際するようになり、12年にリリースしたミックステープ「Macadelic」は、彼女との関係をリリックにしたものだと述べている。

 高校進学後は、学業そっちのけでラップに夢中になり、15歳で初めてのミックステープを発売。高校卒業後にリリースしたミックステープがレコード会社の目に留まり、「ロストラム・レコード」と契約。その後、リリースしたシングル、アルバムが次々と注目され、ツアーも行うスターラッパーとなった。そして、15年には大手の「ワーナー・ブラザース・レコード」と1,000万ドル(約10億9,000万円)の契約を結んだ。

 13年にアリアナ・グランデの「The Way」に客演したことがきっかけで、16年ぐらいから交際がスタート。彼女のコンサート直後に自爆テロ事件が起きた時には、アリアナの精神的な支えとなった。いくつかの曲でコラボし、ゴールイン間近とみられたが、18年5月に破局。アリアナはその数週間後にコメディアンのピート・デヴィッドソンと交際を始め、すぐに婚約。傷心のせいか、マックはその直後に愛車を電柱に激突させ、飲酒運転で逮捕された。

 マックは、高校時代に大麻のディーラーもしていたそうで、11年には大麻所持で逮捕されている。その後、ハードコアドラッグにも手を出すようになり、のちにアリアナは、薬物摂取と飲酒が破局の要因だと明かしている。

 飲酒事件後は、アリアナの婚約を祝福したり、5枚目のアルバムを発売したりと前向きな姿勢を見せていたマック。しかし、18年9月7日、カリフォルニア州スタジオシティの自宅で亡くなっているのが発見された。まだ26歳だった。死因はフェンタニルとコカイン、アルコールの過剰摂取だと報じられている。

XXXテンタシオン

 1998年1月23日フロリダ州プランテーションに、ジャセー・ドウェイン・リカルド・オンフロイとして誕生。母親が女手ひとつで育てようとしたもののうまくいかず、ほぼ祖母に育ててもらった。複雑な家庭環境の中で育った彼は、6歳の時に母親と言い争っている男を刺そうとしたり、けんかっ早いために中学校を退学させられたりとすさんだ少年期を送った。

 10代に入って、ニュー・メタル、ハードロック、ラップに興味を持つようになり、叔母や母の勧めで合唱団に入るものの、クラスメイトも殴り退団。進学した高校は1年で中退。拳銃強盗、押し込も強盗、鎮痛剤で麻薬でもあるオキシコドンの不法所持で逮捕されるなど筋金入りのワルだった。この頃すでに発砲されるなど敵も多かったが、音楽に情熱を注ぐようになり、14年3月にファーストソングを発表。しかし、直後、銃の不法所持で逮捕され、9カ月の間、少年院に入れられる。

 少年院でラッパーのスキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッドに出会い、出所後はさまざまななプロジェクトでコラボして、楽曲を音声ファイル共有サービス「SoundCloud」で発表。斬新なサウンドで注目を集め、SoundCloud Rapという新しいジャンルの開拓者として認知されるように。

 しかし、ここからしばらく音楽活動は中断される。16年8月、前年に起こした暴行・窃盗罪で逮捕され、刑務所へ。保釈金を払って出てきたものの、10月にはかねてより暴力で支配していた交際相手に暴行を加えたとして逮捕され、再び投獄された。

 出所後は、マイアミで開催したサプライズショーに集結したファンが暴動を起こし警察が駆けつける騒ぎとなったり、「自己防衛」としてファンを殴ったりと騒動が続いたが、そのたびにテンタシオンの知名度と人気は上がっていった。17年8月発売のファーストアルバム『17』は、ビルボードアルバムチャート2位を獲得。大手レコード会社「キャピトル・レコード」から600万ドル(約6億5,000万円)の契約オファーを受けた。

 金回りが良くなったテンタシオンは、高級車であるBMW i8を購入。自信過剰気味になり、スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッドと仲たがいし、ラッパーのロブ・ストーンとビーフ関係になり、誤解からヒップホップトリオ「ミーゴス」にケンカを売るなど、SNSで暴れまくった。

 このままだと破滅に向かうと思ったのか、SNSの投稿を全部削除して仕切り直したり、イメチェンをしたり、「みんなにポジティブな影響を与えたい」と改心を誓うように。チャリティ活動も行い、18年2月には、フロリダの高校銃乱射事件の被害者に捧げる曲「hope」をリリースした。

 とはいえ、そう簡単にネガティブなイメージを払拭できず、18年5月には音楽ストリーミングサービス「Spotify」がプレイリストから彼の楽曲を外した。しかし、テンタシオンはポジティブ思考を持ち続け、6月14日、インスタグラムに「フロリダでチャリティイベントを計画してるぜ!」と投稿。その4日後の18日、フロリダのバイクショップを出たところで、2人組に銃撃され、殺害された。強盗目的の殺人で、事件直後、BMW i8の車内でぴくりともしない彼の姿がインターネットで拡散された。まだ20歳だった。

 1971年5月27日、ペンシルベニア州フィラデルフィアにリサ・ニコール・ロペスとして誕生。父親は米軍曹で、サクソホーン、ピアノ、ハーモニカ、クラリネットなど楽器演奏が得意で、音楽にどっぷりと浸かりながら育った。5歳の時に子ども用のピアノで初めて作曲したという。10歳になると、妹、弟とともにバンド「ロペス・キッズ」を結成して教会でゴスペルを披露し、音楽スキルを磨いていった。音楽の素晴らしさを子どもたちに教えた父親だが、アルコール依存症で家庭内暴力もひどく、母親とくっついたり離れたりを繰り返し、レフト・アイは落ち着かない環境で成長した。

 19歳の時、当時交際していた恋人から「アトランタでガールズグループのオーディションがあるから、受けてみたら」と勧められ、同地に移住。見事合格し、トリオグループ「セカンド・ネイチャー」の一員となった。グループ名はすぐに、メンバーの愛称、T-ボズ、レフト・アイ、チリの頭文字をとって「TLC」に変更され、92年発売のデビューシングル「Ain’t 2 Proud 2 Beg」、セカンドシングル「Baby-Baby-Baby」が大ヒット。元恋人から「左目がかわいい」と褒められたことから、「レフト・アイ」という愛称がつけられた彼女は、メガネの片方のレンズにコンドームをつけてセーフ・セックスを呼びかけるなど、「前衛的なスタイル」で若い層から人気を集めた。94年にリリースしたセカンドアルバムは全世界で1,100万枚売れ、世界一のガールズグループとして君臨。グラミー賞も獲得した。

 名声を得たレフト・アイだが、父親同様、アルコール依存症に陥る。そして父のようなDV気質の男性に惹かれるようになり、嫉妬深く暴力的な性格だとされるNFL選手アンドレ・リソンと交際。ケンカを繰り返すようになり、94年に殴られた腹いせに彼のスニーカーを燃やしたところ、火の手が回り、アンドレ豪邸はほぼ全焼。刑務所入りは逃れたが、5年間の保護観察を命じられてしまった。

 スキャンダルは翌年も起きる。レーベルとの契約上、TLCの手元にはほとんど収入が残らないというカラクリになっており、借金で首が回らなくなり、95年にメンバー3人そろって破産法適用を申請するハメになったのだ。

 TLCは休止状態となり、レフト・アイはリル・キムとのコラボ曲「Not Tonight」(97)をリリースするなど、ソロ活動を行う。しかし、爆発的なブレイクとはならず、99年に発売したアルバム『No Scrubs』で、T-ボズ、チリと共に完全復活を遂げた。しかし、レフト・アイは2人と意見が合わなくなり、単独で行動するように。人気歌手とコラボしたり、授賞式の司会者を務めたり、国民的クイズ番組に出演したりと、積極的に活動。ソロアルバム『Supernova』を制作するが、レーベルの判断でアメリカではリリースされないことに。激怒した彼女は「N.I.N.A.」名義で、悪名高いデス・ロウとソロ契約した。

 02年4月25日、心身の休暇のために訪れた中米ホンジュラスで車を運転中、木に衝突。頭部を激しく損傷し、死亡した。

 07年、30歳の若さで亡くなった彼女の最期の27日間を追うドキュメンタリーが放送され、亡くなる直前に受けたセラピーで、「(悪い)スピリチュアルに追いかけられている」とおびえる姿が映された上、ホンジュラスで男の子を轢き殺したことが明かされ、大きな反響を呼んだ。

イージー・E

 1963年9月7日、カリフォルニア州コンプトンにエリック・リン・ライトとして誕生。全米屈指の犯罪地区だったが、父親は郵便局員、母親は小学校の理事を務めていたため、家庭は比較的まともだった。しかし周りの環境が悪かったため、12歳で女性を覚え、13歳の頃からストリートで悪い遊びを覚えるようになり、イージー・Eという愛称で呼ばれるように。自然な流れでストリートギャング「ケリー・パーク・コンプトン・クリップス」の一員となり、大麻を売りさばいていたいとこを見習って、麻薬売人へと成長していった。

 ガレージで大好きな音楽をレコーディングするようになったイージーは、高校1年生で学校を中退。麻薬売人として荒稼ぎし、22歳になる頃には貯金が25万ドル(約2,700万円)もあったという。しかし、薬物売人への道に引きずり込んだいとこが射殺されたことで、足を洗おうと決意。稼いだ大金をもとに、音楽業界に精通しているジェリー・ヘラーという白人とタッグを組み、ルースレス・レコードを設立。86年、ラッパーとして一旗揚げようとしていたドクター・ドレー、アイス・キューブと共にヒップホップグループ「N.W.A.」を結成。翌年、DJ・イェラ、MC・レンを迎え入れ、88年に発売したデビュー・スタジオアルバム『Straight Outta Compton』が爆発的にヒットし、西海岸の象徴とされる“ギャングスタ・ラップ”を確立した。

 人気・活動共に順風満帆に思えたが、契約においてイージーのギャラの取り分が多いことに不満を抱いたアイス・キューブとドクター・ドレーが、相次いでグループを脱退。以来、3人は互いをディスる曲を制作し、至る所でののりし合うなど、ビーフを展開するように。

 ネガティブなイメージを嫌うイージーは、ビーフ騒動の傍ら、ラジオ番組の司会をしたり、国民的コメディ番組『イン・リビング・カラー』に出演したりと、新しい分野での活動を行うようになる。しかし、95年、突然呼吸困難に陥って入院。ぜんそくだろうと軽い気持ちで検査を受けたところ、エイズの発症が判明し、同年3月17日にHIV陽性だと告白して全米に衝撃を与えた。

 診断を受けた1カ月後の26日に、エイズによる合併症で死去。金の棺桶に、トレードマークだった、ジーンズにフランネル・シャツ、コンプトンのロゴ入りキャップをかぶった姿で納められ、埋葬された。まだ31歳だった。

 6人の女性と7人の子どもをもうけたイージーは、エイズ末期に2人目を妊娠中だった交際相手と結婚。妻も子どもたちもHIVには感染していなかった。イージーがどのようにしてHIVに感染したかは、今なお判明していない。

54歳で第5子出産したパワフル女性も! アラフィフ出産したセレブ特集

 米国立衛生統計センターによると、1980年におけるアメリカ人女性の平均出産年齢は22.7歳だったが、2016年では26.3歳と上昇傾向にある。既婚か独身か、また学歴によっても出産年齢は大きく異なり、既婚女性の平均出産年齢は28.8歳、独身女性の平均出産年齢は23.1歳、大卒女性の平均出産年齢は30.3歳、中・高卒女性の平均出産年齢は23.8歳だという。

 このように全体的に見てアメリカ人女性の出産年齢は上がっているのだが、35歳をすぎると妊娠しにくくなると同センターは明記している。しかし生殖医療は日々進歩しており、今後も平均出産年齢は上がっていくだろう。

 ハリウッドでも、近年アラフォー出産は当たり前で、アラフィフで出産するセレブたちも珍しくなくなってきた。今回はそんなアラフィフで出産し、世間を驚かせた高年齢出産セレブをご紹介しよう。

ハル・ベリー(47歳で第2子出産)

 08年3月、41歳の時に第1子を出産したハル。相手は8歳年下のカナダ人モデル、ガブリエル・オーブリーで、結婚する意思がないまま未婚で出産した。

 ガブリエルとは10年に破局したが、彼と娘の親権争いを繰り広げる中、フランス人俳優オリヴィエ・マルティネスと交際を始めて婚約。13年3月に妊娠を発表。その後結婚し、同年10月に47歳で第2子となる長男を無事出産した(15年、オリヴィエとも離婚)。

 この2人目を出産した翌年、ハルは人気トーク番組『エレンの部屋』に出演し、「生々しい話かもしれないけど。閉経が近い状態だったから、この妊娠にはすごく驚いたの」と、自然妊娠だったことを告白。きょうだいをほしがっていた長女の願いがかなったのだといい、「まさしくミラクルね」と言ったエレンに、「1年半もの間、神に祈っていた娘の思いがなければ、妊娠できなかったと思うわ。自分の年齢を考えて、妊娠なんて不可能だと思っていから。もう結婚なんてしなくていいと思っていたのよ」「(愛というより)赤ん坊が生まれたことで結婚し、人生計画が大きく変わったわ」と明かした。

 授乳に関しても「娘は優しく吸っていたんだけど、息子は私の魂まで吸い込むんじゃないかというほど、激しく吸うの」と、笑いながら語っていた。

 これまで男運に恵まれず、2回結婚するも、どちらも離婚に終わったジャネット。そんな彼女が、カタール人実業家のウィサム・アル・マナと結婚したのは12年のこと。ジャネットほどの大物となると、彼女の金と名声目当ての男が寄ってくることが多いのだが、ウィサムはエルメスなど高級ブランドを擁する会社「アル・マナ・ファッションポートフォリオ」の責任者で、総資産額は2億ドル(約215億円)。これまで同様、今回も極秘結婚だったため、ファンがジャネットとウィサムの結婚を知ったのは翌年だったが、紳士的なウィサムとなら、結婚生活はきっとうまくいくだろうと祝福する声が上がった。

 ウィサムと結婚したことでイスラム教に改宗し、ステージで肌を露出することがなくなったジャネットだが、彼女のコンサートは超人気。15年8月にスタートしたワールドツアーも売り切れが続いていたのだが、16年4月にジャネットは「家族計画のため、ツアーを延期することにしました。医師には安静を命じられているので」と発表。「安静ということは、すでに妊娠しているのでは?」「体外受精をしている最中かも」「年齢的に代理母を使っての出産だろう」と、さまざまな臆測が飛び交った。

 その後、おなかはもちろん全体的にふっくらとしたジャネットの姿がパパラッチされ、「ジャネット本人が妊娠している!」と世間は騒然。17年1月に男児を無事出産し、代理人は「ストレスのない健康的な安産だった」と発表。18歳の時に駆け落ち同然で結婚した最初の夫と間に、娘を極秘出産していたというウワサは根強く残っているため、「30年以上あいているとはいえ、経産婦だったから安産だったのでは」という説も流れた。

 産後すぐに、ジャネットは「モラハラを受けていた」としてウィサムと離婚。エイサと命名された息子の肌の色が白いことから、「ドナーの卵子を使ったのでは」とのウワサも飛び交ったが、黒人の血が流れる赤ん坊の肌色が幼児期に白くなるのは珍しくないこと、ウィサムはアラブ人だが肌の色は濃くないこと、息子の顔のパーツが幼い頃のジャネットに似ていることから、2人の遺伝子を受け継いでいるのは間違いなさそう。若い頃に凍結した自分の卵子を使った可能性も指摘されている。

ブリジット・ニールセン(54歳で第5子出産)

 80年代後半に俳優シルヴェスター・スタローンと結婚していた女優のブリジット。彼女はこれまでに5回結婚しており、2人目の夫だったシルヴェスターとの子どもには恵まれなかったものの、最初の夫との間に長男、結婚はしなかったが婚約した男性との間に次男、4人目の夫との間に三男と四男をもうけている。

 06年に15歳年下のバーテンダー、マッティア・デッシと結婚して世間を驚かせたが、その12年後、再び世間を騒がせた。54歳で5人目の子どもを出産したからだ。

 ブリジットは産後、米芸能誌「People」の取材に対して、4人目の夫と離婚した直後の40歳のころ、「卵子を取り出し、凍結保存した」と告白。医師は「凍結保存した自分の卵子で妊娠する確率は3-4%程度」だと告げたそうだが、「将来のために」と保存に踏み切ったのだとか。

 その後、医師の説明通り、体外受精を始めてもなかなか成功せず、何度も悲観して泣いたそう。挑戦し始めて10年以上がたち、無事に妊娠、しかも念願の女の子だと知った時は天にも昇る気持ちだったと語った。

 ブリジットは世の女性に対し、「ドナーの卵子は嫌だと思う人は、いい時期を見計らって自分の卵子を保存すべき」ともアドバイス。「卵子の凍結保存」という選択や、「凍結卵子を使うことで高齢でも出産できる可能性がある」という認識を広めた。

 1992年にリリースした「Damn I Wish I Was Your Lover」が世界的に大ヒットし、一躍スター歌手となったソフィー。彼女は、すべてのセクシュアリティに恋をするオムニセクシュアル(全性愛)を公言し、女性テニス選手のマルチナ・ナブラチロワや女優ジョディ・フォースターとウワサになったことも。ちなみに2人との恋愛について、ソフィーは事実無根だと主張している。

 そんなソフィーが第1子を出産したのは08年、44歳のころ。オムニセクシュアルをカミングアウトし、過去11年間は女性と付き合ってきたと明かした年であった。産後しばらく音楽活動を停止していたが、12年にアルバム『The Crossing』をリリース。その3年後に、50歳で第2子を妊娠したことで、再び大きな話題を集めた。

 米芸能誌「Usウィークリー」によると、ソフィーは31歳の時に卵子を取り出し、胚(受精卵が発育したもの)を凍結保存したとのこと。息子が6歳になったことで2人目を考えるようになり、その胚を使って2人目の妊娠に成功。ちなみに、長男もドナーの精子を使ったことを明かしている。

 50歳で、シングルマザーとして妊娠出産することに不安がなかったわけではないが、「医師からは、とても健康だと太鼓判を押された」ことで精神的安定を取り戻し、ステージに立ちながら妊婦生活を満喫。15年7月、元気な女の子を出産したのだった。

レイチェル・ワイズ(48歳で第2子出産)

 6代目ジェームズ・ボンドとして世界中の女性をとりこにしているダニエル・クレイグと、11年に結婚したレイチェル。エイジレスな美しさを持つ彼女は、06年の36歳の時に、映画監督ダーレン・アロノフスキーとの間にできた長男を出産。ダニエルとは『ドリームハウス』(11)で共演したのがきっかけで交際を開始。スピード婚した時には、世界中のダニエルファンから羨望の目を向けられたものだった。

 18年、レイチェルがダニエルとの子を妊娠していることが発表され、世間を驚かせた。というのも、 ダニエルは最初の妻との間に娘がおり、レイチェルは48歳と高齢であったことから、子どもは作らないと思われていたからだ。

 その後、同年8月、無事に女の子を出産。レイチェルは産後すぐに体型を戻し、ダニエルは抱っこひもで赤ん坊を抱えて外出したところ、有名ジャーナリストから「男として情けない」と叩かれるなど、2人は何かと注目を集めた。ダニエルの方だが、「男が抱っこひもで赤ん坊を連れて何が悪い!」とSNSで男性の育児参加を肯定するムーブメントが巻き起こり、「50歳のイクメンパパ!」「ダニエル、最高!」だと絶賛された。

54歳で第5子出産したパワフル女性も! アラフィフ出産したセレブ特集

 米国立衛生統計センターによると、1980年におけるアメリカ人女性の平均出産年齢は22.7歳だったが、2016年では26.3歳と上昇傾向にある。既婚か独身か、また学歴によっても出産年齢は大きく異なり、既婚女性の平均出産年齢は28.8歳、独身女性の平均出産年齢は23.1歳、大卒女性の平均出産年齢は30.3歳、中・高卒女性の平均出産年齢は23.8歳だという。

 このように全体的に見てアメリカ人女性の出産年齢は上がっているのだが、35歳をすぎると妊娠しにくくなると同センターは明記している。しかし生殖医療は日々進歩しており、今後も平均出産年齢は上がっていくだろう。

 ハリウッドでも、近年アラフォー出産は当たり前で、アラフィフで出産するセレブたちも珍しくなくなってきた。今回はそんなアラフィフで出産し、世間を驚かせた高年齢出産セレブをご紹介しよう。

ハル・ベリー(47歳で第2子出産)

 08年3月、41歳の時に第1子を出産したハル。相手は8歳年下のカナダ人モデル、ガブリエル・オーブリーで、結婚する意思がないまま未婚で出産した。

 ガブリエルとは10年に破局したが、彼と娘の親権争いを繰り広げる中、フランス人俳優オリヴィエ・マルティネスと交際を始めて婚約。13年3月に妊娠を発表。その後結婚し、同年10月に47歳で第2子となる長男を無事出産した(15年、オリヴィエとも離婚)。

 この2人目を出産した翌年、ハルは人気トーク番組『エレンの部屋』に出演し、「生々しい話かもしれないけど。閉経が近い状態だったから、この妊娠にはすごく驚いたの」と、自然妊娠だったことを告白。きょうだいをほしがっていた長女の願いがかなったのだといい、「まさしくミラクルね」と言ったエレンに、「1年半もの間、神に祈っていた娘の思いがなければ、妊娠できなかったと思うわ。自分の年齢を考えて、妊娠なんて不可能だと思っていから。もう結婚なんてしなくていいと思っていたのよ」「(愛というより)赤ん坊が生まれたことで結婚し、人生計画が大きく変わったわ」と明かした。

 授乳に関しても「娘は優しく吸っていたんだけど、息子は私の魂まで吸い込むんじゃないかというほど、激しく吸うの」と、笑いながら語っていた。

 これまで男運に恵まれず、2回結婚するも、どちらも離婚に終わったジャネット。そんな彼女が、カタール人実業家のウィサム・アル・マナと結婚したのは12年のこと。ジャネットほどの大物となると、彼女の金と名声目当ての男が寄ってくることが多いのだが、ウィサムはエルメスなど高級ブランドを擁する会社「アル・マナ・ファッションポートフォリオ」の責任者で、総資産額は2億ドル(約215億円)。これまで同様、今回も極秘結婚だったため、ファンがジャネットとウィサムの結婚を知ったのは翌年だったが、紳士的なウィサムとなら、結婚生活はきっとうまくいくだろうと祝福する声が上がった。

 ウィサムと結婚したことでイスラム教に改宗し、ステージで肌を露出することがなくなったジャネットだが、彼女のコンサートは超人気。15年8月にスタートしたワールドツアーも売り切れが続いていたのだが、16年4月にジャネットは「家族計画のため、ツアーを延期することにしました。医師には安静を命じられているので」と発表。「安静ということは、すでに妊娠しているのでは?」「体外受精をしている最中かも」「年齢的に代理母を使っての出産だろう」と、さまざまな臆測が飛び交った。

 その後、おなかはもちろん全体的にふっくらとしたジャネットの姿がパパラッチされ、「ジャネット本人が妊娠している!」と世間は騒然。17年1月に男児を無事出産し、代理人は「ストレスのない健康的な安産だった」と発表。18歳の時に駆け落ち同然で結婚した最初の夫と間に、娘を極秘出産していたというウワサは根強く残っているため、「30年以上あいているとはいえ、経産婦だったから安産だったのでは」という説も流れた。

 産後すぐに、ジャネットは「モラハラを受けていた」としてウィサムと離婚。エイサと命名された息子の肌の色が白いことから、「ドナーの卵子を使ったのでは」とのウワサも飛び交ったが、黒人の血が流れる赤ん坊の肌色が幼児期に白くなるのは珍しくないこと、ウィサムはアラブ人だが肌の色は濃くないこと、息子の顔のパーツが幼い頃のジャネットに似ていることから、2人の遺伝子を受け継いでいるのは間違いなさそう。若い頃に凍結した自分の卵子を使った可能性も指摘されている。

ブリジット・ニールセン(54歳で第5子出産)

 80年代後半に俳優シルヴェスター・スタローンと結婚していた女優のブリジット。彼女はこれまでに5回結婚しており、2人目の夫だったシルヴェスターとの子どもには恵まれなかったものの、最初の夫との間に長男、結婚はしなかったが婚約した男性との間に次男、4人目の夫との間に三男と四男をもうけている。

 06年に15歳年下のバーテンダー、マッティア・デッシと結婚して世間を驚かせたが、その12年後、再び世間を騒がせた。54歳で5人目の子どもを出産したからだ。

 ブリジットは産後、米芸能誌「People」の取材に対して、4人目の夫と離婚した直後の40歳のころ、「卵子を取り出し、凍結保存した」と告白。医師は「凍結保存した自分の卵子で妊娠する確率は3-4%程度」だと告げたそうだが、「将来のために」と保存に踏み切ったのだとか。

 その後、医師の説明通り、体外受精を始めてもなかなか成功せず、何度も悲観して泣いたそう。挑戦し始めて10年以上がたち、無事に妊娠、しかも念願の女の子だと知った時は天にも昇る気持ちだったと語った。

 ブリジットは世の女性に対し、「ドナーの卵子は嫌だと思う人は、いい時期を見計らって自分の卵子を保存すべき」ともアドバイス。「卵子の凍結保存」という選択や、「凍結卵子を使うことで高齢でも出産できる可能性がある」という認識を広めた。

 1992年にリリースした「Damn I Wish I Was Your Lover」が世界的に大ヒットし、一躍スター歌手となったソフィー。彼女は、すべてのセクシュアリティに恋をするオムニセクシュアル(全性愛)を公言し、女性テニス選手のマルチナ・ナブラチロワや女優ジョディ・フォースターとウワサになったことも。ちなみに2人との恋愛について、ソフィーは事実無根だと主張している。

 そんなソフィーが第1子を出産したのは08年、44歳のころ。オムニセクシュアルをカミングアウトし、過去11年間は女性と付き合ってきたと明かした年であった。産後しばらく音楽活動を停止していたが、12年にアルバム『The Crossing』をリリース。その3年後に、50歳で第2子を妊娠したことで、再び大きな話題を集めた。

 米芸能誌「Usウィークリー」によると、ソフィーは31歳の時に卵子を取り出し、胚(受精卵が発育したもの)を凍結保存したとのこと。息子が6歳になったことで2人目を考えるようになり、その胚を使って2人目の妊娠に成功。ちなみに、長男もドナーの精子を使ったことを明かしている。

 50歳で、シングルマザーとして妊娠出産することに不安がなかったわけではないが、「医師からは、とても健康だと太鼓判を押された」ことで精神的安定を取り戻し、ステージに立ちながら妊婦生活を満喫。15年7月、元気な女の子を出産したのだった。

レイチェル・ワイズ(48歳で第2子出産)

 6代目ジェームズ・ボンドとして世界中の女性をとりこにしているダニエル・クレイグと、11年に結婚したレイチェル。エイジレスな美しさを持つ彼女は、06年の36歳の時に、映画監督ダーレン・アロノフスキーとの間にできた長男を出産。ダニエルとは『ドリームハウス』(11)で共演したのがきっかけで交際を開始。スピード婚した時には、世界中のダニエルファンから羨望の目を向けられたものだった。

 18年、レイチェルがダニエルとの子を妊娠していることが発表され、世間を驚かせた。というのも、 ダニエルは最初の妻との間に娘がおり、レイチェルは48歳と高齢であったことから、子どもは作らないと思われていたからだ。

 その後、同年8月、無事に女の子を出産。レイチェルは産後すぐに体型を戻し、ダニエルは抱っこひもで赤ん坊を抱えて外出したところ、有名ジャーナリストから「男として情けない」と叩かれるなど、2人は何かと注目を集めた。ダニエルの方だが、「男が抱っこひもで赤ん坊を連れて何が悪い!」とSNSで男性の育児参加を肯定するムーブメントが巻き起こり、「50歳のイクメンパパ!」「ダニエル、最高!」だと絶賛された。

元AKB48・川栄李奈のスピード&授かり婚に、元KAT-TUN・田口淳之介の“大麻逮捕” 元アイドル2人の衝撃展開にファンは……

 先月17日に、俳優・廣瀬智紀との結婚、そして妊娠を発表し、世間に衝撃を与えた元AKB48メンバーで女優の川栄李奈。その後「週刊文春」(文藝春秋)にて、夫の二股疑惑が報じられると、自身のTwitterで“意味深投稿”をして(数時間後に削除)、その発言内容から夫婦共に炎上騒ぎに。それからSNSは一時更新がストップしていましたが、先月29日にTwitterを更新。「歩きやすいっ。頑張ります」と、スニーカーを履いた足元の画像ともにアップし、ファンからは「無理しないで」「りっちゃんがんばれ!!!」と応援コメントが寄せられています。
 
 一方、元アイドルといえば、22日にはKAT-TUNの元メンバーである田口淳之介容疑者と内縁関係にある女優・小嶺麗奈容疑者が大麻取締法違反の疑いで逮捕。全国ツアーを7月に控えたタイミングでの逮捕や、「10年程前から大麻を使い始めた」という田口の供述にはファンだけでなく、現役メンバーである中丸雄一も「KAT-TUNだった頃のファンも裏切る行為だということを彼は分かっていてやっていたのか、聞いてみたい」と怒りをぶつけています。

 何やら厳しい未来が待ち受けていそうな2人の元アイドル。とはいえ、川栄さんのご懐妊はおめでたいところですから、くれぐれも お体に気を付けて元気な赤ちゃんを産んでほしいところですね。はい。


第1位
「ナックルズ砲」が3度目の炸裂!? 次の薬物逮捕者は北村匠海か
ファン騒然!?

第2位

元KAT-TUN田口淳之介逮捕で野村周平が“とばっちり”! 小嶺麗奈の周囲でもアノ女優に疑惑の目が……
バラエティで超ハイテンションな姿を見たことありますよね

第3位
川栄李奈がCM女王なのに「ナマ」「中」を許したワケ

自覚と責任って大事だよね……

第4位
土屋太鳳があの芸人を共演NGに!「ひっぱたいてやりたい」
温和な太鳳ちゃんもブチ切れか

第5位

NGT48加藤美南の不適切動画に和田アキ子&ヒロミが「的外れ」発言! ご意見番の“テキトーさ”が露呈
その席も危うい!?

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【特集】
田口・小嶺”大麻逮捕”の余波
ほんとにしょーもない……

「男性に簡単に与えてきた愛と許しを、自分に」――いま言動が注目されている若手セレブ・フェミニストは!?

近年、若手ハリウッドセレブたちの中で、フェミニズム活動が盛んだ。男女差別やセクハラなどを経験し、耐えきれなくなった女性たちが声を上げることが多かったため、長らく「フェミニスト=気の強い中年女性」という偏見を持たれがちだった。それがいわゆる「♯MeToo」以降、10~20代前半の若きセレブたちが堂々と男女差別を訴えるように。SNSを通して意見を表明する人も多く、若年層に大きな影響を与えている。今回はそんな若きセレブ・フェミニストの中から、特に注目を集める5人を紹介しよう。

アリアナ・グランデ(25)

 世界中にファンを持つ歌姫アリアナ。彼女は2016年に米音楽誌「Billboard」のインタビューで、「男性アーティストがステージで上半身裸になって肉体美を披露すると絶賛されるのに、なんで女性が肌を見せて性をアピールすると批判されなくちゃいけないの?」「女性だって、自分の体は『セクシーで大好き』と表現してもいいじゃない」と主張。パフォーマンス表現を通じて、男女平等を訴えた。

 そんな彼女はツイッターでも、「女性が社会的な力を持つ=ビッチってわけじゃない。声を上げれば『生意気だ』と言われるけど、それは違う」と主張。16年に受けた、ティーン向けのウェブサイト「POPSUGAR Beauty」のインタビューでは、「人間はみんな平等である権利をもっている。ずっと前から問題になっていることだけど、この男女平等に関しては、ほとんど進展がないのよね。ほかのコミュニティ、例えばゲイの権利に関しては進展が見られるのに」と発言。「どうせ無理と、あきらめている女性が多いのよね。それに、フェミニストは男性を攻撃するものだと誤解している人が多すぎる。まったく違うのにね」「(女性が)男性よりも上に立つというわけじゃないの。男性と平等になるってことなのよ」と、若年層にもわかりやすくか砕いて説明した。

 アリアナは、男性も女性も一人ひとりが個人として評価されるべきと訴え、性別によって言動を決めつけられることも嫌う。15年に米ラジオ番組『Power 106』に出演した時には、アリアナの発言に対して、繰り返し「女の子はこれだからな~」と笑う男性DJに、「女の子だけじゃない。男の子だって、そうよ!」と強い口調で言い返し、話題になった。

 「〇〇の元カノ」「〇〇とウワサになっているアリアナ」と書くタブロイドにもうんざりしており、「女性が男性の『元カノ』『今カノ』『将来の彼女』と表現されるのはなぜ? まるで男性の所有物のようで本当に不愉快」「私は私のもの。誰もがそうであるように」とTwitterで主張している。Billboardが毎年開催する「Women in Music Awards」でウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞した際には、「これまであまり考えずに男性に簡単に与えてきた愛と許しを、自分に与えられるようになりたい」と発言。会場からは拍手喝采が上がり、若手フェミニストとして一目置かれるようになった。

ゼンデイヤ(22)

 米ディズニー・チャンネルの人気ドラマ『シェキラ!』で一躍人気者になった、女優のゼンデイヤ。多くのディズニースターがドラマ終了後にハメを外す傾向があるが、彼女は「若い女子ファンのお手本」になることを強く意識。公式サイトを通じ、ファンから送られてきた恋愛に関する質問に回答したり、健康的な恋愛を楽しむためのアドバイスをしたり、ポジティブなメッセージを発信し、絶大な支持を集めるようになった。

 そんなゼンデイヤが2015年、インスタグラムに2枚の写真を比較するように並べて投稿。身長178cm・体重59kgとスーパーモデル体形の彼女だが、よく見ると左側の写真は右側よりもスリムに見える。これにゼンデイヤは、「雑誌のために撮影した写真が仕上がったんだけど、もうびっくり。19歳の私のヒップと胴体がいじくられていたの」と画像修正されたことを指摘。「これ、女性が人目を気にする大きな原因になるのよね。ありえない美しさを、理想だとでっち上げてるんだから」と痛烈に批判し、「私は正直で、ありのままの自分を愛する人間なの。だから、ありのままの自分の写真も貼らせてもらうわ。こっちの写真の方が最高だと思うし」と言い放った。

 さらには同年6月、とあるTwitterアカウントが、メイク動画で人気のユーチューバー・シャノンのメイク前後の写真を並べた上で「ノーメイクだとブス」とバッシングした時には、「どっちもイケてるのにね。 この発言、的を射てなくって気まずいよねぇ」と、かばった。表紙を飾った米誌「Flare」15年12月号のインタビューでは、「フェミニストとは、女性の力を信じるのと同じくらい、 誰にでも力があると信じる人のことを指すのだと思う。また、 フェミニストとは平等で公平であること」 と発言。人気・知名度抜群の彼女の発言が若い層にいい影響を与えると絶賛された。

アマンドラ・ステンバーグ(20)

 2018年に公開された映画『ブラック・パンサー』。『スパイダーマン』『アイアンマン』などを生み出したアメコミ出版社「マーベル」による初の黒人ヒーローが主人公で、製作前から話題を集め、成功が約束されていた。そんな大ヒット作への出演を辞退したとして注目を集めたのが、若手女優のアマンドラだ。

 彼女いわく出演をキャンセルした理由は「物語の舞台はアフリカの架空の王国。登場するアフリカ系のキャラククターを演じるには、自分の肌が明るすぎる」から。父親がデンマーク人のアマンドラは、肌が白人寄りであるため、ミックスの自分が混じると違和感を覚える人が出てくると懸念。厳しいオーディションを勝ち抜き、せっかくのオファーを手に入れたにもかかわらず、最後の最後で断るという苦渋の決断を下した。

 子役出身のアマンダだが、若き活動家としても有名。15年、「ヒップホップなどによってトレンドとなった黒人文化を白人セレブたちが盗用している。でも、本当に注目されるべき重要な問題に取り組まないため、黒人差別はいつまでたってもなくならない」と訴えた「Don't Cash Crop On My Cornrows」というタイトルの動画を公開し、白人セレブの“文化の盗用”を具体的かつ鋭く指摘し、一躍名が知れ渡った。

 14~15年に交際していたジェイデン・スミスとパーティに出席し、ジェイデンがスカートを着用していたことが議論を呼んだときも、「男は男らしく、たくましくなければならないとか、バカみたいよね」「男性がフェミニンであり、内なる感情やクリエイティビティを表現することは素晴らしいと思う」と真の男女平等をうたった。

 アマンドラは、17年に受けた米誌「Bust」のインタビューで、「自分はフェミニスト。 最近よく目にする“ポップ・カルチャーフェミニスト”(大衆ウケを狙ってフェミニスト発言をするような人)ではないけれど。私は女性が大好きだし。どの性も平等であると信じている」と述べ、「フェミニズムには、トランス・ウーマン、有色人種の女性、貧しい女性、太っている女性など、あらゆるタイプの女性が含まれるものだと思う。包括的でなければ、女性のための闘いとはいえないでしょう。フェミニズムが、特定の特権階級だけのものだとしたら、それは革命的ではないわ」と発言。フェミニズムは、 白人女性だけのものでも、オシャレなものでも、はやりものでもないのだと主張し、共感を集めた。

ローワン・ブランチャード(17)

 2015年に、フェミニズムを推進する団体「女性財団」と米女性誌「Cosmopolitan」がオンライン投票をもとに選出する、「フェミニスト・セレブ・オブ・ザ・イヤー」の第1位に、前出のアマンドラ・ステンバーグと共に輝いたローワン。

 ローワンは米ディズニー・チャンネルの青春ドラマ『ガール・ミーツ・ワールド』に主演したことで一躍人気者になった子役。活動家としては、15年、わずか13歳の時に社会問題となっていた「ホワイト・フェミニズム」についてSNSで熱弁したことで大注目を集めた。

 ホワイト・フェミニズムとは、「女性差別を訴えるけれど、黒人やヒスパニック、アジア人女性を人種差別する、白人優先のフェミニスト」のこと。ローワンはインスタグラムなどに、「黒人女性が経験している性差別と不平等は、白人女性が経験している性差別と不平等とはまったく異なるもの。ヒスパニックの女性たちが経験している性差別や不平等とも違う」と投稿。「白人女性が78セント~1ドル稼げるところ、ネイティブ・アメリカンの女性は65セント、黒人女性は64セント、ヒスパニック女性は54セントしか稼げないのよ」と説明し、「白人のフェミニストたちが『男女差別は許せない!』とそのことをだけを繰り返し言うのは、真のフェミニストではない」と痛烈に批判。白人以外の女性たちは性差別だけでなく人種差別も受けていることを考慮し、その点も訴えるべきだと呼びかけた。

 このローワンの発言に、若きフェミニストの第一人者であり、国連で男女平等を訴えた女優エマ・ワトソンもツイッターで「核心を突いている」と絶賛。ローワンはエマが発足させた国連の男女平等を訴えるキャンペーン「He for She」活動にも積極的に取り組んでおり、彼女たちは“フェミニスト・ガールズ・パワー”だと話題になっている。

 ローワンは、17年に米誌「TIMES」の「最も影響力があるティーン30人」にも選出され、ティーン活動家として注目を集め続けている。

クロエ・モレッツ(22)
 映画『キック・アス』(2010)の“ヒット・ガール”役で世界的に大ブレイクしたクロエ。だが、おごることなく、男女平等を訴えるフェミニストとしても知られている。

 16年に米ファッション誌「Glamour」のインタビューで、仕事で世界中を回り、さまざまな文化に触れたことにより、フェミニズムの定義を明確に知ることができたと告白。「フェミニズムとは、すべてのジェンダー、全人種、置かれている経済状況関係なく、主張できるものだとわかった」「でもね、男性を攻撃したり嫌ったりするということではないの。(自分がフェミニストであることにより)男を嫌っているとは思われたくないわ」と明かし、「仕事面では、ジェンダー的に平等な映画を製作したいと思っている。男優・女優どちらでも演じられる役が登場する作品を手がけたいわ」と意欲を見せた。

 クロエはまた、米カルチャーサイト「Complex」のインタビューで、当時、歌手テイラー・スウィフトが美しいセレブ友達と作り上げていた“テイラー軍団”について、「あれは派閥」とぶった斬り、「フェミニズムとは、ただ女性がパワフルになればいいというものじゃない。すべての人種とジェンダーが平等にパワフルになること」だと断言。

 16年の米大統領選挙ではヒラリー・クリントン候補を支持。当時交際していたブルックリン・ベッカムと応援に駆け付け、スピーチを行ったことも話題になった。その頃、出演した深夜トーク番組では、「最近、『フェミニストだとバレたら、ほかの人たちと対立するんじゃないか』と恐れて声を上げない若い子が増えている。でもね、ジェンダー・ニュートラル(男女いずれにも偏らない考え方)なんだって思えばいい」とも発言。偏見を持たれやすいフェミニストのイメージを変える発想だと称賛された。

 クロエには4人の兄がいるが、うち2人は同性愛者。この2人の兄は学校でひどいいじめに遭っていたそうで、クロエは兄たちの前に立ちはだかって闘ったとのこと。この経験から、男女平等だけではなく、どんなセクシュアリティも平等であるべきだと主張し続けている。