昭和が平成に変わった時、私はもうヲタクだった。ネットの環境こそなかったものの、アイドルやサブカルについての雑誌は数多く出版され、そこで得た情報を元にアイドルの現場に向かっていたものだ。
平成も間もなく幕を閉じる。それに合わせ、さまざまな観点で、この時代を総括したり、振り返ったりという記事が公開されている。アイドルの分野についてもしかりだ。
ただし、ただ“平成に流行ったアイドル”を列挙しても、それは多くの人が承知していることであり、単に記憶をなぞる程度にとどまってしまう。そこで今回は、平成のアイドル史をたどるとともに、私が個人的に経験したアイドル状況を紹介し、流行したアイドルとはどのような関係性が生まれたのかをまとめてみたい。
まず、今回は「ライブアイドル編」である。
“アイドル冬の時代”を越えて
最初に、平成初期のアイドル界が、どのような状況だったかを確認しておこう。
多くの人が語っているように、その頃は「アイドル冬の時代」だった。誰もが名前を知るようなアイドルはほとんどおらず、皆「アイドルファンだけが知っている」という程度の存在だった。
そんな中、私が夢中になっていたのは、酒井法子だった。ヒット曲こそ飛ばしていないものの、テレビの歌番組には頻繁に出演し、地方に住んでいた私なども、十分に“ファン”としての楽しみを享受できたのだ。
その頃、アイドルライブの定番の場所が「デパートの屋上」であった。多くのデパートの屋上にイベント用のステージがあり、そこで歌を歌い、握手会をしていた。私が酒井法子を初めて生で見て、握手をしたのも、ショッピングセンターの屋上だった。
そして、平成2年、後のライブアイドル文化に大きな影響を与える2組がデビューする。「東京パフォーマンスドール」(初代・以下、TPD)と「宍戸留美」である。
TPDは、それまでニューミュージックやロック系のアーティストが出演していたライブハウス、「原宿RUIDO」を拠点に、ライブを見せることをメインとした活動を開始。3年後には、武道館2Days公演を成功させるまでになった。後に、モーニング娘。のプロデュースで大ブレイクするつんく♂も、TPDのファンであったことを公言しているし、ハロー!プロジェクトのステージを見ても、TPDの影響は随所に感じられる。
一方の宍戸留美は、ソニーレコードからメジャーデビューするも、2年後に事務所との契約を解消。フリーで活動する道を選ぶ。まだ個人で発信することが難しい時代、わずか18歳の少女が始めた活動が、後のフリーで活動する地下アイドルの礎となっていくのである。
それと同じ頃、テレビなどの活動の場が減っていったアイドルに、歌う場を提供しようという試みが始まる。『歌姫伝説』と名付けられたこのイベントは、原宿RUIDOや川崎クラブチッタなどで、コアなアイドルファンを集めて、人気を集めていった。
実は、これらのアイドルライブが広まっていった背景には、ライブハウス側の事情もあった。平成が始まった頃に起こっていた「バンドブーム」が一段落し、多くの会場で出演者が減ってきたのである。そこに、ある程度客の呼べるアイドルの公演を入れることによって、空いている時間をなくすという方針をとったのだ。つまり、ライブアイドルが始まった背景には、出演者と会場の利害が一致したという理由があるのである。
諸説あるが、いわゆるアイドル冬の時代が終わるのは、平成5年頃だ。きっかけは安室奈美恵のブレイクである。彼女をアイドルと見ることに違和感を覚える人もいるかもしれないが、男女ともに彼女に憧れを持ち、その歌に酔いしれていたことを考えれば、まさに平成を代表するアイドルの一人といっていいだろう。
彼女に続いて人気を博したのが、同じ沖縄アクターズスクール出身の「SPEED」である。平成8年のデビュー時、最年少の島袋寛子はまだ小学生ということで、その後のアイドルの低年齢化にも影響を与えた。
もう一つ、その頃からアイドルの楽しみ方に変化を与えたものがある。「パソコン通信」の登場だ。現在のように画像や動画が扱えるものではなく、文字だけのやり取りであったが、テレビやライブの感想をリアルタイムで書き込める手段として、アイドルファンの間では大いに活用された。私も、当時のニフティサーブにあった「SPEED会議室」で、彼女たちへの思いをたくさん書き込んでいた記憶がある。
もちろん、その後普及するインターネットも含め、アイドルたちは、その活動を告知する手段として大いに利用した。先に挙げた宍戸留美なども、いち早くネットに取り組んだ一人といっていいだろう。
このようにして、地上と地下、両方で育まれていった平成のアイドル文化だが、そのどちらにも大きな影響を及ぼす存在が誕生する。それが平成10年の「モーニング娘。」である。
彼女たちは、テレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)から誕生し、人気となっていった。もちろんメジャーなアイドルである。ここで注目すべきは、『ASAYAN』という番組が、メンバーが決まっていく過程をつぶさに放送していたということだ。
これまでの“生まれたときから運命づけられていたような特別な存在”から、“自分の今いるところからの延長線上”にあることを認識させた。つまり、「アイドルになるための方法」を、全国の女性たちに知らしめたのだ。後の、地上・地下にかかわらず、モーニング娘。に憧れてアイドルになる人が増えたのは、そのような理由もあったからだろう。
そして、今でも地下アイドルの現場では、モーニング娘。をはじめとした、ハロプロの楽曲がよく歌われる。それは、このような経緯を考えれば、ごく自然な流れなのである。
その頃、私は何をしていたかというと、メジャーなアイドルが出てきたことを横目で見つつ、ライブハウスなどでのアイドルライブに通っていた。まだ今のようなフォーマット(地下アイドルが複数出演→物販→特典会)ができておらず、その内容はさまざまであったが、新しい文化が生まれてくる胎動のようなものを感じていたものだった。
モーニング娘。、そしてハロプロが破竹の勢いで人気を博し、アイドル界が盛り上がっていた平成17年、AKB48グループが劇場公演を開始する。48グループと、その後、ライバルグループとして結成された坂道シリーズの躍進については、改めて語るまでもないだろう。
この時期のもう一つ大きな出来事として、「アイドリング!!!」の存在を挙げておきたい。平成18年にフジテレビのCSで番組がスタートして以来、9年間に渡りバラエティ豊かな放送を続けてきた。一方、音楽に関しても、クオリティの高い楽曲が多く、ライブなども積極的に行っていた。彼女たち、そしてスタッフの一番の功績は、平成22年から開催されている、日本最大級のアイドルフェス『TOKYO IDOL FESTIVAL』(TIF)の開催であろう。
私も、第1回から参戦しているが、いわゆる“地下”を中心に活動しているグループや、ローカルアイドルなども出演しており、現在のアイドルブームを作り上げた立役者ともいえる。
平成も後期に入ると、ライブアイドルはますます多様化をしていく。TIFに加え、『アイドル横丁夏まつり!!』『@JAM EXPO』といったフェスが開催され、アイドルが出演するライブ会場も増えていく。また、ネット環境の普及により、アイドルたちがSNSなどでファンと直接交流することもできるようになる。地方に住んでいても、情報を得て、アイドルの魅力を感じたりすることもしやすい時代になったのだ。
ただ、その反動として、アイドルのグループのサイクル(結成から解散、メンバーチェンジまでの期間)が早くなっているようにも感じる。ファンが常に新しいものを求めるために、それに対応する基軸などを打ち出さなくてはいけなくなったのだ。これは、どこが悪いということではない。新しさを感じつつも、変わらない魅力を維持する、それは、時代が変わろうともアイドルが人気を保っていくための秘訣であるだろう。
そして現在、ハロプロ、48グループ、坂道シリーズは引き続き人気を集め、地下のアイドル現場も健在だ。
平成の30年間で、アイドルを取り巻く環境は、驚くほど変化した。つらい冬の時代を乗り越え、今のアイドル文化が花開いたことを思うと、いちアイドルヲタクとして、感慨深い思いだ。
この10連休には、「平成最後の」「令和最初の」と銘打ったライブが数多く開催される。今のアイドル文化の礎となった、平成アイドルの足跡を感じながら、新しい時代を迎えてみてはいかがだろうか。
(文=プレヤード)