後藤真希、不倫以前の「亭主は5人欲しい」発言発覚で”ブレてない!”と再評価

 今年上半期に起きた芸能美女の下半身ニュースで最も衝撃的だったのは、元モーニング娘。後藤真希の不倫裁判だろう。

 紆余曲折あって結局“元サヤ”に収まり、7月1日から後藤のインスタグラムも復活。ネット上では「復活早くね?」といった反発もある中、ファッションコーデを連投している。

「最近はシンプルで素朴なファッションをメインに紹介し、親近感をアピール。不倫によって負ったダメージを補おうとしているのでしょう。一方で先日、赤い帯を締めた黒い浴衣姿の自身の写真を投稿したところ、浴衣のえりが左前になっていたことから『周囲にそんな事を教えてくれる人いないの? 品がない』と非難する声が上がるなど、アンチは増えている印象です」(芸能ライター)

 そんな中、8月3日のラジオ番組『痛快!杉作J太郎のどっきりナイト’』(RNB南海放送)では、ゲストの宇多丸と杉作がある裏話を披露したという。

「宇多丸は聞いた話として、後藤がインタビューで『私は結婚に向いてないと思います。1人で満足できるわけがない』と語っていたことを明かしました。その逸話を知っていた杉作も、『5人ぐらい亭主がほしい』と言っていた話を追加。後藤がひとつもウソをついておらず、偉ぶっているわけでもなく、そのへんのラブホテルに行っていたことに『大したもんですよ』と感心しきりでした」(前出・芸能ライター)

 オンラインゲームから始まった不倫には、一部から「夢がある」との声も上がったものだった。ひとつもブレなかった後藤にはリアル「ドリーム・モーニング娘。」として、艶仕事での巻き返しを期待したいところだ。

後藤真希、不倫以前の「亭主は5人欲しい」発言発覚で”ブレてない!”と再評価

 今年上半期に起きた芸能美女の下半身ニュースで最も衝撃的だったのは、元モーニング娘。後藤真希の不倫裁判だろう。

 紆余曲折あって結局“元サヤ”に収まり、7月1日から後藤のインスタグラムも復活。ネット上では「復活早くね?」といった反発もある中、ファッションコーデを連投している。

「最近はシンプルで素朴なファッションをメインに紹介し、親近感をアピール。不倫によって負ったダメージを補おうとしているのでしょう。一方で先日、赤い帯を締めた黒い浴衣姿の自身の写真を投稿したところ、浴衣のえりが左前になっていたことから『周囲にそんな事を教えてくれる人いないの? 品がない』と非難する声が上がるなど、アンチは増えている印象です」(芸能ライター)

 そんな中、8月3日のラジオ番組『痛快!杉作J太郎のどっきりナイト’』(RNB南海放送)では、ゲストの宇多丸と杉作がある裏話を披露したという。

「宇多丸は聞いた話として、後藤がインタビューで『私は結婚に向いてないと思います。1人で満足できるわけがない』と語っていたことを明かしました。その逸話を知っていた杉作も、『5人ぐらい亭主がほしい』と言っていた話を追加。後藤がひとつもウソをついておらず、偉ぶっているわけでもなく、そのへんのラブホテルに行っていたことに『大したもんですよ』と感心しきりでした」(前出・芸能ライター)

 オンラインゲームから始まった不倫には、一部から「夢がある」との声も上がったものだった。ひとつもブレなかった後藤にはリアル「ドリーム・モーニング娘。」として、艶仕事での巻き返しを期待したいところだ。

元モー娘。市井紗耶香、あえなく落選も関係者を感心させた”ある才能”とは?

 7月21日に投開票が行われた参院選で注目された元モーニング娘。の市井紗耶香だが、獲得票数はおよそ5万票に留まり、当選には至らなかった。

 市井は1998年にモーニング娘。に加入し、グループ内ユニット「プッチモニ」などで活躍。2000年のグループ卒業後、2度の結婚で4人の子供に恵まれ、参院選では子育ての充実を掲げたが、あえなく落選した。タレント候補と言えば、出馬イコール当選が過去の常識だったが、なぜ市井は票が伸びなかったのか? 芸能誌記者はこう分析する。

「市井は確かに知名度はありますが、グループ在籍時に後藤真希の弟の後藤祐樹と付き合っていたのは有名な話ですし、事務所ともモメて、OGイベントにも長い間呼ばれていなかったので、モーニング娘。ファンの組織票は期待できませんでした。ただ、票が伸び悩んだ最大の理由は、前回の参院選で当選した今井絵理子のせいでしょう。今井は30万票以上獲得して当選しましたが、その後不倫騒動が報じられ、その相手が政務活動費の不正受給で有罪判決を受けるなど、トラブルだらけ。『もうタレント議員はこりごり』という声は多く、市井の足を大きく引っ張ったのは間違いありません」(芸能誌記者)

 タレント議員の候補者の中には、政策について「これから勉強する」と悪びれることなく発言する者もいる。そういった議員を排除できたのは今井の大きな功績だが、市井の政治家計画はもうおしまいかと言うと、それはまた別の話だ。週刊誌の政治記者はいう。

「今回、市井は落選しましたが、立憲民主党は大きく議席を増やしており、党は明らかに上げ潮です。今井絵理子の30万票と比べれば、市井の5万票という数字はいかにも少なく見えますが、今井の票数はバックの自民党の力があってこそのもの。市井が出馬表明したのは6月でしたから、健闘と呼んで良いでしょう」

 また、関係者を感心させたのは、演説の上手さだったという。

「普通なら新人候補者は、緊張のあまり早口になったり、小声になったり、名前を覚えてもらおうと怒鳴るような声になったりするものですが、市井の街頭演説は非常に聞き取りやすく、四方に目配りもできていて、“さすが芸能人”という声が漏れました。演説の才能もあるし、彼女の“子育て”というキーワードは有権者にも届きやすいテーマですから、再度挑戦の目は充分あるでしょう」(同・政治記者)

 初当選時には「スケバン女優に何ができる」と囁かれた三原じゅん子も、今や入閣間近。モーニング娘。から議員が生まれる日も遠くないのかも。

元モー娘。市井紗耶香が参院選で落選 “第2の今井絵理子”になれなかったワケ

 国民はバカではなかったようだ。

 元モーニング娘。メンバーで、21日に投開票された参議院選挙に立憲民主党の比例代表として出馬した市井紗耶香氏が無残に落選した。

 同党が比例で獲得した枠は8。市井氏の得票は4万9,483票で、9番目だったが、8番目で滑り込み当選となった格闘家・須藤元気氏の7万1,400票とは大差がついた。

 市井氏は2004年に第1子を出産後、4人の子宝に恵まれ、現在は14歳、12歳、6歳、2歳の子どもを育てるママ。選挙戦で、市井氏は「国全体で子育てを支援する必要がある」とのスローガンを掲げたが、及ばなかった。

「今いちばん勢いのある野党である立憲民主党から、厳しい選挙区ではなく、比例での出馬。党もかなりプッシュしていましたので、当選は確実とも思われていました。しかし、フタを開けてみれば、思いのほか、票が伸びず、一般的な知名度で市井氏より劣ると思われた須藤氏の得票よりはるかに少なかった。まさに完敗といっていいでしょうね」(スポーツ紙記者)

 市井氏惨敗の背景には、“女性タレント候補”に多くの国民が「NO」の答を出したからとも思われる。その要因となったのは、自民党所属の参議院議員で、元SPEEDの今井絵理子氏の失敗例がありそう。

「今井氏は16年の参院選に自民党から比例代表で立候補。今井氏は耳に障害がある子どもを育てるシングルマザーということで、たくさんの女性票を得て当選しました。しかし、当時既婚者だった兵庫・神戸市議(当時)の橋本健氏との不倫が報じられました。今井氏は否定しましたが、その後、離婚した橋本氏と堂々の交際宣言をして、世間を驚かせました。橋本氏は政務活動費を不正受給したとして、有罪判決を受けていますから、国民も開いた口がふさがらなかったはず。この件で、世論は“女性タレント議員”に不信感を抱いてしまったのでしょうね」(同)

 明らかに、“第2の今井絵理子氏”を狙った市井氏だが、そのもくろみはもろくも崩れてしまった。世の中はそんなに甘くないということか。

工藤遥、「ミルクティーを飲む男子嫌い」午後の紅茶新CMに抜擢されるも過去の本音発言が物議に

 元モーニング娘。の工藤遥が自身のブログに投稿した内容が話題になっている。

 工藤は2011年からモーニング娘。として活動し、17年に卒業。その後は女優として活動している。

 そんな工藤が今月11日から放送されている『午後の紅茶』の新CMに抜擢された。しかし、14年の15歳当時に投稿したブログで「ミルクティーを飲む男子って許せない。自分がミルクティー苦手だからでしょうか?」とミルクティー嫌いの本音を公言していたことが発覚して、批判の声が飛び交っている。

 これを受け、工藤は9日の投稿で「私の過去のブログ・ラジオでの不適切な発言を、この場でお詫びします。大変申し訳ありませんでした。ミルクティーを飲む方に対する配慮に欠けた私の発言により、不快な思いをされた方々、本当に申し訳ありません。今後は、このような事がないように気をつけてまいります」と謝罪した。

 この一連の騒動に対し、ネット上では「普通はCMの出演断れ」「企業側もよく採用したね(笑)」「今更謝っても、もう嫌いなのは知れ渡っているから」と厳しい声が多く寄せられている。

 また、その一方で「可愛いから許す!」「わざわざ何年も前の発言を出さなくてもいいじゃない」「企業がOKって言っているならCM出てもいいじゃない!」と工藤を擁護する声も集まっていた。

 工藤の出演する新CMも思わぬ形で注目されている?

モー娘。新メンは原点回帰、J=Jは品質重視…改革派リーダー・和田彩花の卒業でハロプロはどうなる?

 6月22日、モーニング娘。’19に新たに加入する15期メンバーが、公式YouTubeチャンネルで発表された。15期メンバーとなったのは、東京都出身の北川莉央(15)、東京都出身の岡村ほまれ(14)、北海道出身の山﨑愛生(13)の3名。北川と岡村は1月から行われていた「モーニング娘。’19 LOVEオーディション」の合格者で、山﨑はハロプロ研修生北海道からの昇格となる。

「新メンバーの加入は約2年ぶりで、研修生や他グループとの兼任ではなく一般からの加入となると約4年ぶり。かなりフレッシュなメンバーを入れてきたという印象です」(アイドル評論家)

 この6月、モーニング娘。’19が所属するハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)は大きく動いている。Juice=Juiceはリーダーである宮崎由加(25)が卒業、入れ替わるように新メンバーとなるハロプロ研修生北海道の工藤由愛(14)とハロプロ研修生の松永里愛(13)が加入した。アンジュルムでは、グループのリーダーでありハロプロ全体のリーダーである和田彩花(24)が卒業。そして、モーニング娘。には前述のように15期メンバーが加入することとなった。

「Juice=Juiceについては元々パフォーマンスレベルが高く、そこに研修生としてしっかりレッスンを積んできた2人を投入。モーニング娘。については、むしろ逆で素人っぽいメンバーを入れたという形です。クオリティーの高さについてはJuice=Juiceに任せて、モーニング娘。については原点回帰といったところでしょうか」(音楽業界関係者)

 アンジュルムの和田彩花の卒業に伴い、ハロプロ全体のリーダーは、モーニング娘。’19のリーダーでもある譜久村聖(22)に交代となった。

「和田はどちらかというと改革派。特にアンジュルムにおいては、個性を重視する方向性に導き、多様性に溢れた独自のグループカラーを築きました。一方の譜久村は伝統を重んじるタイプ。このリーダー交代が、ハロプロ全体にどう影響していくのか気になるところです。また、アンジュルムの新リーダーとなった竹内朱莉(21)は譜久村と研修生時代の同期で親友同士。これまで方向性が異なっていたモーニング娘。とアンジュルムのトップの2人が特別な関係だということで、この2つのグループの関係性がどうなっていくのかも楽しみです」(前出・アイドル評論家)

 近ごろは、女性ファンを急激に増やしているハロー!プロジェクト。今後はどうなっていくのだろうか。

「グループにもよりますが、ハロプロのイベントではお客さんの半数近くが女性だというケースも増えています。その背景には、歌やダンスといったステージパフォーマンスのクオリティーの高さ、そして普段のメンバーたちのワチャワチャ感あふれる可愛らしさなどがあると言われています。 身近な存在としてのアイドルではなく、宝塚のような“スター性”を発揮しつつも、可愛らしさを持ち合わせる……そんなギャップが人気なのでしょう。ただ、今後もしもハロプロが今まで以上に伝統を重んじる方向性へとシフトしたら、かつての男性ファンばかりの状況に戻る可能性もある。そのあたりの方向性がどうなっていくかは、今後のハロプロを占うという意味でかなり重要だと思います」(同)

 激動の時を迎えたハロー!プロジェクトが、どう変わっていくのか。アイドル業界全体が注目している。

辻希美が「全く嫌われていない」ことが判明! “炎上キャラ崩壊”でタレント価値ダウンか

 炎上ママタレとしておなじみの元モーニング娘。の辻希美が、「全く嫌われていない」と話題だ。

 5月16日、YouTubeに自身のチャンネル「辻ちゃんネル」を立ち上げ、これまで子育て、メイク、料理、DIYに関する動画を公開している辻。登録者数18万人を超える人気チャンネルながら、なぜかコメント欄を閉鎖。さらに、視聴者に動画の評価を仰ぐ「グッド」「バッド」の数を非公開に設定していた。

 しかし、今月8日に公開した動画では、初めてコメント欄を開放し、評価数を公開。すると、コメント欄には「辻ちゃんずっと大好きです」「母親大先輩の辻ちゃんにYouTubeでもっと子育て系のこともやってほしいです!」「辻ちゃんの作るキャラ弁を動画にしてほしい!」「お料理作りに子育てと本当にすごいな~って尊敬しています♪」と、ファンからの好意的なメッセージがずらり。この動画の評価も、10日時点で「グッド」が5315、「バッド」が436と、「グッド」が10倍以上という結果になっている。

 辻といえば、まだ19歳だった2007年5月に俳優の杉浦太陽と“デキ婚”を発表し、同11月に第1子となる長女を出産。09年1月にアメブロ「のんピース」をスタートさせ、子育てについて綴り始めると、コメント欄がたちまち大荒れ状態に。その後、第2子を妊娠していた10年8月、「今の自分の精神状態(妊娠中で不安定)な事もあり、数多くの温かいコメントの中に今の自分では心を痛めてしまう事があったりするのも現状です」と、コメント欄の閉鎖を発表した。

 そんな苦い経験を持つ辻は、17年に始めたインスタグラムにおいても、稀にコメント欄を開放することはあったものの、基本的には読者の意見を聞き入れない体制を取っていた。

「かつては、スーパーで歩きながら授乳しては炎上、葬式に大きなリボンをつけては炎上、後藤真希の結婚式に白いドレスで出席しては炎上……と、その非常識ぶりが目に余るとして、“炎上ママタレ”界のレジェンドとなった辻ですが、年を重ねるにつれ非常識な行動は減少。16年に元モーニング娘。の新垣里沙の結婚式に出席した際には、突っ込みどころのない地味めな服装が『辻ちゃんがマナーを守ってる!』と話題に。その辺りから、炎上の質が変わってきました」(芸能記者)

 確かに、今年に入ってからの炎上騒動を振り返ると、「杉浦の靴下の裏が汚い」と炎上、「カレーにジャガイモが入っていない」と炎上、「もつ鍋に白米ではなく、ひじきの炊き込みご飯を合わせるなんて」と炎上……といった具合だ。

「どんなに叩かれても笑顔で頑張る“現代版おしん”のような辻ちゃんの姿に、我々は知らず知らずのうちに惹かれていたのでしょう。だからこそ、YouTubeのコメント欄は封鎖したままでいてほしかった。好意的でなんの面白味もないコメントが並ぶ風景を突きつけられるとは、世間は辻が炎上キャラではないことを認めざるを得なくなる。確実に、辻への興味は薄れてしまいますよ……」(同)

 コメント欄を開放したことで、意外にも“愛されキャラ”であったことが判明してしまった辻。みんなから好かれているだけの辻に、タレントとしての価値はどれほどあるのだろうか?

ハロプロや48グループだけじゃない! 極私的平成アイドル史【ライブアイドル編】

 昭和が平成に変わった時、私はもうヲタクだった。ネットの環境こそなかったものの、アイドルやサブカルについての雑誌は数多く出版され、そこで得た情報を元にアイドルの現場に向かっていたものだ。

 平成も間もなく幕を閉じる。それに合わせ、さまざまな観点で、この時代を総括したり、振り返ったりという記事が公開されている。アイドルの分野についてもしかりだ。

 ただし、ただ“平成に流行ったアイドル”を列挙しても、それは多くの人が承知していることであり、単に記憶をなぞる程度にとどまってしまう。そこで今回は、平成のアイドル史をたどるとともに、私が個人的に経験したアイドル状況を紹介し、流行したアイドルとはどのような関係性が生まれたのかをまとめてみたい。

 まず、今回は「ライブアイドル編」である。

 

“アイドル冬の時代”を越えて

 最初に、平成初期のアイドル界が、どのような状況だったかを確認しておこう。

 多くの人が語っているように、その頃は「アイドル冬の時代」だった。誰もが名前を知るようなアイドルはほとんどおらず、皆「アイドルファンだけが知っている」という程度の存在だった。

 そんな中、私が夢中になっていたのは、酒井法子だった。ヒット曲こそ飛ばしていないものの、テレビの歌番組には頻繁に出演し、地方に住んでいた私なども、十分に“ファン”としての楽しみを享受できたのだ。

 その頃、アイドルライブの定番の場所が「デパートの屋上」であった。多くのデパートの屋上にイベント用のステージがあり、そこで歌を歌い、握手会をしていた。私が酒井法子を初めて生で見て、握手をしたのも、ショッピングセンターの屋上だった。

 そして、平成2年、後のライブアイドル文化に大きな影響を与える2組がデビューする。「東京パフォーマンスドール」(初代・以下、TPD)と「宍戸留美」である。

 TPDは、それまでニューミュージックやロック系のアーティストが出演していたライブハウス、「原宿RUIDO」を拠点に、ライブを見せることをメインとした活動を開始。3年後には、武道館2Days公演を成功させるまでになった。後に、モーニング娘。のプロデュースで大ブレイクするつんく♂も、TPDのファンであったことを公言しているし、ハロー!プロジェクトのステージを見ても、TPDの影響は随所に感じられる。

 一方の宍戸留美は、ソニーレコードからメジャーデビューするも、2年後に事務所との契約を解消。フリーで活動する道を選ぶ。まだ個人で発信することが難しい時代、わずか18歳の少女が始めた活動が、後のフリーで活動する地下アイドルの礎となっていくのである。

 それと同じ頃、テレビなどの活動の場が減っていったアイドルに、歌う場を提供しようという試みが始まる。『歌姫伝説』と名付けられたこのイベントは、原宿RUIDOや川崎クラブチッタなどで、コアなアイドルファンを集めて、人気を集めていった。

 実は、これらのアイドルライブが広まっていった背景には、ライブハウス側の事情もあった。平成が始まった頃に起こっていた「バンドブーム」が一段落し、多くの会場で出演者が減ってきたのである。そこに、ある程度客の呼べるアイドルの公演を入れることによって、空いている時間をなくすという方針をとったのだ。つまり、ライブアイドルが始まった背景には、出演者と会場の利害が一致したという理由があるのである。

 諸説あるが、いわゆるアイドル冬の時代が終わるのは、平成5年頃だ。きっかけは安室奈美恵のブレイクである。彼女をアイドルと見ることに違和感を覚える人もいるかもしれないが、男女ともに彼女に憧れを持ち、その歌に酔いしれていたことを考えれば、まさに平成を代表するアイドルの一人といっていいだろう。

 彼女に続いて人気を博したのが、同じ沖縄アクターズスクール出身の「SPEED」である。平成8年のデビュー時、最年少の島袋寛子はまだ小学生ということで、その後のアイドルの低年齢化にも影響を与えた。

 もう一つ、その頃からアイドルの楽しみ方に変化を与えたものがある。「パソコン通信」の登場だ。現在のように画像や動画が扱えるものではなく、文字だけのやり取りであったが、テレビやライブの感想をリアルタイムで書き込める手段として、アイドルファンの間では大いに活用された。私も、当時のニフティサーブにあった「SPEED会議室」で、彼女たちへの思いをたくさん書き込んでいた記憶がある。

 もちろん、その後普及するインターネットも含め、アイドルたちは、その活動を告知する手段として大いに利用した。先に挙げた宍戸留美なども、いち早くネットに取り組んだ一人といっていいだろう。

 このようにして、地上と地下、両方で育まれていった平成のアイドル文化だが、そのどちらにも大きな影響を及ぼす存在が誕生する。それが平成10年の「モーニング娘。」である。

 彼女たちは、テレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)から誕生し、人気となっていった。もちろんメジャーなアイドルである。ここで注目すべきは、『ASAYAN』という番組が、メンバーが決まっていく過程をつぶさに放送していたということだ。

 これまでの“生まれたときから運命づけられていたような特別な存在”から、“自分の今いるところからの延長線上”にあることを認識させた。つまり、「アイドルになるための方法」を、全国の女性たちに知らしめたのだ。後の、地上・地下にかかわらず、モーニング娘。に憧れてアイドルになる人が増えたのは、そのような理由もあったからだろう。

 そして、今でも地下アイドルの現場では、モーニング娘。をはじめとした、ハロプロの楽曲がよく歌われる。それは、このような経緯を考えれば、ごく自然な流れなのである。

 その頃、私は何をしていたかというと、メジャーなアイドルが出てきたことを横目で見つつ、ライブハウスなどでのアイドルライブに通っていた。まだ今のようなフォーマット(地下アイドルが複数出演→物販→特典会)ができておらず、その内容はさまざまであったが、新しい文化が生まれてくる胎動のようなものを感じていたものだった。

 モーニング娘。、そしてハロプロが破竹の勢いで人気を博し、アイドル界が盛り上がっていた平成17年、AKB48グループが劇場公演を開始する。48グループと、その後、ライバルグループとして結成された坂道シリーズの躍進については、改めて語るまでもないだろう。

 この時期のもう一つ大きな出来事として、「アイドリング!!!」の存在を挙げておきたい。平成18年にフジテレビのCSで番組がスタートして以来、9年間に渡りバラエティ豊かな放送を続けてきた。一方、音楽に関しても、クオリティの高い楽曲が多く、ライブなども積極的に行っていた。彼女たち、そしてスタッフの一番の功績は、平成22年から開催されている、日本最大級のアイドルフェス『TOKYO IDOL FESTIVAL』(TIF)の開催であろう。

 私も、第1回から参戦しているが、いわゆる“地下”を中心に活動しているグループや、ローカルアイドルなども出演しており、現在のアイドルブームを作り上げた立役者ともいえる。

 平成も後期に入ると、ライブアイドルはますます多様化をしていく。TIFに加え、『アイドル横丁夏まつり!!』『@JAM EXPO』といったフェスが開催され、アイドルが出演するライブ会場も増えていく。また、ネット環境の普及により、アイドルたちがSNSなどでファンと直接交流することもできるようになる。地方に住んでいても、情報を得て、アイドルの魅力を感じたりすることもしやすい時代になったのだ。

 ただ、その反動として、アイドルのグループのサイクル(結成から解散、メンバーチェンジまでの期間)が早くなっているようにも感じる。ファンが常に新しいものを求めるために、それに対応する基軸などを打ち出さなくてはいけなくなったのだ。これは、どこが悪いということではない。新しさを感じつつも、変わらない魅力を維持する、それは、時代が変わろうともアイドルが人気を保っていくための秘訣であるだろう。

 そして現在、ハロプロ、48グループ、坂道シリーズは引き続き人気を集め、地下のアイドル現場も健在だ。

 平成の30年間で、アイドルを取り巻く環境は、驚くほど変化した。つらい冬の時代を乗り越え、今のアイドル文化が花開いたことを思うと、いちアイドルヲタクとして、感慨深い思いだ。

 この10連休には、「平成最後の」「令和最初の」と銘打ったライブが数多く開催される。今のアイドル文化の礎となった、平成アイドルの足跡を感じながら、新しい時代を迎えてみてはいかがだろうか。

(文=プレヤード)

ハロプロや48グループだけじゃない! 極私的平成アイドル史【ライブアイドル編】

 昭和が平成に変わった時、私はもうヲタクだった。ネットの環境こそなかったものの、アイドルやサブカルについての雑誌は数多く出版され、そこで得た情報を元にアイドルの現場に向かっていたものだ。

 平成も間もなく幕を閉じる。それに合わせ、さまざまな観点で、この時代を総括したり、振り返ったりという記事が公開されている。アイドルの分野についてもしかりだ。

 ただし、ただ“平成に流行ったアイドル”を列挙しても、それは多くの人が承知していることであり、単に記憶をなぞる程度にとどまってしまう。そこで今回は、平成のアイドル史をたどるとともに、私が個人的に経験したアイドル状況を紹介し、流行したアイドルとはどのような関係性が生まれたのかをまとめてみたい。

 まず、今回は「ライブアイドル編」である。

 

“アイドル冬の時代”を越えて

 最初に、平成初期のアイドル界が、どのような状況だったかを確認しておこう。

 多くの人が語っているように、その頃は「アイドル冬の時代」だった。誰もが名前を知るようなアイドルはほとんどおらず、皆「アイドルファンだけが知っている」という程度の存在だった。

 そんな中、私が夢中になっていたのは、酒井法子だった。ヒット曲こそ飛ばしていないものの、テレビの歌番組には頻繁に出演し、地方に住んでいた私なども、十分に“ファン”としての楽しみを享受できたのだ。

 その頃、アイドルライブの定番の場所が「デパートの屋上」であった。多くのデパートの屋上にイベント用のステージがあり、そこで歌を歌い、握手会をしていた。私が酒井法子を初めて生で見て、握手をしたのも、ショッピングセンターの屋上だった。

 そして、平成2年、後のライブアイドル文化に大きな影響を与える2組がデビューする。「東京パフォーマンスドール」(初代・以下、TPD)と「宍戸留美」である。

 TPDは、それまでニューミュージックやロック系のアーティストが出演していたライブハウス、「原宿RUIDO」を拠点に、ライブを見せることをメインとした活動を開始。3年後には、武道館2Days公演を成功させるまでになった。後に、モーニング娘。のプロデュースで大ブレイクするつんく♂も、TPDのファンであったことを公言しているし、ハロー!プロジェクトのステージを見ても、TPDの影響は随所に感じられる。

 一方の宍戸留美は、ソニーレコードからメジャーデビューするも、2年後に事務所との契約を解消。フリーで活動する道を選ぶ。まだ個人で発信することが難しい時代、わずか18歳の少女が始めた活動が、後のフリーで活動する地下アイドルの礎となっていくのである。

 それと同じ頃、テレビなどの活動の場が減っていったアイドルに、歌う場を提供しようという試みが始まる。『歌姫伝説』と名付けられたこのイベントは、原宿RUIDOや川崎クラブチッタなどで、コアなアイドルファンを集めて、人気を集めていった。

 実は、これらのアイドルライブが広まっていった背景には、ライブハウス側の事情もあった。平成が始まった頃に起こっていた「バンドブーム」が一段落し、多くの会場で出演者が減ってきたのである。そこに、ある程度客の呼べるアイドルの公演を入れることによって、空いている時間をなくすという方針をとったのだ。つまり、ライブアイドルが始まった背景には、出演者と会場の利害が一致したという理由があるのである。

 諸説あるが、いわゆるアイドル冬の時代が終わるのは、平成5年頃だ。きっかけは安室奈美恵のブレイクである。彼女をアイドルと見ることに違和感を覚える人もいるかもしれないが、男女ともに彼女に憧れを持ち、その歌に酔いしれていたことを考えれば、まさに平成を代表するアイドルの一人といっていいだろう。

 彼女に続いて人気を博したのが、同じ沖縄アクターズスクール出身の「SPEED」である。平成8年のデビュー時、最年少の島袋寛子はまだ小学生ということで、その後のアイドルの低年齢化にも影響を与えた。

 もう一つ、その頃からアイドルの楽しみ方に変化を与えたものがある。「パソコン通信」の登場だ。現在のように画像や動画が扱えるものではなく、文字だけのやり取りであったが、テレビやライブの感想をリアルタイムで書き込める手段として、アイドルファンの間では大いに活用された。私も、当時のニフティサーブにあった「SPEED会議室」で、彼女たちへの思いをたくさん書き込んでいた記憶がある。

 もちろん、その後普及するインターネットも含め、アイドルたちは、その活動を告知する手段として大いに利用した。先に挙げた宍戸留美なども、いち早くネットに取り組んだ一人といっていいだろう。

 このようにして、地上と地下、両方で育まれていった平成のアイドル文化だが、そのどちらにも大きな影響を及ぼす存在が誕生する。それが平成10年の「モーニング娘。」である。

 彼女たちは、テレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)から誕生し、人気となっていった。もちろんメジャーなアイドルである。ここで注目すべきは、『ASAYAN』という番組が、メンバーが決まっていく過程をつぶさに放送していたということだ。

 これまでの“生まれたときから運命づけられていたような特別な存在”から、“自分の今いるところからの延長線上”にあることを認識させた。つまり、「アイドルになるための方法」を、全国の女性たちに知らしめたのだ。後の、地上・地下にかかわらず、モーニング娘。に憧れてアイドルになる人が増えたのは、そのような理由もあったからだろう。

 そして、今でも地下アイドルの現場では、モーニング娘。をはじめとした、ハロプロの楽曲がよく歌われる。それは、このような経緯を考えれば、ごく自然な流れなのである。

 その頃、私は何をしていたかというと、メジャーなアイドルが出てきたことを横目で見つつ、ライブハウスなどでのアイドルライブに通っていた。まだ今のようなフォーマット(地下アイドルが複数出演→物販→特典会)ができておらず、その内容はさまざまであったが、新しい文化が生まれてくる胎動のようなものを感じていたものだった。

 モーニング娘。、そしてハロプロが破竹の勢いで人気を博し、アイドル界が盛り上がっていた平成17年、AKB48グループが劇場公演を開始する。48グループと、その後、ライバルグループとして結成された坂道シリーズの躍進については、改めて語るまでもないだろう。

 この時期のもう一つ大きな出来事として、「アイドリング!!!」の存在を挙げておきたい。平成18年にフジテレビのCSで番組がスタートして以来、9年間に渡りバラエティ豊かな放送を続けてきた。一方、音楽に関しても、クオリティの高い楽曲が多く、ライブなども積極的に行っていた。彼女たち、そしてスタッフの一番の功績は、平成22年から開催されている、日本最大級のアイドルフェス『TOKYO IDOL FESTIVAL』(TIF)の開催であろう。

 私も、第1回から参戦しているが、いわゆる“地下”を中心に活動しているグループや、ローカルアイドルなども出演しており、現在のアイドルブームを作り上げた立役者ともいえる。

 平成も後期に入ると、ライブアイドルはますます多様化をしていく。TIFに加え、『アイドル横丁夏まつり!!』『@JAM EXPO』といったフェスが開催され、アイドルが出演するライブ会場も増えていく。また、ネット環境の普及により、アイドルたちがSNSなどでファンと直接交流することもできるようになる。地方に住んでいても、情報を得て、アイドルの魅力を感じたりすることもしやすい時代になったのだ。

 ただ、その反動として、アイドルのグループのサイクル(結成から解散、メンバーチェンジまでの期間)が早くなっているようにも感じる。ファンが常に新しいものを求めるために、それに対応する基軸などを打ち出さなくてはいけなくなったのだ。これは、どこが悪いということではない。新しさを感じつつも、変わらない魅力を維持する、それは、時代が変わろうともアイドルが人気を保っていくための秘訣であるだろう。

 そして現在、ハロプロ、48グループ、坂道シリーズは引き続き人気を集め、地下のアイドル現場も健在だ。

 平成の30年間で、アイドルを取り巻く環境は、驚くほど変化した。つらい冬の時代を乗り越え、今のアイドル文化が花開いたことを思うと、いちアイドルヲタクとして、感慨深い思いだ。

 この10連休には、「平成最後の」「令和最初の」と銘打ったライブが数多く開催される。今のアイドル文化の礎となった、平成アイドルの足跡を感じながら、新しい時代を迎えてみてはいかがだろうか。

(文=プレヤード)

モー娘。OGいじりの石橋貴明、次なるターゲットの希望はゴマキ?

 インターネット番組『石橋貴明プレミアム:芸能界頂上決戦!貴ヶ原の戦い』(AbemaTV)が話題だ。なかでも「モー娘。OG手作りハンバーグの乱」に注目が集まっている。

 番組には飯田圭織、高橋愛、矢口真里、保田圭の4名が出演。いずれも結婚し主婦となっているメンバーである。番組では過激なモー娘。イジリが行われた。番組冒頭、保田の結婚を祝福する石橋は「整形した甲斐があった」と恒例の「ブスいじり」も行われた。

 もともとモー娘。は石橋と、元SMAPの中居正広が出演していた音楽番組『うたばん』(TBS系)の常連出演者であり、石橋からイジリを受けていた。飯田には「ジョンソン」、保田には「保田大明神」の名前がつけられ、高橋は「テッテケテー」と呼ばれていた。保田は『石橋貴明のたいむとんねる』(フジテレビ系)に出演時は「イジリのせいで婚活に支障が出た」と苦言を呈したこともある。

 だが『うたばん』自体がバラエティ要素の強い音楽番組であり、モー娘。のほかにもEvery Little Thingの伊藤一朗などにもキャラ付けがなされており、知名度向上には役立ったといえる。この石橋イジりを今こそ受けたいのがあのメンバーではないだろうか。

「ファンの男性との不倫が『週刊文春』(文藝春秋)に報じられたゴマキこと後藤真希ですね。錦糸町の格安ラブホテルを利用するなど、庶民ぶりは石橋の絶好のネタともいえるでしょう。石橋はネット番組で『今のテレビでできないことをやる』と明言していますから、ぜひともモー娘。系企画の第二弾に期待したいところです。ゴマキだけではなく復活を遂げた辻希美と加護亜依のW(ダブルユー)の出演にも期待がかかります」(芸能関係者)

 賛否両論はあるものの、90年代のとんねるずと石橋貴明は、得も言われぬパワーがあったのは事実であろう。何かと道徳的な価値観が重んじられがちの現在にあって「石橋のゴマキいじり」が見たいと思う人間も多そうだ。
(文=平田宏利)