近年、海外セレブの間で何度目かの自叙伝ブームが到来している。「今だから明かせる秘話や暴露話」によって再び自身に注目が集まるきっかけになり、ベストセラーになれば「作家」という肩書や莫大な報酬も手に入る。セレブにとってはプラスになることばかりなのだ。
9月には女優デミ・ムーアが初の自叙伝『Inside Out』を発売し、3番目の夫であるアシュトン・カッチャーから3Pを提案されたこと、42歳の時にアシュトンとの子を妊娠6カ月で亡くした過去を明かした。10月発売の歌手エルトン・ジョンの自叙伝『Me』も、「故ダイアナ妃をめぐる、シルベスター・スタローンとリチャード・ギアの一触即発の事態」「エリザベス女王が言うことをきかないおいを何回も往復ビンタした」ことなど、世界的大スターの彼が見聞きした話を次から次へと紹介し、話題騒然となった。
今回は、“自叙伝の当たり年”である2019年に発売された、興味深いセレブの自叙伝を5冊紹介しよう。
ラマー・オドム『Darkness to Light』

父親は家族を捨てたヘロイン中毒者で、女手ひとつで育ててくれた母親は12歳の時に大腸がんで死去という苦境の中で育った、元プロバスケットボール選手のラマー・オドム。NBAロサンゼルス・レイカーズ時代に全盛を極め、2004年のアテネオリンピックではアメリカ代表として銀メダル獲得に貢献した。プライベートでは、09年にカーダシアン姉妹の三女クロエと電撃婚。新婚生活がリアリティ番組として放送されたが、ラマーはカメラを嫌い、クロエとも不仲に。薬物に逃げ、浮気までウワサされるようになり、クロエから離婚を突きつけられた。そして、離婚成立直前の15年10月、ネバダ州の売春宿でオーバードーズにより意識不明の重体に。奇跡的に回復するが、再び薬物に手を出し、入院時からずっと支えてきたクロエに見捨てられる。その後、リハビリ施設に入って、ようやく薬断ちの道筋が見えるようになった。
そんなラマーが今年5月に発売した『Darkness to Light』では、自分がどれほど重度な薬物依存症/セックス依存症だったかをつづっている。
「クロエと結婚した当初から浮気していた。コカイン依存だったことも隠していた」といい、「(クロエとの結婚による)スポットライトが、薬物依存症、選手としてのキャリアの低迷、不貞行為と混じり合い、致命的なカクテルとなってしまった」と分析。そして、「自分は、妄想症、不安症、うつ病にコカイン中毒。それにセックス依存症でもあった」「薬物依存症の人間は、悪習慣を隠すのがとても上手。そんなオレに、クロエは見切りをつけたんだ」と離婚に至った経緯を明かした。クロエのことは心の底から愛していたそうで、「後悔で今でも胸が苦しくなる。でも後悔は慣れなければならないものだから。仕方ないね」。
また本の中では、これまでセックスした女性の数は2,000人を超えると告白。「本当に多くのストリッパーと寝たから、正確な数は覚えていない。自分にとっては大したことではなかった。時々彼女たちにお金をあげたけど、軽く見たことは一度もない」といい、セックスはスナック菓子を食べるような感覚だと正直につづった。
自叙伝執筆時はリハビリのおかげでクリーンだったが、「自分は今も依存症患者」「今も苦しんでいる。でももう闇のそばには行かない。絶対に」と、強い意志を持って薬物・セックス依存症に打ち勝つと宣言。彼は長らくクロエに未練を持っていたが、先日パーソナル・トレーナーの女性と婚約。ファンは、今度こそは幸せになってほしいと心から願っているようだ。

名優カーク・ダグラスを祖父に、セクシーな演技派俳優マイケル・ダグラスを父に持ち、大豪邸で生まれ育ったキャメロン・ダグラス。両親の離婚後は映画プロデューサーの母親に育てられたが、祖父、父と同じく俳優の道を歩む決心をし、1997年にジャッキー・チェン主演の香港映画『ナイスガイ』で銀幕デビューを果たした。『グロムバーグ家の人々』(03)では祖父、父、祖母と共演して大きな話題となるも、待望の主演映画『National Lampoon’s Adam & Eve』(05)が大コケしてからは、薬物事件で繰り返し逮捕されるようになり、10年には違法薬物取引で禁錮5年の実刑判決を受けた。
裁判では、カークとマイケル、継母で女優のキャサリン・ゼタ=ジョーンズも嘆願書を出し、薬物を断ち切れるよう応援されたキャメロンだったが、収監中にも薬物を使用し、仮釈放は16年1月まで延びた。その後もマリファナ所持などトラブルを起こしているが、今はかなり落ち着いたとみられている。
そんなキャメロンが今年10月、自叙伝『Long Way Home』を出版。セレブ一族の3世として生まれ、何不自由なく育った彼がどのように転落していったのかが、生々しく描かれている。
「幼少期、父から『葉っぱを紙に巻いて、おじさんに渡しなさい』と言われて、お手伝いしていた。まだ小さかったから、それがマリファナだとは知らなかった」「もう少し大きくなると、近所の邸宅をのぞき見して、“美しい大人たちがやっている秘密のアレコレ”を目の当たりにするようになった」「7歳の時に母親から父が浮気していると告げられ、『どうしよう』と相談された」などと、映画に出てくるような非日常的な話をサラッと明かしている。
さらには、「両親が離婚し、13歳で寄宿学校に入れられ、ホームシックに」「父のエロティックな映画(87年公開の『危険な情事』)が大ヒットしたことでいじめられた」など、悲しい思春期についても告白。寄宿学校でマリファナに手を出したキャメロンは退学処分となり、地元で悪い仲間とつるむように。「15歳でコカイン、17歳で覚醒剤、19歳で液状コカイン、26歳でヘロインに手を出すようになった」そう。彼の人生は、覚醒を溶かし、注射器で血管に打つやり方を覚えたことで大きく狂ったそうで、「打った途端、クスリが体中に回る。頭の中で鐘の音が鳴り響くような興奮と爽快感がある」と説明。その結果、1時間に2、3回打つほどの中毒者となり、痙攣を起こしながら毎回オーバードーズ寸前まで打っていたという。マイケルが「このままだと死んでしまう」と小遣いを制限したため、薬物を買うために盗みを働いたり、売人を拳銃で脅して薬物を奪ったり。最終的に売人となり、09年に逮捕された。
薬物依存に陥ったことについて、「偉大な父・祖父の存在や、ハリウッドの重圧は関係ないし、環境のせいでもない。自分自身の問題」と断言している。キャメロンは、今も薬物断ちに励んでいる状態。17年12月に生まれた娘のためにも、そして交際3年目になる恋人のためにも、もう刑務所には戻らないと誓っている。

1970年代にパンクロックバンド「ブロンディ」の美女ボーカリストとして、世界的な人気を博したデボラ。その小悪魔的な魅力は音楽業界だけでなくファッションやアート業界も席巻し、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホルが彼女のルックスにほれ、肖像画を手がけたことは有名だ。
デボラは、バンドのギタリスト、クリス・ステインと長年交際。共に重度の薬物依存症という状態で、荒れた私生活を送ってきたという。ブロンディは82年に解散後するも97年に再結成し、デボラは70歳を越えた現在も、歌手、アーティスト、慈善家として活動している。
10月に発売した自叙伝『Face It』では、ブロンディの絶頂期の音楽業界についても書かれている。
77年、故デヴィッド・ボウイにコカインをあげたときには、お礼のつもりだったのか、「イチモツを見せてくれた」そう。「彼は超巨根で、男でも女でも構わず下半身を見せるのが好きだった。おもしろくて、かわいくて、セクシーな人だった」と回想。現在、殺人罪で服役している音楽プロデューサー、フィル・スペクターの自宅を訪問した時は、「片手に拳銃、もう片方の手には酒のボトルを持っていた」そうで、恐怖を感じたと暴露した。
ロックな生活は楽しいことばかりではなく、クリスとヘロインにどっぷり浸かり自己破産したこと、70年代初めにライブの後、クリスとアパートに戻る際に後をつけてきた男に刃物で脅され、縛られ、ギターやカメラを盗まれた上にレイプされたという。ギターを盗まれたことのほうがショックだったそうだが、クリスに慰めてもらったから精神的に立ち直れたと明かした。ほかにも、元恋人に拳銃で脅されたり、後に死刑となった連続殺人鬼テッド・バンディの車に偶然ヒッチハイクをしていて乗り込んだりと、散々危ない目に遭ってきたそう。
それでも、自叙伝のプロモーション・インタビューで「後悔していることは?」と聞かれ、「何もない」と即答。そんな彼女の姿は「70歳を過ぎても最高にかっこいい」と絶賛されている。

2018年の平昌オリンピックに、男子フィギュアスケート選手として出場したアダム・リッポン。個人戦では振るわなかったが、団体戦では銅メダルを獲得した。同性愛者をカムアウトしている彼にはアンチも多いが、彼らにひどい言葉をかけられても怒らず、絶賛するファンに媚びることもなく、マイペースな姿に多くの人が興味を抱き、オリンピックが終わる頃にはすっかり人気者になっていた。
オリンピック後は、アマチュア競技から引退。プロのスケーターとしてツアーに参加したり、コンペ番組やリアリティ番組に出演したりと大忙し。そんな彼が今年10月、自叙伝『Beautiful on the Outside』を発売した。米芸能誌「People」のインタビューでは、「アスリートの引退直後のことはあまり話題にならない。次の生活へ移行し、環境が一変することでうつになる人も多い。自分は恵まれているほうだけど、それでも大変だと感じる。本を書くことはセラピーになった」と、30歳の若さで自叙伝を出した理由を説明した。
幼いころは「男子なのに、アイスホッケーではなくフィギュアスケートをやっているのか」といじめられたそうで、「4年生の時、『スケートをやってるなんてゲイだろ』と言われた時には、なんのことだか理解できなかった。でもクラスのみんなの前で侮辱されているのは理解できた。なんでそんなことされるのか、ゲイとはなんなのか、まったく知らなかったけれど」と回想。「自分は大好きなスケートを毎日していたから楽しかったけど、自分をからかった子たちを気の毒に感じて。スケート教室には理解し合える仲間がいたから、(いじめは)つらくなかった」という。
選手としては繰り返し挫折しており、オリンピックをあきらめかけたことも何度もあったとか。それでも「自分のやってきたことは素晴らしいはず!」と思考を変えて乗り越えたそう。このようにポジティブかつウィットに富んでいる自叙伝だが、一方でこれまで明かされなかった“最悪な”元恋人について赤裸々につづられている。
「People」のインタビューでは、「暴露しようと思ったわけじゃない」と前置きした上で、「この関係はやめたほうがいいとわかっているのに、恋人関係を続けている人は多いでしょう? 自分はそうならないと思っていたのに、一瞬にして『なんでこんな目に?』という状態になっていて呆然とした」「この交際でたくさんのことを学んだ。自分には価値があるんだって。例えば、モラハラやDVを受けても『仕方ない。自分も悪いから』と思う人がいるかもしれない。でも、相手から尊敬されずに交際するなんてダメ!」と、自分を大切にするよう呼びかけている。

2012年2月にホテルの浴槽で溺死し、世界中に大きな衝撃を与えたホイットニー・ヒューストン。司法解剖の結果、入浴中にコカイン摂取の影響で心臓発作が起き、溺れ死んだ可能性が高いと発表された。この時、多くのファンから「あなたが彼女のそばにいれば、死ななかったのに!」と非難された女性がいた。その女性とは、ホイットニーが無名だった頃からの大親友で、同性愛関係をウワサされてきたロビン・クロフォード。00年にホイットニーの元を去ったといわれている元アシスタントだ。
ロビンは現在フィットネス・トレーナーとして働いており、芸能事務所に勤める女性と同性婚し、養子を2人を育てながら穏やかに暮らしている。そんなロビンが長年の沈黙を破り、「ホィットニーに捧げる」自叙伝を執筆したのだ。
11月に発売されたばかりの本作では、「19歳のときに地元のサマーキャンプで17歳だったホイットニーと出会い、すぐに恋に落ちた」「歌手として契約を結ぶ前、スキャンダルになるからと体の関係は終わらせた。だから肉体関係を持ったのは2年間だけ」「深い絆で結ばれていたため、互いに性的な関係がなくても構わないと思っていた」などと赤裸々に告白。
ホイットニーの男性遍歴についても「キャリア初期に(ジャクソン5の)ジャーメイン・ジャクソンと付き合ったし、ロバート・デ・ニーロには口説かれたがなびかなかった」「ホイットニーはエディ・マーフィーに夢中だったが、彼はあまのじゃくな性格で、安定した交際にはならなかった」「でも(ホイットニーの夫)ボビー・ブラウンとの結婚式当日、エディから電話がかかってきて『結婚はやめろ』と言われた」などと暴露した。
また、ホイットニーは自分と付き合い始めた当初から一緒にマリファナを吸っていたといい、彼女自身、コカインに手を出したのは14歳のときと言っていたそう。そして「やめられるけど、今はその時期じゃない」と、スターになってからもドラッグを続けていたという。これにより、「ボビーがホイットニーにドラッグを勧めて中毒者にさせた」というメディアにおける定説を覆した。
その一方で、ボビーはホイットニーを心身共に支配していたDV男というウワサは真実だと断言し、「ボビーからのDVと薬物依存から抜け出すのは、ホイットニーの強い意志がなければできない。自分は彼女を救えないから、アシスタントを辞任したのだ」とつづった。
ホイットニーの死の一因として、ツアーの過密スケジュールのせいで薬物依存が悪化したと報じられてきたが、彼女の死後、事務所側は「公演をたくさん入れたのは、彼女と娘が路頭に迷うことを回避するためだった」と説明したそう。それに対し、ロビンは「そうやって彼女にプレッシャーをかけたのね」と激怒し、事務所側とケンカしたとのこと。なお、ホイットニーの娘ボビー・クリスティナも、母の死後に薬物依存に陥り、15年1月、ホイットニーと同じように浴槽で意識を失っている状態で発見。意識を回復することなく、半年後に22歳の若さで死去している。



