ホイットニーの“息子”、ODで死去――「口から黒い液体が出ている」と911通報音声も

 2012年2月に浴槽内で溺死した歌手ホイットニー・ヒューストンと、15年1月に同様に浴槽内で意識不明の状態で発見され、昏睡状態のまま半年後に息を引き取った一人娘ボビー・クリスティーナ・ブラウン(以下、クリスティーナ)。さらには、彼女たちの絶大な信頼を得て、常に2人のそばにいたニック・ゴードンが今月1日、30歳の若さで死去した。

 過去に彼が出演したテレビ番組での説明によると、ニックは中学生のころ、反りが合わなかった継父に反発し、自分をゴッドチャイルド(キリスト教の代子)としてかわいがってくれていたホイットニーに引き取られたそう。当時、ホイットニーは元夫ボビー・ブラウンと別れたばかりで、クリスティーナ共々「傷つき、心細がっていた」そうで、彼女たちに家族として招かれ、次第に頼りにされるようになったのだと語った。

 ホイットニーにとって養子のような存在で、クリスティーナにとっては兄であり最愛の恋人でもあったニック。英ニュースサイト「デイリー・メール」が情報筋から得た話によると、ニックは1日、友人と共にドラッグをやっている最中に意識を失い、病院に運ばれた。すぐにICUで救命治療を受けたが、同日息を引き取ったとのこと。

 一方、米ニュースサイト「TMZ」は、通報を受けた911オペレーターが「口から黒い液体を出している」と救急隊員に申し送りをしている音声を入手しており、ネット上では、同様の症状が見られるオピオイドの過剰摂取(OD)ではないかという臆測も飛び交っている。

 ニックの弟だというジュニア・ウォーカーはFacebookで「なぜ元日に兄を失わなくちゃならないんだ」「泣くことしかできない」と悲痛な思いを吐露。昨年8月に、ボビーの姉がSNSで「ボビーが交通事故に遭い、両足に重傷を負って入院した」という誤報を流したため、今回の報道直後は「ニックは本当に死んだのか?」「ガセでは?」と疑う人もいたが、大手メディアがこぞって報じ始めたことから「ホイットニー、クリスティーナ、ニック、3人ともドラッグで命を落としただなんて……」と、ネット上は騒然としている。

 12年2月11日にホイットニーが、コカイン摂取と動脈硬化性心臓発作により浴槽内で溺死した後、ニックはクリスティーナのケアに専念。2人は“母の死を悲しむ兄妹”から“恋人”へと関係を深め、世間から「実の兄妹じゃなくても、近親相姦と同じじゃないか」と白い目で見られるようになった。リアリティ番組『The Houstons:On Our Own』(12~13)にもニックはクリスティーナの恋人として登場。一族があからさまに顔をしかめたが、周囲に反対されればされるほど2人の恋は燃え上がり、13年7月に婚約を発表。14年1月には、クリスティーナが結婚したと示唆するツイートをした。

 幸せの絶頂にいたクリスティーナは、疎遠になっていたボビーとも和解。父娘は交流するようになり、すべてが順調に見えた15年1月31日、クリスティーナは自宅の浴槽内で、意識不明の状態で発見された。病院へ緊急搬送されたが昏睡状態が続き、目を覚ますことなく半年後に22歳の若さでこの世を去った。

 「クリスティーナに暴力を振るわれたような痕があった」「2人は直前に口論していた」「ニックが彼女に薬物混合カクテルを飲ませてバスタブで溺れさせた」など、まるでニックがクリスティーナを殺したといわんばかりの情報が流れたが、ニックは刑事裁判では起訴されず。

 しかし、怒り狂ったボビーは娘の法定遺産管理人らと共に、ニックを相手取り、民事裁判の不法死亡訴訟(特定の人物の過失などから生じた死亡事故に対し、被害者の家族らが責任を求める訴訟)を起こした。この裁判でボビーたちは「当日、ニックはクリスティーナを殴り、薬物混合カクテルを飲ませて意識不明にし、浴槽に沈めた」と主張。ニックは真っ向から否定したが、有罪の判定が下り、損害賠償として3,600万ドル(約39億円)の支払いを命じられた。

 その後のニックは新しい恋人ができたものの、昨年は彼女へのDV容疑で逮捕されるなど、亡くなる直前まで壮絶な人生だった。

 ホイットニーと親しかった人の相次ぐ死に、ネットでは「呪いのようだ」とおののく人も。実は浴槽に沈んでいるクリスティーナをニックと一緒に発見したマックス・ロマスという男性も、18年に薬物を摂取した後に浴槽に沈んで死亡しているのだ。本人は否定していたが、マックスは薬物の売人だと伝えられており、クリスティーナが事故当時摂取していたドラッグも彼から買ったものとみられている。ちなみに彼もまたニック同様、家庭内のトラブルからホイットニーに引き取られた。

 ネット上では、「ホイットニー関係者の悲劇は、ニックの死で終わってほしい」「彼女の死を乗り越えられない人がまだたくさんいるのに、彼女の周りの人たちが次々と亡くなるなんて悲しみが深まるばかりだ」と嘆く声が多く上がっている。

【セレブ自叙伝・衝撃の話題作ベスト5】ホイットニーとの同性愛、ダグラス家の闇……

 近年、海外セレブの間で何度目かの自叙伝ブームが到来している。「今だから明かせる秘話や暴露話」によって再び自身に注目が集まるきっかけになり、ベストセラーになれば「作家」という肩書や莫大な報酬も手に入る。セレブにとってはプラスになることばかりなのだ。

 9月には女優デミ・ムーアが初の自叙伝『Inside Out』を発売し、3番目の夫であるアシュトン・カッチャーから3Pを提案されたこと、42歳の時にアシュトンとの子を妊娠6カ月で亡くした過去を明かした。10月発売の歌手エルトン・ジョンの自叙伝『Me』も、「故ダイアナ妃をめぐる、シルベスター・スタローンとリチャード・ギアの一触即発の事態」「エリザベス女王が言うことをきかないおいを何回も往復ビンタした」ことなど、世界的大スターの彼が見聞きした話を次から次へと紹介し、話題騒然となった。

 今回は、“自叙伝の当たり年”である2019年に発売された、興味深いセレブの自叙伝を5冊紹介しよう。

ラマー・オドム『Darkness to Light』

 父親は家族を捨てたヘロイン中毒者で、女手ひとつで育ててくれた母親は12歳の時に大腸がんで死去という苦境の中で育った、元プロバスケットボール選手のラマー・オドム。NBAロサンゼルス・レイカーズ時代に全盛を極め、2004年のアテネオリンピックではアメリカ代表として銀メダル獲得に貢献した。プライベートでは、09年にカーダシアン姉妹の三女クロエと電撃婚。新婚生活がリアリティ番組として放送されたが、ラマーはカメラを嫌い、クロエとも不仲に。薬物に逃げ、浮気までウワサされるようになり、クロエから離婚を突きつけられた。そして、離婚成立直前の15年10月、ネバダ州の売春宿でオーバードーズにより意識不明の重体に。奇跡的に回復するが、再び薬物に手を出し、入院時からずっと支えてきたクロエに見捨てられる。その後、リハビリ施設に入って、ようやく薬断ちの道筋が見えるようになった。

 そんなラマーが今年5月に発売した『Darkness to Light』では、自分がどれほど重度な薬物依存症/セックス依存症だったかをつづっている。

 「クロエと結婚した当初から浮気していた。コカイン依存だったことも隠していた」といい、「(クロエとの結婚による)スポットライトが、薬物依存症、選手としてのキャリアの低迷、不貞行為と混じり合い、致命的なカクテルとなってしまった」と分析。そして、「自分は、妄想症、不安症、うつ病にコカイン中毒。それにセックス依存症でもあった」「薬物依存症の人間は、悪習慣を隠すのがとても上手。そんなオレに、クロエは見切りをつけたんだ」と離婚に至った経緯を明かした。クロエのことは心の底から愛していたそうで、「後悔で今でも胸が苦しくなる。でも後悔は慣れなければならないものだから。仕方ないね」。

 また本の中では、これまでセックスした女性の数は2,000人を超えると告白。「本当に多くのストリッパーと寝たから、正確な数は覚えていない。自分にとっては大したことではなかった。時々彼女たちにお金をあげたけど、軽く見たことは一度もない」といい、セックスはスナック菓子を食べるような感覚だと正直につづった。

 自叙伝執筆時はリハビリのおかげでクリーンだったが、「自分は今も依存症患者」「今も苦しんでいる。でももう闇のそばには行かない。絶対に」と、強い意志を持って薬物・セックス依存症に打ち勝つと宣言。彼は長らくクロエに未練を持っていたが、先日パーソナル・トレーナーの女性と婚約。ファンは、今度こそは幸せになってほしいと心から願っているようだ。

 名優カーク・ダグラスを祖父に、セクシーな演技派俳優マイケル・ダグラスを父に持ち、大豪邸で生まれ育ったキャメロン・ダグラス。両親の離婚後は映画プロデューサーの母親に育てられたが、祖父、父と同じく俳優の道を歩む決心をし、1997年にジャッキー・チェン主演の香港映画『ナイスガイ』で銀幕デビューを果たした。『グロムバーグ家の人々』(03)では祖父、父、祖母と共演して大きな話題となるも、待望の主演映画『National Lampoon’s Adam & Eve』(05)が大コケしてからは、薬物事件で繰り返し逮捕されるようになり、10年には違法薬物取引で禁錮5年の実刑判決を受けた。

 裁判では、カークとマイケル、継母で女優のキャサリン・ゼタ=ジョーンズも嘆願書を出し、薬物を断ち切れるよう応援されたキャメロンだったが、収監中にも薬物を使用し、仮釈放は16年1月まで延びた。その後もマリファナ所持などトラブルを起こしているが、今はかなり落ち着いたとみられている。

 そんなキャメロンが今年10月、自叙伝『Long Way Home』を出版。セレブ一族の3世として生まれ、何不自由なく育った彼がどのように転落していったのかが、生々しく描かれている。

 「幼少期、父から『葉っぱを紙に巻いて、おじさんに渡しなさい』と言われて、お手伝いしていた。まだ小さかったから、それがマリファナだとは知らなかった」「もう少し大きくなると、近所の邸宅をのぞき見して、“美しい大人たちがやっている秘密のアレコレ”を目の当たりにするようになった」「7歳の時に母親から父が浮気していると告げられ、『どうしよう』と相談された」などと、映画に出てくるような非日常的な話をサラッと明かしている。

 さらには、「両親が離婚し、13歳で寄宿学校に入れられ、ホームシックに」「父のエロティックな映画(87年公開の『危険な情事』)が大ヒットしたことでいじめられた」など、悲しい思春期についても告白。寄宿学校でマリファナに手を出したキャメロンは退学処分となり、地元で悪い仲間とつるむように。「15歳でコカイン、17歳で覚醒剤、19歳で液状コカイン、26歳でヘロインに手を出すようになった」そう。彼の人生は、覚醒を溶かし、注射器で血管に打つやり方を覚えたことで大きく狂ったそうで、「打った途端、クスリが体中に回る。頭の中で鐘の音が鳴り響くような興奮と爽快感がある」と説明。その結果、1時間に2、3回打つほどの中毒者となり、痙攣を起こしながら毎回オーバードーズ寸前まで打っていたという。マイケルが「このままだと死んでしまう」と小遣いを制限したため、薬物を買うために盗みを働いたり、売人を拳銃で脅して薬物を奪ったり。最終的に売人となり、09年に逮捕された。

 薬物依存に陥ったことについて、「偉大な父・祖父の存在や、ハリウッドの重圧は関係ないし、環境のせいでもない。自分自身の問題」と断言している。キャメロンは、今も薬物断ちに励んでいる状態。17年12月に生まれた娘のためにも、そして交際3年目になる恋人のためにも、もう刑務所には戻らないと誓っている。

 1970年代にパンクロックバンド「ブロンディ」の美女ボーカリストとして、世界的な人気を博したデボラ。その小悪魔的な魅力は音楽業界だけでなくファッションやアート業界も席巻し、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホルが彼女のルックスにほれ、肖像画を手がけたことは有名だ。

 デボラは、バンドのギタリスト、クリス・ステインと長年交際。共に重度の薬物依存症という状態で、荒れた私生活を送ってきたという。ブロンディは82年に解散後するも97年に再結成し、デボラは70歳を越えた現在も、歌手、アーティスト、慈善家として活動している。

 10月に発売した自叙伝『Face It』では、ブロンディの絶頂期の音楽業界についても書かれている。

 77年、故デヴィッド・ボウイにコカインをあげたときには、お礼のつもりだったのか、「イチモツを見せてくれた」そう。「彼は超巨根で、男でも女でも構わず下半身を見せるのが好きだった。おもしろくて、かわいくて、セクシーな人だった」と回想。現在、殺人罪で服役している音楽プロデューサー、フィル・スペクターの自宅を訪問した時は、「片手に拳銃、もう片方の手には酒のボトルを持っていた」そうで、恐怖を感じたと暴露した。

 ロックな生活は楽しいことばかりではなく、クリスとヘロインにどっぷり浸かり自己破産したこと、70年代初めにライブの後、クリスとアパートに戻る際に後をつけてきた男に刃物で脅され、縛られ、ギターやカメラを盗まれた上にレイプされたという。ギターを盗まれたことのほうがショックだったそうだが、クリスに慰めてもらったから精神的に立ち直れたと明かした。ほかにも、元恋人に拳銃で脅されたり、後に死刑となった連続殺人鬼テッド・バンディの車に偶然ヒッチハイクをしていて乗り込んだりと、散々危ない目に遭ってきたそう。

 それでも、自叙伝のプロモーション・インタビューで「後悔していることは?」と聞かれ、「何もない」と即答。そんな彼女の姿は「70歳を過ぎても最高にかっこいい」と絶賛されている。

 2018年の平昌オリンピックに、男子フィギュアスケート選手として出場したアダム・リッポン。個人戦では振るわなかったが、団体戦では銅メダルを獲得した。同性愛者をカムアウトしている彼にはアンチも多いが、彼らにひどい言葉をかけられても怒らず、絶賛するファンに媚びることもなく、マイペースな姿に多くの人が興味を抱き、オリンピックが終わる頃にはすっかり人気者になっていた。

 オリンピック後は、アマチュア競技から引退。プロのスケーターとしてツアーに参加したり、コンペ番組やリアリティ番組に出演したりと大忙し。そんな彼が今年10月、自叙伝『Beautiful on the Outside』を発売した。米芸能誌「People」のインタビューでは、「アスリートの引退直後のことはあまり話題にならない。次の生活へ移行し、環境が一変することでうつになる人も多い。自分は恵まれているほうだけど、それでも大変だと感じる。本を書くことはセラピーになった」と、30歳の若さで自叙伝を出した理由を説明した。

 幼いころは「男子なのに、アイスホッケーではなくフィギュアスケートをやっているのか」といじめられたそうで、「4年生の時、『スケートをやってるなんてゲイだろ』と言われた時には、なんのことだか理解できなかった。でもクラスのみんなの前で侮辱されているのは理解できた。なんでそんなことされるのか、ゲイとはなんなのか、まったく知らなかったけれど」と回想。「自分は大好きなスケートを毎日していたから楽しかったけど、自分をからかった子たちを気の毒に感じて。スケート教室には理解し合える仲間がいたから、(いじめは)つらくなかった」という。

 選手としては繰り返し挫折しており、オリンピックをあきらめかけたことも何度もあったとか。それでも「自分のやってきたことは素晴らしいはず!」と思考を変えて乗り越えたそう。このようにポジティブかつウィットに富んでいる自叙伝だが、一方でこれまで明かされなかった“最悪な”元恋人について赤裸々につづられている。

 「People」のインタビューでは、「暴露しようと思ったわけじゃない」と前置きした上で、「この関係はやめたほうがいいとわかっているのに、恋人関係を続けている人は多いでしょう? 自分はそうならないと思っていたのに、一瞬にして『なんでこんな目に?』という状態になっていて呆然とした」「この交際でたくさんのことを学んだ。自分には価値があるんだって。例えば、モラハラやDVを受けても『仕方ない。自分も悪いから』と思う人がいるかもしれない。でも、相手から尊敬されずに交際するなんてダメ!」と、自分を大切にするよう呼びかけている。

 2012年2月にホテルの浴槽で溺死し、世界中に大きな衝撃を与えたホイットニー・ヒューストン。司法解剖の結果、入浴中にコカイン摂取の影響で心臓発作が起き、溺れ死んだ可能性が高いと発表された。この時、多くのファンから「あなたが彼女のそばにいれば、死ななかったのに!」と非難された女性がいた。その女性とは、ホイットニーが無名だった頃からの大親友で、同性愛関係をウワサされてきたロビン・クロフォード。00年にホイットニーの元を去ったといわれている元アシスタントだ。

 ロビンは現在フィットネス・トレーナーとして働いており、芸能事務所に勤める女性と同性婚し、養子を2人を育てながら穏やかに暮らしている。そんなロビンが長年の沈黙を破り、「ホィットニーに捧げる」自叙伝を執筆したのだ。

 11月に発売されたばかりの本作では、「19歳のときに地元のサマーキャンプで17歳だったホイットニーと出会い、すぐに恋に落ちた」「歌手として契約を結ぶ前、スキャンダルになるからと体の関係は終わらせた。だから肉体関係を持ったのは2年間だけ」「深い絆で結ばれていたため、互いに性的な関係がなくても構わないと思っていた」などと赤裸々に告白。

 ホイットニーの男性遍歴についても「キャリア初期に(ジャクソン5の)ジャーメイン・ジャクソンと付き合ったし、ロバート・デ・ニーロには口説かれたがなびかなかった」「ホイットニーはエディ・マーフィーに夢中だったが、彼はあまのじゃくな性格で、安定した交際にはならなかった」「でも(ホイットニーの夫)ボビー・ブラウンとの結婚式当日、エディから電話がかかってきて『結婚はやめろ』と言われた」などと暴露した。

 また、ホイットニーは自分と付き合い始めた当初から一緒にマリファナを吸っていたといい、彼女自身、コカインに手を出したのは14歳のときと言っていたそう。そして「やめられるけど、今はその時期じゃない」と、スターになってからもドラッグを続けていたという。これにより、「ボビーがホイットニーにドラッグを勧めて中毒者にさせた」というメディアにおける定説を覆した。

 その一方で、ボビーはホイットニーを心身共に支配していたDV男というウワサは真実だと断言し、「ボビーからのDVと薬物依存から抜け出すのは、ホイットニーの強い意志がなければできない。自分は彼女を救えないから、アシスタントを辞任したのだ」とつづった。

 ホイットニーの死の一因として、ツアーの過密スケジュールのせいで薬物依存が悪化したと報じられてきたが、彼女の死後、事務所側は「公演をたくさん入れたのは、彼女と娘が路頭に迷うことを回避するためだった」と説明したそう。それに対し、ロビンは「そうやって彼女にプレッシャーをかけたのね」と激怒し、事務所側とケンカしたとのこと。なお、ホイットニーの娘ボビー・クリスティナも、母の死後に薬物依存に陥り、15年1月、ホイットニーと同じように浴槽で意識を失っている状態で発見。意識を回復することなく、半年後に22歳の若さで死去している。

【セレブ自叙伝・衝撃の話題作ベスト5】ホイットニーとの同性愛、ダグラス家の闇……

 近年、海外セレブの間で何度目かの自叙伝ブームが到来している。「今だから明かせる秘話や暴露話」によって再び自身に注目が集まるきっかけになり、ベストセラーになれば「作家」という肩書や莫大な報酬も手に入る。セレブにとってはプラスになることばかりなのだ。

 9月には女優デミ・ムーアが初の自叙伝『Inside Out』を発売し、3番目の夫であるアシュトン・カッチャーから3Pを提案されたこと、42歳の時にアシュトンとの子を妊娠6カ月で亡くした過去を明かした。10月発売の歌手エルトン・ジョンの自叙伝『Me』も、「故ダイアナ妃をめぐる、シルベスター・スタローンとリチャード・ギアの一触即発の事態」「エリザベス女王が言うことをきかないおいを何回も往復ビンタした」ことなど、世界的大スターの彼が見聞きした話を次から次へと紹介し、話題騒然となった。

 今回は、“自叙伝の当たり年”である2019年に発売された、興味深いセレブの自叙伝を5冊紹介しよう。

ラマー・オドム『Darkness to Light』

 父親は家族を捨てたヘロイン中毒者で、女手ひとつで育ててくれた母親は12歳の時に大腸がんで死去という苦境の中で育った、元プロバスケットボール選手のラマー・オドム。NBAロサンゼルス・レイカーズ時代に全盛を極め、2004年のアテネオリンピックではアメリカ代表として銀メダル獲得に貢献した。プライベートでは、09年にカーダシアン姉妹の三女クロエと電撃婚。新婚生活がリアリティ番組として放送されたが、ラマーはカメラを嫌い、クロエとも不仲に。薬物に逃げ、浮気までウワサされるようになり、クロエから離婚を突きつけられた。そして、離婚成立直前の15年10月、ネバダ州の売春宿でオーバードーズにより意識不明の重体に。奇跡的に回復するが、再び薬物に手を出し、入院時からずっと支えてきたクロエに見捨てられる。その後、リハビリ施設に入って、ようやく薬断ちの道筋が見えるようになった。

 そんなラマーが今年5月に発売した『Darkness to Light』では、自分がどれほど重度な薬物依存症/セックス依存症だったかをつづっている。

 「クロエと結婚した当初から浮気していた。コカイン依存だったことも隠していた」といい、「(クロエとの結婚による)スポットライトが、薬物依存症、選手としてのキャリアの低迷、不貞行為と混じり合い、致命的なカクテルとなってしまった」と分析。そして、「自分は、妄想症、不安症、うつ病にコカイン中毒。それにセックス依存症でもあった」「薬物依存症の人間は、悪習慣を隠すのがとても上手。そんなオレに、クロエは見切りをつけたんだ」と離婚に至った経緯を明かした。クロエのことは心の底から愛していたそうで、「後悔で今でも胸が苦しくなる。でも後悔は慣れなければならないものだから。仕方ないね」。

 また本の中では、これまでセックスした女性の数は2,000人を超えると告白。「本当に多くのストリッパーと寝たから、正確な数は覚えていない。自分にとっては大したことではなかった。時々彼女たちにお金をあげたけど、軽く見たことは一度もない」といい、セックスはスナック菓子を食べるような感覚だと正直につづった。

 自叙伝執筆時はリハビリのおかげでクリーンだったが、「自分は今も依存症患者」「今も苦しんでいる。でももう闇のそばには行かない。絶対に」と、強い意志を持って薬物・セックス依存症に打ち勝つと宣言。彼は長らくクロエに未練を持っていたが、先日パーソナル・トレーナーの女性と婚約。ファンは、今度こそは幸せになってほしいと心から願っているようだ。

 名優カーク・ダグラスを祖父に、セクシーな演技派俳優マイケル・ダグラスを父に持ち、大豪邸で生まれ育ったキャメロン・ダグラス。両親の離婚後は映画プロデューサーの母親に育てられたが、祖父、父と同じく俳優の道を歩む決心をし、1997年にジャッキー・チェン主演の香港映画『ナイスガイ』で銀幕デビューを果たした。『グロムバーグ家の人々』(03)では祖父、父、祖母と共演して大きな話題となるも、待望の主演映画『National Lampoon’s Adam & Eve』(05)が大コケしてからは、薬物事件で繰り返し逮捕されるようになり、10年には違法薬物取引で禁錮5年の実刑判決を受けた。

 裁判では、カークとマイケル、継母で女優のキャサリン・ゼタ=ジョーンズも嘆願書を出し、薬物を断ち切れるよう応援されたキャメロンだったが、収監中にも薬物を使用し、仮釈放は16年1月まで延びた。その後もマリファナ所持などトラブルを起こしているが、今はかなり落ち着いたとみられている。

 そんなキャメロンが今年10月、自叙伝『Long Way Home』を出版。セレブ一族の3世として生まれ、何不自由なく育った彼がどのように転落していったのかが、生々しく描かれている。

 「幼少期、父から『葉っぱを紙に巻いて、おじさんに渡しなさい』と言われて、お手伝いしていた。まだ小さかったから、それがマリファナだとは知らなかった」「もう少し大きくなると、近所の邸宅をのぞき見して、“美しい大人たちがやっている秘密のアレコレ”を目の当たりにするようになった」「7歳の時に母親から父が浮気していると告げられ、『どうしよう』と相談された」などと、映画に出てくるような非日常的な話をサラッと明かしている。

 さらには、「両親が離婚し、13歳で寄宿学校に入れられ、ホームシックに」「父のエロティックな映画(87年公開の『危険な情事』)が大ヒットしたことでいじめられた」など、悲しい思春期についても告白。寄宿学校でマリファナに手を出したキャメロンは退学処分となり、地元で悪い仲間とつるむように。「15歳でコカイン、17歳で覚醒剤、19歳で液状コカイン、26歳でヘロインに手を出すようになった」そう。彼の人生は、覚醒を溶かし、注射器で血管に打つやり方を覚えたことで大きく狂ったそうで、「打った途端、クスリが体中に回る。頭の中で鐘の音が鳴り響くような興奮と爽快感がある」と説明。その結果、1時間に2、3回打つほどの中毒者となり、痙攣を起こしながら毎回オーバードーズ寸前まで打っていたという。マイケルが「このままだと死んでしまう」と小遣いを制限したため、薬物を買うために盗みを働いたり、売人を拳銃で脅して薬物を奪ったり。最終的に売人となり、09年に逮捕された。

 薬物依存に陥ったことについて、「偉大な父・祖父の存在や、ハリウッドの重圧は関係ないし、環境のせいでもない。自分自身の問題」と断言している。キャメロンは、今も薬物断ちに励んでいる状態。17年12月に生まれた娘のためにも、そして交際3年目になる恋人のためにも、もう刑務所には戻らないと誓っている。

 1970年代にパンクロックバンド「ブロンディ」の美女ボーカリストとして、世界的な人気を博したデボラ。その小悪魔的な魅力は音楽業界だけでなくファッションやアート業界も席巻し、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホルが彼女のルックスにほれ、肖像画を手がけたことは有名だ。

 デボラは、バンドのギタリスト、クリス・ステインと長年交際。共に重度の薬物依存症という状態で、荒れた私生活を送ってきたという。ブロンディは82年に解散後するも97年に再結成し、デボラは70歳を越えた現在も、歌手、アーティスト、慈善家として活動している。

 10月に発売した自叙伝『Face It』では、ブロンディの絶頂期の音楽業界についても書かれている。

 77年、故デヴィッド・ボウイにコカインをあげたときには、お礼のつもりだったのか、「イチモツを見せてくれた」そう。「彼は超巨根で、男でも女でも構わず下半身を見せるのが好きだった。おもしろくて、かわいくて、セクシーな人だった」と回想。現在、殺人罪で服役している音楽プロデューサー、フィル・スペクターの自宅を訪問した時は、「片手に拳銃、もう片方の手には酒のボトルを持っていた」そうで、恐怖を感じたと暴露した。

 ロックな生活は楽しいことばかりではなく、クリスとヘロインにどっぷり浸かり自己破産したこと、70年代初めにライブの後、クリスとアパートに戻る際に後をつけてきた男に刃物で脅され、縛られ、ギターやカメラを盗まれた上にレイプされたという。ギターを盗まれたことのほうがショックだったそうだが、クリスに慰めてもらったから精神的に立ち直れたと明かした。ほかにも、元恋人に拳銃で脅されたり、後に死刑となった連続殺人鬼テッド・バンディの車に偶然ヒッチハイクをしていて乗り込んだりと、散々危ない目に遭ってきたそう。

 それでも、自叙伝のプロモーション・インタビューで「後悔していることは?」と聞かれ、「何もない」と即答。そんな彼女の姿は「70歳を過ぎても最高にかっこいい」と絶賛されている。

 2018年の平昌オリンピックに、男子フィギュアスケート選手として出場したアダム・リッポン。個人戦では振るわなかったが、団体戦では銅メダルを獲得した。同性愛者をカムアウトしている彼にはアンチも多いが、彼らにひどい言葉をかけられても怒らず、絶賛するファンに媚びることもなく、マイペースな姿に多くの人が興味を抱き、オリンピックが終わる頃にはすっかり人気者になっていた。

 オリンピック後は、アマチュア競技から引退。プロのスケーターとしてツアーに参加したり、コンペ番組やリアリティ番組に出演したりと大忙し。そんな彼が今年10月、自叙伝『Beautiful on the Outside』を発売した。米芸能誌「People」のインタビューでは、「アスリートの引退直後のことはあまり話題にならない。次の生活へ移行し、環境が一変することでうつになる人も多い。自分は恵まれているほうだけど、それでも大変だと感じる。本を書くことはセラピーになった」と、30歳の若さで自叙伝を出した理由を説明した。

 幼いころは「男子なのに、アイスホッケーではなくフィギュアスケートをやっているのか」といじめられたそうで、「4年生の時、『スケートをやってるなんてゲイだろ』と言われた時には、なんのことだか理解できなかった。でもクラスのみんなの前で侮辱されているのは理解できた。なんでそんなことされるのか、ゲイとはなんなのか、まったく知らなかったけれど」と回想。「自分は大好きなスケートを毎日していたから楽しかったけど、自分をからかった子たちを気の毒に感じて。スケート教室には理解し合える仲間がいたから、(いじめは)つらくなかった」という。

 選手としては繰り返し挫折しており、オリンピックをあきらめかけたことも何度もあったとか。それでも「自分のやってきたことは素晴らしいはず!」と思考を変えて乗り越えたそう。このようにポジティブかつウィットに富んでいる自叙伝だが、一方でこれまで明かされなかった“最悪な”元恋人について赤裸々につづられている。

 「People」のインタビューでは、「暴露しようと思ったわけじゃない」と前置きした上で、「この関係はやめたほうがいいとわかっているのに、恋人関係を続けている人は多いでしょう? 自分はそうならないと思っていたのに、一瞬にして『なんでこんな目に?』という状態になっていて呆然とした」「この交際でたくさんのことを学んだ。自分には価値があるんだって。例えば、モラハラやDVを受けても『仕方ない。自分も悪いから』と思う人がいるかもしれない。でも、相手から尊敬されずに交際するなんてダメ!」と、自分を大切にするよう呼びかけている。

 2012年2月にホテルの浴槽で溺死し、世界中に大きな衝撃を与えたホイットニー・ヒューストン。司法解剖の結果、入浴中にコカイン摂取の影響で心臓発作が起き、溺れ死んだ可能性が高いと発表された。この時、多くのファンから「あなたが彼女のそばにいれば、死ななかったのに!」と非難された女性がいた。その女性とは、ホイットニーが無名だった頃からの大親友で、同性愛関係をウワサされてきたロビン・クロフォード。00年にホイットニーの元を去ったといわれている元アシスタントだ。

 ロビンは現在フィットネス・トレーナーとして働いており、芸能事務所に勤める女性と同性婚し、養子を2人を育てながら穏やかに暮らしている。そんなロビンが長年の沈黙を破り、「ホィットニーに捧げる」自叙伝を執筆したのだ。

 11月に発売されたばかりの本作では、「19歳のときに地元のサマーキャンプで17歳だったホイットニーと出会い、すぐに恋に落ちた」「歌手として契約を結ぶ前、スキャンダルになるからと体の関係は終わらせた。だから肉体関係を持ったのは2年間だけ」「深い絆で結ばれていたため、互いに性的な関係がなくても構わないと思っていた」などと赤裸々に告白。

 ホイットニーの男性遍歴についても「キャリア初期に(ジャクソン5の)ジャーメイン・ジャクソンと付き合ったし、ロバート・デ・ニーロには口説かれたがなびかなかった」「ホイットニーはエディ・マーフィーに夢中だったが、彼はあまのじゃくな性格で、安定した交際にはならなかった」「でも(ホイットニーの夫)ボビー・ブラウンとの結婚式当日、エディから電話がかかってきて『結婚はやめろ』と言われた」などと暴露した。

 また、ホイットニーは自分と付き合い始めた当初から一緒にマリファナを吸っていたといい、彼女自身、コカインに手を出したのは14歳のときと言っていたそう。そして「やめられるけど、今はその時期じゃない」と、スターになってからもドラッグを続けていたという。これにより、「ボビーがホイットニーにドラッグを勧めて中毒者にさせた」というメディアにおける定説を覆した。

 その一方で、ボビーはホイットニーを心身共に支配していたDV男というウワサは真実だと断言し、「ボビーからのDVと薬物依存から抜け出すのは、ホイットニーの強い意志がなければできない。自分は彼女を救えないから、アシスタントを辞任したのだ」とつづった。

 ホイットニーの死の一因として、ツアーの過密スケジュールのせいで薬物依存が悪化したと報じられてきたが、彼女の死後、事務所側は「公演をたくさん入れたのは、彼女と娘が路頭に迷うことを回避するためだった」と説明したそう。それに対し、ロビンは「そうやって彼女にプレッシャーをかけたのね」と激怒し、事務所側とケンカしたとのこと。なお、ホイットニーの娘ボビー・クリスティナも、母の死後に薬物依存に陥り、15年1月、ホイットニーと同じように浴槽で意識を失っている状態で発見。意識を回復することなく、半年後に22歳の若さで死去している。

名作『ボディガード』のあの有名なポスター、写っているのはホイットニー・ヒューストンじゃなかった!

 世界的大スターと彼女を守るシークレット・サービスとの恋を描いた映画『ボディガード』(1992)。シークレット・サービス役のケビン・コスナーが、ホイットニー・ヒューストン演じる人気歌手をお姫さま抱っこするシーンは同作のポスターとして使用され、ホイットニーが熱唱する主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」と共に、世界中の映画ファンの記憶に深く刻まれている。

 ホイットニーの映画デビュー作としても有名な『ボディガード』だが、彼女を主役にプッシュしたのは、製作総指揮も兼任したケビンだった。まだまだ異人種間の恋愛に抵抗がある人が多かった90年代初頭に、黒人スター役は「ホイットニーしかいない」と確信。12年2月に急死したホイットニーの葬儀の弔辞でも、いかに高く彼女を評価し、大切に思っていたかをユーモアを交えながら伝え、ホイットニーに薬物を勧め、家庭内DVを働いていた夫ボビー・ブラウンと比べる人が多かった。

 ケビンは、昨年スタートした主演作、西部劇ドラマシリーズ『Yellowstone』が大好評。来月にはシーズン2の放送が開始されるため、プロモーションに忙しい日々を送っている。還暦を越えて“渋メン”となっているケビンが、『ボディガード』のポスターについて衝撃的な事実を明かしたのだ。

 現地時間6月21日に公開された米エンタメサイト「エンターテインメント・ウィークリー」のインタビューで、『ボディガード』の印象的なポスターについて、「実はあれ、ホイットニーじゃないんだ。彼女は家に帰ってしまったから、ダブル(替え玉女優)を使ったんだ。オレの肩に顔を埋めさせてね。彼女はおびえている設定だったから、(顔が見えなくても)まったく問題なかったしね」と暴露。

 そのシーンをポスターに選んだ理由も「友人である(フォトグラファーの)ベン・グラスが撮影した写真だったから」と言いつつ、「特別なシーンではなかったけど、感情に訴えるいい写真だった」と付け加えた。しかし配給のワーナー・ブラザース側は主演女優の顔が見えない写真をポスターに使うことには消極的で、上層部には反対されたという。そして「ホイットニーが正面を向いている顔を貼り付けた加工画像を5枚も送ってきた」そうで、思わず「そんなのもともとの写真で決まりじゃないか」と言い返したのだとか。

 それにしても、なぜホイットニーがいる間にポスターを撮影しなかったのか? 実は彼女は93年に受けたインタビューで、『ボディガード』撮影中にボビーとの子どもを流産していたと告白。「精神的にも身体的にも、とてもキツかった」が「翌日には撮影所に戻り、仕事をした」と、つらい過去を振り返っていた。そのため今回の報道を受けて、「お姫様抱っこのシーンが撮影された時、ホイットニーは流産後の体調不良だったのでは?」といった臆測が飛びかっている。

 いまだに多くの人に愛される名作『ボディガード』、今秋にはミュージカル版が日本でも上演される予定だ。このミュージカル版のポスターにも、「シークレット・サービス役の俳優が、スター役の女優をお姫様抱っこしているシーン」が使用されている。

鬼畜! 昏睡状態が続くホイットニーの愛娘の口座から、恋人が遺産を引き出していた

<p> 今年1月末に自宅の浴槽で意識不明の状態で発見されて以来、昏睡状態が続いている故ホイットニー・ヒューストンの愛娘ボビー・クリスティナ・ブラウン。回復を信じて祈り続けていた父親のボビー・ブラウンもようやく娘は脳死なのだという現実を受け止めたようで、先日、クリスティナはホスピスに入所した。ホスピスは治療ではなく終末ケアを行うところで、「近日中に生命維持装置を外して、自然に息を引き取らせることにした」とクリスティナの叔母パット・ヒューストンが発表。つらい決断を下したボビーら親族に同情が寄せられている。</p>

昏睡状態のホイットニーの娘、“夫”がラリった状態で番組に出演して施設に直行

<p> 1月31日に自宅浴室で意識不明の状態で発見されてからというもの、昏睡状態が続いている故ホイットニー・ヒューストンの愛娘ボビー・クリスティナ・ブラウン。彼女の“夫”であるニック・ゴードンは、12歳のときに生みの母親が育児困難に陥ったためにホイットニーに引き取られ、クリスティナの兄として育てられた。ホイットニーはニックと養子縁組はしなかったが、実の息子同然に接し、ニックもホイットニーのことを「ママ」と慕っていた。</p>

DVの痕跡や薬物売人の登場、遺産相続……ホイットニー娘の近辺が、まれに見るゲス展開に

<p> 3年前に急死したホイットニー・ヒューストンの一人娘で、1月31日にジョージア州の自宅の浴槽で意識不明の状態で発見されたボビー・クリスティナ・ブラウン。第一発見者は彼女と結婚したばかりのニック・ゴードンで、心肺蘇生法を試み、通報を受けて駆けつけた救急車によりクリスティナは病院に緊急搬送されたが、脳死に近い状態だと伝えられた。</p>

「脳死に近い状態」という報道も……ホイットニー愛娘が意識不明の「極めて厳しい状況」

<p> 2012年のグラミー賞直前にホテルの浴槽で急死したホイットニー・ヒューストン(享年48)の一人娘ボビー・クリスティナ・ブラウン(21)が1月31日に自宅の浴室で意識不明の状態で発見され、病院に緊急搬送された。発見時クリスティナは呼吸をしていなかったが、現在は医師の処置により昏睡状態に置かれているとのこと。しかし、極めて厳しい状況だという情報も流れている。</p>

ホイットニーの全裸遺体に性的侮辱発言をし、隠ぺいする警察に非難殺到

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死者を冒涜するにも程があるわ!

 昨年2月に衝撃的な死を遂げた、歌手ホイットニー・ヒューストン。彼女の全裸遺体を、現場に駆けつけた男性刑事部長が舐め回すように見て、侮辱する言葉を吐いたということが暴露され、警察を批難する声が高まっている。

 ホイットニーが48歳の若さでこの世を去ったのは、第54回グラミー賞授賞式を翌日に控えた昨年2月11日のこと。滞在していたホテルの部屋で、湯を張った水深約30cmの浴槽にうつぶせの状態で沈んでいるのが発見され、司法解剖の結果、「アテローム硬化性心疾患とコカイン摂取による溺死事故」と結論付けられた。

“アメリカを動かす力”オプラ・ウィンフリーの名インタビュー集

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どっしりとした安定感がセレブに支持されるのかしら?

 今年8月末、リアーナが3年前に暴力を振るわれたクリス・ブラウンのことを「まだ愛している」「きっと生涯愛する」と告白し、ニュースとなった。これまでクリスへの愛を明言してこなかったリアーナから、この素直な気持ちを引き出したのは、アメリカが誇る名司会者オプラ・ウィンフリーである。

 オプラはローカルテレビ局のアンカー時代、気の利いたアドリブが高く評価され、トーク番組の司会者に抜擢。番組は全国ネット放送へと成長し、『オプラ・ウィンフリー・ショー』として25年間、アメリカ人に愛された。同番組で、オプラは旬の人たちにインタビューをしてきた。事件の渦中にある人、困っている人、活動家、政治家たち、数多くのセレブもプロモーションやイメージアップを狙って番組に出演している。今回はそんなオプラがインタビューしてきたセレブの中から、全世界で注目された「印象に残るオプラ・ウィンフリーのインタビュー・トップ5」を紹介する。