“ぼっち”が卒業理由?ももクロ・有安の意味深言が波紋

1801_momoirocloverz.jpg『ももクロ夏のバカ騒ぎ2017 - FIVE THE COLOR Road to 2020 - 味の素スタジアム大会 LIVE DVD』(キングレコード)

 本当は卒業したくなかったのでは?

 ももいろクローバーZの有安杏果が、1月21日に開催されたライブ『ももいろクローバーZ 2018 OPENING ~新しい青空へ~』をもって同グループを卒業した。

 そんななか、ライブ後半で有安が放った一言がファンをザワつかせているという。

「メンバーそれぞれが有安へメッセージを送るなか、リーダーの百田夏菜子が『本当は10周年は5人で迎えたかったです。迎えられると思っちゃってる自分がいて、ああ叶わない夢もあるんだなって』と発言。すると有安は、『私も10周年は5人で迎えられると思ってました。でも、これは4人のこれからのためにこうするしかなかったから』と返したのです。“こうするしかなかった”との言葉があまりに意味深だったため、観客からもどよめきが起きました」(芸能記者)

 確かに、聞きようによっては、「仕方なく卒業する」とも受け取られるため、ファンからも「何かの犠牲になった?」「裏にとんでもない闇がありそう」といぶかる声が続出している。

 08年5月に結成されたももクロは、あと半年も待たずして10周年になるが、それすら待てなかった事情とはいったい何なのか。

「有安と他のメンバー4人とは、かねてから不仲が取り沙汰されていました。ネット上には有安がわかりやすく仲間外れにされているように見える“ぼっち画像”が連投されており、連続して見ると、どう考えても他のメンバーとの溝があるように映ります」(アイドル誌ライター)

 画像を見てみると、クイズ番組で正解した際に有安以外の4人で抱き合ったり、有安がいつも端っこでひとり浮いているものが、あっという間に10数枚見つかった。

「衝撃的だったのは15年の生放送中でのことです。歌う前から手が震え、歌唱中は呆然と立ちつくし、その後泣きながらダッシュでスタジオを出た“事件”が起きたのです。このときもいじめ疑惑が取り沙汰されました。先日の卒業公演には元メンバーの早見あかりも駆けつけ、6人による画像が公開されていましたが、前列センターの“主役”位置にいたのは早見だったことも物議を醸しています」(アイドル誌ライター)

 1年前から卒業を考えていたというわりに、卒業後の具体的なビジョンがないことも、突発的な“何か”が起きていた可能性を増幅させている。いつか有安の口から卒業の“真相”が語られる日が来るのだろうか。

人が変わるために必要なのは、「好きな人がいること」?――私と【美玲】を連れてって

『桐谷美玲』

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「女性セブン」12月21日発売号にて、女優・桐谷美玲と俳優・三浦翔平の交際が報じられた。二人は同じマンションに住んでおり、しかもこのマンションには、女優・高畑充希と俳優・坂口健太郎も住んでいるとのこと。後者は完全に巻き込まれた感がある。


 山﨑賢人じゃないのか! 桐谷美玲と三浦翔平の交際に関して、そう思ったのは私だけだろうか? もちろん「お似合い」「うらやましい」、もしくは三浦のチャラ男イメージに「美玲ちゃんが心配」などと賛否両論あるのは知っている。だが、大事なのはそこではない。そもそもこの2人、以前から交流はあったらしいが、ドラマ『好きな人がいること』(フジテレビ系)での共演以降に交際しているのである。ならば、なぜ恋人役だった山﨑とじゃないんだ! という話だ。

 ドラマ共演を経て交際するなら「主人公とヒロイン」もしくは「恋人役」であってほしいと思うのは、視聴者のわがままだろうか。山口百恵・三浦友和にはじまり、松嶋菜々子・反町隆史、杏・東出昌大などのように、ドラマの延長線上というか「夢を見続けたい」という気持ちがそこにはある。そういう意味で山﨑は、『まれ』(NHK)で恋人役だった土屋太鳳と交際の噂が出た期待のルーキー。その土屋太鳳とも破局が噂されていただけに、機は熟していたのだが……。

 そうでなくても最近は、水川あさみと窪田正孝(『僕たちがやりました』〈フジテレビ系〉で共演)、戸田恵梨香と成田凌(『コード・ブルー3』〈同〉で共演)といった恋人役パターンではなく、「え、そっち行くの?」といった将棋の駒でいうと桂馬みたいな動きをする女優が多い。

木村拓哉、高視聴率でも崖っぷち!? 役者としての行く末を占う

役者としての木村拓哉の行く末の画像1

 昨年に続き今年も新春ドラマの主演でスタートした木村拓哉(45)。ボディーガード役に扮した「BG~身辺警護人~」(テレ朝系)の初回の視聴率は15.7%と高視聴率発進。しかし、テレ朝関係者は、「これでもギリギリ及第点といったところ。同じ枠で昨年放送した米倉涼子の『ドクターX』に比べれば、5ポイントも落ちる。共演者が豪華なぶんギャラなどで製作費は通常のドラマの倍はかかっている。採算に見合う視聴率を取らないと、次はないでしょう」と手厳しい。

 木村のドラマでは、パイロットや検察官、昨年は医師役と常に「カッコいいキムタク」が優先される。SMAP解散報道から2年。そろそろアイドル卒業が課題と言われるなか、今回はボディーガード。放送前から「カッコいいキムタク」が目に浮かんでいた。

 今やジャニーズ屈指の役者として業界内でも評価の高いV6の岡田准一との決定的な差は「岡田は役になり切れるが、木村はどんな役をやっても、木村拓哉がキムタクを演じているだけ」と言われてしまうことだろう。

 カッコいい木村をさらに盛り立てるのが豪華すぎる共演者たち。初共演になる江口洋介、斎藤工に加え、今が旬の女優・石田ゆり子と主演クラスが顔を揃えた。かつて、長嶋茂雄氏が監督を務めていた時代に、球団が「優勝させなければならない」と外国人選手や他球団の主力選手をお金の力で獲得してきたことを想起させる。その背景には、「木村のドラマ絶対に落とせない」というジャニーズ事務所の強い思いがあるという。

「ジャニーズ事務所に残った木村は、事務所を辞めた元SMAPの3人との間に確執が生まれ、世間に“裏切り者”のレッテルを張られたことで、イメージに傷がついた。事務所としては木村をなんとしても役者として成功させることで、事務所に残った木村が正解だったと、3人や世間に知らしめなければならない。事務所に残ったもう一人である中居はすでに司会者として安定しており、独立しても残ってもタレントとしてやっていけるメドがたつているが、木村の役者としての将来は依然として未知数のまま。不安があるから、万全の体制をとって臨む」(芸能関係者)

 今年は春に映画が公開される。年明けにドラマ、春に映画というのは去年と同じパターンだ。去年は、ドラマは贅沢な共演者の助力もあり、なんとか二桁の視聴率で面目を保った。しかし、主演した時代劇映画「無限の住人」は「血だらけの映画。まるで出血セール」と散々の酷評を受け、興行成績としては失敗に終わった。今年はその二の舞を避けたい。

 さらに今年の主演映画では嵐の二宮和也との共演もある。二宮人気に便乗しようという作戦が透けて見える。

「SMAP時代は嵐など相手にすることはなかったが、今やジャニーズの屋台骨を支えるのは嵐。木村1人の力ではとてもかなわない。結局、二宮人気に便乗して映画ヒットにつなげたいというのが、事務所の本音でしょう」

 一方で、元アイドルはしみじみとこう語る。

「アイドルは事務所に言われたことを忠実に守って実行するだけ。決められた衣装を着せられ、決められた踊りと歌を、決められた場所で披露する。今思えば、アイドルとは自分の意志のないロボットのようなもの。でも売れ出し、年と共に芸能界の経験を積んでいくうちに、自分の意志が出てくる。『こんな歌を歌いたい。あんな仕事もやってみたい』と。ようやく自分の意志が理解されたときが、アイドルからの脱皮なのですが、時すでに遅し。自分の意志で始められた時にはすでに人気はなく、自分の時代が終わっている。ジャニーズを辞めたアイドルの大半が成功しない理由ですよ」

 ビジュアル人気を優先するアイドルと好対照なのが、実力優先のミュージシャンたち。井上陽水、桑田佳祐、小田和正など、日本を代表するミュージシャンたちの名前が浮かぶだろう。ロック界のカリスマ・“XJAPAN”のYOSHIKI(52)が正月のテレビ番組でこんな話をしていた。

「僕は音楽に絶対的な自信を持っていた。衣装もステージ上でのパフォーマンスも誰に指示されることなく、自分たちの好きなようにやってきた。それだけ自分の音楽に自信があった」

 これがアイドルとの決定的な違いである。

 年齢的にも脱アイドルが急務の木村だが、ドラマや映画を観る限り、今年も難しそうな気配が漂っている。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

岡崎京子の”今”――『リバーズ・エッジ』なぜ映画化? あの時代の空気感は今の若者に伝わるのか

1994年に出版された岡崎京子の代表作『リバーズ・エッジ』が映画化されるという。マンガで描かれたあの時代のリアリティにノスタルジーを感じる30~40代の本誌読者も多いはずだが、今の若者は果たしてピンとくるのだろうか――。そこで、同作を現在の肉食系女子に読んでもらいながら、岡崎京子マンガの有効性を問う!

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映画『リバーズ・エッジ』公式サイトより。出演する若手俳優たちは、オジさん&オバさんのノスタルジーに付き合わされていないか……。

 2018年2月16日、映画『リバーズ・エッジ』が公開される。1994年に単行本化された岡崎京子の同名マンガの映画化だ。二階堂ふみや吉沢亮ら若手俳優が出演し、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)などで知られる行定勲が監督を務める。そして主題歌を、岡崎と27年来の友人である小沢健二が書き下ろした。

 映画の公式サイトで、行定監督は「ずっと漫画の映画化に抵抗してきた。しかし、岡崎京子さんの名作はあまりにも魅力的で、ついに手を染めてしまった。私たちが生きた穢れた青春は今の時代にどれくらい杭を打てるのだろうか?」とコメント。試写を観た映画ライターA氏(30代女性)は、「原作に忠実で、90年代を真空パックしたよう」と感想を語る。

「小沢さんの楽曲も、岡崎さんとの絆を知っているなら胸が熱くなるはず。ただ、役者たちが役をどう解釈したのか監督自ら聞くドキュメンタリーが間に挟まれている。ストーリーは90年代だけど、ドキュメンタリーは現在なんです。この点は、『単なるノスタルジーに終わらず、物語の普遍性をうまく表現している』と好意的にとらえる人と、違和感を抱く人に分かれるかもしれない」(A氏)

 とはいえ、映画としてはうまくできていたと評価する。

「時代は違っても、日常に無感動、無感覚という若者ならではの虚無感は、今の子たちにもあるので共感できるのではないでしょうか」(同)

サブカルが無敵な時代に平坦な日常を生きること

 しかし、なぜ今、『リバーズ・エッジ』は映画化されるのか。本誌で「オトメゴコロ乱読修行」を連載する編集者/ライターの稲田豊史氏は、岡崎ファンとして「岡崎京子のベストは、これじゃない」と否定する。

「『リバーズ・エッジ』以前の岡崎作品は、これほどシリアスで“マジ”一辺倒な路線ではありません。例えば、個人的なWベストである89年連載の『pink』や90~91年連載の『ハッピィ・ハウス』(主婦と生活社)は、80年代を引きずった軽薄な“なんちゃって”と、本質を突く“マジ”とのバランスが、6:4か7:3程度で絶妙だったんです。

『リバーズ・エッジ』から岡崎作品に入った人は多いですが、旧来ファンからすれば主張が直球すぎて芸がない」

 同作が一般に受け入れられたのは、時代背景によるところが大きいという。94年といえば、雑誌「クイック・ジャパン」(太田出版)が創刊され、渋谷系に括られた小沢健二とスチャダラパーによる「今夜はブギー・バック」がヒットし、電気グルーヴのテクノ・アルバム『DRAGON』が高い音楽性を評価された。また、プレイステーションとセガサターンが発売され、それまで子どもやマニアのものだったゲーム機がクールな娯楽として世界進出。出版では、前年の93年に鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版)や布施英利『死体を探せ! バーチャル・リアリティ時代の死体』(法藏館)が刊行、「死/死体」ブームは翌94年も続いていた。

「日陰者だったサブカルが急に社会で大きな顔をするようになった。これほどサブカルが無敵だったマジック・イヤーは後にも先にもありません。また、94年は阪神淡路大震災とオウム事件の前年で、戦争もテロも遠い国の話。バブル崩壊後とはいえ、そこまで深刻な経済状況でもない。“平和で退屈、だから生きづらい”という贅沢な悩みが若者たちの中にあったのです。退屈な日常の先に何があるかと考えたときに、なんとなく“頭が良さそうに見える”サブカル言説を引用し、虚無感に意味付けすることがカッコいいこととされた。その際、いじめ、摂食障害、セックス、LGBT、ドラッグ、自殺など、若者の社会問題がすべて詰まった幕の内弁当のような『リバーズ・エッジ』は、セックスからも死からも遠い、頭でっかちな“大二病”の大学生あたりが飛びついて語りたがるのに、うってつけのテキストだったんです」(稲田氏)

 平和なら平和に感謝して生きればいいのに、援助交際をして生の実感を得たり、セックスには意味がないと嘆いたり、非日常である死体が美しいと語ったり。冷静に考えれば黒歴史決定のようなことを「カッコいい」と言う風潮があったとは……。時代の流れは恐ろしいものである。その後、この作品のエッセンスは、さまざまな形に姿を変え、受け継がれた。

「絵柄は、アシスタントだった安野モヨコさんが継ぎましたが、作風は『リバーズ・エッジ』ほどシリアスではない。自らの女性性に商品価値を認め、制御しながら生き抜く女子たちという部分は、直接影響を受けてはいないですが、後のケータイ小説や浜崎あゆみのほうが近い。さらに、最近では元AV女優で社会学者の鈴木涼美さんの著作にも似た雰囲気を感じます。殺伐とした場所で子どもたちがよるべなく“ただ生きる”という情景描写は、95年放送開始の『新世紀エヴァンゲリオン』にも通じる部分があるでしょう。また、『リバーズ・エッジ』の舞台である書割のような湾岸の団地や工業地帯の風景は、逆に“絵になる”として“工場萌え”“団地萌え”などの美的感覚にもつながっているのでは」(稲田氏)

 90年代半ば以降、社会は大きく揺れ動いた。同作はそれを予見していたのか?

「『世界がこんなに平坦であり続けるはずがない』という感覚は岡崎さん自身にもあったと思いますし、“デカい一発”を心のどこかで期待している読者も当時は多かった。ですから、翌年の阪神淡路大震災やオウム事件に対する“予兆”めいた意味が、後年の作品評価に追加された側面はあるでしょう。96年に、岡崎さん自身が交通事故に遭われて休筆し、“その先の岡崎京子”が読めなくなってしまったことも、この作品と岡崎さんが神格化されることにつながりました」(同)

 あの頃の若者たちは、どうやって大人になったのか。岡崎の手で解答は出されないまま時が流れた。そして今、平坦ではない日常を生き抜く現役の肉食系女子たちは、『リバーズ・エッジ』をどう受け止めるのか。次記事『映画の主題歌を書いた小沢健二って誰?GO-GOダンサーたちが『リバーズ・エッジ』を読む!』で語り合う!

(取材・文/亀井百合子)

ビギナーはこれだけ読めばOK?岡崎京子マンガ名作3選

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【1】いじめ、セックス、ドラッグ……
『リバーズ・エッジ』

(宝島社/1994年)

雑誌「CUTiE」(宝島社)に1993~94年に連載された作品。舞台は、淀んだ河の近くの高校。若草ハルナは、彼氏の観音崎が執拗にいじめている山田一郎を助けたことをきっかけに、彼の“宝物”を見せてもらうことになる。それは、河原に放置されていた死体だった。田島カンナという彼女がいながらも、実は同性愛者の山田。暴力的な観音崎。過食嘔吐を繰り返す後輩でモデルの吉川こずえ。中年男性と不倫しながら、観音崎ともキメセクを楽しんでいる同級生の小山ルミ。彼らが暴走し始めたとき、すべてが壊れていくのだった――。


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【2】80年代的な軽薄さと愛の形
『pink』

(マガジンハウス/1989年)

OL・ユミは、ペットのワニのエサ代を稼ぐために夜はホテトル嬢をする。ユミは継母の愛人である大学生ハルヲと付き合い始めるが、それを知った継母がユミのワニを誘拐し……。岡崎自ら「愛と資本主義」とキャッチコピーをつけた作品。


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【3】崩壊する全身整形のトップスター
『ヘルタースケルター』

(祥伝社/2003年)

95~96年に連載されたが、岡崎が交通事故に遭ったため未完。03年に単行本化された。12年に蜷川実花監督により映画化。全身整形で美貌を得たりりこはトップスターになるが、繰り返される整形と仕事のストレスで心身が崩壊していく。


風間俊介、中居正広、櫻井翔…東京五輪を目指すジャニーズの戦略

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 平昌五輪が開幕する。各局のキャスター陣が明らかになったが、今回も目立つのがジャニーズタレントの躍進。日テレは嵐の櫻井翔。TBSは中居正広と今やスポーツイベントの顔ともいえる2人。さらにNHKではパラリンピックのキャスターに風間俊介の起用が発表された。

「今や櫻井は日テレのニュースの顔。中居はTBSのスポーツ番組のキラーコンテンツになっていて、早くから決まっていた。風間も前回に次いでNHKに起用されましたが、ジャニーズの中でもグループでの活動をすることなく役者として売り出し中の異色の存在。昨年、高視聴率を記録した『陸王』ではニヒルな銀行員の役で存在感を示した。今年はNHKのドラマに起用される機会が増えると見込まれています。一方、テレ朝は松岡修造という鉄板のスポーツキャスターがいるので、ジャニーズの入る余地はない」(放送記者)

 ジャニーズタレントといえば、歌って踊れるグループとしてデビューし、グループ解散後はソロとなって歌手活動を続ける者はほとんどいない。唯一、事務所を辞めた郷ひろみと田原俊彦が今も歌と踊りを続けている程度。大半は役者やタレントになっていく。

「グループだから歌と踊りのパフォーマンスは成立している。ソロでやっていける人はいません。個人の歌手としての技量では通用しない。それをわかっているから歌手になる人はいない」

 それはグラドルと似ている。彼女たちも水着などでグラビアに露出して世間に認知させ、その後に女優やタレントへと転身する。ジャニーズもグループとして活動して人気を得て、次のステップへシフトしていく。グループ活動は役者やタレントになるための手段に過ぎない。「ジャニーズは本当の芸能人になるための学校みたいなもの」と言われる所以である。

 木村拓哉はすでに「役者」として動き出し、中居は司会を中心としたタレントに舵を切っている。ちなみに、独立した元SMAPの3人は未だにどの方向に進もうとしているのか、不透明な状態が続いている。

「結局、歌と踊りを続けるわけではなく、役者かタレントしか道がないのが現状。役者は人気だけでは通用しない。やはり才能と役者としての技量が最終的にはものをいう厳しい世界。成功者はV6の岡田准一ぐらいしかいない。あとはかろうじて東山紀之と舞台役者に転身したV6の森田剛が役者として通用している。しきりにドラマに出ている後輩たちは事務所の力でドラマの主演を張っているが、テスト的な段階。今のところ、役者としての資質があるタレントがいるかとなると誰もが首を捻ります」

 結局、無難な転身先がタレント。ただし、このジャンルは芸人やバラドルなど参加者が多い激戦区。ジャニーズの人気タレントとはいえ、生き残るのは難しい。そこで新たな進出先として浮上したのが司会、キャスター、そしてスポーツキャスターである。情報番組の司会はすでにV6の井ノ原快彦、TOKIOの国分太一が活躍し、その座を確立しつつある。さらに、ニュースキャスターも慶応卒の櫻井、明大卒のNEWSの小山慶一郎が、学歴を武器に進出している。最近は東山紀之も日曜早朝の報道番組でキャスターを務めるが、「イマイチ。まだ勉強不足」との声が多く、一過性に終わる可能性もある。そして、今後の注目ジャンルがスポーツキャスター。

「爽やかなイメージがあり、タレントとしての価値も上がる」と言われるだけに、元は少年野球チームだったジャニーズにとって格好のジャンル。さらに、二年後には東京五輪が開催される。ジャニーズならずとも芸能界が食指を動かそうとしている美味しい世界。どういう形で五輪に関わるか、先手必勝とばかりに動き出しているのがジャニーズ軍団。中居も櫻井も平昌五輪キャスターは前哨戦。ここで実績を作って東京五輪のキャスターにステップアップを狙っているという。中居は実績から、ジャニーズが特にプッシュしなくても当確。櫻井はジャニーズの中でも超エリート扱い。ゆくゆくはキャスターを本業とすると言われているだけに、「事務所が力を入れている」と言われている。さらに、NHKでスポーツ番組の司会をしている嵐の相葉雅紀。一時、フジテレビでスポーツを担当していた国分も返り咲きを狙っているという。日テレでプロ野球のゲスト解説を担当している亀梨和也も、五輪の野球限定でのキャスター就任の声も出ている。テレビ関係者が話す。

「ジャニーズはタレント総出で開会式か閉会式のイベントに参加することを目標にしている。さらに総合演出をジャニー喜多川が狙っているという話まである。テレビ各局にもジャニーズタレントがキャスターでなくとも、なんらかの形で関わる。そんな野望もあるそうです。今後、スポーツジャンルへのジャニーズの進出はさらに本格化することになるでしょう」

 まるで五輪はジャニーズのためにあるかのようだ。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

もはや「ちゃん」ではなく「先輩」――【安室奈美恵】を愛してマスカット

『安室奈美恵』

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9月20日、自身のHPで来年9月16日に引退することを発表した歌手の安室奈美恵。引退に向けて「MAXとの共演あるか?」という声も上がっているが、個人的には『ポンキッキーズ(フジテレビ系)時代に鈴木蘭々とやっていたシスターラビッツの復活を望んでいる。


 歌手・安室奈美恵の引退発表に日本中が揺れた。ファンの人もそうでない人も、一時代を駆け抜けた歌姫の引退を、惜しみ、悲しみ、そしてこれまで勇気づけられてきたことに感謝するなど、さまざまな思いが交錯している。そんな中、私が安室ちゃんの引退について感じるのは「悲しみ」でも「感謝」でもなく、ただ「恥ずかしい」という気持ちである。

 安室ちゃんなどと気安く呼んでいたから気づかなかったが、彼女は私の1コ下。今さらながら「1歳しか違わないのか……」という事実に愕然としている。

 例えば、羽生結弦とか大谷翔平ぐらい年が離れていると「いや~天才ってのはスゴいね~」などと大人ぶった態度で負けを認めながらも、どこか別次元のこととしてとらえてしまいがちだ。だが、これが同年代となってくると「俺は今まで何をやっていたんだろう……」と焦るというか、急に「こんな自分が恥ずかしい」という気持ちになってくる。もっと早く気づけよという話ではあるが、若い頃は「メジャーなものは避ける」というサブカルクソ気質だった私は、安室ちゃんが売れてくるとMAXのほうに興味がいってしまい、安室ちゃんのことは「そこそこ年下の女の子」という印象で止まっていたというのが正直なところだ。

 ただまあ、気づいていたところで20年以上前からその差は歴然なわけで、安室ちゃんが19歳の頃、すでに「SWEET 19 BLUES」で人気は絶頂。私の19歳の頃といえば、現役での大学受験に失敗し、事態を重く見た両親がなぜか、縁もゆかりもない土地に私を送り込み、ひとり浪人生活を送っていた時期だ。「もうすぐ大人ぶらずに 子どもの武器も使える いちばん旬なとき」を棒に振っていたのである。

アグネス・ラムを追った芸能記者の珍道中……ハワイで起きた直撃取材の恐怖

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前回の記事はこちら

 ハワイ出身のモデルでタレントのアグネス・ラム(現在61歳)が日本の芸能界を席巻したのは75年頃だった。ハワイで日本の芸能プロ関係者にスカウトされ来日。エキゾチックな顔と褐色の肌。見事なプロポーションにビキニ姿がよく映えた。日本のグラビア界を占拠するかのように男性を魅了した。しかし、ブームが去るのは早い。ハワイからやってきた妖精はわずか8年であっさり引退。

「出稼ぎ感覚ですし、年齢を考えれば潮時だったと思います」(元芸能関係者)

 ハワイに戻り普通の女の子として生活を始めるや否や、日本での消息は完全に絶たれた。

 引退から10年以上経った頃、著者は「あの人は今」の目玉としてアグネスの消息を追うためハワイに飛んだ。しかし、何の手掛かりもない。アグネスのグラビア写真を持って聞き込みすれば居所ぐらいわかるだろうと、日本での取材感覚でいた。ところが、出身地のオアフ島、ホノルル界隈で聞き込みしても、「誰、この子?」と彼女を知る人はいない。そもそも現地の人たちは、アグネスが日本の芸能界で活躍していたことも知らない。以前所属していたハワイの事務所も「いたことあるみたいだけど、今はなにをしているか知らない」と言うばかり。途方に暮れていたところ、日本の芸能界で仕事をしていた日系人の元モデルから「結婚したみたい。今はカウアイ島で暮らしていると聞いたわよ」という話が入ってきた。不確かでも取材の基本は確認作業。唯一の手がかりを追うため、飛行機で1時間かけカウアイ島へ向かった。とはいえ、彼女が島のどこでどんな人と暮らしているかも分からない。再び、写真を持って聞き込み。やはり誰も知らない。取材二日目、ようやく「あの辺りの家じゃないかしら」と点在した住宅街を教えてくれた。家に近づけば、昔の写真を見せただけでも「似た人がいる。こんなにスタイルはよくない。ちょっと太っているけど」という情報まで入った。

 ようやく家が見つかった。遠くに海が見える小高い住宅街の道路を挟んで綺麗な芝生が敷き詰められた先にその家はあった。日本と違い、塀やインターホーンもなければ、どこからが敷地なのかの判別も付かない。仕方なく中に入り玄関のドアを叩いた。なかなか出てこない。裏へまわり様子を見ていると、突然、ドアが勢いよく開いた。出て来たのは口ひげを生やしたイケメン風の白人。見ると彼は銃を持ち、すでに銃口はこちらに向けられていた。一緒にいた現地のコーディネイターとともに両手を上げた。立ちすくむとはまさにこのこと。小便がちびりそうになったのを覚えている。聞くと「人の家に不法侵入した。君たちは撃たれても文句を言えない」という。これがアメリカのルールだと痛感した。日本のルールは通用しない。

 事情を説明して難は逃れたが、アグネスの取材に関して「もう日本の芸能界とは関係ない」とあっさり断られた。

 家と亭主は確認したが、肝心なアグネスの姿は見ていない。話はダメでも近影だけは必要。新たに聞き込みをすると、「夫はフィッシャーマン(釣り師)で、アグネスは昼間、スーパーのレジで働いている」という確かな情報を得た。翌日、大型スーパーに向かった。レジがいくつもあり、アグネスがどこのレジにいるのか確認するだけで一苦労。ようやく見つけた。かつてのアイドルの面影はない。ちょっと太り、顔のソバカスが目立つ普通のおばさん。それでもよく見れば、目元の可愛らしさは変わらない。

 直撃する前に望遠レンズを使い、レジで働くアグネスの姿を撮影。後は直撃するタイミングを待つだけ。買い物する客を装い、レジで話しかけるも「ノー」と叱られる。
帰りを待ち再度、直撃するも、またしても「ノー」と激怒され、話を聞くことはできずにカウアイ島を後にした。アグネスを探してハワイ滞在5日間の取材は終わった。海外取材の難しさを痛感した貴重な体験ではあった。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

サバイバー女子が語る「わたしの包丁恐怖症」克服までの道のり

――虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。

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包丁を見ただけで片腕が麻痺した学生時代

「ロティは、肉をあぶったり蒸し焼きにすること。ピカタは、小麦粉と卵をまぶして焼いたもの。最近老人ホームでめちゃくちゃ料理してるから、こういうの詳しくなっちゃうんだよね」

渋谷区の美術館に併設されている小洒落たレストラン。メニューをのぞきこみながら、ちょっと得意げに教えてくれたのは、介護職勤務のモーちゃん(仮名・26歳)だ。切れ長の目で話し方もクールな印象だが、笑うとえくぼでできて途端にチャーミングになる。恋人が選んでくれたという柔らかな素材のスカートがよく似合っていた。

認知症高齢者グループホームに勤務。今でこそ一度に20食もの料理をつくることがあるというモーちゃんだが、実は社会人になるまで「包丁」にほとんど触れることができなかった。それどころか肉眼で直視することもできなかったという。「母親に包丁を向けてくる映像が蘇ってきて、とにかく怖かった」とモーちゃんは当時を振り返る。時には片腕が突然麻痺し、ダラリと垂れ下がったまま動かなくなることもあったらしい。彼女もサバイバーだ。母親の顔はどうしても思い出すことができない。

「食」と「虐待」は、サバイバーにとって密接な関わりがある。心の葛藤から拒食症や過食症に陥るケースもあれば、食事と体罰がセットになった結果、食事の時間になると吐き気を催す子どもいる。わたしもそうだった。モーちゃんの場合は食事を与えてもらえなかった、ネグレクトと身体的虐待の併合型である。彼女が「食」を心から楽しめるようになったのは、何がきっかけだったのだろう。

「ごはん」を獲得するために必死だった

父は会社員で母は専業主婦、弟と一緒の4人家族。幼少期は、首都圏のとある住宅街にあるマンションで暮らし、ダイニングにはシャンデリアとカウンターキッチンのある今風のつくりだったという。

「写真を撮るのが父親の趣味だったから、家の中には引きのばした写真がたくさん飾ってあったよ。朝日に照らされた富士山とか、わたしたち子どもの写真もあったかな」

いかにも幸せな家族の城といった様子だが、父親の不在時、そこは恐怖の館に変わる。母親から、「放課後は遊ばずに帰宅して、皿洗いなどの家事を手伝うように」と命じられていたモーちゃんだったが、キッチンから呼び出されたときに少しでも返事が遅いと厳しい罰があったのだ。髪の毛を引っ張られながらフローリングの床を引きずられ、蹴ったり殴られたりしたという。頭をぶつけた床の硬い感触は忘れない。モーちゃんの両足には少し麻痺があったが、容赦はない。母親の気が治まると、無言で夕食の準備を手伝ったそうだ。

どんな理不尽な理由であれ、まだ10歳にもならない子どもにとってオトナの裁きは絶対だ。特に親のつくった法律には必死で合わせようとする。「呼び出しに瞬時に答えられるようにしなければ」とモーちゃんがとった改善策は、常にキッチンに一番近い玄関で待機することだった。しかし、健気な努力が報われることはなかった。母親の暴力は止まず、さらに、手伝いが終わると彼女を玄関に追い出し、キッチンのドアに鍵をかけたという。ガラスの向こうでは、弟がおいしそうにごはんを食べている。その姿をずっと見続けていた。

「つまり、それ以降わたしの食事はなくなったってこと。玄関の脇が父親の書斎だったんだけど、お菓子もらってなんとか食いつないでたよね。父親がいるとき普通にごはんを出してもらえてたけど、学校の給食がなくなる夏休みは、空腹でフラフラになって本当にきつかった」

両親の離婚、自殺願望、自分が自分じゃなくなる感覚

もう限界だと感じたある日、思い切って父親に母親からされてきたことを打ち明けたという。当然のごとく父親は怒り狂い、壮絶な夫婦喧嘩の後で離婚。小学3年生にして、母親や弟と離れ、隣県の父親の実家に引き取られた。「自分のせいで家族が離れ離れになってしまった」と自分を責めたモーちゃんだったが、一番つらかったのは、父方の祖母や伯母たちに「虐待の証拠」として裸の写真を撮られたことだという。

「こんなに痩せて……って泣かれたときに、ようやく自分がされてきたことを認められたんだ。でも、それは同時にすごく惨めな気持ちだった」

胃が縮小していたから、一人前の食事を心置きなく食べられるようになるまで、まる2年かかったそうだ。新しい住まいでは祖母が毎食ごはんを作ってくれた。ようやく安心できる場所に逃げられたと思ったが、その期待は裏切られる。

「実はみんな頭に血が上ると見境がなくなる性格だったらしく、いさかいと暴力の絶えない家だったの。原因はお金の貸し借りとか、いろいろ。わたしはつねられたり突き飛ばされたりする程度だったから、前に比べたら全然マシだったんだけどね。なんかもう疲れちゃって」

高校生のときに、抑えきれない自殺衝動が襲ってきた。家族に精神科受診を希望するも「その必要はない」と拒否され、仕方なく自分のお小遣いをやりくりしてこっそり病院へ通った。うつ状態、PTSD、自分が自分でなくなる感覚――。精神科での治療は、過去のつらい体験をわざわざ詳細に思い出して主治医に話さなければならない。それはセカンドレイプのように、地獄の追体験をさせられるような計り知れない苦痛を伴う。18歳の女の子がたった一人で闘うには、大きすぎる敵だった。

家のキッチンに入ると、包丁をつきつけてくる母親の映像が浮かんできて、左手が麻痺したように感覚を失ったという。大学生になっても、それらの症状が治ることはなかった。

『君はあの家にいたら壊れてしまう。僕がなんとかするから』

そんな先の見えないモーちゃんを救ってくれたのは、共通の知人の紹介で出会ったワタルさん(仮名・35歳)だ。音楽やマンガの趣味がぴたりと合い、自然な流れで交際が始まった。
「彼には家のことも全部話してたんだけど、そしたら『君はあの家にいたら壊れてしまう。僕がなんとかするから』って実家を出ることを勧められたんだよね」

「一人暮らしをする」と言っても家族は許してくれなかったから、二人で計画して準備を進めた。そして、冷たいビル風が切りつける2月のある夜、大学に書類を忘れたふりをしてモーちゃんは家を出た。家族に怪しまれないように携帯電話と財布だけを持ち出して、玄関からは最寄りの駅を目指して無我夢中で走った。

その道を実際に案内してもらった際、モーちゃんは当時の心境を振りかえった。「逃げ切ってやっと彼に会えたときは、うれしいやら悲しいやら、もうぐちゃぐちゃだったよ。実家を捨ててきた罪悪感や安堵感も噴出してさ……、もう言葉にできない……言葉にできないよね」と困ったような顔する。わたしが「それは例えば、小田和正の歌みたいな?」と聞くと、「そうそう!」と鈴を転がしたように笑った。

深刻な話の締めには、笑いを挟むのがモーちゃんの習慣だ。もしかしたら、笑うことで、辛い記憶や直面している課題をどうにかプラスに変えようとしているのかもしれない。

家出後は、友人宅で数日身を隠した。そしてワタルさんの家で同棲生活がはじまる。ワタルさんはパートタイマーの身。質素な生活ではあるが、布団や洋服などの日用品はすべて彼が用意してくれたという。

*

モーちゃんから「婚約者に会わせたい」というLINEがあって、都内のとんかつ料理店で待ち合わせたのは、その年の末だった。

奥の席で並んで座っていた二人は、遅れて入って来たわたしの姿を認めると、かしこまって席を立ちお辞儀をした。ペアルックにも見える黒いセーターが初々しい。ワタルさんは理路整然とした話し方をする頭の良さそうな人だったが、恋人同士の会話には、しばしば幼児言葉が混じっている。今は他人のわたしに気をつかっているが、家では子どものようにじゃれ合っているのだろう。

3人でとんかつを食べる。窯焼きパンをくだいて作ったという衣は、さくさくと軽やかな歯ごたえ。自然に「おいしいね」と笑顔がこぼれた。「安心できる人と場所で」「温かいご飯を」「笑いながら食べる」。多くの人にとっては当たり前のこの日常行為が、一部のサバイバーには手に入らないとさえ思える「夢」なのである。この夢をモーちゃんが手に入れたことの意味は大きい。

同棲生活は、決して楽な道のりではない。心の病を抱えたまま誰かと暮らすためには、「お互いが安心できるためのルール」を構築していく必要があった。古いアパート暮らしで家計も切り詰めている。でも、そこには日々の小さな幸せがある。

今では交流を復活させつつある実家で、モーちゃんが包丁を使う様子を見せてもらった。ぬか漬けのキュウリをテンポよく切る。器に盛ろうと持ち上げると、それらは残念ながらごっそり繋がっていた。「中国の飾り包丁みたいじゃん」とフォローすると、「あるある!」と威勢よく相槌を打ち、また笑う。

まだおぼつかなくはあるが、その手でモーちゃんは今、自分やワタルさん、老人ホームで待つ「じいちゃん、ばあちゃん」のために一生懸命食事をつくる。大切な人とごはんを食べる幸せをかみしめるために。

(文/帆南ふうこ)

宮沢りえの歴史で振り返る、女優の「激ヤセ報道」に隠された意味

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『STYLE BOOK』(講談社)

 人気若手女優の桐谷美玲(28)の「激ヤセ」が話題になっている。「ウエストが異常に細い。40キロを切っている」「痩せ過ぎ。男の悩みか」などネット住民も騒いでいる。激太りは「食べ過ぎ」など笑いで事は済むが、激ヤセはあらぬ噂を呼び、女優としてのイメージへの影響は決してよくない。「ヘタすれば、体型が役に合わないなどの理由で映画・ドラマのキャスティングオファーにも影響する」(映画関係者)

 かつて、激ヤセが大きく騒がれた女優がいる。今や日本を代表する女優となった宮沢りえ(44)が激ヤセしたのは、20代半ば頃だった。貴花田(貴乃花親方)との婚約破棄以後、故・中村勘三郎との不倫疑惑など話題になるのは恋愛話ばかりだった。更には京都のホテルで手首を切るという自殺未遂疑惑まであった。「部屋のバスルームで誤ってコップを落として、手を切った」という説明だっが、著者が実験したところ、思いっきりコップを床にたたきつけなければ割れなかった。「勘三郎との不倫で悩んだ結果」という疑惑が浮かんだが、真相は明かされないままに終わった。激ヤセしたのはその後の事だった。「体重は30キロ台では」と言われるほど確かに激ヤセしていた。度重なる悲恋による精神的なものから「拒食症」が原因と囁かれていた。実際、麻布の中華料理店で関係者らと食事する宮沢を見たことがある。ちょうど化粧室に立った時に著者の前を通った。「これが大人の女性なのか」と思うほど、横から見た体型はまるでベニヤ板のように薄かった。まさにガリガリ。映画出演どころか、普通の生活ができるのか?という疑問さえわいた。「精神的な影響で食事がとれない」という拒食症と思われていた。芸能関係者はこんな情報を教えてくれた。

「青山の高級寿司店のカウンターで宮沢が知人と食事していたのですが、宮沢が“まぐろ”と注文すると、板前は心得たもので握りのサイズがなんと、大人の親指ぐらいのサイズで握って出す。それを一口でゆっくり食べていました。でも、食べた数は五カンぐらいだったと思います。やはり食べたくても食べられない。それを目の当たりにしたときは目が点になりました」

 女優の激ヤセは仕事にも影響する。「痩せすぎるとどんなに演技が上手くても見映えしない。オファーする側も躊躇する」(映画関係者)

 女優として窮地に追い込まれていた宮沢に舞い込んだのが山田洋次監督・真田広之主演の「たそがれ清兵衛」の相手役だった。公開は2002年。宮沢が29歳の時である。映画は大ヒット。宮沢は女優として完全復活を果たした映画となった。

「激ヤセをごまかすには着物姿で通せる時代劇しかない。山田監督の目の付け所が当たった。着物姿が日本人女性らしい美しさと色気を増し、細くなった顔もぴったりハマり、新たな宮沢の一面が認識された映画だった」と業界内でも評判を呼んだ。

 映画のヒットは激ヤセ騒動も吹っ飛ばした。宮沢も吹っ切れたようにその後の女優業は順風満帆。大女優への階段を昇り詰めていった。仕事と比例するように恋も変わり、より奔放になった。

「りえママに仕事も付き合う男も規制されていたのが、ようやく母親離れができるようになったのが大きい。肩書きのある男に限定されていた恋愛は変わり、一般人ともするようになった。恋愛する姿は自然体で生き生きとしていた。自然に食欲も戻り、ふっくらとした本来の色っぽい体型に戻った。恋愛や結婚は失敗した感もありますが、逆に恋愛が彼女を女として強くしたし、妖艶さを増すことになった」と関係者は分析する。バツイチとなっても恋愛を重ねた。無名の若手役者との恋愛をまるで「芸の肥やし」のように繰り返し、現在はV6の森田剛(38)。

「好きなように恋愛している感じです。森田とも盟友のような関係。決して再婚に拘っている様子もない。余裕の恋愛に見える」(芸能関係者)

 17歳でフンドシヌードを披露して27年。少女は今や日本を代表する女優となった。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

キモは「現地コーディネーター」!年末年始恒例・芸能記者ハワイ取材の裏表

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 大リーグにサッカーと今や海外取材は当たり前になっているが、スポーツと違い芸能に限ると、そう海外取材はない。

「映画の海外ロケであご足付きで海外に行くくらい。取材対象者も日本の芸能人。スポーツ紙にとってはオイシイ仕事と言われています」(スポーツ紙記者)

 芸能ニュースは基本的に日本で起こり、国内取材が基本形。たまにあるのが正月をハワイで過ごす芸能人たちの取材。最近は一部のレポーターが現地に行くくらいで、ハワイ取材から撤退する傾向にある。

「正月にハワイへ行くのは家族など無難な人とばかり。取材場所はホノルル空港に到着後の空港ロビーを出たところと決まっている。毎年、同じような芸能人が同じ場所でインタビューでは関心度も薄いし、余計な経費を使うだけムダ」(芸能デスク)

 一時はテレビ、新聞、週刊誌と各誌が競い合う場になっていたハワイ。記者とカメラマンが通常の形だが、それに加えて英語が話せて現地を知るコーディネイターを使うのが大半。

 コーディネイターは車の運転から道案内、現地の情報まで調べる。腕利きのコーディネイターになると、いくつかの社と値踏みをしてギャラが高いほうになびく。それでも使う人によって取材力は大きく変わってくる。例えば、誰がどのホテルに泊まっているとか、どんな店に行っているか、調べ上げてくる者もいた。著者は旧知のサムという日系人をいつも使っていた。

 12月に入るとまず野球選手が優勝旅行でハワイに来る。スター選手となれば、羽目を外した写真を撮りたいが、そううまくいくものではない。西武ライオンズ時代、スター選手として注目度の高かったのが清原和博。徹底マークするも、これといったシャッターチャンスがない。今では考えられないほど真面目だった。海辺に出ても、ぼーっと散策するだけ。チラッとビキニ姿の金髪美女に目じりを下げるが、声をかけるわけでもない。こういう時に機転を利かせるのがコーディネイターの腕。サムは「金髪美女を何人か集めて、彼に群がせたら」と提案。言うは簡単だが、やるとなると難しい。ところが、いとも簡単にサムはビキニの金髪美女を4人用意。清原に声をかけさせた。「キヨハラさーん」と群がった。もちろん、彼女たちは清原が有名な野球選手ということなど知らない。仕込みである。

 清原もまんざらでもない。「俺はハワイでも有名なんだ」と得意満面の笑顔。

「金髪美女に囲まれる清原」というグラビアができた。このぐらいの事ならコーディネイターにとっては序の口の仕事。

 やっかいなのは渦中の人の張り込みや突撃。拘置所に収監されている元暴力団幹部への取材があった。ハワイの収監所は塀で囲んであるが、日中は塀の近くの広場で収監されている者が三々五々、自由に運動や日光浴を楽しむ。ハワイならではの光景がある。そこで金網の塀越しに直撃が可能という。道路から空き地を隔てた金網に向かった。サムはすかさず近くの人に声をかけ、幹部の名前を言い、呼んできてもらった。御礼はタバコのみ。A氏がやってきた。そこで私と交代。話し始めたときだった。突然、背中に銃を突き付けられた。「両手を上げ後ろを向くと」2人組のポリス。「なにをやっているんだ」と凄んできた。殺されるのではと震えたのを覚えている。返答に困っているときにトイレに行っていたサムが戻ってきた。ポリスに事情説明。事なきを得たが、ポリスは「お金を払えば、見て見ぬふりをしてやる」という話を持ち掛けてきた。翌日、金を払いA氏と金網越しのインタビューという珍取材に成功した。

 こんな緩いのも当時のハワイならではだった。裁判の傍聴も係官にお金をこっそり渡せば、テープもカメラも持ち込むことができた。ただし、中で裁判官に見つかったらアウト。さすがにカメラは使えなかったが、裁判の内容はテープにばっちり収めることができた。それでも、お金ではどうにもならない恐い体験もある。それは75年代に日本の芸能界に旋風を起こした、元祖・グラドルのアグネス・ラムの直撃だった。
(以下、次回)

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。