水原希子もついに「#MeToo」告発! 広告業界とカメラマンは戦々恐々か?

1804_mizuhara.jpg『水原希子フォトブック KIKO』(講談社)

ハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ疑惑報道をきっかけに広がったセクハラ被害に声を上げる「#MeToo」の輪が、日本にも波及している。

 先日、モデルのKaoRiが写真家の“アラーキー”こと荒木経惟氏に被写体として尊重されなかったことをブログで告発したことを受け、今度は女優の水原希子が4月9日に更新したインスタグラムで、自身も性的被害にあったことを告白したのだ。

「水原は20代前半の頃にある企業の広告撮影で上半身裸になって手で胸を隠して撮影をする仕事があったといい、その時だけなぜか上層部の社員20人くらいがスタジオに来たので、裸だから撮影中は見られたくないと伝えたところ、写真を確認しなくてはならないからという理由で、結局大勢の男性に裸を見られる環境で撮影を強いられたのだとか。そして、『荒木さんあなたにとって女性とは一体何なんですか?』と名指しで批判しています」(芸能記者)

 また、2月に放送されたネット番組『必殺!バカリズム地獄』では、人気グラドルの葉加瀬マイが撮影現場のカメラマンによるセクハラ発言について激怒する一幕があった。

「葉加瀬はカメラマンから『マイちゃんは、どこが感じるのかな?』と言われたことをあげ、『グラビアの現場って、セクハラ発言バンバンですよ』と怒りを爆発させていました」(芸能ライター)

 これまでも、カメラマンによるセクハラ問題はたびたび漏れ伝わってきたものだった。グラビア関係者が言う。

「カメラマンSによる被害は特に有名です。雑誌の表紙撮影では被写体と2人きりになり、陰部に指を入れられて泣きながらスタジオから出てきた有名アイドルが大勢いたといいます。また、同じく大御所のKは“ハメ撮り風”に撮る企画で、ワインを片手にハメてしまい、大問題に発展したことも。このとき被写体の一人が性病を患っていたのですが、その子だけ一切撮影しなかったそうです」

 水原のSNSは多方面に拡散し話題を呼んでいるが、「Me Too(私も)」と声をあげる有名タレントがほかにも登場するのか。身に覚えのあるカメラマンや関係者たちは戦々恐々だろう。

【山田杏奈】「“ぐちゃ”っていうのが、イイんです」弱冠17歳、未来の大女優、見参!

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――プライベートではマンガや小説を読みふけっているという新人女優が、「復讐する女」を演じきる!

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(写真/岩澤高雄)

“トラウマ作品”として熱烈な支持を集めるマンガ家・押切蓮介の代表作『ミスミソウ』が実写映画化。壮絶ないじめの果てに復讐劇を繰り広げる主人公・野咲春花を、映画初主演となる山田杏奈が演じている。

「初主演はキラキラした恋愛ものかなって勝手に思ってたんですよ(笑)。でも、こういう振り切った作品をやらせていただくことがすごく大切な経験になったし、今は『ミスミソウ』が初主演でよかったなと思ってます。撮影中から想像しながら演じてはいましたが、完成した作品を観たら想像以上にグロかったですけどね(笑)」

 復讐者という特殊な役どころだが、役作りにはあまり苦労しなかったという。

「静かで落ち着いた女の子というイメージで演じたんですけど、私自身“さめてる”と言われることが多いので、実際の私と離れてはいないのかなって。友達と遊ぶのも好きだけど、家で音楽を聴いたりマンガや小説を読んでるのが好きなんです。好きな作家は、湊かなえさん。最近は藤野可織さんの『爪と目』が面白かったです。人間のドロドロした闇が見えるような作品をよく読みますね」

『ミスミソウ』もまた、彼女の好みのタイプの作品なんだとか。

「トラウママンガやバッドエンドが好きなんです(笑)。原作は中学3年生の頃に読んでいて、オーディションのお話をもらった時に“実写化するんだ!”って驚いちゃいました。内藤瑛亮監督が『ライチ☆光クラブ』や『パズル』でも描いていた、特殊な空間で人が狂っていくようなところは『ミスミソウ』にも通じるところがありますし、あとは、バイオレンス要素というか“ぐちゃ”っていう感じもそうですね。あと、撮影のときにメイクさんが私の額に返り血をつけていたんですけど、監督が“ちょっといいですか”って自分でメイクをしてくれたんです。血糊つけるときが一番楽しいっておっしゃってました(笑)」

 筆者も“ぐちゃ”は嫌いじゃない。笑顔で語る山田杏奈もまた、底の見えない女優なのであった。

(文/森野広明)
(スタイリング/杉浦 優)
(ヘア&メイク/安海督曜)

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山田杏奈(やまだ・あんな)
2001年1月8日、埼玉県生まれ。『ちゃおガール2011☆オーディション』でグランプリに選ばれ芸能界入り。主な出演作にNHK大河ドラマ『花燃ゆ』、映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』『咲-Saki-』など。

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『ミスミソウ』
東京から田舎の中学校に転校してきた野咲春花(山田)は、陰惨ないじめを受け、ついには春花の家族が焼死する事件が発生。春花の復讐劇の火ぶたが切って落とされる――。4月7日、新宿バルト9ほかにて全国公開!


[衣装協力]
ワンピース(6万8000円)/ソマルタ(エスティーム プレス/03-5428-0928)

リベンジするには、「西内秋名」に改名すべし!?――2018年の【まりや】

『西内まりや』

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昨年「週刊文春」(文藝春秋)で、活動方針をめぐり事務所と揉めていると報じられた西内まりや。今後マネジメント契約を更新しない意向で、引退説も出ていたが、「女性自身」(光文社)3月6日号では否定。いざという時は、引退ではなく卒業と言っておけば、大抵のことはお茶を濁せると思う。

 今さら説明するのもなんだが、この連載は、炎上やバッシングを受けている女性有名人を擁護して、あわよくば心の隙間に入り込んでやろうと妄想する企画である。

 そういう意味でいくと今回の西内まりやは、少々勝手が違う。昨年、事務所と揉めて活動休止。「引退か?」とまで言われていた時点では、なかなかの好物件だと思っていた。だが先日、「女性自身」(光文社)の突撃取材を受けた際、引退を否定したのである。マンションから一緒に出てきた、恋人であるモデル・呂敏が見守るなかで。

 ……もう、支えている人がいるじゃん。しかも結構がっつりと。付け入る隙など微塵もない。なんだろう、「それでもまだ、アタシを擁護できるの?」と彼女自身に覚悟のほどを試されているような気分だ。

 しかもこの呂敏という男、以前にも小島瑠璃子と噂になっていなかったか!? どうしてこう我々の邪魔ばかりするかな。世間は、もっとこの男を叩くべきではないだろうか。検索に「呂敏」と入力したら「ずるい」と出てくるぐらいの勢いで。

森田剛の結婚と岡田准一の結婚の違い――ジャニーズの結婚に新たな地図

ジャニーズの結婚に新たな地図の画像1

 “V6”の岡田准一(37)が女優の宮崎あおい(32)と結婚したのに続き、今年3月に同じ“V6”のメンバー・森田剛(39)も女優の宮沢りえ(44)と結婚を発表した。これでグループは6人中、4人が既婚者のアイドルグループとなった。

 年齢的にいえば、今回の2人も含めすでに三十代後半。社会的には結婚適齢者。結婚してもおかしくないが、ファンにとっては今もジャニーズのアイドル。結婚どころか、熱愛だけでもファンからはブーイングが出る。人気にも影響する。それでも結婚を決意した背景にはタレントの意識変化が見て取れる。

 かつてジャニーズは「結婚するなら事務所を辞めてからにして」という暗黙のルールがあったという。芸能プロ関係者によれば、「結婚すればファンが離れる。人気も落ちれば仕事もなくなる。結婚か仕事を取るかと言われれば、せっかく築いた人気を捨てることはできず、結婚を諦めることになる」という踏み絵みたいな縛りがあったという。それを変えたのが2000年の木村拓哉(44)の結婚。工藤静香との“デキ婚”は世間を震撼されるほどの衝撃だった。

 当時、グループの中でもトップの人気を誇っていた木村が結婚。周囲は反対したが、2人の意志は固く幹部は結婚を許諾。条件としてツーショットを見せることはもちろん、木村が妻の工藤静香や子供の話をするのはNGとされていたという。しかし、ジャニーズ内で「僕たちも結婚できる」という意識変化が起き、徐々に結婚は許されるようになっていった。今では年中行事のように1人、2人と増えていった。岡田、森田の結婚もその流れに過ぎないが、結婚した流れはそれまでとは異なる。岡田の相手、宮崎はバツイチ。しかも「不倫の末に」という疑惑もかけられていた。周囲の反対を遮るように岡田は実に堂々と交際していた。ドライブに買物デートが週刊誌に撮られていた。さらには昨年夏に完成した豪邸。2人の新居とするのは見え見えだった。

「交際をオープンにすることは、世間にも事務所にも暗黙のうちに“結婚します”と宣言したようなもの。反対できない状況を作った。岡田はアイドルというよりすでにジャニーズを代表する役者。事務所の後押しがなくとも、役者としてやっていけると自信を持っているし、映画界でも今後を背負う役者とまで評価されている」(テレビ関係者)

 結婚で人気も仕事も失うことはない。という自信が岡田にはあった。

 一方、森田の相手の宮沢はバツイチにして8歳になる娘がいるシングルマザー。岡田以上にハンデがあり、結婚への障害も大きかった。演劇関係者によれば、「2人は本格的な舞台役者。仕事を通じての仲。傍から見ても相思相愛でした」と周囲も認めるベストカップルだったという。

 2人の交際は岡田以上にオープンだった。都内のレストランでのデート。宮沢の家に通う森田の姿。沖縄や京都に仲良く旅行と、人目を気にする様子はまったくなかった。障害は内にあり。最大の障害は娘の問題。宮沢にとっても再婚に求める絶対条件は娘との関係。仲良くやっていけるかにあった。芸能関係者が話す。

「宮沢は将来、娘を女優にしたいという思いがある。宮沢自身が母親から芸能界を薦められたように、遺伝子みたいなものでしょう。役者として認める森田は好都合な相手。少しずつ慣れていき、今では父子のように仲がいいと聞きます」

 娘との良好な関係で結婚の決断を下した。

 岡田はバツイチ、森田はシングルマザーと、事務所の結婚許容範囲も広がったことを意味する。次はどんな相手と結婚するアイドルが出てくるのか?それとも婚約会見や結婚披露宴を開くまでになるのか?

 ジャニーズの結婚事情はさらに進化を続ける。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

元オリーブ少女たちが崇拝する「小沢健二」という偶像――ネット時代に逆行する”不可侵性”の正体

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

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 岡崎京子作品の中では少々神格化されすぎの感もある『リバーズ・エッジ』の実写映画化が、アラフォーサブカルクラスタの間で小規模な話題となっている。鑑賞者の評価としては、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』並みに賛否真っ二つ(筆者調べ)だが、そこは深掘りすまい。ひとつだけ言うなら、同作の本編部分は、エンドロールで流れる小沢健二(オザケン)の書き下ろし新曲「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」を気持ち良く聴くための壮大な前説、超長尺のPVだと考えれば、筆者も含めた全員が幸せになれる。

 94年に単行本化された『リバーズ・エッジ』が批評界隈で絶賛を浴びた岡崎京子と90年代の渋谷系音楽シーンに君臨したオザケンは、世代的にも嗜好的にもファンのかぶりが多い。というわけで良い機会なので、今回はアラフォー都市型文化系女子の一翼を担う「オザケン好き女子」について考えてみたい。

 オザケン好き女子の属性としてよく挙げられるのが、「元オリーブ少女」だ。オザケンは94年から97年にかけてマガジンハウス発行の雑誌「Olive(オリーブ)」にエッセイを連載していたが、その時期に10代後半~20代前半だった女性読者に占めるオザケンファン率は高い。彼女たちは都会的で知的でファッショニスタでサブカル(棒読み)なライフスタイルに憧れを抱き、教室の「普通のコ」たちとは一線を画したハイなセンスをもって音楽も映画も文学も読み解ける私(悦!)、という自負を燃料に90年代を駆け抜けた。オザケンファンと90’sオリーブ少女が完全に一致しているわけではないが、ベン図的にはそれなりに重なっている。

 引用を多用するオザケンの楽曲や、平易なリリックに潜む深い文学性は、知的でありたいサブカル大好きっ娘たちの「読み解き欲」を大いに刺激した。また、当時の小沢が「王子様」と呼ばれたゆえんでもある、中性的で薄口醤油なご尊顔、照れもなく恋人を「仔猫ちゃん」と呼んでしまうキラキラ感、「東大卒」「叔父が世界的指揮者の小澤征爾」といったサラブレッドスペックなどが、プライド高めで自意識青天井90’sガールたちのハートにクリティカルヒットしたのは、想像に難くない。小室哲哉だのエイベックスだのビーイングだのといったJなPOPが「普通のコ」たちに幅を利かせていた90年代中盤、「シブヤ系」「ブンガク臭」が、彼女たちの選民意識をどれほど刺激&鼓舞したことか。

 オザケンの音楽的功績などはググるなりwikiるなりしていただくとして、注目したいのはブレイク以降の経歴だ。彼は90年代末に突如生活の拠点を米国に移して以降、メディア露出を極度に避け、日本の音楽シーンから思い切り距離を置いて身を隠すようになる。やがて環境問題関連のフィールドワークに身を染めて南米などを行脚しはじめると、以前のポップでラブリーな作風からはかけ離れた、資本主義社会を批判する意識の高い寓話テキストを意欲的に発信して、かつてのファンを少なからず戸惑わせた。10年代以降は徐々に日本のメディアにも姿を見せはじめ、2014年には16年ぶりにテレビ出演を果たし、現在に至る。つまり元オリーブ少女世代である現在のアラフォーオザケン好きは、「教祖が民の前からお隠れあそばした」という信仰上の大受難を10年単位で乗り切った、筋金入りの信者だ。

 ただ、下界再降臨後の教祖オザケンの活動をきちんと追うには、少々骨が折れる。このSNS全盛の「拡散してナンボ」時代に、出される情報も本人の露出も小出しであり、あらゆるメッセージはテクニカルな暗喩に満ち、“プロ”による読み解きを必要とするからだ。

 なぜ彼女たちはいまだにオザケンを崇めるのか。それは、彼が90年代とは別の意味で、今でもやんごとなき「王子様」を実践しているからだろう。「ファンとアーティストの距離が詰まること、即ち絶対善」な10年代においても、オザケンはファン(下民)と容易に繋がらない場所に、意図的に身を置いている。彼個人はツイッターもインスタグラムもやっておらず、下民の使うSNSなどというツール程度では彼に言葉を届けることはできない。

 小沢のオフィシャルサイト「ひふみよ」も、かなり一方的な情報提供と美意識の置き場所としてしか機能していない。「ひふみよ」にはコメント欄もなければ、ツイッター窓もなし。多くのテキストコンテンツは「縦書き文章」を「画像ベース」で読み進めることが暗に推奨されており、昨今のネット流儀(などという下民が求めるリーダビリティ)など気にも留めないサディスティックな貴族っぷりが痛快だ。そこには、「この形式以外で伝える気はさらさらないし、僕の主張については1mmも意見されたくはないんだ」と嫌味なくサラッと言ってしまえる、まことにナチュラルボーン王子様の気概が健在である。フォロワーをひとりでも多く増やそうと躍起になってクソリプにも寛容な心で返信する下民ブロガーのせせこましさなど、歯牙にもかけないノーブルさ。むしろ清々しい。

 ネットとSNSが発達した10年代、アーティストは言わばUGC(User Generated Contents/ユーザー生成コンテンツ)化した。動画共有サイトと同じく、アーティストはユーザーの反応や顔色をSNS等で漏れなく受け取り、時に直接対話し、彼らのニーズにしたがって自分を作り変える。しかしオザケンは、下民がお手軽な手段などでコミットできない、UGCからは最も遠い場所にいる。そこが尊い王子様たるゆえんであり、いまだ根強いファンがついている最大の理由ではないだろうか。ファンはオザケンの「絶対不可侵性」に、歓びとともに跪いている。

 現在のインターネット世界では、下民どもの集合知(という名の衆愚活動)によってカリスマたりとも一瞬で消費&スポイルされてしまうが、オザケンは汚辱にまみれたネット世界の必要悪的機能美なんぞに頼ることなく、一貫してピュアな活動を貫いており、その輝きは(下民たちのクソリプによって)曇ることはない。そう考えると、10数年間という「お隠れ」は、下民が巣食う日本の芸能界やマスメディアという俗世の汚染から逃れるための適切な避難措置であり、彼が王子様として「徳」を積むために必要な天界行脚ターンだったのかもしれないと思えてくる。

 オザケンというコンテンツは他に類を見ないほど不親切で、不可侵で、コミットしにくい。でも、ファンにとってはそこがいい。そこが、在り難い。オリーブ少女時代から20年以上、世のありとあらゆるコンテンツを鬼のように消費し、UGCの栄枯盛衰を目撃し、コンテンツ消費の速度と劣化ぶりに幾度も失望してきたアラフォー都市型文化系女子たちが今でも、否、今だからこそオザケンに心酔するのは、彼が下民の消費などによって劣化しないコンテンツだからだ。下民の吐く臭い息などに染まらない絶対的聖性を有しているからだ。

 彼女たちが再降臨後のオザケンに頭を垂れて手を合わせ、御託宣に耳をそばだてるのは、単に「昔好きだったから」が理由ではない。彼が今でも尊い「王子様」だからである。映画『リバーズ・エッジ』を観て90’s青春時代のノスタルジーに浸るオジサンたちとは次元が違う。女は現在に信仰を見いだし、男は過去に嗚咽する生き物なのだ。

稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。『セーラームーン世代の社会論』『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(共に単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『押井言論 2012-2015』(編集/押井守・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)など。編集担当書籍に『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』(ラリー遠田:責任編集)がある。

『リバーズ・エッジ』
2018年・日、監督:行定勲。川沿いの高校を舞台に、いじめ、LGBT、摂食障害、ドラッグ、死体、自殺といった90’s若者文化全部入りのダークな青春ドラマが展開する。基本的には原作に忠実だが、劇中で監督が突然登場人物(を演じる役者)に「あなたにとって愛ってなんですか?」などとインタビューするメタな作りは結構アレ。

週刊誌直撃動画で二次使用料徴収……音事協が暴挙に?

週刊誌の新たなシノギ「直撃動画」

スクープがウリの週刊誌だが、ここに来て、スキャンダルや疑惑が取りざたされる著名人への直撃動画が話題になっている。中でも世間の注目度が高いものは、多くの番組で放送され、多額の収益を生むそうだが、そこに“待った”をかけたのが、音事協だという。

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音事協のもくろみは一体……。

 出版不況といわれる昨今。紙の出版物の売り上げが総じて下降傾向にある中、近年、週刊誌をはじめとした各誌は、ネットを使ったニュースサイトやECサイトの運営に注力している。週刊誌によっては、取材で得た映像や音声をテレビの情報番組などに売るビジネスも生まれており、本誌でも既報の通り、「週刊新潮」(新潮社)が報じた豊田真由子前衆院議員の「このハゲ~!」という暴言音声は、版元に大きな利益をもたらせた。

 これまでも、テレビの情報番組などでは、芸能ネタを中心に週刊誌やスポーツ紙の記事を紹介するケースは多々あったが……。民放テレビ局情報番組の元スタッフは次のように語る。

「『週刊文春』の場合、記事の使用料が5万円、それにオプションとして直撃取材の際、記者に撮影させたサイト用の動画をプラス10万円で番組に提供しています。以前は記事が3万円で、動画が5万円だったので、だいぶ値上がりしましたね」

 1回5万円、10万円といえども、芸能人の不倫騒動など世間の注目を集めた動画や音声に関しては、キー局、地方局を含めて複数の番組で繰り返し使用されることも多く、中には記事と合わせて1000万円を超える利益をもたらしたものもあるという。

「1回の使用で10万円ですが、豊田議員の音声ほどではないまでも、話題になるスクープ動画だと帯で5~6番組くらいで使用し、3日間は引っ張ることにもなる。結果、全体で150万円くらいの売り上げというところでしょう」(同)

 不況にあえぐ週刊誌にとって動画ビジネスは、もはや時代の必然ともいえようが、それに“待った”をかけようとしているのが芸能界だという。前出のテレビ局元スタッフは明かす。

「実は、最近になって音事協が民放各テレビ局に対し、週刊誌に使用料を払って動画を流す際、二次使用料を請求する意向を水面下で示したんです。まだ正式決定ではありませんが、業界内ではかなり話題になっていますよ」

MEMO『音事協』
日本音楽事業者協会のこと。1963年に音楽事業を営む事業者が、事業向上を目的として設立。その後、80年に法人化。現在の会長はホリプロ代表取締役の堀義貴氏。

 日本の芸能事務所で構成される大手業界団体「一般社団法人 日本音楽事業者協会」は、かねてから芸能人の肖像権やパブリシティ権の保全・啓蒙を訴えている。これにより、各テレビ局に対して、加盟社に所属する芸能人の過去の映像を使用する際、場合によっては二次利用料を徴収【1】してきた歴史がある。

 さりとて、情報番組やニュース番組などで使用されているタレントらによる記者会見やイベント出演の映像やキャプチャ、会見写真などに関しては、二次使用料は原則的には発生しないようだ。

 別のテレビ局スタッフの話。

「そうした映像に関しては、そもそもテレビ局が映像に映っている芸能人に出演ギャラを払っているわけではないし、報道という観点もある。ちなみに、仮に二次使用料が発生しなくても、テレビ局は音事協加盟社の芸能人の映像を再利用する場合は、その都度、使用を申請し、許可を得る必要があります。これには芸能人の肖像権やパブリシティ権の管理という意味合いのほか、別の理由もあるようです。芸能人によっては、昔の古い映像を使われると、『今と顔が変わってる! 整形だ!!』などとSNSなどで炎上するケースもありますから(笑)」

 なんともややこしい、芸能界とテレビ界を取り巻く二次使用の現実だが、「週刊誌動画の二次使用料請求に関しては、昨年秋口から動きがありました。いくらなんでも無茶な要求だとは思いますが、肖像権を管理する音事協からしてみれば、タレントの顔や名前で商売しているからその分け前をよこせ、という話なのでしょう」(同)という。

 いささか横暴に見えるが、これについて法的根拠はあるのだろうか?肖像権やパブリシティ権に詳しい弁護士法人ALG & Associatesの児玉政己弁護士は「音事協が二次使用料として請求できる性質のものではなく、また、音事協が行おうとしている二次使用料の徴収業務は、法的な根拠がないと考えられます」とし、次のように解説する。

「二次使用料を請求するためには、請求するコンテンツにおいて請求者に何かしらの権利が必要となります。まず、『このハゲ~!』など、誰かの『発言』(音声)そのものには、創作的な表現性が欠如しており、著作権の発生が想定されず、芸能人の外見を利用するものでもないため、肖像権ないしパブリシティ権の侵害も肯定し難いと考えられます」

 では、動画に関してはどうだろうか? 児玉弁護士は続ける。

「音声のみの場合とは異なり、『映像』(動画)については、映像作品の制作者に著作権が生じ得ます。今回のケースにおいては、映像制作者は取材を行った週刊誌(あるいは委託された記者)であって、音事協ないし所属プロダクションには著作権が発生し得ません。そのため、当該映像の著作権の二次使用料というものを、音事協として請求することはできないものと考えられます」

 次に芸能人ら、人物の容姿に商業利用価値がある場合における『パブリシティ権』を見てみたい。

「パブリシティ権に基づく請求を行いたい場合、判例上、著名人が持つ顧客誘引力に着目し、専ら当該顧客吸引力を用いる目的で商品やサービスに肖像等を用いるという状況が必要になります。私企業が発刊する週刊誌とはいえ、あくまで公共の関心事を世論に伝えるという目的が主であり、著名人の肖像などが持つ顧客誘引力を利用して自らの商品やサービスを販促することを専らの目的としているものではないため、パブリシティ権を侵害しているとは認められないと考えられます。

 仮に、パブリシティ権の侵害に当たるとしても、二次使用料として請求できるといった性質のものではありません。

 さらに、『人格権』としての肖像権の侵害も考えられますが、人格権については、商業的価値を有するものとして、所属する芸能プロダクションが管理できる性質の権利ではありません。そのため、所属プロダクションからの委託を受けているに過ぎない音事協は、二次使用料などとして請求できるものではないと考えられます」(同)

 タレントや所属芸能プロがこれらの権利について、ある種の契約を音事協と交わした場合は別にして、個人が訴えに出た場合、都度、司法による判断を待つこともあるようだ。だが、音事協そのものには二次使用料を請求できる権利はない、というのが現状である。とはいえ、芸能界、あるいは音事協とベッタリのテレビ局が、彼らの要求を拒むことはできるのだろうか? でも、(ほぼ確定みたいですが)まだ“水面下”の話で、決定ではないんですけどね。

(編集部)

【1】二次利用料を徴収
音事協に加盟する芸能プロ、もしくはタレントがテレビ局と出演契約を交わした過去のテレビ番組(ドラマや歌番組、バラエティ番組、トーク番組など)の映像を、新たに番組で再使用する場合、映像の長さに応じて二次利用料を音事協に支払う料金。徴収後、音事協は所属芸能事務所にこれを分配する。使用時間が長くなるほど、あるいはタレントのネームバリューが高ければ高くなるほど高額になる傾向がある。また同じ芸能人の映像でも、バラエティ番組、トーク番組に比べると、ドラマや歌番組など“実演”している映像は、より高額になるという。

吉永小百合批判はタブーか? 主演映画がハネなくても支持を集め続ける理由

1803_yoshinaga.jpg『北のカナリアたち [DVD]』(TOEI COMPANY,LTD)

 3月10日に全国351館で公開された吉永小百合(72)の120本目の主演映画になる「北の桜守」は土日2日間で18万9000人を動員。興行収入は2億1600万円だった。三倍以上の成績の「ドラえもん」に次ぎ2位と大健闘。「北の零年」「北のカナリアたち」に続く「北の三部作」の最終章はまずまずのスタートを切ったが、最終的には「10億円を超えるぐらいで落ち着く」と、大ヒットには及ばないと見られている。

 最後の「映画女優」と呼ばれる吉永は1957年、小学校6年の時にラジオドラマでデビュー。2年後には松竹で映画女優として銀幕デビュー。以後、映画女優一筋。その大半が主演。文字通り日本映画を代表する女優となった。だが、実は代表作と呼ばれる作品がない。映画記者でも「好きな吉永さんの映画はあげられるが、誰もが認める代表作となると、個人によってバラバラ。昔の『キューポラのある街』をあげる人もいれば、『北の〜』シリーズをあげる人もいる。吉永の代表作は何かと問われると、首を傾げるのが現状です」

 確かに、高倉健なら「網走番外地」三船敏郎は「用心棒」。後輩女優の梶芽衣子には「女囚さそり」といった誰もが思い浮かべる代表作がある。吉永にはそれがない。

「今や吉永は映画界の神様的な存在。非難するような話は書けない。しかし、代表作がないことは本人もわかっていること。120本主役を張ってきた背景には、女優を引退するまでに自他ともに認める代表作を作りたいという強い気持ちがあると言われています」(映画関係者)

 かつての吉永は「サユリスト」と呼ばれるファンに支持され、圧倒的な人気を誇っていた。ベテラン映画記者が振り返る。

「吉永のブロマイドを持っている信者のようなファンもいっぱいいましたが、吉永の最大の魅力は“この世の人とは思えない美女”という見た目の美しさ。これがかえって顔を見ているだけでうっとり満足してしまうファンを多く生んでしまった。健さんは映画の役を含めたファンが大半ですから、映画館に足を運ぶし、何度も同じ映画を観る人もいた。しかし、吉永ファンは映画ではなく、吉永個人のファンですから、必ずしも映画館に行く必要がない。映画は口コミ。行く人がいないから口コミで伝わらない、伝わったとしても、『ファンが喜ぶ映画』と言うぐらいでしょう」

 ファン心理とは微妙なものだが、実際の吉永の女優としての資質を元映画制作者が語る。

「日本を代表する綺麗な女優ですが、綺麗さを活かすために役が限られてくる。汚れ役や色っぽいシーンなどをやらせたらファンが暴動を起こすと言われたほどです。結局、清純派のイメージを崩すような役はすべてNG。逆説的に言えば、清純派しかやらせてもらえなかったことが吉永にとって不幸でもあった。結果、作品は変っても演じる吉永は根本的に変わらない役になってしまう。変わるのは年齢に応じた役の設定。今なら母親役のように。往年の吉永ファンも映画ではなく吉永の顔が好きな人が多く、映画にはさほど興味を持っていない。これでは若い人も吉永映画には興味を示さない」

 事実、若者の声を聞くと、「名前も顔も知っているけど、あまり興味もないし、映画も見たことない」と、吉永はまるで幻の名女優のような存在。吉永ファンを中心とした高齢者しか動員が望めないから映画も大ヒットしない。悪循環が続く。

「今回吉永はいつもよりも精力的に宣伝活動をしていました。メディアも大々的に協力してプッシュし、宣伝はばっちりでした。しかし、映画に宣伝は必要ですが、宣伝過多は逆効果という一面もある。昨年、木村拓哉の『無限の住人』がコケたのは、ベタ褒めだけの前宣伝と予告編でお腹いっぱいになってしまったからだと揶揄されたほどです。吉永も必死に宣伝していましたが、それが観客動員に繋がるかは疑問。作品も堺雅人、篠原涼子、阿部寛、佐藤浩市といった錚々たる共演者ですが、問題は映画の中身。今の若い人が母子の愛を描いた昭和の香りのする映画に関心があるかどうか。高齢者が最初のうちは足を運ぶが、その後が続かない。最終的に興行成績が伸びずに終わる。今回も北の三部作では一番の成績になるかもしれませんが、爆発的な数字にはならないと見られています」

 代表作はなくとも日本を代表する大女優であることだけは間違いないが――。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

【対談】東 浩紀(哲学者・作家)×磯部 涼(音楽ライター)――貧困地域を観光するのはタブーか?“スラム・ツーリズム”の本質と功罪

原発事故が起きた地であるチェルノブイリと福島を観光の対象とし、ポジティブな“ダーク・ツーリズム”を提唱してきた哲学者の東浩紀。一方、工業都市・川崎のラップからヤクザ、ドラッグ、売春、貧困、差別までドキュメントした著書『ルポ 川崎』が話題の音楽ライター・磯部涼。2人が“スラム・ツーリズム”をめぐって激論を交わす!

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(写真/堀哲平)

 本誌のルポルタージュ連載をもとに2017年12月に出版され、大きな話題を呼んでいる磯部涼著『ルポ 川崎』(小社刊)。音楽ライターである磯部氏ならではの視点で、神奈川県川崎市の主に川崎区で生まれ育ったラッパーやダンサー、不良少年らにインタビューを行い、そこから貧困家庭、高齢の生活保護受給者、外国人労働者らが集まる“川崎”をあぶりだしたノンフィクションだ。しかし連載中には、川崎の貧困地域を興味本位で訪れて描いた“スラム・ツーリズム”ではないか、という批判もあったという。このスラム・ツーリズムは、イギリスの観光学者が提案した、悲劇の地を観光の対象とする“ダーク・ツーリズム”の一種だが、そんな意見に対して磯部氏は同書でこう述べる。

「スラム・ツーリズムは、文字通り、スラム=貧困地域という、現在進行系で人々が生活している場所を訪れるため、たとえ慈善や学習のような目的があったとしても、より倫理的な問題が発生しやすくなる。〈中略〉もちろん、この連載にも同様の側面がある。また、それは何も編集部からのオーダーではなく、筆者が心の奥底に抱えているスラム・ツーリズム的な欲望の表出にほかならない。〈中略〉それでも、当連載がいわゆるスラム・ツーリズムと違うのかどうかは、単に見物をして帰っていくのか、それとも、訪れた先のために何かをするのかにかかっているだろう」

 一方、哲学者の東浩紀氏は、13年に『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)を出版。“フクシマ”の原発事故というイメージが世界に流通していることを踏まえ、「事故現場を見てみたい」「廃墟を見てみたい」といった感情を逆手に取って福島の魅力を世界に発信すべきであるという、積極的なダーク・ツーリズムを提案した。

“怖いもの見たさ”で特定の地域社会のダークサイドをのぞき見ることは、許されるのか否か――。磯部氏と東氏が、川崎という都市を手がかりにしながら、スラム・ツーリズムについて語り合った。

「東京DEEP案内」と『ルポ 川崎』の違い

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左上より時計回りに磯部涼著『ルポ 川崎』(サイゾー)、東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)、東浩紀編『福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2』(同)、東浩紀編『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』(同)。

東浩紀(以下、東) 僕は以前、川崎市多摩区に住んでいたこともあり、土地勘があったので『ルポ 川崎』を面白く読みました。特に、リーマンショックが街に大きな影響を与えたことや、2000年頃からじゃぱゆきさんといわれていたフィリピン人女性の子どもたちが増えてきたことなど、知らない情報がたくさんあったので、勉強になりましたね。ただ、この本には実際の固有名や地名が多く出てくるので、地元の人たちからの反発はなかったのかなと。証言者も通常は名前を隠すことを望むと思うんですけど、これだけはっきり書けたのはなぜですか?

磯部涼(以下、磯部) 取材を始めた2015年は、川崎区の多摩川河川敷で中1男子生徒殺害事件が起きたり、同じく川崎区の日進町で簡易宿泊所火災が発生したりして、マスコミもたくさん川崎区に入っていたので、地元の人はどういう視点で書かれるのか気にしていました。先日、出版記念トークショーをしたときも、川崎市の広報の人が来て「『ここは、地獄か?』という帯文はあなたが考えたのですか?」と質問されてちょっとピリっとしましたね。ただ、そのときも言ったのですが、『ルポ 川崎』は川崎南部に日本が抱えている問題を見る本であって、仮に川崎が地獄だとしたら日本全体が地獄かもしれない、もしくは問題を解決するためのヒントも川崎にある、と言いたいのだと読んでいただければわかるかと思います。証言者の中にはその点に納得して、協力してくださった方もいました。「東京DEEP案内」というサイトがありますが、あれは貧困地区や多文化地区を訪れて偏見を下に不安を煽る、一方的なスラム・ツーリズムの典型で、それを反面教師として書いたようなところもあります。

 連載時はネットでも公開していましたが、炎上したことはなかったですか?

磯部 ほぼないですね。地元出身の人気ラップ・グループ、BAD HOPに語り部になってもらったこともよかったと思います。

 地元には、「オレたちの街をBAD HOPが認めている」と受け取っている若者もいるんでしょうね。

磯部 そこが書きたかったことでもあるんです。川崎南部で反差別運動や貧困対策をしている人たちは、地元の状況を改善したいという問題意識を持っているわけで、もちろんそれは大切なことなんですけど、一方でラッパーや彼らにあこがれる不良少年たちの中には、むしろ、外部からのスラム・ツーリズム的な視線を内面化し、アイデンティティとしている者も多い。「ヤバい街に住んでいるから、オレらもヤバいんだ」と。だからこそ、この本では一概にスラム・ツーリズムを否定もしなかったんです。当初、川崎市内にある書店の中には「この帯ですか!」と驚かれたところもあったようですが、やはり読んだ上で理解してくださった店舗も多かったですね。ただ、中原区・武蔵小杉の書店は置いてくれなかった……。

 武蔵小杉は2000年代以降の再開発で次々にタワーマンションが建てられましたが、確かにそこに移り住んできた新住民がこの本を理解するのは難しいかもしれない。でも、川崎区にあるショッピングモールのラゾーナ(ラゾーナ川崎プラザ)の書店では売りやすいでしょうね。あそこから“地獄”まで徒歩数分という距離ですから(笑)。

磯部 06年にラゾーナができたばかりの頃は、フードコートに酒を持ち込んでたまっていた人たちがいたそうですね。

 僕はラゾーナができた翌年に大田区に引っ越してきたので、しばしば訪れてその変遷を見てきたのですが、最初の頃はさまざまな人が来ていたようで、トイレに「ここで寝ないでください」といった貼り紙もありました。今はセグメント化されているので、そういったことはないですが。

磯部 僕は幼い子どもがいるので、最近、ラゾーナによく行くんですけど、いたって普通の雰囲気です。

 そうですね。僕がショッピングモールについて考えるようになったのは、実はラゾーナがきっかけです。あそこは、東芝の川崎事業所(旧・堀川町工場)跡地なんですね。高度経済成長期に伸びた第二次産業がだんだん衰退すると、工場の広大な敷地がショッピングモールに転換されることが多かったんです。例えば、豊洲のららぽーとは、石川島播磨重工業の工場跡地です。そうしたショッピングモールの中でも、ラゾーナはよくできています。大きな駐車場がある一方で、川崎駅というターミナル駅に直結しているので、電車の客も車の客も混ざる空間になっているし、川崎市の北部(麻生区、多摩区、宮前区、高津区)と南部(中原区、幸区、川崎区)の住民が混ざる場所にもなっているんですよ。普通、ショッピングモールは郊外に新しくポンとできることが多いので、車で来る新住民ばかりで、多様性が出ません。しかし、ラゾーナの立地は、ラゾーナがどんなに洗練しようとがんばってても、“川崎”が容赦なく入ってくる。つまり、臨海部である川崎区らしいものが排除されているように見えて、実は流入しているわけです。

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『福島第一原発観光地化計画』より。雑草で覆われた運行停止中の常磐線の線路。(撮影/新津保建秀、提供/ゲンロン)

磯部 本書では「川崎は二つの顔を持っている」と書いています。その二面性を北部と南部という区分が象徴していて、前者はニュータウン、後者は工場地帯として開発されてきた。もともと、両者の間にはある種の断絶があったように思うんです。

 断絶といえば、同じ川崎市でも先ほど挙がった武蔵小杉(南部の中原区)だけ特殊ですよね。近年はSUUMOの「住みたい街ランキング」関東版の上位に入っているでしょう? 昔の何もなかった時代を知る人間からすると、信じられないことですよ。

磯部 川崎区にしても再開発が進んでいて、中1男子生徒殺害事件の現場はリヴァリエという3棟からなるタワーマンションの真横です。川崎区というと、ある年齢以上の人にとっては“公害の街”“風俗の街”というイメージでしたが、それも北部のニュータウン的なイメージに上書きされつつあるのかもしれません。

 その北部的なものが川崎駅周辺にまで侵入したことで、インターフェースができている。それが街のダイナミズムにつながっていくと思うんです。

磯部 一方で、川崎駅に近い日進町の簡易宿泊所火災事件では、同施設の利用者の9割が生活保護受給者であったことが驚きをもって報じられました。そこには、行政が川崎駅前からホームレスを排除するために簡易宿泊所に誘導したという側面もあり、施設側も部屋を増やすために違法建築を行った結果、火災の際に火の回りが早くなった。ただ、近年は行政もアパートへの転居を促しているようで、そうでなくても利用者は高齢ですし、今後は空き家が増えていくでしょう。日進町では廃工場をリノベートしたコワーキングスペースができたり、簡易宿泊所を外国人観光客向けにしたらどうかというアイディアがあったりするようですが、対してジェントリフィケーション(低所得層の居住地域を再開発や新産業の誘致で高級化することを指すが、それによる地価の高騰で旧来住民が追い出され、地域文化が一変するケースもある)だと批判する声も上がっています。

 ホームレスにしてもスラム街にしても、ずっと住民が若いままならジェントリフィケーションは不要ですが、現実はそうではないのが頭の痛いところですよね。渋谷区が宮下公園のホームレスを強制排除して再開発したような、乱暴なジェントリフィケーションは避けるべきですが、行政がうまい落としどころを見つけて再開発をする必要はあると思います。

スラム・マニアによる無神経なツイート

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『ルポ 川崎』より。左上:川崎競輪にいる年老いた男性客 右上:川崎区日進町の簡易宿泊所 左下:川崎区池上町に打ち捨てられた小型トラック 右下:川崎区桜本で行われた「日本のまつり」の参加者(写真/細倉真弓)

 ここで本題に戻りますが、スラム・ツーリズムは、スラム側が利用すれば、いいものにもなりうると思うんです。その地域にツーリストからの金が落ちるし、地元社会や住民に対する理解も深まりますからね。在日コリアンをはじめ多国籍の住民が川崎にいることを外部の人に知ってもらうにも、ツーリズムという手段を使うしかないでしょう。ただ、そのツーリズムの主体は誰か、ということが重要なんです。

磯部 ダーク・ツーリズムの場合は、基本的に自治体が主体なんですか?

 そうとは限らないと思います。ただ、僕としては、自治体と住民が地元の悲劇を積極的に受け入れて、利用していくことが大切だと思っています。「私たちはそういうふうに見られたくない」と言ってしまうと、ツーリズムという選択肢はなくなってしまいますから。例えば、今、沖縄で反基地運動を行っている人たちには、ツーリズムについて反対の人もいる。しかし、他人に問題をわかってもらうためには、資本主義と多少の妥協が必要。「観光客が基地を見るだけでは不十分。当事者の話を聞け」と言うかもしれませんが、それだって、当事者は多様ですから「誰に話を聞けばいいのか?」ということになる。潔癖性は逆に、土地の理解を深める上で妨げになるように思います。

磯部 「『ルポ 川崎』を読んで川崎区のさらに南部に足を運んでみたいと思ったのですが、どうすればいいですか?」と聞かれることがあります。そのときに言うのは、無難な答えですけど、「是非、ゴハンを食べに行ってください」ということです。川崎区は在日コリアンが多いので焼肉が有名ですが、ほかにもブラジル料理やペルー料理といったさまざまな国の美味しい料理が食べられます。地元にお金を落とすことにもなりますしね。ところで、ダーク・ツーリズムとスラム・ツーリズムが大きく違う点は、前者で訪れるのは遺跡が多いのに対して、後者は現在も人が住んでいる場所だっていうことですよね。スラム・ツーリスト系のツイッター・アカウントを見ると、「いい感じのボロ家発見!」などとコメントを付けて勝手に写真をアップしていたりするんですが、そういう行為に対して住民はさすがにいい気持ちはしません。

 その問題は難しいところがあります。例えば、3・11で被災した民家の写真を撮って、「これはヒドい」とツイートすることは、いいことなのか悪いことなのか……。「そういうことは被災者の感情を逆なでするから、絶対にやってはいけない」となると、情報の共有が制限されて、現実の悲惨さが伝わらなくなってしまう可能性もある。だから、ケースバイケースですよね。まあ、「いい感じのボロ家発見!」と書くのはどう考えてもマズいので、写真のキャプションの問題でもあるかもしれませんが……。

 スラム・ツーリズムのもうひとつの問題は、貧困に悩む住民がその狭い地域の中だけにいるととらえると、動物園に行くような行為になるということ。スラムの住民もまた同じ社会の仲間で、“こちら側”にも来ている人であることを忘れてはならない。

磯部 『ルポ 川崎』ではそれを、あちらとこちらを隔てる“川”に例えて書きました。僕自身、当初は自宅のある世田谷区から電車で多摩川を渡って川崎区に行き、“対岸の火事”をツーリズム的に取材していたようなところがありました。しかし、何度も多摩川を渡っているうちに、川崎区が馴染みのある街になった。そして、自分の生活と地続きになり、そもそも“川”などというものは存在しないと気づいたんです。

暴力的にスラムを見物!自分探しのインド旅行

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『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』より。チェルノブイリ原発2号機制御室。(撮影/新津保建秀、提供/ゲンロン)

磯部 ところで、「東京DEEP案内」の書籍版で、17年に出版された『「東京DEEP案内」が選ぶ 首都圏住みたくない街』(逢阪まさよし+DEEP案内編集部/駒草出版)では、1位が八潮(埼玉県)、2位が川崎となっていました。八潮にはパキスタン・コミュニティがあり、「東京DEEP案内」的な目線では「外国人が多い犯罪多発地域」としてとらえられる。ただ、情報誌では「本場のパキカレーが食べられるヤシオスタン!」なんて感じで肯定的に紹介されていたりもする。つまり、川崎もそうなんですが、同じ土地でも“どう見るか”によって変わってくるという問題ですよね。

 パキスタンで思い出したのですが、昔、日本人バックパッカーのインド旅行がはやりましたよね。あの一部は暴力的なスラム・ツーリズムだったと思います。自分探しのために、現地のスラムを見物したりする。そこに住んでいる人を、自分を鍛えるために利用しているだけなんですよ。

磯部 最近だと、『クレイジージャーニー』(TBS系)という“秘境”を訪れる旅番組が人気ですが、回によって下世話なスラム・ツーリズムになっています。とはいえ、海外ではダーク・ツーリストを対象にした、いわばダーク・ツアー・コンダクターもいるし、彼らが案内するエリアで生活する住民も、ツーリストへの対応としてヤバい地域を演出していたりする。あるいは、日本のノンフィクションも下世話なダーク・ツーリズム的な視点で書かれたものは多いなと。

『ルポ 川崎』の良い点は、“当事者”自身が声を上げているところ。往々にして、「スラムの住人は声を上げられない」と捉えられがちですよね。だから、ジャーナリストが現地に赴き、その惨状を“書いてあげる”という姿勢のノンフィクションが多い。しかし、この本は、ラッパーをはじめ川崎のアーティストたちの表現に尊敬の念を持ち、その背景について聞こうとしている。そのスタンスが大事なんですよ。ここで引き合いに出したいのが、小説家の中上健次です。表現者として優れている彼を理解しようと思ったら、やはり“路地(=中上のルーツである被差別部落)”が見たくなる。僕も見に行きました。でも、それは差別的なツーリズムではないと思う。このように“当事者”が何を表現しているかを出発点にすることが、堕落したスラム・ツーリズムを回避するひとつの手立てになるのではないでしょうか。

地元のラッパーを川崎市のPRに

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『ルポ 川崎』より。川崎区池上町の路上で談笑するBAD HOP。

 表現の場ということでいえば、僕は五反田で文系・理系問わず論客がトークを繰り広げるイベントスペース「ゲンロンカフェ」を運営しているのですが、五反田はものを考えるのに向いているんですよ。あの街は風俗街というイメージがある一方で、近辺には池田山(東五反田5丁目)という美智子皇后の実家がある超高級住宅地もあり、街の正体がよくわかりません。でも、だからこそダイナミズムがあると思う。深夜までトークショーを開いているイベントスペースも、風俗嬢が行き交う場所も、“真っ当”な勤め人から見れば、同じようにあやしいものかもしれませんけど、そうした雑多な環境だからこそ、思想もアートも生まれる。その意味では、川崎も似たところがあるんじゃないかな。

磯部 『ルポ 川崎』について、「川崎区だけが貧困や差別の問題を抱えているわけではない」といった意見をときどき聞くんですが、もちろんそうで、ただ、川崎区の特徴として凝縮性がかなり高いということはいえると思うんですね。それは東さんの言い方だとダイナミズムがある、ということになる。ショッピングモール、風俗街、ドヤ街、多文化地区、工場群……狭いエリアにそれだけさまざまな側面があるわけです。

 そんな川崎区には川崎市役所もありますが、市は「音楽のまち・かわさき」をうたっているんです。それもあってなのか、16年に川崎市長とBAD HOPを率いる双子のT-Pablow、YZERRが面談しているんですね。今のところ、それ以上の進展はないようですが、仮に今後、川崎市が地元のラッパーを市のPRに起用することになった場合、彼らをどう生かすのがベストなのか――。ひとつ言いたいのは、潔癖さを押しつけないでほしいということ。『ルポ 川崎』にも登場するゴーゴー・ダンサーの君島かれんさんが2月に麻薬取締法違反の疑いで逮捕されましたが、ラッパーも不良が多いのでいろいろと問題を抱えていて、ひょっとしたら逮捕されるようなこともあるかもしれない。そうなった場合、今の日本ではすぐに出演番組を辞めさせられ、CDを回収さえするじゃないですか。あのドタバタぶりはいささか滑稽です。

 自治体が文化支援をする場合、腹をくくらないと、いちいち謝罪や支援撤回などをしなければならなくなります。それで結局、「リスクを抱えているヤツは呼ぶべきではない」となり、失敗に終わる。

磯部 ラップ・ミュージックをはじめとしたユース・カルチャーは、当事者が抱えている問題とその表現が密接に関わっていることを理解してほしいですね。

 ともあれ、川崎駅はかつては通り過ぎられるところで、駅前の商店街もさびれる一方でした。しかし、ラゾーナができてからは、川崎を訪れる外部の人が増えてきました。そして最近、『ルポ 川崎』が出版されたわけですが、この本をスラム・ツーリズムのある種の理想形として、川崎市はPRにうまく使ってほしいですね。

(構成/安楽由紀子)

東浩紀(あずま・ひろき)
1971年、東京生まれ。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。ゲンロン代表。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)など多数。

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽やそれらと社会との関わりについて執筆。著書に『ルポ 川崎』(サイゾー)、共著に大田和俊之、吉田雅史との『ラップは何を映しているのか』(毎日新聞出版)、編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)などがある。

かたせ梨乃が新しいバラエティクイーンに名乗りでる!? 二丁目遊びもお盛んだった肉体派女優烈伝

1803_katase.jpg『極道の妻たち [DVD]』(TOEI COMPANY)

 新しい人材を求めるバラエティ番組。最近は役者や歌手の大御所が進出し、新たなキャラで脚光を浴びている。演歌歌手の世界では「カツラ疑惑」を逆手に取ったネタで細川たかしがブレイクしているが、女優ではかたせ梨乃(60)の進出が著しい。

 1月に放送された「人志松本のすべらない話」(フジ系)では、番組のオープニングで賭博場の胴元として登場。巨乳と言われる胸にサラシを巻き、片肌を脱いだ着物姿で「ようござんすか」とドスの効いた声で壺をふり、「あんたら、話せるものなら話してみい!」と啖呵を切る。その迫力に「あれっ、バラエティ番組じゃないの」と改めて新聞のラテ欄を見直した人もいたとかいないとか。

 近年、かたせはバラエティや情報番組に積極的に出演している。

「幅広い知識もあるしユーモアもある。なによりも明るいのがいい。元肉体派の女優だけあって、多少は太ったとはいえ、熟女らしい色気もある。かつて中年女性の水着をプロデュースして話題になっただけあって、常に私服で出演しますが、胸の谷間や脚を見せたりする演出も忘れない。芸人の受けもよく、バラエティの紅一点として今後もオファーが増えるのは確実です」(テレビ関係者)

 かたせは都内屈指の名門女子校・雙葉高校から独協大学に進学。お嬢様としても知られる才媛。大学時代にモデルになり、日テレの深夜のお色気番組「11PM」のカバーガールで脚光を浴びた。その後「三船(敏郎)プロ」に入り女優の道へと進んだ。

 日本人離れしたプロポーション。大胆なベッドシーンと体当たりの演技で頭角を現し、「肉体派女優」と称された。映画「極道の妻」では主演の岩下志麻を喰うほどの人気になった。元東映関係者が振り返る。

「下着姿がもっとも似合う女優と言われ、黒や赤といった原色系の下着姿は男の目を釘付けにした。ベッドシーンは迫力があり、本当にしているのではと言われるほどでした。実際、絡んだ役者が“本当にやりたくなった”と言うほどその体は魅力的でした」

 グラビアならぬスクリーンのオナペットとも呼ばれ、業界内でも口説く男は後を絶たなかったという。期待に応えるように恋愛も奔放だった。妻帯者から年下の俳優まで幅広かったが、「男性から私を結婚対象者として見られることはなかった」と語っていた。今も独身。

 シャンパン好きの酒豪としても知られ、ゲイの街・新宿二丁目にもよく出没した。今でこそ、女性も出入りする健全な二丁目だが、かたせが出没していた当時はゲイの溜り場として異様な雰囲気の漂う街だった。芸能人も多く、ゲイの噂はこの街から流れることが多かった。

「男の子を買う売り専バーがあって、カウンターで飲みながら従業員の男の子を指名して外に連れ出すシステム。二丁目にはゲイ専用のラブホがあり、そこに行って楽しむことができた。少年を買いに来るのは男性が大半ですが、なかには、可愛い子とのエッチが目的で来る有閑マダムもいて、朝方まで賑わっていました」

 かたせら芸能界の女性が有閑マダムのような目的だったかは定かではないが、むしろ、可愛い青年たちと会話とお酒を楽しむことが多かった。かたせに関してはこんな噂も流れていた。二丁目の一角に「レズビアン地区」があり、レズバーが集中していた。当然、男性客はいっさい入れず、女性同士の密かなプレイスポットにかたせがよく出没していたという。「遊びに精通したかたせにとって男も女も関係なく飲み歩きしていたのでは」という話もあるが、二丁目のかたせは人気者だったという。

 一昨年、芸能界を引退した成宮寛貴とかたせの噂が今もネットなどでしきりに流れている。「成宮の面倒を見ている」といった内容だが、成宮が二丁目の常連だったことは周知の事実。二丁目が遊び場のかたせと成宮の接点があっても不思議ではない。

「2人がどういう関係かは不明だが、知り合いである可能性は高い。姉御肌で通っているかたせですから、困っている人の面倒を見てもおかしくないし、かたせの影のサポートで成宮の芸能界復帰もない話ではないと思います」(芸能関係者)

 芸能メディアまでも改めてかたせの動向に注目している。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

佐藤大樹って何者だ!? 映画『HiGH&LOW』の裏話と、EXILEの末っ子が抱く大いなる野心

『HiGH&LOW THE MOVIE2/ END OF SKY』のパッケージ版が、2月21日に発売になった。ハイローに散々脳を焼かれてきたサイゾーPremium編集部は、これを記念して、シーズン1から山王連合会・チハルを演じてきたEXILE/FANTASTICSの佐藤大樹さんにインタビューを敢行。同作で描かれた山王連合会分裂劇の“裏設定”から、EXILEとして、役者としての目指すところまで、余すところなく質問に答えていただいた――。

チハルとコブラは目配せしてたんです!山王連合会分裂の裏話

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山王連合会のチハルがサイゾーpremiumにキター!<↑画像をクリックすると拡大します。>(撮影/天田 輔)

――佐藤さんが演じた山王連合会・チハルは、ドラマのシーズン1『HiGH&LOW~THE STORY OF S.W.O.R.D.~』(2015年10~12月/日テレ系)では特に重要な役割を担うキャラクターでした。そこから2年以上がたちましたが、いちばん最初に撮影に臨んだ頃のことを覚えていますか?

佐藤大樹(以下、佐藤) 初めて台本を読んだときは、「僕のナレーションから始まる、こんなにおいしい役なんだ」と思って嬉しかったですね。すでに1~10話まで話が完成していたので、読み進めていって「あ、仲間に入れてもらうんだ」「いや、裏切んのかい!」と。それで、チハルが山王連合会に入ったのもノボル(町田啓太)さんの計画によるものなんだと解釈して本読みに臨んだら、ノリさん(脚本家・平沼紀久氏)に「いや、そうじゃない」って言われて、自分がつくっていたプランが全部ぶっ壊されましたね。そこから、久保(茂明)監督とノリさんと一緒にリハーサルを重ねながら、「(チハルには)とにかく山王連合会の中では一番ピュアでいてほしい」と言われたことを意識してキャラクターをつくっていきました。チハルは今まで1人で生きてきて、誰にも言えなかった悩みをやっとヤマト(鈴木伸之)さんに打ち明けられて仲間ができて、山王連合会の絆や仲間と一緒にいることの大切さを学んでいくのを体現しないといけない重要な役だから、「本当に頑張って」と言われましたね。僕が最初に持っていった役作りのプランでは「全然ヤンキー感が伝わらない」とも言われました。

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――七三オールバックという髪型で、完成形のチハルはヤンキー感がしっかりありました。

佐藤 髪型は8パターンくらい自分で考えて、「どれがいいですか?」って聞いて決めました。シリーズを重ねるごとにテッツもダンさんもみんな髪型が変わっていくのに、僕だけずっと七三なので、ちょっと周りがうらやましかったです(笑)。

――でも、いま仰った通りチハルはドラマシーズン1では山王に入れてもらったのに裏切りを働いていて、それも許されて再び仲間に入れてもらったにもかかわらず、『THE MOVIE2/END OF SKY』(以下、『EOS』)で山王連合会が分裂したとき、ダンの側についてDTCを結成するじゃないですか。「コブラ(岩田剛典)たちにそこまでしてもらったのに、そっちにつくの!?」と、ファンの間でちょっと物議を醸したんですよ。

佐藤 はい、知ってます(笑)。これには本当にワケがあるんですよ! チハルは山王連合会にいちばん後から入ったけど、いちばん早くにその本質を理解したっていう設定があるんです。観ている方には伝わらなかったかもしれないんですが……。実は、映画の中では描かれていない部分として、山王が分裂してDTCがITOKANを出ていくとき、僕はコブラさんと目配せしてるんですよ。チハルは本来はコブラさん側にいるけど、ここでダン(山下健二郎)とテッツ(佐藤寛太)だけにしてしまったら収拾がつかなくなってしまう。だから「お前、わかってるよな」「こっちは任せてください、コブラさん」っていう、無言のやりとりがあったんです。いってみれば、山王連合会でいうコブラの役割をDTCではチハルが担う、という理由があって、そっちに従っていたわけです。

――へぇぇぇぇ。今すぐ『END OF SKY』のDVD見たくなりました。

佐藤 目配せのシーンもちゃんと撮ってたので、できあがった本編でなくなってるのを観て「おい!」と思ったんですけど(笑)。でもそれは、ハイロー独特の「観ている人に想像して楽しんでもらう」という狙いで編集されているんだと思います。

――いちばん末っ子だけど、だからこそやれることがあるという立ち位置だったんですね。

佐藤 そうです。これはEXILEに例えたら、HIROさんが当時EXILEに加入したばかりだった直己さんとNAOTOさんに三代目のリーダーを任せたようなニュアンスだと思います。DTCの分裂やチハルの振る舞いにファンの方々が驚いているのは知っていたので、もどかしさもありました。あと、コブラさんのテッツへの「やれるだけのことは全部やったのか」というセリフも、「冷たすぎない!?」って話題になってましたよね。

――そんなところまでご存知で。じゃあ、ハイローがオタクの間で盛り上がっているのも、しっかり把握してらしたんですね。

佐藤 LDHのファンの方は観てくれるだろうし、アクションがすごいので映画ファンの方には刺さるかも、と思ってたんですが、オタクとかサブカルの人にまで刺さってるのを聞いて、最初はすごく驚きました。でも話を聞いていると、そういう方のほうが普通の人よりも想像力もあるし、妄想力もあるじゃないですか。オフ会を開いて意見を交換したりとか。

――EXILEメンバーの口から「オフ会」という単語が出てくるのが斬新です。

佐藤 そういうのってすごいな、と思います。ニコニコ動画や日テレでやっていた、ハイローファンの座談会も観ました。BL好きな人やいろんな方がそれぞれの観点から話していて、「そういう解釈の仕方もあるんだ」と勉強になりました。観ている人たちの価値観を、僕らにわかりやすく教えてくれる人たちですよね。僕らは台本も読んでるし細かいキャラクター設定も知っているので、それ以上に広げようとは思わないですけど、それこそ腐女子の方とか、僕らがわからないような想像力を持っていて、役者でもやらないような掘り下げ方をしているじゃないですか。

大勢のキャストの中で埋もれないために…