計量失格にドーピング……日本ボクシング界が陥る興行とカネのジレンマ

ボクシングの不祥事はなぜ続く?

日本ボクシング界で、現役チャンピオンよる不祥事が相次いでいる。WBC世界フライ級チャンピオンの比嘉大吾は計量オーバー、IBF世界スーパーフェザー級王座を獲得した尾川堅一はドーピング違反。一方、海外選手に目を向けると、意図的とも見られる減量放棄も……。こうした背景には、一体なにがあるのだろうか?

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「比嘉大吾選手に対する処分について」を知らせる日本ボクシングコミッションのHP。

 ボクシング界に醜聞が立て続いている。

 去る4月14日、3度目の防衛戦を予定していたWBC世界フライ級チャンピオンの比嘉大吾が、前日計量で規定の体重を作ることができず、秤の上で王座を剥奪された“事件”が世間を大きく騒がせた。

 デビューから15戦全KO勝ちの比嘉は、昨年5月に同タイトルを獲得したばかり。師・具志堅用高の秘蔵っ子としても注目を集め、バラエティ番組などにコンビで出演する機会も増えていた。計量に立ち会ったある関係者は、次のように語る。

「15連続KOは日本タイ記録で、今回の防衛戦でもKO勝ちを収めれば日本新記録でした。ところが、1度目の計量でまさかの900グラムオーバー。規定により2時間の猶予が与えられたものの、比嘉陣営は再計量に臨むことなくギブアップを宣言、失格となりました。日本の世界チャンピオンが計量に失敗するのは初のケースで、比嘉は連続KO記録どころか思わぬ形で歴史に名を残してしまいましたね」

 果たしてタイトルマッチは、挑戦者が勝てば王座獲得、比嘉が勝てば王座は空位という変則ルールで行われることに。結局、限界ギリギリまで搾りきった比嘉は精彩を欠き、9ラウンドTKO負け。順調に人気と知名度を上げてきた比嘉にとり、痛恨の失態だった。

「全KO勝ちのスター性と、沖縄出身らしい愛嬌で、比嘉はこれからの日本ボクシング界を背負って立つ存在になると期待されていました。しかし、連続KOもデビュー以来の連勝もストップし、王座も剥奪。まさに何もかも失ってしまったわけです」(同)

 この一大事に、「またか」の思いがよぎったファンも少なくないだろう。その前月に行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチでも、山中慎介との再戦に臨んだルイス・ネリ(メキシコ)が、これまた1.3キロの大幅超過で計量失格、王座を失ったばかりなのだ。

 そもそもこのネリ、昨夏に挑戦者として来日し、4ラウンドTKOで山中のV13を阻止した際には、ドーピング検査で陽性反応を示した前科がある。この時はなぜか「故意の摂取ではない」との言い分が認められ、ベルト剥奪を免れたが、1.3キロオーバーという数字には確信犯を疑う向きも多い。

「ネリは試合の9日前に来日した時点で、4キロオーバーという情報があり、『本当にリミットまで落とせるのか?』と懐疑的な声が飛び交っていました。確かにボクシング界では、計量の1~2日前に3キロ前後を一気に落とす、“水抜き”という手法が浸透していますが、世界トップの選手としてはあまりにも見通しが甘い。初戦で山中の実力を認め、念のため正攻法を避けたと見られてもやむを得ないでしょう」(スポーツ紙記者)

 やはり「山中が勝った場合のみ王座が移動」という変則ルールで決行されたこの試合。減量を放棄した者と、減量で疲弊した者のパワーの差は大きく、山中はわずか2ラウンドで倒されてしまった。

 確信犯的に減量を放棄して試合に勝ったとしても、タイトルを剥奪されては意味がないと思う人も多いだろう。しかし、コンディション作りを優先し、白星をキープしたほうが選手としての商品価値が守られる、という悪しき考え方があるのも事実なのだ。実際、日本ボクシング界から永久追放処分を喰らったネリは、早くも来月、アメリカで再起戦を決めている。日本のリングには上がれなくても、ボクサー活動さえ継続できれば、遠からず王座復帰のチャンスもあるだろう。

 実は計量失格の事例はここ数年、国内外で急増している。例えば、世界タイトルマッチほど大きく報じられることはなかったが、今年3月に後楽園ホールで予定されていた大森将平vsコーチ義人によるスーパーバンタム級8回戦では、コーチ義人がなんと1.8キロオーバー。ただし、さすがに体重差が大き過ぎることと、コーチ義人の脱水症状が深刻であることを考慮し、この時はコミッションが試合の中止を決定した。

 ならば山中慎介や比嘉大吾のケースでも、試合を中止すべきだったのではないかとの意見は、今なお根強い。しかし、テレビの生中継がセットされた興行で、カードに穴をあけるのはできる限り避けたいのが運営側の本音だろう。チケット購入済みのファンに対する補償も問題だ。

「結局、そうした事情によって試合を成立させねばならないとなれば、減量放棄もやり得ということになってしまいます。つまり、階級制競技の根幹が今、大きく揺らぎつつあるんです」(同)

 昨今のボクシング界を騒がせる問題は、それだけではない。昨年12月、アメリカのリングでIBF世界スーパーフェザー級王座を獲得し、揚々とベルトを手に帰国した尾川堅一だったが、ドーピング違反によって王座剥奪の処分が決定したのは、先月半ばのこと。今年の初頭に、尿検査において筋肉増強効果があるテストステロン【1】2種類に陽性反応が出たことが判明して以来、数カ月にわたって尾川の処遇が審議されてきたが、試合自体を無効とする裁定が下されたのである。

 海外での劇的な世界王座奪取であっただけに、ベルトはおろか試合をした事実そのものが公式記録から抹消されることに、ファンも業界も戸惑いを隠せない。「アトピー治療の塗り薬が原因ではないか」と潔白を主張してきた尾川陣営にとって、これは最悪の結末だろう。

「ただ、日本人ボクサーはもともとドーピングに手を染めるという文化が比較的薄く、尾川の故意を疑う声はほとんど聞かれません。むしろ問題なのはリテラシー不足です。日本ではドーピングは身近でなくても、世界ではそうではありません。アレルギー用の目薬や、軽度な疾病で服用する飲み薬にも、禁止されている成分が含まれていることはありますから、アスリートは口にするすべてのものを慎重に吟味するのが世界の常識。尾川のケースは、日本ボクシング界にドーピング対策の知識が致命的に不足していることを浮き彫りにしました」(同)

 もともとドーピングでズルをしようという思考自体が希薄であるため、対策が遅れている日本ボクシング界。また、厳しい減量を真面目に乗り越えたがゆえに、体調万全な確信犯に打ちのめされることもある。

 業界のリテラシー不足と興行優先主義が改善されない限り、同様の問題は今後も頻発するに違いない。

(友清 哲)

【1】テストステロン
大東製薬工業の説明よると、筋肉量の増加を促す男性ホルモンの一種で、筋力や筋持久力の増強を目的に、(テストステロンの類似物質である)アナボリックステロイドや男性ホルモンを過剰投与して、ドーピングや副作用の問題を指摘されるアスリートもいるという。ちなみに男性ホルモンだからといって「はげ」の原因にはならない、と同社は指摘している。

『興行とカネ』
周知の通り、国内外の選手による計量失格にもかかわらず、変則ルールなどで試合が行われた日本でのボクシング興行。無論、結果はファンの納得いくものではなかった。

悲劇の裏で撮られた変な戦争写真――『奇妙な戦争』が問いかけるもの

――戦争という人類最大の蛮行を繰り返さないために記録された、爆心地や逃げ惑う市民たちの写真。しかし、戦時中はずっと暗いわけではないので、ふとした瞬間に奇妙な写真も撮影されていた。

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M4シャーマンをモデルとした空気式のダミー戦車。第二次世界大戦中は枢軸・連合双方にダミー戦車の大量投入が見られたという。とはいえ、今だと、住宅展示場にある、子供たちが中に入って遊ぶエアートランポリンにしか見えない。(© IWM H 042531)

 戦争写真というと、歴史的な悲劇の瞬間をとらえた報道写真や、あるいは次記事「未開人、オリエンタリズム、人間動物園……『ナショジオ』の植民地表象? アメリカ写真雑誌と人種差別」の「ナショナル ジオグラフィック」や「ライフ」の例のように、思想性の強いプロパガンダ写真などの印象が強い。それらの写真は、現代の日本に生きる我々の日常とはかけ離れた戦争の悲惨さ、人類の負の側面を今に伝えてくれる力を持っている。

 しかし、第一次世界大戦から100年、第二次世界大戦から70年が経過した今、そんな暗い戦争の時代を象徴する写真とは真逆の、当時の朗らかな日常を写し出した写真が、ヨーロッパ各国で日の目を見ている。

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『Weird War Two』。帝国戦争博物館のホームページから直接、購入ができる。(http://www.iwmshop.org.uk/product/25923/Weird_War_Two

 第二次世界大戦中にベルリンに現れた白熊の着ぐるみと、市井の人々や兵隊たちが記念撮影をした際の写真を集めた写真集『TeddyBär』がドイツで出版。イギリスでは『Weird War One』と『Weird War Two』 という、戦時中の“Weird(奇妙でシュール)”な写真だけを集めた写真集が出版された。

 600万枚以上の写真など貴重な資料を所蔵するイギリス・帝国戦争博物館から、昨年1月に本国で出版された『Weird War Two』。そこに収録された写真に写るのは、教科書にあるような歴史的大事件ではなく、戦時下における人々の日常と、そこから生まれた珍事の数々だ。

 どう考えても目立ちまくりのゼブラ柄迷彩を施された船舶、パラシュート降下する軍用犬、膨張式戦車など、戦術上まったく役に立たなかった珍兵器や、戦場に駆り出されたどこか滑稽な動物たちの写真は、生きるか死ぬかの緊迫した前線や銃後にあって、不覚にも後世まで残ってしまったバカ画像と言って差し支えない。

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壊れた車を動かすレッカー車代わりの象。普段はサーカスに飼われているキキとメニー。ただ、これぐらいの作業であれば、象に頼まなくても、と思えてしまう。(© IWM BU 11449)

「これらの写真集に収録されている写真には、報道写真としての価値やシリアスなメッセージがあるわけではありません」と本誌のメール取材に答えてくれたのは、同博物館職員でこの写真集の作者、ピーター・タイラー氏。

「あるとすれば、最も暗い時代、戦争の真っ只中にあってさえ、人々の暮らしはくだらない笑いであふれているということ。この写真集は単純に私を驚かせてくれた写真、思わず笑ってしまった写真を集めたものですが、読者にも気軽に手に取って楽しんでほしいですし、この本が戦争のまた別の側面に目を向ける機会になれば、とても、うれしいですね」

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パラシュート降下する軍用犬。名前はサルボ。

 権威ある国立の博物館がこんなシュール極まりない写真集を出版したこと自体驚きだが、タイラー氏によれば戦争に関する膨大な資料や記録を収集・保管してきた国立博物館だからこそ、こうした写真集を世に出せたという。

「博物館側もこの本の出版に非常に協力的でした。私がこの写真集のアイデアを思いついた当初は、実際に一冊の写真集を作るのに十分な写真が存在するか、確信がなかったんですが、博物館のアーカイブから興味深い写真が見つかると、その情報が私の元に集まるようになり、今ではすっかりこの手の写真の専門家になってしまいました。どの写真も気に入っていますが、特に、ビールを兵士に運ぶために改造された戦闘機や、停電下の夜間でも車両に轢き殺されないよう警告の縞を体に描かれてしまった牛の写真が好きですね」

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黒い牛に白のペンキを塗るエセックスの農民。こうすれば、停電中の夜間でも車に轢かれることはないとのことだが、もう少し丁寧に塗れないのだろうか?(© IWM HU 36167)

 通常の戦争写真とはひと味違う、国家の存亡をかけた戦時下で生じたズレまくりの努力と生活の記録から、当時の人々の様子がより立体的な実像として浮かび上がる。

 同書はすでに欧米の新聞などで広く取り上げられ、そのほとんどが好意的な反応で受け入れられたそうだ。もっとも、北朝鮮をはじめ外交問題で揺れ動く現在の日本で、同趣旨の写真集が出版された場合、国内外の反応はまた違ったものになるかもしれない。

(文/伊藤 綾)

奈良岡にこ&72歳・最高齢YouTuberが“炎上”から“乳”まで語る!「命が尽きるまで動画はアップします!」

――年齢を感じさせず、自らの手で日々動画をアップするアクティビティあふれる成羽さん。本業は女優でありながら副業的にYouTuberとして活動する奈良岡にこちゃん。年齢が約50も離れた両者が力を注ぎ込む動画投稿/配信の絶対的魅力とは何か? アンチ対策や炎上マーケティング、さまざまな角度から話を聞く!

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(写真/若原瑞昌・D-CORD)

 今や中高生の「将来なりたい職業ランキング」上位にランクインするにまで至った〈YouTuber〉。製品紹介系からハウツー系、果てにはアカウントがBANされないレベルのアダルト系まで、日々、無数の動画が配信され、月に数百万円を稼ぐツワモノさえいる時代。今回、本誌がそんなYouTuberの中から白羽の矢を立てたのは、72歳とは思えぬバイタリティで、「やってみた」「作ってみた」「すっぴんからメイク」から、ゲーム実況や生配信まで行う成羽氏。ご長寿ならではの説得力ある動画はもとより、ほぼ毎日動画をアップする原動力は、いったいどこから湧いてくるのだろうか? そんな成羽氏と同じく、YouTuberとしても活動し、本誌17年10月号にて初グラビアを披露した24歳の女優・奈良岡にこちゃんに協力してもらい、2人に“YouTuber”としてのモットーやポリシーを、余すことなく聞いてみた。

――お2人とも今回が初対面ですが、互いのチャンネルに対する率直な感想を教えていただけますか?

成羽 とにかく若さにあふれていて、パワーを感じました。

奈良岡にこ(以下、にこ) いえいえ、成羽さんこそパワー全開の最先端ですよ。正直、年齢を聞いて、ご趣味のガーデニング動画とか配信されているのかな……と思ったら、PS4のレビュー動画やゲーム実況動画をアップしていて、「な、何者!?」と思いましたもん。

成羽 わたくし、昔からゲームが大好きで、特に『ファイナルファンタジー』シリーズは1作目からプレイしていまして、新作が出るたびにハードも変わりますので、歴代のプレイステーションはすべて持っております。

にこ 私は胸がFカップなので、「私のおっぱいは、ファイナルファンタジーのFカップです☆」って言ったりしているんですけど、今の話を聞いて、ちゃんとゲームをやらないと、って思いました。

成羽 残念ながら、わたくしはFなんてございません。

――でも、YouTubeの検索窓に「成羽」と入力すると、「成羽 水着」がトップヒットしますよね。

成羽 昨年の夏、水着を買ったときに「着てみた」的に配信したんです。でも、全部は映さず、ギリギリのところで止めたんですけどね。

にこ チラリズム、やりますねえ。

成羽 やはり年齢を考慮し、中には「気持ち悪い!」「誰得だよ!」と思う方もいますので、配信する際は、そういうところに気をつけていますね。

――お2人のチャンネル登録者の年齢層や男女の比率を教えてください。

成羽 動画管理者はアナリティクス(アクセス解析サービス)をもとに、ユーザーの年齢や男女比がわかるのですが、わたくしのチャンネル登録者数は3300人弱、年齢は55~64歳がダントツで、男女比は2:8で圧倒的に女性が多いです。将来、わたくしくらいの年齢になられたとき、どんな余生を過ごすのが楽しいかな、という感じでご覧になっているのかもしれませんね。

にこ 私はアナリティクス、ほとんどチェックしてないなあ。チャンネル登録者数は6万7000人くらいで、男女の比率は6:4、ちょっと男性のほうが多いくらいです。

成羽 にこさんは、わたくしの20倍以上の登録者数ですもんね。わたくしはそのデータを見ながら、どんな動画がウケるのか? を考えながら配信しています。

にこ 成羽さん、超真面目!

出会ったのが独身中年男性だったら、なんの問題もなかった――【由美子】の夢は夜ひらく

『高橋由美子』

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『南くんの恋人 DVD-BOX』(ポニーキャニオン)

「週刊文春」(文藝春秋)3月22日号にて、妻子ある一般人男性との不倫が報じられた女優・高橋由美子。最近では、「女優なのに酒好きで豪快」と、佐藤仁美とキャラが被りつつあったが、不倫が上乗せされたことで、一歩抜きん出るかたちとなった。

 20世紀最後の正統派アイドル――。

 高橋由美子、デビュー当時のキャッチフレーズである。「週刊文春」3月22日号に掲載された一般人男性との不倫報道のせいで、30年近くたった今、このキャッチフレーズが皮肉的に使われるという状況を一体誰が想像したであろうか。本人にしてみれば「え! まだソレ言われるの!?」といった、クリエイターが何かっていうとザ・ブルーハーツの名曲を引っ張り出してくるような、そんなうんざり感があるかもしれない。

 そして、この「キャッチフレーズがあだとなる」問題。今のアイドルの娘たちだって、決して他人事ではないのである。もうね、こんなご時世なのだから、いっそのこと、ある程度の事態を想定してつけておくべきではないだろうか。

「はい! 好きになったら一直線!! 奥さんがいても構いません! 不倫も辞さない純愛アイドル・姫田 恋(ひめた こい)です」

 こんなふうに周囲を慣らしておくことが、後々のリスク分散になるのだ。状況はまったく違うが、小泉今日子だって、豊原功補と交際していたのはなんとなく皆知っていたわけで、その下地があったからこそ、突然の不倫告白であっても焦点が「え!? なんで公表したの?」にズレた感じは否めない。こういったマイナスのイメージ戦略というものが、今後必要になってくるのである。

クワを携え、自ら家も建てる…男汁ほとばしるアイドル 三流ジャニーズの奇跡「俺達のTOKIO」論

<注意>この記事は2014年に制作された特集記事です。

――近年、急上昇しているTOKIOへの支持。「歌って踊る」そんな一般的な”アイドル”のイメージとは一線を画し、それまで決して男性アイドルを支持することのなかった層まで取り込むことに成功した稀有なグループだ。なぜ今、これほどまでに支持が高いのか? 音楽・テレビ番組・農業と彼らのたどってきた栄光と挫折の道を追いながら、なぜ国民の隅々にまで浸透し、 男性までもがTOKIOに熱くなるのか、その理由を探っていく。

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【栄光と挫折のTOKIO 20年史】↑画像をクリックすると拡大します。
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デビューから数年は、しっかりガチガチのアイドルとして歩みを進めていたTOKIO。長瀬のぴっちり短パンや、山口のムチムチベストは、今では伝説だ。

 ジャニーズで唯一、現役デビューしているバンドグループでありながら、バラエティの影響か「農業アイドル」「兼業アイドル」との異名も持つTOKIO。加えてデビュー20周年を迎えた今、音楽、ドラマ、バラエティ、朝の情報番組キャスターとあらゆる分野において彼らの活躍の場は広がり、ここにきてようやく”国民的マルチグループ”にふさわしい姿へと進化しつつあるように見受けられる。

「実のところ、現在のTOKIO人気を支えているのは従来のジャニーズのファン層にはいなかったような男性たちなんです。彼らは『ザ!鉄腕!DASH!!』(日テレ系)の放送中にネットで感想を書き込みあい、24時間テレビでゴールを切った城島(茂)リーダーに惜しみない賛辞を贈る。10〜40代の男連中が、メンバーを『アニキ』と慕い、熱烈な勢いで支持しているんですよ」(ジャニーズに詳しい記者)

 実際、ネット上で実施された「もしジャニーズのグループに加入できるなら?」というアンケートでもSMAPや嵐を抑え、TOKIOが20〜60代の男性の全年代で1位を獲得するという結果に。「ジャニーズなんてチャラチャラしていて嫌い」とそっぽを向いていた男性たちが「でもTOKIOは別」とばかりにどんどんハマっているのだ。そんな彼らの魅力とは、一体どんなところにあるのだろうか?

ジャニーズ唯一のバンドという呪い

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現場には、ジャージで現れるという松岡くん。『DASH』では、みずから手ぬぐいタオルを巻き、「俺といえばこれでしょ!」という発言も。

「アイドル、っていうだけで、こちらとしてはやっぱりちょっと構えるじゃないですか。でもTOKIOさんの場合は、本当にみんな裏表がなくて、テレビで見るまんま。松岡(昌宏)さんなんてふらっとジャージで来て、スタッフをいじりながら明るく現場を盛り上げてくれますからね。本当に”そのへんにいる気のいいあんちゃん”そのものなんです」

 そう話すのは、メンバーと現場でかかわったことのある制作会社スタッフ。実際、国分太一や山口達也を朝の番組のMCに起用したディレクター陣も、その理由について「人を心地よくさせるオーラがある」「共演者の面白さを引き出そうとしてくれるから」と口をそろえる。ほかのアイドルたちのように「オレが、オレが」としゃしゃり出る自己中心的な態度がなく、場の空気を明るく盛り上げながら周囲を引き立てる彼らの姿がスタッフや共演者からも愛され、仕事に結びついているということだろう。ただ、実はそんな彼らの姿勢の裏には、長く積み重ねざるを得なかった”不遇の時代”が影響している。

「94年、『ダテに待たせた、ワケじゃない』をキャッチコピーに華々しくデビューした……かのように見えたTOKIOでしたが、その3年前にデビューしていたSMAPや、後輩のV6、KinKi Kidsらに挟まれて、その影はかなり薄かったです。長瀬くん以外のメンバーにはいまいち華がないし、CDの売り上げもライブの集客数も伸びないことから、ジャニーズ内では完全な『失敗グループ』と見なされてましたよ」(ジャニーズに詳しい記者)

 ただ、彼らに関して事務所も最初から力を注いでいなかったわけではない。歌って踊れる「ミュージカル」好きの印象が強いジャニー喜多川社長だが、実は「バンド」好きでもある。振り返ればTOKIOがデビューしたのは、80年代のアイドルシーンを一世風靡した男闘呼組が突如解散した直後のこと。世界に通じるグループになるよう想いを込めた「TOKIO」の名は、もともとジャニー氏が男闘呼組につけるために用意していたものだった。悲願の名を冠したTOKIOはジャニー氏にとってそれなりに思い入れも深いグループだったはずなのだが、そこで与えられた”バンド”という縛りが、彼らを苦しめる要素となってしまう。

「当時はまだ、ジャニーズ事務所内にレコード会社がない時代。SMAPがビクターでTOKIOはソニー、V6はエイベックス……というように各社へ所属タレントが振り分けられていたわけですが、なかでも一番売り出しがうまかったのがビクター。かたや一番宣伝がうまいと思われていたのがソニーだったのですが、TOKIOの場合、バンドブームが終わってからのバンドデビューですからね。どう扱っていいのか……というムードも社内にはあったようです」(音楽業界関係者)

虐待児だったオレを救ってくれたのは、右翼の先輩たちだった

――虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。

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 これまで、女性のサバイバーたちに会って話を聞いてきた。ずっと疑問に思っていたのは、同じ虐待でも「男の子が背負うもの」は、また違うのではないかということ。「男子たるもの強くあるべし」という信仰は薄れてきたにせよ、理不尽なかたちで屈服させられることへの抵抗感は大きいのではないだろうか。

 そんな疑問に応えてくれたのが、65歳のトラック運転手「マサやん」(仮名)だった。“YAZAWAのデコトラ”に乗り込み、全国どこへでも颯爽と走る。日焼けした肌に鋭い眼光、スチールブラシのようにビシっと生えそろったグレーの短髪と髭が、いかめしさに拍車をかけている。曲がったことが大嫌いな性格。最近はじめたSNSの使い方にしても、「はじめに挨拶もなしに、いきなり内容を投稿するなんて礼儀がなっとらんよね。『おはようございます』『こんにちは』は、人として基本でしょ?」と、憤慨する。

 規律に厳しい一方で、愛犬にはめっぽう弱い。去年から保護犬として柴犬を迎え入れ、溺愛の結果、「ほんともう、ぶくぶく太っていくだけだよー」と苦笑いをする。マサやんとはこの連載をきっかけに知り合った。読んだ感想をフェイスブックに投稿してくれたのだ。

中2のとき、継母の頭をゲタで叩き割った

 マサやんの左手の中指は、指先が平たくつぶれている。

「3歳ごろに、母親が『泣き声がうるさい』って石でつぶしたんだって。自分の指が何でこんなに変な形なのかずっと疑問で、ばあちゃんにしつこく聞いて教えてもらったのね」

 生まれは大分県の片田舎。高度経済成長の前夜で、町にはまだこれといった産業がなく、父親は「木こり」として生計を立てていた。マサやんが産まれてすぐに両親は離婚。彼を引き取った父は3年後、子連れの女性と再婚した。中指をつぶしたのは、この継母である。父や祖母に隠れてマサやんの食事だけを極端に減らすなど、自分の子と差別し続けたという。

「買ってもらえるおもちゃにも差があってね。弟たちが立派なプラモデルだとしたら、オレはお菓子のおまけみたいなちゃっちいやつ。子どものうちは、ただただ悲しかった」

 父親の暴力が始まったのは、中学に上がってから。そのころ父は、木こりからミシンの訪問販売に転職し、ストレスが溜まっているようだった。しかし、実家が裕福だった後妻のおかげで母屋の建て直しができたこともあって、そちらには頭が上がらない。連れ子にも気を遣っていたため、ストレス発散の矛先はマサやん一人に向いた。

 1960年代といえば、東京オリンピックや新幹線開通、車・クーラー・カラーテレビの普及、ミニスカートブームなど、庶民の生活習慣が目覚ましく変化した時期。しかし地方では、その急激な社会変化についていけない人たちがいて、そのしわ寄せが家庭生活にも現れていたのではないだろうか。

 それまで何とか耐えていたマサやんの糸が切れてしまったのは、中2の冬のこと。

「朝いきなり父親にたたき起こされて、真っ裸で納屋の柱に荒縄でくくられて、氷が張っているドラム缶の水をバシャバシャぶっかけられたんよ。庭には霜柱がびっしり張ってて、寒い日だった。やめてーって叫びよったと思うけど、身体が冷たくなって意識が薄れて、『あぁ、死ぬのかな』って思ったよ。裸で恥ずかしいとか、それどころじゃなかった」

 その数日後、マサやんは継母との言い争いから、とっさに近くにあったゲタで頭を殴ってしまう。母は血まみれになり、すぐに救急車と児童相談所の職員が来たという。頭蓋骨は割れていた。

「実はオレが柱に縛られてたとき、近くで見ていた母親がオレを見てニカッと笑ったんだよね。殴ったときは頭が真っ白でよく覚えてないけど、もしかしたらその笑顔が浮かんだのかもなぁ」

 現在でも、家庭内暴力のニュースは後を絶たない。「ゲームのやり過ぎを注意されて母を刺す」「成績不振をなじられて両親を殺害」などの事件が、「キレる子どもの恐ろしさ」として紹介されることが多いが、果たしてそれだけが理由だろうか? 引き金となるのは些細なことでも、背後にはマサやんのような深い哀しみと屈辱の歴史が広がっているのかもしれない。

とにかくチカラが欲しかった、運送も取り立ても何でもやった

「お前のためにも、県外へ出ろ」。すべての事情を知っていた担任のすすめで、中学卒業後は静岡県浜松市の鉄工所に就職した。家で虐げられていたため学校にもほどんど通えていなかったが、担任が集団就職の一環で押し込んでくれたのだ。

「あんときは、『オレみたいなもんは世の中にいらんのかな?』と思ってたから、社会に出てからは、強い男になろうと努力したよ」

 三島由紀夫の存在を知り、文武両道かつ堂々とした姿に憧れ傾倒した。三島が結成した学生組織『楯の会』に入ることを目標に定時制の高校に入るが、1970年、三島の割腹自殺により断念。失意のあまり鉄工所も高校も辞め、路頭に迷っていたときに拾ってくれたのが、姫路に拠点を持つ右翼団体だ。総裁が、マサやんの生い立ちやデコトラに憧れていることを知り、運送職員として雇ってくれたのだった。

 はじめて居場所を得た少年は、スポンジが水を吸うように先輩の教えを吸収していく。

「事務所に住み込んで、挨拶の仕方から靴のそろえ方まですべて教わったよね。お客さんの靴は、身なりが悪くても年下でも平等にそろえる。あのころの経験は、今でも財産だよ。借金の取り立て仕事は、返済額の半額が報酬になることもあって、割りのいい仕事だった。ケンカもたくさんして派手に遊んだし、たくさんの人も泣かせたね」

 自分の存在意義を疑う少年たちに、チカラを得る方法や義理人情の絆を示してくれる。彼らの活動の是非はここで問わないとして、暴力団や政治集団がサバイバーの受け皿を担っている部分はあるんじゃないだろうか。

 28歳で結婚。息子も生まれた。

「でも、『あなたには何か大事なものが足りない』と言われて4年で別れたんよね。自分でもそれはわかるけど、何が欠けてるかはわからなかった」

 故郷を捨てケンカに明け暮れ、強さは手に入れたはずなのに、なぜ? しかし、心に空洞があるかのような欠落感は、サバイバーが多かれ少なかれ持っている感覚である。それが他人への信頼感なのか、自己肯定感なのか、生きたいという欲求なのかは人それぞれだが、時には親を憎んだり自分を責めたりして、ピースが欠けたままのパズルに取り組むしかないのだ。

 だが、33歳で新しい「親父」ができ、マサやんのパズルに新しいピースが加わる。

「同じ思想を持つトラックの集まりで出会った人でさ。相手は年下だったけど『お前オレの子になれ』っていうのよ。お互いかたぎの人間ではあるけど、盃を交わして親子の関係になった」

 一つの盃で酒を飲みかわし、器はマサやんが半紙に包み大切に保管している。「親父」は、いつも独り身のマサやんを気づかってくれた。

「オレが誕生日を祝ってもらったことがないって知ったら、次の誕生日に家に呼んでお祝いしてくれてね。奥さんが大きくて立派な鯛を焼いてくれてさ……」

 マサやんの声が詰まる。思えば、家族からこんなに優しくされたことはなかった。その後の付き合いは、「親父」が亡くなるまでの30年間続いたそうだ。実父が亡くなったときは涙も出なかったが、「親父」のときは1週間以上「目から汗が止まらなかった」という。

 足りない、欠けていると思っていた「何か」は、人から与えられたときに初めて気づけるものなのかもしれない。それは人を屈服させるチカラとは別の温かいものだった。

65歳にしてやっと普通の家庭が持てた

 そして17年、マサやんには新しい家族が一気に5人も増えた。奥さんと4人の連れ子たちだ。親父とトラックの集会に参加していたころの顔見知りと、30年ぶりに再開したのだ。「親父が引き合わせてくれたのかな」と、同棲することに。一番下の子が中学生。微妙な時期なんで、まだ籍は入れてないんだけど、みんな慕ってくれる。

 マサやんは、一回り以上年下の奥さんを「オンナ」と呼ぶ。「犬と同じように太っちゃってさ。もうトドだよ、トド」と笑いながらも、喜びは隠しきれない。

「オレは晩成型って言われてきたけど、65歳にしてやっと普通の家庭が持てた。これが家族かってしみじみ。オレは身体を洗うときに亀の子だわしを使うんだけど、唯一届かない背中の真ん中を、オンナが丁寧にかいてくれるのね。そのとき『、あーーーーー気持ちいい!』って心から思うんだ。いまだにトラックで仮眠していると、昔のことを思い出してハッと目が覚めることもある。でも憎いという想いは消えてきている。今、目の前に守りたいものができて、過去にかまうヒマがなくなったのかも」

 一枚だけ残っているという、マサやんが幼いころの家族写真を見せてもらった。モノクロームの写真に、日の当たる縁側の前で親戚一同がそろっている。真っ先に目にはいるのは、マジックで黒く塗りつぶされた父親と継母の顔だ。髪の毛一本の形跡も許さないというような広い範囲で、四角く塗りつぶされている。かっぽう着姿の継母の膝の上には、ぎこちなく抱きかかえられて、うつむき気味な幼いマサやんの姿があった。

 あのとき知らなかったものが、今は手元にある。もう少し先には、笑顔が満開のカラフルな新しい家族写真を見せてもらえるのだろう。

(文/帆南ふうこ)

帆南ふうこ(ほなみ・ふうこ)
1980年生まれ、ライター。4歳ごろから高校生まで実母から身体的・精神的な暴力を受けて育つ。13年間にも及ぶ反抗期を経た後、結婚を機に母親と和解。ここ数年は元・被虐待児である「サバイバー」たちのオフ会を開いたり、取材を通じてサバイバー仲間との親交を深めている。趣味はお酒と田舎暮らし。

<ジャニーズ異聞 二話>赤西仁のデキ婚退社とはワケが違う!「関ジャニ∞」渋谷すばるの独立と未来

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 最近ではグループからの脱退、事務所からの退所も珍しくなくなった「ジャニーズ事務所」だが、「関ジャニ∞」・渋谷すばる(36)のグループ離脱、事務所退所は異例なものとなった。

 まずは会見。4月15日に開かれた渋谷の会見はメンバー(一人欠席)が揃った。

「『フライデー』が渋谷脱退を報じたことで、急遽、開かれたようです。報道を無視すれば、過去の脱退のようにスキャンダラスな報道が後追いする可能性もあった。特に一連のSMAP解散・独立騒動ではジャニーズ事務所が“ブラック企業”であるというイメージが広がってしまった。それを避ける意味合いもあった。しかも、全員そろって渋谷を送りだすという演出で、グループ内に確執はなく円満な脱退を強く印象づけた。今後も活動を続ける関ジャニのイメージを最優先した形です。会見嫌いのジャニーズにあって、久しぶりに好感度の高い会見になりました」(芸能デスク)

 脱退する渋谷も「本当にアイドル?」と思うほど話はしっかりしていた。脱退の理由も明確。「人生の半分を終え、この先の人生を考えると音楽の道を究めたい」という実質の脱アイドル宣言。人気アイドルグループ脱退の決断は難しい。

 元アイドルから聞いた話を思い出す。

「人気がピークの時はメンバーとの仲が悪くても、やりたくない仕事をやらされても、脱退なんて口に出して言えない。そこは仕事と人気を優先する。解散とか脱退を考えるのは人気が落ちてから。この先ソロとして何をやろうかと将来を考えるが、その時ではもう遅い。解散してからなんてなにもできない。多くの元ジャニーズOBが仕事に行き詰まったはずです」

 先人の生き方を見て参考にした渋谷の決断はある意味、評価されているという。

 KAT-TUNの赤西仁のように“アメリカ音楽留学”は表向けの理由で実際は黒木メイサとの“デキ婚”による脱退とは違う。渋谷は音楽家を目指すことを目的としている。

「赤西は単にアメリカン音楽にかぶれた素人と変らない。未だに音楽で大成できていないのも当然です」(音楽関係者)

 渋谷の会見で特筆した話が「ジャニーズで尊敬できる歌手はいますか」と質問に対して、「いません」と即座に断言したこと。

「ジャニーズ事務所に忖度してその部分を放送しなかったテレビが多かったのが逆に滑稽でした。そこまでやるか、ですよ。だいたい今のジャニーズにソロ歌手として本格的な活動している人もいないし、音楽界で評価されている人もいない。渋谷は正直に言っただけ。逆に無理して名前を出すほうがおかしい」(芸能プロ関係者)

 ジャニーズは歌って踊るグループとしてデビューするが、将来的に音楽を突き詰めるグループも個人もいない。「アイドル」という仕事で人気を獲得。ゆくゆくは俳優やタレントを目指す集団。渋谷は音楽の才能を秘めている歌手と言われている。音楽関係者も、「ジャニーズには歌手として一本立ちできる人はいないが、渋谷はジャニーズの歴史を覆すくらいの歌唱力を持っている。本人も自信があるから、アイドル色の強い関ジャニで活動することに違和感を持つようになったのだと思う。特に関ジャニは関西出身らしくお笑いなどコミカルな面が売りのグループ。音楽家としての思考が強くなっていくうちに、グループが窮屈になったのでは。」という。

 渋谷の気持ちを尊重しメンバーが送り出したように見える脱退。だが、事務所内は決して穏やかでないように見える。なによりも不自然なのが、関ジャニからの脱退は認めたが、事務所とは契約更改となる7月までジャニーズの所属。関ジャニはドーム公演などこれからコンサート活動が活発化する。渋谷も参加すればコンサートは必ず盛り上がる。芸能デスクが話す。

「渋谷が参加すれば、渋谷の“さよならコンサート”の雰囲気になり、渋谷を中心とした報道にもなりかねない。他のメンバーの存在感が薄れてしまうことを懸念した。渋谷がいなくとも関ジャニ人気は不変であることを強調することを選んだとの見方です」

 渋谷は事務所がスケジュールを切ったソロ活動するしかない。問題は独立後―。

「渋谷と旧知のレコード会社の幹部が独立して渋谷の面倒を見ると言われています。関ジャニで築いた人気があるので支持する女性は多い。ミュージシャンとして化ける可能性はある」(音楽関係者)

 元SMAPの3人はネット中心とはいえハツラツと活動をしている。来年以降は渋谷に注目が集まる。渋谷の成否が後輩タレントたちの将来の指針になる。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

<ジャニーズ異聞 第一話>二宮和也の結婚話——アイドルファンは諸刃の剣である。

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 2年前にフリーアナの伊藤綾子(37)との熱愛が発覚した“嵐”の二宮和也(34)。

 一説には「破局」と伝えられていたが、再び「女性セブン」で交際継続中が報じられた。二宮の車を伊藤が運転する写真など親密ぶりはエスカレートしている。同誌によると2人は二宮のマンションで同棲し、お互いの両親にも紹介済みだという。「結婚前提」との見方ができるが、二宮はジャニーズ所属の人気アイドル。事は簡単ではない。それはジャニーズの歴史が如実に物語っている。「結婚するなら事務所を辞めてから」がかつてのジャニーズの暗黙のルールだった。

 2000年、当時“SMAP”の超人気メンバーだった木村拓哉が工藤静香とデキ婚を発表。アイドルは結婚できないルールが大きく変わった日だった。以後、結婚どころかパパになるタレントが続出。今やアイドルの結婚は当たり前。とはいえ、毎年1グループ・1人限定とも言われたこともあったりして、誰でも結婚できるわけではない。事務所が許可するか否かにかかっているが、ここにきて許可する条件もおぼろげながら判明してきている。

「結婚は人気のバランスが重要。アイドルの肩書きがなくなっても今後やっていけるメドのついたタレントから結婚を許されている」(芸能関係者)

 “V6”の井ノ原快彦や“TOKIO”の国分太一はすでに司会業として活躍。昨年暮れに女優の宮崎あおいと結婚した“V6”の岡田准一、今年に女優でシングルマザーの宮沢りえの再婚相手になった森田剛。

 2人はすでに役者としての地位を確立している。結婚に踏みきれたのも従来のアイドルファンに頼らなくともやっていけるメドがついたからに他ならない。果たして二宮はどうか——。

「嵐はSMAP解散後、ジャニーズ事務所の屋台骨を支えるアイドルグループ。人気も衰えることなく、女性の噂だけでも大騒ぎ。嵐をここまで人気にしたのは、事務所創設者・メリー喜多川の娘で近い将来の社長になる藤島ジュリー副社長。人気には人一倍神経を使っている。そう簡単には結婚どころか、交際も許さないだろう」(テレビ関係者)

 事実、大野智は3年前に元タレントとの岩盤浴デートが報じられたが、即座にジャニ記者の前で謝罪して別れを宣言した。事務所から別れるように強く注意されたことは明白。その後に発覚した二宮は破局宣言こそしなかったが、大野の例から別れただろうと見られていた。業を煮やしたファンからは抗議が殺到。伊藤が二宮との交際を匂わすような写真を自身のSNSなどでアップしたため、「嫌な女」「別れろ」「もう二宮の応援はしない」といった声が溢れた。ファン以外から見れば、なんとも理不尽な抗議。もう30を過ぎた男。恋愛ぐらい普通にしているのが当たり前。それを「相手が気に入らない」と抗議するファン。アイドルファンは普段は熱心に応援してくれるが、気に入らないことがあると応援しないという両刃の剣だ。アイドルの宿命とはいえ、最も悩む問題。周囲からは「人気を取るか彼女を取るか」の二者択一を迫られる。元アイドルからこんな話をよく聞いた。

「仕事はずっと続けなければならない。人気がなくなればアイドル生命は終わり。結婚を考えなければ彼女の替えはいくらでもいる。別れるのがベストと考える」

 が、二宮は別れず愛を深めていたと見える。結婚相手と見るのが自然だが、二宮は今もアイドル。本人の意思に関係なくファンはそう思って応援している。二宮は昨年から役者業が活発化しているが、岡田のように役者としての地位を確立できていない。

 従来のアイドルファンが大半。高齢者までもが「二宮のドラマを見たい」と思うようにならなければ脱アイドルではない。それでも結婚を優先させるなら、木村拓哉のように先に結婚。後に役者業に専念という方法を選ぶ形しかないかもしれない。結婚すれば嵐では第一号の既婚者になるがはたして。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

ディズニーを忖度した東宝が言論統制!? ミュージカル『メリー・ポピンズ』の感動できない舞台裏

 1964年に製作され、アカデミー賞5部門を獲得したディズニー映画の名作『メリー・ポピンズ』。空から飛んできた乳母のメリー・ポピンズがロンドンの銀行家ジョージ・バンクスの一家に現れ、娘ジェーンと息子マイケルをはじめ人々を不思議な体験に巻き込むというファンタジーであり、現在、それを原作とするミュージカルが日本で上演中だ。会場ではパンフレットが販売されているが、そこに収録されるはずだったある原稿が“お蔵入り”になったという。その内容と掲載できなくなった理由とはーー。『ディズニーの魔法』(新潮新書)などディズニー関連の著書を数多く出版している早稲田大学教授・有馬哲夫氏が緊急寄稿!

 今年3月25日から東京の東急シアターオーブでミュージカル版『メリー・ポピンズ』が上演されている。主催・企画製作はホリプロ、東宝、TBS、梅田劇場。ほかにも放送局、カード会社、証券会社などが共催に名前を連ねている。

 特筆すべきは、ディズニー(正式にはウォルト・ディズニー・カンパニー)主催ではないことだ。もちろん、直接の原作になった映画の著作権はディズニーのものだから、この点では関係している。だが、『ライオンキング』や『美女と野獣』などのように日本ではおなじみのディズニー・劇団四季のコンビではない。放送局もディズニーと関係が深い日本テレビではなく、TBSだ。協賛企業のひとつにディズニー★JCBがあるが、これは日本のカード会社であって、ディズニーに莫大なブランド使用料を払ってはいるが、ディズニーの系列会社ではない。つまり、ディズニーの作品を非ディズニー企業や劇団がプロデュースし、上演しているのだ。

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ミュージカル『メリー・ポピンズ』公式サイトより。東京公演は渋谷・東急シアターオーブで5月7日まで上演中。その後、大阪に巡回し、梅田芸術劇場メインホールにて5月19日~6月5日に上演される。

 そもそも、このミュージカル版『メリー・ポピンズ』は、イギリスをはじめとするヨーロッパの劇団がディズニーに高額の著作権使用料を払いつつも独自にプロデュースしてヒットさせたもので、アメリカ発でもディズニーの手になるものでもない。これは、とてもいいことだと私は思っている。多くの文化的要素が入り込み、国籍を異にする人々の創意工夫が反映されたものになるからだ。

原作を大胆に改変したW・ディズニーとトラバース夫人との対立

 このように、このミュージカルは、プロデュースや権利関係のことも複雑なのだが、原作関係も相当複雑だ。現在、日本で上演されているものの直接的な原作は、ウォルト・ディズニー・プロダクションズ(ディズニーの当時の社名)が1964年にリリースした映画『メリー・ポピンズ』(なぜか「Mary」を「メリー」にしている。正しくは「メアリー」)だ。これは、実写・アニメーションの合成映画だというほかにミュージカル仕立てになっているところが特徴である。ミュージカル映画といっていい。

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 一方、この映画にも原作があって、パメラ・トラバース夫人の児童文学の名作『メアリー・ポピンズ(Mary Poppins)』がベースになっている。だが、一方は活字の本であるのに対し、もう一方は、アニメーションと実写の合成とはいえ、ミュージカルだ。したがって、映画版をプロデュースしたウォルト・ディズニーは、かなり大胆に設定やストーリーやキャラクターの属性(例えばメアリーは、原作ではおばさんだが、映画では若い女性)を変えている。これは、メアリー・ポピンズ(本のタイトルであると同時に主人公の名前)の生みの親トラバース夫人からすれば、とんでもないことである。

 彼女にとって、何よりも許せないのは、自分が創作したのではないところで、観客が喜び、感動することだ。当然、映画の製作中、トラバース夫人とウォルトは衝突を繰り返すことになる。それを、商魂たくましいディズニーは『ウォルト・ディズニーの約束』という映画にしている。転んでもただでは起きないのだ。

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 トラバース夫人、というより中立の立場から一言いわせてもらうと、この映画ではトラバース夫人が偏屈で頑固で変わり者であるかのように書かれているが、実際にはウォルトのほうが頑迷でエゴイスティックでエキセントリックな人間だった。トラバース夫人は自分の父の思い出がこもっている自伝的作品をいいようにいじられたのだから、映画で描かれたように不機嫌に振る舞って当然なのだ。

アイルランド、父親への愛憎……トラバース夫人とウォルトの共通点

たけし軍団はたけしから何を学んだのか? 師弟関係が産んだビートたけしの誤算

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 ビートたけし(71)の独立を巡り勃発した「たけし軍団」と森昌行社長のバトル。メディアを使った軍団の作戦前に社長は陥落。たけしに対しての非を認め経営方針を反省。文書による公開「謝罪」という形で一応、決着した。

「週刊誌を中心に独立の影にたけしの愛人の存在があるという報道からたけしと社長の確執に問題がすり替わった感がある。穿った見方をすれば、軍団が師であるたけしの愛人話の火消しのために公にする必要もない社長の話をブログで発信。愛人話の火消しを果たした。そんな見方もできる。たけしだけが独立しても軍団との師弟の絆を見せつけたようでもありました」(ワイドショー関係者)

 師弟関係は日本の古き良き伝統。寿司職人など、職人の世界でもよく使われる。弟子は師匠の元で厳しい修行をして、やがて一歩立ちして独立していき、技の伝統に繋がっている。芸能界でも落語家や漫才師など芸人の世界では昔からあったしきたりだが、今は吉本興業のように学校で学ぶ形になり芸人の世界での師弟関係は薄れている。たけしとたけし軍団の師弟関係は30年前に結ばれた。弟子は師の芸を学び成長していく。師も弟子を厳しくしつけながら芸を教える。それが正しい師弟関係とされるが、たけしの芸をしっかり受け継いだタレントは軍団の中にいない。そのまんま東の芸名でたけしの一番弟子だった東国原英夫も今やたけしと肩を並べる存在だが、東が大きく成長した要因は軍団を辞め、自らの力で政治家になったことだ。直接、たけしの芸を引き継いだわけではない。たけしは連載中の週刊ポストの誌面でこんな話をしている。

「芸人というのは結局のところ自分に『芸』がなきゃ売れ続けるなんて無理」

 と軍団の面々に芸がないことに対しての苦言を呈している。教えなかったのか、学ばなかったのかはともかく、本来の師弟関係は構築できなかったが、別な形では師弟関係の本流を発揮していた。

 1986年の「フライデー」殴り込み事件。たけしの愛人と言われた女性の報道を巡り、たけしはフライデーを発行する「講談社」に殴り込んだ。本来ならたけし1人の話。たけしが乗り込むなら筋は通るが、軍団は「殿の一大事」とたけしと一緒に殴り込んだ。まるで、親分の危機に子分が殴り込むヤクザようにも見えてくる。今回のケースも似ている。暴力こそ使わなかったが、今回は暴力をブログでの告発という形に変えて社長を批難したように見える。

 師弟関係も様々なケースがある。漫画家やカメラマンの世界にも師弟関係は存在する。彼らには「アシスタント」と呼ばれる弟子がいる。彼らは、師のアシスタントをしながらいずれ一流の漫画家やカメラマンを目指すが、不思議なことに「○○の弟子だった漫画家、カメラマン」というのは意外と少ない。業界関係者からこんな話を聞いたことがある。

「漫画家でもカメラマンでも、アシスタントが自分を抜くような才覚を発揮しだすと、師匠は自分の仕事を取られるという危機感を持つ人がいる。そうすると、アシスタントを一本立ちさせまいとする。アシスタントは技術だけ学んだら、独立して自らの力で這い上がっていくしかない。唯一、弟子の出世に手を差し伸べたのは、漫画の赤塚不二夫さんぐらい。“釣りバカ日誌”の北見けんいちは赤塚氏のアシスタントとして修業して独り立ちした」

 たけしは軍団の中からたけし芸を受け継ぐようなタレントを作ることをあえてしなかったのか、それとも彼らが本気で学ぼうとしなかったのか——。

 皮肉なことに、軍団が先駆者だった「リアクション芸」は後に、ダチョウ倶楽部の3人が第一人者となり、今では出川哲郎がピンで縦横無尽の活躍をしている。軍団の中にリアクション芸のスターが出ていれば、たけし1人の稼ぎに頼らずに本来の正常な事務所運営ができたように思う。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。