ハズキルーペ会長の暴露が波紋? 芸能人のギャラと事務所の微妙な関係

1812_watanabe.jpg『誰?-WHO AM I?』(ブックマン社)

 先だって、「週刊文春」が話題のCM「ハズキルーペ」の会長にインタビューした記事を掲載。そのなかに衝撃的な話があった。現在、起用している俳優らのギャラを明かしてしまったのだ。渡辺謙は2億円。舘ひろし8000万円。武井咲7800万円。菊川怜7500万円と、驚きのギャラに「そんなに貰うの!?」と驚愕した人も少なくない。

 ちなみに、武井と菊川は同じ事務所所属で、菊川が先輩なのに後輩の武井の方が300万円高い。そんな余計なことまで話題になってしまった。

 本来、芸能人のギャラは非公開。映画会社や企業でも公に明かすことはタブーとされている。芸能関係者が話す。

「初めてのCM効果で売り上げが急激に伸びたことで、あまりCM業界の事情など知らない会長がつい口をすべらせてしまったのでは?今後もハズキルーペは大物を起用して新たなCMを制作するという話があるが、出ればおおよそのギャラがわかってしまうし、ギャラが魅力で出たのか、そんな噂が出るのは必定。いくら高額でも尻込みする人も出てくるのでは」

 CMで話題先行の企業ほど危ないものはないと言われているが、まさにその典型的な例とも言える。それほどCMは当たれば絶大な効果がある証明にもなったのだが、広告代理店関係者はこう話す。

「テレビCMが話題になれば売り上げは急激に伸びる。当たれば止められなくなる。かつてライザップはダイエットのCMで次々とタレントを使い、使用前・使用後を“結果にコミットする”のキャッチコピーで宣伝。大幅に会員を増やすことに成功した。今年11月、事業を広げ過ぎたことにより赤字に転落。成り上がり的な会社にありがちなこと。稼いで太った会社が、ダイエットした。そんな笑話になっているほどです」

 さて、昔から芸能人のお金の話は異性の話と同じくらいに関心が高く、週刊誌でも定期的に記事になる。俳優のドラマ1本当たりのギャラやCMのギャラといった類のものだが、当然、金額には「推定」の文字が入る。

「根拠なく金額を出しているわけではない。芸能人や所属事務所からではなく、支払う側の映画会社や広告代理店から話を聞いているので、限りなく本当に近い。極端には違わないはずです。ただ、推定としているので、ギャラを明かしてもクレームがくることはない(笑)」(女性誌記者)

 ギャラは一般の人にとっては、「へぇー、こんなに貰うの」とかっこうの井戸端会議のネタになるが、関心を持つのは芸能人もしかり。

 隣の芝生は気になるもの。ライバルたちがどれだけ貰っているのか、芸能界の関心も高い。

 それが時には事務所とのトラブルになることもある。「なんであの子はあんなに貰っているのに、私はこんなに少ないの」と事務所に不信を抱き、やがて独立や移籍騒動に発展することも少なくない。

 事務所とタレント間のギャラの配分は事務所によって違うが、本来、事務所はギャラのマネージメント料として20%~30%として取るのが業界の相場とされる。

 新人のうちは給料制で売れ始めると歩合制になることも多い。ホリプロのようにずっと給料制のところもあり、和田アキ子もいまだに給料としてもらっている。逆に吉本のように歩合制でも事務所の取り分が多く、営業など数をこなさないと、十分な金額が入ってこないところもある。明石家さんまクラスの超売れっ子になれば、ギャラは天文学的数字になる。苦しくても吉本で「さんまを目標」に目指す。ギャラが安くても仕事には困らないのが吉本のメリット。独立する芸人は極端に少ない。

 一方、仕事の数よりも質で選ぶならCMの仕事。撮影は1週間程度で終わり、後は3か月、半年、1年の単位で契約すれば、勝手にテレビに流れるだけで千万円単位のギャラが入る。ギャラの額は人気と実力、経験が加味される。渡辺謙が2億円というのも「ハリウッドスター」という肩書きがモノを言っている。

「ハズキルーペがギャラを公表したことで、謙さんクラスになると、億単位のギャラが必要と固定観念が付き、彼らを使いたいと考えていた企業が二の足を踏む可能性もある。企業は安くて効果のあるタレントを使いたいのが本音。最近は旬の若手ならまだギャラは押さえて使えると、オファーが増えている」(広告代理店幹部)

 芸能界のタブーを破ったギャラの公開。今後、様々な波紋を呼びそうである。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

【五所純子/ドラッグ・フェミニズム】薬物売買にさよならしたゴミ収集員・真弓の物語[前編]

――覚醒剤、コカイン、大麻、向精神薬……クスリに溺れる女たちを嗤うのはたやすい。だが、彼女らの声に耳を澄ませば、セックスやジェンダーをめぐる社会の歪みが見えてくる。これは、文筆家・五所純子による“女とドラッグ”のルポであり、まったく新しい女性論である。

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 女子はみな、一対一だと話せる奴なのに、集団になると圧力抑制プールみたいに息苦しい。それに比べたら、男子の露悪的なグラウンドのほうが気が鎮まる。そんな実感に加えて、真弓にはバイセクシャルだという自認があった。

「小学校に入る前、家族でアメリカに行ったとき、本屋でエロ本を見ました。裸で絡み合ってる男女のどちらにも私は興奮したんです」

 真弓が10代を過ごしたのはコギャル・ブームの全盛期。社会が制服姿の女子中高生を異常なまでに取り沙汰し、そこに活路を見いだした女子も多い。熱狂からはぐれた真弓が向かったのは、「雑誌の『BURST』(コアマガジン)や『危ない1号』(データハウス)を片っ端から読みました。暇なときは腕を線状に切ったりして、入れ墨をいれたのは19歳のときです」。悪に惹かれた。悪徳は逸脱した自分を受け止めてくれる気がしたから。悪辣さはすべてを壊して公平にしてくれる気がしたから。

 真弓の半生を一冊の本にたとえたら、目次の多さに圧倒される。家庭不和、母との諍い、家出とヤクザと覚醒剤、出会い系サイトで薬物売買、映画とLSD、恋人の失踪、心中未遂、元覚醒剤中毒の恋人、売人歴、2度の逮捕、東西の刑務所、収監中の妊娠発覚、更生施設での生活。真弓はわかりやすく目次ごとに体験を分けて語ってくれる。でも、誰がつくった目次だろう。彼女はそこにいない。彼女は目次の間に息を潜めている。

 幼くして両親が離婚し、母がすぐに再婚した。実父が去ったマンションに養父を迎えて、暮らし直される家。ジオラマに人形を置いて観察するみたいに、あの日の父母を理解で包みながら、あの日の自分を内省で整えながら。家族について語る真弓は、構文法のルートから外れず、言葉の行き先を見失わないように、慎重に、地道に、話し進める。

「実父も養父も荒れてました。実父は家族と別れなければいけない葛藤で、養父は別の男の子どもを受け入れなければいけない葛藤で。弟と妹が生まれて、母は私と下の子を一緒にいさせるのが心配みたいでした。母のしつけは厳しくて、小学生で5時すぎに帰宅すると引っぱたかれて、中学は門限7時、高校は門限8時。だから友達と遊んだことがなかったです。勉強しろって言われたら勉強してるふりしてました。夏にキャミソールで出かけたら、『そんな娼婦みたいな格好して。男と遊んできたんだろ』って言われたこともありました。まだ11歳で男性経験もなかったんですけどね。母にたいして好きとか嫌いとかはないです。小さい頃に苦しいことが多かったせいか、母の考え方を肯定的にとらえる癖がついてるんです。母が弟妹に怒鳴ったところは見たことないです。怒鳴られる原因は私にもあったと思います」

 模範解答だ。真弓は口頭試問をクリアする。彼女の回想を聞いていると、いかにもルポルタージュに登場しそうな、いかにもカウンセラーが評価しそうな、いかにもワイドショーで軽蔑しそうな、いかにもアカデミアが標本にしそうな、いかにもゴーストライターが模倣しそうな、元不良女の更生語りだった。家庭環境に恵まれず、母親に憎まれ、演技を鍛え、素行を悪くし、人里を離れ、他人を許し、自分が赦されていく。あまりにも型どおりで、誰かに喋らされてるみたいに型どおりで、痛ましくなるほどだ。こんなのなぞってたまるかと、書き進める手を止めたくなる。

 でも、これが、今の彼女に必要な物語なのだと思い直す。かつて10代の真弓は「ハードな話が好きで、シド・ヴィシャスみたいなことを気軽にやらかしたかった」と、もはや伝統的な自暴自棄の術によって自分を確かめた。同じように、35歳の真弓は語りの定型性に身を預けることで、自分を回復させているのだ。物語は彼女を慰める。反復は彼女を座らせる。たとえ、それが借り物であっても構わない。真弓はこれまで何度も語り直したに違いない。ときには友人たちの前で自分を道化にしたこともあった。けれど今は、自分をたったひとりの聴衆にして、自分のために物語る。

「母はマクドナルドのアルバイトや保険会社のパートをしてました。菓子職人の実父よりも、大学職員の養父のほうが経済的に安定していたようで、木造のアパート、鉄筋のマンション、一軒家と、大きくなっていく家を憶えてます。手料理を食べた記憶はほぼないです。一日1000円渡されて、朝は家にあるパン、昼は学校給食、夜はコンビニで買ってました」

「母の料理、食べたかったです」と呟いた。すると、「味つけ肉を炒めたのを横からつまんだ記憶はあります」と母の失点を補った。そして、「母方の祖母が料理上手で、ときどき食べに行ったり料理を教わったりしてました」と母の穴を埋めた。母の三段活用。

「母はお嬢様とまでいかないけど、祖母が上品な方だったので、私のことも品良く育てたかったんだと思います。でも母は頭ごなしに抑えつけて、私の言い分をまったく聞いてくれなかった」

 あなたが私を誇りに思えないなら、私はますます誇らしくない人間になって、あなたの期待に応えてみせる。期待には2種類あって、希望から膨らむのと、不安から肥えるのと。真弓はしごく忠実に母の不安を実現していった。おそらく母も祖母にそうしたのだと、真弓はもう勘づいている。けれど、まだ言葉にはしない。いずれ真弓は聴かせるだろう、女3代の物語を、自分に、あるいは子に。――親子丼をつくるには。米は1合40円。卵は1個20円。鶏肉は100グラム100円。玉ねぎは1個30円。

ヤクザの舎弟に覚醒剤を打たれた家出少女

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真弓は16歳で覚醒剤を初めて摂取し、19歳でタトゥーを入れ始めた。(写真/草野庸子)

 薬物のことは知っていた。本や映画でたくさん浴びて、脳内に取り込んだ。体内に摂取したのは16歳のとき。母と衝突して家出した。出発地は練馬、目的地は青森。実父の家の所在地を104のオペレーターから聞き出した。素足に健康サンダルで自転車に飛び乗る。所沢を過ぎ、日和田山を越え、東松山まで来ると自転車を川に投げ捨てた。金属の骨がぐしゃぐしゃに折れて、わるい音はちょっと愉しい。足の皮膚はずるずるに剥けて、わるい自分はちょっと愛しい。

「鈍行列車を乗り継いで、すぐに鉄道警察に保護されました。『母が暴力的なんです』って少し盛って話したら、『私たちがサポートするからね』って、すごく優しくしてくれて。父に連絡をつけてくれたり、ダイヤを細かく調べてくれたり。『何も食べてないんでしょ』って、サンドイッチを買いに走ってくれた制服の方をよく憶えてます」

 真弓は人を指すときに“方”と敬語的な表現をする。祖母でも、鉄道警察官でも、恋人でも、初めて自分に麻薬を打った男でも。いかなる関係性であろうと、すべての人を丁重にあつかう。敬いの裏に恐れが貼りついている。

 父の家に暮らし変えて数日後の夜、真弓は散歩に出かけた。人でも獣でも、見知らぬ土地でまずやることはマーキングだ。「なにしでんの」、地元の男に見つかった。「なんもしてない」「あそびいごうよ」。

 サーファーとヤンキーの中間みたいな格好をした男。白いシーマの改造車。ドライブの途中でホテルに入ると、男は「どうする」と覚醒剤と注射器を出してきた。初回から玄人並みの量を打たれたのだと、今ならわかる。でも16歳の真弓には、本や映画で聞きかじったワンシーンにしか見えない。気づいたら、口ばかり動かしていた。学校の不満や知人の愚痴をまくし立てるように自白していた。男は腰をすえたまま、真弓をじっと見ていた。たった1分を1時間に感じた。それから一昼夜、セックスに耽った。

 ひとつ呼吸を置いてから、真弓はトーンを変えずに言葉を継いだ。

「私は断るのが怖かったのかもしれないです。青森で暮らすつもりだったし、そこで初めてできた友達みたいなものだったし、早く順応したほうがいいだろう、誘いに乗っても大丈夫だろうって。本当はストレスを感じていて、だから目の前のことを無理やり正当化したんだと思います」

 男の声を憶えている。彼は訛りがきつかった。首都のほうから来た女に合わせて、標準語を話しているつもりでいるらしかった。でも真弓は訛りのなかの感情まで聞き分けられない。あのとき、彼が怒ったり脅したりしていたとしても、真弓にはただの素朴な男に映っていた。後日、彼の家で覚醒剤をまたやった。スーツ姿の男がやって来て、喧嘩で手柄をあげた話に興じだした。真弓は横たわったまま、男2人をじっと見ていた。ぼんやりした意識のなかで絵解きした。スーツの男はヤクザで、自分を誘った男はその舎弟なのだと。

処方された向精神薬を出会い系サイトで売る

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10代の頃、出会い系サイトを介して会った男たちから、覚醒剤、LSD、MDMA、大麻……とさまざまなドラッグを手に入れた。(写真/草野庸子)

 黒髪ボブの女が威勢よくヘロインで死にかける『パルプ・フィクション』、不況に陥った国で青年たちがヘロインにはまる『トレインスポッティング』。16歳の真弓と20歳のバンドマンに授けられた90年代の映画。母に呼び戻され、真弓は練馬に戻った。高校をやめ、通信制の学校に編入し、コンビニでアルバイトを始めた。バイト先で出会ったふたりは趣味が合った。いっしょに薬を食った。

 スタービーチという出会い系サイトと、「いろんな組の代紋をダウンロードもできる、ヤクザと出会えるサイト」。掲示板に書き込むと、男たちがセックスを目的に返信をよこした。真弓の目的はあくまで「薬を売ってくれる方」。ホテルで真弓が先に酩酊すると、「セックスの役に立たない」と怒って真弓を追い返す男がいた。独学で調合したエクスタシー系のドラッグを、「一回吐けば大丈夫」と真弓に試飲させる男がいた。いろいろな男と会った。いろいろな薬を食った。大麻、LSD、MDMA、覚醒剤の順で好きだった。薬は男たちから買ったり貰ったり。恋人にあげるときは「知り合いがくれた」と嘘をついた。

「学校はおろそかになって、やめました。あのとき、覚醒剤ばかりにならなかったのが救いかもしれないです」

 現在の真弓にはわずかに後悔がにじむ。塗り替えられない記憶を手なずけて、落ち着き払おうとする。けれど、過去は待ったなし。粛々と迫ってくる。

 17歳、出会い系サイトをきっかけに付き合った男が、行方不明になった。失調をきたした真弓は精神科を受診する。病名は統合失調症、処方薬はハルシオンとデパスとロヒプノール。手に入れた向精神薬を出会い系サイトで売り始めた。顧客を続けながら、売人デビュー。売人なら良い手本も悪い手本もさんざん見ていた。買ったり貰ったり流したり配ったり売ったり。

「私はバイトが長続きしないので、売ったお金は生活費にあてました。治療薬についての分厚い本を読んで、医者にどう言えばどういう薬が貰えるかわかってきて、睡眠薬も抗うつ薬も興奮剤も出してもらうようになりました。売るときは駅のホームや人混みで、手渡してすぐ別れます。お客さんは10代から50代まで。自分で病院に行くのが面倒くさいとか、病歴に記録されるのが嫌だとか、理由は何にしても、お金がある方たちでしょうね。私が10錠300円くらいで仕入れたハルシオンを、2万円で買うんですから」

 いかにもぼろ儲けだが、金にまつわる真弓の口調はあっさりとして頓着がない。金銭的な利益を上げた功績よりも、薬物を売買するために動いた足跡のほうが健気にあらわれる。医者に会って、客に会って、買って、売って、買って、売って、やがて薬と金が釣り合ってきて、取引が成立して、価値が安定して。真弓は売買という原理を拠り所にしたのではないか。彼女が動けば動くほど、薬と金の市場が立ち現れて、その絶え間ない交換のなかに永久に住んでいられる気がして。欲しかったのは、ひと匙の悪と、単純な原理。――違法薬物を売りさばくには。ハルシオンは10錠2万円。シャブは10グラム1万8000円。万札は1グラム1万円。

「18歳のときに元ポン中(覚醒剤中毒)の方と付き合って、彼は『やめれるよ。俺もやめれたから。いっしょにやめよう』って言うんです。そんな方は初めてだったので新鮮でした。自分が大事にされてる感じがあって、そのことがいちばん強くて、幸せという感覚を初体験しました。クスリのことはずっと思い出してました。でも、彼やその周りの人と遊んでたら薬を忘れてる時間が増えてきて、そういう時間のほうが自然とくつろげて、気づいたらやめれてました」

 この後、真弓はこつこつと売人に育っていく。

(つづく)

※人物の名称は仮名です。

(写真/草野庸子)

五所純子(ごしょ・じゅんこ)
1979年生まれ。文筆家。映画や文芸を中心に執筆。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、共著に『1990年代論』(河出書房新社)、『心が疲れたときに観る映画』(立東舎)がある。

麻薬体験を描いた稀代の作家・石丸元章が病室から緊急寄稿「脳卒中になってみて」

――自らのドラッグ体験を書き綴ったベストセラー『スピード』(文春文庫)などで知られるゴンゾ・ジャーナリストの石丸元章。最近は発起人となった異色の掌編小説シリーズ『ヴァイナル文學選書』(東京キララ)も話題となっているが、実はこの秋、脳卒中で倒れ、現在も都内の某有名リハビリ病院に入院しているのだ。そんな中、本人から本メディアに突如届けられたのが以下のテキストである。リハビリにおけるOT(作業療法)の課題として書いたものだというが、そこには発症から今に至る間の真情が吐露されていたのだった――。

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サイゾー2018年12月号にも登場した石丸元章。『ヴァイナル文學選書』の第1弾「新宿歌舞伎町篇」に作品を寄せた小説家の海猫沢めろん、ラッパーの漢 a.k.a. GAMI、ジャズメンの菊地成孔と語り合った。(写真/渡部幸和)

 親戚の死に方を見ているから、「いつかは自分も脳卒中に倒れるだろう……」くらいには考えていた。ずっと前に死んだ祖父や祖母、それに仲の良かった叔父もまた、ある日突然前触れもなく倒れ、意識を失い、その後何年もチューブにつながれたまま、不気味な人工呼吸器の機械音の中で生き続けるミイラのようになってしまった。

 自分の死生観に合わない死に方は嫌だな。40歳を超えてから漠然と考えてきた。

 そこへ――突然の脳卒中である。本人が一番驚いた。

 いつもの午後いつもの銭湯へ行って湯に浸かろうとすると、じーんと半身が痺れてきた。

「まさか、ちがう病気だといいけど。しかし、早くも来たかもしれない……」

 痺れに気づいてすぐ思い当たったのは脳卒中だ。〈気のせいであってくれ〉祈るような気持ちで湯船につかるが、痺れはますます強くなる。祖母や叔父を脳卒中で失ってから読んだ、脳卒中にまつわる記事を思い出す。立ち上がる。めまいはしないが痺れはますます強くなってくる。〈これはまずいな〉。最後の祈りを込めて地下水かけ流しの冷たい水風呂にとぶんと飛び込むと、ジワッ!と痺れが大きく強く広がった。

 脳卒中確定だ――! 瞬間自分は立ち上がり、大急ぎでロッカールームへ駆け込む。一刻も早く部屋へ戻って救急車へ電話しなくては。

 身体を拭く間もなく衣類を身に着ける。数分のうちに、痺れは強烈なものに変化してきた。額から汗が噴き出る。衣類を身に着けた時には、立っているのがやっとだった。銭湯へ救急車を呼びたくはない。見世物になっちまう。

 足を引きずりながら家に帰りつくと、大急ぎで救急車に電話した。全身から汗が吹き出し、額からしたたり落ちる。もう立っていられない。

 119のオペレーターに必要事項を伝えたのち、玄関の扉を開け放つ。救急車が来た時に、どこの部屋かすぐわかるように。意識だってどこまで持つかわからないのだから。

 救急車を待つ間、心は静かに落ち着いていた。

 突然の発病に対してやれることすべてやった――。

 満足感すらあった。

 仕事の連絡とか、明日のあれとかこれとか、すべては脳卒中という大病の発症に際しては、どうでもいいことだ。これっきり意識を失い、寝たきりになるのかもしれないのだから。

 扉を開けた部屋でチェアに腰をかけて救急車を待っている。初秋の風が入ってくる。呆然と天井を見上げる。痛みがないのが幸いだ。人生をゆっくりと反芻できる。

 書き手としては、やり残したことが多い一生だった。50歳を過ぎて魂を込めた作品を書くチャンスはいくらでもあったのに、ずるずるしているうちに、こんなことになってしまった。体調を崩して病気がちになった同年代の男友達を「もうすぐ死ぬな」などとからかっていたら、先に自分がこのざまだ。情けない。みんな嗤うだろうな――。

 一人息子のことを考える。12歳でパパが脳卒中で死んでしまうのは可哀そうだが、運命だから諦めてくれ。泣くだろうな。まあ離婚したママの実家もあるし、お爺ちゃんたちもいるし、おおよそカネでの苦労はないだろう。家具とか衣類とかシルバーの装飾品類を遺品として整理して渡せなかったのは心残りだが、こうなった以上仕方がない。元気で長生きしてくれ。

 そうこうするうち救急車がやってきた。扉を開けておいたから、目星をつけてきた隊員が隊員が、すぐに部屋へ飛び込んでくる。

「脳卒中での救急要請はこちらですか!?」

「そうです」

「ご自分で119番したんですか」

「そうです」

 聞かれるままに、発症からの様子を説明する。当然ながら落ち着いて話していられるわけはない。高揚して、酷く吃音していたような気がするし、もしかしたら、すでに脳機能の障害で発声障害が出ていたのかもしれない。

「立てますか?」

「ええ、立てます……」立とうとして半身が効かず、そのまま床に崩れ落ちそうになった。「えっ!……」あわてて支えようとして手を伸ばしたが、片手はだらんと垂れさがってしまい、寸分も動かない。身体の半分が死体となったようで、棚に激しくぶち当たり、大きな音を立てて床にテーブルの物が飛び散った。救急隊員があわてて身体を支えてくれる。

「動かないでください。そのまま椅子に座ってじっとしていて」

 隊員は状況を、逐一無線で伝えている。立てないのでストレッチャーが運ばれてくる。男やもめの狭い部屋なので、ストレッチャーはそのままでは入らない。玄関まで自力で歩けるかと聞かれた。歩ける。しかし、またもや現実に愕然とした。片脚がマヒしているのだから、利く方の片脚で跳べばいい――との軽い思い込みは大間違いで、全身のバランスが崩れる。半身がマヒすると、人は片脚でただ立ち上がることすらできなくなる!

 力が抜けてしまい、糸の切れた吊り人形のような無様な様で崩れそうになるのを、二人の救急隊員が真っ赤な顔をして支えている。

 ストレッチャーに乗ると「これから病院へ向かいます」と告げられた。

「保険証を用意してください」救急隊員が冷静に告げてくる。

「はい」

「それからキャッシュカード。携帯電話は持ちましたか。ご家族など必要な相手に電話してください。簡単な着替えなどはすぐに出ますか。ほかに身分証になるものはありますか」

「パスポートを持っていきます」

 矢継ぎ早に救急隊員が話しかけてくる。できる対応はするが無理なこともある。ストレッチャーに横になると、アパート周辺に人が大勢集まっている様子が、目に入ってきた。近所に暮らす連中だ。近くの住民が救急搬送されるのだ――隠そうともせずに、内緒話しをしている老人たち。悪気はないのだろうが、下卑た嫌な視線だ。口に手を当てて笑っているババアがいる。いや本当は笑ってはいないのだが、自分の目にはそのように映っている。

 救急車に乗り込み、ほっと一息つく。

 ほっとしている場合ではないのだが、好奇の視線に晒されなくて済む、という安堵だ。ここまで最速で進んでるという満足感もあった。

 躊躇なく救急車を呼んだのは正しかった。自宅へ戻ったのも正しい。友人への連絡と指示。身分証は持った。戸締り、よし。銭湯で発症したので「下着は新しく身体はきれいだ」と、どうでも良いことへも満足していて、ピーポーピーポーという走行音を他人事のように遠く聴きながら、ぼんやりとこれから先のことを考える――。

 いつかは脳卒中で倒れるだろう……。と、考えていて、実際倒れた。そこまではよい。想定通りだ。

 しかし、自分がこれまでシミュレーションしていたのはここまでで、倒れてから先のことは、一度も考えたことがなかったのだ。

 まったく初めての状況の中で、この先のことを考える――。

「俺も、いよいよここまでか」 

 意外にもすでに腹はくくられていた。無念だったがこれも運命。じだばたしても仕方がない。救急車に揺られながら、いよいよ半身の感覚が失われていく。隊員に話しかけられても、口から出てくるのは意味をなさない音の羅列で、いつの間にか、もう言葉すら話せなくなっている。

 脳卒中で倒れたのち、意識を失ったまま数年以上も生命維持装置につながれて生き続けた祖父母や叔父のようにはなりたくなかった。祖父母は戦争経験者でもあり、年金に加えて軍人恩給が支給されて――植物状態だろうが何だろうが生きているだけで黒字経営になる。と、あけすけな話を聞かされていたのも、自分がその状況を嫌悪してきた理由だ。

 いつ死ぬかは自分の意思で――。

 これはもうずっと前から決めている強く明確な自分の死生観である。死ぬときは拳銃自殺で。

 いつかはわからないが、自分が自分であるうちに、作家らしく、自分の人生に自分自身で「。」打って自分で死にたい。〈自分が自分である〉ということをどう定義するかはそれぞれだが、要するに肉体的にも知能的にも、これが自分だ!と自分自身が自信を持って言える自分。

 拳銃自殺は格好が良く、いかにも自分好みだ。川端康成はガスホースを咥え、三島由紀夫は切腹をした。太宰は入水だ。海外に目をやると、ヘミングウェイが猟銃自殺。ハンター・S・トンプソンが拳銃自殺だが、日本ではまだ、拳銃自殺した作家はいないはずだ。

 しかし問題もあった。いつ死ぬかもわからないのに拳銃を手に入れて、見つかりでもしたら刑務所行きだ。第一どこで手に入れる。「今や日本でも、インターネットで拳銃くらい簡単に手に入る」という人もいるが、実際には難しい。拳銃は薬物などと違って、その辺で簡単に買えるものではないのだ。値段だって高いだろう。仮に拳銃が手に入るとして、それが安物のトカレフのようなまがい物でいいのだろうか。死ぬには死ぬのにふさわしい、きちんとしたアメリカ製の357マグナムのような立派な拳銃が必要ではないか。

 じつのところ、それが最大の自分の死の悩みだったし、身近であっても良いはずの死が、どこか空想の向こうにある、いつかの遠い出来事であった理由だったのだが……。

 偶然にもこの夏、タイミングよく、すべてを解決できる方法を見つけていたのだった。

 すべてはグアムへ飛行機で行けば解決する。グアムの先住民族はチャモロ族といって、観光客の御用聞きのようなことを仕事にしている者が多い。持ってこいと言って小遣いを渡せば拳銃は選び放題。詳しい説明をしなくても、米領グアムで拳銃を手に入れることが容易であることは、誰でも想像できるだろう。帰りの席はいらないのに、往復分のエアーチケットを買わねばならないのは癪だが、それは迷惑料として――3泊5日のツアー料金が15万円。拳銃が5万円。最後の一晩のバカ騒ぎが10万円。それくらいなら誰かが貸してくれるだろう。向こうでの火葬に関する支払いは、俺の知ったこっちゃない。もう死んでるんだから。お別れ会をやってほしいとか、忘れないでほしいという希望は一つもない。12歳の息子には気の毒だが諦めてもらうしかない。それがわれわれの別れ方なんだね。少しだけ壮絶だね、君の人生。楽しく長生きしろよ。

 救急車の天井を眺めながら、完全に達観していていることに驚いていた。何の迷いもない。恐怖も後悔もなく悲痛な叫びもなく、「ここから先、自分が自分でなくなったら死のう」と、泰然と大きく、世俗を離れた悟りのような心境に到達していた――。そして……それから今日で51日。集中治療室を3日で出た自分は、見る見る回復して急性期病院を約3週間で退院。そして現在は回復期のリハビリ病院へ入院しているわけですが、本当に元気になって、たぶんもうすぐ退院。もう一度世の中に戻り、そして、もう一度作家として勝負するという人生へ航路を切り戻している。

 こうなった以上、これも運命だ。俺は往生した!という開き直りを、有意義な覚悟に変え、今は全力で仕事をして生き抜いてやるーーと、そう気持ちを新たに意気込んでいるのはいいんだけど、あの時の泰然大悟の死を決めた心情は、この50日の間にどこかへ行ってしまって、人気者になりたいとか売れたいとか、若い子と恋愛がしたいとか、ちまちました悩み事に追い立てられながら、またいつもの生活を始めようとしているのです。

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『ヴァイナル文學選書』の第1弾「新宿歌舞伎町篇」では、石丸は『聖パウラ』という作品を書いた。

石丸元章(いしまる・げんしょう)
1965年生まれ。作家、ゴンゾ・ジャーナリスト。96年、自身の麻薬体験を綴った私小説 的ノンフィクション『スピード』(文春文庫)を出版し、ベストセラーに。ほかに『平壌ハイ』(同)、『DEEPS』(双葉文庫)、『覚醒剤と妄想 ASKAの見た夢』(コア新書)などの著書がある。掌編小説シリーズ『ヴァイナル文學選書』(東京キララ社)の発起人でもある。

小栗旬の野望はハリウッドだけにとどまらない! 目指すは北野武か!?

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 今秋、真田広之(58)がこれまでの役者としての功績が認められ紫綬褒章を受章した。ハリウッドに渡ってすでに15年。渡米前、真田は「日本人が当たり前のようにハリウッド作品に出演する時代を築きたい思いで飛び込んだ」と語っていた。次は誰が続くのか、それともいないのかと囁かれるなか、小栗旬(35)のハリウッド映画出演が決定した。2020年公開の『ゴジラvsコング』に主要キャストとして名を連ねる。映画のプロデューサーは『銀魂』など小栗の代表作を見て決めたというが、その背景にはこんな話もある。

「小栗が所属する事務所は普通の芸能プロとは違い、映画プロデューサーとして活躍していた山本又一郎氏が立ち上げた異色の事務所。芸能界のしがらみなど関係なく、他の事務所に気を使うことなくいい作品にいい役者を起用するなど映画本来の作り方を推進している。小栗はその一番弟子。ハリウッドにも顔の広い山本社長が熱心に売り込んだ成果もある」(映画関係者)

 小栗が所属する事務所は、田中圭、綾野剛、木村文乃といった本格志向の役者が年々増えている。それは彼らが「事務所の方針に興味を持った、小栗の影響」とも言われている。

 小栗を慕う後輩のためにもいい見本を示すべく、ハリウッド進出は小栗の野望だった。「俺がさらにハリウッドの道を切り開けば、後輩が続き易い」という気持ちもあったという。今回の映画出演が1本きりで終わっては意味がない。真田のように継続できるかどうかがカギ。実は小栗と真田は似たような足跡を辿っている。小栗は父親も兄も映画の仕事に携わっていた環境もあって、真田と同じく子役出身。「子役は大成しない」というジンクスがよく言われる。なまじ子役で大成すると子役のイメージが強くつき、なかなか子役のイメージから抜け出すことができなくなるからだ。安達祐実がその典型であり、それとは反対に真田も小栗も子役時代は無名に近かった。大人になった2人は“イケメン俳優”枠に入り、女性人気が先行。私生活でも次々と浮名を流した。真田は葉月里緒奈との不倫。小栗は2012年に山田優(34)と結婚したが、交際時から女遊びで騒がれた。「小栗はまだ遊びたい盛りでしたが、山田に捕まった形。結婚してからも浮気騒動があったが、山田は小栗をしっかり管理。アゲマン妻と言われています。そんな小栗も子供が2人生まれると遊びを自重。今では家庭人になっています」(女性誌記者)

 若い時にスキャンダルでも騒がれた2人だったが、今度はハリウッド進出まで小栗が真田の後を追う。なんとも不思議な縁を感じる。

 真田に続き小栗のハリウッド進出。それはイケメン俳優ブームに警鐘を鳴らすものとも言われている。芸能関係者が話す。

「韓流ブームが起き日本でもイケメンブームが起こった。プロダクションもイケメンならばとりあえず売れると、コンテストなどを開催してイケメンを集めた。確かにイケメンだけで売れたが、所詮は一過性。最終的に俳優は実力がないと長続きしない。役者としてのスキルがなければやがて仕事はなくなり続かなくなる。事務所は売れなくなったら、次のイケメンを用意するだけでいい」

 グラビアからタレントになるグラドルと同じ構図だ。小栗は事務所社長の助言もあって役者としてスキルをさらに磨いた。最近の映画やドラマを見ても、役者としての評価は高くなっている。役者としてだけでなく、小栗はプライベートでの動きにも変化が出ている。通称「小栗会」と呼ばれる、妻夫木聡や若手俳優が多く集まりお酒を飲みながら交流しているという飲み会を馴染みの飲み屋で行っている。芸能関係者が解説する。

「芝居談義をしながら小栗は後輩たちに役者としてのあり方を話しているそうです。そこには、ゆくゆくは役者だけではなく、映画監督やプロデューサーとしてやっていくという野望もある。その時小栗が声を掛ければ、役者が手を挙げて参加するための人間関係作りの場と言われています。山本社長は70歳を超える高齢。いずれ事務所の後継ぎに小栗がなるのが既定路線とも言われており、そうなれば小栗は役者業だけでなく、監督から演出までスキルを磨き、後輩たちの活躍の場を作ることになる。北野武がお笑いから役者、監督と仕事を広げ、一時はたけし軍団まで作り、今や芸人だけでなく他の芸能人もたけしを尊敬し慕っているのと似ています」

 役者界の北野武になれるか、小栗の野望の幕開けである。

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

小栗旬の野望はハリウッドだけにとどまらない! 目指すは北野武か!?

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 今秋、真田広之(58)がこれまでの役者としての功績が認められ紫綬褒章を受章した。ハリウッドに渡ってすでに15年。渡米前、真田は「日本人が当たり前のようにハリウッド作品に出演する時代を築きたい思いで飛び込んだ」と語っていた。次は誰が続くのか、それともいないのかと囁かれるなか、小栗旬(35)のハリウッド映画出演が決定した。2020年公開の『ゴジラvsコング』に主要キャストとして名を連ねる。映画のプロデューサーは『銀魂』など小栗の代表作を見て決めたというが、その背景にはこんな話もある。

「小栗が所属する事務所は普通の芸能プロとは違い、映画プロデューサーとして活躍していた山本又一郎氏が立ち上げた異色の事務所。芸能界のしがらみなど関係なく、他の事務所に気を使うことなくいい作品にいい役者を起用するなど映画本来の作り方を推進している。小栗はその一番弟子。ハリウッドにも顔の広い山本社長が熱心に売り込んだ成果もある」(映画関係者)

 小栗が所属する事務所は、田中圭、綾野剛、木村文乃といった本格志向の役者が年々増えている。それは彼らが「事務所の方針に興味を持った、小栗の影響」とも言われている。

 小栗を慕う後輩のためにもいい見本を示すべく、ハリウッド進出は小栗の野望だった。「俺がさらにハリウッドの道を切り開けば、後輩が続き易い」という気持ちもあったという。今回の映画出演が1本きりで終わっては意味がない。真田のように継続できるかどうかがカギ。実は小栗と真田は似たような足跡を辿っている。小栗は父親も兄も映画の仕事に携わっていた環境もあって、真田と同じく子役出身。「子役は大成しない」というジンクスがよく言われる。なまじ子役で大成すると子役のイメージが強くつき、なかなか子役のイメージから抜け出すことができなくなるからだ。安達祐実がその典型であり、それとは反対に真田も小栗も子役時代は無名に近かった。大人になった2人は“イケメン俳優”枠に入り、女性人気が先行。私生活でも次々と浮名を流した。真田は葉月里緒奈との不倫。小栗は2012年に山田優(34)と結婚したが、交際時から女遊びで騒がれた。「小栗はまだ遊びたい盛りでしたが、山田に捕まった形。結婚してからも浮気騒動があったが、山田は小栗をしっかり管理。アゲマン妻と言われています。そんな小栗も子供が2人生まれると遊びを自重。今では家庭人になっています」(女性誌記者)

 若い時にスキャンダルでも騒がれた2人だったが、今度はハリウッド進出まで小栗が真田の後を追う。なんとも不思議な縁を感じる。

 真田に続き小栗のハリウッド進出。それはイケメン俳優ブームに警鐘を鳴らすものとも言われている。芸能関係者が話す。

「韓流ブームが起き日本でもイケメンブームが起こった。プロダクションもイケメンならばとりあえず売れると、コンテストなどを開催してイケメンを集めた。確かにイケメンだけで売れたが、所詮は一過性。最終的に俳優は実力がないと長続きしない。役者としてのスキルがなければやがて仕事はなくなり続かなくなる。事務所は売れなくなったら、次のイケメンを用意するだけでいい」

 グラビアからタレントになるグラドルと同じ構図だ。小栗は事務所社長の助言もあって役者としてスキルをさらに磨いた。最近の映画やドラマを見ても、役者としての評価は高くなっている。役者としてだけでなく、小栗はプライベートでの動きにも変化が出ている。通称「小栗会」と呼ばれる、妻夫木聡や若手俳優が多く集まりお酒を飲みながら交流しているという飲み会を馴染みの飲み屋で行っている。芸能関係者が解説する。

「芝居談義をしながら小栗は後輩たちに役者としてのあり方を話しているそうです。そこには、ゆくゆくは役者だけではなく、映画監督やプロデューサーとしてやっていくという野望もある。その時小栗が声を掛ければ、役者が手を挙げて参加するための人間関係作りの場と言われています。山本社長は70歳を超える高齢。いずれ事務所の後継ぎに小栗がなるのが既定路線とも言われており、そうなれば小栗は役者業だけでなく、監督から演出までスキルを磨き、後輩たちの活躍の場を作ることになる。北野武がお笑いから役者、監督と仕事を広げ、一時はたけし軍団まで作り、今や芸人だけでなく他の芸能人もたけしを尊敬し慕っているのと似ています」

 役者界の北野武になれるか、小栗の野望の幕開けである。

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

【奥山かずさ】ニチアサデビューで“大きなお友達”も大量発生中!?

【拡大画像はグラビアギャラリーでご覧いただけます。】

――芸能界に興味がなかった元公務員志望女優は、特撮戦隊のヒロイン役でスターダムを駆け上がる!

【奥山かずさ】ニチアサデビューで大きなお友達も大量発生中!?の画像1
(写真/宮下祐介)

「今日もこの撮影の前に戦ってきました!」

 そう語るのは今年2月から放送されている日曜朝の特撮番組『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』(テレビ朝日系・9時30分~/以下、『ルパパト』)に明神つかさ/パトレン3号役として出演中の女優、奥山かずさ。

 大手芸能事務所オスカープロモーションに所属している彼女は、学生時代にも仙台でモデル活動をしていたが、当時は芸能界への興味も薄く、大学卒業後は堅実に公務員を目指していたという。

「芸能界は自分とはまったく違う世界だと思っていたので正直、今みたいに女優で食べていけることは想像していなかったです」

 しかし、2016年に応募者4万人の中から『第1回ミス美しい20代コンテスト』で、準グランプリに選ばれたことがきっかけで、今の事務所に移籍して上京。そして、今年『ルパパト』で本格的に女優デビューを果たした。

 同作はこれまでのスーパー戦隊シリーズとは異なり、怪盗と警察の2つの部隊に分かれている。劇中で奥山は警察戦隊の一員を演じているが、実は彼女の父親は本物の警察官だったのだとか。

「捕まるほうじゃなくてよかったですね。怪盗役だったら、お父さんに何を言われたことか(笑)。私自身、子どもの頃の夢は警察官でしたし、最近は2度も一日警察署長を務めることができたので、父には制服姿の写真をたくさん送りました。でも、“飛び級昇進”されたのが悔しかったのか、反応は薄かったです(笑)」

 そんな子ども向け番組でヒロインを演じる彼女は、モグラ女子としての一面も持ち、「週刊ヤングマガジン」や「フライデー」(共に講談社)では、水着姿で表紙を飾っている。

「全然、真逆なことをしている感じですよね。思い返すと昔から兄と一緒に特撮は観ていたので、歴代の戦隊ヒロインがグラビアで話題になるのも知っていましたが、まさか自分もそうなるとは……小さなお友達用と、大きなお友達用の二面性ですかね(笑)」

 小さなお友達も大きなお友達もとりこにする、彼女の今後から目が離せない!

【拡大画像はグラビアギャラリーでご覧いただけます。】

(文/伊藤綾)
(ヘア&メイク/ISINO)

奥山かずさ(おくやま・かずさ)
1994年3月10日生まれ、青森県出身。仙台でスカウトされ、2016年に『第1回ミス美しい20代コンテスト』で準グランプリを獲得すると、オスカープロモーションに移籍し、東京進出。趣味はスポーツ観戦で、中高生時代は投手としてソフトボール部に所属。

トンデモ忍者像を生み出したのは007!?――全大陸に忍び込んだ! 世界各国の忍者映画

――アフリカに限らず、忍者を題材にした映画は世界中で数えきれないほど制作されている。だが、その中には日本人として思わず「違うだろ!」とツッコミたくなる、ぶっ飛んだ忍者像も少なくない。ここでは、海外で独自の進化を遂げた「NINJA」たちを紹介していく。

トンデモ忍者像を生み出したのは007!?――全大陸に忍び込んだ! 世界各国の忍者映画の画像1
世界中で作られている忍者映画。題名は『Indian Ninja』なのに製作国はフランスという謎の現象も。

 初めて忍者が登場した海外映画は、あの「007シリーズ」の5作目で、日本を舞台にした『007は二度死ぬ』(1967年)といわれている。しかし、劇中に登場した忍者は「公安直属の特殊部隊」として、マシンガンや手榴弾、日本刀で武装し、敵の基地に正面から殴り込みをかけるなど、従来の忍者のイメージから大きくかけ離れていた。ただ、この描写こそが海外における「NINJA」のひな形になったのだ。

 時は流れ80年代。ショー・コスギらの活躍によりハリウッドで忍者ブームが起こった。前記事「極悪非道な忍者にはカンフーで立ち向かう!――サバンナや森で襲いかかる!? 奇想天外・アフリカの忍者映画」でも触れたが、この時代に作られたおびただしい数の忍者映画での、忍者というイメージは、概ね「暗くて反社会的」「殺し屋・超級格闘家」「主人公の多くが欧米人」という具合で、そういうキャラクターが忍者装束を着て、刀と手裏剣さえ持っていれば「NINJA」になれたのだ。ブームがアメリカから世界中へ波及したことで、海外におけるNINJAのイメージはこの方向で固まり、伝言ゲームのように変化していった。

 例えばハリウッドの『アメリカン忍者』(85年)という作品は、前述したイメージをすべて併せ持つお手本のような「NINJA映画」だが、その後、この作品にならって『Russian Ninja』(89年/スウェーデン)、『El Ninja Mexicano』(91年/メキシコ)、『Indian Ninja』(93年/フランス)などの「ご当地忍者」が次々と作られ、21世紀に入っても『Tongan Ninja』(2002年/ニュージーランド)などが確認されている。

 日本と文化圏が近いアジアでは、80年代の香港でゴッドフリー・ホーという監督が活躍した。彼は忍者を題材にしたB級作品を50本以上も手がけており、そのほとんどは『忍者ターミネーター』(85年)や『フルメタル忍者』(89年)など、既存のヒット作に無理やり忍者をくっつけたものが多い。彼の作品に登場する忍者は、赤やピンクなど派手な色の装束を身にまとい、アルファベットでninjaと書かれたバンダナを巻き、タコ踊りのような動きで印を結ぶ。もちろん、中の人はほとんど欧米人だ。ビジュアルだけなら東映の特撮ヒーロー『世界忍者戦ジライヤ』(88年)に近いものがある。

 史実を重視する人にとって、このような形で忍者がグローバル化するのは喜ばしくないかもしれないが、現地の人々にとってはこれこそが正しい「忍者像」なのだ。いずれは日本古来の忍者も、数ある「NINJA」のひとつとして取り込まれていくかもしれない。

(文/ゼロ次郎)

高きお笑いIQを持つ山田菜々が力説――ネット配信でカリスマ芸人が笑いの革命を起こす!?

――地上波のお笑い番組では、ちょっとでも過激な内容が放送されると、翌日のネットニュースなどで「炎上騒ぎ」と見出しが躍る昨今。そこまでコンプライアンスを意識されては、腹を抱えるほどの笑いに出会えない! そんな不満を解消すべく、Amazonプライム・ビデオのお笑い番組が攻めまくっている。そこで、お笑いへの造詣が深い元NMB48の山田菜々ちゃんに登場していただき熱き想いを語ってもらいました。

(写真/若原瑞昌・D-CORD)

「インターネット発のお笑い番組の最大の魅力は、なんでもアリ! なところ。私もいろんな番組に出演させてもらっているんですが、出演している芸人さんだけに限らず、スタッフの方も楽しんでいるのが伝わってくるんです。大人の事情すら無視して、本気で遊んでいるというか……テレビのコンプライアンスが厳しくなっているご時世の中で、そんなことやってしまって大丈夫……? って、私が余計な心配をしてしまうくらい過激。芸人もスタッフのみなさんも、まるで本気で鬼ごっこをしていた少年時代のような無邪気な目をしているのが印象的ですね(笑)」

 そう語るのは、AbemaTVやAmazonプライム・ビデオで配信されているバラエティ番組への出演、時には危険な番組でチャレンジ精神を見せている元NMB48の山田菜々ちゃん。“テレビ離れ”が叫ばれて久しいが、その一方で急速に人気が高まっているのが、地上波では決して観ることができない過激な演出、時に目を背けたくなる下ネタ、リアリティ抜群のオリジナルコンテンツが満載のビデオオンデマンドだ。各サービスがしのぎを削っている状況だが、特にオリジナルのお笑い番組制作に注力しているのがAmazonプライム・ビデオ。11月からは、松本人志による芸人ナンバーワンを決定する密室笑わせ合いサバイバル「ドキュメンタル」、浜田雅功が車に乗り込み、激しいバトルで暴走する「戦闘車」、今田耕司と東野幸治が禁断の企画を蘇らせる「カリギュラ」の新シーズンが配信され、今や動画配信サービスでも大物芸人たちが、それぞれ冠番組を持つ時代まで来ている。

「過去に『カリギュラ』の〈教えてシリガール ~美女のイケないレッスン~〉という回に出演させてもらったことがあったんですね。プレゼンターがケンコバさんで、シリガール(※興味がある男性なら誰とでも寝る尻軽女性)が赤裸々に自身の体験談を語る内容で、確かのど輪締め……? とか、そういう言葉が飛び交って(笑)。テレビのときのケンコバさんって、コンプライアンスを意識していると思うんですけど、このときばかりは躊躇せずにマシンガントーク。『カリギュラ』は、ちょっとおバカな企画に真面目に挑むところが面白いんですよね」

 さらに「ドキュメンタル」については、芸人の“剥き出しの本気”が感じられると続ける。

「地上波だと芸人さんがちょっと過激だけど面白いことを収録現場で発言しても、いざ放送となると編集でカットされていることが多かったり。『ドキュメンタル』は、そういったシーンを絶対カットせず配信してる感じがします。シーズン5ではケンコバさん、陣内智則さん、たむらけんじさんの3人が集まっていたのもテンションがアガりましたね。テレビだと裏番組の影響とかもあるので、なかなか実現しないキャスティングも魅力のひとつ。シーズン6は、複数の女性芸人さんが参加するのが話題になっていますが、男女関係なく、私の優勝者予想は……ズバリ、友近さんです」

 地上波ではスポンサーや裏番組の出演事情によって共演が難しいケースがあるが、動画配信ではレアな共演が観られるのも魅力。事実、「戦闘車」のシーズン2では、ダウンタウンの浜田雅功とナインティナインの矢部浩之という、なかなか見られない共演が実現している。

「実は私、前シーズンの『戦闘車』でツラい思いをしてるんです。岩橋良昌(プラス・マイナス)さんが騙されて番組に参加することになるんですが、そのきっかけを作るニセ番組のゲストとして、私が出演していて……結果、岩橋さんは大切にしている愛車を大破させることになっちゃって(笑)」

 菜々ちゃんが萎縮してしまうのも無理はない。「戦闘車」はクラッシュあり、爆破あり、なんでもありの演出が行われるカーバラエティですから。

「お笑い番組は観るのも出演するのも好きなので、新シーズンはすべての番組が楽しみ。あ、あとAmazonプライム・ビデオで配信されている『バチェラー・ジャパン』が大好きなんですね、私。もし、私が自分の好きな企画を考案していいのであれば……『女だらけの水泳大会』をやりたい! バチェラーに出てくるような、女性同士の嫌なところや汚いところをリアルに映し出したいですね」

 スマホの普及によって、より身近となった動画コンテンツ。テレビでできなくなったことに芸人たちが全力で挑む Amazonプライム・ビデオで絶賛配信中のお笑い番組は、芸術の秋にふさわしい、ある種の“アート”なのかもしれない。

(文/中野パンネロ)
(スタイリング/難波雅恵)
(ヘア&メイク/中山 静)

やまだ・なな
1992年4月3日、大阪府生まれ。2010年にNMB48のオープニングメンバーオーディションに合格、中心メンバーとして活躍。15年4月3日に同グループを卒業し、その後はTBS系「王様のブランチ」やAbemaTV「AbemaPrime」などにレギュラー出演するほか、映画・ドラマ・舞台に出演し女優としても活躍中。
ツイッター〈@yamada7dayo
インスタグラム〈@tannana.yamada

[衣装協力]
ブラウス(夢展望)、スカート(mon Lily)

●笑いのカリスマが大集結!新シーズン絶賛配信中!

「HITOSHI MATSUMOTO Presentsドキュメンタル」

出演:松本人志(ダウンタウン)ほか
松本人志考案による“笑ってはいけない”「芸人10人密室笑わせ合いバトル」。選ばれた芸人は自腹100万円で参加し、最後まで笑わなずに残った芸人が優勝賞金1000万円をゲットできる。現在、シーズン5まで配信され(18年11月時点)、数々のドラマ(という名の爆笑)を生んできた。普段、地上波では観ることのできない芸人の一面(主にモザイク必須の過激な下ネタ)に触れられることはもちろん、交友関係・先輩後輩の構図がうかがえるのも貴重だ。シーズン3の春日俊彰(オードリー)、シーズン4のノブ(千鳥)の度を越えた下ネタは一見の価値アリ!

「戦闘車」

出演:浜田雅功(ダウンタウン)、矢部浩之(ナインティナイン)ほか
車好きのタレント、芸人、俳優などが2軍に分かれ、車で戦闘を行う破天荒なカーバラエティ。シーズン1では、尼神インターの渚がニセ番組への出演と騙され、会社からお金を借りて自身で車を購入→大破という悲劇が話題を呼んだ。かの『西部警察』よろしく、バブル時代の地上波を彷彿とさせる贅沢な作りとクラッシュのオンパレードは賛否両論を巻き起こしたが、最終的にはクオリティの高さと笑いで批判を吹き飛ばした。なお、シーズン1では指示だけに終始していた浜田雅功が、今シーズンから実際に参戦しているのも、見どころのひとつ。

「今田×東野のカリギュラ」

出演:今田耕治、東野幸治ほか
“カリギュラ”とは、「禁止されるほど試したくなる心理現象」のこと。地上波で禁止された企画書を蘇らせるというテーマで、毎回ギリギリなラインを攻めてくるのが見どころ。芸人の母親をガチで騙す「詐欺選手権」シリーズをはじめ、芸人や俳優が自ら台本を作り、ドッキリとわかっていながら演技を続ける「自作自演やらせドッキリ」、「究極の美女は屁すら美しいのではないか?」という疑問を解消する「嗚呼、麗しのお鳴らし」といった企画はもちろん、スタッフのテロップもいちいち笑えるのがポイント。なにより、今田耕司、東野幸治の掛け合いが絶妙だ。

(C)2018 YD Creation

疑似恋愛をウリにする”アイドル”の宿命か? 関ジャニ∞のストーカーに見る、ファンとの悩ましい距離感

「そろそろ限界だ」「すごく憂鬱」「寿命が縮まっているのではないかとも感じる」

“関ジャニ∞”の大倉忠義(33)が極一部のファンの女性の悪質なおっかけやストーカーまがいの行為に対して現在の複雑な心境を綴った。

「ファンファースト」のジャニーズタレント。本来、事務所がファンに対して、応援する際のルールなどを注意喚起するものだが、タレント本人が暴走するファンを直接批判するのは極めて稀なこと。それほど彼女たちの行動は目に余るものになってきている。

 移動に使用する駅などで待ち伏せ。いきなり抱き着く。手を握ってくる。バッグの中に物を入れる。お店に入ると隣の席で話を盗み聞きする。妄想したラブレターを入れる。Etc.

 こうしたファンに対しての忠告が込められているが、対策も難しいのが現状だという。

 多少力づくでも、無理やり排除するとか、ファンクラブの会員から退会させる処分をするなどの方法が思い浮かぶが、変に刺激すると行動がさらにエスカレートする可能性もある。過去には、松田聖子が舞台に上がってきたファンにあやうく殴られそうになったこともあれば、最近ではAKB48の握手会でファンに手を傷つけたられたりする事件も起きた。注意喚起がきつくなれば、さらにエスカレートするのがストーカーにも似たファンの心理でもある。直接ストーカー行為をするだけでなく、もっと陰湿なやり方もある。グラドルもアイドルと並び過激ファンの多いことで知られている。元グラドルのケースを紹介する。

「私が住んでいたマンションの前にいつまでも立っている男がいた。夜帰ってもいるし、朝出かける時もいる。別になにをするわけでもない。私の出入りを見て薄気味悪い笑いを浮かべるだけ。家の前の公道に立っているだけですから違法ではない。ストーカーと判断するわけにもいかない。その男の為に何度か引っ越しまでしました」

「よくプレゼントやファンレターを貰いますが、まともなものに交じって、“これを履いてステージに立って”とスケスケ素材のパンティーが入っていたこともあれば、コンドームもあった。それも精子が入っているものまで。捨てるしか方法はなかった」

 大倉も厳密に言えば、直接被害を受けたわけではなく、ストーカー的な行為として警察に届ける手もあるが、あまり大騒ぎにしたくないのが本音。

「仮に警察を呼ぶ事態になれば多くのメディアで報じられる。すべてがジャニーズに同情的な声ならいいが、警察を使ってファンを排除したと批判される可能性もある」(芸能関係者)

 外国の大物アーティストに見られるように、屈強なボディーガードを付ける方法もあるが、日本の芸能人が同じことをすれば、「なにを大物ぶって」と逆に顰蹙を買うのがオチ。事務所ぐるみの対策も難しい。芸能関係者が話す。

「ジャニーズ事務所にしてもタレントが増加する一方で、現場のマネ―ジャーさえ不足しているのに、個人に付き人なりをまわしてタレントをガードする余裕はないはず。結局、自己防衛手段を考えるしかないと思う」

 ジャニーズとファンの関係は長年に渡って培われたものである。日本の最初の男性アイドルグループとして登場した歌って踊れるイケメンたち。たちまち女の子を夢中にさせた。タイプの違うイケメンが増えれば比例するようにファンも増える。しかし、本来の芸能人の人気の形ではないのがアイドル。歌や芝居から歌手や俳優を好きになり応援するのが本来の形だが、アイドルは歌や踊りは二の次。ビジュアルありきで人気を博する。「可愛い」「カッコいい」とファンはアイドルとの疑似恋愛の世界に入る。目が合っただけで「私のことを気に入っている」などと疑似恋愛はエスカレートしていく。ファンの数が増えれば、疑似恋愛にハマっていく子も増える。ファン同士が「泊まり先は〇〇ホテル」と情報交換する時代。1人ではタレントに近づくこともできないが、仲間が増えれば行動も大胆になる。ハロウィンの渋谷で暴動を起こす若者たちにも似た群集心理が働く。そんな子でもファンに変わりはない。排除は難しい。ファンを減らすことはアイドルにとって命取りにもなりかねない。

 彼女ができれば必然的にファンは離れる。ファン離れは人気と仕事に大きく左右する。それが暗に恋愛禁止のルールに繋がっている。かつて、嵐のメンバーに熱愛が発覚した時は、コンサート会場で「別れろ」「もう応援しない」と抗議のプラカードがあがった。大野智はあわてて謝罪して別れる決断を発表したこともあった。

 一部の過激なファンは昔からいたが、今の子に比べたらおとなしいものだった。テレビ局の玄関に張り付き、出待ちして追っかけを繰り返す。常に同じメンバーだったこともあり、直接、高圧的に「帰れ」「いい加減にしろ」と言うアイドルもいたが、ネット時代の今はやりにくいのが現実。ファンに対して暴言を吐いたタレントの、言葉尻だけを取り上げて批判すればタレントが矢面に立たされ、世間から非難されることもありえる。

 ファンを増やし、ファンファーストでやってきたことが今の人気に繋がっている。これを無視して恋愛も自由にすれば、人気も仕事も下降するのがアイドルの宿命。ましてや、アイドル生命が長くなった時代。30歳を過ぎてもファンにとっては同じアイドルのまま。一部のファンの暴走だけを食い止める絶対的な対策などない。タレント自ら呼びかけて自重を促すしかない。それが今回の大倉の忠告になったが、果たして、どこまで効果があるのか。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

過去には暴力沙汰も!? 沢田研二の信念と、妻を愛し続ける一途な思い

1810_sawada.jpg『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』(ユニバーサルJ)

 沢田研二(70)はマスコミ嫌いで知られている。人気絶頂期も私生活は徹底的にガードしていた。仕事帰りにあとを付ける車があれば、「路地に入るや否や急停止する。あわてて車を止めると降りてきて抗議することもあった」(カメラマン)という。気が強くケンカ早いことでも有名で、過去には新幹線車内で男性客に「ジュリーじゃないか」とからかわれ激怒し、男に暴行する事件も起こした。

「アイドルだから、スターだから我慢するということをしない。理不尽な事にはちゃんと声をあげる気の強い男。新幹線の事件もジュリーならやること。たまたまアイドル的なスターになってしまっただけで、根は硬派。高校時代『番長』だったという話もあるほどですから、ケンカは強かったと思います」(元芸能関係者)

 男気ある気の強い男もステージに立てば、中性的で妖艶な魅力をはなちファンを魅了する。あくまでも“ジュリー”を演じていただけに過ぎない。仕事では軟派を演じても私生活では硬派。女性とのスキャンダルも意外と少ない。グループサウンズ時代、“ザ・テンプターズ”のボーカルだったショーケンこと萩原健一(68)とザ・タイガースのジュリーは人気を競っていた。ショーケンは芸能界でも屈指のプレイボーイとして次から次へと美女と浮名を流し、何度も結婚・離婚を繰り返したが、ジュリーにはそういった話題がほとんどなく、むしろ、好きな人に一筋。

 最初の結婚相手は同じ事務所の先輩で双子のデュオとして人気を博していたザ・ピーナッツの姉・伊藤エミさんだった(故人)。

「恋愛も御法度の時代にいきなり結婚でしたから、驚きました。それも年上。沢田が寝る暇もない忙しい時期。女性に求めたのは“癒し”と言われました。最初はエミさんに口説かれたという話でしたが、結婚発表時は沢田がメロメロでした。沢田は妻には家庭に入ってもらいたいタイプでしたが、それをエミさんは受け入れ、家庭に入って男の子も出産。幸せな結婚生活を送っていました」(元女性誌編集者)

 父親になっても沢田の人気は衰えることはなかった。ソロ歌手として活躍するだけでなく、その美貌からドラマ・映画にも進出。映画「魔界転生」で天草四郎を演じた時には、「美しすぎる!」と絶賛された。あまり女性が入らない東映の映画館が女性客で溢れたという逸話が残っている。映画進出は沢田に思わぬ出会いをもたらす。現在の妻である女優の田中裕子(63)との出会いである。2人は「男はつらいよ」の共演をきっかけに交際に発展。不倫関係になったと言われている。

「芸能界にも沢田のファンという女性は多く、田中もその1人でした。エミさんとは違い控え目な田中と、沢田が恋仲になるのは自然だった。沢田はケジメとして慰謝料18億円を払い離婚。その後、田中と出雲大社で結婚式をあげた。和装の地味な結婚式でしたが、マスコミにも公開した。田中が結婚後に女優業を控えるようになったのは、沢田の意向と言われています。今は5億円ともいわれる横浜の豪邸で主婦業が中心の生活。沢田も田中と結婚後はほとんど遊び歩くこともなくなり、仕事場と家庭の往復だけ。今も近所の居酒屋へ一緒に飲みに行くなど仲睦まじい夫婦。沢田もそんな田中に感謝するように、仕事のことも常に田中に相談。彼女が沢田の一番の理解者と言われています。結婚後、ジュリーの面影を捨てたかのように年相応にお腹が出ても気にしなくなったのも、妻の田中が“それでかまわない。自分の好きなようにすれば”という助言があったからじゃないかとも言われています」(ワイドショー・デスク)

 仕事でも昔の歌を歌わないなど頑なに意志を貫くように、女性も好きな人一筋。浮気の話も聞くことはない沢田。家では模範亭主。まるでサラリーマン歌手のようでもある。

「沢田は女性ファンに媚びることなく、“今の俺の歌を聴きたいやつだけ来い”という姿勢を貫き通している歌手。それでも歌手として自信があるからやってこれた。その自信が今回のドタキャンに繋がっている」(レコード会社スタッフ)

 郷ひろみや田原俊彦の元アイドル歌手とはまさに対照的。2人が今も昔のヒット曲を歌い体型も維持しているのは、往年の女性ファンのニーズに合わせてのこと。合わせないとファンが離れていくことがわかっているからだ。それがアイドルの宿命。しかし、沢田は違う。

「アイドルと思うのはファンが決めたことで、本人にアイドルの自覚はない。常に歌で勝負したいと考えている。それで客が来なくなれば、引退も視野に入れていると思います」(音楽関係者)

「お客様は神様です」の言葉は亡くなった歌手・三波春夫の名言だが、沢田研二には無用な言葉かもしれない。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。