男もファッションも大好きなフェミニストが、「男らしさ」に苦しむ男性も救う?

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン(サイ女)読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します!

■『バッド・フェミニスト』
男もファッションも大好きなフェミニストが、「男らしさ」に苦しむ男性も救う?の画像1

 タイトルに「フェミニスト」という単語がついていることで、反射的にこの本を敬遠する人がいるとしたらもったいない。『バッド・フェミニスト』(ロクサーヌ・ゲイ著、野中モモ訳、亜紀書房)は、ポップカルチャーやタレント、ロクサーヌ自身についてのエッセイを通して、米国、ひいては先進国に横たわる“差別”と“文化”の関係を見渡す時評エッセイだ。

 「フェミニスト」という言葉には、「怒りっぽい、セックス嫌いの、男嫌いの、被害者意識でいっぱい」というイメージがついてしまいがちだ。そのイメージが、女性をフェミニズムから遠ざけていることを踏まえつつ、それでもあえて「フェミニスト」を名乗るのは、大学教授で作家でもあるロクサーヌ。ハイチ系黒人女性として生まれた彼女は、「ピンクが大好きで羽目を外すのも好きで、時には女性の扱いがひどいとよーーくわかっている曲に合わせてノリノリで踊ってしまうこともある」と語り、自身を「バッド・フェミニスト」と称する。

 彼女は、フェミニストらしく、ほぼ女性のみによって作られたコメディー映画『ブライズメイズ』が映画史に果たした功績や、ヒット映画『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』や『ジャンゴ 繋がれざる者』に存在している性差別と人種差別に切り込む。しかし一方で、『ハンガー・ゲーム』などヤングアダルト(10代向け)作品への偏愛を語り、低俗だけど圧倒的に大衆人気の高いリアリティー番組の楽しみも語る。それらは時にレイプやトラウマを扇情的に扱うような、フェミニズム的に見れば一見不適格な作品だ。けれども彼女自身の10代の時の経験を通して、そういった“バッド”な10代向けのフィクションこそが、読者を救済する効能について理知的に分析する。

 ロクサーヌにとっての「フェミニズム」は、「男と同じになる」とか「男を憎み、セックスを憎み、キャリアに集中し、毛を剃らない」ことではない。彼女は、ドレスや「VOGUE」が好きで、男性もセックスも好きだ。さらに、虫退治や車の修理は苦手だから、パートナーや父親に頼るし、女性を侮辱する言葉を使う小説家やミュージシャンの才能に、心をつかまれることすらある。それでも、女性が「女性だから」という理由で不当な扱いを受ける時には、声を上げるべきであることを強く訴える。

 彼女のコメントを切り貼りして、短絡的に「矛盾している」「女性という立場を盾にとっている」という批判も成り立つだろう。けれども、「女性らしいことが好きだし、完璧に一人で自立できる人はいない」と語る彼女が理想とするフェミニズムは、「女性らしさを強制されず、逆に抑圧もされず、自身をそのまま認めること」という点で一貫している。その考えは、女性はもちろん、突き詰めれば「男らしさ」を強制されてしんどそうな男性たちも救う世界に見える。

■『文庫解説ワンダーランド』

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 文庫本を買うと、たいてい巻末には数ページの「解説」がついてくる。批評家や研究者、著者と親交のある作家や著名人が作品や作家について紹介してくれる日本特有の文化「解説」を評論した本が『文庫解説ワンダーランド』(斎藤美奈子、岩波書店)だ。

 夏目漱石、太宰治ら、複数の出版社から出されている人気作品の複数の解説を読み比べたり、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫)、『なんとなく、クリスタル』(田中康夫)など社会現象にもなったベストセラーの解説を読み込み、数十年を経て、文学史上の重要性が認識され、再評価されていることを指摘したり。『文庫解説ワンダーランド』そのものが、時代を長期的に俯瞰した文学批評として成立している。

 そんな、作品の理解を深める優れた名解説の紹介が知見を広げてくれる一方で、著者の腕の良さが際立つ点は、読者を迷子にする迷解説、謎解説を、毒とユーモアたっぷりに引き揚げているところだ。

 『失楽園』など、男性的な視点で描かれる性愛小説を生み出した渡辺淳一の作品解説には、「一見褒めてるようでよく読むと直接的な作品評価から逃げている」解説が多いことを指摘し、角田光代、林真理子ら幾人もの著名な女性作家たちが「褒めず殺さず作品を立てる」ためにどのようなテクニックを駆使したかを邪推する。

 また、思想家・鶴見俊輔が、赤川次郎の『真珠色のコーヒーカップ』に寄せた定型外の解説も紹介。赤川読者の大半は中高生であるにもかかわらず、鶴見は読者に「私の同時代の日本に失望している」と語りかける。そして唐突に『風土記』の時代・世界観への憧憬をつづり、「(赤川作品は)私にとって現代の『風土記』である」とダイナミックに着地する。大人でもなかなかついていけないほど飛躍しまくるこの解説が、年若い読者に与えるインパクトについて思いをはせる著者。数ページの解説から透けて見える背景や作品への愛情を深読みし、あたかもボケにツッコむ漫才のような、ひとつのエンターテインメントに仕上がっているのだ。

 王道であれ邪道であれ、テキストの読み方はひと通りではなく、異なる角度からの分析を知ることでさらに楽しめることを、改めて気づかせてくれる本書。読後は、各作品の文庫本を買って、解説を読みたくなってしまう1冊だ。
(保田夏子)

男もファッションも大好きなフェミニストが、「男らしさ」に苦しむ男性も救う?

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■『バッド・フェミニスト』
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 タイトルに「フェミニスト」という単語がついていることで、反射的にこの本を敬遠する人がいるとしたらもったいない。『バッド・フェミニスト』(ロクサーヌ・ゲイ著、野中モモ訳、亜紀書房)は、ポップカルチャーやタレント、ロクサーヌ自身についてのエッセイを通して、米国、ひいては先進国に横たわる“差別”と“文化”の関係を見渡す時評エッセイだ。

 「フェミニスト」という言葉には、「怒りっぽい、セックス嫌いの、男嫌いの、被害者意識でいっぱい」というイメージがついてしまいがちだ。そのイメージが、女性をフェミニズムから遠ざけていることを踏まえつつ、それでもあえて「フェミニスト」を名乗るのは、大学教授で作家でもあるロクサーヌ。ハイチ系黒人女性として生まれた彼女は、「ピンクが大好きで羽目を外すのも好きで、時には女性の扱いがひどいとよーーくわかっている曲に合わせてノリノリで踊ってしまうこともある」と語り、自身を「バッド・フェミニスト」と称する。

 彼女は、フェミニストらしく、ほぼ女性のみによって作られたコメディー映画『ブライズメイズ』が映画史に果たした功績や、ヒット映画『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』や『ジャンゴ 繋がれざる者』に存在している性差別と人種差別に切り込む。しかし一方で、『ハンガー・ゲーム』などヤングアダルト(10代向け)作品への偏愛を語り、低俗だけど圧倒的に大衆人気の高いリアリティー番組の楽しみも語る。それらは時にレイプやトラウマを扇情的に扱うような、フェミニズム的に見れば一見不適格な作品だ。けれども彼女自身の10代の時の経験を通して、そういった“バッド”な10代向けのフィクションこそが、読者を救済する効能について理知的に分析する。

 ロクサーヌにとっての「フェミニズム」は、「男と同じになる」とか「男を憎み、セックスを憎み、キャリアに集中し、毛を剃らない」ことではない。彼女は、ドレスや「VOGUE」が好きで、男性もセックスも好きだ。さらに、虫退治や車の修理は苦手だから、パートナーや父親に頼るし、女性を侮辱する言葉を使う小説家やミュージシャンの才能に、心をつかまれることすらある。それでも、女性が「女性だから」という理由で不当な扱いを受ける時には、声を上げるべきであることを強く訴える。

 彼女のコメントを切り貼りして、短絡的に「矛盾している」「女性という立場を盾にとっている」という批判も成り立つだろう。けれども、「女性らしいことが好きだし、完璧に一人で自立できる人はいない」と語る彼女が理想とするフェミニズムは、「女性らしさを強制されず、逆に抑圧もされず、自身をそのまま認めること」という点で一貫している。その考えは、女性はもちろん、突き詰めれば「男らしさ」を強制されてしんどそうな男性たちも救う世界に見える。

■『文庫解説ワンダーランド』

男もファッションも大好きなフェミニストが、「男らしさ」に苦しむ男性も救う?の画像2

 文庫本を買うと、たいてい巻末には数ページの「解説」がついてくる。批評家や研究者、著者と親交のある作家や著名人が作品や作家について紹介してくれる日本特有の文化「解説」を評論した本が『文庫解説ワンダーランド』(斎藤美奈子、岩波書店)だ。

 夏目漱石、太宰治ら、複数の出版社から出されている人気作品の複数の解説を読み比べたり、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫)、『なんとなく、クリスタル』(田中康夫)など社会現象にもなったベストセラーの解説を読み込み、数十年を経て、文学史上の重要性が認識され、再評価されていることを指摘したり。『文庫解説ワンダーランド』そのものが、時代を長期的に俯瞰した文学批評として成立している。

 そんな、作品の理解を深める優れた名解説の紹介が知見を広げてくれる一方で、著者の腕の良さが際立つ点は、読者を迷子にする迷解説、謎解説を、毒とユーモアたっぷりに引き揚げているところだ。

 『失楽園』など、男性的な視点で描かれる性愛小説を生み出した渡辺淳一の作品解説には、「一見褒めてるようでよく読むと直接的な作品評価から逃げている」解説が多いことを指摘し、角田光代、林真理子ら幾人もの著名な女性作家たちが「褒めず殺さず作品を立てる」ためにどのようなテクニックを駆使したかを邪推する。

 また、思想家・鶴見俊輔が、赤川次郎の『真珠色のコーヒーカップ』に寄せた定型外の解説も紹介。赤川読者の大半は中高生であるにもかかわらず、鶴見は読者に「私の同時代の日本に失望している」と語りかける。そして唐突に『風土記』の時代・世界観への憧憬をつづり、「(赤川作品は)私にとって現代の『風土記』である」とダイナミックに着地する。大人でもなかなかついていけないほど飛躍しまくるこの解説が、年若い読者に与えるインパクトについて思いをはせる著者。数ページの解説から透けて見える背景や作品への愛情を深読みし、あたかもボケにツッコむ漫才のような、ひとつのエンターテインメントに仕上がっているのだ。

 王道であれ邪道であれ、テキストの読み方はひと通りではなく、異なる角度からの分析を知ることでさらに楽しめることを、改めて気づかせてくれる本書。読後は、各作品の文庫本を買って、解説を読みたくなってしまう1冊だ。
(保田夏子)

転職先としての非営利業界・海外移住。「脱出」の先に待っているものとは?

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■『ブラック企業やめて上海で暮らしてみました』
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 会社を辞めて、語学留学し、いずれ海外で働く。そんな転身を夢見たことがある人は、意外と多いのではないだろうか。『ブラック企業やめて上海で暮らしてみました』(原作:初田宗久、イラスト:にしかわたく/扶桑社)は、「40歳」「独身」「突出した語学力も、コネもない」状態から日本を飛び出し、上海でその夢を実現した男性の日々をコミック化した本だ。

 2~3日の徹夜も当たり前のアダルト雑誌の編集部に勤めていた、自称“メタボ気味おっさん”初田氏。パワハラ上司の目を盗んで会社のトイレで眠る日々に嫌気が差し、40歳にして退職し、一念発起して中国への語学留学を決心。留学当初は苦戦するものの、1年弱で中国語版TOEICと呼ばれるテストで最高レベルの点数を獲得。上海の情報サイトの記者となり、訪中した浅田真央や福山雅治といった著名人にもインタビューする日々が始まる。

 流れだけを追うと成功ずくめの華麗な転身のようだが、本作の主軸は、ほとんど勢いで中国に飛び込んだ初田氏の戸惑いと、笑いを交えたたくさんの失敗談だ。思うように伸びない語学力に涙し、日本製品の購入を頼み込んでくる図々しい中国人の同僚をあしらい、一筋縄ではいかない大家さんと渡り合い、反日デモにおびえ、タクシー運転手からは領土問題の議論を挑まれる……そんな、次々と降りかかる厄介な状況を、ユーモアに変えて振り返る。

 当然、もし海外での転職に成功したとしても、そこがそのまま理想郷になるわけではない。中国では、日本とはまた違う、独特の濃い人間関係を維持しなければ、仕事をうまく進めることもできない。それでも、異なる文化に体当たりすることで獲得した「海外でゼロからハードな日々を乗り越えた」経験値は、単に「理想的な職場」を得るより貴重なものだ。

 5年ほど編集記者を務めた初田氏は、部署全体の閉鎖で失業し、台湾への再留学を経て、現在は中国系企業会長の通訳アシスタントとしてアジア各国を巡っている。「40歳で留学」という選択について、あとがきでは「本当に正解だったかどうかは今でもわからない」とつづっている。けれども初田氏は、中国でのハードな日々を通して、たとえ一見「不正解」を引いても、その都度軌道修正していくしたたかさを得ているように見える。それは、先の読めない人生を存分に楽しむために、大切なスキルではないだろうか。

■『N女の研究』

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 「非営利業界で働く人々」と聞いて、どのようなイメージを描くだろうか。『N女の研究』(中村安希/フィルムアート社)は、非営利業界(NGO/NPO)で働く20代後半~30代の女性10人の半生、仕事内容、賃金ややりがいなどについて、団体を立ち上げた創立メンバーではなく、あえて、「就職先として選んだ女性(=N女)」に取材したノンフィクションだ。

 本作には、転職先に非営利業界を選んだ女性も多く登場する。飲料メーカーから難民支援事業へ、広告代理店から保育事業へ、学童職員から若者の就職支援へ――彼女たちの事情や背景はさまざまだが、N女たちに向けられる、漠然とした“優しそう”“意識高そう”というイメージは本作であっさりと覆される。

 若者の就労支援を手掛ける女性の一人は、「就労支援は甘やかしではないか」と見る意見に、「若者がかわいそうだから助けたいのではなく、納税者を増やしたいからやっている。今解決しないと、私たちの世代やその次の世代にまで負担がのしかかる」と、はっきり答える。

 彼女たちの多くは、きれいごとやイメージではなく、目の前の課題を具体的に解決するための1つの手段として、非営利団体を選んでいる。一般企業では、結婚や出産・育児などライフスタイルの変容をきっかけに、勤務形態を変えざるを得ず、昇進を選ばない女性も多い。そんな中、フラットな組織として意見が出し合えて、任される裁量も大きい非営利団体が選択肢に入るのは自然なことだろう。

 非営利業界を支援するNPO法人に勤める職員は、この傾向を「ライフイベントに合わせて柔軟に働ける、自分らしく働ける職場環境、もう1つ別の路線」として、非営利業界が「女性の第3のキャリアパス」となる可能性を示す。

 しかし一方で著者は、非営利業界で働くことの問題点もえぐり出す。彼女らのほとんどは収入が低く、理解ある家族・配偶者の収入に支えられるケースが多い。さらに団体の質も一定ではなく、成果を重視しない団体、生産性の低い団体も現実的には存在する。そして、やる気のある職員ほど私生活を犠牲にし、疲弊して離職する傾向にもある。

 収入は低く、周りに支援者が必要で、団体の仕事の質にも大きな差がある――。非営利業界は、「社会貢献したい女性が輝ける」ときれいにまとめるには、あまりに不安定で、前途洋々とはいえない。しかし、本書に取り上げられたN女たちに悲壮感はなく、むしろその状況を積極的に受け止めているように見える。それは、N女の活動を通して見える現代社会のひずみを受け止めれば、どちらにしても、今の30代以下の世代のほとんどの未来は前途多難だからだ。

 本書では、30代を「逃げ切れない世代」と呼ぶ人もいる。30代以下は、かつての「大手企業に正社員として勤め(る夫を持て)れば安心」という時代が取りこぼしてきた負の面と、近い将来向き合わざるを得ない。「逃げ切れる世代」が仕切る変革を待っていては間に合いそうにないから、「どうせ向き合うなら早いうちから」と行動を起こしているのが、「N女」であると著者は分析する。

 結婚してもしていなくても、子どもがいてもいなくても、N女でも、N女でなくても、問題山積の未来が私たちを待っている。両手を広げて困難を受け止めるには、本書に取材されたN女たちのしなやかな考え方、問題への向き合い方は、きっと参考になるはずだ。

(保田夏子)

米ベストセラーとなった、名門大のレイプ事件のノンフィクションと、売れっ子女性クリエイターの“戦記”

 2017年には、正式にドナルド・トランプ大統領が生まれることになる。1つの転機を迎えたアメリカで、近年ベストセラーになった2冊を紹介したい。

■『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』(ジョン・クラカワー著・菅野楽章翻訳、亜紀書房)

missaula

 『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』は、10~12年に連続して明るみに出た、米名門大学の強豪アメフトチームに所属する男子学生たちが起こした複数のレイプ事件の深層を探ったノンフィクション。戦地取材の経験もあるジャーナリストが、長期にわたり関係者に綿密に取材し、全米でベストセラーとなっている。本作は、専門家への取材や、最新の統計研究にも触れることで、一般に持たれがちな「レイプ犯罪」に対する偏った認識を修正してくれる一冊でもある。

 近年米国では、大学生、特に入学したばかりの女子学生が高い確率でレイプ被害に遭っていることが「キャンパスレイプ」と呼ばれ、大きな社会問題になっている。これは日本で似たケースも見られるが、本書で取り上げられた事件は、少し事情が異なる。加害者とされた男子学生たちは、この地域のスターであり、シンボルのような存在でもあるモンタナ大学のアメフトチーム「グリズリーズ」のメンバーだった。

 同時期、同じ大学で起こったアジア系男性によるレイプ事件は、圧倒的に被害女性へ同情が寄せられた一方で、「グリズリーズ」メンバーの起こした事件は、地域やメディアを巻き込み、加害者が「守られている」ように見える。主な理由は、「彼らが、レイプするほど女性に不自由するはずがない」「女性はレイプされたとよく嘘をつく」「アルコールや薬物の入った若い男女の諍いである」といったものだ。

 本書には、女性がレイプをでっち上げた事件も含め、複数の事件が取り上げられている。その中で最も詳しく描かれた事件の加害者は、「グリズリーズ」の中でもスター的存在で、男女問わず人気があり、友人や家族から紳士的なスポーツマンだと思われていた。しかし一方で、過去にもレイプ未遂を起こし(男女含むグループが、彼の犯行を必死で止め、未遂となった)、自分の罪を認め、被害者に謝罪した後でも、周囲にはそのこと自体を隠し、「前から性交渉があり、合意の上だった」と平然と事実無根の中傷を続けるような一面もあったのだ。

 レイプ犯罪というと、“異性との関係をうまく築けない男性が、見知らぬ女性を襲う”というケースが、1つの典型のように思える。しかし、レイプの85%が顔見知りによる犯行で、加害者がモテそうなタイプであることも珍しくなく、そして、その被害のほとんどが届けられていないと推定されているデータを見れば、むしろ、本書に取り上げられたようなケースの方が典型的であるといえる。少数の“隠れレイピスト”が、訴えられないことを隠れみのに犯罪を繰り返すため、多数の被害者を生み出しているのが実情だ。

 米国女性の19.3%、男性の1.7%がレイプ被害を受けた経験があるという、米疾病予防センターの報告書を引きつつ、この犯罪における「女性の虚偽報告の高さ」を検証する研究も取り上げる。著者は、被害報告が虚偽である可能性が、特別に高いわけではないことを、データに基づいて淡々と示していく。本書での結論は、「レイプ被害者が話を信じてもらえないことで受けるダメージは、少なくとも、無実の男性がレイプで不当に訴えられて受けるダメージと同じ」「そして疑いなく、前者の方が後者よりもはるかに頻繁に起こっている」と書かれている。

 私がもし男性だったら、雰囲気で一夜を共にした女性に、後から唐突にレイプ被害を訴えられるのは怖いし、先に挙げたようなデータは、そんな悪意ある女性に都合が良いように思えるかもしれない。しかし、本書を読めば、女性がレイプ被害を訴えるメリットは、そう大きくはないことがわかる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)にさいなまれ、周囲の中傷に耐えながら、次の被害者を生まないよう自身を奮い立たせている女性が多く存在する。そして、レイプ犯罪は、男性にとっても人ごととは言えない。本書では、“隠れレイピスト”は児童への虐待率が高いことも示されている。自分の子どもや恋人が、そして自分自身が被害に遭わないとはまったく言い切れないのだ。

 米国でも、また日本でも、表に出ているレイプ犯罪は氷山の一角で、その裾野には膨大な同様の犯罪、そしてグレーケースが眠っていることは想像に難くない。裁判に関わった市民陪審員は、著者の取材に“女性が死ぬまで抵抗すれば、レイプ事件は認められる”という趣旨の感想を漏らす。被害者が普通に生き延び、加害者には当たり前に罪を負わせられる世界になるまでの道のりの長さ、荷の重さを思うと暗澹たる気持ちになるが、一人ひとりがレイプ犯罪に対する正確な知識を持つことが、その道の荷物を少しずつ分け合うことにつながるのだと信じたい。

■『ありがちな女じゃない』(レナ・ダナム著・山崎まどか訳、河出書房新社)

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 その重い荷物を人一倍抱えながら、パワフルに歩いている女性の1人が、エッセイ『ありがちな女じゃない』の著者、レナ・ダナムだ。

 『ありがちな女じゃない』は、27歳で米誌「TIME」の“世界で最も影響力のある100人”に選ばれたレナ・ダナムによる初めてのエッセイ。13年、ドラマ『Girls/ガールズ』で脚本・監督・主演を務め、ゴールデン・グローブ賞(テレビの部)でミュージカル・コメディー部門の作品賞・主演女優賞を受賞した彼女は、日本での知名度はまだ高いとはいえないが、米国では若い世代を代表するクリエイターの1人として注目を集めている。

 そんな華やかな経歴を持つレナのエッセイは、9歳の時「高校卒業までは処女でいる」と誓いを立てたものの、19歳になるまで、その誓いが脅かされるような機会自体がなかったという、地味な話から始まる。大学を卒業しても定職に就かず、何の展望もないまま「成功したい」と野心だけを持て余していた時期の焦燥、太りすぎてマタニティウェアしか着られるものがなかったこと、ダイエットと摂食障害、映画監督としてハリウッドデビューして出会った業界のおじさんたち(レナいわく“若いエキス吸い取りじじい”)に認められたくて消耗したことなど、順風満帆にキャリアを積んでいるように見える彼女の、格好いいとはいえないエピソードが、適度なユーモアと品のなさで痛快に語られている。

 本書が、単なる才能あふれる成功した女性のありがちなエッセイに終わらないのは、自分の失敗や黒歴史、みっともない動揺を、自虐でもなく、「自分の一部」としてカラッと振り返っているところだ。親しい女友達に明かすような語り口で、イケてない初体験を語るレナにつられて、読者も彼女と会話するように、普段は忘れている恥ずかしい行動、恥ずかしい経験を記憶の底から取り出し、ほとんどの記憶は笑い飛ばすことができるだろう。

 基本的にはユーモアたっぷりに、軽快につづられる本書だが、笑い飛ばせない過去については、真剣に振り返る。学生時代、彼女が顔見知りから受けたキャンパス・レイプと、その後遺症について語った「バリー」の章も、その1つだ。

 被害を受けたとき酩酊状態だったレナは、『ミズーラ』でレポートされた被害者と同じように、「自身の経験はレイプと呼ぶほどではない」「たいしたことではない」と自分に言い聞かせ、笑い話として扱おうとしていた。しかし、大人になった彼女は、友人や恋人との会話をきっかけに、その経験でどんなに傷ついていたかを初めて自覚することになる。おそらく米国でも、本章で書かれたことが、レイプかどうかについては意見が分かれるところだろう。それでも、「第三者からどう思われても、自分はその経験で傷ついている」という事実を受け入れることの大切さに気付かされる。

 レナが「この本はそんな私が戦う最前線からお届けする、希望に満ちた緊急メッセージなの」と書くように、『ありがちな女じゃない』は、少女時代から現在に至るまで、人一倍たくさんのものと戦ってきた現代女性の戦記だ。全戦全勝ではない、立ち直れないと思えるほどの経験もオープンにした彼女の言葉の端々から感じられるのは、自慢や自虐ではない。多かれ少なかれ、同じような壁にぶつかる同世代の女性たちに向けた、「何回負けても、そして負けたことを認めても、自分が駄目になるわけではない」というメッセージだ。そのエールは、海を越えて私たちにも届く。日本で生きる女性たちが歩む道も明るくし、勇気づけてくれるだろう。
(保田夏子)

米ベストセラーとなった、名門大のレイプ事件のノンフィクションと、売れっ子女性クリエイターの“戦記”

 2017年には、正式にドナルド・トランプ大統領が生まれることになる。1つの転機を迎えたアメリカで、近年ベストセラーになった2冊を紹介したい。

■『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』(ジョン・クラカワー著・菅野楽章翻訳、亜紀書房)

missaula

 『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』は、10~12年に連続して明るみに出た、米名門大学の強豪アメフトチームに所属する男子学生たちが起こした複数のレイプ事件の深層を探ったノンフィクション。戦地取材の経験もあるジャーナリストが、長期にわたり関係者に綿密に取材し、全米でベストセラーとなっている。本作は、専門家への取材や、最新の統計研究にも触れることで、一般に持たれがちな「レイプ犯罪」に対する偏った認識を修正してくれる一冊でもある。

 近年米国では、大学生、特に入学したばかりの女子学生が高い確率でレイプ被害に遭っていることが「キャンパスレイプ」と呼ばれ、大きな社会問題になっている。これは日本で似たケースも見られるが、本書で取り上げられた事件は、少し事情が異なる。加害者とされた男子学生たちは、この地域のスターであり、シンボルのような存在でもあるモンタナ大学のアメフトチーム「グリズリーズ」のメンバーだった。

 同時期、同じ大学で起こったアジア系男性によるレイプ事件は、圧倒的に被害女性へ同情が寄せられた一方で、「グリズリーズ」メンバーの起こした事件は、地域やメディアを巻き込み、加害者が「守られている」ように見える。主な理由は、「彼らが、レイプするほど女性に不自由するはずがない」「女性はレイプされたとよく嘘をつく」「アルコールや薬物の入った若い男女の諍いである」といったものだ。

 本書には、女性がレイプをでっち上げた事件も含め、複数の事件が取り上げられている。その中で最も詳しく描かれた事件の加害者は、「グリズリーズ」の中でもスター的存在で、男女問わず人気があり、友人や家族から紳士的なスポーツマンだと思われていた。しかし一方で、過去にもレイプ未遂を起こし(男女含むグループが、彼の犯行を必死で止め、未遂となった)、自分の罪を認め、被害者に謝罪した後でも、周囲にはそのこと自体を隠し、「前から性交渉があり、合意の上だった」と平然と事実無根の中傷を続けるような一面もあったのだ。

 レイプ犯罪というと、“異性との関係をうまく築けない男性が、見知らぬ女性を襲う”というケースが、1つの典型のように思える。しかし、レイプの85%が顔見知りによる犯行で、加害者がモテそうなタイプであることも珍しくなく、そして、その被害のほとんどが届けられていないと推定されているデータを見れば、むしろ、本書に取り上げられたようなケースの方が典型的であるといえる。少数の“隠れレイピスト”が、訴えられないことを隠れみのに犯罪を繰り返すため、多数の被害者を生み出しているのが実情だ。

 米国女性の19.3%、男性の1.7%がレイプ被害を受けた経験があるという、米疾病予防センターの報告書を引きつつ、この犯罪における「女性の虚偽報告の高さ」を検証する研究も取り上げる。著者は、被害報告が虚偽である可能性が、特別に高いわけではないことを、データに基づいて淡々と示していく。本書での結論は、「レイプ被害者が話を信じてもらえないことで受けるダメージは、少なくとも、無実の男性がレイプで不当に訴えられて受けるダメージと同じ」「そして疑いなく、前者の方が後者よりもはるかに頻繁に起こっている」と書かれている。

 私がもし男性だったら、雰囲気で一夜を共にした女性に、後から唐突にレイプ被害を訴えられるのは怖いし、先に挙げたようなデータは、そんな悪意ある女性に都合が良いように思えるかもしれない。しかし、本書を読めば、女性がレイプ被害を訴えるメリットは、そう大きくはないことがわかる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)にさいなまれ、周囲の中傷に耐えながら、次の被害者を生まないよう自身を奮い立たせている女性が多く存在する。そして、レイプ犯罪は、男性にとっても人ごととは言えない。本書では、“隠れレイピスト”は児童への虐待率が高いことも示されている。自分の子どもや恋人が、そして自分自身が被害に遭わないとはまったく言い切れないのだ。

 米国でも、また日本でも、表に出ているレイプ犯罪は氷山の一角で、その裾野には膨大な同様の犯罪、そしてグレーケースが眠っていることは想像に難くない。裁判に関わった市民陪審員は、著者の取材に“女性が死ぬまで抵抗すれば、レイプ事件は認められる”という趣旨の感想を漏らす。被害者が普通に生き延び、加害者には当たり前に罪を負わせられる世界になるまでの道のりの長さ、荷の重さを思うと暗澹たる気持ちになるが、一人ひとりがレイプ犯罪に対する正確な知識を持つことが、その道の荷物を少しずつ分け合うことにつながるのだと信じたい。

■『ありがちな女じゃない』(レナ・ダナム著・山崎まどか訳、河出書房新社)

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 その重い荷物を人一倍抱えながら、パワフルに歩いている女性の1人が、エッセイ『ありがちな女じゃない』の著者、レナ・ダナムだ。

 『ありがちな女じゃない』は、27歳で米誌「TIME」の“世界で最も影響力のある100人”に選ばれたレナ・ダナムによる初めてのエッセイ。13年、ドラマ『Girls/ガールズ』で脚本・監督・主演を務め、ゴールデン・グローブ賞(テレビの部)でミュージカル・コメディー部門の作品賞・主演女優賞を受賞した彼女は、日本での知名度はまだ高いとはいえないが、米国では若い世代を代表するクリエイターの1人として注目を集めている。

 そんな華やかな経歴を持つレナのエッセイは、9歳の時「高校卒業までは処女でいる」と誓いを立てたものの、19歳になるまで、その誓いが脅かされるような機会自体がなかったという、地味な話から始まる。大学を卒業しても定職に就かず、何の展望もないまま「成功したい」と野心だけを持て余していた時期の焦燥、太りすぎてマタニティウェアしか着られるものがなかったこと、ダイエットと摂食障害、映画監督としてハリウッドデビューして出会った業界のおじさんたち(レナいわく“若いエキス吸い取りじじい”)に認められたくて消耗したことなど、順風満帆にキャリアを積んでいるように見える彼女の、格好いいとはいえないエピソードが、適度なユーモアと品のなさで痛快に語られている。

 本書が、単なる才能あふれる成功した女性のありがちなエッセイに終わらないのは、自分の失敗や黒歴史、みっともない動揺を、自虐でもなく、「自分の一部」としてカラッと振り返っているところだ。親しい女友達に明かすような語り口で、イケてない初体験を語るレナにつられて、読者も彼女と会話するように、普段は忘れている恥ずかしい行動、恥ずかしい経験を記憶の底から取り出し、ほとんどの記憶は笑い飛ばすことができるだろう。

 基本的にはユーモアたっぷりに、軽快につづられる本書だが、笑い飛ばせない過去については、真剣に振り返る。学生時代、彼女が顔見知りから受けたキャンパス・レイプと、その後遺症について語った「バリー」の章も、その1つだ。

 被害を受けたとき酩酊状態だったレナは、『ミズーラ』でレポートされた被害者と同じように、「自身の経験はレイプと呼ぶほどではない」「たいしたことではない」と自分に言い聞かせ、笑い話として扱おうとしていた。しかし、大人になった彼女は、友人や恋人との会話をきっかけに、その経験でどんなに傷ついていたかを初めて自覚することになる。おそらく米国でも、本章で書かれたことが、レイプかどうかについては意見が分かれるところだろう。それでも、「第三者からどう思われても、自分はその経験で傷ついている」という事実を受け入れることの大切さに気付かされる。

 レナが「この本はそんな私が戦う最前線からお届けする、希望に満ちた緊急メッセージなの」と書くように、『ありがちな女じゃない』は、少女時代から現在に至るまで、人一倍たくさんのものと戦ってきた現代女性の戦記だ。全戦全勝ではない、立ち直れないと思えるほどの経験もオープンにした彼女の言葉の端々から感じられるのは、自慢や自虐ではない。多かれ少なかれ、同じような壁にぶつかる同世代の女性たちに向けた、「何回負けても、そして負けたことを認めても、自分が駄目になるわけではない」というメッセージだ。そのエールは、海を越えて私たちにも届く。日本で生きる女性たちが歩む道も明るくし、勇気づけてくれるだろう。
(保田夏子)

田中カツやキュリー夫人ら“偉人”のイメージに隠れた、人間臭い真の魅力に迫る

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン(サイ女)読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します!

■『小説 田中カツ』(渡辺順子、随想舎)

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 「足尾鉱毒事件」や「田中正造」という単語は広く知られているが、その妻のことを知る人は少ない。『小説 田中カツ』は、現代に残された手紙や日記、関係者への聞き込みから、正造の妻・カツをはじめとする、足尾鉱毒事件に関わった“明治の女”たちの生涯を描き出した小説だ。

 「明治の女」と聞いて浮かぶのは、江戸時代からの風習を引きずり、夫や家族につき従う「旧(ふる)い女」か、平塚らいてうに代表される、女性の人権を訴える「新しい女」の両極端だろう。そして、カツの生涯は、その表層をなぞれば、献身的に夫に尽くした前者のタイプと見る人が多いかもしれない。

 評判の美少女で、正造に熱心に口説かれるまま、15歳で田中家に嫁いだカツ。村の名主の跡取りとして生まれた正造は、その人生のほとんどを足尾鉱毒事件の被害者たちに捧げている。衆議院議員として全国から支援を募り、資金や食物、自宅、さらにはその時着ているものまで、片っ端から農民に渡していた正造。死後には神として祀られるほど尊敬される一方で、癇が強く、強情で、妻には特に厳しく当たる正造は、当時の価値観から見ても“一般的な良き夫”とは言い難かった。しかし、結婚当初こそ正造に傷つけられたカツだが、その信念の理解者となり、家を仕切りながら、夫の指示のまま被災地を巡る支援活動に身を投じるようになる。

 そんなカツを、「夫に献身的に尽くした女性」と見ることもできるが、本書からは、単なる耐え忍ぶ女性像にはとどまらない彼女の姿も浮かび上がってくる。

 正造が選挙に立った際には積極的に票を読み、親から結婚を反対されている女性を助けるために正造を動かし、夫の知らないところで経済的にも自立するすべを心得た彼女の生涯は、「夫に尽くした」という言葉に収まらない生命力と才覚にあふれているように見える。正造の死後、裁判を引き継いで決着に尽力したカツは、晩年も地域の住民から慕われ、穏やかに暮らし、臨終の際には部屋に入りきらないほどの見舞い客が集まった。その人生は、ただ忍んでいただけでは味わえない豊かなものだろう。

 そして、本書ではカツだけではなく、足尾鉱毒事件に関わり、闘うことを決めた女性、闘わざるを得なかった女性たちの半生も詳しく描かれている。

 本書に登場する女性のほとんどは、30代、40代、50代以上だ。鉱毒事件の被害を訴えるため上京し、一軒家で共同生活する女性たちの生き生きとした姿や、被災地で1人、あばらやのような小屋で生きていくことを決めた老女。両親の意向で最先端の教育を施され、新聞記者として活躍する女性もいれば、DV夫から逃げ出したことで非難されつつ、社会活動に身を投じる女性もいる。そのどの人生も、単純に「旧い女」「新しい女」とは分けられない、それぞれの道だ。

 ほぼ同時代に生まれた彼女たちの生涯を俯瞰することで明らかになるのは、生まれたときの家庭環境や教育、地域の価値観が、その後の人生を左右し、自ら解こうとしない限り、知らず知らずのうちに縛られているということ。それは、明治時代にかかわらず、現代でも同様だろう。人は生まれてくる環境を選べない。それでも、置かれた境遇に絶望せず、自らの生きる道を選択して闘ったあまたの明治の女たちの姿が、「夢」や「希望」にはない泥臭さで、活力を感じさせてくれる。

■『改訂 マリー・キュリーの挑戦 ―科学・ジェンダー・戦争』(川島慶子、トランスビュー)
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 “偉人伝”の中で定番として挙げられる女性の1人、日本でもなじみ深いキュリー夫人(マリー・キュリー)。田中カツや正造が生きた時代と、彼女がソルボンヌ大学(パリ大学)初の女性教授になり、史上初めて2度目のノーベル賞を受賞した時代は、ほぼ同時期だ。

 本書は、科学史研究者である川島慶子氏による、科学者“キュリー夫人”ではない、1人の「マリー・キュリー」という女性像を、さまざまな資料から探り、再解釈を試みる評伝。著者自身が、「子どものころは優等生のイメージがあるキュリー夫人より、自由なアインシュタインのほうに惹かれていた」と語る通り、キュリー夫人には、偉大な科学者でありながら妻としての役割も果たし、夫婦協力して科学の発展に努めた“優等生”のイメージが強い。しかし実際は、「優等生キュリー夫人 対 ユニークな天才アインシュタイン」という、一般的に広まるイメージこそすでにバイアスがかかっているものだと著者は分析する。

 さまざまな角度からマリー・キュリーのエピソードが語られる本書では、マリーの娘が執筆した「キュリー夫人伝」には書かれていない、夫の死後の恋愛についても触れられている。年下の既婚男性と不倫関係が疑われたことで、ゴシップ誌の格好の餌食になってしまったマリー・キュリー。男性は妻と別居し、離婚裁判中だったといわれるが、宗教や移民問題で外国人排斥の風潮が高まっていた当時のフランスで、彼女が「善良なフランス家庭を壊した外国人女」として、過剰なバッシングの対象になってしまった歴史的な背景も解説する。

 そして本書では、山田延男や湯浅年子といった、マリー・キュリーの下で研究を続けた日本人研究者の生涯や功績も詳しく語られている。異文化での研究生活に大きな刺激を受けた湯浅は、後に初めて戦後フランスで正式に職を得た日本人女性となり、その後も日仏をつなぐ役目を果たす。マリー・キュリーのような歴史上の偉人、遠い国の史実として触れていた人々の息吹が、時を超えて現代の日本にもつながっていることを感じさせてくれる。

■『マリー・アントワネットの嘘』(惣領冬実・ 塚田有那、講談社)

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 『マリー・アントワネットの嘘』は、ベルサイユ宮殿の総監修・フルサポートの下で作られた惣領冬実氏によるコミック『マリー・アントワネット』(同)出版と連動して作成された、フランス革命史実を再検証するノンフィクションだ。

 不細工で気弱な国王、欲求不満でフェルセンと密通した贅沢ざんまいの王妃……。当時のフランス市民の間でやゆされ、20世紀に世界的なベストセラーとなったツヴァイク版の小説でも定着した(さらに日本では池田理代子氏による漫画『ベルサイユのばら』でより広く定着した)フランス王・王妃のイメージは、どこまで信頼が置けるのか。これらの小説や漫画の出版後に明らかになった最新資料を踏まえ、徹底的に解説する。

「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」という王妃の発言や、国王と王妃との間に、長い間性交渉がなかったとされる定説を大胆に否定しながら、歴史が、時により市民の面白い方へ歪曲されてしまう仕組みも分析してくれる。

 2世紀以上の時代を経た今、本当の意味でどれだけ正しいのか確かめることは難しい。しかし、史実との矛盾点を解説し、虚像と資料のギャップを埋めていく経過を明らかにしてくれる本書は、漫画を読んでいなくても、痛快な歴史読み物として十分楽しむことができる。

 もちろん、惣領氏へのインタビューや萩尾望都氏との対談なども収録され、漫画のファンであればさらに深く読み込める一冊。惣領氏が描きだす、『ベルばら』とは異なる新しいマリー・アントワネット像が、今後は定着していくのかもしれない。
(保田夏子)

LGBTを知ると世の中が変わって見える!? 今さら聞けない性的マイノリティへの疑問

 最近、「LGBT」という言葉をあちこちで耳にする。あらためて説明すると、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの略で、性的マイノリティの人たちのことを指す、いわば、彼らにとってのチーム名のようなもの。

 『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか? 聞きたい!けど聞けない!LGBTsのこと』(イースト・プレス)は、そんなチーム「LGBT」とのお付き合いを考える本として、先日発売された。

 ちなみに、タイトルにある「LGBTs」に小さな「s」がついているのは、LGBTにも収まらない人たちがまだまだいて、そういう人たちを含めると、「LGBTTIQQ2SA」まで続くからとのこと(!)で、みんなをひっくるめる意味があるそう。

 著者は、タレントであり、文筆家の牧村朝子(通称・まきむぅ)さん。2013年にフランス人女性のモリガさんと、フランスでの同性婚法制化を機に結婚し、本書の中では、モリガさんも一緒にLGBTsにまつわる疑問について、ざっくばらんに答えている。

 例えば、「仲の良い女友達から、レズビアンなのと告白された。どう接すればいいのでしょうか?」という質問では、

まきむぅ:お友達が何を求めてそう言ったのかわからないわね。モリガは友達にカミングアウトしたことってある?
モリガ:うーん。会話の流れで好きな異性のタイプ? 特にないな~、私は女が好きだから、とかなら言ったことはあるよ。でも、特に私はレズビアンっていう意識はないなぁ。
まきむぅ:そうねー。女が好きな女だからといって、私はレズビアンって思っているとは限らないのよね。(中略)“レズビアン”って言葉は、そう名乗らなければ勝手に異性愛者だということにされてしまう社会で、いないことにされないために名乗る言葉なわけ。

 という何気ない会話に、ハッとさせられる。また、「ゲイの友達がほしい!どうすれば女と友達になってくれるの?」という質問に対しては、

まきむぅ:ゲイと友達になりたいんです!! って言わないことが必要なんじゃないかなぁ。
モリガ:どういう意味?
まきむぅ:そんなふうに言われた人は、「ゲイであれば自分じゃなくてもいいんだ」って思うじゃない。

 よく考えればそりゃそうなのだが、ゲイの人たちがみんな、ファッションセンスが良くて、オネエ言葉で話して、毒舌でビシバシ言ってくれる、というような人ばかりであるわけがない。なお、まきむぅさんによれば、“ゲイ友”を求めてゲイにつきまとう女は、オカマ(お釜)にくっつく余計な何かという意味で、“おこげ”と呼ばれるそうで、日本語のおもしろさにも感心させられる。

 ほかにも「好きになった職場の上司に、ゲイだという噂が……ゲイかどうか確かめる方法はありませんか?」「LGBTの人たちと接する時、注意すべきことは?」「彼氏が私に隠れて女装。どうすれば?」などなど、興味深い質問のオンパレード。

 おふたりの返答は、いつもカラッとしているので、すいすい読める。そして、どの答えにも、「男とか女と区別するのではなく人間として尊重する」「LGBTsが特別なのではなく、いろんな人がいて当たり前」ということを大前提としていることがひしひしと伝わってくる。

 第2章や第3章では、詳しい用語の説明や歴史背景なども、かなり詳しく紹介され、第4章では、まきむぅさんが22歳になるまで、自分を異性愛者だと思って生きてきて、男性とお付き合いをする「努力」を重ねてきたことなどについても語られている。

 この本は、LGBTsとの付き合い方を考えるきっかけになるのはもちろん、女だったらこう、男だからこう、という男女の決めつけを改めて見直すことにもつながる1冊。一方的な決めつけから解放された時、世の中は、がらりと変わって見えるのかもしれない。
(上浦未来)

「駄目なところ」が人生を切り開く力になり得ることを教えてくれた『不機嫌な姫とブルックナー団』

<p> 『ピカソになりきった男』は、稀代の贋作画家としてフランスを騒がせた男が、自身の半生を振り返り語ったノンフィクションです。贋作といっても、単に有名な絵の複製をつくるのではなく、「作風をコピーして、その画家が描きそうな新作を生み出す」スタイルで、ピカソ、ルノワール、シャガール、藤田嗣治ら人気巨匠の贋作を約30年も生み続けた“天才”ギィ・リブ。彼の人生は、そのまま映画化されそうなほどドラマチックで、波乱に満ちています。</p> <p> 娼館を取り仕切る夫婦のもとに生まれ、青年期には路上生活を経験。犯罪者たちとつるみつつ、商業水彩画家として生計を立てていたギィは、当初は力試しのつもりで「巨匠が描きそうな新作」に取り組むことに。そしてその才能を見込んだ画商のもとで腕を上げ、鑑定家のみならず、時に作者本人も本物と認めてしまうほど“完璧な贋作”をつくりだすようになります。</p>

「駄目なところ」が人生を切り開く力になり得ることを教えてくれた『不機嫌な姫とブルックナー団』

<p> 『ピカソになりきった男』は、稀代の贋作画家としてフランスを騒がせた男が、自身の半生を振り返り語ったノンフィクションです。贋作といっても、単に有名な絵の複製をつくるのではなく、「作風をコピーして、その画家が描きそうな新作を生み出す」スタイルで、ピカソ、ルノワール、シャガール、藤田嗣治ら人気巨匠の贋作を約30年も生み続けた“天才”ギィ・リブ。彼の人生は、そのまま映画化されそうなほどドラマチックで、波乱に満ちています。</p> <p> 娼館を取り仕切る夫婦のもとに生まれ、青年期には路上生活を経験。犯罪者たちとつるみつつ、商業水彩画家として生計を立てていたギィは、当初は力試しのつもりで「巨匠が描きそうな新作」に取り組むことに。そしてその才能を見込んだ画商のもとで腕を上げ、鑑定家のみならず、時に作者本人も本物と認めてしまうほど“完璧な贋作”をつくりだすようになります。</p>

ジャニーズファン以外からも絶賛されたV6『ドリフェス』の構成は、三宅健が担当!

 2011年から毎年行われているテレビ朝日主催の音楽ライブイベント『テレビ朝日ドリームフェスティバル』(以下『ドリフェス』)。今年はジャニーズ事務所からV6が参加した。

 ジャニーズアイドルがこのような音楽フェスに参加することは珍しいが、実は『ドリフェス』には毎年ジャニーズアイドルの名前が登場している。初めてイベントが行われた11年にはTOKIOが出演し、それ以降、テゴマス、KinKi Kids堂本剛、関ジャニ∞渋谷すばる、関ジャニ∞が毎年1組ずつ出演している。そして今年は10月23日にV6が『ドリフェス』に参加。会場の国立代々木競技場第一体育館を大いに盛り上げた。

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