「スポット」タグアーカイブ
世界中の女からツッコまれ、愛され続けるヒロイン“スカーレット・オハラ”という生き方
「帰るときは三本足で帰ってった」珍宝館の名物館長・ちん子氏に学ぶエロと健康の表裏一体
<p> 体力や気力が落ちていると真っ先に失せる三大欲求が性欲だ。夜遅くまで働き、数時間後には満員電車に詰め込まれる毎日。平日をやり過ごしても、泥のように眠りたい、ストレス解消に食べまくりたいとは思えど、クタクタの体に鞭を売って、勝負下着を付けて男に挑む気力などなかなか湧かないものだ。下半身の元気がない日本。しかし北関東の片隅に、ひっそりと日本の性欲を応援する場所がある。その名は「珍宝館」。</p>
「仕事も恋も諦めないのが当然」セーラームーンの原体験が生む女子の強さと生きづらさ
<p> 「セーラームーンの誰が好きだった?」という一言から、3~4時間は余裕で同世代と熱く語れるアラサー女子はかなり多いだろう。武内直子原作の漫画『美少女戦士セーラームーン』は、前世、月のプリンセスだった中学生の月野うさぎが、仲間とともに地球を襲う妖魔と戦うバトルヒロインもので、90年代少女漫画の金字塔とも言える作品だ。1992年に講談社「なかよし」での連載とテレビ朝日系列でのアニメ放映がスタートするやいなや、劇場版映画、グッズ、ゲームといったメディアミックス展開を通して、当時の少女たちから爆発的人気を博した。</p>
自殺未遂の過去を持つ壮絶女子プロレスラー、リングで魅せる「死ぬから生きる」という生き方
<p> 「悪の女優魂」というキャッチフレーズで人気の女子プロレスラー・安川惡斗(あくと)氏。悪役(ヒール)レスラーとして活躍し、デビューからわずか2年で女子プロレスラーのスターダムの象徴である「ワンダー・オブ・スターダム王座」を獲得している。女子プロレスラーならば誰もがあこがれる真っ白いベルト――デビュー間もなくそれを手にした安川氏だが、彼女の歩んできた道は決して平坦ではなかった。</p>
枠組みにはめることの暴力性、『わたしはロランス』――“中間的な存在”から見える自由の意味
『わたしはロランス』より
自身がゲイであることを告白し、ジェンダーの問題を多く作品のテーマにしてきた新進気鋭の監督グザヴィエ・ドラン。そのイケメンぶりやファッションセンスから、女性だけでなく若者全般からの人気も根強い。カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した新作『Mommy/マミー』(2014)も日本で公開されたばかりだ。そんな中、ドランの過去作『わたしはロランス』(12)『トム・アット・ザ・ファーム』(13)のBlu-ray Box発売記念イベントが渋谷アップリンクで行われた。『わたしはロランス』は、ドラン23歳の時に撮った作品で、女性になりたい男性・ロランスとその恋人・フレッドの10年にも及ぶ愛の物語である。普通・普通じゃない、男・女など社会の枠組みに生きづらさを感じる人も多い。女装家のヴィヴィアン佐藤氏と、“男装をやめた”東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩氏のトークショーをレポートする。
◎枠組みに当てはめることの暴力性
映画のオープニングに、さまざまな人がこちらを見ているというシーンがある。自分を偽っていたことに気づき、女性の格好をするようになったロランスに対する冷たい視線だ。そのような視線を自身も受けるようになったと明かすのは、ロランス同様、男性の格好をやめ、女性の服を着るようになった安冨氏である。「ステレオタイプの枠組みに当てはめようとして、うまく当てはまらないと、当てはめられなかった対象物が悪いということになる。この構造は『暴力』 に他ならない。人が自分を見つめる“あの目を見た”ことは思想的衝撃があった。この映画は自分のことのようで、最初は見るのがつらかった」と語る。
ヴィヴィアン氏もそのような視線の暴力を体験しているという。「金曜日の渋谷が宇宙で一番嫌いです。偏見バリバリの人々がいて、喧嘩を売ってくるように感じる。そういうつもりじゃないんでしょうけど、こちらはそう受け取ってしまう」。人は自分が理解できないものに対して不寛容になりがちだ。安易に分類分けをすることは自分が安心したいという非常にエゴイスティックな行為でもある。
また劇中、ウェイトレスの中年の女が興味半分に、なぜそんな格好をしているのかとロランスへ聞いてくるシーンがある。平和なはずのランチも、その無神経な言葉によって一気に冷えきったものになってしまう。ロランスの恋人フレッドは長年男性としてのロランスを愛していたために、女になりたいという恋人の告白を受け入れようとしながらも、戸惑いを隠すことができない。ウェイトレスに、「彼氏にカツラを買ったことがある?」と聞くフレッドの台詞は、差別に対する怒りとロランスへの戸惑いがひしひしと伝わってくる。
自身のパートナーも、フレッドと同じ戸惑いを抱えていると安冨氏。つい先日、渋谷区では同性パートナーシップ条例が成立し、同性愛を意味するゲイ・レズビアンという言葉も市民権を得たかのようである。しかし、「性を越境した」存在であることを意味するトランスジェンダーは、必ずしも同性愛者とは限らない。異性愛者、両性愛者の場合もある。「トランスジェンダーのレズビアンというと皆驚く」(安冨氏)というように、寛容を装ってなかなか理解されていないのが現状かもしれない。「人はいびつな多面体」だというヴィヴィアン氏の言葉にはもっと広義での寛容さが窺える。
左からヴィヴィアン佐藤氏、安冨歩氏
◎「枠」に困惑するのは普通の人々
「男」「女」と分類してしまうことの意味がないということを私たちの存在は示している、と安冨氏。世の中にあるエリートとか学歴といった「区分け」の中で一番わかりやすいのが男・女であるだけで、それも結局は性器の形態に拠っている。体の一部にすぎない性器がどうしてそんなに特権的なのかと疑問を呈している。「男か女かは身体的特徴の割合の問題でしかない」とヴィヴィアン氏も言う。このことこそ、「わたしはロランス」の本質を示しているように思う。この映画の原題は『Laurence Anyways』なのである。ロランスとフレッドが出会いのシーンで自己紹介をするときの台詞だ。男と女、ではなく1人の人間と1人の人間が出会ったことを示していた。
一方で2人は女装をするメリットの多さも語った。ただ東大教授のときは耳を傾けてもらえないことも、今の格好をするようになったらテレビに呼ばれるなど研究結果をより広く伝えられる機会が増えたのだという。女友達とフランクに接するようになったり、今の年齢でもミニスカートをはいたりすることもできるとヴィヴィアン氏。女装をすることで、人からジェンダーの話を聞かれることもあるが、それは自分の“外の話”でしかないという。
「自分は普通、はみ出していないと思っている人の方が、実は社会の棲み分けに困っているのではないだろうか」(ヴィヴィアン氏)と本質をつく。「枠組を設定するから特異な人間が出る。そういった時は必ず、常に枠の方が問われている」(安冨氏)。男でも女でもない、ロランスのように中間的な存在でいることが「自由」を体現しているのだ。
(睡蓮みどり)
「おとなのOlive」が鮮やかに描き出した、“自分の好きをみつける”「Olive」のメッセージ
<p> 「誰かにあてがわれたものって、愛おしい? 世間から差し出されたことって、面白い?『みんなが右に行くなら、左に行こうかな』」――。1982年に創刊され、2003年の休刊後もなお、“元オリーブ少女”たちに熱狂的に支持され続ける伝説のファッション・カルチャー誌「Olive」が、この春、「GINZA」の特別付録「おとなのオリーブ」として1号限りの復活を果たした。マガジンハウス創立70周年を記念した初の試みだ。独自の感性で服や日常を彩る“クリエイティブなDNA”を約20年にわたり読者たちに植え付けてきた同誌。「もし2015年にOliveがあったなら」をテーマに、一時代を築き上げたクリエイターたちが再集結した奇跡の復活号は、大反響とともにほぼ完売し、新たな伝説となった。</p>
「どこに行くの?」「天国~!」異様な熱気のマッチョバスツアーで悟った“筋肉”の味わい方
<p> 3月28日、快晴。</p> <p> そろそろ桜も満開になろうという陽気のいい朝、私は東京駅へ向かった。今日は「マッチョバスツアー」というものに参加するのだ。なにやら移動はぜんぶお姫様抱っこ、そしてマッチョと一緒にイチゴ狩り(マッチョ狩りというらしい)、バーベキューを楽しみ、マッチョ大運動会も開催されるようだ。興味本位で参加してみたはいいけれど……実は自分、マッチョに全然興味がないのだ。にもかかわらず、右を向いてもマッチョ、左を向いてもマッチョという、このマッチョまみれのツアーを、本当に楽しめるのだろうか。</p>

