ジャニー社長「お別れ会」は2部制? 元SMAPらの参加は「メリー氏&ジュリー氏」の判断次第か

 7月9日、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のために死去したジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏。その「お別れの会」が、一部業界関係者やファンの間で物議を醸しているという。詳細については未発表であるものの、12日に行われた「家族葬」に参加しなかった元ジャニーズタレントたちが、「お別れ会」に姿を見せるのかという点に注目が集まっているようだ。

 12日に行われた「家族葬」には、ジャニーズ事務所が「所属タレントやジャニーズJr.のみ参列」と公表した通り、外部の関係者や元所属タレントは一切参加しなかった。また、今後予定している「お別れ会」に関して、事務所はすでに「これまでお世話になりました皆様にはお別れいただく機会をご用意する予定にしております」と発表しており、生前ジャニー氏と交流のあった大勢の芸能関係者が招待されるものとみられる。

「現時点で、お別れの会は2部制、あるいは2つの会場でそれぞれ行う形で調整が進められているようです。一つはファンなど誰もが参加できる“一般参加者向け”、もう一つは、タレントから裏方、マスコミ陣などの“関係者向け”です」(テレビ局関係者)

 一般参加者向けの会は「アリーナあるいはドームクラスの会場で行われる可能性も」(同)といい、一方、関係者向けの会については、多くのグループが公演を行った“ジャニーズの聖地”ともいうべき会場が使用される予定だという。

「関係者向けの会に関しては、メリー喜多川副社長と藤島ジュリー景子副社長が取り仕切るため、参加者の選定に偏りが発生することは間違いないでしょう。元SMAPの3人をはじめ、トラブルや事件を起こして退所したメンバーは、彼女たちから“敬遠”されているため、誰一人として招待されない可能性もあります」(同)

 元KAT-TUNの田中聖やジャニーズJr.ユニット・Love‐tuneメンバーなど、近年だけでも「円満退所」ではなかった者は数多く存在する。

「彼らが一般参加者向けの会を訪れた場合、会場がパニックになることは必至ですし、現実問題、難しいのではないでしょうか。となると、関係者向けの会に参加が許されなければ、彼らがジャニーさんと『最後のお別れ』をする機会はなくなってしまいます」(同)

 ジャニー氏にお世話になった全ての人間、そして彼らのファンが納得する「お別れの会」は、開催できるのだろうか。

ジャニーさん家族葬、集合写真の撮影裏話に「泣ける」「ありがとう」の声上がる

 去る7月12日に行われた、ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長(享年87)の家族葬。当日はV6・井ノ原快彦、TOKIO・国分太一が司会進行を務める中、約150人のタレントたちが恩人との最後のひとときを過ごしたという。謎に包まれた家族葬の裏話や舞台裏を、参列した所属タレントが明かしている。

 12日、ジャニーズはコーポレートサイトにて家族葬が滞りなく終わったことを報告。「この度の家族葬は、これまで数多くのステージをプロデュースしてまいりましたジャニーにとって自身が上がる初めてのステージとなりました」などと、設営にまつわる経緯を記した。また、式の中では少年隊・東山紀之、ジャニーズJr.内ユニット・HiHi Jets・高橋優斗、KinKi Kids・堂本光一、近藤真彦がジャニー社長への感謝の気持ちを述べたといい、「ジャニーの最後は優しく、心が温かくなるステージとなりました」と、現場の様子をファンに伝えている。13日付のスポーツ各紙には祭壇の前で撮られた集合写真が掲載されており、デビュー組から一部Jr.メンバーまで、ほとんどの参列者が笑顔で写真に収まっていた。

「元光GENJI・佐藤アツヒロは公式携帯サイト・Johnny's web内で、その記念写真に隠された“秘密”を告白しています。佐藤は祭壇に最も近い上段で、少年隊、TOKIO、V6ら年長タレントとともに横並びになっていますが、佐藤の隣には同じく元光GENJI・内海光司が立ち、逆隣に元SMAP・木村拓哉の姿がありました。佐藤は、どちらかと言えば内海の方に寄っている感じで、木村との間に少しスペースが空いていたんです。ファンの質問に答えるコーナー『OMAKE』(14日更新)の中で、佐藤は『あの隙間は、あいつが仕事で参加出来なかったから』と、説明。“あいつ”が誰なのかは具体的に書いていませんが、その文章の直後には中居正広が司会を務めた音楽特番『音楽の日』(TBS系、13日放送)を録画していると綴っていたため、ジャニーズファンは“あいつ=中居”だと、受け止めています」(ジャニーズに詳しい記者)

 神奈川県・藤沢市出身で地元が近く、若い頃から遊び仲間だった2人。木村の隣ということもあるのか、佐藤はふと、「ここ」だと思い、撮影時に中居の分の立ち位置を空けたようだ。これを知ったファンは「アツヒロくん、ありがとう。思いを感じてるから、木村くんも間を空けてるんだと思う」「あっくんと木村くんの思いやりの隙間、中居くんもうれしいだろうな」と感激し、写真を見て“中居の居場所”を想像していた一部ファンも「読み通り、隙間は中居くんのためだったのね。泣ける」「妄想で満足だったのに、本当だったなんて……あっくんありがとう」と、佐藤の優しさに胸を打たれていた。

 また、12日以降は生放送のテレビ・ラジオ番組に登場したタレントたちが、家族葬に言及。13日朝に生放送された情報バラエティ『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)に出演したジャニーズWEST・中間淳太は、「すごい明るい会でした」「“アイラブヒロム”といううちわを持って皆で笑顔でお別れしました」と振り返り、同じく13日の『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日系)で、TOKIO・城島茂は「湿っぽい感じになるかなぁと思いきや、みんな笑顔で思い出を語り合っていましたね」と、明かした。

 さらに、14日の『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)では、東山が「ステージに立ってるジャニーさんと、(参列したタレントは)それを見守っているファンの人たちみたいな感じで。うちわも作ってきて。井ノ原と太一が。それを(KinKi Kidsの)堂本剛が持って振ってね。コンサートみたいに楽しくワイワイやりました」と、コメント。そして、13日夜の生放送ラジオ『らじらー! サタデー』 (NHKラジオ第1) でも、パーソナリティのHey!Say!JUMP・八乙女光が感極まった様子で家族葬の話題に触れた。八乙女は「お見送りしてる際に、初めてジャニーさんと出会った頃のこととか、なんかいろいろブワーッて思い出してて」と切り出し、

「全部、楽しいとかクスっとしちゃう思い出ばっかりなのがジャニーさんのスゴいところだなと思って。そう思うと、常に面白い方だったし、常にお仕事のヒントをポロッと言ってくれる方だったし。先輩たちの話とかも、思い出話とかも聞いてると、スゴいそういうのが多くて。常に面白い方だったとか」

 と、ジャニー社長の人柄や、過去の出来事に思いを馳せた。

「式もね、みんなで笑顔でっていうことで。ジャニーさんのステージのように作られてるんだよね。僕らが初めての観客で、ジャニーさんの初めてのステージで。(中略)笑い声が出てくる式って初めてだなと思って。それを作り出した、空気感を作り出したのはもちろんジャニーさんだから。それがなんかスゴいなと思って。やっぱ距離がスゴいんですよね。タレントと社長の距離がスゴくて。だってジャニーさんにお別れする時、ジャニーさん、帽子かぶってんだもん! カッケーなと思って。最後の最後までカッコいいな、みたいな。ジャニーさんが一番カッコいいじゃんって、昨日は思いましたね」

 ジャニー社長の遺影は、ギネスブック2012年版用に撮影した、キャップにサングラス姿のもの。八乙女が発言した「お別れする時」が遺影を指しているのか、それとも棺の中の状態を意味していたのかどうかは定かではないが、当日は集まった多くのタレントよりも、ジャニー社長が一番カッコよく見えたとか。家族葬に向かう前は「泣き疲れるのでは」と思っていたそうだが、終わってみれば「笑う時間の方が長くて」とのこと。「楽しかったっていう言い方は変かもしれないけど、でもそうなんですよ。ジャニーさんのステージが素晴らしかったから」と、率直な気持ちを語っていたのだった。

 事務所の発表によれば、今回は家族葬となったものの、別日にお別れの場を設ける予定だという。ファンが見送る機会も作られることを期待したい。

ジャニーさん家族葬、集合写真の撮影裏話に「泣ける」「ありがとう」の声上がる

 去る7月12日に行われた、ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長(享年87)の家族葬。当日はV6・井ノ原快彦、TOKIO・国分太一が司会進行を務める中、約150人のタレントたちが恩人との最後のひとときを過ごしたという。謎に包まれた家族葬の裏話や舞台裏を、参列した所属タレントが明かしている。

 12日、ジャニーズはコーポレートサイトにて家族葬が滞りなく終わったことを報告。「この度の家族葬は、これまで数多くのステージをプロデュースしてまいりましたジャニーにとって自身が上がる初めてのステージとなりました」などと、設営にまつわる経緯を記した。また、式の中では少年隊・東山紀之、ジャニーズJr.内ユニット・HiHi Jets・高橋優斗、KinKi Kids・堂本光一、近藤真彦がジャニー社長への感謝の気持ちを述べたといい、「ジャニーの最後は優しく、心が温かくなるステージとなりました」と、現場の様子をファンに伝えている。13日付のスポーツ各紙には祭壇の前で撮られた集合写真が掲載されており、デビュー組から一部Jr.メンバーまで、ほとんどの参列者が笑顔で写真に収まっていた。

「元光GENJI・佐藤アツヒロは公式携帯サイト・Johnny's web内で、その記念写真に隠された“秘密”を告白しています。佐藤は祭壇に最も近い上段で、少年隊、TOKIO、V6ら年長タレントとともに横並びになっていますが、佐藤の隣には同じく元光GENJI・内海光司が立ち、逆隣に元SMAP・木村拓哉の姿がありました。佐藤は、どちらかと言えば内海の方に寄っている感じで、木村との間に少しスペースが空いていたんです。ファンの質問に答えるコーナー『OMAKE』(14日更新)の中で、佐藤は『あの隙間は、あいつが仕事で参加出来なかったから』と、説明。“あいつ”が誰なのかは具体的に書いていませんが、その文章の直後には中居正広が司会を務めた音楽特番『音楽の日』(TBS系、13日放送)を録画していると綴っていたため、ジャニーズファンは“あいつ=中居”だと、受け止めています」(ジャニーズに詳しい記者)

 神奈川県・藤沢市出身で地元が近く、若い頃から遊び仲間だった2人。木村の隣ということもあるのか、佐藤はふと、「ここ」だと思い、撮影時に中居の分の立ち位置を空けたようだ。これを知ったファンは「アツヒロくん、ありがとう。思いを感じてるから、木村くんも間を空けてるんだと思う」「あっくんと木村くんの思いやりの隙間、中居くんもうれしいだろうな」と感激し、写真を見て“中居の居場所”を想像していた一部ファンも「読み通り、隙間は中居くんのためだったのね。泣ける」「妄想で満足だったのに、本当だったなんて……あっくんありがとう」と、佐藤の優しさに胸を打たれていた。

 また、12日以降は生放送のテレビ・ラジオ番組に登場したタレントたちが、家族葬に言及。13日朝に生放送された情報バラエティ『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)に出演したジャニーズWEST・中間淳太は、「すごい明るい会でした」「“アイラブヒロム”といううちわを持って皆で笑顔でお別れしました」と振り返り、同じく13日の『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日系)で、TOKIO・城島茂は「湿っぽい感じになるかなぁと思いきや、みんな笑顔で思い出を語り合っていましたね」と、明かした。

 さらに、14日の『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)では、東山が「ステージに立ってるジャニーさんと、(参列したタレントは)それを見守っているファンの人たちみたいな感じで。うちわも作ってきて。井ノ原と太一が。それを(KinKi Kidsの)堂本剛が持って振ってね。コンサートみたいに楽しくワイワイやりました」と、コメント。そして、13日夜の生放送ラジオ『らじらー! サタデー』 (NHKラジオ第1) でも、パーソナリティのHey!Say!JUMP・八乙女光が感極まった様子で家族葬の話題に触れた。八乙女は「お見送りしてる際に、初めてジャニーさんと出会った頃のこととか、なんかいろいろブワーッて思い出してて」と切り出し、

「全部、楽しいとかクスっとしちゃう思い出ばっかりなのがジャニーさんのスゴいところだなと思って。そう思うと、常に面白い方だったし、常にお仕事のヒントをポロッと言ってくれる方だったし。先輩たちの話とかも、思い出話とかも聞いてると、スゴいそういうのが多くて。常に面白い方だったとか」

 と、ジャニー社長の人柄や、過去の出来事に思いを馳せた。

「式もね、みんなで笑顔でっていうことで。ジャニーさんのステージのように作られてるんだよね。僕らが初めての観客で、ジャニーさんの初めてのステージで。(中略)笑い声が出てくる式って初めてだなと思って。それを作り出した、空気感を作り出したのはもちろんジャニーさんだから。それがなんかスゴいなと思って。やっぱ距離がスゴいんですよね。タレントと社長の距離がスゴくて。だってジャニーさんにお別れする時、ジャニーさん、帽子かぶってんだもん! カッケーなと思って。最後の最後までカッコいいな、みたいな。ジャニーさんが一番カッコいいじゃんって、昨日は思いましたね」

 ジャニー社長の遺影は、ギネスブック2012年版用に撮影した、キャップにサングラス姿のもの。八乙女が発言した「お別れする時」が遺影を指しているのか、それとも棺の中の状態を意味していたのかどうかは定かではないが、当日は集まった多くのタレントよりも、ジャニー社長が一番カッコよく見えたとか。家族葬に向かう前は「泣き疲れるのでは」と思っていたそうだが、終わってみれば「笑う時間の方が長くて」とのこと。「楽しかったっていう言い方は変かもしれないけど、でもそうなんですよ。ジャニーさんのステージが素晴らしかったから」と、率直な気持ちを語っていたのだった。

 事務所の発表によれば、今回は家族葬となったものの、別日にお別れの場を設ける予定だという。ファンが見送る機会も作られることを期待したい。

ジャニー喜多川氏、レコ大に近藤真彦をゴリ押しは事実だった! 死後に続々と暴かれる”権力者の闇”

 ジャニーズにとって「不都合な真実」がまたもや飛び出した。

 7月9日、音楽プロデューサーの福田裕彦氏が自身のツイッターを更新し、過去に『レコード大賞』にて、ジャニー喜多川氏の“鶴の一声”によって、土壇場で大賞受賞者がひっくり返ったことを暴露した。

 福田氏はジャニー氏の訃報を知り、〈もう25年以上前、「既に××にレコ大よこさなければ今後お前の局にはうちのタレントは一切出さない」の一言でレコ大放送の数日前に局の決定事項をひっくり返せた人です(事実)。綺麗事で生きていた人ではない。まさに大権力者。美辞麗句は似合いません。合掌。〉とツイート。

 これを受け、ネット上では「近藤真彦」の名前が上がっている。

「32年前の1987年のレコ大で近藤は『愚か者』で大賞を受賞しています。当時は史上初の3連覇がかかっていた中森明菜と、オリコン年間シングルチャート1位の瀬川瑛子の『命くれない』、五木ひろしの『追憶』が本命視されていました。また、この頃のレコ大はまだ権威のある賞レースで、それを『ジャニーズのアイドル』が受賞したことで一気に重みがなくなり、ここから現在の“形骸化”につながっていったように思います」(音楽ライター)

 事実、『愚か者』はその年のオリコン年間シングルチャートでは35位と、特別に大ヒットしたわけではなかったことから、当時はかなり波紋を呼んでいた。

「前年に近藤の母親が亡くなったこともあり、ジャニー氏としてはどうしても大賞を受賞させたかったのでしょう。しかし、世間からは『出来レース』との抗議の声が上がり、授賞式直前には近藤の母親の遺骨が何者かによって盗まれるという事件まで発生。ジャニーズ事務所に『レコード大賞を辞退しろ』との脅迫状が送られる大騒動となりました。そのため、福田氏の暴露によって、ネット上でも『××=近藤』でほぼ確定しています」(前出・音楽ライター)

 7月10日の英BBCニュースでは、ジャニー氏の功績を紹介すると共に、過去に事務所に所属していた少年たちから性的虐待の告発が繰り返されたことを掲載している。今後も「美談」では済まない権力者としての「闇」が明るみに出てくるかもしれない。

【ジャニー喜多川氏追悼特集2】全メディアが沈黙した「中居の中絶」と「長瀬と山口らの乱交パーティー」

 日本芸能界において数々の功績を残したジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏が急逝した。ここでは特別寄稿として、雑誌ジャーナリズムにおける、ジャニーズ事務所と対峙した“縁のある識者”らに、彼が残した芸能界への功績と寄稿者によるジャニーズ関連記事への思いを振り返ってもらいたい。第二回目は、「噂の真相」芸能記者の常田裕氏。

◇ ◇ ◇

 ジャニー喜多川氏が亡くなった。

その功績については、多くのメディアが言葉を尽くして報じている。また、氏が育て、家族として愛し続けたタレントたちからも、愛すべき人柄やエピソードが語られることだろう。

 日本の芸能界に「少年」のアイドルグループというジャンルを定着させ、ジュニアというスター育成システムを作り上げたジャニー氏の功績に異論はない。ファンであれアンチであれ、それぞれの時代への影響は計り知れない。

 ジャニーズ事務所は「ジャニーさんが育ててメリーさんが売る」と言われたように、主に経営やマスコミ対策を担っていたのは実姉のメリー氏だったが、それもジャニー氏のカリスマがあってこそのものだ。

 しかし、光が強ければ影もまた濃いもの。とりわけジャニー氏の持つ影は暗く濃いものだった。

 私がかつて所属していた月刊誌『噂の真相』は、何度となくジャニーズ関連の記事を掲載した。所属タレントのスキャンダルはもちろん、 “帝国”と呼ばれたシステムの実情や圧倒的なタレントパワーをバックにしたメディア支配など、ジャニーズ事務所は多くの問題を抱えていたからだ。

 その中でも際立っていたのがメディア支配の問題だ。私がかかわった記事も見事に「無かったこと」にされている。たとえば長瀬智也や山口達也、堂本光一らも参加していた「TBS芸能人乱交パーティ」ではジャニーズタレントの名前ほとんど報じられなかった。中居正広の中絶スキャンダルでも、メリー氏に「あんな雑誌が書くことを信じるの!?」と恫喝されたメディアは続報を流してはくれなかった。

 昨今、SMAPの解散騒動などを通じ、ジャニーズ事務所と大手メディアのいびつな関係はようやく一般にも知られるようになってきたが、ジャニーズの基本姿勢は変わっていない。大手はビジネスでのメリットや圧力、忖度でコントロールし、弱小メディアやネット情報は黙殺するという常套手段は健在だ。

 そういえば、この12日に身内や所属タレントたちだけで執り行われた「家族葬」でも、現場に取材カメラを出していたのは『週刊文春』『フライデー』、東京スポーツの3媒体だけだったという。マスコミに対する取材自粛要請はよくあることだが、ここまで従順に守られることはめったにない。

 では、そもそもジャニーズはなぜこれほどまでにマスコミ支配に力を入れるようになったのか。

 もちろんビジネス面での理由は大きかったはずだ。所属タレントのイメージダウンを防ぎ、競合ライバルたちを潰すためにもこの上なく効果的ではある。

 ただ、私はそれ以上に大きな理由があったと考えている。それは、ジャニー喜多川氏がジュニアに対して強いてきた性的虐待の問題だ。

 ジャニー氏の性的指向がどのようなものであったとしても、それじたいは自由である。しかし、未成年ジュニアに対する性的虐待は、決して看過されていいものではない。

 最初にこの疑惑が報じられたのは実に50年以上も前となる67年のこと。以降、多くの元所属タレントたちがジャニー氏からのグロテスクな性的虐待を告白しており、『噂の真相』でも何度となく取り上げている。

 それでも世間はこの疑惑を無視し続けたが、そんな状況に風穴を開けたのが99年に始まった『週刊文春』による「ホモセクハラ追及キャンペーン」だ。これらの記事は衆議院の特別委員会でも取り上げられ、さすがのジャニーズも文春を名誉棄損で訴えている。しかも最高裁まで行ったこの裁判では、ジャニー氏による「セクハラに関する記事の重要部分は真実」とハッキリ認定されているのだ。

 ジャニー氏はこの裁判の法廷で、お互いの顔が見えないよう、衝立を挟んで証言に立った元ジュニアに対し「嘘をついている」と反論したというが、いったいどのような心境だったのか、今となっては永遠の謎である。

 しかも、この判決が出て以降も社会ではほとんど問題視されていないのだ。今回の訃報でも、大手メディアでこの件に触れたのは朝日新聞のみである。ネットメディアではジャニーズに忖度しない情報が大量に流れているが、残念ながら旧来の紙媒体に比べて信頼性はまだ及んでいない。

 そのため多くの人にとって、ジャニー氏による性的虐待はいまだに「噂は聞いたことはあるけど、本当なの?」という都市伝説になっているのだ。

 何もこんな時に蒸し返さなくても、というお叱りがあるのは承知している。しかし、日本中がジャニー氏を賛美し、美化している今だからこそ触れておくべきだろう。

 その成功を支えた少年に対する天才的な審美眼は、氏の性癖とは切り離せないものだったはずである。ジュニアはジャニー氏が作り上げた「楽園」であり、ジャニーズのアイドルビジネスを支える根幹でもあった。その聖域を守るため、メリー氏はマスコミを支配しようとしていたのではないか。

 ジャニー氏を守ってきたのはメリー氏だけではない。芸能界での成功やビジネス、エンターテインメントの成果を享受するため、所属タレントたちやマスコミ、ファンも見て見ぬふりをしながらこの“怪物“を許し、育ててきたことを忘れてはならない。

文●つねた・ゆう

1968年1月生まれ。福島県出身。立教大学文学部卒。『噂の眞相』編集部で芸能記事を担当。2004年よりフリーランス。主な著作に『ジャニーズで今、何が起きているのか?』、「SMAP解散騒動の全内幕」(いずれも宝島社)など。

ジャニー喜多川社長の”性的虐待”を報じた英BBCニュースに称賛の嵐「これこそがメディアの姿」

 7月10日、英国の大手メディア「BBCニュース」web版が、ジャニー喜多川氏の訃報を掲載した。同記事の内容に関して、SNSでは称賛の声が相次いでいる。

「BBCは今回、日本のエンターテインメント業界で絶大な影響力をもっていた芸能事務所の創業者として、ジャニー氏の功績を紹介すると共に、『ただし喜多川氏の経歴は「無事故」ではなかった』と、過去のトラブルについても報じたのです」(芸能記者)

 日本のテレビが絶対に触れない”あの騒動”のことだ。

「記事では、過去、事務所に所属していた少年たちから、性的虐待の告発が繰り返されたと掲載。しかしジャニーズは、業界であまりに圧倒的な存在だったため、日本のメディアは批判することが不可能だったと綴られています。このように、ジャニー氏の一部分だけでなく、功罪の両面に触れているため、SNSでは『これこそがあるべきメディアの姿』と支持を集めています」(同)

 また、この記事をツイッターで紹介したライターのトイアンナ氏は、「さすがBBC、ジャニー喜多川氏の栄光と性的虐待の両面を描いてバランスのとれた記事になっている。虐待を加えていたことは、どれだけ後からその子たちが売れても無視できない。推しが性的虐待に遭うなんて、許されてはならない」とツイートし、約2万近い“いいね”数を獲得している。

 そんなジャニー氏の性的ハラスメントは、過去に最高裁でも認められている。

「1999年の『週刊文春』が、所属タレントに対する性的ハラスメント疑惑に関する記事を掲載しました。するとジャニーズ事務所は、名誉毀損で裁判を起こしたのですが、最高裁は記事で書かれた虐待行為は、事実だったと認める判決を出しています」(スポーツ紙記者)

 さらに2005年には、元光GENJI・木山将吾が暴露本を発売。そこにはジャニーズ時代、合宿所の風呂にて、ジャニー氏が背後から抱きついた状態で下腹部を擦り付け、そのまま果てる様子や、それ以上の過激行為の数々が生々しく書かれている。

 今後も大手国内メディアは、ジャニーズのネガティブな部分から目を背け、忖度を続けていくのだろうか。

ジャニー喜多川社長の”性的虐待”を報じた英BBCニュースに称賛の嵐「これこそがメディアの姿」

 7月10日、英国の大手メディア「BBCニュース」web版が、ジャニー喜多川氏の訃報を掲載した。同記事の内容に関して、SNSでは称賛の声が相次いでいる。

「BBCは今回、日本のエンターテインメント業界で絶大な影響力をもっていた芸能事務所の創業者として、ジャニー氏の功績を紹介すると共に、『ただし喜多川氏の経歴は「無事故」ではなかった』と、過去のトラブルについても報じたのです」(芸能記者)

 日本のテレビが絶対に触れない”あの騒動”のことだ。

「記事では、過去、事務所に所属していた少年たちから、性的虐待の告発が繰り返されたと掲載。しかしジャニーズは、業界であまりに圧倒的な存在だったため、日本のメディアは批判することが不可能だったと綴られています。このように、ジャニー氏の一部分だけでなく、功罪の両面に触れているため、SNSでは『これこそがあるべきメディアの姿』と支持を集めています」(同)

 また、この記事をツイッターで紹介したライターのトイアンナ氏は、「さすがBBC、ジャニー喜多川氏の栄光と性的虐待の両面を描いてバランスのとれた記事になっている。虐待を加えていたことは、どれだけ後からその子たちが売れても無視できない。推しが性的虐待に遭うなんて、許されてはならない」とツイートし、約2万近い“いいね”数を獲得している。

 そんなジャニー氏の性的ハラスメントは、過去に最高裁でも認められている。

「1999年の『週刊文春』が、所属タレントに対する性的ハラスメント疑惑に関する記事を掲載しました。するとジャニーズ事務所は、名誉毀損で裁判を起こしたのですが、最高裁は記事で書かれた虐待行為は、事実だったと認める判決を出しています」(スポーツ紙記者)

 さらに2005年には、元光GENJI・木山将吾が暴露本を発売。そこにはジャニーズ時代、合宿所の風呂にて、ジャニー氏が背後から抱きついた状態で下腹部を擦り付け、そのまま果てる様子や、それ以上の過激行為の数々が生々しく書かれている。

 今後も大手国内メディアは、ジャニーズのネガティブな部分から目を背け、忖度を続けていくのだろうか。

ジャニーズ勢揃いのジャニーさん病室振り返り、「ご飯の話」と“習性”をジャニーズWEST告白

 ジャニーズWESTの桐山照史と中間淳太がパーソナリティーを務める生放送のラジオ番組『ジャニーズWEST 桐山照史・中間淳太 レコメン!』(文化放送)。7月11日のオンエアーでは、同9日に死去したジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長との思い出や、お見舞いに行った際の裏話に言及した。

 番組冒頭、中間は「皆さんご存じの通り、一昨日の16時頃ですか。ジャニーさんが天国へとね、旅立ちました」とリスナーに向けてあらためて報告。ジャニーズWESTといえば、デビューに際して一騒動が巻き起こっていた。中間、桐山、重岡大毅、小瀧望の4人でデビューすると当初発表しものの、本人たちがジャニー社長を説得し、最終的に濵田崇裕、神山智洋、藤井流星を含む7人でデビューを果たした。そんな経緯もあるだけに、2人は「俺はちょっと、濃かったからなぁ。ジャニーさんと絡むことは」(桐山)「コミュニケーションはだいぶとってたグループやと思う」(中間)と、密に連絡を取っていたというデビュー当時を回顧。

 ジャニー社長は今年6月18日に緊急搬送され、そのまま入院となったが、マネジャーから「倒れた」と聞いた時は7人で仕事をしており、全員で病院に駆けつけたとのこと。桐山は病室の様子について、「諸先輩方もいっぱいいて。でもなんかやっぱり、ジャニーさんの周りやから、みんな明るいのよね」と語り、中間も「そうやねんな、それがスゴいよね」と同調。桐山&中間は『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)の木曜レギュラーだが、この日のお昼に共演者の関ジャニ∞・横山裕と会った時、先輩も「まだ実感ないわな~」と、こぼしていたとか。桐山たちは火曜日にジャニー社長と“対面”したといい、「(精神的に)暗くなるというか、そういうのがまだなくて……」と、現在の心境を吐露した。

 また、ジャニー社長の人柄に関しては、「社長やのに社長っぽくなかった」と、印象を明かす桐山。偉ぶるわけでもなく、むしろ“お茶目な一面”をたくさん見てきた2人は「アメリカにも連れて行ってもらったな。みんなでな。チップ配りすぎて、俺たちに『金貸して』っていう(笑)。社長やのに」(中間)「可愛かったな~。『ヤバいよ~! 倒産するよ~!』って、冗談で言ったり」(桐山)と、過ごした日々を思い返した。

 さらには、その旅行中の“天然エピソード”も告白。海外のワッフルはサイズが大きいため、2つ頼んで分け合おうと話していたにもかかわらず、ジャニー社長は「わかったよ! 4ワッフル!」と、多めにオーダーしてしまったそう。楽しげに振り返る中間は「でもそれだけ、いっぱい食べさせてくれてたもんね。それが優しかったな」と、しみじみ。この流れで桐山は「こういう話をジャニーさんの隣で先輩方とね(病室でしていた)。それこそTOKIOさんもいて、嵐さんもみんないた時。V6さんもいたんかな。やっぱりでも出てくるのは、世代によって違うけど、ご飯の話はめっちゃ出てくるよね」と、ベテランから若手までが食事面でお世話になったと述べた。

 先輩たちとは「(ジャニー社長は)何が一番好きだったっけ?」といった会話で盛り上がり、「横山くんの時代は、ファミレス(ファミリーレストラン)が大好きやったって。俺らの時、うどんとハンバーガーやった気がする。大量に買ってきてくれるハンバーガーとかやったかな。そのジャニーさんイズムじゃないけどさ、それこそ関ジャニ∞さんとかもそうやけど、先輩方もそうやけども、うちらもさ、ご飯を頼む時にちょっと多めに頼んでしまへん?」「ジャニーさんで育ってるから。“上の人がご飯をいっぱい食べさせてあげるのが先輩や”みたいな」(桐山)と漏らした通り、いつの間にかジャニー社長の習性を引き継いでしまったようだ。

 そして、中間は「ジャニーさんは絶対ね、天国からも見てるから! あの人はもう、どこにでも来てたからね」「ライブとかにも来てほしいね、ジャニーさんね。見ててほしいね」と、これからもそばで見守ってくれることを望み、桐山が「『YOU、違うよ~!』って怒られそうやけどな。『何やってんだよ~!』って」と想像。「もう一回だけでも名前呼んでいただきたかった」(桐山)と無念さをにじませながらも、「ホンマにこう、愛される。世界一、宇宙一愛された社長じゃないかなと思うし。僕らの愛もね、だからって終わりませんからね」と、今後もジャニー社長への思いを胸に歩んでいくと宣言したのだった。

 “子どもたち”のトークにこうして登場する限り、ジャニー社長は永遠にタレントやファンの中で生き続けていくだろう。

ジャニー喜多川氏の訃報をテレビが総力報道! そこまで“忖度”せざるを得ない各局事情

 ジャニーズ事務所社長で、プロデューサーとしてらつ腕を振るったジャニー喜多川氏が9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂による、くも膜下出血で都内の病院で亡くなった。享年87。数多くのタレントを育て上げた、その手腕は、大いに評価すべきで心から追悼の意を表したい。

 この情報が解禁されたのは、同日午後11時30分で、テレビ各局や、スポーツ紙のWEB版などが一斉に速報で伝えたが、その訃報に関する報道が、本格化したのは翌10日午前からだった。

 民放各局は朝、昼の情報番組で、長い時間を割いて、ジャニーさんの訃報を詳報した。TBS系『ビビット』は、ジャニーズ事務所所属のTOKIO・国分太一がメインキャスターを務めているとあってか、国分の泣きながらのあいさつから始まり、ほとんど“追悼番組”さながらの状態だった。

 情報番組が芸能ニュースに多くの時間を割くのは当然として、報道番組も追随。10日夜のテレビ朝日系『報道ステーション』は、参院選など、ほかのニュースを差し置いて、冒頭から約10分にわたって、ジャニー氏の訃報を“重大ニュース扱い”で伝えた。街頭インタビューで、一般の人の声を拾うなど念の入れ方は半端ではなかった。

 民放各局のこういった一連のジャニーさん訃報に関する過剰ともいえる報道に、違和感を覚えた視聴者は少なくないだろう。

「民放各局の報道の仕方は、ほとんど国民的大スターが死去したかのようなものでした。ジャニーさんが偉大なプロデューサーであったのは確かですが、タレントではなく裏方。しかも表には一切出ない人だったので、一般の人にとっては親近感も思い入れも、あまりなかったのではないでしょうか。その顔すら、亡くなった際のニュースで初めて見た人も多かったはず。従って、なぜテレビ各局が、これだけ大ニュースとして報じるのか疑念を感じた視聴者は多かったと思いますね。ほかの有力芸能プロの社長が亡くなったとしても、これほどの扱いはしないでしょう。ちょっと尋常じゃなかったですね」(芸能関係者)

 それでは、各局はなぜタレントでもないジャニー氏の訃報をこのように“重大ニュース”案件にしたのか?

「さすがに、ジャニーズ事務所から『大きく報道しないと、今後所属タレントを使わせない』といった主旨の圧力があったわけではないですが、そうならないように各局が忖度して、このような大々的な報道になったのでしょうね。情報解禁時間の9日午後11時30分というのは、最もジャニーズと懇意にしている日本テレビの『news zero』の放送時間を意識したものでしょう。そのために、午後11時台に報道番組をもつTBSやフジテレビは恩恵を受け、テレ朝は損してしまいました。それでも、テレ朝は翌日の『報ステ』の冒頭で報じて、ジャニーズの顔色を伺った格好でしょう」(芸能プロ関係者)

 外野から見れば、正直、裏方だったジャニー氏の訃報が、これだけ大々的にていねいに報道されるのは奇異に見えた。スポーツ紙の報じ方も尋常ではなかったが、テレビにおいては、より一層目立った。それだけ、テレビ業界では、ジャニーズの影響力がいまだ絶大ということか?

【ジャニー喜多川氏追悼特集1】美少年への執着と審美眼「ボクは好きな子しか選ばない……」

 日本芸能界において数々の功績を残したジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏が急逝した。ここでは特別寄稿として、雑誌ジャーナリズムにおける、ジャニーズ事務所と対峙した“縁のある識者”らに、彼が残した芸能界への功績と寄稿者によるジャニーズ関連記事への思いを振り返ってもらいたい。第一回目は、「週刊現代」「フライデー」などの週刊誌編集長を歴任した元木昌彦氏。

◇ ◇ ◇

「ボクは好きな子しか選ばない」

 生前、ジャニー喜多川氏が繰り返しいっていた言葉だ。

 資産1,000億円ともいわれるジャニーズ王国を、一代で築き上げたジャニー喜多川氏が亡くなった。享年87。

 6月18日に自宅で倒れ、緊急搬送された。ジャニーズ事務所のタレントたちの祈りも虚しく、7月9日の午後、永眠した。

 翌日のスポーツ紙は全紙、一面全部を使って彼の死を悼んだ。「キムタク『ゆっくり休んでください』ジャニーさん天国へ」(ニッカンスポーツ)「SMAP 嵐…帝国築いたアイドルの父 ジャニー喜多川さん逝く」(スポーツニッポン)など、最大の賛辞を贈った。

 朝日新聞も一面で取り上げた。

「1931年、米ロサンゼルスで生まれた。10代で、公演で現地を訪れた美空ひばりらの通訳をし、ショービジネスの基礎を学んだ。その後、日本で、コーチをしていた少年野球チーム『ジャニーズ』からメンバーをスカウトし、62年、同名グループのマネジメントのためジャニーズ事務所を設立した。

70~80年代にかけてフォーリーブスや郷ひろみ、近藤真彦、田原俊彦、少年隊、光GENJIら時代を代表する人気タレントが次々と輩出。日本の歌謡界で歌って踊れる『男性アイドル』というジャンルを定着させた。その後、世に送り出したSMAP、TOKIO、V6、嵐などがヒット曲を連発。マルチタレントとして幅広い世代から支持を集めることに成功した」(7月10日付)

 7月11付の「天声人語」でも、

「これほど名を知られていながら、これほど素顔を知られぬまま旅立った人も珍しいのではないか。訃報(ふほう)の写真のジャニー喜多川さんは、帽子をかぶり、サングラスをかけている。表情も年齢も読みとりがたい▼素顔や肉声をさらさない主義で知られた。同僚者によると、取材には毎回、撮影不可という条件が付された。『劇場の客席で観衆の反応をつかむため、顔を公開したくない』などの理由が挙げられた▼『ユー、やっちゃいなよ』。そんな言い回しで知られたが、取材には折り目正しい日本語をゆっくり話し、敬語も丁寧だった。ジャニーズらしさとは何かと尋ねると、『品の良さ』と答えたという」

 すぐにでも国民栄誉賞を与えろといわんばかりの持ち上げ方である。だが、明るければ明るいほど、闇は濃くなる。

 朝日新聞が第二社会面で書いた「評伝」の末尾に、こう書いている。

「1999年には所属タレントへのセクハラを『週刊文春』で報じられた。文春側を名誉毀損(きそん)で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された」

 私も、ジャニー喜多川氏が果たした戦後芸能史における功績を評価するのにやぶさかではない。

 ジャニーズ取材歴50年という小菅宏氏が書いた『異能の男 ジャニー喜多川』(徳間書店)は、数少ないジャニー氏の肉声を知ることができる、今となっては貴重な本である。

 それによれば、「ジャニーズ」をデビューさせたジャニー喜多川氏は、既存の芸能界から「芸能キャリアがまったくない高校生に何ができる」「男が踊りながら歌ってどこが面白い」と揶揄されたという。

 しかし当時31歳のジャニー喜多川氏は、それを聞いてほくそ笑んだという。

「この国の芸能界はアメリカのショービジネスより三十年遅れている。その『隙間』にビッグチャンスが眠っているのに誰も気づいていない」

 隙間とは、小菅氏によれば、旧弊な職能にこだわる日本の芸能界が「猿芝居」と見放していた、歌唱と踊り(ダンス)を同時に取り込む「少年グループ」の分野を意味したという。

「日本芸能界の『芸域の隙間』を狙ったジャニーは、前記の『猿芝居云々』の侮蔑を飲み込み、むしろ、屈辱を腹に据えて野球少年の4人組ジャニーズを創作する。

 結果として、硬直化した日本芸能界の慣例に縛られる元凶の、言わば職能領域の『破壊』になったと見ることができる」(小菅氏)

 たしかにアメリカでは、男性コーラスグループが数多いて、踊りや自らが演奏して、客やテレビの視聴者を楽しませていた。

 だが日本では、グループといえば女性で、ダークダックスに見られるように、男性グループは直立不動して歌うだけだった。

「ジャニーズ」を皮切りに「フォーリーブス」、郷ひろみをアイドルスターにし、テレビ『3年B組金八先生』に出演して人気が出た、田原俊彦、近藤真彦、野村義男を「たのきんトリオ」として売り出し、空前のブームを作りあげた。それからも陸続とアイドルグループを輩出していったのである。

 経営や広報は姉のメリー喜多川氏に任せ、次々に人気の出る可愛い子を発掘する才能は、誰にも真似のできないジャニー喜多川氏の「異能」とでもいうしかない天才的なものであった。

 他のプロダクションも男性アイドルグループをデビューさせたが、ジャニーに太刀打ちできず次々に消えていった。

 だが、ジャニー喜多川氏が一世を風靡する男の子のアイドルを発掘できるのは、彼の性的嗜好によるものではないかという噂が、流れ始めたのである。

 最初にそれを報じたのは『女性自身』(1967年9月25日号)だった。デビュー直前の「ジャニーズ」にダンスのレッスンなどを学ばせるために通わせていた「新芸能学院」から、金銭不払いで訴えられたのだ。

 その裁判の公判で、学院側は「ジャニー喜多川のホモセクハラ行為」があったと発言したのである。

 公判で、「ジャニーズ」のあおい輝彦と飯野おさみは否定したが、中谷良と真家ひろみは、原告側の弁護士の「同性愛的なワイセツ行為があったか」という問いかけに、「覚えていません」と答えたのだ。

 このグループ内の証言の食い違いからか、その年の12月に「ジャニーズ」は突然解散させられてしまう。

 その後、中谷は1989年に、その事実を肯定する告発本を出すのだが。

「たのきんトリオ」がブームになったのは1979年からである。私は、その頃、週刊現代編集部にいた。

 少し前までのSMAP人気もすごかったが、「たのきん」の人気のほうが上だったのではないか。彼らはジャニー喜多川氏の最高傑作ではないかと思っているのだが。

 男性アイドルにまったく興味がなかった私でも、3人の顔や歌は知っていた。だが、もっと興味があったのは、次々に女性に受ける美少年たちを発掘するジャニー喜多川という人物のほうだった。

 私は当時、30代半ばで結婚したばかりだった。次の人事では副編集長になるといわれていた。なっていれば同期の中では早い方だっただろう。

 1981年の4月初めに、ジャニー喜多川氏の疑惑についてやろうという企画を出した。

 企画は通ったが、ちょうど編集長の交代の時だった。次の編集長に企画は申し送りされ、後に事件ジャーナリストとして知られる朝倉喬司記者に取材を頼んだ。

 勢いはあったが、プロダクションとしてはまだ中堅だった。後に、朝倉氏から聞いたが、メリー喜多川氏は、最初はそれほど警戒せずに話してくれたという。

 だが、次に行った時は、部屋を閉め、凄い形相で、朝倉を睨みつけたそうだ。朝倉記者の言葉だが、メリー氏は、「書くんだったら、ここで私は洋服を脱いで、強姦されたと大声で騒ぐわよ」といったという。

 さすが数々の修羅場を潜り抜けてきた朝倉記者も、「やっぱりビビったよ」と苦笑いしていた。

 この記事は4月30日号の週刊現代に掲載された。タイトルは「アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」という、温いものだった。

 私としては面白くできたと思ったが、編集長は新聞広告にも中づり広告にも載せなかった。問題になるのを恐れたのかもしれないが。

 記事は概ねこんなものだった。たのきんトリオの売れっ子ぶりを書き出しに、美少年タレントの育成にかけては天才的な事務所だとし、ジャニー喜多川氏にはスターを見つける「独特の感覚」があると続ける。

 姉のメリー氏が16〜17年前に四谷でスナックをやっていたという芸能記者のコメントなども載っている。

 芸能評論家の藤原いさむ氏は、事務所の売り出し方がすごいと話している。

「タレントのスケジュールは公開しないものですが、親衛隊を先に立てて、ファンにわかるようにする。それがマスコミの目にとまって人気が増幅されるわけです」

 珍しく、メリー氏もインタビューに答えている。アイドルづくりの秘訣について、

「うちの良さは手づくりということでしょうね。うちのタレントにコンテスト出身の子は一人もいない。一からレッスンして育てていく方法だからです。(中略)レッスン場、講師はこちらで用意します。もちろん無料で食事も食べさせたりしてますから、大変な出費ですよ。(中略)ジャニーが親がわりです。私もジャニーも自分のところのタレントが本当に好きで、惚れこんでいるんです」

 まだ素朴な事務所という感じが出ている。

 だが、元ジャニーズ事務所のタレントが、「清く正しくなんて、冗談じゃない。収容所みたいな雰囲気に、いたたまれなくなって飛び出したんです」という証言をし、ジャニーさんのやさしさは、ある“趣味”からくるものだと告白している。

 死者に鞭打つ気はないから、これ以上の引用は控えるが、当時、そうした噂が流れていたのは間違いない。

 そこで再度、メリー氏にインタビューすると、表情が一変して、収容所なんていわれるような事実はないとキッパリ。

 ジャニー喜多川さんにはスターになる素質を見わける独特の力があるそうですねと聞くと、

「独特の力というのは、何を想定していらっしゃるのか……私が見たところ、特にそういう能力があるとは思えませんけど」

 たのきんトリオが当たった秘密は何だと聞くと、

「他のプロダクションが、幼稚園から大学まであるとすれば、うちは幼稚園だけ。それがよかったんじゃないかしら」

 今読み返しても、さほどインパクトのある記事ではないが、一般週刊誌で、ジャニーズ喜多川氏の“噂”を記事にしたのは初めてだった。

 記事が出てからも、さしたる反響はないように思っていた。もしかするとジャニーズ事務所が告訴してくるかもしれない。そうなれば話題になるなぐらいにしか思っていなかった。

 ところが、講談社の上の人間たちは大騒ぎしていたのだ。記事が出てから、ジャニーズ事務所から、「今後、講談社には、一切うちのタレントを出さない」と通告してきたのである。

 少年少女をターゲットにしている社内の雑誌編集部からも、猛烈な抗議が来た。

 外からの抗議には動じないが、社内からの反発は予想していなかったため、正直、どうしていいかわからなかった。

 とりあえず、メリー氏の夫君である藤島泰介氏とは何度かジャズを聴きにいった仲だったから、会って、何とかなりませんかと頼んだ。

 だが藤島氏は、彼女はオレがいっても聞きはしないよと、取り合ってくれない。芸能界のドンといわれていた音楽評論家氏にも、事務所との仲介をしてくれないかと頼みに行ったが、あそこはダメだと断られた。

 やがてこの話は業界の話題になり、週刊文春が大きく取り上げた。

 まだ若かった私は、半ば開き直って、ジャニーズ事務所に脅されて、ゴメンナサイするような講談社なら、いてもしょうがないと思っていた。

 しばらくして、定期の異動の前に、私の婦人倶楽部への異動が発表された。私には一言もなく。

 組合から、この異動に抗議する気があれば、組合は応援するという話があったが、断った。

 講談社は、私を現代から飛ばすことで、ジャニーズ事務所側と手打ちをしたのである。そんな会社に未練はない。辞めようと思っていた。

 当時、親しくしてもらっていた「劇団四季」の浅利慶太さんに会って、秘書にしてくれないかと頼みに行った。

 私の話を聞いた浅利さんは、「わかった」といってくれた。ホッとした私に彼は、「だが、君は婦人倶楽部がどういうところか知らないだろう。半年我慢して、それでも嫌だというなら、僕が面倒を見る」といった。

 この言葉が無ければ、私は講談社をすぐにでも辞めていただろう。結局2年間、婦人倶楽部編集部にいた。仕事はほとんどしなかったが、居心地のいいところだった。

 その後、月刊現代に移り、週刊現代に編集長として戻ったのは11年後だった。

 ジャニー喜多川氏の訃報を聞いて、往時を思い出した。恨み言をいおうというのではない。

 だが、ジャニーズ事務所は、私の件で、出版社を黙らせるにはこの手に限ると考えたのだと思う。また講談社は出版社としての矜持を、あの時、かなぐり捨ててしまったのだ。

 以来、ジャニーズ事務所、周防郁雄氏という芸能界のドンのいるバーニングに忖度し、最近のAKB48全盛の頃は、フライデーにAKB48の取材禁止令が出たと聞く。

 特に、ジャニーズ事務所はメディアコントロールがうまい。アメとムチを使い分けながら、自分のところのスキャンダルが出ないよう目を光らせてきた。

 だが、SMAPの解散を含めて、このところジャニーズ事務所のタレントたちの不祥事が止まらない。屋台骨を支える嵐も来年、活動を中止するといわれている。

 滝沢秀明をジャニー喜多川氏の後継者にしたいと考えていたようだが、ジャニーの目を受け継ぐことはできない。メリーさんの娘、ジュリーさんが社長になっても、今いる戦力を維持するだけで精一杯だろう。

 ジャニー喜多川氏は、小菅氏にこういったという。

「実はボク、最近、ウチの子がみんな同じように見える」

 どういう意味かははかりかねるが、もし、老いからくる審美眼の衰え、または美少年への執着の喪失を感じていたのなら、二度と、田原俊彦もSMAPも嵐も出てはこないだろう。

 稀代のエンターテインメントづくりの天才は、もう半分の自分を隠したまま旅立って行った。