ジャニー喜多川氏に人生を弄ばれたジャニーズ創成期メンバー メディアは美化報道を自重すべし!

 7月9日、解離性脳動脈瘤破裂による、くも膜下出血で亡くなったジャニーズ事務所の創設者・ジャニー喜多川さん。その後の報道を見ると、これまでの功績に対する賛美が溢れかえっている一方で、ジャニーさんが起こした「あやまち」について言及する大手メディアは皆無といっていい状況だ。

 もちろん、それは想定内のことなのだが、筆者自身はその栄光の影に隠れ、ジャニーさんの性の玩具にされて事務所を去り、寂しく散っていった故・真家ひろみさんと故・北公次さんのことを忘れない。

 朝鮮戦争の後、日本に帰国してアメリカ大使館に務めていたジャニーさんが、近くの代々木公園で遊んでいた子どもたちを集め、アメリカ仕込みの野球を教えていたのはよく知られているが、そこで真家さん、あおい輝彦、飯野おさみ、中谷良の4人をスカウトし、1962年4月に「ジャニーズ」を結成。直後の6月に「ジャニーズ事務所」を創業すると、日本人初の男性アイドルグループとして本格的にデビューさせた。

 こうしてジャニーズ事務所の第1号タレントとなった「ジャニーズ」は、『涙くんさよなら』などのヒット曲を飛ばして大活躍したが、1967年に突然解散する。

 実は、この解散の直前、「ジャニーズ」がデビュー前にダンスレッスンなどのために通っていた「新芸能学院」が起こした裁判で、学院がジャニーさんのセクハラ行為を告発していた。「ジャニーズ」は証言を求められ、あおいと飯野は、セクハラ行為を否定したが、真家と中谷は「覚えていません」と答えていて、これが解散の原因だと言われている。

 その後、真家ひろみは芸名を真家宏満と改名してワイドショー『3時のあなた』のアシスタントを務めたり、日活ロマンポルノに出演したりしたが、再ブレイクはならず、79年には文豪・池波正太郎さんが名付け親になって芸名を立花正太郎に改名。テレビ時代劇や舞台に出演したが、役者としても芽が出ず、82年にタクシー運転手に転身した。

 その頃、筆者は取材で真家さんと会った。真家さんはハイテンション気味に「僕は作詞をしているんです」と言うと、タクシーを青山墓地近くに停め、自作の詩を見せてくれた。再デビューを真剣に考え、そのためなら、どんなステージでも立つと意欲を燃やしていた。取材の帰り際に「明日から新宿のホストクラブでホストをやるんです。そのステージで歌いますから、見に来てください」と言われ、翌日ホストクラブを訪ねてみた。

 他のホストが、いかにもホストらしい独特の衣装を身につけるなか、真家さんは、ジャニーズ時代の、昔のステージ衣装のようなものを着て、ひとり浮いていた。やがて歌の段になってステージに立ったが、あまりの下手さにドン引きした。ホストはもちろん、女性客の誰ひとり、彼が一世を風靡した「ジャニーズ」の真家ひろみだとは気づかなかった。

 それでも彼はめげずに「再デビューする」と語っていた。ステージの後、筆者の取材の狙いを察知したのか、ジャニーさんからの性的虐待について、詳しくは語らなかったものの、事実を認めてくれた。にもかかわらず、前向きに芸能界復帰へ励む姿勢に心を打たれ、再起を期待していたが、2000年3月、夢を果たせないまま、心筋梗塞で他界。53歳の若さだった。初代「ジャニーズ」のメンバーとして、あまりにも寂しい最期だった。

 もうひとり、忘れられないのが北公次だ。彼もまた、ジャニーさんにスカウトされ、「ジャニーズ』のバックダンサーを経て、1968年に「フォーリーブス」のメンバーとしてメジャーデビューした。女性ファンの圧倒的支持を得て、70年からは7年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。 

 ところが、まもなく“男性アイドル冬の時代”が訪れ、「フォーリーブス」の人気も下降。78年に解散した。ジャニーズの“女帝“と呼ばれたメリー喜多川は、退社の意向を示した北を慰留したが、北の意思は固く、ジャニーズを退社。79年、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された。薬物の使用は「フォーリーブス」時代からだったが、ジャニーズ事務所はその責任を回避したばかりか、“北潰し“を始めた。

 当時、筆者の仲間だった記者が、北の再起について相談に乗っていた。「彼の再起に協力してくれないか」と頼まれ、豊島区大塚の居酒屋で北と初めて会った。話を聞くうちに、「ジャニーさんに性的虐待を受けた」と聞かされた。北がメリーの説得に耳を貸さなかったのは、ジャニーさんの呪縛から逃れるためだったのだ。

 その後、88年、北は半生記『光GENJIへ』を出版。ジャニーさんの性癖やジャニーズ事務所の体質を告発した。しかし、ジャニーズの力を恐れたメディアのほとんどがこれを黙殺した。そのため北は再デビューを果たせなかったが、ソロで地道に活動を続け、2002年には「フォーリーブス」を再結成。徐々に復活の兆しを見せたが、肝臓がんに襲われ、2012年2月に他界。63歳の若さだった。

 メディアはジャニーさんの死を“巨星堕つ”などと報じていてきたが、少なくとも、真家さんと北さんの人生を弄んだことは否定できない。最高裁も認めたジャニーさんの少年たちへのセクハラを鑑みれば、メディアはそろそろジャニーさんを美化する報道は自重すべきだ。そうでなければ、真家さんも北さんも浮かばれない。

元SMAP、ジャニー社長お別れ会への参加は? ジャニーズと飯島氏の熾烈な駆け引き

 7月9日に亡くなったジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)のお別れ会が、9月4日に東京ドームで開催されると報じられた。当初は8月上旬の開催で調整していたものの、会場を確保できず、9月までずれ込んだ形だという。

 多くのジャニーズタレントが登場し、パフォーマンスを披露するとも言われているこのお別れ会。ジャニーズを退所したタレントたちも列席すると見られているが、そこで注目となっているのが、元SMAPで”新しい地図”こと稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人だ。

「ジャニーズ事務所への貢献度やジャニー社長との関係性という意味では、新しい地図の3人がお別れ会に出席しないのはありえない。当然3人が出席する方向で調整が行われていたようですが、ちょっと暗礁に乗り上げそう。公正取引委員会によるジャニーズ事務所への調査が影響しているとのことです」(音楽業界関係者)

 公正取引委員会は、ジャニーズ事務所がテレビ局に対して、新しい地図の3人を番組に出演させないように圧力をかけた疑いがあるとして調査を行った。

「公取委に対してジャニーズ事務所を調査するように働きかけた存在があると一部で言われているんですが、どうやら日本財団周辺が動いたのではないかとの噂も浮上しています」(同)

 日本財団は、ボートレースの収益をもとにさまざまな公益事業を行う公益財団法人。2020年の東京パラリンピックを支援する「日本財団パラリンピックサポートセンター」を設立し、新しい地図の3人はパラリンピック支援活動のスペシャルサポーターを務めている。

「いわば、日本財団は新しい地図のスポンサーのような存在です。同財団の笹川陽平会長は自身のブログで、公取委によるジャニーズ事務所への調査について触れており、3人のテレビ復帰を求めていたこともあり、働きかけの噂が出てきているのでしょう。ちなみに、笹川会長の子息である笹川正平氏は、元フジテレビのプロデューサーで『SMAP×SMAP』を手掛けていました。SMAPの元マネージャーである飯島三智氏が新会社を立ち上げる際にサポートしたのも笹川正平氏だと言われています」(同)

 かつて、日本財団のパラリンピック支援活動のイベントにSMAPが5人で出演していたこともあった。しかし、解散によって新しい地図の3人だけがスペシャルサポーターとして残ったのだ。

「つまり、日本財団はジャニーズ事務所を切って、飯島氏を選択したというわけであり、ジャニーズ事務所としては受け入れがたい事実。しかも、真偽は判らないとしても、公取委に働きかけたという噂まであるとなれば、ジャニーズ事務所主催のイベントに、日本財団がバックにいる新しい地図を呼ぶことはかなりハードルが高いと思います」(芸能事務所関係者)

 それでもジャニーズ事務所が新しい地図をお別れ会に呼ぶ可能性もあるという。

「圧力をかけていないというアピールをするために、あえて3人を呼ぶということはあるでしょう。とはいえ、そういった思惑が見えているなかで、飯島氏が果たしてオファーを受けるのか。それもまた難しいところです(同)
 ジャニー社長のお別れ会をめぐる、ジャニーズ事務所と飯島氏の駆け引きはどんな決着を迎えるのだろうか――。

ジャニー喜多川氏の家族葬で刻まれた「平家派」の文字に、元メンバー反町隆史は何を想う?

 7月12日、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏の“家族葬”が、東京渋谷にあるジャニーズ事務所の関連会社・ジャニーズアイランドの稽古場で営まれ、所属タレントとジャニーズJr.ら総勢約150人の“子供たち”が参列した。

 遺影の周りのプレートには、ジャニー氏が育てあげたフォーリーブスや郷ひろみ、田原俊彦、シブがき隊、光GENJI、平家派、SMAPといった解散・退所したグループやタレント名がすべて刻まれていたという。

 ジャニー氏がこれほどまでスターを生み出せたのは、才能を見抜く眼力と共に、グループにつける独特のネーミングセンスがあったればこそ。

「7月18日発売の『週刊文春』(文藝春秋)によれば、ジャニー氏は歴史が好きで楠木正成などの話をよくしていたとのこと。光GENJIに対抗して平家派を作ったときも『かっこいいねえ』と自画自賛していたそうです」(週刊誌記者)

 今では決して表沙汰にならないが、その『平家派』に所属していたのが俳優の反町隆史だ。ベテランの芸能記者が言う。

「本名の野口隆史として、中学3年でジャニーズ事務所入りし、平家派の一員として光GENJIのバックダンサーを務め、ローラースケートを履いて頑張っていたものです。平家派はなかなか人材の宝庫で、TOKIOの城島茂、国分太一、元メンバーの山口達也、V6の井ノ原快彦、坂本正行、長野博のほか、後期WANDSのボーカリスト、和久二郎なども在籍していました」

 反町も「元家族」として、お別れ会には出席したかったに違いない。

ジャニーズ事務所の歴史秘話~スカウト、合宿所、落ちこぼれ組【ジャニー喜多川氏追悼特集3】

 日本芸能界において数々の功績を残したジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏が急逝した。ここでは特別寄稿として、雑誌ジャーナリズムにおける、ジャニーズ事務所と対峙した“縁のある識者”らに、彼が残した芸能界への功績と寄稿者によるジャニーズ関連記事への思いを振り返ってもらいたい。第三回目は、「週刊文春」誌上にて、ジャニー喜多川氏ホモセクハラ疑惑のキャンペーン記事に携わった芸能ジャーナリストの二田一比古氏。

 芸能界に大きな足跡を残した「ジャニーズ事務所」創設者・ジャニー喜多川氏が87年の生涯を閉じた。私にとってジャニー氏は常に取材対象者であり、なにかと因縁のあった芸能プロ社長のひとり。だが、直接本人を取材することは結局叶わなかった。

 ジャニー喜多川氏は米国ロサンゼルスで生まれた。両親は共に日本人。真言宗の僧侶だった父親が布教の為に渡米。リトルトーキョーにあった高野山米国別院の主幹を務めていた関係で、幼少期はロスで過ごす。両国の国籍を所有していた。一時、日本に戻り和歌山や大阪で過ごしたこともあったという。母親が若くして他界したため、姉で現・ジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川氏が2人の弟の母親代わりだった。

 姉弟の絆も、ジャニーズ事務所の原点である。事務所成立して後も2人は苦楽をともに過ごした。現代版「安寿と厨子王」と呼ばれる所以である。

 2人は当時の事をあまり語ることがない。人を介してして知ること以外に知る由もない。ちなみに、2人の間にいたジャニー氏の兄は米国「NASA」で、科学者として働いていたという。ジャニーズ事務所には関わっていなかったとされている。それでも、ジャニー氏がタレントらを連れてロスで本場のショーなどを学ぶ際には、兄がガイドをしながら面倒を見ていたという。

「僕らは確か“マー坊さん”と呼んでいました。ジャニーさんと同じようにとても親しみやすい人で温厚な人でした。よく面倒を見てもらいましたね」(ジャニーズOB)

 50代で死去。家族はいたというが、杳としてその後の家族についてはわかっていない。

 話はそれたが、ジャニー氏は帰国後、男性アイドルグループ「ジャニーズ」を結成(後述)し、ジャニーズ事務所を立ち上げる。他の事務所の社長と同じように黒子に徹していた。一時はその姿すらメディアの前に見せることはなく、いつも現場に来ていた広報担当者をファンらは「ジャニーさん」と思っていたこともあったようだ。

 晩年は媒体を選び週刊誌に出たこともあったが、基本はスポーツ紙のジャニーズ担当記者限定で食事をしながらの懇談会のような形で語ることが多かった。記者によれば「タレントのことやショーの話はとにかく饒舌。延々と話す人」という。ただし、記事にする場合は事務所から「使っていい話。ダメな話」と指示があった。これが本人による指示か事務所によるものかは定かではないが、タレントの話でも注文の多い事務所。想像はつく。

 直接取材が叶わなかったが、所属タレントの、主にスキャンダルを取材しているうちに、取材の矛先が次第にジャニー氏に向いていた。「この人は何者だ?」と探れば探るほど興味が増していく不思議な人だった。

「男の子を見出だす天才的な眼力」「ショーの作り方」など、ジャニー氏の表の話は亡くなった後も、タレントや関係者の口から語られている。メンバーの組み合わせ、グループ名などすべてジャニー氏1人でやっていた。「誰にもマネできないこと」と同業他社も舌を巻く存在だった。それでも疑問点がなかったわけではない。“あの事件”について語る前に、筆者がジャニーズに関する取材を進めた上で、気になったポイントをあげてみたい。

◇◇◇

●[スカウト方法]

 ジャニー氏は天性の眼力で男の子をスカウトしていた。本来の芸能プロのやり方とは明らかに異なる。本来、スカウトは歌や踊りを見てスカウトするもの。例えば、沢田研二は京都のライブで歌っているところナベプロがスカウトした。

 今はオーディション全盛期。各事務所とも「俳優・歌手・タレント」など才能を見出だすための審査をする。ジャニー氏はビジュアルありきでスカウト。歌や踊りは入ってから専任の先生からレッスンを受けてデビューさせていく。他に類を見ない方法だが、ジャニー氏が選んだ結果、隠れていた才能が開花する子もいれば、磨かれてエンタメ力を発揮するし子もいる。だが、その逆を考えてみた。いわゆる“落ちこぼれ”である。

 受験に合格があれば不合格があるように、ジャニーズにスカウトされて入ったがデビューすることなく去っていく子もいる。こんな逸話が語り継がれている。

「ビジュアルでスカウトするのですから、そうそう歌も踊りも上手い子ばかり揃うはずもない。それをレッスンでなんとかするにしても、自然に差はできてしまう。だが、グループならごまかせる。グループにするには多少、ヘタな子でも入れる必然性ができてくる」

 この話は思わぬ形で証明された。メリー喜多川氏がSMAPに独立騒動が起きた2015年に「週刊文春」のインタビューを受けた際、「SMAPは歌も踊りも下手じゃないですか」と発言している。メーカー会社の幹部が売れている自社製品を「これはダメだ」と世間に公言しているようなものである。

●[合宿所生活]

 社長の名前からとった4人組“ジャニーズ”が、1962年にデビュー。芸能界に旋風を起こすと、姉と弟の二人三脚で本格的に芸能ビジネスに参戦したジャニー氏。今でこ志望者が殺到しているが、当時はジャニー氏みずから街に出てスターになる原石を探して少年をスカウトしていた。「うちに遊びにおいで」と優しく誘っていたようだ。当時、代々木にあったジャニー氏の自宅は次第にスカウトした少年の溜り場になっていた。

「ハイツという名だったと思うけど、1階にレストランが入っていて、ジャニーさんが留守の時でもレストランで好きな料理を食べられた。まだ幼い少年でしたから、最高の贅沢でした」とOBが回顧してくれた。

 部屋には米国のミュージックビデオや娯楽製品があり、ジャニー氏も一緒になって遊ぶこともあれば、音楽の話を聞かされたという。そのうち、いつの間にか「歌と踊りをやってみたい」と思うようになった子も少なくない。このスタイルは今も変わっていない。

 現在は高級マンションの最上階に部屋を二つ持っていて、時にはジャニー氏自ら手料理をもてなしてくれたという。外で食事する時は「デニーズ」などファミレス。ジャニー氏も一緒になって食べる。当時のジャニー氏の最高の贅沢が大好物の鰻だった。

 時には少年たちにも振舞ってくれたという。私が初めてジャニー氏の素顔を見たのも青山にあったデニーズだった。少年たちに囲まれて楽しいそうに歓談する姿からは、とても社長とは思えない。普通のおじさんだった。

 仲良く食事をしながら談笑する光景は微笑ましいものだった。ちょうど休日に父親と子供がファミレスで食事をする。そんな光景にしか見えなかった。

 タレントたちが親しみを込めて「ジャニーさん」と呼ぶのも親子と変わらない付き合いをずっと続けてきたからに他ならない。タレントの誰もが親しみを持てる社長。タレントを愛し、タレントに愛された一生だったと思う。

●[落ちこぼれ組]

 家族葬には所属する総勢150人のタレントが笑顔で送るという異例なものだった。現在、活動しているタレントの数だけでも驚きの数字であるが、デビューに至らなかった「落ちこぼれ組」も必ずいる。それがプロの世界でもある。

 デビューできる子は表の話として大きくメディアに載るが、落ちこぼれ組は、そうはいかない。ただ、静かに去っていく。私が興味を持ったのはこの落ちこぼれ組だった。

 プロ野球でもスカウトされて入団したが、一軍デビューすることなく引退していく。プロ野球の話はドキュメントとしてよくテレビで取り上げている。落ちた者にもドラマがあるのだ。

 落ちこぼれ組。私が興味を持った原点だった。辞めた理由もそれぞれあった。「タレントの仕事に向いていなかった」「志望する高校を受験したい」「親に連れ戻された」など10代の少年らしいまともな子もいる一方で、「素行不良」などで事務所を去る子もいた。

◇◇◇

 こうしたことに興味を覚え、断片的な取材を進めるうちに、ある疑惑を耳にした。そう、ジャニー喜多川氏による「ホモセクハラ疑惑」である。

 1999年、「週刊文春」が「ジャニー喜多川氏のホモセクハラ疑惑」という衝撃の連載を始めた。私も特別取材班のメンバーの1人だった。

 以前からジャニー氏のホモセクハラ問題に関しては、元ジャニーズのタレントが暴露本を執筆するなどあったが、「元タレントが一方的に言っているだけ」とされ、すべては真実とは限らず、やがて都市伝説のように伝えられていた。だが、筆者が聞いたある少年の話は、具体的なもので、とても作り話とは思えなかった。

 話に信憑性ありと判断。連載のきっかけになった。詳細は省くが、連載は反響を呼んだ。芸能界も「ここまでやるのか」と固唾を飲んで「ジャニーズvs文春」の対決を注目していた。追随するマスコミはなかったが、故・梨元勝芸能レポーターだけが記事に賛同するように追及しようと働きかけてくれた。あまりに衝撃的だったのか、ついにジャニーズ事務所は連載途中で「文春」を名誉棄損で訴え、裁判になった。いまだ例のないホモセクハラ裁判。

 最終的には損害賠償とし、120万円を文春が支払う判決が決定したが、セクハラに関しては「記事の主要部分は真実」と認定。事実上の文春の勝利と言われていた。

 今回のジャニー氏死去のニュース報道では、朝日新聞だけがこの裁判の話を紹介していた。

ふただ・かずひこ

芸能ジャーナリスト。40年近く女性誌・写真誌・男性週刊誌で記者として活動。「週刊文春」の「ジャニー喜多川のホモセクハラ疑惑」の連載も取材チームのメンバーの一人として参加。

ジャニー喜多川氏の家族葬にデリケートな”香典”問題「テレビ局1社で1千万円はくだらず……」

 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が亡くなってから一週間、芸能界に悲しみが広がっている。

 一夜明けた10日には、ジャニーズのタレント約70人が追悼文を発表。退社・脱退したタレントからも人柄をしのぶ声が相次いだ。しかし、蚊帳の外だったのは元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人だ。 

「ジャニーズ事務所は葬儀について、『ジャニーの子供でございますタレントたちと(ジャニーズ)Jr.のみで執り行う家族葬とさせていただきます』と説明。そのニュアンスからは、『子供』の中に“元ジャニーズ”は含まれていないように感じました。密葬になったのは彼らの姿を映されたくない意図もあったのだと思います」(芸能記者)

 一方、メディア幹部の頭を悩ませたのが「香典問題」だったという。民放キー局プロデューサーが耳打ちする。

「うちの局では局長以上が香典を出すことになり、それ以下の役職は不要との通達が出ました。問題は香典の額。メンツにかけても他局よりも少ない金額というわけにもいかない。結局、編成が横のつながりでこっそりリサーチをかけて1人100万円~200万円となったようです。準キー局、地方局もそれに準じた数字になっているようですが、香典はテレビ局1社だけで1000万円はくだらず、何億なのか何十億なのか、いったいいくら集まるのか想像もつきませんよ」

 そして19日、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾は所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。3人は連名で「先週、ジャニーさんの家族葬が執り行なわれたと伺っております。僕らは、ぼくらのそれぞれの想いを込めて、今、自分達のいる場所からお別れをさせていただきました」と続け、さらに「どんな時でも背中を押してくれたジャニーさん、ありがとうございました」「心からご冥福をお祈りいたします」と追悼した。

 3人なら、さらにすごい香典が差し出されてはず?

ジャニーズ事務所の圧力問題、マスコミ関係者から「ジャニーさんの死を利用するな」の声 

 7月17日、公正取引委員会が独占禁止法違反につながる恐れがあるとして、ジャニーズ事務所に「注意」をしたというニュースが報じられた。

 ジャニーズ事務所が「SMAP」元メンバーで「新しい地図」の3人、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾について、民放テレビ局などに出演させないよう圧力をかけていた疑いがあるとして調査を行ったというものである。

 ジャニーズ事務所はこの報道を受け、公式サイトに「テレビ局に圧力などをかけた事実はなく、公正取引委員会からも独占禁止法違反行為があったとして行政処分や警告を受けたものでもありません」とコメントした。

  この件についての各局の取り上げ方はさまざまだった。しかし、あくまで一般論として、「芸能界では~」と芸能界全体の問題にすり替えている番組の多さが目立っていた。これに対し、SNSでは当然ながら多数の批判が上がっていた。

「ジャニーズ事務所のことだけど、なにテレビ各局は他人事のように報道してるの? あなたがたが事務所の圧力を受け入れてきたんでしょうに」

「いや他人事みたいに言ってないで。よみうりテレビが事務所から圧力受けた事実があるのかどうか言ってみて? 当事者に取材して事実を報道して?」

「宮根のジャニーズに対する醜い忖度。局側の忖度だけなわけがないだろ。全く圧力が無いのに誰が忖度するんだよ?」

 ジャニーズファンの中には、ジャニーズ事務所に長年流れ続けている、こうした「体質」から目をそらしたい妄信的な者も多数いる。だが、ジャニーズの番組制作に携わっていたスタッフは言う。

「あの事務所(ジャニーズ事務所)の横暴は、当然ながらありますよ。いろいろ難癖をつけてきたり、面倒なので、直接の窓口担当以外、制作スタッフはみんなできるだけ関わらないようにしていましたよ」

 また、ある週刊誌記者は言う。

「新しい地図に関して、ジャニーズ事務所は『絶対に出すな』という直接的な言葉では言わないんです。ただ、『もちろんおわかりですよね? あくまで常識の範囲内で』と念を押してくる。正直、新しい地図のメンバーに登場してもらうと雑誌は売れるので、本当はもっと出てほしいところですが、短いスパンで登場させると、全タレントを引き揚げるというような圧力すらありえる。仕方なく、ジャニーズ事務所とのバランスを考え、たまにお願いするくらいにとどめていたのは事実です」

 女性週刊誌記者も、あきれ果てた様子で言う。

「SMAPを取材してきた編集者、記者などは名指しで担当を外されたり、会見から締め出されたりしていました。個人単位で、ですよ? 信じられないほどみみっちいですが、本当なんです。有名なコメンテーター・A氏も、SMAP寄りだったことから、一時期はジャニーズ事務所に干され、会見の案内をもらえないなどの嫌がらせを受けていたと聞きますよ」

 ちなみに、A氏は現在、再びジャニーズ関連のコメントも頻繁に請け負っている。ただし、そこにもなんらかの事情がありそうで……。

「A氏はもともと『新しい地図』寄りの方なので、嵐や関ジャ二∞、Hey! Say! JUMPといった藤島ジュリー景子副社長直轄のタレントの話題はほとんど取り上げず、SMAP育ての親・飯島三智氏管轄下にあったKis-My-Ft2の話題ばかり。ささやかな抵抗なのかわかりませんが、事務所との関係が完全に回復しているわけではないのかもしれません」(同)

 さらに、「ようやく、本当にようやくだなと思います」とため息をつくのは、自身が今もジャニーズ事務所から名指しで圧力を受け続けている芸能記者B氏だ。

 B氏は同じような圧力を受けている同業者が公取委に相談していると耳にし、公取委に「具体的事例」として、数カ月前に自身の情報を提供。その際には「ジャニーズ関連の窓口」が対応し、「参考にさせていただきます」と言われたのみだったという。

 今回の報道によって、公取委がジャニーズ事務所を調査し続けてくれていたことがわかり、安心したと話すが、と同時に、こんな不安も漏らす。

「この報道があったのが、ジャニーさんの逝去後というタイミングであることがどうにも気になります。これではまるで『圧力はジャニー社長によるもので、今後はクリーンで風通しのいい事務所になる』というアピールをしているかのようで……」(B氏)

 おそらく公取委とジャニーズ事務所の間では、今回の件について内々でなんらかの手打ちがなされていただろうとB氏。このタイミングで表に出たのはジャニーズ事務所の弱体化ではなく、印象操作にすら見えると話す。

「私に圧力をかけていたのは、メリー喜多川社長の側近で『番頭』といわれる人物でした。その際、ジャニーさんの名前を挙げ、社長の指示だと言っていましたが、スターの発掘・育成とステージを作ることに熱心で、些末なことに興味のないジャニーさんが、編集者や記者、カメラマンなどに圧力をかけるとは到底思えません。おそらくジャニーさんの名前をかたっていただけの可能性が高いと思います」(同)

 ちなみに、この「番頭」なる人物、通常は各媒体にさまざまな圧力をかけているにもかかわらず、ジャニー氏逝去を報じ、美辞麗句を連ねて功績をたたえる特集を組む雑誌媒体には、気を良くして「どんどんやってください」と告げていたそうだ。

 ジャニー氏の逝去とともに、イメージを一掃し、数々の圧力や闇の歴史を葬るつもりなのか? おそらく「黒幕」は今もジャニーズ事務所内でうごめいていると、B氏は語るのだった。

ジュリー新社長、メリー氏&飯島氏と“真逆”の人物像――「礼儀正しく穏やか」「仕事しやすい」の評

 7月9日、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が亡くなった。多くの男性アイドルを世に送り出し、一代でアイドル帝国を作り上げ、テレビ界・芸能界に絶大な影響力を持つようになった、この“巨人”の死は、連日あらゆるメディアがトップニュースで伝えており、その死を悼む言葉と、数々の功績を称える声はまだしばらくやみそうもない。

 しかし逝去して間もない18日、公正取引委員会がジャニーズ事務所に対し、「退所したSMAP元メンバー3人の番組起用を妨げるような動きがあった場合」は、独占禁止法違反につながるおそれがあると注意したというニュースが大きく報じられた。ジャニー氏への称賛ムードから一転、ジャニーズ事務所への不審の声が聞かれている。

「ジャニーズからテレビ局への直接の圧力はなかったはずです。当時、SMAPを解散に追い込んだことで事務所への批判が大きく、ブラック企業としてのイメージが広がらないようにと、ジャニー、メリー両氏は非常に気を使っていました。むしろ話は逆で、ジャニーズに批判が集中しないようにと、『彼らの番組を、すぐに終了させないでくれ』と申し入れをしていたほど。実際、稲垣吾郎の『ゴロウデラックス』(TBS系)は、今年の3月まで続いていました。ジャニーズタレントなしには編成もままならない各局が、ジャニーズとの付き合いを考えて忖度した結果、元SMAPの3人がテレビから姿を消したというのが実際のところです」(テレビ関係者)

 4月には香取慎吾が『人生最高レストラン』(TBS系)で、久々の地上波出演を果たしたことが話題になった。

「実は、香取の番組出演の裏には、ジャニーズの働きかけがあったといいます。公取委の動きにジャニーズは非常に敏感になっており、“圧力”がないことをアピールするために、あの唐突ともいえる番組出演が調整されたようですね」(同)

 華やかなスターを輩出する一方で、ブラックなイメージもつきまとうジャニーズ事務所。今後も帝国として、現在のような影響力を維持できるのだろうか。

「社長のまま亡くなってしまったジャニー氏に代わって、新社長に就くのは、長く事務所の経営面を牛耳ってきたジャニー氏の実姉・メリー喜多川(藤島メリー泰子)氏の実娘、藤島ジュリー景子副社長です。SMAP解散のきっかけともいわれる、メリー氏による5時間もの独白を記事にした15年1月の『週刊文春』の中で、『“次期社長候補”って失礼な。(ジュリーは)次期社長ですよ』との明言がありました」(週刊誌記者)

 ジャニーズ事務所の今後は、ジュリー氏に託されているのだ。

「彼女の経営手腕を不安視する声もありますが、TOKIOや嵐、関ジャニ∞を人気者にした実績は一定の評価をすべきでしょう。お嬢様育ちで品があり、礼儀正しく穏やかで頭も良いと、その人柄への評価も決して悪くなく、非常に仕事がしやすいといわれています」(テレビ関係者)

 母・メリー氏や、ライバル関係にあったといわれるSMAPの元チーフマネジャー・飯島三智氏は、強権・剛腕ぶりで知られ、絶大な影響力を持っていた一方、その強引なやり方をよく思わない関係者は多かった。しかし、ジュリー氏にはそうしたネガティブな評判は、ほとんど聞かれない。

 一部では、ジャニー氏からジャニーズJr.の育成を託された「ジャニーズアイランド」の社長・滝沢秀明氏との確執が囁かれているが、ジュリーであれば、うまくやっていけるのではないか――そう見えなくもないのだ。

「ジュリーさんは、言ってみれば常識の通じるまともな社会人です。しかし、これからジュリーさんが対峙しなければいけないのは、海千山千の芸能界・テレビ界の化け物や、わがままを言い出したら聞かないスターたち。さらに、一筋縄ではいかないネット世論も今後、より強い影響力を持つに違いない。“話せばわかってくれる”がまったく通じない者たちに、お嬢様育ちのジュリーさんがどう対抗していくのか。今のままでは外からも内からも食い破られてしまうのではと危惧されているんです」(大手芸能プロ幹部)

 果たして、ジュリー新社長によるジャニーズ事務所は芸能界をどう渡り歩いていくのか――。短期シリーズで検証、考察していく。次回は、アイドル帝国の後継者として幼少期から施された英才教育の数々と、その半生を追う。
(渡邊孝浩)

ジュリー新社長、メリー氏&飯島氏と“真逆”の人物像――「礼儀正しく穏やか」「仕事しやすい」の評

 7月9日、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が亡くなった。多くの男性アイドルを世に送り出し、一代でアイドル帝国を作り上げ、テレビ界・芸能界に絶大な影響力を持つようになった、この“巨人”の死は、連日あらゆるメディアがトップニュースで伝えており、その死を悼む言葉と、数々の功績を称える声はまだしばらくやみそうもない。

 しかし逝去して間もない18日、公正取引委員会がジャニーズ事務所に対し、「退所したSMAP元メンバー3人の番組起用を妨げるような動きがあった場合」は、独占禁止法違反につながるおそれがあると注意したというニュースが大きく報じられた。ジャニー氏への称賛ムードから一転、ジャニーズ事務所への不審の声が聞かれている。

「ジャニーズからテレビ局への直接の圧力はなかったはずです。当時、SMAPを解散に追い込んだことで事務所への批判が大きく、ブラック企業としてのイメージが広がらないようにと、ジャニー、メリー両氏は非常に気を使っていました。むしろ話は逆で、ジャニーズに批判が集中しないようにと、『彼らの番組を、すぐに終了させないでくれ』と申し入れをしていたほど。実際、稲垣吾郎の『ゴロウデラックス』(TBS系)は、今年の3月まで続いていました。ジャニーズタレントなしには編成もままならない各局が、ジャニーズとの付き合いを考えて忖度した結果、元SMAPの3人がテレビから姿を消したというのが実際のところです」(テレビ関係者)

 4月には香取慎吾が『人生最高レストラン』(TBS系)で、久々の地上波出演を果たしたことが話題になった。

「実は、香取の番組出演の裏には、ジャニーズの働きかけがあったといいます。公取委の動きにジャニーズは非常に敏感になっており、“圧力”がないことをアピールするために、あの唐突ともいえる番組出演が調整されたようですね」(同)

 華やかなスターを輩出する一方で、ブラックなイメージもつきまとうジャニーズ事務所。今後も帝国として、現在のような影響力を維持できるのだろうか。

「社長のまま亡くなってしまったジャニー氏に代わって、新社長に就くのは、長く事務所の経営面を牛耳ってきたジャニー氏の実姉・メリー喜多川(藤島メリー泰子)氏の実娘、藤島ジュリー景子副社長です。SMAP解散のきっかけともいわれる、メリー氏による5時間もの独白を記事にした15年1月の『週刊文春』の中で、『“次期社長候補”って失礼な。(ジュリーは)次期社長ですよ』との明言がありました」(週刊誌記者)

 ジャニーズ事務所の今後は、ジュリー氏に託されているのだ。

「彼女の経営手腕を不安視する声もありますが、TOKIOや嵐、関ジャニ∞を人気者にした実績は一定の評価をすべきでしょう。お嬢様育ちで品があり、礼儀正しく穏やかで頭も良いと、その人柄への評価も決して悪くなく、非常に仕事がしやすいといわれています」(テレビ関係者)

 母・メリー氏や、ライバル関係にあったといわれるSMAPの元チーフマネジャー・飯島三智氏は、強権・剛腕ぶりで知られ、絶大な影響力を持っていた一方、その強引なやり方をよく思わない関係者は多かった。しかし、ジュリー氏にはそうしたネガティブな評判は、ほとんど聞かれない。

 一部では、ジャニー氏からジャニーズJr.の育成を託された「ジャニーズアイランド」の社長・滝沢秀明氏との確執が囁かれているが、ジュリーであれば、うまくやっていけるのではないか――そう見えなくもないのだ。

「ジュリーさんは、言ってみれば常識の通じるまともな社会人です。しかし、これからジュリーさんが対峙しなければいけないのは、海千山千の芸能界・テレビ界の化け物や、わがままを言い出したら聞かないスターたち。さらに、一筋縄ではいかないネット世論も今後、より強い影響力を持つに違いない。“話せばわかってくれる”がまったく通じない者たちに、お嬢様育ちのジュリーさんがどう対抗していくのか。今のままでは外からも内からも食い破られてしまうのではと危惧されているんです」(大手芸能プロ幹部)

 果たして、ジュリー新社長によるジャニーズ事務所は芸能界をどう渡り歩いていくのか――。短期シリーズで検証、考察していく。次回は、アイドル帝国の後継者として幼少期から施された英才教育の数々と、その半生を追う。
(渡邊孝浩)

ジャニー喜多川社長の追悼映像が”嵐ではなくSMAPメイン”でサプライズ放映のワケとは?

 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が7月9日午後、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため入院先の病院で亡くなった。

 明けて10日、朝の情報番組ではこの訃報を大々的に報じたが、“タブー”とされてきたSMAPのコンサート映像や伝説のデビューライブ映像が流れたことに、お茶の間からは驚きの声が上がっている。 

「2016年末のグループ解散以来、各局はジャニーズに忖度して、SMAPの楽曲や映像を流すことを自粛していましたが、“報道”という大義名分があれば別です。ジャニー氏は『最も多くのコンサートをプロデュースした人物』などでギネス認定されているほどの文化人ですから、彼の功績をたたえるためにSMAPの映像を使用することは報道メディアの正当な使命です。各局はここぞとばかりに“お宝映像”を流しまくり、ジャニーズを辞めた香取慎吾、稲垣吾郎、草なぎ剛の3人も堂々と顔出ししています」(テレビ関係者)

 “SMAP復活”にファンは歓喜しているが、面白くないのはジャニーズ事務所だ。

「ジャニーズサイドはSMAPではなく嵐の映像を使ってくれと各局に依頼しているといいます。目下、嵐の『20周年&活動休止』商法に精を出しているジャニーズにとっては、SMAPの映像が使われても一文の得にもならない。しかし、SMAPが出ると視聴率が一気に上昇するのがはっきりしているため、テレビ局側はしばらく知らん顔して週末の情報番組でもSMAP押しを続けていくようです」(テレビ関係者)

 事務所でタブー扱いされているSMAPが「ジャニー氏最大の功績」と受け取られていることに、嵐押しの事務所幹部は苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。

“元アウトローのカリスマ”瓜田純士、ジャニー喜多川氏の”少年愛”にシルク・ドゥ・ソレイユ創業者との共通点を見た!?

 解散、脱退、不祥事など、このところジャニーズ事務所の崩壊を予感させる事象が相次いでいたが、そんな中、社長のジャニー喜多川氏が亡くなった。数多くのアイドルを育ててきたカリスマを失い、今後の“ジャニーズ帝国”はどうなるのか? ジャニー氏に負けない先見性と審美眼を持つ 作家の瓜田純士(39)が、ジャニタレの未来を占った。

――創業以来、半世紀以上にわたりジャニーズ事務所を支えてきたジャニーさんが亡くなりました。この報道を受け、何を思いましたか?

瓜田純士(以下、瓜田) ジャニーズには全然詳しくないですけど、連日やっているニュースを見て、すごい人だったんだなって。所属タレントからしたら、本当にいいおじいちゃんだったと思うんですよ。だって、誰も悪く言わないじゃないですか。言えないのかもしれないけど。でも、悪いところがあったら(事務所を)辞めていると思うし、言われた通り信じて残った奴らはたいてい、いいポストに就いているじゃないですか。

――ジャニーさんの印象は?

瓜田 よく知らないですけど、直感的に思うのは、内部にいるタレントたちにとっては怖い存在だったんじゃないでしょうか。怒らせたらクビが飛ぶし、番組やCDもオシャカになる。「ジャニーさんに嫌われたら最後」って認識が、全員の中にあったはず。そのジャニーさんが提唱したとされる「アイドルは結婚しちゃダメ」みたいな掟を、直じゃなくても会社の人間から聞かされたら、守るしかない。「ジャニーさんの目が黒いうちは」みたいな恐怖心が、みんなの中にあったんじゃないでしょうか。

――近影を見たら、優しそうなお顔ですけどね。

瓜田 ヤクザの親分だってそうですよ。外部の人からは「気の良さそうなおっちゃんだな」と見えることが多い。でも、いざ自分がその組織の中に入り、周りから「あの人は雲の上の存在だ」みたいなことをさんざん聞かされて、みんながペコペコ挨拶しているのを3カ月も見ていると、その気の良さそうなおっちゃんが、だんだん神様みたいに見えてきちゃうものなんですよ。

 でもそんなヤクザの親分も、年老いて病気がちになると、月一の集まりでもただ奥に座っているだけのお飾りみたいになって、神通力も失われていく。ジャニーさんも、そうだったんじゃないかな。年を取り、弱気なおじいちゃんになるにつれ、「SMAP解散」「嵐も活動停止」などのほころびが見られるようになり、盤石なジャニーズ帝国ではなくなっていったのかもしれませんね。

 とはいえ、死後に叩かれる極悪な経営者ではなく、多くの所属タレントに愛されていたのは事実だと思いますよ。本当に純粋な少年のような人で、タレントを大事にしていたんじゃないかなって気がします。

――行きすぎた“少年愛”のウワサもありましたが。

瓜田 闘病中のジャニーさんの元をたくさんの所属タレントたちが代わる代わる訪れて、ジャニーさんの好物をみんなで食べて、そのことで容体も一瞬回復したりしつつ、最後は幸せに看取 られたというニュースを見て、俺は確信しましたよ。本当に体調がヤバいときに、ただのビジネス上の付き合いでしかない人たちに病室に来られたら、しんどいじゃないですか。

 家族しか無理ですよ。いや、家族でも会うのはしんどい。普通は側近に「もうすぐ元気になると伝えておいてくれ」と託して、面会を拒絶するぐらいの距離を保つと思う。それを病室まで呼んじゃうっていうことは、間違いなく肉親以上の感情があったということですよ。肉親以上の感情がなかったら、血もつながってない奴らが病室に来るのは無理ですよ。

――肉親以上の感情とは?

瓜田 愛や恋や性的なものだけでは説明できない「好きの感情」ってあると思うんですよ。息子以上にかけられる情熱というかね。もしかしたら、シルク・ドゥ・ソレイユの生みの親とかもそんな感情なのかも。関わるアーティストやスタッフのことを、心の底から愛している。そんな感じの、家族でも立ち入ることができない、あふれる愛があったんだと思う。

――シルク・ドゥ・ソレイユ、お好きなんですか?

瓜田 いや、見たことないので、勝手なイメージです(笑)。さらに勝手なイメージを膨らませるのであれば、何もない砂漠にカジノをつくったベンジャミン・シーゲルや、マコーレー・カルキンとの友情を育んだマイケル・ジャクソン、もしくは恵まれない子どもたちを養子にしているアンジェリーナ・ジョリーあたりの感情にも近いのかも。「この世界、この絆は、俺たち私たちがつくったんだ」というね。そこには部外者が立ち入れない愛のカタチがあると思う。

 ちなみにうちの嫁は、こう言っていました。「ジャニーさんは男やけど、オカンの気持ちやったんちゃう?」と。言い得て妙だな、と思いました。

――ところで、ジャニーズ事務所のこれまでのビジネスを、視聴者としてどんな思いで見ていましたか?

瓜田 10歳やそこらから目を付けて売り出して、本来ならどんどん新陳代謝させなくちゃならないのに、なんで40オーバーのおっさんたちをアイドル然とさせているんだろう? それで経済が回っちゃっているから、やめるにやめられないのかな? と以前は否定的に見ていたんですよ。ところがここ数年、自分もこの年齢になってくると、見方が大きく変わってきましたね。

 タッキーいるじゃないですか。滝沢秀明。彼がこないだね、(ジャニーさんの訃報を受けての会見で)ほうれい線を作ってしゃべっていたんですよ。あのタッキーがほうれい線って、そのショックがわかりますか? ありえないことなんですよ。でもね、そういう年齢になっても一生懸命前に出てきている姿に、俺は胸を打たれたんですよ。

 元SMAPの中居(正広) くんもそうじゃないですか。白髪隠しなのかハゲ隠しなのか、ピンクだか金髪だかよくわかんない色に髪を染めて、ドライヤーで精いっぱいボリュームを出して、小麦色のタンニングローションみたいなのを顔に塗りたくってでも、ああやって前に出てくるというのは、すごいことだと思うんです。

――どういう意味ですごいのでしょう?

瓜田 お金と手間をかけているとはいえ、あの年齢であそこまでの若さを維持しているっていうのは、すごいことじゃないですか。もともと美少年として出てきたから劣化を取り沙汰されがちだけど、マッチ(近藤真彦)やヒガシ(東山紀之)やタッキーなんかは、新橋あたりの居酒屋で禿げ上がって腹出して呑んだくれている同世代のおっちゃんたちと比べたら、今でもまったく別次元のきれいな人たちなんですよ。

――言われてみれば僕も以前、ヒガシと同じ写真に偶然写り込んでしまったことがあるのですが、その写真を見て愕然としました。「ヒガシと俺、果たして同じ人間なのか……?」と。

瓜田 そうなんですよ。「あいつ最近、宮根(誠司)さんみたいになっちまって 」なんて新橋の居酒屋で悪口を言ったところで、向こうから松潤(松本潤)が歩いてきたら、あまりのきれいさに全員ひれ伏しますって。あ、俺は別ですよ。俺はオーラが別格なんで。俺と並んだら、そんな奴らのオーラもかき消えますけど、コシャ平民から見たら、ジャニーズのタレントたちは別次元に映ることでしょう。

――しかし、今回ジャニーさんが亡くなったことにより、所属タレントたちのジャニーズ離れが加速するのではないかと見る向きもあります。瓜田さんはそのへん、どう読みますか?

瓜田 事務所を離脱して、今まで言えなかった、やれなかった言動をし始めて「えへへ」と調子づく奴も出てくるでしょうけど、その一方で、マッチやヒガシやタッキーといった“保守派”の年長者がビシッと気合を入れて、「フラフラするなよ」という空気を出しつつ、ストイックに事務所の伝統を守っていくんじゃないでしょうか。

――そんなジャニーズに残るほうが幸せなのか。それともジャニーズの呪縛から解き放たれたほうが幸せなのか。

瓜田 解き放たれて好きに生きようとした結果が、ぶくぶくに太った今の野村義男じゃないですか。組織から外れて好き勝手やっている奴は、やっぱ自分に甘いんですよ。もちろん、よっちゃんのギターはすごいんだけど、「見られる立場」から降りると、見た目はああなっちゃうんですよ。こないだ、よっちゃんをテレビで見ましたが、テキ屋のおっちゃんかと思いましたよ(笑)。同じたのきんトリオでも、スマートなマッチと全然違うじゃないですか。

 最近俺ね、キムタク(木村拓哉)のことも見直したんですよ。ずっとチビでダサいな思っていたけど、いまだに役者として第一線にいるし、顔も格好いいままだし、浮いた話のひとつもないじゃないですか。その心がけというか、徹底した自己管理は見事というほかない。俺は最近、自分もボディメイクを始めたせいもあって、自己管理をしっかりできる人らにしか共感できないんですよ。

 タッキーもそう。先日の挨拶のときの姿勢や表情ひとつとっても、新橋のサラリーマンとは全然違うじゃないですか。ああいう意識の高さを、われわれも見習わないとダメ。世のお父ちゃん方の良き見本にもなるはずだから、ジャニーズのタレントたちには還暦を過ぎてもアイドルを続けてほしいですね。……って俺、ジャニーズなんか全然知らないとか言っておきながら、どんだけ熱くジャニーズのことを語っているんだ、っていう(笑)。

(取材・文=岡林敬太)

※瓜田純士のYouTube好評配信中!(瓜田純士プロファイリング )  https://www.youtube.com/channel/UCv27YAy0FZ-4wwisy5zPmeg

※「“キング・オブ・アウトロー”瓜田純士、かく語りき」の記事一覧  https://www.cyzo.com/cat8/outlaw_charisma/