ジャニー喜多川社長「お別れの会」で配布した幻の冊子、「秘蔵写真」と「名言」にマスコミ騒然! 

 9月4日、東京ドームで行われた、ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長の「お別れの会」で、一部関係者にのみ配布された「メモリアルブック」が、大きな話題になっているという。テレビや新聞などで、中身の一部が紹介されているものの、“本邦初公開”と思われる写真やテキストの数々に、業界内外のジャニーズファンは衝撃を受けているようだ。

「この冊子は午前11時より行われた『関係者の部』参列者の中でも、限られた一部の人間にのみ配布されました。横長の冊子の表紙には『ThankYou&Forever Johnny』と書かれており、100ページ以上にわたって、ジャニーさんの軌跡がつづられています」(テレビ局関係者)

 表舞台に現れる機会はほとんどなかったジャニー社長だが、冊子には幼少期の写真まで掲載されているという。

「モノクロの家族写真から始まって、青年時代から壮年期、近年のものまで、見たことのないのジャニーさんの姿を、たくさん見ることができました。ジャニーさんの隣にメリー喜多川副社長が座っている稽古場でのツーショットは“激レア”と言えるでしょう。また、スタッフを入れずに所属タレントだけで行われたという、ジャニーさんの誕生日会の写真も載っていました。大勢のジャニーズタレントに囲まれたジャニーさんは、笑顔でダブルピースをしています」(同)

 また、ジャニー社長は自ら文字を書くことが好きだったといい、手紙など多くの「直筆文」も掲載されているそう。

「中でも目を引くのが、稽古場に飾られているという『龍飛鳳舞』という毛筆の書や、ジャニーズJr.に送ったという2通のハガキ。ハガキは『ジャニー喜多川』というサイン以外、ワープロ文字ですが、平成最終日の4月30日に送られたとみられるハガキには『平成ありがとう! 思い出も沢山貯まったよ。それを「かて(糧)」に此れからも頑張ろう!』、また令和元日の5月1日と日付が入っているハガキには『平成生まれのJr.達は二度目の元号 令和の始まりです。令和の意味を自分なりに勉強しましたか?』とそれぞれメッセージが書かれていました」(芸能プロ関係者)

 さらに、“ジャニーさん名言集”とも言える文章も掲載されており、一部関係者の間で話題になったという。

「ファンによく知られている『僕は夢はないんですよ そんなこと言うと何だかわびしい人間みたいだけど 僕は夢を作る側の立場だから』という一文から始まり、KinKi Kidsに送ったとされる『君達は今日から関西坊やだよ!』、さらに『メリーに聞いてよ! 僕は社長だよ!』という初めて目にするコメントも。果たしてジャニー社長は、誰にどんなシチュエーションで言ったのか、想像は膨らむばかりです」(同)

 冊子の存在は、一部の参列者が受け取って、初めて明らかになったという。全てのジャニーズファン垂涎の“香典返し”は、何とも粋なサプライズだったと言えそうだ。

「ジャニーさんが思う最強のグループは?」TOKIO・国分太一、ジャニー氏の“即答”明かす

 TOKIOの冠番組『TOKIOカケル』(フジテレビ系)が、9月4日に放送された。この日は放送300回の節目を迎えたということで、V6から20th Century(以下、トニセン)の3人を迎え、TOKIOと“本音トーク”が繰り広げられた。

 ジャニーズ事務所の裏話も多く披露されていたが、その中で、国分太一が「3、4年前からジャニー(喜多川)さん演出の舞台を見るようになった」と明かし、いつしか楽屋でジャニー氏と“友だち”のように話せるようになった、と振り返る。その際、国分はふと「ジャニーさんが思う最強のグループは?」と尋ねたことがあったそうで、いわく、ジャニー氏は即答で「少年隊」と答えたのだという。

 これには、ほかのメンバーから「ほ~!」と驚きの声が上がり、井ノ原快彦は「泣けるね!」と反応。ジャニー氏は少年隊のことを「踊りが完璧。歌も歌えて、自分たちで演出もできていた」と評価していたといい、松岡昌宏も「その先輩方を言ってくれるのはうれしいかな」としみじみ。国分は「やっぱり、あそこまで踊らせたかったんだろうね、ジャニーさんも」「理想の形がそこにあったんだろうね、少年隊さんっていう」と語っており、ジャニー氏が少年隊を高く評価していることは、TOKIOやトニセンメンバーにとっても“納得”なのだろう。

 その後、7月12日に行われたジャニー氏の“家族葬”の裏側を、7人で振り返る一幕も。松岡は家族葬の会場で「写真を撮るって知らなかった」そうだが、撮影された写真を見て「一発目に思ったのは、『ああ、この中にいてよかった』」と吐露。井ノ原も、元光GENJI・内海光司と佐藤アツヒロが並んでいる場面に遭遇し、「珍しい」と思い写真を撮らせてもらったとか。また、少年隊・東山紀之が「ニシキ(錦織一清)、こっち来いよ」と声を掛け、少年隊が3人並んで写真撮影をしていたことも明かしていた。

 また、松岡は「俺、これカッコいいなと思った」と、会場の外で起こった出来事も振り返る。なんでも、タレント全員で「マイクロバス移動」したそうで、「先輩たちは各自、車で行くのかな、と思ったけど、全員マイクロだったじゃん? それがまた昔を思い出して……」と、全員揃って移動したことも、心に残る思い出になったようだ。

 放送後、ファンからは「貴重な話をたくさんありがとう! 少年隊はやっぱりすごいんだなあ」「家族葬の裏話がステキすぎて泣いた。ジャニーズって本当に家族だね」「楽しそうに話してるTOKIOとトニセンの姿に、なんかほっこりする」という声が集まっていた。
(福田マリ)

ジャニー喜多川さんのお別れ会で漏れ伝わってきたジャニーズ事務所の”不穏な噂”の数々

 7月9日に死去した、ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長(享年87)のお別れ会が4日、東京ドームで開催され、その模様を各メディアが報じた。

 お別れ会には近藤真彦からジャニーズJr.まで154人の所属タレントや、OBの郷ひろみ、川崎麻世、元シブがき隊の薬丸裕英&布川敏和らが参列。

 近藤が所属タレントを代表してあいさつし、ジャニーズアイランドの滝沢秀明社長がプロデュースした過去のライブや舞台をまとめた約10分間の映像やジャニーさんの誕生会の様子が流れ、そのナレーションを少年隊の東山紀之がつとめた。

「あいさつをしたマッチですが、ジャニーさんが亡くなった日を『7月7日』と言い間違え、参列者から失笑が漏れました。終了後、新社長の藤島ジュリー景子と東山が参列者を見送りましたが、社長の重責からかジュリー氏は以前よりやつれた姿が印象的でした」(お別れ会への参列者)

 参列者のうち、少年隊は東山と植草克秀が出席し錦織一清は欠席したが、どううやら、錦織には退所説が浮上しているというのだ。

「錦織はジャニーさんの背中を追い掛けるべく、演出家としての腕を磨いています。ところが、メリー喜多川副社長から『もっと稼ぎなさい!』と発破をかけられてヘソを曲げ、おまけに、ほかのメンバー2人との関係も悪く退所を決意。発表も近いともっぱらです」(芸能記者)

 前日3日まで東京ドームで公演を行っていた関ジャニ∞は6人そろってお別れ会に参列したものの、こちらもついに重大発表の日が近付いているという。

「東京ドーム公演の最終日、以前から脱退がうわさされていた錦戸亮か大倉忠義の脱退発表があるのではと言われていました。しかし、4日にジャニーさんのお別れ会が入ってしまったため発表を延期。しかし、5日以降の数日中に発表があるのではと言われています」(音楽業界関係者)

 ジャニーさんのお別れ会終了を機に、ジャニーズ帝国が大きく揺らぐことになりそうだ。

ジャニー社長の『Mステ』秘話! ジャニーズJr.演出に情熱、「スタッフと言い合い」の過去も?

 10月より、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』(以下『Mステ』)が、現在の「金曜夜8時台」から「金曜夜9時台」の枠に移動することが発表された。9月2日発売の「週刊ポスト」(小学館)は、この変更に伴い、同番組に「ジャニーズJr.が出演できなくなる可能性」を報じている。

「タモリが司会を務める『Mステ』は、1986年に放送を開始して以降、33年間ずっと『金曜夜8時台』で放送されていました。しかし今年8月、テレ朝は『Mステ』の前の時間帯に放送しているアニメ番組『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』を土曜夕方に、そして『Mステ』を『金曜夜9時台』に移動させることを発表したのです」(芸能ライター)

 テレビ業界では現在、労働基準法に鑑みて「15歳未満の夜9時以降の生出演」を自主規制している状況。『Mステ』には毎回必ずジャニーズのタレントが出演し、そのバーターのような形でJr.のバックダンサーがついていたが、放送時間帯が変わることにより「15歳未満のJr.は『Mステ』に出演できなくなる可能性が高い」(同)という。

「『ポスト』もこの件に触れつつ、今年7月にジャニー喜多川氏が亡くなったことが、放送枠変更に影響したと伝えています。ジャニー氏がJr.の育成、プロデュースに力を注いでいたのは有名なので、テレ朝も改編をためらっていたのではないか……とのことです」(同)

 実際、ジャニー氏がJr.の『Mステ』出演に情熱をかけていたことは、一部業界関係者の間でも知られていた。

「特に1990年代のジャニー氏の熱量は半端じゃなかったようです。『Mステ』のスタジオを訪れたジャニー氏は、メインのデビュー組はほぼ無視して、Jr.の演出に心血を注いでいたとか。あるデビュー組グループの出演時には、リハーサルで決まっていた演出を無視して、“デビュー組の前でJr.が踊り続ける”という案を強行しようとしたこともあったそうです。『さすがにそれはちょっと』とためらう番組スタッフと言い合いになり、最終的にジャニー氏が、スタジオの外に追い出されてしまったらしい……なんて話も聞きましたね。ジャニー氏がこだわっていたのは、『どうすればJr.が映えるか』という一点だったのかもしれません」(芸能プロ関係者)

 しかしジャニー氏の逝去とともに、『Mステ』へのJr.出演にも、制限がかけられそうな状況。事務所としては、特に重視していなかった部分なのかもしれないが、ファンにとっては残念なことだろう。

ジャニーさんお別れ会、退所組でも招待状を送られたOBの”気になる資格”が判明

 ジャニーズ事務所社長で、先月9日に亡くなったジャニー喜多川さん(享年87)のお別れ会が、9月4日に東京ドームで開催される。


 一部スポーツ紙によると、同事務所を退社した複数のOBにお別れの会の招待状が届いているようだ。招待状が届いたのは先週末から今週初めにかけて。事務所を退社したタレントの中でも、レコードかCDでデビューした人物で、連絡先が分かるOBに送付したという。


 各スポーツ紙によると、元SMAPの稲垣吾郎が20日、都内で行われた案内人を務める、「ウォルト・ディズニー・アーカイブス コンサート」の発表会見に出席。

 お別れ会の出席について聞かれると、同日は主演舞台の公演中とあって、「ちょうど舞台が昼、夜の2回公演をやっている最中なので、行きたい気持ちもあるんですけど、心の中で思って……」と欠席の意向を表明。

 稲垣とともに「新しい地図」としてともに活動する、元SMAPの草なぎ剛と香取慎吾も、当日は別の仕事があるため欠席するという。

「関係者の間で注目された元SMAPの再集結が実現しなかった。稲垣は招待状が届いたかどうかについては言及しなかったが、3人と3人と率いる元SMAPチーフマネジャーの飯島三智氏と、ジャニーズのメリー喜多川副社長の確執はかなり深く、招待状を送ったとしたら、3人のスケジュールを確認したうえで、出席できないことを承知のうえで送り付けたのでは」(芸能記者)

 そして、気になるのが招待状を送付されたOBの”資格”だが、レコードかCDデビューしていても、あえて除外されたOBもいるようなのだ。

「ジャニーさんの死後、珍しくジャニーズ側が各グループの素材使用をあっさりOKした。とはいえ、条件があり、『逮捕された人の映像は使わないでほしい』というもの。なので、赤坂晃が逮捕された光GENJIや成田昭次が逮捕された男闘呼組の素材探しはひと苦労でした。元メンバー2人が逮捕されたKAT-TUNは、現メンバー3人のみの映像を使えばいいから問題なかった。そんな経緯もあり、逮捕されたことのある元所属タレントは呼ばれないでしょうね」(ワイドショー関係者)

 フルメンバーがそろわないグループが何組かありそうだ。

ジャニーズ事務所、初期タレントが告発したジャニー喜多川氏の性的虐待スキャンダル

――芸能界を牛耳る巨大アイドル帝国・ジャニーズ事務所。ジャニー喜多川元社長率いた帝国からは数々のスターが誕生した。郷ひろみ、近藤真彦、田原俊彦、少年隊、光GENJI、SMAP、そして嵐――。しかし、この帝国の内政が語られることは決してない。鉄のベールに包まれた帝国の光と闇を、数々のジャニーズ非公式本から探っていく。

ジャニー喜多川の変態性を生々しく描写した問題作『Smapへ』

 ジャニーズ暴露本の歴史の中で、ジャニー喜多川の変態性をもっとも生々しく描写し、ジャニーズ事務所の異常なタレント育成環境を詳細に綴っているのが、この『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社、2005年)である。著者の木山将吾氏は、「元・光GENJI」とされている。そんなメンバーいたっけ? と思われるのも無理はない。彼は、ジャニー喜多川の寵愛を受けて光GENJI入りが決まり、ポスター撮りまで済ませていたものの、”ある出来事”をきっかけにデビュー直前にメンバーから外された、幻のメンバーなのである。

 当時、木山氏はジャニー氏一番のお気に入りで、取材陣の前でも膝の上に座らされ、食事もジャニー氏の手で口に運んでもらっていたという。そして、夜はジャニー氏の欲望の捌け口として濃密過ぎる時間を過ごしていたというのだ。彼は、そんな生活を余儀なくされた15~17歳の2年間を振り返り、「ジャニー喜多川の愛人だった」「性の奴隷だった」と表現している。しかし、木山氏の告白は、「愛人」「奴隷」という言葉が生易しく聞こえてしまうほどの、まさに地獄以上の体験に満ちているのだ。

 木山氏が二回目に合宿所を訪ねると、ジャニー氏は木山氏を後ろから抱きしめ、硬くなった股間を”まるで発情した犬のように”太ももに擦り付けてきたという。そして、そのまま擦りつけ続け、なんと服を着たままズボンの中で果ててしまったというのだ。

元フォーリーブス・北公次が綴る決死の“告発”『光GENJIへ』

 元フォーリーブスのリーダー、北公次(故人)による、『光GENJIへ―元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)。同著の中で北氏は、ジャニー喜多川氏との出会いから、彼との“夫婦同然”だったという毎日、そして毎夜のように繰り返されたホモセクハラ行為(※)のすべてを明かしていた。

 とにかく、その描写はBL小説も真っ青の過激さで、いま読んでも驚かされるばかり。16歳のときに、初めてジャニー氏に下半身を弄ばれたときの描写がこうだ。

〈ジャニーさんも裸になり、おれのからだに密着してくる。両手でジャニーさんのからだを突き放そうとするが……

「泡風呂の儀式」「頬にキス」15歳が明かすホモセクハラと性的虐待『SMAPへ』

 「僕はジャニー喜多川の愛人だった…」という帯のキャッチが衝撃的な『SMAPへ』。このキャッチから想像する内容のはるか上を行く、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏によるホモセクハラ(※)という性的虐待行為の数々が、どの暴露本よりもページを割いて赤裸々に生々しく綴られており、そのおぞましさに戦慄を覚えること必至の一冊となっている。

 同著出版の前年の04年2月、99年に一大キャンペーンでジャニー氏のホモセクハラ(※)や児童虐待を告発した「週刊文春」(文藝春秋)をジャニーズ事務所とジャニー氏が提訴して始まった裁判に決着がついていた。形式上は、名誉毀損が認められておりジャニーズ側が勝ったことになるが、裁判の勝敗以上に、ジャニー氏のホモセクハラが、裁判所によって事実と認定されたという現実は重大である。

 だが、ニュース、ワイドショーはこの裁判の結果を完全スルー。結局、ジャニー氏は表立った批判を受けることもなく、何の社会的な制裁も受けないまま、絶大な権力と影響力を保ち続けて1年がたとうとしていた。そんな中で出版されたのが、この『Smapへ』だった。木山氏は、同著の「序章」にこう綴っている。

 決して名誉を抱えたままでは死なせない。あなたに2年間、おもちゃにされた人間だからこそ、今、僕が真実を語る。

※今日では差別意識を助長する表現ですが、「逆セクハラ」同様、「セクハラ」が男性から女性への“行為”と限定されていた当時の社会的状況を伝えるため、時事用語と捉え、1999年の「週刊文春」(文藝春秋)報道から引用しています。

「性」行為をしなければJr.で終わる『ジャニーズのすべて 少年愛の館』

 少年隊の植草克秀らと同時期にジャニーズ入りし、Jr.のリーダー格として活動した、平本淳也氏が1996年に上梓した『ジャニーズのすべて 少年愛の館』(鹿砦社)。平本氏が、これまでに紹介してきた、フォーリーブスの北公次氏、ジャニーズの中谷良氏、ソロデビューした豊川誕氏ら、10代にしてジャニー氏の毒牙にかけられ、人生を狂わされた者たちと大きく違うところは、ジャニー氏に”最後の一線”を、とうとう許すことがなかったということだ。

 もちろん、ジャニー氏からの誘いは、あったという。著書の中の第二章「苦悩――デビューへの代償」内、「ホモとの遭遇」と見出しがつけられた一編で、事細かにその悪魔の行為がつづられている。合宿所ではジャニー氏が一緒に風呂に入り、体をすみずみまで洗ってくれる上に、パンツまではかせてくれるのが当たり前、という奇妙さに平本氏は気が付いてくる。

 夜中になると、並んで寝ているJr.のところにジャニー氏は滑り込み、その場所からは、「ごそごそ……」「ハァ~…」という謎の声が聞こえてくる。

お気に入りの13歳を誘って犯す「ユーも仲間にならないかい」『さらば!!光GENJIへ』

 大ベストセラーとなり、全10タイトルを数えることとなった『光GENJIへ』シリーズ。その中の1冊『さらば!!光GENJIへ』では、フォーリーブスの次にジャニーズでデビューしたグループ、ジューク・ボックスの元メンバー・小谷純氏とやなせかおる氏も、当時のジャニー氏より受けたホモセクハラ(※)経験について、その詳細を語っている。

 フォーリーブスのショーを見に行った小谷氏は、そこでスカウトされ、バックバンドと一緒に、ジャニー氏運転のマイクロバスに乗り、合宿所についていってしまう。家族には、「友達の家に泊まるよ」と嘘をつき、合宿所に泊まることになったというが、なんとその日から、ジャニー氏は連日のように小谷氏の肉体を弄ぶようになったという。

 初日こそ未遂に終わったというが、翌日も泊まることになると、

すると、その夜にもやはり、あの行為があったわけだ。ジャニーさんが僕の物を口に含んでいるのがわかったわけ〉

 当時、13〜14歳、〈なぜこの人はこんな事をしているのか。それさえもわからない純粋な少年だったんだ〉という小谷少年は、あまりの驚きに恥ずかしさよりも疑問で頭がいっぱいになったという。

ジャニーズ合宿所のウワサと闇――昼は食事を与えられ、夜は精を吸われる『SMAPへ』

 元・光GENJIの木山将吾氏が2005年に出版した『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)。少年をいきなりスター軍団の中に放り込んで夢心地にし、デビューをほのめかして心を溶かし、若い肉体にしのびよるジャニー氏の手口を明かした本書。

 木山氏の背後から抱きつき、硬くなった下半身を木山氏にこすりつけながらズボンの中にイキ果てるという、盛りのついた犬のような行為に木山氏はショックを受けたものの、その直後に、木山氏は雑誌の取材を受けることとなり、いきなりの雑誌デビューを果たす。自分がシンデレラ・ボーイとなった実感が、ジャニー氏への疑問を薄めていくのだった。

 だが、そんな木山氏の様子をいいことに、ジャニー氏はさらに大胆な行為に出てきたという。

 合宿所で過ごす3回目の夜となった日、大部屋で1人で寝ていた木山氏のもとに、全身から香水のニオイをぷんぷんさせたジャニー氏がやってきて、足のマッサージをはじめたのだという。

 <もうこのことにはマッサージに慣らされてしまい、ジャニーさんに触られることに対する抵抗がなくなっていた>

 だが、当然、それだけで済むはずはなかった。ジャニー氏の手は、木山氏の股間に伸び、巧みな愛撫に勃起したことを確かめると、スウェットのズボンをゆっくり引き下げてきたという。そして、若く元気な木山氏のペニスを前に、ジャニー氏は「はぁ、はぁ、はぁ」と犬のように鼻を鳴らしたかと思うと、

 <次の瞬間、僕のペニスは生暖かいものに包まれた。同時に激しい快感の波が僕を襲った>

少年を毒牙にかけた――ジャニー喜多川の過去「ジャニーズの逆襲」

 初代ジャニーズのメンバーの1人であった、中谷良氏は、89年に上梓した告白本『ジャニーズの逆襲』(データハウス)。同著の中では、中谷氏が初めてジャニー氏からの性的なアプローチを受けたときのことが克明に記されている。驚くべきことに、それはなんとまだ中谷氏が11歳のときだったという。

 4人は、学校が終わるとジャニー氏の自宅に遊びに行くようになっていたが、ある日、中谷少年が1人で遊びに行くと、2人でじゃれ合いながら、「気持ちいいはずだよ、こうすると」と、手を上下に動かして中谷少年を射精へと導いたという。 ジャニーズは、代々木公園に集まる30人ほどの少年たちに野球のコーチをしていたジャニー氏が、この野球チームにいた4人の幼なじみを誘って映画『ウエストサイドストーリー』を見に行ったことがきっかけで結成されたグループだった。その野球チーム「ジャニーズ球団」時代から、ジャニー氏は彼らを欲望の手にかけていたというのだ。

「ジャニーさんは、僕の体を触るだけ」――“昼の仕事”と“夜の行為”

デビュー直前にグループを離れることとなった、光GENJIの幻のメンバー・木山将吾氏(ジャニーズ時代は本名の山崎正人を名乗っていた)が05年に上梓した『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)。その中で、自身が2年間にわたって受けつづけた「ホモセクハラ・性的虐待」の内容とともに、ジャニー喜多川氏の仕事ぶりについても明かしている。

実はジャニーさんが芸能の仕事をしているところを見たことがない。ダンスのレッスン場に行っても、ダンスの指導に口を出すなど一切なく、ただ、レッスンを見つめているだけ。僕はいつも視線を感じていた。

 さらに、ジャニーさんが音楽を聴いているのを見たことがない。合宿所にはジャニーさんのためのCDデッキもプレイヤーも何もない。一日中、テレビを見ているか、大量にあるゲームをやっているか、ゲームをしながら少年たちを見ながら、僕の体を触っているかしかなかった。

“ジャニーズ”であるための「恐怖の儀式」――“僕”すら拒絶したホルモン注射

 多くのジャニーズタレントは、二十歳を過ぎても中性的な魅力を失わない。その理由として、いつしか「ジャニーズ事務所のタレントは女性ホルモンを注射されているから」というウワサが囁かれるようになっていた。

 このトンデモなウワサの真相が、木山氏の著書『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)で明かされていた。光GENJIとしてのデビューが迫る中、木山氏の耳に「怖い話」が入ってきたという。

「ジャニーさんが注射打ってくるんだよね」

 聞くと、デビューするには、ある注射を打たなければならないという。すでにこのときには僕以外の全員がジャニーさんにそれをされていたのだ。

「あれって何の注射?」

「ホルモン剤とかって本当?」

「なんでホルモン剤なんか打つんだよ」

同性愛への誘い――「ジャニーさんに誘われたときは、驚いた」16歳の“僕”が「スター抜てき」と引き換えたもの

 97年に上梓した『ひとりぼっちの旅立ち―元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(鹿砦社)。豊川誕のケースを紹介しよう。豊川は、推定3歳のときに孤児となり、兵庫県姫路市の公園で保護されて児童養護施設で育った。高校を中退し、里親の家から家出して大阪のゲイバーや喫茶店でアルバイトをしているときにスカウトされ、上京。ジャニーズ入りし、1975年3月、16歳のときに「汚れなき悪戯」でレコードデビューを果たした。「豊川誕」という名前は、「豊川稲荷に捨てられていた」というギミックとともにメリー喜多川がつけたものだった。孤児であることを、堂々と売りにしていたのである。

 豊川は、上京初日から、ジャニー氏と当時のタレントたちが寝泊まりする「合宿所」に招かれ、自室が与えられた。だが、最初の1週間は「自室のベッドを使うことがなかった」という。彼のベッドで毎晩、自由にされ続けたのだ。自分のやっていることが何であるのかはわかっていたつもりだ。だてにゲイバーで働いていたわけじゃない。

ジャニーズ事務所、初期タレントが告発したジャニー喜多川氏の性的虐待スキャンダル

――芸能界を牛耳る巨大アイドル帝国・ジャニーズ事務所。ジャニー喜多川元社長率いた帝国からは数々のスターが誕生した。郷ひろみ、近藤真彦、田原俊彦、少年隊、光GENJI、SMAP、そして嵐――。しかし、この帝国の内政が語られることは決してない。鉄のベールに包まれた帝国の光と闇を、数々のジャニーズ非公式本から探っていく。

ジャニー喜多川の変態性を生々しく描写した問題作『Smapへ』

 ジャニーズ暴露本の歴史の中で、ジャニー喜多川の変態性をもっとも生々しく描写し、ジャニーズ事務所の異常なタレント育成環境を詳細に綴っているのが、この『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社、2005年)である。著者の木山将吾氏は、「元・光GENJI」とされている。そんなメンバーいたっけ? と思われるのも無理はない。彼は、ジャニー喜多川の寵愛を受けて光GENJI入りが決まり、ポスター撮りまで済ませていたものの、”ある出来事”をきっかけにデビュー直前にメンバーから外された、幻のメンバーなのである。

 当時、木山氏はジャニー氏一番のお気に入りで、取材陣の前でも膝の上に座らされ、食事もジャニー氏の手で口に運んでもらっていたという。そして、夜はジャニー氏の欲望の捌け口として濃密過ぎる時間を過ごしていたというのだ。彼は、そんな生活を余儀なくされた15~17歳の2年間を振り返り、「ジャニー喜多川の愛人だった」「性の奴隷だった」と表現している。しかし、木山氏の告白は、「愛人」「奴隷」という言葉が生易しく聞こえてしまうほどの、まさに地獄以上の体験に満ちているのだ。

 木山氏が二回目に合宿所を訪ねると、ジャニー氏は木山氏を後ろから抱きしめ、硬くなった股間を”まるで発情した犬のように”太ももに擦り付けてきたという。そして、そのまま擦りつけ続け、なんと服を着たままズボンの中で果ててしまったというのだ。

元フォーリーブス・北公次が綴る決死の“告発”『光GENJIへ』

 元フォーリーブスのリーダー、北公次(故人)による、『光GENJIへ―元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)。同著の中で北氏は、ジャニー喜多川氏との出会いから、彼との“夫婦同然”だったという毎日、そして毎夜のように繰り返されたホモセクハラ行為(※)のすべてを明かしていた。

 とにかく、その描写はBL小説も真っ青の過激さで、いま読んでも驚かされるばかり。16歳のときに、初めてジャニー氏に下半身を弄ばれたときの描写がこうだ。

〈ジャニーさんも裸になり、おれのからだに密着してくる。両手でジャニーさんのからだを突き放そうとするが……

「泡風呂の儀式」「頬にキス」15歳が明かすホモセクハラと性的虐待『SMAPへ』

 「僕はジャニー喜多川の愛人だった…」という帯のキャッチが衝撃的な『SMAPへ』。このキャッチから想像する内容のはるか上を行く、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏によるホモセクハラ(※)という性的虐待行為の数々が、どの暴露本よりもページを割いて赤裸々に生々しく綴られており、そのおぞましさに戦慄を覚えること必至の一冊となっている。

 同著出版の前年の04年2月、99年に一大キャンペーンでジャニー氏のホモセクハラ(※)や児童虐待を告発した「週刊文春」(文藝春秋)をジャニーズ事務所とジャニー氏が提訴して始まった裁判に決着がついていた。形式上は、名誉毀損が認められておりジャニーズ側が勝ったことになるが、裁判の勝敗以上に、ジャニー氏のホモセクハラが、裁判所によって事実と認定されたという現実は重大である。

 だが、ニュース、ワイドショーはこの裁判の結果を完全スルー。結局、ジャニー氏は表立った批判を受けることもなく、何の社会的な制裁も受けないまま、絶大な権力と影響力を保ち続けて1年がたとうとしていた。そんな中で出版されたのが、この『Smapへ』だった。木山氏は、同著の「序章」にこう綴っている。

 決して名誉を抱えたままでは死なせない。あなたに2年間、おもちゃにされた人間だからこそ、今、僕が真実を語る。

※今日では差別意識を助長する表現ですが、「逆セクハラ」同様、「セクハラ」が男性から女性への“行為”と限定されていた当時の社会的状況を伝えるため、時事用語と捉え、1999年の「週刊文春」(文藝春秋)報道から引用しています。

「性」行為をしなければJr.で終わる『ジャニーズのすべて 少年愛の館』

 少年隊の植草克秀らと同時期にジャニーズ入りし、Jr.のリーダー格として活動した、平本淳也氏が1996年に上梓した『ジャニーズのすべて 少年愛の館』(鹿砦社)。平本氏が、これまでに紹介してきた、フォーリーブスの北公次氏、ジャニーズの中谷良氏、ソロデビューした豊川誕氏ら、10代にしてジャニー氏の毒牙にかけられ、人生を狂わされた者たちと大きく違うところは、ジャニー氏に”最後の一線”を、とうとう許すことがなかったということだ。

 もちろん、ジャニー氏からの誘いは、あったという。著書の中の第二章「苦悩――デビューへの代償」内、「ホモとの遭遇」と見出しがつけられた一編で、事細かにその悪魔の行為がつづられている。合宿所ではジャニー氏が一緒に風呂に入り、体をすみずみまで洗ってくれる上に、パンツまではかせてくれるのが当たり前、という奇妙さに平本氏は気が付いてくる。

 夜中になると、並んで寝ているJr.のところにジャニー氏は滑り込み、その場所からは、「ごそごそ……」「ハァ~…」という謎の声が聞こえてくる。

お気に入りの13歳を誘って犯す「ユーも仲間にならないかい」『さらば!!光GENJIへ』

 大ベストセラーとなり、全10タイトルを数えることとなった『光GENJIへ』シリーズ。その中の1冊『さらば!!光GENJIへ』では、フォーリーブスの次にジャニーズでデビューしたグループ、ジューク・ボックスの元メンバー・小谷純氏とやなせかおる氏も、当時のジャニー氏より受けたホモセクハラ(※)経験について、その詳細を語っている。

 フォーリーブスのショーを見に行った小谷氏は、そこでスカウトされ、バックバンドと一緒に、ジャニー氏運転のマイクロバスに乗り、合宿所についていってしまう。家族には、「友達の家に泊まるよ」と嘘をつき、合宿所に泊まることになったというが、なんとその日から、ジャニー氏は連日のように小谷氏の肉体を弄ぶようになったという。

 初日こそ未遂に終わったというが、翌日も泊まることになると、

すると、その夜にもやはり、あの行為があったわけだ。ジャニーさんが僕の物を口に含んでいるのがわかったわけ〉

 当時、13〜14歳、〈なぜこの人はこんな事をしているのか。それさえもわからない純粋な少年だったんだ〉という小谷少年は、あまりの驚きに恥ずかしさよりも疑問で頭がいっぱいになったという。

ジャニーズ合宿所のウワサと闇――昼は食事を与えられ、夜は精を吸われる『SMAPへ』

 元・光GENJIの木山将吾氏が2005年に出版した『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)。少年をいきなりスター軍団の中に放り込んで夢心地にし、デビューをほのめかして心を溶かし、若い肉体にしのびよるジャニー氏の手口を明かした本書。

 木山氏の背後から抱きつき、硬くなった下半身を木山氏にこすりつけながらズボンの中にイキ果てるという、盛りのついた犬のような行為に木山氏はショックを受けたものの、その直後に、木山氏は雑誌の取材を受けることとなり、いきなりの雑誌デビューを果たす。自分がシンデレラ・ボーイとなった実感が、ジャニー氏への疑問を薄めていくのだった。

 だが、そんな木山氏の様子をいいことに、ジャニー氏はさらに大胆な行為に出てきたという。

 合宿所で過ごす3回目の夜となった日、大部屋で1人で寝ていた木山氏のもとに、全身から香水のニオイをぷんぷんさせたジャニー氏がやってきて、足のマッサージをはじめたのだという。

 <もうこのことにはマッサージに慣らされてしまい、ジャニーさんに触られることに対する抵抗がなくなっていた>

 だが、当然、それだけで済むはずはなかった。ジャニー氏の手は、木山氏の股間に伸び、巧みな愛撫に勃起したことを確かめると、スウェットのズボンをゆっくり引き下げてきたという。そして、若く元気な木山氏のペニスを前に、ジャニー氏は「はぁ、はぁ、はぁ」と犬のように鼻を鳴らしたかと思うと、

 <次の瞬間、僕のペニスは生暖かいものに包まれた。同時に激しい快感の波が僕を襲った>

少年を毒牙にかけた――ジャニー喜多川の過去「ジャニーズの逆襲」

 初代ジャニーズのメンバーの1人であった、中谷良氏は、89年に上梓した告白本『ジャニーズの逆襲』(データハウス)。同著の中では、中谷氏が初めてジャニー氏からの性的なアプローチを受けたときのことが克明に記されている。驚くべきことに、それはなんとまだ中谷氏が11歳のときだったという。

 4人は、学校が終わるとジャニー氏の自宅に遊びに行くようになっていたが、ある日、中谷少年が1人で遊びに行くと、2人でじゃれ合いながら、「気持ちいいはずだよ、こうすると」と、手を上下に動かして中谷少年を射精へと導いたという。 ジャニーズは、代々木公園に集まる30人ほどの少年たちに野球のコーチをしていたジャニー氏が、この野球チームにいた4人の幼なじみを誘って映画『ウエストサイドストーリー』を見に行ったことがきっかけで結成されたグループだった。その野球チーム「ジャニーズ球団」時代から、ジャニー氏は彼らを欲望の手にかけていたというのだ。

「ジャニーさんは、僕の体を触るだけ」――“昼の仕事”と“夜の行為”

デビュー直前にグループを離れることとなった、光GENJIの幻のメンバー・木山将吾氏(ジャニーズ時代は本名の山崎正人を名乗っていた)が05年に上梓した『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)。その中で、自身が2年間にわたって受けつづけた「ホモセクハラ・性的虐待」の内容とともに、ジャニー喜多川氏の仕事ぶりについても明かしている。

実はジャニーさんが芸能の仕事をしているところを見たことがない。ダンスのレッスン場に行っても、ダンスの指導に口を出すなど一切なく、ただ、レッスンを見つめているだけ。僕はいつも視線を感じていた。

 さらに、ジャニーさんが音楽を聴いているのを見たことがない。合宿所にはジャニーさんのためのCDデッキもプレイヤーも何もない。一日中、テレビを見ているか、大量にあるゲームをやっているか、ゲームをしながら少年たちを見ながら、僕の体を触っているかしかなかった。

“ジャニーズ”であるための「恐怖の儀式」――“僕”すら拒絶したホルモン注射

 多くのジャニーズタレントは、二十歳を過ぎても中性的な魅力を失わない。その理由として、いつしか「ジャニーズ事務所のタレントは女性ホルモンを注射されているから」というウワサが囁かれるようになっていた。

 このトンデモなウワサの真相が、木山氏の著書『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)で明かされていた。光GENJIとしてのデビューが迫る中、木山氏の耳に「怖い話」が入ってきたという。

「ジャニーさんが注射打ってくるんだよね」

 聞くと、デビューするには、ある注射を打たなければならないという。すでにこのときには僕以外の全員がジャニーさんにそれをされていたのだ。

「あれって何の注射?」

「ホルモン剤とかって本当?」

「なんでホルモン剤なんか打つんだよ」

同性愛への誘い――「ジャニーさんに誘われたときは、驚いた」16歳の“僕”が「スター抜てき」と引き換えたもの

 97年に上梓した『ひとりぼっちの旅立ち―元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(鹿砦社)。豊川誕のケースを紹介しよう。豊川は、推定3歳のときに孤児となり、兵庫県姫路市の公園で保護されて児童養護施設で育った。高校を中退し、里親の家から家出して大阪のゲイバーや喫茶店でアルバイトをしているときにスカウトされ、上京。ジャニーズ入りし、1975年3月、16歳のときに「汚れなき悪戯」でレコードデビューを果たした。「豊川誕」という名前は、「豊川稲荷に捨てられていた」というギミックとともにメリー喜多川がつけたものだった。孤児であることを、堂々と売りにしていたのである。

 豊川は、上京初日から、ジャニー氏と当時のタレントたちが寝泊まりする「合宿所」に招かれ、自室が与えられた。だが、最初の1週間は「自室のベッドを使うことがなかった」という。彼のベッドで毎晩、自由にされ続けたのだ。自分のやっていることが何であるのかはわかっていたつもりだ。だてにゲイバーで働いていたわけじゃない。

ジャニー喜多川氏家族葬――木村拓哉の“一言”に「笑いすぎて声出ない」ジャニタレ続出

 7月12日に執り行われた、ジャニー喜多川社長(享年87)の“家族葬”。8月3日放送のラジオ番組『V6 Next Generation』(JFN系)では、V6の年長グループ・20th Centuryメンバーが当日の裏話を語った。

 多くのタレント、ファン、関係者に惜しまれつつも、7月9日にこの世を去ったジャニー社長。家族葬には近藤真彦、少年隊といったベテラン勢から、ジャニーズJr.ら所属タレント約150人が参列し、故人と最後のひと時を過ごしたという。ジャニーズ事務所は12日にコーポレートサイトを更新し、家族葬が滞りなく終わったことを報告の形で発表。「この度の家族葬は、これまで数多くのステージをプロデュースしてまいりましたジャニーにとって自身が上がる初めてのステージとなりました。だれよりもエンターテイナーである者にとってふさわしいステージとなるよう、忙しい子供達が時間を縫って、会場の設営から運営に至るまで、できる限り自分達の手で作ることにこだわりました」と、家族葬を選択した背景も伝えていた。

 そんな盛大な家族葬において、井ノ原快彦はTOKIO・国分太一とともに司会を担当。ジャニー社長の意思を継ぎ、今年からタレントのプロデュース業に取り組んでいる株式会社ジャニーズアイランドの滝沢秀明社長には、事前に「むちゃくちゃ楽しませてほしい」と、頼まれていたという。井ノ原は、近藤たちが弔辞を読む場面の台本なども「自分で作ってた」そうで、やって来たご住職にも「ちょっとくだけた感じになりますけど、よろしいでしょうか?」と、許可を得た上で進行。“諸先輩方”に「行き過ぎ注意ね」と釘を刺されながらも、ギリギリのラインを狙って取り仕切っていたとか。

 葬儀後は「ざっくばらんと飲みましょう」と、参加者でジャニー社長を偲びながら酒を楽しんだそう。その場で井ノ原は、KAT-TUN・中丸雄一に特技のボイスパーカッションを無茶振りしたといい、「まぁやっぱ、盛り上がるところでは、中丸くんのボイパが似合いますよね。ここだけの話、(ジャニー社長の)病室でもね、ボイパ、何回かやってもらったんですよ(笑)」と、告白。「『やってもらった』っていうか、井ノ原がやらせてた」(長野博)そうで、「俺、先輩に井ノ原がいなくて良かったと思った」(坂本昌行)ほどの無茶振りだったようだ。長野によれば、「ジャニーさん、ボイパ好きだと思うぞ」と声をかけた際、中丸は「やるんっすか!?」と、戸惑っていたものの、

井ノ原「動画撮ってさ、中丸のボイパをね。ジャニーさんに向けてやってるボイパを撮って。(中丸は)『もうやめてくださいよ!』みたいなこと言ってたんだよ。でも、『井ノ原くん、あの動画ちょっと送ってもらってもいいですか』(とお願いしてきた)。キライじゃないんじゃーん! みたいなさ」
坂本「思い出の一つだからね」
井ノ原「そうだよ~! 最後に贈ったボイパなんだから、それはね。撮っておいて良かった」

と語っており、中丸にとっても病室での思い出になったようだ。また、仕事の都合で家族葬に出席できなかった長野に、井ノ原は当日のハプニングを報告。「突然なんか、“男梅”が登場したりね」と切り出し、これはノーベル製菓株式会社の商品・男梅シリーズのマスコットキャラクター(男梅蔵)を指しているとみられるが、「そっくりな人が現れてさ」「真っ赤っかの顔でさ。よく見たら、先輩だったんだけど」と、もったいぶった口調で語り始めた。

 この“リアル男梅”とは少年隊・植草克秀のことだそうで、なんでも近藤真彦から「お前、今日飲まないでどうするんだ? 献杯だろ?」と言われた植草は、普段飲まないにもかかわらず、ベロベロになるほど飲んでしまい、

「真っ赤っかの顔でさ。木村(拓哉)くんかな? 俺の耳元でさ、『男梅じゃねぇか』っつって言いだして(笑)。太一くんも『男梅だ、男梅だ』って言いだしてさ。俺ホント、笑い止まらなくなっちゃってさ~」(井ノ原)

と、植草の顔を男梅にたとえて大盛り上がりしたと報告。坂本も、「すっごい面白いんだよね! 現場にいると。爆笑じゃないんだよね、もう。笑いすぎて声が出ないぐらいの笑いだもんね」と振り返り、「もうホント、声出なくなっちゃってさ。そんでもう、(植草は)ジャニーさんに謝ってたよ。祭壇に行ってさ、『ジャニーさーん! 俺は真面目にやりたかったんだけど、コイツらが飲ませてくるから! すいませーん! チーン!』とかってやってましたけど」(井ノ原)とレポート。

坂本は「家族葬ですから。僕らにしかわからないね、空間だし、距離感だし。あれは良かったですね、ホントね」と、しみじみした様子で語り、ジャニーズタレントたちが明るい雰囲気の中でジャニー社長を送り出したことがうかがえる内容になっていた。

 放送を受け、リスナーも「ボイパを無茶振りされた中丸くんの驚いた顔が目に浮かぶ。大爆笑」「弔辞の台本書いて行ったのに、先輩から『行きすぎるなよ』って、全然信用されてないイノッチが面白すぎ」「男梅のくだりが本当に笑える」と、大盛り上がり。

 また、「男梅」の発信者について、「木村くんかな?」と定かではない口ぶりだったが、木村は今年1月に『帰れマンデー見っけ隊!! 3時間スペシャル』(テレビ朝日系)内の「帰れま10」コーナーにゲスト出演した際、ニッチェ・江上敬子の表情を「男梅」にたとえていたため、木村ファンの間で「木村くんは男梅が気に入ってるのか」「男梅、好きだよね」と、納得の声が出ていた。

 破壊力抜群の一言を放った木村だが、家族葬での先輩・後輩の言動に何を感じたのか、その胸中も気になるところだ。

ジャニー喜多川さんのお別れ会「東京ドームで9月4日説」が突如急浮上した理由

 7月29日付の「FRIDAYデジタル」が、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの「お別れ会」が9月4日に、東京ドームで執り行われることになるとを報じた。

 しかし、その報道が出たにもかかわらず、事務所からはまだ正式発表がない。

「ジャニーさんの死後、一部スポーツ紙が東京ドームでお別れ会を行うことを報道。しかし、ジャニーズ幹部はその情報を否定したそうです。その後、業界内では『8月中に水道橋付近の会場で行われる』という情報が流れていました」(芸能記者)

 というのも毎年8月、ジャニーズ事務所はほぼ連日、東京ドームに隣接する東京ドームシティホールを抑えており、その公演の空き日に行うことになるのでは、と言われていた。

「ドームシティの収容人数はせいぜい2,000人程度。その規模では、ジャニーさんにゆかりのある関係者を収容できないのでは、という話になったようで、一度、白紙になったようです」(テレビ局関係者)

 そして、出たのが東京ドームでの開催報道だった。同所のスケジュールは公式サイトで確認できるが、9月1日から3日までは関ジャニ∞のドーム公演が、5日はプロ野球・巨人-中日戦が開催されるが、4日はぽっかりと空いている。

「おそらく、すでに準備が始まっていて、関わっている業者から情報が漏れたのではと言われている。お別れ会があるので、うわさされている関ジャニ・大倉忠義の脱退発表はさすがにないのでは。関ジャニの公演のステージやセットをそのまま使い、かなり盛大なお別れ会が開催されることになりそうです」(先の記者) 

 ジャニーさんにとって最後の晴れ舞台になりそうだ。

ジャニー喜多川さんのお別れ会「東京ドームで9月4日説」が突如急浮上した理由

 7月29日付の「FRIDAYデジタル」が、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの「お別れ会」が9月4日に、東京ドームで執り行われることになるとを報じた。

 しかし、その報道が出たにもかかわらず、事務所からはまだ正式発表がない。

「ジャニーさんの死後、一部スポーツ紙が東京ドームでお別れ会を行うことを報道。しかし、ジャニーズ幹部はその情報を否定したそうです。その後、業界内では『8月中に水道橋付近の会場で行われる』という情報が流れていました」(芸能記者)

 というのも毎年8月、ジャニーズ事務所はほぼ連日、東京ドームに隣接する東京ドームシティホールを抑えており、その公演の空き日に行うことになるのでは、と言われていた。

「ドームシティの収容人数はせいぜい2,000人程度。その規模では、ジャニーさんにゆかりのある関係者を収容できないのでは、という話になったようで、一度、白紙になったようです」(テレビ局関係者)

 そして、出たのが東京ドームでの開催報道だった。同所のスケジュールは公式サイトで確認できるが、9月1日から3日までは関ジャニ∞のドーム公演が、5日はプロ野球・巨人-中日戦が開催されるが、4日はぽっかりと空いている。

「おそらく、すでに準備が始まっていて、関わっている業者から情報が漏れたのではと言われている。お別れ会があるので、うわさされている関ジャニ・大倉忠義の脱退発表はさすがにないのでは。関ジャニの公演のステージやセットをそのまま使い、かなり盛大なお別れ会が開催されることになりそうです」(先の記者) 

 ジャニーさんにとって最後の晴れ舞台になりそうだ。