映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタイン(65)が、過去約30年間にわたって20代の女優らにセクハラしてきたという疑惑が報じられて、はや10日が過ぎた。アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーからも会員資格を剥奪され、ハーベイは事実上、ハリウッドを追放された。数多くの女優たちが「実は私も過去に言い寄られた」「セクハラを受けた」と暴露大会を繰り広げているが、世間は「今、言っても意味ない」「その時に言わないから被害が広がった」としらけ気味だ。そんな中、恐れを知らないジャンキーなロッカーであり、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされたこともある女優のコートニー・ラブ(53)が、2005年にレッドカーペットで「ハーベイ・ワインスタインには気をつけるように」と警告していたことが明らかになり、「さすがコートニー!」と株を上げている。
コートニーといえば、1994年4月に拳銃自殺した伝説的なロッカー、カート・コバーンの妻として知られているが、カートと出会う前からバンドや女優活動をアグレッシブに行っていた筋金入りのアーティストである。
10代の頃、生活費を稼ぐために世界中でストリッパーをしていたとき、イギリスでミュージシャンと付き合ったことがきっかけでロックに夢中になり、自分もロッカーになることを決意。帰国後、一度はフェイス・ノー・モアのボーカルに採用されたものの「男のエネルギーが必要だから」と数カ月でクビになり、怒ったコートニーは「女だけのバンドを作ってやる!」とシュガー・ベイビー・ドールという女子バンドを結成する。自身の薬物依存が原因でこのバンドが解散した後は、ロサンゼルスに移住して映画のオーディションを受けまくる。87年にはインディ映画『ストレート・トゥ・ヘル』の主演に大抜擢されるものの、本人が期待したほどのブレークにはつながらなかった。
今度は再び音楽に舞い戻り、「ビッグ・ブラック、ソニック・ユース、フリートウッド・マックに影響を受けてる私とバンド組みたい人!」という募集記事を新聞に出し、ホールを結成した。ステージは大盛況で、91年にインディーレーベルからデビューアルバムをリリース。この年にカートと交際を始め、翌年妊娠し、結婚する。ニルヴァーナが世界的に大ヒットしたことから「グランジ版ジョンとヨーコ」と呼ばれるようになったが、もともとコートニーは「自分で金を稼ぎ、自らキャリアを切り開いてきた」自立した女性だったのだ。
カートが自殺した1週間後にメジャーレーベルからリリースされたホールのメジャーレーベル・デビューアルバム『Live Trough This』(94)は大ヒットし、ハチャメチャなツアーも大成功した。コートニーの精神状態は不安定で、荒れに荒れていたが、96年にはビッグチャンスが舞い込む。悪名高きポルノ雑誌「ハスラー」を創刊したラリー・フリントの裁判が映画化されることになり、コートニーはラリーの妻役が自分にぴったりだと確信を持つ。ラリーの妻・アルシアは、ストリッパー出身のヤク中で、後にエイズに罹患、33歳のときにOD(オーバードーズ)で亡くなったという人物で、たしかにコートニーに似合いの役だった。オーディションで監督のミロス・フォアマンは「アルシア本人のようだ」と驚き、採用する。製作会社のコロンビア映画は渋い顔をしたが、定期的に薬物検査を受けることなどを条件に『ラリー・フリント』(96)にキャスティングされた。これが当たり役となり、ゴールデン・グローブ主演女優賞にもノミネートされるなど業界から高く評価され、コートニーは「薄汚れたジャンキーなロックウーマン」から「ハリウッドのAリスト女優」へと華麗なる転身を遂げた。
だがその後、レコード会社と揉めたり、薬物依存症が悪化したり、バンドを解散させたりと、コートニーとその周辺は再び荒れていく。05年には、米コメディ・セントラル局の人気番組『ロースト』に、明らかにハイな状態で出演し、保護観察期間中の違反行為であるとみなされてリハビリ施設に90日間ぶち込まれてしまった。
この『ロースト』内のインタビューで、コートニーはハリウッドで成功することを夢見る若い女の子たちに「ハーベイ・ワインスタインには気をつけろ」と警告していたのだ。
米大手ゴシップ芸能サイト「TMZ」は14日、コートニーが『ロースト』でカーペット・インタビューを受けるショート映像を紹介している。この映像では、「ハリウッドに移り住もうとしている若い女の子たちに、何かアドバイスを」という問いに、コートニーが「ん〜、これ言ったら名誉毀損になっちゃうかしら」と横を向きながらつぶやいた直後、「ハーベイ・ワインスタインに『フォーシーズンズでプライベート・パーティーするからおいで』って誘われても、行かないことね」と早口で言い放っている。同サイトは「コートニーは、はっきりとハーベイの誘いには絶対に応じるなと警告していた」「ハリウッドの俳優は『ハーベイのセクハラを知らなかった』と言い、女優たちは『私も言い寄られた、被害者だ』とカマトトぶってるが、ハーベイのセクハラは業界では誰もが知っていたということを裏付ける発言だ」と伝えた。
この動画はネット上で拡散され、「さすがコートニー!」「ハーベイの名前をしっかりと挙げてのこの発言はすごい!」と称賛する声が多数上がった。これを受けてコートニーは、ツイッターで「私はハーベイの被害者じゃないんだけどね」と説明しつつ、「CAAから発言を永久に禁止されたのよ」という言葉の後に「ハーベイ」と「レイプ」というハッシュタグをつけたツイートを投下した。
Although I wasn't one of his victims, I was eternally banned by CAA for speaking out against #HarveyWeinstein #rape https://t.co/8giwNkrC5t
— Courtney Love Cobain (@Courtney) 2017年10月14日
CAAとは、ハリウッド7大エージェンシーのひとつであるクリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシーのことだ。ロバート・ダウニー・Jr、ジェニファー・ローレンス、マシュー・マコノヒーなど大物スターを抱える事務所である。コートニーは、このエージェンシーから「ハーベイのセクハラを語るのはタブーだ」と厳しく口止めされたことを、サラッと暴露したのだ。
ネット上では、「エージェントを含め、誰もがハーベイのセクハラを知っていたが、黙認していたことを証明する発言」「おそらく、セクハラを受けた女優が自分のエージェンシーに泣きついたとしても『そのことは公言するな』『仕事ができなくなってもいいのか』などと脅かされてたんじゃないか」とさまざまな推測が飛び交い、お祭り騒ぎとなっている。
ブロンド美女でセクシーなコートニーにハーベイが手を出さなかったのは、彼女があまりにもハチャメチャで、ハイになった時にポロッと暴露されると懸念したのか、それとも彼女が『ラリー・フリント』で注目されるようになった時はすでに30歳を過ぎていたからか、理由は不明だ。コートニーは2001年にも、ニューヨークのロシアン・ティー・ルームで開催されたチャリティーで「ハーベイ・ワインスタインは私とは、セックスしないの。だって私は“シクサ”じゃないから」と冗談交じりに発言している。“シクサ”とは非ユダヤ人女性のことを指す。コートニーにはユダヤの血が流れているため、ハーベイは彼女をセクハラ対象にはしなかったとギャグにした。しかし、同じくぶっ飛んだお騒がせセレブとして知られているリンジー・ローハンもハーベイにセクハラされていないと見られていることから、「ユダヤの血うんぬんじゃなく、逆上しやすくベラベラしゃべりそうな女優は避けたのだろう」と推測する者が多い。
若者たちからは「娘とやっと和解できた、露出狂の精神不安定なお騒がせ整形おばさん」というイメージを持たれているコートニーだが、ミュージシャンとしてのキャリアも女優としてのキャリアも、血のにじむような努力をして積み上げてきたのだという自信を持っている。また、彼女は長きにわたるSGI(創価学会インタナショナル)信者で、題目を唱えればなんでもかなうと信じている怖い者知らずだ。CAAに脅されても震え上がることなく「はいはい、タブーなんでしょ。もう言わないよ」というノリで了承したものと思われる。なお、コートニーは警告発言の後も、ハーベイと普通に交流しており、12年にはサンセット・タワー・ホテルで開催されたイベントでハーベイとジェシカ・チャステインが楽しそうに談話するそばで、にこやかな表情で立っているところをパパラッチされている。
コートニーは13年に自叙伝『The Girl with the Most Cake』をリリースする予定だったが、その後、ゴーストライターから訴えられるなどのトラブルがあり、ポシャってしまった。今年6月に深夜番組『Late Night with Seth Meyers』で、「そういえばあの自叙伝の話、どうなったの?」と聞かれたコートニーは「最初のゴーストライターは書きすぎちゃって。暴露が多くて低級な作品になっちゃった」「だから、もっと上品な感じの、あまり書きすぎないような作品になるように、新しいゴーストライターと一緒に書き直してる」「自叙伝は出すけど、たくさんの秘密を守らなくちゃならないから」と説明していた。
この自叙伝で、ハーベイやCAAに関することを「ハリウッドのクソすぎる闇」として書いていたのではないかとも注目されているが、果たしてどうなのか? 今後も、ハリウッドの裏事情に関するコートニーのさらなる暴露を、世間は期待している。
ジェイク・ギレンホールの父親は数多くのテレビ映画・劇場映画を手がける監督のスティーヴン・ギレンホール、母親はリバー・フェニックス主演の『旅立ちの時』(88)を手がけた脚本家のナオミ・フォナー。姉のマギーも女優という、芸能一家に育った。母親ほど年の離れた大御所女優のジェイミー・リー・カーティスと腕を組んで楽しそうに出かける姿がパパラッチされたことがあるが、実はジェイミーは彼のゴッドマザーなのである。
70年代、映画『スティング』(73)でアカデミー賞を受賞した映画プロデューサーのマイケル&ジュリア・フィリップス夫妻は、マリブの邸宅で「ハリウッドの将来を担うであろう監督、プロデューサー、役者、脚本家が交流するホームパーティー」を毎週末のように開催していた。スティーヴン・スピルバーグは、このパーティーの常連だった。女優のブライス・ダナーと彼女の夫でプロデューサーのブルース・パルトローも参加することが多く、スティーヴンとブルースはユダヤ系という共通点もあり意気投合した。家族ぐるみで親しく付き合うようになり、ブライスが第一子である長女グウィネスを出産した際、スティーヴンは快くゴッドファーザーの大役を引き受けた。



